遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『慈雨』  柚月裕子  集英社

2017-07-31 23:12:19 | レビュー
 定年退職した元警官の神場智則が徳島県の板東駅から徒歩15分ほどのところにあるお遍路宿の椿民宿に、明日からの四国八十八箇所巡礼のために宿泊する。その夜にいつもと同じ悪夢を見る。その悪夢の内容からからこの小説は書き出されていく。
 神場が四国巡礼の旅に出て、八十八か所すべての寺を歩いて回るる決意を妻の香代子に明かすと、香代子は自分も同行すると言ったのだった。退職後の後始末に追われて、巡礼の旅にでたのは6月に入ってからだった。警察官として42年間つとめた神場は、5年間の夜長瀬駐在所勤務を終えたあと、所轄の交通課を経て刑事課に取り立てられた。それ以来所轄の強行犯係と県警の捜査一課を行き来し、退職までの26年間は刑事として過ごした。神場にとっての四国遍路の理由は自分が関わった事件の供養のためだった。
 わけても16年前の1998年6月12日に、当時6歳だった金内純子ちゃんが行方不明となった事件が神場には頻繁に悪夢となって再来する。捜査活動も空しく、坂井手市内から5キロほど南の遠壬山で遺体が発見されるという幼女殺害事件となったのである。その後の捜査で被疑者が浮上し、当時のDNA鑑定結果から地元の人間で土地鑑のあった八重樫一雄が犯人と断定され、彼は刑に服する事になった。だが、その後この事件が尾を引く結果となる。神場と直属上司の鷲尾にとっては人に話せない汚点、冤罪の可能性を秘めた事件として、苦い記憶に留まりつづけるのだ。

 お遍路の初日、神場は妻の香代子と一番札所の霊山寺からはじめて札所番号順に十楽寺まで巡る。そして、その夜のニュースで、6日前の6月9日から、群馬県尾原市に住む小学1年生の少女が行方不明になっていたが、自宅から2キロほど東にある遠壬山の山中で発見されたと、女性アナウンサーが淡々とした口調で告げたのである。少女の名前は岡田愛里菜ちゃん。神場は一瞬動揺する。それが妻に気づかれていないかと気にする。神場は一瞬にして、金内純子ちゃん殺害事件を想起したのである。
 神場は現役時代の元部下だった緒方圭祐に、妻に知られないようにして携帯電話で連絡をとる。愛里菜ちゃん殺害事件のことを知りたいがためである。緒方は神場に知り得る情報を伝える。そして、緒方は捜査の進捗状況を神場に連絡する、神場の推理にょる協力を得たいという。現役ではない元刑事に情報を流すことは職務違反となる。だが、緒方は最初に事件の状況を神場に伝えた段階で既に職務違反を犯していると告げる。悩んだ神場は「鷲尾さんの了解をとれ。捜査本部の指揮を執っている課長の許可があれば、お前に職務違反をさせる俺の罪悪感も少しは軽くなる」と。鷲尾は勿論神場の気持ちと能力を熟知しているので、それを受け入れる。

 ここから、このストーリーは2つのストーリーが展開しながら進展していく。一つは神場の四国巡礼プロセスである。自分が関わった事件の供養のためを理由とする神場、その理由を聞かされることなくこの巡礼に同行する香代子は元警察官の妻である。つまり、神場夫妻にとり、このお遍路は、神場の警察官時代の過去の様々な話、事件の顛末、二人で乗り越えてきた苦難への回想で彩られていく。中でも、金内純子ちゃん殺害事件の捜査活動の経緯とその後の状況が神場の回想として織り交ぜて描かれて行く。なぜ、神場が人に言えない苦い記憶となっているのかが明らかになっていく。そして、それが愛里菜ちゃん事件とつながるかもしれないという、ごく稀な可能性すら浮上するに至っていくのである。
 もう一つのストーリーは、金内純子ちゃん殺害事件に神場とともに取り組み、神場と苦い記憶を共有し、いままた遠壬山で遺体として発見された愛里菜ちゃん事件に課長として陣頭指揮を執る鷲尾。そしてその事件で捜査活動をする緒方たちの捜査プロセスが描かれて行く。なかなか事件解決に結びつく情報がえられず苦悩する刑事たちの姿と捜査の進展状況が同時並行で描き込まれていく。そして、緒方が要所要所で、神場に捜査の進展状況と新たな事実情報を伝え、神場の推理を頼みにするのである。妻には内緒で緒方との交信をする神場の雰囲気を知ってか知らずか、妻の香代子は一切触れない。

 このストーリーは、そこに神場夫妻の娘の幸知の存在が絡んでいくという要素が、神場の家庭問題という次元を持ち込み、事件の進展にひと味違う奥行きを加えていくという興味が加わる。
 神場が退職する少し前、まだ現役のときに、部下である緒方を自宅に連れてきて夕食をたべさせたことがあったのだ。そのとき、緒方を幸知と引き合わせる結果になった。引き合わせたのは神場自身である。幸知も家に居て一緒に食事をしたのだ。その時ふたりがつき合うきっかけとなった。半年前に、幸知は神場に、「わたしたち、付き合っているの」とさらりと告げたのだ。緒方の性格、刑事としての能力を認めながらも、一方で、刑事の緒方を娘の恋人として受け入れられない気持ちが神場にはあった。そこにはいくつかの要因が潜んでいる。お遍路旅のストーリーにおける過去の回想の形で、その要因が明らかになっていく。勿論、刑事の妻の大変さを娘に味わわせることの抵抗感も、妻・香代子の苦労を見てきているので一要因であるのはまちがいない。だが、娘の幸知について、神場が幸知にも告げてない秘密があったのである。妻の香代子は、神場の思いとは別に、刑事としての緒方と幸知がつき合っていることを受け入れているのである。

 愛里菜ちゃん事件に決め手がみつからず、閉塞状態になったとき、お遍路旅での神場が現地で見たことが閃きの種となり、緒方に捜査の切り口を助言する。一種の掛け的な側面があるものの、神場は今まで現場捜査で誰も気づかなかった視点での捜査を示唆するのである。それが、愛里菜ちゃん事件の解決を急展開させていく契機になる。

 この小説の巧みさは、2つのストーリーのコントラストにある。一つは現在発生した愛里菜ちゃん殺害事件を未来にむかっての捜査活動プロセスとして描き込んで行く時の流れである。捜査が行き詰まる状況を克明に描き込んで行く。刑事の焦りと苦悩が緒方を中心にして書き込まれる。そして愛里菜ちゃん事件の発生が、鷲尾の生き方にも大きな影響を及ぼす転機となる姿が加えられていく。
 一方で、神場夫妻のお遍路は、夫妻が神場の警察官人生を過去に遡って回想していくという過去への時間軸で描かれて行く。そこには神場の刑事としての回想と併せて、警察官夫妻の人生事例という局面が描き込まれていく。神場が関わった事件の供養のためという意味合いが色濃く投影されていく。
 さらに、ここに四国八十八箇所巡礼、それも自らの足で歩くお遍路に関わる状況やお遍路文化が点描的にきっちりと描き込まれていく。お遍路接待の場面描写はほのぼのと心温まるところがある。この部分もなかなか味わいがある。苦労しながらも、己の足でお遍路してみたくなる、お遍路への誘いという局面となっている。
 そして、逆打ちで巡礼をするある男との出会い。それは元刑事の神場としては無関係とはいえない部分を含む告白を聞くことになるシーンとなるが、ここにも一つのお遍路の有り様を描き込んでいく。

