遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『名画は語る』 千住 博  キノブックス

2015-06-26 18:53:53 | レビュー
 真っ白な地の中央に、縦に金文字で書名と著者名、下辺に二段書きで「The masterpiece guidance」と記されただけの表紙。まるで白地のキャンバスのイメージを受ける。このキャンバスにどんな絵が描かれたのか? それはこの本の中に・・・・と言っているようだ。
 本書のおもしろいのは、日本画家といわれる著者が西洋絵画についてその魅力を語り尽くしているところにある。奥書を読むと、著者は東京芸大の日本画専攻並びに後期博士課程を卒業という。専攻も日本画なのにである。
 背景を「はじめに」で触れている。ルネッサンスを原書で読みたくて、大学での第一外国語はイタリア語を学び、イタリアにはたびたび渡ったという。博士課程の間に、何度もパリに行き「朝から晩まで美術館の日々でした」「私が大好きだったのは、・・・・初期ルネッサンスの画家たちでした」と記す。つまり、若き時代から西洋美術史こそが著者の頭にぎっしりと蓄積されていたのだ。
 美術学部絵画科に進んだ著者が、ヨーロッパで現物の絵画に対座しその目と感性で絵そのものを体感し続けたのだ。同時に画家自身とその周辺の人々並びにその時代についての知識情報を豊富に蓄積し続けてきていたのだ。なるほど・・・・である。その蘊蓄がこの書に満ち溢れている。
 
 「はじめに」において、著者は2つのことを述べている。
1.「この本一冊書くのに、画業35年分の年月と同じ35年がかかったと言ってもいいと思っています。」
2.「ここに書いた名画の世界は本当に面白いですね! それをぜひ皆さんと共有したいと思いました。私はかなり楽しんで書きました。」
 つまり、著者自身が長い間親しんできた名画の画家の中からとっておきの作品をラインアップしているのだ。画家の視点では何が言えるか。その絵を見ることで、何がわかり何を感じ取れるのか、またその絵が西洋美術史の上で、どんな位置づけにあるのか、などが様々に語られている。

 本書は、1画家1作品で、ときには参考画を掲げたりしながら、5つの切り口で構成されている。その語り口も「かなり楽しんで」いると思われるものである。本書の構成とそこに取り上げられた名画の題名をまず一覧しておこう。
 題名から画家がピンとくるだろうか・・・・。本書の目次にはもちろん、名画と画家を対にして一覧になっている。どれくらい、画家名と絵のイメージを想起できますか?

 私たちはなぜ「この絵」に魅了されるのか?
  『アダムとエヴァ』『グランド・ジャット島の日曜日の午後』『東方三博士の礼拝』
『アルルカンのカーニバル』『叫び』『最後の晩餐』『ラス・メニーナス』
 絵の真実を読み解く
  『牛乳を注ぐ女』『裸のマハ/着衣のマハ』『踊りの花形』『画家のアトリエ』
  『グランド・オダリスク』『宿命論』『灰色の夜から現れるとき』『蛇使いの女』
  『舟遊び』『大水浴図(フィラデルフィア版)』
 時代を表現した天才たち
  『ヴィーナスの誕生』『楽園追放』『フォリー=ベルジェール劇場のバー』
  『小椅子の聖母』『雪中の狩人』『雨、蒸気、スポ-ド-ウェスタン鉄道』
『大使たち』『テュルブ博士の解剖学講義』『祭は終わった』『寝室の裸婦キキ』
 画家が描きたくなる「もの」
  『金魚』『こだま』『テンペスタ(嵐)』『悔悛するマグダラのマリア』
  『La Colombiana』『オフィーリア』『ぶらんこ』『鏡を見るヴィーナス』
  『トレド眺望』『ひまわり』『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、
  われわれはどこへ行くのか』
「生きる」意味を問い続けた画家
  『記憶の固執』『ジュリー・マネの肖像、あるいは猫を抱く子ども』『ゲルニカ』
  『キリストの埋葬』『ポンパドゥール夫人』『ベラスケス「教皇インオケンティウス
  10世像」による習作』『民衆を導く女神』

 この中で、『アダムとエヴァ』『裸のマハ/着衣のマハ』は、対になった作品として語られている。カウントまちがいがなければ、名画としては47点,併せて言及・参照され掲載されている作品が11点ある。

 長年、様々な美術展、美術館を訪れてきているが、本書で初めてその作品を目にしたと思うものが12点、初めて知ったという印象を持つ画家が、フェルナンド・ボテロとベーコンだった。

 本書を読み進めておもしろいのは、著者が名画を語るのに、いくつかの手法を使い分け、文体もそれに合わせて変化させていることである。1枚の名画の特徴や背景を含め、どういうアプローチで説明するのが一番その名画の鑑賞に添えるかという視点で、語り方、つまり本文(解説文)の書き方を変化させているのが楽しい。絵が変わるにつれて、適宜文体が変化する。名画との関連においても、その文体(観点)の変化は実に楽しめるところになっている。

 解説のアプローチを私なりにまとめると、次の手法と言える。
 ☆その作品の存在意義と絵そのものを語る  
   たとえば『アダムとエヴァ』『グランド・ジャット島の日曜日の午後』
 ☆絵の一鑑賞者になって絵を語る  
   たとえば『アルルカンのカーニバル』
 ☆その絵の画家として一人称で語る
   たとえば『雨、蒸気、スポ-ド-ウェスタン鉄道』『こだま』
   『鏡を見るヴィーナス』『寝室の裸婦キキ』『金魚』『ポンパドゥール夫人』
 ☆その絵の画家の立場、思考、意図の視点を読み取って語る
   たとえば『叫び』『最後の晩餐』『ラス・メニーナス』
   『グランド・オダリスク』『灰色の夜から現れるとき』『雪中の狩人』
 ☆美術史的視点を中心軸にして語る
   たとえば、『大水浴図(フィラデルフィア版)』『ヴィーナスの誕生』
   『小椅子の聖母』『オフィーリア』
 ☆絵のモチーフという視点、時代背景などを中心に語る
   たとえば『牛乳を注ぐ女』『裸のマハ/着衣のマハ』『楽園追放』『大使たち』
 ☆その絵の画家の友人を含む関係者の立場から語る
   たとえば『画家のアトリエ』『蛇使いの女』『テュルブ博士の解剖学講義』
   『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか』
 勿論観点は複数で語られていたりする。著者の本文への試み、言い換えれば、語り方自体を著者が楽しんでいると思う次第だ。「絵の面白さを伝えるために、私はこの本を書きました」と著者はいう。面白さの伝え方がここに手法という形で反映しているともいえる。
 また、その語る内容から、1枚の絵の中に描き込まれた物を詳細に観察していくと、様々な発見に繋がり、えの読み解き、観照の奥行きが広がる楽しさが味わえる。えっ!というところをいろいろ発見した。そうだったのか・・・・と。考えてもいなかった、読み取り方に導かれたりもする。そんな楽しみも含まれている。

