遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『山月庵茶会記』 葉室 麟  講談社

2015-09-29 10:44:01 | レビュー
 江戸において表千家流の茶人・孤雲として名を高くした柏木靭負(かしわぎゆきえ)が16年ぶりに九州豊後の黒島藩に帰国する。
 靭負はかつて黒島藩の勘定奉行を務め、400石の身分だった。藩政を担っていた家老駒井石見(いわみ)が病床に臥すと、駒井派は次席家老土屋左太夫派と勘定奉行柏木靭負派の二派に分裂する。この頃、江戸藩邸が火災により焼失。靭負は藩命により、江戸に出て藩邸修復と幕府による黒島藩への国役命令に対する回避・免除工作を行う。大役をやり遂げて帰国すると、そこに待ち受けていたのは妻・藤尾の不義密通の噂と柏木派に対する切り崩しだった。妻の藤尾は自害し、靭負は政争に敗れる。子がなかったために、親戚の松永精三郎を養子とし奧祐筆頭白根又兵衛の娘・千佳を娶せて家督を譲ると、突然致仕して国を去ったのである。京に上り、表千家七代如心斎(じょしんさい)に師事した後、茶人・孤雲として江戸に出ていたのだ。
 茶人として靭負が帰国したのが宝暦2年(1752)正月。靭負は柏木家の先祖の知行所だった花立山の山裾にある柏木家の別邸に茶室を設えて山月庵と称し、茶人の侘び住まいとする。

 靭負の帰国目的は、自害した藤尾の不義密通の真相を知りたいということだった。藤尾自害の背景、その真相の謎解きが、山月庵での茶会の積み重ねを経て進行する。そのプロセスは17年前の黒島藩の状況を浮き彫りにしていくものとなる。この物語は、正月から7月の七夕にかけてのストーリーとして展開していく。

 この小説の組み立てが興味深いのは、山月庵の茶会の席で靭負と招待客とが会話するその内容が少しずつ真相に肉迫していくというプロセスを中軸にすることにある。靭負が茶会に招待されて臨む席以外は、靭負は山月庵を出ないという設定である。そして、養子精三郎の妻となった千佳の望により、靭負が弟子となった千佳に茶の手ほどきをすることが重ねられていく展開になる。
 茶会の進展に併せ、千佳は藤尾のこころに思いを深め、藤尾のこころに対し依代的側面を感じ始めて行く。茶会の重なりは、様々な茶事の知識を靭負が千佳に手ほどきする機会としても描かれて行く。それは千佳とともに読者が茶の世界の奥行きを知ることに繋がっていく。
 そして、茶会の合間に、過去靭負が勘定奉行として活躍していた時代に関わっていた周囲の人々の思い・考え・行為を通して、当時の黒島藩の状況とその渦中に置かれた藤尾の有り様の一端が見え始めるという形で進行する。当時、藤尾の不義密通の噂が立つと、派閥の領袖の一方であった靭負と関わりのあった人々の間では、様々な思い、思惑と動揺が波紋の如くに広がっていた。
 靭負の帰国そのものが震源となり、17年前に関わりを持っていた人々に様々な影響を広げていくのである。

 16年ぶりに靭負が帰国した時の状態は、政敵だった次席家老・土屋左太夫が家老となり藩政を取り仕切っている。土屋は柏木派の者たちを排除することはしなかった。養子の精三郎は、家老に呼び出され、靭負が領内でもめごとを起こせば精三郎も責めを負わねばならないと釘をさされる。土屋は、妻女を山月庵に通わせて義父・靭負の身の回りの世話をさせることを通じて、靭負の動きから目を離すなと命じる。精三郎に靭負の動向を報告させようとする。
 千佳は精三郎から監視の役割を語られるが、精三郎に遠慮せずに山月庵に通えることを是とする。千佳に義父靭負の監視役を頼む精三郎の胸中にも、二重三重の思い・意図が重層化しているのだった。靭負の養子となり家督を継いだ精三郎と千佳が、この小説の影の主人公的位置づけになっていく。この小説の中で千佳は多面体的存在である。一方、千佳は精三郎の義父・靭負に対する思い・考えに今一歩踏み込み理解できない部分を常に抱きつづける。精三郎と千佳、そこがひとつの読ませどころとなる。

 このストーリーは山月庵での茶会の開催を軸にして進展する。誰が客人として招待されたかを茶会記風に列挙して行こう。茶会の進行を数字で記していく。それに併せ、本書で描かれる茶道具等に関わる事項を付記しておきたい。茶の世界に関心のある人には、そのこと自体が興味深いことかもしれない。併せて、ストーリーに関わる若干の補足を記す。
 「山月庵」は、靭負が唐の詩人李白の詩『静夜思』の一節に因んで名づけた。 
   「頭(こうべ)を挙げて山月を望み 頭を低(た)れて故郷を思う」
 靭負は、千佳に対する茶の稽古を、床の間には軸なしで、竹筒の花入れに紅い椿一輪をさす。そして、<七事式>の花月から始める。
 さて、ストーリーの進展に伴い、次のように茶会が開かれていく。

1. 正客:奧祐筆頭白根又兵衛(千佳の実父) 相伴:千佳
 床の間の掛軸: 千利休の遺偈(ゆいげ)の写し
   「提(ひっさぐ)ル我得具足(えぐそく)の一太刀 今此時そ天に抛(なげうつ)
 藤尾の遺書には「悲しきことに候」とだけ記されていたと、靭負は友である又兵衛に語る。又兵衛もまた、最後は土屋派に付いた一人。茶席にて靭負に藤尾自害の真相究明を手伝えと告げられる。

2. 正客:又兵衛 相伴:和久藤内、佐々小十郎
 待合・床の間の掛軸: 春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見ね香やは隠るる
 茶室・床の間の掛軸: 夢 (大書された一字)
 和久藤内は勘定方組頭150石、佐々小十郎は小普請組60石。二人は藩校からの友という関係だが、16年の間に身分差がついた。共に靭負の派閥に属していた者たち。
 「夢」は詩「少年老いやすく学成り難し ・・・」の中の「池塘春草の夢」に由来する。

(間1) 篠沢民部の邸内にある茶室での聞香
  江戸屋敷で奥方に仕えていたが暇をして帰国した女・浮島、民部、民部の妻・波津
    民部の邸を訪れた又部兵衛が波津から聞香の相客に誘われる。
  浮島はかつて藩命で江戸に出仕した靭負の政策に協力した女性。家老土屋の親戚筋。
3. 山月庵での「雛の茶会」
 正客:浮島 相伴:篠沢波津、千佳
 待合の掛軸:「百花春至為誰聞(ひゃっかはるいたってたがためにかひらく)
 茶席の竹花入れ:椿・侘助 
 千佳は靭負から『南方録』の写しの天正15年11月14日夜の茶会記を見せられる。準備されていた侘助を千佳が事前に活ける。掛軸は『碧巌録』の言葉。

4. 正客:精三郎  相伴:又兵衛、千佳
 茶室・床の間の花入れ: 桜の一枝、床の間には散った花びらが四、五枚

(間2) 黒門岳の麓にある丹波承安の屋敷の茶室・青山亭
  正客:靭負  相伴:千佳
 床の間の掛軸: 扁舟(とまぶね)雨を聴いて蘆萩(ろてき)の間に漂う
         天もし蕗霽(は)らさばあわせて青山を看るべし
 この偈は京の大徳寺111代住職・春屋宗園が小堀遠州に与えた偈だという。
 かつての承安は藩政に首を突っ込むことを好んだ策謀家で、靭負が政争に敗れる経緯に関わりを持っていた。事実の一端を明かす。
 家老駒井石見を正客に、相客として次席家老土屋、承安の子・正之進に加え、靭負の妻・藤尾が招かれた夜咄の茶会が開かれる。この夜、駒井の家士溝渕半四郎が不審な死を遂げたのだという。

5. 正客:明慶  相伴:千佳
 茶室・床の間の唐銅(からかね)亀甲鶴首の花入れ: 白い木槿(むくげ)
 明慶は駒井石見の息子・省吾だった。明慶は靭負が致仕し黒島藩を去った直後に、京に上り、僧籍に入ったという。立花の修行をしている僧。正之進、精三郎とは藩校での友という関係だった。明慶も己の知る事実を靭負に語る。

(間3) 篠沢屋敷を借りての茶会。又兵衛が亭主となる。
  正客:丹波正之進 相伴:靭負、波津、浮島、千佳
  正之進は夜咄の茶会で、家老駒井の家士・溝淵半四郎を殺めた事実を語る。その経緯を聴いた靭負は大凡の背景を推察する。
  靭負は七月朔日の夜から七夜の間、山月庵にて藤尾を偲んで茶を点てると告げる。七夜目には、すべてを知るひとが庵を訪れてくれると思うともいう。

6. 七月朔日夜から、靭負は茶を点てる。千佳はその義父の姿を見守る。靭負は千佳に文月の点前について語り、手控えの手帳も見せる。
 靭負は床の間に「和敬清寂」と自筆した短冊を置く。茶人武野紹鷗が記した茶の湯の心得五箇条の箇条書きが手帳には記されていた。
 6日目の夜に、又兵衛が山月庵を訪れる。その日は茶室の床の間に掛軸が掛けられていた。 「郭公(ほととぎす)鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞのこれる」

