遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『獣眼』 大沢在昌  徳間書店

2015-10-30 10:24:28 | レビュー
 このブログで読後印象を書き始める以前に読んだ「新宿鮫」シリーズと、ここに印象をまとめた何冊かは、刑事物の作品群だった。
 この『獣眼』も警察小説かと手に取る前は想像していた。しかし違った。年齢・経歴ともに一切非公表のままで「キリ」という通称でボディーガードを生業とする男が主人公である。
 キリのボディーガードとしての能力は、過去のクライアントから口コミで噂が広がっている。キリを傭おうとする人間は、キリのホームページを知り、メールで依頼する以外に接触手段はない。仕事のオファーに対し、キリは己の能力により守りきれるかをいくつかの条件で判断する。彼が引き受けるのは最長でも3ヵ月以内の短期警護だけである。その上で、クライアントと面談して、己の基準で警護の契約をするかどうか判断するの。
 この小説はかなり特異なクライアントの依頼案件をキリが引き受けたことから起こる顛末である。過去、刑事物以外に大沢作品は読んでいないので、これがキリを主人公とする小説の第1作なのかどうかは知らない。だが、キリを主人公とする作品がシリーズ化されることを期待したい気持ちにさせる一作である。

 冒頭はキリのボディーガードぶりを垣間見せるシーンから始まる。ここに、まず警察組織とキリとのリンキング・パーソンとなる機動捜査隊員、40歳の金松が登場する。キリは警察との関係をギブ・アンド・テイクという形でうまく対応している。ある警護案件で3年前に金松と知り合い、警察だけがキリの本名を知っていると金松に言わしめる。つまり、金松はキリとの間で事件に関わる情報交換を維持する人間として時折登場して行く。さらに、ストーリーの導入部に描かれるキリのセックス・シーンの中に、メールで依頼を受けた仕事のオファーに関心を抱くことになる遠因がさりげなく書き込まれていく。
 
 キリに入った仕事のオファーは、「河田早苗」という個人によるもの。1週間という短期警護だ。依頼に関する相談の日時を決めたいとキリは返信する。河田早苗からの返事は品川のホテルのゲストルームで面談するという指定だった。
 キリにまず伝えられたのは、高校を1年ほど前に中退した17歳の女性を、面談した翌日から1週間昼夜を問わず警護するという仕事。犯罪組織や犯罪とは一切の関わりがない女性だが、この1週間以内に、プロの殺し屋のような人たちに命を狙われるというのだ。前金300万円、1週間無事守ることができたら残り400万円を支払うという。1日100万円、通常のキリのギャランティーの10倍という破格のオファーだった。
 キリは、1週間という期間限定の上で、さらに河田早苗がこの相談の場で話したことが嘘の場合、あるいは警護対象者が犯罪に関係していることが判明したら、警護をやめ警察に通報するという条件をつける。さらに、直接警護対象者に会い、引き受けるかどうかの最終判断を条件に加える。
 河田早苗が警護対象者としてキリに告げたのは、母親と二人で東京都港区白金に住む森野さやかだった。そして河田早苗はキリに言う。「森野さやかさんを守ってあげてください。この方の身には、たくさんの人の未来がかかわっているのです」と。
 河田早苗との面談後、キリはすぐに白金に向かい、森野親子と面談する。
 結果的に、キリはこの警護案件を引き受けることになる。ボディーガードについて、さやかとのやりとりの後、さやかがキリに「誰も死なせたことないっていった。それは嘘」とひとこと言ったのだ。それは、当てずっぽうな発言ではなさそうだった。何かがある。それがキリを動かした。その正体が何かを知るために、キリは警護を引き受ける。
 
 さやかと面談した日の夜、さやかは六本木に出かけ、そのあとクラブかカラオケに行くという。一旦警護の準備に自宅に帰った後、キリは白金に戻り、さやかに同行するところからボディーガードの仕事に就くという。さやかは同意する。
 ここからキリとの個人契約で、ボディーガードの仕事に不可欠なドライバーとして、「大仏」という渾名の男が関わってくる。キリにとり信頼できる有能な運転手なのだ。
 さやかは女友達のアンリとクラブに行き、そこで友達のユーリー・コワリョフに会う。彼はクラブのオーナーだそうだが、キリは彼の裏の顔をロシアマフィアと見抜く。
 この最初の夜のキリの同行は、さやかがキリに信頼感を抱く契機となっていく。

 襲撃者についての情報が何もないままに、キリは警護の仕事を始めなければならなくなる。六本木への同行から戻り、森野親子の住む白金の自宅にキリが泊まり込んだ夜、キリはさやかの母・栞からまず最低限の情報を聞き出すことから始めて行く。
 さやかには生まれもった役割としてシンガンがあるという。シンガンとは眼である。いままでも、さやかにはときどき見えることがあった。そして、この1週間を助走段階として、1週間後に眼が開くとさやかの父親が予告しているのだという。父親自身が眼の持ち主なのだ。さやかの眼が開くのを阻止するために、さやかを殺すプロが何者かに傭われ、確実に送りこまれてくるという。栞もそれを疑っていない。
 森野さやかの父親は河田俊也。至高研究会-通称、至高会-という集団を主宰し、教長と呼ばれる存在。河田早苗はその妻である。森野栞は河野俊也の愛人となり、さやかを生んだ。河田早苗は至高会の教義室長であり、秘書的仕事もし、森野親子の世話もその一環に入っているという。至高会には他に教宣室長、教営室長の肩書の幹部が居て、この二人もさやかの存在を知っているのだ。会員は1000人で、大半が事業の経営者か大企業の経営に携わる人々という。教長・河田俊也のアドバイスが有益なのだ。
 至高会が、宗教法人化しないのは、その認可を受ければ「ツブシ」という眼の持ち主を潰そうとする組織に目をつけられるので、そうならない為でもあるという。
 栞は『ツブシ』に関わるものとして、かつて教長から山之上照孝という評論家の名前を聞いたことがあるという。

 翌日の火曜日は午後にさやかが原宿で英会話学校の個人レッスンを受ける予定になっていて、その後、原宿でさやかは河田早苗と会う予定なのだった。英会話レッスンが終わった後、さやかが河田早苗との待ち合わせ場所に向かう途中で、スナイパーの襲撃を受ける。からくもキリはその襲撃を阻止した。ここから、キリの警護役割が急速に進展していくのである。
 
 キリはさやかの母・栞から得た情報をもとにさらに情報収集を始める。一方で警護対象者さやかへの現実の襲撃があったことから、河田俊也と直に早急に面談する必要を主張する。そして、河田俊也を含む至高会幹部と会うことになる。そこからますますさやかを殺そうとする相手が誰なのかが拡散し始める。
 
 誰がさやかを殺そうとしているのか、その意図は何か?
 さやかに開くと予告される眼を排除することで、誰にメリットがあるのか?
キリが一歩ずつ関連情報収集を広げ、かつ深めていくごとに、殺害を意図している相手(敵)が狭められるのではなく、敵と想定できる対象が一旦拡散するのだ。さまざまな可能性が見えてくるというおもしろい構成展開になっている。一方、1週間というタイムリミットは短くなり、キリの警護に対する緊迫感が高まっていくのだ。読者をぐんぐん引きつけていく。
 河田俊也の口から、さやかに眼が開く時には俊也自身は死を迎えるのだとキリは聞かされる。俊也にはそれが見えているのか、己の死を従容と受け入れる気構えのようなのだ。そして、事実、キリが傍に居る状況で・・・・。キリの警護対象の契約はさやかであるが、その父・俊也のすぐ傍に居ながら、守りきれなかった屈辱感を味わうことになる。
 だが、俊也の死が眼という観点では意外な事態の展開をもたらす事になっていく。
 錯綜した関係への発展がますます興味深い筋立を生み出していく。読者をすら混乱させる状況の現出である。ここにストーリーテラーとしての真骨頂が発揮されていく。
 この小説のタイトルは「獣眼」である。この小説の最終ステージで、獣眼の意味の深さが湧出する。その意外性が実におもしろい。
 
 「人は他人のようには生きられない。自分は自分の生き方をするしかないってことね」これは最終的に、さやかの語った言葉である。この言葉の意味は重く、深い。

 巻末の一行は、「明日にはまた、別の誰かを守っている自分がいる」である。その前に、「新たなオファーが二件届いていた」という一文。

 さあ、次回のキリのボディーガードぶりを期待しよう。

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本書とは直結しないが関心の波及した事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
預言者   :ウィキペディア
「預言者」と「予言者」の違いとは?  :「ヘブライの館2」
夢告  物語要素辞典  :「weblio辞書」
予知夢は存在するのか  :「明晰夢.com」
夢分析Ⅰ~予知夢~  :「BeneDict 地球歴史館」
今、甦る3人の大予言者の預言  大和武史氏
超常現象  :ウィキペディア

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徒然にこの作家の小説を読み、印象記を書き始めた以降のものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『雨の狩人』 幻冬舎


『鬼神伝』 高田崇史 講談社NOVELS

2015-10-28 09:11:56 | レビュー
 新書版サイズの本書は、「鬼の巻」と「神の巻」の合本として出版されている。単行本として出版された「鬼の巻」をまず読んで、その読後印象記を先にまとめて掲載している。そのため、「鬼の巻」については、こちらからご一読いただければ幸いです。