 著者は歴史に残る作品は皆「いい絵」だと主張する。時代が変わっても”人間”として常に「いい絵」と感じるのは、その絵から「生きる力が与えられ、生きる勇気がわいてきた、と感じる時」(p306)があるからだ。だから捨てられないで残ってきたという。
 そして、著者は「抑えきれない美に向かう衝動」(p300)で画家が描いた作品を基準にしてこれらの絵を選び出したと語っている。「抑えきれない美に向かう衝動」は、その画家の同時代には受け入れられず、作品が売れなくても描き続けた画家が存在することから、その種の衝動があることを理解できる。後世になって再評価されて美術史に名を残す画家の存在がそれを証明している。
絵を見て本文を読んでいると、なるほどと思う。

 本書から印象深いフレーズあるいは文をいくつかご紹介しておきた。
*広く人類の持つ心象風景  p42
*芸術とは人が人に対して行う説明不可能なイマジネーションのコミュニケーションのことです。 p44
*つまりこの作品は、実際の「最後の晩餐」を演じたレオナルド演出の舞台として描かれたと考えられるのです。  p48
*デッサンが相当に狂っていても歴史に残る場合もある、・・・・  p88
*ルネッサンスとは・・・・私なりに噛み砕いて言うなら、”情報革命”ということになります。  p130
*時代の空気感を絵にする  p189
*ベーコンは、人間存在を描くとは封印された負の感情こそを表に出すこと、すなはち芸術作品として痛みや絶望を直視することこそが生きている実感、つまりそれが「美」であり、これこそ複雑化した現代人の世界観の認識にとって不可欠であると考えていたのではないでしょうか。   p289

 著者の自信が感じられる文を最後に引用しておこう。
「この本を読んでいただけたら、今までその絵に興味がなかった方でも、なるほど、よく見てみよう、という気になると思います。」(p300)

 ご一読ありがとうございます。


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美術史的視点での用語をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
そこから、上記名画が逆引きできるかもしれません。チェックしてみてください。

ルネサンス  :ウィキペディア
The Renaissance  From Wikipedia, the free encyclopedia
象徴主義   :「weblio辞書」
ケルト文化について   :「SOLARIS WORKS」
ケルト 文化と歴史  :「きょろりんの部屋 愛蘭土」
ケルトの世界観    :「British Highland」
シュールレアリズム  :「weblio辞書」
シュールレアリスム-無意識と深層心理の世界  :「デッサンという礎」
印象派  :ウィキペディア
印象派  :「Salvastyle.com」
新印象派 光と色のドラマ ホームページ
ヴァニタス  :ウィキペディア
フォーヴィズム 野獣派  :「ヴァーチャル絵画館」
ラファエル前派  :「西洋美術史年表」
ラファエル前派  :「artscape」
Earl Art Gallery index
バロック  :ウィキペディア
バロック美術 :「Salvastyle.com」
ロココ   :ウィキペディア
ロココ美術  :「Salvastyle.com」


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徒然の読書のなかで、著者の次の本も読んでいます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。

『<オールカラー版> 日本画を描く悦び』 光文社新書

『京語り』  吉野 栄   文芸社

2015-06-20 17:54:01 | レビュー
 タイトルが目に止まり、「京みやこ語り」という言葉に関心を抱き、最初の数ページをペラペラと見ると、青木木米という名前が目に飛び込んで来て、この作品を読む気になった。作者については、まったく予備知識がなかった。初めて目にした作家名だった。
 奥書を見ると、2010年に、「物原を踏みて」という作品で、第10回内田百文学賞優秀賞を受賞されている。
 さて、本書は4つの短編が収録された短編集であり、作品のテーマはそれぞれ大きく異なり、趣がかなり違う短編を収録した小説集になっている。4つの作品に共通するのは、京言葉での会話を主体にすることと、京都を舞台にした作品であるという点である。

 結果的に私が一番惹きつけられるのは、やはり一番最初に収録されている青木木米を扱った作品である。以下、各短編作品の読後印象をまとめてみたい。

<< 粟田の桐 >>

 京都東山の鳥辺野に父、青木木米(もくべい)の墓があるという書き出しから始まる短編小説である。二人の死者が青木木米についてその人となりを回想して語るという形で展開する構成になっていておもしろい。
 二人の語り部とは、一人が娘の「お來」であり、もう一人は、東国江戸の窯元に生まれ、伝手を頼って上方に来て、16歳で弟子入りした栄吉である。京焼の名工として名を馳せた木米の墓には、「識字陶工木米之墓」と墓石に刻まれているという。そして、その傍に誰の目を引くこともない質素な墓石が建てられていて、そこには「お來」と「俗名 栄吉」と刻まれているという。お來は冒頭部分で、「栄吉さんと一つ墓にはいりたいという身勝手な希望を、理解ある方々が叶えてくださったのです。おかげで生前には掴めなかったこのうえない幸せを、人生の幕を閉じたあとで手にすることができたのでございます」とうれしさを述べる下りがある。
 なぜ、生前にお來と栄吉が夫婦になれなかったのか、それが青木木米自身とどうかかわるのか、ということが、お來と栄吉の語りの中から徐々に明らかになっていくという構成になる。
 お來は娘の視点から木米を語る。そこでは木米を支えたお來の母の苦労を、お來の目を通して語ることにもなる。母の苦労を見ているところから生まれる愛憎を込めた視点で、父木米を語ることにもなる。さらに、お來は、父を介して大坂商人で初老の殿山長右衞門に引き合わされ、妾の立場になっていく。そこには、木米が窯を維持するために多額の借金をしていたことと、現在は使われていない貨幣とはいえ、古い貨幣の贋金造りで脅かされているという事情があったのだ。父のためとはいえ、身売り同然の境遇に一旦なっていくお來の心が語られる。お來は、母につらい思いをさせながら、妾を持ち子どもを作る父の有り様を見つめていく。父の私的な側面と、世に名声を得ながらも、京焼の競争の中で、絶頂と失意の振れの大きい父の陶工としての側面を、時間軸の中でともに語り続けて行く。
 一方、栄吉は弟子の目に映じた木米を語る。そして、なぜ木米に弟子入りしたのか、その理由を明らかにしていく。また、その理由からすれば、栄吉がお來に何も求められないことになるという事情があった。
 木米の最晩年に、木米自身の思いと行為が、お來を介して語られていく。
 
 京焼の名工、青木木米がどんな人物だったかが浮かび上がってくる組み立てになっている。当時の京焼に関わる主要な人々の関係や仕事が点描風に織り込まれていく。窯の継承者が続いている高橋道八とは異なり、対比的に、名工木米の窯は木米一代で終わりを遂げる。木米は、三条粟田口に焼物の窯を築いていたのだ。江戸末期には粟田口一帯には20基を超える窯が稼働していたようだ。今はその痕跡すらほとんどないように思う。

