遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『村上春樹はノーベル賞をとれるのか?』  川村湊  光文社新書

2017-04-23 11:57:04 | レビュー
 タイトルの面白さに惹かれて読んでみた。
 本書は三部構成になっている。
 第Ⅰ章「ノーベル文学賞と日本人」、第Ⅱ章「ノーベル文学賞とは何か」、第Ⅲ章「村上春樹は”第三の男”になれるか?」である。過去に村上春樹の随筆をたまたま読んだだけで、その作品を読んだことがない。本書の著者が、村上春樹についての文章を多く書いてきたと言うのも、本書の「まえがき」を読み始めて知ったところである。そんな私がなぜ、このタイトルに関心を持ったのか? それは、たまたま随筆を読んだことから、少し村上春樹の作品を読んでみようかと思い始めたからである。
 著者が記すように、ここ数年ノーベル文学賞が発表される頃だけ、村上春樹ファンの受賞待望報道がニュースを賑わしていたので、このタイトルを受け狙いのものなのかどうか、ちょっと読んでみる気になった。

 この書を読んだ第一の印象は、自分の読書傾向がいかにノーベル文学ジャンルから程遠いかという認識である。様々な言語で書かれた世界の文学から、ノーベル文学賞に該当する作家を選ぶことのバリアーが多くて、やはり他分野のノーベル賞と同様に、文学賞も政治的視点が関与するのだなという印象である。

 著者は本書の眼目は第Ⅱ章「ノーベル文学賞とは何か」にあると「まえがき」に明記している。その著者が、「これは、外国語がほとんどできない私が、日本の翻訳文化のおかげをこうむり、これまで読んできた世界文学論であり、翻訳文学論であるともいえる」「現実的にいえば翻訳文学の文学賞にほかならない」と「まえがき」に明記している。
 つまり、著者自身が過去のノーベル文学賞の推移を第Ⅱ章で論じるとき、著者が読んできた翻訳文学を介して分析・批評し、論じているのである。ノーベル文学ジャンルにほとんど縁のない私には、世界の様々な作家名は勿論、著者の批評する作品群に対してすら情報の持ち合わせがないので、一種知らない外国語を読むようなものだった。とは言うものの、著者の論点はそれなりに理解できるし、参考になる。

 世界文学に通暁しない一般読者としては、やはり第Ⅰ章が一番おもしろいと思う。
 川端康成はノーベル文学賞を受賞したが故に、「浴室の洗面台付近でガス管を口にくわえて死亡した」という結果をもたらした。三島由紀夫はノーベル文学賞を受賞できる自負を持ち、受賞を期待してた故に、川端康成が受賞した後、1970年11月25日に「決起の自殺」「自決事件」に至ったとされている。このあたりの情報と背景が論じられているので、興味深さがある。なぜ、三島ではなく川端が選ばれたのか、についてノーベル賞選考に絡んだ証言情報を分析しながら論じているので、興味深さが増す。
 ノーベル文学賞を日本人として2人目に受賞したのは、川端から26年後、1994年である。
 日本の受賞者を論じるにあたり、著者は情報公開により、賀川豊彦、谷崎潤一郎、西脇順三郎、三島由紀夫が過去に日本人候補に挙がっていたいたことに触れている。また、大江健三郎が受賞した時には、大江が受賞可能性があった作家として、安部公房、井伏鱒二、大岡昇平を挙げて居るのに対し、著者は安部公房と遠藤周作がノミネートされていたのではないかと論じている。他にも作家名を幾人か挙げてノーベル文学賞周辺事情を明らかにしていく。知っている作家、作品を読んだことのある作家がでてきて、読みやすさがある

 第Ⅱ章は、「1.ノーベル文学賞の歴史」「2.ノーベル文学賞・傾向と対策」「3.受賞後の世界・非受賞者の世界」という構成で、過去の歴史と受賞者のプロフィールや作品内容を俎上に載せて、受賞者選考のプロセスを含めて論じていく。世界の作家名は大半が初めて目にする名前であり、著者の解説・批評する作品は、当方の無知故に黙って読み進めるしかない。カタカナ、漢字・かな混じりの外国語を読む感なきにしもあらず・・・・である。 一方、著者の分析的論述から、次のようなノーベル文学賞絡みのキーポイントがあることが理解できる。興味を抱かれれば、詳細は本書をご一読願いたい。

*ノーベルの遺言には、文学賞の受賞者についても語っているという。
  ⇒ 「理想主義的傾向をもつもっとも注目すべき文学作品を発表した者」(p91)
*ノーベルの遺言により、スェーデン・アカデミーが選考委員会となる。
 現在はほぼグローバルに推薦、答申、意見調査などが実施されている。
*ノーベル賞委員会の委員は18名、投票により多数決で受賞者を決定する。
*ノーベル文学賞は2015年時点で、114年の歴史があり、111人が受賞している。
  ⇒本書巻末に「ノーベル文学賞歴代受賞者年表」が載せてある。
*原則、複数の分割受賞は行わない。例外事例は存在するが。
*賞金はクローナでわたされる。邦貨で約1億円前後だそうである。
*2016年現在で非西欧語の文学者と推定できるのは9人だけ。あとはヨーロッパ系言語。
*賞は、各言語、各国(地域)の”持ち回り”で決められていることはほぼ確実
*必ずしも世界的な”大文豪”といわれる人が受賞しえいるわけではない。
*ポルノグラフィーはタブー。エンターテインメント作品は選考対象外。
*作品に極端な清治思想が含まれると嫌われる。
*同じ文学運動や系譜の領域からは代表者1名が受賞できるといのが暗黙のルールとか。
  ⇒作家の作品の質とは無関係に運不運とタイミングがある。まあこれはどこで同じ。
*政治的視点からノーベル賞受賞が扱われることもある。
*委員会の決定時点で生存している作家が選考対象となる。尚、過去に例外はある。
*過去の受賞分析からは、ノーベル賞が文学の前衛性を認めている先進性もある。

