遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『切腹考』  伊藤比呂美  文藝春秋

2022-05-29 00:46:35 | レビュー
 何がきっかけでこの本を知ったのか思い出せない。タイトルが面白くて読んでみることにしたのだろう。読み始めてエッセイ集であると知った。「文學界」(2015年3月号~2016年9月号)に掲載されたエッセイに加筆し、再編集されて2017年2月に単行本が刊行された。調べてみて知ったのだが、今年(2022)の2月に文庫化されている。
 
この文庫本には単行本にはない「鷗外先生とわたし」という副題が付いている。(付記:鷗という漢字は変換の際に環境依存文字と出るので、以下鴎の漢字で代用する。ご理解いただきたい。)

 本書にはエッセイが13編と史料の翻訳2つが収録されている。一番最初に「切腹考」、その次に「鴎外先生とわたし」が続く。目次が「文學界」に掲載された順なのかどうかは知らない。収録の順番も再編集されているのかもしれない。だが、文庫化にあたり「鴎外先生とわたし」を副題につけたのは、わかりやすいと思うし、ミスリードすることもなくなるだろう。「切腹考」だけだと、「切腹」に大きな比重が置かれたもの中心という先入観を持ちそうだから。私がタイトルだけを知って、その印象から読み始めた一人なので・・・・。

 本書を読み通してわかったのは、「切腹」に関連して著者の関心事項を論じたエッセイと、詩人である著者が森鴎外の作品に寄せる関心や分析を論じたエッセイをまとめているということ。切腹や森鴎外の作品に接点を持つ形で書かれたエッセイも含まれている。
 研究者であった前の夫と渡米し長年一緒に生活してきたイギリス人の夫。それぞれとの生活を過ごしながら、詩人として生きてきた己の有り様も描き込む。そこに、切腹や森鴎外に対する視点と思考が絡んでいる。
 興味深いのは、詩人であることに拘る著者が、長年に亘り鴎外の作品を繰り返し読み続け、考え続けてきた結果が吐露されていることである。だが、森鴎外研究者のスタンスではない点がエッセイの中に明記されている。その点もおもしろい。

 本書の最初に「切腹」をテーマとする<切腹考>というエッセイが載る。冒頭「世の中に切腹愛好家多しといえども、実際に生の切腹を見たことがある人はなかなかいないだろう。わたしはそのひとりなのだった。」から始まる。えっ!と引きつける。その体験談が語られている。熊本在で個人営業の内科医院の医師O氏が白装束で作法通りに切腹プレイを一部実演した。実際に脇差を左の脇腹に突き刺したという。併せて、切腹愛好家と切腹小説に言及していく。
 
 2つめの<鴎外先生とわたし>は、最初のエッセイの余韻なのかどうかわからないが、切腹のファンファジーから書き出される。だが、なぜか「鴎外が好き」という一文から鴎外先生への傾倒に話が飛んでいく。好きという感情、鴎外に執着させられる説明を著者は試みる。鴎外の擬古文の文体と表現法、文のリズムに魅了されてきた点を論じていく。このエッセイ集、森鴎外の作品を読む上で、著者の視点を介してひとつの案内役となる。読み方のヒントを得られる。
 
 さて、「切腹」に関連していくエッセイには次のものがある。
 <弥五右衞門>
 細川三斎忠興公の十三回忌に殉死の本望を遂げるために切腹して果てる「興津弥五右衞門の遺書」の初稿を著者が直訳する。
 
 一方、「森鴎外」に関連していくエッセイは次のものがある。
 <普請中>
 マーマイトからの連想が、鴎外の「独逸日記」の記述や短編「普請中」の一部に連鎖し、一方で、著者が3週間、ベルリンに済んだ経験が重ねられていく。

 <ばあさんとじいさん>
 著者が鴎外の作品について、つねづね考えてきたことの一端を、ウンター・デン・リンデンのそばにある「森鴎外記念館」副館長で研究者のBさんとの出会いを契機に語る。鴎外作<ぢいさんばあさん」(p117)の主人公るん、「安井夫人」の安井夫人であるお佐代、そしていちが「みな同一の人格」だということや、「舞姫」のエリスは、「マルガレーテ、お蝶その他が合体した人格じゃないか」(p117)という発想が語られる。「るんという一人の女が、すべての女たちの個性をまとめ上げたものに近づいていくような気さえする」(p119)という。鴎外の描く女性像について、著者は特に関心を持っていることが良く分かる。

 <ヰタ・リテラーリス>
 「伊藤しろみ君は詩人である」という一文からはじまる。「しろみ」は友人のIさんやIさんの夫の呼びかけの表現である。(誤植ではない。)この文は20代後半から30年近くを経てきた詩人伊藤比呂美としての文学遍歴を語る。所謂行分けの現代詩を書かなくなって久しい理由にも言及している。 著者は、鴎外の「ヰタ・セクスアリス」風に記述するるつもりだったようだが、「捨ててみた。すると『わたし』が出てきて、エッセイみたいになり、事実を其の儘書いているように見えるが、なんの、フィクションです。」(p132)という微妙な一文を書き加えている。
 若き時代の子育てと文学人生の回顧エッセイである。「鴎外選集」第16巻との出会いについても語る。説経節について自分たちの定義も記している。

 <山は遠うございます>
 「日本に帰るか帰るまいか」アメリカに居てSさんの情報誌で人生相談を始めた経緯を記す。そして「日本の文化には、酷薄という言葉がぴったりする」という実感について語る。鴎外が「花子」に書いた「山は遠うございます。海はぢき傍にございます。」とリンクさせている。
 「阿部一族」のある箇所の文章を行分けして書き、「鴎外の文章は行分けしてこそ活き活きとしてくる。」(p156)と論じている。さらに、ヨーロッパの近代文学には書かないことを、鴎外は「おのれが生きる、生きて窒息しているこの世界」を整理するために書かずにいられないのだとすら著者は論じている。

 <隣のスモトさん>
 鴎外の「阿部一族」は有名である。代表作の一つに取り上げられる。著者はこの話をいやな話だという。そして、その背景を語る。この小説には「阿部茶事談」というソースがあることを、このエッセイで初めて知った。その概略を語り、鴎外がどのように「阿部一族」に翻案したかに触れている。深作欣二の映画「阿部一族」に展開していくところがおもしろい。殉死の根っ子にもふれている。

 <阿部茶事談(抄)>
 藤本千鶴子さんが原文を翻刻された「阿部茶事談(抄)」を著者がほぼ直訳したという。これはエッセイではなく、35ページの翻訳物である。鴎外の「阿部一族」に一歩深く踏み込むのに役立ちそうである。鴎外の「阿部一族」は大昔に芝居として観劇したことがある。鴎外の本が書棚に眠っている。鴎外の小説を読みたくなってきた。

 著者の人生を描写する一断面に「切腹」あるは「鴎外」と関わる接点を含ませたエッセイもある。
 <どの坂もお城に向かう>
 熊本城を中心にした地形を語り、切腹小説家宮坂三郎さん、哲学者山折哲雄さんに触れている。前半生を侍の文化の中で生きてきた鴎外の小説に、斬られる、切腹する、斬られて死ぬ場面は多いが、「痛いの苦しいのとは一言も書いていない」(p50)という点に着目している。この点での切腹小説との対比がおもしろい。