 二つのストーリーが、交差するのは16年前の純子ちゃん事件と現在進行形の愛里菜ちゃん事件である。緒方刑事がリンキングの役目を果たし、神場がお遍路を決意した理由と重層化する形で、冤罪の可能性を掘り起こすためにも、推理を働かせ協力していくというこの構想がおもしろい。
最終段階で著者は神場と緒方との電話での会話の中で緒方に語らせている。「神さんを見ていて、刑事は退職したら刑事ではなくなるわけではない、死ぬまで刑事なんだっておもったんです」と。これが基底においてこの小説のモチーフになっていると思う。

 愛里菜ちゃん事件の犯人が逮捕できた時点でこのストーリーは終わる。だがそれは事件の真の解決への始まりだと緒方刑事が気を引き締めるというところで、エンディングとなる。2つの事件が結びつくのか、あるいはそれぞれが独立した事件であるのか、保留の形で読者に想像の領域として余韻を残す。神場のお遍路は八十八番札所、結願寺がすぐそこというところでストーリーは終わる。
 「晴れた空から、雨粒が落ちてくる。雷雨でも、豪雨でもない。優しく降り注ぐ、慈しみの雨。--慈雨だ。」という描写がある。本書のタイトルは、ここに由来するようである。私は、この「慈雨」の意味を深読みしてみたくなる。神場の苦い記憶、思いが杞憂に過ぎなかった・・・・・・と。

 ご一読ありがとうございます。

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実際に起こっている幼女殺害事件をネット検索してみました。一覧にしておきたいと思います。これは現実の事件の一部にとどまるのかもしれません。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件  :ウィキペディア
宮崎勤の生い立ち【東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件】 :「NAVERまとめ」
北関東連続幼女誘拐殺人事件  :ウィキペディア
黒磯小2女児誘拐事件   :「Yourpedia」
高崎小1女児殺害事件   :「Yourpedia」
吉田有希ちゃん殺害事件 :「Yourpedia」
塾講師小6女児殺害事件 :「Yourpedia」
奈良小1女児殺害事件  :ウィキペディア
神戸小1女児誘拐殺害事件  :「Yourpedia」
千葉小3女児殺害事件  :ウィキペディア

千葉県の女児殺害事件報道に、あの奈良女児殺害事件と同じ危うさを感じる
   篠田博之氏 月刊『創』編集長   :「YAHOO!ニューズ」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『ウツボカズラの甘い息』 幻冬舎
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社

『風のかたみ』  葉室 麟   朝日新聞出版

2017-07-27 09:59:25 | レビュー
 この小説は九州、豊後の安見藩城下を舞台とする。元は藩の馬廻役で現在は城下で町医となっている桑山昌軒という漢方医の娘伊都子が主人公である。伊都子も医者となり、今年23歳になる。その伊都子が夏の盛りのころに、藩の目付方、椎野吉左衛門の屋敷に呼び出されるところからストーリーが始まる。
 椎野の用件は、木瀬川近くにある白鷺屋敷と称される屋敷に赴き、そこに住み込み、女人を診てもらいたいということである。二十歳になったばかりの女人の傷の手当てをすること。さらにその屋敷に住む女人たちが自害を図ったおりにはすぐさま手当てをしてほしい。その屋敷に住む女人たちを死なせないためだと言う。もう一つ、懐妊している女人がいるかどうかを確かめ、その結果を知らせてほしいと付け加えた。城下には女医は伊都子しかいないこと、白鷺屋敷は女人だけが住んでいるので、男の医者を住み込ませられないし、2つめの役目の確認もむずかしいからだと椎野は告げる。伊都子は白鷺屋敷に赴くことを承諾せざるを得ない。
 この小説は白鷺屋敷の敷地内だけでストーリーが展開する筋立てになっている。

 白鷺屋敷は、佐野了禅の所有する屋敷である。その佐野了禅は藩主安見壱岐守保武の一門衆の中で最も力のある人物だった。その佐野了禅が、ひと月ほど前に、藩主の上意として切腹を申しわたされたのである。それに対して、了禅と嫡男の小一郎、次男の千右衛門は、武門の意地を通すまでとして戦う決意を示したのだ。結果的に屋敷を包囲し、門を押し破り屋敷内に雪崩込んだ藩兵と死闘を繰り広げたのだ。誅殺されてしまう。
 戦いの途中で了禅はやおら奥屋敷に入ると腹を切った。これを見定めた嫡男の小一郎は屋敷に火を放つ。屋敷の炎上中も戦いは繰り広げられたが、やがて燃え落ちようとする屋敷に小一郎と千右衛門もまた駆け込んだのだ。了禅の遺骸は確認されたが、さらに見つかった6人の亡骸の中に、小一郎と千右衛門に該当するのがどれかは分からない状態で終わったのだ。
 この上意討ちを予期していたのか、了禅は佐野家の女人を、白鷺屋敷の方に事前に移らせていたのである。屋敷に居る女人たちがだれかを椎野は伊都子に伝える。
 屋敷にいるのは、了禅の妻・きぬ、小一郎の妻・芳江と娘・結、千右衛門の妻・初、女中の春、その、ゆりの計7人である。
 いずれ近々白鷺屋敷の女人たちの処分について結論が出る。それまでの務めだと椎野は付け加えた。

 上意討ちによる誅殺は、藩の世継ぎ問題が発端だった。藩主安見保武には男子がいない。家老の辻将監は親戚である江戸の旗本から養子を迎えようとしていた。佐野了禅は一門衆から養子をとるべきという考えだったのだ。そして、今の一門衆はすべて家臣だからだめというなら、これから生まれてくるものならばどうかと、家老に迫ったという。つまり、このことが、伊都子に求められた用件の2つめに関係していくことになる。

 このストーリー、主人公は伊都子であるが、伊都子はストーリー展開の中で語り部的な役割を担っていく立場となる。白鷺屋敷に住む7人の女人の人間関係を観察しながら、徐々に女人たちに心を動かされていく。
 一方、この屋敷に住み込み、女医として椎野に告げられた努めを果たしたならば、伊都子が願い出ていた大坂に出て緒方洪庵の塾で学びたいという願い書を認めてもよいという見返り条件を提示されたのである。
 椎野に誰が懐妊したかを突き止めて告げれば、伊都子は女人たちを裏切る立場になる。医者として大坂で学びたいという思いと、医者として女人たちの命を守るという二律背反の立場に投げ込まれる。伊都子の心中の葛藤が織り込まれていく。

