遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『極悪専用』  大沢在昌  徳間書店

2017-09-26 16:54:54 | レビュー
 TOKUMA NOVELS として出版された小説。ハードボイルドのコミカルタッチなストーリー作品。ブログで読書印象記を書き始める以前に『新宿鮫』の1冊を読んだことが始まりで、このシリーズを読み終えた後、狩人シリーズ他、適宜読み進めてきた。しかし、大沢作品において、私はこんなバーチャルで漫画的な小説を読むのは初めてである。
 タイトルが面白くて手に取った。極悪専用って何だろう? その関心が最初である。
 ストーリーの途中に、ズバリそのものの一文が数カ所で出てくる。曰く、「極悪人しか住まない、『反社会的勢力』による、『反社会的勢力』に属する者のための、専用高級住宅」(p195)、つまり極悪専用のマンションが想定されている。

 このストーリーの舞台は、「リバーサイドシャトウ」というマンション。大田区にあり、その名称の通り、多摩川の傍に建つ。対岸は神奈川県。このマンションの極悪住人は、いざという時川を渡り神奈川県に逃げ込めば、警視庁の管轄外となる。このマンションは危機管理として、川向こうに逃げ込むための地下避難通路を完備している。ストーリーの最後には、その避難通路も使われる展開になる。

 このストーリーのコミカルなところは、このマンションを経営する「会社」が厳選した金払いのすごく良い厳選された極悪人しか住人にはなれないことにある。60㎡の2LDKで月100万円の家賃というマンションなのだ。このマンション内ではプライバシーの尊重が絶対的な優先度を持ち、住民のプライバシーが完全に保たれる。住人は相互に干渉しないというもの。マンション内の部屋には、銃器類は持ち込み禁止だが、地下にあるロッカーに保管することは認められているというとんでもないところ。銃器類は何でもOK。お構いなし。爆弾やロケットランチャーまでが持ち込まれている。
 このマンション内で殺人による死人が出ても、管理人に連絡すれば済む。管理人が会社に連絡を取り、特別回収による処理として手配する。勿論、特別回収費が課せられるが、金でカタがつくという次第。まさに金がある極悪人のオアシスであり、治外法権的空間世界という奇想天外な設定である。これ自体がバーチャル世界といえよう。

 さて、主人公は二人居る。一人は、望月拓馬。彼の祖父は裏社会では恐れられるドン的存在。その孫は虎の威を借る形で、遊び呆けていワルガキ。知り合いの中国人留学生が密輸したバツ(MSDAの錠剤)を仲介してナイジェリア人に売るという目的で六本木に悪友のメルセデスで乗り着ける。だが、そこで会社から指示を受けた連中に拉致される。そして、このマンションの管理人助手の仕事を1年間やれと命じられる。そこには祖父の意思が背景に秘められていた。
 もう一人の主人公は、マンションの管理人。拓馬が目にした管理人は、ゴリラのような体つきで、上半身が異様にでかく、腕は毛むくじゃら。唇をはさんで両頬には横一文字に傷跡が左右に走っていて、口をま横に裂かれたような容貌だった。口がきちんと閉じられないために、息の抜けたしゃべり方しかできない。だが、拓馬にはその管理人の話すことが即座に聞き取れた。コミュニケーションに支障がなかった。拓馬はこの管理人にゴリラというあだ名を付けて呼ぶ。後ほど、このゴリラの姓が白旗と分かる。
 拓馬はこのマンションでの管理人助手として様々な局面に遭遇していくのだが、語り部的役割を担っている。いわば脇役的主人公といった役回りといえよう。私は読み進める内に、ゴリラが真の主人公と受け止めるようになった。

 ストーリーは十話構成となっている。そして、それぞれがいわば短編小説風に一応完結していく構成のオムニバス形式である。ショート・ストーリーが結末を迎える一方で、そのストーリーの中に緩やかにその後の話にリンクしていくある局面の事情、情報が明らかになり、それらが一つの底流の流れを広げて行くことになる。この構想が面白い。
 このストーリー、ある意味で拓馬が治外法権的な限定空間で、極悪人と接しながらワルガキ意識から脱し成熟(?)していくという成長物語的な側面を持つ。他方、ゴリラがなぜ、このマンションの管理人になったのか? それ以前のゴリラの実像は何だったのか? なぜ平然とこの極悪専用の閉鎖的空間で管理人として勤務できる力量を持つのか? その謎が徐々に解き明かされていく。
 
 この十話構成について簡略に触れておこう。目次を見ると見出しだけである。
<極悪専用> 
 本書のタイトルは最初のこの見出しに由来する。
 望月拓馬が拉致され、「リバーサイドシャトウ」に連行される。管理人ゴリラの助手にさせられる。ゴリラの助手としての最初の仕事が、管理人室に住人からの連絡があり、取り扱う羽目になった特別回収処理だった。マンションの生ゴミ集積所に放置された人間の腕。手には手榴弾が握りしめられていた。ゴリラは平然と行動する。拓馬は恐る恐るそれを手伝う羽目に・・・・。

<603号室>
 702号室のタカダさんにヤクザが直談判に来る。勿論、マンションは部外者一切立入禁止。603号室の住人は、姉と弟でコバヤシさん。この弟はすぐにナイフを取り出してくる短気な性分。マンションを車で外出しようとしたとき、入ろうとするヤクザにカチンときてナイフで切りつける。そこからどんどんエスカレートしていく。遂に姉がピストルを持って出てくることに。事態は勿論、特別回収処理事案に発展する。その経緯がおもしろい。

<日曜日は戦争>
 極悪専用のこのマンションでも、管理人室が一応生活懇談会の開催を住人に通知する。会社から関係者が出てくる。参加者が少ないとはいえ、会合が開催される。議題の一つは、なんと特別回収手数料の値上げ問題という次第。
 会議をしている最中に、プロの侵入者が現れる。会議に出ていたイケミヤさんは、侵入者は中央アフリカあたりの傭兵だと見抜く。侵入者は住人の一人、ハミルさんが目当てらしい。住人の一人、スミスさんは交渉の余地があると判断するのだが・・・・。

<つかのまの・・・・>
 6月10日に1402号室に山田憲子と名乗る新規入居者がある。本人が現れたとき、拓馬がまず助手として対応した。拓馬はその女がテレビタレントの「山之みくる」だと気づく。キャバ嬢あがりで、毒舌が売りの美人。拓馬がネット情報を調べると、ストーカーのようにしつこく追いかけて、プライベートの行動や写真をネットにアップしている「みかん会」(み○ちゃんを観察する会)に追いかけられているもようなのだ。
 山之みくるが入居した直後から、マンションの外での写真がネットに流れ始める。管理人の白旗はマンションの外の事は無関係と言う。だが拓馬は放っておけないと動き出す。その顛末エピソードである。