 そこで、ここでは合本の後半となる「神の巻」についての読後印象をまとめてみたい。
 「鬼の巻」では天童純が平安時代にタイムスリップしてしまい。そこで遭遇したSF的お伽話風冒険譚だった。この「神の巻」は、「不仁王寺」での源雲との出会いがきっかけでタイムスリップし、その後現実の日常世界に天童純が戻るところで終わった。元の世界に戻った天童純は、鬼について疑問点を自分なり調べる。そんな中で半年が経つ。7月の祇園祭の宵山の日に、天童純は東山にある六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の小野篁像に引きつけられるようにして境内に立つ。鐘楼から響き渡る長い長い周波数の鐘の音を聴き、天童純はぐらりと、軽い眩暈(げんうん)を覚えると同時にタイムスリップしたのだ。天童純が気がつくと、そこは鞍馬山の奧の院、魔王殿の前であり、そこに水葉が現れる。再び天童純は平安時代にタイムスリップしたのだ。しかし、それは1年6ヵ月の時間が経っている時点での水葉との再会だった。オロチとの再会でもある。そして、まずは竜宮までオロチの背に乗って戻り、天童純はなつかしい面々との再会して、円座になって語り合う。そこで天童純は、その後の状況を知るということになる。つまり、リーダーとなっていた海神亡き後も「人」並びに人に加担する帝釈天や四天王たちと鬼神たちの戦いが続いているのだ。

 篁から天童に文が来て、阿修羅王に会えと言う。阿修羅王に会った天童純は、藤原基良らが企てている計画について教えられる。それは「神の鱗」計画だという。鬼神側から草薙剣を奪い取り、吉野山に祀ることにより、伊勢神宮の内宮に祀る八咫鏡、京の内裏にある勾玉と吉野山とのそれぞれの地点を繋いでできる直角三角形、つまり鱗の形の結界を作り上げて、その内に鬼神を封じ込めるという計画である。伊勢ー京の都、京の都ー吉野山、吉野山ー伊勢のそれぞれがほぼ700町の距離であり、結界を作り上げるための最小単位なのだという。鬼神たちがこの神の鱗に封じ込まれないためには、草薙剣を奪取されないことであり、そのためには戦わざるを得ないということになる。阿修羅王は帝釈天と彼自身の戦いをする。鬼神や天童は自分の敵は自らの自尊心をかけて自分で倒せと阿修羅王は告げたのだ。
 阿修羅王に教えられたことを天童純は水葉や鬼神たちに伝える。海神が亡き今、大勢の犠牲者をだして攻撃をかけるより、講和をはかりこれ以上の戦を止めてはどうかという考えを山神が語る。しかし、再び小野篁から届いた便りは、好機を逃さず、阿修羅王と連携して戦えというものだった。
 そんな折、海邪鬼が拾ったという2枚の紙を水葉に差し出す。そこには「来怒夜者罠」「巽艮卯午巽酉」という文字が記されているものだった。
 戦を推し進める中で、2枚の紙に書かれた暗号の謎解きが重要な意味を持つことになっていく。
 
 さらに篁は天童純に基良たちが、既に四天王を甦らせており、貴船にあった亀石を使って弥勒を呼び寄せ、戦に加担させようとしていると伝える。ここでは弥勒は「三拝の一二三」と間接的な名称で呼ばれている。貴族は弥勒の名前が不吉なので直接に名を呼ばないという。この物語でおもしろいのは、弥勒が破壊菩薩として位置づけられていることだ。
 そして、数字の持つ意味、その一例として和歌の五七五七七の数字の持つ意味、さらに56億7000万年後に弥勒が如来となって現れるといわれているこの数字の持つ意味を解釈していく。この解釈、なかなか神秘的・・・・。ちょっと興味深いところだ。言霊の世界に通じる解釈というところか。ここを一読するだけでもおもしろい。この解釈、古き時代からあるのだろうか・・・・・。

 この戦いがどういう結末を迎えるか? 本書をお楽しみいただきたい。
 このことだけ触れておこう。貴族により素戔嗚尊と娘媽神(のうましん)とにかけられていた呪が解け、天童純が再び、現在の世界に戻ったということ。


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本書後半のストーリーに関連して、関心を抱いた事項とそこからの波及事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
六道珍皇寺 ホームページ
牛頭馬頭  :ウィキペディア
牛頭馬頭  :「祭と民俗の旅」
牛頭天王  :ウィキペディア
平安時代の闇のヒーロー「小野篁」の華麗なる地獄めぐり :「NAVERまとめ」
小野篁  :ウィキペディア
小野篁の地獄通い  :「左大臣」
弥勒菩薩  :「コトバンク」
弥勒菩薩  :「仏像ミニ知識」
大黒天  :ウィキペディア
第1回秀吉の出世守り本尊「三面大黒天」の謎  高橋伸幸氏 :「歴史人」


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『妖怪学講義』  菊池章太  講談社

2015-10-24 08:18:30 | レビュー
 「妖怪」が学問として大学での講義対象になるということを初めて知った。それも、妖怪について学問的な研究対象としたのは、何と120年ほど前に遡るとは!
 現東洋大学の発祥となる哲学館を哲学者の井上円了氏が創立したという。その井上円了先生が明治20年(1887)に「妖怪学」という科目を設置し、研究・講義を始められたのが、「妖怪学」の出発点だそうである。
 哲学者がなぜ妖怪学なのか? そのねらいは、迷信の打破であり、妖怪の存在を否定するために妖怪を研究し、そのことを通じて、明治近代化における啓蒙思想家としての役割を円了先生が果たそうとしたと著者は言う。そして次のように円了先生の意図を解釈している。
「人が妖怪といって怖れているものはじつは迷信にすぎない。そんな迷信に惑わされてはいけない。迷信ばかりではない。思いこみや偏見にとらわれることなく、自分の目で確かめ、自分の頭で考えることが不可欠である。客観的な観察と主体的な思考にもとづいて世界をみつめなければならない。実態のない恐怖におびえたりせず、確実に存在するものを信頼すること。つまりは妖怪を恐れないことが、みずからものを考える営みとしての哲学のはじまりである。--これがそもそもの出発点ではないかと思います」(p11)
 円了先生は明治26年(1893)に、古典籍中の妖怪記事の渉猟、全国各地での聞き書きなどの調査研究の成果を『妖怪学講義』第1冊として公刊されたのだとか。

 著者は現東洋大学の創立者が担当科目として始めたこの「妖怪学」を、諸般の事情を受け止め、「やけのやんぱち身のほどもわきまえず復活をこころみた」(p5)という。
 著者自身の説明によると、本書は120年ぶりに復活させた妖怪学講義(1年の半期の授業)のうち、前半7回分の実況中継まとめである。宗教学、民俗学、文学史、芸能史などの研究成果を取り入れながら、円了先生の研究成果を踏まえ、前近代の日本の妖怪現象について歴史的にたどろうとした講義のまとめなのだ。
 そのため、まとめとして整理された本文に講義口調の雰囲気が維持されていて、学術論文と違って読みやすいし、随所に講義で使用された写真、妖怪絵などが数多く収録されていておもしろく理解が進む。私には初めて知る妖怪がほとんど・・・・という有様で、実に楽しめた次第。
 各週の講義内容の後に、「感想あり、質問あり!」と題して、受講感想や質問の主要なものが取り上げられ、著者の回答が載っている。講義からの波紋の広がり、あるいは講義の補足、補強になっていたり、新たな関心へのトリガーとなっている。この部分が、ある意味で大学の講義の雰囲気を一層盛り上げていて、学生の関心の方向及び著者の会話調リアクション、考え方がわかり、興味深い。第1週の講義に対して、このセクションには3つの感想・質問が載っている。文章の短いのを2つ例示としてご紹介する・・・・。
*この授業では、ゲゲゲ系の妖怪話をするわけではないんですか? (3年次女性)
*先生も妖怪を否定する立場にあるということですが、今日の話を聞いた感じだと、なんとなく先生は妖怪を信じている気もします。(1年次女性)
 各週の講義の最後に、「もっと勉強しなさい!」というセクションが付されている。これは講義に使われた参考文献の紹介並びに、講義からさらに興味を持った人向けのガイダンスである。このセクションを読むと、妖怪学研究の動向とともにこの領域の裾野の広がりを感じることができておもしろい。要約すれば、妖怪はすべての学問領域に関わりを持っていく切り口なのだと言える。なぜ、そうなのか? 本書をひもとけば、なるほどと・・・・。

 まず、講義内容のテーマをご紹介しておこう。
第1週 哲学者がなぜ妖怪学? -新しい時代と学問の樹立-
第2週 闇のなかで泣いている -文学としての幽霊話-
第3週 きっと取り殺すからそう思え -めぐる因果の累ヶ淵(上)-
第4週 わが怨念のむかうところ -めぐる因果の累ヶ淵(下)-
第5週 つたかずら這いまとい -怨霊的古典芸能の試み-
第6週 都大路にあやかしの気配 -呪いのメカニズムを分析する-
第7週 妖怪学の可能性 -あらゆる知につながる学問へ-

 著者は最初に円了先生による妖怪の定義を紹介する。
「洋の東西を論ぜず、世の古今を問わず、宇宙物心の諸象中、普通の道理をもって解釈すべからざるものあり。これを妖怪といい、あるいは不思議と称す」(p13)
正しい論理、つまり合理的な思考で解釈できない不思議な現象を妖怪と定義されている。哲学とは正反対の対極に位置するのが妖怪であることから、その不合理な思考、不思議な現象を哲学の目指す立場から研究し、否定することに必然性があるということなのである。そこから、円了先生は、妖怪博士として、その名声が全国に知れわたっていったそうです。円了先生の存在、知らなかった・・・・・。
 本書は、この円了先生の定義を出発点として押さえて、円了先生が世に与えた影響の紹介と、円了先生の研究活動の影響・波紋の広がり、妖怪に対する研究の流れなどが、現時点から捉え直されて、著者の講義が展開されているのである。「妖怪」に関わる世の動き、人々の認識の変遷もわかって、おもしろい。

