遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『仏教と脳科学』 アルボムッレ・スマナサーラ、有田秀穂   サンガ

2013-01-25 21:48:21 | レビュー
 本書はスリランカ初期仏教長老で、日本テラワーダ仏教協会において、初期仏教の伝道と瞑想指導に従事するアルボムッレ・スマナサーラ師と、東邦大学医学部教授で、脳神経の基礎研究者である有田秀穂教授の対談集である。(以下、敬称を略す)
 仏教の活動実践、修行過程での「心の世界」の働きと働かせ方をお釈迦さまの観点から語るスマナサーラと、大脳皮質における脳神経の活動から「心の世界」を研究する有田がそれぞれの観点から話題について語っていく。対談者それぞれが相手の研究や著書を読んだ上で、様々なトピックについてお互いの考え方を述べた結果がまとめられている。「心の世界」に科学と宗教がどう切り込み、どう扱うかあるいは扱えるかについて、多岐に亘って意見交換されていて、興味深い。

 本書副題は「うつ病治療・セロトニンから呼吸法・坐禅、瞑想・解脱まで」と記す。
 本書は6章構成でまとめられている。副題のキーワードとのラフな関係を補足する。
第1章 お釈迦さまが気づいていた世界  坐禅、セロトニン神経の働き
第2章 お釈迦さまの日常生活      瞑想実践、セロトニンとメラトニン
第3章 コミュニケーションと共感脳   前頭前野腹外側部、慈悲の瞑想、歩く瞑想
第4章 現代人の問題          うつ病治療、キレるときの脳の状態
第5章 生きることへの科学の目、仏教の目 三毒(貪・瞋・痴)と三神経
第6章 瞑想と脳の機能         瞑想・解脱、セロトニンの活性化

 有田は心をつくる3つの神経(ドーパミン神経、ノルアドレナリン神経、セロトニン神経)があるという。この3つの要素を光の三原色の如く、基本的に重ね合わせることで、心の状態が説明できるという仮説をたて、この3要素のことを心の三原色と呼んでいる。そして、この3つの神経が、瞑想の実践活動でどう関わっているかを科学的検証に基づいて説明する。また、仏教でまず取りあげられる三毒(貪・瞋・痴)と3つの神経の関わりかた、未解明の分野を説明し、スマナサーラに、自らの考えを投げかけていく。
 対話を通じて有田は最もベースになることとして、「お釈迦さまの教えはサイエンスにのるのです」(p202)ということをスマナサーラと明確に共有していく。
 そして、有田は、お釈迦さまの6年間の苦行は自らの身体を使ったストレス実験ととらえた見方を提示する。お釈迦さまはストレスの神経のテストをして、徹底的に見極めた(p230)、そして、山を下りて、セロトニン神経を活性化する行を始めたのだととらえる。 一方、スマナサーラはお釈迦さまの考えは科学的であることには同意するが、現代の科学とは違う点を明確に指摘する。「仏教の定義では、すべての生命に適用できるものでないと、定義ではないのです。」(p216)というのが、一つの指摘である。科学の定義との違いがまず、重要である点を指摘している。

 仏教では人間の衝動を、貪・瞋・痴の三つに分けている。これについての両者の考え方がそれぞれの視点から説明されて、対話が進展するが、微妙に意見が噛み合わない局面が残る。このあたりが、科学者と仏教者の見方・捉え方の違いなのだろう。
       有田               スマナサーラ
貪  ドーパミン神経            好き=欲
瞋  ストレス ← ノルアドレナリン神経  嫌い、怒り
痴  セロトニン神経(?)           どうでもいい、おもしろくない =無知
 ある意味で、この意見が噛み合わない部分にこそ、仏教と脳科学の違いを考える材料があると思う。そこがこの対談集の面白みであるかもしれない。
 第5章の末尾に添えられた「科学者と仏教者の使用する方法の違い」というスマナサーラの一文が、この重なり合わない局面について、端的に語っている。こんな風に・・・・。
「誤知を正知に変えれば一度で問題は解決されると思います。それが仏教の瞑想です。肉体に、脳に何か変化が起きるかどうかなどについては、興味がないのです。科学の世界では研究対象にならない抽象的な概念といえる働きが、仏教には具体的に把握できる研究対象なのです。
 そこで問題は、体が心に依存して、心が体に依存して働いていることです。体に起こる変化は、科学的な対象になりますが、心はどの程度体に影響を与えるのか、また、心にどの程度のことができるのかは、研究対象になりません。ですから、ブツダが発見した解脱という心の成長は、脳の研究対象になれないと思います。」(p264)
 一方、有田は第6章で、自らの立場をこう述べている。「科学者は物事を<科学>という別の言葉で説明しようとしながら、同時に、科学では完全に説明しつくせないということもわかっている、というのが僕の立場です。」(p298)
 仏教では瞑想という手段により脳の働かせ方によって心の成長をめざすことに着目する。一方、現在の脳科学は脳が例えば瞑想という行動で刺激を受けたときの脳の働きを目に見える数値、形象で合理的に説明することから脳の動きを説明しようとしている段階なので、もともと観点に違いがあるのだと、私は理解した。スマナサーラは概ね、脳の働きについての科学的説明と検証結果はある範囲まで納得し、共有しているようだ。
 この辺りは、本書をお読みいただき、ご判断いただくと良いのではないだろうか。

 スマナサーラは、仏教では「おもしろくない」「そこまでやらなくてもいい」という感情的に思っただけのことを無知だととらえる。それは物事をよく知ったうえで判断したわけではなく、おのずからそうなっただけのこと。「智慧というのは、客観的に見ることで、瞬時に答えに達すること」(p238)であり、明確な理解なのだと。その場で理解し、その都度答えを出す。つまり、すぐ客観的な別のものと捉え、「では、この状況をどうしようか」と、まったく人には想像できない別な方向、つまり悩んだり、舞い上がったりしないですませる方向へもっていくことなのだと言う。そして、「脳の問題で判断能力がないならば、本能的に、目の前の出来事を受け流す」けれども、「普通の人間が、受け流せるようになるには、そうとう智慧を開発しなけくていはいけません」(p241)と言う。
 また、「おもしろくない=どうでもいい」とおもうこと、大量のデータが<無知>としてたまると、無知のエネルギーとなり、客観性がなくなってしまう故に危険である。その危険を避けるにはある特定の訓練、修行が必要なのだと説く。