 表題の「粟田の桐」は、お來が生まれた時に桐の木が植えられたのだ。娘が生まれた時に、桐の木を植えると、娘が嫁ぐ頃にその木から嫁入り道具を作ることができるということによる。お來の場合、粟田の桐は桐の木のままで切られることなく終わる
 最後は父・木米の生き様を理解し、それを全体として受け入れていくお來の生き方は、ふっと心やすらぐとともに、哀しく切ない。しっとりとした気持ちで読み終えさせる作品である。

 「お來」の没年は「明治12年己(つちのと)卯年6月 享年79歳」
 末尾の文は、こう記されている。お來の嬉しげな気持ち、はなやぎが伝わってくる。
「ああそうそう、お歯黒はきれいに洗い落としておきましょう。娘に戻ったつもりでいられるように。なにせ待っているのは『男盛り』の栄吉さんなのですから。」


<< 飛び落ちたくは候へど >>

 明治維新を迎えるが、未だ行政組織が確立していない時点で、前月に京都府が創設され、「府兵」が警察事務を掌握したまなしの京都が舞台となる。主な主人公は、京都東町奉行所の同心として奉職していたが、奉行所が廃止されたとはいえ、元同心身分で、各町の自身番屋に顔を出し続けているという状態に居る元武士である。津田忠右衞門と平川宗之助の二人。彼らは一種のモラトリアム状態にいる。
 元治元年夏、蛤御門の変での戦火で、京の町は大火事となる。大火事が東寺内町に達し、燃え落ちる仏具屋の猛火の中から、津田と平川が孫の救出に一役かう結果となる。しかし、そこには裏事情があった。火事場泥棒が居合わせた子供を見捨てられず、助け出したのだ。男が子供を肩から下ろしたところで、忠右衞門が火事場泥棒を押さえ込む。盗品の包みは地面に落とす。忠右衞門はその男を逃がしてやるのである。かけつけた仏具屋(彦根屋)の主人惣兵衛に、子供と包み(金箔)を手渡す。
 惣兵衛は二人に必ず礼はすると述べて、子供を連れて去って行く。
 話は、それから4年後の現在に繋がる。それは、清水の舞台からの「飛び落ち」の件に絡んでいく。かつて清水の舞台からの「飛び落ち」は年に4~5件あったという。観音信仰との関連があるそうだ。
 飛び落ちして命を落としたのは下女として勤めていた「さよ」という女。「主人の病気平癒」を願っての飛び落ちとして適当に処理された。3歳年上で22歳の与吉がさよの遺品を整理していて、母の形見の薩摩つげの解き櫛が見当たらないのだった。そこで、与吉は番屋にその行方の調査を申し出る。与吉の申し出を忠右衞門が聴いたのだ。そして与吉があの4年前の火事場泥棒を試みた男だったことに気付く。この話を忠右衞門が平川に語ることから、話が具体的に展開していく。
 平川が実はさよの飛び落ちの検屍に立ち合っていたことが、後ほどわかっることから、忠右衞門の疑心暗鬼が始まる。与吉が切られるという展開にもなっていく。幸いに命に別状がなかったのだが・・・・。忠右衞門の捜査は意外な展開をしていく。このあたりのストーリーの展開はなかなかおもしろい。
 明治維新直後の雰囲気がよくわかるとともに、京都にとどまった元同心の不安定な日常生活と心の平衡を保とうとする心理状態が描き込まれていく。ペーソスが漂う作品である。明治維新直後を時代背景とした捜査追跡物語といったところである。
 その中に、平川の家庭状況や用立ててという形での無心行為、ふとしたでき心などが織りなされ、忠右衞門も身の振りかたに思い悩む。そのような元武士の姿が哀調を帯びて描かれている。

(こうづる)の窓  >>

 1932年3月に満州国が建国された。この話はその3年後の4月、奉天で初めての冬を迎える静代と妹・房子の姉妹のある事情から始まる。姉妹2人の生き方の違いがどちらかというと淡々と描かれて行く。
 ある事情とは、妹の生んだ幼児を、静代が「奉天同善堂」の入口に近い建物に小さく開けられ「救生門」と書かれた「窓」にそっと差し入れに行くという行動を選択するのだ。救生門とは捨て児にされる赤ん坊を救う門である。なぜそんな状況に陥ったのか、姉妹の生まれと育ちの経緯を絡ませながら、「幼児」に対する姉妹の意識の差や関わり方の差が描かれる。
 産めよ増やせよが奨励され、堕胎罪が重要視された1930年代という時代の一面が鮮やかに切りだされ、浮き彫りになる。ヨーロッパでは鸛(こうのとり)が人間の赤ん坊を運んでくるという伝説がある。この作品はタイトル「鸛鶴の窓」は、「救生門の窓」と同じ意味である。その後、姉妹は満州・奉天から京都に戻り、静代は助産院を開業し、「鸛鶴の窓」を自ら設けるのだ。看病婦学校時代の同級生・濱田徳子の強い勧めが帰国の一因なのだが、京都市内で助産院を営む徳子に頼まれて、考案されて間もない避妊具「太田リング」を置くことにもなる。「法律で禁止されたわけやないやろ。近々そうなるていう噂もあるけど、うちはそれでも続けるつもりや」「今でも危ないえ。軍隊に入れるため人を増やせいうのが国の政策や。産児制限はそれに刃向かうことやないか」という会話がつづく。そんな時代が描かれていく。
 静代が設けた「鸛鶴の窓」から入れられた初めての「赤ん坊」をめぐって、話が急展開していく。赤ん坊を置いた母親が翌日、改めて「赤ん坊」を引き取りたいと現れるのだが、赤ん坊は消えていた。妹・房子がそこに絡んでいたのだが・・・・・。

 1930年代という時代世相の中での中絶・堕胎意識が捨て児という行為と重ねて描き込まれる。静代はある事情で中絶させられ、妊娠できない体になっていることを秘している。その静代が妹の奔放な生き方を眺める視点も興味深い。「鸛鶴の窓」は、静代の生き方につながる窓でもある。「赤ん坊」の存在の意味が描かれていく短編である。

<< 三条の橋  >>
 「中国との戦争に続きアメリカとも戦火を交えてすでに三年、日常の暮らしには制約が多く課せられ、外出時はモンペの着用が義務づけられていた」という時代背景で、祇園町のお茶屋の主でもあり母でもある八重と、翌年には「十三参り」を控える娘・綾子が主な主人公となる。
 綾子の祖母トクの若い頃の着物を仕立て直し、綾子の十三参りのためのの小振り袖が作られる。綾子は母に訊ねる。「今晩のおけら参りには、あれ着て行くねん」「あれは今日着られへん。あれは十三参りのためにこさえたべべやないの」という母子の会話からストーリーが始まる。
 「お母ちゃんの言うこと聴きよし。そやないと三条の橋の下へ捨ててくるえ。あんたはあそこで拾てきた子やさかいに」「お母ちゃん。いけず言わんといて」という会話に発展する。
 この「橋の下で拾てきた子」というフレーズは、京都で生まれ育った私も子供の頃に使われた記憶がある。なつかしい言葉・・・・。久しぶりに、この作品を読み、ああそういえば、と思い出した。子供を叱る時などの脅し文句としてよく使われた。
 だが、この言葉の意味するところが、この作品ではダブルミーニングになっていくというストーリー展開となる。
 八重と綾子が八坂神社におけら参りに行く。その境内で、可愛らしい子を連れた祇園新橋のお茶屋の女将が、八重に軽く会釈して声をかけた。それに対する八重の見せた素っ気ない態度に、気まずい雰囲気を綾子が感じ取る。それが綾子の感性への伏線となっていく。
 この短編は、八重の生き方を描き出していく。一方で、綾子は、十三参りを目前にして、「今度は自分が秘密を持つ番だ」と、一段大人への階段を上る。そこに至るプロセスで八重と綾子のそれぞれの心中の葛藤があざやかに描き出される。
 そして、いつもの親子のやりとりが今日も始まるというところに戻って行く。