 読み落としている要点があるかもしれないが、著者の論点の大凡は含まれると思う。
 「最近、シンガーソング・ライターのボブ・ディランにノーベル文学賞を、という動きがあるそうだが、ポップ・カルチャーとしての歌詞に賞が与えられることはまずないと考えられる」(p154)と著者は予想を書き込んでいる。予測としては外れたことが証明された。しかし、噂をキャッチしているのはさすがである。ノーベル文学賞の選考方針変更の兆しがあると見るべきなのか? はたまた政治的視点も考慮された動きなのか・・・・。

 第Ⅲ章は、本書のタイトルとの関係での直接に関連する背景情報を整理し、著者の見解がまとめられていく。
 第Ⅰ章で『ノルウェイの森』に記された主人公<僕>の友人であり直子恋人だった<キズキ>の自殺の方法が論じられたが、この第Ⅲ章の冒頭では、「キズキの自殺の原因」という謎の解答を著者が試みている。私は未読なので、内容については触れない。著者はこの小説の内容とその表現を材料にして、村上春樹がノーベル文学賞にどういうスタンスで居るのかを推測している点が興味深い処である。
 著者は、世界で村上文学ファンが多く存在する事実を述べながら、彼の作品・文学世界が「世界文学」としての評価になるのかどうかを論じていく。
 そして、村上春樹の文学世界に、「人類社会に普遍的な『世界文学』が、日本語によってなされていることの証明」ができるものを内包しているかどうかが決め手になるのではと論じていく。
 私にとっては、いまのところ、さあ・・・どうなんでしょう? と門外漢に留まる次第。
村上春樹ファンは、この著者の提起した観点にどう回答されるのだろうか。
回答するためには、この第Ⅲ章で問題提起した著者の論点をお読みいただく必要があるだろうけれど。

 著者は第Ⅱ章で、日本人作家がノーベル文学賞を受賞するとするなら、それは2020年と予測する。その理由は第Ⅱ章に述べられている。
 そして、この第Ⅲ章では、アレクシェーヴィッチの『チェルノブイリの祈り』がノーベル文学賞を受賞したことを念頭において、現在の日本における村上春樹の文学世界への課題を提起して、第Ⅲ章を締めくくっている。

 ノーベル文学賞とは何かを知り、考えるのに参考になる。

 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

補遺
本書からの関心で検索した事項を一覧にしておいたい。
ノーベル文学賞  :ウィキペディア
ノーベル文学賞受賞作家  リスト :「芦屋市立図書館」
All Nobel Prizes in Literature :「Nobelprize.org」

美しい日本の私―その序説  :ウィキペディア
川端康成、2年前もあと一歩 ノーベル文学賞の66年選考 :「産経ニュース」
       2017.1.4
川端康成、受賞の2年前も「あと一歩」 ノーベル文学賞  :「日本経済新聞」
       2017.1.3
川端康成とノーベル文学賞  大木ひさよ氏  pdッファイル
 -スェーデン・アカデミー所蔵の選考資料をめぐって-
作家・川端康成 ガス自殺の真相  :「NAVERまとめ」
日本人初のノーベル文学賞・川端康成のふるさと綴った自筆原稿初公開 肉親への思いや死生観も  2017.2.16  :「zakzak by 夕刊フジ」
大江健三郎  :ウィキペディア
「大江健三郎(1935~)」(1994年文学賞):「エピソードで知るノーベル文学賞の世界」
[閲覧注意]三島由紀夫 割腹自殺の全容 :「NAVERまとめ」
三島由紀夫  :ウィキペディア
三島事件   :ウィキペディア
三島由紀夫割腹余話 :「四国の山なみ」
中上健次  :ウィキペディア

村上春樹  :ウィキペディア
村上春樹年表   :「村上春樹研究所」
村上春樹 名言集 :「「村上春樹研究所」
村上春樹に関するトピックス :「朝日新聞DIGITAL」
村上春樹のノーベル賞落選が「既定の事実」だったホントの理由 
             黒古一夫氏 (文芸評論家)    :「iRONNA」
村上春樹はなぜノーベル賞を取れない? 大手紙が指摘していた「いくつもの理由」
   :「JCASTニュース」
 
Banquet Speech by Bob Dylan (8 minutes) :「Nobelprize.org」
全文掲載 ボブ・ディランのノーベル文学賞の受賞スピーチ :「RollingStone」
ボブ・ディランがノーベル文学賞をとった「当然の理由」  川崎大助氏 作家 

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

『決戦! 桶狭間』 冲方・砂原・矢野・富樫・宮本・木下・花村  講談社

2017-04-19 14:09:14 | レビュー
 群雄が割拠し沸き立つ戦国時代の形勢を大きく転換させていくエポックメーキングとなった一つは、なんと言っても「桶狭間の戦い」である。史実は今川義元が率いる今川軍の大軍が、桶狭間と呼ばれる地で、織田信長率いる織田軍の小軍に敗れたということである。桶狭間の戦いを誰の立場、観点から眺めるかで、この戦いの姿・形とその陰翳が大きく異なることだろう。その結果に、それぞれの人間がどのようにコミットメントしていたかである。合戦に参加した大半の武将が予想した結末に対し、戦国最大の逆転劇が起こったのだ。まさか、あのうつけと評判だった信長が勝つなんて・・・・・。
 桶狭間という合戦の空間にコミットした群像の行動と思考・心理を様々に異なる視点から切り取ったそれぞれの短編の余韻が混淆して「桶狭間」が描き出されていく。この競作集もやはりおもしろい。

