遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『眠りの森』 東野圭吾 講談社文庫

2016-10-30 10:18:03 | レビュー
 この小説は加賀恭一郎シリーズの第2作になる。第1作の『卒業』は、加賀が大学を卒業する少し前の時期に高校時代からの仲間で同じ大学に通う一人が殺害されるという事件が発生する。学生の加賀が犯人の解明のために推理をするというストーリーである。大学卒業後に加賀は教師の道を選択する意思を示していたと思う。この第2作は、東京で刑事になっている加賀として登場する。たまたまこのシリーズの『新参者』と『麒麟の翼』を先に読んだ中で、一旦学校の先生になり、そして警察官に転じたという記述があった。なぜ教師の道を断念して警察官に転じたのか、にひとつの関心を抱いた。しかし第2作ではあまり触れられていない。
 刑事としての加賀が登場し、その真価を発揮するのがこの第2作である。ここから警察小説としての加賀シリーズが始まる。

 4月10日日曜日、東京都練馬区東大泉の高柳バレエ団事務所内で殺人事件が発生する。読後印象としてこの小説の興味深いところは、密室殺人事件のアナロジーでいえば、高柳バレエ団というある種の閉ざされた人間関係における殺人事件という点にある。バレエ団のダンサーは公演で役を得る為に、日々訓練に明け暮れ、肉体のプロポーションを維持し、公演の出演が決まればその練習に邁進するということで精一杯にならざえるをえないという。舞台出演のためには日常のダイエットと鍛錬が不可欠であり、人間関係はバレエ団内で親密さが増す。その一方で、外の世界との付き合いは少なくなり、外部社会との人間関係は自ずと希薄になる環境のようである。つまり、周囲の人々とはある種切り離されている世界、人間関係の密室的日常空間の存在といえる。
 その事務所に、濃いグレーのブルゾンに、黒のパンツという服装で、身長は175cm、中肉中背の体形の男が事務所の窓から侵入したという。だがその男は青銅製の花瓶が凶器で1回の打撃を側頭葉に受け、そこが陥没して死に至ったのだ。その花瓶を凶器として振ったのは斎藤葉瑠子だという。バレー団の主催者である高柳静子とバレエ・マスターであり、振付師・演出家である梶田康成が外から事務所に戻ってきて、額から血をながしている知らない男と葉瑠子が倒れているのを発見した。高柳・梶田の二人と一緒だった葉瑠子は一足先に事務所に戻っていたのだ。事務所に入った強盗に葉瑠子が遭遇し、青銅製花瓶で殺してしまったらしいのだ。恐怖からの行為は正当防衛と判断できるのか?
 
 小説の冒頭は、梶田から浅岡未緒に「葉瑠子が人を殺した」という電話連絡が入るシーンから始まる。未緒に事務所に来て欲しいという。葉瑠子と未緒は幼馴染みで、静岡の出身であり、共にダンサーになることを目指し、上京し高校に入学するとともに高柳バレエ学校に入った仲である。二人は高校在学中に正式団員になった。いつも一緒で、いつもライバルという関係でもある。そして、二人はマンションで同居している関係にある。
 未緒が事務所に駆けつけたとき、加賀も到着したので、一緒に事務所に入る形になった。加賀はその夜、帰路の途中になることから未緒をマンションまで送ることを引きうけ、未緒との間でバレーのことや葉瑠子からみの話をするきっかけができる。

 葉瑠子は一旦、被疑者として石神井警察署に逮捕勾留されることになる。
 事件発生の3日後に男の身元が判明する。宮本清美という女性が恋人が行方不明だと埼玉県警に捜索願いを出したことが契機で、写真を見せられ、石神井署に安置されていた遺体を確認したことから判明したのである。被害者は風間利之、25歳。地方の美大を卒業後、アルバイトをしながら絵の勉強を続けていたという。宮本清美は短大を出て役者を目指す自称フリーアルバイターである。清美の話では、風間は2年前に絵の勉強でニューヨークに渡り、1年間ほど絵の勉強で滞在し、その後帰国。再渡航を目指し金を貯めていたという。そして問題の事件があった日は、念願のニューヨークに再渡航する2日前で、ひと月ほどの予定を立てていたという。清美によると風間は渡航・滞在のために200万くらいの貯金はあったはずで、バレエには全く関心を持っていなかったという。清美は役者志望なのでバレエの勉強もしたが、風間とバレエの話をしたことはないという。
 だが、捜査員の徹底調査で、風間の部屋の机の引き出しからは、昨年の3月1日午後6時公演の「白鳥の湖」の切符が残されているのが発見されたのである。その主催は高柳バレエ団だった。
 風間が本当にバレエに興味がなかったのか? 事務所の窓から侵入したのは物的証拠から明らかだが、強盗に入るという必然性があったのか? 渡航準備を整え、それなりの金も準備していた風間が、なぜ高柳バレエ団の事務所に行ったのか?
 侵入した強盗と思える男に恐怖を感じ、とっさに花瓶を使い、葉瑠子が防衛したという状況は事実なのか?
 バレエ団側の人々からすれば、正当防衛に決まっているんだから、斎藤葉瑠子さんを早く開放させてあげて、と不審な思いが高まる。
 警察側の着実な捜査からは、高柳バレエ団と風間の接点は見つけられない。
 風間の人物評価は、高校時代の担任教師が「正義感の強い子」と評し、大学時代の友人や教授も同様の話が聴取されているという。

 高柳バレエ団は、『眠りの森の美女』の公演の準備の最終段階にあった。本式舞台稽古が開始された日、客席からいつもの通り手厳しく指示を発する梶田の様子がおかしくなるという事態に皆が気づく。客席の方から舞台の具合をチェックしていた照明担当者が梶田の体を起こすと死んでいた。その後調査で梶田は他殺だとわかる。高柳バレエ団関係者しかいない劇場内での殺人事件の発生である。

 風間の死と梶田の死に、どこかで何かの繋がりがあるのか?
 当然の事ながら、風間がニューヨークに滞在した期間に、梶田あるいは高柳バレエ団との接点がないかという捜査も展開されていく。

 このストーリーの展開で印象深い点がいくつかある。
1. バレエ団の日常でのトレーニングがどのように行われているか。ダンサーがどういう気持ちで日々トレーニングし、舞台の頂点に立つかという思いを抱いているか。バレエ団がどのように運営されているか。公演を迎えるまでのプロセスがどういうものか。
 バレー団の日常環境がこの小説の基盤として描かれていて、興味深い。

2. 風間と高柳バレエ団の人間が何を接点として結びついていったのか。それが少しずつ解明されていく紆余曲折がじつに巧みである。風間の好意的行動が死を引き寄せたともいえるが、それは風間が見た1枚の絵にあるという因縁が印象深い。

3. 斎藤葉瑠子の行動が自分の負い目を背景にして、バレエ団の閉ざされた濃密な人間関係と公演の舞台を完成させるための主体的な選択だったということ。

4. 梶田の殺害の原因が風間が被害者になったことどのように絡んでいくのかというその関係性の組み立て方が非常に巧妙であり、おもしろい。
そして、第1章の最初のセクションにさりげなく書き込まれた事実が、スト-リー展開の中では意識の外に消えて行くが、それが重要な判断根拠に浮上してくるという組み立て方は印象深い。

5. ストーリーの最終ステージで加賀が父親に「だから俺は、その人を守ってやりたいと思う。俺しか守ってやれないから」と語る文脈が出てくる。
 そして、この小説は、次の2行で終わる。
   「君が好きだから」
    加賀は未緒の新体を強く抱きしめた。
 加賀恭一郎の人間性をストレートに感じさせるところが、実に印象深い。
 
 他の作品でも言えることだろうが、この警察小説の推理を読み終えて、改めてスキャン読みをしていくと、最初に読んでいたフレーズの意味合いの受け止め方が変化してくる箇所がある。ストレートに文理的な解釈で読んだニュアンスとは異なる色合いの読み込み方ができるのである。それが、もともと著者の意図にあったかどうかはしらない。一つのフレーズの意味が重層的に解釈できることで広がりをみせるというのはおもしろい。二度味わえる読ませどころを持っている。

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   2013年03月21日 15:02 発信地:モスクワ/ロシア :「AFP BB NEWS」

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ふと手に取った作品から私の読書領域の対象に加わってきました。
次の本をまずは読み継いできました。お読みいただけるとうれしいです。
『卒業』  講談社文庫
『新参者』 講談社
『麒麟の翼』  講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社

『真贋』 今野 敏  双葉社

2016-10-26 10:06:27 | レビュー
 目黒区内で窃盗事件があったという無線を聞き、捜査三課の萩尾秀一警部補は相棒の武田秋穂と現場に出かけてみることにした。細い路地が入り組んでいて家々が密集し見通しが悪いところである。目黒署刑事課盗犯係長の茂手木進警部補は、萩尾の顔を見るなり、本庁が出張るほどのヤマじゃないぞと声をかけた。萩尾は担当区域の窃盗事件にはできるだけ現場に足を運ぶ方針なのだ。おかげで所轄の捜査員とは顔なじみとなっている。
 窃盗犯は勝手口のディンプル錠をピッキングで解錠し、屋内に入っていた。現場は、特定のひきだしだけ開けて中にあった20万円ほどを盗んでいた。他には何も盗まれてはいないという。萩尾にどう思うか尋ねられた秋穂はダケ松の手口と断定する。萩尾もそうだと考えていた。本名、松井栄太郎。茂手木係長も同意する。
 その足で、萩尾は秋穂とともに、新宿にあるカウンターだけの店に鍵福こと福田大吉に会いに行く。彼はもう引退したと自ら言っている錠前破りの名人だった。ダケ松の居所を尋ねると、窃盗事件の事を聞いた後、現場から徒歩圏内の安アパートに住んでいるだろうと鍵福は答えた。目黒署に行き、茂手木係長に伝えた後、現場近くの捜査に二人は協力する。
 その矢先に、ダケ松をみかけた捜査員が職質をかけたところ、逃走しようとしたことで緊急逮捕されていた。ダケ松はあっさりと犯行を自供した。犯行を認めるから刑務所に入れてくれとダケ松は言う。寝床があって、三食付きの極楽だからと。
 萩尾はダケ松を調べた結果、手口はダケ松のものだが、彼は誰かをかばっているのだと直感する。ダケ松は誰かをかばっている。手口を考えると弟子をかばっているのではないかと萩尾は仮説を立てる。ダケ松は弟子などいないと即座に全面否定した。
 