 伊都子が目付方の椎野の言いつけで、屋敷を訪れると、女中の一人春が玄関の式台に出て来た。客間に通された伊都子は、佐野小一郎の妻芳江とまず面談する。伊都子が目付方から皆の病を診るようにと仰せつかってきたと伝えると、開口一番、芳江は「まことはわたしたちを見張り、薬と称して毒を盛る役目なのではありませんか」と冷ややかに告げる。さらに、「生かせ、とは、わたあしどもにさらに生き恥をさらさせようということなのですね」とすらたたみかけるのだった。
 そこに、五、六歳の女の子、芳江の娘・結が現れて、おばあ様が客人を部屋に連れてくるようにと告げる。了禅の妻・きぬに伊都子は面談する。病床にあるきぬは、医者としての伊都子に世話になることへの礼をまず述べるとともに、「ただし、ここで見たり、聞いたりしたことは他言無用に願います。それがあなたのためです」と釘をさした。
 そのあと、千右衛門の妻・初に今日のうちに会っておくようにと告げられる。芳江は初と顔を合わせたくないとそっぽを向く。そこで、初の部屋を能く訪れている結が伊都子を導いていく。初は上意討ちの報せが届いたとき、錯乱して思わず懐剣でのどを突いたのだが、まわりの者が気づき助けたのだという。のどを突いたとき、そのまま死ねば良かったという一方で、伊都子が傷跡を見て白い布を巻き直すとき、初がくすりと笑ったのである。そのとき伊都子はなぜかわkらないが妖気がのようなものの漂いを感じ、背筋にひやりとするものを感じたのである。
 
 白鷺屋敷に住み始め、伊都子は徐々にこの屋敷に住む女人の人間関係を知り、理解し始めて行く。病床にあるきぬへの医者としての対応の中で、少しずつ知らされていく。また他の人々との対話から知り得たことが重なって行く。
 きぬはまず初のことから語る。初は目付方の椎野との縁談が決まりかけていたところに、了禅が介入して次男・千右衛門の妻にもらい受けたという。初の父は藩医滝田道栄の娘であり、実家のある場所からか桜小路小町と呼ばれるほどの娘だったという。初は、伊都子に佐野家に嫁ぐ前には縁組が6件申し込まれていて、椎野は直談判にきたのだとも。
 伊都子はその椎野からこの屋敷に住み込む依頼を受けたのである。
 
 そして、不意に椎野吉左衛門が白鷺屋敷に訪れる。奥座敷に女人全員を集め、そこできぬに尋問をする。伊都子は椎野の命令で次の間に控えて、その状況を目撃する。
 その後で、きぬは伊都子に告げる。「この白鷺屋敷の女たちは生き抜く戦いをしているのです」と。
 その場にいた結は、きぬと伊都子の対話のなかで、こんなことをいう。「叔母上様はわたしがお部屋に遊びに行ったとき、いつも悲しそうな顔をしておられます。時々、泣いておられるのも見ました。でも、皆といるときは決して、そんな顔をみせません」と。それが邪心nない結のとらえた初である。伊都子から見た初は謎めいたところのある女人であり、真の姿を捕らえかねているのだった。

 椎野が不意に訪ねてきた三日後の夜に異変が起こる。女中三人が、のどが渇き台所に来たとき、まっ黒の着物をきて烏天狗の面を被った男を見たという。驚いて叫ぼうとした春が土間で男に捕まっていたという。悲鳴をあげると急いで裏口から出て行ったと。
 この異変から事態が急激に展開を始めて行く。すべての部屋あらためをするときぬが言い、中庭に向かうと、初の部屋の障子に大きな嘴のある烏天狗の人影がくっきりと映っていたのである。女中たちが悲鳴を上げると同時に部屋の灯りが消えた。
 きぬは皆に、「行ってはならぬ。」と厳命し、何も見なかったと心得よと告げる。
 伊都子が初の安否を確かめるのは許可し、他の者には部屋に戻れという。きぬは、自分たちに危害を加えることはないと自信ありげに言い切ったのだ。
 その人影から、話が一歩踏み込んで行く。伊都子が知らされなかった事実や推測がこの屋敷の女人たちの人間関係の複雑さを明らかにしていくのである。
 そして、一日が過ぎる頃、白鷺屋敷で死人が出る。それは三十過ぎと思える男だった。佐野家の家士だった堀内権十郎である。初が座敷で片手に脇差を持っていた。
 だが、そこから意外な展開が始まる。
 
 死人が出た後、大坂の適塾で蘭方を学んだ戸川清吾が白鷺屋敷に送り込まれてくる。伊都子の幼馴染みでもあった。戸川も白鷺屋敷に詰めることになる。戸川は小さな黒漆塗りの蓋付の器に入った薬を持ち込む。それに目を留めた伊都子が尋ねると、附子が入っていると言う。戸川は「毒ではあるが薬でもあることは伊都子殿も知っているはずだ」と。だがその薬が何者かにより盗まれるという事件が起こる。
 白鷺屋敷の状況はますます混迷していく。

 このストーリーのおもしろいところは、このあたりから推理ものの様相を色濃くしていくことにある。そして、その推理に大きな影響を与えて行くのが、初という女性の有り様である。初の言動が事態を複雑にしてきた元凶でもあるが、それは初の本心とは預かり知らぬところで無意識のうちに発生しているともいえる事象がなせる業でもある。その設定が興味深い。
 死人がでた烏天狗事件がどういう経緯を経るか。
 初の言動が白鷺屋敷の他の女人たちにどういう影響を与えてきているのか。
 椎野吉左衛門はこの白鷺屋敷の女人たちをどのような処分でケリをつけたいと目論んでいるのか。
 附子を盗まれた戸川はどうなるのか。
 幼馴染みであり、大坂の適塾に行った戸川にあこがれを抱いていた伊都子は、白鷺屋敷で身近に戸川を観察し、どういう思いを抱くのか。
 了禅が残したこれから生まれてくる者・・・懐妊しているのは誰なのか。それは誰の子なのか。懐妊している者が本当にいるのなら、それは誰で、母子の命はどうなるのか。
 女が生きるための戦いだと断言したきぬの戦いがどうなるのか。

 そして、この白鷺屋敷で急転回していく事態に医者として、命を守る立場の伊都子がどのように対処していくのか?

 この小説、きぬを中軸に女の戦いを描きながら、その背景には武家の男の身勝手さ並びに男の目の問題事象を語っていることにもなっている。
 
 最後に、本書のタイトルは「風のかたみ」である。本文にはこれに該当する言葉は出てこなかったと思う。このストーリーは最後に、初が伊都子宛てに記した手紙を、伊都子が自宅に帰宅したのちに、母の竹から受けとり、その文面を読むという場面で終わる。私には、この初の手紙が、「風のかたみ」を暗喩していると思う。そして、それは文末の一行に照応していくのである。
 「ゆっくりと彼方に飛び去る白鷺の幻影を伊都子はいつまでの見続けていた。」
彼方に飛び去る白鷺の幻影が「かぜのかたみ」でもあるのだろう。

