遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『孤蓬のひと』  葉室 麟  角川書店

2017-01-30 12:20:38 | レビュー
 「孤蓬のひと」→「孤篷庵」→(庵号)→「小堀遠州」という連想で一人の武将に行きつく。この小説は、天正7年(1579)に近江国坂田郡小堀村で生まれ、幼名は作介、元服後は、正一、政一と改め、武家官位で遠江守を得たことにより、後年に遠州と通称された人物の伝記小説である。

 この小説の末尾は、次の文で終わる。
「正保四年二月六日、遠州は逝去した。享年六十九。辞世は、
  きのふといひけふとくらしてなすこともなき身のゆめのさむるあけぼの
である。遺骸は京、大徳寺の孤篷庵に葬られた。」

 この小説は、正保三年(1646)年、つまり遠州の死没する前年、徳川幕府の伏見奉行を務め、遠州の伏見屋敷内に建てた茶室、転合庵(てんごうあん)に奈良の豪商、松屋久重を招き、茶会を開くシーンから始まる。
 茶室での遠州は松屋久重と語り合う。そこからストーリーが進展する。
久重「・・・慢心いたした茶はただの自慢と相成ます。」
遠州「そうだ。おのれの慢心こそは茶を廃らせる。しかし、また、慢心がなくては、茶はできぬのも道理ではあるまいか。・・・おのれがいま立っておるところに留まらぬのも、ひとに欲があればこそだ」
久重が「白炭」の話に結び付けて問いかけると、遠州は語る。「幼きころわたしは、千利休様にお会いしたことがある。そのおり不思議に思えてならぬことがあった。思えば、私の生涯はそのことを知るためにあったと言ってもよいようだ。随分とまわり道をしたが」と。

 このシーンから、遠州の回想としてストーリーが始まって行く。
 天正17年(1589)の時点、秀吉の小姓を務める11歳の小堀作介が、茶座敷で千利休とまさに一期一会の機会を偶然に持つ場面になる。それがこの小説の出発点であり、かつ上記のように、遠州が久重に語った言葉の意味するところがこの小説のテーマとなっていく。

この小説の構成は、茶室で、遠州と久重とが遠州の回想にからめて進める対話から始まる現在時点の描写と、現在時点での対話その他から触発される形で、遠州が己の人生を時間軸の流れに沿って回想するという2つの次元を交互に積み重ねていくという形である。大凡でいえば、各章の最初で現在時点(遠州の逝去まで1年ほどの残された時間)での遠州の状況描写が進展し、その章の最初のある要因がトリガーとなり、遠州の回想として、人生での印象深い事象が順次連なり進展して行く。それは対話者への語りであったり、遠州の心中の回想ストーリーであったりする。遠州の人生の時間軸に沿ってストーリーが進展していくことになる。現在ストーリーと回想ストーリーが最後に収束し、冒頭に引用した文となる。

 遠州は千利休に偶然一度だけ対面した。その後遠州とり茶道の直接の師となるのは古田織部である。利休は秀吉の命で切腹し、有名な遺偈を残した。織部は家康の命によりやはり切腹して果てる。千利休は佗茶の境地を開創し、古田織部は利休の求めた茶の道とは異なる「織理屈」と言われる、奔放で理屈っぽい茶の世界を築いて行く。織部好みと称されるゆがみ、歪みの中に美を見出す局面が含まれる。遠州は徳川幕府が礎を築く創生期において、大名茶の総帥として大名茶人を指導する道を歩んでいく。その茶の道は「綺麗寂び」と言われる世界となる。天命を全うしたのは小堀遠州ひとりだった。

 千利休を題材にした小説や評伝などの作品は数多い。
 古田織部の焼き物を取り上げた本は多いが、古田織部を直接主人公とする伝記小説作品は少ないように思う。私の知っているのは、『古田織部』(土岐信吉著・河出書房新社)、『幻にて候 古田織部』(黒部 享著・講談社)と『天下人の茶』(伊東潤著)の中の短編小説くらいである。
 小堀遠州の作庭した庭という視点で論じられた教養書はいくつか読んでいる。しかし、小説という形式の作品はやはり少ないのではないか。私の読書範囲では、『小堀遠州』(中尾實信著・鳥影社)に次いで、この小説が2つめである。中尾氏のアプローチとこの小説はかなり手法的にも異なり、ともに興味深い。