 <先生たちが声を放る>
 刀剣研究、古武術での歩き方の基本、手裏剣、アメリカでのズンバの練習、合気道、乗馬などの経験談が語られる。

 <マーマイトの小瓶>
 トーストに塗って食べるマーマイトについて語る。夏目漱石の「倫敦消息」を読んだことを契機に、漱石の足跡を追うことと、イギリス人の夫とロンドンに滞在したときの経験などを語る。一方、著者は漱石にそれほど関心を持っていないこともわかる。

 <ダフォディル>
 一行目に書かれているが、ダフォディルはラッパ水仙のこと。この英単語知らなかった。ダフォディルに絡んだ詩の話を覚えているかと、著者が夫に問いかけるところから始まる。病床につく老いたる夫のおしっこ、うんこの世話をすることに奮闘する姿がリアルに語られている。大学病院のERの部屋、夫の傍の隅の椅子に座り青空文庫に収録されている鴎外の作品を著者が読むことから、鴎外にリンクしていく。最後に鴎外作「能久親王年譜」に触れている。

 <地震>
 2016年4月14日夜、益城を震源地とする熊本大地震が発生した。この大地震の発生した時期に、著者は夫を看護し、彼の死を見つめる最終ステージに入っていた。熊本地震に遭遇した友人たちとのメール交信による現地状況の理解と、二十年来共に生活してきた夫との別れに臨む状況とがパラレルに進行する。このエッセイは、「夫は死骸になり果てた」という一行から始まる。ここで著者は、鴎外がハインリッヒ・フォン・クライスト著「チリの地震」を「地震」と題して翻訳したその内容に言及していく。

(森林太郎トシテ死)
 この最後に収録されているエッセイはなぜか見出しが丸括弧付きになっている。
 エッセイの内容は、夫が残したアメリカの家の裏庭に大きく繁った11本のユーカリの木にまつわる話である。夫の死後しばらくして、隣人が落葉の鬱陶しさなどと火災の際のリスクを理由にその伐採を要望してくる事態に直面する。一人でそれに対応しなければならない著者の煩わしい心理を題材にしている。この問題は、夫が生きていた数年前に起こって既に起こっていたのだ。その時は、著者の夫が反撃した。
 隣人が適意を持ち始めていると感じ、伐採の契約書に合意のサインをする己を想像する時に、鴎外の残した遺書の内で一番短い、一番悲痛な一文、それが鴎外の声として聞こえたと記す。
 言葉の問題とともに、文化の違い、コミュ二ティの問題が大きく関わっていることが伝わってくる。

 読み終えて、私の関心は、切腹についての著者の考察や関心を知ることよりも、著者が森鴎外の作品をライフワークとして考察し、その内容を語っていることに比重が移っていた。併せて、1980年代に著者がどんな詩を発表していたのかにも関心が出て来た。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して関心の波紋を少し広げてみた。一覧にしておきたい。
千葉徳爾  :ウィキペディア
切腹 作品一覧 :「pixiv」
切腹 作品一覧 :「カクヨム」
椿説弓張月  :ウィキペディア
刀剣研究連合会  ホームページ
ズンバ(Zumba)とは  :「Move & Music」
初心者向けのZumbaワークアウト    YouTube
15分ズンバダンスワークアウト(初心者向け自宅)  YouTube
マーマイト  :ウィキペディア
説経節    :ウィキペディア
説経節とは? :「東村山市」
千僧供養   :「コトバンク」
万僧供養   :「コトバンク」
熊本地震(2016年)  :ウィキペディア
作家別作品リスト:No.129 森鴎外  :「青空文庫」

伊藤比呂美 :ウィキペディア
詩人・伊藤比呂美はなぜ「切腹」に興味をひかれたのか  :「文春オンライン」
『切腹考』――著者は語る

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)



『最終標的 所轄魂』  笹本稜平   徳間書店

2022-05-25 09:33:21 | レビュー
 所轄魂シリーズの第5弾! 「読楽」(2017年3月~2018年3月)に連載された後、加筆修正されて、2018年10月に単行本が刊行された。
 2022年5月13日に文庫化されたところである。

 冒頭、警察庁刑事局長である勝沼厳が警察大学校の校長に異動するという噂が大原課長から葛木邦彦に伝えられる。敵対勢力からの報復が動き始める予兆が現れた。
 そんな矢先、1時間ほど前に砂川二丁目の路上で轢き逃げ事故が発生したという。被害者は意識不明の重体で救急車により病院に搬送された。命を取り留めたが意識が戻らないという。名前は田口由美子、26歳。自宅は現場近くで、両親との3人暮らし。江戸川区立瑞江小学校に勤務する教諭で、通勤の途中だった。
 初動捜査で、目撃者の証言から車種はメルセデスAMG C43。シルバーグレイのメルセデスでスポーツタイプ。足立ナンバーとわかる。目撃者が車好きだったので一目で特定できたという。所有者調べで、江東区在住、車は足立ナンバーという一人に絞り込めた。被疑者は橋村彰夫。問題は彼の父親が与党所属で党三役もやったことがある橋村幸司衆議院議員であること。代議士は警察組織にとっての天敵である。彰夫は三男だった。
 城東警察署交通課交通捜査係長の水谷が電話を掛けて、彰夫の所在を確認したら、代議士の父親が出て来て所用で東京を離れていると言う。質問には答えようとしない。初動捜査はこれ以上ないほど迅速だったが、大きな障壁が現れることになった。
 自宅の張り込みと事件現場から自宅周辺までのルート範囲での徹底的な聞き込みが始まった。
 現場からの微量の塗料の破片とタイヤ跡の採取から証言と同じ車種と特定された。不審な点は急ブレーキを踏んだ形跡がなかったことだ。

 生活安全課からの連絡で、1ヵ月ほど前に、被疑者は橋村彰夫からストーカー行為を受けているとの相談があったという。生活安全課は事情を聞き、警告書を出した。1ヵ月ほど経ち再びストーカー行為が始まっていた。そこで公安委員会に禁止命令を出してもらう手続きを進めていた矢先だったと言う。また、被害者の同僚、相川浩一から橋村彰夫のことが聞けそうだという。
 大原は、この事案を轢き逃げから殺人未遂容疑に切り替え捜査に着手することを署長に承諾させた。刑事・組織犯罪対策課が捜査することになる。
 相川に聞き取り捜査をすることから、橋村彰夫のプロフィールがかなりあきらかになる。中学時代から不良グループに入り、事件を起こすと父親が示談処理。大学中退後パラサイト生活を続けている。父親は異常と思えるほど彰夫を溺愛している。親父の力で政治家になると彰夫は放言している。かつての暴走族仲間とのつながりがある。一人は表向きは「板金エース」という板金塗装業者の藤村浩三である。藤村は高畑一家のフロントらしい。さらに、父親が半グレ時代を経験していると彰夫から聞いたことがあると相川は言う。
 相川からの聞き取り情報は、大原らの聞き込み捜査の範囲を広げる契機になり、暴力団との関係がうかがえることから、捜査は別の捜査事案との連携という形にも広がって行く。