 翌日、猪野係長に呼ばれて、萩尾は渋谷のデパートの催し物『中国陶磁器の歴史展』のポスターをみせられて、渋谷署の方に顔を出してみてくれと指示される。デパートは警備計画を立てているだろうが、念の為と言う。目黒署に行き、ダケ松と押し問答をした挙げ句、ダケ松は、もっと他にやることがあるだろう、八つ屋長治のこととか・・・という。近々、八つ屋長治のところででかい取引があるという噂だとのみ、ダケ松は言った。
 八つ屋長治とは48歳で本名板垣長治。表向きはまっとうな質屋なのだが、故買屋である。本人は美術品の目利きで、贋作を見破ることに関しては現在右にでる者はいないとさえ言われているという。

 ここで萩尾には、『中国陶磁器の歴史展』が狙われていて、そこにダケ松の弟子が関係しているのではないかと推測する。この歴史展には、国宝に指定されている南宗時代の曜変天目が一点出品される予定になっていて、他に景徳鎮その他の焼き物も多く展示されるという。萩尾と秋穂は狙われる対象が国宝の曜変天目だろうと判断する。

 デパートの催事担当は、事業課長の上条篤志。警備はトーケイ株式会社の久賀(くが)が担当する。警備企画部長という肩書の、萩尾より少し年上にみえ、元警察官と思える人物である。曜変天目は特殊ガラスでできた陳列ケースに納められ、セットすれば、触れるだけで警報が鳴る仕組みになっているという。萩尾が具体的な警備方針と体制を質問すると、久賀の説明では警備態勢は万全のように見える。
 
 捜査第三課の戸波課長が、八つ屋長治を洗うのは少し待てと言う。知能犯を担当する捜査第二課が八つ屋長治絡みで何か画策しているという。萩尾は即座に、贋作問題だろうと推測する。そこに現れたのが第二課特別捜査第二係の舎人真三。35歳の警部補である。
 舎人は贋作と本物が入れ替えられて、本物が国外に売りさばかれるという情報を得たという。
 彼はほとんど一人で行動しているかなり異質な刑事である。

 萩尾と舎人の話し合いで、狙われているのは曜変天目と意見が一致する。特別製の陳列ケースに納められて展示されるので、納められた後すり替えるのは無理だと萩尾は言う。それに対し、空間に穴がなければ、時間に穴があり、その弱点が狙われるはずだと舎人が言う。窯変天目の搬出入には、萩野、秋穂とともに舎人も立ち合うことになる。

 搬出前に、特別に萩尾や舎人は学芸員から出展予定の曜変天目が本物であることを確認し、デパートで特別ケース内に学芸員が納める時も立ち合い、そのときある条件下で舎人もそれが本物と確認したのである。
 だが、開催初日に会場に現れた八つ屋長治は、特別ケース内の曜変天目を見るなり贋作だと断言した。

 この小説のストーリーは、ここまでが準備段階とすると、ここからが第2段階の真贋問題のステージに突入する。
 特別ケースに納められた曜変天目は一種の密室状況にある。美術館内で舎人は本物を検分し、それがジュラルミン製と思われる金属ケースに保管されるのを確認しているのである。それが警備会社の担当者同行のもとで、デパートに搬入されたのだ。

 1.特別ケースに納められたのが本物なのか、贋作なのか? 八つ屋長治の断言はペテンなのか? 
 2.八ツ屋長治の判定通り贋作なら、本物はどこですり替えられたのか?
 3.ダケ松の噂と言う話は、このことをさしていたのか?
 4.ダケ松が弟子をかばっていたとするなら、その弟子はどこでこの事件に関わってくるのか?
 5.八ツ屋長治が会場で贋作指摘するメリットはどこにあるのか?
 6.そもそも曜変天目の贋作を作る事ができるのか? 贋作者はどこにいるのか?
 7.舎人の真贋判定能力そのものが信頼できるものだったのか?
 8.ダケ松とこのすり替え事件がそもそもどこでどのように関わりがあるのか?
 9.トーケイ株式会社の警備計画自体は万全で契約上の落ち度はなく、責任はないのか?
10.ダケ松の発言に絡む事件は切り離し、ダケ松を自供通りクロと判断し送致すればよいのか?

 真贋問題は、紆余曲折を経て真贋判定が二転三転しつつ事態が進展していく。
 
 この後半のストーリー展開が実におもしろい。どんでん返しのおもしろさと言える。
 そこにはダケ松が弟子を受け入れたという萩尾の仮説が重要な判断材料になっていく。ダケ松の弟子に対する思いの質を萩尾は考える。それが荻尾に一つのきわどい判断と具申行動を選択させていく。

 秋穂は舎人の態度に憤慨する。舎人を呼び捨てにして論じるのを荻尾は諫めるが秋穂は相変わらず、呼び捨てにして語る。この呼び捨ての思いがどこから来るのか? これも楽しめるところである。
 そして、舎人がこの曜変天目の真贋事件を通じて一皮むけるという終わり方がいい。

 この作品、著者が楽しみながら書いたのではないかと思わせる小説である。
 デパートの事業担当者の立場で語るリアルな催事運営視点も納得できるところがある。陶磁器についての基本情報も適度に盛り込まれていて、わかりやすい。
 真贋問題はおもしろい落とし所になっている。法律上では罪に問えない行動がとられたことになる結末の側面は、警察小説であることを考えるとその締め括りが楽しくすらある。この結末に至る行動が実際にありえるかとふりかえると、その現実性は極度に低いと思われる。逆にフィクションで想定して構想するというおもしろさと楽しさが感じられる。総じて、職人肌的な筆の進みでエンターテインメント性を盛り込んだ作品に仕上がっているといえるのではないか。
 気楽に楽しみながら読み終えた。

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ディンプルキー :ウィキペディア
ディンプルキーの仕組み・構造を全て教えます ? メリットとデメリットについて
    :「MINKAGI みんなの鍵屋公式ブログ」
ディンプルキー《鍵の用語集》 :「ライフサポートサービス」
【防犯】鍵に関して知っておくべき9つのこと  :「Casa Alberta」
キュレーター  :「コトバンク」
学芸員について  :「文部科学省」
知っているようで知らない学芸員の世界  :「NAVERまとめ」
情報過多の時代に求められる"キュレーター"とは  :「NAVERまとめ」
曜変天目茶碗  :ウィキペディア
曜変天目茶碗  :「藤田美術館」
国宝 曜変天目(「稲葉天目」) - 建窯 南宋時代(12~13世紀)
  :「静嘉堂文庫美術館」
世界に三つの曜変天目 斎藤 淳氏 :「LEC会計大学院紀要 第9号」
国宝「曜変天目茶碗」の神秘的な美しさ。その魅力はまるで小さな宇宙:「iemo」
曜変天目茶碗の再現、メカニズム追求の足跡 より
陶芸家林恭助氏作品 曜変天目茶碗  :「江戸川アートミュージアム」
桶谷 寧 曜変天目茶碗 :「黒田陶苑」
景徳鎮 :「コトバンク」
景徳鎮 :「lenoble」

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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『防諜捜査』  文藝春秋
『海に消えた神々』  双葉文庫
『潮流 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『豹変』 角川書店
『憑物 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『鬼龍』  中公文庫
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新5版 (62冊)

『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』 濱 嘉之  文春文庫

2016-10-23 22:35:35 | レビュー
 著者の作品を読むのは初めてである。警察小説で公安・警備ものは今まで殆ど読んでいない。刑事部に公安が絡んでくるくらいの範囲で読む程度だった。この小説を読んで、この分野も読書対象に加えることにした。刑事ものとは違う切り口の面白さが加わりそうだ。この小説は警視庁公安部・青山望シリーズの第4作になる。この著者の作品もまた、まず遡って読み進めることが目標となる。
 この小説を読了してから、表紙裏に記載の著者紹介を読み、認識を新たにした。著者はなんと、警視庁に入庁し、警備部・公安部を経て、警察庁警備局や内閣官房内閣情報調査室なども経験し、生活安全部も経験してきた人だった。2004年に警視庁警視で辞職したという。警視総監賞、警察庁警備局長賞なども在籍中に受賞しているその道のプロだったのだ。つまり、警備部や公安部という分野を内側から眺め、その分野の視点、思考、ノウハウと情報を有するプロが、フィクションとして公安・警備ものを手掛けていることになる。実経験と内なる立場からの見聞が公安・警備ものの小説に生かせるという強味がバックグラウンドとしてあるのだ。ストーリーの構想と展開において、テクニカルな局面でその強味が生かされないはずがない。リアル感が溢れている思考や手段の描写に引きこまれた箇所への関心から、読後になるほどと頷けた次第である。
 