 ご一読ありがとうございます。

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新5版(46+4冊)2017.7.26

葉室 麟 作品 読後印象記掲載一覧   更新第5版

2017-07-27 09:50:23 | レビュー
拙い読後印象記ですが、お読みいただけるとうれしいかぎりです。  2017.7.26 現在

2017年7月までに読後印象記を掲載した過去リストの積み上げですので、著者作品の出版発行年月とは一致していません。

『峠しぐれ』  双葉社
『あおなり道場始末記』  葉室 麟  双葉社
『孤蓬のひと』   角川書店
『秋霜 しゅうそう』  祥伝社
『神剣 一斬り彦斎』  角川春樹事務所
『辛夷の花』   徳間書店
『風かおる』  幻冬舎
『はだれ雪』  角川書店
『鬼神の如く 黒田叛臣伝』  新潮社

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    葉室麟の短編作品が収録されています。

『決戦! 忠臣蔵』 葉室・朝井・夢枕・長浦・梶・諸田・山本  講談社
『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社
『決戦! 本能寺』 伊東・矢野・天野・宮本・木下・葉室・冲方  講談社
『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『山月庵茶会記』 講談社
『蒼天見ゆ』 角川書店
『春雷 しゅんらい』 祥伝社
『影踏み鬼 新撰組篠原泰之進日録』 文藝春秋
『緋の天空』 集英社
『風花帖 かざはなじょう』 朝日新聞出版
『天の光』 徳間書店
『紫匂う』 講談社
『山桜記』 文藝春秋
『潮鳴り』 祥伝社
『実朝の首』 角川文庫
『月神』  角川春樹事務所
『さわらびの譜』 角川書店
『陽炎の門』 講談社
『おもかげ橋』 幻冬舎
『春風伝』  新潮社
『無双の花』 文藝春秋
『冬姫』 集英社
『螢草』 双葉社
『この君なくば』 朝日新聞出版
『星火瞬く』  講談社
『花や散るらん』 文藝春秋
『刀伊入寇 藤原隆家の闘い』  実業之日本社
『柚子の花咲く』   朝日新聞出版
『乾山晩愁』   角川書店、 角川文庫
『川あかり』  双葉社
『風の王国 官兵衛異聞』  講談社
『恋しぐれ』  文藝春秋
『橘花抄』   新潮社
『オランダ宿の娘』  早川書房、ハヤカワ文庫
『銀漢の賦』  文藝春秋、 文春文庫
『風渡る』   講談社、 講談社文庫
『いのちなりけり』  文藝春秋、 文春文庫
『蜩の記』  祥伝社
『散り椿』  角川書店
『霖雨』   PHP研究所
『千鳥舞う』 徳間書店


『水鏡推理Ⅴ ニュークリアフュージョン』  松岡圭祐  講談社文庫

2017-07-24 11:20:55 | レビュー
 水鏡瑞希の推理シリーズも第5作となった。この第5作、水鏡瑞希に変化が生ずる。大臣官房政策課評価室下の特別部署という位置づけだった”研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース”から、「研究公正推進室」に異動することになる。この部署は、科学技術・学術政策局、人材政策課の一セクションであり、組織図に載っている部署である。瑞希は自分の仕事が認められたのだとひととき舞い上がる。
 瑞希の母は、娘が婚期を逃すのを恐れ、勤め先の上司からの見合い話の紹介を受けてくる。それで母と娘が葛藤するシーンから始まるところがおもしろい。そこには瑞希の結婚、妊娠、出産という未来が想定されている。それは瑞希の母が結婚した後に不妊に悩み、治療を受けていたという瑞希の生誕にまつわる苦労話に連鎖し、妊娠という事象が自然な伏線として、このストーリーの底流になっていく。
 妊娠にまつわる母の苦労話が、なんとこのストーリー展開で瑞希自身が己の肉体に受ける深刻な事象を因としてパニックに陥るという局面に現実感を帯びて展開していく。このあたり、冒頭のお見合い話のやりとりの面白さから自然に波紋をひろげて深刻さへと転換して行く巧みさとなっていく。

 本書内の表題ページ裏に、「研究公正推進室は2015年4月、文科省内に設置。いまも実在する」と記されている。今回からの水鏡推理もまた、実在する組織を舞台として、ちょっと奇抜で巧妙な盲点を利用したフィクションが創作されたことになる。
 インターネットで調べてみると、文部科学省のホームページに、(事務連絡)として平成7年7月24日付で、文部科学省科学技術・学術政策局人材政策課研究公正推進室が、”「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」に基づく「履行状況調査(書面調査)」の提出について(依頼)”という文書を発信していることがわかる。また、”(事務連絡)「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」に基づく取組状況に係るチェックリスト(平成29年度版)の提出について(依頼)(平成29年2月10日)”というのも今年発信されているので、たしかに「いまも実在する」。

 ストーリーは、瑞希の実際の異動までまだひと月あるという時点から始まる。瑞希が帰宅後道草食堂の常連客と会話をしているとき、スマホの着信に気づく。発信元は見慣れない電話番号でショートメールを受信していた。「ミズガミミズキ様 至急お伝えしたいことがあります。勝手ながら、都電荒川車庫へおいで願えませんか。当方すでに現地におります。」こんなショートメールを受けたら、行動せずには居られないのが水鏡瑞希である。現地に赴くと、そこで患者着姿で、手首に奇妙な緑いろのバンドを巻いている面識のない女から声を掛けられる。そして、「開発をやめさせて。あいつら細菌を培養している」「不妊バクテリア。わたし感染している」と訴え掛けられたのだった。会話を始めた矢先に、SUV車で駆けつけた白衣の男ふたりと女性看護師が現れて、その女性を病院に戻すと言って連れ去る。看護師は、瑞希に「あなた、キョウカさんの知り合いですか」と質問を投げてくる。明治通りへと走り去る車をスマホのカメラ機能で瑞希は写真に撮る。
 このストーリーの中で、この女についてのサブストーリーが展開していく契機になる。読者にはうまく関心を呼び起こすさせる導入である。わけのわからないことを聞かされ、まるで拉致されるように目の前から連れ去られた奇妙な女性とその話を瑞希がそこでストップさせるはずがない。どうしていくのだろうという好奇心。

 異動日当日、瑞希は霞が関の合同庁舎第7号館へ出かけて行く。廊下には職員の長い列ができている。歳の近そうな女性職員に理由を尋ねると、毎朝やっているシンカー対策の職員チェックだという。最先端の科学技術情報を盗んで、株でひと儲けを企むグループへの対策だという。初日から瑞希は面食らう。だが、ここにもまた読者に自然に情報をインプットする巧妙さとなる。

 研究公正推進室に入室すると、室長の米谷謙三が歩み寄ってきて、室長のデスクのある場所に一旦導かれる。そこで、総合職の泉田佳奈を紹介される。彼女は技術開発担当分析官として次世代エネルギーを担当している。そして先日から核融合反応の検証という課題にとりかかっていると紹介される。瑞希は泉田の下で一般職として仕事に就くこととなる。泉田は水鏡瑞希のタスクフォースでの功績を良く知っていた。それを瑞希にさりげなく褒め言葉で語る。ここにも著者特有の伏線が織り込まれる。
 瑞希に与えられた席は泉田の隣りと告げられる。総合職には椅子の背もたれにヘッドレストがついていて、一般職にはついていないという会話の描写がある。民間会社で一般職員と管理職で椅子の種類に違いが設けられているようなものかと、やはり思う。
 瑞希と室長の会話のズレがおもしろい。このズレが、この水鏡推理の真骨頂となっていく。
 瑞希「ご期待に添えるよう、一見でも多く不正を暴きます」
 室長「きみにいっておくことがある。うちは研究不正防止の専門部署だが、科学分野の警察ではない。大学に倫理教育の徹底を指導したり、不正に関する規定の整備と公表を研究機関に求めたりする。調査は原則として、研究機関みずからに実施させる」
 この認識レベルでのズレが、結局問題を摘出し、その解決に瑞希と米谷室長を邁進させてしまう展開となっていくのだからおもしろい。