 「苦・快・不快」という感じる次元について、有田は脳科学研究の結果として、<苦>はストレス。<快>を感じるのはドーパミン神経で、これは暴走してしまう。そのために行き着く先は<苦>であり<不快>である。その暴走をコントロールするのがセロトニン神経である。という知見を語る。
 一方、スマナサーラは、仏教では、<苦・不苦>というふうに<苦>を先にする。なぜならば、四六時中感じているのは<苦>であるとする。<快>はたまたまのことだから。そして、<快>の行き着く先は<苦>ではなく、<不快>にしておくのがいいという。仏教は、<苦・不苦>としてとらえ、マイナス苦が<快>だとする、と説明する。
 この辺り、仏教の観点での概念を、脳科学がどのように取りあげていくのか、いつかその研究成果を知りたいものである。

 いずれにしても、他の世界宗教と比べて、仏教の実践は科学的分析による研究でかなりのところまで、その実践における脳の働きを説明できるということが具体的にわかって、興味深くかつおもしろいと感じた。

 スマナサーラが語った中で、二つ関心を抱く点がある。一つは、エネルギーを物質のエネルギーとこころのエネルギーという2つの概念で仏教はとらえるのだという発言だ。
 もうひとつは、釈尊の教えには終着点がある。それが一切の問題(苦)を最終的に解決できる(解脱)という境地であると言う。本書の対談では深く語られるところまでは行かなかった部分である。興味を喚起されて、本書を読み終えた。

 最後に、対談者の発言から、印象的な箇所、興味深い箇所を引用させてもらう。
[有田の発言からの引用」
*音楽を聞いた状態で、ほかのことは考えずに、ただ歩くと、セトロニン神経の活性化になって、うつに効くのです。  p134
・セロトニン神経の働きが弱り、切り替えができなくなると、キレる脳の状態になる。
・脳の中のセロトニン神経は、リズムの運動で活性化する。  p201
*人間は快・不快・ストレスがあれば、そこから先、必ずいろいろなことを考えだします。うれしいことがあれば舞い上がって、どんどん思考が動いていくわけです。それをなくすことができるるのは、すごいことだと思うのです。 p249
*セロトニンが活性化されると、この<前頭前野内側部>が動くのです。ここも動くし、セロトニンも動き出すのです。 p290  [付記 前頭前野内側部 → コミュニケーションを司る脳、共感脳]

[スマナサーラの発言からの引用]
*説法とは言葉ですから、話す人の言葉ではなくて、聞く人の言葉を使わなくてはなりません。でなければ、コミュニケーションが成立しないのです。・・・ですから、われわれのやり方は、相手に語らせるのです。その人に、自分の世界の言葉で話してもらいます。・・・それから、こちらもその言葉を使って語るのです。  p93-94
*日本の先生というのは、あまり芯が強くありません。私にはそれが信じられないのです。先生というのは、もっと堂々としているものでしょう。  p118
*自分が頼りにしていた先生たちから自分が頼られている-こんなところで、人生を学んでしまうのです。  p118
*理想と現実の差が、真実をよく教えてくれるのです。 p130
*私たちの国では、自立することが大前提で、甘えることは許されません。 p120
*人間の脳の恐ろしいことは、自分が発言したものは、自分のものだということです。いったん発言したら、もう終わりです。ですから、妄想の時点ですぐに、「ただ思っただけ」ということにしておかなくてはなりません。  p125
*私がかなり一方的に、慈悲の瞑想(慈しみの瞑想)を教えているのは、「それでコミュニケーションをするように」ということなのです。生命は平等で、ことことく慈しむ。そうすると、かなり広大なスケールで世界が感じられるからです。  p126
*スキンシップは、子どもが小さいときには、精神を成長させるために必要な栄養だと思っています。子どもと触れ合wなければだめなのです。  p151
*最終的な答えは、「われわれはやはり、人のために生きているのだ」ということです。・・・探しても、自分というものはどこにもないのです。  p159
*一つひとつの自分の行為は、有意義かどうかが問題であると。有意義だったら充実感があり、やる気も起きて、うそ一つつくことなく行えるのだと。  p166
*「意義がないとわかったら、思いきってやめるか、意義を見いだすか」なのです。 p180
*人間にとっては、死の準備は欠かせないと思います。子どもの頃でも若いときでも、人は必ず死ぬものだと自覚しておけば、時間を無駄にして生きることはできなくなります。  p186
*「痛い」ではなく、「痛み」を発見しなさい、と仏教では言うのです。「痛み」というのは生命共通のものです。  p198
*「生きているとうことの明確な機能というのは認識だ」 仏教では、肉体の意識機能の停止を死と定義します。仏教が語る意識とは、考えることではなく、情報に反応が起こることです。 p206  

*物事を知らないことにするのでなくて、知ったうえで知らないことにするのです。p243
*生きる衝動が貪・瞋・痴だからです。その逆の力を発揮することができれば、ストレスが消えます。p281  [付記 逆の力 → 不貪・不瞋・不痴という逆方向のエネルギー]
*悟りというのは、違う世界になるのではなく、何かを発見することです。「ああ、なるほど。そういうことか」とだけ、わかればいいのです。  p287
*お釈迦さまが説かれる瞑想の場合は、データが十分そろうまで修行を進めます。推測や思考で判断しません。・・・瞑想実践することは仏教の特色です。データがそろったらそこに結論があります。
 お釈迦さまは瞑想が成功すると、一切の嶷はなくなるのだと説かれています。 p297
*瞑想実践する場合も科学的立場に立って行うべきです。脳は幻覚工場なので、結論を急ぐと、瞑想体験は単純な幻覚で終わってしまうのです。 p298
*末永く仲良く生きる方法があります。それは、相手に対して「愛着」を捨てることです。・・・・愛着を捨てるということは、相手を独立した人間として、尊厳を持って接するということです。相手の人権を守ることです。 p303
*仏教が推奨する40種類の瞑想法を調べると、共通点を見いだすことができます。何かを念じる場合は、その言葉は念じやすい身近な言葉であるべきです。  p309
*真理とは、ものがあるか否か、私がいるか否かではなく、すべて絶えず無常として流れている現象であることです。ですから、瞑想すれば、無常がわかるのです。  
p323-324

ご一読ありがとうございます。

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本書を読み、関心の波紋を広げてネット検索した結果を一覧にしておきたい。
本書と直接には関係しないものも含まれる点、ご理解願いたい。