<闇の術師>
 管内を巡回し、掃き掃除をしていた拓馬は突然体に異変を感じる。体が動かなくなる。白旗に背負われて管理人室に戻る。1401号室のモグリの外科医ケンモツさんは診断しギックリ腰だと見立てる。管理人白旗がヨギさんに連絡を入れる。そこで、601号室の住人、ヨギさんが登場する。闇の整体師である。ヨギさんの手技で拓馬は半日もすれば治ると言われる。ただし、術料は1回100万円だと告げられる。明後日、闇の整体師たちの施術研究会があり、流派対抗の施術試合があるという。ヨギさんは現在研究会の会長。施術試合で挑戦を受ける立場にある。拓馬は100万円の術料の代わりに、施術試合のために施術をうける体を提供することになる。その顛末のストーリー。これまた、とんでもない施術試合になる。挑戦者はヨギさんに完敗する結果となるのだが、ヨギさんは拓馬に言う。「死んでよみがえったのだ。もう少し遅ければ、脳はよみがえらんかったかもしれん」と。
 一風変わったストーリーの展開がおもしろい。

<最凶のお嬢様>
 会社への定時報告は拓馬の役割となる。白旗の話し方が分かりづらいことから、会社の担当者も拓馬との会話を喜ぶ。拓馬は会社の担当者から、来月4日、301号室に新入居があり、契約者は「市川みずき」と連絡を受ける。荷物が先に到着し、本人の入居は翌日以降だと。
 会社さしまわしの業者にまず持ち込まれた荷物の中に、ジュラルミン製のケースがあり、ケースには黒い紋章のようなマークが入っていた。中身次第で、それらのケースは居室ではなく地下のトランクルーム預りとなる。確認する必要があると、拓馬は業者と押し問答をしていた。通りかかったイケミヤさんは、そのマークを目にして、いつもの笑みから表情が変わった。拓馬はそれに気づく。拓馬が後でイケミヤさんに尋ねると、そのマークは竜胴家の家紋だと言う。
 そして、市川みずきと名乗る女が、挨拶に来ただけだと言い、ついに現れる。モニターでその顔を見た白旗がなぜか呆然としたのを、拓馬は見た。白旗は拓馬にいう「気をつけろ。あの女にだけは」と。
 
<黒変>
 拓馬が昼の休憩時間に多摩川の堤で弁当を食べ、階段を登ったとき、いきなり襲われる。襲ったのはなんと警察の人間で、ワンボックスカーに連れ込まれる。刑事はこのマンションの実情並びに拓馬の素性も承知していた。そして、拓馬に1枚の写真をみせ「知ってるか」と尋ねた。それは香港出身の歌手兼女優としてアジアでは有名なジェーン・ホワイトだった。拓馬は単に有名人として知っていただけである。「まだ現れていないんだな」「住人なのかよ」というとんちんかんな会話になる。刑事は拓馬を放り出せと開放するが、拓馬に伝言するよう命令する。「白旗に伝言しとけ。コクヘンした、と」。
 休憩時間を過ぎて管理人室に戻った拓馬は、管理人の白旗からどやされるが、伝言を伝えると、白旗の表情が暗くなる。コクヘンの意味が伝わったのだ。
 指示を受けて、9階の床のタイル貼りの修理作業をしていた拓馬は904号室の住人、タチバナと知り合うことになる。タチバナはハッカーだった。部屋に招かれ、話をする内に、色々と情報を得る。タチバナは会社のデーターベースにも侵入していた。そこで、403号室の住人が黒小蘭ということがわかる。
 管理人室に拓馬が戻ると、しばらくして、住人の一人が車で外出する。マンションを出た矢先に、事件が起こる。それはコクヘンの意味するところに繋がるのだった。これが始まりとなっていく。
 この「黒変」は一つの結末を持ちながら、最終ステージへの重要な布石となる。なんと、白旗が背景情報に熟知しているのだった。白旗は拓馬に言う。「問題は、次の彼女の標的だ。まちがいなく、ここの住人だ」と。

<201号室>
 寒い12月初めに、サダムというエジプト人が入居してくる。2階が希望という条件を出す。2部屋の空きがあったので、201号室に入居する。彼は長持ちのような衣装ケースを5つほど持ち込んでくる。故郷のアスワンの砂で祖先と関係する砂だと言う。
 翌日、京都ナンバーのロールスがマンション前に現れる。雪かきをしていた白旗と拓馬の前に立つ。「先日は妹が迷惑をかけた」と、兄が白旗に告げる。竜胴寺と白旗の会話が管理人室で始まる。話題はドバイの仕事とUAEの情報機関に及ぶ。拓馬には竜胴寺と白旗の関係が徐々に分かってくる。
 思わぬ方向からの竜胴寺の話が、砂が入っているという長持を部屋に持ち込んだサダムという新規住人に直結していく。白旗の推理は思わぬ俊敏な行動に転換していく。拓馬は白旗に協力し、サダムの企みを阻止することになっていく。再び特別回収措置が必要な結末となる。

<元旦の訪問者>
 元旦の午前6時に起きた拓馬が白旗に新年の挨拶をすると、白旗はそっけなく頷いただけで、「侵入者だ」と告げる。モニター映像を白旗が巻き戻し調べると、午前3時26分に異変が始まったらしい。プロの侵入。建物内に潜んでいるようである。空き部屋を一つずつチェックしていく羽目になる。
 そんな最中に、市川みずきという偽名で入居し、荷物を先に搬入していた竜胴寺さくらが和服姿で現れる。白旗に協力するという。
 侵入者を白旗たちは捕まえるが、そこから、既に死んだ住人との関わりが分かってくる。さらに、拓馬を襲い「コクヘン」の伝言を命じた刑事までが、管理人室に現れるという結末になる。そこに電話が入る。拓馬が電話を受けるが、女の声が管理人に代われという。白旗がやり取りをしたあと、拓馬と刑事を見て、息を吐く。「明後日、ジェーン・ブラックがくる。それまでにさくらを退去させろといわれた」と。
 今までの連作ストーリーをまとめ上げていくような位置づけにもなっていて、おもしろい。白旗の大凡の正体もわかりだす。

<緊急避難通路>
 1月3日の午前6時30分、館内巡回中の拓馬に、ジョギングウェア姿の竜胴寺さくらが声をかける。これからジョギングに出かけるという。そんなシーンから始まる。そして、最後の対決が始まって行く。川縁に貼り込んでいた刑事に死人も出ていた。
 マンション内に留まらず、外部を巻き込む事件に発展していた。管理人の白旗は、会社に状況を報告し、最後の指示を受ける立場になる。そして緊急避難通路の確認と使用に進展して行く。死闘の始まりである。誰が生き残るのか・・・・・。