 小和田哲男著『戦国合戦事典』(PHP文庫)を参照し、史実レベルでのこの桶狭間の合戦を俯瞰し、ポイントをまず押さえておきたい。
 WHEN : 永禄3年(1560)5月
 WHERE : 桶狭間 現在の地名では、名古屋市緑区有松町一帯
       なお、豊明市栄町に「桶狭間古戦場伝説地」の碑が立ち史跡公園がある
 WHO : 今川義元 VS 織田信長
 WHY : 今川義元は駿河・遠江(静岡県)・三河(愛知県)三カ国の戦国大名だった
      永禄3年5月8日、義元はかねてから念願の三河守に任ぜられる。
      それまでに、尾張国(愛知県)に進出を始めていたが、一部の領国化を狙う
      織田信秀の死後、継承した信長は永禄2年段階で尾張の大半を統一した状態
HOW : 今川軍 義元本隊が5/12に駿府城を出発。
          5/19早暁、松平元康(=家康)が丸根砦、朝比奈泰能が鷲津砦を一斉攻撃
          この緒戦において織田側の2つの砦が陥落する。
          5/19 義元本隊は沓掛を出て、大高城への進軍中、田楽狭間付近で休息する。
      信長軍 総力は5,000人規模。領国への配置を考慮すると、この時実働2,000人規模
         通説は迂回による奇襲説。近年、今川軍への正面攻撃説の提起あり

今川軍は『信長公記』で45,000、『北条五代記』で25,000と記されている。今日では「兵員総計凡二万五千。号して四万と称す」(『日本戦史』参謀本部編)が通説だとする。

 それでは、この競作集のおもしろさ、読後の印象を所載の順にご紹介したい。

<覇舞謡> 冲方 丁

 永禄3年5月19日、黎明の頃、織田方の砦に敵急襲の報せを受けた信長が、幸若舞の「敦盛」を自ら謡い、舞う場面から書き出される。信長27歳、尾張国内で下克上を果たし、領国を手中にしたばかりの段階である。著者は、信長が「敦盛」を謡いながら、その詞章とは対極の心理にあると描いて行くところがおもしろい。併せて、今川義元と面識のない信長が、義元を互いに理解し合っている存在と感じていると描いていく。義元という存在に信長が敬意を抱いていたと。「稀代の為政者であり戦上手たる今川義元を、この自分は、どうにも敬してやまないようだった。それゆえにこそ、勝つ」とい苛烈な一念につき動かされていく。興味深い視点である。
 熱田神宮での参集を、信長の理知的合理的な計算ずく、己を含め全軍を神懸かりの状態に高める仕掛けづくりの場と描いて行くところに納得度がある。
 著者は、桶狭間の戦いを信長は義元本隊への正面からの総攻撃として描いて行く。天候の急変を味方に付け、今川義元の首を獲るということだけを目指した攻め、己を含めた神懸かりの攻めを描き出していく。その一方で、「よいか、敵が攻めてきたときは退き、敵が退いたときは攻め寄せよ。これが戦の常道である。その常道をしっかり守れる者が、多くの敵を追い崩すことができるのである」と信長に言わしめているのが心にくい。この地に至るまでの行軍と戦いに疲れ切っている敵と未だ疲れのない新手の自軍。体力的な差がないという合理的判断の上での勝負という流れの描き方はやはり巧みである。

<いのちがけ> 砂原浩太朗

 知らない名前の作家だなと思い、奥書を読むと、この収録作がデビューになるそうだ。この作品で第2回「決戦!小説大賞」を受賞したという。
 『織田信長総合事典』(岡田正人編著・雄山閣)を引くと、「14歳で信長に仕えたが、永禄2年(1559)に信長の同朋衆拾阿弥を殺害した罪で出仕を止められた。だが、4年の美濃森部の戦いの武功により罪を許される。同12年家督を継ぎ荒子城主となった」とある。この小説では、信長から出仕を止められていたはずの前田利家が桶狭間の戦にどう関わったかを描き出していく。それも、尾張を出奔し、三河の御油の郷士の館に身を寄せる境遇に居て、尚かつ利家の家来として付き従っている村井長頼の目から描いて行くところが一捻りされていておもしろい。
出奔した利家がどういう意図で行動していたか、仮寓した館の、戦で夫が死に戻っていた館の女、みうに対するほのかな長頼の思いがテーマになっている。そして、桶狭間での利家の行動が描かれている。敵の首を持参し、戦場で利家は信長に拝謁する。が、帰参は叶わず。だが、その後、長頼は利家からある事実を伝えられるということに。断片的な事実に、著者の想像力が巧みにストーリーを織りなしている。

