遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『隠し剣孤影抄』  藤沢周平   文春文庫

2021-09-28 23:33:04 | レビュー
 9月初旬に『隠し剣秋風抄』の読後印象をご紹介した。著者の年譜を見ると、出版されたのが1981(昭和26)年2月である。その前月(1月)に連作短編集『隠し剣孤影抄』が出版されている。読む順序が逆になったが、一連の連作短編集といえる。本書が文庫化されたのは、1983年11月。文庫化は半年の隔たりをおいて『秋風抄』が翌年5月である。

 先に読んだ『隠し剣秋風抄』で触れているが、連作短編の各タイトルが「××剣」「剣○○」というパターンとなっている。「××」がいわばその短編において隠し剣を使わざるをえない状況を導く因となる。そこに短編創作のモチーフが示されている。それが因となり秘剣を使う瞬間に立ち至り、「○○」と名付けられる隠し剣が使われることになる。そうならざるを得ない状況がごく自然にストーリーとして進展して行く。読者にとっては、異色な剣客が次々に登場してくるというのが読む楽しみとなる。
 
 本書に収録された8編のタイトルをまず列挙しよう。「邪剣竜尾返し」「臆病剣松風」「暗殺剣虎ノ眼」「必死剣鳥刺し」「隠し剣鬼ノ爪」「女人剣さざ波」「悲運剣芦刈り」「宿命剣鬼走り」である。
 各短編について読後印象と併せて簡略にご紹介していこう。

<邪剣竜尾返し>
 母が足を痛めたことをきっかけに、檜山絃之助は城下から南に一里半、赤倉山の谷を分け入ったところにある赤倉不動に代参するようになる。秋の本尊御開帳の夜、本堂での夜籠りに加わる。そこでふとした契機で24,5歳と思える鉄槳(かね)をつけた武家方の女と甘美な一刻を過ごす結果となる。それが後に思わぬ因となることに・・・・。
 7年前に城下に来て、一刀流指南所の看板を掲げている赤沢弥伝次が、組頭の坂部を通じて檜山絃之助との試合を執拗に申し入れていた。三ノ丸内にある藩道場で、絃之助は坂部の稽古の相手をした後、「雲弘流には、竜尾返しという秘伝があるそうだな」と坂部に問いかけられた。坂部は「その竜尾返しという剣を、一度見たいものじゃな」とさりげなく語る。
 絃之助の帰路を待ち伏せしていた赤沢が、絃之助に言う。「俺の女房だ。あの女は」「尋常の試合で片をつける」と。
 組頭坂部から中老の戸田の意向が藩主に伝えられ、試合の許しが出ていた。絃之助は赤沢との試合を受けざるを得ない立場に追い込まれる。絃之助は半月の猶予を乞う。
 問題は、3年前に中風で倒れて床についたままの父から絃之助は秘剣竜尾返しを伝承していないことだった。5年前に檜山道場で父・弥一右エ門が大兵肥満な浪人者に試合を申し込まれた時、その試合を里村が目撃していた。師匠弥一右エ門から秘剣が遣われたこととその秘伝のあることをも口止めされたと里村は絃之助に語った。
 罠に嵌められ、公の試合に持ち込まれた真剣勝負に絃之助がどう立ち向かうのかが読ませどころとなる。絃之助を誘惑する立場に立たされた女もまた哀しい。そこに余情が残る。

<臆病剣松風>
 瓜生新兵衛・満江夫妻の物語。満江は5年前に、縁談の仲人から新兵衛が剣の達人で、鑑極流の秘伝を伝えていると聞かされ、大きく気持ちを動かされて嫁いだ。普請組に勤める100石取り。だが、はじめて会った時に、その容貌に気落ちし、嫁入りしてから少しずつ新兵衛の臆病さに気づく。5年の歳月が満江に僅かだが夫を軽んじる気持ちを生む。満江はそのことに気づいていた。そんな心が隙を生む、ある時従兄で遊び人の道之助と桜の名所で出会うことに・・・・。
 世子若殿和泉守に使える舌役(毒見役)が倒れるという事件が起こる。命は取りとめたが、家老柘植の命を受け医師が調べたところ毒が現れた。江戸在住の藩主右京太夫の叔父吉富兵庫が暗躍している気配がある。藩は世子擁護派と兵庫派に二分し、陰湿な争いが続いている。柘植家老は世子擁護派。柳田中老は兵庫派という状況にある。
 その最中に、宮嶋と相談した柘植家老は瓜生新兵衛に若殿の身辺警護の役を命じた。
 半月後、新兵衛は秘剣松風を使うことになる。
 臆病者の新兵衛が守りの秘剣を遣う窮地に立つまでのプロセスと妻満江の気持ちに僅かな揺れ動きが生まれるプロセスをパラレルに描き込んでいく。臆病に関わる視点の相対化が興味深い。満江が夫の真価に気づいたところでエンディングとなるところがよい。