 まず、井上円了の立場に「徹頭徹尾反対」を表明したのが、日本民俗学という学問領域の開拓者となった柳田國男だという。妖怪や幽霊を信じる心を「民間信仰」ととらえて、人々がそう考え、信じてきた事実のなかにこそ、日本人という民族や日本文化を考えるてがかりがひそんでいるとする。つまり、円了先生と反対の視点から研究に踏み込んだのが柳田國男氏であり、円了先生の影響が、円了先生の考えとは真逆の立場に及び、民俗学のひとつの出発点になっているというのは、実に興味深いと思う。柳田國男は『妖怪談義』を著していて、今では文庫本で読めるという。民俗学の領域では、宮田登氏が『妖怪の民俗学』の中で、柳田による幽霊や妖怪の出現形式の違いによる分類とは違い、人々が抱く感情の持ち方に注目した視点の提示を紹介している。
 他方、円了先生の幽霊研究に沿った見方として小松和彦氏を妖怪研究者として取り上げる。小松氏は幽霊を「死者が死後に生前の姿でこの世に現れたもの」と定義するそうだ。(『妖怪学新考』)さらに、江戸文学研究者、アダム・カバット氏の幽霊像分析も紹介している。
 有名な文学作品に現れる幽霊話や、有名な画家の描いた幽霊図の事例紹介を織り交ぜて、妖怪や幽霊の研究の裾野の広がりを第2週の講義で行うアプローチは、妖怪学入門として実に入りやすい。

 第3週、第4週は、江戸時代のはじめ、寛文12年(1672)に起きた累(かさね)という女性の怨霊事件を中軸にして、講義が展開される。「親の因果が子に報い」という言い回しにひそむ迷信、円了先生の言う妖怪的な意味での「因果」に光を当てて、妖怪学アプローチで切り込んでいる。実際に起こった事件から入らずに、それをネタにした作品から順に遡りながら考察を進めていくという手法は、受講者側が引き寄せられ、話題にからみとられていくうまい構成になっている。それが読みやすさにもなっている。
 2007年公開映画『怪談』 ⇒ 明治の古典落語・三遊亭円朝の『真景累ヶ淵』⇒ 下総国羽生村の累ヶ淵の伝説 ⇒ 寛文12年の累(かさね)の怨霊事件(『死霊解脱物語聞書』に記録されている)という講義の展開である。
 この講義で取り上げられた「因果」というテーマについて、当時の人々の状況を踏まえた視点の大事さに触れられている。「昔の人にとっては、世のなかでいきていくうえでの戒めであったはずです。それはまた一方で、なぐさめでもありました。そのことも忘れてはならないと思います。現代に生きる私たちのまわりにだってありうることかもしれないからです。」
 過去に起こった事件を題材にして分析研究を展開しながら、そこにもう一つの別のテーマが浮かび上がってくるとし、それが「いじめ」であるという。そして、研究の視点が現在の「いじめ」問題に連鎖する局面で講義を終える問題視点の提示は、講義話に終わらせないところが興味深い。
 
 第5週は、古典芸能となっている有名な演劇演目を題材にして怨霊が論じられる。取り上げられているのは、式子内親王と藤原定家の現世ではかなうことのなかった恋物語、つまり墓を覆いつくす蔦葛(つたかずら)伝説と、紀伊国(和歌山県)の道成寺伝説の二つです。愛ゆえの怨みがテーマとなっています。
 金春禅竹作と伝わる能『定家』、歌集に収録された式子内親王の歌、人形浄瑠璃『日高川入相花王(いりあいざくら)』、道成寺に伝わる『道成寺縁起』、歌舞伎『京鹿子娘道成寺』などが題材とされて、語られていくので、一種古典芸能教養講座てきですらある。 「そういった繰りごとや怨みごとのなかにこそ、じつは生きていくことの真実がこもっているのではないか」と講義が締めくくられている。妖怪学講義としてはおもしろい「たそがれどきの回想」である。

 第6週では、妖怪といえば連想するはずの安倍晴明がやはり登場する。「呪い」までが妖怪の範疇に入ってくるのは、円了先生の定義からすれば必然のことだろう。この講義、紫式部がまず登場するところから始まる。『紫式部日記』、中宮彰子の出産祈祷、藤原道長の『御堂関白記』、安倍晴明の登場へと繋がっていく。テーマとなっているのは「呪いのメカニズム」である。
 そして、講義の最後が、「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信田の森の うらみ葛の葉」でまとめられているのは、余韻が残る。

 第7週は「妖怪学の可能性」についてのまとめである。120年ぶりに大学で復活されたこの妖怪学講義で、改めてその学問としての可能性が論じられている。
 妖怪、幽霊、因果の定めを秘めた怪談話、怨霊を俎上にのせてきたのに加えて、ここで著者は冒頭に日本で流布している血液型性格診断や世界中で長い歴史をもつ文化事象でもある星座占いを取り上げ、これらも迷信妖怪といえるものだと俎上にのせる。そして水木しげる氏のゲゲゲの鬼太郎が一つの代表例となるが、妖怪ブームが復活し、この過程で妖怪にたいする認識が再び変化してきていると著者は論じている。
 小松和彦氏が、妖怪とは「人々の認識体系・了解可能な知識体系から逸脱したものすべて」と定義し、「あやしいいもの」「あやしいこと」が妖怪現象だと結論づけていることを紹介し、円了先生の妖怪定義と重なる部分を重視している。
 ヘンだと思う現象、そういう現象が実在すると信じる精神構造が、今もずっと古い時代から変わることなく受けつがれているというところに、大事なポイントがあるという。そして、妖怪現象は「広大な心の世界がある」ことの表れであり、「妖怪はまさしく生活必需品に他なりません」と解説していく。妖怪は「知のワンダーランド」であり、妖怪学が学際的研究対象となるべき研究分野だと結論づけている。
 最後の最後で、著者は言う。「妖怪をなくそうとしてあらゆる学問分野を総動員して妖怪を探求しつづけた円了先生は、ほんとうは妖怪の一番の友だちだったのです」(p195)と。このパラドキシカルな落ちに至る講義のプロセスが楽しめる。
 そして、あの水木しげる氏が頼りにされているのが円了先生の『妖怪学全集』だそうである。
 
 妖怪学入門として、楽しみながら学べる講義録である。

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本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。

井上円了 :ウィキペディア
井上円了とは  :「東洋大学」
妖怪学 井上円了  :「青空文庫」
百鬼夜行絵巻  :ウィキペディア
絵巻物データベース :「国際日本文化研究センター」
  このトップページにある「閲覧する」をクリックすると、
  「百鬼夜行絵巻」「道成寺縁起」「化物尽絵巻」「吉光 百鬼ノ図」
  「土佐光起 百鬼夜行之図」「滑稽百鬼夜行絵巻」「妖怪絵巻」「付喪神絵詞」
  などが閲覧できます。
画図百鬼夜行 鳥山石燕 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
特別展『江戸妖怪大図鑑』 :「太田記念美術館」
  2014年実施時のPRページですが、多数の絵図が紹介されています。
当妖怪図鑑妖怪検索指南 :「妖怪うぃき的 妖怪図鑑」
王子装束榎木 大晦日の狐火 歌川広重 :「浮世絵の アダチ版画」
鰭崎英朋 蚊帳の前の幽霊  :「NAVER まとめ」
応挙の幽霊図  :「黒猫の究美 -浮世絵談義 虎之巻-」
真景累ヶ淵   :「青空文庫」
古今亭志ん朝 真景累ヶ淵  :YouTube
真景累ヶ淵  大あらすじ  :「はなしの名どころ」
円朝全集 巻の一  真景累ヶ淵  :「近代デジタルライブラリー」
  本文の挿絵として  13,35,46,58,69,95,106,127,164,200,
御産の祷 ◆ 安田 靫彦  美人画集

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『毒草師 パンドラの鳥籠』 高田崇史  朝日新聞出版

2015-10-20 09:46:48 | レビュー
 毒草師シリーズは、『毒草師 QED AnotherStory』(2008/4)、『毒草師 白蛇の洗礼』(2008/4)につぐ第3作である。この後未読だが『毒草師 七夕の雨闇』(2015/6)が出版されている。こちらもいずれ読みたいと思う。『パンドラの鳥籠』は2012年12月に表題の単行本として出版されたが、2015年9月に新潮文庫本に入っている。
 
 京都府・丹後町の山の中に、今は地元の人たちも滅多に近寄ることのない深い竹林がある。一昔前はお洒落な病院だったらしいが、廃墟と化してしまった洋館がそこにある。その建物は「魔女の鳥籠」と呼ばれ、300歳を超える「祝(ほふり)」という名前の魔女が棲みついているという伝承があるのだ。魔女は人の生き血を吸って生きていて、この洋館に入ったものは「祝」の餌食となり、二度と再び生きて戻ることはないと言われている。事実何年か前に連続してこの竹林に首を取られた遺体が放擲されていた事件が発生し、未解決のままなのだった。この小説はその洋館を舞台とする。
 ストーリーは、「魔女の薬草」を研究している生薬学者の田所仁がこの洋館に「魔女の薬草」を求めて月明かりの夜に探索に入るというところから始まって行く。

