遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『孤蓬のひと』  葉室 麟  角川書店

2017-01-30 12:20:38 | レビュー
 「孤蓬のひと」→「孤篷庵」→(庵号)→「小堀遠州」という連想で一人の武将に行きつく。この小説は、天正7年(1579)に近江国坂田郡小堀村で生まれ、幼名は作介、元服後は、正一、政一と改め、武家官位で遠江守を得たことにより、後年に遠州と通称された人物の伝記小説である。

 この小説の末尾は、次の文で終わる。
「正保四年二月六日、遠州は逝去した。享年六十九。辞世は、
  きのふといひけふとくらしてなすこともなき身のゆめのさむるあけぼの
である。遺骸は京、大徳寺の孤篷庵に葬られた。」

 この小説は、正保三年(1646)年、つまり遠州の死没する前年、徳川幕府の伏見奉行を務め、遠州の伏見屋敷内に建てた茶室、転合庵(てんごうあん)に奈良の豪商、松屋久重を招き、茶会を開くシーンから始まる。
 茶室での遠州は松屋久重と語り合う。そこからストーリーが進展する。
久重「・・・慢心いたした茶はただの自慢と相成ます。」
遠州「そうだ。おのれの慢心こそは茶を廃らせる。しかし、また、慢心がなくては、茶はできぬのも道理ではあるまいか。・・・おのれがいま立っておるところに留まらぬのも、ひとに欲があればこそだ」
久重が「白炭」の話に結び付けて問いかけると、遠州は語る。「幼きころわたしは、千利休様にお会いしたことがある。そのおり不思議に思えてならぬことがあった。思えば、私の生涯はそのことを知るためにあったと言ってもよいようだ。随分とまわり道をしたが」と。

 このシーンから、遠州の回想としてストーリーが始まって行く。
 天正17年(1589)の時点、秀吉の小姓を務める11歳の小堀作介が、茶座敷で千利休とまさに一期一会の機会を偶然に持つ場面になる。それがこの小説の出発点であり、かつ上記のように、遠州が久重に語った言葉の意味するところがこの小説のテーマとなっていく。

この小説の構成は、茶室で、遠州と久重とが遠州の回想にからめて進める対話から始まる現在時点の描写と、現在時点での対話その他から触発される形で、遠州が己の人生を時間軸の流れに沿って回想するという2つの次元を交互に積み重ねていくという形である。大凡でいえば、各章の最初で現在時点(遠州の逝去まで1年ほどの残された時間)での遠州の状況描写が進展し、その章の最初のある要因がトリガーとなり、遠州の回想として、人生での印象深い事象が順次連なり進展して行く。それは対話者への語りであったり、遠州の心中の回想ストーリーであったりする。遠州の人生の時間軸に沿ってストーリーが進展していくことになる。現在ストーリーと回想ストーリーが最後に収束し、冒頭に引用した文となる。

 遠州は千利休に偶然一度だけ対面した。その後遠州とり茶道の直接の師となるのは古田織部である。利休は秀吉の命で切腹し、有名な遺偈を残した。織部は家康の命によりやはり切腹して果てる。千利休は佗茶の境地を開創し、古田織部は利休の求めた茶の道とは異なる「織理屈」と言われる、奔放で理屈っぽい茶の世界を築いて行く。織部好みと称されるゆがみ、歪みの中に美を見出す局面が含まれる。遠州は徳川幕府が礎を築く創生期において、大名茶の総帥として大名茶人を指導する道を歩んでいく。その茶の道は「綺麗寂び」と言われる世界となる。天命を全うしたのは小堀遠州ひとりだった。

 千利休を題材にした小説や評伝などの作品は数多い。
 古田織部の焼き物を取り上げた本は多いが、古田織部を直接主人公とする伝記小説作品は少ないように思う。私の知っているのは、『古田織部』(土岐信吉著・河出書房新社)、『幻にて候 古田織部』(黒部 享著・講談社)と『天下人の茶』(伊東潤著)の中の短編小説くらいである。
 小堀遠州の作庭した庭という視点で論じられた教養書はいくつか読んでいる。しかし、小説という形式の作品はやはり少ないのではないか。私の読書範囲では、『小堀遠州』(中尾實信著・鳥影社)に次いで、この小説が2つめである。中尾氏のアプローチとこの小説はかなり手法的にも異なり、ともに興味深い。

 横道に逸れたが、この小説では、小堀遠州が己の生き様を回想するという形で、いくつかの視点から描かれている。遠州がどういう考え、思いであったかが描き込まれていく点がおもしろい。それが遠州の事績あるいは遠州の思考について考える材料となり、参考になる。
1.遠州が作事奉行、伏見奉行などの実務家として活動した視点
 そこに、遠州が命を受けて取り組んだ仕事(事績)に対する経緯や思考、思いを知る契機となる。この小説では主に、次の事績が描き込まれていく。この部分は、遠州が茶道の理念を築く上で、思考を深める外延を形成していくものかもしれない。
  駿府城の作事、南禅寺金地院庭園の造営、女御御殿の造作、後水尾天皇の譲位後の仙洞御所の普請などが描かれていく。
 
2.遠州と茶道の関わり、茶人としての視点
 それは師である織部との関わりであり、脱織部による己の茶の世界を切り開く歩みでもある。いくつかのエピソードが興味深い。列挙しておく。
  作介が行った洞水門の工夫、織部による吉野山での茶会、万代屋肩衝の逸話、秀忠が選んだ茶入・投頭巾に関わる織部の見方、茶杓「泪」との関わり、などである。

  著者は遠州の質問に対して「茶で心を安んじるとは、おのれを偽らぬことだ」と織部に語らせている。また、加藤清正に対し「徳川様の世には、それにふさわしい茶人が出てまいりましょう。」と織部に語らせている。
  一方、師織部の茶との関わりを傍で眺めてきた遠州に、「茶の湯は怖い。知らず知らずのうちに、この世から逸脱していくようだ」と内奥の思いを吐かせることで、遠州の茶の湯の世界の立ち位置を述べている。遠州にとって、千利休、古田織部は茶の湯と世の中を考える上での反面教師でもあったということなのだろう。
  そして、後水尾天皇のもとに入内した徳川和子への直答として、女御御殿の普請への思いについて、「茶の心でございます。」「われも生き、かれも生き、ともにいのちをいつくしみ、生きようとする心でございます」と遠州に語らせる。

3.一期一会だった千利休に回帰する思考の視点
  石田三成の三献の茶のエピソード、利休による宗二捨て殺し発言、妙喜庵の茶室・待庵の有り様などが、遠州の利休回帰の原点として描かれる。遠州のこころのモノサシには、師古田織部を介し千利休があり、一期一会の対面が強烈な原点として描き込まれているように思う。

 著者は、遠州が「天下を安寧たらしめる茶とはどのようなものなのか」(p105)を追究したものとして、描き出しているように思う。

 順調にさまざまな分野で、己の能力を発揮できた人であり、専らその局面、局面で己を注ぎ込んで成功を勝ち得て、常に己にとっての茶の世界の有り様を追究したどちらかというと、順風のなかで過ごせた人というイメージを持っていた。しかし、この小説で、遠州が50歳を過ぎた寛永年間に窮地に陥っていたということを初めて知った。それを切り抜けられたのは、遠州が常日頃から茶の心の有り様を大名茶人への指導の中で、また己の挙措の中で実践していたことに起因するのだろう。このエピソードの描写が、遠州像の奥行きを深めているように思う。

