遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『世界のトップリーダー英語名言集 BUSINESS』デイビッド・セイン 佐藤淳子 Jリサーチ出版

2018-06-30 22:42:47 | レビュー
 「夢を実現せよ、人を動かせ、創造せよ」という冠言葉が本の表紙には記されている。このフレーズは、ある意味で本書に取り上げられた様々な分野のリーダーや著名人が名言として触れている内容でもある。本書を読み、付録のCDを聴いてみた。名言を述べた世界のトップリーダーたちの人数を数えてはいない。「はじめに」によると、125人の名言集であり、200を越える名言が収録されている。本書初版は2009年2月の発行。

 BUSINESSという副題が付いているが、大半はビジネスと関係があるとは言え、そうと限定する必要のない名言も含まれている。トップリーダーもビジネス領域だけに限られず、政治家、学者、医者、作家、ジャーナリスト、スポーツ選手など幅広い分野のトップリーダーが含まれている。過去の人たちだけでなく、現在活躍しているリーダーたちも含まれて言える。本書で初めて知ったリーダーが数多い。

 本書は16章構成になっていて、各章はまずクローズ・アップとしてトップリーダーの1名が取り上げられ、その人物写真・略歴・名言(英語文と翻訳文)・言葉の背景がまとめられている。そして、その名言の英語表現についての解説がある。単語、文構造、表現法などに触れている。そして、「人物のエピソード」がコラム的に記されている。
 その続きに、各章のテーマに対応した10数件の名言が列挙されていく。この名言については、英文・翻訳文・人物の簡略なプロフィール・英語表現への補足説明というフォーマットであり、1ページに2件~1件の掲載スタイルである。

 名言というのは、やはり多くの人々にストレートに受け入れられるものである。相手に分かりやすい言葉で語られてこそ、心に響いていくのだろう。ここに取り上げられた名言は殆どが分かりやすい単語、良く知られた単語が使われている。付録のCDでは各章の名言が順番に読み上げられていく。本文を読み、その後リスニングを繰り返せば、名言の構文、調子、単語などに親しむこと、名言自体を身に染み込ませるのに役立つことだろう。
 平易な単語と構文でこれだけ読み手に考えさせる名言を語れるということは、さすが世にリーダーとして名を成した人物だと感じる。本人が語った以上に、読者自身が己の経験や見聞した人々の事例を含めて、深読みしていくこともできるだろう。
 ここに集められた名言を読んだ第一印象は、世界のトップリーダーが、ポジティブな思考をする人、まず自ら行動してきた人、己の失敗から学びプラスに転換してきた人、・・・・たちばかりだということ、そして未来志向をしているということである。
 ここに集められた名言を自家薬籠中のものにできれば、すばらしいことだと思う。

 各章にテーマが設定されているが、読者の好みで、どの章からでも読み、聴くとよい。16章のテーマとclose-upされている人物、その人物の一般的肩書等を参考に列挙する。章は番号のみで表記する。
1. 成功  Bill Gates 1955~  マイクロソフト社創業者
2. 夢 Walt Disney 1901-1966 「ミッキーマウス」の生みの親。デズニーランド建設。
3. チャンス  Richard Branson 1950~ ヴァージングループの創設者
4. お金  Ray Kroc 1902-1984  マクドナルド創業者
5. リーダーシップ Peter Drucker 1909-2005  経営学者・社会学者
6. やる気にさせる Mary Kay Ash 1918-2001 メアリー・ケイ・コスメティク(化粧品会社)の創業者
7. 決断 Henry Ford 1863-1947 フォード・モーター社創業者
8. 困難 Carlos Ghosn 1954~ ルノーCEO兼日産CEO
9. 創造性 Coco Chanel 1883-1971 フランスのファッションデザイナーの草分け
10. 能力・資質 Malcolm S. Forbes 1919-1990 経済誌「フォーブス」の元発行人。
11. 行動 Lee Iacocca 1924~ クライスラー社の元会長兼CEO
12. 態度・姿勢 Muhammad Yunus 1940~ バングラデシュのグラミン銀行総裁、経済学者
13. 変化 Jack Welch 1935~ ゼネラル・エレクトリック社(GE)元CEO
14. 時間 Steve Jobs 1955~ アップル社の共同創業者
15. 失敗 George Soros 1930~ ファンドマネジャー
16. ビジネスモラル Catherine Austin Fitts 1952~ 投資コンサルタント会社、ソラリ社長

 さて、これらclose-up人物の名言から、だれもが知る3人の名言をご紹介する。
これだけでも、読者にとって考えるための材料になるだろう。

まず、ビル・ゲイツの名言から。
 Success is a lousy teacher. it seduces smart people into thinking they can't lose.
「成功は最低の教師である。賢い人間をだまして、失敗するわけないと思わしてしまう。」
 そして、失敗についての次の名言も取り上げられている。
 It's fine to celebrate success but it is more important to heed the lesson of failure.
「成功を祝うのも結構だが、もっと大切なのは失敗の教えに耳を傾けることだ」

ウォルト・ディズニーはこう語る。
 All your dreams can come true if you have the courage to pursue them.
「追い求める勇気があれば、すべての夢はかなう」
彼は、チャンスについて、こう助言する。
 We keep moving forward, opening new doors, and doing new things, because we're curious and curiosity keeps leading us down new paths.
「われわれは前進し、新しい扉を開き、新しいことに挑戦し続ける。なぜならわれわれには好奇心があり、その好奇心が新しい道に導いてくれるからだ」

そして、スティーブ・ジョブズの言葉である。
 Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.
 「時間には限りがある。だから、誰かの人生を生きることで浪費すべきではない」
「リーダーシップ」については、変化の激しい現代社会では革新なしに成功はないとし次のように断言する。
 Innovation distinguishes between a leader and a follower.
「革新は、リーダーと追随者を峻別する」と。

 最後に、「態度・姿勢」の章に載る Zig Ziglar の興味深いメッセージを別の事例としてご紹介しておこう。本書で初めて知った人物だが、アメリカで最も有名なモチベーターの一人だそうである。
 It is your attitude, not your aptitude, that determines your altitude.
 「あなたの高さを決めるのは、あなたの才能ではなく、態度である」
本書は「この名言も、attitude(態度)、aptitude(才能)、altitude(高さ)という3つの似た響きを持つ言葉を使った印象的なフレーズです」という説明を付記している。言葉遊び的な面白さを含みながら、人々を頷かせるメッセージであり、聴いた人はこのゴロ合わせ的な言い回しを忘れないのではないかと思う。
 このメッセージでふと連想するのは、日本の硬貨・5円玉に描かれた稲のデザインと、「実る程頭を垂れる稲穂哉」である。真理は洋の東西を問わないということなのだろう。
 世界のトップリ-ダーたちが語るメッセージは、やはり勇気を与え、やる気をinspire してくれる。

 本書には名言という原石が詰まっている。この原石の持つ意味を解釈し、咀嚼し、己の行動に取り込みという、磨きの作業を加えることで、自分のとしての輝きをだすことになるのだろう。他人の名言が生きるかどうかは、我々読者次第ということになる。

 ご一読ありがとうございます。


『京都の凸凹を歩く 2』  梅林秀行  青幻舍

2018-06-28 13:27:07 | レビュー
 サブタイトルは「名所と聖地に秘められた高低差の謎」である。写真が満載なのは第1作(パート1)と同じである。京都に生まれて、育ち、その周辺部に今も生活しているので、このパート2に登場する名所地域は訪れているし、親しみもある。しかし、本書の特徴である凸凹、高低差という視点で見ていなかったので、本書を読みやはり今回も新鮮な感覚で写真を見て、自分の探訪経験と対比させながら読み進めた。教えられた点が数多い。本書で取り上げられているのに、私はその場所すら知らなかった/行っていないというスポットを再訪の機会を作り眺めに行こうと動機づけられた次第である。

 このパート2では、嵐山(前編・後編)、金閣寺、吉田山、御所東、源氏物語(前編・後篇)、伏見城(前編・後篇)が取り上げられている。著者は「はじめに」で、これらの場所を、「まるで京都凸凹オールスターのようなタイトル」のラインナップと言っている。たしかに、そんな地域だと思う。
 このパート2でも、現地で現物を歩きながら様々な位置から眺めるというフィールドワーク感覚が大切にされている点が読ませどころとなっている。今回取り上げられた場所の順に、私が再訪のためのメモを残して置きたいポイントという形で、本書への誘いをまとめてご紹介しよう。本書では前編・後篇と2回に分けて解説している場所もあるが、その表記はしない。

