遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『光秀の定理(レンマ)』 垣根涼介  角川書店

2014-02-25 09:35:24 | レビュー
 本作品は6章構成である。
 第5章の末尾に著者はこう記す。
「史書は、あるいは歴史の正当性は、常に勝者の側によって作られる。喧伝される。敗者は、歴史の中で沈黙するのみである」(p357)
 その少し前に、
 「光秀はその才幹はありながらも、秀吉や家康に比べ、人としての愛嬌が足りなかった。だから人がついてこず、肝心なときに天下を取り逃したのだ、と。しかし、果たしてそうであろうか。」(p357)と、問題提起する。
 つまり、この作品で「信長は、時が経ってもよほど光秀のことを信用していたものと見える」(p356)という視点から光秀像を描き出した。

 13代足利将軍の近臣であり、和泉細川家、従五位下・兵部大輔藤孝(=細川藤孝)の築地塀が崩れ放題の屋敷に居候として身を寄せていた時点から、丹波丹後を基盤に畿内の最重要地域・五ヵ国、計二百四十万石の指揮権を信長から任されるに至るまでの期間を中心にストーリーを展開していく。
 第6章は潰え去った光秀に関わる後日談として語られていく。そのことは後でまた触れよう。

 この作品のおもしろい点は、光秀が土岐明智氏の長で美濃源氏という名族の貴種だとはいえ、零落した一介の浪人の境遇から、畿内五ヵ国の指揮権を握り後世に近畿管領と称される立場になるまでのプロセスを中心に描く視点である。愚息と称する癖のある破戒僧と剣術家新九郎との関わりが深まっていく経緯を軸としながら話が展開されていく。
 その際興味深い点の一つは、愚息と新九郎が当時の世間の価値観を超絶した生き方をしていること。出世をする、金を儲ける、豊かで楽な生活をするという欲望とは無縁の位置に身を置こうとしている人物だということである。もう一つは、愚息が最少限の世過ぎのために骰子(さいころ)賭博で金を稼ぐ。その博打で最後は愚息がほぼ勝つという結果になる。その賭博にいかさまはなく、いまで言う確率論が根底にある。その仕組みの不思議さが愚息・新九郎・光秀を結びつける契機になり、光秀が戦術を練るときに、確率論の思考法を取り入れていくことにもなる。かつその確率論の思考法が細川藤孝や信長にも光秀を介して波及していくこととなる。合理的思考を尊ぶ信長が、確率論的思考に興味を示し、それを己の発想に取りこんでいくのは言うまでもない。

 この作品のおもしろさはたぶん愚息、新九郎という人物を創作して史実の空隙にうまく折り込み、光秀の思考と生き様を描いた点だろう。そして大胆な史実解釈へと想像力を飛翔させているのがおもしろい。ひと味違った光秀像を描き出している。

 玉縄新九郎時実と名乗る新九郎は、関東の在所を飛び出し、京の都で剣術家として名をなそうとして出てきたが、落ちぶれて京の辻で生活のために追い剥ぎまがいとなっている。永禄3年(1560)春、旅から戻って来た光秀を辻で襲うのだ。襲うと言っても真剣勝負をする形で金品を得ようとする。腕に自信がある光秀は新九郎の力量を見切って、刀を投げ出してしまう。そこに愚息が現れて止めに入る。なぜここに愚息が出てくるのか、そこには骰子賭博が関わっている。
 新九郎は、あっさりと大小の刀を渡す光秀に、一つの問答を投げかける。それは愚息から問われて新九郎自身が答えられなかったものである。「一から十までを足し上げた数字は、いくつになる」新九郎が五たび呼吸するうちに正解を出せと光秀に言う。正解が出れば刀を返すというのだ。
 今なら大抵の人が学校で習うか聞いたことがある有名な足し算である。そう「1+2+3+・・・・+10は?」即座にガウスのエピソードを思い浮かべた。
 光秀は間一髪で正解し、刀を取り戻す。それがきっかけで、愚息と新九郎は後日、光秀が居候する細川藤孝の邸に出向いていくことになる。そこから、彼ら3人の不思議な繋がりが始まっていく。光秀がこの二人の思考法や生き様から様々なことを学び、美濃源氏としての明智氏の名を世に高めるため、土岐明智氏一統のためにと悪戦苦闘し、戦国の世の武士の処世に活かしていくことになる。
 光秀が帰宅後、「一から十までを足し上げる」という問題を、妻の煕子に問いかけ、藤孝にもそのことを告げることになる。藤孝はこの話から、愚息に興味を抱いていく。この足し算問題を軸とした人間関係の描き方がおもしろい。
 このプロセスで、人が人をどう見るか、どういう関係づくりをするか・・・・著者はそこに人のあり方を問いかけているのではないかと、私は思う。

 細川藤孝と光秀が、足利義昭を将軍として擁立していく計画を実行し、各地方の大名に働きかけていく。朝倉氏に話を持ちかけるが、朝倉氏は動こうとしない。光秀が信長に義昭擁立の話を持ちかけることから、光秀の武将人生が展開していくのはよくご存じの通りだ。その史実の狭間において愚息と新九郎が光秀のサポーター的な役割を担うことになる。この二人は光秀の人間性に惹かれているのだ。愚息は細川藤孝とは一線を画している。愚息の視点、価値観から、白黒で人物評価すると、悪人藤孝、善人光秀である。なぜそうか?そこに著者の視点があるとも言える。読んでいただいてのお楽しみ・・・・である。
 愚息は「敬うのは釈尊のみ」と発する。原始仏典を囓ってきた立場の僧であり、日本のどの宗派にも属さない孤高自立の破戒僧なのだ。愚息は骰子賭博の原理も彼の地で学んできたという。
 
 義昭を擁立して天下布武の旗印を掲げた信長に対し、近江の六角氏が最初の障害となる。その六角氏攻めにおいて、光秀は難敵・長光寺城攻めで己の力量を信長に知らしめようとする。この時光秀には愚息の骰子賭博の理論が城攻めの戦略思考のベースになる。その展開が興味深いところ。そして、最後の攻略段階で愚息の意見を聞くという形になっていく。そしてこの城攻めの攻略思考に信長が興味を示すことから、信長と愚息の対面に展開していく。俄然おもしろくなる。ちょっと奇想天外なストーリーづくりでもある。二人の対面は、愚息にとっても信長という人物をある意味で鑑定する機会となる。勿論、信長が愚息を評価する機会でもあるが。
 信長に対する愚息の熱弁に対して、「そう、西田幾多郎がこの時代に生きていれば、泣きながら手を握ったであろう言葉を吐いた」という一行を記しているという興味深さも余録としてある。
 
 本作品には2つの流れがある。一つは光秀が苦心惨憺しながらもその力量を発揮し、信長の下で出世街道をばく進していくストーリー。もう一つが愚息・新九郎の出会いから始まって、奇妙な共同生活を送る「二人の暇人」(p109)の生き様である。その二人が光秀の人生と関わりを深めていくというのがこの物語といえる。光秀と愚息・新九郎の接点の基軸が確率論でもあるのだ。
 愚息と新九郎が瓜生山麓の荒れ寺に住み着き共同生活を始めて半年後の晩秋に、二人は懇願されて麓の里村での略奪居座り強盗を退治することになる。それを契機に、新九郎は剣術を里人などに教え始めるようになり、剣術指導を通じて剣術の理を追究していく。それは新九郎にとっては新境地開眼への道になる。人に問われて、「笹の葉流」と称するようになり、京の都での評判になっていくという展開はおもしろい。
 
 そこで最終章の第6章に触れておこう。
 この章は、秀吉の天下統一の7年後に時期が飛ぶ。慶長2年(1597)の晩春から始まる。この頃新九郎は綾小路に道場を開いている。その新九郎が久しぶりに愚息の寺を訪ねる。愚息も年を取り、九州の故郷に戻って死ぬという。そんな二人が、光秀の生き様について語り合うと言う形の展開となる。ある意味、ここで光秀論の一端が語られている。
 この章で興味深い記述を2つ抜き出しておきたい。
 一つは、故郷に旅立とうとする愚息を新九郎が送ろうとする段階で生じたエピソードの結末における会話の一節である。
 「あの性質(たち)の悪さたるや、十兵衛やわしら程度では到底及ばぬ。負けるのも当然じゃ。今回ばかりは骨身に沁みた」(これは、愚息の言。新九郎に対し、細川藤孝のことを俎上にのせている。)
 もう一つは著者の思いであろう。著者は光秀の遺体が三条河原に晒された事実について、その遺体が光秀だったかどうかには疑問を呈し、判断を保留している。その上で本書の締めくくりにおいて、光秀についてこのように言及している。

「ただ、その最晩年に、春の日を愛でる心境に一度でもなれていれば、せめてもの救いだったのではないか。咎は咎としても、だ。」
 
 最後に、印象深い章句をご紹介しておきたい。
*何かを得るに足る能力とは、頭の出来不出来ではない。その資質、あるいは気質なのだ。 p342
*ちなみに光秀が丹波を治めていた頃に、人に語った言葉がある。
 仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という。
 これをみれば、土民百姓はかわゆきもの也。
 ・・・・ 
 意外に思えるかもしれないが、光秀の右の感覚は、その主君であった信長の持つ世界観に酷似している。育ちも、あるいは感情や行動の発露のさせ方もまったく正反対の二人ではあったが、その社会の原理を見据える視点では、両者の考え方はその微妙な色あいこそ違え、ほぼ一致していた。 p366-367
*現代風に言えば、人間集団の頂点に立つ武将の思考法は、組織の利益を第一に考える法人の動きとして捉えるべきで、個人として見るべきではない、ということだろう。 p368
*信長が寡兵をもって大軍に立ち向かったのは、桶狭間の戦い以降では、この戦(注記:石山本願寺と光秀軍の籠もる天王寺砦との戦い)しか存在しない。信長は、常に彼我の利害・力量の計算に長けており、戦力が相手を上回るまでは、決して行動を起こさなかった。  p369
*演じる側、それを受けて演じ返す側・・・・物事は常に表裏一体となって変化し、うごめき、進む必然なのだ、と。決して片面だけでは動かぬ。  p377
*生まれながらにして持った美濃源氏名流としての矜持、そして一族の離散という憂き目からの、失地回復への自責の念・・・・つまり、(我は、こうありたい)と思うより、(我は本来こうあらねばならぬ。いや、あるべきだった)という責務の意識が、光秀の行動原理のすべてにおいて先行していた。  p381
*比叡山の焼き討ちを信長に諌止したのは、織田家臣の中で、光秀ただ一人であった。 p383
*ただ、完全に滅びぬものには滅びぬだけの理由があるのだろう・・・・近頃よく、そう感じるのみだ。  p390
*「おのれは、我が肩に並ぼうとするか」
 信長の気持ちを一言で言えば、そうなるだろう。  p395
*歴史の表舞台で、その生き様の初志を貫徹しようとする者は、多くの場合、滅ぶということよ。信長とて例外ではない。自分が蒔いた時代の変化に、自らが足をすくわれた。生き方を変えられぬ者は、生き残れぬ。・・・・四つの碗が二つになったときに、その初手の理が変わるように、世の中も変わっていく。ぬしが変わらなくても、ぬし以外の世の中は変わっていく。やがてその生き様は時代の条件に合わなくなり、ごく自然に消滅する。 p407