セロトンニン道場 公式サイト  
  セロトニンとは?  
  リズム運動がセロトニン神経系を活性化させる
  セロトニンの生理作用
 
セロトニンとは  
ノルアドレナリン 
ドーパミン 

日本テーラワーダ仏教協会  
  慈悲の冥想  
  15分間の「慈悲の冥想」の実況音声ファイルMP3形式
  約4分間の「慈悲の冥想」ショートバージョン
  ヴィパッサナー冥想 
 
スマナサーラ長老講演会(あべこべ感覚)その1 :YouTube
スマナサーラ長老講演会(あべこべ感覚)その2
スマナサーラ長老講演会(あべこべ感覚)その3
スマナサーラ長老講演会(あべこべ感覚)その4
スマナサーラ長老講演会(あべこべ感覚)その5
スマナサーラ長老講演会(あべこべ感覚)その6
スマナサーラ長老講演会(あべこべ感覚)その7
スマナサーラ長老講演会(あべこべ感覚)質疑応答その1
スマナサーラ長老講演会(あべこべ感覚)質疑応答その2

『慈悲の瞑想』の講習 アルボムッレ・スマナサーラ長老

日常生活でのヴィパッサナー瞑想 Vipassana in daily life_all
  by A.Sumanasara Thero

病気中の自己観察 Self-observation when getting sick by A.Sumanasara Thero

ブッダの誕生日(はなまつり)にちなんで Buddha's birthday
  by A.Sumanasara Thero

阿修羅の伝説 Asura's myth by A.Sumanasara Thero

ウェーサーカ法話(2007年5月12日)アルボムッレ・スマナサーラ長老


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「知っておきたい『死海文書』封印された真実」 並木伸一郎 竹書房文庫

2013-01-20 01:12:39 | レビュー
「死海文書」という言葉、かなり以前から頭の隅にちょっとひっかかりながら、そのままにしていた。大型書店に行っても、見る書棚のジャンルがちがったせいか、タイトルにその名を冠した背表紙を見た記憶が無かった。文庫本の本書がたまたま目に付いたので読んで見た。本書末尾にある主要参考文献のリストを見て、かなりの出版物があることを知った次第だ。併行して少しネット検索してみると、結構情報源があることにも気づいた。

 さて、著者の出版物を読むにはこれが初めての本である。奥書を見ると、著者はUFO,UMAを含む超常現象・怪奇現象の研究に専念されているようだ。著書・訳書名を見てもその分野の本ばかりである。なぜ、死海文書関係の本を刊行できるのか? 「まえがき」を読んで理解できた。フィンランド在住の聖書研究家、K・v・プフェッテンバッハという人物の死海文書研究の内容紹介という次元の本ということなのだ。同氏の研究は、「内容があまりにも衝撃的すぎて本国では、ついぞ”陽の目”を見なかった、という曰くつき」なのだとか。その研究の一端が1997年8月に『封印された死海文書の秘密』という題で出版されたようだ。本書は、まえがきによるとこの本からその後の原著者の研究情報を加えて修正・加筆する形での出版だという。従って、「まえがき」の中では、「編著という形で、その研究をここに改めて紹介させてもらった」と記されている。

 ネット検索で調べてみると、1997年出版の題名は、「封印された『死海文書』の秘密―原預言書が明かす“破壊”と“再生”のシナリオ」(K.v. プフェッテンバッ原著、並木伸一郎翻訳、KKベストセラーズ(ムックの本))である。つまり、この本の改訂版の位置づけになり、原著者の研究の祖述なのだと解釈した。編集の仕方に、本著者の視点・見解が入っているのかもしれない。原著を知らないので対比できないけれど・・・。

 本書は、2012年10月初版だから、死海文書に関するその後の研究が追加され内容がアップデートされたのだろう。それは本書に、エルサレムのイスラエル博物館と米グーグルの共同プロジェクトの一環として、「2011年9月26日、『死海文書』の超高精細画像がオンライン上で一般公開された」(p234)という記述からも窺える。現在は発見された文書のすべてが解読されたわけでもなく、文書すべてが公開されているわけでもないという。つまり、1947年の偶然による発見以来、まだまだ研究・解明途上にあるのだとか。
 『死海文書』について、大凡どんな位置づけの文書なのかをとりあえず知りたいという次元では、さらに興味をいだかせてくれたという意味で役に立った。初めて目にする宗団名や教義、関連事項についての知識不足があり、十分に本書の内容を理解できたとは言いがたいが、本書の構成のご紹介を兼ね、読後印象を少しまとめておきたい。

 本書は6章構成になっている。印象としては原著者の原著のどこを訳出したのかが見えないので、本著者の独自編集によるまとめと理解した。

 第1章 封印された『死海文書』の秘密
 『死海文書』の発見とその研究の経緯、位置づけがほぼわかる。
 1947年、羊飼いの少年ムハムマドが迷った羊を探していた。その時、死海のほとり、海面下400m近くの洞窟を見つけ、その中に陶土製の壺をいくつか発見したことから始まる。巻物の一部が、ベツレヘムのシャイク(長老)、骨董商経由で、シリア正教聖マルコ修道院のサミュエル大主教の許に持ち込まれた。ただし、持ち込まれたものは4巻だけ。それ以外の運び出されたものは、すべて市場で売り捌かれていたのだ。この4巻の”サミュエル・コレクション”と称される『死海文書』が、エルサレムに本部を置くオールブライト研究所(アメリカ東洋研究学院)に持ち込まれる。これが世紀の大発見として報道されたことで、その後、「国際チーム」が編成されて『死海文書』研究が開始されることになったのだ。
 本書によれば、ヘブライ大学教授がエルサレムの古物商から買い取った3巻、”スーケニーク・コレクション”と称されるものと合わせて、「7つの死海文書」が現在、ヘブライ大学のパレスチナ考古博物館に保管されている。さらに、その後も文書の断片が続々と発掘されているようだ。
 フランス・ソルボンヌ大学の教授アンドレ・デュポン・ソメールが1950年に、この『死海文書』の中に、「義の教師」と呼ばれる”イエスの原型”ともとれる人物のことが記されていることを公表。これは、キリスト教の本山、バチカンにとって、また信者にとって由々しき事だと言える。著者は、「国際チーム」の背景にバチカンが控えていると推測している。
 その後の発掘で、洞窟の数は1952年段階で25にまでになり、第3洞窟からは「青銅の巻物」が発掘されている。発見された「七つの文書」とは、「宗規要覧・会衆規定(=教団規定)」、「感謝の詩編」(20の詩編で構成)、「戦いの書(=光の子と闇の子の戦いの書)」、「聖マルコのイザヤ写本」、「ヘブライ大学のイザヤ写本」、「ハバクク書註
解」、「外典創世記」である。これ以外に『神殿の巻物』『ダマスカス文書』も発見されているという。
 第1章は、『死海文書』の作成年代の測定方法にも触れている。発見以来の経緯の外観理解に有益だ。