 この「警視庁公安部・青山望」シリーズの路線構想が第1作からこの第4作まで同じだったのかは現時点では知らない。しかし、この小説のまずおもしろいのは、「同期カルテット」という親密な横の連携が事件解決に大きく寄与していくという点にある。他作家による刑事ものの警察小説では往々にして公安畑の警察官と刑事は水と油のような関係として描写される。反発しあうことが多くても、密な協力関係が築かれていく形で描かれることはあまりない。この小説では、「青山とその同期、藤中、龍、大和田の四人組はチヨダだけでなく、警察庁の各局長にも知られた存在になっていた」(p36)という立場にある。この第4作では、所轄署にそれぞれが異動し、課長職位にある時点での事案を描いて行く。では4人はどこの部署に所属しているのか? 前経歴は?
 青山 保: 麻布警察署警備課長。前警視庁公安部公安総務課係長。
 藤中克範: 新宿警察署刑事課長。前警視庁刑事部捜査一課係長。
 龍 一彦: 築地警察署刑事課長。前警視庁刑事部捜査二課係長、
 大和田博: 浅草警察署刑事組対課長。前警視庁組対部組対四課係長。
つまり、公安部から所轄署の警備課に異動している青山が、同様に所轄署の刑事課や刑事組対課に異動している同期と円滑な情報交換を行い連携して捜査に取り組み、事案解決を推進するという展開になる。捜査本部体制の枠外にあるネットワーク捜査による行動というところがまずおもしろい。餅屋は餅屋という表現があるが、異なる領域で培われた経験と情報、人脈による捜査行動の結果が同期という絆を介して青山を中心にし集約統合されていく。4人のノウハウが集積されて、好循環を生み出していく。

 南国の海上でクルーザーに乗って待つ田島のところに、午後2時高速艇に乗ったチャンが現れる。互いに割符を交換し確認した後、麻薬の取引が始まる。だが、チャンを初めとした高速艇の全員が田島に同行した男により射殺され、麻薬の入ったジュラルミンケースをすべて田島が奪取する。田島は「裏切り者の最後はこんなものだ。船は爆破しておけ」と命じる。これがプロローグである。この麻薬がどういう使われ方をするのか、この裏切りとは何かに、まず関心を抱かせる。
 この爆破された高速艇は長崎県北部、北松浦半島の西海上にある平戸島の塩俵断崖に漂着する。射殺された中に中国人と断定できる人間がいたことから、長崎県警は警察庁警備局警備企画課の情報分析担当、通称チヨダに急報を入れる。長崎県警とチヨダの連携が始まる。爆破船の二度目の検証には警察庁から専門官が派遣されることになる。遺留指紋から、国籍は中国だが岡広組極東一家の構成員に移っている袁劉という男が1件ヒットする。この特定は、警察庁の田川理事官に大間のマグロに混じって腹のえぐられた氷詰めの死体が市場で見つかった、築地署の事件とその裏でチャイニーズマフィアの一組織が動いていたことを思い出させる。それが、警視庁警備局に情報を流すという指示に繋がって行く。田川理事官には、青山望への期待があった。
 当の青山は、麻布署警備課長として、管内で発生した外国人同士による覚せい剤絡みの傷害事件のバックグラウンド捜査を指揮していた。シャブに絡むアフリカ系の進出の裏にチャイニーズマフィアの香港ルートと東北ルートの確執が絡むことを意識しているところだった。そこに、田川理事官の意を受けた平川担当官が青山に難破船での遺留指紋が袁劉という34歳の男のものという情報を流す。これが、青山を中軸にして同期カルテットの面々が連携していく契機になる。

 青山は、新宿署の藤中に、新宿の龍華会関係の情報と極東一家構成員になっている袁劉の情報をまず照会するアクションをとる。それと同時に、浅草警察署の組対である大和田への照会となる。大和田からは中国と極東一家から、岡広組ナンバースリーの清水が絡んでいるのではないかという反応を即座にする。いくつかのキーワードが相互のつながりと都内で発生している事件の背景との連関を生み出していく。
  一方、青山は公安部時代から知っていた株式会社中日通商の社長銭威云に会いに出かける。在日中国人で、香港マフィアの拠点である。銭が信仰する宗教関連情報がきっかけで青山は注目している人物だった。銭と面談し、青山は探りを入れる。裏切り者の処罰という点で、青山はある確信を銭から得る。「まさに晴天の霹靂の逆バージョンだな・・・」とつぶやく程に。青山には捜査の新たな展開が見えると感じ始める。

 この小説のおもしろいところは、東京を基盤とした反社会勢力の岡広組、極東一家の人間関係の繋がりがシャブを介して、中国の香港マフィアと繋がり、それがさらにチャイニーズマフィアの勢力抗争問題へと連環して行くことである。その連環が逆に日本国内での問題事象の発生と展開に深く関わっていく。中国でのチャイニーズマフィアの抗争・報復問題が、日本国内で反社会勢力が関わる集団による撲殺事件に現れていく。チャイニーズマフィアの抗争の裏にはさらに中国共産党の動きが見え隠れするという。この小説が公安部発想の視点を基盤とする故に、事件が相互に繋がりをもち、そこに国家機構の思惑が絡み、国家防衛の視点を内包していくというスケールの広がりをもつ。ここでは中国という国家の将来に関わる国家戦略上の視点が、色濃く背景に見え隠れするということへの阻止、対決という局面の連環する。
 「大間の事件はチャイニーズマフィア同士の勢力争いに加え、日本の安全な食材を巡る中国国内の賄賂攻勢、一部富裕層の食生活の向上、これに原発技術獲得問題が複雑に絡み合った事件だった。しかし、中国政府関係者が関わった理由を示す、外事警察としての本来の真相解明までには至っていなかった」(p139)青山は、さらにこの裏を考えている矢先に、六本木での撲殺事件が派生したのだ。だが、それは氷山の一角にすぎない。この展開ににリアル感があるのが読ませどころになっていく。

 そんな中で、琵琶湖で射殺死体が発見されるという事件が起こる。その被害者の身元の捜査から、被害者の一人が沖縄県宮古島市在住で一級船舶の免許の持ち主とわかる。他の一人は、元岡広組系関根組準幹部で覚せい剤と脅迫の犯罪歴がある人物。一方、大津市にあるジャパンレーヨンの技術者が、特許申請したばかりの逆浸透膜のデータを持ち出し、失踪しているという情報が伝わる。ジャパンレーヨン側は情報漏洩の被害届を出したい意向だという。その失踪者も殺害されていた。

 袁劉の遺留指紋から、袁劉の追跡が始まる。袁劉の人間関係の背景究明は、袁劉が極東一家の構成員であるという他に、新宿の袁三兄弟と従兄弟関係にあり、袁劉は母が中国人で父親は日本人。袁劉は日本の姓を名乗っていた時に自衛隊に居た経歴を持つ。親族には国会議員も居るという。国会議員というコトバは、親中国派議員の存在との関連性にも及んでいく。袁劉の究明からも様々な繋がりが解明されていくことになる。高速艇に残された銃痕から銃の種類が判明し、それがまた一つの展開をみせていく。

 築地警察署に居る龍は築地市場の事件が一息ついたところで、汚職疑惑の捜査に取り組み始めていた。そこに、青山が国会議員の関係で知りたいことがあると連絡を入れる。

 このストーリー、麻薬取引の現場に端を発し、都内におけるシャブの流通状況とそこに発生している軋轢から見えるもの、反社会的勢力における組織や人間関係の連関、六本木撲殺事件の裏背景、特許技術情報の漏洩、香港マフィアの日本拠点の存在、日本の親中国国会議員の関わりなどが、殺害事件の究明を軸にしながら、複雑に連環していくことになる。個々の問題事象が、大きな背景の中でのパーツとして連環し動いている。
 青山を中心に同期カルテットが捜査本部とは独立して刑事事件の解明に協力ししていく。さらにそこには国家防衛の視点を交えた思考、分析、行動が加わっていく。ストーリー展開に引き込まれていって当然といえよう。

 この第4作、最後は事件解決後の翌週の日曜日に、4人組が神宮球場のネット裏で早慶戦を観戦する場面でエンディングとなる。その場面描写に出てくる会話の一部を紹介して終わろう。
 *「結局は、中国の政治が行き詰まっていることなんだろうな」

 *「日本の外交もしっかりやってもらいたいところなんだが、政治家がなあ・・・」
  「どんなに役人が根回しをして、合意文書作成までこぎつけても、最後に交渉台に
   上がるのは政治家だからな」
  「そこが、日本の悲劇やな。決して日本人は賢い国民やないちゅうことか?」

 *「その点、中国マフィアに残るような、裏切り者は許さないという儀式ともいえそ
   うな掟は、ある意味で強みかも知れないな」
  「全てはそこからはじまったんやな」

これらの断面的会話の感想の意味する背景が、このストーリーの構想と展開になっている。エピローグには2つの場面がある。この前の場面もまたおもしろいエピソードになっている。

 ある意味で、この小説が現代日本の縮図的描写になっているとことがおもしろい。

 ご一読ありがとうございます。

関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
国家公安委員会・警察庁  :「e-GOV」(電子政府の総合窓口」
公安警察  :ウィキペディア
公安の維持 :「警察庁」
警察庁警備局公安課  :ウィキペディア
警察庁外事情報部 「外からの脅威」との闘い :「警察庁 採用情報サイト」
驚愕の深層レポート 新たなる公安組織の全貌 :「阿修羅」
内閣情報調査室、公安調査庁、警視庁公安部、警察庁警備局公安課1万5000人秘密戦士知られざる実力  :「NAVERまとめ」

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『アルゴリズム・キル』  結城充孝  光文社

2016-10-20 22:18:42 | レビュー
 新聞の出版広告でこのタイトルを見て、興味を惹かれて読んでみた。新聞広告で書名を見るまでは作者について知らなかった。奥書をみると、2004年に『奇蹟の表現』で第11回電撃小説大賞銀賞を受賞。2008年には『プラ・バロック』で第12回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞している作家だそうである。これらの賞自体を良く知らないので、私のアンテナにはキャッチできなかったのかもしれない。
 この小説は、警察小説のジャンルに入る作品と言える。最近、警察小説を読む機会がなぜか増えてきて、読む対象の作家も広がってきている。今までの私の警察小説についての読者体験から言えば、この作品はちょっと異質で新鮮な感覚で興味深く、かつおもしろく読めた。