 戦時下の祇園町の雰囲気を織り込みながら、祇園町に生きる親子の物語である。哀切感が滲む一方で、そこに一つの人間成長物語が描き出されている。

 著者は、心の機微を描き出したかったのだろう。その観点が各作品に共通しているように思う。

 ご一読ありがとうございます。


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本書から関心を抱いた語句をネット検索してみた。一覧にしておきたい。

青木木米  :ウィキペディア
陶匠・青木木米宅跡・弁財天社(東山区)   :「京都風光」
陶工・青木木米忌日  :「今日のことあれこれと・・・」
『磁器』(石もの) 染付名花十友図三重蓋物 :「京都国立博物館」
兎道朝暾図(うじちょうとんず) 重要文化財  :「e國寶」
染付龍涛文提重(そめつけりゅうとうもんさげじゅう) :「e國寶」
京都国立博物館データベース 
 「館蔵品データベース」に9件の作品の登録あり。作者名で検索してください。
Aoki Mokubei :「JAPANESE CERAMICS」
Bowl in the shape od an antique Gui Chinese vessel :「MMUSEE CERUNUSHI」
奥田頴川  :ウィキペディア
仁阿弥道八 :ウィキペディア
田能村竹田の墓   :「大坂再発見!」

満州国  :ウィキペディア
堕胎罪  :ウィキペディア
避妊リング  :「三宅婦人科内科医院」
じぇねれーしょんぎゃっぷ  :「病院からのお知らせ」

をけら参り  :「八坂神社」
京の祭礼と行事 をけら参り :「甘春堂」
法輪寺(虚空蔵)・・・嵯峨嵐山 十三参り :「ようこそ渡月橋」

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『常在戦場 家康家臣列伝』 火坂雅志  文藝春秋

2015-06-14 22:54:29 | レビュー
 本書は、副題に「家康家臣列伝」とあるように、川家康の重要な家臣について扱った短編作品集である。ただし、2作品は、家康の「家臣」とは呼びがたい人物を扱っている。だがまあ、大勢としては家臣列伝としておけるというところか。
 最初に、短編作品のタイトルと誰を主な登場人物、つまり家康家臣として取り扱っているかを一覧にし、一行コメントを付しておこう。目次に番号はないが、仮に番号をふっておきたい。

1. ワタリ    鳥居彦右衞門元忠  伏見城落城の折に、城中で割腹する生き様
2. 井伊の虎   女武者・井伊直虎  井伊家発展の陰の存在だった人物の生き様
3. 毒まんじゅう 石川数正  家康の重臣の一人だったが秀吉側に出奔した生き様
4. 梅、一輪   大久保忠隣 大蔵藤十郎の登用と政争の渦中に入る事が破滅の因に
5. 馬上の局   家康の側室・阿茶  戦場・馬上での活躍。家康のよき相談相手に
6. 川天狗    角倉了以  保津川の開疏、富士川の開疏、高瀬川の開削に邁進
7. 常在戦場   牧野忠成  一度死に、新たに生まれ変われの命に従った生き様

ご覧のように、4と5は普通にいう「家臣」の範疇からはずれると思う。しかし、内容的には准家臣的な働きをすることになる。列伝として採り上げるに適う切り口でこれらも作品が仕上がっている。家康の視点でみれば家臣と同列になるだろう。
 
 本書のタイトルは、7つめの短編の題がそのまま利用されている。家康が将軍秀忠に残した遺言により、最終的には越後国長岡藩の初代藩主となった牧野忠成が藩是とした言葉が「常在戦場」だったという。この作品の末尾で、著者はこの語句の意味をこう記している。「その真の意味は、たとえ合戦場で華々しく手柄を挙げることがなくとも、『手柄は人生のどこにでも落ちている』」ということだとする。それは忠成の生き様を色濃く投影した言葉なのだという視点で、忠成の生き様が描き出されていて、こういう武士も居たのかという思いが残る。家康のしたたかさを感じさせる一編でもある。
 忠成の意味する「常在戦場」は、形を変えて他の6つの作品にも共有されていると見る事ができるだろう。

 それでは、作品毎に読後印象を多少まとめておきたい。

 これらの作品を、家康家臣群の伝記としてとらえれば、十分な予備知識がないので、どこまでが事実でどこから著者の創作が加わわているのかはわからない。フィクションという次元において、人物像の本質に迫り、鮮やかに人物像を切り出したものとして受け止めた。そこには、一面の真実が現れているように思う。
 家康の重要な家臣たちを列伝として個々に描くことを通して、間接的に政治家・家康像を炙り出している局面がある。著者は、家康こそが「常住戦場」を強烈に意識していたことを、裏のテーマとしているのではないか。常住が戦場である故に、常にそこには戦略・戦術があり、冷徹な判断が伴っている。己の「まつりごと」思考を軸に敵にも味方にも、重要な家臣たちにも対処していく家康の生き様である。

1. ワタリ
 戦国時代、諸国を渡り歩いた商工業民をワタリと呼んだという。鳥居氏はもともと紀州熊野三山の山伏だったといわれ、ワタリの出身だとする。その鳥居氏が矢作川の下の渡りに住みつき舟稼ぎ、馬借などで経済力を蓄える。元忠の父が、三河領主二代にわたって仕えていたという背景が基盤になる。父の命で、駿府に人質となっている10歳の竹千代(後の家康)のもとで仕えるために、13歳の元忠が駿河に出向いたときの対面場面からストーリーが展開する。
 「おれはモズを飼い、狩りができるように仕込んでいる」という竹千代の得意げな言に当初元忠は失望する。しかし、竹千代の本音を理解できるようになると、竹千代と元忠の絆が深まっていく。そのプロセスが興味深い。元忠が鳥居氏の経済力とワタリの情報網を駆使して、時代を読み家康のサポートをしてく生き様が簡潔に描かれている。
 元忠が家康に終始仕えたのは、己の夢のためだったとするところがおもしろい。一方、家康が「鳥居彦右衞門の功、大なり」と言いつつ、「ゆからぬ者」と評していたというのも実におもしろい。本作品の最後の一文は、「経済力を持ち、あらゆる情報を握っていた鳥居元忠は、家康にとってかけがえのない存在でありつつも、まさにゆからぬ者にほかならなかった」である。