7. 文月七日の夜
 正客:黒島興長(おきなが) 相伴:土屋左太夫
 藩主の興長から、17年前のことが語られる。すべてが藩政に関わることに繋がって行く。藩命で靭負が如心斎の助力を得て為した国役免除への工作に関係していくことでもあった。聞き終えた後、靭負は存念を語る。

 茶会が果てた後、待合に控えていた千佳は靭負が茶室で語る言葉を聴く。

「茶を点てる心は、相手に生きて欲しいと願う心だからだ。今日の茶を飲み、明日の茶も飲んで欲しい、と思えばこそ、懸命に茶を点てる。そして、茶を点てるおのれ自身も生きていようと思う。」
「それが、旦那様の茶なのでございますね」
「もし、わたしが十六年前にこの心で茶を点てることができたなら、そなたを死なせはしなかったであろう。しかし、わたしはあのとき、至らなかった」
 この後も会話が続く。本書で味わってほしい場面だ。

(間4)茶会は、丹波正之進の屋敷に設えられた茶席で行われる。
 靭負は精三郎と屋敷を訪ねる。相客として、既に白根又兵衛、和久藤内、佐々小十郎、明慶が集まっていた。
 亭主は靭負で正客は正之進。昼餉の懐石料理は屋敷の主人として、正之進が心遣いをする。茶席に移る前に、靭負は正之進の屋敷で、妻藤尾の自害の真相を詮議すると告げるのだった。
 茶席に移って、靭負は点前を始める。そして、靭負は一編上人の言葉を口にする。
 「生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、さすれば、共につるなき故なり」
 この詮議の茶会でのやりとりとその経緯が勿論ストーリー展開のクライマックスであり、読ませどころである。藤尾の自害に至る真相がわかる。
 
8. 山月庵最後の茶会
 靭負が江戸に出立する前日に、靭負が又兵衛を招いて行われる。
 二人の会話並びにこの茶席は、詮議の茶会から心を解き放ってくれるまさに靭負にとり故郷での最後の茶会である。このストーリーのしめくくりとして味わいがある。それは、ほっと、救われる場面でもある。

 謎解きのストーリー展開の間を織りなして行く茶会の道具もまた、本筋と密接に関わる要素となっていく。その取り合わせを楽しみながら読むのもこの茶会記としてのおもしろいところとなっている。掛軸が、花入れの花が、その茶会のシンボリックな要素になっているのだから、興味深い。

 ふと、疑問が残る。たぶん、戦国期から江戸時代の茶室は一種の密談の場という機能が重視されるという側面があったと思う。
 現在の茶道の世界において、茶席で会話のやりとりというものがあり得るものなのか。しずしずと茶を作法に従って喫するだけの静寂の空間なのか。門外漢の私にはわからない・・・・・・・・。
 

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本書に関連し、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
三千家分立  :「茶の湯 こころと美」
七代如心斎 天然宗左 1705-1751  :「初心者のための 表千家流 茶道」
茶道中興  :「茶の湯 こころと美」
七事式 文献 不白流点前教則 七事式編
表千家 :ウィキペディア
茶の湯 こころと美 ホームページ
裏千家 :ウィキペディア
裏千家今日庵 ホームページ
武者小路千家 :ウィキペディア
武者小路千家官休庵 ホームページ
古田織部と小堀遠州 :「茶の湯 こころと美」
石州流  :ウィキペディア
石州流の成立とその特色 小田守氏  pdfファイル
南方録  :ウィキペディア
松平乗邑 :「コトバンク」
茶器図録を残した敏腕老中・松平乗邑 :「今日は何の日?徒然日記」
大名茶道の展開 松平乗邑の茶器収集(1) :「工芸読本」
  大名茶道の展開 松平乗邑の茶器収集(2)
  大名茶道の展開 松平乗邑の茶器収集(3)
利休の遺偈  川辺勝一氏 :「日本刀 四国讃岐支部」
利休百首  :「私のページ」(あとりえ60)

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『蒼天見ゆ』 角川書店
『春雷 しゅんらい』 祥伝社
『影踏み鬼 新撰組篠原泰之進日録』 文藝春秋
『緋の天空』 集英社
『風花帖 かざはなじょう』 朝日新聞出版

『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社
葉室 麟 の短編作品「弧狼なり」が収録されています。

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新3版 ( 31冊 )


『街場の戦争論』 内田 樹  ミシマ社

2015-09-25 11:37:46 | レビュー
 著者の名前を知ったのは、釈徹宗と著者の対談をまとめた『現代霊性論』が初めてだった。多数の著書を出版されているが、私は未読。奥書を見ると、街場シリーズも沢山出ている。タイトルをあげてみると、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の共同体論』『街場の大学論』『街場のマンガ論』『街場の読書論』『街場のメディア論』。そして、共著として『街場の憂国会議』『街場の五輪論』と、実に多分野に広がりを見せている。「街場の」というフレーズが著者本のキャッチフレーズになっている感がある。一方で、著者が受賞した著書は『私家版・ユダヤ文化論』(第6回小林秀雄賞)、『日本辺境論』(2010年新書大賞)だというのも、ちょっとおもしろいところ。

 さて、私がこの街場シリーズの存在をあまり意識せず手に取ったのがこの『街場の戦争論』。特定秘密保護法、集団的自衛権行使論議-国民の大反対にかかわらず、何と国会で法改正決議がされてしまった!-という胡散臭い政治の動きの中で、本書タイトルの後半「戦争論」に惹きつけられて読んで見た。宗教家と霊性を論じている著者だったからという点がもう一つの動機にある。
 読後印象は、思考と論理の展開が実に歯切れが良くて、刺激的で示唆的だったこと。その論理展開と観点の摘出並びに批判的言辞は明確で納得度が高い。マスメディアが語らない、あるいは語れないのかも知れないが、状況証拠からの論理的推論による指摘に説得力があると感じる箇所がある。マスメディアの論調にも一定の距離を置き、書かれていないことについて考えることの必要性を強く感じる書でもある。
 そして、本書の内容が比較的硬質であるにもかかわらず読みやすいのは、著者が話した内容の録音をテープ起こしして、それを削除編集し加筆修正されていることに起因するようだ。

 ここでいう「戦争論」は、戦争そのものについて知るという視点・立ち位置である。クラウゼヴィッツに代表されるような軍事戦略的に戦争行為、戦争を論じることではない。「まえがき」において、著者は我々が今いる現在は、「負けた先の戦争」と「これから起こる次の戦争」にはさまれた「戦争間期」なのではないかと認識して、戦争そのものを論じていく。今の時代の空気の中に禍々(まがまが)しさを感じるところから、本書の考察動機がある。そこには、先の戦争の敗戦後70年の総括をきっちりとやらないと、禍々しきものの到来を回避できないという危機感が根底にある。戦争を知るために、戦争を引き起こす政治と経済、組織の有り様を「負けた先の戦争」の歴史的背景について分析する。そして「これから起こる次の戦争」という未来に対して、その起因となる現在の政治と経済及び組織の態様に目を向けていく。現在を「二つの戦争の間に宙づりになった日本」という文脈の中で眺めてみた著者が論理思考と想像力を羽ばたかせた結果のまとめである。「少しだけのあとがき」に、副題をつけるとしたら、たぶん「想像力の使い方」だろうと著者自身が述べている。つまり、この書は、読者に今の日本の有り様に対し、想像力を働かせることへの誘いであるといえる。現状認識への刺激剤である。

 本書の構成を著者の2分類でいうならば、前半の1~3章が「戦争の話」に軸足を置き、後半の4,5章が「危機的状況を生き延びる話」に関連している。この後半は戦争論の範疇とは少し視点が異なる内容に比重が移っているように思う。
 章構成に沿って、読後印象などをまとめておきたい。