 第2章 古代ユダヤの秘儀宗団「クムラン」の謎
 エルサレムから直線距離でわずか30Kmにキルベルト・クムランが位置し、その標高差は約1000mあるという。そこは『死海文書』発見の洞窟からわずかの距離。ここにクムラン宗団が選ばれた者たちとして集っていたという。本章ではこのクムラン宗団がどういう人々による宗教組織だったかを概説している。その実体が「ユダヤ教の一分派=エッセネ派の中核組織ではなかったかという説が、今や定着しつつある」(p68)とする。
 エッセネ派について本章で述べている。ルーツはエジプトであり、「白い服の兄弟たち」と呼ばれていたこと。エッセネはギリシャ語で「聖者たること」という意味であり、入会自由、人種を問題とせず、結婚しなかったこと。一日を夜明けの太陽礼拝から始めたこと。・・・・など、本章でこの宗派のイメージが湧きやすくなる。
 「ハバク書註解」が「義の教師」に触れているという。この「義の教師」の正体は? この点の解明が、イエス・キリストとかかわってきそうなのだ。この謎は興味深い。だからこそ、バチカンにとって聖書研究上、『死海文書』に注目せざるをえないのだろう。
 門外漢にはその意義が十分には理解できないのだが、本書では「クムラン宗団=初期キリスト教団」という大胆な推論図式にまで展開していて、おもしろい。

 第3章 イエス・キリストの”謎と奇蹟”を解く
 福音書に記述されたイエス・キリストの生誕から始め、聖書に記されていないイエスの生涯での「第一の謎の空白時間」、そして12歳から30歳までの「第二の空白期間」を取りあげる。「第二の空白期間」にイエスはどこで、何をしていたのか? 「荒野の40日間」も謎に満ちているという。さらに、「四福音書が語るイエスの霊的能力」について、分析的に詳述していく。
 そして、イエスの生涯における空白期間を、クムラン宗団及び義の教師の存在と結びつける推論を展開する。このあたり、大胆な仮説の展開だ。イエスの「復活」もクムラン宗団の秘儀と結びつけている。このあたり、原著者の仮説なのか、本書編著の推論が加筆されているのか・・・どうだろう。確かめようがないが。

 第4章 原預言書が明かす”滅亡”と”再生”のシナリオ
 「戦いの書(=光の子と闇の子の戦いの書)」に記された文章を引用し、「人類最後の戦い」について言及していく。40年戦争論の分析的展開である。さらに、『死海文書』のひとつ「安息日の詩編」には、邪悪なものが勝利し、正しきものが滅ぶ矛盾についての記述すらあるとその章句を引用している。
 そして、『旧約聖書』が『死海文書』の源流であり、『死海文書』にはクムラン宗団の重要な教義のエッセンスが含まれているとする。さらに「義の教師」の理念を語る。「義の教師」が、「救世主出現という民族全体を貫くテーマに、預言的要素を加えた終末思想を説くに至るのだ」(p179)と。 
 「感謝の詩編」の中に、救世の過程が表現されていると、該当章句を引用している。
 つまり、本書は『死海文書』にみられる預言書的性格の側面を本章で論じている。
 マヤ暦を含め、終末予言は様々にある。本章では最後に、40年戦争論のタイムスパンを湾岸戦争勃発に当てはめ、西暦2026年に「新世界秩序」が樹立されるという予言にまで展開していく。こちらの方が終末論よりロマンを感じられる。

 第5章 破局後の人類を導く「ふたりのメシア」
 『死海文書』のひとつ「宗規要覧・会衆規定」の章句に、アロンのメシアとイスラエルのメシアという2人のメシアが登場するのだ。
 エッセネ派にそのルーツがあるという。起源前3000年頃を起源とする「セラピス教団」。それは神秘と数学を支配する”聖牛セラピス”を崇める超秘密宗教結社だと論じる。ゼラピス-エッセネ派-クムラン宗団への発展であり、アロンの系譜を受け継ぐ者がクムラン宗団なのだと。それは指導者である「表」のメシアを助ける介添役、すなわち「裏」のメシアなのだと。聖なるアロンの直系者たちの系譜が「フリーメーソン」だという。ここまで進むと、ちょっとシュールであるが、おもしろい。
 後半で、「イスラエルのメシア」の系譜を推論していく。この後半の推論は、原著者の仮説なのだろうか。本書著者の見解が述べられているのでは? そんな思いを抱きながら読んだ。本書を開いてお考え願いたい。p215~p232で推論が展開されている。
 
 第6章 真・死海文書「エンジェル・スクロール=天使の巻物」
 『死海文書』には”失われた1巻”があり、それがいずこかに秘匿されていると目されている。それが、十字軍の「テンプル騎士団」に関連してくるのだ。本章ではテンプル騎士団の発端から語られ、この失われた1巻をテンプルの丘から発掘したのが、この騎士団なのだと推論を展開している。それが「エンジェル・スクロール」なのだと。
 1970年代からこの1巻の存在の噂が囁かれはじめたという。そして、1981年に、大金と引き換えに3人の神父が「天使の巻物」を入手し、ヨルダン国外に持ち出し、いずこかの修道院でその解読が開始されていたそうである。1996年に、マチウス・グンター神父が巻物とそれまでの解読成果の写しを友人に託したのち、亡くなったことでその事実がわかったそうだ。沈黙が破られたのだ。だが、肝心の巻物と解読の成果は何処に? この経緯は謎に満ちている。
 『死海文書』はまだまだ解明の途上にあるようだ。
 本当に全てが公開され、完全に解読されるのだろうか。そこにどのような真実が秘められているのか? 
 一方、本書の推論結果がどこまで事実に照応しているかと言う観点でも、興味が尽きない。その追跡は今後の課題である。


ご一読ありがとうございます。

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 読みながら、併行してネット検索で得た情報を一覧にまとめておきたい。


