遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『アクティブメジャーズ』 今野 敏  文藝春秋

2013-11-27 15:13:42 | レビュー
 「対象組織の中に協力者を獲得する目的は、情報収集と積極工作だ。そして、積極工作、つまりアクティブメジャーズこそが、スパイの腕の見せ所なのだ」(p218)と著者は記す。インエリジェンスの世界では、ある組織の中で、スパイになることには抵抗を抱かれるにしても、そうとは思わせることなく協力者としてうまく誘導して、自陣営に都合のよいように振る舞わせるような工作をすることができるという。こういう協力者づくりとその積極的な利用をアクティブメジャーズというそうだ。
 いままで本著者に限らず、公安警察、外事課ものというのは読んだことがない。そのため、本書タイトルを見てインテリジェンスがらみのテーマとは気づかずに読み始めた。勿論、公安ものということはすぐ気づくことになった。しかしアクテブメジャーズというこのキーワードの持つ意味は途中まで推測できなかった。分かっている前提で読むと、また違った読み方ができるのかもしれない。

 さらに、本書のテーマは振り返ってみると、本書カバー裏に簡潔に記されていたのである。「知的興奮がとまらない、国を守る公安警察官を描く警察小説」だと。

 さて、主人公は外事1課第5係の公安捜査員・倉島達夫である。ゼロ研修を終了し、警視庁に初登庁し職場復帰した日から、事件に巻き込まれていく。
 公務課長・安達達夫警視正から呼び出しを受け、オペレーションを手がけるようになる。そのタスクは、エース級でやり手という噂のある外事1課第3係の葉山昇の行動を洗えというもの。そして、この調査に補佐をつける。ついては1週間以内に、どちらか1人を選べという条件がつく。安達課長は倉島に、選ばれた人間の自覚を持って臨めと示唆する。そして調査結果の報告は直接自分のみに行えという指示をする。

 倉島は己がエース級の人材であるかどうか、この任務で試されるテストなのだろうと当初は解釈する。安達課長の指示は葉山昇の行動を洗えという以外何ら情報提供がないのだ。さらに、二人の候補者は、安達課長からの指示を受けた候補者自身からの連絡を受けて、面談するところから始まる。それ以外、何の情報も与えられない。
 こんな状況設定から始まるのだから、おもしろい。

 倉島はまず倉島が指定した場所で個別に面談し、それぞれの力量を確かめることから始めなければならない。この補佐者が倉島のために働いていくことを他の人間に知られてはならない。どこに葉山と繋がる人間が庁内にいるか分からないからである。
 面談を始めて2人の候補者の性格特徴などには対称的なところがあることに気づきはじめる。候補者の一人、伊藤との面談の途中で、伊藤が「そうか・・・・・。津久見茂の件じゃないんだ・・・・」とぽつりと言った一言が倉島に考えるヒントを与えることになる。一方で、彼らに課題を与え、候補者の絞り込みを考慮し始める。

 津久見茂の件というのは、倉敷が研修後の初登庁の早朝、テレビのニュースが死亡を告げた人物だった。年齢59歳、全国紙の東邦新報社編集局次長、自宅マンションのベランダから転落したのだ。その詳細は不明。伊藤の一言は、倉島に上司の上田係長に津久見茂の件に公安の誰かがタッチしているかという質問をさせるという積極的な行動を取らせることになる。第5係の同僚、白と西本が探りを入れているという。倉島はこの2人とコンタクトを始める。
 一方で、倉島は自分が独自に築いている人脈との連絡を取る。相手はアレクサンドル・アエルゲイビッチ・コソラポフ。ロシア大使館三等書記官であり、同時にFSBの職員でもある。葉山を知っているものを捜してくれと依頼する。葉山はロシア語がぺらぺらで、ロシア人には協力者が多くいるという噂のあるエース級公安職員なのだ。
 津久見はその見返りに、ドミトリ・アレクセービッチ・ノボコフという「ロシア経済新聞」の日本特派員が亡くなった津久見とどういう風に個人的に親しかったのか調べてくれと依頼される。
 倉島は、白崎・西本にノボコフのことを情報として伝えることで、逆に津久見の事件の情報入手を深めようとする。

 結果的に津久見の転落死事件は葉山の行動を洗えという倉島への課題と密接に結びついてくるのだ。
 もう一人の候補者片桐に試しとして、葉山の人事情報を密かに入手できるかという課題を与えている。葉山の人事情報を入手できるが、そのアクションは葉山の知るところとなり、片桐の電話を経由して、葉山が倉島に逆にコンタクトを取ってくるという事態になる。

 津久見の転落死は自殺説も出ていたが、他殺事件として捜査が進められる方向に進展する。徐々に葉山の行動との接点が見え始めていく。それは安達課長が倉島に葉山の行動を洗えと指示を与えた時点では、安達課長の念頭にはなかった想定のようでもあった。

 倉島は、結局片桐・伊藤の2人を補佐者として活用することを安達課長に認めさせ、本格的に葉山の件に乗り出して行く。それは必然的に、津久見茂殺人事件解決にも関わる行動に展開していく。

 この作品から、おもしろいと思う点や疑問が生じた点をいくつか箇条書きで列挙しておきたい。これらの切り口をうまく織り込みながら、ストーリー展開しているからこそおもしろいのだろう。
1.インテリジェンスというのがどういう世界なのかのイメージを描きやすい。
 ヒューミント、つまり、ヒューマン・インテリジェンス(人的諜報活動)が公安の基本であり、基本は人間関係の構築だということ。
2.インテリジェンスが結局、人間関係の中での情報の give & take だとすると、それは常に、一線を越えるか越えないかの、きわどさの中での情報交換、情報収集だということ。だからこそ、フィクションとしてドラマ化しやすいのだろうか。
3.刑事警察と公安警察の観点の違いが所詮交わらない行動を生むという必然性
 だからこそ、その接点でおこる事件は複雑な動きになってきて、小説としてはおもしろいことになる。事実の世界はもっと奇なるものがあるのだろうか。所詮、闇の中でしかない事象として処理されるのだろう。
4.公安捜査員のエース級育成のための「ゼロの研修」が冒頭から出てくる。実際にこの名に相当する、諜報活動の研修が存在するのか?
 かつては、「中野学校」というのが存在したという。その現代版のようなものが実在するのか? 
5.公安捜査員エース級には、活動費として自由に使える資金の付与という描写が出てくる。警察機構が国民の税金で賄われ運営されている。会計検査院など、国の金の使途をチェックする機構などもある。そんな活動費はどういう形で計上処理されるのか。(勿論、そんな手続き的な観点での記述は作品に出てこない。)
6.戦前の体制下に置かれた公安組織と現在の警察機構の中における公安警察は全く別のものになったのか、やはり体質は同じなのか。外事課という国際諜報活動防御に主眼をおく側面と、国内治安に関わる側面とは違うのか。本作品は外事課という側面であるが。
7.刑事警察は捜査本部体制での組織捜査ベース、蟻の集団行動中心。一方、公安警察はたとえ補佐者がいるとしても、一匹狼で臨む捜査、捜査員個人の独自裁量と行動で処理を進めるという個人行動中心、というコントラストがおもしろい。
8.公安警察にとって、国を守るという理念と現行法規の規定の枠組みとの接点・グレーゾーンでは、何がどのように優先され、どのように解釈されるのか?
 

ご一読ありがとうございます。


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いくつかの用語をネット検索してみた、一覧にしておきたい。

警察庁 ホームページ    
  警察のしくみ  
  公安の維持   
警視庁公安部 :ウィキペディア
外事課 :ウィキペディア
 
陸軍中野学校 :ウィキペディア
陸軍中野学校
 
 
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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『晩夏 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『欠落』 講談社
『化合』 講談社
『逆風の街 横浜みなとみらい署暴力犯係』 徳間書店
『終極 潜入捜査』 実業之日本社
『最後の封印』 徳間文庫
『禁断 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店

=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新1版


『震える牛』 相場英雄 小学館

2013-11-24 11:54:01 | レビュー
 本書は2012年2月に、雑誌連載に加筆改稿して単行本として出版された。そのタイトルが示すとおり、かつてしばらくの間世界を戦慄させたBSE感染牛というテーマが根底にある。だがそれに併せて周辺の要因が複合され様々な事象が組み立てられている。今、世間で料理メニューの誤表記、利益確保のための虚偽表示が大きく脚光を浴びている。本書は一言でいえば牛肉の「偽装」をテーマに絡めた警察・刑事小説である。殺人事件それも継続捜査となった案件を捜査する刑事の物語である。ストーリーの展開に引き込まれていくことは保証する。その構成はかなり周到であるように感じる。

 本書にはいくつかの視点があるように思う。3つに絞ってみる。
1つは、継続捜査となった殺人事件を一から再捜査し、事件を解決に導く刑事の活躍ストーリーという視点。これは、初動捜査における管理官の筋の読み違えでおろそかにされた鑑取り、地取り捜査の弱点に気づき、一から捜査をやり直すメモ魔の田川刑事と相棒の池本刑事の捜査展開ストーリーである。この視点は、警察機構の持つ問題点は何かという視点に繋がる局面を持っている。
2つめは、食肉を使った加工食品の問題点という視点である。食肉の加工が一線を越えて、虚偽表示まで突っ走った事象が本書では取り上げられ、食品の「虚偽表示」という視点を持ち込んでいる。それは、裏を返せば「消費者の知る権利」という視点になる。
3つめは、SC(ショッピングセンター)の展開がもたらした社会経済構造に対する変化と影響という視点だろう。そして巨大SCが成長の陰りの中で、利益追求主義に囚われたらどうなるかという視点に繋がっていく。これは現在のホットな料理メニューの誤表示、偽装に直結していく組織体質的局面を持つ。

 そこで、著者がこの警察・刑事小説を通して描きたかったテーマは、殺された二人の中の一人、赤間が愛読書からフレーズを引用したという形で書き込まれたそのフレーズにあると思う。これらのフレーズが、本書のストーリーでどのように描き込まれているかを分析的に楽しんでもらいたい。そのフレーズは、プロローグとエピローグの中に書き込まれた次の文章である。

*幾度となく、経済的な事由が、国民の健康上の事由に優先された。秘密主義が、情報公開の必要性に優先された。そして政府の役人は、道徳上や倫理上の意味合いではなく。財政上の、あるいは官僚的、政治的な意味合いを最重視して行動したようだ。 p5
*そもそも消費者とは、われわれ全員のことだ。この国最大の経済的集団であり、どんな経済決定にもことごとく影響を受ける。消費者は重要視すべき唯一の集団である。しかし、その意見はないがしろにされがちだ。政府はいかなるときも、消費者の①知らされる権利 ②選ぶ権利 ③意見を聞いてもらう権利 ④安全を求める権利を擁護しなくてはならない。 p6
*直面している大きな課題は、市場の道徳観念の欠如と効率性とのあいだで、しかるべき落としどころを探ることだ。自由を謳う経済システムは、しばしばその自由を否定する手段となってしまう。20世紀の特徴が全体主義体制との闘いであったとすれば、21世紀の特徴は行き過ぎた企業権力をそぐための闘いになるだろう。極限まで推し進められた自由主義は、おそろしく偏狭で、近視眼的で、破壊的だ。より人間的な思想に、取って代わられる必要がある。 p5、p346