<第1章 過去についての想像力>
 「先の負けた戦争」からの戦後70年間に、「日本人は戦争に負けることによって何を失ったのか」をきちんと数え挙げて総括もしきれていないのではないかと著者は問題提起する。決定的に失われたものをきっちりと認識しないと、失敗から学ぶことにはならないし、同じ過ちを繰り返すことにつながるということだろう。それは「戦争」の本質の理解とも関わって行く総括がなされていないという指摘なのだ。そして原理的な認識論と手法を論じ、たとえば現在のマスメディアの取材や自民党の政治家の論点のズレを例示している。本書の冒頭部分での説明からなるほどと引き込まれていく。著者の原理的認識の視点をいくつか抽出要約してみる。関連ページを付記した。
*敗戦国(つまり、日本)は、戦争の被害に対し事実上「無限責任」を負う。戦勝国なり旧植民地から「もうこれ以上の責任追及はしない」と言われて初めて責任完遂といえる。p20-24
*国際法に従う限り国家の行う戦争自体は犯罪ではなく合法的なものである。ただし、戦勝国が戦争犯罪を適用するとき恣意性がつきまとう。 p24-27
 ⇒この部分は、第5章のp246-247で、戦争は「どちらも正しい」から始まる点に言及している箇所と併せて読むとわかりやすい。
*歴史に「もし、あのとき、『こちらの選択肢』を選んでいれば、日本はどうなったか?」と想像し、事実のプロセスを追うと、「弱い現実」と「強い現実」の識別ができる。そして、「必ずしもそうなる必然性のなかった現実」を実践知として学ぶことで、敗戦により失ったものを自覚し、認知できる。 p30-48
 ⇒著者はこの手法で、失ったものとその原因を摘出していく。この指摘は考えるべき材料となる。知的想像力の使い方として刺激的だ。
  著者は、日本が「ふつうの敗戦国」になれなかった現実を分析していく。
*ドイツ、イタリア、フランスの負け方の分析を通じて、日本の負け方の問題点が見えてくる。 p49-79
 ⇒著者は、1944年以前に講和をしていれば大日本帝国は主権国家として負けることができた。だが、歴史の現実は、戦前と戦後を架橋する「戦争主体」を不在のまま「物事のなり行き」という曖昧さで「敗戦処理」したことを指摘している。そのため「ふつうの敗戦国」でない日本となったと。そして「今の日本は主権国家ではありません。アメリカの従属国です」(p42)という著者の認識に帰結する。「主権国家」についての著者の論述を本書を開いて読んでいただきたい。
 「死者の負債の引き継ぎを拒否する主体に『喪主』の資格はありません」(p78)という記述は重い意味を内包している。

<第2章 ほんとうの日本人>
 著者は、「ほんとうの日本人」とは、自立し、自分の倫理を保持し、いかなる権威にも屈服しない人間を言い、それは主権国家であってこそ存在すると論じている。
 著者の論理展開から導かれる興味深い発言がいくつかある。一つ引用しておこう。
 ”僕が「戦後レジーム」と呼びたいのは、今の首相を二度政権の座につけたレジームそのもののことです。首相自身が端的にわれわれが脱却すべきレジームの徴候なのです。彼が今おこなっている政治活動そのものがまさしく「戦後レジームの最終形態、そのグロテスクな完成形」以外の何ものでもない。 ・・・・・・ 
 僕が「戦後レジーム」と呼ぶのは一言にして言えば、主権のない国家が主権国家であるようにふるまっている事態そのもののことです。どうせそう呼ぶなら、それをこそ「戦後レジーム」と呼んでいただきたい。”  p92-93
 著者は、戦後70年間で日本の従属的環境そのものは変化していないが、従属マインドのありかたは変化したと論じ、それは「アメリカに従属的であればあるほど個人においては日々の生活が快適になる。これが従属国マインドの完成」なのだという。戦後70年の経過がこの奇形的な心理を作り上げてしまったので、「ほんとうの日本人」は現存しないのだとする。現存しないと断定すれば、著者自身も濃淡の差はあれ、「ほんとうの日本人」ではないということになる。「主権の回復」から出直すべきということなのだろう。
 次の指摘はわが国の状況を端的に表すのではないか。
「重要政策が一夜にして転換したときに、『誰の干渉でもない、気が変わったのだ』と言い訳を総理大臣が平然と口にして、それを誰も咎めない。こういうことが起きる国を従属国と呼ぶのです。」(p98)

<第3章 株式会社化する日本政治>
 この章の見出しが内容を明確に象徴している。株式会社は「成長に特化した経営」をめざし利益を生み出すことを目的とする組織である。仮に経営が破綻し倒産の事態になっても、株主は有限責任であり、投資した金額が失われるだけの自己責任で済む。現安倍政権は「経済成長に特化した国づくり」をめざそうとしているが、「成長に特化した国家統治」などはありえないことを論じていく。なぜなら「国民国家は無限責任組織だからです」(p157)と説明する。この論理は説得力があると思うが、詳しくは本書をお読みいただきたい。
 日本の改憲派の人たちの理想は「国民国家の株式会社化」の成功事例・シンガポールだろう断じている。「シンガポールでは人民行動党という政党の事実上の一党独裁が建国以来半世紀続いています」(p139)それを維持するための様々な法規制がなされていることを例証する。独裁制は民主制の対極にある。日本政治を担う現政権は、独裁的な政体が経済活動にとり効率的だと信じ、「金」を選択肢にするという方向を目指しているのではと指摘する。
 この章で論じられていることには耳を傾ける項目がいくつもある。論点を要約しご紹介する。
*緊急事態に対処できる法整備は存在しない。できるのは緊急事態に対応できる人間を育てることである。 p126-127
*憲法の主務は国家の惰性を担保することで、国のかたちを急に変え、急旋回することができないようにする安定装置である。行政府の独走を阻害する装置である。 p131-142
*自民党の改憲案は、官邸を国会、憲法より上位に立たせる統治体制を目論むものだが、アメリカに拒否された。そして特定秘密保護法、解釈憲法の路線を進めた。アメリカはこちらにOKサインを送った。そんな政治文脈が一連のプロセスから読み取れる。しかし、それはマスコミが黙して語らない側面でもある。 p142-160
 ⇒この政治文脈の読み方は刺激的である。ぜひご一読を!
*国家の目的は「生き延びること」にある。 p161-167
これら要点についての論理展開を本書で読んでいただくと、副題が「想像力の使い方」になるという意味が第1章と併せて、より鮮明に理解できるのではないかと思う。

<第4章 働くこと、学ぶこと>
 この章は「戦争論」という書名からすると、少し異質である。しいて言えば、「生き延びる」という点で「仕事」を見つめると、情報がコントロールされているという点での例示になっている。「今の就職情報産業は、就活情報をあきらかに意図的にコントロールしていると思います。一つは就活の一極集中化ということです。」(p170)つまり、都市部の就職情報だけに特化しているということへの問題指摘である。それが現代の企業側にとって有利だから・・・。つまり、マスメディアは意図的にコントロールされた情報を流す側面があるということなのだ。
 書名に捕らわれなければ、この章は独立した内容としてけっこうおもしろい。「天職」という視点での仕事、著者の経験してきた武道を例にとり、無収入で弟子として修業期間を含む領域の問題を論じている。手に職(技)を身につけるという仕事に通底する局面を論じているといえる。「仕事は仕事のほうからやってくる」というパラドキシカルな見出しが、「働くこと」の意味を考えさせる。
 「身体的同期能力」「身体技法について語る」という興味深いテーマに触れられていておもしろい。

<第5章 インテリジェンスとは>
 イギリスにおける「ケンブリッジ・ファイブ」事件、つまり「キム・フィルビー」事件を代表的事例として例示し、諜報活動を論じ、意識的な機密漏洩が戦争リスクを引き下げるという側面を指摘する。「情報を出さない国」のほうが「情報が漏れる国」よりも外交上のトラブルを起こしやすいという逆説的な事態が起きることを論じている。この切り口から眺めた時に、「特定秘密保護法」の無益さ、無意味さを論理的に分析していて、おもしろい。著者は「日本が諜報活動ができない国」になっているのに、法律まで作るという愚かさを指摘している。
 最後に、この章に触れられている重要な警鐘のなかから一つを引用しておきたい。
「今後、集団的自衛権を発動して、日本がイスラーム圏でアメリカの軍事行動に帯同した場合、日本はイスラーム過激派のテロの標的になるリスクを抱え込むことになります。そのことが高い確率で見通せるにもかかわらず、安倍首相とその周辺が前のめりに戦争にコミットしようとしているのはなぜか。
 半分は安倍首相という個人のパーソナリティに起因していると思います。『戦争がしたい』という個人的な理由があるのでしょう。でも、それは個人の無意識の領域で起きている出来事ですから、われわれは関与のしようがない。けれども、そのような無意識的欲望が政策的に展開するのは、それとは違う実利的な理由があります。経済成長です。」(p247-248)
戦争は超膨大な物資を破壊のために一方的に消費しする最たるものである。戦争が経済成長と直結しているのは歴史が如実に示している。そして、それは一方で、国家の名によって組織的に膨大な一般庶民の人命を殺傷するしくみでもある。

 日本は、今国会での強硬採決により、「これから起こる次の戦争」という未来を自ら引き寄せることになったのではないか。恐ろしい一歩が踏み出されたのだ。

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本書に関連する事項、関心事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
カール・フォン・クラウゼヴィッツ :ウィキペディア
戦争論   :ウィキペディア

集団的自衛権の問題点  :「文芸ジャンキーパラダイス」
集団的自衛権をめぐる憲法9条の解釈の変遷  :「MEDIA WATCH JAPAN」
論説 集団的自衛権容認の閣議決定の問題点  山内敏弘氏
集団的自衛権をめぐる問題  :「日本弁護士連合会」
国際政治の視点から改めて考える安保法案 植木千可子×荻上チキ
     2015.09.25 Fri :「SYNODOS」

第42回<戦後レジームからの脱却>  :「法学館憲法研究所」
「戦後レジームからの脱却」とはなにか  :「YAHOO! ニュース」
戦後レジームからもっとも脱却できていないのは安倍総理、あなた自身です
   2014.7.15   :「VIDEO NEWS」