嵐山
・現在の阪急嵐山駅前からの景色は、前身の鉄道開業の際に、愛宕山と嵐山がの2つのランドマークに視線誘導する形に景色を切り取るデザインがなされたという。私にはこの視点はなかった。
・樫原断層の存在。この断層の凸凹が、天龍寺の曹源池庭園では背景斜面として一役買っていること。滝組と背景斜面を「中景」とすると、嵐山が借景として「後景」を調和的に構成する。曹源池の「前景」と「中景」は、池傍の方丈の室中のどの位置から眺めるかで劇的に変化する。本書に写真は載るが、たしか室中からは見られなかったと思う。
・曹源池の西側の斜面部分に散策路があったが、これが樫原断層崖の地形を利用したデザインということを本書で知った。たしかに、断層崖の地形美をうまく利用していると納得した。
・京都盆地の西側は「丹波層群」と呼ばれる基盤岩地質で、「チャート」という固い堆積岩が庭石としても使われいる。この基盤岩地質が「嵐山の美」を生み出している。
・大堰川河原周辺の「周囲が急斜面で囲まれて、視界がパッケージとして完結するような感覚」(p34)の「行き止まり」感の景色美が愛されて、数多くの和歌が詠まれた。
 著者は次の和歌を例示している。
   葦鶴の立てる川辺を吹く風に寄せてかえらぬ浪かとぞ見る  紀 貫之
   吹きはらうもみじの上の露晴れて峯たしかなる嵐山かな   藤原定家
・「京都西山断層帯」の運動の結果、標高300m以上の隆起が形成され、嵐山の景観美ができた。西には亀山断層、東側には樫原断層、樫原断層の北に越畑断層が連なる。その隆起の中を大堰川の上流が「穿入蛇行(せんにゅうだこう)」する。上流が見通せない蛇行の渓谷美と保津川下りが売りとなる。

金閣寺
・金閣寺境内一帯の平坦地は、鎌倉から室町時代に造成工事が行われた巨大な「人工地形」。ここはもとは鎌倉時代に西園寺公経(きんつね)が「北山第」を築造した場所。その地を継承し、室町時代に足利義満が「北山殿」造営の折に、第二段階の地形改変・改修を加えていたという。これは知らなかった。
・池の南側から金閣寺と鏡湖池を撮った超ポピュラーな景色が観光用に定着している。だが、「義満の視点」は「主に庭園東側から西方向に鏡湖池そして金閣を望むものだった」(p53)のではないかという指摘は、目から鱗でもある。所有者が日常庭を眺める視点という問題意識を再認識した。
・鏡湖池の南側に、「涸れ池」(南池)が存在するという。これはぜひ現地確認してみたい。現在の金閣寺庭園と全盛期の金閣寺の境内は大きく異なるかも・・・・とか。現地で想像するのも、おもしろいかも。
・金閣寺の北面を眺め、かつて北側背後に「天鏡閣」が建ち、両者が「複道」(二階建て廊下)でつながっていたという景色を想像しよう。僧侶の日記に記載があるそうだ。これも本書で初めて知った。
・金閣のさらに北側に高さ5mの崖の連なりがあるという。見ていなかったのだろう。記憶にない。室町時代の人工滝「龍門瀑」があり、流水の前面に「鯉魚石」が置かれ、背面に直線的構成の「滝石組」が見られるという。
・この龍門瀑と鏡湖池の現状との関係にアンバランス感があるという。そこに金閣寺庭園の謎が残るようである。後世の庭園改造が加えられた可能性ありという。現地見聞で体感してみたい一点である。
・龍門瀑のある崖を北に登った先に、「浄土式庭園」としての安民沢と平坦地、不動堂とその背後の「石室」、境内北東部に高さ10mの崖と四十五尺滝があるという。これも私には初めて知ることである。金閣寺境内の奥深さを知った次第。

 著者は金閣寺境内をくまなく歩いて現地を写真記録で紹介しつつ、末尾に「まるでタイムカプセルのように、中世が生み出した風景・美・驚きが今も境内に奇跡的に温存されているのです」と記している。
 金閣寺のイメージ、見方をビジュアルに変えてくれた本である。この予備知識を持って出かけてみよう。

吉田山
吉田山の所在地と吉田神社は知っていたが、吉田山全体の知識はなかった。吉田山全体としてとらえなおす面白さを本書で知った。

・吉田山の西には花折断層の南端部、東側には神楽岡断層が吉田山を挟み込むように走っている。東一条通の東端から吉田神社に登る現在の表参道石段は花折断層の断層崖斜面だったのだ。中世には松木が群生し、「春日之馬場」と呼ばれていたところという。
・東一条通の一筋南、現在は重森三玲庭園美術館前を通る道が、江戸時代までの吉田神社参道(旧参道)でこの道は中世防御集落「吉田構」の集落内を通過する道であり、中世には城門と城壁で武装していたそうである。
・吉田神社境内で、かつて「春日社」と呼ばれた社殿のところが、現在は「本宮」と呼ばれている。室町時代後期から戦国時代にかけて生きた吉田兼倶(かねとも)が「吉田神道」の理論を確立し、その中心地として「斎場所」という平面八角形の社殿を造営した。これが江戸時代には「本宮」だったが、現在は「大元宮」と呼ばれる社殿となっている。「本宮」が入れ替わっている。
・江戸時代までの吉田山全域は神社の境内地。江戸時代後期には、吉田山の西側斜面は吉田神社を中心にした聖地空間であり、山頂部は「遊び」の遊興空間となっていた。明治時代には境内地の大部分が明治政府に没収され、「遊び」と「住まい」の空間に変化していく。
・20世紀初頭に運輸業で財をなした谷川茂庵が吉田山東側斜面に山荘を造営する。そして東側斜面に新デザインの集合住宅「谷川住宅」が開発される。大学教官などの新階層が対象となったという。「谷川茂庵の山荘と同じく銅葺き屋根と全面板張りの統一構成となって」(p86)いる住居群が存在する。
・かつて山荘の食堂として利用された建物が現在はカフェ「茂庵」として営業されているという。

 今までは短絡的に吉田神社しか意識していなかった。吉田山の全体の変遷という視点でその凸凹の地を探訪すると面白そうである。

御所東
 京都御苑と京都御所探訪、御土居とその周辺探訪で、幾度も訪れている区域である。それでも本書を読み、見過ごしている箇所があった。御土居が南北に気づかれていた場所を間に挟む地域なので、かつての京都の端っこであり、近代のメーンストリートに河原町通がなったために京都の真ん中になった。京都の「真ん中であり、端っこ」というキャッチフレーズがまず使われているのを面白いと思う。著者はこの独特な二重性に着目している。そこにさらに、この御所東のエリアが「交通の便を確保しながらも、都会の喧噪を避けられる場所」(p94)に注目し、新陳代謝がとまらない独自の個性が生まれつつある場所として紹介している。
 「御所東は、寬文新堤の築造をきっかけに江戸時代前期後半以降、新開発のメッカとなっていきます。寺町の寺院は次々と他地域へ移転、そこに町屋が進出しました」(p98)という。荒神橋西詰に「寬文新堤の石垣遺構」が現存するそうなので、一度現地確認してみたい。この「近世京都のウォーターフロント開発」(p98)により、御所東一帯にも「三本木」という遊興空間が生まれたという。このことで、本書にも掲載されているが、「私立京都法政学校」設置の古写真を以前に見たときの建物に対する違和感がピタリと結びつき、ナルホドと思った次第である。

源氏物語
 平安時代に紫式部が書いた『源氏物語』というフィクションの中盤で、光源氏が広大な邸宅「六条院」を造営する。そこに四季の区画を設けて、光源氏ゆかりの女性たちを住まわせ、ストーリーがさらに進展していく。この六条院は、実在の人物・源融が造営した「六条河原院」がモデルになっていると言われている。
 著者は、現実の地理的区域にかつての六条河原院が造営された広さ四町の規模の場所がどこかを諸資料から設定する。そして、現在の「籬の森」について考察して、その虚実の両面を解き明かす。この部分は探訪したときのまとめをしていた時に知っていたが、改めて本書でその再確認ができた。
 今回のこのフィールドワーク記録で面白いのは、史実から推定される六条河原院の位置に、『源氏物語』の「六条院」の描写を重ねていき、この地域の歴史的変遷との対比をしているところにある。現実空間と史実、あるいは幻想空間がなぜか照応しあう部分もあり興味深い読み物になっている。六条河原院に存在した庭園のイメージと伝承が、相応する地区の町名や寺院の山号に残るとい説明がある。また、フィクションである『源氏物語』の六条院の「春の町」の位置が興味深い。「『源氏物語』の「春の町」は後世に文字通り『春』がやりとりをされる場所に変化していった」(p121)時期があるのだ。かつては「七条新地」、第二次世界大戦後「五条楽園」と呼ばれ、1958年の法施行で消滅した遊郭があった場所に相当する。著者は、かつての面影を残す建物や不思議で独特な建物の現存する景色を一部紹介している。興味深い建物群が見られる町並が現存するようだ。
 この他に以下のスポットがあるという。
・源氏の六条院「夏の町」は、現在の五条通と河原町通の交差点辺りがその中心部と想定される。そこは花散里の暮らした場所という設定。「春の町」「秋の町」との対比では「夏の町」・「冬の町」はマイナーな位置づけ。今では、観光スポット的にも相対的にマイナー。五条通の南には、本覚寺前町・御影堂町という地名が残る。
・源氏の六条院は、六条御息所の旧宅地も使い、そこは「秋の町」として、御息所の娘・秋好中宮が暮らすという話になる。その想定地に、女人守護の女神「市比賣神社」(下京区本塩竈町)が鎮座する。
・「秋の町」の北は「冬の町」で明石の君が暮らしたところ。今の富小路から五条通の辺りに想定され、現在は富小路通を挟み市比賣神社と同じ本塩竈町である。「世継地蔵」で知られた子授け安産の寺「上徳寺」がある。明石の君は光源氏の唯一の娘「明石の姫君」を産む。明石の姫君は紫の上に育てられた後、天皇に嫁ぎ「匂宮」の生母となる。
 余談だが、地図を見ると、上徳寺の南西方向で高倉通の西側には、現在「六条院公園」(下京区富屋町)と名づけられた公園が設けられている。