2. 井伊の虎
 「遠江国司藤原共資(ともすけ)の養子共保(ともやす)が、井伊谷に土着。城山の地に居館を構えて、井伊氏を名乗ったのがはじまりとされる。以来、井伊氏は遠江国の代表的な国人領主として、井伊谷に連綿として長い歴史を刻んできた」という。
 井伊家第22代が井伊直盛であり、世継ぎの男子はできず、姫を得た。その姫はお直と名づけられる。お直が5歳の折、お直を生んだ母が流行病で死ぬ。その後、直盛は独り身を通す。その直盛がお直に「この井伊谷の水のように生きよ」と口癖のように言う。「そなたはそなたのままであれ」という意味なのだ。そして、井伊家の宗家として生まれたお直に、井伊家を守り抜け、それがつとめだと語る。
 お直8歳のときに、叔父の息子・直親と婚約し許嫁となる。だが時代の趨勢はままならない。その状況が描き出される。出家を決意したお直は大叔父の南渓和尚から、女を捨てよと言われる。尼になるのではなく、僧侶になれと言われるのだ。一種の方便だろう。だが、これが後に、僧侶となった次郎法師(お直)が、井伊家のために還俗し、井伊直虎(つまり女武者)として一旦井伊家の当主の座につくこととなる。そして、虎松を養子とする。
 この作品では、直虎が虎松とともに、家康と対面し、虎松を家康の小姓として仕えさせるまでを描く。虎松の念願は直虎から託された井伊家再興である。虎松は300石で家康に小姓として取り立てられ、万千代と改名する。元服して、直政と名乗る。川軍団の四天王の一人と言われるようになる井伊直政の誕生だ。お家再興を軸に武将としての行動方針を決めた直政の背景を感じとれる作品にもなっている。 
 この作品のテーマは、お直が井伊家存立のために取った行動、数奇な生き様を描くことにあるだろう。こんな凄烈な生き方をした女性がいたとは驚きである。
 
 滋賀県彦根市に、龍譚寺という古刹がある。この寺を訪れたとき、その由緒として、井伊谷にお寺のルーツがあるという記載を読んだ記憶がある。この短編を読み、龍譚寺の背景が生き生きとして来て、一層興趣を感じた。
 浜松市の井伊谷にある龍譚寺に、井伊家霊屋があり、井伊直虎(次郎法師)の位牌「戒名 妙雲院殿月舩祐圓大姉 」が安置されていて、井伊家墓所に井伊直虎の墓も、「妙雲院殿」として建立されているようだ。

3. 毒まんじゅう
 石川数正は、清和源氏の出であり、先祖が石川判官代義兼であることを自慢にしていたという。川譜代の臣であり、家康より9歳年長である。家康が駿河今川家の人質に差し出されるときに、石川数正も供の一人となる。この作品では、数正の内奥にある武家の名門清和源氏の末流という誇りが、駿府の京風文化に親近感を抱かせ、彼の行動を位置づけていく様子を描き込む。後に家康の正妻・築山殿となる瀬名姫を見知ることが契機となって、彼の生涯を変えていく有り様が描かれて行く。無骨者が多い三河武士の中で、京風文化に馴染み弁が立つ数正が、家康の外交官的役割を果たし、それなりに成果をあげていく。しかし、それが逆に三河武士の風土の中では溝ができ、浮き上がった存在になるという一端にもなる。
 家康が、数正を築山殿が生んだ嫡男・竹千代(後の信康)の後見人としたことから、一層数正の生き様は変転していく。秀吉が数正に目をつけるのだ。
 この作品のタイトルは、秀吉が数正を分析して、三成に語る言葉から取られている。
「仕掛けようによっては、あやつは毒まんじゅうでも喜んで食らいつく。忠義、忠義と口では言いながら、ぎりぎりのところで利に誘われる心の弱さがあると、わしは見た。つまるところ、わが身がいちばん可愛い」と。
 このストーリーを裏読みすると、逆に家康が数正の内にある「毒まんじゅう」的要素を知りつつ、数正の動きの先を読みきっていて、数正を使っていた。数正の行動に乗せられたふりをしていたと見ることができるのではないか・・・・とすら思う。
 この作品の末尾の一行「家康にとっては、石川家は、おのが目の黒いうちに潰しておきたい家のひとつであったにちがいない」というのは、意味が深そうに思えてくる。そんな興味深さがある。

4. 梅、一輪
 川家臣団の中で、大久保家は特異な地位を築いていて、大久保党と呼ばれるひとつの族党組織を形成していたとする。その大久保党の支流である大久保忠世の嫡男が、大久保新十郎忠隣である。忠世の家のほうに人材が輩出し、川家臣団で重きをなした。
 忠隣は、家康を守るという一念に徹し、生きるも死ぬも一緒という思いを貫く武士である。
 長篠の戦いで武田勝頼の軍勢を撃破した後に、千曲川のほとりで、忠隣が年のころは十六、七と見える美しい娘・多岐に会釈され、尋ねられたことから、ストーリーが具体的に進展していく。多岐は意図的に忠隣に会釈して、話すきっかけを作ったのだ。それは、父・大蔵藤十郎を忠隣の家臣に登用してほしいということだった。
 大蔵藤十郎は甲州流の金堀り術に長けた人物だった。忠隣は藤十郎に油断のならないものを感じつつ、この男を使いこなすことが、主君家康への忠義につながると信じて、家臣に登用する。この藤十郎が、後に忠隣の推挙で大久保党に加わえられ、大久保長安と名乗り、活躍するようになる。長安は家康の「まつりごと」のために、有益な家臣に成り上がっていく。
 忠隣は関ヶ原の合戦において、秀忠の傅役として秀忠軍に加わり、中山道を進む。軍監として本多正信が目付役に就く。真田昌幸の籠もる上田城の攻略についての戦略において、忠隣と本多正信の間で意見が対立し、確執が深まっていく。結果的に、秀忠軍の関ヶ原への遅参となる。本多正信の自己保身が様々な謀略を連鎖させるという描写が人間臭さを加え、そういう動きをするだろうなと納得させる。興味深い部分だ。
 大久保長安の活躍が、長安の死を境にして、政争という形で忠隣に思わぬ運命をもたらすことになる。この作品は、その経緯を描いていく。

 「まつりごと」の戦略的遂行のためには、家臣の忠義をも切り捨てることが正当化できるのか・・・・。作為的に操作された情報を与えられ、それにより判断を下す形が、大御所家康を誤らせたのか? 「忠義」とは何か? 「忠義」は状況対応型の行動なのか、普遍的行動でありえるのか? 所詮状況次第で「家臣」は道具ということなのか? ・・・・深読みすると、様々なに考える材料を含ませた作品に仕上がっているともいえる。
 さらりと読むだけでも、おもしろい。忠隣と多岐の関わり方が、忠隣という人物を知る重要な要素ともなっているように感じる。
 忠隣が「道白」と号したというのが興味深い。家康はこの号を聴き知っていたのだろうか。