<暗殺剣虎ノ眼>
 牧志野は3カ月前に婚約がととのい、清宮太四郎が許嫁である。兄の達之助は清宮は遊び人だと苦々しげに言う。志野は彼が浅羽道場の免許取りと聞かされていた。志野はその清宮と料亭朝川での逢い引きを重ねていた。
 志野が口実を設け密かに清宮と逢っていて帰宅が遅くなった日、連日海坂藩の執政会議に参加している父の牧与市右エ門が帰路途中、濃密な闇夜の中で斬殺された。与市右エ門は意識がとぎれる寸前に、斬りかけてきた相手が上意と呟いた言葉を聞き取った。連日の執政会議で藩農政の政策について、与市右エ門は藩主批判をしたのだった。
 家督を継いだ達之助は、父と意見がもっとも鋭く対立していたと聞く戸田中老から手紙で邸への呼び出しを受ける。そして執政会議の経緯を聞かされ、下手人不明のままで取り調べ中止とする旨を言い渡される。父の非業の死はお闇討ちだと聞かされる。お闇討ちの刺客は虎ノ眼という秘剣を遣うという。与市右エ門は闇夜の中で存分な傷の深さの正確な袈裟斬りで斬殺されていた。斬り手は闇の中で眼が見えたとしか思えぬという。
 達之助は父を斬った相手は清宮ではないかと疑い始める。当夜の彼の行動を洗うという。志野には清宮と逢っていた時刻、場所と彼の行動に疑念が及ぶ。志野の婚約が破棄されるなど事態が進展していく。
 上意討ちなら藩士としては抗えない諦念と犯人究明の私憤。その狭間で事態が進展する。さらに志野を疑惑の渦中に投げ込む結末という意外性が読ませどころと言える。その瞬間の志野の内奥の思いを真に想像することは私には難しい・・・・。
 
<必死剣鳥刺し>
 3年前、物頭だった兼見三左エ門は、己の信念に基づき、城中で藩主の側妾連子を刺殺した。連子は政治好きで、その考えが連子に溺れる藩主右京太夫の意見や裁断に影響を及ぼすようになった。藩政に歪みがあらわれてきた時期だった。極刑を覚悟していた三左エ門は、1年間の閉門と禄高の半減、役を召し上げられるという軽い処分を受けるに留まった。それは三左エ門自身にどこか腑に落ちない気分が残る処分だった。だが閉門期間が終わっても三左衛門は逼塞を続けた。わずかふた月前に、その三左エ門がなぜか禄高を旧にもどされ近習頭取に命じられたのである。中老の津田民部がそれを直に三左エ門に伝えた。
 近習頭取の役に就いた後、藩主は三左エ門に向かって、顔を見たくない。多少のことは襖越しに申せばよい。頭取としての仕事ぶりに不満はない。職がえはまかりならん。という。三左エ門は近習頭取として奇妙な立場に置かれる。
 ある日、津田中老が三左エ門に話があるという。近習頭取は兼見でないと勤まらん。そういう事情がある、というところから、津田は藩内状況を語り始めた。
 津田の説明はいわばコインの一面だけを語るものだった。そこに隠された裏面が徐々に明らかになるストーリー。上の命令には従順に従うという武士の規律を悪用され、翻弄された三左エ門がいたわしい。
 併せてサブ・ストーリーが語られて行く。三左エ門が閉門となっても、変わらず家に留まり世話をしてくれる姪の里尾の行く末を三左エ門は慮る。里尾は26歳になっていた。それで三左エ門は、里尾の縁談話を進めていく。だが、それが三左エ門と里尾の関係を変化させる因となる。里尾の生き様に哀しみを感じる。
 
<隠し剣鬼ノ爪>
 江戸屋敷で傷害事件を起こした狭間弥市郎は国元に戻され郷入り処分を受ける。屏風嶽の奥、とちヶ沢と呼ばれる僻村で座敷牢生活を強いられる。だが狭間は破牢した上で逃げようとせず、討手として片桐宗蔵を送れと大目付尾形久万喜に伝えさせた。宗蔵は討手を命じられる。
 狭間と片桐は無外流小野道場の同門であり、藩の剣術試合での因縁があった。宗蔵は無外流の免許をうけたとき、道場主小野治兵衛から一人相伝の鬼ノ爪と称する秘剣を授けられた。それが狭間に誤解を与えたと宗蔵は思っている。
 狭間の破牢を知った妻は夫の助命のために、己の体を供する捨て身の行動に出る。
 藩命により宗蔵はとちヶ沢に討手として赴き、狭間と対決する。
 宗蔵が一人相伝した秘剣について、狭間は誤解をし秘剣を破る工夫に命を掛けた。このストーリーは狭間と宗蔵の因縁を描く。
 秘剣鬼ノ爪がどのように遣われるかがこのストーリーの落とし所となっていく。
 ここにも、サブ・ストーリーがある。片桐家に行儀見習のために奉公していた女中きえと宗蔵の関係がエピソードとして織り込まれて行く。その結末がほほえましい。
 