死海文書 :ウィキペディア

Dead Sea Scrolls : From Wikipedia, the free encyclopedia

The Digital Dead Sea Scrolls

THE DEAD SEA SCROLLS : FACSIMILE EDITONS

聖書の謎を解き明かす鍵、2000年以上前に書かれた「死海文書」が公開される
2008年05月15日 11時34分00秒   :「Gigazine」

Israel Unveils Part of Dead Sea Scrolls :YouTube

死海文書の謎に新説が浮上 :ナショナルジオグラフィック

死海文書の謎

付記
原著者名、Kenneth von Pfettenbach でネット検索したが、本人に関しての記事を見つけられなかった。


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『まりしてん千代姫』 山本兼一   PHP

2013-01-12 23:35:37 | レビュー
 ウィキペディアの「立花ぎん千代」の項を読むと、「柳河(現・福岡県柳川市)移転後に宗茂と別居(事実上の離婚)するなど、夫とは不仲であったと言われ、夫婦の間に子供はいなかった。」と「略伝」の末尾近くに記されている。そして注記で、”ただし、彼女と夫を巡るエピソードには必ずしも「不仲」と呼べないものも多く、戦国時代どころか近現代ですら夫婦間に子が無いだけで「性交渉が無い=夫婦仲が悪い」と見なされがちな風潮が存在していた事に留意する必要がある。ちなみに、宗茂は千代と別れた後に後妻(瑞正院・長泉院)を迎えているが、遂に実子を設ける事は無かった。”とも記す。

 本書は、立花千代の生涯をテーマにした作品だが、著者の千代姫に対する視点は温かい。千代と宗茂には、いまで言う相思相愛の関係が築かれ続け、千代が別居したのは武家の家系存続という時代の価値観に従う一つの彼女流のやりかただったと描き出している。「まりしてん」というキーワードを基軸にした著者の思いがそこに反映していると思う。現存する文書は「千代が七月より瘧疾にかかり十月十七日に亡くなった」と記しているという。しかし、著者は独自の展開を試み、異説を語っている。小説としてはこの作者の描き方にロマンを感じる。読後感に広がりが残る。

 「まりしてん(摩利支天)」とは、「勝利をもたらす軍神ながらも、陽炎のごとく光に満ちた美しい女神」(p7)である。姫の誕生からほぼその生涯にわたり、傍近く仕えた侍女・みねは千代姫を「まりしてん」の化身ととらえたのだ。そのみねが千代姫について述べる語りの部分と本作品の地の文が交互に織り成されて、千代伝、言い換えれば立花家の創成期が描き出されていく。
 立花家の事跡を調べて家譜をつくるという使命から、年老いたもと侍女に千代姫のことを尋ねるために訪れた若い人々がいる。その問いに対し、「わたしが死んでしまえば、ほんとうのことを知っている者がいなくなってしまうのを恐れたから」、「包み隠さず真実をお話しました」(p429)というのがこの語りの部分なのだ。傍近く仕えたみねの目からとらえた千代姫譚である。そういう語りだったのか、ということがみねの最後の語りの言葉からわかる。
 立花家は千代姫の菩提寺として柳河に良清寺を建立した。立花家としての法要はそこで行われている。それはそれでよし。しかし、慈しみのこころにあふれていた千代姫には、腹赤村の墓にこそまことの姫の気持ちがこもっているのだとみねは言う。
 本書末尾の三行の文章がいい。ここに、千代姫の生涯がシンボライズされている。つまり、侍女・みねの最後の語りを通して、著者の視点が表出されていると私は受け止めた。
 「こここそ、姫様の美しくも悲しいおこころが安らぐ場所でございますとも。
  千代姫様は、摩利支天のごとく猛くまっすぐなこころをお持ちでございました。
  いえ、まことの摩利支天の化身でございました。」

 生身の女子・千代姫が父・別次(べつき)道雪から7歳のときに、立花城の城督の立場を譲られる。70歳を目前にし、世継ぎの男子がいない道雪は、一人子の千代姫に、守護大名大友宗麟から許しを得て、「城とすべての領地、蔵のなかの刀剣や武具、食料まで、財産のことごとくを譲り状に記し、正式に相続させた」(p15)のだ。千代姫は子供の頃から武の鍛練をし、体術も身につけている。人としての心の強さは父・道雪ゆずりであり、男まさりなのだ。人前では凜冽な女大将としての姿を見せる。一方で、「女子ならばこそ、胴丸を着けていても、山に咲く花を摘んで愛でることができる」(p11)というこころを素直に享受できる姫だ。
 そんな千代姫が、子供の頃から知っていて、2歳年上だが頼りがいを感じていなかった千熊丸と祝言することになる。この千熊丸が統虎(後の宗茂)と改名する。祝言後の二人には、戦国の世の習い、次々に合戦が続いて行く世にあって、城主としての生き残りを迫られる。筑後・井上城主が秋月に寝返ったことによる大友軍への援兵要請による出陣、肥前・鳥栖勝尾城主筑紫広門の隙をねらった侵略・略奪への対処、統虎の実家・高橋家の岩屋城の合戦、高橋家の本城・宝満城の落城、大友家が秀吉軍に加わることに伴う島津軍との戦いへの出陣。著者は、当時の北九州の状況を立花家・高橋家を軸に描いていく。そして、秀吉による九州討伐が進み、島津勢への攻略が残るという段階で、秀吉の命令により立花家は立花城から柳河へと国替えになる。
 7歳で立花城の城督となった千代が立花城を去らねばならないという戦国の理不尽さを千代姫の目、立場から描き出すところが、本書の一つの大きな山場である。千代姫がどのように自らの思いに区切りをつけるか。それは後の千代姫の生き方の転機ともなるのだ。そして、千代姫は自らの髪を切るという行為に及ぶ。このあたり、やはり読みどころだろう。