5. 馬上の局
 家康の側室に、こんな行動力のある女性がいたのを初めて知った。著者が想像力を羽ばたかせて織りなした部分があるだろうが、家康の相棒と位置づけられるような側室が居たということ、家康を支えた女性がいたというのが興味深い。
 話は、家康の制止を無視して、小牧・長久手の戦いの戦場に、女武者の姿で毎朝颯爽と現れる阿茶の像を描くところから始まる。この作品の楽しいところは、阿茶の聡明さと、家康の側室が多い中で、家康に対応する己の道を主体的に選び取って行ったところである。家康の心をしっかりとつかむためには、どう行動すべきかを考え、実行した女性を描いた興味深い作品となっている。
 家康に見出され、側室となった受け身的な立場から、家康の重臣的立ち位置に己の生き様を変化対応させていった、またそれだけの能力があった女性として描かれている。
 「そなたは女ながら、男以上に胆力がある。そこらの男どもよりも、武士の血が濃く流れておる。わしはただの女としてではなく、ひとりの人間として、そなたを信頼しておる。暇を取りたいなどと、間違っても申してはならぬぞ」「ともに天下をめざそうぞ」と著者は、家康に語らせている。
 阿茶が生んだ娘が長じて後、家康の手がつき側室になるなど、女・側室としての阿茶の苦悩の側面を描き込みながら、側室の世界を超脱した女性を描き出していて、自立した女性の存在が描かれる。2つめの作品、井伊直虎とはまたひと味ちがう女傑の存在が描かれていて、楽しい。

6. 川天狗
 角倉了以が保津川を開疏し、高瀬川を開削したことは、京都の住人として知っていたが、家康の命令を受けて富士川の開疏を成功させていたことは知らなかった。
 この作品は、角倉了以の異相を冒頭で描くことから始め、権力者にへつらいおもねる大商人ではない了以の立ち位置をまず、ストレートに出してくるからおもしろい。
 「われら商人にとって、目を向けるべきは顧客。市井に生きる民あってこそ、飯が食えるのでございます」と家康に対座して語る了以に、逆に家康が信頼感を抱き、人物を評価し見込むというところが楽しい。
 ある経緯があり、家康の女秘書官的存在になっていた阿茶の局と了以が旧知の間柄になっていたという背景が設定されている。それが事実かどうかは知らないが、そんな人と人の関わりが、了以と家康を結びつける契機になったのかもしれないと思う。
 了以の経歴を一通り語りながら、なぜ了以が河川の開疏・開削という社会事業に己の生きる道を見出して行ったかという点が描き込まれている。ただし、その行動にはちゃんと商人の視点が根底にあり、利他を図るという反面で、自利の利益採算性は合理的に計算され、投資効果が見込まれるという前提があったのがおもしろい。自力で行う事業は世のためになるが、結果的に利益は得るというしたたかさが痛快である。計算された上での、リスクテイクの姿勢がうまく描き込まれている。
 反面で面白いのは、河川の開削事業に対する了以の信念と行動力を利用する家康のしたたかさが間接的に描かれている点である。
 江戸時代において、河川の開疏・開削がどのように実行されたのかを知るのにも役立つ小品である。了以にとっては、利を前提においた、経済構造を変えるための川との戦いという観点が、冷ややかに見る商人との戦いでもあり、常在戦場でもあったのだ。
 京の街中、四条・三条に出るたびに必ず横切る高瀬川が一層歴史的背景を重ねて感じられるものになった。了以という人物に思いを馳せるトリガーとなる作品と言える。
 
 
7. 常在戦場
 事の発端は、大久保忠隣と同様に、秀忠軍に従い、中山道を進んで美濃表に出て、関ヶ原に向かう途中での、信州上田城での秀忠軍の苦戦にある。三河以来の譜代の臣、牧野康成の息子の牧野忠成がこの作品の主人公だ。
 「気性が烈しく、しかも勇猛で弓馬の道にひいでていることから、武辺を好むあるじ家康に愛され、将来をおおいに期待されていた」忠成が、上田城攻めで失策を犯す。真田正幸の詐術・力量を見くびり、軍令を無視して一番駆けをして、敗退する。上田城攻めの失敗が、秀忠軍の関ヶ原の戦場への遅参となる。その結果、忠成は責めを負う立場に追い込まれる。軍監の本多正信は、自己保身を背景に、秀忠に責任がないことを主張し、上田城攻略での失態を牧野らの責任と主張する。己に非がないと信じる忠成は出奔するという行動に出る。
 出奔した忠成が辛苦をなめる経験を経て、父が謹慎生活を続ける大胡城に舞い戻る。待っていたのは、伏見に居る家康からの呼び出しである。家康の前に参上した忠成は、「そなた今日は死ぬ気でまいったな」「ならば、一度死ね」と言われる。一度死んで、新たな忠成に生まれ変われという命である。「死ぬ気になれば、できぬことはあるまい。このわしも、幾たびかの死地をくぐり抜けて、いまここにある。まことの戦いは、死んだと思ったところからはじまるものよ」。そして、京都所司代の板倉勝重に委細は聞けと指示される。ここからが巧妙な展開になっていく。忠成に課せられたのは影働きの道だった。
 それは忠成の武士観を揺るがすものだったが、いくさなき世において、手を泥で汚しながら時勢を変えていくことに連なり、川の天下を実質的に招来することへの加担となることだった。このプロセス展開が簡潔に描かれていく。この部分は、フィクションが多いのか、史実が多いのか、わからないところが興味深い。所詮、闇の部分なのだから。
 忠成が、一度死に生まれ変わって影働きをする展開の中で、後に忠成の正室となる佐和との出会いがあったというストーリー展開は楽しいところである。
 ここにも、家康の巧妙な人使いの一端が描き出されていて、家康のしたたかさが窺える。「まことの戦い」とは何か? それが「常在戦場」という言葉と直結していることは間違いが無い。家康の「まことの戦い」に、忠成が巧妙に組み込まれたということである。 「牧野忠成は、骨身を惜しまずよく働いてくれた。牧野家に厚く報いてやるがよい」と家康は将軍秀忠に遺言を残したと著者は描く。秀忠は、この言葉の真意を知らされていたのだろうか・・・・。なかなかおもしろい作品に仕上がっている。

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龍譚寺  :「彦根観光協会」
龍譚寺(浜松市) ホームページ
   井伊直虎(次郎法師) 
   龍潭寺 井伊家墓所図
大久保忠隣  :ウィキペディア
大久保長安事件 :ウィキペディア
第69回 政争に敗れた大久保忠隣(ただちか)の家紋 :「歴史人」
運光院  :ウィキペディア
阿茶局  :「コトバンク」
角倉了以  :「歴史倶楽部」
保津川下りの歴史  :「保津川下り」
角倉了以  :ウィキペディア
牧野忠成(越後長岡藩初代)  :ウィキペディア