 源融の六条河原院趾地と豊臣秀吉の京都改造による寺町の南部「下寺町」、御土居跡、かつての遊郭地などの史実に『源氏物語』の六条院のフィクションが重層的に重なり合って、不可思議な照応すら生み出されている面白さがある。

伏見城
 私にとっては、子供時代から高校時代にかけて、身近に感じた場所である。京都の凸凹、それもかなり人工的に改造された場所を歩くという意味では、金閣寺の凸凹以上のスケールだろう。高低差を含めて一番おもしろい紹介スポットかもしれない。
 本書の図を見て知ったのだが、現在の京阪本線と近鉄京都線の走る南北方向あたりが、桃山断層の位置になるという。両線を利用し線路脇の段差を見慣れてきていた。それが断層崖だったということを本書で認識した。p158にはその1箇所の写真も載っている。
 伏見城について少しは知識を積み重ねてきたが、本書を読みやはり、初めて知る事項もいくつかあった。

 「日本城郭史上、最大級の掘遺構。『豊臣建設』の圧倒的ダイナミズム!」という冒頭のキャッチコピーがおもしろい。
 宇治川の流れを付け替えてまで築城された伏見城。それも、指月城とも呼ばれた第1期、第2期の城から慶長伏見大地震が城倒壊。当時木幡山と呼ばれた山上に築造された第3期伏見城。さらに関ヶ原合戦後、徳川家康が伏見城を再建する。第4期の伏見城である。家康はこの城で征夷大将軍の宣下を受ける。だが、1623年(元和9)に伏見城廃城。
 そして近代、伏見城の天守台あたりの城跡一帯は、明治天皇の墓地として「桃山御陵」として、囲い込まれてしまった。天守台跡には立つこともできない。
 伏見城の発掘調査は、時間を掛けて周辺から徐々に進んでいるが、徹底的解明ができないままに留まる。御陵を発掘できないかぎり、天守台跡の状況は想像を脱せられない。
 伏見城解明へのロマンは長持ちすることだろう。

・伏見城跡で桃山御陵を除くかなりのエリアは伏見桃山城運動公園になっている。
・伏見桃山城運動公園の駐車場に向かう道路が城門(いわば西大手口)の地点となる。
 その道路の両側の凹地は、北曲輪の西側水路と治部少丸北側水路の遺構だという。
・この城門地点の西側に「高さ約8mの見上げるような段差で囲まれて」(p145)住宅地となっている平坦地と道路がある。このあたり、伏見城の外郭設備の遺構の可能性があるという。こんな段差は凸凹歩きにはすごく魅力的で想像をかき立てられることだろう。
・「段差で囲まれた区画を境にして、道路の形状が全く変わる」(p146)
 東側は道路が蛇行する形で形成され、西側は東西方向に直線化する。その道路は伏見城下に繋がって行く。そして南北方向の3本の直線道路と交差する。
・かつての北曲輪の一画に、1964年に模擬天守閣が建てられ、周辺は遊園地化していた。 子供時代にこの天守閣に入ったことがある。だが、ここも今は閉鎖されている。
・巨大な北堀遺構が残り、そこは伏見北堀公園になっている。掘の深さが実感できる。
・京阪・宇治線の桃山南口駅の東側、100m余先あたりから山側に向かって第3期・第4期の「舟入」があった。
・京都外環状線沿いに南面する「月橋禅院」の北側背後の丘陵上、観月橋団地の一帯に第2期伏見城(指月城)があった。
・伏見城の周辺には大名の名を冠した町名画の残る。大名屋敷町が存在した証である。
 それは豊臣秀吉による「統一政権」が誕生した証でもある。

 私の再訪のための覚書を兼ねて、未確認地点などを主体にチェックポイントを列挙してみた。これらを含めて、ビジュアルに沢山の写真を使い、フィールドワークの記録として読みやすく、わかりやすい解説となっている。古地図や絵図なども利用されていて、時代対比もうまく考慮されている。イラスト地図と本文との間のリンクもわかりやすく工夫されていると思う。「ビジュアルなバーチャル観光+学ぶ」という本である。
 いずれパート3が発刊されるのだろうか? 期待したい。

 ご一読ありがとうございます。

本書と関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
金閣寺とは  :「臨済宗相国寺派」
世界遺産 金閣寺  :「きぬかけの路」
吉田神社 ホームページ
吉田神社 :「京都府神社庁」
吉田山(京都市)  :ウィキペディア
茂庵 ホームページ
京都最大の旧色街「五条楽園」の遊郭建築と下町レトロ散歩路  :「SMILE LOG」
一億日分の功徳を授かる! 上徳寺の「世継地蔵尊大祭」:「京都ツウ読本」
伏見城    :「京都市」
伏見城石垣  :「京都市」
伏見桃山城運動公園のお城について  :「京都市体育協会」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『京都の凸凹を歩く』 青幻舍

『河のほとりで』  葉室 麟   文春文庫

2018-06-25 13:52:59 | レビュー
 文庫本『随筆集 柚子は九年で』をだいぶ前に購入しておきながら、この『河のほとりで』を先に読んでしまった。こちらに随筆集という付記がないのは、内容が三部構成になっていて、随筆以外に書評が一つのセクションとして収められているからのようだ。
 最初の「河のほとりで」(26篇)と最後の「日々雑感」(9篇)が随筆文であり、中央に「書物の樹海へ」という名の下に11篇が収まっている。2014年2月から2017年にかけて諸誌に発表された文がまとめられている。

 文庫本のタイトルは、「禅僧」というエッセイの末尾の文からとられているのだと思う。この一篇の見出しには、「海外との交流に活躍 自由なる大きな心」という副題がついている。ここで栄西をはじめ数人の禅僧にふれていて、エッセイをしめくくる一文が「臨済は『河のほとり』とも読めるのだ」である。
 このエッセイで著者が語りたかったのは現代との対比だろう。現代は「近隣諸国を憎悪する」(p109)状態が続くばかりなのに、かつての「海を渡り、外国との交流を深めた禅僧たち」には、「民族、文化の違いをも乗り越える、<大きな心>の働き」に突き動かされていたと著者は記す。著者は、今こそ「違い」を乗り越える「交流」「自由なる大きな心」の必要性を語っているのだろう。
 最初のセクションは最初の2篇以外は各エッセイに副題がついている。副題が内容を象徴している。西日本新聞に連載されたエッセイが初出のようだ。

 最後のセクションは雑誌・新聞などに発表されたエッセイを集めてある。嗚呼!と思ったのは「つくしの卵とじと題する一篇を読んだときである。末尾近くにこんな記述があった。
 「わたしはすでに還暦を過ぎ、六十五になった。それから一歩を踏み出すのか。
  遅すぎる。
  どう考えても遅すぎるのだ。それでもたどるべき道があるのだとすれば、一歩を踏み出したいという気持はある。
  できるかどうかわからないのだが、おずおずと歩き始めようとしている。」このあとに数行の文がつづく。これは、2017年1月1日発行『明日の友』225号に寄稿されたエッセイである。著者葉室麟は2017年12月23日に逝去した。
 「遅すぎる」という一文が、今読むと一層悲痛である。著者は己の命に対する予感があったのだろうか。たどるべき道を、歩き始めようとしていたのだ。愛読者としては、もっと長生きして、「たどるべき道」をもっと歩んで欲しかった。

 中央の「書物の樹海へ」は、書評としての解説文と併せて、著者自身の作家としての立ち位置や思いについて、自己を語るエッセイになっている。自己解説の類いとしてこのセクションに収められているのだろう。著者の書評解説と自己解説は、葉室文学を分析・理解するための有益な糸口になる。著者自身の読書遍歴の一端も垣間見えて、興味深い。
 ここで解説されている本の著者名を、参考に収録順に列挙しておこう。執筆依頼により書かれた解説文とはいえ、著者の読書体験が背景に浮かび上がり、その読書遍歴がうかがえておもしろい。早乙女貢、山本兼一、青山文平、安倍龍太郎、海音寺潮五郎、諸田玲子、朝井まかて、澤田瞳子という諸氏の作品が取り上げられている。
 著者は、自己解説に一端として、「シラノの純情」というエッセイで、自分の好きな人物像として、シラノ・ド・ベルジュラックを挙げている。
「ただ、自分の好きな人物像があって、いろんな話を書きながらも、語っているのは、ただひとりの人間のことではないか、と思う。
 -シラノ・ド・ベルジュラック 」(p166)
「わたしが好きなのは、恋する相手に献身の思いがありながら、決して口にすることがない。シラノの純情であり、さらには女性でありながら鬚を生やしてもたじろがずに世間と向き合うことができたシラノの従妹の凜々しさだ。
 わたしの物語の中にこのふたりは必ずいるのではないか、と思う。」(p168)
とその中で記す。葉室麟の作品群について、読み解きのキーワードになりそうである。
 また、”「伊賀の残光」解説(青山文平 新潮文庫)”の中では、
「中年から書き始めた時代小説家の作品は読むのではなく、その語りかけに耳を傾けるものではないか。」(p137)と記している。この一文、葉室作品愛読者にとっては、著者が自己解説しているとも読み解ける一文と言える。通底する観点から葉室作品に接する示唆になりそうである。