 この小説は、和子入内に関わる一連のエピソードの繋がりとその展開、及び古田織部の娘が織部の切腹後所持していた「泪」という銘の茶杓にまつわる展開、それらがストーリー展開の山場になり、小堀遠州像を鮮やかに描き出す要因になっているように思う。

 この小説を読んで知った副産物、おもしろいと思ったことがいくつかある。
1) 石田三成と沢庵和尚の間に交流があったということ。石田三成像に新たな光を加えているところがおもしろい。
2) 少庵の家督を継いだ千宗旦と金森宗和の関係に触れているところもまた知らないエピソードなので私には興味がある。
3) 茶の湯の世界を扱う故に、必然的に茶道具の名器が織り込まれてくる。この名器にまつわるエピソードも、門外漢といえどおもしろい。茶道を志す人には、小説を愉しみながら茶道具基礎知識を知る機会となるのではと思う。
4) 本阿弥光悦と遠州が同時代人だったことを再認識したこと。
5) 家光が三代将軍になるにあたって背景に存在した確執を知ったこと。
6) 桂離宮の作庭に関するエピソード。
これらの副産物がどこまで史実に基づき、どこに著者の想像、フィクション部分が加えられているのか定かではないが、私には興味深い見方であり、考える材料と成りおもしろい。

最後に、印象深い文を引用しご紹介しておきたい。これらの文がどういう文脈の中で描き込まれているかを読んで味わっていただくとよいのではないだろうか。

*ひとが生きるとは、どこまでも続く暗夜の道をたどることではあるまいか。 p37
*ひとはおのれが目にした者のひとつの顔だけをみてしまいがちであるが、実はその者はいくつもの顔を持っておる。  p49
*ひとは所詮、おのれの信じた道を行くだけだ。それも、ひとりだけでな。  p56
*ひとは皆、おのれを偽る。・・・おのれを偽るのは世のためじゃ。・・・わしが何を考えておるか知らぬのに、頭を下げるのは世に倣っておるからであろう。それがすなわち、世を支えることでもある。おのれを偽ることが世を支えるというのは、そういうことじゃ。 p68
*利休の待庵には、この世から抜け出る趣があるが、遠州の密庵には、この世の光のもとに留まるところがあった。(ひとは光を求めて生きるものだ) p75
*まことの雅はひとをいつくしむ。恐れを抱かせるものは雅ではないのう。 p120
*その香炉には<此世>という銘がついておる。たとえ香炉に見えずとも、利休ほどの者が香炉だと言えば、名器として世に通る。この世はさようなものだということなのかもしれぬな。 p121
 利休がこの香炉に<此世>という銘をつけたのは、後生での安楽を願うより、この世をいつくしむべしとの思いを示したかったからであろう。さしずめ茶はこの世を極めるためにあるのであろうな。  p123
*われらのできることを、為していくしかないのだな。  p131
*正しき者ばかりでは諍いは収まらぬ。それゆえ悪人が要るのだ。すべてはこの者が悪いと世間が思えば、それで収まる。  p133
*普請や作庭は茶の心で行うのがよい、・・・・建物や庭の形を見るのではなく、それらを眺めるひとの心を見つめねばならぬと思った。それは、すなわち、茶の心だ。  p175
*これから山水を集める際に、沢庵がこう申したと言えばよい。金地院に造る庭は崇伝を満足させるための庭ではない。崇伝におのれの心の在り様を悟らせる庭である、とな。  p200
*いかなることに出遭おうとも、自ら思いがかなわずとも、生きている限りは自分らしく生きているのではないかとわたしは思います。自らを自分らしくあらしめるということを、いかに捨てようと思っても、捨てることはできないのではありますまいか。 p232
*この世をよりよく生きたいと願うのは、それだけで罪なのかもしれない。それゆえに、ひとは時折り、茶の席で世俗を離れ、おのれを取り戻すのだ。そのおりに喫する茶には、生きていくうえで味わった涙が込められているのだろう。 p233
*女人と申すは、自分を大切に思うてくれた男の思いに支えられて生きるものだ。p237
*ひとは会うべきひとには、いつか巡り合えるものなのですね。 p269
*おのれを見失わず、ひとであり続ける者こそが最後に勝つのではありますまいか。p285*利休殿と織部の茶にあつて、お主に無いのは、罪業の深さだ。茶はおのれの罪の深さを知って許されることを願い、また、ひとを許すことを誓って飲むものだ。おのれに罪なしと悟り澄ました顔で飲むのは、茶ではない。  p208

 ご一読ありがとうございます。

補遺
小堀政一 :ウィキペディア
小堀遠州 :「コトバンク」
小堀遠州 :「わたしたちの長浜」(長浜市郷土学習資料)
加賀藩の文化アドバイザー小堀遠州 杉本寛氏 :「石川滋賀県人会」
孤篷庵  :ウィキペディア
大徳寺孤篷庵 :「京都春秋」
金地院  :ウィキペディア
京都・東照宮と小堀遠州・鶴亀の庭  金地院 :「京都 ええとこ・ええもん」
賢庭 庭師
醍醐寺三宝院庭園  :「京都市都市緑化協会」
 圓徳院 北庭  圓徳院バーチャル拝観 :「圓徳院」
桂離宮 :ウィキペディア
雨の桂離宮を歩く  :「近代建築の楽しみ」
遠州流茶道 ホームページ
小堀遠州流の茶道 :「茶道小堀遠州流 松籟会」
楽茶碗(雨雲) 光悦作 :「文化遺産オンライン」
竹茶杓 銘 泪 千利休作 :「文化遺産オンライン」
竹茶杓 銘 埋火 小堀遠州作 :「東京国立博物館」
近江孤篷庵 :「滋賀・びわ湖 観光情報」

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『秋霜 しゅうそう』  祥伝社
『神剣 一斬り彦斎』  角川春樹事務所
『辛夷の花』   徳間書店
『風かおる』  幻冬舎
『はだれ雪』  角川書店
『鬼神の如く 黒田叛臣伝』  新潮社

『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社
『決戦! 本能寺』 伊東・矢野・天野・宮本・木下・葉室・冲方  講談社

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新4版(37+1冊)2016.1.27

一方、こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『小堀遠州』 中尾實信  鳥影社
『古田織部』 土岐信吉  河出書房新社
『幻にて候 古田織部』 黒部 享  講談社
『天下人の茶』  伊東 潤  文藝春秋

『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編』 澤田ふじ子  徳間書店

2017-01-17 21:56:41 | レビュー
 この短編集は、2003年3月に徳間書店から第一刷が出版された。そして、2013年10月には、光文社時代小説文庫として文庫化されている。
 手許の本は単行本の第二刷版。タイトルの副題は十二の短編となっているが、単行本としては、十二の短編に短編「仲冬の月」が加えられて十三編が所収されている。作品末尾の記載によれば、茶湯にかかわる十二の短編は、2002年に裏千家の月刊茶道誌『淡交』の1月号~12月号に連載されたのが初出だという。最後の「仲冬の月」は『利休七哲』(1990年3月講談社刊)にものに所収されたものという。
 本著者の作品を読むのは初めて。それも本を購入してからかなりの期間積ん読になっていた。なぜ本書を入手したのか? それは京都の今出川通の北にある相国寺を訪れた折りに、境内の鐘楼の北東側に「宗旦稲荷社」というのが祀られていて、その駒札で宗旦狐の伝承を読んでいたからである。