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本作品を読み、興味のある関連語句をネット検索していた。一覧にしておきたい。

まずはその過程で知ったサイト情報。
角川書店の「野生時代」に、作品のあすじを紹介しているページに出会った。
これはまあ番外情報だが。

源氏 :ウィキペディア
清和源氏の系譜 :「系譜から見る歴史」
美濃土岐氏の歴史と文化 :「美濃源氏フォーラム」
古代氏族系譜集成にみる土岐一族 宝賀寿男氏

明智光秀 :ウィキペディア
光秀の出生地 :「明智光秀・桔梗物語」
明智家臣団 :「明智軍記からみる明智光秀」
 
カール・フリードリヒ・ガウス :ウィキペディア
 
細川氏 :「戦国大名探究」
京都に代々伝わるが謎の多い名門の流派 吉岡流の吉岡憲法直綱 :「日本剣豪列伝」
閑吟集 :「日本文学ガイド」
藤戸石(京都市伏見区) :「ふるさと昔語り」(京都新聞)
西田幾多郎 :ウィキペディア
 
明智城 :「可児市観光協会」
明智城(美濃国可児郡) :ウィキペディア
勝竜寺城 :ウィキペディア
勝竜寺城公園の紹介 :「長岡京市」
長光寺城(瓶割城) :「近江の城郭」
長光寺城 :「滋賀県の城館」
箕作山城 別名・箕作城  :「近江の城郭」
和田山城  :「近江の城郭」
観音寺城の戦い :ウィキペディア
 
山城の国一揆を探る  :「京阪奈ぶらり歴史散歩」
一乗院 :ウィキペディア
東大寺・知足院 :「奈良の寺社」
東大寺・戒壇堂 :「東大寺」
 
九十九髪茄子 :ウィキペディア
大名物 唐物茄子茶入 付藻茄子(松永茄子) :「静嘉堂文庫美術館」
 

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『仏像のひみつ』・『続 仏像のひみつ』 山本 勉 / 川口澄子  朝日出版社

2014-02-21 09:32:14 | レビュー
 『仏像のひみつ』は2006年6月、『続 仏像のひみつ』は2008年5月に出版されている。私は、前書(2007年の初版第6刷)を購入して読んでいた。そして後書の出版を知ってはいたが入手していなかった。先般読後印象記として、『仏像 日本仏像史講義』(平凡社)の読了後にそのときの余韻で、後書を購入して読んでみた。
 
 『仏像 日本仏像史講義』を大学の教養課程での仏像についての通史の講義だとすると、今回後書を読み、前書を再読してみて、この2冊は義務教育での仏像授業という感じである。
 仏像の写真と仏像の部分図やイラスト図をふんだんに挿入して、個々の仏像を具体的にわかりやすく説明してくれている。仏像のこんなところをこういう風に見ると、仏像がよくわかるよ。仏像とお話ができるよ・・・・というスタンスで書かれているように思う。 川口澄子さんのイラスト図には硬軟が取り混ぜられている。仏像を絵図にした「硬」と漫画風に描かれた「軟」の絵の組み合わせである。イラスト図だけ見ていても楽しい。文章はお話口調であり、絵解き解説というタッチの書に仕上がっている。
 ソフト・アプローチから仏像世界に一歩入ってみたい方は、こちらの2冊から読み始めると楽しく学べるだろう。オーソドックスに仏像の日本将来から現在までの仏像について基礎知識と概念を学びたい方、ちょっとハード・アプローチでもよい方は『仏像 日本仏像史講義』をお勧めする。

 『仏像のひみつ』を再読して、あらためてなるほどとおもったのは、末尾の「仏像のひみつ顛末」に記されている出版の弁である。著者が東京国立博物館に24年間勤務されていて、最後に企画された展覧会が「親とこのギャラリー 仏像のひみつ」(2005年1-3月開催)だったという。この展示のコンセプトが好評であり、これを元にこの本がまとめられたそうだ。だから、わかりやすい! ともいえるのかもしれない。
 「ひみつ」という興味を引きつけるタイトルのこの言葉は、「仏像鑑賞の観点」とも言い換えることができるように思う。それを親しみやすく表現したのだろう。鑑賞の観点という意味でいうと、前書に対して後書『続 仏像のひみつ』が2年後の2008年5月に出版されたのは「むべなるかな」というところ・・・・。
 写真とイラストを併用して絵解きでわかりやすく読みやすい。しかし、そこには基本的知識はきっちりと述べられていて、要所・急所は押さえられていると思う。単に子供向きに興味本位、部分的に書かれた本、雑書ではない。個別の仏像鑑賞の入門テキストとして、仏像に楽しく接するための準備書になる。

2冊の目次をご紹介しよう。
『仏像のひみつ』
ひみつ その1 仏像たちにもソシキがある!   ←「仏像の種類と大系」
  如来、大日如来、菩薩、明王、天のそれぞれについて語られる。そして、例えば
  如来の三十二相八十種好の代表例のマンガが楽しい。白毫、螺髪、肉身、水かき
  これらがわかりやすい言葉にして語られている。
  「その1」がほぼ全体の半分のボリューム(50ページ)である。
ひみつ その2 仏像にもやわらかいのとカタイのいる! ←「造像の素材と制作法」
  金銅仏、塑像、乾漆像、木像がこの順でそれぞれ説明される。
  その造像のしかたがイラストで示されているのでイメージしやすい。
  一木造と寄木造の技法の違いもわかりやすくプロセス図となっている。
  「その2」は22ページでまとめられている。
ひみつ その3 仏像もやせたり太ったりする! ←「仏像形状/形態の変遷」
  仏像の胴体の輪切り断面と仏像のシルエット、大小で仏像の時代変化を説明する。
  このあたり仏像鑑定の専門家の基礎知識部分がわかりやすくまとめられている。
  仏像と深く接し対話していくのに必須の知識だろう。
  「仏像は、はじめはやせてた」なんて、ご存じでしたか?
  「その3」は9ページであり、実に要点が簡潔だ。
ひみつ その4 仏像の中には何がある! ←「仏像胎内の取り扱い方」
  仏像の胎内の意味づけやどのように使われたかが具体例で説明されている。
  大日如来像のX線写真図も掲載されていて興味を引きつけることだろう。
  「その4」は7ページでのやさしい説明となっている。
そして、4ページの分量で、「作品解説」として、この本に掲載の仏像の基本的データと専門的解説が、簡明にまとめられている。全体構成で本書の内容の質を示している。

 「おしまい」からキーセンテンスを引用しておきたい。「仏像のひみつは人間のひみつです。」
この意味を味わいたい方はぜひ本書を手にとってみてください。

『続 仏像のひみつ』
 冒頭に前書のダイジェストが3ページでまずまとめられている。前書の急所がわかる。
 そして、前書の続きとして、4章構成になっている。
ひみつ その5 仏像ソシキのまわりにも誰かいる! ←「広義の仏像概念」
  羅漢、聖徳太子、大師、神仏習合と人格神など、広義の仏像概念に話が及ぶ。
  聖徳太子信仰の広がりが「日本の仏教のスーパースター」として説明される。
  これはその根強い信仰の広がりや聖徳太子伝承を考えるとわかりやすい評言だ。
  「その5」は43ページ分で説明される。やはりそれ位は必要になるだろうと思う。
ひみつ その6 仏像の着物にはソデがない! ←「納衣の着装法と表現様式」
  如来像が数枚の布を身にまとっているだけなどと、思いが及ぶ人は少ないのでは。
  「偏袒右肩(ヘンダンウケン)」「通肩(ツウケン)」などということば・・・・
  仏像鑑賞の基本であるが、滅多に聞くことはないだろう。その絵解きが実に明解!
  菩薩や明王の着物の持つ意味もちゃんとやさしく説明されている。
  拝見する機会の少ない「はだかの阿弥陀如来立像」の写真まで掲載されている。
  勿論、なぜそのような仏像が作られたのかと理由説明もある。
  「その6」は20ページでの説明である。どのように布を着装するかの手順がわかる。
ひみつ その7 仏像の眼は光る!  ←「仏像の玉眼について-歴史と技法」
  仏像も開眼から始まるが、やはりその眼がキーポイントとなる。
  なぜ玉眼が生まれてきたのか、その歴史的背景からやさしく説明されている。
  この本で初めて、どのように玉眼が制作されるかを知った。実に巧妙!
  仏師の創意工夫なのですね!そして、「運慶のなやみ」(p84)がおもしろい。
  「その7」の章は10ページの分量。最後の2ページにまたがるコラムがまた興味深い。
ひみつ その8 仏像の色はイロイロ!  ←「造像時の仏像の色の意味と技法」
  長い歳月を経た現存の仏像を我々は見慣れている。だが、造像当初の諸像の色は?
  この最終章では仏像の彩色の意味やその技法について語られている。
  仏像の金色にも、鍍金、漆箔(シッパク)、金泥(キンデイ)と区分される。
  「ウンゲン」は「コン・タン・リョク・シ」なんだとか。これも中国伝来だとか。
  四天王立像の彩色の違いが、中国の東西南北と色の組み合わせに由来するそうだ。
  仏像の色と技法について、学ぶことが多かった。
  「その8」は28ページと、それなりにウェイトが置かれている。学びは深い。
こちらにも前書同様、5ページの「作品解説」が付されている。