 行方が掴めなかった橋村彰夫の車がNシステムで検知された。彰夫は城東署の任意同行に応じた。本人はここ1週間、館山の友人の家に滞在していた帰路だと言う。彰夫は平然としていた。交通課で彰夫の車を目視チェックをしたが、人を撥ねた痕跡に結びつく形跡は発見できなかった。本庁の交通鑑識課に鑑定を依頼するも、任意提出の車の精査には限界があった。轢き逃げ事件に繋がる修復の痕跡は発見できない。物証がでないのだ。そこにはどういうトリックがあるのか・・・・。
 葛木が息子の俊史に状況を伝えると、俊史は突飛な発想を語った。「彰夫の友達の藤村が違法ヤードに関係しているとしたら、たまたまそこに同じモデルの車があって、車台番号が刻印された部分を除いて、すべての外装パーツを交換しちゃったかもしれない」(p133)と。

 交通課の水谷が葛木に妙な盗難車情報について連絡してきた。彰夫の兄の橋村憲和が経営するローレル・フーズ・ホールディングスの取締役で、憲和の義弟にあたる川上隆から盗難車届が今日出されたという。購入したのが昨年の9月で、車種は彰夫の車と同タイプのメルセデスAMG。彰夫はその1ヵ月後に購入していた。本当に盗難にあったのか。胡散臭い臭いがする。俊史の突飛な発想と同様の手口を水谷も考えていたようだ。調べる価値はある。盗難であるなしにかかわらず、その車の所在を究明する価値が出て来た。そういう届出を今時点で行った川上自身の背景も調べる必要がでてきた。

 このストーリーの展開のおもしろさは、ストーカーによる轢き逃げ事件の捜査から端を発し、諸事象が連鎖していくところにある。父親(代議士)による犯罪隠蔽の行為と捜査妨害、虚偽の車両盗難届の可能性、自動車の窃盗・違法ヤード・密輸出というルートにつながる大規模車両窃盗グループの存在の可能性、橋本幸司が事業に成功し己の資金力を梃子に政界に出馬しのし上がってきた背後にある実態の解明など。次々に諸事象が浮上してくる。そしてそれらが巧妙に絡み合っていく。
 さらに興味深くかつおもしろいのは、所轄の警察署が連携プレイを広げて行き、所轄レベルで事件・事案の全容を描き出せる所まで解明していく、そして、所轄が葛木俊史を介し、勝沼刑事局長を動かし、本庁を捲き込んでいく。まさに所轄魂が盛り上がって行くプロセスである。
 このストーリーのタイトルは「最終標的」である。橋村彰夫の轢き逃げ事件が発端となり、事件は連鎖し、因となり果となって、遂に政界の中枢に踏み込める結果が生まれる。所轄魂は警察組織の天敵である政界の頂点に登り詰めた。うまく仕留められるか?

 最後に、葛木と俊史の会話描写から印象深い箇所を引用しよう。
*ロッキード事件だって、実際のところ、当時の官邸の意思を受けて検察は動いた。背後にあったのは政局で、たしかに巨悪は摘発できたものの、別の見方をすれば当時の与党内の派閥争いに利用されたという面もある。けっきょくそれで政界が浄化されたわけでもない。おれたちが手がけた事件を含めて、似たようなことはいくらでも繰り返される。 p107
*政治と金の話になると、おれたちのような下々はつい他人事のように考えがちだが、そういう連中を、おれたちの懐から搾りとられる税金で養っていることを思えば、国民はもっと怒らなくちゃいけないな。 p107

 ご一読ありがとうございます。

この印象記を書き始めた以降に、この作家の以下の作品を順次読み継いできました。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『危険領域 所轄魂』   徳間文庫
『山狩』   光文社
『孤軍 越境捜査』   双葉文庫
『偽装 越境捜査』   双葉文庫

=== 笹本稜平 作品 読後印象記一覧 === Ver.1 2022.1.22 時点 20册

『危険領域 所轄魂』  笹本稜平  徳間文庫

2022-05-24 10:06:13 | レビュー
 所轄シリーズ第4弾! 本書は2017年6月、単行本が刊行され、2019年7月に文庫化された。

 最初に、タイトルの由来に直結していく記述をご紹介しよう。この作品は13の章で構成される。一つは第6章に出てくる。
「俊史は恐ろしげなことを口にする。・・・・勝沼にすれば官僚生命を賭しての勝負で、しくじれば左遷はおろか失脚さえあり得る。
 もちろん俊史も同罪で、以後の出世は諦めるしかない。捜査一課長や捜査二課長も無事では済まない。彼らには勝沼と心中する覚悟があるのか。それともこの勝負にそれだけの自信があるのか・・・・・・。
 『・・・・危険領域に足を積み込むことにならないか』不安を覚えながら葛木は言った。」(p212)
 もう一つは、第12章に出てくる。
「ここから先、妥協のない捜査を続けていったとき、どこかで時の政権と真っ向勝負することになるかもしれない。
 そこはこれまで警察が踏み込むことを避けてきた危険領域だ。一介の所轄刑事がそんなところにしゃしゃり出て、いったいなにができるかという思いの一方で、だからこそやれるという自負もある。」(p465)
 「危険領域」というタイトルはここに由来し、政権の悪を暴くという領域を指している。ならば、そこに至ることを必然とする事件は何か?

 第1章は、春の人事異動で葛木俊史が警察庁キャリアとして、警視庁刑事部捜査第二課理事官に着任するというところから始まる。二課は贈収賄や選挙違反を扱う。父の邦彦はこの人事は勝沼刑事局長の肝煎りと推測する。俊史もそう思うのだが直接聞いていないし、二課の犯罪領域に気乗りがしないと言う。だが、俊史の気持ちは徐々に変化していき、担当事件に入れ込んでいくようになる。そして、捜査のプロセスで父の担当する事件との接点が生まれていく。だが、捜査手法の違いなどが捜査の進め方に影響を及ぼすようになっていく。駆け引きと目配り、相互の思惑が絡んでいく進展が読ませどころとなる。

 南砂三丁目のマンションで男性死亡の通報が入る。葛木が現着すると機捜の小隊長上尾が葛木に、人為的な外傷はなく飛び降り自殺と思われると言う。だが、死亡者はマンションの住民ではなかった。検視官も断定はしないが自殺とみていて、事件性がなさそうに見えた。そんな矢先に、俊史が梶本恒男かどうか調べてほしいと連絡してくる。住所は現場に近い江東区南砂4の26という。俊史は二課内の三班合同捜査の統括をする立場にいて、その事案に関係する人物だという。マンションの防犯カメラに死亡者が写っていた。その写真を手がかりに聞き込み捜査が始まっていた。葛木は大原課長の許可を得て、身元特定の一環として、俊史に画像をメール送信させた。俊史からの電話で、その遺体が問い合わせの人物に該当したという。一部上場の大手レジャー施設開発会社、トーヨー・デベロプメントの総務部企画室長だった。最近はカジノ・ビジネス力を入れているそうだ。
 一方、聞き込み捜査で、ここ数日、マンションの近隣で黒いワゴン車が駐まっていたことが目撃されていた。住民が車のナンバーを控えていて、警察の調べで偽造ナンバーとわかった。マンション駐車場の防犯カメラにのっぽとちびの2人組の姿が写っていた。車を目撃した住民は車に乗車している人物は見ていないようだった。殺しの線が強まってきた。
 梶本の妻による遺体の確認で、身元が判明した。妻の説明から梶本恒男の最近の日常生活と仕事関連の様子の一端が見え始める。さらに、数日前から怪しい人たちが自宅の近くをうろついていたという発言も出て来た。ショッピングセンターに夫と二人で行った時にも屋上に取り付けられていた大きな金属の看板が、駐車場に向かっているときにすぐ後に落下するという状況に遭遇していた。夫の自殺は日頃の言動からは不自然な気がすると語る。
 殺人事件なら、一課の捜査の手が及んでくることになり、二課にとっても困ったことになることが目に見えてくる。二課は捜査事案の重要証人になる梶本には極力慎重な接触を続けてきていた。大物政治家の贈収賄事件に関連しているようなのだ。