この写真の鐘楼東側の参道奧にあるのが宗旦稲荷社である。

 偶然このタイトルを見た時に本を衝動買いで入手した。すぐに読み始めなかったので、ついつい積み上げた本の一冊になってしまっていた。2016年11月に、ブログ記事を掲載していたプロバイダーがサイトを閉鎖するという事前通知を受けたために、別サイトで既に始めていたブログの中に、相国寺探訪の記事を再録していて、俄然本書を読みたくなり、遂に一気に読了したという次第。
 宗旦稲荷社付近の拙ブログ記事はこちらから御覧いただけると、うれしいかぎりである。(探訪 相国寺拾遺 鐘楼「洪音楼」・宗旦稲荷社・弁天社・鬼瓦様々 )

 さて、前書きが長くなったので本筋に戻る。「あとがき」によると、月刊誌の連載にあたり、「枚数は一篇につき四百字詰原稿用紙20枚」という制約で「一つのテーマに基づいた作品を書く」という連載だったそうだ。「茶湯に関わる話」という設定の枠で何を描き出すか? 「特殊な茶道誌という関係から、血腥い話はタブー」という制約のもとで、短編のモチーフ設定することが必要だったという。枚数制限、題材選択の制約の中で、創作されたのがこの短編集といえる。著者はタブーにより創作上の「苦労を強いられた」ということと、枚数の制約の中で作品を書くことを「スリリングで好きだ」と気している。
 一読者としては、短編であることでまず取っつきやすく、ストレートな本道主体のストーリー展開なので一作ずつを短時間に読むことができる。茶湯という対象(山)に対して、それに関わる人間の立場・観点(登り口)が様々であり、そのアプローチを楽しめる。そのあたりが、一気に読ませてしまった根底にあるのだろう。読みやすい文体であるのもよい。各篇の印象を少し述べておきたい。

<蓬莱の雪>

 京都・五条大橋近く、伏見街道の1本東の通りの鞘町で小さなうどん屋を営む弥助が登場人物の一人。やきもので知られる五条坂に近いのに、欠けた丼鉢を使っている。ただし、うどんの具を多く汁の旨さを保つのが信条。うどん代の付けが多く、資金回転がうまく行かない。薪炭の支払いにも滞る状態。そんなうどん屋の前に道服姿の男が現れる。弥助は温かいうどんを一杯その男にご馳走する。銭を持たないと男は言うが、弥助は気にしない。男は代金代わりに竹筒に入った掛幅(茶掛け)を預けておくといい置いていく。
 薪炭代金支払いの遅滞の督促に来た伊勢屋新兵衛は、借金の形にその掛幅を強引に預かると言って持ち出していく。
 人間の連環のおもしろさと、人間としての心の余裕の有り様がモチーフになっている。雪村の茶掛けを目付と思い、床に掛けて茶でもいたし心にゆとりを持てと諭すのがおもしろい落ちである。

<幾世の椿>

 竹田街道の東九条村の甚助の家の庭には代々伝わる白椿の木がある。番頭風の男が、桟格子の窓から覗き込んでいた。それを甚助と息子の国松が見咎める。桟格子の内側では、姉のお蕗が竃に火吹き竹でくすぶりつづける枯れ葉に息を吹きつけていたのである。
白椿を眺めていた男は、四条室町の夷屋の助番頭だと名乗る。東九条村の九品寺の和尚を初釜に招くために、店の旦那様の使いで来て、白椿を目に止め、見とれていたという。できればその一枝を初釜の床飾りにいただきたいと言う。甚助はそれを断る。
 だが、それが奇しき宿世の縁を知る契機となる。
 守り甲斐のあった先祖の遺命と、茶湯の席の恩返しという結末が心温まる一篇となっている。

<御嶽の茶碗>

 著者は「あとがき」で、この短編の「最後の部分を二行ほど改稿した」と記す。それは上記の連載の折には制約があったからだという。確かに単行本では血腥い結末にまとめられている。連載ではどういう結末にされていたのか・・・・気になるところである。
 茶湯数寄の久左衛門は、お納戸役道具方という役割を担い、茶道具や画幅の目利きでは家中随一と表される。彼はあるとき偶然城下の老婆と猫が居る荒屋で薄汚れた茶碗に目をとめた。それが不幸の始まりとなる。
 この短編、血腥いエンディングだからこそ、主人公九左衛門の心の変転が鮮やかになっていると思う。
 
<地蔵堂茶水>

 京の高倉錦小路上ルで小間物問屋を営む菊屋。今は隠居身分になったお貞は、商いが軌道に乗ったころから、毎年、慣例としていることがあった。それは、3月6日、鴨川の源流、大原郷の地蔵堂の傍の高野川から、正午きっかりの時刻に汲んだ水で一服茶を点て、服するという行為だった。その水汲みを代々、店の小僧が行ってきていた。小僧の民之助がその役を担う。理由が分からないままの水汲み仕事。水を汲んでの帰路にハプニングが起こる。それに対して、民之助が取った行動が、お貞に理由を語らせる契機となる。
 一服の茶を点て服する行為の背景にあるその意義づけが興味深い。懺悔と感謝、初心を忘れない生き様、誠実さ。お貞の心が民之助の一途な誠実さに共鳴する。

<戦国残照>

 本能寺の変の後、明智光秀軍と高松から大返ししてきた羽柴秀吉軍が山崎で合戦をしたのは天正10年(1582)である。この年、秀吉は山の麓の禅刹妙喜庵に、利休に命じて茶室を作らせた。茶室の名は「待庵」。この時、千利休は縦の二尺六寸一分、横二尺三寸六分という大きさの躙口を創意したという。待庵の茶室の創意の一つが荒壁仕立てである。この荒壁にする壁土踏みの作業に二人の子供を厳選して京から来ている棟梁が傭ったという。
 その子供の一人が広瀬村の吉十郎だった。吉十郎19歳の折、18歳の小夜と祝言をする。吉十郎は待庵の壁土踏みをしたことを誇りに思い、いつしか上手に茶筅を振るい茶を点て人に振る舞うようになっていた。二人には待望の子が授かり、姑を喜ばせることができ、源太と名付ける。しかし、秀吉の死後であるが、豊臣贔屓の吉十郎は、一度だけ足軽になり、西軍の付いて行くと出かけて行く。それが人生の分かれ目となる。待庵に関わりをもった一人の村の子供・吉十郎と小夜の人生が語られる。
 お守り袋と茶にまつわる話としおもしろい短編となっている。「待庵」についてのエピソード話にもなっていて興味深い。

<壺中の天居>

 約十年に及ぶ応仁の乱は洛中をほぼ焦土と化して、文明9年(1477)、畠山義就の河内向下で幕を閉じる。そして、下克上の戦国時代に履いていく。洛中には家が徐々に再建されていく。これは手伝い大工・弥吉の目にした東洞院通りの町屋の普請話である。
 髪をざんばらにした道服姿の初老の男が普請の指図をしていたという。間口三間ほどのうなぎの寝所と呼ばれるものなのだが、その新建の町屋は出色の出来だった。三軒の町屋に共通するのは壺庭が造られている点である。その庭を珠光が見に行き、感服したという。
 程なく弥吉は道服姿の人物を見かけ、後を付けてみるのだが・・・・・。
 鴨川の傍まで付けて行ったときに、不可思議なことが起こるという短編。坪庭の坪は壺に通じるという。中国の壺中天地の故事とリンクさせていくのがおもしろい。

