遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『隠し剣秋風抄』  藤沢周平   文春文庫

2021-09-09 21:37:10 | レビュー
 秋風。秋に吹く風は肌寒い。「秋風が吹く」「秋風が立つ」という語句には、「a.男女の間の愛情がさめる。b.何かの流行が下火になる。」(『新明解国語辞典』三省堂)という意味で使われる位である。つまり、秋風はネガティヴなニュアンスを感じさせる。ここにはそんな人生のネガティヴな局面に立ち至る武士の状況をどちらかといえば淡々と描き出す9つの短編が収録されている。己の剣技を磨き、流派の極意とされる隠し剣(秘剣)を修得した武士たち。だが、大半は禄も少なくしがない身分の武士たち。そこに悲哀もにじみ出る。やむにやまれぬ状況に投げ込まれていく彼等は己の磨き上げた剣技をクライマックス場面で使うことになる。己を生かすために・・・・。

 9編のタイトルをまず列挙しよう。「酒乱剣石割り」「汚名剣双燕」「女難剣雷切り」「陽狂剣かげろう」「偏屈剣蟇ノ舌」「好色剣流水」「暗黒剣千鳥」「孤立剣残月」「盲目剣谺返し」
 このタイトルのネーミングがおもしろい。「××剣」「剣○○」というパターンである。「××」がいわばその短編において隠し剣を使わざるをえない状況を導く因となる。そこに短編創作のモチーフがある。それを因にして秘剣を使う瞬間に立ち至り、「○○」と名付けられる隠し剣を使う。そうならざるを得ない状況がごく自然に語られていく。異色な剣客が次々に登場してくるのが読者としては楽しみとなる。
 「オール讀物」(昭和53年7月~昭和55年7月)に順次短編が掲載され、昭和56年2月に『隠し剣秋風抄』と題して出版された。1984(昭和59)年5月に文庫化されている。藤沢周平最晩年の作品の一つである。

 各編について簡単にご紹介していこう。
<酒乱剣石割り>
 雨貝道場で技量伯仲の門弟が竹刀を構えて対峙する。師範代の中根藤三郎に対するのは弓削甚六。道場主雨貝新五左エ門と次席家老会沢志摩が無言でその試合を眺める。
 試合は中根の勝。だが雨貝は絶対絶命の試合にのぞめば弓削が勝つ。弓削の剣には計り知れない何かがあるのだという。弓削は秘剣石割りの最後の気息まで掴み取っているという。弓削の難点は酒乱であること。
 次席家老会沢は、弓削を起用する。弓削に与えられた使命は、側用人松宮久内を糾問する日、命により時刻をずらせて出頭する伜の松宮左十郎を城内の百間廊下で成敗することである。左十郎は江戸で忠也派一刀流の免許をうけていて、藩内では五指に数えられる剣士なのだ。
 弓削の酒乱にまつわるエピソードと、会沢に飲酒禁止を厳命された上で百間廊下において左十郎を斬るという使命に臨む弓削を描く。極限状況で弓削のとる行動がおもしろい。

<汚名剣双燕>
 3年前に拭いがたい汚名を着た八田康之助の物語。不伝流宗方道場で、八田康之助は関光弥、香西伝八郎とともに三羽烏と呼ばれ、康之助が二人をやや抜いているとみなされていた。だが、3年前に同じ近習組に勤める香西が同僚を斬り、城下を出奔しようとした際、進路を遮ることになった康之助は、香西の刃の一閃が閃くとそれを躱して刀も抜かず逃げる行動を取ったのだ。閃きの一瞬に見た香西の妻由利の姿がその原因だった。康之助はこの事件で禄の一部を削られ、勤め変えの憂き目に会う。その後の康之助の日常では、由利並びに関光弥との関わりが密かに波紋を広げていく。また関光弥との間に、宗方道場の後継者問題が絡んでくる。
 さらに2年後、宿命の糸に結ばれていた如くに、康之助は関光弥と真剣を交える場に投げ込まれる。藩主に逆らう関家への討手の一人に康之助が加えられたのだ。
 各場面において康之助の心理が描き込まれて行く好編である。