 この「行き過ぎた企業権力をそぐための闘い」を個人で試みた赤間が殺されてしまったのだ。被害者のうちの1人として。初動捜査では全国チェーンの居酒屋「倉田や」に入った強盗事件に巻き込まれた殺害で、被害者2人の間の関係は全くないと判断される。キャリアの管理官の筋の読み違えから、地道な鑑取り、地取りに手抜かりも発生して、犯人逮捕に至らなかったのだ。その事件が、ノンキャリアの宮田課長から、捜査一課継続捜査班の田川信一刑事に持ち込まれる。田川は迷宮入り濃厚な目立たない未解決案件ばかりを扱うベテランの警部補である。それを若手32歳の池本警部補が相棒としてサポートする。彼は捜査一課第三強行犯係の警部補である。

 田川は宮田課長からA4サイズのファイルが5,6冊入った包みを渡される。
 事件は『中野駅前居酒屋強盗殺人事件』。JR中野駅の北口商店街で2年前の9月16日午前2時半に発生。不良外国人が鋭利な刃物で店員を傷つけ、現金58万円を奪取した。そしてレジ近くの隣合わせの席に居合わせた客2人の首を次々に刺し、殺害して逃走したというもの。特別捜査本部が野方署に設置され、迅速な動きがあったにも関わらず、初動捜査で目撃者不十分、未解決にとどまる事件である。凶器は「鋭利な刃物、レジ係目撃情報:刃渡りが長い柳刃包丁のようなタイプ」であり、「凶器(非公表=厳重保秘)」の一文が捜査資料に記されていたのだ。
 被害者は獣医師・赤間裕也(31)と、産廃処理業者の西野守(45)である。共に繰り返し同じ箇所を刺されほぼ即死。
 
 その事件を担当した第二強行犯係担当管理官は矢島達夫であり、今は前任捜査一課長により、捜査一課の特命捜査対策室理事官に昇進しているのだ。後任の捜査一課長には、ノンキャリアの宮田がノンキャリアトップの座を得る。この事件の捜査継続を、それを担当した管理官が所属する特命捜査対策室に持ち込むわけにはいかず、宮田は一課内の摩擦回避策として、同じ課内の継続捜査班の田川に持ち込んだのだ。田川としては、最初からやりにくい立場に立たされる。

 田川は勿論、丹念な捜査資料読みから始めていく。その過程で捜査の進展のしかた、そこに潜む捜査の問題事象が徐々に見えてくる。自分の捜査メモを作りつつ、捜査資料分析をする田川の手許にどんどんと書き込みメモが累積していく。愛用の折り畳みナイフ、肥後守で鉛筆を削りながら、資料をじっくり読み、考え、メモしていく田川は、自分流に鑑取り、地取りを一からやりなおしていく結果となる。妥当な筋読みと思われた事件が、筋の読み違えではないかという疑問に到達し、そう見ると様々な捜査不足が目につき始めるという次第だ。田川が「倉田や」に出向き、再聞き込みを始めることで、初動捜査では対象にもされなかった目撃者と出会う。その情報から事件が意外な方向へと導かれていく。捜査プロセスは紆余曲折を経ながらも、断片情報がつながりを見せはじめ、捜査展開が全く違った筋読みになっていく。この進展が実に興味深く、おぞましいほどのリアル感をある局面で醸し出す。そこがおもしろいところでもある。

 本書には追跡調査という観点で、2つの流れが同時併行で進展していく。
 1つが本書の主流である刑事捜査としての追跡調査。迷宮入りになりかけた事件の捜査を田川・池本の2人の刑事が進めて行くというストーリー展開の流れ。
 もう一つが、経済記者鶴田真純がオックスマートという企業の事業の進展とその事業にまつわる陰の部分・問題点を執拗に追跡調査するプロセスの流れである。

 オックスマートは、良質な和牛を畜産家から直接買い付け、安価で売るというビジネスモデルを創った柏木友久(現在CEO兼会長)が柏木商店から国内最大手のスーパー事業に育て上げたという企業だ。次々と国内に大規模SCを展開し、不況長期化で大規模SCの凍結、都心向け低価格店舗網の構築、さらには中国への積極的事業展開を考えている。 このオックスマートの事業展開の拡大が地方経済における中小規模商店街の凋落を含め地方に様々な影響を及ぼしている。その強引な事業拡大戦略が生み出す事業の成功という光に対し、常に付き従う影の如く、光が生み出す陰の部分を暴き出し、オックスマートのやり方を批判し、警鐘を鳴らすために、追跡を続けるのが鶴田記者だ。
 その鶴田は日本実業新聞という巨大メディアで先鋭的な記事の掲載を進言するが聞き入れられず、インターネット専業メディアに移る。ここにも、巨大企業が巨大メディアに広告掲載などで形成する影響関係が描かれている。鶴田は『Biz.Today』に己の書きたいスタンスでの情報発信を行い、大型スーパー事業のオックスマーとをターゲットにしていく。なぜそこまで・・・・?その動機の底流に鶴田の経験した私怨があるのだ。それがおいおいわかってくる。
 インターネットで『Biz.Today』に掲載された鶴田のオックスマート批判記事を読んだ人物が鶴田に意味深長なEメールを送信してくることで、両者が接触し、そこからオックスマートのメイン事業である牛肉を扱う低価格商品群にまつわる陰の部分が明るみに出てくる。

 この鶴田記者の追跡調査する第2の流れは、日本経済の発展拡大過程で発生してきた問題事象が明らかにフィクションの筆を通じてえぐり出されている。オックスマートの事業拡大と停滞、その方向転換には、現実に存在する巨大スーパー企業数社の実態が凝縮されて投影されていると思われる。柏木友久の次男が政界に進出し現職大臣であるなどという設定や、大型SCの新規開店凍結、東南アジアや中国での新規事業参入・拡大などは、まさにリアル感を生み出す。このあたり、日本経済を考える上での材料にもなる。
 巨大スーパー事業が食肉分野の低価格路線を推し進める一端がすごくリアル感を感じさせる形でフィクショナルに描き込まれているが、これがフィクションとは言い切れないだろうな・・・と思わせるところが恐い。それは、現に食肉加工品事業における食材料偽装事件が存在するからという面もあるだろう。これは私個人の感想だが。

 この2つの流れがあるステージから交差し始めるのだ。そして、事件の核心は思わぬ方向へと進展していく。

 田川の鑑取り、地取り捜査が進むに従って、蛇腹のメモには様々なキーワードが累積していく。そして、その関連性について思考実験を繰り返し、試行錯誤で関係線が見え、つながりが徐々に明瞭になっていくというところが、おもしろい。
 こんな言葉が累積されていくのである。全国チェーンの居酒屋、鋭利な刃物、産廃処理業者、獣医師、特殊部隊経験者、逆手持ち、ベンツ、箱根、豪勢な宿、モツ煮を食べるな、練馬、などなどと・・・・。

 そして、事件が解決する段階で、迷宮入り事件の万々歳の解決のはずが、警察機構の組織の力がいずこからか加わるという意外な、だが、実にリアル感を感じさせる横やりが入るというひねりがある。田川刑事がそれに一矢報いる行動に踏み込もうとするところで本書は終わる。

 この作品も一気に読ませる牽引力があると感じる。おもしろく読了した。

 最後に、リアル感のある章句をいくつか引用しておきたい。
*クズ肉に大量の添加物を入れ、なおかつ水で容量を増すから雑巾なのです。 p150
*摘発されればの話です。ミートステーションのように露骨な業者はわずかだとしても、多かれ少なかれ食品加工業の現場はこんなものです。  p151
*添加物を大量に混ぜた際のリスクは、国ですら把握していない。 p152
*もはや、添加物なしの食生活なんて絶対に無理です。中身を知る、リスクが高そうなものを避ける知恵を持てばいいのです。  p154
*「全容を公表しなければ、被害者が浮かばれません」
 「そんなことをしたらオックスマートの経営を直撃する。・・・・オックスマートがおかしなことになったら、ただでさえ疲弊している地方経済を直撃する。おまえ、東北地方の失業率を知ってるか? 全国平均よりずっと高いんだ。震災の傷が癒えていない。オックスや関連企業に勤めている地元の人間を路頭に迷わす気か? 責任持てるのか? ・・・という筋については、総理官邸からも指示が来ている。俺たち公務員が総理に逆らうわけにはいかんのだよ。  p330-331
 
 ご一読ありがとうございます。

 本書に出てくる化学分野の用語その他派生関心事をネット検索してみた、一覧にまとめておいたい。
 
乳化剤  :ウィキペディア
乳化成分 :「化粧品成分辞典」
ブドウ糖果糖液糖 -食品添加物- :「color harmony feal(Yokohama)」
異性化糖  :ウィキペディア
異性化糖って、何だろう? :「日本甜菜製糖株式会社」
果糖ブドウ糖液糖などのジュースやお菓子、ヨーグルトなどの成分表示にご注意を!判断はあなた自身で。 :「大和心眼-ヤマトシンガン-」
「増粘多糖類」って何? Q&A :「食品のQ&A」
増粘安定剤 :ウィキペディア
よく見る表示「増粘多糖類」:「東京ガス」
次亜塩素酸ナトリウム :ウィキペディア
アスコルビン酸ナトリウム ほか  :「森村商事株式会社」
アスコルビン酸 :ウィキペディア
食用接着剤 :「Alibaba.com」
結着剤 :ウィキペディア
成型肉 :ウィキペディア
【韓国】食用接着剤で肉と骨をくっつけた「偽カルビ」が横行! 大量に市場に出回り大問題に!! :「ロケットニュース 24」
食用接着剤でつなげた“整形カルビ”が韓国で流通している・・・ :「NAVERまとめ」
 
牛海綿状脳症(BSE) :ウィキペディア
牛海綿状脳症(BSE) :「農研機構」
牛肉偽装事件 :ウィキペディア
 

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『スリジェセンター 1991』  海堂 尊  講談社

2013-11-20 10:00:35 | レビュー
 著者は、関東圏内にあり、海に面し桜宮岬のある仮想近郊都市・桜宮における医療トピックをテーマに、さまざまな人物に光をあてながら、一つの小宇宙を紡ぎ出していく。桜宮とそこに住む、あるいはそこに関係する人々の過去、現在、未来を縦横につなげていく。それはあたかも、一つずつの作品が、過去・現在・未来という三次元世界にあって、ジグシーパズルのピースが結合されていく感じである。第1作が生み出された時点から、時は進行しているので作品の舞台は、大きくは過去のある時点から現在・未来へと進行している。一作ずつのトピック、テーマが異なりながら、登場人物の生き方として、過去から未来の時間軸へと繋がっていく。
 ところが、突然ある作品が、時として過去のある時点に舞台を引き戻して、過去のテーマにスポットがあたり、現時点での登場人物たちが過去に立ち戻った形で、物語が進行する。我々を登場人物の過去の行動の軌跡を、今、知ることになる。本作品はこの類のものである。