 京都在住の女医、星川涼花(さやか)が東京都内で開業する内科医の一ノ関元子の紹介で、「ファーマ・メディカ」を訪ねていく。編集長の遠藤に呼ばれて西田真規(まさき)が星川涼花と面談するのだが、その用件は20歳ほど年上の叔父が、京都の丹後半島に行き、2年前に行方不明になったままなので相談に乗って欲しいという依頼なのだ。警察に捜索願いは出してあるが、進捗がみられないという。なぜ、西田のところに来たのか? 西田が御名形史紋と繋がりがあり、御名形が毒草関係を専門に研究していることを一ノ関先生から聞いたこと。その御名形史紋は警視庁が手を焼いていた事件をいくつも解決していることを知ったからだという。
 こんな経緯から、例の如く、西田が御名形を引き出す黒子役となり、御名形史紋の相棒的役回りで一緒にこの依頼事項に首を突っ込んでいくことになる。
 この小説では、神凪百合(かんなぎゆり)が御名形史紋、つまり毒草師の助手として加わってくる。神凪百合は前回の事件がきっかけで、御名形の助手を務めるようになったのだった。神凪百合は、鬼役といい、高貴な人の毒味役という仕事に携わった家系の子孫であり、毒に対する耐性が生まれつき強い体質をもている女性なのだ。毒草師の助手としてはぴったりである。このストーリーの中で神凪百合は御名形の秘書的役割を果し、旅程のスケジューリングや関連情報の収集などで、一種の基礎情報提供者の役回りを果たしていく。そして、最終段階では毒に対しての耐性力のある彼女の特質が発揮されることになる。

 この小説は、「魔女の鳥籠」と称される廃墟の洋館に棲みついている「祝」に関わる側面のストーリーと、星川涼花の依頼を受けた西田が動き、御名形史紋が西田に伝えられた依頼とその情報を聴くことで、その依頼に応じて、行動を開始するストーリーが併行して語られていく構成になっている。
 御名形は西田の語った「魔女の薬草」ということに興味を惹かれるのだ。そして、涼花の話から西田が自社の資料室で発生した事件を調べて見ると、未解決の事件はこんな風に起こっていたのである。
 7年前:平成4年(1992)大阪在住の会社員。竹林で首無し死体で発見される。
 4年前:平成7年(1995)大学の法医学研究室助教授が同じ竹林で首無し死体となる。
 5年前:平成6年(1994)若狭湾の海岸で外傷無しの溺死。民俗学研究の大学院生。
     遺体の髪がすべて白髪、遺体の外見は70歳を超えるとみられる状態だった。
そして、2年前に田所仁が行方不明になったのだという。竹林に棲む魔女伝承が甦ってきたのである。

 この小説のおもしろいところは、「祝」の側面が一種伝奇的なストーリー描写でおどろおどろしさを加えていく一方で、御名形・西田・神凪がチームとして行動していく過程で、黒子役的存在の西田の心の揺れ動きのユーモラスな描写にある。
 そして興味深いのは、神凪が御名形の指示で調べた様々な情報の提示、御名形の情報の追加説明と解釈により、個別の伝説、伝承と思われたものの中に、共通項やつながりが垣間見えていくということ。次々に提示されていく情報の量と質、その解釈の興味深さにある。そして、毒草師というタイトルの反映であるが、毒草についての様々な知識がストーリー展開のなかで各所に散りばめられていく。毒草話がストーリーにリズムをつける。
 お伽話、伝承話、そして丹後国に伝わる伝説に秘められた真実の謎解きが、田所仁の行方不明の謎解きにリンクしていくというストーリー展開の興味深さである。

 大学院生の溺死体の髪が白髪状態だったということが連想の源となり、丹後地方にある浦島太郎伝説を引き出していく。魔女と浦島太郎が、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』に接点を見出し、浦島太郎が開いた玉手箱の蓋を開けるという行為は、ギリシャ神話に出てくるパンドラの箱の蓋を開けることへと意味づけがリンクしていくことになる。
 連想ゲーム的に様々な情報が、このストーリーの謎解きに関わって行く。3人の会話で話題に出てくる伝説・伝承の類い、典拠となる史料を上記以外で列挙しておこう。実に多彩で宝石のきらめきのようでもある。
 『尋常小学国語読本』(浦島太郎の話)、『尋常小学唱歌』(浦島太郎の歌)、『古事記』(神武天皇東遷)、『日本書紀』(雄略天皇二十二年条)、『丹後国風土記』、『和歌色葉』、狂言『浦島』、『浦島子伝』、徐福渡来の地、「丹後七姫」の伝承、『御伽草子』、『本草綱目』、七夕伝説、「鶴の恩返し」「三輪山伝説」『丹後國一宮深秘』、羽衣伝説、松浦佐用姫伝説、などである。実に興味深い解釈でそれらが網の目のようにリンクしていき、総合されていく。実におもしろい。
 田所仁の行方不明事件の謎解きが從で、伝説・伝承のからの「魔女の鳥籠」自体の謎解きが主とも言える。

 御名形ら一行は、機動性を発揮するために西田の車で出かけるのだが、何と御名形は西田に奈良を経由して、何箇所か立ち寄ってから行きたいという。なぜ、奈良に立ち寄らねばならなかったのか。そのつながりが最終段階の謎解きでおもしろいところとなる。
 御名形らが丹後半島に出発する直前に、田所仁が首のない遺体で発見されたという一報が西田に入る。勿論、遺体発見で事件が解決した訳でないので、御名形は現地に行くと判断するのだが。さらに、御名形らが丹後に着いた頃には、田所仁殺害事件の捜査に携わっている松尾巡査の行方がわからなくなっているという状況が発生していた。松尾巡査は休日に、「魔女の鳥籠」と呼ばれる廃墟の洋館に探索に出かけ、「祝」の虜になってしまっていたのだ。
 御名形らは、丹後で星川涼花の実家である井筒家を訪ねることから始めて行く。井筒家の当主、井筒要が事件の真相を知るキーパーソンだったのだ。
 それがどういうことかは、このストーリーの謎解きとして、お楽しみ願いたい。

 この作品、伝説・伝承の相互関係、そのリンキングの解釈という知的好奇心を刺激する作品である。そして、エピローグの終わり方が意味深長である。


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宇良神社(うらじんじゃ)   :「丹後の地名 地理・歴史資料集」
新井崎神社  :「井根町観光協会」
新井崎神社(にいざきじんじゃ):「丹後の地名 地理・歴史資料集」
京都の自然200選 徐福伝説の地(新井崎神社) :「京都府」
飛鳥坐神社  :ウィキペディア
ちんちん鈴!?男女のシンボルをかたどった立石が点在する飛鳥坐神社
   :「Travel.jp たびねす」
飛鳥寺のすぐ裏手!乙巳の変で討たれた蘇我入鹿の首塚
   :「Masayan の Emotion Inmotion」
蘇我入鹿の首塚  :「明日香旅行ガイド散策大全」
正蓮寺大日堂・入鹿神社 ホームページ
入鹿神社の伝説  :「奈良の宿大正楼」
宗我坐宗我都比古神社  :「玄松子の記憶」
丹後一宮 元伊勢 籠(この)神社  ホームページ
籠神社  :ウィキペディア
志波彦(しわひこ)神社 盬竃神社 ホームページ 

盬竃(しおかま)神社 :「塩竃市観光物産協会」
住吉大社 ホームページ
羽衣伝説  :ウィキペディア
大伴旅人:松浦川の歌と松浦佐用姫伝説  :「壺齋閑話」
鏡山と万葉  松浦佐用姫伝説考 唐津万葉の会  岸川 龍 :「洋々閣」

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徒然に読んできた作品で、このブログを書き始めた以降に、シリーズ作品の特定の巻を含め、印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS


『第Ⅱ捜査官』 安東能明  徳間書店

2015-10-16 21:01:33 | レビュー
 新聞の広告で書名を見て、そのネーミングの特異さに興味をおぼえて読んでみた。この作家の作品を読むのははじめてである。警察組織としてはちょっとあり得ないのではと思われる人間関係の設定が、ユニークであるとともに、けっこうユーモラスなやりとりを含むストーリー展開である。読んで行くうちに、こんな人間関係があるとおもしろい・・・と感じさせる。事件の発端の設定もフィクションならではの意外な設定から始まる。警察としてはあり得ない感じもする。だが、この種の類に近い発端のものなら、警察そのものが公表することは内部告発でもないかぎりしないだろう。事実は小説より奇なりと言われるから、あり得ることかもしれない。この発端がこの作品を読ませる原動力になっているようだ。

 まず、タイトルのネーミングについて。本文では「第二捜査官」と記載されている。意味は同じだが、書名にローマ数字を使ったひねりは、広告のAIDMAの法則でいわれる「A」つまり「Attention」効果ねらいかもしれない。
 「第二捜査官」と呼ばれるのは蒲田中央署刑事組織犯罪対策課盗犯係所属の神村五郎巡査部長37歳である。なぜ「第二捜査官」と呼ばれるのか? 「神村が籍を置く警察署は常に好成績を上げ、署長はぽんぽんと出世街道に乗るようになった。副署長までも差し置いて重用されることから、文字通り、署のナンバーツー」(p13-14)と周囲から目されるようになり、だれが名づけたのか不明のまま第二捜査官と称される。神村が異動になっても、この「官名」がついて回るという次第。蒲中署の門奈署長は神村を異動で呼び寄せることに成功し、カンちゃん、モンちゃんと呼び合う仲になっているという状態なのだ。
 つまり、周囲が「第二捜査官」の実力を認めていて、その組織破り的な状態を受け入れているのである。それは神村の経歴・キャラクターからも周囲の黙認となるムードがあるのだろう。元は高校の物理の教師で、10年前に警察官に転職した人物。身長175cm、細身の体型、くっきりと鼻筋が通った面長の顔立ちは人並み以上だが、目はいつも半笑いしている感じを与える。普段からかなり突飛な服を着ている存在である。冒頭の8ページにそのファッションのディテールが今日の服装として描かれている。ここを読むだけで、ヘンナ刑事という印象を与える。