 さて、この研究公正推進室の方針として、米谷室長は勘に頼った調査を行う方針はないと断言する。SOTA(最先端技術実現度測定システム)をベースとして、様々な調査をしていくのだという。立川市にある国立科学解析研究所のコンピュータ棟のスパコンと研究公正推進室はオンラインで結ばれていて、ここではスクリーンに評価情報が表示されるしくみになっているのである。
 瑞希の異動日初日は、スパコンの仕組みについて、泉田からレクチャーを受けるところから始まる。SOTAの項目別解析結果はそれぞれの担当者しかプリントアウトできないルールが確立されていると泉田は瑞希に説明する。
 エンジニアでもない官僚がSOTAを使うために、ソフト機能で簡単に素早く登録できる仕組みができているという。そして、泉田は核融合の検証という課題にとりかかるところだからと、これを実例にして瑞希に登録を説明し始める。まず3つのサプルメンタル・ワード入力欄に用語を入力するのだという。補足ワーとして、その分野で頻繁に用いられる単語を入力すれば、関連の深いジャンルをスパコン自体が見つけてくれるというのだ。3つの用語はその分野に属する用語であればよいという。そして、泉田は卓上にあった『核融合研究概論』を瑞希に渡し、3つの用語を選ばせる。瑞希がその本からFER(核融合実験炉)、サイクロトロン(磁場・高周波電圧粒子加速装置)、ARTを選ぶと、泉田が、「FER、サイクロトロン、ART」という語を入力し登録を完了させた。
 このとき、瑞希は好奇心から「不妊バクテリア」を登録できないかと質問する。瑞希がサプルメンタル・ワードを思いつかないので、泉田は名称だけの登録をしておくことに合意した。ワードが3つ揃っていなければ、自動的に8時間で登録抹消になるので問題ないだろうという。

 瑞希の前で泉田がSOTAに核融合の項目を登録したのだが、その結果、スパコンが核融合の実現度を示す分析結果は青の正円と評価した。つまり、実現可能性があると。これまでの停滞から飛躍的進歩がみられるという結果を示したのだ。その結果をもとに、核融合反応の技術開発についての小会議が行われる。その会議には、文科省の核融合研究プロジェクトのスーパーバイザーでもある東京大学の石森教授が専門家として同席し、米谷室長、担当の泉田、財務省の駒菱主査が出ている。瑞希もその小会議に出席することになる。会議では、SOTAの評価を裏付ける検証として実験を始めるべきだという方向に進む。勿論、それを行うには、財務省の同意を得て、実験のための予算が確保されなければならない。核融合反応の技術開発、つまり「ニュークリアフュージョン」が動き出すのである。石黒教授は今まで、核融合についてSOTAに登録することには慎重だったのである。だが、SOTAが青の正円という評価を出したことで、俄然強気に転じて行く。駒菱が言う。「教授もいまや歓迎しておられるようです。・・・・SOTAが青の正円となれば、永田町も二の足を踏むことはないでしょう」と。と言いながら、総合職の抜け目のない官僚として、核融合の技術開発に多額の予算をかける必要があるのかに疑問を呈し、基本を押さえ直そうとする。
 核融合について知識の乏しい水鏡瑞希は、それよりもキョウカのことがまず念頭から離れない。SUV車のことから確かめようと手を打ち始める。一方で、新しい職場で一般職として仕事をこなすために、泉田から借りた『核融合研究概論』を読む事から始めて行く。身近なこと知識から核融合の技術開発に絡むことを考え始めるのだが、その結果、瑞希は徐々に専門家たちの会議のやり取りに疑問を抱き始めるのである。
 このストーリーの面白さは、核融合の技術開発に絡む基本的な知識を作品に取り込み、その技術開発の現状を描き込みながら、SOTAが青の正円と評価した事実を裏読みしていくという点にある。スパコンを使った高度情報収集と情報分析という仕組みの持つ盲点を瑞希が見つけるという水鏡推理がストーリーとして展開されていく。
 不妊バクテリアを恐れるキョウカという謎の女についてのサブストーリーが、同時進行で進みながら、ニュークリアーフュージョンのメインストーリーに交錯し両者の接点が発見されるというのが面白い。
 このストーリーの構想の巧みさは、意外性の組み合わせにある。そして、「前提」を疑ってみるという基本の重要性をモチーフにしているように思う。それは専門家が陥りやすい盲点をつくところから、ストーリーの構想が組み立てられたのではないかと思う。

 さて、実在する研究公正推進室は、この小説の基軸になったSOTAというような科学技術情報を収集・分析するようなコンピュータ解析技術の仕組みがあり、かつ利用しているのだろうか? 小説の世界から、現実の実務世界はどうなのか、という関心が喚起される。
 水鏡推理は舞台が変わり、さらにおもしろい続編が出て来そう・・・・と思っていると、末尾には第6作の予告が記されている。確かめると予告通り発刊されている。楽しみにしよう。

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この作品に関連する用語をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン  pdfファイル
     平成26年8月26日 文部科学大臣決定
研究活動における不正事案について  :「文部科学省」
研究公正   :「日本学術振興会」
核融合反応  :ウィキペディア
核融合とは  :「Digital Astronomy Gallery」
かくゆう合のけんきゅう  :「NIFS」(核融合へのとびら)
核融合について  :「文部科学省」
核融合炉実用化のカギとなるか。「逃走電子」の制御方法発見で核融合反応の安定化が可能に  :「engadget日本版」
3分でわかるスパコン  :「FUJITSU」
京(スーパーコンピューター) :ウィキペディア
スパコン京が実性能世界ランキングのHPCGで2期連続1位達成  :「PC Watch」
FOCUSスパコンシステムとは  :「FOCUS」(計算科学振興財団)
スーパーコンピューターシステム :「京都大学情報環境機構」
スーパーコンピュータの戦略的開発・利用について
  文部科学省研究振興局 参事官(情報担当) 鈴木敏之氏

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これまでに読み継いできた作品のリストです。こちらもお読みいただけるとうれしいです。

『万能鑑定士Qの最終巻  ムンクの<叫び>』  講談社文庫
『アノマリー 水鏡推理』 講談社
『パレイドリア・フェイス 水鏡推理』  講談社
『水鏡推理Ⅱ インパクトファクター』  講談社
『水鏡推理』  講談社

松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.1    2016.7.22 時点
万能鑑定士Qの諸シリーズ & 特等添乗員αの難事件シリーズ