 前書が「基本の基本」についての説明とすると、後書は仏像世界へのステップアップと言える。著者によれば、「仏像の世界の奥深いところや、仏像のまわりにひろがる霧の中に、ちょっとだけふみこむ」という試みの書、垣間見るための導入編である。
 「おしまい」に記された、末尾の一文を引用して、この読後印象記でのご紹介を終えたい。これがやはり、キーセンテンスだと思う。

 「仏像のひみつは、きっと日本や日本人のひみつにもつながっているのでしょう。」

ご一読ありがとうございます。


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本書に関連する事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。

日光菩薩踏下像   東京国立博物館蔵
菩薩立像      東京国立博物館蔵
文殊菩薩立像    東京国立博物館蔵
十一面観音菩薩立像 東京国立博物館蔵
阿弥陀如来立像  奈良国立博物館  (裸形像)
十一面観音立像 附像内納入品1躯  奈良国立博物館
 
平安佛所 ホームページ
 左端メニューの「廉慧しごと」の項目内に「仏像彫刻の技法」のページがあります。
 一木造、割矧造、寄木造、玉眼の説明が載っています。
截金 :ウィキペディア
江里佐代子 :ウィキペディア
佐夜子のしごと  :「平安佛所」
 トップページ左端のメニューの項目内に「略歴と作歴」「截金について」のページがあります。
 
仏像 :ウィキペディア
繧繝(うんげん)・暈繝
四神 :ウィキペディア
 
仏像のひみつ :「東京国立博物館」
 


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『原発クライシス』 高嶋哲夫  集英社文庫

2014-02-16 12:12:47 | レビュー
 手許にある文庫本は2010年3月25日発行の第1刷である。一番最初は、1999年12月に宝島社から書き下ろし単行本として刊行されていたようだ。その当時はその出版については意識になかった。
 2011年3月11日以降の福島原発事故後、遅ればせながら原発を注視するようになった。一般書や一歩踏み込んだ書などを読み継いできている。あるとき、フィクション分野でこの本が出ているのを知った。そして、タイトルに引かれて読んでみた。

 文庫本カバーに記された著者のプロフィールにまず着目しておきたい。「日本原子力研究所研究員を経て、カリフォルニア大学に留学。79年、原子力学会技術賞を受賞」という経歴の持ち主だった。つまり、原発についてはその原理と発電設備施設の構造を熟知したプロだったのだ。
 このフィクションは、原発でテロが発生するという次元で発想されたものである。東日本大震災という巨大地震と津波を原因として発生したフクシマとは全く異なる次元である。だが、原発の危険性について、「テロリズム」の側面が指摘されているのは事実だ。この作品はそのテロの発生を因として、その解決がどうなるのかのプロセスをフィクションとして描いている。欧米では他の領域・場所でテロは幾度も現実に起こっている。経験的には日本でのテロはまだまだ彼岸の出来事の感じが漂っているが。
 本作品は原子力発電という領域を熟知する著者が、原発でテロが発生したら・・・・という想定で、原発設備とその活動状況について詳細に描き込みながらストーリーを展開している。違う次元ではあっても、現実に福島原発事故を知った後で、原発設備の具体的な設備とその操作などの具体的記述が折り込まれていくストーリー展開に納得感を抱きながら、空恐ろしのリアルを感じなが読み終えた。抽象的に「原発に対してテロ対策が・・・」などという文章を目にしているよりも、たとえフィクションといえども、このような作品として投げ出されたものを読むことで、そのリアルなイメージが湧き、現実感が増す。ほんと、こんなことが発生したら・・・・と感じる次第である。
 
 この作品は北陸の日本海に面する竜神崎に続く海岸のほぼ中央に位置する発電所を舞台とする。新日本原子力発電所、竜神崎第五原子力発電所である。最大電気出力570万キロワット、熱出力約2000万キロワットの熱源となる。通常原発のおよそ5倍、世界最大の発電能力を誇る加圧水型軽水炉という発電所であり、その発電所が開所を迎える直前にテロが発生するという設定のストーリーである。
 
 ちなみに、福島第一原発のプラント諸元を対比してみる。福島第一原発は、6基の沸騰水型軽水炉(BWR)であり、総発電容量は469.6万キロワットという設備能力だった。爆発した1号機は電気出力46万キロワット、熱出力138万キロワット。同じく爆発した3号機は熱出力78.4万キロワット、熱出力238.1万キロワットである。(『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』より)
 日本には加圧水型軽水炉が実際に稼働している。
福井県所在の関西電力が運営する3箇所の発電所:
  美浜発電所
  高浜発電所
  大飯発電所
はすべてこのタイプだ。
一方、北陸電力の石川県にある志賀発電所は福島原発と同じBWRタイプである。
 
 本筋に戻す。プロローグは、12月9日、午前1時。富山県沖合2キロに停泊した「ナジェーダ」号(ロシア語の名称、希望・期待を意味する)から一群の人々が17艘のゴムボードで海岸に不法侵入し、気づかれることなく潜伏してしまうというところから始まる。その集団には博士と呼ばれ人物や東洋人も居る。
 そして、ストーリーはテロ発生の前日12月21日(火)から最終日12月25日(土)クリスマスまでの展開となる。

 事件簿風にまとめてみよう。
1.発電所 竜崎第五原子力発電所 上記以外の情報
 原子炉は次世代型。通称『銀河』。政府と民間一体の巨大プロジェクトで開発・建設
 敷地面積 約32万平方メートル、東京ドーム24個分の広さ
 原子炉建屋(圧力容器設置)、原子炉補助建屋(6基のタービン設置)
 制御室建屋(すべてを統括するメインコンピュータ設置)
  :3階建、半地下通路で原子炉建屋とつながっている。
 これらの各建物は厚さ1.5mの特殊コンクリートで防御。一見、巨大古墳風。
 5階建ての建物3棟(事務棟)
 発電所西側 3基の変電設備。沖合1000mに5本の海水取水口。
 最高出力運転時の1日に使用する海水量は約4000トン。
 12月21日時点では、3日後の燃料棒挿入を待つだけの段階にきている。

2.登場人物
 瀧沢俊輔: 東都大学理学部、原子力核物理学科教授。40歳を過ぎている。
  『銀河』の設計段階から参加。基礎実験を行いながら建設に参加した。
  つまり『銀河』設計の中心人物。世界的な核物理学者。
  原子炉全体の制御システム『ソクラテス』を開発。システムの重点は多重防御に。
  人為的事故防止のため完全自動化を目指し、設計された制御システム。
  テロの発生で対策に参画する。最後は現地に行くことを決意する。
 北山技術主任: 発電所の技術関係最高責任者。30年近くの経験。生粋の原発マン。
  テロ発生時に建屋内で作業に従事していた。
  テロが占拠した後、交渉の窓口の位置づけで扱われる。
 長谷川慎一: 一等陸佐。陸上自衛隊東部方面部隊、市ヶ谷駐屯地。
  陸上幕僚監部調査部別室、極東地区戦略室勤務。情報収集担当。
  ロシア関係の予測論文が上官から評価されている人物。本人は実戦部隊勤務志望。
  テロの発生と同時に、その対応の一員とない、現地指揮を取る立場になる。
 仁川結子: GH(グリーンホルダー)東京事務所の広報担当記者。29歳
  GHは原発に反対の立場を取る世界的組織団体。独自の機関誌を発行。
  4年前に、竜神崎原発に関する公民館での公聴会で瀧沢と知り合い、交際継続中。
  原発推進者の瀧沢と原発反対団体の職員が交際を持つという微妙な関係にある。
  近々、瀧沢の家族に会う予定になっている。
  元はフリーのカメラマンで、世界を飛び回っていた。そのとき高津のパートナー。
 高津: フリーの報道カメラマン。30代前半。身長190cm近く、体格が良い。
  竜神崎原発開所の報道のために来ている。テロの発生をいち早く知り、撮影する。
  それを新聞社に持ち込むが、意外な扱いを受ける方向に進展する。
  めげずに独自にテロの背景解明の取材活動に入り、端緒をつかむ。
 松岡昭一: 『アルファ』の代表と名乗る。テロのリーダー格。
 タラーソフ大佐:チェチェン開放戦線の兵士と名乗り、そのリーダー
 
  
3.経緯
 12月22日(水)午前0時すぎ、テロの一群が正門を突破して侵入し、意図も簡単に発電所を占拠するとことから、具体的に展開する。『アルファ』コマンド63名、チェチェン解放戦線42名。
 原子炉起動までの48時間死守するというのが彼らの目標である。100人余りの男たちはロシア陸軍の装備を持ち込んだ。重機関銃、軽機関銃、ロケットランチャー、追撃砲、移動式の地対空ミサイルランチャー、弾薬、手榴弾、ロケット弾・・・・。
 チェチェン解放戦線のメンバーを指揮するのがタラーソフというテロ経験者である。兵士たちの半数以上がKGBと陸軍特殊部隊出身で、すべての兵士はロシアに対して深く、限りない憎しみを抱いている。
 このテロの一団には、原子炉については研究し尽くしているパブロフ博士とロシアから集まった12人の科学者と技術者、日本で加わった3人の技術者という集団が居る。原子炉操業を独自に行える集団が加わっているのだ。パブロフはロシアの原子力政策に絶望して個人的動機からこのテロに加わった。彼は彼なりの考えを抱いてはいる。
 
 原子力発電所の操業、開所式を間近にし準備万端整った段階で、いとも簡単に発電所は占拠された。ロシアの技術者にとって初めてみる西側の原発とはいえ、原子炉起動までの最後のステップであり、十分対応できる自信を抱いている。原発のプロとして彼らは彼らの意図で原発設備に一部修正を加えて、起動させようとする。『銀河』の制御システムにすら、プログラムに改変を加える力量があったのだ。パブロフは制御システム『ソクラテス』の開発者・瀧沢とは原子力分野で親交があったのだ。