 この「第二捜査官」神村の相棒的な形で捜査活動を共にするのが、警視庁に入って6年目、27歳で、3ヵ月前の7月に刑事に任用されて蒲中署に赴任してきた西尾美加(みか)である。神村と同じ刑事課に配属されたのだ。なんと、この西尾にとって神村は高校時代の恩師なのだ。元先生と教え子が、同僚として刑事課盗犯係で仕事をするという関係になったのだ。この二人がおもな主人公というところで、こういう特異な人間関係にある蒲中署が舞台となる。

 さらに、意外性のある事件の発端とは、まさに悪い冗談じゃないかと誰しも思うことなのだ。3日前に殺人事件の被疑者として現場で逮捕された佐竹朋子、34歳が、取り調べにあたっていた樽井刑事と取調室から忽然と消えたのだ。それが事件の発端となる。樽井刑事は係長である。取り調べを一緒に担当していた部下の浜野巡査がトイレに行くために中座して、戻って来たら消えていたという。あわてふためき蒲中署内を探したがどこにも居ないと刑事課の倉持課長に報告に飛んでくる。署内は前代未聞のパニックに陥り騒然となる。
 消えたのは刑事課暴力団対策係、係長の樽井信男警部補。佐竹朋子が逮捕された日に美加は宿直当番だったために、逮捕を手伝わされ現場に樽井係長と現場に駆けつけていたのだ。110番に女の声で通報が入り、現場のマンションに向かうとロクされていた。管理人を呼んで部屋に足を踏み入れると、夫・満夫が血だまりの中に、朋子がそれを見おろしていた。凶器は刃渡り30cmの包丁、死因は外傷性ショック死、傷は深さ15cmで心臓まで達し、ほぼ即死状態と鑑定されたもので、その現場で「私が刺した」と朋子が自供したという事件だった。一見明白な事件で、昨日に検察送致の手続きが済んだばかりの状況である。樽井刑事と被疑者佐竹朋子が忽然と消えたのは、なぜか?
 
 殺人現場に無線に応じて駆けつけた樽井刑事はマルBの刑事。美加は盗犯係。佐竹朋子を現行犯逮捕後、翌日倉持課長に樽井から報告すると、課長はこの事件を強行犯係長の富田に回すと書類を引き取ろうとした。しかし、樽井がこの殺人事件の担当を懇願したのだ。そのヤマを誰に持たせるかは課長の裁量で決められる面がある。強行犯係長・富田は勿論倉持課長と口論。しかし結果的に樽井が担当して取り調べていたのだった。
 その樽井は、ここ最近は刑事課に所属しているにも拘わらず、警部昇任試験を刑事専科でなく一般で受けるという形で、勤務時間中も仕事の合間を縫うように、空いた時間があれば受験勉強に勤しんでいたのだ。刑事は仕事場で受験勉強はしない。にも関わらず係長の樽井が敢えてそれをなりふりかまわずやっている状況でもあったのだ。受験日が間近にあるそんな中で、なぜ被疑者と一緒に失踪するという挙にでたのか?
 忽然と消えたのは10月4日木曜日。前代未聞のこの失踪事件を発端に、門奈署長は本部長に報告した後、署内刑事課総動員で捜索にかからせる。勿論、緊急配備態勢を取ることなく内々で解決をめざせというのがトップたちの意向でもあるようだった。
 神村は留置管理課に行き、朋子の所持品一覧を確認した後、美加とマンションの殺人現場の検分を自分の目で行うところから始めていく。そして、神村の並外れたた捜査能力が徐々に発揮され始め、美加を相棒として捜査しながらも、単独で独自の捜査行動を取っていくことになる。
 足取り捜査とともに、樽井家での捜査協力と刑事の張り込みも行われる。美加も樽井家に泊まり込み、家族との接触から情報の一端が得られないかと調べる。美加は樽井の妻・好恵の心情・立場にも親身になる。10月6日土曜日、そのためか、樽井から携帯にメールが入ったという連絡が美加に伝えられる。10月7日日曜日、このメールの発信地の探索後、その地点からの聞き込み捜査が広げられていく。発信地は墨田署管内。樽井は蒲中署の前はここに所属していたのだ。墨田署の応援も得て60人体制で捜査が始まる。そして、10月8日月曜日、竹井ハイツという古ぼけたアパートの二階の一室で、樽井と佐竹の死体が発見される。一見心中の様にみえる死体だった。朋子の左手首に浴衣の帯が結わえられ、もう片方は樽井係長に右手に巻かれて、そこにきつく結び目ができてたのである。だが、死後経過時間は佐竹朋子が4ないし5日、樽井は死後2ないし3日。2日間の誤差がある。死因はインスタントコーヒーに入れられたと思われる青酸カリと判明。
 このことから、人情家の樽井の性格や家庭の事情などを総合して、倉持課長は長年の現場での刑事経験を踏まえて、樽井刑事と被疑者佐竹朋子が心中にいたる経緯の合理的な推理を繰り広げる。その線で、一旦失踪事件の結果公表がおこなわれることになる。
 
 しかし、である。神村は二人の遺体の死後の時間差について、物理の教師だったという得意分野の知識を使い、熱伝導という観点で理論的に考察を始め、データログの収集依頼も行うということで、疑問点の解明に取り組み始める。独自の捜査を進めて行くのだ。教え子である美加に物理学の質問を投げかけながら・・・・・。
 倉持課長からみれば、ごく単純な経緯とみえた失踪事件が、神村とその指示を受けて協力する刑事たちにより、どんどんと思わぬ方向へと捜査が進展していく。

 このストーリー展開で興味深いのは、読み進めていたときに何気ない会話や何気ない行為のように受け止め、その時はあまり気に掛けず読み進めていた箇所に、巧妙な伏線となる情報・材料が仕組まれている点である。勿論それは推理小説の構成では常套手段なのだが、具体的なその材料にアンテナを張ることができないままに読み進めてしまっているのだ。読み進めて、漠然とした推測ができる段階・場面になっても、その具体的根拠がつかめないまま先を読むことになった。
 神村が「第二捜査官」たる由縁は、それらの材料と物理学の知識を統合していくというぶっ飛んだ捜査能力にある。神村が推理の根拠を語る段階でああそうかと思い、語らなかった部分は読了後にああそうだったかとわかることになる。このあたりがやはりおもしろい。 
 もう一つ、西尾美加が恩師である神村と捜査活動をしながら、神村の行動を観察し、それについての感想、思いが各所で描き込まれていく。これが結構おもしろい。なかなか辛辣な批評となったり、神村の行動解説となったりする。
 神村が捜査過程で、美加に質問を投げかける。そのほとんどに美加は回答できないのだが、神村の質問はある意味で、読者に投げかけている質問でもある。それは神村が解明しようとしている推理の線上でのヒントでもあるのだ。私は美加と同様にその返答に困る質問だった。つまり、神村と同じ視点で事件を追えてはいなかった。貴方はこの小説を読み進めて、神村の推理と同じ歩調で進めるだろうか? チャレンジしてみてほしい。

 これは、佐竹朋子が自供した殺人事件が、本来ならばマルBの樽井刑事が本領を発揮できる領域に直結する事件に絡んでいく発端だったのだ。忽然と失踪したように見える事の発端に、樽井刑事の思惑が潜んでいた。それが何だったか? この作品を読み、理解していってほしい。

 違法行為でないものと違法行為がセットなったボーダーラインを巧みについたところにネタがあり、暴力団の組織内での縄張り争いとヤクザの面子が絡んでいく。けっこうおもしろい展開となっていく巧妙な構成になっている。

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本書から関心事項とその関連内容をネット検索してみた。一覧にしておきたい。

暴力団の組織  暴力団ミニ講座  :「松江地区建設業暴力追放対策協議会」
六代目山口組組織図・2015  :「暴力団事務所の所在地と画像」
外国人が調べ上げた日本のヤクザ10の事実:「mirojoan's Blog」
偽造医薬品の密売組織の隆盛  :「e-メヒコ e-MEXICO」
偽造処方せんと刑法犯罪  :「弁護士小森榮の薬物問題ノート」
偽造医薬品対策を先導するフランス  :「在日フランス大使館」
地下経済  :ウィキペディア
日本人の指紋の種類  :「法科学鑑定研究所」
蹄状紋  :「コトバンク」
戸籍の売買について。戸籍の売買は可能でしょうか?  :「YAHOO!知恵袋」
”情報屋”闇のネットワークを追う  :「クローズアップ現代」
バカラ(トランプ)  :ウィキペディア
知っているようで知らない【バカラ賭博】って?【Twitterの声も】:「NAVERまとめ」
伝熱  :「コトバンク」
伝熱の基本3形態  :「阿部豊研究室」
データロガー  :ウィキペディア
日影曲線   :「京都市青少年科学センター」
なぜ、春分の日の影の動きは直線になるのか :YouTube
日射エネルギー  :「Studio HAIYAMA」
死体現象(死後変化) :「法病理学講義ノート」(青木康博氏)