 その原因を考えて見るといくつかある。
1. 主な登場人物が日本人なのに全てカタカナ語で記されていること。これがまず最初の違和感である。しかし、2点目の原因とうまくシンクロナイズしていき、異質感を生み出す効果となる一方、面白さをうむ原因にもなる。勿論、ストーリー展開の中でその氏名が一度はどこかで漢字表記により書き込まれている場合がある。一番最初とは限らない。どこでわかるか、漢字氏名探しもまたおもしろい。主な登場人物をまず列挙してみよう。
 クロハ(黒葉佑) 主人公。所轄署に異動となり警務課所属。元機動捜査隊所属。
    ヴァーチャル世界では、アゲハというハンドルネームを使う。
 ミズノ 女性。新人の交通課員。
 ナツメ(夏目保) 所轄署で専門官の肩書を持つ警務係長。警察署長腹心の部下。
 イマイ 女性。児童相談所の児童福祉司
 タカシロ(高代直之) 初老の男性。区民課所属。
 キリ 19歳の男子。箱庭アプリの世界で、直方体ブロックで建物を作製中。
    ヴァーチャル世界でアゲハと交信する形で登場する人物。不登校経験者。
 シイナ(椎名晴) 女性。県警本部生活安全部電脳犯罪対策課所属 
 レゴ=サトウ 男性。シイナの同僚で電脳犯罪対策課所属。
 ニシ(西勝英) 所轄署の会計課員。
 カガ(加我晃太) 特捜本部の捜査員として行動中。県警本部暴対課員。

2. コンピュータのソフトウェアが創造するヴァーチャル空間が中心となり、それが先行する形で、ストーリーが展開していく傾向にあること。若者にはスンナリと入っていける世界かもしれない。
 具体的には、2つのヴァーチャル世界が併行して登場する。一つは、この小説の主な登場人物の内の一人、クロハがキリと交信する場である箱庭アプリである。もう一つが、『侵(シン)×抗(コウ)』と称する携帯端末用のMMO(多人数同時参加オンライン)RPGである。
 このストーリーでは、キリがクロハに以前から勧めていたものという。
 GPSを利用して、現実世界の地理と仮想世界の情報を重ね併せ、その中に最大7つのアンカーにより<<柱>>が支えられている。アンカーを全て破壊すると<<柱>>が自分の陣営のものとなる。2つの陣営が<<柱>>を奪い合い、<<柱>>同士を結びつけた領域がそれぞれの色で塗り潰され、その面積を競い合う、というゲームである。
 このゲームでの<<柱>>を申請により立てるという行為が大きく事件にかかわっていく。

3. コンピュータ、IT関連用語がかなり出てくる。これはストーリーの展開からの必然性もあるだろうが、この小説の中での現実とヴァーチャル世界をリンクさせる環境づくり、ムードづくりにもなっている。今や普通になってしまったコトバもあれば、関心の低い人には解しがたい用語も出てくる。たとえば、次のようなコトバが頻出する。
 コピー&ペースト、テクスチャー、SSD(ソリッド・ステート・ドライブ)、スパム・メイル、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)、AR(拡張現実)、ポータル・サイト、アカウント・ネーム、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、データ・ベース、フリー電子メイルサービス、BOT(自動応答プログラム)、アバター(化身)、ギーク、ハッカー、オブジェクト(物体)、投影映像技術(プロジェクションマッピング)、記憶装置(ストレージ)、操作卓(コンソール)、変換形式(エンコード)、SIMカード、ローカル・エリア・ネットワーク、無料の公衆無線エリアなどである。
 現代のコンピュータ世代には、もはや常識用語になっているのだろうか?

4.後半でクロハは特捜本部の一員に加わるが、このストーリーの大凡は捜査本部と関係のないクロハがあることから連続して起こる事件に首を突っ込んでいくことになるという展開の特異さがある。
 さらに、所轄署に異動になったクロハは周囲から何らかの理由で極秘捜査が目的で警察署に送り込まれた人物ではないかという目で周囲からその行動を見つめられている存在というところにある。

 こういう設定が、この警察小説を異質で新鮮な感覚とともに一気読みさせた。

 さて小説の冒頭は、警察署が区役所、県警本部と共催した交通安全を呼びかけるイベント会場で、クロハも運営側の警務課員として警備に携わっている場面から始まる。イベントが閉会近くになった頃、入口付近に骨格が浮き上がるほど痩せ細った年齢不詳の女性の叫び声がしてそれが途絶えたのである。10mほど隔たった距離からクロハはその女性を目撃する。女性の薄着の表面に血痕が褐色になり散った模様のようになっている。クロハは彼女が犠牲者だと認識する。それが事件の発端である。
 クロハが県警本部から所轄署に異動となって2ヶ月ほどなのだが、それより1ヶ月ほど前に、警察署の一人の会計課員が縊死により自殺していた。数年前に県警内部で組織的な不正経理問題が発覚し、関与者500人以上が処分されるという事態があり、それは沈静化していた。その後、類似の問題が耳にされることは無かったのだ。しかし、クロハの所轄署への異動は、所轄署に緊張感を醸し出していた。県警から何らかの意図で送り込まれた異動ではないかという憶測が広まっていたのだ。
 警察署の企画したイベントの日にその会場で事件が起こる。緊急配備中に被疑者は確保できず、目撃情報も時間の経過と共に乏しくなる。そんな矢先に、ネット上に被害者の写った画像が短文形式の投稿で現れるという事態になる。
 被害者女性が死亡したことで、特捜本部が設置されることになる。クロハは特捜本部の捜査からは外れている。日常業務に従事する立場である。
 そんな中で、生活安全課への相談事なのだが電話が繋がらない結果、警務課警務係のクロハが、児童相談所のイマイか
らの電話を受けることになる。それで、不登校を子供に強要している可能性、虐待問題と想定される事案に関わってしまう。それがきっかけで、イマイの相談事にも首を突っ込んでしまうことになる。上司に許可を得ながらも単独行動の形でその事案に関わって行く。
 そんな中で、シイナからメイルが入り、話があるという。『侵(シン)×抗(コウ)』というRPGの中で、申請されて立つ<<柱>>の一つが、特捜本部の事件のあった場所だという内容なのだ。その柱の申請者名は「kilu」という。シイナは10年前の事件現場に立つ柱から始め、同一申請者が市内に申請した7つの<<柱>>が、全て未成年者が関係し殺人と関連する場所という。特捜本部にその事実を伝えたが、今のところ重要視される雰囲気がないので、クロハにコンタクトをとったというのだ。
 クロハは提供された2つの異なる情報、つまりイマイからの相談事としての情報とシイナの情報を踏まえて独自の行動を継続する。
 特捜本部が立ったあとも、未成年者の殺害事件が連続して起こる。そして、それらの事件発生場所に、kiluにより<<柱>>が申請されて立つていく。勿論、クロハはその情報をRPGのポータルサイトから入手する。
 クロハの独自捜査は特捜本部の事件と関連していく。その結果、特捜本部の一員に加わることに発展する。

 その一方で、クロハの考えてもいなかった側面からクロハ宛にメイルが入る。それがクロハを所轄署内での問題事象に巻き込んでいくことになる。

 クロハの捜査行動に制約がある中で、2つの異なる次元の問題事象が絡まり合いながらも事態が深刻化していくストーリー展開となる。そこが読ませどころとなる。それもコンピューターのIT技術、仮想空間の世界と全面的に係わりながら進展していくというところがおもしろい。私にとっては新風の警察小説だった。

 「kilu」というアカウント・ネームは、KILLのもじりなのか? KILL YOUからの変化として考えられたのか? 事件の加害者の仕業なのか? それでなければ事件とどう関係する人物なのか? kiluの実態が少しずつ解明されていく。それは思わぬ者からの発信だったのだ。

 一方で、クロハにスパム・メイルが頻繁に送信されてくるようになる。それはなぜか?私はBOTという用語を、この小説から学んだ。

 この小説は、『侵(シン)×抗(コウ)』の運営会社の立場から、利用者の個人情報の開示問題というテーマについても触れてくことになる。殺人事件を扱う警察からの情報開示要請は、運営会社とり利用者との個人情報開示に関する契約上のせめぎ合いとなる。その微妙な接点を描き込んでいる。MMO(多人数同時参加オンライン)RPGに組み込まれた契約に基づく範囲を超えて、RPGソフトにアルゴリズムを組み込み、特定情報の割り出しなどを行うことが認められるかという問題にも発展する。技術的に可能だが、それをすれば契約違反になる可能性と、それが行われたことが利用者に判明すれば、運営会社への信頼と存続が問題になる。インターネット社会の進展でますます現実感が加わる局面の問題提起になるのではないだろうか。そいういう事象を考えさせる作品でもある。

 著者はエンターテインメントという点でも、ストーリーの最終ステージを盛り上げている。未成年者連続殺人事件の犯人が、庁舎の休日に、区役所に職員と警察官を人質にして立て籠もる。クロハだけを話し合いのために来させろと要求する。本来なら、専門的な訓練を受けたSISの交渉人、この場合は女性捜査員が交渉に行く立場なのだ。クロハは要求に対応する選択をする。
 それだけで終わらず、さらに救出劇がもう一場面が続く。なかなか楽しませるエンディングである。