『「国風文化」の時代』  木村茂光  青木書店

2017-07-16 10:26:57 | レビュー
 手許に、『詳説日本史研究』(山川出版社・1998年)という日本史の学習参考書がある。それを繙くと、「摂関政治の時期、10~11世紀のころの文化を国風文化または藤原文化という。遣唐使が廃止されたこの時代にも、民間の商人らによって大陸からの文物が輸入され、それは『唐物』として尊重され続けた。しかし、9世紀の弘仁・貞観文化が唐の直接的な影響を強く受けたものであったのに対して、この時代には、長期間にわたって摂取された唐文化の消化・吸収が進行し、わが国在来の文化と融合して、その後の日本文化に大きな影響を与えて行く思想・文学・美術・風俗などが主に貴族層によって生み出されたのである」と位置づけている。そして、「国風」としての特徴を3点にまとめている。引用しご紹介する。
(1) 貴族層による大陸文化の消化・吸収が進み、そのなかで後世に大きな影響を与えていく日本人の感性や美意識が磨かれたこと。
(2) このような感性を表現する手段としてのかな文字や美術様式、さらには生活様式などの基礎が築かれたこと。
(3) 国境の確定や対外的孤立主義とも関係して、上記の感性やこれを表現するための手段・様式を、日本人(民族)独自のものにする意識が生まれたこと。

 この様な概説が高校の日本史の授業で学ぶ知識だろう。だが、はるか昔になるが、私にはこれほどの詳しさですら学んだという記憶がない。遣唐使の中止と国風文化という項目を知った程度だった気がする。

 この学習参考書は、後年に買ったものである。これを開いてみるきっかけは、先日、宇治市源氏物語ミュージアムの連続講座で「雅と国風」(講師:西村さとみ氏)を聴講したことにある。その中に引用されていた『日本史B 改定版』(三省堂・2008年)国風文化の説明もほぼ類似のものだった。そして、国風=日本風ではなく、国風文化の概念の再検討が今行われているということを聞いた。「雅と国風」の講座を聴講し、冒頭の学習参考書での概説レベルから一歩踏み込んで、「国風文化」について知りたいと思ったことが、一つのトリガーとなっている。
 そんな矢先に、『土左日記のコペルニクス的転回』という本を読んだ。この書については読後印象記を既にご紹介している。この書に本書の著者木村茂光氏が登場することと、『「国風文化」の時代』が出版されていることを知ったことが、本書を読む動機になった。

 『「国風文化」の時代』は、AOKI LIBRARY 日本の歴史 [全32冊]の一冊として、1997年に出版された本である。ほぼ、冒頭の学習参考書と同じ時期に出版されている。たぶん歴史分野の愛読者を対象として出版されたシリーズものの一冊だが、その論述内容は専門書の部類に入るものだろう。『岩波講座 日本歴史』のシリーズと同じカテゴリーレベルにあると思う。そういう意味で、一般読者にとっては、諸研究者の研究成果を踏まえた詳述により読みづらさが伴うが、逆に、一歩踏み込んで「国風文化」とはどういう位置づけなのかを考えるのには有益である。それは本書の構成からもおわかりいただけるだろう。まず、目次を取り上げてみる。

 序章 問題の所在と時代の外観
 Ⅰ章 中世的在地社会の形成
 Ⅱ章 都市平安京の形成
 Ⅲ章 9・10世紀の外交と排外意識の形成
 Ⅳ章 「日本」的儀式の形成と文人貴族
 Ⅴ章 「国風文化」の特質
 Ⅵ章 「国風文化」から院政期の文化へ

 様々な視点から総合的に論述されていることがわかる。律令制支配体制の基盤が崩れはじめ、在地社会と呼ぶ社会構造への変化の動きがあったことから論を進めていく。そして当時の中国、朝鮮半島と日本の対外関係の状況を分析する。遣唐使の中止がどういう位置づけとなっていたかを解明していく。国風文化を生み出した政治的な背景が語られていく。遣唐使を停止したことで国風文化が生まれたというような短絡的なものではないことがわかる。

 著者は平安時代を3区分する。前期は8世紀末(794年)から9世紀後半までとし、桓武・嵯峨天皇の時期である。この前期を「律令制支配の再建期」と位置づける。だが、社会基盤としてはその再建を頓挫させる動きが社会に生まれて来ていたと分析する。律令体制の基盤となる班田制が崩れはじめ、在地社会化が進展し、富豪層が実力を蓄え始めてきた動きを指摘する。政治をする側が、昔の律令体制に戻せず、富豪層の存在を前提にして、彼らを社会支配に組み込む形を取らざるを得なくなってきていたと論じている。
 中期は9世紀末から11世紀中頃までとし、この時期は古代から中世への移行期にあたるという。「王朝国家期」といえる時代であり、この時代に「国風」文化が栄えたとする。冒頭の学習参考書での解説される時期である。
 後期は、11世紀後半から12世紀末までで、この時期は中世的国家体制の確立期と位置づける。政治的には「院政期」の時代である。
 本書は、律令制支配が崩壊し、支配体系を変えていくプロセス、そして「国風」文化が生み出されていく必然的な背景を多面的に論じている。

 一般読者の私には、前提となる知識不足のせいでⅠ章・Ⅱ章の前半あたりまでは社会基盤の変容プロセスが史料ベースで論述されるために読みづらかった。しかし、Ⅱ章の後半あたりからは、文化面に論点が移っていくためか、比較的読みやすくなった。

 私が理解できた範囲で、著者の論点と興味を抱いた諸点の覚書をまとめてご紹介する。。詳しくは本書をご一読願いたい。

*律令制国家は、班田制のもとに戸籍・計帳に基づく人頭税的な税体系をベースにする。だが、班田農民の浮浪・逃亡、偽籍という抵抗が発生する。一方で、富豪層が台頭してくる。「延喜の荘園整理令」を中心とした国政改革により、公田制を施行し、富豪層の存在を前提にした負名制を導入し、徴税方式を地税の収取へと転換して行く。農業生産の発展と耕地の開発などが、中世村落の形成につながり、富豪層はますます力を蓄えていく。
*10世紀の在地社会には、「刀禰等」と呼ばれる集団、ないし組織が形成される。土地などの売買行為の「保証」機能や、譲与・火災などでの事実証明機能などを担う。在地社会の自立的な組織となる。社会基盤が変容していくのだ。
*11~12世紀は荒廃田や原野の開発の時代となり、開発地の「私領」化が進み、在地領主制が展開され、在地社会となる。11世紀後半には朝廷の財源確保のために、朝廷は私領を公認し、公田支配の再編へと方針転換していく。社会基盤が独自の方向に動き出す時代である。
*地方の富豪層が平安京に流入し「勘籍人」となる。そして、彼らは「官衙町」を形成していく。その動きが人口問題を発生させていく。
*平安京への地方民の流入による人口増大、肥大化は、都市問題としてゴミ問題を発現する。ゴミ問題は清掃問題につながり、特に道路や川に放置される死体の処理、つまり埋葬地と葬送の問題が深刻になる。これらの問題は左右京職が扱うが、東西悲田院に居る人々が実働部隊としての役割を担う形となる。「死穢」の清掃を弱者に担当させるというしくみが「国家」的につくられていく。それは触穢思想につながり、穢の国家管理として展開されていく。