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『地獄絵』 新人物往来社[編]  新人物往来社

2015-10-12 08:59:44 | レビュー
 地獄という概念は、洋の東西を問わず、世界の様々な地域に存在する。西洋で言えば、ミケランジェロの描いた「最後の審判」には地獄に堕ちて行く人々が描かれている。ダンテの『神曲』に描かれた「地獄編」は有名である。ギリシャ神話「オルフェウスとエウリディケ」から発想を得て、オペレッタ「地獄のオルフェ」が1858年に初演されたという。J.オッフェンバッハ作曲の「天国と地獄」という曲は有名だ。
 ゾロアスター教には『アルダー・ウィラーズ・ナーメ(敬虔なるウィラーズの冥界旅行』という書に地獄が描かれている。イスラム教の聖典である『コーラン』にも、最後の審判で地獄のことを記すという。

 日本ではどうか。仏教の経典とともに地獄という概念が日本に伝わってきた。本書の総論「地獄-絶望と救い」で廣川勝美同志社大学名誉教授は、僧景戒の選述したわが国最初の仏教説話集である『日本霊異記』に地獄の責め苦が記されているという。地獄の痛苦とそこからの救済を説話の形でまとめているようである。
 さらに、「地獄」そのものを明確に描き出した最初の書が惠心僧都源信の『往生要集』ということになる。仏典に描写された地獄を集約して、この書の最初「大文第一 厭離穢土」に六道の「第一地獄」を著している。そして第二から第六として「餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道」が説かれていく。岩波文庫『往生要集(上)』(石田瑞磨訳注)が原文に一番手頃にアプローチできるものだろう。
 「第一に、地獄もまた分かちて八となす。一には等活(とうかつ)、二には黒縄(こくじょう)、三には叫喚(きょうかん)、五には大叫喚、六には焦熱(しょうねつ)、七には大焦熱、八には無間(むけん)なり」という書き出しで八大地獄の有様を微に入り細に入り描出している。
 この八大地獄を絵に著したのが狭義の地獄絵である。文字を読み、己の頭脳でそのイメージを描き出せる人は、源信の時代、それ以降においても一部の人々である。一般民衆は文字を読むこのできる人は少数派だっただろう。文字の読めない人々に、地獄を実感させるには? そういう人に八大地獄をイメージさせるにはおどろおどろしき地獄絵として描き出すことが、どれほど強烈なインパクトになっただろうか。魑魅魍魎の世界を身近に感じていた人々がその絵を見るのである。現代人には想像を絶する心理的インパクトがあったのではないか。
 仏教思想に取り込まれた「六道輪廻」という概念の中で「地獄」を筆頭とした痛苦・恐怖が様々に展開されていく。それが「六道絵」となって現出された。

 この書は、源信が「厭離穢土」として記した内容を具体的にわかりやすく解説し、滋賀県大津市に所在の聖聚来迎寺が所蔵される「六道絵」の掛軸絵を使って画像で紹介するという構成になっている。掛軸としての一幅の絵全体を提示し、さらにその部分絵図を切り出して、具体的な地獄の場面と他の五道の場面を解説している。インターネットで検索すると、聖聚来迎寺所蔵の六道絵の掛軸絵について何幅の画像を見ることができる。だがその細部の具体的な絵まではわかりづらい。この六道絵を詳細に鑑賞するには手ごろな書である。

 本書の目次構成をご紹介しておきたい。
総論 地獄-絶望と救い
1章 閻魔王庁で裁かれる人々  閻魔王庁
2章 地獄の恐怖と苦しみ 等活地獄・黒縄地獄・衆合地獄・阿鼻地獄
3章 餓鬼の飢えと渇き   餓鬼道
4章 畜生道の救いなき日常 畜生道
5章 修羅道の永遠の闘争  修羅道
6章 人道の苦しみと無常  人道不浄相・人道苦相・人道無常相
7章 天道の喜びと五衰   天道
8章 念仏功徳に託した願い 譬喩経所説念仏功徳・優婆塞戒経所説念仏功徳

 いつの時代にもどの地域でも、人々はこの世に地獄を見てきた。この書は大凡の日本人が何かの機会に伝聞・見聞してきた「地獄」「六道」の諸相だである。改めて、見つめ直すのも、日本人の歴史を顧みる好材料だと思う。また、その思想、イマジネーションはシルクロードの遙かな道を介して西域、インドにまで繋がっていることに思いを馳せることになっていく。

 最後に総論の冒頭に紹介されている武田泰淳の印象深い文を引用させていただこう。

「あたり一面、地獄がみちみちていたから、地球上どこへ行っても宗教の無い場所はなかった。地獄からの救い。それを求める人間が、宗教を生み出した。これを言いかえれば、地獄をふりすててしまえば、この世に宗教は存在できなくなる予感がする。」(『私の中の地獄』)

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本書の地獄絵に直接関連する事項についてネット検索したものを一覧にしておきたい。

六道絵 :ウィキペディア
近江巡礼 祈りの至宝展  :「静岡市美術館」
大津 国宝への旅 :「大津市歴史博物館」
「国宝 六道絵」の魅力  :「大津れきはく日記」
絹本着色六道絵 国宝 聖衆来迎寺  :「なびポン写真」
絹本著色六道絵 :「まるじりあ」
国宝 六道絵[閻魔王庁図]  道教の美術  :「大阪市立美術館」
国宝・絹本著色六道絵(聖衆来迎寺、鎌倉時代)のうち、生老病死四苦相図
  :「滋賀報知新聞」
日枝の山道4(聖衆来迎寺と十界図の虫干し) :「Katata/堅田」

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『マル暴甘糟』 今野 敏  実業之日本社

2015-10-08 09:32:34 | レビュー
 甘糟達夫(あまかすたつお)、35歳、北綾瀬署刑事組織犯罪課組織犯罪対策係所属、巡査部長が主人公である。身長は人並み、体格もそれほどよくなく、童顔のためいつも30歳前にみられるというマル暴刑事である。「俺は、定年まで何事もなく勤め上げて、貯蓄と年金で余生を暮らすんだ。それが人生設計なんだ」(p53)とマルBに対して語る。なぜ組対係になったかが不思議でならないと思っている人物。
 甘糟が組むのが郡原虎蔵(ぐんばらとらぞう)という先輩刑事。思いっきりごつくて、身長180cm、目が鋭く、髪は坊主刈り、学生時代から柔道で鍛えた体格。いつも黒いスーツにノーネクタイ。誰が見てもマル暴刑事というよりもその筋の人、ホンモノに見えるという巡査部長なのだ。そして、甘糟はこの郡原をヤクザ以上に恐れているという設定である。全く対照的なマル暴刑事のコンビが事件に取り組んでいく。

 この小説の楽しいのは、甘糟が自分はマル暴刑事としては役に立たない落第だという心理を抱きつつ、郡原の指示に必死で対応していくときの思い・考えが描き込まれていくことにある。マルBに対応していくときの心の動きがユーモラスな会話を伴いながら-公務員としての規則遵守、つまりヤクザからの接待を受ければクビが飛ぶという考えが-表出する形で描かれる。また、甘糟自身がヤクザと接触するときに、ヤクザが恐いという一般人並みの感覚で対応していくという情景描写にもある。郡原の言動とのコントラストがまず楽しくて、読ませる部分でもある。
 
 さて、ストーリーの発端は、甘糟が当番の夜に起こった事件である。被害者が暴力団員風だという傷害事件が綾瀬六丁目、レンタルビデオ屋の向かいの駐車場で発生する。強行犯係の当番、芦谷公助に言われ、被害者が暴力団員風ということから、マル暴の甘糟も事件現場に向かう。勿論、甘糟は郡原に連絡をとり、現場で落ち会うことになる。
 機動捜査隊の鹿沼が言った被害者の特徴は、暴走族上がりの特徴だった。被害者には鈍器で殴られた複数の殴打跡があり、病院への搬送途中で死亡する。病院で死体を見た郡原は、すぐさま被害者が多嘉原連合の構成員、東山源一、通称ゲンと識別した。多嘉原連合は、北綾瀬署管内に本部事務所を持つ暴力団で、関東の大組織・坂東連合の二次団体である。
 組員が撲殺されたのだ。これは暴力団同士の抗争事件なのか、そうではないのか?
 東山源一は組の中では将来有望と言われているマル走上がりの男である。もとは半ゲソで、組員になったばかりなのだ。組員が撲殺されたことに対し、多嘉原連合はどう動くか? 郡原は「マルBをなめちゃいけない。やつらの裏情報は、時には警察を凌ぐこともある」(p17)と認識している。郡原は多嘉原連合の本家の様子を見にいく。甘糟はゲンの兄貴分唐津晃(からつあきら)、通称アキラの居場所をつきとめ、張り付くように指示される。マル暴刑事の初動捜査としての行動を取る。
 甘糟はキャバクラに立ち寄り、アキラが「ジュリア」という別のキャバクラに居ると聞き込みをする。「ジュリア」でアキラを確認するのだが、アキラに多嘉原連合の事務所に連れ込まれる羽目になる。そして組長の多嘉原由起夫にも会わされることに。冒頭のこの経緯で、甘糟という刑事のキャラクターがユーモラスに描き込まれていく。このスタンスが、ストーリー中で幾度か出てくるが、それがなかなかおもしろい刑事像を浮き上がらせることになる。

 北綾瀬署に『構成員殺人事件捜査本部』が立つ。警視庁捜査一課が乗り込んできて強行犯係の事件として捜査が開始される。構成員が被害者ということで、事件の端緒に触れた甘糟・郡原が捜査本部の応援部隊に組み込まれることになる。
 初動捜査で、防犯カメラに映っていた車は、いかにもギャングか半グレが乗っていそうなタイブの車、黒のミニバンだと判明する。ゲンはマル走上がりであり、もとの仲間のトラブルに巻き込まれた可能性が想定される。アキラはゲンがもとの仲間とは既に切れていてプロであり、半グレのアマチュアとは違うと甘糟は言われたという。暴走族にはかならず対立グループが存在するので、ゲンは対立グループから狙われた線も考えられる。暴力団の抗争の一環なのかもしれない。だが、暴力団なら、駐車場での傷害致死などという形で殺すというやり方は解せないとマル暴刑事はみる。