 梶本の妻が遺体を引き取った後、気になることがあったと葛木に連絡してきた。遺体は携帯電話を所持していなかった。周辺の捜索からも携帯は発見されていない。妻は息子の助言で、夫の携帯に電話をかけてみたという。切ろうとした時、一瞬誰かが出た様子なので呼びかけたところ通話を切られたという。葛木は携帯電話の位置情報を調べることを試みる。

 梶本の死体が発見された1週間後、足立区千住大川町の河川敷で黒色ワゴンの不審車両と同種の車が通報により発見された。さらに、その車内には一見自殺と思われる死体があり、硫化水素のガスがかなり滞留している危険な状態だったという。機捜の上尾が葛木に情報を伝えてくれたのだ。足立区は所轄が違うので葛木たちは動けない。だが、状況から推して、二つの不審死は偶然によるものとは考えにくいと彼らは感じていた。
 再び上尾が葛木に知らせてくれた。身元が判明したと。与党の大物政治家、狩屋健次郎の公設第一秘書の梨田正隆。所持していた名刺から判明し、自宅は現場に近い足立区内だという。

 梶本の携帯電話が再び使用され、梶本家の固定電話に拾った携帯電話の返却をするから謝礼を用意してほしいという連絡が来た。梶本の妻は葛木に即刻連絡を入れてきた。梶本の携帯電話が思わぬ捜査の糸口となり、河川敷の車両及び死体との接点が浮かび上がることになっていく。

 このストーリーのおもしろいところは、携帯の返却謝礼要求の連絡が糸口になり、そこから別局面への新たな糸口が見つかるという形になっていくところだ。芋づる式に一歩ずつ謎の解明に突き入ることになり、同時に捜査視点を広げることになっていく。それは俊史が統括する二課の事案との関わりが深まっていくことにもなる。
 さらに、このストーリーの進展で興味深いのは、二課の主な捜査手法と葛木たちの捜査手法の違いにある。そしてその違いは、葛木たちが物証の積み上げで一気呵成に犯人逮捕に突き進むアプローチに対する足枷にもなっていく。勝沼刑事局長は捜査一課が動くことを抑制していた。一課が動けばマスコミが気づく。それは政治筋からの妨害工作に直結し、二課の視点では即座に証拠隠滅の行動を取られることになる。ジレンマの発生である。
 二課は死亡した梶本の代わりの証言者とのコンタクトを取っていた。狩屋代議士の私設秘書片山邦康である。だが、彼は狩屋の選挙区の福井に出かけていて、ホテル前の道路に出てすぐに、大型トラックに正面衝突するという交通事故で死亡した。重要な切り札を失うことになった。二課の捜査は暗礁に乗り上げる。
 俊史は片山の死に関連して福井に赴くことになる。葛木と若宮は彼らの捜査の一環として福井で聞き込み捜査をする目的で俊史に同行する。出迎えを担当した警務部の田島は5年前まで刑事部四課に所属していた刑事だった。葛木はそれとなく裏付けを取った上で、田島を捜査の協力者としていく。田島は葛木が身元特定の対象者として持っていた写真を見せられると、その一人の名前を即座に答えたのだ。地元の元暴力団員だと言う。思わぬところで線がつながってくることに・・・・。
 葛木と若宮に対して、福井県警二課は案内係として杉山巡査部長と羽田巡査長を付けた。いわば監視役でもある。だが、羽田は杉山を無視して、現地事情を淀みなく説明し、葛木に情報を惜しみなく提供してくれた。死んだ梨田の5年程前の前職が大手企業であり、経理部門に所属し、マネーロンダリングに関係していたと言うのだ。羽田は独自の見立てをする現場のベテラン刑事だった。彼は田島を信頼していると言う。
 現地捜査のための福井への出張が捜査上の大きな意味を表してくる。 

 葛木にとっては、殺人事件としての確信が深まり、犯人を逮捕するだけでなく、その犯人を動かす闇の部分を明らかにしなければ、真の事件解決にならないという思いが強まる。捜査はまさに危険領域に踏み込んでいく。

 葛木が直接携わる殺人事件の犯人逮捕に関わる現場が福井県内になるというのもおもしろい展開である。最後の最後に、警視庁の捜査一課が加わってくる。
 隆史の統括する二課の事案は、国会の会期終了待ちに併せて、待ちの状態に入るところでストーリーはエンディングとなる。この事案は地検の特捜を出し抜けるチャンスになるのだ。

 ストーリーの具体的な進展状況は、本書を開いて楽しんでいただきたい。
 私には、城東警察署刑事組織対策犯罪課の面々の所轄魂に加えて、福井県警の田島と羽田という二人が抱く所轄魂の発露がこのシリーズに一味の新鮮さを加えたように思う。

 ご一読ありがとうございます。

この印象記を書き始めた以降に、この作家の以下の作品を順次読み継いできました。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『山狩』   光文社
『孤軍 越境捜査』   双葉文庫
『偽装 越境捜査』   双葉文庫

=== 笹本稜平 作品 読後印象記一覧 === Ver.1 2022.1.22 時点 20册

『山狩』  笹本稜平   光文社

2022-05-22 14:39:04 | レビュー
 関西に住む私には千葉県の地形のイメージがない。「千葉県は全国の都道府県で唯一標高500mを超す山がない」(p4)ということを本書で知った。
 この小説は房総半島の南端を所轄する安房警察署の生活安全課に所属する小塚俊也巡査部長が主な主人公の一人である。彼は一昨年に試験に合格し、畑違いの生活安全課に異動した。
 休日に家族3人で標高336mの伊予ヶ岳に登り南峰の山頂に立つ。息子の翔太が20mほど下の断崖の岩棚に人が居ることを発見する。女性が横たわっているが動いている気配がない。遭難者発見とみなし、小塚は携帯で110番に通報した。それが契機となる。

 所持品から身元は市内在住の村松由香子、23歳と判明した。崖からの転落死亡で死後一日経過。状況から事件性は認められないと判断された。刑事課は捜査を打ち切った。
 だが、村松は1ヵ月ほど前にストーカー被害を届けていた。小塚は不審を抱き、少し調べてみた。千葉県生活安全部の生活安全捜査隊第一班主任の山下警部補から電話を受けたときに、その結果を不審なこととして伝えた。
 ストーカー行為の相談を受け、積極的に上司に働きかけたのは小塚であり、いち早く警告書を出していた。その後、しばらくはストーカー行為は途絶えたという。
 ストーカー行為をしていたのは門井彰久35歳で、彼は房総レジャー開発の御曹司。同社の専務を務めている。小塚は、警告書のコピーを父親の門井健吾と兄の孝文にも送付していた。房総レジャー開発は同族経営で、兄の孝文は副社長を勤めている。
 小塚の話を聞いた山下は、生活安全部子ども女性安全対策課の北沢美保巡査部長とこの件を少し調べる行動に出る。ここから小塚・山下・北沢の連携プレイが始まっていく。