 著者は、エッセイや解説で、著者の読書遍歴から簡潔な作家論を記している箇所が散見でき、興味深いところがある。その一例だけ取り上げてご紹介してみよう。
 ”藤沢作品には、たじろがずに過去を振り返るひそやかな強さがある。 p39
 いまなお藤沢文学がひとを癒やすのは、時代の波に押し流されない「悔いるやさしさ」があるからだ、とわたしは思う。 p41 ”

 本書を読み、もうひとつ気づいたのは、著者は過去の事柄を語るエッセイの中で、常に現代を意識しているのではないか。現在と過去を対比するという視点をどこかに置いているように思う。たとえば、「ますらおぶり」というエッセイ(2015年7月28日)の末尾に
「気になるのは、いま、われわれも、<ますらをぶり>の歌を口ずさいながら、坂を上ろうとしているのではないか、ということだ。」(p81)と記している。現代、我々が抱える危なっかしさに警鐘を打っていると感じた。

 葉室作品愛読者には、著者の作品群をより深く理解するためにも、読む意義がある一冊だと思う。

 最後に、本書から著者の思い・考えを表出していると感じたところを列挙してご紹介する。
*相手を信じることなく、憎悪と軽蔑を抱いて海を越えることはできない。 p17
*歴史とは思い出という名の記憶を積み重ねることでもある。
 歴史は客観的な事実を調べるだけでは不十分で「思い出す」ことが大切なのだ。 p23
*自らしたことを後悔する誠実さ、やさしさは現代になって失われつつあるものだ。p41
*拝者の歴史を伝えるのは、ひとのやさしさではないだろうか。 p57
*この世は夢であり、歴史もまた一夜の夢ではないか。 p61
*正直に言って、わたしも利休の美学は高い山を仰ぎ見る気がして遠く感じるばかりだ。
 黒楽茶碗の美しさがわかるかと言えば怪しいものだ。黒とい色は目立たないようでいて案外、存在を主張しすぎるように思う。 p68
*ささやかな煎茶の野点で生きる勇気をもらったわたしには、利休や織部、井伊直弼のような茶人たちがなぜ非業の死を遂げたのかがわからない。
 生きるための茶だと思うのだが、どうだろうか。  p69
*「献身の喪失」こそが、鴎外が行きた明治という時代と清張が見つめた昭和の違いなのかもしれない、と想いながら鴎外旧居を後にした。 p97
*古から危機との遭遇とその中でいかに生き抜くかは人間の課題だった。だからこそ生死の覚悟を考え抜くのが学問だった。 p111
*ひとが何かを大事にするときは、心に屈託を抱えているということだ。それは人生で失ったものか、あるいは得られなかったものか。  p130
*関ヶ原の戦いは人生の縮図であり、世界そのものなのだ。  p156

*これだけははっきりと言えると思っているのは、小市民も戦わねばならないときには戦う、ということだ。  p173
*権力者はひとびとの生活に大きな影響を与えるが、個人の人生の価値に関しては指一本ふれることはできないのだから。  p176
*自分はどのように生きているのかを見つめ直すことこそが兼好への出発なのかもしれない。  p196
*これが「西郷の心」だったのではないか、とわたしが思ったのは、「心は則ち能く物を是非して、而も又自ら其の是非を知る」という言葉だ。  p205
*歴史の解釈はすべて、事件が起きてから、なぜ起きたのかと意味づけし、合理化をするための「後知恵」に過ぎない。  p210
*ひとりの人間が「わかる」ことは限られている。だから、「考える」ことと「感じる」ことが必要なのだ。  p211
*歴史研究書を読んで、歴史がわかったと思うのは、魚屋の店頭で死んだ魚を見て、海や川の中で泳いでいた魚が「わかった」と思うようなものなのかもしれない。
 だから、死んだ魚を見て、生きて泳いでいる魚を想像し、さらに魚の気持を感じることが大切なのではないか。
 こんなところから歴史小説は書き始られるのだと思う。  p213
*ひとは生きていくことで、挫折や失敗の苦渋を味わう。
 そうなると、歴史を見つめても、もはや「勝者」の視点は持ち得ない。  p214
*ほとんどのひとが何らかの意味で敗者だからだ。「勝者」であるということは、もともと幻想に過ぎない。 p214
*権威主義に骨がらみになった埃をかぶったような歴史が真実なのではない。自らのDNAの中に息づき、笑い、泣き、怒ることができる歴史が大切なのだと考えてきた。いわゆる稗史である。そのなかにひとびとの真実があるのだから。だから歴史はエンターテインメントとして語られてよいはずだと思う。  p217-218
*「崔杼弑君」という言葉も思い出していた。・・・・・歴史小説においても、なすべきことは同じだ。太史が殺されたと聞き、竹簡を持って駆けつける史官が、歴史小説家の理想なのではないか。そのことをわたしは司馬さんから学んだと思っている。  p218

 これらの一文から思いを深めることができるし、著者の作品理解に役立つだろう。
 その一方で、これらの葉室トークがどういう文脈からでてきているかを、エッセイ・解説から読み取り、感じていただきたいと思う。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『玄鳥さりて』  新潮社
『津軽双花』  講談社
『草雲雀』  実業之日本社
『日本人の肖像』  聞き手・矢部明洋   講談社
『草笛物語』  祥伝社
『墨龍賦』 PHP
『大獄 西郷青嵐賦』   文藝春秋
『嵯峨野花譜』  文藝春秋
『潮騒はるか』  幻冬舎
『風のかたみ』  朝日新聞出版

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新5版(46+4冊)2017.7.26

『一網打尽 警視庁公安部・青山望』  濱 嘉之  文春文庫

2018-06-22 22:14:21 | レビュー
 警視庁公安部・青山望シリーズの第10作となる。このシリーズのおもしろいところは、やはりそれぞれ異なる部署に所属し、それぞれの部署で活躍する同期カルテットが、青山望を中軸にして事件解決のために結集するところにある。刑事警察と公安警察が融合して、日本の敵と対決するという事件の展開プロセす並びに事件のスケールの広がりがおもしろい。かつ、取り上げられたテーマに2010年代という同時代進行の問題事象を取り込み、そこに潜む深刻な問題点に読者の関心を向けさせるところにある。
 併せて、このシリーズでは同期カルテットの警察組織内でのポジションや環境(個人的な側面を含む)が変化していくところにも、楽しみとおもしろみが加わってくる。

 この第10作における同期カルテットの現職を取り上げておこう。
   青山 望  公安部公安総務課第七担当管理官
   大和田博  警務部参事官特命担当管理官
   藤中克範  警察庁刑事局捜査第一課分析官  警視庁から出向中
   龍 一彦  刑事部捜査第二課管理官
 さらに、この第10作の楽しみどころは、青山が遂に結婚したという段階に入ったのだ。そして、今回のストーリーは、諸般の事情を考慮し、武末文子との結婚入籍の手続きを終えた青山夫妻が、プロローグにおいて、京都の祇園祭見物の旅行中の場面から始まり、ストーリーのエンディングでは、青山望・文子夫妻の結婚披露宴の場面が描かれる。エピローグでは、青山が来年の初夏にスイス・オーストリアに新婚旅行をする予定だという話まで出てくる。
 プロローグは、祇園祭の宵山をそぞろ歩きする男と女が祇園祭の歴史に関わる蘊蓄噺の会話から始まる。祇園祭好きにとり、またこのシリーズの愛読者には楽しい始まりである。そればかりではない。この男と女、つまり青山望・文子は、一作である。

