遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『花や散るらん』 葉室 麟   文藝春秋

2013-02-27 10:47:24 | レビュー
 本書を数ページ読み進み、一種のデジャヴィ感を抱いた。なぜだろう・・・記憶を辿る。そうだ、と思い浮かび印象記を遡って見た。本書は『いのちなりけり』の主人公、雨宮蔵人と咲弥夫妻のその後の人生ということなのだ。前作とは全く独立したパート2と言える。

 さて、この作品のテーマは何か。私は、徳川家の大奥における女の確執が赤穂浪士の討ち入りという帰結に繋がって行くという視点と、そこに、様々な欲望、「しのぶ恋」及び「武士道における義」が絡み合い、交錯していく景色にあると感じた。
 本書は、元禄13年(1700)2月、鞍馬の山裾の村での小事件から始まり、元禄15年12月14日の討ち入りまでの話である。赤穂浪士忠臣蔵異聞ともいえる。なぜ、雨宮蔵人と咲弥が大石内蔵助に関連していくのか、そしてどうなるのか・・・・おもしろい仕上がりとなっている。

 この作品もまた、西行の歌と他数種の和歌が心情表白の軸となって構成されていく。ストーリーに風趣を加えている。著者のこの試みと想像力の羽ばたきを私は好む。

 蔵人と咲弥は2年前に鞍馬の村に住みつき、蔵人は角蔵流雨宮道場という看板をかかげ、一応柔術の道場を開いている。この時点で夫婦は香也という女の子を育てている。だが、実子ではない。蔵人の留守中に訪ねてきた武士夫婦が追っ手に刺殺され、その赤子を蔵人の合意により二人で育て始めたのだ。この香也がキーパーソンの一人になっていく。

 様々な欲望とは?
*徳川綱吉と母・桂昌院: 綱吉は生母桂昌院に生前に従一位の叙位を願う。
 桂昌院は京の八百屋の娘お玉として生まれたという出自。これが因となり朝廷側は生前の叙位を嫌う。何とかしてその要求を先送りしたいのが本音。
*吉良上野介: 桂昌院の従一位叙位の獲得のために徳川方交渉人として活躍する。
 速やかに叙位を得させれば、交渉人としての功績が認められ、栄達の道が広がる。
 そのための手段として、神尾与右衛門(上野介の家来)を京に送り込み、この人物を介して貧窮する公家に金を融通するという絡め手戦術をとる。
*尾形光琳: 京第一の評判の絵師だが、法橋の地位を得んがために、近衛家との関係から一役買う形になっていく。公家の借金問題に関わって行く。それがさらに展開する。
*柳沢保明: 綱吉の側用人。桂昌院の従一位叙位の獲得を推進する立場。速やかにできると、自らの栄達の糧になる。吉良上野介とは、ある意味ライバルであり協力関係でもある。保明は、公家の正親町権大納言実豊の娘・辯子(なかこ)を側室に迎える。辯子の母は元遊女だった。辯子は側室となったあと、町子と改名する。
*信子とお伝の方の確執
 信子は綱吉の正室。将軍御台所。京より江戸に下向した。鷹司左大臣教平の娘。
 お伝の方は、桂昌院付奥女中だったが、桂昌院の勧めで側室に。軽格の黒鍬者の娘。
 幕府は公家から来嫁の正室が将軍の子を産むことを好まない、正室とは名ばかりの存在でありつづける。一方、お伝の方は桂昌院の念願通り、将軍の子を産み、威勢を増す。
 信子は京から才色兼備の女性、水無瀬中納言氏信の娘、常磐井を呼び寄せる。この常磐井が右衛門佐と名のり、大奥差配のトップに立つ。信子の参謀として画策し、桂昌院・お伝の方への報復の企みの先鋒となる。そして、淺野長矩が勅使饗応役に任ぜられるということに波紋を広げて行くのだ。

 「しのぶ恋」がやはりこの作品においても底流をなす。
 一人は、洛北・円光寺で修行する禅僧、清源である。かつては肥前鍋島家に仕え、蔵人とは従兄弟の間柄であり、深町右京と名のっていた人物。この作品でも、要のところで登場する。彼のしのぶ恋の思いはかわらない。『いのちなりけり』にその経緯が出てくる。 もう一人は、羽倉斎。京、伏見の稲荷神社の神官の息子である。神道と歌学に親しみ、『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』などの古典を研究する人物。歌学を学ぶために、中院通茂の邸を訪れていたときに、蔵人と知り合う。なぜ、公家邸に蔵人が居たかは、『いのちなりけり』にある。盗賊対策の警護役として蔵人が一時期、中院邸に務めていたのだ。また、通茂は鍋島家の縁戚であった。咲弥の和歌の素養を知り、慈しむ。咲弥は通茂から和歌の薫陶を受けるという関係にあった。つまり、羽倉斎と雨宮夫妻を結びつける糸がここにある。斎は後に荷田春満と改名する人物だ。国学四大人の一人になる。
 この斎が、仁和寺で桜見物の時に、母親らしき人とナカ樣と呼ばれる少女を見かけ、その話を聞いてしまう。それと気づいたナカ樣が詠んだ歌から二人の出会いが始まる。
   花と聞く誰もさこそはうれしけれ思ひ沈めぬわが心かな
西行のこの歌を聞き、斎はとっさに西行の歌を返すのだ。
   風に散る花の行方は知らねども惜しむ心は身にとまりけり
このナカ樣と呼ばれた少女が、辯子であり、つまり町子なのだ。
斎と辯子の出会いは、わずかの期間で悲しみに変わる。辯子が柳沢保明の側室として江戸に立ったのだ。咲弥の問いに、斎は町子に伝えたい和歌をさりげなく口ずさむ。
   今ぞ知る思ひ出でよと契りしは忘れんとてのなさけなりけり
西行の歌である。この斎が右衛門佐に呼び寄せられ、江戸に出ることになる。そして、右衛門佐が町子に見せる短冊に記したこの和歌が、斎と町子が再び見える契機になる。町子は右衛門佐に、返しの和歌を託す。
   誰を待つ心の花の色ならむ立ち枝ゆかし軒の梅が枝
それは、大奥の確執に二人が巻き込まれていく始まりでもある。そしてさらに雨宮夫妻が関わりを深めていくことにもなる。

 「武士道の義」も、様々な立場の人々の行動の因となっていく。
*淺野内匠頭長矩: 町子を窓口にして、寛永寺貫主・公辯法親王と右衛門佐に会うことになる。そして、吉良の家臣神尾某を討ち、宸襟を安んじ奉れという指示を受ける。勅使饗応役に就く話も右衛門佐から出てくる。師山鹿素行から朝廷尊崇の薫陶を受けた長矩の思いが鍵になっていく。そこに著者の視点が投影されていく。
*堀部安兵衛、奥田孫太夫: 淺野家の家臣であるが、主君長矩の指示に対して存念を表白する。それが、己の武士としての義に繋がっていく。
*大石内蔵助: 赤穂藩国家老としての武士の義の立て方は言うまでもない。だが、その義をどうとらえるか。著者の視点、そしてロマンがある。
*神尾与右衛門: 上野介の手足となって悪業を果たす武士。上野介の正室・富子の実家上杉家から吉良家に移ってきた武士。二人の主に対する義に思い悩む。ここに別の形の義の様相がある。
*雨宮蔵人: 蔵人の胸中にある武士の義とは--以下の引用のなかに挙げておいた。

 なぜ、雨宮夫妻が関わっていくのか。蔵人と咲弥は中院邸に呼ばれる。
 通茂は、咲弥に大奥に入り正室・信子を説得するように依頼する。大奥の女子たちの企みを止めさせたいという意向である。通茂は近衛家の家司・進藤長之は大石内蔵助の親戚筋にあたるのだった。めぐりめぐって、関白にも影響が及ぶ可能性の出来--人の世の柵だ。咲弥はその依頼を受ける。
 一方、蔵人は江戸に出向いた咲弥が三ヵ月過ぎてもなかなか戻らないので、進藤長之を訪ねる。そこで、長之から山科に住む内蔵助を将たる器か見定めて欲しいと依頼される。蔵人が内蔵助の住まいを訪れることから関わりが生まれる。
 そこから最後のステージへとストーリーが展開していくのだ。
 
 大奥に入った日、咲弥は右衛門佐にまず何かの和歌を書けと試される。
   いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらん
と短冊に記す。
 これは、能の<熊野>に出てくる和歌だという。この和歌にある末尾の「花や散るらん」から、本書のタイトルが付けられたのだろう。
 しかし、そこには、本書の前段で斎が口にする西行の和歌
   風に散る花の行方は知らねども惜しむ心は身にとまりけり
 さらに、後段で咲弥がふと口にする西行の和歌
   散るとみればまた咲く花のにほひにも後れ先立つためしありけり
が重ねられているように思う。
 そして、武士には武士の花がある。いのちをかけて咲かせる花の意が込められている。
 印象深い文章を引用しておこう。本書のテーマにも深く関係する文である。
・尾形光琳が咲弥の問いに答えた言
「世間の者は仕事の出来栄えよりも、まず格式を重んじます。格式がなかったら仕事ができまへん」(p60)
・大石内蔵助が堀部安兵衛に語る言
「われらは命は捨てるが名は捨てぬぞ。討ち入りの後にこそ、義を立てる戦いが待っているのだ。」(p203)
・咲弥が信子と右衛門佐に語る言
「わたくしの夫は、武士は常におのれを死んだ者と思いすべてを行うべし、と申しております。死者なればこそ、天にかなう道理を行えるのだと」(p207)
・蔵人と与右衛門の対話:蔵人の言
「容易いこと、その主のためなら死んでもよいと思える相手こそわが主じゃ。
 いまのわしにとっては、咲弥と香也が主だということになるのう」(p242)
・清厳と斎の対話:斎の言
「この世で最も美しいものはひとへの思いかもしれませぬな」(p231)

 討ち入りの後、大石内蔵助が上野介に終に対面する。上野介の吐き捨てるような言に対して、筆者は内蔵助にこんな一言を語らせている。
 「・・・・われらも主君にいささか申し上げたきことがござる、追ってお供つかまつろう」この言に、筆者の思いと視点が加わっているように感じる。その意は本書を読んでみていただきたい。

 そして、巻末の一文、蔵人のつぶやきで、感極まる。
 「いのちの花が散っているのだ」

ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

歴史上の人物などについて関連事項を少し検索してみた。その一覧をまとめておきたい。

徳川綱吉 :ウィキペディア
徳川綱吉 五代将軍就任 :「侍庵」

桂昌院  :ウィキペディア
鷹司信子 :ウィキペディア
瑞春院  :ウィキペディア
右衛門佐局:ウィキペディア
正親町町子 :ウィキペディア

吉良義央 :ウィキペディア
吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)-不運の吉良家名君-
 :「愛知の郷土史、偉人、祭り・伝統産業」