 柳河城に移った千代姫は、統虎出陣後の守りを固める一方で、新しい国での内政に力を尽くしていく。そして朝鮮の陣への統虎の出陣。出陣中に、千代姫は肥前名護屋城に出向かざるを得なくなる。留守大名の奥方たちをねぎらうという秀吉の呼び出しだ。ここで秀吉に再び対面する千代姫。名護屋城における千代姫のパフォーマンスも痛快だ。これが著者のフィクションなのか史実なのか・・・。
 伏見城が築城された後、千代姫は宗虎(=統虎:改名)と秀吉から拝領した立花屋敷に出向く。しかし、これは子を成さぬ千代姫にとっては、細川藤高の勧めで宗虎が側室を設けるというステップへの始まりでもあった。伏見城と京の町を見聞した千代姫にとっては、生き様に新たな視点を得る機会となる。一方で、己の存在を突き詰めていかざるを得ない二度目の転機とも言える。柳河城に戻った後、千代姫は本丸を宗虎と側室・八千代の館とし、自らは宮永の地に居を構えることを選ぶ。千代姫の人生観・処世観が再び変革されていく段階だといえよう。
 宗虎の朝鮮再出陣、秀吉の死、そして、関ヶ原の戦いに至る過程で宗虎は大阪方・西軍に加担する、それが柳河城の開け渡しへと繋がって行く。千代姫は、城を去った後、腹赤村のはずれにある阿弥陀寺に住むことになる。千代姫の心境は宮永館から阿弥陀寺へのプロセスで、一層純化されていくといえようか。この最終段階の千代姫の心のうごき、それと照応する形での宗虎の立場と心境を描き出すその展開は、やはり最後の読ませ所といえる。

 本書で千代姫のエピソードがいくつも綴られていく。そのところがおもしろく、興味深い点でもある。こんなエピソードが次々に出てくる。
 千熊丸との祝言の条件は、千熊丸が千代の手勢で守る立花城を合戦のつもりで一人で登ってきて取る事。この合戦試合、なかなかおもしろく読める。
 父道雪に所望して、女子でも撃てる鉄炮を得て、女子組を組織する。道雪と統虎が出陣後、城を守るのは我らという気概とその力を築いていく。自ら鉄炮に習熟するというのは、まさに当時としては例外的な女性だったのでは・・・女傑の一人か。
 大阪城へ人質として出むく千代姫と女子組。大阪で千代姫の情勢を見る目が培われ、独自の振る舞いをし、さらに秀吉が千代姫と対面する描写がおもしろい。
 統虎が朝鮮に出陣するにあたっての統虎ならびに出陣部隊の出陣装束に対して、千代姫がアイデアを出す話も楽しいところ。統虎のおもしろいところでもある。
 柳河城を明け渡すことを決した宗虎が、加藤清正の陣に挨拶のため訪ねることになる。加藤の陣所の方角から、甲高い馬の嘶きを聴き、千代姫が薙刀を持って駆けつけるというシーンも見物である。戦国の世にこんな女性が何人いただろう。まさに痛快だ。

 最後に、千代姫は秀吉と宗茂という戦国の世に立った二人を、城督の視点と女心の視点から客観的・分析的に眺める。時には両者の比較を交えながら。その人物評価が変化していく状況を、要所要所に著者は書き込んでいく。この変化が読んでいて興味深いと思う。

印象深い章句を引用しておきたい。
*家来が悪いのは、大将が悪いからでしょう。いつもおっしゃっているではありませんか。 p12
*みんな気張ってくれ。みながおるから、この城がやっていける。この城は、みなの城じゃ。 p64
*城はひとつでなければなりません。新しく立花を名乗れば、譜代も寄騎も、豊後衆も筑前衆も、みな等しく立花の一門になります。 p112
*かしこまりました。それでは、冽の最後にお並びくださいませ。お腹を空かせているのはみな同じでございます。  p119
*強く生きねば、殺される。強く生きねば、踏みにじられる。逃げた者が殺されるのがこの世の掟ならば、逃げない強さが欲しい。孝行のために戦場を離れた者でも殺されるのがこの世の掟なら、その掟を変えさせる強さが欲しい。  p140
*どんな世になるかより、そなたが、どんな世にしたいかを考えたらどうかな。わしは、いつもそうしている。 p159
*天から力を授かるためには、大義ある戦いをせねばなりますまい。義の王道をゆくかぎり、あなたは天の名代です。 p213
*人の上に立つ者には、国と民に対してそれだけの責務があるはずだ。ただ、人を従わせるのを面白がっているだけでよいはずがない。そんな主に、人はついてこない。 p229
*人はな、望んだようにしか生きられぬ。望んだように生きていく。望んだことに周到に取り組めば、かならず実現できる。  p231
*安心して泣ける場所のあることが、女にとってはとても大切なのだと知った。 p252
*どこに住んでも、肝心なのは、その者のこころ、どこに住んでいるかが大事ではない。 p259
*愛する強さがほしい。  p301
*むしろ、思い煩うことがなくなった分、清々しく生きていける。 p404
*わしは、いま、待っておるのだ。長い人生には、待たねばならぬときもあろう。 p410


ご一読ありがとうございます。

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この作品に関連する人名、地名などの語句をネット検索して、いろいろ学べた。以下、一覧にしておきたい。

立花山城 :「筑紫のしろのき」
岩屋城  :「筑紫のしろのき」
柳川城  :「筑紫のしろのき」

立花宗茂 :ウィキペディア
立花宗茂と柳川 立花家十七代が語る 
戦国戸次氏年表 
別次道雪 → 立花道雪 :「インターネット戦国歴史事典」
千代 → 立花ぎん千代 :ウィキペディア
立花千代姫 :「紹運無双」

摩利支天 :ウィキペディア
摩利支天  日蓮宗事典より :
イノシシに乗った女神1 【飯田市美術博物館学芸員】 織田顕行氏 :「開善寺の花

「ぼたもちさん」(立花宗茂公夫人の墓) 長洲町史を読む! 第1回
宮永様跡とぼたもちさん :「立花宗茂と柳川」
良清寺  :ウィキペディア
瑞松院 → 水郷柳川(旧寺町)をゆく :「千寿の楽しい歴史」
 このサイトの同じページに良清寺も載っています。

大友宗麟 :「インターネット戦国歴史事典」
大友義統:ウィキペディア
高橋紹運 :ウィキペディア
十時連貞 :ウィキペディア

龍笛  :ウィキペディア

宝満城 → 筑前宝満城 :「菊池玲瓏」
 宝満山城 :「九州の城」
名護屋城 :ウィキペディア
名護屋城 :「九州の城」

秋月氏  :ウィキペディア
筑紫氏  :ウィキペディア
宗像氏  :ウィキペディア
宗像氏 :「戦国大名探究」武家家伝
竜造寺氏 :「戦国大名探究」武家家伝

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 以前に、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『弾正の鷹』