 原発の異常事態には、地元の機動隊が対応するところから始まる。テロ行為という想定のなかった機動隊は、あっけなくつぶされてしまう。事態は自衛隊の出動要請に発展する。勿論、政府、総理大臣が関与し、決定していかねばならない展開となる。
 その過程で、瀧沢は総理大臣から召喚されて、技術面での対応に協力をする立場になる。事態を知るためには、現地竜神崎に自ら出かけていく決意をすることになる。
 そして、自衛隊の特殊部隊のリーダーとなる長谷川との係わりが出来ていく。

 この原発のスタートの報道取材に、東日新聞社神谷支局に三日前から泊まり込んでいたフリー・ジャーナリストは、午前四時、ただならぬエンジン音に気づき、その後を追い、竜神崎でのテロ集団と機動隊の戦闘を目撃する。その事実、撮った写真を東日新聞の本社に持ち込み、直接社長と面談するが、その第一報は社長のトップ判断で押さえられてしまう。
 
 12月22日午前1時10分、冨山県警機動隊、408名が出動。銃撃戦開始午前5時。突入を試みた機動隊員のうち42名が死亡、負傷者数300名以上になる・・・そんな状況から事件が動き出す。政府は緊急対策を展開する。
 「国民への発表は?」「いま、事実を発表すれば、パニックが起こります。テロと原発。日本国民が最も神経質になる言葉です。」勿論、原発がテロに占拠された事実は当初報道管制下に置かれていた。そして、午後4時を過ぎてから、テレビで抽象的な内容の臨時ニュースが流される。

 スクープ情報を握りつぶされた高津は、なぜテロが起こったのかについて独自の調査を開始する。そして、思わぬ背景の端緒をつかんでいく。テロの発生する少し前に、『アルファ』というカルト教団の幹部級だった加頭優二、39歳が覚醒剤中毒患者になっていて、東京で売人殺害の上拳銃を乱射し、誰かに撃たれて死亡するという事件が発生していたのだ。

4. テロ集団の要求
 12月23日午前0時過ぎ、『銀河』のコンピュータ制御画面に文字が現れたのだ。テロ集団の日本政府への要求である。要点は
 ・ロシア連邦政府によるチェチェン共和国の完全独立の承認
 ・不当逮捕、監禁されているチェチェン人同士の釈放
 ・『ひかり』教祖と教団幹部の即時釈放
 ・日本円で1000億円、アメリカドル10億ドルの用意
 期限46時間以内、実行されない場合は12月25日午前6時を期して放射能汚染ガスを放出する、という。
 これは真の要求なのか、偽装なのか・・・・・。
 要求に、ロシア連邦政府が絡んでくると、国際外交次元の問題に急転する。世界はテロ行為には断固殲滅する対策が方針になっている。妥協はない。
 まさに緊急対応が迫られている。

 いとも簡単に占拠された原発施設。外部侵入できないよう多重防御されていた筈の『銀河』制御システムが、外部侵入で改変されて作動している状況。ロケット弾や重火器の投入でテロ殲滅行動を取るには、原子炉破壊の想定が必然のなる。発電所には予備燃料を含め濃縮ウラン320トン、プルニウム6トンが貯蔵されていて、さらに原子炉補助建屋の地下には、キャスクに入ったプルトニウムが2.1トン貯蔵されているという。
 瀧沢に関わる人間関係、総理大臣周辺の人間関係、テロ集団内の人間関係、仁川と高津の関係など、様々な人間関係が錯綜していく。

 そして、テロ行為は意外な展開を見せていく。

 本書が出版されたのは、福島の原子炉建屋での爆発が現実に起こったあの日時以前である。まさにまだそんな絵空事・・・・と思われた段階である。勿論、チェルノブイリやスリーマイル島での原発事故は発生していたが。まだ、彼岸の事実だった。
 このフィクションは、単に絵空事・・・・と言い切れるのか。原発施設へのテロ行為の発生の可能性、それへの対策。どこまで現実的に対応されているのか・・・・。
 原発クライシスはもはや机上の論議ではない。別次元でクライシスは既に発生している。さらに違う次元でも起こりうる可能性はあるのだ。
 原発クライシスに対する問題提起、警鐘のフィクションといえる。


 ご一読ありがとうございます。


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少し関連する関心事項をネット検索してみた。その一覧をまとめておきたい。
 
“原発テロ”対策 最前線 :「ワールドWave特集まるごと」
 
原発についてドイツは飛行機対策、アメリカはテロ対策、日本は? :「日本そして日本人」
 
わが国のエネルギー・原子力セキュリティ問題を考える
  ―米同時多発テロ事件を踏まえて  伊藤正彦氏 「季報 エネルギー総合工学」
 
BRIEFING ON NRC RESPONSE TO RECENT NUCLEAREVENTS IN JAPAN
  MARCH 21, 2011  U.S.A
 
米原発に大規模テロ対策不在などの警告 規制委は反論
  2013.08.18 Sun posted at 17:23 JST  :「CNN.co.jp」
 

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原発事故関連 読後リスト

今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新2版)


原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新2版)

2014-02-16 11:40:00 | レビュー
この読後印象記を書き始めてから昨年末までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。リストを追加更新いたしました。

読んでいただけると、うれしいです。

☆ 2013年 に読後印象を載せた本の一覧

『「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場』
 小出裕章・渡辺満久・明石昇二郎   集英社新書
 
『この国は原発事故から何を学んだのか』 小出裕章 幻冬舎ルネサンス新書
 
『ふるさとはポイズンの島』島田興生・写真、渡辺幸重・文 旬報社

『原発事故の理科・社会』 安斎育郎  新日本出版社

『原発と環境』 安斎育郎  かもがわ出版

『メルトダウン 放射能放出はこうして起こった』 田辺文也 岩波書店

『原発をつくらせない人びと -祝島から未来へ』 山秋 真 岩波新書

『ヤクザと原発 福島第一潜入記』 鈴木智彦 文藝春秋

『官邸から見た原発事故の真実』 田坂広志 光文社新書


☆ 2012年8月~12月 に読後印象を載せた本の一覧

『原発ゼロ社会へ! 新エネルギー論』 広瀬 隆  集英社新書

『「内部被ばく」こうすれば防げる!』 漢人明子 監修:菅谷昭 文藝春秋

『福島 原発震災のまち』 豊田直巳 岩波ブックレットNo.816 

『来世は野の花に 鍬と宇宙船Ⅱ』 秋山豊寛  六耀社

『原発危機の経済学』 齊藤 誠  日本評論社

『「想定外」の罠 大震災と原発』 柳田邦男 文藝春秋

『私が愛した東京電力』 蓮池 透  かもがわ出版

『電力危機』  山田興一・田中加奈子 ディスカヴァー・ツエンティワン

『全国原発危険地帯マップ』 武田邦彦 日本文芸社

『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章 河出書房新社

『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ 講談社


☆ 2011年8月~2012年7月 に読後印象を載せた本の一覧

『原発はいらない』 小出裕章著 幻冬舎ルネサンス新書

『原子力神話からの解放 日本を滅ぼす九つの呪縛』 高木仁三郎 講談社+α文庫

「POSSE vol.11」特集<3.11>が揺るがした労働

『津波と原発』 佐野眞一 講談社

『原子炉時限爆弾』 広瀬 隆 ダイヤモンド社

『放射線から子どもの命を守る』 高田 純 幻冬舎ルネサンス新書

『原発列島を行く』 鎌田 慧  集英社新書

『原発を終わらせる』 石橋克彦編 岩波新書

『原発を止めた町 三重・芦浜原発三十七年の闘い』 北村博司 現代書館

『息子はなぜ白血病で死んだのか』 嶋橋美智子著  技術と人間

『日本の原発、どこで間違えたのか』 内橋克人 朝日新聞出版

『チェルノブイリの祈り 未来の物語』スベトラーナ・アレクシェービッチ 岩波書店

『脱原子力社会へ -電力をグリーン化する』 長谷川公一  岩波新書

『原発・放射能 子どもが危ない』 小出裕章・黒部信一  文春新書

『福島第一原発 -真相と展望』 アーニー・ガンダーセン  集英社新書

『原発推進者の無念 避難所生活で考え直したこと』 北村俊郎  平凡社新書

『春を恨んだりはしない 震災をめぐて考えたこと』 池澤夏樹 写真・鷲尾和彦 中央公論新社

『震災句集』  長谷川 櫂  中央公論新社

『無常という力 「方丈記」に学ぶ心の在り方』 玄侑宗久  新潮社

『大地動乱の時代 -地震学者は警告する-』 石橋克彦 岩波新書

『神の火を制御せよ 原爆をつくった人びと』パール・バック 径書房




『獅子神の密命』  今野 敏   朝日文庫

2014-02-12 22:48:30 | レビュー
 本書は今野敏の著作出版歴リストで見ると、第2作である。1983年にトクマ・ノベルズとして出版され、1988年に文庫本化されていたもの。原題『海神の戦士』が朝日文庫での出版にあたり、『獅子神の密命』と改題された。今風に見ると、やはりちょっと引きつけるタイトルのネーミングになっていると感じる。

 プレリュードは次の話から始まる。10歳に手の届かないユダヤ人の少年が、まぶしく輝くコーヒーカップの受け皿をふせたような直径6mくらいの小さな飛行物体を目撃する。行方不明となり、9日目の朝に草原で発見される。
 そして一転、舞台は日本の六本木となり、ジャズ・ピアニストの橘章次郎が登場する。あることが契機に彼の封印されていた超能力が目覚め、その能力を行使する状況にに引き出されていくという作品である。
 著者は大学卒業後に、音楽関係の分野で仕事をし、一方空手という武道の分野にも身を置いてきたようだ。その背景がジャズ演奏と武闘をミックスしてエンタテインメントに仕上げるという発想を生んだのだろう。著者の経験を強味にしてどんと描き込んだSF要素の濃い作品である。ジャズ演奏の描写においては、私のような門外漢には読みこなし理解することができない描写が含まれている。ジャズ好きにはおもしろい描写なのかもしれないが・・・・。まあ、その当たりは描写された音楽の雰囲気だけを味わうことで、読み進めていった。そこには著者の関心・趣味が色濃く出ているような気がする。

