遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『聖拳伝説1 覇王降臨』 今野 敏  朝日文庫

2012-02-26 21:57:29 | レビュー
 著者が各種の賞を受賞し、その作品が最近テレビドラマ化されている。本書は1985年5月刊行本『聖拳伝説』の復刊であり、改題されたようだ。三部作の第一作である。
 数年前に「安積班」ものを最初に読んで以来、著者作品を読み継いでいる。

 本書は私立探偵ものだが、格闘技小説の色彩が濃い。格闘技の来歴、技についての著者の蘊蓄を主人公に語らせながら、大胆な構想のストーリーが展開されていく。気楽に事の成り行きを愉しみながら一気読みできる、肩の凝らない作品である。三部作がどう展開されるのかが愉しみだが、この一冊でも一つのストーリーとして独立で読めると思う。リラックスして一時をエンジョイした。

 本書には主人公が二人居ると私は思った。表の主人公は元新聞記者の私立探偵・松永丈太郎だ。ある事件の追跡を行っていたが、それが原因で新聞記者を止めた男である。空手三段の猛者なのだ。彼が報酬500万円ということで引き受けた仕事が、片瀬直人という大学二年生の身辺調査だった。この片瀬直人が本書の半ばから第二の主人公になり始める。調査対象者である片瀬と調査する松永が連携する形になっていく過程、つまり松永の意識の変化が起こっていくところにおもしろさを感じる。

 松永による片瀬の身辺調査は、実は現首相の再選か交替かという政治の動きと関係する構図の中の一ピースになっていくのだ。松永への依頼主は服部義貞だが、その背後には大先生と呼ばれる義貞の父・宗十郎が居る。服部家は天皇家とも繋がりのある千年以上の家系なのだ。はるか昔から天皇家が服部家を手厚く庇護し、特別な権力を与えてきたという。そしてこの服部家は、常に政治の裏側にいて政治に対して強力な影響力を与えてきた存在なのだ。
 服部家は、今、現首相に対して、総裁選の対立候補を支持し、首相を交替させる立場で動いている。その一方で、服部家自体がその存続・継承について重大な問題を抱えているのだ。大先生と呼ばれる服部宗十郎は己の命の尽きることを予期し始め、服部家の盤石な継承を図らんとしてしている。そのためには、一つの重大な弱みを解消しなければならない。実はそれが片瀬直人に関係してくるのである。
 何を目的とした依頼なのか知らぬままに調査を引き受けた松永は、その目的そのものに関心を抱いて、依頼された調査の範囲よりもさらに深みに踏み込んでいく。そこから様々な事実と背景が明らかに成っていくという形でストーリーが展開する。

 服部家は笠置山中に神社仏閣と呼べそうな屋敷を本拠としている。屋敷には『角』と呼ばれる体術の鍛練に励む若者達が21名もいる。この服部家の一族は天才武道家の血筋であるという。松永はこの屋敷を訪れ、宗十郎と対面する。このとき、義貞の腹ちがいの弟・忠明と武道家としての手合わせを強いられる。そして、忠明の強さに愕然とする。
 身辺調査の一環として、服部家に協力している高田常造教授を訪ねるように指示される。松永は教授に面会し、その対話の内容から徐々に依頼調査目的への手がかりを得ていくことになる。
 片瀬直人は高田教授の研究室に出入りしインドに関する研究をしているという。その直人は、大学構内で水原静香と親しげに一緒にいることが多い。水原静香は、有力政治家水島太一の娘であり、彼女の母親が実は服部宗十郎の末娘なのだ。靜香は服部家の一族に繋がっている。また、松永は片瀬を尾行していて、彼がある種の武術を身につけているのではないかと判断する場面を目撃する。それで、松永は片瀬という人間に一層関心を深めて行く。

 また松永は、内閣調査室長・下条泰彦に接触される。下条は現首相の意を体して動いている人物である。服部家の依頼を受けて動いている松永から、服部家の動きについての情報を入手しようとして働きかけてくる。政治の表舞台は、首相再選に絡んだ真の権力闘争が進行しており、それに服部家が深く関わっているというのだ。下条の目的は、服部家の排除である。この闘争のただ中に、松永が巻き込まれていくことになる。
 服部家が片瀬直人をターゲットにしている真の目的は何なのか。錯綜する状況のなかで、直人との直接接触を重ね、松永は徐々に服部家の依頼の真のねらいを理解していく。その一方で片瀬直人に魅了されていくのだ。松永は、服部家、内閣調査室という二つの陣営から、片瀬直人に味方するという道を選びとっていく。
 本書のクライマックスでは、自衛隊の部隊と三重県警察隊が登場する。そのストーリー展開へ持ち込み方のシナリオ設定がおもしろい。
 
 本書は、政治舞台での権力闘争、服部一族内における血統及び権力継承での確執、直人と静香の恋愛が絡み合い錯綜していく。その争いのプロセスで格闘技が絡んでくる。

 本書を読んで、えっと思ったことがいくつかあった。
 一つは、釈迦が武術の達人だったという事実が仏典に残されているらしいということ。初めて目にした視点だが、ネット検索してみて、同種の記述を発見した。仏教というアプローチでは目にしたことがない視点だ。この根拠をリサーチしてみたくなった。
 もう一つは、少林拳と少林寺拳法が別物だということ。何となく一緒だと思っていたがそれは門外漢の誤解だった。これもネット検索で、認識を改めることができた。
 そして、内閣調査室について。著者は、本書に内閣調査室を登場させている。フィクションとしての脚色があるのだろうが、実際に「1957年(昭和32年)8月1日 - 内閣法(法律)の一部改正、内閣官房組織令(政令)の施行及び総理府本府組織令(政令)の一部改正により、内閣総理大臣官房調査室が廃されるとともに、内閣官房の組織として内閣調査室が設置され」ているという。ウィキペディアで検索したら、「内閣情報調査室」という項目があった。その沿革にこのことが記されている。正式名称は「内閣官房内閣情報調査室」だとか。「事実は小説よりも奇なり」という。この実在する組織、ほんとのところどんなことまで実務として手がけているのだろうか・・・・興味が深まる。

 最後に、本書には熱き思いにさせる一節がある(p215)。ご紹介して読後印象記を終えたい。

 片瀬は信じるものを持ち、そのために戦っている男だった。今、彼は水島静香を信じ、彼女を助けるために戦っているのだ。
 松永は、心の奥底にひた隠しにしていたものを片瀬によって暴かれたような気がしていた。
 それは、信ずること、愛することへの熱い勇気だった。


ご一読ありがとうございます。

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本書に出てくる語句の背景を更に知りたくて、ネット検索してみた。

中国武術 :ウィキペディア
少林拳 :ウィキペディア
少林拳で実戦。 すげええwwww :YouTube
太極拳 :ウィキペディア
楊家太極拳 → 楊式太極拳 :ウィキペディア
楊家秘伝太極拳のページ

少林寺拳法 :ウィキペディア

点穴学 :「楊家秘伝太極拳のページ」内のサイト
点穴 ← 頭蓋骨の構造と頭部点穴名称 :「西郷派 大東流合気武術」HP

武術の来た道 :「COMBAT SPOTRTS」
阿羅漢   :ウィキペディア

内閣情報調査室 :ウィキペディア

笠置山 :ウィキペデイア
 日本地図とこの項目を見る限り、著者は「笠置山」をフィクションの地名として設定したようだ。京都に住む人間としては、小説といえど、実在の山を思い浮かべてしまった。三重の警察隊が行動する設定になっているが、県警なら三重県内が所管範囲だと思うので。


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『蜩ノ記』  葉室 麟  祥伝社

2012-02-23 01:00:51 | レビュー
 また一人、『葉隠』の真髄に迫る人物像を戸田秋谷の中に見た。著者がここに秋谷という人物で具象化したという思いだ。その基底は同じとしても、『いのちなりけり』の主人公、雨宮蔵人とは違った形での真髄の体得者像である。
 10年後に切腹する旨を沙汰され、凜として、泰然として、与えられた課題を日々成し遂げつつ、その日を従容として迎えられる人物が実在し得るのか・・・・凡人には及び難い生き様である。本書が設定した豊後の多分小藩・根藩という世界では、場所を得た人物としてリアルに描かれている。
 切腹という終着点の作品でありながら読後感は爽やかである。その精神は復活するという余韻を感じさせ、ここに描き出された秋谷の生き様から凜とした思いが印象に残る作品になっている。

 冒頭で簡潔に秋谷のプロフィールが述べられる。「額が広く眉尻があがって、鼻が高い。あごが張った立派な顔に、微笑んでいるのかどうかわからないほどの笑みを浮かべている。」(p9)、「若いころから文武に優れていたと言われ、眼心流剣術、制剛流柔術、以心流居合術を修行し、特に宝蔵院流十文字槍術は奥義に達したという。さらに和歌、漢籍の素養も深い」(p10)。そして、27歳で郡奉行に抜擢され5年間努めた時には、巡察中に草が繁茂した田を目にし、「従者とともに田に入って自ら草を抜」(p10)くという行動を取れる人。勘定方として務めていた時には、「悪しき風習に染まらず、なすべきことをいたしたいと存じます」(p132)と言い切る人物なのだ。一種のスーパー・サムライである。
 こんな人物が、江戸表の中老格用人として務めていた時、「江戸屋敷でご側室と密通し、そのことに気づいた小姓を切り捨てた」罪に問われたのだ。御家の恥を出さぬために、極秘に処理され、もともとの所領だった向山村に幽閉の身となり、藩主から既に秋谷が着手していた「三浦家譜」の編纂を続けるようにと沙汰を受ける。「小姓を切ったのが八月八日だったゆえ、十年後の八月八日を切腹する日と期限を切って」の編纂作業に10年を費やすという生活が始まる。そして、秋谷の所領向山村はお咎めで取りあげとなり、家老中根兵右衞門の所領に帰す。

 秋谷の家譜編纂作業に、家老の指示により、元祐筆役の壇野庄三郎が家譜清書の役目として配されることになる。この田宮流居合術に秀でる庄三郎は、些細なことから同輩かつ親友である水上信吾と城中で喧嘩騒ぎとなり、刀を抜いて水上の右足を斬るという不祥事を起こしたのだ。切腹となるべきところを、家譜清書役の沙汰を受ける。だがそれは、家老の意図から、秋谷の監視役となり、場合によっては秋谷及び家族一同を亡き者にせよという裏の使命が含まれた措置でもあった。

 本書の多くのページは、秋谷が「三浦家譜」編纂を継続するプロセスに費やされ、それと併行するように、元秋谷の所領であった向山村の庄屋を含めた農民たちとの関わりが描かれていく。農民との関わりはその年の天候の影響を受け、生活に直結する年貢問題とその周辺事情である。村人は元郡奉行だった秋谷に変わらぬ信頼感を寄せている。ここに、農民と武士の関わりが描き出されていく。士農工商という江戸時代の社会制度の実態の一面を描出することが著者のサブテーマになっているのではないかと受け止めた。