インタビュー・対談   :「本の話WEB」
志をいだき、野望を持ち、家康の周りに集まった異才たち
 『常在戦場 家康家臣列伝』 (火坂雅志 著)  聞き手「本の話」編集部


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『売国』  真山仁   文藝春秋

2015-06-05 17:16:22 | レビュー
 検事ものはブログで読後印象を書き始める前に読んでいた和久俊三の赤かぶ検事シリーズと、ブログ記事を書き始めてから読んだ柚月裕子の作品である。赤かぶ検事シリーズはほぼ全作品を読んでいる。和久・柚月両氏の作品は、独任制度のもとで検事の主人公が活躍する作品である。個性的な検事がそれぞれ自らの信条を持ち、検事としての使命に基づ、独自の思考・判断で事件に臨んでいく。 
 それに対し、この作品は東京地方検察庁特捜部の立件捜査活動を扱う。政治家の絡む贈収賄問題で超大物政治家を摘発しようと総力を挙げるという顛末ストーリーである。特捜部の検事ものを読むのは初めてである。そういう点で面白かった。また、この著者の作品自体を読むのも初めてである。

 とはいうもののこの作品は、特捜部が取り組み始めた事件に投入された一人の検事・冨永真一の活動を主体に描き出されていく。つまり、政治家を摘発するための捜査、証拠固めのプロセスで、冨永検事が如何に考え、どのように行動し、どういう成果を積み上げていき、どんな結果をだしたか、というストーリー展開になる。事件としてターゲットになる政治家・橘洋平に逮捕状を突きつけるまでを描く。
 この作品の一つの面白みは、特捜部という組織で動く検事の中で、独任で事件を扱う検事の感覚と法に対する己の信条を生かそうとする冨永の姿勢と行動にあると思う。
 もう一つは、私の読み方が不十分なのかどうかは、読んでいただかないと判断できないことだが、橘洋平が「売国」という観点でグレーゾーンに留まる印象が残る点がおもしろい。なにほどか、闇の中に残す形で一応の結末をつけている感じがする。
 そして、興味深いのは、「構造」という単語に構成という意味合いをも含ませると、この作品が様々な次元で「二重構造」を組み合わせた作品と思える点である。

 まず、ストーリーの全体の展開が、2つのストーリーの同時進行として構造化されている。一つは特捜部が大物政治家をターゲットとして独自捜査を行い、立件を目指す捜査活動プロセスのストーリーであり、もう一つはロケット開発のための研究者集団の活動プロセスというすとーりーである。それは宇宙産業が確立する前段と言えるストーリー。
 前者は上記の通り、冨永真一検事の行動と活躍を軸に展開する。後者は、父親の後姿を見つめ、小さい頃からロケットを身近に感じ、自分でロケットを飛ばしたいと夢みて、修士課程での研究を始める八反田遙である。その遙が相模原にある宇宙航空研究センター(宇宙セン)の寺島教授の研究室に入り、ロケット開発研究のプロセスの語り部となる。つまり、寺島教授を筆頭とした研究室の活動を通して、日本のロケット問題を眺めて行くことになる。遙の父が寺島教授と面識があり、遙の父が寺島にロケット開発の夢を託した男である。寺島教授は、今や日本の宇宙輸送工学系のエース的存在なのだ。彼は、橘洋平が日本における宇宙産業の確立において期待をかけるエースでもある。
 この後者のストーリーの中にも、遙の父の研究に纏わる「売国」の局面が描かれる。これは、様々な研究分野において実際に発生してきた「売国」のシンボリックな一例なのかもしれない。
 この2つのストーリーが最終的に接点を持って行き、エンディングとなる。

 第2の二重構造はこの作品のタイトル「売国」と直接関係する。ここでは、アメリカに日本を売るという意味合いで使われている。そして、「売国奴」を「アメリカに通じ、本来は日本の国益となるものを損ねている者」(p279)という意味で使っている。それが具体的に誰をさすのか、それはどの行為を為した誰なのか。それが問題である。
 日本の国益を損なう事案があれば、不正を抉り出す捜査はいくらでも行う。国破れて正義あり、という信念を標榜する小松一平次長検事。次長検事は検事総長の補佐役である。それが特捜部のめざす立場だと、羽瀬喜一は考えている。
 一方で、世間では親米族と目される橘洋平が考える売国奴の輩である。不正な大物政治家として、特捜部がターゲットにしている当の人物が「売国」の輩が誰であるか、どう対処すべきかを図っているという興味深さがある。

 第3の二重構造は、橘洋平をターゲットに捜査に乗り出した特捜部の組織体制自体から生み出される。
 検事総長が日本初の女性特捜部長を就任させ、実績づくりを狙う。このアイデアはよしとしても、選ばれた岩下希美は、自己顕示欲が強く、検察官としての能力は低い。小松も羽瀬もそう評価する人物なのだ。
 小松が、特捜部の副部長に羽瀬を指名する。小松は、羽瀬が重石となることを期待し、実質的には羽瀬に東京地検特捜部復権のための全権を委ねたいと目論む。特捜部復権のために、若手の育成が鍵だとして、小松は羽瀬に若手2人を選抜し、特捜部で徹底的に鍛えよと言う。選抜される一人が、冨永真一なのだ。
 特捜部のスタートに辺り、この組織自体に二重構造が生み出される。それが捜査活動に影響するようになる。
 
 第4の二重構造は、この作品の構成と言った方が良いかも知れないが、長編小説の中に短編小説が組み込まれた感じの二重構造になっている。任官12年目を迎えていて、東京地方検察庁公判部検事として、冨永真一が扱う「あかねちゃん事件」の顛末譚である。それがこの作品の導入部でもある。冨永が独任の検事として、己の信念と粘り強い証拠固めを行い本領を発揮し、裁判で大成果を出す。冨永の人となりがまず印象づけられる。それが特捜部への異動の原因にもなる。特捜部での捜査活動で、冨永が持ち前の力量を発揮していくことになる。独任の検事の仕事と特捜部という組織で動く検事の仕事という二重構造である。主に「あかねちゃん事件」を扱う第1章「秘密の暴露」だけでも、けっこう楽しめる小品となっている。
 ここの二重構造でおもしろいのは、「検察官になれば誰もが特捜検事を目指すと世間では思っているようだが、冨永は任官以来、一度も特捜部を希望したことはない。」という冨永のキャラクター設定だ。冨永の心中の二重構造である。独任の検事の目で、特捜部の検事の行動を眺めつつ、己の信条を変えずに、己の動きをとるという心理が描かれる。