 このような社会構造の変化が進展する一方で、894(寬平6)年の遣唐使の中止事件が起こる。著者は諸研究の成果を踏まえて、その当時の中国の状況と隣国新羅との関係を分析的に眺めていく。この分析で興味深い点がいくつか論じられている。
*中国(唐)国内の争乱による凋弊状況が遣唐使派遣を無意味にする危惧があった。
*新羅との外交関係が悪化する。836(承和3)年の「新羅執事省牒」事件により、「東夷の小帝国」という日本の認識が新羅により否定される。840(承和7)年の張宝高事件、文室宮田麻呂事件、869(貞観11)年の新羅海賊襲撃事件などから、日本の新羅に対する排外意識が強化されていく。それは、他方で独善的な神国思想へと展開していく。
*894年の遣唐使の派遣計画自体と停止の経緯が明確でなく、曖昧さがあることを研究結果が明らかにしてきていることを知った。遣唐使中止は、30年も前から国の意志として方向づけられていたという見方はおもしろい。
*遣唐使中止により、9世紀後半以降、日本の公的な外交はなくなったが、対外関係が断絶したのではない。商人らによる私的な交易関係は逆に活発化し、私的な貿易は逆に積極的な対応が図られたというのが実態だった。新羅や唐の商人たちは私的な貿易を求めて、舶来品を日本に運んできていたのである。

 律令国家は唐の「文章は経国の大業」とする文章経国思想で運営されてきた。「文章」つまり、学問や漢詩文が重要な要素として認識されてきたのである。その基盤として都に大学が設置され、地方に国学を置いてきた。しかし、中期になるとこの文章経国思想が衰退していく。大学寮が荒廃し、藤原氏をはじめとする主要貴族は独自に大学別曹を設置するようになる。文章経国思想と密接な関連を持っていた「意見封事」が形骸化していったという。
 そして、承和の変を経て文人貴族層が排除され、藤原良房が政権を確立すると、朝廷儀式の中に和歌を持ち込むという動きを取る。和歌を公的世界に押し上げたのである。一方で、陰陽道思想や民間の呪術的な行事への関心が高まっていき、宮廷の儀式に取り込んでいく。藤原良房の後を継ぎ藤原基経が権力を掌握すると、仁和1年に清涼殿の殿上に「年中行事障子」を献上したという。一年中の公事(公式な行事)と服仮(喪に服すべき期日)や穢を書き連ねたという。それがその後さらに拡充されていくようである。
 和歌を公的世界に採り入れ、陰陽思想や呪術的行事を導入していく政権の動きが、中期において「国風文化」を生み出すトリガーになったようである。
 こういう動きの中で、宇多天皇が打ち出した菅原道真を遣唐使として派遣する計画が中止となり、重用された道真が左遷されて非業の死を遂げるということが組み込まれていく。
 つまり、社会構造の変化や、対外状況の変化が移行期を生み出す前提となり、そこに「国風文化」が形成されていくのである。
 著者はⅤ章において、「文人の形成」と「本朝意識の形成」、日本的知識の集成-「類聚」という学問的作業、初級教科書の編纂、仏教の日本的解釈-、仮名文学の始まりー日記、尽くしの世界、物語の出現-という特質に言及している。

 日記・物語文学が隆盛となり、一方で御霊(怨霊)思想が広がって行った平安時代に関心を抱く一般読者にとっても、「国風文化」の時代としての全体像を理解するうえで、役に立つ本といえる。

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インターネットで国風文化について得られる情報を検索してみた。一覧にしておきたい。
国風文化  :ウィキペディア
国風文化  :「コトバンク」
国風文化  :「ニューワイド学習百科事典+キッズネットサーチ」
国風文化について :「知識の泉」
平安時代における国風文化の発展は遣唐使の廃止とは関係ない? :「平安時代Campus」
国風文化(藤原文化)  :「日本史のとびら」

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平安時代に関連して、こんな本の読後印象記も載せています。ご一読いただけるとうれしいです。
『土左日記のコペルニクス的転回』 東原伸明、ヨース・ジョエル 編著 武蔵野書院
『枕草子のたくらみ』  山本淳子  朝日新聞出版




『決定版 広島原爆写真集』「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版

2017-07-01 10:06:03 | レビュー
 72年前、8月6日、8時15分、広島の上空に原子爆弾が投下され、炸裂した。「広島」が、世界の「ヒロシマ」になった瞬間である。
 爆心地から7,000m、原子爆弾炸裂の2分後、広島県安佐郡古市町神田橋で、松重三男氏が撮られた写真が原爆写真が偶然撮影された最初だということを私は今、初めてこの写真集を見て知った。同様に、爆心地から6,500m、広島市の東北東約7kmの水分峡に休暇をとり友達と水泳に出かけていた当時17歳の山田精三少年が原子雲の写真を撮ったという。このことも私は初めて知った。当時中国新聞に勤める新聞少年で、カメラ好きであり雑嚢にカメラをしのばせて持っていたという偶然から撮れた最初の1枚、唯一の原子雲写真だという。原爆が炸裂した当初の写真はあまり撮られていない。現存しないのだ。
 それは、なぜか。勿論当時カメラが現在の我々が思うほど普及していたわけではない。しかし、もう一つ重要な理由がある。「この広島も長崎も両方ともが軍事要塞地帯に入るわけです。当時、要塞地帯でカメラなんか持っていたら、これはすぐ憲兵に引っ張られたもの何です。それほど厳しい世の中だったわけです」(p228)という。

 私は社会人になった後に、初めて広島を訪れたとき、原爆ドームと広島平和記念資料館を訪れた。そして、その展示品を眺めて、ショックを受けたことが印象深い。焼け焦げた衣服、破損し時刻がその時刻が永遠に止められた時計、飴細工のように融けてくっつき歪んだガラス瓶の塊などが、鮮烈に脳裏に焼き付いている。
 現地を訪ねて見た時から含めても、写真でヒロシマを見るのは、いままで限られていた。ホンのわずかの原爆写真である。ピカドンと原爆が炸裂した後に形成された原子雲の写真、銀行の支店の階段に痕跡となった人の形の写真、当時の広島県産業奨励館の丸屋根の鉄骨が剥き出しになり焼け焦げて破壊された、いわゆる原爆ドームの写真、野っ原となった広島市内全景の写真。そして、当時中国新聞記者だった松重美人氏が撮られた「御幸橋西詰」の写真くらいである。あとは、原爆関連として、時折テレビの記録報道見たことがある原子爆弾が破裂し、原子雲がむくむくと大きく伸びていく動画(これがどこの写真かは定かな記憶が無い)くらい・・・・・。これだけでも、勿論ショッキングである。

 しかし、この写真集は「決定版」と冠するだけあり、「広島」が「ヒロシマ」となった生々しい現実、事実をまさに克明に記録に残している。戦後70年を経たからこそここまでの写真を集積整理し公刊できたといえるのかもしれない。その年月の経過は、今もう一度「反核」の意味を真剣に再考する契機となる。また、「ヒロシマ」を風化させないための手段でもあると言える。
 「広島」が一瞬にして「ヒロシマ」に化した実態をつぶさに眺め直すには上掲の数葉の有名な写真だけでは、その状況を写真から追体験するのには、やはりいささか抽象度の次元が高くなる。この写真集を眺めて、それをまず実感した。最初、図書館で見て、借り出して眺め、読んでみたのだが、改めて手許に置くために購入した。いつでも、この写真集に即座に立ち戻れる機会を確保する為である。一見、一読が必須の一冊と言える。