 このオムニバス形式の作品、ハードボイルドであり、奇想天外そのもののヴァーチャル世界である。「極悪人の安全とプライバシーを守る専用住宅」を舞台にしつつ、住人はこのマンション外、境界の外で、次々に死んで行く。
 読者としては退屈せずに一気読みできるエンターテインメント作品になっている。まさに活字版超弩級劇画である。マンガ化してもおもしろい飛んだ作品になるだろう。

 ご一読ありがとうございます。

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徒然にこの作家の小説を読み、印象記を書き始めた以降のものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『夜明けまで眠らない』  双葉社
『十字架の王女 特殊捜査班カルテット3』 角川文庫
『ブラックチェンバー』 角川文庫
『カルテット4 解放者(リベレイター)』 角川書店
『カルテット3 指揮官』 角川書店
『生贄のマチ 特殊捜査班カルテット』 角川文庫
『撃つ薔薇 AD2023 涼子』 光文社文庫
『海と月の迷路』  毎日新聞社
『獣眼』  徳間書店
『雨の狩人』  幻冬舎

『売茶翁の生涯 The Life of Baisao』 ノーマン・ワデル 思文閣出版

2017-09-18 16:13:12 | レビュー
 私が「売茶翁」という名を知ったのは、2000年に京都国立博物館で「没後200年 若冲」特別展覧会で、若冲筆「売茶翁」が出展されていたときである。その時は、中国風の服を着た翁がお茶を売る姿として眺めた位だった。売茶翁という名称に再び出会ったのは、2013年6月、宇治市にある黄檗山萬福寺を拝観したときである。境内の一隅で白壁の龍宮門形式の入口が目に止まり、傍に「売茶堂」という石標が立っているのを見て、扉のないその門をくぐったことにある。「茶禅」という扁額のかかった小さな御堂があり、その近くに「売茶翁顕彰碑」があった。また、「喫茶去」という扁額を掲げた建物の入口も近くにあった。「売茶翁」という言葉がこのとき目に止まったので、写真を撮っておいた。しかし、若冲の絵とこの顕彰碑がぴたっと直結することはなかった。
 そして、三度目の出会いがこの本のカバーを見たときだった。どこかで見た絵! やはり、伊藤若冲の絵だった。本の表紙に使われていたのである。次に興味を持ったのは、これが翻訳書だったこと。高校レベルの日本史でも出てくることがないと思える人物、ということは多分大半の日本人が知らない人物を外国の研究者が研究しているということである。それで、一層関心を持つことになった。
 奥書を見ると、著者は雑誌 The Eastern Buddhist の編集者をへて、大谷大学に勤務し、現在は同大学名誉教授である研究者で、鈴木大拙『日本的霊性』や白隠の語録『荊叢毒蘂』他を英訳してもいる研究者である。

 本書はタイトルにある通り、売茶翁の生涯をまとめた伝記である。
 『大辞林』(初版:三省堂)を引くと、売茶翁について簡潔に説明されている。引用する。「江戸中期の禅僧。肥前の人。俗姓、柴山。僧号、月海。諡は元昭。黄檗山万福寺に学ぶ。京で煎茶を売り、風流の客と交わったのでこの名がある。晩年還俗して高遊外と称した。著『梅山茶種譜略』」と。
 尚、『広辞苑』(初版:岩波書店)を引くと、売茶翁月海について、同種の説明以外に「畸人伝中の人となる。宝暦13年寂(1674 ママ -1763)」と記す。そして、別に元昭の遺風に学んだ臨済宗の僧で、三河無量寿寺を中興した方厳という人も売茶翁と称されたことに触れている。勿論こちらは本書の対象ではないが・・・・・。

 本書の第1章「肥前時代」は柴山元昭の誕生から説き明かしていく。売茶翁は延宝3年(1675)5月16日、肥前国佐賀藩の城下町であった蓮池支藩の家臣、柴山家の三男として生まれた。父は蓮池藩の初代藩主鍋島直澄に医者として仕えていた。売茶翁は、肥前蓮池藩にあった黄檗宗の一末寺である龍津寺において、住職・化霖道龍の下で11歳にて得度した。得度名が月海元昭である。
 月海は12歳の時、化霖の随行僧として宇治にある本山の萬福寺に来ている。この折、萬福寺の住職で渡来僧の独湛は月海の才を認め、漢文の偈頌を与えたという。月海は元禄16年、29歳のときに再度師の随行僧として萬福寺を訪れ、そのまま4年間、萬福寺禅堂での修行に入った。これが辞典に記された萬福寺に学ぶという時期である。月海は33歳で龍津寺に戻る。享保8年2月に大潮元皓が龍津寺の住持を継承することが決まると、一生雲水の如くに行乞流浪する意志を抱いていた月海は自由の身となり、翌年4月に龍津寺を出た。この時月海は50歳になっていた。
 
 徳川幕藩体制の基礎が確立されほぼ100年が過ぎ、人々の自由が規律維持のために制限されるような時代に生きた月海が、売茶翁と称される旧習にとらわれない生き方を京都で送ったのである。この書は、時代の体制、宗派の組織体制などにとらわれない独自の生き様をした売茶翁を現存する諸墨蹟、手紙類、先人の売茶翁伝・諸研究の成果を渉猟し、わかりやすく、年代順に整理し語ってくれている。研究書であるが私のような一般読者にも読みやすいまとめ方である。翻訳自体も読みやすい訳出になっているのだと思う。

 宗派や寺組織という体制から離脱し、風光の良い路傍にて煎茶を煮て茶を売り、なにがしかの銭を得ることで、生活の糧を得るという生き方。「この茶の代金は黄金百鎰から半文銭までいくらでもよい。ただで飲んでいってもよいが、ただ以上にはまけられない」(p56)という意味の文を銭筒に記していたという。
 旧習から離れ、茶を売ることを介して、宗派を超えた様々な僧や文人、市井の人々などとの交わりを深めたそうである。売茶翁の生き方に感化され、売花翁、売酒翁、売菜翁、売炭翁という名を使いその生き方を手本する人々を生み出した一面もあるという。広辞苑の説明に出てくる第2の人物は、その典型例なのだろう。
 江戸時代の京都で活躍した三大文人画家は皆、売茶翁と交わりを持ち、その影響を受けているという。彭城百川、池大雅、伊藤若冲である。伊藤若冲が売茶翁の肖像画をいくつも描いている。そのいくつかを私は上掲の展覧会で見た。本書にもその肖像画が引用掲載されている。また、山科李蹊筆、彭城百川筆並びに池大雅筆のそれぞれの売茶翁像(p56,p111、p147)を本書で初めて目にした。それぞれの描法に違いがあり、それらを対比的に眺めるのもおもしろい副産物である。彭城百川と売茶翁の合作というのも掲載されている。