<首ひとつ>  矢野隆

 「通説によれば、義元は服部小平太忠次に一番槍をつけられ、毛利新介良勝に首をはねられてしまったという」(『戦国合戦事典』)この通説が一つの短編小説としてヴィヴィッドに描き出されている。「首ひとつ」はまさに信長の目指した一点、義元の首である。その首級を獲ることが大軍今川を瓦解させる突破口なのだ。義元の首を獲るためだけに、捌きが容易な短い馬上槍を縦横に駆使して、戦場を一直線に駆け抜けていく毛利新介を描き切る。生きているという実感を感じながら戦う新介の姿が活写されていく。その新介と行動を共にするのがライバルの小平太である。小平太の要領の良さに怨嗟にも似た感情を抱きつつ、小平太に先を越されぬよう行動する新介の心理を巧みに織り交ぜながら、著者は戦闘シーンを重ねていく。新介と小平太は、餓鬼の頃から信長に仕えてきた男たちである。
 この短編を映像化したら、凄まじい個働きの戦闘シーンが重ねられていき、凄惨な迫力が義元の首を断ち切る場面に連なることになるだろう。
 『織田信長総合事典』、毛利新介良勝は、桶狭間の戦いでは信長の小姓として従軍していたようだ。余談だが、後に信長の側近の一人となる。本能寺の変の時は、二条御所で討死したという。服部小平太は、この事典では服部春安として収録されている。信長時代の動向は不詳。後に秀吉に仕え、秀次事件に連座して切腹して果てたという。

<わが気をつがんや>  富樫倫太郎

 松平竹千代(後の家康)は今川の人質として駿府に送られる途中、織田方に奪われた。その2年後、三河松平家の当主広忠、つまり竹千代の父、は家臣に殺されて24歳で亡くなる。竹千代は信秀の長男・信広との交換で、駿府、今川の人質になる。著者はその人質交換の策を義元の軍師である太原雪斎が立てた経緯から書き出していく。この短編小説は駿府に於いて竹千代が太原雪斎の薫陶を受けたことの重要性を軸にして展開する。元服して松平元信と名乗り、桶狭間の戦いでは、5月18日に「大高兵糧入れ」という手柄を立て、義元の命を受け、丸根砦の総攻撃で砦を陥落させる。その遠因は雪斎の薫陶があったと描いて行く。
 この小説のサブテーマは2つあるように思う。一つは今川の人質になった竹千代が義元の嫡男・氏真に対面する場面から始まる確執である。元服した後、瀬名という3つ年上の妻を元信が娶ることになる。瀬名は義元の姪にあたる。その確執は瀬名にも影響を及ぼしていたと描いて行く。家康が正室を冷たくあしらっていた遠因が理解できる。もう一つは、太原雪斎の薫陶が、最後は雪斎の元信への遺言「何能紹吾気哉(何ぞ、よく、わが気をつがんや・・・・)」となる。この遺言の解釈の転換がこの小説のキーポイントになっていると思う。
 後に大成する徳川家康のバックボーンが、竹千代時代の織田・今川両家での人質生活と太原雪斎の薫陶にあったということは興味深い。鮮やかにその視点が切り出されている。
<非足の人> 宮本昌孝 

 今川義元が正式な三河守叙任の祝宴の場で、義元の嫡男・氏真、23歳が、大広間中央に置かれた台盤の上に、直衣狩衣姿、革沓を履いた姿で立ち、右足で白い鞠を蹴り上げ、回数を重ねていく場面から描き出されていく。著者は氏真と蹴鞠の関わりを克明に描き込んで行く。京の貴族社会に伝わってきた蹴鞠がどういうものであったかを知るには格好の小説である。ストーリーを追いながら、蹴鞠についてかなりの知識を得ることが副産物となる。それほど、氏真が貴族社会の生活様式と蹴鞠に耽溺して行ったということでもある。 祝宴の席で、明後日に先鋒軍を率いる大将を命じられた井伊信濃守直盛が、蹴鞠に見入る一堂の姿に業を煮やし、怒りを爆発させる。その結果、氏真は沓懸城まで腰輿に乗り従軍することになる。そして、義元が桶狭間山で敗死した報せを受けて、武田信虎の先導で駿府に撤退するまでの経緯を描いていく。武将としては無能だった氏真の生き方が描き込まれていく。生まれてくる世を間違えた男の若き時代を巧みに切り出している。著者の語りたかったことは、末尾の一行に凝縮していると感じる。
 「鞠足としては上足でも、武将としては非足の人生であったというべきか。」

<義元の首> 木下昌輝

 「武士として恥じぬ生き方」を貫き通す岡部小次郎、後に岡部”五郎兵衛”元信と名乗る武将の視点から桶狭間の戦いを切り取っている。「武士として恥じぬ生き方」が他者から見れば奇妙な生き様とも受け取れるところを描くのだから、おもしろい。
 短編小説でありながら、岡部元信の行動ステージの要所を巧みに綴り、その人生を描いている。描かれたステージを箇条書きにすれば、タイトルへの繋がりが見えるだろう。
 *今川氏照と弟彦五郎の謎の急死後の家督争いが共に出家していた兄弟間で起こる
   栴岳承芳(後の今川義元) VS 玄広恵探(義元の兄)
   岡部美濃守の養子である小次郎は大義がないとして玄広に返り忠をする
 *負け戦となる玄広の切腹を介錯し、玄公の今川家存続の為の遺命を受け義元に帰参
   潔い忠義に感心したと老忍者が小次郎の身辺に現れ始める
 *桶狭間の戦いでは、今川軍の勇将として、鳴海城にて采配を振るい、戦局を読む
 *桶狭間の戦いの持つ真の意味を岡部元信は理解していく
 *信長に講和を申し出て直接交渉し、主の仇を討つことと引き替えに義元の首を得る。 *刈谷城を夜襲し、刈谷水野家の藤九郎信近を討つ。
   この城攻めを助けるのが老忍者の配下の忍びの一団である。戦場の戦死となる。
このストーリーの興味深いところは、岡部元信の武将としての戦略眼と能力が、桶狭間の戦い後の信長の戦略を読んでいて、今川家の将来も見通していながら、「武士としての恥じぬ生き方」を貫く点である。信長が元信の生き様をうまく戦略と合理的計算づくで利用することにある。この老忍者が最後に元信に名を明らかにするところが、おもしろい落とし所でもある。この老忍者の介在は著者のフィクションなのか、史実が残るのか、興味深い箇所である。