 この楽しい筈の祇園祭宵山が事件の発端となる。なぜなら、山鉾のある通りから少し離れた細い通りに入ったところを散歩気分で二人が歩いていると、近くで銃声が3回したのだ。女の安全確保をした後、男はその現場を物陰からスマホで録画する。そして即座に男(青山)は110番することに。このストーリー、冒頭から青山が事件の第一通報者となり、積極的に事件解決に協力していく巡り合わせになる。青山が撮った動画が鮮明であったので、この事件の直接関係者の一部を早急に逮捕することにも繋がる。宵山歩きのために、貸衣装の和服を利用していた文子は、それを返却に行ったときに、思わぬお手柄の協力をするという状況に遭遇する。ストーリーの出だしから楽しい展開になる。
 祇園祭の宵山という大勢の人々が往来する京の町中で、韓国の集団スリの連中がチャイニーズマフィアに撃たれたという事件の事実関係がまず速やかに明らかになる。青山の録画した証拠の中に、追跡監視されている人間が識別された。韓国の集団スリの素性とともに、集団スリがチャイニーズマフィアに撃たれるという関係が生まれる喉に重要な何が盗まれたのか? 京都府警刑事部の一番ケ瀬徹係長は、動画に京都のチャイニーズマフィアのリーダーらしき男が写っていると識別する。使われた銃としてS&Wリボルバーのミリタリー&ポリスが映っていた。この事件の構図に青山のアンテナが動き出す。これは氷山の一角で、その下には大きな蠢きがあるのではないか・・・・・と。
まず、藤中から連絡が入り、青山が京都に滞在中に、藤中が1週間滞在の予定で京都に来ているという。発砲した実行犯は博多港から船で逃走、チャイニーズマフィアではなく、北朝鮮がかかわっているという話がでているという。一方、やられた韓国人グループの半数が在日で、半グレでもあるという。中国系、韓国系の拠点となっている半グレのネットワークとなると、元暴走族「東京狂騒会」をルーツとする新宿グループも視野に入ってくる。半グレの実態が絡んでくると公安部の出番となる。青山は都内の半グレのバックグラウンドには国際マフィアがきっちり付いていて、外国資本や外人部隊を活用したIT戦略での犯罪に出ていると言う。それが仮想通貨に及ぶと青山は予測していた。そこに反社会的勢力が絡んでくるとすれば、暴力団情報のスペシャリストである大和田の出番となる。知能犯罪の要素が絡むことにより、龍がさらに関与してくる。

 京都で発生した事件は、東京の半グレ、反社会的勢力の存在と直結し、そのバックグラウンドの、チャイニーズマフィア、コリアンマフィアの力関係の変化や北朝鮮のサイバー部隊と深い関わりが浮彫にされていく。北朝鮮のサイバーテロ問題に絡み、また仮想通貨強奪計画のという風に、広域化しかつスパイラルに様々な事象が結合していく。それを解明できる契機が京都大学が独自に開発していた認識システムにあったとしているところがまた、おもしろい。このシステムが実在するのか、フィクションなのかは知らないが。

 このストーリーの進展での読ませどころは、やはり青山望の着眼点と、青山がその人脈を通じて、事件解決に連なる情報を手繰り寄せていくプロセスにある。その人脈の中に、今回もやはり、岡広組を隠退し今は高野山に隠棲する形を取っている清水保が情報提供協力者として登場するのがおもしろい。そして、それを同期カルテットと情報共有し、同期の餅屋は餅屋の得意領域との相乗効果を引き出していくところにある。そしてこの情報が現在時点の我国・世界の状況とほぼ同時進行的な内容として書き込まれていくとことに、おもしろみがある。そして、一網打尽の解決へと導いていく。

 この第10作の副産物として興味深い事項が2種類含まれている。一つは、京都に絡んだ諸事の具体的な知識情報がストーリーの前半に点描的に織り込まれていき、ストーリーの背景としての情緒・雰囲気を形成していくところにある。一部重複するが、これらの項目だけ拾い読みしてもおもしろい情報提示になっている。
 プロローグの山鉾『動く美術館』の蘊蓄話、祇園祭宵山の山鉾巡りコース、ホテル改築に絡む京都の景観論争問題、高瀬川の由来、たん熊北店本店の料理場面、祇園祭の「お位貰い」の裏話、祇園祭の稚児の生活と行事、京都の造り酒屋の銘柄、京への外国人旅行者のことなどである。

 もう一つの副産物は、ストーリーの展開に深く関連しながらも、同時代進行の事象を一部フィクション化してまで織り込み説明する周辺情報である。その多くは同期カルテットの誰かが語る形になっている。次の項目が含まれている。
 「慰安婦ツアー」、芸能ヤクザの状況、「身代金(ランサム)ウェア」、中国人民解放軍の陸水信号部隊、銅聯カード、ルートクラック、内閣サイバーセキュリティセンター、
紅二代、在日特権、Zcash、クレジットカードのスキミング、4クリック詐欺、マイナンバー制度、光棍児、ランドオペレーター(/ツアーオペレーター)など。
 現代情報の穿った解説本という局面を持っていて、著者がどうとらえているかと言う点で参考になる。ストーリー内での説明と、一般ネット情報を重ね併せると現実理解が深まると思う。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書を読み、ストーリーから派生した関心の波紋でネット検索した事項を一覧にしておきたい。
大分県教組「慰安婦ツアー」、県教委の自粛要請聞き入れず実施 :「産経ニュース」
大分県教組が「慰安婦ツアー」違法募集 産経が1面トップで批判 :「JCASTニュース」
ICIJ International Consortium of Investigative Journalists ホームページ
中国人民解放軍のサイバー部隊『61398部隊』とは :「NAVERまとめ」
中国サイバー軍  :ウィキペディア
銀聯カード  :「コトバンク」
21世紀に主流となったマルウェアの原型、メリッサ・ウイルス :「CANON」
内閣サイバーセキュリティセンター ホームページ
【専欄】「紅二代」は「統治階級」か 元滋賀県立大学教授・荒井利明:「SankeiBiz」
Internet Cash  Zcash ホームページ

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こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。

『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』 文春文庫
『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』 文春文庫


『京都ぎらい 官能篇』  井上章一  朝日新書

2018-06-17 12:05:09 | レビュー
 本書を読んで最初に思い浮かんだのは「羊頭狗肉」の逆バージョンだな、である。羊の頭を看板に掲げて、実はイヌの肉を売るという、見せかけだけで実質のともなわないことを例える成句がある。この『京都ぎらい』第2作はその逆ではないか。
 第一作の『京都ぎらい』はその視点の面白さ、ちょっとしたなるほどと思える意識格差などを取り上げ、経験談を含みつつ洛中・洛外の切り分けでの嫌いな側面を語るというところを興味深かく感じた。そこで、「京都ぎらい」をさらに「官能」という観点で絞り込んだらどんな所論が展開され、深堀りされるのか・・・・・なんて、そんな軽い気持で読み始めた。そういう意味では、看板に偽りありともいえる。「京都ぎらい」からは、良い意味ではずれていく。

 いわば「京都ぎらい」+「官能」というタイトル。「京都ぎらい」という「羊頭」は、いわば第一作がヒットしたので、その名称を○○シリーズのタイトルに使っているに過ぎない。あたかもヒットしている警察小説ジャンルの作家たちのシリーズ本のように。勿論、警察小説読者は、たぶん私も含めて、そのシリーズで主人公の活躍に「羊肉以上」の期待を求める。
 一方、本書は小説ではないので、「京都ぎらい」のスタンスという「羊頭」看板からはちょっと期待外れ。出版営業マーケティングの打ち出したタイトルか。
 提供された内容は「狗肉」ではない。お間違えなく! 本書のタイトルからの期待感を外して、別物として読むとおもしろいヒストリア集と言える。

 史書や文書類に書き残された人々の生活・活動の累積から眺められる長い歴史について、事実を研究する学者・研究者は知っていても表立って語ることのない歴史秘話や側面がある。それは決して義務教育の教科書(建前の世界)では語られることのない側面である。それ故に教科書は事象・項目の羅列、表層的な記述となり、おもしろさがない。無味乾燥化しがちなのだろう。歴史=テスト用・受験用年代・事項暗記物に堕してしまう。
 ところが、本書では広義の京都を中心に、教科書では触れられない局面である「官能」の視点を絡ませて、古代から中世にかけての宮廷や公家・武士を含めた権力者層の様々な題材に切り込んでいく。この視点を打ち出せば、まあ「教科書」に載ることはない。だから、背景話・裏話を明るみに取り出したエピソード語りということになる。そこには泥臭いリアルな人間の素顔、またその時代の体制の思惑が現れてくる。リアルな人間味が陰から表に暴き出され、教科書的でない、生々しい「実質」が伴われてくる。このヒストリア的な側面が興味深く、読ませどころになる。

 著者が奥嵯峨で育ち大学受験時代までに奥嵯峨で経験したことを原点にして、嵯峨に関連した歴史と官能の視点からまず書き始めている。一つだけ、『京都ぎらい』の前作と架橋されている部分がある。それはかつて洛中に住み、今は関東在住の人から著者が読後感想として受信した手紙に触れ、その論点を展開している点である。これは後で触れる。
 本書は6章で構成されている。それぞれ一応独立したテーマとして読める。各章で何がおもしろい点かという印象を綴っていき、本書への誘いとしよう。