 年齢28歳、国立音大作曲科卒、ピアノ歴20年、音楽姿勢はジャズ一辺倒という橘章次郎のところに、6ヵ月後に開催予定の第1回マイアミ・ジャズ・フェスティバルへの出演依頼の招待状が事務所宛で届く。トーマス・キングストンという主催代表者からの直接の招待状なのだ。事務所のマネージャー穂坂はこれをいいチャンスにしたいと考える。
 そんな矢先、演奏後に橘は路上でサインを頼まれた直後に、クロロホルムを嗅がされて気を失い、拉致される。拉致したグループは、アメリカの某組織から依頼を受けた日本のある機関から委託を受けた組織だった。橘の記憶を探りある種の情報を引き出そうとする。橘の深層記憶が、自分の先祖はバール、獅子の神、アレイの民、ウォニの民と戦うために遣わされた・・・・などと断片的なフレーズを、橘に語らせることになる。
 だが、この記憶誘発プロセスで処置された注射から、橘は潜在的な能力に目覚めてしまうのだ。一方、橘の人気を高めてきたジャズ演奏スタイルから、今までとはまったく毛色の異なる演奏を橘はし始めて行く。今の人気の演奏スタイルで組んだ仲間は橘の演奏スタイルについて行けなくなる。橘は己のフリー・ジャズの演奏にマッチする演奏者と組もうと探し始める。その演奏者とのマイアミでの演奏を考えるのだ。

 橘の前には、橘の秘密を暴こうと別の組織が現れてくる。さらに、橘に秘められた能力の抹殺を図ろうとする人々も現れてくる。正体不明の勢力がそれぞれに暗躍する中で、橘を当初拉致したグループが橘の味方に転換していく形になる。
 橘は深層記憶を誘発されたことがきっかけで、己の超能力に目覚めるとともに、己に秘められた密命が何だったかに気づき始める。そして、国際的な謀略の中に投げ込まれていく。舞台は日本の六本木からアメリカのマイアミへ。そして、マイアミ・ジャズ・フェスティバルの会場が最後の決闘のステージになっっていく。ジャズ・フェスティバルへの招待には裏があったのだ。

 地球にかつて存在した文明と未知の飛行物体・UFOが橘章次郎というジャズ・ミュージシャンの超能力の目覚めから結びついていく、そしてそれが地球を守るという密命につながるという奇想天外なSFエンターテインメントである。『古事記』までもが取りこまれている。興味深い多くの要素がブレンドされて、謀略行動と活劇場面を交えながらのおもしろい読みものになっている。気楽におもしろく読み進められる作品だ。

ご一読ありがとうございます。

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まったく無知の分野ということから関心を抱いたものを含めネット検索した語句を一覧にしておきたい。
本書に出現する用語とその関連である。

ケネス・アーノルド ← ケネス・アーノルド事件 :「UFO事件簿」
未確認飛行物体  :ウィキペディア
 
アコースティックピアノと電子ピアノの違い :「YAMAHA」
フェンダー・ローズ → ローズ・ピアノ  :ウィキペディア
イコライザー(音響機器) :ウィキペディア
コーラス(音響機器)  :ウィキペディア
OB-X → オーバーハイム :ウィキペディア
クラビネット :ウィキペディア
デジタル・ディレイ → 多機能デジタルディレイ特集! :「きになるおもちゃ」
ミニ・モーグ → 氏家克典さん ミニモーグと遊ぶ!  :Youtube
氏家セミナーDEMO演奏 :Youtube
 
フリー・ジャズ  :ウィキペディア
クロスオーバー(音楽) :ウィキペディア
フユージョン(音楽)  :ウィキペディア
ジャズの歴史  :「WHAT IS JAZZ? ジャズ講座・初心者コース」
ジャズ :ウィキペディア
 
ハービー・ハンコック :ウィキペディア
ハービー・ハンコク-ロックイット :Youtube
マッコイ → McCOY TYNER TRIO :「Blue Note TOKYO」
チック・コリア :ウィキペディア
Spain _ Chick Corea Live in Barcelona :Youtube
Chick Corea : 「UNIVERSAL MUSIC JAPAN」
ウェザー・リポート :ウィキペディア
Weather Report - Birdland  :Youtube
パット・メセニー・グループ :ウィキペディア
パット・メセニーグループ / モア・トラヴェルズ  :Youtube
 
エドガー・ケイシー :ウィキペディア
アトランティス :ウィキペディア
アトランティス大陸 :「超常現象の謎解き」
 
情報自由化法 → 情報自由法修正条項 第110連邦議会
米国における情報公開制度の現状
UFO ディスクロージャー・プロジェクト(日本語字幕) :Youtube
S2#6 宇宙人による破壊  :Youtube


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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『赤い密約』 徳間文庫
『内調特命班 徒手捜査』  徳間文庫
『龍の哭く街』  集英社文庫
『宰領 隠蔽捜査5』  新潮社
『密闘 渋谷署強行犯係』 徳間文庫
『最後の戦慄』  徳間文庫
『宿闘 渋谷署強行犯係』 徳間文庫
『クローズアップ』  集英社

=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新2版


『播磨灘物語』 司馬遼太郎  講談社文庫

2014-02-07 10:04:52 | レビュー
 冒頭に手許の本の表紙写真を並べてみた。今4冊の文庫本として出版されている。4冊目の末尾に著者の「あとがき」が付されている。この「あとがき」の文章は、『歴史の世界から』(司馬遼太郎著・中公文庫)に、「時代の点景としての黒田官兵衛」という表題でも収載されている。
 著者は黒田官兵衛の生家である黒田家のルーツを冒頭「流離」の章として随想風に書くというところから始め、
 「三月二十日の辰ノ刻に死ぬだろう、といった。・・・・事実、その日時に、溶けるように死んだ。
 いまよりはなるにまかせて行末の春をかぞへよ人の心に
 如水の辞世ではない。如水が晩年親しんだ連歌師の昌琢が、以後、永劫に春を数えられる人になられた、として通夜の席で詠んだものである。」
 という文で締めくくる。

 黒田官兵衛の生涯を語った伝記風小説であるが、作品のタイトルが示すように、官兵衛が軍師として表舞台に立ち、正に東奔西走し活躍した時代に焦点をあてて描かれた作品だ。その舞台が播磨灘という地域だったことになる。

 黒田家は近江伊香郡黒田村をルーツとし、子孫は諸国を転々としたそうだ。官兵衛の祖父と父、つまり重隆と兵庫助(のちの職隆)が備前福岡をたちのき、広峰において目薬屋として財をなす。兵庫助が御着城主小寺藤兵衛に拝謁してから1年後に小寺氏の一番家老になり、それまで空城同然にすてられていた姫路城に入ることになる。小寺勢力圏の西方の鎮めになるという経緯を辿る。「流離」から始まる最初の4章は、いわば官兵衛が姫路村で生まれた背景を明らかにするためだろう。

 官兵衛は小寺氏の一番家老で、姫路一円の抑えの家となっていた黒田家に生まれたことになる。天文15年11月29日生まれ。幼名は萬吉。和歌を好んだ母親から古歌を聞き、その歌枕や歌の名所を母から説明されて、萬吉は諸国の地理や、地理的関係位置をおぼえるようになったという。10歳で母と死別。萬吉はそれまでの弓馬の稽古をやめて歌の書を読みふけるようになる。この時期に父・兵庫助は小寺藤兵衛から小寺の姓を名乗るようにいわれる。萬吉は14歳で元服し、官兵衛孝高と名乗る。16歳で小寺藤兵衛の近習となり、御着城に起居するようになる。そこで、官兵衛は壮齢に達するまでは小寺官兵衛孝高と名乗ることになる。この「播磨灘」の時期は小寺官兵衛孝高ということだ。 というのは、「播磨灘物語」がクローズアップする時期は、官兵衛が近習になった年の小さな合戦-これが官兵衛の初陣となる-からである。信長方に加担することをいくら官兵衛が説いても、秀吉の中国攻めにおいて、結果的に小寺藤兵衛が毛利方に味方し、小寺氏が亡びる去るまでの官兵衛の働き、備中高松城の水攻め、秀吉の中国大返しの時期がこの物語の主題になっているからだ。勿論秀吉の大返しの結末として光秀との戦い、光秀の死の確認による合戦の終了がこの「播磨灘物語」の主要舞台となる。この時期までは官兵衛が軍師として表舞台で活躍した時代ともいえそうだ。
 1冊目の第5章にあたる「姫路村」からはじめ、第4冊目の最後の章「如水」を残して、「遠い煙」までを、著者は元服から壮齢までの官兵衛の活躍を描くことに費やしている。

 「播磨灘物語」メインのストーリーを芝居の場面風に切り出すと、概略としては次のような展開である。箇条書きにする。
*生誕から元服、結婚、一番家老の継承までの経緯  →「姫路村」
*20歳前後、官兵衛の上京。世の動きを肌で知る。キリシタンとの出会い。
  →「彩雲」「若き日日」
*一番家老としての日常。世の動きそして小寺氏の行く末の展望。
  →「青い小袖」「潮の流れ」
*播州勢を信長方に加担させるための周旋活動。信長との出会い
  →「白南風」「信長」「英賀の浦」「野装束」
*秀吉の播州入り。姫路城を秀吉に譲るという官兵衛の行動。秀吉の軍師に。
  →「播州騒然」「半兵衛」「加古川評定」
*三木城攻略、上月城攻略と官兵衛の働き。 →「三木城」「風の行方」「秋浅く」
*荒木摂津守村重の謀反、官兵衛虜囚の身に。世間及び戦の動向。
  →「村重」「御着城」「摂津伊丹」「藤の花房」「夏から秋へ」「村重の落去」
*三木城の籠城戦への官兵衛の帰陣。官兵衛の働き。三木城落城。四国での軍略。
  →「別所衆」「野火」
*備中高松城の攻略。水攻めと官兵衛の謀。官兵衛の外交。高松城落城。
  →「山陽道」「備中の山」「備中高松城」「安国寺殿」
*本能寺の変・中国大返し。光秀との一戦。官兵衛の働き。
  →「変報」「東へ」「尼崎」「遠い煙」
*秀吉による中央政権確立後の官兵衛の立場と動き(天正12年以降の官兵衛の半生)。
  →「如水」