<大盗の籠>

 東海道筋を長年荒しまわっていた大盗賊日本左衛門の腹心第一と評された中村左膳とふとしたことで関わりを持った籠屋の六蔵の話である。梶井宮門跡の近習として仕える森田宗佑と称する公家侍が、上京・五辻通りの軒下で、お店奉公の小僧の草履の前緒が切れているのを好意で、少し難儀しつつ結び直してやる。それを籠屋の六蔵が籠を編む手を休めふと目撃した。草履の前緒を直し終わり、小僧が礼を言いその場を去ると、六蔵が公家侍に近づき、店に立ち寄るように声をかける。そこから二人の交流が始まる。
 森田宗佑は、六蔵の父が編んだ魚籠(びく)を花入にして六蔵が使っているのを目に止める。宗佑は、六蔵に千利休の数寄道具の一つの話を語る。そして、数日後に宗佑は小ぶりな画幅を持参し、六蔵に預けていく。その絵には大きな把手の付いた籠花入が描き込まれていた。六蔵はその絵を見て、竹で籠花入を作りあげる。それが評判になる。
 その後、森田宗佑が中村左膳と判明し、左膳は江戸送りとなるのだが、六蔵は西町奉行の総与力が頼まれ事を受ける羽目になる。
 この話、史実をうまく取り入れた短編小説で、さまざまな事実情報が凝縮されて書き込まれていて興味をそそられる。日本左衛門、中村左膳は実在した盗賊。
 短編の末尾は「中村左膳は『宗旦伝授聞書』まで読んでいたのであった」の一文で締めくくられている。

<宗旦狐>

 この短編は著者が独自に創作された話である。「あとがき」に著者はこう記している。「わたしが作り上げた宗旦狐の話が、やがて歳月が経ったとき、かれ(=宗旦:注記)の逸話の一つに数え入れられたら幸いだと思っている」と。
 このフィクション、さりげなく江戸時代の伝承として語っても十分面白いと思う。逸話のひとつになったら都市伝説として楽しいと思う。ちょっと本を寝かしすぎた!もっと早く楽しんでいれば良かった・・・・と思う次第。筆に絡んで筆屋太左衛門と宗旦狐との間での駆け引き・化かし合いのお話とだけ述べておこう。
 
 宗旦狐の伝承はこういうものである。駒札にも触れられていたと思う。ここでは別のソースから引用する。
「相国寺境内に一匹の古狐が雲水に化けて住んでいたところ、千利休の孫宗旦が茶会を開くにあたり、狐が宗旦に化け見事なお点前を見せたという。また、門前の豆腐屋の破産を神通力で助けるなどしたことから、人々から宗旦狐と呼ばれ、開運の神として信仰を得て、稲荷として祀られた。」(『京都・観光文化検定試験 公式テキストブック』 監修・森谷尅久 京都商工会議所編 淡交社 p238)

<中秋十五日>

 中川安左衛門は篠山藩・青山家譜代衆の一人で、今では郡奉行所の上席である。彼は山根太郎助とは幼馴染みであり、5年前までは刎頸の友としての親交を重ねる間柄だった。太郎助の祖父は、お国替えで青山家が国入りする折に茶を点てて献上したことで、殿様から秋月等観(しゅうげつとうかん)の「月夜山水図」を頂戴したのである。そのとき祖母は殿様からの頂き物の名幅では売り払うこともできないとこぼしたという。しかし、山根家では、中秋の茶会を開くときにはその名幅を掛けて行う慣例となったのだ。安左衛門は招かれるといつも上席に坐らされる仲だったのだ。それが5年前にぱったりと往き来が絶える事態になった。安左衛門には全く思い当たる原因がない。山根太郎助は中秋の茶会をその後も続けているのである。安左衛門は中秋の茶会を夢にまで見る。
 安左衛門の嫡男・清一郎は当代青山忠講(ただつぐ)の近習として江戸詰めであるが、主君とともに帰国していた。孫の清一郎が戻っている折から、祖母は中秋の月見の宴をすることにした。そして、祖母は月見の宴にふさわしい画幅を思い出して、床の間に掛けたのである。不審に思った安左衛門は母からある経緯を聞く。その理由が判明したことから思わぬめ事態となるが、めでたい結末を迎えるというエピソード。
 一幅の茶掛けがもたらす人間関係の機微がさらりと描き出されている。清一郎の行動と決断が読ませどころとなる。

<短日の霜>

 松江藩士岩淵右衛門七(えもしち)と妻のお岩は、父十左衛門の仇討ちのため、二十年も前に国許を出て、諸国をめぐり歩き、仇の所在がつかめないまま、今は京の「本阿弥辻子」も称される町の裏店に住む。右衛門七は心臓を病み、寝たり起きたりの生活。父は仲の良い朋輩だった北山次郎兵衛との間で碁石一つのことで刃傷沙汰となり斬られたのである。
 長屋の女たちに何かと親切にされつつ、お岩は呉服屋の枡屋から委された縫い仕事で暮らしをまかなっていた。そのお岩は自分のために、茶碗の仕覆(しふく)を縫い上げていた。それが反物を長屋にとどけにきた番頭の重兵衛が偶然目に止めた。それが縁で、大坂の茶道具商・分銅屋善左衛門が仕覆を仕立てられる職人に死なれて困っているということへの口利きを受けることになる。まず、古瀬戸の茶入れの仕覆を金剛金襴といわれる名物裂で仕立てる仕事が、お岩に依頼されてくる。その後も年に数回、仕覆を仕立てる仕事がもたらされる。
 その仕覆が、不思議な縁で北山次郎兵衛に繋がって行くというストーリーである。仕覆が仇討ち話を結末に導くことになる。茶道具の脇役である仕覆がストーリーを展開する仕掛けになるところがおもしろい。
 そういえば、茶道に関連した展覧会で、名物裂で仕立てられた仕覆自体が展示品となっているのを時折目にする。

<愛宕の剣>

 宇治茶商の一家、上林牛加家の奉公人で、宇治茶の栽培に携わる甚兵衛とその娘和哥にまつわる話である。甚兵衛はお屋形の指図で、愛宕山の威徳院さまにお茶壺をいただきにいくという役目に加わるようにと手代の菊田伊徳から告げられる。お茶壺役に加わる臨時の仕事で畑仕事が遅れるのが気になることに加えて、一緒に従う和哥には、嫌なことがあったのだ。それは宗家味卜家の御茶壺役に気をつかう必要のある事の他に、味卜家に奉公する女癖が悪く評判の良くない安蔵が、和哥に目をつけていて、山道を登る和哥が遅れ気味になると、和哥の尻を触るというふざけをするのである。安蔵に恥をかかせて怨まれるのも嫌だし、宗家や他の御茶壺役衆の手前もあり、今までは我慢をしてきたのである。
 だが、お屋形さまからの指図に従い、この臨時の任務につくことになる。今回の役目でも、道中で安蔵がちょっかいを出してくる事態に・・・・。だが、和哥が「蒼白だった顔をぱっとほころばせた」という結末に至り、ほっとさせる短編である。
 この短編、茶所宇治の歴史と上林家について、その概要を書き込んでいるところが、初歩の茶人向けとしては、茶道誌の中で楽しみながら学べる短編となったのではないかと思う。長年宇治に住む私にとっても、学ぶことがいろいろある。その副産物がうれしい。