 2011年6月から2012年8月にかけて「週刊現代」に連載され、2012年10月に単行本化されたものである。しかし、本書の舞台は1991年4月の春から11月冬にかけての物語であり、1992年2月、春の到来を待つ時季で終わる。
 桜宮ワールドには不可欠の高階権太が総合外科学教室、通称佐伯外科を支える重鎮の一人だが講師の立場で登場する。『螺鈿迷宮』『輝天炎上』の段階では、病院長を退くというステージにまで行った高階病院長が30代後半での物語になる。だが、高階講師が主役ではない。主役は、佐伯外科3年目の若手外科医・世良雅志である。世良は『極北ラプソディ』に病院閉鎖騒動の最中に救世主の如くに登場する。また、『極北クレーマー』では、再建途上の極北市民病院長として描かれている。本作品で彼は半ば黒子のような形でありながら、物語の主役を演じる役回りである。しかし、人生の重要な転機となる。本作品の実質的で華やかな主役は天城雪彦だろう。ただし、見方をずらせると高階と逆転する。

 天城はモンテカルロのエトワール(星)と尊称され、誰も真似ができない神がかり的な手術の技量を持つ外科医なのだ。心臓外科において、ダイレクト・アナストモーシス(直接吻合術)という、最先端の動脈バイパス術のさらに一歩先を行く高度な技術を持っている。この術式ができるのは世界で天城一人なのだ。モナコ王国のモンテカルロ・ハートセンターで上席部長の職だったのだが、その天城が佐伯教授の招聘に応じて、桜宮の東城大学医学部付属病院にやってきた。その目的は、桜宮岬にスリジェセンターを開設するということにある。スリジェというのはフランス語で「桜」のことである。天城は桜並木のあるハートセンターを創設するという目標のもとに、1990年に胸部外科学会シンポジウムで公開手術を実施している。そして、今、桜宮の名士、ウエスギモーターズの会長の手術を東城大で公開手術として実施しようとしている。その手術の代償に3億円の寄付を条件にしようとしているのである。スリジェセンター創設への資金として。公開手術は佐伯教授の要請だとする。
 世良は総合外科の高階研究室の研究員であるが、総合外科の医員として、スリジェセンターに出向している。スリジェセンターの総帥・天城の配下という立場に置かれている。
 そこで、本書のストーリーの図式はどうかということになる。
 1991年4月、医療業界の社会的状況は、厚生省官僚が「医療費亡国論」を発表しようとしていたという背景になっている。その渦中でスリジェセンターの創設を目標とする天城総帥のポリシーは、大金を出せば世界最高の手術を受けられるというもの、カネがすべての医療施設である。モンテカルロにおいて、「手術を受けたいなら全財産の半分を差し出せと言い放つ。ルーレットに天運を尋ね、患者がギャンブルに勝利した場合のみ、その勝ち分を報酬として術者を引き受ける」(p9)というやりかたをとっていたのである。
 高階は天城の方針に反対の立場を表明する。命よりカネを優先させる天城のポリシーは医師として容認できないとし、全力を挙げてスリジェセンター創設を阻むと宣言する。
 佐伯教授は、自分が招聘した天城をスリジェセンター創設後も己がコントロールできると自信を持っている。東城大学医学部付属病院の病院長として絶対の権力を掌握していると思っているのだ。その佐伯は公開手術で医療業界の認知度を一層高め、スリジェセンター創設の資金集めもできるともくろんでいる一方、大学付属病院の大々的な機構改革構想を突然発表し、次期の病院長選挙に再選を目指して立候補すると宣言する。
 佐伯病院長の機構改革構想は、今まで以上に絶対的権限を病院長に集約し、組織的にはフラットなものにするというもので、入院治療の特別室の存在を公然化かつ一本化するというものだった。
 高階は佐伯外科の講師として配下に居ながら、佐伯教授に叛旗翻す立場を選択していく。ここから次期病院長に立候補し、病院長の地位を狙う循環器内科の教授である江尻副病院長、特別室の存在に反対する榊総看護婦長などの間で政策的な駆け引きを高階は初めていく。スリジェセンター創設反対、佐伯病院長の機構改革構想そのものには反対であり、独自の構想を秘める高階の裏工作が始まるのだ。

 一方、見かけの主人公である世良は微妙な立場に置かれていく。スリジェセンター創設のため佐伯外科の医員として2年半という約束で出向させられた世良は、高階研究室に一旦所属を戻し、佐伯外科の医局長に任命されるのだ。そして、天城が目標としているスリジェセンター創設の手伝いをするという立場になる。
 総合外科の一翼である心血管外科の黒崎助教授の配下にあって、心血管外科ナンバー2である垣谷講師がそれまで医局長を務めていたのだ。高階研究室の先輩を飛び越し、世良が医局長に指名されることから、世良の悪戦苦闘が始まっていく。

 天城が行おうとする公開手術を阻止せんとする権謀術数が、大学病院の主導権争いのための権謀術数と微妙に絡み合いながら進展していく。天城は天才的手技を持ち、天翔るナイトであり、独自の高みから、世良を手足に使いつつ公開手術の実施、スリジェセンターの創設を進めて行こうとする。ここに様々な障害が発生してくるという展開である。かなりおもしろい展開となっていく。これまでのいろいろな作品に登場した高階病院長の全くちがった局面が描かれていておもしろい。佐伯教授が高階を小天狗と呼ぶが、まさに面目躍如というニックネームである。

 田口先生の愚痴外来に登場する藤原さんが、本書では榊総看護婦長配下の婦長の一人として重要な役割で登場し、一方、あの早速晃一が渡海教授の申し子と目されつつ、医局新入生として登場する。その若き日のエピソードが挿入されている。また、上杉会長の天城による施術前のこの手術に関する授業に、医学生として、あの彦根新悟が顔を出すのだ。若き日の彦根の思考と行動が描き込まれてくる。
 海堂ワールドの諸作品を読み進めている人には、ジグソーパズルの1ピースがまたもぴちっとはまった感じを受けるに違いない。
 高階、早速、彦根、藤原婦長、猫田、花房など、馴染みの深い人々の1990年代初頭の姿が見えてくる。そして、世良の人生観と生き方を決定づけて行く1991年の悪戦苦闘。
 1992年2月の「冬の手紙」、終章「スリジェの花咲く頃」、世良の人生が大きく変わっていく。この後の世良、つまり、この1991~1992年と極北市での病院再建屋としての空隙に、つぎはどんなジグソーパズルのピースがあるのだろうか? ジグソーパズルはまだまだ終わりそうにない。

ご一読ありがとうございます。

本書に出てくる用語をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
医療費亡国論 :ウィキペディア
吉村 仁   北村健太郎氏
医療費亡国論が医療崩壊をもたらした 小松満氏
医療費は本当に高騰しているのか―その4―医療費亡国論の虚妄
  :「眠れぬ夜に思うこと-人と命の根源をたずねて-」
 
心血管疾患 :ウィキペディア
冠動脈 :ウィキペディア
パルスオキシメーター :ウィキペディア
パルスオキシメーターの原理 :「KONICA MINOLTA」
血管造影検査室 :「中央放射線技術室」(慶応義塾大学病院)
静脈瘤 :ウィキペディア
下肢静脈瘤のお話 :「ゼリア新薬」
グラフト :「看護用語辞典」
手術用縫合糸の種類とその選択 -1-
「溶ける糸」って何日くらいで溶けてなくなるの? :「オペ・ナース養成講座」
人工心肺装置 :ウィキペディア
ダントロレン :ウィキペディア
ダントロレンナトリウム :「おくすり110番」

タンデムシートって何ですか?? :「YAHOO! 知恵袋」
限定解除審査 :ウィキペディア
 


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海堂 尊  作品読後リスト

今までに、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』   宝島社
『玉村警部補の災難』   宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社  
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』  朝日新聞出版


『晩夏 東京湾臨海署安積班』 今野 敏  角川春樹事務所

2013-11-16 10:09:18 | レビュー
 私は今野敏の作品の中で、特にこの安積班シリーズが好きである。東京ベイエリア分署シリーズから始まり、神南署シリーズができ、ベイエリア分署が東京湾臨海署として組織拡大した形で復活したシリーズだ。東京湾臨海署シリーズもこの『晩夏』で8冊目になるようだ。2013年2月の出版である。
 安積班シリーズを必ずしも出版の時系列で読み継いできた訳ではない。かなり前後しながら、気がついた時に一冊一冊と手にとってきた。読後印象をブログに書き始めてから読んだのは東京湾臨海署の『陽炎』であり、この読後印象を載せた時に、安積班のメンバープラス交機隊の早速についてそのプロフィールを冒頭に書き込んだ。『陽炎』の印象記冒頭をお読みいただけるとありがたい。
 http://blog.goo.ne.jp/kachikachika/e/420c276e6e99fa7c5ff253279d7e5f70
 この晩夏では、安積班に新しいメンバーが加わっている。安積班の新顔、巡査部長の水野真帆だ。村雨秋彦、須田三郎と同格になる。「旧庁舎から、今の新庁舎に移る際に、刑事かが増強された。強行犯も、第一と第二に分かれて、人員が補充された。その際に、東京湾臨海署にやってきたのだ。すらりとした見事なプロポーションをしており、誰もが認める美人」(p5)なのだ。この水野が元鑑識係員だった。その経験が本書では安積班に重要な捜査上での貢献に繋がる発言を加えることになっていく。この作品で華々しく活躍する訳ではないが、結果的に要の一つを押さえているという登場である。

 さて8月の終わり、台風一過の月曜日に水上安全課から連絡が入ることで安積班(強行犯第一係)は事件に関わっていく。東京湾臨海署が新庁舎に移る際に組織が拡大されて、水上署が統合されたのだ。海域での事件も安積の管轄になる。漂流していたクルーザーの中から死体が発見されたのだ。クルーザーは曳航されて別館の船着き場に戻ってくる。
 船はポエニクス号。警備艇が発見し、船室内で人が倒れているのを発見。船室は施錠されていたので、人命救助最優先で船室の鍵を壊して船室に入ったが既に死亡していた。原因は絞殺。発見時点で死後約5~7時間が経過するという。被害者は船舶の所有者で、加賀洋、42歳。船舶登記によると会社役員である。船には他に誰もいなかった。台風到来の最中に海上に船がいたことになる。須田がふとつぶやく。「鍵がかかっていたということは、密室殺人ですかね・・・・」
 一方、前日の夜、新木場のクラブの店内で変死体が発見される。台風の最中、クラブのVIPルームを借り切って、パーティが行われていたのだ。連絡を受けて、相楽啓係長率いる強行犯第2係が未明から捜査に着手している。署内で同時期に2つの殺人事件が発生していたのである。
 