 この小説、「心理的檻」「影響力を行使するために」というコトバがモチーフになっているようである。

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『捨ててこそ空也』  梓澤 要  新潮社

2016-10-13 16:01:21 | レビュー
 京都・東山に「六波羅密寺」という有名な寺がある。そこに、本書のカバーに使用されている「空也上人立像」が安置されている。勿論、これは後の鎌倉時代の運慶の四男康勝の作と称される写実彫刻の作品である。もう一つ、ここに「平清盛坐像」がある。かつて、この2つが拝見したくて、六波羅密寺を訪れた。勿論、それが契機で諸仏、所蔵品を拝見できた。空也上人立像を観たときは、空也の唱えた南無阿弥陀仏という念仏が、口から六躰の小さな阿弥陀仏立像として彫刻していることに、やはり惹きつけられていた。
 この立像は、六波羅密寺ホームページの「寺史」の後半に記された「開山空也上人」の項に載せてあるコマ写真をクリックしていただくと手軽に拝見できる。

 この六波羅密寺のある場所が、空也が東山の地に「死者の菩提を弔い、勢社の救済を願う道場」を建て、人々が仏との結縁を結べる場を広げようとしたところなのだ。道場の建立を発願し、開創したのが1年後の天歴5年(951)秋と、著者は記す。当時鴨川の東にあるこの地は、庶民の骸を野棄する場所であり、いつしか髑髏原(どくろっぱら)と称されていた場所だった。また、道場が開かれた頃は、その4年前ほどから発生した痘瘡が再び京中に蔓延するという状況であったようだ。
 この道場を開創すると同時に、空也が大般若経書写のための勧進を始める。14年の歳月を経て、大般若経供養会を行うに至り、いつしかこの道場が「西光寺」と呼ばれるようになったという。これは、この空也についての伝記小説の最後のステージで描かれて行く読ませどころの一つとなる部分である。冒頭で六波羅密寺から読後印象をまとめ始めたので、つい先にそれとの関連で記した。
 なぜなら、六波羅密寺を訪れた時には、最初に空也がこの地に西光寺を開いたのが六波羅密寺の始まりと知ったことと、空也が京の市井の人々に市聖として念仏を弘めたということで思考停止し、それ以上に深く考えることはなかったからともいえる。空也の生き様に触れてみたかったのは、著者の『荒仏師 運慶』という小説を読み、奥書を読んでこの伝記小説が出されていることを知ったことによる。

 この伝記小説は、「ふたりの子」というプロローグから始まる。冒頭の一文は、「菅原道真が筑紫で憤死したその年、ふたりの赤子がこの世に生まれ出た」から始まる。ひとりは坂東の武士の子、もう一人は京の都の天皇の子として。同年に生まれ出た子供は他にも大勢いただろうが・・・・。プロローグでは、坂東の武士の子とは誰かの名前は記されていない。日本史を学んだ人ならその記述から直ぐに推測がつくだろう。その子とは平将門である。そして、天皇の子というのが、後の空也上人である。
 この小説は、醍醐天皇の皇子五宮常葉丸(ごのみやとこはまる)つまり後の空也が、13歳の折、宇多法皇が常葉丸の披露目を思い立ち呼び寄せた歌会の場に出て、歌会が終わった後の宴会から抜け出すという場面から第1章が始まる。母の屋敷に戻る途中、鴨川の河原で牛車から降りて近づき目にするのが、野棄(のずて)の亡骸(なきがら)を燃やす数十人の男たちの行為だった。この時の衝撃がその後の空也の生き様に関わって行くと著者は投げかけている。
 「五宮の母は醍醐帝の後宮の更衣で、生家の身分こそ高くないが寵愛が著しく、常葉丸を儲けた。だが五宮が二歳のとき、女御藤原穏子(やすこ)所生の同い年の皇子保明(やすあきら)親王が皇太子に立てられた」(p13)のである。一方、五宮は親王宣下すらされないという扱いになる。このことに激高した母は五宮を高殿の縁から放り投げたことにより、五宮は地べたに叩きつけられて左肘を骨折し、ねじれたまままっすぐ伸ばせなくなったと著者は描く。その後、母子は後宮を去り、母の実家に引きとられる。常葉丸は父・醍醐帝に一度も会う事無く、父の顔も知らぬままに終わったという。
 常葉丸16歳の夏、母が塔身自殺をした後、鴨川で亡骸を焼くという行動をしていた喜界坊、猪熊らの後を追う形で、出奔する。ここから後に空也という沙弥になる生き方が始まって行く。
 この小説は、空也が西方に向かって端坐し、胸の高さに香炉を掲げ持った姿勢のままで息絶えた場面を描いて終わる。末尾の一文は、「天禄3年(972)9月11日、春秋七十」である。

 16歳から70歳まで、常葉丸が常葉と自称し、やがて尾張の阿育知(あいち)郡にある願興寺で悦良という住僧について学び、受戒・出家して空也となり、西光寺にて寂滅するまでの生き様が綴られていく。
 上掲の六波羅蜜寺の「開山空也上人」、第1パラグラフには、
 ”第60代醍醐天皇の皇子で、若くして五畿七道を巡り苦修練行、尾張国分寺で出家し、空也と称す。再び諸国を遍歴し、名山を訪ね、錬行を重ねると共に一切経をひもとき、教義の奥義を極める。天暦2年(948)叡山座主延勝より大乗戒を授かり光勝の称号を受けた。森羅万象に生命を感じ、ただ南無阿弥陀仏を称え、今日ある事を喜び、歓喜躍踊しつつ念仏を唱えた。上人は常に市民の中にあって伝道に励んだので、人々は親しみを込めて「市の聖」と呼び慣わした。”と紹介されている。
 この小説を簡略に言えば、この引用文をご紹介することで済む。その背後にある常葉から空也への転換、沙弥としての空也の生き様が実際にどういうものだったのか? 平安時代中期の社会状況並びに、その中での空也の生き様を知りたい人には、イメージを膨らましていくのに好材料となる書である。史実の間隙に著者の想像力が翔け巡り、空也像の肉づけがなされているのだろと思う。一気に読ませる書であり、苦悩する空也に惹きつけられていく。

 「六波羅密寺の歴史」(「六波羅密寺」寺史のページ)の冒頭には、「六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である」と記されている。ここでは、「第二皇子」として説明されている。この小説では「五宮常葉丸」と書かれている。「五宮」を素直に読むと、5番目の宮(皇子)と読めるのだが、この辺りは不詳。著者は「五宮」の由来を説明してはいない。空也の出生には諸説があるのかもしれない。

 第3パラグラフに、「現存する空也上人の祈願文によると、応和3年8月(963)諸方の名僧600名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。これが当寺の起こりである。」とさらりと記されている。この小説ではこの場面に至るプロセスが最終段階での読ませどころであり、空也の壮大な意図が描き込まれていく。それと重ねて見ると、この簡略説明文の読み方が変わってくる。異なる見え方がしてくるとも言えよう。興味深いところである。

 第4パラグラフの最初に、「上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。」とある。六波羅密寺という寺名がどの時点から正式名になったのかは記されていないので不明であるが、少なくとも空也上人の死後のことだろう。 この小説では、正式な尾張・願興寺で受戒を経た後も、空也は市井の沙弥として念仏を説くという生き様を続ける。そして、空也の市堂を訪れた叡山座主延昌の勧めを受け入れ、空也は比叡山で受戒して大僧となる。京で念仏行脚を始めて10年、市堂を建立し、庶民と仏の結縁の場を築くに至ったこの時期に、空也は仏教界の変化、流れが変わりつつあることを感じていたと著者はとらえている。「既存の仏教界と対立するのは、自分だけが正しいという頑なな思い込みだ。我欲以外のなみものでもない。対立は何も生みださない。どちらも相手を排斥して自らを守ろうとするようになる。」(p309)変わり始めた流れを止めないための空也自身の止揚のための行動が比叡山での受戒だったという。著者は、座主延昌から光勝の名を受け、その意図もうけとめつつ、空也の沙弥名で生涯を過ごしたとする。
 空也が市堂を建てたのは、「石塔婆を建てた市門の北東、六町と呼ばれる市町に、市の守護神の市姫大明神社がある。それと北小路をへだてた南側に一角に市姫社の付属地があり、そこを借りられることになった。市舍の裏手の空地である」(p273)という。調べてみると、三条櫛笥に当初市中道場があったそうである。
 この空也の生き方の観点に立てば、天台別院として六波羅密寺が栄えたのは、空也死後の仏教界の流れが再び変化したからなのか。空也個人の生き様とは別物に変容して行く結果なのか・・・・。「規模増大し、荘厳華麗な」伽藍化と庶民の念仏信仰との関係はどうなって行ったのか? この小説の時代を離れ、興味が湧く。

 さて、この小説を読み始めて、改めて空也の生きた時代状況との繋がりが全体像としてつかめるようになってきた。ある意味で、目から鱗のような認識をした。
 901年(延喜1)に太宰府に左遷された菅原道真は、903年に太宰府で没する。その後、道真の怨霊による異変と称される事象が次々に発生する。その時代に空也が生まれ、成長し、苦悩して行くということ。面白いのは、空也の幼馴染みの藤原実頼に、「相次ぐ不幸と天災は管公の怨霊のしわざ、世間はそう噂しておりますが、しかし実は、わが父忠平がたくらんで故意に流したものでした」(p44)と語らせていることである。
 930年代ごろから武士が台頭してくる。その矢先に、935年には「承平・天慶の乱」が起こり、939年には平将門の乱が発生する。「再び諸国を遍歴し」と上掲で説明されている箇所には、出家後の空也が、筑波山の西、下野国豊田郡にも遍歴し、乱を起こす前の将門の屋敷に結果的に逗留し、将門とも語り合っているという場面が描かれている。空也と将門に直接の接点があったとは思いもよらなかった。
 空也が生きた時代は、神社でよく見かける「式内社」という言葉に関わる「延喜式」という枠組みが形成された時代だったこと。この小説では直接の関わりは無いが、年表を読むと、907年「延喜格完成」、927年「延喜式完成」、967年「延喜式施行」という時代である。社会の秩序づけを図っている時代でもあったのだ。それは、皮肉なことに、天変地異や将門の乱、藤原純友の乱が発生した時代でもある。
 摂関政治が全盛を迎えていく時代の一方で、念仏の魁けとなった空也の没後に、浄土教の発展と末法思想が流布していく時代に入っていく。源信が『往生要集』を著すのは985年である。つまり、空也の死後、13年を経ての事である。『往生要集』で地獄の思想が明確に描かれて行く。だが空也は、富士山の噴火や大地震、大洪水などの天変地異や疫病の流行する時代に、現世の地獄の様をつぶさに眺め、その時代を生きたのだ。空也の心に潜む心理的地獄も眺めていたに違いない。
 著者はこの時代の様相と空也の懊悩を克明に描き込んで行く。この時代の時間軸、地理的空間的広がり、人間関係の対立とネットワーク、諸事象の連環などの全体を展望していくのにも役立つ書である。