 村松の父親は地元の中学校の教頭。母親は専業主婦。祖父の謙介は元警察官だった。両親も祖父も由香子が自殺するとは考えられないという。由香子は登山歴も豊富であり、事故を起こす場所とは考えられないと祖父の謙介は言う。さらに、謙介は孫の由香子が家の前の停留所からバスで登山口のある神社に向かったとき、30mほど先のコンビニの路上でこちらを見張っている門井彰久を見かけたと言う。門井彰久はすぐあとコンビニの駐車場から車で逆方向の東京方面に向かう道を走り去った。このことを刑事課の刑事に証言しているのだが、当てにならないと言われたと言う。
 謙介は所有する山林の売買問題で房総レジャー開発の門井健吾と訴訟問題を起こして敗訴した事実があった。だが、この事実が謙介の証言の信憑性に不利な影響を及ぼすことにもなる。さらに、謙介は安房警察署の刑事課には、たちの悪いクレーマー扱いをされ、出入り禁止を告げられていた。つまり、謙介の発言は頭から無視された。
 一方、門井彰久は由香子の死亡推定時刻には東京に居たというアリバイがあった。だが、東京に居たことを証言したのは彰久の知り合いだった。

 小塚と山下・北沢が食事をしている席に、安房署刑事課の川口が嫌がらせで口を挟んでくる。彼はマル暴担当だった。そこから地場の暴力団・鬼塚組との関係や房総レジャー開発の門井健吾が警察署に及ぼす影響力などが見え始めてくる。

 山下は、県警本部の捜査一課第一強行犯捜査第二係の西村警部補にコンタクトをとり、門井彰久のアリバイ崩しに西村を捲き込んでいく戦法をとる。西村は安房署刑事課からの事件性なしの報告を受け捜査終結を了承していたのだ。だが、山下から調査結果の説明を聞き、西村は事実確認に動かざるを得なくなる。
 また、山下は北沢とともに、門井彰久に他のストーカー行為事犯や問題事案がないかを調べ始める。さらに、西村から情報を得て、山下と小塚は彰久が東京に居たという証言をした寺岡に聞き取り調査を行う。勿論、寺岡の素性も調査の対象にする。少しずつ捜査の範囲を広げて行くにつれ、彰久の過去と人間関係が明らかになっていく。
 そんな最中に、村松宅に鶏の首にナイフを同梱した宅急便が届けられる。

 門井彰久の過去と現在の人間関係構図が明らかにされていく。また彰久の過去の問題事象が洗い出されてくる。伊予ヶ岳の事件に関する状況証拠も累積していく。一方、同時進行に近い彰久のストーカー事案を北沢が発見してくる。南房総市に隣椄する鴨川市在住の秋川真衣、20歳、看護学校の学生からの訴えであり、門井彰久がストーカー行為をしているという。秋川は姉のところに身を隠すのだが、その姉の家の電話まで知られてしまう状況が出てくる。また、村松宅への宅急便の事案も追跡捜査で事実が明らかになってくる。それは電子メールを使った委託業務だった。それもまた一つの証拠を追加する。
 村松由香子が殺害された可能性は一層色濃く方向づけられていく。ならば、その殺害方法にはどんなカラクリが仕掛けられていたのか・・・・・。

 生活安全部の捜査だけで、殺人教唆の被疑事実により門井彰久の逮捕状をとるが、彰久を取り逃がす。彰久の行方が杳としてわからない状況に陥っていく。ここからストーリーの後半が始まることに。
 
 村松由香子の祖父謙介は遂に己の狩猟用ライフルを持参し、独自の行動をとり始める。 彰久は村松謙介にも追われる立場に立つ。

 生活安全部が立派な証拠を見つけたことから、合同捜査本部の立ち上げを申し入れても、捜査一課は門井彰久を殺人教唆の被疑者とする捜査に乗り出そうとはしない。どこからか圧力がかかっているのか・・・・・。
 
 謙介の行動を阻止するために山狩が始まる。だが、そこに謙介の意図した起死回生策があった。そして、意外な事実が明らかになっていく。事件の背後に潜む闇は深かった。
 後半の展開がおもしろい。

 この小説は、「小説宝石」(2020年7月号~2021年10月号)に連載された後、2022年1月に単行本として出版された。

 ご一読ありがとうございます。

この印象記を書き始めた以降に、この作家の以下の作品を順次読み継いできました。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『孤軍 越境捜査』   双葉文庫
『偽装 越境捜査』   双葉文庫

=== 笹本稜平 作品 読後印象記一覧 === Ver.1 2022.1.22 時点 20册

『洛陽』  朝井まかて  祥伝社

2022-05-21 14:29:54 | レビュー
 明治という時代を改めて考える材料になる小説。本書は平成28年(2016)7月に書き下ろしにより単行本として出版された。

 何気なく読み出し、読み進める内に本書のテーマが何かが理解できてきた。大きく捉えると、明治時代とはどういう時代だったのかを見つめようとした小説である。それを見つめるために、少なくとも2つのサブ・テーマが設定されていると受けとめた。
 1つは、明治神宮が造営された背景と造営プロジェクトの進展経緯を明らかにするというテーマである。神宮林の造営には当初反対意見を提起していた研究者が中核になる。150年計画という展望のもとに神宮林の造営に着手していくプロセスが描き出されていく。 
 2つめは、明治という時代において天皇はどういう存在だったのかというテーマである。私たちが使う明治天皇という言葉は、調べてみると大正元年(1912)8月27日に勅定された追号である。

 さて、本書の構成という視点からこの2つのテーマがどのように進展するか。それが本書の構成のおもしろさと関連している。まず、目次をご紹介する。
 (青年)
  第1章 特種(スクープ)、第2章 異例の夏、第3章 奉悼、第4章 神宮林
 (郷愁)
  第5章 東京の落胆、第6章 国見、第7章 洛陽

 この冒頭の(青年)と(郷愁)は本文のストーリーの進展とはほぼ独立した描写となっている。一方で、ストーリーと重要な照応関係を持つ。ここには天皇自身の心境の一端が描かれている。独立した記述でありながら、改めて読むとそこにはテーマに絡む重要な意味が含まれている。この部分は上記の2つめのテーマに関わり、いわばコインの片面に相当すると思う。
 「ふと、五箇条の後に続けた一文を思い出した。
  ーこの誓文の達成に率先して励む覚悟であるゆえ、万民も協心、努力してほしい。
  民草にそう呼びかけたのだ。」(p7-8)
「一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」から始まる5箇条は日本史の一環として学んだことがある。しかし、それに付された文をこの小説で初めて意識した。手許にある高校生用参考書を書棚から引っ張り出してきて改めて読むと、五箇条の御誓文の草案写真が併載されている。その草案との表現の違いも初めて知る機会となった。いずれにしても、この引用部分を著者は重視している。そこに大いなる意味づけをしているように感じた。
 「帰りたい。
  后だけを我が胸に抱いて馬を駆り、帰ってしまいたい。
  あの静かな、美しき都に。」(p185)
こちらは、(郷愁)の末尾に出てくる天皇の思い。もし、この思いがなければ、東京に御陵が造営され、明治神宮はなかったのかもしれない。そう思えてくる。もしそうなら、その後の歴史は変わっていただろうか・・・・。そんなことも考えて見たくなる。