<女人剣さざ波>
 美人として評判の姉が嫁入りし、その妹との縁談がきた時に、浅見俊之助は飛びついた。妹も姉同様の美人と思い込んでしまっていた。あてが外れた俊之助は染川町あたりの茶屋通いでうさ晴らしをすることに。その俊之助が筆頭家老筒井兵左衛門から呼び出される。
 勘定組蟇目七左衞門の不審死と、藩庫から2000両が消えた不祥事、さらにその2000両がそっくり藩庫に戻されていたという事態を聞かされる。筒井家老はその背後に先年まで筆頭家老だった本堂修理が居ると目星をつける。本堂一派が染川町あたりにしきりに集まっているという噂を聞くという。染川町の茶屋通いを装い、様子を探り証拠をつかめという。費用は藩費で賄ってよいという。命令を拒めないと判断した俊之助は探索の役目につく。
 証拠を掴むまでの経緯がおもしろい。だが、それが因となり、近習組の遠山左門から茶屋の玄関先の路地で果たし合いを申し込まれる羽目になる。派閥争いのとばっちりを直に被る。蹌踉とした足取り、真っ青な顔色で家に戻った俊之助は果たし合いを申し込まれたことを妻の邦江に告げる。
 剣が不得手の俊之助は、遠山左門のことを何も知らない。だが、俊之助に疎まれている邦江は知っていた。遠山は江戸で梶派一刀流を修行した剣客であり、邦江は芳賀道場で遠山が道場の高弟と試合をした折りの鮮やかな剣技を見ていた。一方、邦江はかつて西野鉄心を師とし、西野道場の女剣士だった。さざ波という秘剣を伝授されていた。
 邦江は熟慮のすえ、一計を案じる。これがこのストーリーの後半の山場となる。
 俊之助はどうするか・・・・・。
 このストーリー。その終わり方に暖かい情感の余韻が残る。

<悲運剣芦刈り>
 曾根家の当主新之丞が妻の卯女22歳と2歳の女児を残して病死したことから、家督を継ぐ弟炫次郎21歳の人生が狂い出す。その時、炫次郎にはすでにさだまる許嫁・石栗奈津がいた。だが、兄の死後、兄嫁卯女と炫次郎の間に男女の関係が生まれる。曾根家の話し合いで、卯女は亡父の一周忌が済めば曾根家を去り実家にもどること。女児は曾根家に残し炫次郎の養子とすることが決められた。そして、炫次郎と奈津の祝言を行うということに。炫次郎はそれに従う立場になる。
 炫次郎は四天流の市子典左エ門の高弟で、藩中で五指に数えられる剣客だった。師から芦刈りと名付けられた秘剣の伝授をうけていた。
 一周忌が過ぎても卯女は実家に戻る気配がない。藩内であらぬ噂が立ち始める。
 炫次郎は、奈津の兄石栗麻之助をやむなく斬り捨てざるを得ない窮地に追いこまれる。その結果、出奔し追われる身になる。炫次郎と市子道場で同門であり、部屋住みの石丸兵馬は討手のリーダーを命じられ、四人の討手を付けられる。同門相討つかたちが生み出されて行くことに・・・・。
 炫次郎の悲運は避け得たものなのか・・・・。武士の掟の非情さが虚しい。

<宿命剣鬼走り>
 2年前に大目付の職をひき、家督を惣領の鶴之丞に譲って致仕し隠居していた。
 小関鶴之丞は伊部伝十郎と果たし合いをし、帰宅はしたがおびただしい傷により直後に死んだ。その報せを十太夫は隠居部屋で受けた。十太夫が理由をたずねたとき、鶴之丞は微笑して、武士の意気地でございますと言っただけだった。
 十太夫が数年前大目付の職にあったころ、市中に町家の女るいを妾に囲ったことが因となり、妻の浅尾との間には亀裂が生まれ、夫婦の仲は冷え切っていた。互いの話が通じない状態になっていた。
 十太夫は家督を千満太に継がせる措置をとる。その千満太が、伝七郎は生きていて、取り巻きの二人の葬儀が急死と称して、昨日、今日にそれぞれ行われているという不審な事実を十太夫にもたらした。千満太は岸本道場で同門の戸来次之進から聞いたという。十太夫は大目付の時に、目をかけていた杉戸という心利いた探索ができる男に調べてもらう手はずを取った。
 伊部伝十郎の父、伊部帯刀に十太夫が直接挨拶に出向く行動を手始めに取る。そこから、ストーリーが進展して行く。十太夫と伊部帯刀は、年来のライバルという宿命の間柄だった。ライバル意識の中には、今は香信尼として尼寺に住む女性の存在もあった。一方、小関家は200石、伊部家は1000石という身分格差が厳然と存在した。
 二度あることは三度ある、といわれる。小関家に凶事の連鎖が続く。時を置く連鎖の中で、十太夫が何をなすか。それがこのストーリーの後半を織りなして行く。
 クライマックスで十太夫は秘剣の鬼走りを遣うことに・・・・・・。 
 結局、小関・伊部両家は廃絶になるのだろう。人は宿命を断ち切れないのか。
 何がこうさせるのか。人が有する感情・情念という因が縁となり凶事を生み、事態が転がり出すようだ。これもまた虚しさの余韻が尾をひく一篇である。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
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