 この本で、空也が出奔する前の懊悩の一時期に、常葉丸が阿古を犯し、阿古という女性に埋没するシーンを著者は唯一描き込んでいる。空也の人間味の発露だろう。
 上記の中に「若くして五畿七道を巡り苦修練行」というフレーズがあるが、16歳で出奔した後、喜界坊、猪熊らの集団に加わり、亡骸の処置、道路や堤防の修復、井戸掘りなどの今でいう社会福祉活動に明け暮れる時期が当初に描かれる。いわゆる行基集団の系譜である。この中で、猪熊との係わりが空也のほぼ生涯にわたり断続的に繋がって行く。猪熊という人間の設定が、仏との結縁についての空也の信念を表象しているように思う。
 空也という人間を支えた一人として藤原実頼が描かれる。空也との生涯に亘る交友関係の描写とともに、当時の朝廷や政治を描く上での結節点として登場する。一方で実頼の人間像を知るという意味でも面白い。
 空也のサポーターとなった人々は様々居る。中でも、私は空也と共に歩み続けた頑魯という人物を好む。頑魯は浄土真宗の立場で言われる「妙好人」に近い人、あるいは寒山拾得的存在とも言えるキャラクターで描かれている。著者のフィクションだろうが、彼に相当する人物が変化しつつも空也のそば近くにいたのだと思う。
 ワンシーンだけ出てくるが印象深いのは「捨ててこそ」という空也の信念をきちんと受け止めた天台僧として千観との出会いを描き込んでいるところである。

 この小説、空也が苦悶懊悩しながら、「捨ててこそ」の実践行の中で、市井の人々との係わりを深め、仏との結縁の場作りに邁進した生き様が描かれている。
 専修念仏を弘める法然上人が登場するのは鎌倉時代の初期である。歴史年表を読むと法然が『選択本願念仏集』を著したのは1198年である。120年余後になる。この小説を読み、空也の実践は法然の考えに繋がっていると思う。法然は空也という魁けの存在とその軌跡をどこまで知っていたのだろうか。それが法然の思想形成にどれだけ影響を及ぼしているのだろうか。この小説の読後印象として、関心を抱くところである。

 「空也」と自ら名付けた名前は、『十二門論』に大乗仏教の要諦を説くくだりがあり、その文の末尾に「深義はいわゆる空なり」と記されているそうである。大乗の深義は空なりということを心に刻むために「空也」をわが名にしたという。さらにその空也は『維摩経』の仏国品第一にある一節につながると著者は空也の心をとらえている。
「空を修学して、空を以て証とせず、(中略)空無を観じて、しかも大悲を捨てず、(中略)衆生の病を滅するが故に有為を尽くさず」(p89)

 最後に空也が詠んだ歌として本書に記されたものをご紹介しておきたい。

  ひとたびも南無阿弥陀仏といふ人の 蓮(はちす)の上にのぼらぬはなし
     平安京の囚獄が置かれた東市の市門傍に空也が勧進建立した石塔婆の裏面
     この石塔婆、いずこかにあるのだろうか? 消滅してしまったのか?

  極楽は遙けきほどと聞きしかど つとめていたる所なりけり

 この小説を読み、改めて空也上人立像の実物を拝見したくなった。

 ご一読ありがとうございます。

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補遺
空也  :ウィキペディア
六波羅密寺  ホームページ
空也堂  :「京都観光Navi」
1568十二門論 - 網路藏經閣
《十二門論》CBETA 電子版No. 1568 十二門論品目十二門論序
空也上人 :「一顆明珠~住職の記録~」

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著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『荒仏師 運慶』 新潮社
『百枚の定家』 新人物往来社

『ポーラースター ゲバラ覚醒』  海堂 尊   文藝春秋

2016-10-08 10:23:24 | レビュー
 不動で輝き続け方向を判断する基準となる「北極星」のように、その輝きを失わない人物の一人。チェ・ゲバラの青春時代を「ぼく」という第一人称で語り、綴った自叙伝風伝記小説である。

 第1章は「医学生 1951年10月 ブエノスアイレス」の時点から始まる。各章のページは見開きに地図とイラストが描かれている。そして、この第1章は当然のことながら、ブエノスアイレスの簡単な地図。そしてこの小説を暗示するオートバイの絵と医学生のゲバラ像が描かれている。その青年の図の足元には、こう付記されている。「Che Guevara チェ・ゲバラ(1928-1697)アルゼンチン出身の政治家、革命家。F・カストロとキューバ革命を指揮」と。
 迂闊なことに、私は今まで「チェ・ゲバラ」のチェを本名と思っていて、それ以上に考えなかったのだが、この本を読了した後に少し調べていて、それがスペイン語での呼び掛けの言葉であることを初めて知った。チェの発音をキューバ人たちがおもしろがり、ゲバラにつけたあだ名だそうである。
 「ぼく」の本名は、エルネスト・ゲバラ=デラセルナであり、父親が自分の名前をそのまま息子につけ、父方と母方の両方の名字が刻み込まれているそうである。この小説の中では、「ぼく」という一人称か、エルネストという名前でストーリーが綴られている。ここでは、エルネストで統一していく。
 
 第1章は、エルネストが喘息の発作を起こした状態の描写から始まる。しかし、それは発作の予感を夢で見て、目が覚めるという形である。その目覚めたところが、おもしろい。ブエノスから70km程西の郊外にあるカンパーニャの小村、そこの名門ピサロ家の娘・エリーゼのベッドの中なのだ。夜中にバイクを走らせ、忍びこんだという。のっけから読者を惹きつけるエピソードで始まるのだから、興味をそそる。ピサロ家は、農業大国アルゼンチンの支配階級である大地主(エスタンシエロ)の一つ。
 そして、この章で青年エルネストの背景についてその要点が大凡語られている。スペイン内戦からの亡命者であるピアニスト、マヌエル・デ・ファリャとの出会いで、音楽の才能のないことを指摘され、スペインの偉大な吟遊詩人の詩の一節を教えられる。それが契機で吟遊詩人となることを夢みたこと。喘息の持病をもつエルネストが、喘息の医学的研究をめざしブエノス大学の医学生になったこと。解剖学では学年一の優秀な医学生だったこと。母は大地主で素封家の実家からかなりの遺産相続を得たが浪費家であり、サロンを主宰する女性。父は移り家で職を転々とし、成功と失敗の浮き沈み。エルネストが医学生になったころは、建築事務所の口を得て生活は安定。エルネストは母が所有する蔵書類を子供の頃から読みあさったという。つまり、エルネストはアルゼンチンにおけるプチブルの良家の子息として育ったのだ。喘息持ちにも関わらず、サッカー部の選手として活躍している。
 数年前に医学部に入学しているのに今はエルネストの同級生になっている友人がいる。ユダヤ系ロシア人の家系で、名はピョートル・コルダ=イリノッチ。ロシア移民の三代目でトロッキーに心酔していて、もとはブエノス大の学生運動のリーダーだった人物。彼とピョートルとの出会いは、後にエルネストの回想の形で触れられていく。
 このピョートルとエルネストは、1950年の夏休みに、「アルゼンチンの北限を目指し、自転車に小型モーターを搭載したアセーロ(鋼鉄)号で5000kmを走破するという旅行をしていた。

 長々とエルネストの人物背景に触れたが、この背景とこのストーリーの展開が「ピョートルと一緒だったあの時の旅立ちとは何と違うことだろう。間もなくアルゼンチンは女神を永遠に失ってしまう。そんな祖国に未練はない。小さな背嚢を背負って、革命の足音が鳴り響くボリビア行きの列車に乗り込んだ。」という行動描写でこの小説の結末を導いていくことになる。
 医師資格を取得し、ブエノス大の医学部を卒業したエルネストは、ペロン政権が医師の軍役義務化を図ろうとする矢先に、アルゼンチンを離れる決断をする。1952年3月末。
 小説の末尾は「ああ、革命の匂いがする。」つまり、本書タイトルにある「ゲバラ覚醒」という起点でこの小説は終結する。たぶん、ゲバラのその後というストーリーの構想が著者にあるのではないだろうか。

 それでは、このストーリーのメインは何か?
 それは、医学部学生としての最後の期末試験で全科目合格をした後から、具体的に始まる。つまり、1951年12月から上記1952年3月の間に、エルネストがピョートルと一緒に計画した南米大陸縦断旅行のストーリー展開となる。この顛末記がエルネストのその後の人生を転換させていくことになる。
 前の所有者が南米大陸1万キロの走行をしたという50馬力の鋼鉄のバイクによる旅立ち。このアセーロ2号と名付けたバイクに2人の野宿用のフル装備を装着して、二人乗りで出かける。このバイク、山脈横断の途中で故障する。彼らは乗り捨てて、ヒッチハイクの旅に切り替え、縦断旅行続行を決断する。この旅行での彼らの見聞は、当時の南アメリカの各国の状況を炙り出していくことにもなっている。第2次世界大戦をはさむ時代の南米史の一端が描写される。この点、この小説を通じて当時の南米の状況を感じることはできたが、そこに記述された動きを正確に理解できたとは到底思えない。それは南米の歴史に対する私の理解と認識の乏しさに起因する。