 本書では、二つの「推理」プロセスが相互に絡み合いながら展開していく。これがひとつの読みどころだろう。
 一つは、庄三郎の目を通して、秋谷の不義密通という罪の真相を解き明かしていくというプロセスである。瓦岳南麓にある禅寺長久寺の慶仙和尚は、庄三郎の問いに対して、「秋谷殿はおのれのために、あのようなことをしたのではない、ということだ」(p50)と述べる。それは、何を意味しているのか。
 もう一つは、秋谷と庄三郎が会話を重ねながら、家譜編纂のために、三浦家の歴史的変遷における不明瞭な事件・事実を分析、探究していくプロセスである。
 家譜草稿の中に、幾つかの重大な事件が散見される。寛永8年(1631)の「家来騒動」、宝暦4年(1754)11月「五平太騒動の事」、天明元年(1781)辛丑十月「義民上訴之事」などだ。そして、「法性院様御由緒書」(先代藩主の正室、お美代の方様の由緒書)の謎が重ねられていく。
 どちらかというと、淡々と謎解きが進められていくプロセスである。あたかも秋谷の心の姿を映すかのごとくに・・・・

 また、別の視点もある。
 それは、秋谷とその家族、監視役・家譜清書役としての庄三郎、根藩の家老を中心とした武士群ならびに向山村の村民たち-そのなかでも特に源吉-という一群の人々の心の有り様だ。これがもうひとつの読み応えといえる。不変の心情及び移ろいゆく心情。
 切腹の日限まであと3年という段階から本書は始まる。家譜編纂作業に泰然として専念し、一方で向山村の村民の問題にも関心を示し、助言する秋谷の心の様相、その秋谷の姿に感化されていき、秋谷とその家族を守らねばという方向に意識転換していく庄三郎、家老を取りまく一群の武士達の「葉隠」精神とは逆の心の様、年貢に関わる村民の様々な思いなどである。秋谷の子息・郁太郎の友達である隣家の子・源吉の心映えに、逆に著者は「葉隠」の精神を投影している思いにすらなった。
 
 庄三郎に心の変容を起こさせるのは、まずは秋谷の家譜編纂作業における、事実重視の姿勢だろう。家譜の中に、偽り、虚飾が紛れ込まぬよう、徹底して記録、証拠に基づく事実を考究し、その結果を客観的に書き残こそうとする態度。そこに一切の私信をはさまない姿勢である。
 「御家の真を伝えてこそ、忠であるとそれがしは存じており申す。偽りで固めれば、家臣、領民の心が離れて御家はつぶれるでありましょう。嘘偽りのない家譜を書き残すことができれば、御家は必ず守られると存ずる」(p310)
 ここに、秋谷の心が明瞭に表明されている。
 一方において、仕上がった家譜を藩に提出した後、それが改竄されることへの危惧としての対応策も周到に実施する秋谷の対応も描かれる。

 本書の基底には秋谷の「忍ぶ恋」がある。その上に、秋谷に絶対の信頼感を寄せる家族のそれぞれの思い、庄三郎の心境の変容、村民の秋谷に対する信頼感、心服感が重なり合って行く。その対極として、根藩の武士群の打算の心情、行動が絡まり合っていく。この心の様の諸相は、我々自身の生き様を考える材料になるように思う。

本書から、私の心に残る文を幾つか、取り出してみよう。

*順慶院様は名君であられた。それゆえわたしは懸命にお仕えした。疑いは、疑う心があって生じるものだ。弁明しても心を変えることはできぬ。心を変えることができるのは、心をもってだけだ。  p125-126

*それがしは<三浦家譜>を作り上げることだけがおのれの務めと思うてござる。 p208

*それになあ、おれは世の中には覚えていなくちゃなんねえことは、そんなに多くはねえような気がするんよ。 
 友達のことは覚えちょかんといけん。忘れんから、友達ちゃ。       p211

*ひとは心の目指すところに向かって生きているのだ、と思うようになった。心の向かうところが、志であり、それが果たされるのであれば、命を絶たれることも恐ろしくはない。  p289

*それがしは先ほど、武士としてなんら恥じることなき行いをいたしたと倅を褒め申した。それに引き換え、武士が礫を避けることもできず、手傷を負わせた相手に謝れと言うなどそれこそ恥とするところと、それがしは心得ており申す。   p302

*未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう。(p319)

 本書の展開の中で引用されている2つの章句も、心に残る。
一つは、白隠禅師の和讃の一部:
 三昧無碍の空ひろく
 四智円明の月さえん
他方は、千宗易が<利休>の居士号を帝から許された時、古渓和尚が贈った偈の一部:
 心空及第して等閑に看れば、風露新たに香る隠逸の花

 期限の8月8日、秋谷は長久寺にて、従容として切腹する。
 庄三郎は、郁太郎に言う。
「郁太郎殿には、これからなさねばならぬことがある。私も助けるゆえ、ともに力を合わせてまいろう」
 「なさねばならぬ」こととは? この小説を読み終えると根藩における様々な事象が幾重にも重なり、なさねばならぬ課題が広がっていく思いがした。

 本書のタイトル「蜩の記」は、著者自身が秋谷に語らせている。
「夏がくるとこのあたりはよく蜩が鳴きます。とくに秋の気配が近づくと、夏が終わるのを哀しむかのような鳴き声に聞こえます。それがしも、来る日一日を懸命に生きる身の上でござれば、日暮らしの意味合いを籠めて名づけました」
 巻末の一行は、この述懐に照応するかのようである。


ご一読ありがとうございます。

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 本書に出てくる語句をネット検索し、入手できた情報を一覧にしてみた。

ヒグラシ :ウィキペディア
ひぐらしの合奏 :YouTube
ひぐらしの鳴く声 【高音質】 :YouTube
カワセミ :ウィキペディア
カワセミ の画像検索結果

カルサン袴 :「太物屋」勝部繼弘氏
裁着袴(たっつけばかま)←  :「日本の着物」

以心流 :ウィキペディア
宝蔵院流槍術
宝蔵院流槍術 第二十世宗家 鍵田忠兵衛演武 :YouTube
諸藩武芸流派一覧 :「幕末英傑録」
田宮流 :ウィキペディア
田宮流居合術元和会 HP
田宮流居合術 日本古武道協会official site
田宮重正 :ウィキペディア

七島筵 → 青筵 :「大分歴史事典」 河野昭夫氏

寛政重修諸家譜  :ウィキペディア
寛永諸家系図伝  :ウィキペディア
清和源氏  :ウィキペディア

坐禅和讃  :ウィキペディア
座禅和讃3月26日

廻船問屋 ← 船問屋 :ウィキペディア
 参考情報→ 廻船問屋龍田家 :「愛知県の博物館」shimizuke1955氏

牢問い → 拷問 :ウィキペディア

蒲庵古渓  :ウィキペディア
表千家不審菴:古渓和尚筆 利休居士号賀頌


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『超訳 ブッダの言葉』 小池龍之介  ディスカヴァー

2012-02-19 01:30:55 | レビュー
 本書を読んで見て、発行部数を伸ばす理由がわかった。
 ブッダが弟子たちに語ったフレースは様々な経典に編纂されている。主にそれらが漢訳されて伝来された。一方、近代に入りパーリ語等の原典からの翻訳も順次仏教研究者等の翻訳で読めるようになってきた。しかし、ある時点でなされた翻訳が現代の我々にとって読みやすいかどうかは別物である。

 現代人に対し、ブッダが伝えたかったことに触れて欲しいという意図で、「ブッダの言葉」を著者自身が解釈し受けとめ直し、現代語の文脈で表現したものが本書なのだと理解した。だから研究者が原典に忠実に翻訳する立場をとってはいない。原文の文脈に多少の意訳を加えてわかりやすく訳したという観点でもない。パーリ語、サンスクリット語等で書かれた経典を読む力がないので、私には断言できないが、いくつかの翻訳書と該当章句を対比して読んで見て、やはりそう感じる。

 著者自身は、序文ではっきりと「フレーズの核心を保存しつつも大胆に言葉を省いたり、あるいは反対に筆者なりの発想を付け足したり、あるいは置きかえたりしたものもたくさんあります。」と記している。本書は「ブッダが直弟子の出家修行者に説いていた内容」の核心を著者流にアレンジして伝えようとした成果物だといえる。「悟りし人ブッダによる、私たちの心の核心まで迫り揺さぶってくる言葉」について、この超訳により受け止められるよう、分かりやすく読みやすく、ある意味でかみくだいた言葉に変容されていると感じた。現代の生活文脈に併せて話し言葉に書き直されたものと言えようか。
 ブッダの教えが、様々に変容し仏教の諸宗派という形で存在するように、この書もブッダの教えを現代人に伝えるための一種の転換であり変容であると思う。
 ただし、ブッダを神格化したり、権威付けたりするためではなく、ブッダを「2500年前に生きて死んだ、ひとりの教師」として捉え直し、彼のメッセージの核心を、現代人に伝えることに眼目を置いた形での変容という意味である。

 本書では、著者好みのブツダのフレーズが12のテーマに分類されてまとめられている。
1. 起こらない 2. 比べない 3. 求めない 4. 業(カルマ)を変える 5. 友を選ぶ
6. 幸せ(ハピネス)を知る 7. 自分を知る 8. 身体(からだ)を見つめる
9. 自由になる 10. 慈悲を習う 11. 悟る  12. 死と向き合う
という構成だ。
 著者はこの分類を意図的に配列している。そのねらいは、序文をお読みいただきたい。
そして末尾に、”ブツダの生涯「超」ダイジェスト”の一文と「あとがき」「参考文献」が付されている。

 本書だけ読んでみても、その変容の違いは見えない。
 本書にはブッダのフレーズが5つの古い経典群から選ばれている。その一つ『小部経典(クッダカ・ニカーヤ)』所収の『ダンマパダ』と『スッタニパータ』から一つずつ取りあげて、既存の翻訳と比較してみよう。比較によって、初めてその様相の違いが見えてくる。
 『ダンマパダ』を著者は『法句経』と訳し、手許にある本でみると、中村元訳の岩波文庫本では『ブッダの真理のことば』と訳されている。また、友松圓諦氏(講談社本)と荻原雲来氏(岩波文庫本)は『法句経』とされている。『スッタニパータ』を著者は『経集』と訳され、中村元氏は岩波文庫本で『ブッダのことば -スッタニパータ-』とされている。

 本書の「1.怒らない」の第18番は、「法句経221」を取りあげている。
 著者はブッダのフレーズをこう「超訳」する。

”プライドをすんなり手放す

 怒りを、ポイッと捨てること。
 「俺様は偉い」
 「私は賞賛されるに値する」
 「私のセンスは抜群だ」
 「僕は大事に扱われて当然だ」

 これらの生意気さ(プライド)を君が隠し持つからこそ、そうでない現実に直面するたび、怒りが君を支配する。
 これらの生意気さに気づいて、それをすんなり手放せるように。
 すべての精神的しがらみを乗り越えて、心にも身体にもこだわらず、
何にもしがみつくことがないのなら、もはや君は怒ることも苦しむこともなくなるだろう。”