 横道に逸れたが、この小説では、小堀遠州が己の生き様を回想するという形で、いくつかの視点から描かれている。遠州がどういう考え、思いであったかが描き込まれていく点がおもしろい。それが遠州の事績あるいは遠州の思考について考える材料となり、参考になる。
1.遠州が作事奉行、伏見奉行などの実務家として活動した視点
 そこに、遠州が命を受けて取り組んだ仕事(事績)に対する経緯や思考、思いを知る契機となる。この小説では主に、次の事績が描き込まれていく。この部分は、遠州が茶道の理念を築く上で、思考を深める外延を形成していくものかもしれない。
  駿府城の作事、南禅寺金地院庭園の造営、女御御殿の造作、後水尾天皇の譲位後の仙洞御所の普請などが描かれていく。
 
2.遠州と茶道の関わり、茶人としての視点
 それは師である織部との関わりであり、脱織部による己の茶の世界を切り開く歩みでもある。いくつかのエピソードが興味深い。列挙しておく。
  作介が行った洞水門の工夫、織部による吉野山での茶会、万代屋肩衝の逸話、秀忠が選んだ茶入・投頭巾に関わる織部の見方、茶杓「泪」との関わり、などである。

  著者は遠州の質問に対して「茶で心を安んじるとは、おのれを偽らぬことだ」と織部に語らせている。また、加藤清正に対し「徳川様の世には、それにふさわしい茶人が出てまいりましょう。」と織部に語らせている。
  一方、師織部の茶との関わりを傍で眺めてきた遠州に、「茶の湯は怖い。知らず知らずのうちに、この世から逸脱していくようだ」と内奥の思いを吐かせることで、遠州の茶の湯の世界の立ち位置を述べている。遠州にとって、千利休、古田織部は茶の湯と世の中を考える上での反面教師でもあったということなのだろう。
  そして、後水尾天皇のもとに入内した徳川和子への直答として、女御御殿の普請への思いについて、「茶の心でございます。」「われも生き、かれも生き、ともにいのちをいつくしみ、生きようとする心でございます」と遠州に語らせる。

3.一期一会だった千利休に回帰する思考の視点
  石田三成の三献の茶のエピソード、利休による宗二捨て殺し発言、妙喜庵の茶室・待庵の有り様などが、遠州の利休回帰の原点として描かれる。遠州のこころのモノサシには、師古田織部を介し千利休があり、一期一会の対面が強烈な原点として描き込まれているように思う。

 著者は、遠州が「天下を安寧たらしめる茶とはどのようなものなのか」(p105)を追究したものとして、描き出しているように思う。

 順調にさまざまな分野で、己の能力を発揮できた人であり、専らその局面、局面で己を注ぎ込んで成功を勝ち得て、常に己にとっての茶の世界の有り様を追究したどちらかというと、順風のなかで過ごせた人というイメージを持っていた。しかし、この小説で、遠州が50歳を過ぎた寛永年間に窮地に陥っていたということを初めて知った。それを切り抜けられたのは、遠州が常日頃から茶の心の有り様を大名茶人への指導の中で、また己の挙措の中で実践していたことに起因するのだろう。このエピソードの描写が、遠州像の奥行きを深めているように思う。

 この小説は、和子入内に関わる一連のエピソードの繋がりとその展開、及び古田織部の娘が織部の切腹後所持していた「泪」という銘の茶杓にまつわる展開、それらがストーリー展開の山場になり、小堀遠州像を鮮やかに描き出す要因になっているように思う。

 この小説を読んで知った副産物、おもしろいと思ったことがいくつかある。
1) 石田三成と沢庵和尚の間に交流があったということ。石田三成像に新たな光を加えているところがおもしろい。
2) 少庵の家督を継いだ千宗旦と金森宗和の関係に触れているところもまた知らないエピソードなので私には興味がある。
3) 茶の湯の世界を扱う故に、必然的に茶道具の名器が織り込まれてくる。この名器にまつわるエピソードも、門外漢といえどおもしろい。茶道を志す人には、小説を愉しみながら茶道具基礎知識を知る機会となるのではと思う。
4) 本阿弥光悦と遠州が同時代人だったことを再認識したこと。
5) 家光が三代将軍になるにあたって背景に存在した確執を知ったこと。
6) 桂離宮の作庭に関するエピソード。
これらの副産物がどこまで史実に基づき、どこに著者の想像、フィクション部分が加えられているのか定かではないが、私には興味深い見方であり、考える材料と成りおもしろい。