 東京湾臨海署で2件の殺人事件発生により捜査本部が2つ立つことになる。安積が関わった加賀洋殺人事件は別館の方に捜査本部が設置されることになる。署内には相楽係長が関わる新木場クラブ殺人事件の捜査本部が立つ。安積たちが再度別館に行こうとしたとき、交機隊の小隊長早速が現れ、安積を別館までパトカーで送ってくれるという。早速は騎士道精神を発揮し、水野も便乗させるという。別館に二人を送りとどけた早速が、なんと新木場の件で身柄を拘束されてしまうのである。
 安積は榊原課長から、早速の身柄拘束について連絡を受ける。安積は呆然となる。
 安積は相楽から、変死体は毒殺によるもので、毒物が入っていたと思われるグラスに、いくつか指紋が残っていて、照合の結果早速の指紋と判明したのだという。そのため、早速は参考人として一旦身柄を拘束され捜査一課の捜査員から事情聴取されているのだ。

 初任科の同期だった早速直樹をよく知る安積は、早速のことが気にかかるが、自分の関わる捜査本部の件を優先させねばならない。安積は警視庁捜査一課の若手捜査員、矢口と組んで捜査にあたるこになる。マリーナへの聞き込みに出かける際、矢口が一人でも大丈夫という言葉により、気がかりな早速の状況を知るために、安積は新木場クラブ殺人事件の捜査本部に行くという選択をする。そのことについて、捜査本部の池谷管理官から渋い顔をされる羽目になる。
 
 安積は矢口と組み、改めてマリーナへの聞き込みに出かけるが、そのプロセスで矢口のエリート意識及び捜査方法に問題点を見いだしていく。この捜査本部での捜査のプロセスにおいて、安積は、自分の部下でもないエリート意識ばかり強い捜査一課の若手を再教育しなければならない立場になるのだ。捜査に対する安積の信念が放っておけないのだ。結局、池谷管理官からは暗にそれを期待され、捜査の途中段階からは捜査一課の佐治係長からも頼みこまれることになる。

 安積にとってはいつものことだが、安積班のメンバーとは捜査情報のコミュニケーションを十分に行い、互いの疑問点を共有しながら犯人究明を行い、捜査本部内での情報の共有化を心がける。水上安全課の吉田係長から得た憶測だがという手がかりも、捜査本部での情報共有を進めようとする。吉田係長は言う。「欲がないんだな、ハンチョウ・・・・」「自分の手柄につながるかもしれないネタだ。それを、佐治なんかに教えちまうってのか?」安積は答える。「手柄なんてどうでもいいことです。一刻も早く、犯人を特定して、身柄を拘束したい。それだけです」
 私はこういう安積の捜査スタンスでのストーリー展開に魅力を感じてこのシリーズを、楽しみながら読み継いでいる。

 早速は捜査一課の捜査員には一切質問に答えないが、安積を指名して話をするという。それに対応し、早速から安積は事情を聞くことになる。その結果、参考人としての任意取り調べであったので、安積の働きかけもあり、その後早速の身柄拘束は解かれることになる。その結果、早速は安積の捜査にパトカーを提供するという形で間接的に捜査に関わり、ある段階から安積の関わる捜査本部の捜査の一員になっていく。
 なぜなら、改めてマリーナで聞き込みをしたことの延長での聞き込み捜査から2つの殺人事件に関連性が見え始めるからだ。早速にとっては、自分が事件の中でなぜかはめられた理由を解明し、事件解決により己にかかった嫌疑を払拭するチャンスとなる。

 安積は矢口と組んでいる。そこに早速が加わる。安積が感じている以上に、早速は矢口の意識と行動に問題を感じる。交機隊で暴走族の若者達を縦横に扱ってきている早速は、早速流の指示命令で、矢口の意識や行動を鍛え直してやろうとする。捜査方法は徹底して安積のやり方を見て学べというのだ。安積は安積で、早速が矢口に対応するやりかたから様々に学んでいくところがあるという展開がみられる。この辺りの再教育の進展が実におもしろくて楽しい。矢口のもつエリート意識とスタンスに対しても、安積の当初の理解と早速の理解は異なるのだ。躊躇する安積に対し一切躊躇をみせず踏み込む早速。この対照的なところもおもしろい。本書を読みながら、この点も楽しんでいただくとよいだろう。
 なぜ、クルーザーは台風接近で嵐がくるかもしれない状況で海に乗り出して行ったのか? 
 そのクルーザーがマリーナーを出航するときには燃料が一杯入れられていたのに、クルーザーが発見されたとき、燃料が空だったのはなぜか? 
 船室に鍵がかかっていた上に、船の所有者は絞殺されていた。誰が船に乗っていたのか、いつどこで船は死体だけになったのか?
 吉田係長との会話、安積班メンバーとの情報共有が基盤となり、マリーナでの安積の聞き込みが次々に疑問解明に結びついていく。

 なぜ、早速は場違いなパーティに出席していたのか? 出席できたのか?
 早速は安積に言う。元都内の暴走族の親衛隊長をやっていた新藤秀夫が早速に招待状を届けたのだ。早速は更正しようとしている元暴走族の面倒見のよさは半端ではないのだ。新藤はあるIT会社の社長の運転手として就職し、気がよく利き、度胸も忠誠心もある点を見込まれて、社長の秘書に出世しているのだ。その社長のコネでその社長も出席予定のパーティの招待状を得たのだという。新藤には社長の発案に従い、かつ世話になった早速への恩返しのようなものでもあったのだ。有名人やセレブの集まるパーティなのだから。 しかし、結果的にグラスに残った早速の指紋が、早速を被疑者という窮地に追い込むことになる。当の社長は嵐がくるからと新木場クラブのパーティには出席しなかった。

 冒頭から2つの捜査本部が立つという筋だったので、ひょっとしたらこの2つはつながっていく展開ではないか・・・と思ったが、どう繋がるかは予測できなかった。やはりうまく仕組まれたストーリーである。
 嵐の海上で、施錠された船室での密室殺人、船舶運転という特殊技術の必要性、嵐の中の出航という非日常性、セレブのパーティという特殊性、現職警察官の指紋が残されているだけという異常性、関係者のアリバイがあるという供述・・・・なかなかおもしろく組み立てられている。そこに優秀だが問題児である若手捜査員の再教育が絡められていく。捜査の原点、基本は何か? 問題の若手捜査員はスマートフォンを駆使したITスキルによる情報収集には長けているが、現場捜査は身についていない。若手捜査員は馬鹿ではない、安積と早速に学び、成長していくのだ。そこがいい。

 あとは本書をお読みいただき楽しんでいただければよいが、少し著者の発想の根っ子ではないかと思える背景に触れておこう。
 「恩を仇で返す」というフレーズのひねりと発想転換。竹取物語のかぐや姫への貴公子の求婚とかぐや姫の難題提示というこのお話の換骨奪胎、発想のひねり。第一印象の思い込みという障害・盲点崩し。アリバイ崩し、など。
 こういう観点は、読後の後智慧でしかないけれど・・・・。
 これを読んでいただいた上で、ストーリー展開の途中で、論理的推論により犯人を当てることができるだろうか。挑戦してみて欲しい。

 最後に、本書の惹かれる文章をご紹介して印象記としたい。
*今の捜査一課の捜査員たちは、探偵というよりも兵隊だと、安積は感じていた。個性を打ち消し、指揮官の方針に盲従する。
 犯罪は複雑化していく。地域社会の崩壊とネットや携帯電話、スマートフォンなどの通信の多様化とスピードアップがそれに拍車をかける。
 そういう時代にあって、探偵的な刑事のあり方はもう古いのかもしれない。だが、それで本当に犯罪者と対峙できるのだろうか。
 社会のゆがみが犯罪を生み出すという人もいるが、突き詰めていけば、やはり人が犯罪を犯すのだ。    p111
*もともと刑事は疑うのが仕事だ。そう言いながらも、どこか人の営みを信じているところがあった。
 だからこそ、人の痛みが理解でき、犯罪者の心理が理解できたのだ。
 矢口は、性悪説から出発している。他の捜査一課の刑事たちもそうなのだろうか。安積は、思った。いや、きっとそうではない。それでは、刑事という仕事があまりにつまらない。  p127
*管理官に言われるままに動いているだけでは、捜査感覚が育たない。近代的な捜査に探偵はいらないと公言する捜査幹部もいるらしい。
 だが、刑事にとって重要なのは、やはり捜査感覚と筋を読む能力だと、安積は思っていた。それがなければ、凶悪な犯人や頭の回る知能犯と渡り合うことなどできない。 p270
 本書では、安積自身が捜査の第一線で行動し、早速が脇役としてサポートする。安積班のメンバーは様々な観点での情報提供、安積班での情報共有に徹した形になっている。安積の捜査行動、管理官たちとのやりとり、実に楽しい。読後はシンプルな構図が見えるのだが、その肉付けはおもしろい。これもマジックの一種かもしれない。

 ご一読ありがとうございます。


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今野敏 作品読後リスト

徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『欠落』 講談社
『化合』 講談社
『逆風の街 横浜みなとみらい署暴力犯係』 徳間書店
『終極 潜入捜査』 実業之日本社
『最後の封印』 徳間文庫
『禁断 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店

=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新1版

『葬式仏教の誕生 中世の仏教革命』 松尾剛次  平凡社新書

2013-11-11 09:45:54 | レビュー
 著者が本書の「はじめに」で触れているが、映画「おくりびと」、本『葬式は、要らない』(島田祐巳著・幻冬舎)、詩・歌「千の風になって」などで、死について、葬儀についての問題に関心が高まっている。そして、現代の仏教界に対して「葬式仏教」という言い方で、その在り方を揶揄する論調もある。それらは、死、葬儀、仏教という宗教について関心が深まっていることの反証であろう。もしくは、改めて問い直そうとまで行かずとも、気がかりになっているということだろう。現代文明の抱える問題がそういう問いかけの動因を人々に起こさせているのかもしれない。

 本書は、現代の「葬式仏教」とネガティヴなニュアンスでの現代仏教の有り様には一切関わらず、逆に「葬式仏教」が如何に成立してきたのかという原点を明らかにしようとしている。まさに、温故知新というアプローチのように思う。出発点を顧みることによって、まさに現在の在り方を見つめ直すことができるということである。本書のサブタイトルが、著者の結論を端的に語っていると判断した。
 日本においては、「葬式仏教」になることがある意味で願望され、それはある種の必然的な潮流であり、実はそこに仏教革命が起こされたのだ。その仏教革命であったものが、江戸時代に川幕府が宗教に対し政策的制度化を加えたことから、変容、変質していく側面が発生し、問題点も出てきた。その辺りをきちんと見つめておくことが大事である。抽象的には、そういう論調だと、私は理解した。
 葬式仏教の成立過程という観点で、今まで日本の仏教を見ていなかったので、学ぶこととが多かった。仏教宗派にとらわれないマクロ的視点で、仏教史の大きな流れについて、知識の整理をすることができたと言える。
 