1.古典と嵯峨
 奥嵯峨で育った著者が、少年時代から受験生時代にかけての奥嵯峨の変化を眺めてきた。それを背景にしながら、奥嵯峨観光化の歴史を語っている。子供の頃の常寂光寺の庭に当時の住職がぶこつな空き缶細工のオブジェを意図的に置いていたというおもしろいエピソードから始まり、常寂光寺のその後の変化を導入にして、嵯峨野で女性観光客に人気のある「祇王寺」を始とした観光名所と仕掛人(諸メディアなど)との関連話になっていく。嵯峨に人気が集まる前の情景を知る著者ならではの体験を踏まえた変化の書きっぷりがおもしろい。
 東京オリンピックに間に合わせて1964年に東海道新幹線が東京-大阪間で営業開始を始めた折に、京都を「ひかり」の停車駅にした裏話が興味深い。それが、当時の国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンになり、奥嵯峨がどう変化したかに繋がって行く。『an・an』『non・no』という懐かしい雑誌名まで遡っていく。そして、大ヒットしたデューク・エイセスの「女ひとり」の地理観を語る。しいて言えば、ここに前作『京都ぎらい』とのリンキングを加えているといえる。
 著者は時代劇映画全盛の頃、嵯峨は撮影の舞台となり、「嵯峨こそがテレビの世界では江戸なのだ」と想うようになったと言う。だが、その考えが1973,4年頃からゆらぎだし、古典との関わりの認識になったという。それは、著者が現住する宇治にも当てはまると言う。JR(旧国鉄)、雑誌、さらには旅行社も含めて、「どこがいちばんかせげるか、そんな営業上の打算から、京都とその周辺にねらいをしぼった」(p58)という筋読みはナルホドである。
 根っからの古典・文芸好き、歴史好きの観光客も居るだろうが、外部情報源・諸メディアが大きな流れづくりをする中で蠢く観光客の側面をさらりと語ってもいておもしろい。

2.白拍子のかくれ里
 第1章で祇王寺が事例になった。ここではその祇王寺、いわゆる尼寺の由来と歴史的変遷を語る。おもしろいのは、その歴史のウエイトの置き方である。祇王寺が『平家物語』に登場する祇王岐女の出家、後に加わり出家した仏の物語という由来は、勿論触れている。だが興味深いのは、著者が物心が付いたころの庵主・智照尼にウエイトを置いて説明している。そして、この智照尼が瀬戸内晴美著『女徳』のモデルであることと、それに絡めて解説が展開する。智照尼=名妓照葉のエピソード話となる。
 面白いのは「祇王寺」そのものについての裏話をきっちりと押さえている点である。

3.京都はかわった
 この第3章は、著者の前作に対する読者の手紙に記されていた一文へのこだわりとの関連で話材が展開していく。その一文とは「なお嵯峨の老人が『京へ行く』というのは物理的に移動する意味ではなく、京都の遊郭へ女を買いに行く意味だと想います」である。
 つまり、ストレートに官能に絡む視点の展開となる。1958年売春防止法の施行で切り分けをしながら、主に明治大正以降のいわば洛中の淫風を、諸資料を引用しながら論じている。『京都文学巡礼』(菊地昌治著)、『全国花街めぐり』(松川二郎著・1929年)、『日本女地図』(殿山泰司著・1969年)などである。当時の状況が垣間見える。
 この章で私が特に面白いと感じるのは次の諸点だ。

*「作家の夏目漱石が京都を小馬鹿にしていたことは、よく知られる」(p98)という一文から著者が論じているエピソード。
*島原の角屋は、現在「角屋もてなしの文化美術館」として知られている。この美術館は、江戸初期の揚屋建築がそのまま現存し使われている。著者はこの角屋が同じ時代の遺構である桂離宮とデザイン的にひびきあうと言う。歴史家の林屋辰三郎がその類似性に驚いて見せた形で文を書いているという例を紹介している。著者の論点はそれは驚きではなく同時代性の視座にたつのだろう。この点詳述はない。ただ、これにまつわる裏話がきっちりと記されていておもしろい。
*林屋辰三郎は寛永文化論という持論から角屋を遊郭と述べた。一方、現在の角屋は「もてなしの文化美術館」と位置づけ、遊郭という表現を嫌うようになっているという。そこには、遊郭という言葉のイメージと実態がが時代の変遷とともに変化したことにもよるのだろう。著者が、「高度成長期にすすんだ京都観光の脱=性化」「文化に敬意をはらう女性客の浮上」「京都観光の女性化」という動向に角屋が女性客の来館をターゲットにするためと意図を解釈していることもおもしろい。

4.武者をとろけさせる女たち
 この章で、著者は『太平記』にもとづいて、南北朝時代の権力者の有り様を日本歴史の学者なら公の場ではたぶん語らない歴史の裏側を取り上げている。共通理解や推測が可能でも、事実を論理的に立証する確証なしには研究者としては論議でいないだろうからである。その点、その分野の専門家でない著者は自由に発言ができるともいえる。
 著者は、南朝の起点となる後醍醐天皇が「えびす心」の武士操縦術として、後宮に仕えていた女を利用したという。後醍醐は己の想い者であった勾当内侍(こうとうのないし)を宮廷警護の任をひきうけていた新田義貞に盃に付けて勾当内侍を譲ったという。後醍醐天皇が新田義貞の忠誠心を買うために取ったこの事例を引いて論じている。同様のことを、足利尊氏につかえた執事である高師直が「連れ平家」の形式で平家語りを聴いた話として、近衛天皇と源頼政の間での逸話を取り上げている。その上で、高師直自身が侍従の語り口から塩冶高貞の美人妻に横恋慕したエピソードの顛末につないでいく。
 要は南北朝時代に武士への報償として天皇により宮廷の女が道具に使われたという実態話である。教科書には載ることのない側面である。後醍醐天皇が頻繁に行った宴席がどんな者だったかを、現代風に説明しているのがおもしろい。やっていることは昔も今も変わらないなあ・・・・という感じ。「無礼講」の意味は知っていたが、どの語源が『太平記』の宴席にあるというのを、本書を読んで知った次第。手許にある3種の大型国語辞典を引いてみたが、やはり『太平記』の宴席のことまでは触れていない。

5.共有された美女
 興味をそそられる見出しである。ここでも南北朝時代を取り上げて、幾つかの教科書に記されることのない裏話をオープンに語っている。13世紀の後深草天皇に関わる話。少年時代に乳母に性的な手ほどきをしてもらい、成人してはその乳母の娘・二条を引き取り育て、二条が14歳の折りに、後深草は寝ているところに忍び込んだという。『源氏物語』のバリエーションを地で行った話のよう。ここに後日譚があり、西園寺実兼という公家が絡んでくる。その内容は本文を読んでいただきたい。やるもんやな・・・・というところ。著者は、ここに、後深草の政治的な野心を想定し、美貌の二条の利用法だと読み取って行く。南北朝時代の両統交代制確立の裏話、一つの泥臭い仮説として楽しめる。そして、さらには・・・・と二条の数奇な人生、その美貌故の官能篇的行動が語られて行く。著者は『とはずがたり』を種本として、読者向けにわかりやすく解き明かしてくれているようである。この章を読んで、この古典に俄然興味が湧いてきた次第。
 著者は、『万葉集』の超有名な恋歌にも言及する。額田王・天智天皇・大海人皇子の三角関係話である。「俺と弟は、ただの兄弟じゃあない。同じ女をわかちあう、その意味でも血のかよいあう兄弟である。そう群臣たちの前でも、言外につげていたのではないか」(p188)という解釈に展開していく。国文学の世界で通説となっている読み解きとは大いに異なり、おもしろい。そして、天智天皇が宮廷でも評判の高かった安見児(やすみこ)という采女をある重要人物にさげわたした話で締めくくる。末尾の文興味深い。
 「安見児の下賜が叙勲の儀礼めいてうつる。あるいは、女という褒章、トロフィーミストレスの授与式ででもあるかのように。」(p195)こんなことは教科書には出て来ない。そこが本書を通じて、古代史の時代と価値観を含めて、人間臭さ、血と肉を伴う人物群の歴史として、種々のエピソード、裏話を楽しめるところである。
 
6.王朝の力
 著者は、平安京での王朝がどんなものだったかを、ごくわかりやすい例えを駆使しながら語る。そして、ヴェルサイユの王朝との比較もしている。
 例えの面白さという側面をまずご紹介しておこう。8世紀半ばに成立した「内教坊」=王朝内の芸能プロダクション。王朝のホステス=女房たち。12世紀半ばの近衛天皇の后の一人、藤原呈子(しめこ)が市中から雑仕女(ぞうしめ)選びとして行った美人コンテスト。という例えである。
 その美人コンテストの結果選ばれたのが常葉(常盤)だという。常葉は雑仕女として宮廷に勤め、呈子の居所の警備をしていた源義朝に下野守の官職とともにさげわたされたという。それが頼朝・義経など3人の子の母となった町娘の登場である。常葉は源義朝が平清盛に敗れた後、清盛が人質としてとらえた常葉を想い者としてかこい、花山院の女房となる廊の御方を生ませたという。その後、清盛は常葉を大蔵卿・一条長成にゆずられたとか。常葉の人生もまた波乱万丈の処世だった。
 著者は最後に、捕虜となり鎌倉に一旦おくられた平重衡を源頼朝の命でなぐさめたという千手の前を取り上げている。
 かつて、王朝や権力者は女を道具として扱ったということなのだろう。