最後に、印象深い文を引用しご紹介しておきたい。これらの文がどういう文脈の中で描き込まれているかを読んで味わっていただくとよいのではないだろうか。

*ひとが生きるとは、どこまでも続く暗夜の道をたどることではあるまいか。 p37
*ひとはおのれが目にした者のひとつの顔だけをみてしまいがちであるが、実はその者はいくつもの顔を持っておる。  p49
*ひとは所詮、おのれの信じた道を行くだけだ。それも、ひとりだけでな。  p56
*ひとは皆、おのれを偽る。・・・おのれを偽るのは世のためじゃ。・・・わしが何を考えておるか知らぬのに、頭を下げるのは世に倣っておるからであろう。それがすなわち、世を支えることでもある。おのれを偽ることが世を支えるというのは、そういうことじゃ。 p68
*利休の待庵には、この世から抜け出る趣があるが、遠州の密庵には、この世の光のもとに留まるところがあった。(ひとは光を求めて生きるものだ) p75
*まことの雅はひとをいつくしむ。恐れを抱かせるものは雅ではないのう。 p120
*その香炉には<此世>という銘がついておる。たとえ香炉に見えずとも、利休ほどの者が香炉だと言えば、名器として世に通る。この世はさようなものだということなのかもしれぬな。 p121
 利休がこの香炉に<此世>という銘をつけたのは、後生での安楽を願うより、この世をいつくしむべしとの思いを示したかったからであろう。さしずめ茶はこの世を極めるためにあるのであろうな。  p123
*われらのできることを、為していくしかないのだな。  p131
*正しき者ばかりでは諍いは収まらぬ。それゆえ悪人が要るのだ。すべてはこの者が悪いと世間が思えば、それで収まる。  p133
*普請や作庭は茶の心で行うのがよい、・・・・建物や庭の形を見るのではなく、それらを眺めるひとの心を見つめねばならぬと思った。それは、すなわち、茶の心だ。  p175
*これから山水を集める際に、沢庵がこう申したと言えばよい。金地院に造る庭は崇伝を満足させるための庭ではない。崇伝におのれの心の在り様を悟らせる庭である、とな。  p200
*いかなることに出遭おうとも、自ら思いがかなわずとも、生きている限りは自分らしく生きているのではないかとわたしは思います。自らを自分らしくあらしめるということを、いかに捨てようと思っても、捨てることはできないのではありますまいか。 p232
*この世をよりよく生きたいと願うのは、それだけで罪なのかもしれない。それゆえに、ひとは時折り、茶の席で世俗を離れ、おのれを取り戻すのだ。そのおりに喫する茶には、生きていくうえで味わった涙が込められているのだろう。 p233
*女人と申すは、自分を大切に思うてくれた男の思いに支えられて生きるものだ。p237
*ひとは会うべきひとには、いつか巡り合えるものなのですね。 p269
*おのれを見失わず、ひとであり続ける者こそが最後に勝つのではありますまいか。p285*利休殿と織部の茶にあつて、お主に無いのは、罪業の深さだ。茶はおのれの罪の深さを知って許されることを願い、また、ひとを許すことを誓って飲むものだ。おのれに罪なしと悟り澄ました顔で飲むのは、茶ではない。  p208

 ご一読ありがとうございます。

補遺
小堀政一 :ウィキペディア
小堀遠州 :「コトバンク」
小堀遠州 :「わたしたちの長浜」(長浜市郷土学習資料)
加賀藩の文化アドバイザー小堀遠州 杉本寛氏 :「石川滋賀県人会」
孤篷庵  :ウィキペディア
大徳寺孤篷庵 :「京都春秋」
金地院  :ウィキペディア
京都・東照宮と小堀遠州・鶴亀の庭  金地院 :「京都 ええとこ・ええもん」
賢庭 庭師
醍醐寺三宝院庭園  :「京都市都市緑化協会」
 圓徳院 北庭  圓徳院バーチャル拝観 :「圓徳院」
桂離宮 :ウィキペディア
雨の桂離宮を歩く  :「近代建築の楽しみ」
遠州流茶道 ホームページ
小堀遠州流の茶道 :「茶道小堀遠州流 松籟会」
楽茶碗(雨雲) 光悦作 :「文化遺産オンライン」
竹茶杓 銘 泪 千利休作 :「文化遺産オンライン」
竹茶杓 銘 埋火 小堀遠州作 :「東京国立博物館」
近江孤篷庵 :「滋賀・びわ湖 観光情報」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『秋霜 しゅうそう』  祥伝社
『神剣 一斬り彦斎』  角川春樹事務所
『辛夷の花』   徳間書店
『風かおる』  幻冬舎
『はだれ雪』  角川書店
『鬼神の如く 黒田叛臣伝』  新潮社

『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社
『決戦! 本能寺』 伊東・矢野・天野・宮本・木下・葉室・冲方  講談社

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新4版(37+1冊)2016.1.27

一方、こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『小堀遠州』 中尾實信  鳥影社
『古田織部』 土岐信吉  河出書房新社
『幻にて候 古田織部』 黒部 享  講談社
『天下人の茶』  伊東 潤  文藝春秋


最新の画像もっと見る

コメントを投稿