 本書の読ませどころと思う点を列挙してみよう。
1. 売茶翁の人生を年代順で眺めることにより、その人生ステージがわかりやすい。
 大きくは次のように捕らえることができる。
  肥前時代: 生誕、修行の経緯、龍津寺での生活
  京都移住: 売茶という処世での流浪僧生活、京での度重なる転居と出店地の移動
        伏見街道の二ノ橋付近「通仙亭」 ⇒ 三十三間堂と方広寺の間 ⇒
        双ヶ丘 ⇒ 相国寺林光院 ⇒ 聖護院村
  一時帰藩: 肥前への帰国の理由、還俗の決断
  再度京へ: 在家居士「高遊外」としての売茶翁の生き様、最後の十年の生き様
  売茶翁の京での転居は、売茶地とも絡み、京の景勝地を転々とする形である。当時の京の景勝地の状況が資料を引用しながら、説明されていて、現代の各地の状況を思い浮かべながら、対比的に読むと興味深さが増す。

2. 売茶翁の人生ステージにおける売茶翁の漢詩(墨蹟)や手紙を主体にしながら、京の文人たちの視点や先人の研究成果を取り入れた分析と説明が具体的でわかりやすい。
 著者は、「売茶翁は、自らの禅の目的と自己自身とを徹底して一致させようとした」(p22)という論点で展開していく。当時の人々にとり、売茶翁の生き方は模範となったという。
逆に言えば、売茶翁の生き様と関わり、交流した京の文人、僧侶等の広がりの全容がわかるところが興味深い。特に売茶翁との関わりが深かった人の名前を小見出しとして論じていく手法は、読者にとっては売茶翁の人間関係の濃淡や諸局面が見えて来ておもしろい。

3. 江戸時代における「茶」についての知識を整理できる。
 抹茶を使う茶道に対し、売茶翁は煎茶を提供した。それ故、煎茶の祖とされてきた。
 煎茶の開発史的な局面が組み込まれ記述される。永谷宗円の開発した茶や越渓茶など
 中国の茶にも触れられている。

 著者は、次の見解を記す。「昔(南宋)の蘇東波が、詩文を通じて真に仏道を行じたように、売茶翁は茶を売ることによって、仏道の道を行じたのである。茶を通じて真に仏道を行じた売茶翁以外の者は、村田珠光と利休、そして千宗旦しかいない」(p83)と。
 売茶翁は茶を売ながら、数多くの漢詩を詠んでいる。それは漂泊の僧あるいは居士として、仏道を行じる己の思いの表出・発露であり、それらの漢詩は売茶翁の偈語でもある。漢詩の読み下し文の一節をいくつか引用し、ご紹介しよう。

 鴨河清き処、衣鉢を洗えば、名月波心、影自ずから円なり  p61
                  「卜居三首」 ⅰ
 閙中(どうちゅう)用い得たり、静中の赴き。随処、縁に任せて立処に真なり。 p61
                  「卜居三首」 ⅱ
 自ら笑う、東西漂泊の客。是れ吾れ、四海即ち家と為す。  p62
                  「卜居三首」 ⅲ 
 諸君、笑うこと莫かれ、生涯の乏しきことを。貧、人を苦しめず。人、貧に苦しむ。 p71
                  「舍那殿松下開茶店」
 茶を煮て特に試む、菊潭の水  洗い尽くす、人間胸裏の埃  p73
                  「遊ぶ高台寺煮茶」
 売茶の生計、衰躬を養うに足る。
 儒に非ず、釈に非ず、また通に非ず。一箇の風顛、瞎禿翁(かつとくおう) p114
                  「自賛三首」
 心頭に無事なれば、情、自ずから寂に、
 事上に無心なれば、境、都(すべ)て如なり。  p136
                  「自警偈」

 本書を読み、売茶翁が生涯に唯一の著作をしているのを知った。それは『梅山種茶略譜』で梅山とは栂尾のことという。高山寺の密弁に依頼され、日本茶史における高山寺の役割を説明する書物をまとめたのだとか。
 そして、売茶翁の最後が近くなった頃、売茶翁の友人たちが売茶翁の96の偈首を収録した『売茶翁偈語』(宝暦13年:1763)をまとめたという。その表紙の扉絵に若冲が「売茶翁」を描いている。

 エピローグとして、著者が本書を執筆中に発見された手紙資料という新情報を紹介し、分析と孝察をまとめている。そういう意味でも、売茶翁研究の先端に位置づけられる単行本になるのだろうと思う。

 最後に、著者が触れている2つのことを記しておこう。
 一つは、「近年、学者たちおあいだでは、売茶翁こそが18世紀前半の京都において開花した文化人なのではないか、と言われ出している」(p21)という動きである。他方は、プロローグに記されていることである。アメリカでは、売茶翁を詩僧としての存在価値に着目する動きと、煎茶の愛好家が増えることに併せて、売茶翁により表現される禅と売茶翁の生涯を賞賛し受け入れる動きがみられるという。
 つまり、売茶翁の生き様、その存在が現代において再認識され、注目される時代がくるのかもしれない。
 
 ご一読ありがとうございます。

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本書から関心を抱いた事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
高遊外売茶翁顕彰会  ホームページ
売茶翁の碑(売茶翁没後二百五十年記念碑)(京都市左京区)  :「京都風光」
売茶翁  :ウィキペディア
萬福寺  ホームページ
萬福寺  :「コトバンク」
龍津寺跡  :「ようこそ肥前国神埼郡蓮池(佐賀市蓮池町)へ」
【食(茶の文化)】煎茶道の祖「高遊外売茶翁」を訪ねて  :「うんちくの旅」
売茶翁と顕彰碑  :「さがの歴史・文化お宝帳」
生誕300年記念 若冲「丹青活手妙通神」 :「黒川孝雄の美」
一碗 茶・チャ・ちゃ 最終回 売茶翁と煎ちゃ :「植田信隆オフィシャルサイト」
若冲も憧れた清風の人 売茶翁  ひととき 2017年5月号 :「Wedge」
煎茶通#売茶翁#肥前通仙亭  :「SAGA MAGA」
美術館 玉手箱4「売茶翁 肖像と書」  :「佐賀県立博物館 佐賀県立美術館」
売茶翁 :「伏見通信」
  売茶翁の続 
佐賀)若冲の師・売茶翁の顕彰碑 16日に除幕式と講演 2016.1014
   :「朝日新聞 DIGITAL」
美術史家・狩野さん、売茶翁と若冲の関わり紹介 2016.10.22 :「佐賀新聞」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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『水鏡推理Ⅵ クロノスタシス』 松岡圭祐  講談社文庫