 捜査本部は警視庁捜査一課と強行犯係が主体となる。捜査は犯行の手口と防犯カメラに映っていた車という事実から、半グレの仕業という線で進められていく。郡原と甘糟が応援部隊として組み込まれたのは、被害者が元半ゲソだったからということによる。
 傷害致死事件ならば強行犯係の担当、マル暴絡みならば組織犯罪対策係の担当と分かれる。強行犯係の刑事には、被害者が元暴走族で暴力団員だから、一般人が殺害されたときのように捜査本部を作るまでもなく、マル暴の仕事として組対の方に任せればよいという者もいる。そんな中で事件が捜査本部案件として取り扱われていく。

 甘糟は警視庁捜査一課の梶警部補、五十近いベテランに見える刑事と組むことになり、郡原は普段の梶刑事の相棒である遠藤刑事と組まされる。だが、郡原は捜査本部に加わったときに、「マル暴には独自の情報入手ルートがあります」と言い、管理官からは「たしかに、そのとおりだ・・・・。君たちには、独自に情報を追ってもらう」という言質を取った。ただし、情報は共有するのが捜査本部の原則だとして、捜査一課の捜査員と組み動くことを命じられる。

 このストーリーのおもしろさは、捜査本部体制での強行犯係の捜査のやり方とマル暴・組対係の捜査のやり方の大きな違いを浮き彫りにしていくプロセスにある。
 強行犯係の捜査本部は、重要事案を早期に解決するため、集中的に人員を投入し、本部の方針に従い、全員が一丸となり、分担された課題を捜査する。個々の刑事は捜査本部の指示に従う兵隊となる。それは郡原流に言えば、「徹夜で地べたを這いずり回るような捜査」である。一方、マル暴刑事は独自の情報ルートを手がかりに情報収集し捜査を進める。
 この違いが、当初は郡原と梶の捜査方法と捜査指示に対する意見の対立として顕在化するところから始まって行く。現場経験の少なさそうな捜査一課の梶警部補に、彼の力量を試すような発言を投げかけることから、郡原は始めて行く。甘糟ははらはらしながら警察組織における身分や行動につい考えてしまう。梶刑事は最初は捜査本部のやり方を貫こうとする。このプロセスの展開がおもしろい。
 梶刑事はマル暴刑事・郡原のやり方を理解し始め、また総合的な視点から捜査本部の方針の盲点にも気付き始める。捜査のやり方を徐々に柔軟に変えて行く。郡原も梶刑事の力量と強味に気づいていく。甘糟は梶と郡原の間に立ち、戸惑いながらも、両者の長所を学んでいくという経緯になる。
 これが捜査本部体制という中での捜査の進め方という観点での読ませどころとなる。郡原は方針という指示に従う捜査より自分の頭で考えるという捜査を力説するのだ。
 
 暴力団の抗争という立場でみると、ゲンの殺され方は暴力団のやりかたらしくない。だが、暴力団の抗争の可能性を無視できない。本部方針とは異なるが、郡原は梶警部の意見に抗いながら、甘糟に多嘉原連合が抗争する対象という観点で、甘糟に足立社中の様子を見てこいと指示する。捜査本部組織では、梶と組まされた甘糟に、郡原が直接指示をだすことそのものがルール違反なのだ。指示の出し方からまず対立が始まり・・・・。この辺りけっこうリアル感のある描き方である。甘糟の気の使い方が楽しめるところでもある。

 捜査一課の梶にとっては、暴力団の事務所を訪ねて様子を探るという未経験の領域に触れることになる。それは、甘糟のマル暴としての力量を客観的に観察していく目にもなるという点が興味深い。

 捜査本部は、半グレの車について捜査を推し進め、持ち主が元暴走族で無職、32歳の滝定夫だと判明する。だが、自動車検査登録事務所で車の所有者が判明したにしては、日数がかかり過ぎている点に、郡原は疑問を投げかける。そこには何か裏がありそうだと考えるのだ。
 一方、郡原と甘糟のそれぞれの組は、アキラと足立社中の張り込みを続ける。足立社中の近くでの張り込み中に、「ジュリア」の従業員だという駒田讓が甘糟に声を掛けてくる。アキラさんの面子もあるので、店に遊びにきてくれという。規定料金で内容的にはサービスをするというのだ。梶は敵対事務所の近くにいる二人に声を掛けてきたことに、何か意味があるのではと推測し、店に遊びに行くのもよいのではないかと言い出す。
 そんな折、多嘉原連合の近くでアキラを張り込む郡原から連絡が入る。アキラが車で動き出す後の尾行を引き継いだ甘糟は、「サミーズバー」に至る。そこは半グレの車の持ち主が現れないかと監視の刑事が既に張り込んでいるところだった。甘糟と梶は、アキラと話をするために、店に入っていく。
 その後、郡原に状況説明をした甘糟は、郡原にも「ジュリア」に行けと指示される。そこから、一歩ずつ事実の解明が進展していく。

 キャバクラ「ジュリア」を軸としながら、半グレの集団による傷害致死の線と暴力団抗争の一環となる殺害の線が交差していく。そこには意外な真相があった。マル暴には不適だと自己評価する甘糟が、結局は東山源一殺人事件の謎を解明する。
 この作品を読み終えて連想したのがは「漁夫の利」という中国の故事である。ああ、これって「漁夫の利」の逆バージョンだな・・・・。この印象論の意味合いは、この小説を楽しんでいただき、そういう連想が適切かどうか、ご判断いただきたい。

 マル暴刑事の甘糟はスーパーヒーローでもなんでもない。自己評価を低く見がちな等身大の刑事だ。その刑事がヤクザ以上に恐ろしいと心理的に感じる先輩刑事・郡原の薫陶を得ながら活動するというところに親しみを感じる。ユーモラスな会話も楽しみを加えるところである。それが、逆に郡原刑事のもつおもしろみを際立たせることにもなっている。 一方で、捜査一課の現場経験が少ない梶警部補の捜査に対する心理の変化も一つの読みどころである。警察組織内の管理部門での経験が一つの押さえ所として充分に活かされていくという展開も興味深い。やはり、捜査は様々なキャラクターの刑事の組み合わせが読ませどころになるのだろう。

 末尾のアキラと甘糟の会話が余韻を残す。
アキラが言った。「覚えているか? もし、俺がグレてなくて、あんたが警察官じゃなかったら、いっしょに飲みに行ったりできたかなって、俺が訊いたこと。」「そのこたえを訊きたいと思っているんだが・・・・」
「そうだね。」甘糟はこたえた。「立場が違えば、いっしょに飲めたと思うよ」


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この小説に出てくる用語の関連でいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
「反共抜刀隊」構想 ←【Ⅲ】右翼・任侠・暴力団(第20回) 2)右翼の暴力的再編
              :「山口たもつが行く!」
木村篤太郎 :ウィキペディア
森田政治  :ウィキペディア
迷惑防止条例
 公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例
   昭和37年10月11日 条例第103号
 都道府県の迷惑防止条例
半ゲソってなんですか?  :「YAHOO!知恵袋」
ヤクザ  NAVER まとめ
国土交通省関東運輸局 ホームページ
近畿運輸局 ホームページ
自動車検査・登録ガイド  :「国土交通省」
自動車検査登録事務所 → 全国運輸支局のご案内 関東
検査登録のしくみ  :「国土交通省」
自動車検査法人 ホームページ


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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『精鋭』 朝日新聞出版
『バトル・ダーク ボディーガード工藤兵悟3』 ハルキ文庫
『東京ベイエリア分署 硝子の殺人者』 ハルキ文庫
『波濤の牙 海上保安庁特殊救難隊』 ハルキ文庫
『チェイス・ゲーム ボディーガード工藤兵悟2』 ハルキ文庫
『襲撃』  徳間文庫
『アキハバラ』  中公文庫
『パラレル』  中公文庫
『軌跡』  角川文庫
『ペトロ』 中央公論新社
『自覚 隠蔽捜査 5.5』  新潮社
『捜査組曲 東京湾臨海署安曇班』  角川春樹事務所
『廉恥 警視庁強行犯係・樋口顕』  幻冬舎
『闇の争覇 歌舞伎町特別診療所』  徳間文庫

=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新4版 (45冊)

『世界最新 紛争地図』 黒井文太郎ほか共著 別冊宝島  宝島社

2015-10-04 10:06:30 | レビュー
 海に囲まれた日本国土を離れて四方に飛び立てば、世界中の各地に「火種」があり内戦や紛争が発生し継続している。TV番組をみれば、今世界の至るところに日本人が出かけている。諸目的での一時的海外滞在者と併せて、海外の現地に定住している人々も数多くいる。しかしシリーズ化されたいくつかの連続TV番組で報じられるのは平和な地域での状況が中心だ。つまり、きれいな絵が映し出され、視聴者に興味とおもしろさを喚起させるというもの。お楽しみ番組である。
 一方、燻りつづけ、多少の火がついていても、内戦や紛争は「火種」が大きく発火しないかぎり、マスメディアのニュースに取り上げられることはない。かなりの死亡者が発生した緊急事態だけがスポット的に多少の前後経緯を含めて、大きくニュースとして浮上するだけである。そこにもし日本人が巻き込まれている可能性があれば、一時的に一層大々的なニュースとして報道される。断片的に切り出された悲惨な映像と局面的な解説だけでは、正直なところ全体の文脈がわからない。大変な映像、悲惨な映像をニュースとして知る日本人が大半ではないだろうか。私もそのひとりである。
 楽しめるTV番組から得られる世界の現地事情情報から比べると、私を含めて「世界の火種」つまり内戦・紛争の実態についてはほとんど知らない、知らされていないのが実情だと思う。そんな中で「集団的自衛権」という言葉が独り歩きしてきた。「『我が国の存立が脅かされる』存立危機事態」という超抽象的表現が国会答弁の中でさえ、揺れ動いていたまま、安保関連法案が可決され、成立してしまった。