『役小角絵巻 神変』

『銀の島』

『信長死すべし』


『臨界 潜入捜査』 今野 敏  実業之日本社文庫

2013-01-06 00:16:55 | レビュー
 以前に一度読んでいるが、文庫本で発刊されているので再読した。その理由は作品の設定にある。元マル暴刑事佐伯涼は、現役刑事の時に暴力団と徹底的に対峙し、社会から暴力団を根絶することを信条として行動していた。その佐伯に白羽の矢がたち、環境庁の外郭団体『環境犯罪研究所』に移籍させられる。そこで環境犯罪に関連する事案に潜入捜査し、犯罪を暴き出す仕事をしている。ありていに言えば、移籍先での仕事もヤクザ狩りである。佐伯の信条が変わることはない。だが、警察という権力の直接背景なしに、現役刑事時代より孤独な戦いになる。

 本作品のテーマにおいて、原発施設での請負労働の一局面に存在する犯罪性を暴くという背景のもとに、著者特有の武闘活劇を組み込んでいる。三重県内にある原発の作業に労働者を派遣する仕事に暴力団が関わっている。それも外国人労働者を送り込み、労働者から死者が出ているという話(「死亡したのは不法残留していたバングラディッシュ人だった」p50)があるという。その実態と犯罪性(「不法就労者の多くは・・・同様の不法残留外国人だという」p50)を潜入捜査するというのが佐伯涼の与えられた使命である。
 佐伯は緻密なシナリオのもとに、愛知県下の暴力団侠徳会に潜り込む。この?徳会が仕切っている外国人労働者派遣の犯罪性の証拠をつかむためである。侠徳会は名古屋の栄で戸板組との間で縄張り争いをしている。この争いをうまく利用するのだ。戸板組は勢力拡張手段として、刑務所から出所したばかりの殺し屋・中国拳法の使い手、素手斬りの張と呼ばれる男を雇っている。『佐伯流活法』の佐伯と中国武術の張との闘いが、エンターテインメント次元でのおもしろさ。それに戸板組、侠徳会双方の武闘派ヤクザと佐伯の格闘が加わる。
 潜入捜査の側面では、現地の原発反対派の運動家たちとの関わりが深まっていき、侠徳会の派遣した外国人労働者の死及びその搾取の情報を得ていくための協力者が生まれていく。反原発運動の中にも、地元の運動家の見方・意識と中央から現地入りしている運動家の見方や運動方針に微妙なズレがあることに気づき、その中に佐伯が深くかかわっていくことになる。
 手配師ヤクザに接近し、現地で反原発運動家たちと接触し、その接点の狭間で、佐伯が犯罪の証拠を獲得していく。このあたり、こんなことが現実にあるんじゃないかというリアル感があるのは、かなり実態情報を収集し、著者流にフィクション化しているのだろう。ある意味でこの作品の展開自体はシンプルである。

 武闘活劇エンターテインメントという分野の作品だが、その背景にきっちりと原発産業拡大時期の原発労働における社会構造の側面が裏打ちされていると思う。武闘対決のストーリー描写を再読過程であらためて楽しむ一方、この社会構造面での描写に今回は強い関心を持って読んだ。
 福島第一原発事故以降、爆発後の原発施設での作業に、数多くの原発労働者が従事されており、その労働環境が過酷になっているのは歴然としている。そして、そこに何重にもなった労働者派遣の下請構造が実態としてあるのも歴然としている。昨年は、鈴木智彦著『ヤクザと原発 福島第一潜入記』というドキュメンタリーすら出版されている(未読なのが残念)。つまり、原発産業にヤクザの関わりが影の部分であるのは事実なのだ。

 本文庫本は1994年8月に発刊された本の改題による新書版刊行(2009年9月)を文庫本化したもの。作品の時代背景・社会情勢は1994年当時のものである(文庫本奥書より)。つまり、著者は原発とヤクザの関わりを1994年時点以前に問題意識として持っていたのだ。 2012年12月8日の朝日新聞朝刊の[耕論]オピンミオン「乱流総選挙 改めて、原発」に、インタビューを受けたときの回答(聞き手・角津栄一)として、著者・今野敏氏の意見が掲載されていた。「推進に逆戻りでいいのか」という題が付された意見内容記事である。その冒頭に、「今から23年前、1989年参院選で『原発いらない人びと』というミニ政党から比例区に立候補しました。東京都内の街頭で反原発を訴えましたが、まったく反応はありませんでした」と聞き手の記者が記している。これで、本書発刊前に著者が持っていた視点・立場が明確にわかる。著者は既にその時点で自ら深い問題意識を抱いていて、この作品を書き込んでいるのだ。エンターテインメント小説の背景に、原子力産業に潜む社会問題の一側面について、その告発的視点が貫かれているといえよう。

 武闘活劇ストーリー部分は本書をお読みいただくとして、このフィクションの中で原発への労働者派遣について、著者が書き込んだ内容の一端をご紹介しよう。(事実とフィクションが混在していると判断するが、著者の視点がわかる。)