2017-09-14 13:49:34 | レビュー
 この水鏡推理シリーズは、「人の死なないミステリ」を特徴としてきた。ところが、目次の裏ページに、「本書は過労死について描いている」と述べている。そして、今回のテーマは、「劣悪な職場環境による過労死が根絶されるように強く願う」という著者の思いを込めたものである。そして、「劣悪な職場環境」の事例として国家公務員の職場と警視庁とを題材にする。
 過労死問題と水鏡がどう結びつくのか? 「過労死バイオマーカー」の研究が連結ピンとなる。この研究は厚労省と東京大学大学院医学系研究科の共同開発であり、同大学院の特任教授菅野裕哉医学博士が創始者兼開発者としてほぼひとりで研究をまかされている。PDG値が157.5を超えていれば過労死リスクにつながるという検出方法であり、この数値の検出で事前のリスク対策をめざそうとするものである。
 研究公正推進室の石橋室長は、総合職の須藤誠と水鏡瑞希を呼び、この過労死バイオマーカーについて、3日以内にこの研究内容を評価し報告書を提出するよう指示した。石橋室長は、過労死バイオマーカーはすべてをPDG値に集約し、過労死と過労自殺を予見できる革新的研究であり、値を一見し危険を察知して、労働者に休みをとらせる基準を明確にできるという。厚労省はこの研究の精度が実証されしだい、公的な基準の採用、法案提出に持ち込みたい方針のようだと告げる。水鏡は須藤の助手として、その評価を担当することになる。

 ここで須藤についてまず触れておこう。30歳前後、線が細く、どこか軽そうな印象を漂わせる総合職。本人は総合職として入省したが、同期の中では落ちこぼれ的な状態にいると自覚している。が、転職する勇気も無いという人物。それ故か、一緒に仕事をすると、風変わりな知識を機転に役立てて難問題を様々に解決してきた水鏡から学べるのではないかという思いを持つ。その意識が瑞希の行動を支持する形にもなり、このストーリーでは相性のよい関係として描かれていく。ここが一つの読ませどころになる。
 
 ストーリーの冒頭は一つの過労死事例として、同僚の立場でみた事例描写から始まる。文化庁文化財部の一般職菊池裕美は、秋山惠子の死が過労死だと思っているが、周りの誰もそれを認めていない。所属する学芸研究室の新たな室長に40代の総合職、尾崎寬樹が来てから職場の雰囲気が一変し、修羅場の様相を呈し、連日の徹夜仕事が当たり前になっていた。裕美の所属する職場の雰囲気が描写されていく。
 裕美は厚労省から職員全員に届いたPDG値記載のカードを思いだし、同僚の高田に「過労死バイオマーカーの研究」のことを尋ねる。そして教えられた厚労省の広報誌に特集されていた記事を見つける。裕美自身のPDG値は129.6、惠子のPDG値は167.2だったと思い出す。裕美は同僚から研究公正推進室の末席係員水鏡のことを聞くと、裕美は即座に水鏡に会いに行くという行動をとる。研究が公正なものならば、秋山惠子の死は過労死と認定される可能性があるからと。裕美は瑞希に面談し、過労死バイオマーカーの研究が公正で本物だと立証して欲しいと依頼する。ただし、検証の客観性を保つために、同僚の惠子の死については何も語らない。この時点で、瑞希はこの研究の公正さを評価する業務を担当する以前だった。突然の裕美の依頼は、この研究の評価という課題を助手として取り組むに至って、瑞希がこの研究の公正さの評価に引き込まれていく一つの原因になる。
 裕美が唐突に瑞希の前に現れて依頼事をしたというきっかけは、評価課題を与えられた瑞希の最初の行動に結びつくことはない。なぜ著者は裕美の依頼事というエピソードを冒頭に持ってきたのか? わからないまま読み進めることとなる。だが、このエピソードが重要な伏線となっている。これがストーリーの最終段階で活きてくる。なるほど!という展開になっていくから、読後感として面白さを加える。このストーリーの途中で菊池裕美の言動が時折描かれるが、それはこのストーリーにおけるどんでん返し構想の重要な一つの柱であり、大団円に至る水鏡推理の伏流となっていく。

 このストーリー、大筋で眺めると、菊池裕美の訴えを聞いた後で、「過労死バイオマーカーの研究」の評価という課題に須藤の助手として瑞希も担当。その研究内容の資料読み。研究者の菅野博士の研究室訪問と面談。昨年の春以降に全省庁職員で亡くなった人とPDG値の確認により該当者3人の事例を入手。菅野も事例の細部について検証し研究成果との関連性を分析する必要性に同意。調査の対象を文科省に一番近い財務省での死亡事例に絞り込み、活動を開始。菅野から基本情報を入手。ここから始まる。
 死亡事例の対象となったのは、財務省主計局主査だった吉岡健弥。1981年7月18日生まれ、35歳の総合職で、東大法学部出身。菅野は、主査は主計官の補佐であるが、在職中または退職や異動直後に亡くなった人が多いという。菅野は瑞希の質問に対し、吉岡のPDG値を測定した愛真会病院精神科、医師・佐久間竜平の名を教える。勿論、菅野は須藤と瑞希が佐久間に面談し調査することに同意する。
 菅野によれば、PDG値が基準値を超えている人に関して、過労死の危険性を伝えたが、研究段階だということで、省庁側は菅野の助言を無視したという。