<師走の書状>

 十年ほど前までは、四条東洞院近くで扇商「信貴屋」の店を構え、三代目の遣り手として同業者からは恐れられ、事実とは異なる悪い噂や評判に晒された六左衛門が主人公である。その六兵衛がある事件から零落し、上京・御所八幡町の裏長屋住まいとなり、今は病の床につく境遇である。
 この短編は、六兵衛の全盛の頃の同業仲間の実態や何故零落する羽目になったかを明らかにしていく。14歳になる娘のお志穂は先斗町遊郭の茜屋に奉公し、10歳の弟、雅之助はろうそく屋の小僧奉公をしている状態である。病床の父の枕屏風の表紙が大きく破れて剥がれた状態になっている。
 そんな陋屋に昔、信貴屋の手代をしていた佐吉が用があって奈良から京に出て来て、立ち寄ったのである。彼がその破れて剥がれた枕屏風をふと目にしたことが、師走に吉を呼び込む契機になるというストーリーである。
 同業者間の人間関係の機微、人が何を捉えて人物評価するかという局面などを扱うと共に、「猫に小判」の逆バージョン的な面白さの視点を取り込んでいるのが興味深いところである。知が武器になるという結末がおもしろい。

<仲冬の月>

 この短編が冒頭に記したが、連載短編とは初出が異なる。ページ数も35ページと連載短編の二倍を上回る短編小説である。利休七哲の一人「瀬田掃部」が主人公に取り上げられている。
 利休七哲という言葉と該当する数名の名前は知っていても、その域を出ない。ここに取り上げられた瀬田掃部がその一人とは知らなかった。そういう意味でも興味を持って読めた。著者は瀬田掃部の素性はほとんどわかっていないと言う。近江の「瀬田」を本貫とする武士で、関白秀次の事件に連座して死刑に処せられたことが、多くの茶書で共通するくらいだという。
 それ故に、著者は少ない史実を織り込んで、瀬田掃部という人物の一側面を鮮明に描く創作意欲をそそられたのではないかと思う。著者は瀬田掃部が北条氏家臣だったという古伝の立場をとりストーリーを紡ぎ出していく。
 冒頭は、瀬田掃部が前年に預けられた西山の地の手入れを怠っている竹藪から、掃部に長年つき従う長吉に指示して、3本の孟宗竹を選び切り出させる場面から始まる。そして、小田原陣中の日々に回想が及んでいく。その回想は千利休が伊豆韮山の竹で花筒を拵えたことに繋がる。
 3本の孟宗竹の根元を用い、掃部が一重切れの花入れを三つつくるという作業の過程と掃部の回想がない交ぜになってストーリーが進む。関白秀次の自刃の背景、更に遡り、掃部が北条早雲の第三子である幻庵(=長綱)に仕えていた頃の話、その後の諸国遍歴の一端など。そして、千利休が聚楽第の屋敷で自刃させられたとき、屋敷の警護を瀬田掃部が石田治部少輔に命じられたが、それを断ったことで上杉景勝にその役が回された描いている。この辺りは著者の創作なのか、史実を踏まえているのだろうか。
 そして、最後に著者の瀬田掃部像が描き出されていく。
 著者は瀬田掃部が死刑に処せられたという通説を捨て、太閤秀吉の俗権に対して、自ら見切りをつけ、行方をくらませるという選択をしたと描き出していく。なるほどと感じさせるうまいまとめ方である。

 著者は掃部にこう語らせている。「利休さまが唱えられている茶湯は、宿業をそなえた人間がいかに生きていくかを、それでしめしたものじゃと解している。しかし、茶湯を行うにしても、はっきりした考えをもっておられるお人は少なかろう。ほとんどが俗世への格好だけじゃ」と。その後に続く地の文では、「千利休の唱えた佗び茶の精神は、美的価値の転換をいい、受け取り方を誤れば、人間にとってきわめて危険なものをふくみ、欺瞞となり得る要素を濃く持っていた」と記す。
 そして、掃部自身の茶の湯への考えは、「具体的にはわしは緊張を解きほぐすため茶湯を行っている。・・・・閑寂のなかで、一碗の茶を喫して戦いに思いを馳せる。人間の生き方についても同じじゃ。わしの茶湯はそんなものよ」と語らせる。

 茶湯に関わる視点をさまざまに変えてアプローチしていて、面白くかつ興味深く読み終えた。
 
ご一読ありがとうございます。

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補遺
関心を抱いた項目を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
范寬 「谿山行旅図」 :「國立故宮博物院」
雪村周継  :「MIHO MUSEUM」
妙喜庵待庵 :「山崎観光案内所」
妙喜庵 ホームページ
日本の建築技術の展開-18 の補足2・・・・妙喜庵 待庵の実測図
   下山眞司氏   :「建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える」
待庵  :「岩崎建築研究室」
日本左衛門 :ウィキペディア
白浪五人男 ← 青砥稿花紅彩画 :ウィキペディア
神沢杜口 :ウィキペディア
秋月等観 作家詳細情報 :「徳島県立近代美術館」
山水図 伝秋月等観筆 :「夜噺骨董談義」
瀬田掃部 :「コトバンク」
茶道についてのお話3,4,5  :「西尾市」

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『祈りの幕が下りる時』  東野圭吾   講談社文庫

2017-01-09 13:15:36 | レビュー
 刑事加賀恭一郎のシリーズはこれで完結するのだろうか・・・・。この作品の末尾近くで、松宮刑事が加賀宛てに頼まれた手紙を金森登紀子に託すために喫茶店で会った時に、本庁から練馬署に日本橋署にと異動していた加賀が、遂に警視庁の捜査一課に戻ることになったと語る。読者の一人としては、捜査一課に所属する加賀刑事のシリーズをいずれ続けて欲しいなと思うのだが。

 さて、この作品は加賀恭一郎と両親の過去の関係についての謎が明らかとなり、加賀の過去の人生、加賀家の影の部分が解明されることで、一区切りがつき、納め所となるのは事実である。私がこのシリーズで副次的に知りたかったことはスッキリと全体構図がわかってある意味で満足している。
 本書は2013年9月に単行本で出版され、2016年9月に文庫化された。2014年に、吉川英治文学賞受賞作となっている。私は2014年時点で著者の名前は新聞広告で知っていたが、関心の対象が違ったので、受賞作となっていることも意識になかった。
 今回、このシリーズを読み継いできて、なるほどこの作品が受賞するのもうなずける。
 加賀の母・百合子の人生に関わる事実が、日本橋署管内で発生した殺人事件と深い関わりを帯びていくという構想が巧妙にストーリーとして構造化されている。あたかも玉葱の皮を一枚ずつ剥いていくかのごとく、一つの事実の裏に別の事実が隠されていて、新たにそれを追及すると別の事実との関わりから、また一枚裏の事実が見えて来るという・・・・。玉葱は剥けばバラバラになるだけだが、このストーリーの展開では、哀しい事実が幾層にも複雑に絡んでいく。その闇の構造が見え始めると、そこにいくつかの家族の問題が絡み合っているという構図になる。この構図の伏線がかなり巧妙に張られていて、加賀の過去の時点でのある行動が、実はこのストーリーに結びついていたというおもしろい仕掛けも組み込まれている。このストーリーの一つの特徴は、時間軸の長さにある。主な登場人物のほぼ半生の人生史がすべて関係してくる。
 もし、殺人事件の被害者が、幼馴染みの演出家を訪ねていても、明治座での初日の芝居を見るという選択をしていなければ、この小説は存在しないということになる。一つの偶然が、過去の事実の隠蔽のために殺人事件を必然化することになっていく。その結果、全てが暴き出されていくという興味深いストーリー展開に仕上がっている。