*福島第一原子力発電所内で1979年11月から約11カ月間、原子炉内の配管腐食防止などの工事に従事した作業員がいました。3年後、慢性骨髄性白血病と診断され、88年に死亡しました。31歳でした。1991年12月、労災が認められました。  p31
*静岡県の浜岡原子力発電所でも、保守・点検を行う関連会社の作業員が、同じく、慢性骨髄性白血病で91年に死亡しました。この件が労災認定申請されています。これまで、兵庫県で2名、同様の労災認定申請が出されています。 p31
*たいてい、日常の保守・点検は、下請けの関連会社がやっています。その関連会社は、放射能の危険を承知で作業員を送り込まねばならないのです。しかし、そうした労働力がたやすく見つかるはずはない・・・・。そこで、ある人々が活躍し始めるわけです。 p32
*あくまでも噂のレベルなのですが、原子力発電所が商業運転を開始して以来、職にあぶれた季節労働者や住所不定のアウトローたちが使い捨ての労働力として送り込まれてきたと言われています。 p33
*電力会社は、電気を売らねばならない。毎年、需要を増やさなければならないのです。その結果、電力が不足するという机上の試算が出てくるのです。役人は、そうした試算だけでものごとを判断し、政治家は、役人のいうことを鵜呑みにする。そして、商社、ゼネコン、地域政治家そろっての原子力発電推進の政策が出来上がる・・・・  p34
*電力会社は、下請けの会社を作って雑用をやらせている。俺たちは、その下請けの会社のまた下請けで、作業員を斡旋するというわけだ。  p56
*安全なら、原発を田舎町に建てる必要はねえさ。漁師がな、泣きながら言うんだぜ。原発ができてから、気味の悪い奇形の魚が獲れるようになったって。農家のやつらは、作物の花の色がおかしくなったっておびえている。放射能のせいだ。  p57
*事故があってな・・・。そのときに蒸気をかぶってバングラディシュ人がひとり死んだ。被曝で病気になって死ぬのは目立たないからどうにでもできるが、事故で死ぬのは、隠しようがない。発電所内部の作業員がそれを漏らした。なんとか揉み消したが、反原発運動の連中を勢いづかせてしまったんだ。  p88
*国と地方公共団体とゼネコンが手を組んでいる。その三者がたっぷり儲かるような仕組みができてるわけだ。反原発派の市民がいくら頑張ったって太刀打ちできるわけがない。  p89
*入札の際に巨額の金が動き、その金の一部は、政治家のポケットに入る。さらに、日本は、貿易黒字解消の逃げ道として、アメリカからウランを買うことを約束させられている。買ったウランは使わなければならない。政府は、原発を推進するしかないんだ。住民や労働者のことは無視してね。  p126
*町が原発誘致を決めてから、学校のなかもひどいありさまだった。町は推進派と反対派でまっぷたつに分かれてしまった。推進派の子供は裕福な家庭の子供であり、単なる対立ではなく、差別的な対立となっていた。原発ができるまで仲のよかった子供たちが本気で憎み合っていた。一般の教師たちは、その問題に当たらず触らずの方針だった。 p142
*電力会社や推進派は、安全基準はしっかりしていると主張します。でも、本当に安全で、環境に対する影響も少ないのなら、どうして東京湾に原発が作られないのです? 原発が作られるのは常に過疎の問題を抱えているような土地なのです。  p164
*利権の構造でしかありません。政府が作るといったものは、国民を殺してでも、国土を破壊してでも作るものです。成田空港がいい例です。だから、原子力発電所が必要でないという事実と、原発推進というのは別の次元のものです。  p282

 最後に、本書を離れるが、上記新聞のインタビュー回答で、今野氏が語る意見として、重要な論点が記されている。熟考すべき見方ではないだろうか。
*多くの人は目の前にあることしか考えない。今回の反原発も目の前のことなんです。放射能が降ってくる。線量を測ってみたら意外と高い。その恐怖感から始まっている。子供のことが心配だとか。半面、恐怖感が薄れると、反原発の声は収まってくると思います。
*官僚は基本的に原発継続で動いています。
*日本人の国民性の最大の特徴は、いい国を作ろうという気持ちよりも、名君に治められたいという気持ちが強いこと。自分たちの代表を、政界に送りだそうという気持ちが薄い。上の方で変わってくれるだろうと。どこか人任せなんです。

 約20年前に書かれたフィクションの中に、今やっとドキュメンタリーとして表に出てき始めている報道や事実がある。フィクションに記された背景に潜む真実と、ぞろぞろと、実は・・・・と言う形で出てきた事実。長年の原発推進プロセスと福島第一原発事故のプロセスに存在したありは存在する事実。「推進に逆戻りでいいのか」という記事のタイトルは、今まさに突き付けられた課題のように思う。

ご一読ありがとうございます。

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ネット検索から知り得た事実情報の一端をリストにまとめておきたい。
これらは本書が取りあげた局面とは直接に関連はしていない局面での報道内容なのだろう。
しかし、その構造に潜む隙間が、暴力団とのかかわりを作り出すのではないかと思う。

20120804 福島第一原発で働く人の思いに耳を傾けました [動画]

20120417 収束作業中倒れ...ある原発労働者の死 "最前線"で命は守られているか[動画]

20120306 [2/2]たね蒔き「引き続き 原発事故、その後を支えた作業員」  [録音]

20120306 [1/2]たね蒔き「引き続き 原発事故、その後を支えた作業員」  [録音]

20120409 TVでは報道しない原発事故末端作業員の驚きの証言・完全   [録音]

2012年3月5日 TVでは報道しない原発事故末端作業員の驚きの証言    [録音]

原発作業員が語る“過酷”  日テレ 2011.6.11  [動画]

福島第一原発労働者が被曝の杜撰な管理を告白  JNN 2011.6.16  [動画]

福島原発をオランダメディアが取材、住民と働く人の本音を伝える. 2012.2.4 [動画]

【被曝かくし】被曝労働者にも被曝を隠さなければいけない動機がある 小出裕章(取材 今西憲之) 2012.11.15

2012年12月14日
福島労働局からの「東京電力福島第一原子力発電所における放射線業務に従事する労働者の適正な労働条件の確保について(要請)」への回答(PDF 16.2KB)

2012年11月30日
東京電力福島第一原子力発電所における線量管理改善の実施について(PDF 679KB)

→  <内部被ばく問題についての第三者報道から>
 被ばく労働を考えるネットワーク のHP
 
 2012/10/22 4.22 どう取り組むか 被ばく労働問題 交流討論集会

  2012-08-21 12:16:27
 福島原発事故収束作業で労災認定基準超の被曝すでに1万人弱-内部被曝消し健康被害の責任回避する東電

 内部被曝の検査結果知らされず~原発作業員の被曝問題交渉  :「OurPlanet-TV」
   投稿者: ourplanet 投稿日時: 土, 06/18/2011 - 22:00

北海道電力の元社員が話す、原発をやめられない意外な理由 - その1(1/2)
2012年7月23日 北海道機関紙印刷所
3・11支援プロジェクト委員会主催 社員セミナー

北海道電力の元社員が話す、原発をやめられない意外な理由 - その2(2/2)


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このブログを書き始めた以降に読んだ今野敏氏の作品で、読後印象記を載せたものを一覧にします。ご一読願えれば、うれしいです。

『陽炎 東京湾臨海暑安積班』

『初陣 隠蔽捜査3.5』

『ST警視庁科学特捜班 沖ノ島伝説殺人ファイル』

『凍土の密約』

『奏者水滸伝 北の最終決戦』

『警視庁FC Film Commission』

『聖拳伝説1 覇王降臨』

『聖拳伝説2 叛徒襲来』『聖拳伝説3 荒神激突』

『防波堤 横浜みなとみらい署暴対係』

『秘拳水滸伝』(4部作)

『隠蔽捜査4 転迷』 

『デッドエンド ボディーガード工藤兵悟』 

『確証』 今野 敏