 著者自身が両親の葬儀を体験したことと、2007-2009年度に、「供養の文化」の比較研究という領域に参画した経験が、本書をまとめる動機になったと、著者は述べている。

 本書は6章構成になっている。章を追いながら、学んだことや印象を要約してご紹介しよう。

 第1章 現代の葬式事情
 日本は法律上も現在、葬儀は火葬だ。葬送法の基本パターンは4つある。土葬・火葬・水葬・風葬だ。この4つあることは知っていたが、これが四元素説(土・火・水・空)と一致するとは考えたことがなかった。著者は、4つの葬送法の事例を挙げながら、存在論との関わりで論じていく。所変われば品変わるではないが、考え方の違いが分かっておもしろい。イスラム教の火葬に対する考え方、韓国で行われている儒教式とシャーマニズム式の葬儀の違い。現代中国での葬儀の例などが採り上げられていて興味深い。エンバーミングという用語を海堂尊氏の小説で知ったのだが、これがアメリカの南北戦争において戦場で死んだ人の死体を故郷に搬送する方法として始まったことを本書で知った。日本にも5人のエンバーマーがいるそうだ。エンバーミングの処理を手がける人のことだ。著者によると、日本でも「今静かなブームを呼んでいる」(p23)とか。

 第2章 風葬・遺棄葬の日本古代
 古代の日本では、「五体不具」の穢れ、つまり死穢-死体に触れたり、葬送、改葬、墓の発掘などに携わったために生ずる穢れ-を恐れたという。『延喜式』では穢れを規定しているということを、本書で知った。著者は何を穢れとしたか、その対処法を具体的に例示している。
 古代の仏教は鎮護国家の祈祷を中心にしたものだが、祈祷の資格を認められた僧団は官僧(官僚僧)だったので、穢れの忌避の義務が規定されていたそうだ。穢れたら規定に従い、穢れの内容に応じて、謹慎しなければならない。だから、死穢に関わる葬儀従事を忌避したという。原則的に官僧と葬儀は切り離されていた。官僧は天皇のために、神事に携わるのだからと。この辺りのことが具体的な文書史料で例を引き説明されていて、おもしろい。
 死んだら、死体は河原などに遺棄されたのだ。著者は『餓鬼草子』の絵を例示して説明する。ここに採り上げられた絵の部分は知らなかった。
 官僧ですら、支援者がいない僧侶なら、僧であっても葬儀をしてもらえず、寺外に捨てられるのが一般的だったと知り、びっくりである。死穢を忌避する心理からはうなずける。関われば自分は謹慎し、勤めを果たせない立場になるのだ。覚悟がいる。
 だから、「延暦寺の官僧たちの葬送共同体として、『二十五三昧会』が始まる理由があった」(p54)という説明に納得である。源信が組織したこの念仏結社についての説明もきっちりなされていて、その必然性がよくわかる。
 官人や官僧にとって死体は穢れた存在と見なされていたのだ。だが、対極において、死者の葬送を望む庶民が存在したのである。著者は当時の説話集から例を挙げている。

 第3章 仏教式の葬送を望む人々
 そこで、中世の鎌倉新仏教が登場する。法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍である。そして、当時の旧仏教の改革派といわれた僧として明恵・叡尊である。それまでの主流が天皇や貴族を対象に官僧として機能していた仏教に対する新興宗教の勃興である。
 著者はそれまでの官僧に対して、これら新興宗教の祖師たちを「遁世僧」と呼ばれていたという。明恵・叡尊も旧仏教の改革の立場から遁世僧となる。
 宗派の思想・理念の違いとは別の局面として、著者は重要な指摘をしている。官僧が死穢を忌避したのに対し、鎌倉新仏教と旧仏教改革派の一群の僧は、死穢の観念を超克していった点である。この視点で第3章が本書テーマのメインになる。
 死体が河原や道路に遺棄される状況と人々が葬送を望んでいるという実態に積極的に対応していくことを自らの仏教理念、実践の中に採り入れ、その行動を合理化し、布教活動を広げていったという大転換である。そこに葬式仏教発生の必然性を著者は見つめていると思う。つまり、「葬式仏教」の発生は鎌倉時代以降の人々の死後に対する願望と宗教的需要に対する積極的対応でもあったのだ。つまり、現在の一種制度化した「葬式仏教」の現状に慣れた視点、表層からアプローチした批判の対極として、「葬式仏教」を求めていたという原点から見直すことの重要性を間接的に著者は問いかけているのではないだろうか。原点回帰したところから「葬式仏教」の在り方の見直しがいると受け止めた次第である。

 この第3章から学んだ点が多い。周辺の知らなかった事実と合わせて、その要点と感想を列挙してみよう。著者の具体的な実証的説明は本書を開いてご一読いただくと理解が深まると思う。それが「葬式仏教」を原点から再考する契機になる。
*奈良・平安時代と続いてきた「官僧世界が乱れ、もう一つの世俗世界になっていた」(p73)という背景がある。
 乱れの一例として、東大寺の華厳学の碩学・宗性(1202-78)の事例が載っている。
*官僧は死穢を忌避し、死体に近づかないようにした。それは、上掲の『延喜式』での規定とともに、「官僧が触穢を嫌ったのは、厳格な聖性(清浄さ)を求められる天皇に奉仕し、鎮護国家の法会に携わったからである」(p91)と著者は説明する。民衆とは隔絶していた背景があるのだ。彼ら僧は民衆とは無縁だったのだ。
*官僧の袈裟が白衣に対し、遁世僧は黒や墨染めだったという。官僧の白衣は知らなかった。
*遁世僧の活動により、極楽浄土、兜率天浄土など、浄土に往生するという「死生観」「来世観」が一般に広まりはじめた。それ以前の古来からの「あの世」観とは異なる死後の世界観が確立される。極楽浄土と阿弥陀信仰、兜率天浄土と弥勒信仰がその事例である。
*人々が葬送を行うことと往生を願うことが、遁世僧が葬送や法事を担っていき、浄土往生の導きを実践することになる。葬式に組織として取り組み、法事を整備して行ったという。「遁世僧教団こそ葬式を担う仏教教団であったといえる。」(p88)
 この「死体観」「穢れ観」の変容がやはりエポック・メーキングなのだろう。
*本書で初めて知ったこと。14世紀前半には、遁世僧が、天皇の葬式すら一手に担うようになったそうだ。史料事例で説明が加えられている。 p88-89
*死穢を乗り越える論理が確立されていく。このことが基幹になったのだろう。著者はいくつかの観点から実例で論理展開していて、わかりやすい。
 ・奈良西大寺の律僧叡尊教団が、光明真言会で加持した土砂による死者の救済
 ・慈渕房覚乗(1275-1363:西大寺第11代長老)の「清浄の戒は汚染なし」の論理
 ・念仏僧の死穢観「往生人に死穢なし」という考え方が確立されていく。
   源信が『往生要集』に記した臨終行儀は死穢観として注目すべきと著者は書く。
 ・遁世僧の念仏教団の成立により、官僧の制約からの自由が葬送従事を進展させる。
  つまり、念仏により死を悼むという葬送儀式による「死体往生観」の成立である。
 ここで死体は「穢れた存在」から「仏」へと「死体観」が転換するのだ。
*禅宗が『禅苑清規』という禅宗寺院における生活指導規範を中国から導入し、日本における禅宗の教団規範を制定して行ったという。これが中国における葬儀システムを日本に導入することになり、日本の葬儀の在り方に影響を与えて行った、つまり論拠づけになったのだ。著者は淵源となった『禅苑清規』第7巻の「亡僧」規定と「尊宿遷化」規定について具体的に解説している。
*第3章の末尾で、親鸞の曾孫覚如の『改邪抄』を引用し、親鸞の葬送観に触れている。葬式と信心の問題に触れていておもしろい。「葬式仏教」化の批判はかつてもあったのだ。だが、現代はその葬式仏教化批判の論点の変質も加わっているように思える。

 第3章で認識を新たにしたのは、「近年の研究では、・・・鎌倉新仏教勢力は鎌倉時代(1180-1333)にはマイナーでほとんど影響力を持たなかったことがわかってきた。彼らが影響力を持ち出すのは15世紀以降」(p70)という指摘だ。その状況についても本書で説明を加えている。参考になった。
 
 第4章 石造の墓はいつから建てられたか
 私自身、かなり古くからあるのだろうと勝手に思い込んでいた。石造墓を建て詣でる習慣は、「その時期は、12世紀後期から13世紀の中世成立期以来であると考えられている」(p112)そうだ。本章では事例を駆使しながら具体的に論述されている。
*巨大な五輪塔、板碑、宝篋印塔などが現存するが、それらの多くは惣墓として作られたものが多い。
*中世において板碑が数多く建立され、東北・関東に多い。供養塔から墓所の役割を持つように変化している。
*律僧が死後の火葬の後にいくつかの石造塔に分骨を託しているのは、弥勒下生に備えるためだったそうだ。56億7000年後の弥勒下生の三会による救済を願ったためだという。どれかを見つけてくれるのではないか、というリスク分散をしたという。また、石造塔を巨大にしたのは、大きいと発見してもらいやすいと言う発想だとか。おもしろい。
 著者は、石造の墓の起源となる各種惣墓を中心に説明し、惣墓の担い手となった念仏講衆、六道講衆にも触れている。惣墓が個人墓に変遷していく過程を学んだ。

 第5章 葬式仏教の確立
 本章はわずか11ページである。葬式仏教の「成立」に主眼があったためだろう。一方.葬式仏教の「確立」を考証するには別の1冊が必要となるからかもしれない。だが、現在の「葬式仏教」批判の論点を読者が再考するためには、確立の段階を抜くわけにはいかない。ということで、簡略に結論部分が記されたのだろうと理解した。
*鎌倉仏教(遁世僧)教団の僧侶が葬式従事することで、葬式仏教が始まった。しかし、中世は檀家(檀那ともいう)と寺院の関係は固定的ではなかった。
 その状態で、16世紀から17世紀は鎌倉仏教系寺院が続々と建立される勃興期だった。
*江戸時代に日本人はすべて仏教徒とされ、寺院との固定的な檀家関係を強制された。
 その背景には、江戸幕府のキリシタン禁圧政策として寺請制度と宗門改制度を導入していったことがある。この政策が、強制された檀家制度を生み出すのである。
 江戸時代を通じて、一家複数寺檀制の許容が、一家一寺檀制に変化していった。19世紀には、その志向がみられるという。
*江戸時代において、葬式仏教の確立と寺請・檀家制度の確立が、一面において弊害をもたらし、仏教者の堕落を生み出している事実をも著者は例証している。
 つまり、中世以降、いつの時代も葬式仏教の批判は絶えないということか。
*本章末尾で、位牌の一般化の経緯にも触れていて、興味深い。
 禅宗が位牌を日本に伝えて、広まった。一般民衆の位牌が現れるのは室町時代末期以降。初期はもっぱら寺院に位牌を安置、個人宅に位牌を祀るのは江戸時代から。仏壇の普及は17世紀からだという。
*公式に僧侶の妻帯を是認した真宗寺院が檀家との関係維持がしやすく、結果的に寺請制度に適合的であり、江戸時代に大いに展開したという社会的な視点は興味深い。