 第1章は、東都タイムスの記者瀬尾亮一が日野男爵の自邸に男爵夫人を訪ねる場面から始まる。瀬尾はある特種記事原稿を持参し強請を行うという場面。冒頭の(青年)とこの第1章の冒頭場面とのギャップが大きい。私は、アレ!とその出だしに戸惑った。
 このストーリーには二流あるいは三流新聞である東都タイムスの瀬尾亮一と唯一の女記者伊東響子が主な主人公として登場する。時にはスクープをネタに強請を行うことも平然とできる記者を主な主人公の一人に設定しているところがユニークでおもしろい。
 第1のテーマである明治神宮造営計画については、伊東が熱心に情報を収集し、瀬尾は伊東の熱意に捲き込まれる形で関わって行くことになる。そこには当寺の女記者の位置づけや社会認識も背景に関わっていることがうかがえる。瀬尾は、伊東とともに明治神宮造営の発案経緯とその進行を追う過程で、造営計画の進捗そのものよりも、崩御された天皇その人に己の関心を移していく。つまり、サブ・テーマ2が瀬尾には重要になっていくのだ。伊東は終始、直接的に最初のテーマ、神宮林造成計画のプロセスを追跡していく。

 このストーリーの興味深い部分は、なぜ明治神宮が造営されるということになったのか、その経緯がわかることにある。東京では神社にとっての針葉樹林の荘厳な森を築くことは不可能であると研究者が問題を提起した。しかし、その研究者たちが針葉樹林ではなく広葉樹林による杜を150年計画で造林するという壮大な展望のもとに明治神宮造営に関わって行くことになる。伊東が中心となり、そのプロセスを克明に追跡していくという形でその経緯が明らかになっていく。
 読者は、現在の明治神宮の壮大な神域、その杜がどのようにできあがったのかを具体的に知る機会になる。この小説を読むしばらく前に、たまたまテレビの番組を見ていて、この明治神宮の杜が人工的に造林されたのだという経緯の要点を映像として私は見ていた。このストーリーがそのことに関連していることがわかってからは一気に興味が倍増した。
 
 東京に陵墓を築くという発案は潰れた。京都府下の旧桃山城址伏見城に陵墓を築くということが内定されていたのだ。そこで、東京に神宮を造営する計画が浮上した。神宮造営を目指す委員会が発足する。中野商工会議所会頭、阪谷東京市長、青淵先生(渋沢栄一)らが発起人となる。針葉樹林に囲まれた静謐な神域を造営するという発想で始まる。だが、それでは東京に神社を造営するのは不可能だという意見を、駒場の帝国大学農科大学の講師が発表する。
 だが、神宮造営計画が正式に認可されると、反対意見を表明した研究者たちが、神宮林の造林推進責任者に指名されることになる。自然の摂理を取り入れての妥協が、150年という展望で常緑広葉樹林の杜を造るという形になる。「神社奉祀調査会」には樹林、樹木の専門家として東京帝国農科大学の川瀬善太郎博士、本田静六博士が名を連ねた。実務面では、当初反対意見を表明した林学科講師本郷高徳が技師となり、造林現場では大学院生上原啓二が技手として役割を担っていく。伊東は本郷・上原との関わりが深まっていく。
 第5章には興味深い記述がある。大正4年(1915)5月1日に、内務省が明治神宮造営局の官制を公布し、貴族本会議ではその予算も可決されていた。しかし、その予算には神宮林の造成についての予算化まではなされていた。だが、予算書には樹木購入費自体は計上されていなかったという。一瞬目を疑った。なんという計画! 献木という国民運動が行われることになる。
 
 瀬尾の質問に対し、本郷講師は「学者としての使命感、そして無力感を否定しません。我々の主張は全く、顧みられることがなかった。ただ、かくなる上は、己が為すべきことを全うするだけです。明治を生きた人間として」(p120)と語る。
 一方、その前に、瀬尾は伊東から筆記された『法学協会雑誌』に掲載された奉悼文を見せられている。その文は「・・・・遂に崩御の告示に会ふ我等臣民の一部分として籍を学界に置くもの顧みて 天皇の徳を懐ひ 天皇の恩を憶ひ謹んで哀衷を巻首に展ぶ」と結ばれていた。この文は夏目漱石が書いたと知らされる。
 瀬尾は「思想と魂を分け、この国と天皇を別に捉えている」(p97)という有り様に気づいていく。瀬尾は崩御された天皇その人に関心を抱き始める。

 明治神宮造営計画の背景とその進展を追跡することが、明治という時代の背景を併せて浮彫にしていくことになる。それとパラレルに、明治という時代において、天皇がどのような存在として人々の中に受け入れられていたのかに迫っていく。
 天皇の東京行幸は、戦闘が未だ続き、江戸の町が相当に荒廃している状態の中で実行されたのだった。そこから、明治が始まっているのだ。考えれば当たり前のことなのだが、この点を今まであまり意識していなかったことに気づかされた。

 神宮林については、本書の巻末近くで、本郷が語ることが印象深い。
「手を入れぬ管理と言った方が正しいでしょうな。人為の植伐を行なわずに林相を維持し、天然の更新を成し得るよう、次の世代に申し送らねばなりません。その仕事がまだ残っています。」(p311)

 一流新聞社の優等生的報道の立場ではなく、二流・三流新聞社に居る記者である故に、より庶民的な目線、思考を踏まえる視点で物事が語られていくことになる。武藤が主筆という立場で瀬尾や伊東らの行動をコントロールしている点も興味深い。武藤自身がかなり癖のある人物として描かれ、逆に武藤を介して、明治の報道界、マスコミがどのような状況だったかも垣間見えて楽しめる。
 
 冒頭で述べたが、明治という時代を知り、あの時代を改めて考える上で役立つ小説と言える。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
明治天皇 :「コトバンク」
明治天皇 :ウィキペディア
五箇条の御誓文  :「明治神宮」
明治神宮  ホームページ
 杜(もり)・見どころ
明治神宮の森:林学者や造園家によるナショナルプロジェクト :「nippon.com」
永遠の杜、明治神宮 -百年後、千年後を見据えた森造り- 若林陽子
    :「芸術教養学科WEB卒業研究展」(京都芸術大学通信教育課程)
上原敬二  :ウィキペディア

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こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『類』   集英社
『グッドバイ』   朝日新聞出版
『落花狼藉』  双葉社
『悪玉伝』  角川書店
『阿蘭陀西鶴』  講談社文庫
『恋歌 れんか』  講談社
『眩 くらら』  新潮社

『時空の巫女』  今野 敏    角川春樹事務所

2022-05-08 21:54:04 | レビュー
 冒頭の表紙は、1998年12月に、ハルキノベルスとして刊行されたものである。本書をこれで読んだ。読み残していた本の一冊。翌年11月にハルキ文庫に入り、2009年5月には新装版が発行された。