 この旅行への出発の直前に、エルネストがエリーゼにプロポーズし、婚約する。だが、エルネストとピョートルが南米大陸縦断旅行に出発することより、エリーゼからの婚約解消通告という顛末になる。このプロセスもまた、当時のアルゼンチンの支配層の考え方を知る役に立つ。また旅行中にエルネストが己の過去を回想する形を通じ、当時のアルゼンチンの政治動向が描写され、後に大統領となるペロンの政治に対する賛否両論の風潮が描かれる。高校生の頃のエルネストが母のサロンを通じて培った政治認識から始まり、ジャスミン・エバ=ドゥアルテという女優にエルネストが出会うとともにその奇しき繋がりがストーリーの一つの軸となっていく様も折り込まれていく。エルネストにアルゼンチンを去るように助言するのはジャスミンなのだ。、同様に、その回想はピョートルとの出会いに始まり、将来のゲバラの生き方に影響を与えるこの友人の存在を描くことにも連なっていく。
 ピョートルは、この南米大陸縦断旅行の大義名分として、ハンセン病患者のために設立されたアマゾン河流域のサンパブロ療養所での訪問ボランティア活動を計画していた。
 このストーリーは、この療養所に到着するまでに、彼らが遭遇する様々な各地域の政治情勢、人々の暮らしの見聞、そして政治家を含む様々な人々との出会いなどを描いて行く。それは吟遊詩人となることを夢みるエルネスト、彼自身が予想だにしないうちに革命に関わる生き方、つまり覚醒への素地を培っていくプロセスだったと、著者は描いて行く。

 当然のことながら、章構成の多くは南米大陸縦断旅行の通過地点と関わりがある。そして、それぞれの地での政治情勢という観点での見聞あるいは人との出会いとなる。エルネストに影響を与える人々との出会いとなっていく。章の名称と見開きに記された人物及び簡略な付記説明内容を引用し、列挙しておく。少し補足を[ ]内に記す。

第2章 真夏のクリスマス 1951年12月  [プロポーズとその後の展開]
 サン・マルティン(1778~1850)
  アルゼンチン出身の軍人。政治家。南米諸国を独立させた立役者。
第3章 美しい季節 1931~44年 コルドバ [エルネストの回想]
 ホルヘ・ルイス=ボルヘス(1899~1986)
  アルゼンチンを代表する作家、詩人。主な作品に「伝奇集」など。
第4章 ファン・ドミンゴ=ペロン 1945年8月 ブエノス・アイレス
      [回想の続き、ピョートルとの出会い、ペロンという人物像]
 ファン・ドミンゴ=ペロン(1895~1974)
  アルゼンチン大統領に3回就任。支持者はペロニスタと呼ばれる。
第5章 青嵐 1945年10月 ブエノス・アイレス 
      [回想の続き ジャスミンとの再会がペロンにつながる]
 エバ・ペロン(1919~1952)
  45年にペロンと結婚。ファーストレディとして、国民的人気に。
  慈善団体「エバ・ペロン財団」を設立。
第6章 チリ特派員 1952年1月 チリ・バルディビア [旅行資金稼ぎに特派員稼業]
 ペドロ・デ・バルディビア(1498頃~1554頃)
  スペインの軍人としてチリを征服し、総督となる。
第7章 アンデスの詩人 1952年2月 チリ・バルパライソ [敬愛する詩人との出会い]
 パブロ・ネルーダ(1904~1973)
  チリの外交官、政治家、詩人。71年にノーベル文学賞を受賞。
第8章 バナナ共和国 1952年2月 エクアドル・グアヤキル [農園での労働体験]
 ホセ・マリア・ベラスコ=イバラ(1893~1979)
  エクアドルを代表する政治家。5回大統領の座に着いた。
第9章 ビオレンシアの残照 1952年2月 コロンビア・ボゴタ [南米学生会議に参加]
 カミロ・トーレス(1929~1966)
  コロンビアの教会司祭を経て、ゲリラ組織ELN(国民解放軍)の一員に。
第10章 サンパブロ療養所 1952年2月 ペルー・サンパブロ [ボランティア活動]
 ホセ・カルロス=マリアテギ(1894~1930)
  ペルーの思想家。マルクス主義に傾倒しペルー社会党を創立。
 付記:エルネストは療養所のペレイラ院長からホセの著書『ペルーの現実解釈の
    ための七試論』を受け取り、その本に深く惹かれていったと著者は記す。
第11章 インカの道 1952年2月 ペルー・マチュピチュ [学者兼CIAの手先と同行]
 アタワルパ(1502頃~1533)
  インカ帝国の実質上、最後の皇帝。スペインのピサロに処刑される。
 付記:マチュピチュ遺跡を見分し、インカ帝国の成り立ちとスペイン人の暴虐。
    「戦わないものは奪われる」エルネストの非武装革命の信念の土台の崩壊と、
    著者は記す。「弱さは罪だ。戦え、大切なものを守るために。」
第12章 地に潜む悪意 1952年2月 ボリビア・コントラクト
       [2人が鉱山ストを見学に行こうとした途上で悲劇に遭遇]
 ビクトロ・パス=エステンソロ(1907~2001)
  1952年のボリビア革命指導者の1人。4度大統領に就任。
第13章 アルゼンチンの虹 1952年3月 ブエノス・アイレス
 ペロン&エビータ
  ペロンと大統領府のバルコニーから行ったエビータの演説は多くの市民を熱狂
  させた。

 エルネストは、アルゼンチンを出発し、チリ→エクアドル→コロンビア→ペルー→ボリビア→アルゼンチンの旅を終える。ただし、アルゼンチン、ブエノス・アイレスに帰還したのはエルネスト1人だった。ボルビアでピョールに悲劇が起こる。
 帰宅した時、両親は離婚していたという。
 著者は、エルネストは帰宅後丸二日、昏々と眠り続けた。そして、眠りから覚めると、『モーターサイクル・ダイアリーズ』という物語を書いたと記す。
 この物語では「ぼくたちの旅はサンパブロ診療所で終わり、ピョートルは現地に残る。そしてぼくは日和ったピョートルを罵りつつも祝福し、ひとり故郷に帰ろうと決意する」というエンディングだと記す。そして、その原稿は、「エルネストの忠実なる友人にして優等生の同級生」であるベルタに預けられたとする。「ぼくが死んだら読んでほしい。その後どうするかはベルタ姐さんに任せるよ」と。

 読後に調べてみると、1997年10月 に『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』(現代企画室刊)が翻訳出版されていて、2004年には『モーターサイクル・ダイアリーズ』が角川文庫として出版されているそうである。この本では、1951年に友人の医学生アルベルト・グラナード(/グラナドス)とオートバイによる南米旅行に出かけたという記述になっていて、グラナードは診療所に亡命同様にして残る選択をしたという。

 医学生アルベルト・グラナードは、ピョートル・コルダ=イリノッチのことであり、エルネストは南米旅行記で仮名を使って書き上げたのだろうか? それとも、この伝記小説で著者がフィクションを加えている部分があるから著者の方が仮名にしたのだろうか。あくまで小説としての創作ということで・・・・。チェ・ゲバラに関わる伝記や研究書などを読んでいないので、私には判断できない。

 本書には、ストーリーの設定時期の関係から、勿論出て来ないことなのだが、「1959年7月15日、31歳のゲバラはキューバの通商使節団を引き連れて日本を訪れた」(ウィキペディア)という。全く知らなかった。

 チェ・ゲバラの青春、大学生時代に思いを馳せ、その後のゲバラの生き様の転換点となった時代背景を想像してみる上で読み応えのある作品になっている。
 
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本書に関連して関心を抱いた語句・事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
チェ・ゲバラ  :ウィキペディア
【 あの人の人生を知ろう~チェ・ゲバラ 】 :「文芸ジャンキー・パラダイス」
エルネスト・チェ・ゲバラ :「HEAT WAVE TOYS DATA FILES」
ゲバラ/チェ・ゲバラ  :「世界史の窓」
イケメンなんてもんじゃない!チェ・ゲバラの人生と、未だ衰えない人気の秘密
     :「NAVER まとめ」
チェ・ゲバラ没後40年、10年前に発掘されたゲバラの遺骨 2007.10.3:「AFP BB NEWS」
チェ・ゲバラ  世界を変えようとした男  YouTube
ゲバラ日記  :「松岡正剛の千夜千冊」
モーターサイクル・ダイアリーズ~南米大陸縦断の旅で「革命家チェ・ゲバラ」は生まれた  :「TAP the POP」
『チェ・ゲバラ AMERICA 放浪書簡集』解題 【現代企画室編集部・太田昌国】   

ゲバラが残した「悲痛な言葉」 オバマ氏は広島で何語る 
 西村悠輔 2016年5月24日   :「朝日新聞 DIGITAL」

ホルヘ・ルイス・ボルヘス  :ウィキペディア
ホルヘ・ルイス・ボルヘス 伝奇集 :「松岡正剛の千夜千冊」
ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 『砂の本』 坂部明浩氏
   :「DINF 障害保建福祉研究情報システム」
パブロ・ネルーダ  :ウィキペディア
パブロ・ネルーダ ネルーダ回想録 :「松岡正剛の千夜千冊」
パブロ・ネルーダ 「裸のきみは」 :「大島博光記念館」
エバ・ペロン  :ウィキペディア
アルゼンチン大統領夫人エビータ  :「nozawa22」