 終章 葬式仏教から生活仏教へ
 わずか5ページの章である。本書のテーマから外れるが、現在にも最小限言及しておかないと、一般読者向としてはすこし収まりがつかない。現状の「葬式仏教」についての著者の見方をアイデア程度にまとめたという章だが、著者の意見が窺えて区切りがつく。この見出しでも別に1冊の書にしなければならないテーマになるものと思う。
 著者は葬式は人間の根源的な願いであるという立場に立つが、世界観、死生観の多様化により葬式の持つ意味の変化を指摘する。法務省が節度を持った自然葬を公認した事実にも言及し、「日本仏教の存続・発展のためには、葬式や法事のみならず、普段の檀家との交流によりいっそうの努力が必要であろう」と述べている。つまり「人々の暮らしに根ざした『生活仏教』へ変わってゆく時に来ている」という。僧侶が「彼岸」から「此岸」に関心をシフトさせ、普段の檀家との交流の努力を提言している。
 言われてみると、確かに月参りでの読経と回忌の法事、葬式儀式、行事としての法会くらいしか、普段の接点がない事実に改めて気づく。それなら、「生活仏教」とは、どんな関わり方になるのか。僧侶側だけでなく、檀家側も考えてみるべき課題のように思う。「交流」は双方向で成り立つのだから。著者はこのテーマでいつか本を書くのだろうか。

ご一読ありがとうございます。


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本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。

葬送の自由をすすめる会 ホームページ
自然葬 :ウィキペディア
散骨  :ウィキペディア
散骨の法律的課題:「キリスト教会葬儀研究所(Christ Church Funeral Institute)」
 
墓地経営・管理の指針等について 厚生省生活衛生局長

シャンティ国際ボランティア会 ホームページ
れんげ国際ボランティア会 ホームページ
 

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)



『法服の王国 小説 裁判官』 上・下  黒木 亮  産経新聞出版

2013-11-07 09:19:43 | レビュー
 三権分立という言葉に初めて接したのは中学校の社会科の教科書だったのだろうか。立法・行政・司法がそれぞれ独立し相互に牽制できるパワー・オフ・バランスが働く均衡関係があってこそ民主主義の精神が発揮されるという理念を学んだように思う。モンテスキューの「法の精神」という言葉もその頃だったか・・・・。
 本書は「司法」の立場を担う裁判官の理念・思惟・思考・行動という切り口から「司法」問題に光を当てている。「司法」という抽象的なものが存在するのではなく、司法をどう成り立たせるかは裁判官にかかっている。その実態はどうなのか・・・・そこに著者の大きなテーマがあるのだろう。その直接のトリガーとなったのが、東日本大震災における福島第一原発爆発事故の発生なのではないか。
 そう思うのに3つ理由がある。1つは、本書が2011年7月21日から2012年9月30日にかけて新聞の連載小説として書き始められたものであること。2つめは下巻の末尾に「法律・原発関係用語集」が掲載されていること。3つめが、本書のプロローグと小説末尾の終わり方にある。
 プロローグに本作品の中心人物が3人登場する。東京高裁長官・津崎守、弁護士・妹尾猛史、金沢地裁裁判官・村木健吾である。その3人の思いが冒頭に描き出される。その思いは、金沢地裁における日本海原発の一審判決をどうするか、どうなるかという点で収斂している。村木健吾は1審判決を下す立場であり、妹尾猛史はその裁判の原告弁護団の一員である。そして津森守は司法組織の頂点に近い立場からの判決の行方への思惑である。 一方、本作品の最後を著者は、次の情景描写で終わらせている。

”「・・・・東京電力では『放射線は爆発によって漏れなかったのではないか』と話しています。また、枝野官房長官は、避難指示対象地域を半径20キロに拡大したことについて、『新たなリスクはないと判断したが、念のために万全を期すためのもの』と説明しました。
 アナウンサーの言葉を聞いて、村木は唖然となった。
 水素爆発が起きるようなときは、必然的に大量の放射能が漏れている。それはスリーマイル島やチェルノブイリの事故でもまったく同じである。
 (ついに、この日が来たのか・・・・・?!)
 テレビ画面を凝視する村木の脳裏で、「天を恐れよ」の大漁旗が禍々しく翻った。”

 本書には少なくも3つの切り口がありそのテーマが描かれて行くと言えると思う。
 第1は、三権分立でいう司法権の独立とは何か? 司法権は真に独立出来るのか? という切り口である。司法権という抽象概念は独立して存在しない。裁判官という人間が理念として掲げ、司法権として理解し実践する裁判官個人の判断並びに裁判所という組織内での累進裁判を通じた判断という2つのプロセスで具現化されるにしか過ぎない。だからこそ、法の規定、法の精神に照らした公正中立な判断とは何かが、独立した裁判官個人並びにその集合体が形成する裁判所組織の生態を通じて描かれている。「小説 裁判官」は個々人の裁判官の生き様を象徴し、「法服の王国」は裁判所組織の中で、まさに「王国」を築かんとする上層部の人々の有り様を象徴していると思う。事実情報に基づく実名の裁判官、モデルは存在すると思いたくなるがフィクションとして描かれた裁判官が巧みに組み合わされている。
 第2は、過去の判例を踏まえながら、昭和から平成にかけての裁判事実を本作品の中で、そのテーマとの関わりの中で示していくという切り口である。それはまさに司法権の重要性に関わる重要裁判例の事実情報が本作品に絡められている切り口である。ある意味で第二次大戦後における日本の裁判史とでもいえる。それは判決から見える司法権の実態である。
 第3は、原発裁判が日本においてどのように取り扱われてきたかという切り口である。ここでは過去の事実としての裁判闘争史についての事実情報の提示とその経緯を下敷きにして、フィクションとして設定された原発(日本海原発)の一審判決に至るプロセスが本作品の第1章から時間を追いながら、村木健吾の裁判官としての生き方と同時並行で描写されていく。日本海原発は現実にはモデルとなったと推定できる原発が存在するように思うが、作者はそのネタに他の原発設置に関わる様々な行動事実、リスク要素、人間葛藤を加えて枝葉を伸ばしフィクションとしてここに提示したのだろう。

 さてそれでは、この3つの切り口から、読後の印象記を少しまとめておきたい。

 まずは第1の切り口。
 裁判官も人の子。法に対して、法の下においてのみ、厳正中立な思惟の結果判決を下すことが至難の業であることを痛感する。裁判官がまず抱いている理念・思想・信条・信念などがその人の判決に現れざるを得ない。それが人間の業でもあるのか・・・という思いである。裁判官も人間、そこには裁判所という組織体制の中での、出世欲求、支配欲、あろいはサバイバルの気持ちが渦巻いている。所詮、人間集団なのだ。会社という実業社会、他の官僚組織社会、芸術・芸能という文化集団・組織の社会と何ら変わらない局面を持った人間集団なのだ。だからこそ、法の理念を優先して判決するという裁判官が現実に割りを喰うという形で、パワー集団組織が形成維持されている。それが現実なのか。だからこそ、司法権の理念とその発揮が常に問われなければならないのだろう。
 ここで本作品の登場人物を図式化しておこう。それらの人々がどういう関わりを持ってヴィヴィッドに行動しているかを楽しみながら、裁判について考えてみることができる。
村木健吾: 中央大法学部卒。新聞販売所でアルバイトをし、司法浪人後に修習22期。
 「良心に従ってその職権を行い、憲法および法律のみに拘束される」裁判人生を歩む人。その理念を実践するために青年法律家協会(略称・青法協)という法律家の団体に加入する。この青法協加入が裁判所組織のトップに立つ裁判官からは忌避される原因になる。リベラル派とみられている。
津崎 守: 東大法学部を卒業し、修習22期。父は横領罪で逮捕され、刑務所入り。母はその半年後に脳溢血で死亡。高校1年から自活し、奨学金生となれたことで大学卒業後、修習生・裁判官の道を歩む。村木とは対極の道を行く。弓削晃太郎に白羽の矢を立てられる人物。結果的に弓削路線のもとで、裁判所組織の頂点に登りつめて行く。現場の裁判官よりも裁判行政官のキャリアを主軸に出世していく。判断基準は裁判所組織の独立、存続、強化に立脚する。
妹尾猛史: 能登半島出身。法律家になれる力量などないと思っていたが、村木と同じ新聞販売所で知り合い感銘を受け、弁護士事務所でのアルバイトなどでを経て、司法浪人後、弁護士となる。その経験から、原発裁判闘争の原告弁護団の一員として活動していく。妹尾の弁護士としての生き方に、西野正和など原告弁護団として参画している弁護士の影響が大きい。能登半島では、日本海原発の建設・稼働問題が争点になる。妹尾の父は海を守るために反対派の先頭に立つ人物。一方、妹尾の兄は、地元の北越電力に入り、原発建設を推進する仕事に就くというこれまた、対極に居る形の家族が描かれる。
弓削晃太郎: 司法行政の権化のような人物。最高裁長官として裁判組織の頂点に登り詰めた人物。司法行政官の道をメインに歩み、「司法の巨人」と恐れられ、「裁判所を壟断した」とも批判される人物。己が裁判組織の実権を掌握して、自らの司法像を実現することを心に抱いていて、着々と手を打っていく。そのためには手段を選ばないし躊躇しない。青法協の抑圧をはかる。青法協の加盟者からみれば、弓削は保守本流の最たるものに見えるが、弓削自分自身は自らを野党だと考えている。
このほか、青法協の関連での繋がりとして、山口治雄や須藤正文がそれぞれ重要な役割を担っている。山口は15期の将来を期待される裁判官だがその過激ぎみな発言と行動が禍し、青法協に属することが障害となるが信念を曲げない人物。大坂地裁で村木との連携が始まる。須藤は村木と同期であり、同様に信念の人である。青法協に所属という点で、村木と同様に、地方の現場裁判官としてどさ回りをさせられる境遇である。しかし、彼らは裁判の判決においては一目置かれる質の内容でレベルを築いていく。力量はあるが、出世志向の対極に居る16期の緑川壮一や23期の黒沢葉子を配している。判決を己の出世や裁判組織の体制を考慮して、論理づけていく輩である。黒沢はまさにその思考法や志向において村木の対極にいる人物といえる。