キム・フィルビー  :ウィキペディア
ブックレビュー キム・フィルビー ベン・マッキンタイアー著 :「日本経済新聞社」
「ケンブリッジ5人組」 キム・フィルビーは裏切り者か、理想主義者か
    :「ロシアの声」
「インテリジェンスを読み解く30冊」(対談:佐藤優氏) :「Ryuichi Tesima」

「戦争は経済を活性化する」は本当か?~軍事ケインズ主義  :「るいネット」
アメリカはなぜ戦争をするのか--イラク戦争と軍事経済
      :「科学的社会主義の視点から現代経済を考える」
戦争と経済の真実-戦争にはどのくらいの経費がかかるのか?
 :「The Capital Tribune Japan」
ブッシュJrは戦争が経済を復活させると主張、巨大資本が儲かり略奪もできるが、死と破壊が伴う :「櫻井ジャーナル」

特定秘密の保護に関する法律 (平成二十五年十二月十三日法律第百八号)
「特定秘密の保護に関する法律案」に対する意見書 :「日本新聞協会」
特定秘密の保護に関する法律の廃止を求める意見書  沖縄中頭郡北谷町議会 pdfファイル
特定秘密の保護に関する法律の施行に抗議し、同法の速やかな廃止を求める声明
   沖縄弁護士会
特定秘密の保護に関する法律の廃止を強く求める決議  東北弁護士会連合会
特定秘密保護法Q&A  青井未帆 / 憲法学 :「SYNODOS」

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著者の共著ですが、次の本の読後印象を掲載しています。

『現代霊性論』 内田樹・釈撤宗  講談社

『熱欲 刑事・鳴沢了』 堂場瞬一  中公文庫

2015-09-20 15:19:57 | レビュー
 刑事・鳴沢了シリーズの第3作である。鳴沢は多摩署から青山署の生活安全課に異動させられている。この作品は三部構成となっている。「第1部 蠕動」「第2部 発火」「第3部 転落」。蠕動(ぜんどう)という熟語の「蠕」という漢字をこの小説で初めて見た気がする。漢和辞典を引くと「蠢動(しゅんどう)」と同義であると説明されている。私は蠢動という熟語の方は以前に本で何度か出会っている。第一義は「うごめく。虫の動くさま」という意味で、第二羲に「わずかだけ動く」とある(角川『新字源』)。国語辞典には、「ミミズなどにみられる、身をくねらすような動き。うごめくこと。」(『日本語大辞典』講談社)とあり、第二羲に腸管などの動きに見られる「蠕動運動」という説明があり、ああ、ゼンドウ運動というのは、こんな漢字だったのか・・・と再認識した次第。
 つまり、少し嫌な動きが所轄管内でもぞもぞと動き出す。どのような動きに発展するのか分からぬまま、その動きを確かめていかねばならない。ある時点で、突然に火がつき始めて、事件の大凡が見え始める。そして、事件の核心にアプローチすると終焉へと一挙に転回し崩れ落ちていく。そんな暗示がこの目次構成にある。

 第一部は、地域課の受付に男女12人の老人たちが切羽詰まった様子で詰め寄っているというシーンから始まる。1階の警務課に書類を届けに行った鳴沢がその場に出くわす。老人たちは「騙された」と血相を変え、話を聞いて欲しい、署長に会わせろと口々に言う。生活安全課の先輩刑事、横山浩輔が鳴沢の説明により、2階の会議室で話を聞こうと鳴沢に指示する。これが事件のうごめきの始まりだった。
 一方、鳴沢は刑事課の池澤良樹とともに、通報を受けて、5階建てマンションの4階にあるNPO「青山家庭相談センター」の事務所として使われている部屋に出向くことになる。家庭内暴力の被害者救済のためのNPO法人なのだ。鳴沢に応対したのは、小柄な女性で内藤優美と名乗った。鳴沢にとって、この内藤優美がその後の人生に大きく関わっていく運命的な女性になるのは、後の話であるが・・・・。事件を介したストーリー展開での関わりから二人の関係が深まる契機になるのが、ひとつのおもしろいところである。
 それはさておき、通報の理由は、家庭内暴力の被害者として、このNPOに頼ってきた河村沙織という女性にあった。沙織がここに居ることを知って、夫が来て部屋のドアを叩き、ドアに靴の足跡を残しているのだ。優美が警察に通報した。沙織の夫は河村和郎。沙織は告訴をしないと言っているという。沙織の夫は通報されて、現場を去っていたので、この場は、事情聴取にとどまった。だが相棒の池澤は被害者は何だか変な感じだったという印象を抱いたという。沙織は高価な時計、指輪をたくさんしていて、普段からつけなれている感じであり、家庭内暴力で救済を求めてきたという惨めなイメージは受けなかったと印象を語る。鳴沢はただどこか地味な女性という印象を持ったのだ。ちょっと違和感を持たせるこの被害者の事件も、わずかずつ動き出す。それは、鳴沢が河村和郎の写真を内藤優美を介して改めて受け取るために会うことから始まって行く。

 事件らしきものが動き始めた段階で、当直明けに鳴沢は青山一丁目駅のホームで、もめ事に出くわす。その場で偶然にも、鳴沢がアメリカの大学に1年間留学していた時のルームメートと再会する。内藤七海である。怪我によりプロ野球に進むことを断念し、ニューヨーク市警刑事になっているのだった。理由は言わないが、来日してきたところだった。 麻布十番の住宅街にある内藤の祖父の家に、鳴沢が立ち寄ることになる。そして、優美が内藤の妹だと初めて分かるのだった。内藤七海が間接的に鳴沢の捜査する事件に関わりを持つことになる。

 老人たちが騙されたという訴えは、署内ではK社と略称されるようになる「木村商事インターナショナル」に対するものだった。「商品に出資すれば、売上の何パーセントかを配当する」という約束で出資させるマルチ商法に老人たちは引っかかったようなのだ。老後の不安をなくすために金を儲けたいという欲望、資産増殖への熱欲が、出資金すらなくすかもしれない不安な状況というおきまりの結果を生み出している。これが立件できる事件になるのかどうか、わからない状況下、鳴沢は基本的な聞き込み、情報収集から始めて行く。そんな、矢先に「太田」と名乗る男が鳴沢に電話してくる。先のリストに加え、幹部の名前を教えるという。太田から得たリストには、金や宝石を使ったペーパー商法の会社、MIインターナショナルの飛田、創始会の野沢、原という名前が載っているのだった。少しずつ、背景が掴め始めて行く。

 K社を張りこむ鳴沢と横山は、ビルの入口に向かう野沢を見つける。携帯電話に呼び出され、車で移動する野沢を追跡することから、野沢の行き先が「エヌケー・コーポレーション」と分かる。横山は蛸足状態に関連会社を作っていると推測する。
 その後、野沢の動向監視のために、K社を張りこむ鳴沢と池澤は夕方の6時過ぎにビルから出て来た野沢を追跡する。御殿場の市街地を抜け、山中湖への途中の古い農家を模した和食の店に野沢が入った。そこで、野沢がブルックリン訛の中国人か韓国人風の初老の男と会食するのを確認したのだ。
 また、K社の飛田の動きも少しずつ分かり始める。さらに、太田がまた鳴沢に接触してくるのだった。鳴沢は太田との交渉の結果、浦田という男を紹介される。浦田は1週間前にK社を辞めたという。そこからK社の実態が具体的に見え始める。そして、幾度目かの情報入手として、錦糸町近くの喫茶店で鳴沢が浦田と会い、駅まで送る途中に襲われたのである。ビルの上から鉄パイプが落ちてくるという形で・・・。
 青山墓地にほど近い細い路地で殺人事件が起こる。その被害者を当直の鳴沢が現場で確認することから、鳴沢の関わる事件が結びつき、急転回していくことになる。

 このストーリー展開のおもしろいのは、事件になるかどうかわからない始まりから、ジワジワと切り口のことなる情報が小さな累積となる。それぞれがグルグルと周辺を広げて行く。そしてそれが編み目のように関わりを持ち始め、広がった投網の大本が絞り込まれてるように、収斂していくという筋立てにある。 
 その収斂のトリガーとなるのが、この殺人事件の被害者だった。だが、そこに第二部の最後の一行だが、「何ということだ。私はこの男を助けることができたかもしないのだ」という悔いを含ませることになる。
 もう一つは、内藤七海の来日を介して、通報を発端に識り合った鳴沢と内藤優美が関係を深めるきっかけがまずこの作品で形成される点にある。それは事件とパラレルに進展する形で織り込まれる。二人の関係がこの後のシリーズに色合いを添えていくことになる。(これは、このシリーズを既に数冊読み進めていることから言えることなのだ。)
 最後に、鳴沢の事件解決に一切顔を出さない形で、内藤七海が鳴沢に助力する結果になっていることだ。それは内藤七海の来日の真の目的と一つの接点があったこによる。それは何だったのか? この作品を手にとって読み進めてみてほしい。

 殺人事件が絡むことで、結果的に鳴沢の行動は生活安全課という枠をはみ出した捜査活動に及んだといえる。
 この『熱欲』のフィナーレが明るさを伴っているのがいい。
 一つは、生活安全課の先輩刑事・横山のことばである。
「いろいろあっても、俺は警察官になって良かったと思う。こういう瞬間がある限り、辞められないよな」そう言って、突然大きな笑みを浮かべる。
 もう一つは、巻末の鳴沢の心境の変化である。
”気づくと私は、ここ二年ほど忘れていたことをしていた。胸を張って顔を上げ、確かな目的に向かって歩き出したのだ。目的--そう、優美に花を買っていこう。”