 もう一つ、別の次元からこの写真集がまとめられた理由が「あとがき」に記されている。1982年、国内外の「核兵器を廃絶して平和な世界を」という大きな運動のうねりのなかで、「反核・写真運動」が発足したと言います。5人の写真家が発起人となり、日本のジャンルを超えた写真関係の様々な人々、552人が呼びかけ人となり、9人の代表委員を選びこの「反核・写真運動」が発足したそうです。現在、この運動を担うのは3世代目の人たちで、この3世代の人々のほとんどが70歳代となってきていると言います。「次の世代へバトンを渡すことは急務となっている」という状況の中で、この決定版がまとめられたのである。70年が経った今、「反核」とは異なるきな臭さに繋がりかねない動きもみえはじめる中で、この写真集を真摯に見つめてみることが必要な思いがする。

 この写真集の特長をいくつか列挙しておこう。
*1枚1枚の写真に、簡潔な説明文が記されている。多くの写真には、爆心地からの距離や方角が明記されている。爆心地からの距離と被害状況の関係がわかりやすい。
*説明は日本文と英文とのバイリンガル表記である。この写真集が広く世界中の人々にも煮詰められ、読まれることが意図されている。写真はストレートに見るだけで伝わってくる。しかし、説明文がさらに、考える材料を与えてくれる。
*各写真には撮影者の氏名が明記されている。個人名の記されていないものについては、その写真を撮った組織の名前が記されている。具体的には次の組織名が表記されているものが含まれている。
  陸軍船舶司令部写真班、文部省学術研究会議 原子爆弾災害調査研究特別委員会
*個人名の記された写真の中で、特に掲載枚数が多い人が居る。
  松重重人氏  当時の現地、中国新聞のカメラマン。
  松本榮一氏  当時、朝日新聞のカメラマンとして現地入りした人。
  林 重男氏  原子爆弾災害調査研究特別委員会の記録映画班の写真担当者。
  菊池俊吉氏  原子爆弾災害調査研究特別委員会の記録映画班の写真担当者。
  中田左都男氏 当時、同盟通信社大阪支社のカメラマン。大阪海軍警備府の要請で
         海軍調査団員として現地入りした人。
*被曝し体に熱傷を帯びた痛ましい人々の姿が写真集の中に散在して残されている。
 記録写真としてここには残されていないが実在する写真群があると想像する。それを裏付ける証言の一端が記録されている。

 この写真集は何とか我が国に残され、維持されてきた貴重な写真を集積したものだと言うことである。貴重な記録写真集である。
 一方、多分公開されることがない映像や写真がアメリカには想像できない分量で保存されているはずだ。(付記:その中のほんの一部は広島平和記念資料館で閲覧できるようである。同ホームページで、例えば「米国戦略爆撃調査団撮影フィルム市民編No.11034」の動画が一部開示されている。)
 「私ども原子爆弾災害調査研究特別委員会として行った記録を、戦後、昭和20年11月と記憶していますが、アメリカ軍が直接私らの東方社にまいりまして、撮影したフィルムを全部出せと行ってきました。」(p229)、「日本映画社の映画班のフィルムは、全部没収されました。それでアメリカに持って行かれたのです。」(p229)、「東京では連合国軍の検閲に出すため1コマにつきキャビネ各3枚を焼いて持っていったが、即、没収された。さらに松本は当局にネガの提出を求められた。当時、朝日新聞社は屋上で、共同通信社は日比谷公園にネガを集めて焼いていた。」(p240)と記載されている。
 この写真集には、触れられてはいないが、戦後アメリカから来日した調査団が現地入りして、克明に映像や写真を撮影し、詳細な被爆者調査も行っていたということを以前に何かの本で読んだことを思いだした。被爆者の医学データや写真も多数撮って、アメリカに持ち帰っているという内容だったと記憶する。それは、原子爆弾の炸裂した後の結果を研究する資料としてなされた調査という。

 最後に、写真を見ながら、私は意識すらしていなかった知らなかった事実を書きとめておきたい。写真担当として現地入りした林重男氏が、「なぜかバラックも道路もない灰色の世界だった」という印象を最初に抱いたと記されていること。それが多くの現地の記録写真となって痕跡を残しているのだ。それを今、私たちは目にする。
 その印象を持った理由がその後に記されていた。「9月中旬、中国地方を通過した枕崎台風による豪雨がバラックや放射能のチリを海に流してしまっていたからだ」(p237)という。この事実が荒涼とした爆心地からの写真を残すとともに、放射能による二次被害を最小化する役割をはたしたのかもしれない。

 この写真集は、末尾に次の文を記している。
 「だからこそ、核被災の惨状を、次世代の若者に引き継ぐ原爆写真の調査と保存は私たちの責務だと考える。核のない、戦争のない平和な時代を守るため、再び、過ちを繰り返してはならないのだ。」
 
 ご一読ありがとうございます。

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関連情報をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
原爆ドーム  ホームページ
  歴史と原爆ドーム画像のページは必見!
原爆ドーム  :ウィキペディア
広島平和記念資料館  ホームページ
  平和データベースの被爆資料、動画、被爆者証言ビデオ等は必見!
原爆・平和    :「広島市」
原爆被害の概要  :「広島市」
国立広島原爆死没者追悼平和記念館  ホームページ
国立広島原爆死没者追悼平和記念館 平和情報ネットワーク ホームページ
  体験記を読む、証言映像を見る、朗読音声を聞くなどができる。
旧ソビエトの調査団が撮影した広島・長崎原爆投下直後の映像が初公開 :「カラパイア」
広島の平和記念碑 - 日本の世界遺産
[まだまだあった]原爆投下後すぐの広島の貴重なカラー画像 :「gooいまトピ」
原爆の図丸木美術館 ホームページ
Atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki From Wikipedia, the free encyclopedi
  本文の他に、被曝関連画像と動画も掲載されている。
Hiroshima Peace Museum Tour 3rd Floor (広島平和記念館) :YouTube
Hiroshima: Dropping the Bomb :YouTube
     BBCの原爆投下・爆発状況の再現番組
24 Hours After Hiroshima 1/3  :YouTube
24 Hours After Hiroshima 2/3  :YouTube
24 Hours After Hiroshima 3/3  :YouTube
10 Things You Didn't Know About HIROSHIMA ATOMIC BOMBING  :YouTube
原子爆弾  :ウィキペディア
ヒロシマ型原爆(ウラン原爆)  :「原爆先生の特別授業」
Atomic Bomb ENCYCLOPAEDIA BRITANICA
The United Sates Strategic Bombing Suevey
  The EFFects of Atomic Bombs on Hiroshima and Nagasaki
      Chapter Ⅱ The Effects of the Atomic Bombings
      Chapter Ⅲ How the Atomic Boms Works


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