 第2の切り口は昭和・平成の裁判史的局面である。昭和・平成という時代を自分の人生として生きてきた立場で本作品を読み進めて行くことのいなった。同時代を企業人として生きてきたのだが、企業に直接関わる局面、たとえば公害・環境問題などを除くと、如何に重要な裁判判決の結果とその影響に関心が薄かったかということを痛感している。改めて、昭和という時代が司法の視点からみて、何が問題だったかを改めて認識している次第。最高裁裁判官に対する投票の意義を改めて考えている。日頃から最高裁判決その他時代を左右する各種裁判には関心を深めねば・・・という思いが強くなった。読後の余録である。
 さて、本作品にはエポック・メーキングな裁判事例が事実情報を提示しながら、本作品の主要人物の生き方、行動に絡められて、フィクションの中に取りこまれていく。その局面は原告・被告を含め関係者の実名や実判決内容が書き込まれていく。実名証言が小説の展開の中で組み込まれる。だから、裁判史の側面を併せ持つといえるのだ。どんな裁判事例・判決例が累積されていくか並べてみよう。あなたは、これらの裁判事例を認識され、あなたの意見を持っておられただろうか。
 ・全逓東京中郵事件 (昭和33年春闘:争議行為禁止規定の合憲性)
 ・長沼ナイキ訴訟事件(昭和43年提訴、昭和48年一審判決) →第2章タイトル
   平賀書簡事件 裁判所所長が、裁判官に異例の”干渉”
   第8章で、最高裁判決の言い渡しが描写される
 ・宮本康昭裁判官再任拒否事件
 ・東大本郷キャンパス占拠事件 (石田和外長官が被告の欠席裁判を指示)
 ・津地鎮祭事件(昭和40年1月、津市立体育館建設の地鎮祭。昭和42年3月一審判決)
 ・イタイイタイ病訴訟事件 (昭和43年訴訟提起、昭和46年6月一審判決)
 ・新潟の第二水俣病(有機水銀汚染)裁判 (昭和46年9月患者側全面勝訴判決)
 ・最高裁 坂口徳雄の法曹資格回復 修習生再採用決定判決(昭和48年1月)
 ・伊方発電所原子炉設置許可処分取消請求事件(昭和48年8月提起の行政訴訟)
   →第5章「原発訴訟」と第6章で、伊方原発訴訟の証人尋問が描写されている。
    第7章「裁判長交代」も小説展開の中で、証人尋問として事実累積が加わる。
    第9章で控訴審の判決を描写
 ・最高裁第一小法廷 白鳥事件の再審請求に対する判決 「白鳥判決(通称)
 ・ロッキード事件 →フィクション描写で経緯を点描
 ・裁判官弾劾裁判 概略事実の描写 鬼頭史訴追、谷合克行訴追
    安川輝夫の事例を弾劾裁判逃れの手にでたもの。裁判経緯を描写。
 ・梓ゴルフ倶楽部事件 (昭和56年4月~7月) 
 ・大東水害訴訟 最高裁判決 昭和59年1月 →この後、住民勝訴から敗訴に転喚。
 ・福島第二原発訴訟(原発設置許可処分取消し請求) 第一審判決 昭和59年7月 
 ・有責配偶者からの離婚請求事件 最高裁判決を描写。
 ・御巣鷹山日航ジャンボ機墜落事故損害賠償請求訴訟 平成3年3月一審判決
 ・『智恵子抄』事件控訴審 平成4年高裁判決と平成5年3月の最高裁第三小法廷判決。
 ・秩父じん肺訴訟 平成11年4月 浦和地裁熊谷支部一審判決 原告勝訴
   →第11章でこの訴訟が裁判長となった村木健吾の判決として利用されている。
 ・「もんじゅ」設置許可処分の無効訴訟 平成15年1月 名古屋高裁金沢支部の判決
   →原子炉設置許可は違法とした。原発訴訟史初の住民側勝訴判決となる。
 ・住基ネット差し止め訴訟 石川訴訟判決、大坂高裁判決  違憲と判断
   → これに対し、福岡地裁は合憲判決を出している(2005.10.14)
     この差し止め訴訟の石川、大坂の判決がこの小説で利用されている。
・浜岡原発訴訟 平成19年10月 静岡地裁一審判決 原告敗訴
裁判事例ではないが、重要な側面としての事件描写に次のものが書き込まれている。
 ・女性修習生への差別発言事件 (対第30期修習生。衆議院法務委員会答弁で描写)

 裁判史を通覧しているという感じがしないだろうか。司法における法の解釈においてもその判断基盤が緩やかに変化する局面と厳然として変化させようとしない局面があるように思う。

 第3は原発推進という国策を、司法は厳正公正に中立的な立場で法の解釈をして来なかった。原告がいくら原発に安全性の点で問題があるとデータを積み上げ立証しても、論点をずらせて、その主張を取り入れようとはしてこなかった。その結果が、福島第一原発の爆発事故に繋がるのだ。著者の捉え方はその経緯を明らかにしているのではないか。
 少なくとも、日本国において司法は行政寄りに、法の解釈を行い判決を導いて来た。地裁という下級審で厳正中立で、ある意味新解釈による革新的な判決が出てきても、それが国策の根幹に影響する場合は、高裁、最高裁で大きく軌道修正するか、否定してしまう。それが日本の裁判制度の現実だと、著者は示しているように思う。
 改めて、その現実からの脱却が必要ではないかという問いかけなのではないか。司法権の独立とは何か? 我々一人一人が再考するとともに、裁判というものをモニタリングする必要性があるといえそうだ。裁判員制度の存在意義を見直してみることも必要な気がする。法の公正な解釈の根底に、やはり世間の普通の社会人が常識的に納得でき論理が内包されているところから出発するのではないかと思う。
 法服の世界に「王国」が構築されることをまず破壊することから始まるのではないか。法服を纏い、裁判組織のトップに立つ個人の信条・思惟に左右される王国が司法の世界に存在してはならないだろう。それは、左手に天秤を持ち右手に剣を持つ女神の天秤が最初から均衡していない不良品であることを意味するのだから。

 「法服の王国」というアイロニカルなタイトルのもとで描かれた裁判官の実態。そこから、再度司法権をみつめ直すきっかけと刺激を与えてくれる作品になっている。ドキュメントタッチの手法を使い、ポンと実態を明るみにさらけ出した現状認識のための情報提示の書と感じる。司法の再構築は、国民みんなが考えなければ改善されないよ、という投げかけなのだろう。ここに在るべき論や方策は明示されてはいない。

 本書からいくつか印象の強い文章を引用し感想も付記したい。

*マル政というのは、自民党が最重要と認めた予算要求項目にマル印を付けるもので、当該予算はほぼフリーパスで認められる。・・・結局、マル政と引き換えに、判決や司法行政で自民党に譲歩することになるわけですから・・・それは、国の根幹的な制度である自衛隊や原発を否定する判決を出さないことや、青法協会員裁判官を弾圧することにつながる。 上巻・p242
 → こんなやり方が今も継続されているのだろうか?
*一部の局長は、部下の課長や局付を引き連れて、しょっちゅう高級寿司店や高級クラブで飲食し、それを会議費で落としている。これは事務総局の長年の習慣である。 上巻・p244 
 → どこの世界も同じということか? 組織の私物化は人間の性?欲望の発露?
*裁判において国の代理人を務めるのは法務省だが、同省は検察官の集団であるため、民事や行政訴訟の経験は皆無といってよい。そこで毎年十名を超える裁判官が法務省に出向し、身分を検事に変え、訟務検事として国の代理人になる。肩書が検事なのでまぎらわしいが、やるのは弁護士の仕事である。彼らは、任期が明けると、再び身分を判事(補)に戻し、裁判所に復帰するが、復帰後も訟務検事時代の発想が抜けず、国側に有利な判決を下す裁判官が少なくないといわれる。青法協会員であることが「公正らしさ」を損なうというなら、訟務検事のほうがもっと損なっているという批判は根強い。 上巻・p333
 → こういう配置システムがあることを初めて知った。厳しい裁判の矢面に訟務検事として立たされれば、そんなスタンスから抜け出られなくなるのもわかる忌がするが、それなら、やはり大きな問題だ。
*エリート街道を歩んでいる裁判官であれば、自分の経歴に傷を付けたくないので、判決は自ずと保守的になる。  上巻・p340
 → これって、左手の天秤が最初から傾いていることなのでは? 
   一人の人間が「公正」に判断するといことはもともと至難の業なのか・・・。
*京大の原子炉実験所の研究者たちが原告側を強力に支援していて、証人尋問で、国側の証人を次々と論破しています。  上巻・p392
 → これは伊方原発訴訟におけるいわゆる「熊取六人組」をさしている。物理的現象の安全性が論理的に論破されても、裁判には影響が出ないというのは、裁判の論理にどこか別次元の論理が政策的に加わっているということではないか? 安全性を法的手続き問題次元にすり替えているのだろうか。そうとしか思えない。
*大きな事件の判決だが、司法の独立を信念とする村木は、何物にもとらわれず、自然体だった。  下巻・p268
 → 村木は小説として登場する裁判官だ。「司法の独立」を信念とし、法を基準にして、法の規定する「人権」をベースに、「何物にもとらわれず、自然体」で判断している裁判官が何人現実に存在するのだろうか・・・・。わかるものなら知りたいところである。

 安全性は満たしているという判決を下し続けてきた大多数の原発裁判。2011年3月に、現実に「ついに、この日が来た」のである。安全ではなかった原発という事実が。様々な理屈があるようだが、原発が爆発した事実は歴然としている。数多の原発裁判の判決が、事実によって否定されたのではないか? 司法の独立をこの原点から再構築しなければならないのだろう。懲りない人々が再び蠢動し始めているように思うがどうなのか・・・・。

 様々な裁判官や弁護士の思考と行動及びその行方を楽しみながら、また原子力ムラの人々の発言事実を知りながら、司法の独立について考えていくうえで、有益な小説だ。読み応えがあった。事実は小説より奇なりという。司法の実態はこれ以上に怪奇なものなのだろうか。


 ご一読ありがとうございます。

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本書の関連で関心を持ったもののいくつかをネット検索してみた。検索し出せば膨大になりそうなので、一部だけに止めた。リストにまとめておきたい。

裁判所 ホームページ
  最高裁判所  
青年法律家協会弁護士学者合同部会 ホームページ
司法試験 :ウィキペディア
司法試験合格率26.8% 法科大学院敬遠の傾向強まる  2013.9.11
   :「朝日新聞デジタル」
司法修習 :ウィキペディア
司法研修所 :ウィキペディア

離婚は"マルイチ" 苦しむ女性に勇気を・女性差別と闘う弁護士 なかむらくるみさん

司法研修所の現状を告発する -法曹養成制度改革の出発点-
   青年法律家協会弁護士学者合同部会
裁判官弾劾裁判所 :ウィキペディア

有責配偶者からの離婚請求についての判例 :「弁護士河原崎弘」
ニッチツに二審も賠償命令-秩父じん肺訴訟:「労働政策研究・研修機構」
秩父じん肺訴訟が一部和解 ニッチツ和解金支払い 2003/07/28 [共同通信]
消滅時効と損害論 - じん肺訴訟を中心に -  松本克美氏 立命館法学
 