 ストーリーの冒頭は、家を出た恭一郎の母・田島百合子が仙台に住みつき『セブン』というスナックで働くようになった時点のことを、その店の経営者宮本康代が回想するシーンから始まる。このストーリーの核になる殺人事件からは26年以上前の事実からスタートする。百合子は仙台に住みつき16年目に体調を崩した後、心不全で亡くなる。宮本康代がそれを発見する。康代は百合子の家族のことは一切知らない。仙台で百合子はある時点から綿部俊一と交際していた。康代は百合子の遺品から綿部の電話番号を手がかりに、連絡を取る。綿部は事情があり仙台には行けないがと言って、加賀恭一郎の連絡先を調べたと康代に連絡をしてくる。康代の連絡を受けて、恭一郎は仙台に赴き、母の住んでいたアパートの1Kの部屋の整理をし、遺骨を受けとることになる。綿部のことについて恭一郎に尋ねられると、康代は顔を見知ってはいるが綿部自身については何も知らないこと、ただ百合子の口から、綿部が東京の日本橋に行くことがあったということを聞いたとだけ告げる。この後、10年以上の歳月が流れる。宮本康代は、東日本大震災と原発事故の後、店を閉じ引退していた。
 その宮本康代に、加賀は松宮とともに再会しなければならない事態になっていく。
 
 ことの発端は、3月30日に葛飾区小菅にあるアパートの越川睦夫の部屋の下、1階に住む住人が天井から異臭のする液体が滴ってくると管理人に告げたことから始まる。部屋から女性の腐乱死体が発見される。住人の越川睦夫は姿を消していた。妹の捜査願いを出していた兄夫婦が警察署から連絡を受け、東京に身元確認をするため、妹の髪の毛のついたブラシその他を持参した。捜査の結果、指紋照合とDNA鑑定の結果も踏まえ、被害者は押谷道子と判明する。
 兄の話から、押谷道子が滋賀県にあるハウスクリーニングの会社に勤めていて、3月8日(金)の通常勤務を終え、11日からは欠勤していたこと、週末にちょっと贅沢しようかなと本人が同僚に語っていたと言うことがわかる。何らかの理由で東京に出て来ていた時に事件に遭遇したのだ。

 そのころ、3月12日の深夜に新小岩の河川敷に作られたテント小屋が焼け、ホームレスの焼死体が発見された。行政解剖の結果首を絞めて殺されていたという事実がわかる。殺人事件が発生していたのだ。捜査に携わる松宮は2つの事件の発生場所が荒川の近くであり、約5キロの距離なので、関連がないかと問題提起する。

 松宮は坂上刑事と彦根に赴き、押谷道子の勤務先及び関係先で上京前の行動の後付けの聞き込み捜査から始めて行く。押谷道子の仕事上の関係先の施設「有楽園」で一つの情報を入手する。一時預かりとなっている厄介な女性がその施設に居た。押谷道子が彼女を目にしたとき、その女性がアサイヒロミの母ではないかと訊いていたという。その女は人違いだと拒否する。松宮に応対した女性は、押谷がアサイヒロミさんは東京で芝居の仕事をしているということを言っていたという。その問題の女性に面談した松宮は、アサイという名と押谷道子の死を話したときに、女の反応に気づく。捜査の糸口となる感触を得る。
 そして、ネット検索により、演出家で脚本家そして女優「角倉博美、本名浅居博美、出身地滋賀県」という人物が浮かび上がってくる。
 角倉博美演出の芝居『異聞・曾根﨑心中』が明治座で上演中だということがわかる。
 殺人事件との関係は不明だが、押谷道子が東京に出かけた契機が見え始める。

 加賀が日本橋署に赴任して間もなくの頃、加賀の剣道の経歴を知った署長から、日本橋署主催の少年剣道教室の講師を頼まれ、加賀は仕方なく引き受けたことがあった。そのとき、芝居の関係で子役に急遽剣道を習わせたいとして、演出家の角倉博美が付き添ってきたことがあり、加賀は一度角倉博美に会っていたのである。

 さらに、松宮が2つの事件の関連性を指摘したおり、扼殺の可能性のある焼死体のDNA鑑定で一旦無関係という結果が出ていた。しかし、加賀が、警察がDNA鑑定に選びそうなものを別人のものとすり替えておいた可能性を指摘する。そのことから、別のDNA鑑定が行われ、焼死体がアパートの住人である越川睦夫と判明する。
 また、捜査に関わる会話で、越川の部屋にあったカレンダーに、常盤橋とか日本橋という名称の書き込みがあったことが話題になる。加賀がそのことに異常に反応したのだった。加賀には引っかかることがあった。
 加賀の母、亡き百合子に関わる私的な事情と現在捜査中の事件に、なぜか接点が出て来たのである。捜査は紆余曲折を経ながらも、加賀からの私的資料の提供もあり、捜査の進展に速度が加わっていく。

 この小説のおもしろいところは、無関係に見える事象に接点が見え始め、それが網の目の如く相互に繋がっていくところである。そして、表面的に整合しているかに見えた事象に、さりげなく修正され隠蔽された陰の部分があること。それの部分を加賀が掘り下げていくアプローチの仕方にある。普通なら気づきにくい部分に切り口を発見し着実に掘り下げていく。そして、地方紙に載った事件に鋭く光を投げかけていき、裏付け捜査を行っていく。
 その先に、誰もが考えなかったカラクリが事件の捜査を複雑にする要因となっていた事実が姿を現してくる。
 捜査は物証がモノを言う世界である。加賀が着実に動かぬ証拠を積み上げていくプロセスが興味深い。加えて、DNA鑑定というものが重要な要因となっていく。さまざまなフェーズで、違うアプローチによる資料に基づくDNA鑑定が組み込まれていく興味深さがある。
 フィクションとしてのこのストーリーの構築は緻密である。

 この小説をうまく成立させている要素の一つは、各地の原子力発電所を渡り歩く原発作業員の存在を組み込んだところにある。それも、原発作業員の一局面にある雇用構造の陰の部分を巧みに織り込んでいる。あくまでフィクションとしての組み込みであるが、そこにはなぜかリアリティを感じる局面がある。折々に読んできた原発関連ルポルタージュとダブらせて想像できる部分があるからかもしれない。あくまで推測にすぎないけれど・・・・。

 「祈りの幕が下りる時」という本書のタイトルについて、ここが直接の由来かと言える箇所は、私の読んだ限りではなかったと思う。
 「幕が下りる時」という直接的関連で言えば、角倉博美、即ち浅居博美が演出した明治座での『異聞・曾根﨑心中』が、無事に千秋楽を迎えることになる。浅居博美にとり、演出した芝居が大成功で幕が下りることを祈っていたのは間違いはない。そういう意味では、演出家浅居博美にとって芝居の幕は無事に下りた。
 加賀にとっても母・百合子の哀しい人生をしっかりと受け止めたいという祈りの思いについては、思わぬところから現実に発生した殺人事件を契機に、見えなかった事実の側面が明らかになって行く。そしてそれは、加賀の母の人生に対する気持ちの一線を引き、幕を下ろす時でもある。