柳沢保明 ← 柳沢吉保 :ウィキペディア

浅野長矩 :ウィキペディア
梶川日記 :ウィキソース
大石良雄 :ウィキペディア
元禄赤穂事件 :ウィキペディア

中院通茂 :ウィキペディア
進藤長之 :ウィキペディア

荷田春満 :ウィキペディア
荷田春満 :「ぶらり重兵衛の歴史探訪3」
荷田春満 :「やまとうた」
 本書に出てくる和歌が『春葉集』より抄出の一首として掲載されている。

尾形光琳 :ウィキペディア
尾形光琳 紅白梅図屏風 :「Salvastyle.com」
(国宝)紅白梅図屏風  :「MOA美術館」


インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


徒然に読んできた作品の印象記リストを更新しました。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版


===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版

2013-02-27 10:30:10 | レビュー
「遊心逍遙記」としてブログ掲載を始めた以降に読んだ作品の印象記一覧です。
ご一読いただければうれしいです。

『刀伊入寇 藤原隆家の闘い』  実業之日本社

『柚子の花咲く』   朝日新聞出版

『乾山晩愁』  新人物往来社、 角川文庫

『川あかり』  双葉社

『風の王国 官兵衛異聞』  講談社

『恋しぐれ』  文藝春秋

『橘花抄』   新潮社

『オランダ宿の娘』  早川書房、ハヤカワ文庫

『銀漢の賦』  文藝春秋、 文春文庫

『風渡る』   講談社、 講談社文庫

『いのちなりけり』  文藝春秋、 文春文庫

『蜩の記』  祥伝社

『散り椿』  角川書店

『霖雨』   PHP

『千鳥舞う』 徳間書店

『禁断 横浜みなとみらい署暴対係』 今野 敏  徳間書店

2013-02-24 11:26:03 | レビュー
 私はこの横浜みなとみらい署シリーズを直近の2011年出版『防波堤』から読み始めた。これが第3作だったようだ。本書『禁断』は2010年6月出版の第2作になる。
 舞台は横浜。神奈川県警の54番目の新設署、みなとみらい署刑事課暴力団対策係・係長、諸橋夏男が主人公である。横浜の暴力団からは通称「ハマの用心棒」と呼ばれている。暴力団の撲滅をに邁進する気力・迫力の背景には悲しい記憶が秘められているのだ。それは本書においおいふれられていく。この諸橋の相棒が係長補佐・城島勇一。彼は普段、係長席の脇の来客用ソファを占領している飄々とした警部補であり、諸橋とは初任科の同期でもある。諸橋係長、城島係長補佐という役職にもちょっとした背景がある。
 諸橋の下で、他に4人の部下が活躍する。個性豊かな組み合わせだ。
 浜崎吾郎: 40歳のベテラン部長刑事。主任、暴力団と見分けがつかないような恰好
       パンチパーマ、黒いスーツ、腕にはロレックスのレプリカ品
 倉持 忠: 35歳の部長刑事。主任。気弱な町役場職員風。頼りなく見える。
       逮捕術にかけては署ナンバーワン。
 八雲立夫: 倉持の相棒。密室型の人間。見かけは物事を全て他人事と考えている風
       パソコンの活用に長けている。
 日下部 : 浜崎の相棒。

 さてこの第2作、野毛町三丁目のスナック「緑」で、暴力団らしきグループが店で嫌がらせをしている現場シーンから始まる。この店を訪れた諸橋が途中で、静かにして欲しいと声をかけるとそれに絡んでくるというおきまりの展開。だがそのワルたちはハマの暴力団ではない。町田から流れてきた板東連合系の人間で、半ゲソ(准構成員)のようだった。横浜によそ者暴力団が入り込んできているところから、どこかきな臭さいという感じで始まる。一方、元町5丁目のマンションで遺体が発見される。母親が発見するのだが、死亡したのは20歳の私立大学に通う大学2年生の井上祥一。死因は薬物の大量投与、ヘロインを打った結果だと判明。犯罪組織とは無関係の学生だったのだ。このところ、一般市民の薬物使用や所持の検挙数が増加傾向にあるという。薬物の新たな供給源ができたのか。
 諸橋は城島と共に、常盤町の仁風会組長神野義治の家を訪れる。今では組員は代貸の岩倉真吾ただ一人というヤクザなのだが、横浜のマルB世界の事情通である。ハマで起こっていることはほとんど神野が知らないことはないと思われている。勿論、知っていても知らないととぼけるのが、歴戦のヤクザ・神野である。諸橋の質問をうまくはぐらかす。だが、後日、神野は諸橋に電話してくるのだ。「いや、私は何もしらないんですよ。私なんかじゃなくって、もっと事情をよくご存じの方がおられると思いましてね・・・・・・何やら、田家川(たけがわ)のやつが、最近、妙に忙しそうにしているようでして・・・・」。神野はヤクザと暴力団を峻別する。田家川竜彦は表面的には、T2エージェンシーという会社の経営者であるが、マルBの一人。ハマで勢力を伸ばそうとしている人物。勿論、諸橋は部下に調べるように命じる。

 たまに顔を出す焼鳥屋に夕食に行った諸橋・城島コンビは、そこで夜回りをしている中央新聞記者宮本拓也に声をかけられる。会話の途中で、店の近くで怒号が聞こえる。二人が様子を見に行くとチンピラ同士の殴り合い騒ぎ。だが地元のヤクザではない。二人は力でその場をまず抑え込む。それを見ていた宮本が「驚きましたね。でも、僕は、そのやり方、支持しますよ」と言う。その宮本が再び焼鳥屋に戻った後の会話で、気になっていることだとして、「横浜には、指定団体すら一目置く連中がいます。・・・その人々は、かつて、イギリスのせいで阿片が蔓延した歴史を経験しているはずです」。そんなことを言った宮本が本牧埠頭のC突堤で死体で発見されるのだ。

 横浜にヘロインが大量に出回り始めている。地元暴力団が縄張りを延ばそうとする中で、よそ者の暴力団がハマに入り込んできている。新聞記者はヘロインにチャイニーズ系の動きがあるのではないかと匂わしたままで殺されてしまう。その矢先、中国の人民武装警察部隊の将校が、日本に来日しているという。神奈川県警がその将校の研修を受け入れたというのだ。

 話は思わぬ方向に広がっていく。ジグソーパズルのピースのような断片的情報が、徐々に繋がっていく。だが、そこに浮かび上がってくる図柄は予想外の展開に発展していくというおもしろさがある。
 横浜を起点に新規麻薬販路のルート拡大をねらう動きとハマの縄張り争い、それを解明し未然に撲滅しようとする諸橋チームの活動。本人のきらう「ハマの用心棒」という通称は伊達じゃない。
 ヤクザと暴力団は同類だと一切その存在を認めない立場の諸橋が、一方で神風会の神野に陰で支援されているという一局面を著者が織り込んでいるところがおもしろい。
 もう一つ、県警察本部警務部観察室所属のキャリア組、三十代前半の笹本康平監察官が、諸橋の行動を常に監視し、その行動を牽制する立場で関わっている。だが、本書では諸橋がその笹本監察官をすら巻き込んで、事件解決をめざすという側面のストーリー展開も楽しいところだ。

事件がほぼ解決した段階で、みなとみらい署の刑事課を笹本監察官が訪れる。
「今回の捜査に関しては、いろいろ聞きたいことがある」
「おい、田家川の弁護士の言うことは無視するんじゃなかったのか?」
「それはそれ、これはこれだ。あんたの捜査が適正なものだったかについては、大いに疑問がある」
「俺はやるべきことをやった」
「だから、その方法が正しかったかどうか、詳しく話を聞く必要があると言ってるんだ」
 実に愉快なエンディングだった。  (さて、第1作に戻ってみようか・・・・。)


ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


 本書を読みながら、関連語句の確かめを兼ね、ネット検索した結果の一覧をまとめておきたい。

暴力団 :「はてなキーワード」

博徒  :ウィキペディア

テキヤ → 的屋 :ウィキペディア

神農 :ウィキペディア

神農 :「はてなキーワード」

中国人民武装警察部隊 :ウィキペディア

日中刑事共助条約

実効性が問われる日中間の刑事共助  :国立国会図書館デジタル化資料
~日・中刑事共助条約~

刑事共助条約締結 日中協議再開へ 2007.1.22:「Wlcome to My Web Site」

黄金の三角地帯 :ウィキペディア

ヘロイン :ウィキペディア

チャイニーズマフィア 丹下直子氏

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新1版

2013-02-24 11:15:04 | レビュー
「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に読んだ印象記だけになりますが、こんな作品を読み継いできました。興味・関心の趣くままに読み継いできた順番ですので出版年次の新旧は前後しています。

『陽炎 東京湾臨海暑安積班』  角川春樹事務所

『初陣 隠蔽捜査3.5』   新潮社

『ST警視庁科学特捜班 沖ノ島伝説殺人ファイル』 講談社NOVELS

『凍土の密約』   文芸春秋

『奏者水滸伝 北の最終決戦』  講談社文庫

『警視庁FC Film Commission』  毎日新聞社

『聖拳伝説1 覇王降臨』   朝日文庫

『聖拳伝説2 叛徒襲来』『聖拳伝説3 荒神激突』  朝日文庫

『防波堤 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店

『秘拳水滸伝』(4部作)   角川春樹事務所

『隠蔽捜査4 転迷』    新潮社

『デッドエンド ボディーガード工藤兵悟』 角川春樹事務所

『確証』   双葉社

『臨界』   実業之日本社文庫


『原発をつくらせない人びと -祝島から未来へ』 山秋 真  岩波新書

2013-02-19 10:53:51 | レビュー
 「私らにとって、『いのちの海』なんです。やめてください」(p164)
 本書は副題にあるとおり、祝島の原発反対闘争の過程を綴った書である。
 2012年11月現在で、原発をつくらせなかった地は34箇所だと著者は記し、3ページに現在の「原発立地点(原発)と原発をつくらせなかった地」の地図を掲載している。
 著者は「序章 原発ゼロの地」で上記の点を記すとともに、原発をつくらせなかった地の一つとして、原発計画にゆれる石川県の珠洲とその計画に関連する裁判の一端に触れている。2003年12月、原発を計画した電力3社の社長が珠洲市役所を訪れ、計画について起源なき「凍結」を申し入れ、事実上の断念を行った。計画が浮上した年から29年目での要約の終息だったという。
 珠洲での取材経験を経た後、著者は原発計画が浮上してから奇しくも29年目の年に祝島に「初上陸から半年間で延べ100日にわたり滞在した」(あとがき・p216)。そこでの体験と取材をベースに記録・関連資料類を渉猟して、本書を書き上げたのだ。
 上関原発をめぐる動きが遅くとも1982年1月に水面下で始まった兆候から始め、2012年11月までの原発反対闘争を、原発計画反対の祝島の人々及び取材者(第三者)の観点から通史的に本書をまとめている。