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 本書の背景になる関心事項を少しネット検索してみる気になった。一覧にしておきたい。
マルチ商法  :「警視庁」
相談ホットライン :「警視庁」
特定商品取引に関する法律(昭和五十一年六月四日法律第五十七号)
無限連鎖講の防止に関する法律(昭和五十三年十一月十一日法律第百一号)
特定商品法ガイド  事例検索:処分事業者一覧  :「消費者庁」
クーリングオフって何?  :「国民生活センター」
マルチ商法  :ウィキペディア
特定商取引に関する法律  :ウィキペディア
ネットワークビジネス・マルチ商法業者一覧  :「NAVERまとめ」
アムウエイ・ビジネスについて Q.マルチ商法と何が違うのですか??
   :「Amway」(アムウェイのホームページ)
マルチ商法の本質 ~自己啓発とマインド・コントロール~ このエントリーを含むブックマーク  :「マルチ被害の日記」
マルチ商法の組織に潜入してみた話 :「稀に役立つ豆知識」
ネズミ講  :ウィキペディア
天下一家の会事件  :ウィキペディア
国利民福の会事件  :ウィキペディア

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『破弾 刑事・鳴沢了』   中公文庫
『雪虫 刑事・鳴沢了』 中公文庫

『蒼天見ゆ』 葉室 麟  角川書店

2015-09-17 11:03:31 | レビュー
 実在した人物、それも日本史上で最後の仇討を実行したという臼井六郎を主人公とした伝記的小説である。
 この小説のタイトルは六郎の父・亘理が六郎に伝えた言葉から来ている。亘理は近いうちに六郎に教えたい言葉があると妻の清にまず告げた。清はそれをあるとき六郎にこう伝えたと記す。
「いかなる苦労があろうとも、いつか頭の上には青い空が広がります。そのことを忘れるなという教えです。蒼天を見よ、と父上は仰せになりました」(p78)
 それからしばらく後に、亘理が子供の六郎とつゆに直接に授けた言葉は、
   雨過天青雲破処 (うかてんせいくもやぶるところ)  という語句だった。

 亘理は六郎たちに教える。「これは唐の国の皇帝がかような色の青磁の壺を欲したという言葉だ。雨が止み、雲の隙間からのぞいた青空の青色こそ、もっとも澄み切って清々しいということだ」と。そして、「苦しいときには青空を見よ、とは、父が若いころ間余楽斎様という方からお教えいただいた言葉なのだ」と続けて、間余楽斎のことに触れる。そして「誰が正義であるか、あるいは悪なのか、ひとにはわからぬ。しかし、自分自身にはわかっておるものなのだ。・・・・雨が過ぎ、雲が破れたところから覗く澄み切った青空のようにな」と語り教える。

 書名には「見ゆ」という古語が使われ、終止形で表現されている。つまり、主人公は遂に己の生き様として、蒼天が見える状態を示している。

 この小説は、臼井六郎が父の仇討ちをする行動プロセスを中軸にしつつ、幕末動乱から明治維新、新政府の確立期へと時代が急転換し、価値観・生活スタイルが激変する時代そのものを描き出そうとしたものと思う。単なる仇討ち成功物語ではない。
 「誰が正義であるか、あるいは悪なのか」、言い換えれば、「何が正義であり、何が悪なのか」という判断規範、規準が激変する中での人々の生き様がテーマであろう。「ひとにはわからぬ。しかし、自分自身にはわかっておるものなのだ」。この臼井六郎の生き方、日本史上最後の仇討ちという事実が、この時代の変換点での象徴として据えられている。なぜ、象徴になり得るのか。それは時代の急転換に伴う、外なる価値観、規範、規準、規則の急転回に人々がどう対処し、受容していったのかが、鮮やかに浮き彫りになっているからである。

 この小説は大局的にみると二部構成になっている。
 第1ステージは六郎の父・亘理の生き方とその死がテーマとなる。時代は、嘉永6年(1853)10月から明治4年7月、廃藩置県の詔が発せられ、秋月藩が消滅するまで。1章~13章で描き出される。
 学問の素養を認められ、藩校稽古館の助教を務める26歳の臼井亘理は、間余楽斎に会い。「時おり、青空を眺めろ」と教えられる。余楽斎の説明する言葉から余楽斎の生き様を感得するのだ。2年後、父から家督を相続して300石取りの馬廻り役となる。文久2年(1862)には、35歳で<用役>に登用され藩政に参画する重臣となっていく。秋月藩内は佐幕であり、尊攘派が強い中で亘理は攘夷を行うには、富国強兵策が急務として、西洋兵術の導入を推進する。藩内の大半はその意図を理解できない。家老の吉田伍助は己の権勢を求めるために、亘理のやり方を事ある毎に妨害する。
 慶応4年2月に亘理は秋月藩の代表者としてまず京に上る。遅きに失したと言われる中で秋月藩の信頼の取り付けに奔走し、「秋月藩ニ臼井亘理アリ」と知れ渡るところまでに至る。時流に乗り遅れないために藩主の上京を促すのだが、時勢のわからぬ国許の尊攘派からは、開国・佐幕側のはずの亘理が薩長方に変節したとみなされるのである。
 亘理は国許に帰国の命を受ける。帰国した亘理は親戚や親しい者との宴を催した夜、寝ているところを天誅だと襲われて、絶命する。その折、亘理の妻・清もまた殺害され、六郎の妹・つゆも傷を負うことになる。

 明治4年8月、新政府は散髪脱刀令を発布し、明治6年2月7日には仇討禁止令を発布する。六郎は問う。「旧幕のころは、わたしの父を始め、随分と多くのひとが尊王攘夷派の天誅によって命を落としました。<仇討禁止令>とは、すなわち天誅で殺された者の子は報復してはならないということでしょうか」(p125)と。
 川幕府の時代には、父が殺害されたなら子は親の仇討ちをするのが当たり前であり、それが武士の規範、正義だった。明治6年2月以降、仇討ちは国家の大禁とされるに至り、規範が逆転する。第2ステージがここから始まる。
 六郎にとり、内なる規範、正義は秋月のために懸命に働きながら非業の最後を遂げたことに、父の子として対処することなのだ。
 明治9年(1876)、六郎は18歳になった。「自分が何をなすべきかを見定めるために上京する」と養父の助太夫に告げ、その許可を得て、東京に出る。
 明治5年に父・亘理を暗殺した山本克己は秋月を離れ、東京に逃げて出ていたのだ。六郎は、東京に住む叔父の許を訪ね、父の仇である山本克己の消息を追求することから始めて行く。叔父は仇討禁止令が発令されたこの時代をどう生き抜くかに汲々としている。六郎の行為が己に波及することを恐れる立場にいる。一方、六郎には、内なる正義に従い、父の仇を討つことが目的になる。それができなければ六郎が「蒼天を見る」ことはできないと思い定めるのだ。

 第2ステージは、いくつかのサブ・ステージで構成されていく。仇・山本克己の消息探索と仇討ちを為すだけの剣術の修行、仇討ちの機会を探る、仇討ちの実行、仇討ちを終えた後の心境、そしてその後の生き方という展開になる。
 このサブ・ステージが六郎と様々な人々との出会い、関わりの深まりとなっていく。結果的に、仇討禁止令が発布された新政府・国家の法とは切り離し、六郎の仇討ち達成への生き様を支えた人々がいたのだ。その人々と六郎との関わり方が描き出されていく。
 剣術の修行で、山岡鉄舟の門に導かれる。そして、山岡鉄舟から最後には「政府に警鐘を鳴らす一本の針」たれと諭される。この鉄舟との出会いがまず一つ。探索過程で関わりのできるお文との微妙な関係。仇を付け狙うプロセスでの慶応義塾の学生であり新聞記者と名乗る犬養毅との出会い、及び勝海舟との出会いがある。
 そこに読ませどころがあるように思う。客観的にみると、六郎はある意味で数奇な人間関係を織りなして行ったといえる。
 
 そこで仇の山本克己である。彼は当時、尊王攘夷派で、干城隊の伍長であり、家老の吉田伍助に使嗾され亘理暗殺の先頭に立つ。秋月を逃れ、上京した後は福岡藩の尊王攘夷派の縁を頼り、新政府に出仕していた。一瀬直久と改名し、裁判所の判事に転身していたのだ。六郎の父・亘理を暗殺した男が、毛嫌いしていた薩長中心の新政府のもとで、あろうことか、裁判所の判事として、人を裁く地位にいる。そして、己の立身出世の道を邁進していたのだ。
 明治新政府の国家機構確立期における、これは一つの矛盾という氷山の一角なのかもしれない。この小説の登場人物を介して、転換期の時代の矛盾、問題点が浮き彫りにされている。