 佐久間医師は、菅野の研究を認めながらも、吉岡は過労死ではなかったと言う。そして、菅野博士は研究の成果が認められ、閉塞性血栓血管炎の奧さんのために医師としての地位向上を望んできたことは有名な話だと須藤と瑞希に告げる。
 須藤と瑞希は、主計局を訪れ、吉岡の元同僚に面談する。同僚は、吉岡が結婚間近で、幸せの絶頂期に居て、婚約者は松浦菜々美という。吉岡のデスクには婚約者の写った写真が置かれていた。過労については、返答に困惑する者とありえないと答える者がいた。
 次に、須藤と瑞希は警視庁に赴く。吉岡の自殺事件を扱った矢田警部補に面談するためである。矢田は、大手商社アルカルク女子社員過労死疑惑の捜査に携わっていた。矢田から吉岡の自殺事件の概要を聞く。鎌倉警察署が扱い、由比ヶ浜東端、滑川川口付近で発見され、死因は溺死。現場の状況と医師の検案書により、自殺と報告されていた。担当医は検案書に永井泰己と記されていた。上の判断で、捜査は終了していた。
 矢田は過労死自殺の疑惑について、思うところはあるが刑事としては捜査終了については仕方が無いという。過労死は民事責任のみで刑事責任を問えないというのが従来の風潮なのだと言う。過労死疑惑に対して、業務上過失致死の適用ができるかどうかという観点で捜査対象になるのだという。矢田は、上司の許可を得ないと、松浦菜々美の連絡先を教えられないと言う。
 警視庁を辞すとき、職員から矢田の同期で同僚が亡くなっていて、過労死疑惑で遺族が公務災害を争ったが認められなかったということ。矢田が過労死問題には尽力したいと思っている刑事だと聞かされる。そして、警察官の殉職理由の一位は過労死であり、キャリアであっても激務だからと。また事件性があきらかなら矢田が動いてくれるのではとも言う。
 ここから瑞希が吉岡の自殺事件が過労死を原因とするのかについての調査に具体的に取り組んでいくことになる。まず話を聞くために松浦菜々美探しをどうするかから始まって行く。瑞希が独自判断で調査行動に邁進し始める。例の如く、動き出したら止まらない。それがこのストーリーに引きつけられる要因でもある。今回は須藤がかなり協力的なのが幸いしていくのだが、瑞希の悪戦苦闘は変わらない。瑞希の推理と行動が、勿論今回も読ませどころである。松浦菜々美探しが、瑞希の推理を経て意外な結末へと導いていく。
 ストーリーの最終ステージは、この研究の評価に関わる謎解きが3つの場所を舞台として行われていく。1つは、警視庁の会議室。事件関係者が集まった場所で、瑞希の謎解きが説明される。2つめは、菅野博士の研究室を須藤と瑞希が再訪問し、研究に絡んだ謎解きをする。3つめは、冒頭の菊池裕美が瑞希に依頼した事柄への解決である。
 この謎解きはどんでん返しの発想ができないと至り得ない結末だから、凡人読者としてはウ~ン・・・・・ナント!・・・・・である。

 メイン・ストーリーの展開の各所に、ちょっとした枝葉的エピソードが2つ挟み込まれているのは、いつもの通りである。今回もなかなかおもしろい水鏡推理による問題解決エピソードとなっている。須藤が仕事として関わった課題に関連している事項である。瑞希がちょっとした助言をしたり、行動をとることで、これらサブ・ストーリーが決着していく。須藤は瑞希に助けられる。これらは著者の読者を楽しませるサービス精神か。
 *超音波ネズミ避け器製造販売会社からのクレーム対応
 *モバイル機器への自動ハッキング問題への対策提案への対応

 さらに、一つおもしろいオチが書き込まれている。瑞希もこの研究の一段階で、全省庁の職員の一人として、PDG値を測定されていた。そして、この研究の評価に助手として担当に加わり菅野の研究室を訪れたとき、再測定をしていたのだ。その結果、瑞希に一つの影響が及んでくる。それは何か? お読みいただき、最後に楽しんでいただきたい。

 この小説の読みどころとなり、おもしろくかつ興味深い点を列挙しておこう。
1. 素直に読み始めれば、思いもつかないどんでん返しの構想でストーリーが組み立てられ、幾度か読者をあっと言わせるおもしろさ。結果的に水鏡推理シリーズの大前提「人の死なないミステリ」の前提がクリアーされている。
2. 日本における最近の過労死状況についての統計的データや法制化の経緯など、事実情報が背景情報として書き込まれ、読者の認識を高める局面を提示している。
3. 著者が過労死問題について、国家公務員の職場における時間外労働の実情について、フィクションの形をとりながらも、現実に起こっている状況を社会諷刺風に描き出す。それは一つの現代社会における官僚社会機構内部の問題点として批判の対象になっている。単なる推理エンターテインメントに留めてない。ちゃんと読者に考える材料を提示している。
4. 石橋室長が須藤と水鏡に与えた時間は3日という限定。このタイムリミットがストーリーの展開に緊迫感を与えて行く。こんな進め方で大丈夫? と読者に思わせる展開にどう進むのかと読者を引き込んでいく。
5. 「過労死バイオマーカーの研究」の理論的次元での評価は世界並びに日本の研究者、関係者が既に完成していると認めているという実態がまず明らかになる。そのため、過労死実例の確認調査という観点からデータ値の妥当性評価に絞り込まれる。実例の調査確認という次元での評価行動が実際の課題となる。国家公務員の自殺事件の調査に絞り込むことで、推理の展開が始動する。その巧妙な設定の意外性がおもしろい。

 このストーリーは読者に簡単には展開の予測を立てさせないところがさすがだと言える。煙にまくやり方が緻密で職人芸的でもある。後で部分的に読み返すと、ああこの言葉の使い方で錯覚させられたのか・・・・という箇所に気づくという次第。立ち止まり立ち止まり、検証的に文脈を詠み込まなければ、恐らく著者のからくりに惑わされると思う。ストーリーの流れに沿って読み進み、先を読みたくなると、多分著者に手玉に取られること請け合いである。私は著者の語り口に惑わされた一人、凡人読者だから。

 今回も水鏡は己の信念に基づき、ひたすら突っ走る。疲労困憊という形になるが、その中から思わぬ閃きと推理で、結果を出す姿は、やはり楽しめる。読者を裏切らない。

 ご一読ありがとうございます。

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本書のテーマに関連する事項をネット検索してみた。一覧にして起きたい。
クロノスタシス  :ウィキペディア
しばらく目を隠して急に時計を見ると、一瞬秒針が止まったように感じるのですが何故でしょうか? :「YAHOO! 知恵袋」
クロノスタシスとは何か?  :「NAVWER まとめ」
過労死等に係る統計資料  資料4  :「厚生労働省」
平成28年版過労死等防止対策白書(本文) :「厚生労働省」
「どう防ぐ?過労死・過労自殺」(くらし☆解説)  :「NHK 解説委員室」
日本の自殺の現状と原因―「死にたい」と「うつ病」は深く関係している
     :「Medical Note」
地方で自殺が急増した「意外な理由」?日本社会の隠れたタブー  貞包英之氏
     :「現代ビジネス」
日本を動かしてきた「電通」の正体~「過労死問題」は落日の始まりなのか
     :「現代ビジネス」
バージャー病(指定難病47)  :「難病情報センター」
バージャー病の症状や原因・診断・治療方法と関連Q&A  :「gooヘルスケア」