住民基本台帳ネットワークシステム :ウィキペディア
住基ネット高裁判決。プライバシー侵害で違憲。裁判長は自殺:「てらまち・ねっと」
 
長沼ナイキ事件 :ウィキペディア
福島重雄 :ウィキペディア
臨時総会・平賀・福島裁判官に対する訴追委員会決定に関する決議
 :「日本弁護士連合会」ホームページ
「裁判官の独立」を蹂躙する「行政」-長沼ナイキ訴訟の裏側
  :「ニッポンを改造するBYかんすけ」
事件名 保安林解除処分取消  :「裁判所」
 
最高裁判所長官 :ウィキペディア
石田和外(裁判官) :ウィキペディア
矢口洪一 :ウィキペディア
 
全国原発訴訟一覧 :「原発と人権ネットワーク」
 

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『継体天皇と朝鮮半島の謎』 水谷千秋 文春新書

2013-11-03 23:09:02 | レビュー
 ある史跡探訪講座に参加して、滋賀県の湖西、高島市に所在の鴨稲荷山古墳と高島市歴史民俗資料館を初めて見たのがきっかけで、それ以来継体天皇に関心を抱き始めた。そして別の探訪企画に参加して、何度か現地とその周辺の古墳遺跡・史跡を訪れている。この6月に、著者の前著『謎の継体大王 継体天皇』(文春新書)を読んだ。この書は2001年9月に出版されていて、本書の「はしがき」には、「私にとって初めて書き上げた新書」だったという。前著を読んだとき、初書きの新書と書かれていたかどうか記憶にない。本書が出版されていると知ったのも、異なる視点からの高島市史跡探訪の数度目のときだった。

 本書は2013年7月に出版された新書である。つまり、12年の歳月を経て継続的に研究されてきた成果、持論の一端が古代史に興味を抱く読者向けに書かれた新書だと言える。

 著者は文献史学を専門とする研究者である。その著者が「あとがき」で継体天皇をめぐる研究状況について、「今やこの分野の主役は文献史学から、考古学を中心とした研究へと交代したかんさえある」とその冒頭で述べている。筆者は自ら専門的な考古学の手ほどきを受けていないという。そこで、「ただできるだけ現地に足を運ぶこと、論文その他から吸収した近年の膨大な考古学の成果を自分なりに咀嚼し、これを文献から行った自らの考察と突き合わせ、総合化し、できるだけ客観的な歴史像を構築して行くことしかできない」(p247)という認識のもとで、諸研究・諸史(資)料との格闘の結果を本書にまとめたという。
 そういう観点だからだろうか、考古学的情報については諸研究成果の事実や論点の結論部分を巧みに採り入れて紹介し、時には疑問を呈し、文献史学的視点と比較検討しながら論を進めている。考古学の発掘プロセスの詳細な事実や論争点の細部へ踏み込むことがない分、素人には読みやすい形になっている。

 前著は今城塚古墳からの大量の埴輪群発掘成果の報道前に書かれた本であり、高島市の現地古墳群を高島市歴史民俗資料館の白井氏の案内を受けて訪ねて回ったという探訪プロセスでの体験と思索を記しながら、継体天皇の存在に迫っていくというものだったと記憶する。本書では、それから10年という期間の研究がやはり濃縮されているように感じる。また、文献史学的立場だからこそ、立論を進めることができることかもしれないが、著者の所見、仮説をかなり大胆に本書で提示されているように思う。継体天皇をめぐる諸状況について、本書を読み、一歩踏み込んで理解を深めていくことができた。

 本書の構成を目次の見出しでご紹介しておこう。
 第1章 新たな謎の始まり
 第2章 近江国高島郡と継体天皇
 第3章 継体天皇のルーツを探る
 第4章 冠と大刀
 第5章 継体天皇と渡来人
 第6章 有明海沿岸勢力と大和政権
 第7章 百済文化と継体天皇
 終 章 継体天皇とは誰か

 著者が継体天皇のプロフィールとしてまとめた結論(持論)を最初に箇条書きでご紹介しよう。本書を読む楽しみは、なぜそういう推論、仮説が立論できるのか、という部分にあり、その思考並びに分析プロセスに沿って考えてみることこそ読者の楽しみと思うからだ。(著者の見解について、誤読箇所があるかもしれない。その点お断りしておきたい。本書を読まれて、気づかれた点があればご教示いただきたい。)

 終章を基軸に、関連章とも絡めて要約してみたい。
 継体天皇は、
*近江湖北の出身である。幼少時に母の里越前三国・高向で育つ(-著者はこの点に疑問符をつけている-)が、基盤は現在の高島市地域にある。
 継体の母布利比売(振媛)の母方は余奴臣(江沼臣)-現在の石川県加賀市を本拠とした豪族-だが、父方は近江国高島郡の豪族、三尾氏であった。
*近江湖北を基点にして若狭、越前、美濃、尾張などを勢力の背景基盤とした。
*秦氏など渡来人を重用した。高島には渡来人との共存が見られ、若狭には秦氏がいたという事実がある。継体と渡来人の関係は深い。
*奈良大和との関係では、物部氏、大伴氏、和爾氏、阿部氏ら豪族の指示を受けた。
 しかし、葛城氏(旧勢力の代表的存在)とは対立関係にあったようだ。
*近江高島の鴨稲荷山古墳で発掘された広帯二山式冠や捩り環頭大刀を、朝鮮半島で活躍し帰国した各地の首長に与え評価するという方法を採った。雄略天皇のやり方を採り入れている。著者は鴨稲荷山古墳の被葬者の半島渡海経験すら想定してみている。
*継体自らも半島に渡り、帰国した首長の一人だったのではないかと著者は推論する。
*若狭、日本海経由で継体は九州有明海の勢力との連携があった。
*継体は半島の武寧王と厚誼の関係、協力関係にあった。『日本書紀』から武寧王は461年生まれと推定できる。一方、継体はほぼ同年代だがやや年長だったようだ。
*継体は「礼」の導入により、中国を中心とする東アジア文明への参入、グローバルな文化の構築をめざした。

 この継体のプロフィール理解に大きく関係するが、著者は本書でいくつかの推論・仮説を提起している。このあたりが研究を進展させた結果なのだろう。その論理展開が興味深い。古代史理解の広がりがでてくるように思う。その仮説とは、
*三尾氏や彦主人王は渡来人と同じ集落で生活し、大陸文化をいち早く取り入れ暮らしていた。そこが継体の育成環境である。
*彦主人王と継体天皇の父子は続けて高島郡の三尾氏から妻を娶っている。彦主人王と三尾氏のつながりはきわめて太い。彦主人王は三尾氏の本拠地に寄寓していた。
*継体の曾祖父は意富富等王であり、系譜上、息長氏・坂田氏
とは同祖関係となる。
 息長真手王(息長氏の祖先)と坂田大俣王(坂田氏)はおそらく意富富等王の子孫。
 息長氏、坂田氏の本拠地は坂田郡(現長浜市・米原市地域)で高島郡の対岸になる。
*著者は湖北の諸古墳群発掘調査成果を踏まえて、被葬者推定の試論を提示している。
  長浜茶臼山古墳: 中央からこの地域に土着したいわば初代の王墓 ←長浜古墳群
  村居田古墳(450~470年代): 意富富等王(若野毛二俣王の子) ←長浜古墳群
  垣籠(かいごめ)古墳: 坂田大俣王 ←長浜古墳群
  塚の越古墳: 継体の祖父・呼非(おひ)王 ←息長古墳群
  田中王塚古墳(5世紀後半): 継体の父・彦主人王 ←高島郡
  山津照神社古墳(6世紀前半~半ば): 息長真手王 ←息長古墳群
  鴨稲荷山古墳: 継体の長子大郎子(おおいらつこ)皇子 ←高島郡

*息長真手王は乎非王の子孫であり、継体のいとこではないかと推論
  → 息長真手王は継体に娘を后妃として送っている。(坂田大俣王も同じ)
    また、継体の孫にあたる敏達の皇后広媛の父でもある。
*坂田郡に古くから原・息長氏のような土着豪族が存在。そこに若野毛二俣王が婿入りする形で入る。「咋俣長日子(くいまたながひこ)王」が若野毛二俣王に娘を納れる。
 つまり、若野毛二俣王は近江国坂田郡に土着した初代の王家
  →「咋俣長日子王」は原・息長氏を象徴する人物
  →「咋俣長日子王」は意富富等王の外祖父となる。
*継体の父祖たちは、近江国坂田郡から美濃国、尾張に勢力を拡張した。
 継体の祖父乎非王は美濃国武儀郡の豪族、牟羲都国造の娘を娶っている。
 また、継体の妃「目子郎女」は尾張連の出身であり、継体が仁賢天皇の娘「手白香皇女」と婚姻するまでは、継体の正妻だった。父は尾張連草香。
*尾張型埴輪が近江から越前、淀川流域へと近畿地方に展開し分布する。それは継体の勢力拡大の広がりと一致する。

 この他に、著者は渡来人、有明沿岸勢力、大和政権の非葛城連合勢力を考察していく。さらに、五経博士の来日を通じて、継体が百済文化の積極的導入を図った意図にも論を進めていく。

 終章末尾までで245ページの新書であるが、継体並びにその時代状況を深く知るためには有益な一書だと思う。大胆な仮説提示という刺激があっておもしろい。

ご一読ありがとうございます。

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関連施設や用語をネット検索して見た。一覧にしておきたい。

「5世紀のヤマト政権と三尾氏」 水谷千秋氏 :「豊中歴史同好会」
 
継体王権の出現 『福井県史』通史編1 原始・古代
継体大王の生い立ち :「継体大王と越の国・福井県」
史跡今城塚古墳とは  :「インターネット歴史館」(高槻市)
県外の継体大王ゆかりの地 :「継体大王と越の国・福井県」 
 滋賀県(田中王塚古墳、鴨稲荷山古墳、水尾神社)
越の国を代表する古墳群 :「継体大王と越の国・福井県」

稲荷山古墳 学習シート NO.073 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
茶臼山古墳 学習シート N0.040 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
垣籠古墳 学習シート NO.041  滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
山津照神社古墳 学習シート N0.061 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
 
鴨稲荷山古墳<<含む高島市歴史民俗資料館>> :「JAPAN-GEOGRAPHIC.TV」
高島市歴史民俗資料館 :「邪馬台国大研究」
 
4月1日に歴史都市・高槻市にオープン 今城塚古代歴史館  2011.2.9
 :「阪急レンタサイクル公式ブログ」
 
秦氏考 :「おとくに」
『日本書紀』に記された秦氏のプロフィール :「京都の古代の風景に想いを馳せる」
渡来人 秦氏についての覚書
 



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継体天皇関連として過日一書の感想を載せている。

 『大王陵発掘!巨大はにわと継体天皇の謎』 
      NHK大阪「今城塚古墳」プロジェクト NHK出版


こちらもご一読いただけるとうれしいです。