 秀吉が中央政権を確立して以降、官兵衛は軍師として表舞台から下りる。秀吉の統治は官僚体制化していくことになる。官兵衛は隠居を望むが秀吉は許さない。できるだけ傍に居させることで、官兵衛の能力を利用しかつ縛っておき、ある意味で監視しつづけたのだろう。秀吉は官兵衛の力量を恐れていたのだ。著者は官兵衛の後半生を簡略に記すにとどめてこの物語を終えている。

 青年期から壮年期にかけての官兵衛の生き様がダイナミックに描かれていておもしろい。戦国の世にあって、天下に覇をなす力量を持ちながら、下克上の手段を取るということをしなかった官兵衛、己の思考の実現に邁進したというその行動と生き様は、実に興味深く、魅力的である。

 「あとがき」に著者は書く。「官兵衛という人柄は、そこから人間の何かをえぐり出せるようなたちのものではなく、自制心のある一個の平凡な紳士というにすぎない。ただかれは、平凡なだけに、戦国末期の時代の気分を、そのまま思想として身につけているようなところがある。」(四、p279)この作品を読み、なぜ著者が「平凡な」と言うのか今ひとつ理解しかねている。「信長」「秀吉」という人間と対比的に捕らえたとき、官兵衛は「平凡な」姿勢に自らをとどめたという視点で切り取った評価だろうか。凡人から見れば決して「平凡な」人物とは思えないのだが。

 ストーリー展開は本書を読んで、一喜一憂し楽しんでいただければよい。

 この物語で著者が官兵衛について評している箇所をすべてではないが列挙してみよう。官兵衛のプロフィールである。著者がこのように評する「播州の一土豪」がこの作品で活躍するのだ。(最初の漢数字は分冊の順序数を意味する。)
*官兵衛の本質は軽はずみということであり、かれの生涯は軽はずみの生涯であったかもしれないのである。  (一、p101)
*官兵衛は物事の理解がすばやすぎるところがあり、それがかれに終生つきまとう欠点でもあったが、そのすばやさのために十代の終わりころにはすでに人の世のことがほぼわかりはじめていた。(一、p110)
*官兵衛は元来経理から物事を考えがちな質朴な男だったし、物を玩ぶ趣味にとぼしかった。 (一、p111)
*官兵衛は、自分自身に対してつめたい男だった。これが官兵衛の生涯にふしぎな魅力をもたせる色調になっているが、ときにはかれの欠点にもなった。かれほど自分自身が見えた男はなく、反面、見えるだけに自分の寸法を知ってしまうところがあった。(一、p182)
*主家に弓を引くなどということはおよそ出来ないたちで、あくまでも主家のために良かれという思案しかできない。官兵衛を拘束しているのは、倫理というものであったであろう。(一、p198)
*敵の中にみずから突入し、槍を入れて奮迅の働きをするという武将としてはもっとも本格的なものとされた行動はついにとらなかったのだが、しかし不得手だからといって平然とそれをやらなかったのは、官兵衛の人柄の基調になっている冷えた勇気のあらわれともいえる。 (一、p224)
*官兵衛はお悠への愛情を剽げることでしか示せないたちなのかもしれなかった。あるいは官兵衛が剽げているときが、この男が素肌を露わにしているときだともいえるかもしれない。 (一、p230)
*官兵衛はべつに神経はほそくはないが、うまれつき残虐なことがにが手で、生涯、自分の権力をつかって残虐なことをするという所業をしたことがない。(一、p248)
*かれはただ自分の中でうずいている才能をもてあましているだけであった。その才能をなんとかこの世で表現してみたいだけが欲望といえば欲望であり、そのいわば表現欲が、奇妙なことに自己の利を拡大してみようという我欲とは無縁のままで存在しているのである。そういう意味からいえば、かれは一種の奇人であった。 (一、p268)
*正直は官兵衛の身上のようなもので、かれがのちに稀代の謀略家として印象されることと、べつに矛盾はしていない。 (一、p279)
*官兵衛には、常人である面の方が多い。ひとの不幸をみればすぐ同情するし、かれの力で何か出来るものならお節介なほど世話を焼く。 (二、p119)
*戦争、政治という諸価値の入りまじったややこしい事象を、官兵衛は心理というものに帰納して考えようとする。・・・要するに官兵衛は、ひとの情の機微の中に生きている。ひとの情の機微の中に生きるためには自分を殺さねばならない。 (二、p260)
*官兵衛は、・・・物事に感動すると、ときどき目をうるませる。・・・・かれの旺盛な好奇心が満足させられるときに感動した。官兵衛の好奇心は、キリスト教の宇宙論に感動して洗礼をうけたり、またキリスト教の神父がもたらす世界像への好奇心に駈られて、堺や京の教会に出入りしたりした。 (四、p47-48)
*要するに中才でありましょうな、とひとごとのようにいった。このことは、如水の本音だったらしい。かれは年少のころから物事の姿や本質を認識することが好きであった。さらにはその物事の原因するところと、将来どうなるかを探求したり予想したりすることに無上のよろこびをもっていた。認識と探求と予想の敵は、我執である。如水はうまれつきそれに乏しかったことでかれは右の能力においてときに秀吉をあきれさせるほどの明敏さを発揮したが、同時に我執が乏しいために自分をせりあげることを怠った。中才である、と如水が、あたかも他人を観察するように言いつくしたのは、さまざまな意味をふくめていかにもこの男らしい。 (四、p263-264)
*かれほど欲を面に見せなかった男もめずらしいといってよかった。 (四、p251)

 作品の中の官兵衛への評をかなり列挙した。著者は「あとがき」で一つの言葉に集約している。それは「商人の思考法」であり「合理主義」の考え方を官兵衛は好んだということだ。関ケ原の戦いの前夜、二ヵ月における官兵衛の北九州席巻は、「先端的なゼニ経済の徒」の合理主義を証明していると著者は言う。「時代の本質のようなものを象徴しうる存在」として官兵衛を眺めている。

 「如水」という号についての著者の解説が興味深い。今まで読んだ本では、「如水」を官兵衛の洗礼名と関連づけて記していたように思う。ここでは著者がこんな説明をしている。以下、4冊目、p257の記述である。
 「身ハ褒貶毀誉ノ間ニ在リト雖モ心ハ水ノ如ク清シ」という古語からとったもであろう。あるいは、「水ハ方円ノ器ニ随フ」という言葉を典拠にしているのかもしれず、いずれにしてもいかにも官兵衛という男の号らしい。官兵衛は如水という名で同時代に知られ、さらに後世にもその名で知られている。よほどこの名が、かれにふさわしいということなのかもしれない。
 確かに現在も、京都市内には「如水町」という地名が残っている。
  
 著者は洗礼名との関連に言及していない。ダブルミーニングということはなかったのだろうか。著者は官兵衛がキリシタンの洗礼を受けたのは、官兵衛持ち前の好奇心と思考性、そして情報収集という観点でとらえている。信仰という観点は捨象している感じである。官兵衛にとってキリスト教は知的好奇心の局面でのつながりだったのか。
 
 最後に興味深い文をいくつか抽出しておきたい。
*官兵衛のような田舎の微少な勢力の中にいる者にとってキリシタンの組織ほどありがたいものはない。この南蛮寺にさえゆけば、日本中の情勢がわかるのである。少なくとも、京都情勢があきらかになるのである。(一、p139)
*道理の上では信長のやったことは理解できるのである。官兵衛は叡山の腐敗がどういうものであるかを熟知していた。かれらは魚肉を食い、平然と女色を近づけているという点で、信長がやる以前に仏天から大鉄槌を食うべき存在であった。その上、まるで大名気どりで地上の政治に関心をもち、一方を援助し、一方を不利にするという露骨な所業をやっている。  (一、p248)
*なぜかという最も重要な論理の核心をアイマイにすることが扇動というものであった。逆に、論理の核心がアイマイであればこそ、ひとびとの戦意は燃え立つ。そういう集団心理の機微を、本願寺は多年一向一揆を経験してきただけに、心得ているようであった。 (二、p251)
*黒田如水の生涯は、関ケ原の前夜、二ヵ月ほどのあいだに凝縮されるのではないか。 (四、p269)

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以下、少しネット検索して得た関連事項を一覧にしておきたい。
黒田孝高 :ウィキペディア
黒田家御廟所 :「長浜・米原・奥びわ湖」
湖北の地で黒田官兵衛を思う (その壱):「DADA Journal」
黒田氏発祥の地・木之本町黒田 :「DADA Journal」
妖艶な観音さま@黒田観音寺(滋賀県長浜市木之本) :「念彼観音力」

黒田神社 :「玄松子の記憶」
 配祀神が「黒田大連」だとか。(黒田官兵衛の一族との関係は記されていないが)
 
福岡千軒 → 福岡の市(ふくおかのいち):「岡山南部農業水利事業所」
長船町福岡 :ウィキペディア
広峯神社 :ウィキペディア
廣峯神社 兵庫の神社・仏閣 霊場紹介
黒田官兵衛ゆかりの地・広峰神社 御師のネットワークで目薬・情報を交易
 :「ロケTV」
広峰氏 :「神紋と社家の姓氏」
 
福岡藩主黒田家墓所 :「福岡市の文化財」
 
黒田如水(黒田官兵衛)の名言 格言 :「名言DB:リーダーたちの名言」
黒田孝高(如水)編 :「面白エピソード/名言集」
黒田如水の名言です 其の一 :「戦国武将の名言から学ぶビジネスマンの生き方」
 このページから他に4ページリンク参照できる。
 