<漸く、見えた。>  花村萬月

 髻に首札を括りつけられて供饗に載せられて信長の面前に首実検に晒された今川義元の首が、その状況を見つめるという視点と、己を回想する視点を織り交ぜて語り継ぐという奇抜な発想での短編小説であり、ユニークな独白、語り物となっている。
 この短編小説の面白さをいくつか列挙しておきたい。
 *義元の独白、語りだからか、20ページの全編が読点で区切られるだけであること。
 *句点がない、段落もないという小説を私は初めて読んだ。読み始めの一瞬唖然と。
 *人の思いは転変錯綜する。論理的筋道立つことは少ない。文体にそれが使われる。
  読者は、義元の思いの波に翻弄されながら読み進むというリスムが生まれる。
 *世の第三者が、義元の容姿を寸胴短足の畸人と見ていることを自認している立場
  この自己評価視点を前提で思いを語らせているところがおもしろい。初見の義元像。 *前照寺砦から中島砦に移った信長が正面攻撃してくる視点で描写されていること。
 *服部小平太の一番槍をつけ、毛利新介が首級を獲る場面が3ページ余続くこと。
著者のこの語りものスタイルのリズムに乗って良い進めるという面白さの半面、私にはそのスト-リーそのものが頭に残らず、通り過ぎて行った。思いというものが、その場限りになる如く。句点、段落がない文体のユニークさと義元が寸胴短足と描かれたことのインパクトが読後の余韻として残る。作家のチャレンジ精神に惹かれる。

 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

この競作集からの波紋で、関心事項をいくつかネット検索してみました。一覧にしておきます。
桶狭間史跡マップ :「桶狭間古戦場保存会」ホームページ
  史跡マップがダウンロードできます。
国指定史跡 桶狭間古戦場伝説地  :「豊明市」
桶狭間は何処に?  :「名古屋に桶狭間あり」(いくさの子×名古屋市)
桶狭間  :ウィキペディア
鳴海城  :ウィキペディア
鳴海城  :「史跡夜話」
大高城  :ウィキペディア
大高城  :「史跡夜話」
尾張・鷲津砦  :「城郭放浪記」
尾張・丸根砦  :「城郭放浪記」
尾張・中島砦  :「城郭放浪記」
尾張・前照寺砦 :「城郭放浪記」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


決戦シリーズを読み継いできました。以下もご一読いただけるとうれしいです。

『決戦! 川中島』 冲方・佐藤・吉川・矢野・乾・木下・宮本 講談社
『決戦! 本能寺』 伊東・矢野・天野・宮本・木下・葉室・冲方  講談社
『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社
『決戦! 関ヶ原』 伊東・吉川・天野・上田・矢野・冲方・葉室  講談社


『燕雀の夢』  天野純希  角川書店

2017-04-09 17:17:56 | レビュー
 戦国時代に生きた武将あるいは武将になりたかった人々を活写した伝記風短編小説集と言えようか。本書には6つの短編小説が収録されている。本書末尾を見ると、5編は「小説 野性時代」に、1編は「本の旅人」に、2015年1月号~2016年4月号の発行期間中に発表されたものである。
 本書のタイトルは、2016年4月号の発表作に由来する。第6編として最後に収録されているのが、「燕雀の夢 - 木下弥右衛門」という作品である。この中で、木下弥右衛門が「燕雀いずくんぞ、鴻鵠の志を知らんや」と呟く場面が出てくる。
 この短編小説自体がそうだが、この短編集は、己の内には「鴻鵠の志」を抱き、行動をしながら、結局は「燕雀」の身として、一介の武将あるいはそれを目指すだけで人生を終える事になった群像の生き様を、著者は描きあげていく。


 鴻鵠の大望を果たせず燕雀の身で終わらざるを得なかった群像、戦国時代の脇役としていわば礎となった人々を短編小説ではあるが、主人公として取り上げる、光を投げかけるところに、著者の視点がある。戦国時代の颯爽たる英雄群像を描くのでなく、それらの英雄群像が結果的に創出されてくる素地を築いた人々を取り上げたというところが、目のつけどころとしておもしろい。
 
 各短編作品には、タイトルと人物名が対になっている。そこで、戦国時代のその次の世代との関連を示し、作品リストを提示してみる。収録されている作品順に記す。

 下克の鬼-長尾為景 → 上杉謙信の父 ⇒ 上杉謙信が越後を制覇
 虎は死すとも-武田信虎 → 武田信玄の父 ⇒ 武田信玄が甲斐・信濃を制覇
 決別の川-伊達輝宗 → 伊達正宗の父 ⇒ 伊達正宗が奥羽を制覇
 楽土の曙光-松平広忠 → 徳川家康の父 ⇒ 徳川家康が日本を制覇、幕府樹立
 黎明の覇王-織田信秀 → 織田信長の父 ⇒ 織田信長が天下統一に挑む
 燕雀の夢-木下弥右衛門 → 豊臣秀吉の父 ⇒ 豊臣秀吉が天下統一

 木下弥右衛門の事例を除くと、それぞれの武将は己の有する領土があり、そこを基盤に周辺領域を勝ち取り領土拡大を目指し、天下に名を成す大望を抱いてはいた。だが、武将の領土基盤その時代の環境が彼らの大望を推し進めさせる段階に至っていなかった。ひと言でまとめるとそうなるだろうか。
 個別にみていくと、ここの置かれた環境により障害要因は異なる。著者はなぜ、各武将たちが燕雀の部類に留まったのかを描き出している。

 個々の短編作品について、多少の印象をまとめておきたい。

<下剋の鬼-長尾為景.