 加賀がある人に問いかける言葉をご紹介しておこう。
 「つい最近、知り合いの看護婦からこんな話を聞きました。死を間近にした人がいったそうです。子供たちの今後の人生をあの世から眺められると思うと楽しくて仕方がない。そのためには肉体なんか失ってもいいと。親は子供のためなら自分の存在を消せるようです。それについて、どう思われますか」(p321)
 ここには、親の視点に立った「祈り」に関わる局面がある。

 事件の早期解決を目指し、捜査に取り組む警察官にとって、事件が解決するのは「祈りの幕が下りる時」でもある。

 この加賀恭一郎シリーズがこの作品で完結と考えるならば、シリーズが好評の内に幕を下ろすというのは、著者の願うところだろう。この作品は、執筆者にとっても、「祈りの幕が下りる時」である。受賞作として幕が下りたのは喜ばしいことだ。

 このタイトルには実にさまざまな意味合いが重層しているように私は思う。

 加賀恭一郎シリーズの幕を下ろしてはほしくはないのだが・・・・・。

 ご一読ありがとうございます。

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ふと手に取った作品から私の読書領域の対象に加わってきました。
次の本をまずは読み継いできました。お読みいただけるとうれしいです。
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社


『絶滅寸前季語辞典』 絶滅寸前季語保存委員会 夏井いつき・編  東京堂出版

2017-01-04 10:45:34 | レビュー
 著者の『超辛口先生の赤ペン俳句教室』(朝日出版社)を読んだときに、その奥書で本書が出版されていることを知った。まずそのタイトルに興味をいだき読んでみることにした。
 本書は、著者の本拠地である松山から発信されている俳句新聞『子規新報』(創風社出版)の連載記事をベースに出版された「読み物辞典」という位置づけである。ネット検索してみると、「創風社出版の定期刊行物」というページに、月刊俳句新聞『子規新報』のバックナンバー目次が載っていて、2017年1月3日時点でNo.60までの目次が参照できる。その目次には、「絶滅寸前季語保存委員会 No.25『硯洗』(夏井いつき)」という項目がある。この「硯洗」という季語は本書に収録されていた。
 本書の奥書を見ると、2001年8月に初版が発行されている。連載記事とこの出版時点との関連が今ひとつわからない。
 まあ、それはさておき、「まえがき」にこの『子規新報』の編集委員でもある著者が新連載を考えていてちょっとした思いつきでこの紙面活動が始まったという。「重箱の隅をつつくように歳時記をちまちま読んでいくような連載なら、何年続けても楽しいよな」と。それが、多くの人が聞いたことも見たこともないような、絶滅寸前と思える季語をまな板の上に乗せて、現代に生きる俳人の目でともかく詠んでみようというチャレンジ精神、まあ、ある意味での遊び心から始まったようだ。「ひょっとすると、古い革衣に新しい酒を注ぐような俳句が飛び出さないとも限らない」という思いが根底にあったと記している。。

 この本の面白いのは、「まえがき」にあるとおり、辞典スタイルでの読み物になっている点だろう。「辞典」がもつ客観中立的な事実の記述という枠を逸脱して、読ませるということに踏み込んでいる。なにせ、絶滅寸前の季語を、サバイバルさせるために、なんとか読ませようとする意欲と努力が例句を採り上げる説明本文の中に溢れている。そして説明文記述の文体に、いわば「いつき」節がどんどん挿入されている。それが一般読者には読み進めさせるプラス要因になっていると思う。

 たとえば、こんな表現スタイルが続々と登場するのだから、楽しい読み物である。

☆恋人のために死ぬのは美しいのだという主張を、百歩譲って認めたとしても、花摘んでて溺死しましたでは、いくら何でもカッコつかないだろうに。 p12
☆今、なんだか、とてつもなく恐ろしいことに取り組み始めたのではないかという不安に襲われているワタクシである。 p13
☆そんなのは大間違いのコンコンチキだ。季語のことをすべて勉強なんかしてたら、俳句を作り始める前に、寿命が尽きちゃってるに違いない。なにも知らなくても、俳人面してこんな辞典書いているヤツもいるんだから、さあ自信をもって、最初の一句、書いてみまょうよ。 p44
☆うわー、なんじゃこりゃ。  p45
☆ここらで一句といくか。 p49
☆そ、そんなふうに読んじゃあ、まるで明治時代の少年雑誌の人気ヒーローではないか。嗚呼、額田王・・・・を、を、を、涙。 p58
☆と興奮して、思わず悪態をついてしまった自分を、今、深く恥じた。前言は、サルの人権(?)をあまりにも軽んじたものであった。サルだって一生懸命生きている。サルにはサルの誇りがある。サルに、深く陳謝したい。 p71
☆作品としての善し悪しはともかく(失礼!ぺこり)、お気持ちだけは非常によく分かる。是非とも、我が委員会に参加していただきたい逸材である。 p81
☆したり顔のクイズを出してきたりするのじゃ。 p216
☆ならば、句またがり(略)にして、取り合わせ(略)に持っていけばよいじゃないかのおォ・・・と言ってみるのは簡単だが、やってみるのは大変じゃ。 p219

 探し出すとおもしろい。この辺でピックアップするのをやめておこう。こんな書きぶりの挿入が読ませやすくしているのは事実である。正調派で解説が書かれていれば、絶滅寸前ではなくて、真っ先に絶滅してしまうかもしれない。なんせ、絶滅寸前季語と称されるたぶんほとんどの一般読者が知らない季語を扱うのだから。

 次に、「読み物」という意味で楽しいのは、絶滅寸前季語に対しての著者の感想がストレートに述べられている点にある。季語の意味を誤解していたものについては、その事実となぜかという部分を書き込んでいる。また季語には歴史や文化・風習などの背景、時代背景がある。著者の生まれ育った故郷と生活体験からの思いを季語の背景に投影し、季語の意味、イメージを広げて行く。つまり、著者が己の人生との接点を率直に語っている。夏井いつきという人物の人生エピソード語りの側面を持つ。己の体験、感情、感性を投影して季語や例句を語るとすれば、当然そうならざるを得ない。だから、逆に著者についてのプロファイリングの素材が沢山散りばめられていることにもなる。テレビで俳句の講評をする人物に親しみが湧くという次第だ。
 たとえば、己の人生を引き合いに出す例としてこんな記述があり、楽しい。伝馬船を漕いだり、鯛を釣ることを子供のころに馴染んでいた人なんだ(p16)・・・、『枕草子』が大好きで、大学では中世のゼミを選んだ(p78)・・・ナルホド、二歳年下の「千津」という妹さんがいるのか(p125)、「料理の才能というものがなく、あるのは愛情のみで台所仕事を乗り切ってきたワタシ」(p219)と自己評価しているんだ、といった具合に・・・である。
 また、季語の意味についての著者自身の誤解例には、たとえば、こんな記述がある。「なんとまたまた、私のコンコンチキな大間違いが発覚。」(p85)、「てっきりこの『菖蒲の枕』という季語は、枕を使った巨大押し花のようなものだと思い込んでいたアッパレな私であった」(p86)と言う具合に、人間味溢れた独白である。俳句のプロも知らないことは数多いんだとわかって、親しみが湧くではないか。