 対比として、三つの訳を掲げてみよう。
 中村元氏訳
 「怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。」  

 荻原雲来氏訳
 「忿を棄てよ、慢を離れよ、一切の結を越えよ、精神と物質とに著せざる無所有の人に諸苦随ふことなし。」   

 友松圓諦氏訳  (漢訳文を併記して和訳文が掲載されている。)
 「いかりをすて
  たかぶりを離れ
  ありとある結(まつわり)をこえよ
  ひと若(も)し
  概念(ことば)と形式(すがた)に
  著(じゃく)するなく
  まこと 所有(わがもの)の思いなくば
  かかる人に
  すべてのくるしみはきたらず  」     

 著者の「超訳」は、少なくとも文章がすんなり目に入ってくる。言葉を言葉の意味レベルで読み進めていくことができる。他の三者の訳はそれぞれに個性がある。理解を深めるためには、訳された言葉の含意を自分なりに咀嚼するというワンステップが必要とされるように思う。だが、原文の単語の意味は、これらの訳の方がより近いのかもしれない。

 もう一例を、『スッタニパータ』のフレーズで取りあげてみよう。こちらは、残念ながら、中村元氏訳しかないが・・・・

 「2.比べない」の冒頭に、第26番として、著者は「経集782」をとりあげている。
 著者はこのように「超訳」している。

”君が聞かれもしないのに
 自分についてしゃべるとき
 
 自分がどれだけがんばったかということや、
 自分が成し遂げたことや、
 自分が有名人と知り合いであることや、
 自分の立派そうな職業について質問されてもいないのにしゃべる人。
 君がそんな生意気な人になるのなら、
 優れた人々から君は、「浅ましい」と敬遠されるだろう。 ”

 中村元氏訳では、
 「質問されないのに、他人に向かって、自分の戒律と道徳を言いふらす人、自分で自分のことを言いふらす人があれば、かれは聖なる真理をたもっていない人である、と真理に達した人々は語る。」

 中村氏訳を読む限り、本書の著者は修行者という枠をとっぱらい、一般人の立場に置き換えた行為で表現し、そのフレーズの核心を伝えようとしているようだ。

 ある意味、それぞれの訳し方の違いは、富士山の登り方にもいろいろあるようなものと言えるかもしれない。本書の第一の強味は、その読みやすさと言える。現代人、特に若者にブッダのフレーズを伝えるには、わかりやすく抵抗感も少ないに違いない。

 本書と他書の違いを一つ押さえておく必要がある。本書は、大きくは5つの経典の中から「私の好みで選んだ190本」のフレーズを分類し、章立てる形でアレンジされた「ブッダの言葉」である。他者の翻訳は、『ダンマパダ』あるいは『スッタニパータ』の原典あるいは漢訳本の全体そのものの翻訳が目的になっている。そこには目的の違いがある。

 著者の超訳に親しんだ後、出典となった各経典に目が向いたとき、ここに対比的に取りあげた翻訳書がその入口への一歩となるのかも知れない。
 
 今回私は、本書超訳の「法句経」の箇所について、友松氏訳を併用しながら読んで見た。ああ、こんな風に著者はフレーズの解釈を広げているのか、転換させているのか、わかりやすくしているのか・・・・という読み比べの面白さや納得感を味わえた。

 仏教経典なんて・・・・という色メガネをはずし、著者の心と発想のフィルタリングを通してブッダのフレーズの意味を感じてみる、ブッダが語ろうとしたことって何だろうということを考えてみる、本書はそのためにはとりつきやすいものだと思う。


ご一読、ありがとうございます。

付記1 
 「1. 怒らない」の末尾第25番の出典が「法句経657」となっている。3つの他者訳『ダンマパダ』はいずれも合計423項目である。中村訳『ブッダのことば』の第657番に対応するものでもなさそうでる。単純なミスだと思うが、出典はどこなのだろう。

付記2
 『ブッダの真理のことば・感興のことば』 中村 元訳 岩波文庫(1978年1月発行)
 『ブッダのことば -スッタニパータ-』 中村 元訳 岩波文庫(1958年9月発行)
 『法句経』 萩原雲来訳 岩波文庫  (1935年6月発行)
 『法句経』 友松圓諦訳 講談社 (1975年11月発行)
   (友松氏の本書は、現在、講談社学術文庫にて刊行されています)

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 本書の「超訳」の出典や語句に関してちょっとネット検索してみた。

パーリ語 :ウィキペディア
サンスクリット :ウィキペディア

南伝大蔵経 → 経典  :ウィキペディア
北伝大蔵経 → 経典  :ウィキペディア
パーリ語経典  :ウィキペディア
法句経 :ウィキペディア
法句經 荻原雲來訳註
法句経.net
スッタニパータ :ウィキペディア
【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳> :宝彩有菜のスッタニパータ

中部経典
  中部経典のパーリ語タイトルと南伝大蔵経での和文タイトルとの対応
長部経典
  長部経典のパーリ語タイトルと南伝大蔵経での和文タイトルとの対応
相応部  :ウィキペディア
阿含経  :ウィキペディア

初期仏教 :ウィキペディア

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『地球最後の日のための種子』 スーザン・ドウォーキン 文藝春秋

2012-02-16 01:38:57 | レビュー
 本書のプロローグは1998年・ウガンダの農業試験場における小麦の異変の発見から始まる。それは「突然変異により生まれた新種の黒さび病」、後に「Ug99」と呼ばれる。もし、それが世界に蔓延したら・・・・そんな恐ろしい仮定の記述が加わる。しかし、大規模な病害による被害は実際過去に幾度も起こっているのだと本書では様々な事例を挙げている。
 なぜ、恐ろしいのか?世界中で小麦が生産されているとはいっても、商業ベースに乗る生産、収量の多い効率の良い小麦生産を目指し、実際に利用されている小麦の品種は数種類に限られるのが現実なのだ。もし風に乗りあるいは人や物に運ばれて菌が世界に蔓延すれば、ほぼすべての小麦が疫病に淘汰されてしまう。その結果、食料が無くなるという現実に直面することになるからだ。
 それに対応するにはどうしたらよいのか?
 それには、小麦の「遺伝資源」を確保しておくしか手はないという。”小麦の遺伝資源とは、何千種類という小麦の栽培品種すべて(さらには、大麦、ライ麦、小麦とライ麦の交雑種であるライ小麦も含む)、現存するそれらの祖先種、個々の環境に適応した姉妹やいとこにあたる「在来種」、そしてそれらすべての「近縁野生種」(雑草)をすべて含めたものを指す。”(p11)この遺伝資源を確保しておき、病害が発生した場合、それに対抗でき生き延びる品種を生み出すために、この「無限とも思われる遺伝子プールのどこかのメカニズム」を発見し、新たな小麦品種を生み出すこと。それが人類の存続には必要不可欠なのだ。

 本書は小麦の「遺伝資源」の探索・確保・分析分類・実験・保存に一生を捧げ、ジーンバンカー(遺伝子銀行家)と称されたデンマーク人科学者、ベント・スコウマンの伝記である。
 彼は、牧師の父と農家出身の母のあいだに生まれた。ミネソタ大学の「ミネソタ農業学生訓練プログラム」の訓練生となり、ミネソタ大学で学ぶ。さび病撃退ネットワークの構築を行ったエルヴィン・C・ステークマンの紹介で、「緑の革命」を主導し、1970年に応用植物学で初めてノーベル平和賞を受賞したノーマン・ボーローグ博士の面接をうけて、CIMMYTに雇われることになる。CIMMYTとは、メキシコに拠点を置く国際トウモロコシ・小麦改良センターである。
 1988年から2003年まで、ベント・スコウマンがこのCIMMYTの小麦ジーンバンクを率いて世界有数の包括的な小麦遺伝資源を守り、それを増やし、分類するという地道な活動をどのようにして維持発展させていったのかを描いている。彼が築き上げた小麦コレクションを訪れた人は、「種子が消えれば、食べ物が消える。そして君もね」という辛口のウィットと箴言で迎えられたという。

 スコウマンが活動した30年間は、一種の農業革命が爆発的に起こった時期に相当していた。バイオテクノローの発展、グローバル化の進展、農業生産物(特に種子)と生産プロセス(究極的には研究)の私有化と多国籍企業の台頭および特許による囲い込み、その一方で気候変動と地球温暖化が問題となる。これらがすべて同時進行していったのだ。
 その渦中で、スコウマンが公的な機関の使命を明確に掲げ、世界中の諸機関、諸研究者・グループとのリンク、ネットワークを築き上げて行き、「遺伝資源」の確保・保存に尽力するプロセスを描きだしていく。
 第二章では、「種子の銀行の誕生」が語られる。この伝記は、小麦の「遺伝資源」確保の戦いの歴史書にもなっている。そして、CIMMYTという組織がどのように拡大発展し、どんな変化を遂げて行ったかの記録でもある。
 一方、病害に強い品種を生み出すにはどういうプロセスが必要なのかを詳細に説明してくれている。人類の生存を確保するために、人々が注目しないところで、どれほどの地道な研究が継続的に行われているかということを、本書で初めて具体的に知ることができた。まさに、「遺伝資源」確保というのは縁の下の力持ち的な役割なのだ。

 スコウマンは、CIMMYTを離れた後、「ノルディック・ジーンバンク」(現在のノルディック遺伝資源センター:ノルドゲン)の所長を数年間努めた。このノルドゲンは、ノルウェーのスヴァールバル諸島にある「世界種子貯蔵庫」(通称、”地球最後の日のための貯蔵庫”)を管理している組織だ。
 同施設は、2008年2月に開所した。だが、スコウマンは2007年2月にこの世を去った。

 この物語は、スコウマンの伝記であり、かつ、小麦の「遺伝資源」が世界各地から「地球最後の日のための貯蔵庫」で保管されるに到るまでの長い道程の物語でもある。
 スコウマンの動機はシンプルだったと翻訳者は言う。彼の動機は、「世界から飢えを一掃すること」だったのだ。「そのために、彼は自身が収集した遺伝情報をオープンにし、世界中の誰もがアクセスできるものにするという信念を持っていた。ここで生じた問題が、知的財産権との衝突だった。つまり特許を申請することで遺伝情報を私有しようとするバイオ企業との軋轢である」(p224)つまり、本書はスコウマンの視点からみた、現在のホットな問題点を抉り出した書でもあるといえる。
 本書は一般市民向けの有益な啓蒙書の役割を果たすものといえる。
 

 本書は、プロローグの後、次の8つの章で構成されている。
第1章 世界の食料を護る
第2章 種子の銀行の誕生
第3章 シードバンカー出動
第4章 辺境の畑に満ちる多様性
第5章 遺伝子組み換え作物の登場
第6章 種の遺伝子情報は誰のものか
第7章 遺伝子銀行の危機
第8章 地球最後の日のための貯蔵庫
そして、エピローグは「すべては保全されなければならない」でしめくくっている。  
 本書から、印象深い文章の一部であるが抜き書きしておこう。
 