 古臭い権威を振りかざす越後守護、上杉房能の命令を受けて為景の父は越中での戦に出陣して戦死する。守護代の父は為景を国に残し、政を学べという。大局を見る目を養わねばならぬと。父の死後、守護代を継いだ為景と守護との確執という時代の障壁を描く。そこに嫡男・晴景が越後を御せる器ではないという事情が絡む。
 「虎千代に伝えよ。兄を倒せ。そして、京に長尾の旗を」が為景から後の謙信への遺言として描く。

<虎は死すとも-武田信虎>

 織田信長が京で足利義輝に謁見を受ける場に信虎が臨席する場面から始まる。信虎が晴信(のちの信玄)に甲斐国を追い出されるまでの経緯一つのテーマであり、追い出された信虎の生き様が描かれて行く。領国経営が信虎流ではうまく行かなくなった状況が背景にある。信玄は金銭的に追い出した父・信虎を支援していたことがよくわかる。

<決別の川ー伊達輝宗>

 嫡男として後の正宗の誕生。梵天丸と名づけたことや、5歳の折に梵天丸が疱瘡に罹り、後生き延びるが隻眼になることなどの経緯を書き込みながら、当時の出羽国の力関係や縁戚関係の幾層もの柵の中で、国を統一しようとする姿を描く。正宗が父の古い生き方を半面教師とするに至る状況が描かれて行く。生きてきた時代の違いがテーマになっている。

<楽土の曙光-松平広忠>

 松平広忠と於大の婚儀の場面から始まる。広忠の父・清康は稀代の名君と言われたが、清康が尾張守山城攻めの陣中で家臣の凶刃に斃れる。「守山崩れ」と呼ばれる事態の発生だ。松平の親族内での勢力争いという環境で、広忠がどういう立場だったかが描き込まれていく。広忠が当主になった後も、今川義元との間で主従の関係維持し無ければ存続できない状況と、隣国の織田信秀との領土争いに一進一退を続ける実態が描かれる。於大を離縁しなければならないという苦渋の選択をしていく状況が生まれていく。そこには、竹千代を如何に生かすかという広忠の観点があると描く。著者は、広忠が信じた家臣にこれからという時機に殺害されるという生き様を描いて行く。そこには長年にわたり伏線として貼られていた今川の軍師大原雪斎の策略があったと描いて行く。広忠もまた、燕雀のままで終わる武将にならざるを得なかったといえる。
 凡庸ではないが、謀略を尽くしても覇をなそうとする武将ではなかった人物という印象を受ける。

<黎明の覇王-織田信秀>

 松平広忠との領土争いをしていた織田信秀を、信秀の立場から描くという転換になる。信秀の立場にたてば、松平広忠を前線とする今川義元の連合勢、他方に”美濃の蝮”と称される斎藤道三の勢力が居る。天文16年(1547)38歳の信秀から書き始める。信秀の立場では、松平家から西三河の要衝安祥城を奪ったことが版図拡大の限度であり、道三の美濃をどう攻めるかが課題なのだ。しかし、負け戦となる実態にある。その状況の中で、嫡男の信長はまわりからうつけと見られているが、信秀は信長の力量を見抜く。
 尾張では名目上の主家は織田大和守家であり、同格の一族の所領という状況にある実態が信秀の柵になっている状況を描く。そして、家中では、みかけはうつけの信長よりも、弟の信行に家中の人望が寄せられ、母の久子も信長を憎み、信行を信秀の後継にしたいという欲望を持つ実態を描いてゆく。「すべてを叩き潰せばよいではないか。尾張をしかと固めておかねば、いつかは足をすくわれる」と断定的に意見を言う信長に対して、それが出来ない立場の信秀がいる。ここにも生きる時代の違いがテーマの一つになっていると言えるかもしれない。著者は、信秀の臨終の場面で、信秀が信長に「久子を、信行を・・・・討て」と遺言する場面を描く。家族内での確執がもう一つのテーマになっている。

<燕雀の夢-木下弥右衛門>

 豊臣秀吉を題材とする小説は数多ある。その数多の小説の中においても、秀吉の父親の生き様を描き込む作品はたぶん、ないのでは・・・・と想像する。サル、藤吉郎、秀吉に焦点をあてて描けば、父親を登場させる必要がほとんど無いからである。
 この短編は、秀吉にとって、父・弥右衛門の存在意義は何だったか、をテーマとしたように感じる。もう一つは、戦働きの好機を一度だけ得て、侍となったものの、二度と好機に恵まれなかった男の姿を描くというテーマがあるように受け止めた。
 この短編の興味深いところは、尾張中村郷の中々村の木下弥右衛門が、最初の戦働きが認められ、織田信秀の部下となる。しかし、戦働きの好機が無い。松平広忠軍の崩れが見えたとき、広忠の首級を狙い追い駈けるが、隻眼の武士、岩松八弥に右膝あたりを斬られる羽目になる。とどめを刺される前に、広忠の見逃してやれというひと言で、命広いをする。著者は面白い設定を組み込んでいる。広忠は岩松八弥に最後は殺害されるのだから。
 侍としては役立たずになり、家ではお荷物となった弥右衛門は、秀吉の半面教師になる。長浜城を築城し、家族を迎え入れる時の秀吉の言と弥右衛門の反応が興味深いエンディングになっている。