 さて、絶滅寸前季語の本題に入ろう。春の冒頭から、「藍微塵」「愛林日」「青き踏む」と立て続けに、???の季語。これらは今までに読んだ俳句で使われているのを見たことがない。この言葉を聞いたこと、これらの言葉に接したことがないワタシ。
 本書は、辞典として、読み方、季節、項目分類を記し、いわゆる辞書としての簡明な[解説]が数行以内で記されている。その後に、上記の語り口スタイルを混ぜた本文説明と例句が掲載されている。前半がまさに辞書であり、後半がいわゆる読み物として楽しめる中で絶滅寸前季語の理解に軟着陸できるということになる。
 時代環境・社会の背景や、「七十二侯」「二十四節季」などというかつての時代の人々が日常生活の拠り所としたような季節の目安になった語彙などになじめることにもなる。季語を手段として、日本人の日常生活史を垣間見ることになるのは興味深い。
 判じ物のような感覚で季語に触れ、本文を読み、いろいろなことを知り、日本人の生活史の全く知らなかった側面を学び、ときには、そう言えば子供の頃にこの季語に相当することが身近にあったな・・・と記憶を呼び戻すひとときにもなった。そういう意味でも楽しめる。

 判じ物ともいえる季語をいくつか挙げてみよう。季節に関連する事項と動植物に絞って抽出し例示する。私の知識には皆無の代物である。私と同様に、これらの季語にピンとくるものがないなら、まずは本書を開いてみて欲しい。目次には季語が季節分類でズラリと一覧になっている。また、末尾には「季語索引」として季語が五十音順に配列されている。さて、如何?
[季節に関連する事項]
  晴明、養花天、安達太郎、温風、薬降る、三伏、虎が雨、芒種、色無き風、虎落笛
[動植物]
 麝香連理草、七変化、死人花、貌鳥、妹背鳥、穀象、稲負鳥、一丁潜り

 さらに、五・七・五というわずか十七文字の俳句に対し、だれが考えたのか? これが季語! と言うものまでこの「辞典」には収録されている。こんな季語たちである。
   獺魚を祭る、田鼠化して?となる、龍天に登る、蒼朮を焼く、腐草蛍となる、
   雀大海に入り蛤となる 童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日  (ウズラ 如の下に鳥と書く)
なんとまあ・・・と、ビックリである。さらりとこれらの季語を読むことすらおぼつかない・・・・嗚呼!

 と、こんな具合で、絶滅寸前季語、興味津々、というところとなる。

 一方で、絶滅寸前季語保存委員会委員長である著者は、ちゃんとした問題意識を基盤にしている点も、きっちり書き込んでいる。著者の主張のいくつかを引用しておこう。
*「本書が季語辞典の性格を持つものである以上、例句は必ず載せるべきべきであるというのが私の信念。」 p13
  ⇒ そのため、一句も例句がないと、著者が土壇場で一句ヒネりだすのである。
*「時代の手触りを・・・詠み継ぎ、読み継いでゆくことの価値をしみじみと思う」 p47
*「俳句の世界の浄化作用とでもいうか、つまらない作品は心配しなくても自然に消えていく。絶滅寸前季語保存委員会のこの試みのなかから、ほんの一句でも生き残る作品が生まれたならば、この企画の存在意義は充分にあったと言えるに違いない。」 p119
*「一度でいいから俳句の国の扉を開けてごらんよ。私たちが、豊かな季語の森に住んでいることや、深い季語の海を泳いでいることが分かるはず。」 p216
*「季語の絶滅度は。それがこの世に存在しているかどうかで決まるわけではない。さまざまな想像を呼び起こしてくれる空想的季語は、いろいろな俳人の脳裏にさまざまなドラマを現出させる。・・・得体の知れないものを得体の知れないものとして認める心が、さまざまな詩を創出するのだ。」 p253-254

 最後に、本書で著者が本文の中で言及している作句術の要点もご紹介しておきたい。絶滅寸前季語に向かって、句を作ることで季語の存続を語るのだから、活かす術として触れるのは当然のことだろう。
*「五文字分のオリジナリティ、五文字分のリアリティ」 p35-36
*五七五のリズムを整えよ。 p42
*「季語の副題とは、同じ対象物を違ったニュアンスで表現するために編み出した俳人の知恵だ。・・・・これら語感の違いは大きな武器となる。」それを使いこなす研鑽。 p46
*「あり得ない季語から、リアルな作品はいくらでも生まれる。・・・作品そのものが、どんなノンフィクションの感動を手渡してくれるか、それが文学にかかわる者の唯一の関心事なのだ。」 p73
*「季語自身にリアリティがない分、読み手の想像力が動き出しやすいような、チョーあるある感を演出できる何かを配するのがコツ。」 p100
*「有りそう」という発想と「あるある感」と呼ぶ臨場感の違いに気づくこと。p113
*季語の心情を武器として詠む。 p251

 そして、「人日」という季語-こんな季語、初めてここで遭遇!-の項で、著者は書く。「なんで季語がいるんですか」「なんで十七文字なんですか」「なんで五七五なんですか」というなぜ?に対し、「ひとまずはこんな一発解答をする。『これは、ルールなんだよ』って」(p298)と。勿論、その後に少し噛み砕いた説明が明瞭に記されている。俳句について、著者の立ち位置を明確に記している。その説明内容は、本書を開いて読んでみていただきたい。

 通読しても覚えられない。辞典なので、必要なら引くと言う形で、本書に戻ってみたいと思っている。

 ご一読ありがとうございます。

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補遺
本書からの関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
月刊俳句新聞『子規新報』⇒ 創風社出版の定期刊行物 :「創風社出版」
 
季語 :ウィキペディア
季語 :「コトバンク」
第 40 回  季語と俳句について  高尾秀四郎氏 :「俳句同人誌 あした」
とりあえず季語  矢本大雪氏  :「俳誌 小熊座」
一語詩としての季語 俳諧私論  :「神室院武蔵坊瑞泉」
季語と季感について :「俳句の視点」
これって季語?  :「とねりジュニア句会」


増殖する俳句歳時記 トップページ 清水哲男氏  
 2016年8月8日で終了したサイトですが1996.7.1~2016.8.8までの掲載データ
 俳句7,306件の検索ができます。
 本書の絶滅寸前季語がどれだけサバイバルしているか、試してみることもできて、興味深いです。それはあくまで清水氏の掲載された俳句という世界でのお試しです。例句情報としては有益かつ楽しめます。
 いくつかサンプリングで試してみたところ、次の季語の句が採録されていました。あくまで、思いつきでのわずかの数のサンプリングによるお試しで・・・・。
  練炭、湯婆、山椒魚、蝿叩、菊枕、埋火、闇汁、女正月、人日
上記に取り上げた冒頭の3季語の中では、「青き踏む」だけが複数例句採録されていました。


本書自体と直接の関係はないが、序でに・・・・。
100年俳句計画 ホームページ(有限会社マルコボ.コム)
   殿様ケンちゃんの超初心者のための俳句入門
夏井いつきの100年俳句日記

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徒然に、次の本を読み、印象記を載せています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『子規365日』 朝日新書
『超辛口先生の赤ペン俳句教室』 朝日出版社