大河ドラマ 軍師官兵衛 :「NHK」
 
黒田官兵衛博覧会 :「滋賀 びわ湖 長浜」
姫路生まれの「黒田官兵衛」を応援しよう! :「姫路市」
福岡藩の藩祖 黒田官兵衛 :「福岡県」
 

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黒田官兵衛関連では次の読後印象記を載せています。
こちらもご一読いただけるとうれしいです。

『黒田官兵衛 智謀の戦国軍師』 小和田哲男  平凡社新書
『風の王国 官兵衛異聞』 葉室 麟  講談社
『風渡る』 葉室 麟  講談社


『インフエルノ』 ダン・ブラウン  角川書店

2014-02-02 10:20:32 | レビュー
 ラングドン・シリーズの第4作がついに出た。2013年5月に刊行された本が2013年11月に翻訳出版されたのだ。ダン・ブラウンの作品は見逃せない。私はその構想力の緻密さと隠された謎解きの分析と論理思考のプロセスのおもしろさ、スピード感のあるストーリー展開に魅せられている。文化遺産としての最たる都市を舞台に繰り広げられる作品、その都市を想い浮かべながら読む楽しさは、たとえその一部分だったとしても訪れた都市であると一層興味と関心をかき立てられる。観光で歩き、訪れた場所が出てくるとその地を思い出しながら楽しめる。その都市での訪れていなかった場所が出てくると残念だが、再訪したくなる。また、まだ行ったことのない場所・都市ならば、訪れるチャンスがあったら、ダン・ブラウンの作品のシーンを現地で想起してみたいと思う。ぜひ訪れたい思いが募る。著者の作品は、文化遺産・観光資源の魅力を引き出し、その地に吸引する力を増幅している。まさに文化遺産サポーターの機能を十二分に果たしているのではないだろうか。ラングドン・シリーズが出ると、観光ガイドを兼ねた作品理解ガイド本が出るのが何よりの証拠だろう。それは便乗商売かもしれないが、役に立つのは間違いない。

 さて今回の作品は謎解きのストーリーが3つの古都に繋がっていく展開だけに、今までの作品とはひと味違うおもしろさがある。一都市を四方八方縦横に駆け巡るという徹底さは無くなるが、都市間の重要建造物や彫刻その他の芸術作品が都市をまたがり、リンクしていく。その時間軸及び地域空間のつながりと広がりという違った観点での興味・関心が高まる。なぜ、つなげられるのかという興味でもある。
 3都市とは、イタリアのフィレンツェとヴェネチア、およびトルコのイスタンブールである。これらの都市がどう繋がっていくのか、それがおもしろいところ。この都市を結びつけて行くのが、あのダンテの『神曲』<地獄編>なのだ。地獄、すなわち、イタリア語の「インフエルノ」である。ヨーロッパの多くの人は「INFERNO」という言葉を見聞すると、「地獄→地獄編→神曲→ダンテ」を想起するのだろう。ボッティチェルリの絵画はヨーロッパの美術館や日本での美術展などで鑑賞し、美術書でも見ていていくつか記憶にある。しかし、ダンテの思い描いた地獄の姿を具象的に「地獄の九つの圏(たに)」として「地獄の見取り図」という絵に描いていたということを本書で初めて知った。(ちなみに、手許にある『原色西洋美術事典』(監修:冨永・嘉門・林・今・摩寿意、教育出版株式会社、1971年)、『カラー版西洋美術史』(監修:高階秀彌、美術出版、1990年)でボッティチェルリの関連記載を改めてチェックしたが「地獄の見取り図」への言及はない。) 
 この作品は、『神曲』<<地獄編>>の詩編と「地獄の見取り図」を基盤にしながら、謎解き連想ゲーム式に分析推理が展開していく。実におもしろい。一度だったか、天国編への言及があるが、これはラングドンの元友人の残したメッセージに関連する方である。地獄編と天国編を使い分けているのを、この印象記を書きながら改めて気づいた。

 作品を読んだ印象として、本書タイトル「インフエルノ」はダブル・ミーニングとして意味づけられているのではないかと思う。
 一つは、ラングドンが巻き込まれて事件解決に取り組む「地獄」である。それは、犯人が予告し、途方もないまさに地獄絵となるかもしれない事件を引き起こそうという謀を阻止できるかどうかという観点での地獄である。確信犯からのメッセージにより、ダンテの「地獄編」詩編とボッティチェルリの「地獄の見取り図」を読み解きながら、「地獄」へ道が何かを明らかにしていくというストーリーの象徴語としての意味である。
 他方は、その確信犯が問題提起したこの地球に生存する人類全体に関わり将来発生するかもしれない「地獄」という観点の意味だ。それは上巻に掲載されている2つの図に象徴されている。143ページの「世界の人口増加の推移」図と189ページの図として提起される。後者は世界の人口と関連諸要素・事象を総合した時系列折れ線グラフ図である。その図は、確信犯となるベルトラン・ゾブリストが、WHO(世界保健機構)事務局長のエリザベス・シンスキーに提示する図なのだ。この作品で、かつて学校で学んだマルサスの人口論が出てくるとは思わなかった。隠された「地獄」とは、世界の人口がかつてマルサスが論じたようにこのまま爆発的に増加していくならば、それは地球に将来「地獄」が必然的に発生するという意味なのだ。この「地獄」を防止できるのか・・・・という投げかけが、この作品の底流にある意味合いではないか。
 そして、その2つが結びつき、一つのSF的結末を迎え、作品はエンディングとなる。だが、それはダン・ブラウンの問題提起の投げかけでもある。この作品の外、現実世界に課題が残されていく。そういう意味でも、実に興味深い終わり方の作品である。
 また、現存する一つの思想、トランスヒューマニストの運動、トランスヒューマニズムという思想を作品の構想に組み込んだこととその問題意識に私は関心を抱き始めている。こういう思想の存在に無知だった故に。

 さて、この作品の粗筋にふれておこう。発生する事件の解決プロセスにおける人間関係はストーリー展開の中で意外性に満ちている。ラングドンが二転三転していく人間関係にまさに翻弄されるということになる。この点が本書の読ませどころにもなっている。ストーリーを追いながら、振り回されていただくとよい。私は正直なところ振り回された。ちょと錯覚をさせるほどに巧妙な仕掛け、文章表現になっている。

 プロローグで「私は影だ」と自称する人物が、パディア・フィオレンティーナ教会の尖塔の狭い螺旋階段を駆け上って行き、石壁を背にして立つ。そして、最後の一歩を奈落へと踏み出す。その影が人類に贈り物をしたという。「わたしが贈るのは、未来だ。私が贈るのは、救済だ。私が贈るのは、地獄(インフエルノ)だ」と。

 ロバート・ラングドンは、幾度もベールをかぶった女を脳裏に浮かべる。「時が尽きています」とその女がささやく。「探して、見つけなさい」と。ラングドンが目覚めた場所はフィレンツェであり、医療機器に囲まれた病室、ICUだった。ラングドンはブルックス医師の質問に答えていく。彼はごく最近の数日の記憶を喪失しているのだった。目覚めたときに、今日は3月18日の月曜日だと知る。ドクター・シエナ・ブルックスから、頭部に銃弾を受けた外傷があり、逆行性健忘の症状が出ていると告げられて当惑する。
 その病室に全身を黒いレザーに包み、黒っぽいスパイクヘアーの女が向かってきて、サイレンサー付の拳銃を取り出した。マルコーニ医師が撃たれてしまう。シエナが体当たりで金属ドアを閉めた後、ラングドンとシェナの逃走が始まる。勿論、なぜ殺される立場に追い込まれているのかラングドンには検討もつかない。
 一旦、シエナのアパートメントに身を潜める。シエナがラングドンに緊急処置をした後、ラングドンの着るものを調達に友人の部屋に向かう。その間にラングドンは自分がフィレンツェに居る手掛かりを得ようとシエナのノート型パソコンを使う。そのとき、机上の小冊子などから、シエナに関する情報を少し知ることになる。IQ208という天才少女だという記事もその中にあった。その後、病室から持ってきたラングドン愛着のハリス・ツィードの上着には隠しポケットがあり、そこにはラングドンの知らないミニチュアの魚雷のような金属の円筒があったことをシエナから教えられる。その容器には「生物的有害物質」(バイオハザード)のマークがあり、その円筒は指紋認証装置になっていたのだ。ラングドンの指紋でだけ開封できるという容器だった。おそるおそる開けて見て、中の円筒物体を調べていて、それがボッティチェルリの「地獄の見取り図」を映し出す道具であることがわかる。ダンテの「地獄編」のオマージュとして創作された絵だ。だが、その絵にはデジタル加工が付け加えられていた。ここから、ラングドンにとっての地獄が始まる。
 アメリカ領事館に助けを求める電話をラングドンが入れる。アパートメントの建物に現れたのは軍隊さながらの動きを見せる黒い制服の男の一団だった。シェナは追っ手がきたと叫ぶ。二人の逃亡劇が始まることになる。
 そして、「地獄の見取り図」に秘められた文字から、徐々にわかる手掛かりを結びつけての謎解きが開始される。ラングドンにとって自分の置かれた状況を解明して行くには、謎を解くしかないのだ。