 マスメディアからは全体像として知らされない世界のネガティブでダークな側面をまずは包括的に知っておくことが必要ではないか。いまこの瞬間にも、世界のどこで内戦や紛争が起こっている事実をしっかり理解しておくこと、その「火種」はなぜ発生しているのか? テロ行為が発生する裏には、当然テロ行為を行う組織が存在する。世界のどこにどんなテロ集団が存在するのか? これも今後無関係とは思えなくなる。
 なぜなら、安保関連法が成立してしまったのだから。「集団的自衛権」という名の下に、海外の現地で戦闘行為に直接加わる可能性を遂に現実のものとした。その直接的関わりが現実化すれば、敵対者となる相手方を日本国土に引き寄せることにつながる。戦闘・戦争への直接的加担に踏み込めば、それは終結に至るまでは増大・拡大の一途を歩むことになるのだから。それは過去の歴史が物語っている。つまり、論理的に想像力を広げると、敵対側の報復手段の一環として、日本国内でテロ行為が行われる可能性を自ら引き寄せたことにもなる。

 本書は、2015年5月時点で世界各地に存在する「火種」の状況、紛争の実態を個別概説的にまとめたものである。紛争の発生している地域を地図で図解し、各地の紛争に関連した写真を多数掲載して、視覚的にイメージが湧きやすく構成されている。この書の「世界最新」も、もはや古くなっている情報をかなり含んでいるかもしれない。しかし、世界の紛争状況における最新勢力図とその背景を全体像として把握するには入門書として充分に役立つまとめ方になっていると思う。
 
 本書の構成をご紹介しておこう。
第1章 イスラム国と中東の火種
 疑似国家の統治体制をとる「イスラム国」の組織体制と現在の支配地域の状況、世界からの若者の参加実態などが図解されている。イスラム国に対抗して交戦するイラク・シリア政府軍を支援する「有志連合」の実情がわかりやすく図解・解説されている。また、このイスラム国の支配地域であるシリア国自体が、「シリア内戦」を抱えていて、シリア政府軍に対立する組織(人民防衛隊と反政府軍諸派)がどういう関係にあるかも押さえておくことが必要である。このことがよくわかる。人民防衛隊、反政府軍諸派はイスラム国とも対立・交戦するという三つ巴の交戦関係なのだ。この実態がイメージしやすい。
 中東の火種の実態は、「石油」確保を媒介にして日本と連結していく。
 「有志連合」の対イスラム国交戦支援は、現状では空爆主体のようである。その空爆の約8割をアメリカ軍が担ってきたという。「アメリカがシリアとイラクでの空爆に要した費用は、合計で18億3000万ドル(約2200億円)になるという」(p12)。行間を読むことになるが、軍需関連産業がそれだけの規模の収益を得ているという見方もできる。金が巡っているのだ。

第2章 現在進行形の紛争地域
 この章で紛争地域として括られている項目名称をまず列挙してみる。括弧内は小区分されている地域数を意味する。この項目と地域数だけを読んで、あなたは具体的な紛争地域を世界地図上でイメージ連想できるだろうか? 私は残念ながらすぐに思い浮かべられなかったロケーションもあった。
   日本の領土問題(3)/ロシアが仕掛ける紛争(5)/中国が抱える紛争地(5)
   南北スーダン問題/ソマリア問題/朝鮮統一問題/フォークランド紛争
   カシミール紛争/タイ・アンボジア国境紛争/キプロス紛争
 さて、現在の紛争地域は、現状が政治的交渉のもの、対峙状況維持のもの、交戦状態のもの、停戦状態のものなど、その濃淡はさまざまである。紛争地図を考えて、日本との関わりもその濃淡に大きな幅がある。集団的自衛権という拡大解釈の危険を伴う概念からみても、その濃淡が推測できるものが含まれている。
 政治的国家交渉継続中の「日本の領土問題」は最も色濃い地域である。さらに第1章の中東は関わりの濃い地域になりかねない。ソマリア問題はその連続性の中にある。中国が抱える紛争地域の一つ「南シナ海(西沙・南沙諸島)」や「朝鮮統一問題」も日本にとって影響の大きな「火種」になる地域であることは間違いない。濃淡でいえば濃い関わりを想定せざるをえない地域なのではないか。
 「『我が国の存立が脅かされる』存立危機事態」という抽象的フレーズが拡大解釈されていく懸念をぬぐえない。

第3章 世界の現役テロ組織
 仏教はテロ組織とは無縁と勝手に思っていたのだが、この章の最初が「ミャンマー仏教過激派組織『969運動』」なのには、一瞬絶句。初めてこんなテロ組織があったことを知った次第。
 この章では、現在活動しているテロ組織の概説を大半は見開き2ページで概説している。データとして「結成年・創設者・現リーダー・構成人数・資金源」がまとめて表示されていて、地図と写真併載で、活動経緯が概説されている。
 末尾には、日本近海に出現した「シー・シェパード」がエコ・テロリズムの社会的文脈で、テロ団体と米国政府も認定したことが説明されている。「シー・シェパード」の名前と活動の一端はマスメディアを通して見聞しているが、テロ団体に認定されていたのは本書で初めて知った次第。(今までの報道で見落とし、聞き漏らしだっただけなのかも知らないが・・・・。)アメリカの裁判所が海賊認定をしているようだ。
 最後に、米FBIのエコ・テロリズム」の定義が記載されているので、紹介しておこう。「環境保護を目的とした集団によって、政治的な理由や見せしめとして大衆に訴えるため、無実の人や物に対して犯罪的な性質の暴力が行使されること、行使を仄(ほの)めかすこと」。
 現役テロ組織が存在する国として、この章ではミャンマー、フィリピン、トルコ、ウガンダ、コロンビア、イギリス、ペルー、ギリシャ、スペイン、カナダ、アメリカが挙げられている。

 日本に住んでいるとほとんどというくらい意識することのない「民族」の独立と「宗教」が根本的な紛争の「火種」になっているようである。しかし、そこには一方で、民族・宗教を標榜した形での行為者の「欲望」が垣間見える局面も感じる。
 さらに、紛争の「火種」(原因)として、国家も絡んだ欲望が底流に潜むというものがある。その一つは、地政学的な観点でのその地域の確保がある。さらにもう一つはその紛争地域で発見された、あるいは発見の可能性が高い地下資源-石油、天然ガス、稀少資源-の存在である。これらは別の理由にうまくカモフラージュされて紛争地域となっている。このあたりは、しっかりと理解していく必要がありそうだ。
 
 世界の紛争について、意識化を進め一歩深く踏み込むきっかけになる本である。

 ご一読ありがとうございます。

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本書と関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。

福田 充×野中英紀 「メディアはテロリズムをどう報じていくべきなのか?」 2015.03.02 :YouTube
What is 'Islamic State'? :「BBC NEWS」
イラク・レバントのイスラム国(ISIL) :「PSIA 公安調査庁」
イスラム国 関連情報一覧 :「iRONNNA]

尖閣諸島中国漁船衝突事件・政府公開概要版ビデオ  :「YouTube」
尖閣諸島衝突ビデオ The collision from another angel :「YouTube」
南沙諸島埋め立て問題 :ウィキペディア
「南沙諸島」の領有権を中国が主張する理由 2015.6.4 野嶋剛氏 :「Foresight」
南沙諸島問題と米中の確執  :「21世記の日本と国際社会」
ソマリア海賊が民間船にロケット砲を撃ちまくる  :「YouTube」
海上自衛隊特に、米・独・西・と連携ソマリア海賊対策護衛活動 :「YouTube」
最新鋭哨戒機P1をソマリアへ派遣!!   :「YouTube」

国際テロ組織 世界のテロ組織等の概要・動向 :「PSIA 公安調査庁」
「イスラム国」だけではない!! 世界のヤバすぎるテロ組織10  :「excite ニュース」

KONY 2012 (日本語字幕)1  :YouTube
KONY 2012 (日本語字幕) 2   :YouTube
War crimes trial starts for Uganda rebel leader :YouTube
Uganda's LRA war criminals speak about horrors of war :YouTube
The Truth: Kony 2012 Exposed  :YouTube
KONY 2012 A Shocking Discovery It's All About Oil  :YouTube
Invisible Children Documentary   :YouTube

「シー・シェパード、ひどい」 モントリオール映画祭、日本人女性監督の反捕鯨「反証」作品に熱い反響  2015.9.5  :「産経ニューズ」
日本は、なぜ「シー・シェパード」に弱腰なのか  :「東洋経済」
シー・シェパードVSデンマーク 日本が学ぶべきフェロー諸島の対策
  2015.7.31 佐々木政明氏  :「WEDGE Infinity」
Sea Shepard Global ホームページ

「集団的自衛権」問題のポイント整理 2013.9.5
:「21世記の日本と国際社会」
主権者の立場からの集団的自衛権問題 ―憲法第九条と集団的自衛権-
 :「21世記の日本と国際社会」
主権者の立場からの集団的自衛権問題 -私たちの憲法論と安全保障論-
:「21世記の日本と国際社会」


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