 内なる正義に従い、本望を遂げた六郎は、外なる国家規範に従い、直ちに警察署に出頭する。そして、六郎のその後の人生の生き方が綴られる。このサブ・ステージが最後半の30~36章で描き出されていく。エピソード風に、森鷗外も登場する場面がある。この鷗外の語る言葉が、この小説の押さえにもなっている。
 臼井六郎の生き様を追うこの第2ステージの展開はなかなか興味深い。

 そして、父・亘理の生き様と子・六郎の生き様を軸に、幕末から明治の時代が浮き彫りとなっている。

 最後に、印象深い箇所を引用しておきたい。
 森鷗外は判事の木村某という男との会話で、臼井六郎のことを「旧弊ですな」と断言するのだが、その後に語ったこととして記されている見解である。
*さよう、明治の御代に合わぬ男です。しかし、かといって認めないわけではありませんぞ、・・・・時世のほうが勝手に変わったのです。・・・・悪いのは時世のほうでしょう。・・・・わたしはそう思う。 p286-287  この箇所は著者の解釈による創作のようである。
  (後掲:本文に題名明記の森鷗外「みちの記」はウェブサイト”青空文庫”に収録あり)
 そして、六郎が星亨とのやりとりで答えた内容である。
*私は師の山岡鉄舟先生より、お前は一本の針に過ぎぬと教えられました。針としてのなすべきことは、親の敵を討つことで成し遂げました。後は何もなさず、地中に埋もれるのが針にふさわしいと思っております。 p295
 この作品の末尾近くにある文を、最後に引用しておきたい。ここに一つの思いが凝縮している。
*九州の上に青空が広がっている。
 どこまでも吸い込まれそうな蒼穹を見つめる六郎の目から涙があふれた。
 そうか、蒼天は故郷の上にあるのだ。
 生き方に悩み苦しんだならば、故郷に戻り、空を見上がればよかったのだ。 p313

 「六郎は五十九歳で亡くなった」と記されている。


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この小説に関連する事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
臼井六郎  :ウィキペディア
日本史上最後の仇討。東京日日新聞に掲載 :「竹橋ガイド」
遺恨あり -日本最後の仇討ち- 旧秋月藩士 臼井六郎の生涯
     :「映画、戦国・幕末~昭和戦史 みんなの日本史」
森鷗外 「みちの記」  :「青空文庫」
秋月散策マップ :「九州産業大学」(内山研究室)
秋月藩:秋月城   :「江戸の名残香を訪れて」
興雲山 古心寺 [古心禅寺] 臨済宗大徳寺派   :「お寺めぐりの友」

山岡鉄舟  :「次長翁を知る会」
山岡鉄舟  :「コトバンク」
勝海舟   :ウィキペディア
勝海舟   :「コトバンク」
犬養毅   :ウィキペディア
星亨    :「コトバンク」
西南戦争  :「コトバンク」
(西郷隆盛の生涯)西郷の下野から西南戦争勃発まで  :「西郷隆盛の生涯」
竹橋事件  :ウィキペディア
近衛兵の反乱、竹橋事件とは? :「しんぶん赤旗」
銀座煉瓦街 :ウィキペディア
Ginza History  :YouTube
岸田吟香記念館 :「旭文化会館」
福地源一郎   :ウィキペディア
集治監  :「コトバンク」
現行東京集治監規程類纂  :「近代デジタルライブラリー」
自由民権運動  日本史  :「裏辺研究所」
大井憲太郎   :ウィキペディア
伊庭想太郎   :ウィキペディア

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『春雷 しゅんらい』 祥伝社
『影踏み鬼 新撰組篠原泰之進日録』 文藝春秋
『緋の天空』 集英社
『風花帖 かざはなじょう』 朝日新聞出版

『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社
葉室 麟 の短編作品「弧狼なり」が収録されています。

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新3版 ( 31冊 )

『鬼神伝 鬼の巻』 高田崇史  講談社

2015-09-13 22:07:34 | レビュー
 『鬼神伝』は、鬼の巻、神の巻、龍の巻と既に出ている。そして、鬼の巻と神の巻が合本となり『鬼神伝』として出版されているのを後で知った。さらに、鬼神伝がアニメーション映画となっていることも遅ればせながら知った次第。
 そこで、取りあえず単行本として2004年1月に出版された「鬼の巻」を読み終えたので、その読後印象をまとめてみたい。

 単純に言えば、中学生の天童純がひょんなことから平安時代にタイムスリップして活躍する冒険物語、一種のファンタジーである。ファンタジーであるが、歴史書に語られない歴史の裏面に光をあてていく視点がモチーフになっていると思う。単行本は漢字にほぼすべてルビが振られているので、著者の意図はこの主人公と同じ中学生に是非読んで欲しいという意図があるのではないか。勿論、小学生高学年並びに高校生以上成人までが読者として想定されていてもそれほど抵抗感はないと思う。
 というのは、海神(わだつみ)が天童純にこんな問いかけをするからそう思うのだ。
   ”どうして桃太郎や一寸法師たちに、鬼は退治されなきゃならなかったのか?”
   ”どうして節分には鬼に豆をぶつけるのか?”
   ”どうして河童はキュウリばかり食べているのか?”
   ”どうして天邪鬼(あまのじゃく)やおとろしの指は三本しかないのか?”
 こんな問いかけを真面目に考えてみたことがあるだろうか? 私は考えたことがなかった。海神は純に一部のヒントを与えているが、解答説明を具体的にしているわけではない。この「鬼の巻」では、純の脳裏に課題としてこの問いが残る。私を含めて、多くの人々も同じだろう。海神の代わりに、今すぐに説明して、あなたは純を納得させらることができるか? つまり、大人の読者にも投げかけられた課題と言える。

 鬼の巻のストーリーの粗筋はこんな感じだ。
 京都の中学校に転校してきて3ヵ月になる天童純が学校に居残りをさせられた後、帰り道で三組の武志たち、いやな奴らに出くわす。今日は節分の豆まきだと言われ、武志たちから小石を投げられる。東山付近を逃げまわった純は、不仁王寺という古ぼけた寺に逃げ込むことになる。そこで、源雲という密教僧と出会う。
 純は源雲に言われ、カバンの中の日本史の教科書を取り出すと、源雲は平安時代のことを話し出す。そしして、源雲は純に問う。「もしもその場にいたとしたら、お前は、その鬼たちと戦えるかな?」「実際に、そうなったら・・・・たぶんね。」「本当か?」「本当ですよ」。こんなやりとりの中で、源雲が平安時代のあたりのページを広げる。
 突然、純は白い光に包まれて、平安時代、平安京・羅城門のところにタイム・タイムスリップしてしまう。それは泊瀬の帝の御代だった。純の前に、源頼光が現れる。太政大臣の命令で、源雲が苦労した結果、天童純を頼光がここまで迎えに来たという。ここから純にとってのファンタスティックな冒険が始まるのだ。

 純は頼光に連れられて内裏に入り、右大臣・藤原基良に引き合わされる。大納言・大伴宿禰からまず純が手伝ってほしいと頼まれたのは、神泉苑で雨乞いをして、日照りからの脱却、雨を降らせよということだ。
 源雲は神泉苑で純に言う。純の胸には勾玉形の痣がある。そのしるしのある者は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子孫であると。鉄の箱に長らく封印されてきた「大和の雄龍霊(おろち)」が解き放たれることになる。オロチの復活! 純がそのオロチを扱えると言うのだ。源雲は純に言う。「あの雄龍霊は、天童純、おまえの下僕じゃ」と。本当なのか? この時から天童純に秘められた能力が徐々に目覚めていくという展開になる。オロチと純が一体で働くパワーが少しずつ、本格的に発揮される方向に進む。

 源頼光といえば、大江山の鬼退治。頼光の一団は天童純の手助けを得て、鬼退治に行くことが求められる。つまりこのストーリーは朝廷側と海神の一族、大江山の鬼、土蜘蛛たちとの戦いへと展開していく。その中で、純は数奇な体験を重ねていくことになる。それが「鬼退治と何か?」という問いと絡み合っていくのである。
 そして、再びタイムスリップして純は現代の世界に戻れるのか・・・・・。

 ちょっとお伽話的で、SF的要素がふんだんに加わり、なかなかおもしろい。たとえば、オロチの復活場面がその一つだし、貴船神社で純が鬼の少女-水葉(みずは)という名-を助け、オロチの背に乗せて「竜宮」に送り届けるという場面もそうである。この竜宮に行くことが純にとり、海神との出会いになる。それが純にとり「鬼」の意味を深堀りしていく契機にもなるという次第。そして、想像力を刺激させられる戦いが描写される場面へと展開して行くことに。

 そのストーリーのプロセスで、海神が純に語りかける話の形で、重要な視点が織り込まれていく。それが上記の問題提起の解答へのヒントあるいは伏線となっていく。この部分がなかなか興味深いところでもある。
 海神らが語った言葉をいくつか、抽出してみよう。それが、このストーリーのどういう文脈で語られていくか、本書を手にとって読み進めていただくとよい。