 他方、大機構と称されグローバルに行動する組織がある。全長237フィートの豪華クルーザー<メンダキウム>が司令塔船であり、電子機器装備を施し、各分野の技術スタッフを乗船させている。軍で訓練を受けた兵士の小部隊も乗船している。総監と呼ばれる人物がトップであり、指示を与えている。この大機構は、「守れない約束はしない。依頼人に嘘をつかない。いかなるときも」という鉄則で、仕事を請け負う組織である。
 この総監が、ある契約をある人物と1年前に行っていたのだ。その人物とは、スイスの大富豪ベルトラン・ゾブリストである。遺伝子学の領域、生殖細胞操作の分野を一から築き、その研究成果、特許から大富豪となった人物である。彼が総監に自分が忽然と消えた形でしばらく何処かに身を隠し、誰にも邪魔されずにあることをなし得る時間を確保するためにサポートしてほしいという契約を持ちかけたのだ。総監はその契約を結ぶ。
 ベルトラン・ゾブリストは、人類の爆発的な増加の結果将来滅亡に至るという仮説を立てている。「人口爆発による滅亡方程式」の提唱者なのだ。トランス・ヒューマニズムの主唱者、それも極端な思想の持ち主である。人類の滅亡を阻止したいという野望を抱く。そのための計画を立て安全な研究拠点を確保する目的で総監と契約したのだった。
 その契約遂行の障害要素の一人として、知らぬ間にラングドンが巻き込まれていたのである。そこでラングドンが追われる羽目になる。
 スパイクヘアーの女-名前はヴァエンサ-は、総監の指示で行動していた一人である。犯した失敗を認めない総監はある時点で、ヴァエンサの任務を停止・解除する。だが、ヴァエンサは己の能力を示すために失地回復の機会を狙い、ラングドンとシエナを追跡する。
 
 ゾブリストは、2年前、WHO(世界保健機構)事務局長のエリザベス・シンスキーに会う機会を作り、人類が破局へと向かう仮説を説く。それを阻止する必要性を訴える。黒死病(ペスト)から着想を得た過激な方程式の考えを提唱し、シンスキーから危険視されることになる。
 ・・・・・
 シンスキーは言う。「あなたが提案しているのは--」
 「残された唯一の道だ」男がさえぎって言う。
 「そうではなく」シンスキーは言い返した。「犯罪だと言おうとしたのよ」
  男は肩をすくめた。「天国へ至る道は地獄を通っている。ダンテのおしえだよ」
 「あなたは正気を失っている」
 ・・・・・
 シンスキーはゾブリストの行動を阻止するための活動を開始する。だが、ゾブリストは姿を消す。
 シンスキーが入手したものはラングドンが上着の隠しポケットにもっていたあのバイオハザード・マークの付いた金属円筒だった。

 ゾブリストが送っているメセージはすべて、<地獄編>の詩編文章に関連している。宗教象徴学者ラングドンの領域に関わるものでもある。そのラングドンとシエナはスパイクヘアーの女と謎の黒い制服集団から追われる。黒服集団の出没と併せて、黒い車に乗ったベールをかぶった銀白色の髪の毛の女が所々に現れる。この人物が、ラングドンの夢に出てきた女であることを、後ほどサン・ジョヴァンニ洗礼堂内で知らされることになる。

 追ってから逃避しつつ謎の解明に挑むラングドンはヴェッキオ宮殿で、監視カメラの映像にダンテのデスマスクを盗みだそうとしている己とイニャツィオ・ブゾーニが記録されている事実を知る。勿論、彼にその記憶は無い。デスマスクを入れたブリーフケースはブゾーニが持っていた。そのブゾーニはその夜、ラングドンにメセージを残し、心臓発作で死んでいた。ヴェッキオ宮殿で、ラングドンはダンテのデスマスクはゾブリストが所有者になっていたことを知らされる。ストーリーはダンテのデスマスクの探求へと展開していく。そのマスクにはまた謎を解く鍵が含まれていた。

 <地獄編>の詩編が軸となりながら、謎が徐々に解明されていく。
 一方、<メンダキウム>船上では、上級調整員のローレンス・ノートンが総監に、ゾブリストとの契約の一貫であるメモリースティックに保存されている動画を契約である全世界への放映履行の前に一度見て欲しいと要望する。総監は契約に対する過去の方針を棚上げして、遂にその動画を事前に閲覧することに踏み出す。だがそれが、総監の行動指針を変更する契機となっていく。そして、ストーリーは急速度に意外な人間関係を創成し、意外な方向へ転換していくのだ。想像もしなかったストーリー展開となっていく。

 実におもしろい。このストーリーの構成と展開は、再読、再々読したら、気づいていなかった著者の仕掛けや伏線をいくつも発見できる作品のように感じる。この印象記をまとめ始めて、ああ!あのシーンの意味はこんな解釈ができたのか・・・・というのがいくつかあった。緻密に再読したらその記述・表現からなるほど、ここで・・・・と発見することが多いものになる。この印象記をまとめるにあたり、ストーリーの要点を部分的に図解化してみて、そう感じている次第。著者のしかけはかなり巧妙な気がする。
 後は読んでいただきたい。ミスリードしたところがあるかもしれない(-著者の意図どおりを含めて-)ので、その前提で・・・本書を手にとってほしい。
 あなたはきっとストーリーに引き込まれるに違いない。

 この作品に出てくる3都市の地名や建造物、芸術作品を抽出しておこう。少々の洩れがあるかもしれないが・・・・。
[フィレンツェ]
 ウフィツィ美術館、サン・フィレンツェ広場、パルジェッロ国立博物館、
 バディア・フィオレンティーナ教会、ジョットの鐘楼、ドゥオーモ、ドゥオーモ広場
 アカデミア美術館、ロマーナ門、ポルタ・ロマーナ美術学校、ボーボリ庭園、
 フォークの噴水、ピッティ宮殿、野外劇場、ヴィオットローネ、ラ・チェルキアータ
 衣装博物館、ブオンタレンティの洞窟、ヴェッキオ橋、ヴァザーリ回廊、
 ヴェッキオ宮殿、シニョーリア広場、カフェ・リヴォワール、ランツィの柱廊
 五百人広間、グッチ美術館、ヴlザーリの<マルチャーノの戦い>、神の愛のために
 大聖堂付属美術館、ラウレンツィアーナ図書館、ヴェッキオ宮殿美術館
 ラ・ソッフィッタ、建築模型の間、アテネ侯爵の階段、天井裏の観覧台
 ビアンカ・カッペッロ大公妃の秘密の書斎、ニンナ通り、ダンテの家博物館
 サンタ・マルゲリータ・ディ・チェルキ教会(ダンテ教会)、ストゥーディオ通り
 サン・ジョヴァンニ洗礼堂、天国の門、洗礼盤、チェルキ教会、
 ロムペラドール・デル・ドロローゾ・レーニョ、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅

 ダビデ像、ブラッチョ・ディ・バルトロ、サテュロス像、水浴びするヴィーナス
 ネプチューンの裸像、ヘラクレスとカークス像、ヘラクレスとディオメデス
 勝利の像、イカロスの墜落、夢の寓意、プロメテウスに貴石を与える自然
 ダンテのデスマスク、マキュアヴェッリの胸像、世界地図、コジモ一世の神格化
 ユニコーン

[ヴェネツィア]
 サン・マルコ広場、ホテル・ダニエリ、ドゥカーレ宮殿、サン・マルコ大聖堂
 リベルタ橋、マルコ・ポーロ国際空港、サンタ・ルチア駅、ため息の橋、鉛の監獄
 ムラーノ島、ガラス博物館、スキアヴォーニ河岸、教会付属博物館、布告門
 サン・マルコ大聖堂の地下墓所、リアルト橋、フラーリ教会、リド島、ニチェリ空港

 サン・マルコの馬、十字軍参加を説くエンリコ・ダンドロ、

[イスタンブール]
 アタチュルク空港、アヤ・ソフィア、ブルー・モスク、ダンドロの墓、
 イェレバタン・サラユ(沈んだ宮殿)

 誓願図(モザイク画)

『インフエルノ』を携えて・・・
これらを見て回ることができたら・・・・わくわくすることだろう。まさにダン・ブラウンは文化遺産案内人である。

 いつも感嘆するのは、実在するものをフィクションの世界でユニークに結合して、さも実際のドキュメントの如きストーリーに仕立て上げる力量である。構想力と想像力、その創作力だ。この作品も読み応えのあるものになっている。

ご一読ありがとうございます。


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本書に出てくる語句の一部とその関連事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
ダンテ 地獄篇 ← 神曲 :ウィキペディア
 
神曲  ダンテ・アリギエリ 作   中山昌樹 譯
 
ダンテの神曲より 1.地獄編  :Youtube
 
《地獄のダンテとウェルギリウス》 :「Louvre」

ロマーナ門 :「フィレンツェーオルトラルノNET」
ボーボリ庭園 :「フィレンツェーオルトラルノNET」
ヴェッキオ宮殿 :ウィキペディア
ヴェッキオ宮殿 :「画家塩谷亮の日記 」
【ネタバレ】ダン・ブラウンの『インフェルノ』に登場するスポットをめぐる旅
  :「NAVERまとめ」
アンギアーリの戦い (絵画) :ウィキペディア
Battle of Cascina (Michelangelo) :From Wikipedia, the free encyclopedia
ジョルジョ・ヴァザーリ :ウィキペディア
サンタ・マルゲリータ通りとダンテ・アリギエーリ通り :「viaで知るフィレンツェ」
サンタ・マリア・デーイ・チェルキ教会 :「フィレンツェだより」
サン・マルコ寺院 :ウィキペディア
サン・マルコの馬 ← クアドリガ :ウィキペディア
アヤソフィア :ウィキペディア
エンリコ・ダンドロ :ウィキペディア
アヤソフィア ← イスタンブール :「日本を旅する 宿なし車の旅」 
ジョン・シンガー・サージェント :ウィキペディア
 
「イスタンブール ― アヤソフィア美術館とビザンティンの聖堂 ―」
   講師 早稲田大学助教授 益田朋幸氏      :「一橋フォーラム21」
 
主な名所 :「在イスタンブール日本国総領事館」
 
聖ソフィア大聖堂と キブラ  神谷武夫氏
 
バイオハザード :ウィキペディア
U+2623: BIOHAZARD SIGN
 
SALIGIA :「ENCYCLOPAEDIA METALLUM THE METAL ARCHIVES」
 
トランス・ヒューマニズム :ウィキペディア
Transhumanism : From Wikipedia, the free encyclopedia
Transhumanist Values  NICK BOSTROM
Humanity+ : From Wikipedia, the free encyclopedia
humanity+ Homepage
FM-2030 : From Wikipedia, the free encyclopedia
 
ECDC European Center for Disease Prevention and Control Homepage
 
アヤソフィア地下の秘密を明かす写真展
地下宮殿へ :「4travel.jp イスタンブール旅行 クチコミガイド」
 

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