こちらがハルキ文庫新装版の表紙である。本のカバーも時代を反映していくのだろうか。
 今野作品のジャンルで言えば、SF長編といえる。書き下ろし作品として出版された。
 飯島英明はミューズ・レーベルという原盤制作会社の代表取締役社長。ナカネ企画という中堅芸能プロダクションの100%出資子会社である。飯島は親会社ナカネ企画の代表取締役社長中根純也に呼びつけられた。飯島と中根は言わば盟友と言える。この業界で共に働き、会社を立ち上げて事業を確立してきた。だが、ナカネ企画も苦しい状況に直面しているようで、中根は飯島にその手腕と人脈を駆使し、かつてアイドル・メーカーと称された実力を再度発揮して、アイドルを発掘してほしいと告げる。「今だからこそアイドルなんだよ」と指示する。飯島は最初躊躇した。だが、ナカネ企画の実情もわかる飯島は、最後は不安を胸に秘めながらも、アイドル発掘を引き受ける。引き受けるにあたり、己のやりたいようにやることを保証させる念書を中根に書かせるという手段を取った。
 飯島は入社5年目の若手ディレクター曽我雄介を社長室に呼び、このアイドル発掘を手掛ける仕事を飯島自身とのプロジェクトとして行うように命じる。

 このストーリーは、簡潔に言えばアイドル発掘の紆余曲折プロセスとアイドルが生み出される瞬間の輝かしさ・達成感を語る。これを仮にストーリーA(S/A)と呼ぶ。
 この小説のおもしろいところは、飯島・曽我のアイドル発掘のための試みという悪戦苦闘のプロセス・ストーリーとパラレルに、自衛隊の統合幕僚会議情報局が独自の調査活動を行うという全く領域を異にするストーリーが進展していくことである。当初、読者は全く次元が異なるサブストーリーの始まりに唖然となるだろう。だがそのSFタッチに引きこまれていく羽目になる。こちらをストーリーB(S/B)と呼ぶ。

 S/Bには、米国国防情報部との情報交換を担当する連絡部一課の綾部裕司三等陸佐が登場する。綾部は連絡部一課の課長岩浅恒彦一等陸佐にアメリカから届いた奇妙なレポートのことを報告した。岩浅はその内容を予知夢に関するものと判断し、それが送られてきた真意を探れと指示する。奇妙なレポートはAAOと名乗るグループから送られてきていた。そのAAOから、グレッグ・マクルーハンという人物が来日する。マクルーハンは、ペンタゴンの情報局から来たのだが、心理学の研究者だった。彼は、AAOとは「アンチ・アーマゲドン・オペレーション」の略だという。英語のアーマゲドンはハルマゲドンにあたる。それは新約聖書の黙示録に由来するが、終末的な戦いの意味に使われる。
 マクルーハンは、少年少女からの聞き取り調査の過程で、ある特定の少年少女たちが特定の時期に同じ夢を見ることを知ったという。その予知夢に救い主が登場する。救い主の描写に共通点がみられ、それが日本のシャーマニズム的な女性神官(巫女)の姿に似ているという。同じ夢を見る12人の少年少女たちの内、3人が日本の巫女の姿を語り、そのうち2人はチアキと言ったというのだ。予知夢など信じない綾瀬は、上司の岩浅からマクルーハンに同行し彼の調査に全面的に協力するよう命じられる。マクルーハンの調査に協力するプロセスで、綾瀬は徐々に予知夢など信じないという姿勢を変容させていくことになる。少年少女たちの予知夢が、思わぬ近未来の予言に繋がっていくのだ。

 S/Aの方は、飯島と曽我の心理的スタンスの描写から始まっていく。長らく現場を離れ、中年管理職である飯島自身は、今さらアイドルを発掘できるかどうかに不安感を抱いている。一方で、アイドル・メーカーと他人から言われてきたが、飯島は未だに己が真にアイドルと考える理想的なアイドルを発掘していないという忸怩たる思いも内奥に抱いている。一方、曽我は、「エデューソン」というバンドのデビューという仕事を担当していた。このバンドに力を入れようと意気込んでいた矢先だった。この担当を外され、思いも寄らぬアイドル発掘という仕事を与えられ、それも社長とのプロジェクトとして取り組まされる羽目になる。つまり、曽我には未経験のアイドル発掘への熱いモチベーションなど全くなかった。その分野の情報もなければ人脈もない。彼は業務命令を受けたという消極的な姿勢からスタートしていく。勿論、様々なところとコンタクトを取り、情報集めから始める。いわば、前途多難。読者にとっては、これでアイドル発掘などできるか・・・・そんなスタートラインを感じさせる。
 アイドル発掘への情報収集、あの手この手のプロセスという舞台裏を垣間見るというおもしろさが副産物となる。

 さて、そこで、飯島が抱くアイドルの理念的なイメージをご紹介しておこう。曽我とのプロジェクトを組んだ初期段階で、飯島が曽我に語る。
 「俺は久しぶりにアイドルを手掛けることになって、当時のことを思い出していた。俺を支えていたのは、ある強烈なひとつのイメージだ。そのイメージを追い求めていたと言ってもいい。そして、今だにそれをこの手で実現できたとは思っていない」(p36)と。飯島は曽我に問われて、そのひとつのイメージとは「クマリ」、「ネパールの生神様」だと語る。学生時代にネパールに貧乏旅行し、ネパールのクマリ祭でそのイメージを得たと言う。そして、曽我に対し「清楚で可憐、しかも妖艶。そして最大のポイントは神秘だ」とそのイメージを要約した。
 曽我がこのイメージをどう受けとめて、アイドル発掘の実務に生かそうとするか。
 アイドル発掘の作業プロセスでの読ませどころは、飯島の不安感がどのように変化していくか。曽我の消極的なスタンスやアイドル発掘への取り組み方を飯島がどのように受けとめるかの対比的視点にある。さらに、曽我の行動がどのように変化していくか。

 曽我がある情報を得る。日本に赴任してきた外交官の父親の娘で、3年前からこちらに住む元クマリがいるという。飯島にそれを報告すると、名前はチアキ・シェス。勿論飯島は大いに関心を抱く。飯島の指示で、曽我はアポイントメントを取る。
 チアキ・シェスと彼女の父親に二人は面談する。曽我はチアキ・シェスを見た途端に、俄然とアイドル発掘への姿勢を豹変させていく。チアキ・シェスをアイドルにしたいという積極性が生まれてくる。
 一方、二人の話を聴いていたチアキは、面談の最後に、飯島に告げる。「あなたが捜しているのは、私ではありません」と。この謎めいたメッセーは何を意味するのか。
 事務所に戻った飯島は、曽我が今までに収集した情報資料の一環であるアダルトビデオの一本に記された、池沢ちあきという名前に目をとめた。その名前からビデオを見て、池沢ちあきの容貌、スタイル、演技力に惹かれていく。飯島はアイドル候補としてこの池沢ちあきに関心をいだく。
 ここからアイドル発掘のプロセスが俄然に変化進展していくことになる。