 今、このタイミングで本書が出版されたことに大きな意義があると思う。
 なぜか? 
「運転にいたった原発は、実は1970年までに計画が浮上したものに限られる。71年以降に浮上した計画はすべて、運転に至っていない運転どころか着工にいたらないまま、なくなった計画がほとんどだ」(p2)から。今、新たに計画を浮上させるべきではない。完全に終わらせるべきなのだ。
 2012年6月27日の山口県県議会で、知事は「2012年10月に期限が切れる予定地の海の埋め立て免許の延長を、現状では認めない方針を表明した。」(p184)2012年10月7日午前0時、田ノ浦の海を埋め立てる免許は期限を迎えたのだが、中国電力(以下、中電)は10月5日、免許の延長を申請した。「上関に原発をつくる計画は、事実上、頓挫しつつありながら、県がそれを審査するあいだ、失効は先延ばしされている。」(p209)
 つまり、審査結果が駄目となれば計画は終焉する。現在は、「原発をつくるための海の埋め立て免許が失効しつつある」(p210)という状態に留まるのだ。そして、本書はここまでの記述で一端筆を置いている。
 巻末の「主要参考文献等」にある「祝島島民の会blog」にアクセスすると、2013.01.31(木)の記事に、
「埋立て免許延長申請の審査、またもや中断」という見出しで、冒頭に「山口県は昨日、1月30日にまたもや補足説明を中国電力に求め、審査を中断しました。補足説明を求めるのはこれで4度目となります。山本県知事は昨年夏の選挙前後は『不許可処分にする』と明言していましたが、ここ最近では「延長を認める正当な理由があるのかを審査する」として『不許可処分』という言葉を使わなくなりました。」と記されているのだ。
 政権交代があった今、再び原子力ムラがうごめきを強めかねない。だからこそ、約30年の祝島の人々が何を考え、どう行動してきたか、どういう苦しい心情を内包したまま闘いつづけてきたのかを知り、その願いが達成すること、つまり上関原発計画が葬り去られるようにすべきなのだ。そのためには、事実を事実として認識することから始め、行動に展開していくことが必要だとおもう。祝島の問題は日本の問題であり、空と海で世界につながる問題でもある。

 筆者が珠洲及び祝島を通して考え抜いたことからの見識をまず取り出しておこう。その結論はこの祝島の原発計画反対闘争史を読むことで納得できるのではなかろうか。
*現地の当事者にとっては、問題を知っている、当事者と血縁だったり友人知人だったりする、問題に関心がある、というだけでは、人は「無関心層」に留まる。「無関心層」がそうではなくなるのは、自分が何かをしよう、かかわろうとするときのようだ。 p208
*ふだんなら連携しなかったり、できなかったりするほど多彩な人びとが、考え方や立場の違いにもかかわらず力を合わせたからこそ、国策である原発をつくらせないことができる。共有する目的のためにさまざまな人が集うことが、ときに予想以上の威力を発揮するのだ。 p210
*「抵抗しつづければ、原発は経済的に破綻して、撤退せざるを得なくなる」(立花正寛氏の発言)

 本書は次の6つの章で構成されている。多少のメモを付記してご紹介する。
   第1章 おばちゃんたちは、つづける
 1982年11月、祝島に「愛郷一心会」が誕生し、1992年2月に「上関原発を建てさせない祝島島民の会」に改称される。その経緯を記す。この年、週1回月曜日のおばちゃんたちのデモが始まる。それが約30年間、連綿と続けられる。
   第2章 祝島、その歴史と風土
 海上交通の要衝の地だった上関と祝島。祝島では1887年戸数200戸だったのが、21世紀はじめには戸数が約390、人口は500人を切ったという。「ジンギする」という島言葉が生きている生活。周辺の海山は「奇跡の海」「究極の楽園」「生物多様性の宝庫」と呼ばれるほど自然に恵まれてきた土地柄である。「田ノ浦の周辺では、他の海域で絶滅したか絶滅の危機に瀕している生物を、いまも見ることができる。」(p64)その地域を埋め立てるというのが原発計画だ。「田ノ浦の湾内には、ずばぬけて豊富な海底の湧き水もある」(p65)
   第3章 陸でたたかう
 四代地区田ノ浦に「団結小屋」の設営、立木トラスト運動、四代地区八幡山の入会地問題と裁判闘争、祝島からの田ノ浦通いの反対行動などを描く。
   第4章 海でたたかう
 共同漁業権を梃子にした活動。漁業権の仕組み変えの画策による祝島はずし。県による海域の環境影響調査範囲の縮小の経緯。幾重もの布石が打たれてくる状況そして中電によるスラップ訴訟。調査開始と埋め立ての始まりの状況。「虹のカヤック隊」誕生経緯などを記す。
   第5章 田ノ浦と祝島沖の2011年2月
 2011年になると、中電が台船を動かし、田ノ浦地区での工事を推しすすめようとする。この台船阻止行動が日常化した実態を記録し、状況をリアルに再現描写する。「安全維持」という建前で、海上保安庁が全船立ちいり検査する行為が一方的なものに見える。行政は権力側・企業側偏重なのか。法の施行という名の下で・・・。誰にとっての「安全」? 135ページ以降の経緯と状況描写は、考える材料になる。この箇所をあなたならどう読むか。
   第6章 東電の原発事故のあと
 福島第一原発爆発事故の後の上関町と周辺市町村の動き、県議会の動向など、そして中電の動きの経緯を知ることができる。

 祝島の約30年に及ぶ現在までの闘いの中で、明確なことが3つある。
 第1は、祝島の人々は原発関連交付金を一切拒絶したこと。「交付金が事実上、地元の同意をカネで”買うもの”であるならば、漁業補償金は、周辺の漁協の同意をカネで”買うもの”といえるだろう。」(p191)
 第2は、反対行動は、非暴力であることに徹したこと。
 第3は、悲しいことだが、反対派はスイシン派と絶縁状態になった。親戚であってもスイシンの家とは付き合わなくなった。心情的にも深い溝ができたのだ。祝島では反対派9割、スイシン1割という。原発計画浮上が、自然の豊かさの中で「ジンギする」伝統的な関わりの深い生活をしてきた島の人々の人間関係を破壊したのだ。

 本土側の上関町については、関連漁業組合の考え方とその動き、町議会での決議事項や対応の側面を主体に本書に登場する。虹のカヤック隊が出てくるが、それに参加した原発計画反対の行動を取った人々の背景情報はあまり出てこない。上関町の人々がいるのかどうかも不明。一般的な上関町の人々の原発計画への対応という側面があまり見えなかった。祝島に視点を置いた本書では当然そうなるのかもしれないが・・・・。

 最後に、印象深い文を幾つか引用しておきたい。本書を手に取ってみたくなるのではないか。
*原発の計画が浮上してからしばらく、町の公共事業は中電や原発の金でやるに等しいと、拒否する声が祝島で強かったそうだ。華美なハコモノをつくる公共事業の話ではない。・・・地道なライフラインのための公共事業である。祝島では、原発問題のために、それが滞った時期があった。  p62
*(付記:船の命綱である刃物の存在が絡んだ全船立ちいり検査において、海上保安官に刃物を預ける、預かれない・・・・での関与拒否の後の文)
 「せっかく(抗議に)来たのに、嫌がらせじゃのう」。そう呟いた信夫さんの言葉が、状況を端的にあらわしていた。  p139
*「申し訳ないですけど、私らが(検査に)いったところで(船に)止まってもろうて、検査をやるあいだは止まってもろうて、検査が終わってから、また抗議しにいってもらう、という段取りになってます」と海上保安官は答えた。 p146
*「祝島の海でなし、誰の海でなし。みんなの海じゃから、守らないかんのよ」 p152
*中電がどれほど祝島の行動を「妨害」と決めつけても、自分たちの行動をみずから定義しなおすことを、祝島側は忘れなかった。  p158
*何も知らなかったGB側(付記:海上保安庁官の乗る機動性のいい高速ゴムボート)が、現場で事情を悟るにしたがって、知らなかったときのようには振る舞えなくなっていったのではないかとも思う。  p168
*「山(林)を伐ったら海岸が壊れる。海草がないと魚は育たん。そんなの常識よ」久男さんが、いつかそう言っていたことを思い出した。 p181
*この株主総会(付記:文脈から2011年6月29日)で中電社長は、上関の人に謝罪すると言ったそうだ。原発計画が29年も地元を分断したことについて、推進している人にも反対している人にも、謝罪するという。「ならば、祝島の人たちが正門前に大勢いるから、いますぐ行って謝罪してくれ」と、株主のひとりがもめたと聞く。けれど、社長は正門前にあらわれなかった。  p188

 未だ、上関原発計画は終わっていない。審査という名目でその終焉は一日延ばしに延ばされているようだ。『いのちの海』の確立は、まだ見ぬ未来に託されている。『いのちの海』をどう守るか。


ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


 祝島に関連する情報をネット検索してみた。本書と併せて読み、あるいは見ると一層現実がリアルに見えてくるように感じる。検索した範囲であるが一覧にしておきたい。

上関原子力発電所 :ウィキペディア

祝島の位置(マピオンの地図)

緑のハートでつなげよう PHOTOメッセージキャンペーン[第一弾]
  ハートの形をした島「祝島」

祝島島民の会blog
上関原発を建てさせない祝島島民の会 ホームページ
虹のカヤック隊のブログ
上関原発問題 :「祝島ホームページ」
STOP! 上関原発!