*きみがわしらの仲間だからじゃよ。きみは立派な鬼の血をついでいるのじゃ。 p189
*奴ら貴族たちはな、仏-大仏信仰を利用してこの国を、支配しようとしてるんじゃ。仏の教えを広めるなどというのは、ただ表向きの理由にすぎないのじゃ。本心は、すべての民人を自分たちに従わせたいだけなのじゃ。 p195
*鬼-自分たちに戦いをいどんでくる神が、邪魔なんだよ。 p196
*鬼はいつでも被害者じゃ。そして、ざんこくなのはいつも「人」じゃ。 p206
*「人」たちは、わしらのことを「鬼」と呼ぶようになった。 p207
*鬼も神も、同じものなんじゃよ。・・・・神も鬼も、もともとは全く変わらない。わしらも「鬼」じゃ。戦う神や民人は、みんな鬼なんじゃ。 p208-209
*戦に勝ったものだけが言葉を残せるわけじゃからのう。 p210
*文字にならなかった言葉こそが真実じゃ。そして、それが重要じゃ。そこをきちんと見きわめなくてはならない。  p211

 もちろん、ファンタジックなストーリーを追いかけるだけでも、けっこう楽しい読み物になっている。中学生が直接の対象だろうと述べたが、ストーリーの語り口が平易でわかりやすくて読みやすい。
 一方で、お伽話や伝説、紀記の読み方について、頭にガツンとくる良い刺激にもなってくる。真実の歴史を知るためには深読み、逆読み、批判的読み方などの必要性、必然性があることへの感覚的な受容を促される。書かれていない文字をどう読み込むか、そんな意識の大切さである。歴史を主体的に理解することが大事だよという語りかけだろう。

 「神の巻」を読まなければ・・・・・。

ご一読ありがとうございます。


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この作品に関連する事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
源頼光  :「コトバンク」
源頼光  :ウィキペディア
頼光四天王 :「名刀幻想辞典」
藤原基良  :ウィキペディア
酒呑童子 :ウィキペディア
大江山  :ウィキペディア
日本の鬼の交流博物館  ホームページ
   鬼とは何者?
   3つの大江山鬼伝説の紹介
大江山の鬼、酒呑童子。 :「お話歳時記」
竜宮伝説  :「コトバンク」
龍宮    :ウィキペディア

映画「鬼神伝」 非公式サイト  ← 2011年4月29日に映画が公開されていた!


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徒然に読んできた作品で、このブログを書き始めた以降に、シリーズ作品の特定の巻を含め、印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS

『国を蹴った男』 伊東 潤  講談社 

2015-09-05 17:36:05 | レビュー
 『決戦!関ヶ原』(講談社)という7人の作家による競作作品集がある。関ヶ原の合戦に関わった特定の武将を各作家が担当し、その武将の立場や考え方と戦機に臨む行動を描き出すという作品集である。これを読んだ時に初めて伊東潤という作家を知った。
 そこで、このおもしろいタイトルの本を手にとって読んでみる気になった。

 本書は『小説現代』に掲載された短編作品をまとめて出版されたものである。奥書には2011年1月号から2012年9月の期間に発表された作品群であることがわかる。
 6篇の作品が収録されている。「牢人大将」「戦は算術に候」「短慮なり名左衛門」「毒蛾の舞」「天に唾して」「国を蹴った男」である。

 6篇を通読し、総論として感じたのは、史実としての断片的事実の隙間に著者が独自の視点と想像力・創作力から生み出したフィクションを巧みに補填して創り上げた面白さである。さらに、いままで漠と抱いていたというか既存情報や見聞、伝聞で刷り込まれていたある種の人物イメージに、一捻りを加えられたな、という感覚を抱いたしたことが楽しかった。言い換えれば、新鮮な見方というか、切り口を突きつけられた感じを味わえたのだ。これは単に私自身の歴史的事実認識が浅く、加えて既存の歴史小説を手広く読んでいないからかもしれない。どの程度その切り口が新鮮かは、通読いただき評価してみてほしい。なかなか読ませるできばえになっていると思う。

 それでは個々の作品の印象を簡略にまとめて、ご紹介したい。

< 牢人大将 >

 中心人物は、武田家牢人衆の大将の立場になった那波藤太郎である。そして副将が五味与惣兵衛。これらの人物自体がフィクションなのかどうか、私には知識がない。
 那波藤太郎は、鎌倉幕府草創期の功臣である大江広元の子・政広を祖とし、上野国東部の那波郷に土着した那波氏の一人。北条方だったため本拠の那波城が長尾景虎の攻撃を受け、落城間近に父の宗俊が降伏するという選択をした。これに反対の藤太郎は単身で脱出し、結果的に甲斐の信玄を頼る。藤太郎の願いは「那波領を回復してほしい」こと。信玄は、「分かった」と受けるが、「すべては働き次第」と一言、付け加える。その結果、那波藤太郎は武田家の牢人衆として抱えられ、戦働きをするというストーリー。
 この小説のモチーフは、上杉輝虎(=長尾景虎)を牽制してもらう目的で北条氏康との間で信玄が国分けをしたことにより、那波領が北条方のものになるという事実に端を発している。那波領回復を本願としてきた那波藤太郎が、己の考え方を変えるのだ。武士としての生き様の方針転換である。どのように方針転換したか。そして、武田家牢人衆として、戦場でどのような戦働きをして、どう生ききったかが描かれている。

 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という信玄の名言がある。この短編を読み、武田の軍制に「敵方の密な城郭防衛網の奥深くに”中入り”すること・・・こうした危険な仕事ばかりを請け負う牢人部隊が組織化されて」いたということを初めて知った。その大将がこの那波藤太郎なのだ。余談だが、私には信玄のこの名言の解釈イメージが少し変わり、言葉が二重の意味合いを帯びてきた。

 この短編から、おもしろいやりとりのフレーズをご紹介しておきたい。
*無理をせねば、功は遂げられぬ。
*われらは、この砦を取れと命じられたが、守れという命は受けておらぬ。
*飯の種をなぜ教える。
*わが身分は、このままで構いませぬ。その代わり、わが功を黄金に替えていただけませぬか。
*武士たるもの、失うものが大きければ大きいほど、よき働きはできませぬ。


< 戦は算術に候 >

 秀吉の直臣として、石田三成と長束正家がどういう機能を担ったのかがテーマとなっている。長束正家は算術に強く、戦に於ける兵站任務、つまりロジスティクスに強味を持ち、金勘定に長けた官吏である。すべてを算術で割り切れる人物。石田三成は調儀(ちょうぎ計画策定)の才に長けた官吏である。秀吉にとっては羽柴家安泰の両輪となる。
 秀吉は三成に言う。「佐吉よ、金とは、使うべき時を違えてはならぬ。・・・それを過たねば、生きた金となる。」「馬は人を背負い、荷を載せることで初めて役に立つ。・・・実は、馬を乗りこなせる者は少ない。馬を乗りこなしているように見えて、その実、馬に乗せられておるのだ」「すなわち道具は使うもので、使われてはならぬということだ」

 この作品、三成と正家の働きを描くという経緯の先に、関ヶ原の戦いにおける小早川秀秋の日和見、寝返りに光を当てていく。三成の敗因が「戦は算術に候」にあったという解釈、オチがおもしろい。何が齟齬原因か? そこに読ませどころがある。
 この経緯の切り口は、小早川秀秋という人物を考える上で、広がりを与える。事実は知らぬが・・・・。
 上掲の『決戦!関ヶ原』の競作作品の中に、「真紅の米」(冲方丁著)がある。ここに描かれた小早川秀秋像と併せて読むのもおもしろいと思う。

 もう一つ、興味深いのは、秀吉の三成に語る言葉は家臣や支配下の武将に対するものであり、豊臣家の内部に対しては、秀吉の語りとはアンビバレンツなものになっていた点を、三成の目を通して書き込んでいる点である。


< 短慮なり名左衛門 >

 この短編の主人公は、毛利名左衛門秀宏である。天文12年(1543)、越後の最有力国衆の一つ、毛利北条一族の庶家に生まれた実在の人物。毛利北条家の中では、逸材として生長し、重要人物となる。
 上杉謙信の没後、継承問題で発生した御館の乱において、最終的に景勝側に味方することで、景勝を後継者にするうえで一働きする。乱後の論功行賞に不満を抱く名左衛門は、上杉家執政の直江信綱と儒者で外交顧問の山崎秀仙に直談判をする。結果的に、春日山城内において会談中の直江信綱と秀仙を急襲し殺害した人物という史実が残る。

 この短編では、なぜ殺害に至ったかの背景を描き出すことがテーマになっている。その根底に名左衛門が謙信から感銘を受けた「羲」の精神が底流にある。
 何の恩賞にも与れぬ名左衛門のところに登場するのが、景勝の小姓から奏者となり、めきめきと頭角を現しつつあった樋口与六兼続である。
 この小説の影の主人公として、樋口与六兼続を描く局面に作品のモチーフがあるように思う。私にはこの組み立てが実に興味深い視点だった。史実としての断片的事実の隙間に潜むものがこのストーリー通りであるならば、樋口与六兼続という実在の武将のイメージを変えさせられる気がする。ポジティブイメージだけの印象をもっていたところに、ネガティブイメージが浸食してきた・・・・という思いは私だけのことかも知れないが。
 樋口与六直続とは、後の直江直続である。