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これまでに読み継いできた作品のリストです。こちらもお読みいただけるとうれしいです。

『水鏡推理Ⅴ ニュークリアフュージョン』  講談社文庫
『万能鑑定士Qの最終巻  ムンクの<叫び>』  講談社文庫
『アノマリー 水鏡推理』 講談社
『パレイドリア・フェイス 水鏡推理』  講談社
『水鏡推理Ⅱ インパクトファクター』  講談社
『水鏡推理』  講談社

松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.1    2016.7.22 時点
万能鑑定士Qの諸シリーズ & 特等添乗員αの難事件シリーズ

『ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」』 高瀬 毅  文春文庫

2017-09-03 11:55:45 | レビュー
 『決定版 長崎原爆写真集』の読後印象をここに載せている。この写真集を見て、関連文章を読んだとき、瓦礫となった浦上天主堂と爆心地の関係などをネット検索していて、本書が出版されていることを知った。元々は2009年7月に平凡社から単行本として出版されていたようだ。その時点からつい最近までこの本の存在を知らなかった。
 著者は2009年にその年、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞したという。
 そして2013年7月に「文春文庫のための追記」を増補して、改めて文庫本として出版されていたのだ。これにも気づいてはいなかった。

 「原爆ドーム」というコトバを聞けば、すぐに広島という場所と傍から見上げた廃墟、原爆ドームを想起する。あのドームの姿、焼け野原となって平坦に拡がる瓦礫の地、そして相生橋に集まってきた人々の被曝の姿と石段に焼け付いた人影・・・・。
 私の中でも、ナガサキは知識の記憶に沈み、ヒロシマの背後、陰にあるに留まった。上掲の写真集を見るまではそうだった。新聞報道においても、ヒロシマでの毎年の式典と、その3日後のナガサキの式典との間には状況の報道の仕方に大きな差がある。ナガサキはいつもサラリと記事に記される程度である。それは何故なのか?その一端が本書を読み、理解できたように思う。

 「長崎で生まれ、高校を卒業する年までその町で育った私も、天主堂の壁の残骸を深く気にとめたことはなかった。・・・・つきつめて考えることはなかった」(p15)と最初にその立場を記している。被曝から10年目の年に生まれたという著者が自らのナガサキに対する意識の変化を述べていく。なぜ「消えたもう一つの『原爆ドーム』」について、消えた理由を究明する動機を語るところから始まる。
 ヒロシマの原爆ドームに対して、それに相当する「消えた」ものは何なのか? 
 それは爆心地にほど近い距離において、原爆爆発の洗礼をうけて破壊され「廃墟と化した浦上天主堂」である。

 浦上天主堂について、まず要所を略記する。
1895(明治3) 浦上天主堂完成。 江戸時代に絵踏みを行わされた庄屋の敷地に建設
1945(昭和20) 8月9日 長崎に原爆投下  天主堂瓦解
1946(昭和21) 12月 廃墟跡の一画に仮聖堂完成
1949(昭和24) 原爆資料保存委員会発足。それ以来毎年、廃墟の天主堂の保存を答申
1954(昭和29) 7月 「浦上天主堂再建委員会」発足
1558(昭和33) 3月  浦上天主堂の廃墟の取り壊し始まる
1959(昭和34) 11月 新しい浦上天主堂が完成

 つまり、現在私たちは長崎の浦上の地で、江戸時代から多数の殉教者を出し、信者の苦難、弾圧の過程を経て、信者たちによる天主堂建設、被曝による瓦解、再建された天主堂という形で、現在の天主堂そのものを現地で、写真で目にする。長崎の観光地の一名所、キリスト教信者の聖地としての浦上天主堂である。勿論、原爆投下により、廃墟と化した天主堂が再建再興されたとは語られても、今の姿の天主堂を目にするだけである。

 著者は「原爆ドームのある広島と、見るべき遺構のない長崎」(p261)と記し、「『怒り』の広島に対して『祈り』の長崎。おなじ原爆を投下された都市でありながら、その後の都市のアピール力とスタイルは対照的である」(p261)という。「広島に比べて長崎は影が薄い」(p261)と。この影の薄さを「劣等被曝都市長崎」と高橋眞司氏が呼び、「新・長崎学」を提唱しているという。
 著者は影が薄くなった原因を、「廃墟浦上天主堂」を遺構として残すということができなかったことを、原爆ドームと対置して考えて行く。なぜもう一つの「原爆ドーム」が消えたのかと・・・・・・・。

 残された写真、国内に記録され残された文献資料、現存する人々への聞き取り調査などをソースとして、分析を進め、さらに、埋められない部分の資料収集と関係者の聞き取り調査としてアメリカにも出向く。国立公文書館での資料収集から始まり各地での調査、インタビューを繰り返す。
 1958年3月29日に長崎市役所が焼失し、天主堂廃墟の保存・取り壊し再建の長年の論争に関わる公式記録や当時の田川市長渡米関連資料などが焼失した。天主堂廃墟の写真の大部分も焼失した。そんな悪条件の中で、著者の分析・推理が進展して行く。
 この資料の収集・分析と最終的に決め手となる証拠を入手できないまでも、関連する事実資料と状況証拠を積み重ねていくことで、ほぼそうだと納得できる仮説を立てるプロセスは読み応えがある。

 ナガサキと原爆の情報をネット検索している過程で、長崎は原爆投下目標地・小倉が視認できない状況だったので、二次的投下想定地の長崎に原爆が投下されたという事実を知った。本書でその経緯を時系列的かつ具体的に知ることができた。そこにはどうも様々な偶然的な要素も絡んでいたことも含めて・・・・・。結果的に長崎に原爆が投下されたのだ。だが、長崎での投下目標地点は浦上ではなかったのだ。