山口県・上関原発・・・あまりに愚かな選択  2009.2.1
原子力とプルサーマル問題       小出裕章氏

【上関原発】海の埋め立て免許失効へ 祝島1146回目のデモ 2012.10.8  :YouTube
祝島が問いかけるもの  アップロード日: 2012/01/08
 :YouTube
祝島「きれいな海を守ろう」上関原発反対デモ1100回 2011.6.20
 :YouTube
祝島から福島へ 原発のゆくえ 2011.5.19  :YouTube
【拡散希望】上関原発 29年の歴史に刻む大強行 2011.2.21~   :YouTube

上関原発 中国電力の問題発言 2010.4.5~6 :YouTube

"原発"に揺れる町~上関原発計画・住民たちの27年~(1)  アップロード日:2010/03/29  :YouTube
"原発"に揺れる町~上関原発計画・住民たちの27年~(2)  アップロード日:2010/03/29   :YouTube

上関原発を巡る裁判、報告会 2012.3.22 :YouTube
上関原発計画を巡る裁判 2012年3月:「スナメリチャンネル」

やめさせなければ終わらぬ上関原発  :「長周新聞」
  神社本庁による神社地売却承認問題
上関原発止めよう!広島ネットワーク  資料・情報コーナー


ミツバチの羽音と地球の回転 映画について  :公式ホームページ
映画「ミツバチの羽音と地球の回転」予告編

原発マネーの幻想~山口・上関町30年目の静寂~ :YouTube

    さまざまな情報をネットに掲載していただいた皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『ヤクザと原発 福島第一潜入記』 鈴木智彦 文藝春秋

『官邸から見た原発事故の真実』 田坂広志  光文社新書

原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新1版)

『動的平衡2 生命は自由になれるか』 福岡伸一  木樂舎

2013-02-16 23:43:01 | レビュー
 著者の『生物と無生物のあいだ』という新書がベストセラーになっていたことは知っていた。しかし、未読である。著者の本を読むのはこれが初めてだ。著者名を記憶していたので、この本の「動的平衡」という語句に惹かれて本書を手に取った。これが2冊目ということを意識せずに読み始めた。今、改めて1冊目とかつてのベストセラーに立ち戻って、読んでみようかと思い始めている。そんな気にさせる本だった。

 私が一番印象に残るのは、まえがきにかえてのエッセイ、「美は、動的な平衡に宿る」である。生物学者の観点から、彫刻、絵画、ダンスなどを眺めたその捉え方が、すごく新鮮だった。こういう観賞のしかたもあるのだ・・・・と。筆者は、その対象物の中に動的平衡を読み取っている。
 「生物を現象として捉えると、それは動的な平衡となる」(p1)のだという。その続きに、「絶え間なく動き、それでいてバランスを保つもの。動的とは、単に移動のことだけではない。合成と分解、そして内部と外部とのあいだの物質、エネルギー、情報のやりとり」と定義づけている。より厳密には、「それを構成する要素は、絶え間なく消長、交換、変化しているにもかかわらず、全体として一定のバランス、つまり恒常性が保たれる系」(p76)だという。

 この巻頭エッセイの中に、科学エッセイといえる本書の基本的な考え方が表明されているように思う。上記の対象物を見て、著者はこんな考えを表明しているのだ。
*人間は渦巻き文様を見ると、めまいを憶え、またそこに生命の躍動を感じた。p2
*メディアとは、何かをためこんだアーカイブではなく、動的な流れとしてある。p8
*人間もまた生物として独自の知覚と行動によって自らの「環世界」を作り出している。客観的な世界などない。絶え間なく移ろう世界を、激しく動く視線で切り取って、再構成したものが私たちの世界である。私たちは自ら見たいものを見ているのだ。 p12
*人間の動きが生命的である理由。それは生命が同時性を持った協同性の上に成り立っているから。動的な美はまさにそこにある。  p16
*私がフェルメールに魅せられるのは、彼こそが、動的な平衡の上に美が宿ることを示し続けてくれるからである。

 つまり、本書を貫くキーワードは「動的平衡」である。遺伝子、DNAという最先端の科学分野を取り扱い、素人にわかりやすく科学エッセイとして様々な切り口から語ってくれている。本書は次の章立てで構成されている。
第1章 「自由であれ」という命令 - 遺伝子は生命の楽譜にすぎない
第2章 なぜ、多様性が必要か - 「分際」を知ることが長持ちの秘訣
第3章 植物が動物になった日 - 動物の必須アミノ酸は何を意味しているか
第4章 時間を止めて何が見えるか - 世界のあらゆる要素は繋がりあっている
第5章 バイオテクノロジーの恩人 - 大腸菌の驚くべき遺伝子交換能力
第6章 生命は宇宙からやって来たか - パンスペルミア説の根拠
第7章 ヒトフェロモンを探して - 異性を惹き付ける物質とその感知器官
第8章 遺伝は本当に遺伝子の仕業か? 
      - エピジェネティクスが開く遺伝学の新時代
第9章 木を見て森を見ず - 私たちは錯覚に陥っていないか
生命よ、自由であれ - あとがきにかえて
 難しそうなタイトルであるが、本文での説明は平易で読みやすい。この分野の知識がなくても読み進めることが十分にできた。具体的な事例紹介が多いので内容に入って行きやすい。

 著者の主張点を引用あるいは要約しておこう。なぜ、そうなのかという思考展開プロセスを読むのが、本書の楽しみといえるだろう。(要約したものは末尾に[要]を付す)

 第1章 >>動物行動学者ドーキンスの生命の定義からの思考展開
*生物の集団が、見かけ上、未来に起こりうることを想定して、それに対応した仕組みに進化させているようにみえる、この観察事実は、新しい生物学、新しい進化学を考えるうえでとても刺激的な問題提起なのである。  p37
*最近、エピジェネティックスという考え方が出てきた。簡単に言えば「遺伝子以外の何が生命を動かしているか」を考えるのがエピジェネティックスである。・・・遺伝子上にはそれほど変化は起こっておらず、遺伝子のスイッチのオンオフの順番とボリュームの調節に変化がもたらされたのではないかという仮説・・・・私たちの体のどこかに、その設計図を開く時に遺伝子をオンにするスイッチがあるのだ。  p51-53
*たぶん、遺伝子は音楽における楽譜と同じ役割を果たしているにすぎない。 p57

 第2章 >>ソメイヨシノが育つ環境を守ることからの思考展開
*生命の多様性を知り考えることは、その姿形の多様性、さらにその生きざまの多様性を知り、生命の時間軸とその流れに思いを馳せることだ。[要] p68
*生命の多様性を保全することを考える最も重要な視点は動的平衡の考え方である。[要]  p76
*動的平衡においては、要素の結びつきの数が夥しくあり、相互依存的でありつつ、相互補完的である。だからこそ消長、交換、変化を同時多発的に受け入れることが可能となり、それでいて大きくバランスを失することがない。  p77
*地球環境という動的平衡を保持するためにこそ、生物多様性が必要なのだ。 p78
*生物多様性は、動的平衡の強靱さ、回復力の大きさをこそ考える根拠なのだ。 p79
*生物学でいう「ニッチ」は、すべての生物が守る自分のためのわずかな窪み=生態学的地位であり、分際である。すべての生物はみずからの分際を守っている。それは歴史が長い時間をかけて作り出したバランスなのだ。だからこそ、多様性が重要なのだ。[要」
  p75-80

第3章 >>アミノ酸の研究からの思考展開
*動物の身体は、いつも新しいアミノ酸を必要とし、それを使って体を分解、合成し、代謝物を排出するという循環を続けており、ある決まった状態にとどまることはない。必須アミノ酸の種類は動物により異なる。必須アミノ酸からタンパク質を合成する。そこで「アミノ酸の桶の理論」が出てくる。二酸化炭素問題以上に、窒素の動的平衡に責任を持たねばならない。窒素がアミノ酸の構成要素で、アミノ酸がタンパク質の構成要素なのだから。 [要]

 第4章 >>昆虫少年だった頃の夢からの思考展開
*この世のあらゆる要素は、互いに連関し、すべてが一対多の関係で繋がりあっている。世界を構成する要素は、互いに他を律し、あるいは相補している。・・・この世界には本当の意味で因果関係と呼ぶべきものは存在しない。世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからない。 p119

 第5章 >>「タンパク質の単離精製」ギルマンとシャーリーの研究からの思考展開
*人間を含め動物は腸内細菌と共生している。ヒトは大腸菌と共生する。その大腸菌が遺伝子組み換え技術を可能にした。[要]  p124-137
*ほとんどすべての抗生物質が効かない細菌、つまり「スーパー耐性菌」の出現には、動く遺伝子プラスミッドが密接に関係する。プラスミッドは遺伝情報を親から子へ、という世代間ではなく、水平に伝達する。 [要] p138-146

 第六章 >>マイケル・クライトンの小説からの思考展開
*生命の情報は、必ずDNA→RNA→タンパク質の方向にしか流れないという、生命現象のセントラルドグマ(中心原理)がある。ならばDNAはどこから来たか。これについて、チェック博士の「RNAワールド」仮説がある。一方、パンスペルミア説というのもある。こちらは地球ではなく宇宙のどこか他の場所から「種」(スペルミア)が地球に流れ着いたという。[要]
*2006年、NASAはスターダスト探査機でヴィルト第ニ彗星の宇宙塵を地球に持ち帰ったが、その塵の中からはアミノ酸(グリシン)が発見されている。 p162

 第7章 >>「匂い」からの思考展開
*異性を惹き付けるほどの、本当の意味でのフェロモン物質の存在はまだまだ立証されていない。 p186

 第8章 >>生命の設計図DNAからの思考展開
*DNAにとって1バイトにあたる情報単位は3文字のヌクレオチドだった。トリブレット暗号である。  p191
*DNAとタンパク質の文法が単一であるというこの事実  p194
*タンパク質の設計図はDNAである。  p204
*マターナルRNA、糸巻き、メチル化、これらはすべてエピジェネティクスを解くためのほんの入口にすぎない。遺伝子の科学は新しい時代の扉を開きつつあるのだ。 p214

 第9章 >>花粉症の治療からの思考展開
*より大量に服用しなければならなくなったり、あるいは耐性菌が出現したりするのは、すべて動的平衡の帰結として起こることである。動的平衡には負の対抗制御(ダウン・レギュレーション)というものがある。  p219
*私たちは、尿によって水を捨てているのではなく、水の流れに乗せてエントロピーを捨てているのだ。必要なのはこのシステムを駆動するための絶え間ない流れ、つまり水のサプライなのである。だからこそ、自分の健康のため、日々、良質の水を摂取することが大切である。 p223
*自分の身体のことを考えることは、同時に環境の持続性を考えることでもある。p224
*動的な平衡は、干渉に対して必ず大きな揺り戻しを起こす。 p228
*がんの発生とは、進化という壮大な可能性の仕組みの中に不可避的に内包された矛盾のようなものだ。  p240
*細胞たちはお互いのコミュニケーションをと通して、相互補完的に自分の役割を決めていくのである。  p250

 著者は本書の末尾を次のパラグラフで締め括っている。
 「意外に聞こえるかもしれませんが、私たちの世界は原理的にまったく自由なのです。それは選びとることも、そのままにおくことも可能です。その自由さのありように意味があるのだと、私は思うのです。」