 京の王朝が得意とした性の政治手法が一番発展したのが後醍醐の時代であり、300年弱後の17世紀、後陽成の時代には性の政治を活かすことができなくなった時代であるとする。そして、京都に当局の管理下に置かれた遊郭が存在するようになる。そして、江戸幕府体制下の1640年代からは、島原に公許の色街が設けられ、遊戯的な性のアウトソーシング化が明確になったと著者は言う。そして、そこに王朝のセックスにまつわる文化が、街場に伝わり、遊里へ拡散したと孝察する。宮廷文化の精華である桂離宮の造形と、遊郭の揚屋における造形のデザインがつうじあう理由がそこにあるという。王朝文化への憧憬が、造形の形で文化伝搬されたということなのだろう。興味深い。

 タイトル「京都ぎらい」は看板倒れで、一歩「京都」に踏み込んで歴史的に知るようにしむけ「京都好き」にさせる本になっている。読ませるエサが「官能篇」という切り口である。どの時代にもセックスにまつわる文化的側面がある。好奇心をかき立てる側面から導かれていく歴史の懐は深く、実に多彩である。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書に出てくる事項や名所関連情報でネット検索したものを一覧にしてみよう。(仕掛人側に加担するいとはないけれど・・・・)それらの内容から、実質と仕掛けを識別していただければおもしろいかも。
観光マップ 嵯峨野・嵐山  :「そうだ 京都、行こう」
常寂光寺 ホームページ
旧嵯峨御所 大本山 大覚寺 ホームページ
祇王寺 ホームページ
平家物語 - 巻第一・祇王 『入道相国…』 (原文・現代語訳):「学ぶ・教える.com」
常盤御前  :ウィキペディア
桂離宮  :「宮内庁」
桂離宮のモダニズム  :「京都文化博物館」
角屋保存会 角屋もてなしの文化美術館  ホームページ
北朝 持明院の跡  :「京都旅屋」
後醍醐天皇  :ウィキペディア
後醍醐天皇  :「コトバンク」
南北朝時代  :ウィキペディア
後深草天皇  :ウィキペディア
後深草天皇  :「コトバンク」
後陽成天皇  :ウィキペディア
後陽成天皇  :「コトバンク」
遊郭  :ウィキペディア
売春防止法   :「e-Gov」
もはや観光地 京都最大の花街『島原』はこんな所  :「レトロな風景を訪ねて」
かつて花街だった島原界隈を散策◆京都でもかなり穴場の観光地  :「4travel.jp」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもご一読いただけるとうれしいです。
『京都ぎらい』 朝日新書
『関西人の正体』  朝日文庫

『朽ちないサクラ』 柚月裕子 徳間書店

2018-06-11 15:27:56 | レビュー
 森口泉は米崎県警の職員として勤めている。帰郷・転職という形で25歳で入庁し4年目となる。県警の広報公聴課県民安全相談係に所属する。広報広聴課の富樫隆幸課長の下に、県民安全相談係と情報公開係が置かれている。14名の職員がいるこの課で泉は一番年下でる。その泉がある事件の実質的な捜査行為に関わって行く。その結果、一連の事件の経緯を自分なりに思い返し、「誰に罪があり、誰が裁かれるべきか」に悩み抜く。そして、県警職員を辞めて、警察官になるという結論に至る。「市民の安全に寄与し犯罪捜査に直接関わる、警察官を目指す」(p313)という選択をする。
 事件捜査の過程において、泉は富樫課長から、県警庁舎の裏でサクラは公安警察の暗号名だと教えられていた。本書のタイトルはそこにからんでいる。「答えが出ないならば、答えを求めて警察組織に入ろう。富樫が言った理不尽さを真っ向から受け止め、自分に何ができるか探し出そう。」(p313)なぜ、泉がそういう選択をしたかが、この殺人事件解決ストーリーの構造の背景に潜むグレーゾーンへの問題提起となっている。
 このストーリーの末尾近くに、次の記述がある。
「親友を奪われ、自分が信じてきた倫理を崩されたいま、なにを信じたらいいかわからない。でも、ひとつだけ、確固たる意志が胸のなかにある。
 --犠牲の上に、治定(じてい)があってはならない。」(p314)
 この警察小説は、殺人事件解決ストーリーの背景構造に潜む問題を提起したいがために書かれたといえるのかもしれない。タイトルの「サクラ」を形容する「朽ちない」という言葉の意味を考えるというテーマが読者に宿題として残されて終わるというところが、興味深い。一方で、それは著者にとっても宿題を残したといえる。森口泉が改めて警察官として登用され、「市民の安全に寄与し犯罪捜査に直接関わる警察官」の立場になったとしたら、「朽ちないサクラ」とどのような関わりの状況に投げ込まれるかという場面設定とストーリーの展開である。そんな展開作品を期待したくなる。

 さて、この小説のストーリーに戻ろう。
 度を超したストーカー行為事件が米崎県平井中央警察署の管轄で起こる。被害届の受理が先送りされるという状況が発生していた。被害届が受理された2日後に女子大生長岡愛梨さんが路上でストーカーに刃物で刺されて死亡するという殺人事件が発生した。度を越したストーカー行為の被害届を両親が警察に持ち込んだのだが、その受理が引き延ばされたうえで、受理された。だがその引き延ばし期間中に所轄署職員が北海道に慰安旅行に行っていたという事実がスクープされて報道されたのだ。このストーリーは、その報道後の市民からの警察への苦情電話応対から始まって行く。スクープ報道したのは、米崎新聞である。
 泉の高校時代の数少ない親友だった津村千佳は、米崎新聞の県警担当記者となっていた。泉が帰郷し県警の広報広聴課職員となったことから、再び交流が始まる。プライベートと仕事を完全に切り離した上での交流である。
 泉が県警に入庁したとき、警察学校の研修で一緒だった磯川俊一は平井中央署生活安全課の刑事になっていた。その磯川からもらったお土産の菓子のことを泉は他愛ない会話の中で話していた。その時、この話を聞かなかったことにして欲しいと泉は千佳に念を押し、千佳は約束していた。スクープ報道の直後、泉は磯川からもらった北海道への慰安旅行の土産のことが、米崎新聞のスクープのきっかけかと千佳を問い詰める。千佳は即座に否定する。そして、千佳は自分が約束を破っていないことを証明するためにスクープの源を調べると泉に約束する。その千佳が殺害されるという事件が発生してしまう。千佳は泉に問い詰められた翌日から新聞社を休んで単独で調査取材行動をしていたことが分かってくる。
 
 警察内部では、長岡愛梨殺害事件に絡み、慰安旅行情報がなぜ警察署内からリークしたのかということも重大な調査事項となる。そこに、米崎新聞の県警担当記者が殺されたという事件が発生したことで、泉自身も参考人としての事情聴取対象にされていく。そして、千佳を信じたい泉は自分自身でも事件の調査に関わって行くことになる。
 泉にお菓子のお土産を渡した塩川は自分の所属する生活安全課が長岡愛梨の両親からの被害届を扱っていた。この被害届を受理する直接の窓口になっていたのが塩川が敬意をいだく先輩刑事の辺見だった。辺見は常に相談者と真摯に向き合って対応する刑事で、易きに流れる人ではなかった。塩川が見ていても、辺見が犯罪捜査規範の第61条に反する態度をとることはそれまでなかったのだ。ところが、この長岡のストーカー被害届に関しては、当初真摯に対応していた辺見の態度が変化して行き、両親の面談すら避けるようになっていたのだ。そして、事件が発生する。
 塩川は新聞のスクープ記事の原因は自分がお土産を泉に渡したことにあるかもしれないと危惧していた。その泉から千佳が殺された事件とその原因と思われる長岡愛梨刺殺事件とについて調べることへの協力を依頼される。そこから、これらの事件を捜査する捜査陣の行動と並行して、泉と塩川が千佳殺害の犯人究明の調査に取り組んでいく。

 このストーリーは、捜査陣の行動状況を主に課長を主に点描しながら、泉と塩川の調査行動のプロセスを主体にして描き出していく。
・広報広聴課職員の泉は富樫課長の指示を受けて、事件報道資料等の配付に関わる仕事を受け持つ立場にある。つまり、泉は仕事柄、事件担当の広義での関係者になっている。
・泉は千佳が殺害された事件に関連して、参考人としての事情聴取を富樫課長からまず受けることになる。泉と富樫との事件情報の交換が結果的に密になっていく。
・泉は事件を担当する梶山捜査一課長から正式の事情聴取を受けることになり、梶山との事件を介した関わりが生じていく。泉への事情聴取は事件担当の捜査員にも知らされずに極秘で行われることになる。梶山はやがて泉の事件捜査に対するセンスを評価し始める。
・泉からの事件調査協力依頼を快諾した塩川は、自分自身が不可思議に思う辺見刑事の行動のこともあり、平井中央署内で密かに情報収集を開始する。そして、所属の生活安全課の実情・実態を理解し始める。泥臭い実態が見え始め、事件に関連した糸口が見え始める。一方で、辺見の変心の謎が深まる。
・米崎新聞が長岡愛梨事件の裏をスクープしたのだが、それは千佳の上司になる報道デスク、兵藤洋が記事にしたものだった。兵藤はどこからネタを仕入れたのか?
・長岡愛梨の刺殺犯人はすでに逮捕されていた。スクープ報道と千佳殺害事件がどういう関わりをもっていたのか?
・梶山捜査一課長と富樫広報広聴課長は同期の間柄で、ある意味ツーカーの関係だった。泉は課の先輩美佐子から、富樫が警備第一課のやり手公安刑事だったということを、入庁間もないころに聞いていた。そして、千佳殺害事件が発生した後、富樫から実質的な事情聴取を受ける場で、「おいおい、公安のタカって言えば、少しは知られた名前だ。極秘調査はお手のもんだ」とおどけた口調で言われたのだ。
 梶山は富樫と役割分担上も、同期ということからも、情報交換を密にして千佳殺害事件の捜査と犯人逮捕に突き進んで行く。
・塩川は泉より3歳年下なのだが、研修で知り合った泉に好意を寄せている。一方、泉は年上でもあり、それまでの人生経験から、慎重な対応を続けている。事件での協力は二人の距離感を少し縮めていく。