< 毒蛾の舞 >

 この短編の主人公は佐久間盛政。ストーリーの舞台は、秀吉と柴田勝家が雌雄を決した賤ヶ岳の合戦である。勝家の筆頭家臣であり、名を知られた武将・佐久間盛政の戦術的突出行動が、賤ヶ岳の合戦における勝家軍の重要な敗因に上げられている。この事実の裏側に著者の想像力が羽ばたいた。ここに描き出されたた切り口、解釈は実におもしろい。この小説の延長線上で、前田利家とまつが会話するとしたら、どんなストーリー展開になるのか。この小説に触れられていない別の側面に、一歩踏み込んだ興味すら喚起される。

 毒蛾は、前田利家の内室(妻)である「まつ」をさす。舞とは、少年だった頃に盛政が目撃したシーンを起点とするように受け止めた。それ以来盛政の心の中に留まり、賤ヶ岳の合戦の直前に、まつが盛政の許に来訪し、二人が面談することにより、まつが盛政に頼み込んだ一言から「心中の舞」が再燃し始める。武将としての理性と盛政自身の思いとの葛藤の絡め方、自己納得のプロセスが興味深い。そこに「毒」がまき散らされていたという次第。

 まつの一言とは「又左を男にしていただきたいのです」(又左とは前田利家のこと)
 盛政は問う。「その見返りに、何をいただけまするか」
 「玄蕃様のお望みのままに」「真か」「はい」

 秀吉打倒を練る盛政の戦術発想の展開の中に、まつの一言が舞を始めるというモチーフである。クレオパトラの美貌のアナロジーなのか・・・・。まつの一言、その仕掛けには裏があったというストーリー展開である。この筋立て、なかなかにおもしろい。


< 天に唾して >

 主人公は茶人・山上宗二(やまのうえそうじ)である。山上宗二の生き様、秀吉と宗二の確執がテーマになっている。
 宗二は泉州堺の薩摩屋という商家の嫡男に生まれ、家業を顧みず茶の湯に没頭する。千宗易の弟子。永禄8年(1565)、22歳で初めて茶会を主催する。そして数寄者(茶湯者)の系譜の末端に名を連ねる。
 信長が自治都市だった堺を制する。茶の湯に着目し、堺の代表的商人兼茶人の今井宗久、津田宗及、千宗易の三人を茶堂として、後に「茶の湯御政道」を始める。茶会の開催を認可制にすることで、信長は茶の湯を政治に取り込んだのだ。そして、羽柴秀吉が信長から茶の湯を許されたときに、宗二が秀吉の茶堂に割り付けられる。それが宗二の茶の湯についてのこだわり・矜持と秀吉の茶の湯に対する姿勢との確執の始まりとなる。

 信長没後、秀吉の茶堂であったことから、多額の献金を条件に再び堺を自治都市とすることを秀吉に願い出る交渉人に宗二はならされる。二つ返事で了承した秀吉は、天下が静謐となった段階で、宗二との約束を反故にする。さらに、茶堂として、宗二の師匠である千宗易を起用するに至る。秀吉は信長の茶堂の三人を己の茶堂にし、さらにその序列を宗易、宗及、宗久としたのだ。

 秀吉と宗二のやりとりがストーリー展開の起爆となる。
「わしは何かに挑むような、そなたの茶を好かんかった。そなたの茶は常に戦いであり、客に緊張を強いる。そんな茶をわしは楽しめぬ」
「さりながら、茶は楽しむだけのものではありませぬ」
「わしは茶を楽しみたいのだ。それゆえ茶堂の任を解くで、いずこへでも行くがよい」
  ・・・・・
「天下を獲ったとて、やはり心根は下郎の頃と変わらぬようですな」
「何だと!」
  ・・・・・
「天に唾して」というタイトルは、宗二が秀吉に吐いた言葉が、いずれ己の身に災いを呼ぶというところにあるのだろう。このストーリーは、宗二が身の寄り所を転変とさせ、板部岡江雪斎を介して、小田原の北条家に身を寄せることになる。江雪斎は小田原北条家重臣である。宗二は小田原の北条家に庇護されるが、秀吉の小田原城攻めが始まる。
 
 この短編、小田原に寄寓した宗二の生き様、秀吉に対立する生き様を活写していく。宗二の簡略伝という趣がある。そこには波乱万丈の宗二の人生がある。この短編の非常に興味深い展開箇所は、宗二の師匠・千宗易が宗二の生き様のターニング・ポイントで非常に重要な役割を担うというところにある。スポット的に、千利休の厳然とした生き様の一角を描いている。実に、巧妙な宗易(利休)の組み込み方である。

 この短編、秀吉所有の「紹鷗天目」と北条家所有の正本『吾妻鏡』がクライマックスを盛り上げるシンボルとなる。
 宗二に最後は凄惨である。耳と鼻を削ぎ落とし、磔刑となった。
 宗二の行為が生きたところで、話が終えられているところに、宗二の生き様への救いを感じる。


< 国を蹴った男 >

 この短編のタイトルを素直に受け止めると、主人公は「東海一の弓取り」とたたえられ版図を駿遠三の三国に拡大した今川義元の跡を継いだ息子の治部大輔氏真(じぶのたいふうじざね)である。氏真は蹴鞠と和歌の世界に没頭し、最後は国を失い、蹴鞠の神技を嬉嬉として披露し1,700首の和歌を残して没した人物。まさに、「国を蹴った」男の人生である。武将としてでなく公家として生まれるのが適切だった人なのだろう。
 この作品の面白いのは、その蹴鞠を作る「鞠括り」の職人・五助の人生を語る形で、五助の目を通した氏真が描かれ、氏真との間に芽生えた堅い信頼関係が、五助そのものの生き様を決定づけるというストーリー展開である。
 主に五助の目を通してと言うことになるが、蹴鞠を介して二人の主人公の人生が織りなされながら描かれるというストーリー構成になっていて、興味深い。
 
 五助は、蹴鞠の宗匠・飛鳥井家御用達(ごようたし)の鞠を作る「鞠くくり 幸太夫」という名の蹴鞠工房の職人である。6歳で幸太夫に預けられ、物心がついた頃から鞠職人になるのが当然と思い込み、鞠職人の技に習熟していく。鞠括りの希少な技を磨いた五助は、職人頭を務める。幸太夫の妻は先に亡くなり、子のいない状況なので、いずれ五助が幸太夫を襲名すると周りから目されていた。だが、ある理由でその歯車が狂い出す。
 そして、五助は山科の商人・籠屋宗兵衛を通じて、駿河国今川家に行くことになる。それが今川氏真との出会いとなる。戦国時代における今川家の風雲と武将に生まれた氏真の生き方が、五助の目を通じて観察されていく。武将としてではなく、蹴鞠に生きる氏真の有り様を五助は肯定するようになる。それが五助の人生をも決定づける、氏真との信頼関係の深まりに発展していく。

 この小説の面白いのは、そこに信長と本願寺門徒の戦いの余波が、再び宗兵衛を介して及んでくることである。国を失い蹴鞠の技披露に人生を見出す氏真と、氏真のために鞠括りの技を注ぎ鞠を作る五助。二人の信頼関係を手段として利用する形で、宗兵衛が門徒の立場から、五助の妻子を人質にとったうえで、五助に信長暗殺計画に加担することを強要する展開に発展する。この異質な組み合わせがおもしろいところである。そして、そこに五助の生き様が反映するのだ。
 五助のモデルとなる人物が実在したのだろうか? 著者の創作力が横溢した結果の全くのフィクションにより史実の間隙を埋めた小説なのか? 興味深いところだ。
 
 著者の切り口の斬新さを楽しんでいただくとよいのではないだろうか。


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本書に出てくる事項のいくつかをネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。
那波氏  :「戦国大名探究」
新城市設楽原歴史資料館 :「新城市」
新城市歴史資料館 
設楽原古戦場いろはかるた  設楽原をまもる会
中束正家  :ウィキペディア
あの人の人生を知ろう~石田三成  :「文芸ジャンキー・パラダイス」
毛利秀広  :ウィキペディア
御館の乱  :「ピクシブ百科事典」
御館の乱  :ウィキペディア
直江兼続の一生  :「武士の時代」(米沢市観光物産協会)
直江信綱  :ウィキペディア
山崎専柳斎・秀仙  :「Golden Cadillac」
佐久間盛政  :ウィキペディア
佐久間盛政~鬼玄蕃と恐れられた猛将 :「戦国武将列伝Ω」
まつ 加賀百万石を築く礎として力のあった藩祖・前田利家の妻 :「歴史くらぶ」
利家を…前田家を支えた良妻賢母・芳春院まつ  :「今日は何の日? 徒然日記」
山上宗二  :ウィキペディア
『山上宗二記』 における茶道理念 pdfファイル
一番弟子、山上宗二の死と利休の賜死  :「千利休フアン倶楽部」
今川氏真  :ウィキペディア
蹴鞠    :ウィキペディア
蹴鞠  蹴鞠保存会  :「AMATO-NETWORK」
蹴鞠(けまり)について :「談山神社」
下鴨神社で蹴鞠初め  :YouTube
飛鳥井家  :ウィキペディア


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『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社