 最後に、興味深い発言の部分を引用しておきたい。
*生命とは動的平衡を保とうとする、柔軟で可変的な存在である。押せば押し返し、沈めようとすれば浮かび上がろうとする。  p238
*がんとは、私たちの生の一部であり、生そのものである。たとえ、それがついには私たちを死に導くものだとしても。  p240
*少なくともミクロな世界では宿命や運命はありません。因果律も決定論もないのです。そこにあるのは共時的な多義性だけです。・・・・・私は人生についても同じように考えています。どうしようもないこと、思うようにはいかないこと、取り返しがつかないこと。人生にはさまざまな出来事があります。しかし、それは因果的に起こったわけでもなく、予め決定されていたことでもない。共時的で多義的な現象がたまたまそのように見えているにすぎません。観察するからそのように見えるだけなのです。


ご一読、ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

 本書に関連する語句をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。

遺伝子 :ウィキペディア

ヌクレオチド :ウィキペディア

DNA → デオキシリボ核酸 :ウィキペディア

RNA → リボ核酸 :ウィキペディア

必須アミノ酸と非必須アミノ酸 :「オーソモレキュラー.jp」
必須アミノ酸 :ウィキペディア

生命の起源 :ウィキペディア
「地球の生命は宇宙から来た」説を検証(1):極限状況に耐える微生物の存在
  :「WIRED」

パンスペルミア説 :ウィキペディア

エピジェネティクスとは? :「国立がん研究センター 研究所」
エピジェネティクス :ウィキペディア
日本エピジェネティクス研究会のホームページ
生物学を変えるエピジェネティックス :「Newsweek International Edition」

フェロモン :ウィキペディア
ヒトとフェロモン  :「東京都神経科学総合研究所」
特許取得のヒトフェロモン  :「フェロモン香水研究所」

Programming of Life :YouTube

How DNA is Packaged (Advanced) :YouTube

Mechanism of DNA Replication (Basic) :YouTube

Mechanism of DNA Replication (Advanced)  :YouTube

遺伝子組換え 高校生物実験 GFP遺伝子の導入で 光る大腸菌:YouTube


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

『ヤクザと原発 福島第一潜入記』  鈴木智彦  文藝春秋

2013-02-12 10:59:37 | レビュー
 本書のタイトルから受けた印象では、かなりヤクザ色が強い内容を想像していたのだが、意外とヤクザ色が感じられにくい潜入記だというのが結果的に印象的だった。
 内容の大部分は著者がいかにして東京電力福島第一原発(1F)に潜り込んだか、そこでどういう現場の作業実態、管理・監督実態を見聞し、作業体験したかを克明に書き込んでいるというまじめな潜入記録だった。だが、これでも著者は抑制気味にレポートしているのではないかという気がした。潜入準備から勤務終了までの経過は次のとおり。
 2011年3月12日 被災地支援・ヤクザに同行。それ以降、随時原発関連取材
 5月後半 暴力団ルートで原発の協力企業にコンタクト。G社に内定
 5月21日  虎の門病院にて G-CFS皮下注射
 6月 6日  虎の門病院にて 造血幹細胞採取  谷口プロジェクト
 6月中旬  電離健康診断受診
 7月10日  放射能教育
 7月11日  メーカーによる防護教育
 7月13日  初勤務 初仕事は床掃除
 8月22日  最後の勤務日 
 
 本書を読み強く印象づけられたのは、以下の諸点である。
1)広義の意味で原発がヤクザの儲かるシノギ(収入源)の一つの柱になっていること。
2)東京電力を筆頭とした原子力ムラの方こそ、ヤクザ以上に「ヤクザ」なやりかたをしているということ。
3)政府・東電側に事実の隠ぺい、情報操作が行われているのはまちがいないこと。また一方で、マスコミが報じない事実の側面があることもまちがいない。御用報道に堕す側面か。
4)原発のある地域のヤクザはもともと地域共同体社会の一員として扱われてきていた実態がある。その前提で成り立っている側面は、都会センス、中央センスのヤクザとは一色ちがうこと。
5)原発労働従事者を供給する体制の多重構造が諸悪の根源の一つでもあること。それは日本の産業構造の実態と同じだということ。

 かつて、1979年に堀江邦夫氏が『原発ジプシー』を発表した。美浜・福島第一・敦賀の各原発が通常に稼働している状況下で、各原発に一下請労働者として働いた体験を克明にレポートしたものだ。手許にある講談社文庫本版の1Fを改めて拾い読みしても、「人夫出し」を生業とする親方という表現は出てくるが直接ヤクザは登場しない。通常の事故が発生することがある中での通常の原発労働作業の状況でのレポートである。いわばビフォーである。それでも、例えば「この危険で恐ろしい『内部被ばく』から肉体を防護してくれるものがマスクだ。そのマスクの正しい着用方法を、なぜ『放管教育』では教えないのだろうか。」(p184)という記述はある。
 一方、本書は1Fが爆発した後の潜入記。アフターである。『ジプシー』が通常の作業工程での実態描写に対し、本書は異常事態下での作業実態描写だ。

 著者はヤクザ専門誌の編集長までした後、フリーライターとしてヤクザ関連の記事を中心に書いてきたという。記事対象として暴力団の人々と日常付き合いながら、一線を画し、慎重な対応をしている。事実として書いた発言などには全て録音を残しているという。本書にも発言証拠をどのように録音しているかという点にも触れている。つまり、本書に記された発言や記述の裏は提示できる準備がなされているとのことだ。それは著者の経験からきた訴訟対策、自己防衛なのだ。逆に読者としては、文言どおりに受けとめることの可能性が高くなるといえる。

 「どれだけ政府が圧力をかけようと、東電が懇願しようと、現場では実際に作業を行う人間の発言力が強い」(p77)と著者は記す。爆発事故以降はそうだろうなと思う。内部被曝を覚悟し、場合によればその場での被曝死を覚悟して現場に立つのは、実際の作業者なのだ。政治家でも東電の経営管理者でもない。政治家・経営管理者が直接命を賭けているわけではないのだから。一方で、東電からの仕事を失うことを恐れる協力企業、実際の現場作業者が弱い立場であるのも事実である。仕事系列の末端に行けば行くほど。

 本書の構成を読後印象を書き込みながらご紹介したい。
序章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」
 本書は原発にほどちかい街の祭りの風景描写から始まる。「暴力団は完全に街の一部にみえた」(p8)というのが印象的だ。地域での持ちつ持たれつの側面に光が当てられている。著者は「暴力団に対する警察の強硬姿勢は西高東低である」(p15)と記す。人夫出しの親分としてヤクザが1Fに入り込んでいると暴力団幹部の発言(p20)を引用している。一方、自ら原発で働いた経験を持つ暴力団員が事実居る。本人の放射能管理(放管)手帳を確認しているそうだ(p21)。国策として莫大な資金が投入される巨大利権に対し、10次請け以上に広がる下請け体制。「仕事を右から左に流し、汗を流さずに利益を得る。これは暴力団フロント企業の典型的な体質だ」と著者はいう。
   第1章 私はなぜ原発作業員となったのか
 原発事故以降、著者は取材中にほぼすべての指定暴力団が作業員を集めていることを知る。「無理をしても原発を取材しょう・・・・暴力団と1Fは”誰もが嫌がる危険な取材先”という共通点を持っており、ならば向いているだろう」(p44)と思ったのがその動機だとか。
第2章 放射能VS.暴力団専門ライター
 著者は、谷口プロジェクトが提唱した造血幹細胞の事前採取について、その実施者第1号となったという。この谷口修一虎の門病院血液内科部長の実践活動の経緯と原子力ムラの受け止め方・行動から切り込んでいる。国や東電の態度の曖昧さがよく分かる。
第3章 フクシマ50が明かす「3.11」の死闘
 著者はG社を経由して、福島現地に入っていく、現地でG社の名刺を持つ茶髪の責任者は、「フクシマ50」と名刺に印刷していた。この人物から、当時の状況を聞く。そこには報道されていない部分が語られている。すさまじさがある。「多少の不満は口にしても、黙々と現場に出ていく作業員たち-」(p132)
第4章 ついに潜入!1Fという修羅場
 原発事故後における原発作業者に対する放射能教育の一例が如実に描き込まれている。そして、初出勤、実際に現場に入るまでの状況描写がリアルだ。潜入記としては、原発労働者、それも初めて作業に入る人の心理や扱いがよくわかる。ここまで書き込まれたのは勿論初めて読んだ。防護服とマスクでの行動の大変さが感じられる。この章を読めば、政治屋の現地視察ニュースの防護服姿など、まさに絵にするだけのポーズだ。それ以外の何物でも無いという思いになる。初仕事は床掃除と著者は書く。
第5章 原発稼業の懲りない面々
 熱中症が起こる理由が描かれている。敷地内での喫煙の実態も。「刺青を彫った作業員は想像以上に多かった。会社によっては作業員の半数近くが刺青を入れていた」(p200)とも記されている。暴力団とは関係無しに刺青愛好者もいるかもしれないが、著者の観察事実は、やはり意味を持つ。
終章 「ヤクザと原発」の落とし前
 著者がシノギとしての原発についての裏付けを得るために、周辺取材をした内容をまとめている。そして、最後に著者は重要なことを指摘する。それは線量より汚染度だと。詳細は、本書をお読み願いたい。


 印象づけられた諸点に関連した箇所をいくつか引用してみよう。本書を読む動機づけになれば幸いだ。
1)に関して
*なにかあったら補償問題になるだろう。それを掛け合う代理人が俺たちだ。ギャーギャー大声で叫ぶだけじゃ金はとれない。原発がよその土地に行ってしまえば元も子もない。 p13
*社員を雇えば、保証などもきっちりしなきゃならないから面倒っていうことだ。だから単純な仕事・・・・土木が多いんだけど、そういう人間はどの会社でもアルバイトでいいじゃないか、となる。人を探すのもけっこう手間だし苦労する。大手が嫌がるこういった仕事が、俺たちのシノギのきっかけになる。  p240
2)に関して
*一応、電力から細々注意はあるんだけどね。あれ建前だから。なにかあったとき『私たちはきちんと指導してました』って、そう言いたいだけなんだよ。  p23
*元々現場では誰一人として、政府が東電に作らせた事故収束までの工程表を守れると思っていない。協力企業の多くが「それぞれの会社の作業員の数が倍になって、奇跡的に毎日の天候が作業を阻まず、なんの事故もなく、すべてがスムーズに運んで、ようやくあの工程表が実現する」というのだから。まず間違いなく遅延するだろう。 p77
*5月14日、不二代建設で働く60代の作業員が熱中症によって死亡した後も労働環境の抜本的な改革は行われておらず、逆に労働時間は増えている。 p130
*1Fが立て続けに水素爆発を起こした当時、多くの作業員はオンタイムで被曝数値が分かるデジタル線量計を持っていなかった。最低限、本人にはフィルムバッジの数値を通達すべきだ。そうしない限り、被曝限度を超えた作業員を働かせているのではないか・・・・という疑念は消えない。   p132
3)に関して
*自分の立ち位置を正反対の立場から眺めると、マスコミのいい加減さがよく分かった。  p46
*仏教は門外漢だが、被災地に出かけた際、亡くなった人たちの菩提寺の宗派の違いが問題となり、遺骨がたらい回しにされている光景は何度も目撃している。 p99
*いわき湯本近辺を宿にしている作業員に密着しているうち、分かってきたことがある。作業員の多くは放射能に関する専門的な知識を持っておらず、毎日のニュースすら知ることができない情報弱者という事実である。 p130
*フクシマ50でさえ、当時、装着していたフィルムバッジの値は公表されておらず、本人たちにも知らされていないのだ。 p132
*フクシマ50の中には身元の怪しい作業員がかなりいる。世界的英雄たちの素性を公表できないのは個人情報保護のためではない。誰が誰だか分からなかった上、知られては困る人間たちがいたからだ。フクシマ50の中に暴力団員が数名いるという話は、ほぼ事実と考えていい。  p149
*東電お抱えの医師はろくな診察をしてくれなかった。しかし他の医療スタッフは非常に献身的で、その落差が異様だった。   p223
*東電は意図的に線量だけを強調して、汚染に関してはまったく触れようとしないし、マスコミもそれを報道しない。  p248
*本社の上の人間が、情報を小出しにしてるのはあると思います。いずればれるでしょうが、今は言えない。 p258
4)に関して
*1F周辺の地域共同体が暴力団を異分子として扱っていないのは分かっていた。この一帯では、暴力団が反社会勢力と認識されておらず、あくまで社会悪として存在している。・・・・事実、1Fの原発関連企業には、現役暴力団員が役員となっている会社が存在した。登記簿をあげれば、一目瞭然だから、警察が把握していないのはおかしい。 p234
5)に関して
*原子力発電は国策であり、国家によって莫大な資金が投入される巨大利権である。電力会社の下には東芝や日立、IHIなど原発プラントメーカーがあり、その下請け企業は、私が把握しているだけで、10次請け以上までネズミ講式に広がっている。 p31
*我が班の場合、発電機を運ぶような肉体的に辛い、もしくは時間のかかる作業は、下請け、孫請け作業員の担当だった。また安全講習における面談などでも、上会社の所長や専務達は真っ先に面談を済ませ、自宅へと帰って行く。会場で何時間も待機させられるのは、私のような孫請け、ひ孫請けの作業員たちだ。オールジャパンにそぐわない作業員格差-それでも下請け作業員が不満を口にすることはない。・・・5次請け、6次請け、7次請けの作業員にとっての恐怖は、仕事を失うことだからだ。  p188
*実際、東電やプラントメーカーは作業員の生殺与奪権を実質的に握っている。マスコミとの接触を厳禁し、作業内容を少しでも漏らせば誓約書違反で解雇になる。これまで原発一筋で生きてきた職人にとって、解雇は死の宣告に近い。・・・「そんなこと言ったら、このへんで生きていけなくなる。」  p192-193
*「でも公務員はいいよ。うらやましい。自衛隊のヤツに訊いたら、危険手当、俺たちの日当より数倍高かったもん」(→著者調べでは、水素爆発直後について、下請会社の場合、危険手当が最高額20万から5万円まで幅があったようだ。)「危険手当にばらつきがあったのは、当時、まだ東電が危険手当の額を出していなかったからだ。」  p199


 かつて、ヤクザの分類に、「炭鉱暴力団」という項目が昭和30年代の警察資料に書いてあったという。「資本家たちは炭鉱労働者をまとめ上げるために地元のヤクザを利用し、親分を代表者として各地に下請け会社を作らせた。暴力というもっとも原始的、かつ、実効性の高い手段は、国策としてのエネルギー政策と常にセットとして存在している。」(p24)これが、炭鉱から原発、火力に替わっただけなのかも知れない。今のヤクザはもっとスマートで、フロント会社を組織しても一見ではまったくそうとは見えないようにしているという。
 著者はこういう側面にも触れている。「暴力団が壊滅すれば、マル暴の刑事は存在価値を失ってしまう。犯罪者のいない世界に警察は不要だ。生かさず殺さず、警察の思惑通りに動く暴力段へと調教する。」(p29)これはある種の政治家や経営者にも該当するのではないか。
 さらに、こういう側面も捉えている。「原発が都市部から離れた田舎に建設されるのは、万が一の事故の際、被害を最小限にとどめるためだけではない。地縁・血縁でがっちりと結ばれた村社会なら、情報を隠蔽するのが容易である。建設場所は、村八分が効力を発揮する田舎でなければならないのだ。暴力団が原発をシノギに出来るのは、原発村が暴力団を含む地域共同体を丸呑みすることによって完成しているからだ。」(p226-227)
 最後にこの記述に触れておきたい。
「事実、全国の暴排条例は、その大半が公共事業から暴力団に流れる資金を遮断する目的で作られている。電力関連事業との癒着は、これまで見逃されていた分野で、本格的な取り締りが行われているとは言いにくい。とくに原子力発電のように、あちこちにタブーを抱え、潜在的な隠蔽体質を持った産業は、暴力団の生育条件としては申し分ない。発電事業の中で、原発がもっとも棲みやすいエリアであることは間違いない。」(p233)
「すべてを包み隠さず言えば、原発は人間の手に負える代物ではない、と結論がでる。」p258


ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


 本書を読み、いくつかの語句を調べて見た。ネット検索の結果を一覧にしておきたい。
APD→警報付ポケット線量計(Alarm Pocket Dosimeter)→ 線量計:ウィキペディア

東京電力 2011.7.19付
「福島第一原子力発電所・暴力団等排除対策協議会」の設立について

Template:指定暴力団 :ウィキペディア

タイベックソフトウェアIII型 :「楽天」
東電、原発作業員が着る防護服の実物を公開 :読売新聞
吸収缶:重松製作所 型番:CA-L4RI

放射線管理手帳制度について :「放射線影響協会」

造血幹細胞 :ウィキペディア
原発作業員およびご家族、国民のみなさまへ :「Save Fukushima 50」

「G-RISE日本 憚りながら支援者後援」 :「舎人学校」(後藤組の仁侠)

フクシマ50 :ウィキペディア

電離健康診断 → 電離放射線健康診断:放射線リサーチセンター
  電離放射線障害防止規則第56条

福島原子力企業協議会のホームページ



人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『官邸から見た原発事故の真実』 田坂広志  光文社新書

原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新1版)



『古代エジプト3000年史』 吉成 薫   新人物往来社

2013-02-09 14:16:02 | レビュー
 本書は同社刊行のビジュアル選書の一冊である。表紙がツタンカーメンの黄金のマスクであり、3000年史というタイトルにも惹かれて、ペラペラとまずながめたら、写真が多いので、古代エジプトへの入門書として読んで見た。ピラミッドはできれば一度は現地観光してみたい土地でもある。本書は観光前の予備知識を学ぶのに最適な一冊とも言える。

 目次のページを除いて実質140ページ。本書で、写真やイラスト図が一切掲載されていない見開きは6、つまり12ページだけ。見開きの片面ページでみると他に22ページあるので、合計34ページだけが字面だけのページということになる。つまり「ビジュアル」という点を名の通り実現させている。写真も全体外観写真と個別写真まで結構バランスよく載せられている。これらの写真を眺めて、写真添付のキャプションを追いかけていくだけでも、概略のイメージがつかめて、結構たのしい本だ。今回は巻頭から巻末までページ順に読むのでなく、まず写真・キャプションを通読し、それから本文を読んでみた。
 こういう読み方も、けっこうおもしろいものだ。

 本書は第一部「古代エジプトの死生観」、第二部「王朝を築いたファラオたち」という二部構成になっている。
 そして、第一部では、現存する遺跡・遺構・遺物・発掘品などを写真でビジュアルに見せながら、それが、なぜ、何のために、どのようにしてという観点で語られていく。
 ここでは4つのテーマについて語られている。本書に章番号はないが、わかりやすくするために番号をつけて記し、ポイントと感想をメモしてみたい。
 1)偉大なる建造物
  ギザの三大ピラミッド、カルナック神殿、アブ・シンベル神殿、王家の谷と、著名な名所がカバーされている。ピラミッドというとあの巨大な四角錐の建造物だけを想い浮かべてしまうが、著者は葬祭神殿、参道、河岸神殿などの諸施設を伴うピラミッド複合体というあり方でとらえるべきだと指摘する。なるほど、それによりピラミッドという巨大な点が、面に広がるのだ。本書を読み、ピラミッドの外側を頂上まで登ることが禁止されたことを知った。どの外観写真をみていても空の色がすばらしい。建造物と空とのコントラストが実にいい。テレビのエジプト番組で見たことのないアングルからの写真や場所も数多く載せられている。3つの神殿写真ではそのバランスがよいように感じる。
  パリのコンコルド広場で見たオベリスクが、ルクソール神殿の正面右側のオベリスクだったことをこの本で再認識した。
  もう一つ、ピラミッドの底面の四辺が正しく東西南北の方角を示すということは理解していたが、当時の北極星は、現在のこぐま座のα星ではなく、りゅう座のα星だったとされるという説があることも知った。
 2)古代エジプト人のくらし
  エジプトの墓の壁画から古代エジプト人のくらしの様子がが読み取れる。「そこに描かれているのはある意味エジプト人の理想の生活」であり、「来世での理想のくらし」でもあったという指摘は、参考になる(p52)。また、「基本的にエジプト社会は、王を頂点に頂く安定した状況が理想とされ続けたようである」(p53)という指摘もおもしろい。
 3)エジプトの神々
  ここでは、八百万の神々の存在したエジプトの中から、有名どころ(?)がとりあげられ、簡潔な説明がなされている。写真をみながら読むとわかりやすい。採りあげられているのは、オシリス、イシス、アヌビス、トト、ホルス、セト、ラー、アテン、ケプリ、ハトホル、バステト、ベスである。ハトホル女神、ベス神の写真を見るのは初めてだ。エジプトの神々を知ることは、エジプト人のこころを知ることにつながるようだ。
 4)「死者の書」
 「死者の書」と呼ばれるものの一部をエジプト展で見たことがある。しかし、その時は「死者の書」というのはこういうものか、というくらいにしか受けとめていなかった。本書では、この死者の書をかなり具体的に解説してくれている。この部分は読み応えがある。著者によると、「死者の書」は「実際は死者の安全をはかるための呪文を記した実用のための手引書の類と言える」(p70)ものだとか。死者の安全という言い方は奇妙に聞こえるが、そこには古代エジプト人の死生観が表れている。「エジプト人は死後も生前と同様の生活を続けたいと望んだ。」という、そのための危険回避の呪文がこの書に書かれているそうだ。いわゆるマニュアル集なんだとか。採りあげられている呪文の例も興味深い。
 5)文字の誕生
  当然のことながら、ロゼッタ・ストーンについての説明がある。ヒエログリフ、デモティック以外にその中間書体として、ヒエラティックというのが存在することを本書で知った。そして、ヒエログリフとヒエラティックが、縦書き、横書き以外に、文字自体を鏡文字のように左右逆に書くこともできたというのは、これまた知らなかった。古代、文字が読み書きできるということは、どこでもエリートだったのだ。エジプトも書記はエリートとして社会的地位が約束されていたそうだ。

 第二部は、王朝を築いたファラオ達の中から、著名な人物を抽出して、その人物を軸にしながら王朝が語られ、3000年の歴史を通覧する形が取られている。
 どの時代の誰を軸にして本書で解説されているかリストにしておこう。
 初期王朝時代・第1王朝  ナルメル
 古王国時代・第3王朝   ジェセル
  このジェセルの寵臣にイムヘテプがいる。階段ピラミッドを設計、建設した人。
  書記の守護神として神格化された人物
 古王朝時代・第4王朝   クフ  ギザの三大ピラミッドの一つに名を残す
  復元された「クフの船」、現存する唯一のクフの像の写真も載っている。
 中王朝時代・第12王朝   アメンエムハト1世 
 中王朝時代・第12王朝   センウセレト1世 
 新王国時代・第18王朝   トトメス3世 エジプト史上最大の領土を築いた王
  男装の女王ハトシェプスト(トトメス3世の義母)が有名
 新王国時代・第18王朝   アメンヘテプ4世
  アテン信仰に夢中になり、アクエアテンに自ら改名し、首都をテーベからアケト・
  アテン(現在のアマルナ)に遷都した王。「異端王」として嫌われる。
  実は、家族思いの人間味あふれる人物だったとか。
  彼の妃は絶世の美女と言われるネフェルティティである。
 新王国時代・第18王朝   ツタンカーメン  王妃はアンケセナーメン
  1922年、イギリスの考古学者ハワード・カーターが墓を発見。無盗掘だったことで
  有名だ。ツタンカーメンの死因に暗殺説もあるが、まだ死因は謎のままだとか。
 新王国時代・第19王朝   ラムセス2世
  およそ67年間エジプトを統治した王。「カデシュの戦い」で有名。
  王妃ネフェルタリも絶世の美女だったとか。
 プトレマイオス朝時代   クレオパトラ7世
  クレオパトラを描いた絵が5点載っている。
 3000年史のポイントを知るのに、入門編として役立つ小論だと思う。

 最後に、付録として、「エジプトに魅了された人物群像」と題して、1ページに2名、計8名のプロフィールが記されている。ヘロドトス、アレクサンドロス3世、ガイウス・ユリウス・カエサル、ストラボン、ナポレオン・ボナパルト、ベルツオーニ、シャンポリオン、ハワード・カーターである。その後に掲載の「古代エジプト略年表」、6枚の地図や平面図もポイント把握には有益な資料となる。

 古代エジプトを理解する基本情報がコンパクトにまとめられているのがこの本の長所だろう。


ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

 ネットでどんな情報や写真が得られるか、少し検索してみた。やはりエジプト関係の情報は多い。その一部にしかすぎないけれど・・・・結果をまとめておこう。

古代エジプト :ウィキペディア
エジプト神話 :ウィキペディア
古代エジプト年表 :「エジプト旅行」

カルナック神殿・ルクソール神殿 :「エジプトの旅」
エジプト ルクソール・カルナック神殿 :YouTube
アブシンベル神殿 :「エジプトの旅」
エジプト・アブシンベル神殿の偉業 :YouTube
王家の谷 :「エジプトの旅」

死者の書(古代エジプト):ウィキペディア
エジプトの死者の書

ロゼッタ・ストーン :ウィキペディア

ツタンカーメン   :ウィキペディア
King Tutankhamun died from broken leg made worse by malaria : "Mail online"

ネフェルタリ :ウィキペディア
ハトシェプスト :ウィキペディア
エジプト古代史を彩る5人の女性たち :「CHASUKEの部屋」

ディスカバリーチャンネル 古代エジプト10の謎 #1 :YouTube
ディスカバリーチャンネル 古代エジプト10の謎 #2 :YouTube
ディスカバリーチャンネル 古代エジプト10の謎 #3 :YouTube
ディスカバリーチャンネル 古代エジプト10の謎 #4 :YouTube
ディスカバリーチャンネル 古代エジプト10の謎 #5 :YouTube
ディスカバリーチャンネル 古代エジプト10の謎 #6 :YouTube
ディスカバリーチャンネル 古代エジプト10の謎 #7 :YouTube
ディスカバリーチャンネル 古代エジプト10の謎 #8 :YouTube

ピラミッドの謎(太陽分点と工作精度) :YouTube

『ピラミッド 5000年の嘘』ミニ特番(4分30秒) :YouTube

        ネットから得られる様々な情報の提供者に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


『官邸から見た原発事故の真実』 田坂広志  光文社新書

2013-02-04 14:58:00 | レビュー
 副題は「これから始まる真の危機」である。ここに著者の思いが凝縮していると感じた。著者の主張は明確である。「もし、これから、この日本という国において、原子力行政と原子力産業の徹底的な改革が行われないのであれば、たとえ私自身がこれまで原子力を推進してきた立場の人間であっても、私は、今後、我が国が原子力を進めていくことには、決して賛成できない。それが、私の、現在の考えであり、立場です。」(p220)だから、一方で「福島原発事故の後も、私は、原子力エネルギーの平和利用の可否について、まだ最終的な結論は出ていないと思っています」(p218)ともいう。つまり、「最後の審判は国民が下すと思います」という。つまり、著者が説明する本書の内容を読者(国民)がどう受け止め、どう判断するかなのだ。
 そして、福島原発事故が「パンドラの箱」を開けてしまったのだという。原子力安全神話の影に隠されていたものが全て次々に飛び出してきた。今まで議論上の懸念事項がすべて、「現実」にここに存在するものになってしまった。「いずれ」ということで議論されてきたことが、現実に今からたちまち対応しなければならない問題になっているのだと著者は説明する。真の危機が始まっているのだと。一部の人々は、「冷温停止状態」という言葉などに惑わされて原発事故が終わったことのようにみているかもしれない。そうじゃないと、本書でわかりやすく警鐘を発している。

 最初に著者のプロフィールを奥書と本書の語りからまとめてみよう。(「語り」というのは、本書がインタビューを受けて、それに著者が回答するという形でまとめられているからだ。対話形式なので、読みやすいまとめになっている。)
 1974年に東京大学工学部原子力工学科卒、'74-'76年に同大学医学部放射線健康管理学教室の研究生となる。それは原子力の環境問題を大学院で研究したいとの考えからだという。このとき、「国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告」を専門家として深く学ぶ。'81年東大大学院の原子力工学専門課程終了。核燃料サイクルの環境安全研究で工学博士取得。放射性廃棄物の問題が、将来必ず、原子力発電の「アキレス腱」になるので、この問題を解決したいと考えたと語る。民間企業に入社し、原子力事業部で、六ヶ所村核燃料サイクル施設安全審査プロジェクトに参画する。アメリカのパシフィックノースウエスト国立研究所にて高レベル放射性廃棄物最終処分計画「ユッカマウンテン・プロジェクト」にメンバーとして参画(この処分計画は最終的に中止となる。地層処分は住民と国民の理解が得られなかったため)。原子力委員会専門部会委員を務める。
 つまり、そのキャリアはバリバリの原子力推進者として関わってきたことを示す。3.11の後、原発事故対応を進める政府・官僚の直ぐ近くで、事故収束対応に関わり、行政の行動実態をつぶさに見て来た上での発言である。本書で赤裸々に行政の実態が語られているわけではない。語り口の端々から想像はできる。その実態を踏まえたうえでの発言である点が重要であると思う。

 総理官邸からの協力要請で、2011年3月29日、原子力工学の専門家として、内閣官房参与に就任。「片手間でやれる仕事ではない」と即断し、事故対策にすべての時間を注ぐと決めて、官邸内に部屋を設定してもらい仕事に就いたという。「本来、参与という立場は、総理からの求めに応じて、適宜、専門的なアドバイスをするという立場ですので、そこまで全面的な時間を割く義務はない」(p16)にもかかわらずである。そして、他の参与の人とは違い、「事故現場の状況が刻々入ってくる東京電力の統合本部に、朝から晩まで詰め、原子力安全・保安院が主催する会議にもほとんど同席した参与」(p17)という形で仕事に携わったという。管内閣の解散により、9月2日に辞任する。

 本書は3部構成になっている。
 著者は参与辞任後、2011年10月14日に、日本記者クラブで講演を行った。その講演の意図を第1部で語っている。福島原発事故が国民に次々と突き付ける問題を知らせ、「真のリスク・マネジメント」対策をとるように次期内閣への提言のためだったのだ。「最大のリスク」は「根拠の無い楽観的空気」だと著者は語る。本書は、この時の講演テーマ「国民の七つの疑問」について、インタビュー質問に対して再び回答する形でまとめられたものといえる。
 第1部「官邸から見た原発事故の真実」という見出しに即するなら、著者は次の点に触れている。要点を抽出しよう。詳細は本書を読んでいただきたい。
 ・政界、財界、官界のリーダーで、どれほど深刻なものだったかの「実感」を持っている人は少ない。 p22
 ・最悪の場合には、首都圏3000万人が避難を余儀なくされる可能性があった。 
  そのシュミレーション結果がだされていた。  p23-24
 ・アメリカやフランスは、自国で直ちに被害拡大予測シミュレーションを実施し、避難勧告を出したと思われる。(著者はアメリカの国立研究所での経験でシュミレーション能力をわかっている) p27
 ・福島原発事故の現在の結果は、単に「幸運」にめぐまれただけ。 p32
 ・「国民の信頼を失う」ことが致命的な障害となるかを理解していない政・財・官のリーダーの人々が多い。p41

 第2部は、「政府が答えるべき『国民の七つの疑問』」である。著者は、第1部の末尾において、「政府は、その『国民の七つの疑問』に真摯に答えることによってのみ、『国民からの信頼』を回復することができるのです」と断言している。
 以下、この7つの疑問と説明の論点について、要約してみたい。その論理の展開本書で精読していただく動機づけになれば、幸いだ。

疑問1 原子力発電所の安全性への疑問
 「世界で最高水準の安全性」という言葉は、「技術的な安全性」(A)と「人的、組織的、制度的、文化的な安全性」(B)を含めての安全性である。たとえば、「JCOの臨界事故」は(A)ではなく(B)の安全性によって起こったもの。「想定外」という落とし穴について、(A)と(B)の両面を絡めて説明を展開する。著者は2011年12月時点で、今回の原発事故の原因が、(A)だけでなく、むしろ(B)が根本の原因だったということが明らかになるだろうと推測している。
 SPEEDIと環境モニタリングがお遅れた理由を行政機構の「組織的無責任」によるものと言う。「規制」の独立性や「経済優先の思想」の問題点を指摘する。再稼働は「信頼」の獲得ができるかどうか。そしてそれは「地元の了解」から「国民の納得」に転換されねばならないし、「確率論的安全評価」の思想には限界がある。この思想には、「確率値の恣意的評価」という落とし穴があるからだと論じる。
 「最高水準の安全性」について、このような論点をクリアできる回答ができるのか。

疑問2 使用済み燃料の長期保管への疑問
 「原子力発電所の安全性」は「原子炉の安全性」もさることながら、「使用済み燃料プールの安全性」が極めて重要である。事故後において、状況次第で「剥き出しの炉心」になる危険性を秘めている。今回の原発事故で、原発へのテロ攻撃というシナリオが浮上してきた。テロ対策に対する日本の弱点をどうするか。現在の「プールの貯蔵容量」の問題は極めて深刻であり、その先に「使用済み燃料」の行き場がない現実をどうするのか。いわゆる、「トイレ無きマンション」と譬えられる状態をどう解決できるのか。

疑問3 放射性廃棄物の最終処分への疑問
 放射性物質は「煮ても焼いても減らない」ものである。「汚染水の処理」は大量の「高濃度放射性廃棄物」発生に問題を移しただけである。その処分場選定には、技術的問題以外に、「安全審査」と「社会的心理」の問題が大きい。「NIMBY(Not in My Backyard)」(私の裏庭には捨てないでくれ)の心理をどう解決できるか。原発事故で、NIMBY心理は拡大した。「中間貯蔵」」は単なるモラトリアムでしかない。また、メルトダウンの事故を起こした原発の「廃炉」は従来の「廃炉」概念では対応出来ない。性質が違う。これらに、真摯に政府は回答できるのか。

疑問4 核燃料サイクルの実現性への疑問
 使用済み燃料から有用なウランとプルトニウムを回収する目的だった六ヶ所村の再処理工場、および高速増殖炉「もんじゅ」はトラブル続きで、技術的に頓挫している。そして、ここに「情報公開」の「透明性」の問題が存在する。核燃料サイクルの実現性への疑問にどう答えられるのか。
 また、再処理工場が稼働したとしても、核燃料サイクル計画は最後には高レベル放射性廃棄物の最終処分問題はなくならない。最終処分の方策がないと、完全に実現性があるとは言えない。この点、どう対応できるのか。

疑問5 環境中放射能の長期的影響への疑問
 「直ちに、健康に影響はない」。それが事実だとしても「長期的に」どのような影響があるかに答えられるのか。「除染」で放射能は無くならない。場所を移転させるにしかすぎない。すべての環境を「除染」することはできない。「精神的な健康」被害にどう対処できるのか。「生態系汚染」にどう対策をうつのか。「早期発見モニタリング」と「安全確認モニタリング」をどれだけ徹底できるのか。

疑問6 社会心理的な影響への疑問
 日本の行政は、「目に見える具体的なもの」だけを扱い、「目に見えないもの」を軽視する傾向がある。だが、「精神的な被害」も冷厳な「現実」として存在する。社会心理的リスクが極めて深刻になることに、どう対処できるのか。長期的視点では「精神的な復興」こそが、最重要課題になる。「国民の知る権利」に対して、「情報公開」をどこまでできるのか。国民からの信頼を失ったときに、「社会心理的リスク」が発生する。「社会心理的リスク」は、たとえば「風評被害」のように、「社会心理的コスト」として跳ね返ってくる。それは「社会的費用」になり、最後は税金などの形で「国民の負担」になる。被曝という観点からは「肉体的な健康被害」と「精神的な健康被害」の両面を合わせて理解していかねばならない。これらの影響にどこまで対応できるのか。

疑問7 原子力発電のコストへの疑問
 原子力発電の本当のコストを明らかにできるのか。今まででも、「核燃料サイクルコスト」や「電源立地対策コスト」などは、コストに算入されていなかった。さらに、「高レベル放射性廃棄物処分コスト」や「目に見えないコスト」である「社会的費用」などをどう評価し、コストを明らかにできるのか。その上での政策的意思決定を行える「新たなパラダイム」で国民の信頼に応えられるのか。
 著者はいう。「これからの時代の政府は、政策的意思決定に際して『目にみえない資本』や『目に見えないコスト』を十分に評価することのできる『成熟した政府』になっていく必要があるでしょう」と(p215)

 本書を読み、これらの疑問は当然の疑問だと感じる。そして、これに対して真摯に考えれば、原発推進という前提での回答は不可能だと思う。著者のいう「脱原発依存」の上で対策を講ずるしかないと私は判断するが、いかがだろうか。

 第3部は「新たなエネルギー社会と参加型民主主義」という見出しだ。
 著者は、自らの「脱原発依存」のビジョンを、「計画的・段階的に脱原発依存を進め、将来的には、原発に依存しない社会をめざす」というビジョンだという。これが現在の国民の平均的な感覚だと分析する。福島原発事故が起きてしまった現在、「脱原発依存」は「目の前の現実」なのだと著者は説明する。原発の寿命を40年と考えても、新増設ができなければ、2050年頃には現実的に「原発に依存できない社会」が到来することになるからだ。原発の安全評価基準、認可基準に対して、国民が人任せにしてはならないということだろう。その基準の設定及び決定に、意識的な参加が必要なのだ。
 著者は新たなエネルギー社会への政策において、4つの挑戦を挙げる。
1) 原子力エネルギーの「安全性」への挑戦  上記の2つの「安全性」の意味で。
2) 自然エネルギーの「基幹性」への挑戦
3) 化石エネルギーの「環境性」への挑戦
4) 省エネルギーへの「可能性」への挑戦
つまり、これらの挑戦を進めることで「現実的な選択肢」を拡げることを提言している。どの選択肢にどれだけウェイトを置くかは、最終的には国民が判断し、選択する形で進めるのが重要なのだというのが、著者の見解と理解した。著者は「観客型民主主義」から「参加型民主主義」へ転換する意識と行動が今や必要なのだと説く。これはその通りだと思う。


ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ

田坂広志 公式サイト http://www.hiroshitasaka.jp/

田坂広志 前内閣官房参与 2011.10.14
  福島原発事故が開けた『パンドラの箱』

121102_自由報道協会主催 田坂広志氏 記者会見 :YouTube

余剰プルトニウム 田坂広志氏(音声) :YouTube

高レベル放射性廃棄物 田坂広志氏(音声):YouTube

核のゴミの貯蔵 田坂広志氏(音声) :YouTube

原発立地自治体 田坂広志氏(音声) :YouTube

未来の原子力技術者 田坂広志氏(音声) :YouTube

過去の発言について 田坂広志氏(音声) :YouTube

原子力規制委員会 田坂広志氏(音声) :YouTube

JAPAN VOICES 田坂広志さん提言 :YouTube

官邸から見た原発事故の真実 1/4 - これから始まる真の危機 :YouTube
官邸から見た原発事故の真実 2/4 - これから始まる真の危機:YouTube
官邸から見た原発事故の真実 3/4 - これから始まる真の危機:YouTube
官邸から見た原発事故の真実 4/4 - これから始まる真の危機 :YouTube


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

このブログを書き始めた以降に読み、読後印象記を載せたものを一覧にします。
次の一覧をご覧ください。ご一読願えれば、うれしいです。

 原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新1版)

原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新1版)

2013-02-04 14:43:58 | レビュー
☆ 2012年8月~12月 に読後印象を載せた本の一覧

『原発ゼロ社会へ! 新エネルギー論』 広瀬 隆  集英社新書 

『「内部被ばく」こうすれば防げる!』 漢人明子 監修:菅谷昭 文藝春秋 

『福島 原発震災のまち』 豊田直巳 岩波ブックレット 

『来世は野の花に 鍬と宇宙船Ⅱ』 秋山豊寛 六耀社 

『原発危機の経済学』 齊藤 誠  日本評論社  

『「想定外」の罠 大震災と原発』 柳田邦男 文藝春秋

『私が愛した東京電力』 蓮池 透  かもがわ出版

『電力危機』  山田興一・田中加奈子 ディスカヴァー・ツエンティワン

『全国原発危険地帯マップ』 武田邦彦 日本文芸社

『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章 河出書房新社

『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ 講談社


☆ 2011年8月~2012年7月 に読後印象を載せた本の一覧

『原発はいらない』 小出裕章著 幻冬舎ルネサンス新書

『原子力神話からの解放 日本を滅ぼす九つの呪縛』 高木仁三郎 講談社+α文庫

「POSSE vol.11」特集<3.11>が揺るがした労働

『津波と原発』 佐野眞一 講談社

『原子炉時限爆弾』 広瀬 隆 ダイヤモンド社

『放射線から子どもの命を守る』 高田 純 幻冬舎ルネサンス新書

『原発列島を行く』 鎌田 慧  集英社新書

『原発を終わらせる』 石橋克彦編 岩波新書

『原発を止めた町 三重・芦浜原発三十七年の闘い』 北村博司 現代書館

『息子はなぜ白血病で死んだのか』 嶋橋美智子著  技術と人間

『日本の原発、どこで間違えたのか』 内橋克人 朝日新聞出版

『チェルノブイリの祈り 未来の物語』スベトラーナ・アレクシェービッチ 岩波書店

『脱原子力社会へ -電力をグリーン化する』 長谷川公一  岩波新書

『原発・放射能 子どもが危ない』 小出裕章・黒部信一  文春新書

『福島第一原発 -真相と展望』 アーニー・ガンダーセン  集英社新書

『原発推進者の無念 避難所生活で考え直したこと』 北村俊郎  平凡社新書

『春を恨んだりはしない 震災をめぐて考えたこと』 池澤夏樹 写真・鷲尾和彦 中央公論新社

『震災句集』  長谷川 櫂  中央公論新社

『無常という力 「方丈記」に学ぶ心の在り方』 玄侑宗久  新潮社

『大地動乱の時代 -地震学者は警告する-』 石橋克彦 岩波新書

『神の火を制御せよ 原爆をつくった人びと』パール・バック 径書房