<女難剣雷切り>
 江戸で剣の修行をした佐治惣六は城中で目立たない36歳の武士。彼はぱっとしない御旗組に勤めて10年になる。10年ほど前に、城下での押し込み強盗殺害事件で剣技を活かしめざましい働きをしたことがあった。だがそんなことはもはや忘れ去られていた。惣六は女房運が悪い男だった。そして、女中おさととの一件で、面目を失する羽目になる。
 御弓組物頭の服部九郎兵衛の仲立ちで、惣六はあらためて御弓組の陣内庄助の娘を四度目の妻として娶ることになる。だが、そこには隠された側面があった。その事実を知らされるに及んで、惣六は恥辱を拭う立場に立たされる。不遇な惣六が己の意地を見せる。
 その意地の見せ方が惣六らしくて、後味がいい。「気をつけろ、と惣六は自分をいましめた。」という末尾の一文がこれまた、惣六らしくて微笑ましいかぎりだ。

<陽狂剣かげろう>
 佐藤半之丞は制剛流を指南する三宅十左エ門の次女乙江と秋に祝言をあげる約束になっていた。そこに青天の霹靂のごとき話が飛び出してくる。数年前から家督相続がささやかれている若殿三五郎重章の側妾として乙江を差し出せという。江戸で生まれそこで育った若殿は色好みの噂がある。馬廻り組100石取りの藩士である半之丞は断念せざるを得ない。半之丞は気が触れたと装うことにし、乙江にも半之丞をあきらめさせようとする。陽狂の振りを半之丞は重ねて行く。
 一方で、なぜ急に誰が乙江を若殿の側妾にという話を持ち出したのか。半之丞は疑念を抱き密かに調べ始める。
 半之丞は遂にその人間に思い至る。そして決着をつけるのだが、その後に、もう一つの悲劇が訪れる。陽狂の真似事が真の陽狂に転換する悲劇が・・・・・。
 半之丞と乙江の人生が急激に暗転する悲哀のストーリー。悲しみが残る。

<偏屈剣蟇ノ舌>
 馬飼庄蔵は70石で御旗組に勤める武士。不伝流の名手で蟇ノ舌という秘剣を習得していた。藩草創の時から間崎家と山内家は藩政の主導権をめぐり今日まで抗争を続けてきた。今は家老間崎新左エ門が勢力を得ているが、ジワジワと山内家が力を盛り返しつつあった。山内は江戸から植村弥吉郎を大目付として領国に送り込んできた。植村は無外流の奥義をきわめているという。
 間崎派に属する番頭の遠藤久米次が、庄蔵に会う。間崎派の現状を説明した上で、植村が大目付であることの問題を語る。それを前段として、遠藤は剣士としての植村の側面を物語る。政争に関知する気のない庄蔵に対し、植村の剣技を吹聴し、偏屈な庄蔵の闘志をかき立てる。遠藤はあわよくば庄蔵に私闘をさせ植村の暗殺に導こうとする。
 庄蔵は植村から「間崎の刺客か」とおだやかに言われたことから、逆に生来の偏屈が禍し「では、お言葉どおり刺客ということにしていただこうか」と答える。勿論死闘となる。
 だが、庄蔵にとっては、それが新たな始まりだった。
 人の性格、性質を操ろうとする行為の愚かさが描かれていく。
 末尾で庄蔵が妻の素世に語ったひとことに万金の重みがある。このひとことがいい。

<好色剣流水>
 好色で評判の三谷助十郎は井唖流の遣い手で知られはや35歳である。二度妻を娶り、二度とも離婚。他に浮名を流す出来事も起こしている。彼は謡の稽古を受けるために、志賀家の隠居平右エ門の隠居部屋に通っている。それは服部弥惣右エ門の妻女迪(みち)と出会いたいためである。迪に近づくきっかけを作りたかった。
 この出会いは助十郎の片思いで終わるのだが、最後に迪と語り合う場を時々顔を合わす程度の同僚に見られ、声を掛けられた。それが事態を展開させていく。
 助十郎の秘剣流水は相討ちの剣だった。師の三左エ門は「この剣を究めれば、弱者が強者に勝つ剣に到達する」と言ったのだ。
 最後に助十郎の意志がこもる。著者はこの助十郎のこの意志を描きたかったのだろう。
 