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「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に読んだ印象記のリストです。
出版年次の新旧は前後しています。

『スカラムーシュ・ムーン』  新潮社
『アクアマリンの神殿』  角川書店
『ガンコロリン』    新潮社
『カレイドスコープの箱庭』  宝島社
『スリジェセンター 1991』  講談社
『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』   宝島社
『玉村警部補の災難』   宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社  
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』  朝日新聞出版


『卒業』  東野圭吾   講談社文庫

2016-10-04 09:04:37 | レビュー
 まずは、私の失敗談。冒頭に引用したのは、同じ文庫本なのだがカバーのタイトルが少し違ったので、うっかりと両方購入してしまったのである。後で、調べると単行本が出版された時点(1986/5)では、『卒業 -雪月花殺人ゲーム』というタイトルだった。それが1989/5に文庫本化された時点ではそのまま引き継がれたようである。しかし、増刷のどこかの時点で『卒業』というタイトルに切り替えられたと推察する。手許の文庫本は2010/10の第77刷発行。内表紙も「卒業」なのだが、その後の最初のページが「卒業 ー雪月花殺人ゲーム」となっている。この作品も継続的に増刷されていることが良く分かる。

 余談はさておき、私はたまたま事前の情報も無く、タイトルに引かれて『麒麟の翼』を読み、そこから『新参者』を読んだ。その印象から既に出版されているシリーズだと気づき、第一作から読んでみようと文庫本を買う事にした。それは加賀恭一郎という刑事のキャラクターに惹かれたことと、この加賀刑事の過去がどのように想定されていて、日本橋警察署の刑事に異動してきたのか? 父親とはどういう確執(?)が内在するのか? ・・・などが既に描かれているのかどうかに関心を寄せた結果である。そこで、この『卒業』がこのシリーズの第1作だと知った。これを読了して、しばらく後に、加賀刑事シリーズ全作リストが『新参者』の後の最新刊のための新聞広告の一環で出ているのを見る事になった。

 この第1作、まずおもしろいのは、加賀が刑事になる前の話だということ。加賀は県庁所在地T市にある国立T大学の学生で、卒業まで半年弱という時期に居る。大学では剣道部に所属し、大学での最後の試合、学生剣道個人選手大会出場のためのトレーニングに励んでいる。
 その加賀が「君が好きだ。結婚して欲しいと思っている」と少しのためらいもなく、相原沙都子に告白するというシーンからストーリーが始まって行く。将来、沙都子との関係がどのように進展していくのか、という期待がまず冒頭に出てくるのだからおもしろい。
 次に、その沙都子には、T大の学生であり、友人・金井波香が居る。波香は学生剣道個人選手大会県予選・女子の部の決勝戦まで進み、最後にS大の三島亮子との試合に敗れたのだ。試合の翌朝、沙都子は『白鷺荘』という学生アパートに住む波香の部屋を訪れる。波香を起こすと、序でに友人の祥子の部屋にも行き、祥子を起こそうするが鍵がかかっていて、室内で人が動く気配もない。様子がおかしいと感じ、管理人室に行き、事情を話し鍵を借りて、祥子の部屋に入る。沙都子はそこに祥子の遺体を発見する。
 死体は左腕を洗面器の中に入れていた。祥子の死因は左手首創傷による出血多量である。これが自殺なのか? 自殺に見せかけた殺人なのか? 沙都子が部屋に入る前はドアには鍵がかかっていたのである。
 沙都子を介して、加賀はこの事件に巻き込まれていく。沙都子、波香、祥子は友人関係にあり、加賀もその仲間だった。この事件は、県警の佐山と名乗る刑事が担当していく。当然ながら、祥子の友人たちへの聞き込み捜査も行われる。
 加賀は友人として、祥子の死の原因究明に関わって行く。つまり、この小説は、加賀が刑事になる前の青春ミステリーなのだ。

 祥子の死を契機に、仲間の溜まり場『首を振るピエロ』に友人全員が集合することになる。全員集合で集まった仲間が主な登場人物になっていく。彼らは同じ県立R高校の出身でもあった。全員がT大に進学したのである。
 集合したのは、加賀恭一郎、相沢沙都子、金井波香、井沢華江、若生勇である。このグループには、死んだ牧村祥子と彼女の恋人・藤堂正彦もメンバーである。藤堂はこのとき、祥子の家に出向いていた。井沢と若生はともにテニス部で活躍し、恋人関係にあった。また祥子と藤堂も恋人関係だった。
 沙都子と華江は文学部国文科、金井波香と牧村祥子は文学部英米文学科だった。
 藤堂は理工学部金属工学科に進学していた。

 結果的に言えば、友人全員が巻き込まれていくのである。なぜなら、友人たちの集まる場の中で、第二の事件が発生するという展開になるからである。
 それは、この仲間たちが、県立R高校で茶道部の顧問をし、古文の教師だったで南沢雅子に何らかの形で世話になっていた。そこで、南沢が教師をやめた後も、年に何度かは南沢家に集まり、近況報告をすることが恒例になっていたことによる。
 祥子の葬儀が終わった後、ある日に南沢家に恒例のこととして、亡くなった祥子を除き、全員が集まることになる。たまたま加賀は警察の道場で稽古をつけてもらう日と重なり、欠席したので、沙都子・波香・華江・藤堂・若生の5人が集合する。一通り、南沢雅子の手前を味わった後、恒例の『雪月花之式』という七事式に準じた茶事を行う。
 そして、この茶事の最中に波香が死ぬ。毒殺ということになる。茶室という一つの空間で、六人の座する中で発生した事件である。
 余談だが、『花月之式』に準じた形で描かれる場面は、茶道の門外漢にとっても、その七事式が行われるプロセスはゲーム性を取り入れた茶道の学び方として興味深い。

 2つの事件は、相互につながりがあるのか、ないのか?
 ドアがロックされていた部屋での祥子の死は、自殺なのか他殺なのか? 他殺なら犯人はどのようにして部屋に入れたのか。白鷺荘の管理人は住人以外の人の出入りにはうるさくて、そう簡単に入れないと言われる学生アパートだった。
 茶室という密室空間での波香の死は、毒がどのようにして茶碗に入れられたのか? 波香にだけ毒を飲まさせる方法は何なのか? 毎回引くクジで、茶を飲む人、菓子を食べる人、次の茶を準備する人、が決められているというクジ引きゲームを取り入れたこの茶事で、どうして波香にだけ、毒を飲ませられるのか? 
 波香は剣道大会の予選の決勝戦で敗退したのだが、その原因について不審を抱き、独自に調査を推しすすめていた。それが何らかの関わりとなり、波香の死に結びつくのか?
 加賀は、祥子の葬儀の日、こまめに日記を付けるという習慣のあった祥子の残した日記を家族の了解を得て借り出す。また、加賀は白鷺荘の祥子の部屋を見せてもらおうと管理人に頼むが拒絶される。たまたまそれをみていた古川智子が加賀に声をかけ、手助けしてくれることになる。智子は祥子の隣の部屋の住人だったのだ。彼女と出会えたことが、加賀の推理を前進させる契機になる。
 二人の友を亡くした加賀の徹底的な推理が始まって行く。加賀は警察官である父に意見を求めることまで行う。一方で、私の関心事になった恭一郎と父との関係は、警察官の父の行動とほとんどがとすれ違いの日々であり、二人を繋ぐのはメモ書きによるコミュミケーションだけということがわかるだけである。事件に対する父の考えは書かれたメッセージとして、加賀に伝えられた。
 加賀の推理が行きついた結果は? 加賀の推理プロセスが読ませどころである。
 
 加賀は大学を卒業後は教師になるというプランを持っていた。だが、この小説は事件の解明とその結果及び加賀の参加する剣道試合の局面が語られることに終始し、卒業式当日で終わる。加賀が卒業後にどうするかについて直接には触れられていない。

 単純な青春ミステリーものではなく本格的推理ものになっていく小説である。加賀が結果的に刑事の道を選択することになる片鱗がここに発揮される。佐山刑事の捜査活動の一歩先を行くことになった。大学卒業前の半年弱の期間に仲間の間で起こった事件という悲しく苦い記憶を残す形で、青春時代の一幕が閉じる。仲間に起こった事件の影響を受けながら、卒業する一人一人はそれぞれが改めて己の道を決めていく。

 沙都子はやはり家を出て東京に行くことを決意する。ある出版社で働くことが決まっていた。『首を振るピエロ』での沙都子と加賀の会話でこの小説は締めくくられる。
 「今でも、あたしと結婚したいと思ってる!」
 「思ってるよ」
 「そう・・・・ありがとう」
 「残念だな」
 「残念だわ」

 加賀と沙都子の関係は、これで完全に切れるのか・・・。どうなのだろうか、という余韻が残る。『卒業』から『麒麟の翼』『新参者』までの時の経過において、加賀に何があったのか? 遅ればせながら、まずは読み継いで行きたい。

 ご一読ありがとうございます。

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少し関心事項を調べてみた。一覧にしておきたい。
全日本剣道連盟 ホームページ
関東学生剣道連盟 ホームページ
Let's KENDO! ホームページ
七事式  茶の湯用語集 裏千家不審菴
No.4「七事式について」 :「茶道裏千家淡交会青年部北海道ブロック」
『七事随身』(しちじずいしん) :「文化継承 日本のよきもの」
裏千家歴代  :「裏千家今日庵」
花月札 裏千家用 :「楽天」
折据 :「楽天」
折据の作り方  :「香道の雑学」

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ふと手に取った作品から私の読書領域の対象に加わってきました。
次の本をまずは読み継いできました。お読みいただけるとうれしいです。

『新参者』 講談社
『麒麟の翼』  講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社