 飯島・曽我のプロジェクトと、綾瀬・マクルーハンの調査行動との交差が「チアキ」をキーワードにして生まれてくる。

 ネガティブからポジティブへの転換という側面が、S/AとS/Bの両方の底流に共通している。全く異なる領域でのそれぞれ独自の行動が交差し始める。その交差が反撥方向へではなく、相乗効果を創出する方向へ展開するというところが読者にとっては興味深い。また、ハッピーエンドとなっていくおさまりがよい。
 最終ステージで1998年の中東情勢という時代限定的な記述に触れられている箇所もあるが、このストーリー全体の流れを捉えると、それほど時代性とその制約を意識させない作品となっている。十数年前の小説だが、わりと新鮮な感覚で読み通せた。
 心理学分野の記述も所々に出て来て、けっこう興味深くかつ楽しみながら読めるSF作品である。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心の波紋から検索した事項を一覧にしておきたい。
原盤権の解説  :「弁護士法人 クラフトマン」
著作権とは?原盤権とは?JASRACとは?限界まで分かりやすく解説してみた:「思考集積場」
クマリ   :ウィキペディア
ネパールのお祭りについて  :「風の旅行社」
活仏      :「コトバンク」
ハルマゲドン  :「コトバンク」
予知夢の意味とは? 種類と見分け方  :「マイナビウーマン」
集合的無意識  :「コトバンク」
集合的無意識  :「臨床心理学用語事典」
集合的無意識の不思議  :「ユング心理学の世界へようこそ」
予定調和説   :ウィキペディア
予定調和    :「コトバンク」
一次元・二次元・三次元・四次元・五次元の違い  :「社会人の教科書」
フレッド・ホイル  :ウィキペディア
パラレル・ユニバースとは   :「Netinbag.com」
パラレルユニバースは存在するのか? いまだ解決できない物理学上の9つのミステリー【前編】  :「知的好奇心の扉 トカナ」
並行宇宙、パラレルワールドって、ほんとに存在してるの? :「YAHOO! ニュース」
シュレーディンガーの猫  :ウィキペディア
シュレーディンガーの猫  :「コトバンク」
ハイゼンベルグの猫像   :「EMANの物理学」
ブラック・ホール     :ウィキペディア
フリッチョフ・カプラ プロフィール  :「HMV & BOOKS -online-」
核の冬 :ウィキペディア

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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『ボーダーライト』  小学館
『大義 横浜みなとみらい署暴対係』   徳間書店
『帝都争乱 サーベル警視庁2』  角川春樹事務所
『清明 隠蔽捜査8』  新潮社
『オフマイク』  集英社
『黙示 Apocalypse』 双葉社
『焦眉 警視庁強行犯係・樋口顕』  幻冬舎
『スクエア 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店
『機捜235』  光文社
『エムエス 継続捜査ゼミ2』  講談社
『プロフェッション』  講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』  角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18

『日本語の大疑問 』  国立国語研究所編  幻冬舎新書

2022-05-02 09:17:17 | レビュー
 「眠れなくなるほど面白いことばの世界」という副題がついている。
 この新書一冊が、何と37人により分担されて執筆されている。1つの疑問に対して、4~11ページと幅があるが、限られたページ数で、なるほどと思う回答が執筆されている。
 日本に生まれ育ち、学校で日本語の文法をならった時期があるというものの、日本語を毎日あたりまえに使う形で生活している。日本語についてふと疑問を抱いても、日常生活に支障がなければ、深くは考えずにスルーしてしまうことになる。言葉もまた時代とともに変化するわなあ・・・・とお茶を濁して。

 本書はなぜと投げかけられれば、そういう疑問もあるね、と頷ける。じゃ、回答できる? そう言われても・・・・。そういう疑問に回答がなされている。裏表紙に「日本語の教養をこの一冊でアップデート!」と記されている。確かに言い得て妙なキャッチフレーズだ。
 ちょっと立ち止まって、日本語自体を一歩踏み込んで考えるネタ本として役立つ新書と言える。おもしろい疑問が満載されている。図解、イラスト、統計図、写真などが併用され、わりと読みやすい文章で回答が記述されている。国語研究に携わる執筆者だけのことはあると思う。本書は2021年11月に刊行された。

 本書は、6章に分類してQ&Aが順次列挙されていく。その構成と疑問数を括弧付きで示してみよう。1つの疑問がいくつかの疑問に細分されて回答されているのもあるが、ここでは元々の疑問レベルで疑問数を表記してみた。本書全体の構成イメージをまずもっていただくとよい。
  第1章 どうも気になる最近の日本語        (6)
  第2章 過剰か無礼か? 敬語と接客ことばの謎   (7)
  第3章 歴史で読み解く日本語のフシギ       (8)
  第4章 どちらを選ぶ? 迷う日本語        (6)
  第5章 便利で奇妙な外来語            (7)
  第6章 歴史で読み解く日本語のフシギ       (6)
 
 それでは、具体的にどんな大疑問がなげかけられているかをサンプリングし、ご紹介しよう。私の主観的なサンプリングに過ぎないけれど・・・・。末尾の<>は章を示す。
*若者ことばの「やばみ」や「うれしみ」の「み」はどこから来ているものですか。<1>
*「あの~」や「えっと」が多い人は話し下手なんでしょうか。 <1>
*何でも略して言うと、正しい日本語が失われてしまうのではないでしょうか。 <1>
*外国人の友人が先生に「推薦状をお書きください」と言いました。丁寧な言い方なのに失礼な感じがするのはなぜですか。 <2>
*すでにお店に入っているのに「いらっしゃいませ」と言うのはなぜですか。 <2>
*電話に出るとき「佐藤です」ではなく「佐藤ですが」とか「佐藤ですけど」のようにも言うのはなぜですか。  <2>
*家族や赤ちゃんのことを話すときに尊敬語を使うのは間違った言い方なのでしょうか。 <2>
*日本語は難しい言語ですか。 <3>
*カナダでfutonと呼ばれるものが日本語の「布団」と全然違うのはなぜですか。 <3>
*手話って世界共通ですか。 <3>
*外国人と日本語で話すとき、伝わりやすいように気をつけるべき点を教えてください。 <3>
*「これ」「それ」「あれ」は、どんなふうに使い分けられますか。  <4>
*「それから」「そして」「それで」がどう違うか、その違いを教えてください。 <4>
*「思う」と「考える」の意味はどういうふうに違うのですか。 <4>
*イヌ年のことをなぜ「犬年」でなく「戌年」と書くのですか。 <4>
*「可能性」は「高い」のか「大きい」のか「強い」のか、どれを使えばいいですか。  <4>
*どうして日本語には外来語が多いのですか。 <5>
*外来語をカタカナで書くのはいつから、どのように始まったのですか。 <5>
*「エンターテインメント」が「エンターテイメント」「エンタメ」といったいろいろな語形で使われるのはなぜですか。 <5>
*「コンディション」には「状態」や「調子」では言い表せない特別な意味があるのでしょうか。  <5>
*「シミュレーション」が「シュミレーション」と発音されるのはなぜでしょう。 <5>
*新しい元号が「令和」になりましたが、日本の元号に言葉の規則性はありますか。 <6>
*むかしの落書きにはどいうことが書かれているのですか。 <6>
*明治時代、犬を「カメ」と呼ぶことがあったというのは本当ですか。 <6>
*「国」と「國」のように、昔と今とで形がちがう漢字があるのはなぜですか。 <6>

 どうでしょう。けっこうおもしろい、あるいは興味深い疑問が発せられているように思う。今まで考えたことのない疑問を数多い。

 日本語の大疑問に対し、回答の中には外国の諸言語との比較がけっこう含まれている。この点については「おわりに」に少し説明が加えられている。それを最後にご紹介しておきたい。
 「国語研は研究対象を単に日本語だけに限定せず、世界のさまざまな言語と比較対照することで日本語の特徴を捉え、日本語を詳しくみることでこれまで気が付かれなかった諸外国のことばの特徴を探ることも研究内容となっています。」(p251)

 ことばの世界って、おもしろいものだ。

 お読みいただきありがとうございます。

本書から関心の波紋を広げて、ネット検索してみた。一覧にしておいたい。
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