 本書では、以下の観点が客観的に事実資料により裏付けながら論じられ、それらの観点が様々に交わりながらある仮説に包含されていくという見方を提示する。描き出された推定は、関係者個々人の思いと行動の背後に、アメリカの壮大な政治的意図が潜んでいたのではないかということである。ここでは、観点を上げておこう。
1. 浦上天主堂が建設された歴史的背景と経緯。それは再建意思にリンクしていく。
2. 「浦上の聖者」と呼ばれ、『長崎の鐘』並びにそれに先立つ著書等が当時ベストセラーとなった永井隆氏の存在と、「原爆は神のご摂理」と解釈した永井氏の立場の存在。
3. 原爆資料保存委員会は、発足後(上掲)、浦上天主堂廃墟について、市長に「保存すべし」と答申をしつづけたという経緯。
4. アメリカのセントポール在住のルイス・W・ヒル・ジュニアの提案が契機となり、長崎とセントポールの姉妹都市提携の話が浮上した。この縁組みは、セントポールから、「日本国連協会」を仲介役として、持ちかけられたという。この姉妹都市提携が成立する経緯、そこに関わる人々を洗い出し、その人間関係のつながりを分析していく観点。
  著者はそこに、提携がある種の意図を持って仕組まれていたのではないかと論ずる。
5. この提携話に絡み、田川市長が渡米する経緯という観点。セントポールからの招待は当初の設定期日での渡航が実現できず、その翌年のとことなった。著者はその事情を分析するとともに、アメリカでの行動・訪問地が全米に跨がり、なぜ約1ヵ月にもなる大旅行となったかを追跡していく。
6. 渡米前は天主堂廃墟の保存に関連して指示を出していた田川市長が、アメリカから帰国後、天主堂廃墟の取り壊し、再建を支持する立場に急変した「心変わり」がなぜ起こったのか、その核心究明を試みるという観点。田川市長は帰国後、廃墟の保存は、「資料として無意味」とまで論じる立場に翻心したのだ。それは、なぜ?
7. 浦上天主堂の教会側は、どのような動きをしていたのかという観点。1954年7月の再建委員会が発足して活動が始まる。当時の山口司教が再建資金募金活動のために、渡米して積極的に募金献金の訴えのための行動を取る。この経緯を追跡する過程で、教会側の廃墟保存に対する立場を明らかにしていく。山口司教の渡米は1955年5月。一方、上記田川市市長が渡米するのは1956年8月22日~9月25日。近似の時期に渡米している。
8. 著者がアメリカに行き、国立公文書館を皮切りに調査をした範囲から、何が読み取れ、見えて来たかの分析・整理の観点。それが著者の仮説への裏付けとなっていく。
9. 広島において原爆ドームの保存はスッキリと決まったという。一方、長崎では、保存の意思を示していた市長が、翻心し、廃墟の撤廃・天主堂の再建となった。この事に対し、長崎市民の思いはどうだったのか。著者は、馬場周一郎記者の見解を引用し、長崎の2つの地域における文化的な隔絶、断層の存在という観点に触れる。「ナガサキの断層」である。

 このドキュメンタリーは事実情報の積み上げによる仮説の提示にとどまる。だが、そこには一筋縄では捕らえられない実態を克明に追跡し分析するプロセスが描き出されていく。読み応えがあり、納得度のある仮説である。
 天主堂の廃墟を「原爆ドーム」にできなかった長崎が、ヒロシマの陰に隠れてしまい、ヒロシマに包含されがちな弱さとして、70年を経ることとなったことを肯かせる気がする。それは「歴史的遺構」が目の前に現存することの迫力が多くの人々が見て、感じて、考えるトリガーとなることを証明しているとも言える。
 遺構の保存は、常に賛否両論を引き起こす。だが、凡人には眼に見える遺構は大きな価値を持つ。再建された立派な浦上天主堂の写真から、少なくとも私は、原爆・被曝をただちに連想できるだけの力は無い。やはり、そう感じる。

 最後に、印象深い文をいくつか引用しておこう。
*スウィーニーの手記を読むと、小倉の攻撃が手間取ったのは、前日の八幡製鉄所に対する空爆による火災のたあめ噴煙が上がっていたことが大きな原因だったことがわかる。・・・・・もし、この噴煙がなかったら、彼らが第一目標の小倉に原爆を投下できたことはまちがいない。 p61
*こうした人間の交流、文化的な面での関係づくりを通して、米国に対する他国民の関心を高め、結果的に米国の安全保障に寄与させていくのだ。この政策を「パブリック・ディプロマシー」という。 p233
*そうした時代に、原爆によって破壊された浦上天主堂の廃墟の残骸が、戦後十年を経てもなお爆心地近くの岡に残されていた。米国からみれば、それは反核・反米感情を刺激する建造物として、キリスト教徒の上に同じキリスト教徒が原爆を落とした罪の象徴として、忌まわしいものに映っただろう。 p255
*原爆ドームが、「そこに」ありつづけることで、広島を訪れた人たちは足をはこび、歴史の「目撃者」を眼の当りにする。そのことによって、そこで過去、何があったのか、想像力を膨らませる。・・・・「広島」の原爆ドームから、「ヒロシマ」の原爆ドームへと普遍的な意味をもった「遺産」へと広がったのではないか。 p260
*廃墟は人の心を愉快にはしない。悲惨で、痛ましく、暗く、重苦しいものだ。目をそむけたくなる人もいるだろう。だが、それと向き合っていると、いろいろなものが見えてくる。さまざまな声が聞こえてくるのだ。 p266
*形あるもの、「そのとき」「そこにあったもの」が持つ力を私たちは、もっと深く認識しなければならないのではないか。そして破壊されたものを醜いものとする捉え方自体、真実から眼をそらすことであり、歴史の抹殺、人類の自己否定に通じる行為だということも。 p267

 原爆が投下されたナガサキを知るためにも、本書の一読をお奨めする。
 ご一読ありがとうございます。

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ナガサキに関連して、ネット検索した結果を一覧にしておきたい。
長崎 平和・原爆 総合ページ
  原子爆弾とは 
  被災写真 
  被爆直後の爆心地    
  永井隆記念館 
田川 務  :ウィキペディア
永井隆(医学博士) :ウィキペディア
永井隆博士が残した被爆の記録と生き様  :「nippon.com」
長崎原爆と浦上天主堂  :「Google Arts & Culture」
長崎原爆投下70周年 : 教会と国家にとって歓迎されざる真実
 :「マスコミに載らない海外記事」
浦上天主堂  :「原爆慰霊碑・遺跡めぐり」(長崎平和研究所)
カトリック浦上教会  :ウィキペディア
日本人はもっと怒っていい byオリバーストーン
       :「私にとって人間的なもので無縁なものはない」
広島・長崎と「記憶の場」のねじれ -「被曝の痕跡のポリティクス-
    福間良明氏論文  立命館大学人文科学研究所紀要(110号) 
長崎市への原子爆弾投下  :ウィキペディア
長崎原爆落下中心地(原爆落下中心地公園)1 :「ここは長崎ん町」
【原爆投下3ヵ月後】長崎の爆心地を撮影した驚愕のカラー映像 :「gooいまトピ」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『決定版 長崎原爆写真集』 「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版
『決定版 広島原爆写真集』「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版
『第二楽章 ヒロシマの風 長崎から』 編 吉永小百合 画 男鹿和雄 徳間書店
『神の火を制御せよ 原爆をつくった人びと』パール・バック 径書房