 警察組織内部の状況を主体に描き込みつつ、長岡愛梨殺害事件が津村千佳殺害事件に連環していく姿が展開されていく。物的証拠を積み上げて犯人を追及していく刑事事件の背後に、次元の異なる別の意図・思惑での事象が潜んでいた可能性が表れてくる。津村千佳殺害犯人の許から押収された証拠物件の中に。泉がおかしいと気づいた点が現れてきたのだった。その一点が答えの出ない推理へと発展していく。

 なかなか巧妙な構想となっている。どこの組織にでもありそうな泥臭い人間関係を巧みに織り込みながら、真摯な警察官がその真摯さ故に落ち込んでいく局面も描き込まれていく。一方で、さり気なく組織が人事異動で過去の実態を拡散霧消していくよくあるパターンも織り込まれていく。
 近い将来、森口泉刑事が活躍するストーリーが登場するのだろうか。心待ちしたいのだが・・・・・・。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『孤狼の血』  角川書店
『あしたの君へ』 文藝春秋
『パレートの誤算』 祥伝社
『慈雨』 集英社
『ウツボカズラの甘い息』 幻冬舎
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社




『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』  磯田道史  NHK出版新書

2018-06-04 14:11:07 | レビュー
 「はじめに」で著者自身が的確にこの本の特徴を述べている。
「歴史学者が『司馬遼太郎』をあえて正面から取り上げ、司馬作品から入って、体系的に戦国時代から昭和までの日本史を学ぶ珍しい本です」と。「あえて」「珍しい」という意味は、これまで学問としての歴史という世界に身を置く歴史学者が司馬遼太郎の作品を文学という別世界のものとして切り離してきた。学者観点から司馬遼太郎の歴史の考え方にには触れてこなかった事実、多分素人考えとして相手にしなかったことを踏まえている。つまり、著者はそのタブー(?)を破ったということである。
 「司馬史観」という言葉が普通に使われていると私も思っている。歴史の流れのとらえかたについて、一般社会への影響力は大きかったと思う。細部を厳密詳細に分析・研究する歴史学者よりもその影響力は大きかったかもしれない。在野の小説家である司馬が歴史について語ることに対して、研究者の立場・視点から賛否両論あるのは当然のことだろう。正面から司馬遼太郎の記述・考え方を素材にして「歴史」をどうとらえるかについて、本書で語られていることは、一般人には役立つと思う。「学問としての歴史」という専門家の中だけでの象牙の塔的論議を積み重ねていても、一般大衆には直接的な影響力、インパクトが小さい。過去の歴史研究の成果は、やはり現在・未来という時間軸の先に対して役立つ必要があると思う。時代の動向に警鐘を鳴らす、あるいは歴史をつくる上で適切な発言をしてこそ、学者としての存在意義が生まれるのではないか。
 そういう意味で、本書の試みは日本の歴史を捕らえ直す上でも、また司馬作品そのものを楽しむガイドとしても、役に立ち興味深い。

 著者は司馬遼太郎を作家であると同時に歴史家だったと位置づける。「歴史について調べ、深く考えるという意味においては歴史家でもありました」(p12)と。さらに、「後世の歴史に影響を与えた」と言う意味において「歴史をつくる歴史家」だと言う。結構持ち上げている。
 「歴史をつくる歴史家」として、著者は南北朝時代に『太平記』を著した小島法師、約200年前の江戸時代末期に『日本外史』を著した頼山陽、明治時代に全100巻に及ぶ『近世日本国民史』を書いた徳富蘇峰の3人を挙げている。この3人に続くのが司馬遼太郎だとする。歴史を描く際にたくさんの史料を引用した徳富蘇峰の影響を司馬遼太郎が受けながら「さらに多くの史料を収集して、蘇峰以後の、戦後日本人の歴史観をつくりました」(p16)と説明している。
 人々は、学校の教科書にある無味乾燥な歴史ではなく、歴史上の人物の生きざまを知りたいという欲求が強い。私もそういう欲求を持つ。ある時代にある人物が何を思い、どう行動したのか、その生き様から学びたい。それに応えたのが司馬の作品だったと著者はとらえている。
 「司馬さんの場合は、史料がたくさん残っている近代に近ければ近いほど、事実に近い史伝文学に近づいていき、逆に古代に向かっていくほど、歴史小説を離れて時代小説になっていきます」(p18)と分析しつつ、殆どが歴史小説と呼ばれる作品だとする。
 その上で、司馬遼太郎を正面から取り上げて、「体系的に」日本史を学ぶという観点から、司馬作品のうち、事実に近い史伝文学作品を戦国時代から昭和以前までの期間で選択する。著者がここで取り上げたのは、戦国時代を語る上で『国盗り物語』、明治維新を語る上で『花神』を中軸にしながら、『竜馬がゆく』『坂の上の雲』を取り上げていく。

 著者は司馬文学に対して、これらの作品に触れながら、その特徴を分析する。そのいくつかを要約してみる。それ以外に指摘されている点は、本書を開いて読み込んでいただきたい。
*司馬遼太郎は戦争体験により「どうしてこういう国になってしまったのだろう?」「なぜ日本は失敗したのか」「なぜ日本陸軍は異常な組織になってしまったのか」という疑問を抱いた。それが小説を書かせた動因になった。HowよりWhyが根源にある。
 司馬遼太郎はその疑問の原因を過去の歴史の中に探った。
*司馬文学は、時代のダイナミズムや社会の変動を描く「動態」の文学である。
 それ故に、激動の時代を生きる我々に重要な示唆を与えてくれる。
*司馬遼太郎は、人物の好き嫌いは語らず、史料を踏まえて人物の本質に迫り、明確に評価し、その人物を定義する。つまり、人物評価に対する言明が明確である。
*司馬作品の中の人物評価で低く評価を与えられた人物は、ある種の「役割」を与えられた側面で描かれている。その人物の多様性は保留し、社会に与えた影響という視点で人物を大雑把に切り取っている。司馬文学に描かれた人物を客観的に理解するには、一定の約束事(司馬リテラシー)の理解が必要である。
 人物の別の側面を捕らえ直して、人物評価をしないと駄目という著者の指摘である。
*社会変革期を「革命の三段階」という視点で歴史を捉えている。(1)新しい価値の創出者・予言者、(2)実行家・革命家、(3)果実を受け取る権力者、という三段階の展開である。
*旧来の日本人とは異なる、日本人離れした人物を描くという「自由さ」が魅力を生み出している。
*『国盗り物語』は、日本社会で上手に生きていくためのヒントを与える文学である。
 上意下達の負の側面、国家と軍事力の関係、軍事力の暴走と結末を発生過程から見ていくことができる。
*『花神』で描かれた大村益次郎は、大村益次郎についての一次資料から見える実像に限りなく近い。著者はこの作品に司馬文学の真髄をみる。
*明治に生き残り活躍した元勲たちに比し、ある程度忘れかけられた存在だった坂本龍馬を「発見」し「宣揚」したのは司馬遼太郎である。
*明治新国家にとり、最も有用な財産となったのが江戸時代の多様性だと司馬は見抜いていた。その一つが人材の多様性である。

 著者は、「公共心が非常に高い人間が、自分の私利私欲ではないものに向かって合理主義とリアリズムを発揮したときに、すさまじいことを成し遂げるのだというメッセージ」を司馬遼太郎が『坂の上の雲』に込めたとみる。明治という時代をひとつの「理想」として司馬は描いた。一方で、「昭和前期」についての小説は書かずに終わった。昭和については司馬がエッセイで様々に語っている箇所を引用して、司馬の考えを分析し説明する。司馬は昭和を「鬼胎の時代」と表現した点に触れ、司馬が明治をひとつの「理想」として描いたが、その中に「鬼胎の時代」を導いて言った原因が既に胚胎されていた点を指摘している。「第4章 「鬼胎の時代の謎に迫る」は、本書の読ませどころでもある。

 著者は、司馬遼太郎がその作品群の中で、「日本国家が誤りに陥っていくときにパターンを何度も繰り返し」(p184)示している、日本人の弱みの部分を作品中に描き出している点を指定している。そして、その側面こそ我々の鏡として、未来に備えるために有益なのだと結論づけているように思う。司馬文学から改めて学びを引き出すための語り部となっている。

 ご一読ありがとうございます。
 


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