 第5の二重構造は、特捜部における捜査活動は贈収賄という観点である。国税庁の告発を受けて群馬県の土建会社を脱税で上げたところ、本郷五郎会長宅から使途不明金の用途を示唆するリストが記された5年分の手帳が発見された。そこに端を発している。その手帳の記録が多数の政治家への贈収賄の摘発に繋がる可能性を秘めているのだ。そしてその手帳には本郷と橘が学ランを着てタバコを吸うという若き日の写真が挟まれていた。家宅捜査に立ち会った本郷は隠し金庫からその手帳が発見されると、その後自殺する。
 贈収賄事件の不正を抉り出すという特捜部の捜査は、ここから橘洋平が最重要のターゲットとなる。ここには、何か不自然さがあるのでは・・・・。そんなスタートでもある。
 この手帳がまずキーになるはずなのだが、暗号で記録された内容が容易には解明できない。その解明作業を冨永が課題に与えられるところから始まる。
 この暗号の謎解きプロセスが、この長編の中では二重構造になった短編的小品ともいえる。この部分は、第4の二重構造の2つめとしてもよい。
 特捜部の中での冨永の行動に、別の切り口が加わってくる。幼馴染みで学生時代からの親友・近藤左門から入手した情報が影響を与える事になる。大学卒業後、近藤左門は文科省に入り、今は宇宙開発やJASDAの長期計画を策定する宇宙委員会の事務方を務めているという。その左門に会うために冨永は連絡を取ろうとして取れず、ある経緯で左門のスマホを入手する。そこに厳重にパスワードの賭けられた情報が入っていたのだ。それは左門が検事・冨永に売国奴を告発する情報だった。ただし、検事としての冨永の観点からすれば、立証する証拠が十分には整えられていない告発内容だった。一方で、冨永が関わっている特捜部の立件捜査との交点があるというものなのだ。この左門の情報をどう使うか、そこには検事としての冨永の立ち位置が問われるというファクターがある。
 なぜなら、突如、左門が特定秘密保護法違反の第1号として俎上に上がる事になるのだから。どこからそういう違反告発が提起されてきたのか・・・・様相はこみ入っていく。
 贈収賄による不正政治家摘発のための特捜部の捜査に対し、その捜査に携わる冨永の親友・近藤左門による特定秘密保護法違反告発という影が被さってくるという二重構造である。羽瀬副部長にとっては、寝耳に水という話なのだ。冨永の行動が特捜部の捜査活動を揺るがしかねない局面を匂わせる形となる。
 
 第6の二重構造は、東京地検特捜部の捜査活動という表のストーリー展開に対して、冨永検事に対してという形で、公安が立ち現れてくるという展開である。公安は近藤左門を追う立場、特定秘密保護法違反の捜査という観点で冨永に接触してくる。公安は誰の指示のもとに動いているのか・・・・・。その背景はグレーである。
 不正な政治家の摘発という特捜部の動きに対し、公安となのる人物の動きへの指示はどこからくるのか。ここには、検察庁と警察庁の公安という国家組織の二重構造が読み取れる。その接点は「売国」という接点なのだろう。これらの国家組織の行動の起点となっている指示がどこから出ているのか、それにより「売国」の意味づけがグレーでもあるのだが・・・・。

 いくつもの二重構造が組み込まれた中で、全体のストーリーが展開していく。
 
 プロローグは昭和30年1月10日、橘洋平が、”鎌倉の老人”に呼ばれ、宇宙開発を将来の日本の産業にするための後方支援をせよと課題を与えられるシーンから始まる。
 この小説の最後は、その橘洋平が世紀の告白をすると会見の場を設定し告白をする。その場で逮捕状が出される。逮捕から二日後、入院、治療中の橘が持病の心臓発作で息を引き取る。
 これで終わりではない、冨永が話を伺いたいとコンタクトをとったある人物の遺体が発見され、自殺と殺人の両面から捜査が始まるという状況で終わる。
 この人物が誰か? 近藤左門はどうなったのか? 
 それは、この作品を読んで確かめていただきたい。

 そして、エピローグがくる。エピローグは、意外な結末である。突然に青天の霹靂のような事実が明らかになる。ここにある二重構造は、橘洋平をグレーな様相のままにとどめるものにもなっている気がする。一方、八反田遙を語り部としたロケット開発の研究室の行く末のしめくくりも描かれている。この局面をとらえると、この結末は、橘洋平が”鎌倉の老人”の課題を何とか守り抜いたということになるのだろうか。かろうじて、その方向に歩み出た気はする。
 日本における航空産業、ロケット開発、宇宙探査に繋がる産業の実態はどうなのか。考える材料を提供してくれた小説でもある。

 特定秘密保護法違反の捜査のやり方・・・・これについて、わずかだがその描写がある。もし、こんな形で捜査が進展するなら、恐ろしい法律である。著者はさりげなく、この小説にエピソード風にこの局面を書き加えているだけなのだが・・・・。
 
 久しぶりに、シンボル的な扱いだが、実在の人物・糸川英夫博士の名前をこの作品で目にした。ペンシルロケットという言葉もなつかしい。

 銅像にはこんな碑文が添えられているという。この作品を読み、初めて知った。

   ”人生で最も
    大切なものは
    逆境と
    よき友である
         糸川英夫”
 

ご一読ありがとうございます。

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本書とは直接の関係はない事項も含め、事実情報を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。

捜査について  :「検察庁」
  「特捜部(特別捜査部)」って何ですか? の項目もあります。
特捜部  :「マネー辞典 m-Words」
特別捜査部  :ウィキペディア
東京地方検察庁  ホームページ

東京地検特捜部設立の歴史。 :「日本人は知ってはいけない。」
東京地検特捜部の発足についてーー参考資料(「」ブログ2009/3/9)
    :「哲学者=山崎行太郎=毒蛇山荘日記」
地検特捜部を解体せよ !   :「今この時&あの日あの時」
特捜の歴史  :「トクソウ」
田原総一朗×郷原信郎(第1回)「特捜部は正義の味方」の原点となった「造船疑獄事件の指揮権発動」は検察側の策略だった!  :「現代ビジネス」
徳洲会事件で東京地検特捜部が直面する「諸刃の剣」:「Medical CONFIDENTIAL 集中」

笠間治雄検事総長殿  要請書  検察の在り方検討会議元委員等有志18名

検察庁の歴史的に根ざす構造的腐敗(1)  :「海千山千」
検察庁の歴史的に根ざす構造的腐敗(2)  :「海千山千」
  大阪高検の三井環公安部長の不法逮捕
ロッキード事件が特捜部とメディアの関係を変えた :「法と経済のジャーナル」

内之浦宇宙空間観測所  :「胆付町」HP
糸川英夫博士の銅像が除幕されました  :「胆付町」HP
イプシロンロケット試験機打ち上げ成功 :「胆付町」HP
JAXA 宇宙航空研究開発機構 ホームページ
種子島宇宙センター :ウィキペディア
宇宙開発委員会 :「文部科学省」
  宇宙開発委員会は平成24年7月12日に廃止されました。
宇宙開発委員会について  平成24年7月11日 宇宙開発委員会 事務局 pdfファイル
宇宙開発利用部会  :「文部科学省」
日本の航空宇宙工業 50年の歩み  :「日本航空宇宙工業会」
航空宇宙産業データベース pdfファイル  :「日本航空宇宙工業会」

『売国』わが国の宇宙開発と戦後政治の闇 :YouTube
 真山仁スペシャルトークvol.12  『売国』(文藝春秋)刊行記念トークイベント


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