<暗黒剣千鳥>
 三崎修介は高100石の三崎家の四男。長男の吉郎右エ門が14年前に家督を継ぎ、松乃を妻とした。兄嫁の松乃は次男・三男の義弟を首尾良く婿入りさせる。23歳の修介が残っていた。修介の婿入り口を松乃は模索し始める。
 修介は兄たち同様に藩校三省館に通うが、学問よりも三徳流の曾我道場に通い、剣術修行に傾いていく。あるとき、次席家老・牧治部左エ門が、修介を含む曾我道場と増村道場から選んだ計5名を屋敷に呼ぶ。藩主の寵愛はなはだしい側用人の明石嘉門は藩政を破滅に導く奸物と論じ、闇に葬れと命じる。修介たちは、牧に命じられるままに数日後討手として嘉門を暗殺した。5人はすべて部屋住みの若者だったので探索の追及を免れた。修介たちにとり、これは勿論暗黒の秘事となる。
 何事もなく3年が過ぎた。だが、ここから思わぬ事態に変転する。討手となった5人が次々に不審な死-斬殺-を遂げていく。修介は自分たちが危地に遭遇していると知る。暗黒の秘事を誰にも語れない。助力を求めることができない。
 敵は誰なのか。かつて討手となった5人を暗黒の闇に葬り去ろうとしているのは誰なのか。仲間の不審死の状況、太刀筋を踏まえて修介は敵について調べ始める。そして意外な可能性を見つける。修介は最後の一人に残るところまで追い詰められる。千鳥は敵の秘剣なのだ。
 一方で、修介の婿入り口の話が進展していく。修介はどのように対処するのか・・・・。
 推理という点で、読ませどころのあるストーリーである。
 命令に従うという武士の生き様に潜む根本的問題を見つめる視点が根底にあると思う。

<孤立剣残月>
 小鹿七兵衛は15年前、上意討ちの命をうけて補佐3人と、東海道金谷宿のはずれで鵜飼佐平治を討ち取った。佐平治を仕とめたのは七兵衛だった。佐平治には半十郎と称する弟がいた。家老三井弥五右衛門の政敵、矢野と黒沢が執政の地位にのぼっている。その線からの画策で、殿の思し召しにより鵜飼家が再興され半十郎が跡を継いだ。半十郎は殿の帰国に従って戻って来る。半十郎は帰国したら七兵衛に果たし合いを申し込むつもりだという噂が七兵衛に伝えられる。半十郎は梶派一刀流の名手だという。
 七兵衛にとってははた迷惑なこと。勢力が衰えつつある家老三井は用心しろと告げるだけではや人ごとのそぶりである。勿論、家中の私闘は禁じられている。
 七兵衛は家中で五指に数えられた無明流の剣士だったが、道場から遠ざかり10年近く経ち、肉体の衰えも身に沁みる。今立ち合えば、まずひとたまりもあるまいと自己評価する。妻の高江には家老から聞いたことを言いそびれる。
 七兵衛は、己に咎のないことを様々な伝手を頼り訴えて行くが、どんどん孤立化していく。まさに、窮地に陥っていく羽目に・・・・。
 七兵衛は究極の選択肢の覚悟を決める。果たし合いを申し込まれれば、受けてたち、せめて恥ずかしくない立ち合いをしようと。鵜飼佐平太の討手に決まったとき、師から一夜餞に伝授を受けていた。だが使うことなく過ごして来た秘剣残月を思い出そうと鍛錬に専念していく。
 帰国した半十郎はやはり果し状を送ってきた。
 このストーリー、命令を実行しただけで、咎のない七兵衛が孤立無援になっていく懊悩のプロセスの描写、人の心の変転-人は身勝手-描写が読ませどころといえる。
 
<盲目剣谺返し>
 三村新之丞は近習組の一人として、藩主の昼食の毒味役をしたときに食材の毒に当たり眼に光りを失うことになる。妻の加世は月に一度、城下から一里先の村にある林松寺の眼病に効くといわれる不動尊に祈願に行く。去年の秋、眼医者は新之丞の失明にもはや手当は無駄と診断していた。
 いつごろか、新之丞は、加世の寺通いに、男の影を感じ取り始める。
 従姉妹の以寧が、夫の目撃として加世が男と一緒のところを見かけたという話を告げにきた。加世が不倫をしている疑いを抱いているのだ。新之丞の不審が一歩深まる。
 木部道場の麒麟児と言われた新之丞は、庭に出て木剣を振る稽古を再開する。そして、己の聴覚を研ぎ澄まし、己が今できる新たな剣技を切り開いて行く。
 加世の寺参りの折、新之丞は老僕の徳平に後をつけさせる。そして男の家が分かることに。その結果、加世の不倫の背景が明らかになっていく。そこには、男の巧妙なカラクリが潜んでいた。新之丞は同僚の山崎兵太にあることを調べてほしいと依頼する。その結果を確認した後、新之丞はある決意を実行する。
 この短編、エンディングの場面が実に好い。読んで味わっていただきたいと思う。
 
 藤沢周平の独自の世界に、少しずつ惹かれていく気がする。

 ご一読ありがとうございます。

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