 それぞれの境遇からみて、相対的に燕雀の立場にとどまらざるを得ない生き様をした人々が鴻鵠として名をなす人物達を創出する礎となっているというところが、興味深い。その燕雀の群像がなければ、後継としての英雄が世に出て来なかったかもしれないのだから。

 史実がどこまでで、どこにフィクションが加えられた作品かは知らないが、礎の存在を忘れてはならないという視点では、面白く読める。かつ「生きる時代」のちがいという要因を考える材料となり、興味がわく。

 ご一読ありがとうございます。


人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

『鬼門の将軍』  高田崇史  新潮社

2017-04-02 17:49:07 | レビュー
 著者は現在発生した殺人事件と怨霊認識に彩られた史実、歴史上の事件と人物群像を絡めていくという構想のミステリーに長けている。この小説もまたその領域で新たな史実解釈を組み入れた作品である。
 本書の内表紙の裏面に作家・海音寺潮五郎の文を記す。「小説を全部信ずるも不可。信ぜざるも不可」。言い得て妙である。歴史、就中正史の類は勝者により記されて残る。つまり、勝者に不利なことは付記、脚色、隠蔽あるいは抹消してしまう。著者は史実を裏返す視点、あるいは異なる視点から眺める。そして、史実として残る記述の空隙に想像力を羽ばたかせ、フィクションを創造する。そこには、歴史的通説あるいは俗説に対する新たな仮説が提起されていく。小説家にできるやり方で。そこがおもしろい魅力である。この小説もそういう新たな視点を楽しめる。

 この小説は、『神の時空』シリーズで登場した京都市街の真北に位置する貴船に祀られた貴船神社境内で、異様な殺人事件の発生から始まる。木の枝から吊り下げられ、白い着物が血で染まった女性が、心臓の辺りを貫く大きな釘でそのまま杉の幹に打ち付けられていたのである。プロローグから怪奇な場面が描写される。
 ほぼ時を同じくして、東京の千代田区大手町1丁目の大きなビルの狭間に残され、祀られている将門塚の前面に男性の生首が転がっていて、塚の一部が壊されているのが発見され通報されていた。
 この小説は、俗説にある平将門の怨霊譚が深く関わっていくストーリーである。つまり、平将門怨霊話に著者がどう切り込んでいくかという面白さ、興味深さに引き込まれていくという次第。939年、関東で反乱を起こし自ら新皇と名乗った平将門に関わる史実解釈を登場人物に語らせていく。

 勿論殺人事件ストーリーなので、登場人物として警察官がまず登場する。
 貴船神社での殺人事件は、京都府警捜査一課警部・笹岡亀三と、一回りも年齢の離れた部下・市村鶴夫巡査部長が捜査にあたる。あだ名は「鶴亀コンビ」だ。一方、将門塚の生首事件は、警視庁の辰巳浩助警部が捜査を担当する。

 他方、このストーリーの中軸として登場するのは萬願寺響子である。関西生まれで、父親の転勤で西日本育ち。東京にある大学を卒業後に、母親・卯子の「占い」で決めた医薬品関係の出版社「ファーマ・メディカ」に就職する。会社は千代田区・市ヶ谷にある。将門塚に近い位置になる。母卯子の妹が嫁いだ鳴神家が等々力に住んでいる関係から、響子は大学時代から等々力にあるマンションを借りていて、そこから通勤している。
 生首が発見されたその日の夕刻に、被害者が判明したという報道が流れる。深河医療機器の社長、深河悟だった。響子の勤める出版社とも関係があるのだ。上司たちは警視庁の刑事が事情聴取にくると予測していると知る。勤務を終え、自宅に戻った響子は、京都に住む友人の文香から電話を受ける。夏休みに一緒に貴船の民宿で宿泊した思い出があるのだが、そこの女将さんが貴船神社で殺されたという知らせだった。女将さんは深河なのである。さらに、文香は宇治川からも首なし死体が上がったというニュースを響子に伝える。響子の同僚が、将門の怨霊に怯える姿を目にすることと、なにがしか深河という名前との縁から、理系の勉強をしてきて、歴史に疎い響子は、平将門そのものに関心を抱き始める。
 そして、響子は私大の文系学生で歴史に強い従弟の鳴上漣に将門について尋ねてみることにした。
 そこから、鳴上漣が主な登場人物の一人になっていく。漣の父親の田舎が茨城県の石井であり、そこは天慶の乱で将門の本拠地があった場所だと言い、その関係もあり、漣は将門についてかなり詳しい知識を持っていたのだ。響子にとってはうってつけの相談相手となる。響子が将門の呪いとか祟りのことを持ち出すと、漣はそんな話は「聞いたことがない」と即座に否定するのだった。これから、漣を介して、平将門の解釈論と推理が展開していく。