*ようやく最大の収量をもたらす小麦の品種が作り出されたあかつきには、あらゆる農家がその品種を植えたがる。その結果、人気のある品種の子孫が小麦の遺伝子プールを席巻することになり、在来種や祖先種、さらには有益な近縁野生種である雑草までもが消滅の運命をたどる。  p18

*食料需要を継続的に満たす方法はひとつしかない。それは、高温化が進むこの新たな世紀において昔からの同じ土地からより多くの収穫が得られるよう、科学者が常に作物の品種改良を続けることだ。品種改良を可能にする多様性そのものを損なうことなくそれを行うには、新たな小麦の品種を作り出す源となる素材を集め、保存し続けることが必要になる。  p19

*(ロシアの)ヴァヴィロフは、多くの人から科学における二十世紀最大の洞察のひとつとみなされている理論を提唱した。世界で最も生物多様性に富む場所は、主要な作物の「期限の中心地」およびその周辺に集まっているというものである。  p44

*ひとくちに「多様な遺伝資源を収集し、保全する」と言っても、それは容易なしごとではない。・・・・そのためには、人間の手がまだ触れない辺境に赴く必要がある。 p224

*イラクでは、紀元前6750年というはるか昔にシードバンクが存在した証拠が発見されている。もっと最近の例は、イギリスの植物園に見ることができる。 p54

*「時間がたてば、現在使われている抵抗遺伝子のいくらかは効力をなくすとわかっているからだ。抵抗性のバックアップ資源は常に必要で、それを供給する役目を担うのがジーンバンクなんだ」病理学者ラヴィ・シン  p202

*スヴァーバル世界種子貯蔵庫は、遺伝子組み換えが行われた素材はひとつとして保存していないと保証する。  p204

*かつての品種を確実に保存できるのは、ジーンバンクしかない。 p206

*フランケルは、すべてのジーンバンクは、保全、安全性、将来への保障を確実にするための「ベース・コレクション」(長期保存用コレクション)と、育種家による使用を目的とした「アクティブ・コレクション」(配布用コレクション)を備えるべきだと提言した。  p54
 フランケルは、保全における国際的な技術基準を制定することを提言した。・・・遺伝資源の収集、配布、管理については、全世界を網羅する政治的な合意が欠かせないと。 p55-56

*スコウマンが言う”ブラックボックス”システムとは、自国の遺伝資源を保管する能力を持たない諸国を支援するために編み出されたものだった。これは開発途上国に限ったことではなく、アメリカも含まれていた。  p71
 ブラックボックス・システムによる保証は、遺伝資源を守るためにつくられたものだった。民間企業や、バイオ特許を不法に入手しようとする輩が、遺伝資源を狙っていたからである。 p72

*ノルウェーに築かれた世界のベース・コレクションである≪スヴァーバル種子貯蔵庫≫では、あらゆる種子が厳格な”ブラックボックス”の条件下で保存されている。その種子を納めた国以外、なんびとたりともボックスを開けることはできない。 p72

*データベースを、国際的なものにしながら(巨大になる)、利用しやすいものにする(小型化する)というジレンマは、未だに解決していない。  p130

*何かを達成するには、働きかけが必要だ。広報活動が要る。一般市民が要るのである。スコウマンも考えた-世界の実りを保全する戦いにも、一般市民の力が必要なのではないかと。  p198

*ベント・スコウマンは、いかなる限界をおくことにも”ノー”と言い続けた。彼にとっては、”扱いにくい”というような理由で、誰かの命を救う可能性のあるものを失うリスクを冒すのは言語道断だった。・・・・スコウマンが最も憂慮したのは、遺伝資源の私有化と企業秘密が課す制約だった。  p203


 本書に、日本人研究者が出てきた。CIMMYTでトウモロコシ・コレクションのリーダーとなった田場佑俊博士とCIMMYTが財政的に破綻状態のときに所長に就任した岩永勝博士だ。また、本書には、岩手県農事試験場の稲塚権次郎氏が1930年代に開発された小麦「農林10号」に関連したエピソードも紹介されている。
 この分野にも国内で活動する研究者、世界で活動している研究者が居ることを知る機会になった。

 最後に、本書末尾のパラグラフを紹介しておこう。
「そして最も大事なのは、スコウマンが晩年になって信じ、やがて筆者も信じるようになった考えである-農業は、直接農業に携わらなくとも農業に真摯な関心を寄せる多数の一般市民とともにあらねばならない、ということだ。でなければわれわれは、命に関わる世界的対話の中で、自分たちの市民としての権利を放棄してしまうことになる。これは非宗教的な道徳といってもいいかもしれない。すなわち-自由であれ。見ず知らずの他人を救え。そして因果はめぐる。」


ご一読、ありがとうございます。

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 本書に出てくる人名や語句と関連事項をネット検索してみた。

ベント・スコウマン → Bent Skovmand :From Wikipedia

Bent Skovmand, Seed Protector, Dies at 61 :The New York Times
By DOUGLAS MARTIN Published: February 14, 2007

IN DEDICATION TO Dr. Bent Skovmand :Annual Wheat Newsletter Vol.53


緑の革命 :ウィキペディア
ノーマン・ボーローグ :ウィキペディア

むぎ類 さび病 (宮城県)
ムギさび病  (愛知県)

2010年06月04日
小麦のサビ病菌 Ug99 に突然変異種が出現  :「地球の記録」

Ug99 - Short educational video for the general public or press
Multimedia398 | March 29, 2011 | 4:03 PM

生物の多様性に関する条約 :ウィキペディア

食料安全保障 :ウィキペディア

CIMMYT のHP

スヴァールバル世界種子貯蔵庫 :ウィキペディア

the Seed Portal of the Svalbard Global Seed Vault

'Doomsday' Seed Vault Opens :The Washington Post

Nordic Gene Resource Centre (NordGen) :ノルディック遺伝資源センター
 →地球最後の日のための貯蔵庫

The International Wheat Information System

USDA Germplasm Resources Information Network

USDA National Plant Germplasm System

The Borlaug Global Rust Initiative (BGRI)

The Norman Borlaug Legacy : ISAAA

北極の「最後の審判の日・種子貯蔵庫」:為清勝彦氏の翻訳
 F・ウィリアム・イングドール  2007年12月4日

21世紀の農業 植物の遺産 :米国大使館 国務省国際プログラム局のE-ジャーナル

「海外におけるイネ、コムギ、オオムギを中心とした遺伝資源機関と関連情報」
 2008.8.29 鈴木睦昭氏

農業生物資源ジーンバンク
農業を支える基盤リソース-遺伝資源-

<論説>食料農業植物遺伝資源国際条約について :板倉美奈子氏

2007年-2008年の世界食料価格危機 :ウィキペディア

遺伝子組換え作物 :ウィキペディア
遺伝子組換え食品 :厚生労働省

安全性審査の手続を経た遺伝子組換え食品及び添加物一覧
厚生労働省医薬食品局食品安全部 平成24年2月15日現在

バイテク情報普及会
みんなのバイオ学園 :財団法人バイオインダストリー協会

食品の安全性と遺伝子組換え生物の将来展望に関する情報と解説


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『いのちなりけり』 葉室 麟  文藝春秋

2012-02-11 22:35:48 | レビュー
 小説の最後を著者は「忍ぶ恋こそ至極の恋と存じ候」という言葉で締め括る。
 これは常朝の『葉隠』に出てくる言葉だ。この言葉に辿り着き、ああ、この小説は『葉隠』の原像を著者流に描き上げようとしたのだ! とすとんと納得できた。
 本書に、「小小姓の山本市十郎も御歌書役となる」(p56)、「このたび元服いたして権之丞でございます」(p88)、「翌元禄四年三月、山本権之丞は・・・・父親の名を継ぎ、神右衛門と改めている。すでに三十二歳になっていた。」(p177)、そして本書末尾に、「神右衛門は光茂の死後、殉じて剃髪し、山本常朝と名のって金立山の草庵に隠棲した」(p255)と記す。常朝は所々で布石としてその役どころを描かれていたが、常朝の名が出てくるまで、気づかなかった。残念! これは後でウィキペディアを検索してああ、そうだったかと理解したことだ。

 冒頭から、横道にそれたようだ。本書の主人公は雨宮蔵人である。小城藩馬乗士七十石の家の部屋住み。鍋島喜雲が体系化した組み討ちの流派・角蔵流を使うのが取り柄と言われるだけの凡庸な男と人には思われている。目薬の作り方を覚え、それを作り売ることを内職にしている人物だ。父の茂左衛門は十二年前に家中筆頭の天源寺刑部からささいなことで咎めを受け、お役を解かれて蟄居した年に心ノ蔵の病で亡くなっている。
 この蔵人がこともあろうに、刑部に見込まれて入り婿になるのだ。相手は一人娘の咲弥である。だが、この時二十歳だった咲弥は、本藩の書物役に抜擢されることが決まっていた夫・多門の急死の後の喪が明けたばかりだった。天源寺家の跡取が一刻も早く欲しいと父親が押し切って進めたのだ。天源寺家は佐賀藩では特殊な立場の竜造寺家系の家である。嫡子を得ることが必須だった。周りの人々は、蔵人の従兄弟で、祐筆役として出仕していた深町右京の方が似合いではないかと言っていたのだが、刑部は一顧だにしなかった。
 ところがこれが問題の発端になる。蔵人が婿入りし親族の集まりでの披露の後、寝所で二人が会話をする。蔵人は咲弥の名前の謂われを尋ね、その説明を受けて感銘を受けたように頷く。一方、咲弥は前夫多門が学問好きで和歌を嗜み、西行を崇拝していて、「願わくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」の歌を好んだと述べ、「わが夫となる人は風雅を心得たる方こそ」と語る。そして蔵人様の好む和歌を聞きたいと言う。そして「蔵人様がこれぞとお思いの和歌を思い出されるまでは寝所をともにいたしますまい」と告げる。

 だが、本書は蔵人が入り婿となった時から十八年後の元禄七年(1694)十一月二十三日、江戸、小石川の水戸屋敷での騒動から始まる。隠居した水戸光圀が交際のある大名、旗本を招き宴を開き、自ら能「千手」を演じた後で、中老藤井紋太夫を手討ちにするという所業に出る。招かれた客は動転し辞去のためひしめいている中、奥は森閑としているという。この時、天源寺家から複雑な経緯の後、水戸家の奥女中になった咲弥が奥女中取締をしていたのだ。
 翌日、光圀は咲弥の努めを称賛した後、形としては咲弥の夫を呼び寄せると告げる。一方で光圀は小城藩主鍋島元武には、書状で「この際、御家の禍根を断つべし」と伝えるのだ。

 一ヵ月後の年の瀬に、咲弥の許に早飛脚で書状が届く。そこには一行の和歌が記されているのみ。
 「春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことはいのちなりけり」

 この一首、蔵人が古今和歌集から己の思いを伝える歌として選び出したものだった。調べてみると、古今和歌集の97番目の歌で、「題しらず、よみ人しらず」として巻第二春歌下に載っている。本書のタイトルはこの最後の句から付けられたのだろう。

 佐賀藩には、鍋島家と竜造寺家の確執が尾を引いている。鍋島家がもとは竜造寺家の家臣であり、竜造寺隆信の敗死後、秀吉に取り入り嫡男政家を隠居させた。まだ五歳だった竜造寺高房を当主にし、鍋島直茂による家政の二重支配を経て、直茂が肥前国主となったという経緯がある。本書では、その確執が佐賀城内広場での<鎧揃え>の時に、藩主の世子綱茂に矢が射かけられる事件として現れる。そのとき御座所の前に飛び出し、両手を広げて鎧で防ぎ止めたのが蔵人だった。
 参勤交代の供として出府した蔵人は、小城藩世子の鍋島元武から、綱茂に矢を射かけさせたのは刑部だとしてその始末を命じられることになる。一方、従兄弟の右京は、藩主光茂から、御歌書役になり京都役につくようにとの内意を受ける。それは、光茂が古今伝授「御所伝授」を是非受けたいと願っていることによる。三十歳の時に、歌人として名高い中院通茂の門弟になっているのだ。一方で、光茂から別の密命を与えられる。

 鍋島藩は島原の乱の際、鎮定に派遣されたが軍令違反で原城一番乗りを果たした。乱終結後に、抜け駆けを糾問されたとき、水戸家にとりなしてもらったことから、水戸徳川家に出入りするようになっていた。
 この頃、水戸光圀は『大日本史』編纂事業にとりかかっている。一方、江戸幕府は延宝八年(1680)年、四代将軍家綱が病床にあり、世子がなかったため、後継を巡り紛糾していた。京から親王将軍を迎える案もあったが、綱吉を推す老中堀田正俊に光圀も協力して、五代将軍綱吉が誕生する。その正俊の威勢の高まりが嫌われ、城内で刺殺された後、柳沢保明が綱吉側近として暗躍し始める。
 綱吉の出した生類憐れみの令を光圀が批判しおり、施政の邪魔をする者と見なされていく。直接には光圀と保明の確執となっていく。天皇を軸とした日本歴史の編纂を行う光圀と、徳川将軍を機軸にする政治体制を推し進める保明との意識のギャップが問題になっていく。また、鍋島光茂側が公家に接近していることを保明側が都合のよい解釈をし、貶める種として利用しようと画策し始める。

 そういう背景の中で、蔵人の生き様が描かれていく。
 刑部の死に際に関わる蔵人はその直後、一旦石田一鼎のところに身を隠したあと、小城藩を出奔する。蔵人は追われる身になるのだ。形だけの妻、咲弥からは父の敵として、世子元武からは蔵人への指示の密封のため。その他様々な人間関係が複雑に絡んでいく。
 蔵人は一鼎から聞いた熊沢蕃山に岡山で会い、その後京に出る。蕃山に書状を託され、中院通茂に届けるのだが、そこには、蕃山が蔵人を「天下のために用いてほしい」と書かれていたのだ。中院を警護するという蔵人の役割が始まるが、見返りに蔵人の希望したのは、書庫で自由に書見させてもらうことだった。蔵人の思いは、「わが心だと思える和歌」を探すこと。通院に蔵人は恥ずかしげに「さる女人より教えてくれと言われましたゆえ」と言う。

 本書はやはり最後の段階が読ませ所だ。それは、早飛脚からの書状を受け取った蔵人が返書を認めた後、受け取った書状の経緯、意図を知りながら、一途の恋に向かって、江戸へ駆け上っていくプロセスだ。「春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことはいのちなりけり」という歌を、自らの口で咲弥に伝えんがための道のりである。
 それを阻もうとする障害を次々に克服していく姿、そのプロセスにはついつい引き込まれ、感情移入してしまう。寛永寺の桜の真っ盛りのもとで、蔵人が見つけた歌を咲弥に詠じるシーンでは自然と落涙してしまった。

 読後にネット検索していて、次の一文を見つけた。
 正岡正剛氏は、”『葉隠』の最大のキーワードは「忍ぶ恋」だということだったのである”という。そして、常朝の謂う「忍ぶ恋」について、
「常朝は、究極の恋は相手に恋心の負担を感じさせない恋闕の情というものであるということを、何度も何度も強調した。その強調は異常なほどで、そこには人間の哲学の究極のひとつがあるかと思えるほどである。」
と「千夜千冊」第823夜の『葉隠』に書いている。

 冒頭に記したが、本書は『葉隠』を読み込んだ著者が、そこに盛り込まれた精神を本書の形で結実させたのではないか。歴史の断片的な点的史実を背景にして、蔵人と咲弥、また右京という人間を創造し、物語として織り上げていくことを通じて、葉隠精神の原像をそこに仮託したのではないだろうか。本書に散見する、登場人物の以下の発言などは、『葉隠』に繋がっていくような気がする。

*古来、七息思案ということがある。・・・いたずらに迷わず、さわやかに、リンとした気持ちであれば決断は七度息をする間にできるということだ。 p24
*武術など、他人に知らせるものではない、と存じます。 p32
*知行、俸禄をいただいて奉公するのであれば、それは商いと申すものでござる。 p51
*天地の間に満ちているものに奉公すると思えばよろしいのです。・・・天地は命を育むもの、されば命に仕えればようござる。  p52
*一殺多生の大慈悲のため武士は刀を抜きます。 p53
*武士は暮らしのことができるべきだ、と思っていたからだ。 p67
*武士は両刀を携えた時から人を斬ることを覚悟しておるはず。されば、ひとの命を奪うのではなく受けとめる、という覚悟こそ肝要なのではありませんか。 p68
*人はいずれ一度は死ぬものにて候。 p83
*いえ、死ぬるなら、毎朝、死んでおります。 p85
*わたしは毎朝、顔を洗った後、おのれは死んだと思うことにしております。 p85
*大事だ思っている人に会えるとしたら、たとえ仇を討たれるとしても心楽しくなるとは思わぬか。  p104
*「自ら、御手討ちになられるおつもりですか?」「それでなければ、それがしの忠義は果たせません」 p191
*光明であることがわしの忠義であった  p196

 正岡氏が批判している三島由紀夫著『葉隠入門』を読んだ程度なので、的を射ていないところがあるかもしれない。久しぶりに書棚の奥に眠っていた『葉隠入門』をパラパラとめくってみた。

 本書を読んで、おもしろい副産物を得た。TVで馴染みの水戸黄門の家来「助さん、格さん」のモデルとなった人物が、佐々宗淳、通称介三郎及び安積覚、通称覚兵衛といい、共に『大日本史』編纂に関与する学者だったということである。
 
 最後に、本書で私の惹かれる言葉を引用しておきたい。
*つまるところ、雅とはひとの心を慈しむことではあるまいか。 p141
*ひとが生きていくということは何かを捨てていくことではなく、拾い集めていくことではないのか。  p142
*いのちとは、出会い ではなかろうか。 p181


ご一読、ありがとうございます。


付記 ネット検索をしていて、一つ疑問点が残った。
 本書のp178に「このころ<古今伝授>を伝える中院家では鍋島家に伝授することは認めようという気配になっていた。」と著者は記す。本書はあくまでフィクションだろうから、この記述にこだわる必要がないかもしれない。
 だが、これは史実を踏まえているのか、作者の小説世界での付加事項の設定なのか・・・・ <古今伝授>資格者の系統を詳しく知らないので、史実を確かめたい課題が一つできた。
 ウィキペディアの項目では、光茂が<古今伝授>を三条西実教から相承したとされているので、気になった。


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本書に出てくる語句で、関心を抱いたものを本書を読みつつネット検索してみた。
一覧にまとめておきたい。

小城藩 :「江戸三百藩HTML便覧」
佐賀藩 :「江戸三百藩HTML便覧」
鍋島光茂 :ウィキペディア
徳川光圀 :ウィキペディア
酒井 忠清 :ウィキペディア
堀田正俊 :ウィキペディア
越後騒動 :ウィキペディア
柳沢保明 → 柳沢吉保 :ウィキペディア
熊沢蕃山  :ウィキペディア
熊沢蕃山  :「YAMKINへようこそ!」
吉良上野介 ← 吉良義央  :ウィキペディア

円光寺 :ウィキペディア
円光寺 :「ぶらりと京都」
寛永寺 ホームページ
寛永寺 

霊元天皇 :ウィキペディア
古今伝授  :「古今伝授の里Field Museums」
中院 通茂  :ウィキペディア
三条西実枝の古今伝授 :「古今伝授之間」
三条西家   :ウィキペディア
三条西実枝  :ウィキペディア
三条西実条  :ウィキペディア
三条西実教  :ウィキペディア

山本常朝 :ウィキペディア
葉隠   :ウィキペディア
『葉隠』   :松岡正剛の千夜千冊
「葉隠」の説く武士道を考える  :佐藤弘弥氏
小城鍋島文庫 「葉隠」目次  :佐賀大学電子図書館

水戸学  :ウィキペディア
水戸学講座 :常盤神社 水戸黄門ホームページ
大日本史概要  :「きんたろうのホームページ」
彰考館  :ウィキペディア
佐々宗淳 :ウィキペディア
安積澹泊 :ウィキペディア
藤井紋太夫 ← 藤井徳昭 :ウィキペディア

徳川ミュージアム HP
彰考館史料調査  :東京大学


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『ないしょの京都奥の院へ』 茂山絹世   世界文化社

2012-02-08 00:39:36 | レビュー
 京都を紹介したガイドブックはいやというほどある。それぞれにどこか得るところがあるように思う。この本もそんなガイドブックの一冊になるのかもしれない。だが、通常のトラベル・ジャ-ナリストが最新情報を提供するガイドブックとはひと味違うところがあるように思う。
 それは、著者がトラベル・ライターやジャーナリストではなく、ちょっと異色な立場にあり、長年の経験を盛り込んでいるからといえようか。

 奥書から紹介すると、著者は大蔵流狂言師茂山あきら氏夫人であり、京都木屋町に生まれ、新劇の劇団「くるみ座」に在籍。また、先斗町で芸妓としても活躍した人だ。2009年には、芝居のプロデュースもされたという。
 「はしがき」には、いままでに「生まれ育った京を案内してきた」経験を踏まえ、「茂山という狂言一家に嫁ぎ、平凡な日常と公演やお付き合いなどの非日常を、行ったり来たりしながら自分なりにこなしてきた中で」できてきた「私なりの目線」で紹介するという視点に立たれている点である。
 この視点に立つゆえに、各章にふんだんに盛り込まれた写真の中で、ポイントとなるシーンには、被写体の一部として著者が着物姿や洋装で登場している。そこは著者のおなじみになっている場所、おなじみの人々なのだ。

 本書は写真主体にして、簡潔な文章説明の中に著者のコメントを挿入するというスタイルで構成されている。地図も添えてあるが、大体の位置を図で表示しているとうけとめておく方がよい。住所が明示されているので、キッチリした地図か、携帯電話の地図ナビ機能を併用することをお勧めする。京都に住み慣れた者でも、正確な所在地はわかりづらい。

 本書の章立てをご紹介しよう。
第1章 京都人気分を味わっていただきたくて
 京都・町屋の宿泊、菓子作り体験と茶の稽古、祇園祭、能・狂言などの体験機会について述べている。

第2章 「ご飯たべ」する隠れた美味へご案内
 著者が「ご飯たべ」として人を伴って行くお店を紹介している。多くは予約を必要とするお店であるが・・・。グリル「ミヤタ」、祇園「キャレ ド ミュー」、日本料理「祇園つじや」、食堂「おがわ」、割烹「蛸八」、江戸前にぎり「鯛壽司」、嵯峨とうふ料理「松籟庵」、京料理「えのき」、小鍋屋「いさきち」、トラットリア「みのうら」
 一方、比較的気楽そうなお店も載せている。:京の惣菜「あだち」、蕎麦屋「じん六」、かふぇ・ど彦左衛門、中華そば「一番星」、韓国家庭料理「こるもく」、グリル「富久屋」、「喫茶KANO」
 京野菜歳時記として、京野菜の旬を4ページで併せて紹介しているの楽しい。

第3章 ちょっとした行事を上手に楽しめるのも京都です
 この章では、特別の日としての京会席や祝膳にふさわしいお店を数軒紹介し、行楽季節のお弁当(お店:点邑、あと村、いづう、中村屋)の紹介をする。また芝居の楽屋への「御部屋見舞」、お茶会の「水屋見舞」としての食べ物(お店:切り通し 進々堂、村上開新堂、かぼちゃのたね)そして、京都のお茶事体験(「瑞庵」)、花街気分を味わえるお店を数軒紹介している。チャレンジ精神とゆとりのある人には参考になると思う。

第4章 名所のそばに名カフェあり。そして京の和菓子
 カフェとして紹介しているお店は僅かだ。ラ・ヴァチュール(平安神宮近く)、サロン・ド・テgion ghost(八坂神社近く)、cafe Doji(府立植物園近く)、喫茶葦島(河原町界隈)、茶香房長竹(先斗町界隈)
 和菓子も同様である。:亀屋伊織、松屋藤兵衛、鎌餅本舗「大黒屋」、御菓子司「聚洸」、御菓子調進所「松屋常盤」、するがや祇園下里、祇園小石本店、御州浜司「植村義次」、永楽屋、岩さき、小松屋
 伝統的な京和菓子が写真で載っている。写真を見ていても楽しい。京都に住んでいても、味わったことのないお菓子がたくさんあることを再発見した次第だ。
 ちょっとひと休みとして、「素夢子古茶家」という韓国伝統茶とお菓子、軽食のお店も紹介していて、おもしろい。

第5章 京の底力は暮らしの道具と食材にも
 京塗のお椀や土鍋の紹介。食材として、味噌、すっぽんちりめん、生湯葉、生麩、ラー油、乾物のお店を紹介している。本書持参だと特別特典という記載も特定の店にはマーク付けされているので、本書を一見していただくのがよいだろう。
 併せて、アパートメントタイプホテルも一つ紹介されている。

第6章 よそゆきはきもの、そんな伝統の残る町
 よそゆきをきものでという京都人も少なくなってきたご時世ではないかと思うが、京都できものが重要なのは間違いがない。きものまわりの小道具類や染織の工房が紹介されている。普段、あまり意識していない領域のお店を知る機会になった。
 「金封のこと」についても、具体的な写真で種類と説明が載っていて有益だ。

第7章 気持ちのよい庭とないしょのパワースポットへ
 ここには2つのグループで何カ所か紹介している。
a)本書読者限定・要予約  
 元六条御所長講堂、八坂の塔、両足院(建仁寺塔頭)、大法院(妙心寺塔頭)
b)随時可能
 渉成園(枳穀邸)、雲龍院、正伝寺、神泉苑、宝ヶ池
尚、八坂の塔と大法院は、一般特別公開が実施される時期もある。最近は、非公開寺院の特別公開が増えているので、訪れ易くなってきてはいる。タイミングが問題だが。
このページには、「招福守りと縁起物」についても1ページにまとめている。

最後に、「読者限定プレミアムな特典」のページをまとめているが、「有効期限2012年10月末日」と初版発行から2年の期限付きだ。2年も経てばお店紹介情報も陳腐化するためだろうか・・・・それくらいの期間が改訂版への目処なのかもしれない。

さらりと通読し、自分の興味のあるところを、改めて写真を楽しみながらピンポイントで読み直すガイドブックとして便利そうだ。
生まれ育った京都でありながら、知らないところが多かった。探訪する課題ができて楽しく感じている。中には、まず懐具合と相談というのもあるけれど・・・・・

ご一読、ありがとうございます。

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情報は重ね合わせていくほど、発見がある。本書とネット情報のコラボは役に立つ!
本書記載の項目、お店などをネット検索してみると・・・・・

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お豆腐狂言 茂山千五郎家
金剛能楽堂
雲龍院
正伝寺
神泉苑
渉成園
後白河法皇と長講堂
地蔵禅院
海宝寺 :「京都を感じる日々」hir**i1600さん


有職料理・萬亀楼 HP
京料理本家たん熊 HP
祇園つじや HP
あと村 HP
京都祇園 かぼちゃのたね HP
食堂おがわ HP
松籟庵 HP
京の惣菜 あだち HP
蕎麦屋 じん六 HP
旬菜ふれんち 祇園キャレ ド ミュー HP
トラットリアみのうら HP
喫茶KANO HP
デザート&バー クレープ HP ← gion ghost 改め(3月より)
Cafe & Art shop Doji HP
喫茶 葦島 HP
家傳京飴 祇園小石 HP
京佃煮・京菓子 永楽屋 HP 
素夢子古茶屋(somushi kochaya) HP → tea&food 


京料理 えのき :「おこしやす~はんなり京都」デルビエ命さん
割烹蛸八 :「ゆるグルメゆるり旅」misoさん
江戸前にぎり 鯛壽司 :「門上武司のおいしいコラム」
グリルミヤタ :食べログ京都
小鍋屋いさきち :「どこ行こ?なに食べよ?」よんさん
岩さき  :DigiStyle京都「グルメ情報」
 ここは期間限定でわらび餅を作る京料理の店としてでていたところ。
かふぇ・ど・彦左衛門 :食べログ
中華そば 一番星 :「京都拉麺満腹記」はじめっちさん
家庭韓国料理 こるもく :食べログ京都
グリル富久屋 :食べログ京都
点邑(てんゆう) :「京都食べ歩き」個人ブログ
いづう :DigiStyle京都「グルメ情報」
助六 中村屋 :食べログ京都
切通し 進々堂 :「人生はチョコレートのようなもの」ベーグルさん
村上開新堂 :「京都旅楽」 旅楽(たびたの)トラベル
ラ・ヴァチュール :「Kyo Cafe」
茶香房 長竹 :「山背古道お茶探険隊活動日誌」


亀屋伊織   :DigiStyle京都「グルメ情報」
松屋藤兵衛  :「京都旅楽」 旅楽(たびたの)トラベル
鎌餅本舗「大黒屋」 :「京都発季節の逸品」京都アイネット通信 
御菓子司 聚光 :「季節の口福和菓子」Kyoto arashiyama club
御菓子調進所 松屋常盤 :「B食倶楽部 京風味*」茜さん 
するがや祇園下里 :Organic Express
御州濱司 植村義次 :「和菓子にみる京」(京都新聞)
八方焼本舗 小松屋 :食べログ京都
 本書では「わらび餅」で紹介されています。
麩嘉  :食べログ京都


都をどり 祇園甲部歌舞場HP    ← 祇園甲部
京をどり おいでやす宮川町へ HP ← 宮川町
鴨川をどり 先斗町歌舞練場HP   ← 先斗町
北野をどり 上七軒歌舞会HP    ← 上七軒
祇園をどり 祇園東 祇園東歌舞会HP    ← 祇園東

茂山あきら プロフィール及び「南無三宝」の見出しで随筆集が載っています。

美術道具 万市 HP
型絵染伝承の里 栗山工房 HP

麩嘉 ←京の老舗を訪ねる  :京都府生活協同組合
亀屋伊織の仕事 :「続・竹林の愚人」bittercupさん
  (注記:出版本からの抜き書き引用としてのご紹介のようです)


[附録] ついでに、こんなウェブサイトも見つけました。

京都・文化体験ガイド 京のたしなみ帖 :京都「千年の心得」推進協議会
和の学校 :NPO法人和の学校
五花街の年中行事  :おおきに財団HP
 おおきに財団HPには、「舞妓さんになるための10ヶ条」というのも載っています。
京料理 京都料理組合 HP
京都寿司のれん会 HP
京都先斗町 :京都先斗町のれん会 HP
京都下木屋町 :木屋町会 HP
錦市場 :京都錦市場商店街振興組合公式ウェブサイト
京都倶楽部 :会員制クラブ
旅楽(たびたの)トラベル HP

京都でしか買えないお店を紹介 ← 一覧表


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『心に雹の降りしきる』 香納諒一  双葉社

2012-02-06 11:38:26 | レビュー
 書名がちょっと変わっていたので本書を手に取った。この作家については全く知らない。本書との出会いが初めてである。奥書を読み、推理小説の分野で受賞されていることと本格派ハードボイルド作家と見なされていることを知った。

 読み始めて、これが警察小説だということがわかった。そして、今まで読んできた作家達の刑事のキャラクターとはまた違った新たな刑事像の誕生を楽しめた。

 本書をまずおもしろいと感じ始めたのは、警察小説として、その環境が全くのフィクション世界で構築されていることだ。勿論、著者の発想の根底には、現実世界でのいくつかの刑事事件がヒントになっているとは思う。しかし、本書は実在する社会環境には根ざしていない。山下県というローカルな県内の県庁所在地・海坂市とそれに隣接する仏向市、山下市という三都市が舞台になる。その架空県内でほぼ完結している。こういうスタイルの警察小説は、私には初めてだ。

 主人公の都筑寅太郎刑事は県警一課所属である。
 都筑は3歳の時に連れ去られ行方不明になった井狩理絵という女の子の捜査を7年間続けてきた。理絵が既に殺害されているのではないかということを内心思いながらも、外食チェーン店を経営する父親・井狩治夫の熱意と要求もあり、確実な証拠も出てこないことからこの事件捜査を継続している。父親は娘の生存を信じ、情報提供者への謝礼を喧伝し、興信所を雇ったりもしている。有力な情報には100万、娘を連れ帰った者には300万円の報奨金を出すという。都筑は、離婚した後、スナックの女に貢ぎ、競馬に立て続け負けたりして気持ちが荒んでいた2年前に、この井狩に間違った期待を抱かせて報奨金をせしめた暗い罪の意識を引きずっている。このペテンがばれ、それが元でデカを馘になるのではないかと恐れてはいる。捜査活動中もサボってしょっちゅう車で昼寝をする。お好みの昼寝場所まである。彼は単独捜査を好む。この少女行方不明事件については、「胸がすかっとすればいい」と思っている。 

 そんな時、井狩治夫に興信所に勤める梅崎陽介がフリーマーケットでピンク色の子供服を見つけたという話を持ち込む。井狩からの連絡を受けた都筑は、井狩の自宅を訪ね、そこで梅崎に引き合わされる。ここから、事件が再び動き始める。

 井狩邸を出た後、都筑と梅崎が別れる前に、梅崎は都筑に向かって、こんな言葉を投げかける。
 「都筑さん、そうやって、仮面を被り続けるのはやめませんか。あんた、街じゃ有名ですよ。県警一課の都筑寅太郎がどんなデカか、おれたちの世界じゃ誰もがよく知っている・・・・・おれたちゃ、同じ穴の狢ってやつだ。ね」

 梅崎は東京の大手新聞社の記者だったが麻薬不法所持で捕まり馘になった後、前科を重ね、今は上村信用調査事務所の調査員をしている。この梅崎が後頭部に記図を負い、商店街の路上駐車の中から死体で発見される。
 その事件から2週間ほど前に、仏向市の赤浦温泉の傍の渓流で、為谷逸夫という男が転落死で発見されたという事件が起こっている。この事件の切り抜き記事を幾つか亡くなった梅崎が持っていたのだ。
 梅谷がもたらした子供服がきっかけで、その捜査を進めて行き、都筑は山下市にある上村信用調査事務所も聞き込みにいく。調べると、上村が元警察官だった事実が分かる。また、為谷が上村信用調査事務所を辞めさせられていたということも分かってくる。
 為谷は死体となって発見される前は、長らく明神観光ホテルのスイートルームを借り切った生活を続けていたようであり、7年前に井狩はこのホテル内に自分の店を持ち、骨休めにホテルに滞在するつもりで湖畔を散歩していて、ほんの僅かに目を離した隙に、娘が行方不明になったのだ。
 都筑は仏向市の警察が担当している為谷事件に対して、為谷の行動を捜査する許可を上司の小池を経由して得ようとするが、上層部からストップをかけられる。この事件はどうもXデーに関連しているというのだ。
 少女行方不明事件を追って行くと、副次的に様々なことが分かってくる。
 子供服をフリーマーケットで売った女性は偽名を使い、東京在住のDVの夫から逃げている人物であること。その人物の親は警察にもコネがあり、この女性を追跡していること。
 井狩は3年前に亡くなった妻の兄である専務の田口順司に外食チェーン店の経営的な面を任せていて、新店舗物件探しには上村信用調査所と勝美という不動産屋に委託していること。梅崎が死亡する前に、上司の上村、離婚した妻と一緒に生活している娘・詩織及び松村祥子に電話していたこと。松下祥子の聞き込みに行くと下宿先の老婆から昨夜来戻って来ないと告げられる。そして、彼女は、スナックを含めいくつかのアルバイトを掛け持ちしながら、デザイン学校に通っていること。捜査を進めると、松村もまた梅崎との関連で殺されたのではないかという疑惑が都筑には湧いてくる。そして、都筑はその捜査を関連事件として優先させていく。
 被害者が何らかの形でリンクしながら、次々に事件が発生していく。為谷の死亡事件、梅崎の死亡事件、松村の行方不明事件、そして、7年前から追跡している少女行方不明事件。
 さらに、「県知事逮捕」というニュースが流れる。Xデーの標的はかなりの大物だった。県知事逮捕には、明神観光ホテルの売却問題が絡んでいるという。そしてさらに、上村の死体が発見されるという事態が発生する。

 この小説の面白みは発生する事件の連環性にある。まるでしりとりゲームのように、当事者が何らかの関係を持ちながら、一方で独立した形の事件の様相がある。なぜか、次々に行方不明となり死亡して行く。その一方、明神観光ホテルという舞台が、事件当事者を個別に、あるいは、その幾人かが一緒に居るシーンを目撃されているのだ。

 著者は、ところどころに伏線を潜ませながら、事件の発生、展開、解決を進めて行く。そして、ちょっと軌道からはずれた単独行動主義のデカの鬱屈した心情、「心に雹の降りしきる」内奥状態を様々に描き出す。スーパーヒーロー的なデカとは全く違う。だが、事件を解決していくシャープさは秘めている。
 本書のタイトルは、デカとしての己の捜査の状態に対する心情描写と共に、デカ都筑の生育環境に絡んだ鬱屈の表象でもあったのだ。それらが二重に重ねあわされていく。
 エピローグの7ページがなければ、それぞれの事件は解決されるものの陰鬱なムードでの幕切れ小説だ。やるせなく、不燃焼な気分が残る。
 だが、エピローグがその落ち込みを救ってくれるところが、本書の読後感をプラスに復活させることになった。

 事件解決の過程で満身創痍になる都筑、独りのユニークなデカを著者は創造した。都筑が、昼間サボっていることも承知の上で、その能力を認め、サポートする上司、小池をうまく配している点もなかなかおもしろい。

 さて、この都筑刑事、既に著者の本でシリーズになっているのか、あるいは、これから、シリーズが生み出されるのか・・・・楽しみが増えた。
(現時点で本書以外を手に取っていないので不詳)



付記 ちょっとした間違いを発見した。p9に井狩治夫の発言として「理絵は連れ去られた時五歳で・・・・」とあり、一方p52には、都筑による回想文として「当時3歳だった理絵」と記されている。また、p408には、「三歳の幼女が十歳に成長してもなお」と出てくる。多分単純なミスなのだろうけれど、推理小説としてはちょっと残念だ。

  ネット検索を何もしなかったのは今回が初めてだった。


ご一読、ありがとうございます。

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2014.8.21追記
著者のこの作品を読みました。ご一読いただけるとうれしいいです。

『無縁旅人』 文藝春秋




『江戸絵画の不都合な真実』 狩野博幸  筑摩書房

2012-02-04 20:22:43 | レビュー
 著者は、大学の助教授から京都国立博物館の学芸員に転進し、数々の企画展を手がけ、再び大学教授になるというちょっと異色の経歴を経ている。「大学の正規の教員が博物館・美術館に勤めを変えることは、明治時代以来、僕が初めてということである」と「あとがき」にある。著者曰く、「机上の空論をひけらかして一生を過ごしたくない、と思った・・・・要するに、早く本物を見る時間が欲しかったのだ」。そして、企画展の煩雑な作業手続きの後に、「日本中から作品を集め、展示時間以後にはたった独りで思う存分眺め尽くすことができるのだ」
 「そうやって観察すると、江戸時代の画家たちの作品にこめた戟しい息づかいまでわかってくるようになる」。本書にはそのような観察を踏まえた結晶なのだろうと感じる箇所が多々ある。

 本書に取りあげられた画家は、ある意味で異色の画家たちばかりだ。当時の伝統的な絵画の主流の中で学ぶ時期があったとしても、その中に安住できずに独自の絵画の境地を追い求めた異人たちが多い。
 「不都合な」というのは、誰にとって、何に対してなのかが問題となる。伝統保守派の宗家や門下の絵師からすれば、その画家の存在そのものが「不都合」だった。また、時の為政者あるいはその側にいる特定の人々にとって「不都合」だったのだ。著者は逆に、様式、形式、伝統に則り一見華麗優美な絵を描く一群の絵師ではなくて、「マシンではなく人間そのものだ」と思う画家をここに選んだようだ。己の思考と己の経験から生まれたものを絵の中にぶつけた人物たちに、迫ろうとしている。本書「あとがき」の末尾に、著者はこのように記す。
 「かれらがかれらの知的認識をどこまで作家活動に生かし得たのか、ということにしか、僕の関心はない」と。

 私は本書のタイトル「不都合」という語句と、目次を見てそこに以前から関心を抱いている絵師「若冲、蕭白、芦雪、北斎」と、葉室麟の小説で関心をもった「英一蝶」が取りあげられていること。また写楽は誰かの謎にも興味を抱いてきていたので、すっと本書を読む気になった。偶然だが、本書でうれしいことに大半の画家がカバーされていた!

 本書で取りあげられている絵師を、まず章ごとにご紹介しょう。
 第1章 岩佐又兵衛  心的外傷の克服
 第2章 英一蝶    蹉跌の真実
 第3章 伊藤若冲   「畸人」の真面目
 第4章 曾我蕭白   ふたりの「狂者」
 第5章 長沢芦雪   自尊の?末
 第6章 岸駒     悪名の権化
 第7章 葛飾北斎   富士信仰の裾野
 第8章 東洲斎写楽  「謎の絵師」という迷妄

 本書にはポイントを絞った画家列伝という趣があり、また著者の見解をストレートに披瀝している点が読んでいて楽しく、おもしろいところだ。また、あれ、そんな側面がこの画家にあったのか・・・と目からウロコという側面もいろいろとあった。また、本書に掲載紹介された絵については、全作品の解説が記されている。企画展で掲示にある絵の解説風だが、著者の見解が出ていて興味深い。本書を読み印象に残った点を感想を交え一部ご紹介しよう。

<岩佐又兵衛>
 私は近年、初めてこの画家の名前を「浮世絵の始祖」という位置づけで新書本から知った。著者は、岩佐又兵衛の芸術創造のエネルギーの源は、彼の父が荒木村重であること。そして、又兵衛が現今しばしば取りあげられる<心的外傷後ストレス>を抱いていたその思いを絵に転換して行ったのだと例証している。「又兵衛は絵を描くことによって、そのPTSDを克服する」(p38)
 著者がこう断言している点がおもしろい。「ひとの心理は複雑きわまる。あたかも野菜の値段を決めるように人間の心理を裁断する人間心理研究を筆者はいっさい信用しない。≪心的外傷後ストレス≫そのものが芸術創造のエネルギーたり得る」(p23)と。
 先日、『風渡る』(葉室麟)を読んで、荒木村重の居城に黒田官兵衛が説得に行き、囚われの身になるというところが出てきたので、又兵衛と村重の関係を知り、岩佐又兵衛という画家が身近になったような気がした。
 著者は、又兵衛の最高傑作は古浄瑠璃絵巻の『山中常磐物語絵巻』だという。

<英一蝶>:はなぶさいっちょう
 葉室麟の小説とネット検索から、一蝶が中橋狩野家から破門された後、風俗画という分野を開拓していったことを知ったのだが、著者は「その本質が『伊達を好んでほそ』い絵であったことは、もっと覚えておくべきだろう」(p53)と記す。そして、「伊達」を通しながら「細い所」を常に喪うことなく保証するのは実に命がけの遊びなのだという。
 一蝶は「生類憐みの令」への揶揄とみられた「馬が物を言う」事件で連座し入牢。この時は詮議未了で釈放されたが、二回目は三宅島送りとなった人だ。著者は一蝶が法華宗不受布施派だったことが島送りの真因だろうと分析している。為政者からみれば、「不都合」な人物だったようだ。
 葉室麟著『乾山晩愁』中の「一蝶幻景」という短編小説の記憶と、本書の列伝記載を重ねあわせると、私には一蝶が生き生きとしてくるように思われる。本書の著者が「一蝶は『内信』あるいいは『法立』だったのではないかと考えている」(p63)という仮説は、ある意味、なる程と思わせる。(葉室氏は内信・法立という設定はしていなかったと記憶するが・・・)

<伊藤若冲>
 若冲が錦小路の青物問屋の息子だったことは知っていたが、絵に関心はあったものの23歳で家督を襲ぎ、四代目枡屋源左衛門となっていたこと。京都錦高倉青物市場の公認問題で、帯屋町の町年寄として自分の命を賭しての活躍をしていたという側面の解説を読み意外だった。また、若冲が相国寺や京都深草の石峯寺と縁がある側面は知っていたが、私の地元、宇治の黄檗山萬福寺とも縁があったとは認識外だった。萬福寺の住持、伯照浩から「時称精妙」(「すぐれて精密な画風が称賛されている」p85)、「奮然能革旧途轍」(「旧態依然の絵画に新機軸を打ち立てたというほどの意味であろう」p85)と評されていたようだ。
 本棚にある若冲を冠した美術展図録を久々に引っ張り出してみた。2000年に京都国立博物館で「若冲 特別展覧会没後200年」展、2003年・なんば高島屋で「若冲と琳派-きらめく日本の美-細見美術館コレクションより」展、2006年・京都国立近代美術館で「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」展があった。図録がすぐに見つからなかったが相国寺の承天閣美術館での若冲展も数度あった。改めて、「若冲」展の図録を開くと、冒頭ページは「若冲、こんな絵かきが日本にいた。」であり、総説「伊藤若冲について」は本書の著者が書いていたのを再認識(図録を購入した時は収録画中心に見ていたので・・・)した。本書を読んで、著者の企画展だったことを知った。図録の文中にこんな一文がある。「狩野派の画家に就いて基礎を学び、熱心にその画法を収得するうち、そこでの就学では一層の発展がないとわかると、あっさりとそれを捨て去り、中国宋元画の模写で日々を過ごすようになる。」(p19)伝統の主流派からみれば、また為政者の一部からみても、若冲の人と絵を「不都合」と見ていたことだろう。プライスコレクション展図録にある辻惟雄氏の一文に、プライス氏の発言引用が記されている。「若冲の絵をそうでない絵と区別する方法は簡単だ。この絵をみたまえ。葉の一枚一枚がじつにエキサイティングだ」(p22)

<曾我蕭白>
 2005年に「特別展覧会 曾我蕭白 無頼という愉悦」展が京都国立博物館であった。この図録を見ると、やはり本書著者の企画展だった。図録表紙にこんなキャッチフレーズが記されている。「円山応挙がなんぼのもんじゃ!」この文、まさにここでいう「不都合」に直結していると言える。総説はやはり、著者が「無頼という愉悦 -曾我蕭白の視座-」というタイトルで記していた。
 著者は本章の見出しで「狂者」という語句を使っている。「進取の気象に富むものの、往々にして世俗を超脱する態度(生き方)」(p104)をとる人間を「狂者」と説明する。著者は本章で、蕭白の態度が傲岸不遜と世間から見られていた逸話を取りあげている。態度・行動の何処に着目するかで、見方がごろりと変わるところがなかなかおもしろい。著者は本章で、金龍道人を前半で紹介し、蕭白との二人を「狂者」と述べている。
 上記図録では、「無頼」としてこの二人を解説する。そういう生き方を自分に課したのだと。「誤解を生じ易い生き方であるやもしれない。いうまでもなく、無頼であることは、神経を露出することにほかならない。無頼は、無神経な鈍感さの対極に位置する生き方である。」(p40)
 四点掲載の絵のうち、「鍾馗と鬼図」に私は一番惹かれる。

<長沢芦雪>
 葉室麟著『恋しぐれ』の中の「牡丹散る」という短編小説に芦雪が登場する。この小説には、応挙門下の芦雪の微妙な位置づけが副次的に描かれている。本書の著者の解説で、応挙門下の十哲のひとりに数えられていたことを知った。だが応挙とは対照的な人物である。著者の次の文が印象深い。
 「並外れた画技を有していたがゆえに、回りの人間に無用な刺激を与えてしまう。鬱陶しいことこの上ない。応挙門では圧倒的に町人の子弟が多かった。そうしたなかで、芦雪という才能に溢れる画家が、酔えばかならずその出自が武家であることを強調していたとすれば、おそらくは顔を斜めに伏せながらチッと舌打ちをしたであろう門人らの様子は容易に想像できる。」(p138)この芦雪、大阪で没したそうだが、異常な最後だったという。このことを本書で初めて知った。著者はその逸話を本章で紹介している。
 どうも回りには、「鼻もちならぬ」(p142)という感じをあたえる御仁だったようだ。 だが、掲載されている「虎図」の躍動感や、「朝顔に蛙図」の大胆な構図には大いに惹かれる。

<岸駒>
 この画家の作品も、手許の美術展図録たとえば、上記プライスコレクション図録や「京の絵師は百花繚乱」展(1998年・京都文化博物館)図録に掲載されている。しかし、私にはあまり印象に残っていなかった。本書を読みその人物像に面白みを感じるようになった。当時、岸駒の絵は売れたようだ。京都には多くの作品が残っていると著者はいう。これから関心を持って絵を鑑賞してみようと思っている。
 成り上がり者と位置づけられ、「高い画料でなければ引き受けない」という噂の立った画家らしい。「たしかにひとに対する態度がすこぶる尊大だったことがあるかもしれない。数多くの逸話のすべてが事実と異なるわけでもあるまい。それが何だというのだ」(p178)と著者は激越に記す。というのは、「岸駒が得た画代が、廃寺の修復に費やされた。ひとつの寺といっても、書院を修理して襖も新調し、土塀や石垣まで新たに造営するほか、仏殿を建て山上に鬼子母神堂まで建てる営為に、いかほどの金銀が必要であったか、想像してみるとよい」(p177)と、違った側面を提示している。悪評を放つ輩にとって、これは「不都合」な事実だっただろう。
 p178の続きの文章が私には特に印象深い。「原子爆弾の被災者であることを声高に述べ、”世界平和”のために作画していると公言して文化勲章を貰った画家に較べ、在世中から悪評を投げつけられながら京都の社寺の復興資金を提供していた岸駒を私は支持する。おそらく岸駒への悪評を気にして誰もそのことをいわないのであろう。」
 本書の掲載で初めて見たが、「猛虎図屏風」(サントリー美術館蔵)は迫力がある。

<葛飾北斎>
 北斎を知らない人はいないだろう。本書では、北斎と「冨士講」との関係を取りあげている。こういう視点で北斎を考えたことがないので、参考になった。本章を通じ、私には食行身禄(じきぎょうみろく)という人物の存在を知ったことが副次的な収穫だった。著者は本章で食行身禄略伝を語っていることにもなる。こんな人が江戸時代に居たのだ!
 著者はこう結論づけている。「北斎自身が富士講の信者であったという証拠は、今のところ見出されてはいない。だが、かれが富士講の思想にあるシンパシーを感じていたところまでは、疑いなく確言できるのである」(p207)と。
 「冨獄三十六景」で今まで美術展や本で見たことのない富士の絵が掲載されていて、興味深い。「富士講」の視点を絡めると北斎の富士の絵の見方を一層広げ、深めることになる。

<東洲斎写楽>
 写楽の人物探しはいくつかの小説にも描かれていて興味深いものがあった。本書では、中野三敏氏の研究考証を踏まえ、その実像がほぼ決定したという点を中野氏の論点を祖述して論じている。写楽の実像は?本書を読んでなるほどと思った。
 そして、人物探しはもうやめて、作品自体の美術的研究に専心すべきだと改めて本章で強調している。
 写楽情報に言及した斎藤月岑に著者は触れている。そして次の文を記す。
月岑による追加情報への批判や無視に対しての発言だ。「これらもすべて、斎藤月岑という人物を知らぬ者たちの妄想というほかない。篤実を絵に描いたような月岑、もはや前代に歿したひととはいえ、ここまでその人格を貶める発言は許されるものではなかろう。自戒とともに書き付けておく」この一文、批判する際の戒としてこころに留めておきたい。
 人物探しはこれで終わろうよということに徹した章だった。興味深い章でもある。

 著者自身が、美術研究の分野で、同様に「不都合」な人と思われる存在なのかもしれない、とふと思った。

ご一読、ありがとうございます。

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関連項目をネット検索してみた。
「画像検索結果」には、余分なものも検索にひかかっているようですが、まあそのあたりは見ればおわかりになるでしょう。(ノイズが入っていないともっといいのだけど・・・・)

岩佐又兵衛 :ウィキペディア
山中常盤物語絵巻第1巻 :MOA美術館
岩佐又兵衛 の画像検索結果

英一蝶   :ウィキペディア
英一蝶 の画像検索結果

伊藤若冲:ウィキペディア
伊藤若冲作品のある美術館・神社  :浦島茂世氏
伊藤若冲 の画像検索結果

伊藤若冲 1 :The British Museum
伊藤若冲 2 :The British Museum
伊藤若冲 3 :The British Museum
他にもまだ所蔵品を閲覧できます。

曾我蕭白 :ウィキペディア
曾我蕭白の画像検索結果

長沢芦雪 :ウィキペディア
串本応挙芦雪館 :ウィキペディア

長沢芦雪 掛け軸  :The British Museum

長沢芦雪 の画像検索結果

岸駒   :ウィキペディア
岸駒居住地
岸駒 の画像検索結果

葛飾北斎 :ウィキペディア
冨獄三十六景 凱風快晴:MOA美術館
冨獄三十六景 神奈川沖浪裏:MOA美術館
葛飾北斎 の画像検索結果

富嶽百景 :Museum of Fine Arts Boston
富嶽百景 三篇 :Museum of Fine Arts Boston
冨獄三十六景 諸人登山 :Museum of Fine Arts Boston
ボストン美術館の北斎コレクションは他にもたくさん閲覧できます。

信州・小布施 北斎館
葛飾北斎美術館
森羅万象の絵師・葛飾北斎 :WEBギャラリー
 葛飾北斎の多様な作品の一部を年代順にご紹介するウェブギャラリー

東洲斎写楽 :ウィキペディア
ボストン美術館浮世絵名品展 東洲斎写楽
東洲斎写楽の作品
東洲斎写楽 の画像検索結果

写楽 1 :The British Museum
写楽 2 :The British Museum
写楽 3 :The British Museum
他にも多数閲覧できます。


MIHO MUSEUM ホームページ
「過去の特別展及び企画展」のページには、次の企画が含まれています。
そのページで絵の画像をかなり閲覧できます。
 「若冲ワンダーランド」2009年秋
 「長沢芦雪 奇は新なり」2011年春


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