 この小説の構想と構成の面白さは次の様な諸点にあるように思う。
*違う立場からのアプローチが最終ステージで収斂していくこと。
 一つは警察の捜査活動である。貴船神社での被害者、将門塚での生首、宇治川で上がった首なし死体という3つの事件が、「深河」という名前のつながり、将門の怨霊という得体のしれない側面との関連性という点で警視庁と京都府警の合同捜査として進展する。その捜査活動のプロセスから、様々な事実関係が明らかになっていく。そして情報が累積され、人間関係も明らかになっていく。将門と繋がるか否かも。
 他方は、響子の興味と関心から、漣の手助けを得て、将門とは何者かの探求が始まる。将門怨霊譚の有無や将門像が関連史跡の現地探訪をしながら、解釈を深めて行く。
 それが結果的に、結びつく。
*将門像の解明の為に、響子が関東の将門関連史跡・場所を順次訪れるプロセスが具体的に描き込まれ、将門解釈のための裏付け史資料が漣の説明という形で提示され、関連づけられていくことになる。この客観的な史資料の解説は、漣の見解という立場を別にしても、平将門に関する基礎情報を読者は知らず知らずに学ぶことになる。
 歴史資料として読めと目の前に出されれば、多分多くの人々はその気にならないだろう。まあ、私もその部類と言える。しかし、小説のストーリーの中で次々に提示されてくると、興味が湧いてくる。
 併せて、貴船神社や橋姫伝説についての基本知識も提示され興味深い。宇治が地元なので、橋姫神社や橋姫伝説について多少は知っていたが、「一説では、天慶の乱で討ち取られた平将門の娘・滝夜叉姫がそれであるとする伝説も残っている」(p32)というのは初めて知った。おもしろい。
*関東にある将門関連地が次々に具体的な現地描写として書き込まれていく。ちょっとした将門ツアーという観光ガイド的な視点が結果的に盛り込まれていて興味深い。
 多分、一般的な観光案内書には載っていない細部の紹介が、このストーリー絡みでかなり盛り込まれているように思う。ガイドブックとの対比的検証はしていないが・・・。
 余談だが、どんな史跡がでてくるか、ちょっと列挙してみる。
 将門塚:ビルの狭間に残された理由、伝説まで説明がある。GHQ絡みの話も。
 神田明神:神田明神の名前は知っていたが、将門を祀る神社とは私は知らなかった。
   江戸城の表鬼門守護に位置づけられたそうだ。
   このストーリーの本筋に少し立ち戻ると、この神田明神でも、響子と漣が成田山に出向いている頃、併行して殺人事件が発生している展開がつづいている。
 成田山新勝寺:ここの不動明王像が京都・高尾山神護寺から移されたものとは知らなかった。弁財天堂・大師堂・二王門・こわれ不動堂・額堂・光明堂・奥之院・・・・成田山の境内イメージが出来ていく。平和大塔・成田山公園・成田山霊光館。清瀧権現堂・妙見宮。清瀧権現堂が成田山の本質だと漣に語らせている。平将門との関連話が興味を惹く。
   市川団十郎との関わりが深く成田山参詣をブームにしたことを知って、興味深い。 深川永代寺:成田山の不動明王の出開帳が行われたとか。
 湯殿山権現、国王神社、神田山の延命院にも触れられている。
 京都神田明神:下京区綾小路通西洞院東入ル新釜座町、膏薬辻子にあるという。知らなかった。
*「謀叛」と「謀反」。どちらも「むほん」と読むが、この違いが分かるだろうか。この言葉の使い分けが将門の乱の解釈にも関わってくる。漣が説明する形で書き込まれていて、初めて意識することになった。(p110)
*脚色の多いお話としてではなく、将門を怨霊として扱う具体的な事例が何時みられたかという点にも触れていて、興味深い。

 ストーリーと直接の関わりは薄いが、漢方薬局の薬剤師として桑原の名前や、警視庁捜査一課の警部・岩築竹松の名前が、最終段階で漣の口からでてくるから、高田作品の愛読者には、楽しいかも知れない。私は久々にこの名前を目にした。

 将門怨霊説の一つの解釈・解明と将門の怨霊になぞった殺人事件の解明が絡みあいながら進展する。そして、将門は怨霊では無かったというエンディングが興味深い。

 ご一読、ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

この小説から波紋を広げて、関心事項をネット検索してみました。一覧にしておきます。
平将門     :ウィキペディア
平将門の首塚  :ウィキペディア
「平将門の首塚」の祟りが怖すぎる  :「NAVER まとめ」
日本三大怨霊!平将門の祟りが怖すぎる千代田区「将門の首塚」 :「Travel.jp」
東京で将門伝説に触れる!平将門にゆかりを持つ東京都内の神社7選 :「ニホンタビ」
神田明神 ホームページ
  神田明神の歴史
大本山成田山 ホームページ
  境内マップ
  成田山のはじまり(開山縁起)
  市川團十郎と成田山のお不動さま
成田山深川不動堂 ホームページ
貴布禰総本宮 貴船神社 ホームページ
貴船神社 :ウィキペディア
貴船神社は京都どころか日本最強の神社かもしれない  :「千鳥整体漫録」
橋姫神社  :「京都風光」
橋姫神社 宇治観光案内 :「京都宇治土産.com」
演目事典:鉄輪(かなわ)  :「the 能.com」
謡蹟めぐり 鉄輪 かなわ :「謡曲初心者の方のためのガイド」


インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


徒然に読んできた作品のうち、このブログを書き始めた以降に印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。(シリーズ作品の特定の巻だけの印象記も含みます。)

『軍神の血脈 楠木正成秘伝』  講談社
『神の時空-かみのとき- 五色不動の猛火』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 伏見稻荷の轟雷』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 嚴島の烈風』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 三輪の山祇』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『七夕の雨闇 -毒草師-』  新潮社
『毒草師 パンドラの鳥籠』 朝日新聞出版
『鬼神伝 [龍の巻] 』 講談社NOVELS
『鬼神伝』 講談社NOVELS
『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS