遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ブッダの<気づき>の瞑想』 ティク・ナット・ハン著 山端法玄・島田啓介訳 野草社

2012-06-24 12:54:53 | レビュー
 著者は、1926年ヴェトナム生まれで16歳で出家し禅僧になるが、1966年に欧米への平和使節として歴訪以降、政府に帰国を拒否されたという。以後、フランスで亡命生活に入り、1982年にボルドーに仏教の僧院・共同体「プラムヴィレッジ」を開設し、難民を受け入れ、生活と一体となった瞑想を実践しつつ諸活動をしている人である。行動する仏教または社会参画仏教の命名者であり実践者である。

 本書は<気づき>の瞑想、即ち「四種の<気づき>を確立する」実践方法について説かれている。「瞑想とは、深く見つめ物事の真髄を見抜くこと」(p15)だという。具体的には、「サティパッターナ・スッタ」(「四種の<気づき>を確立する経典」/「四念処経」)について、著者が四種の<気づき>のエクササイズ・実践法として説明している。説明がわかりやすいのは、著者の日々の実践体験に裏打ちされていることと、説明に使われる例示が身近なものであることによると思う。一方、読みやすい翻訳のおかげでもあるだろう。

 本書は、最初に原典「四念処経」の現代語訳が載っている。その後に、四種の<気づき>について、順次それぞれのエクササイズ・実践方法をリスト化した目次構成になっている。四種の<気づき>とは、
 「身体を観察する」 (10エクササイズ)
 「感覚を観察する」  (2エクササイズ)
 「心を観察する」   (3エクササイズ)
 「心の対象を観察する」(5エクササイズ)
つまり、四種の<気づき>が合計20のエクササイズで説明されている。
 この「<気づき>のエクササイズ」が著者本文の前半である。本文の後半は、「<気づき>の瞑想のポイント」について述べられている。ここは5項目にまとめられている。
 そして、付録として三種の訳本についてのまとめが掲載されている。この点、客観的な対応であり、本文でもその内容に触れ、一部取り入れられている。

 目次をご覧になると、エクササイズ全体のフレームワークが一目瞭然である。まずここを読み、先を読むかどうか決めるのも一法かもしれない。
 本書ではこれがどのような方法かを解りやすく説明しているだけである。つまり、エクササイズを実践しないことには勿論真価を体感できないのは言うまでもない。
(本書を読み「四念処経」の内容が具体的に理解できたというにとどまる。そのため、表層的な理解による引用と読後印象を記載したにすぎない。この点ご寛恕願いたい。)
 
[身体を観察する]
 <気づき>の第一の確立は「身体」から始まる。説明されているエクササイズをまず列挙してご紹介しよう。
(1) 意識的な呼吸
(2) 呼吸の観察(随息)
(3) 身体と心の統一(身心一如)
(4) 身体を静める
(5) 姿勢の気づき 
(6) 動作の気づき
(7) 身体の各部の観察
(8) 身体とすべての存在とのかかわり
(9) 変わり続ける身体(身体の無常)
(10) 喜びに気づき、心の傷を癒す

 意識的な呼吸の成果は、 1)自分自身に戻る、2)いのちとつながる、点だとされる。
「身心が一体になってはじめて、いのちの本質であるこの今に起こっている出来事と、本当につながることができます。」(p68)
「身体と心が一体になったとき、感情、心、身体の傷の癒しがはじまります。」(p75)
 これらの文が理解ではなく、感得できるためには実践が必要だろう。私は本書を読みその意味が理解できた程度だ。
「どんな思いつきや思考にも気をそらさず、息のはじまりから終わりまで自身と呼吸との一体感を途切れさせない」で自分自身の呼吸を注意深く観察する方法なので「随息」と呼ぶようだ。ちょっと試してみると、心と呼吸をひとつにすることそのものが、そう簡単なことではないと感じる。そう感じること自体が<気づき>の一部ともいえようか。
 エクササイズ4には、呼吸とあわせて、心で唱える偈が載っている。
  息を吸い、体を静める
  息を吐き、微笑む
  今ここに心をとめて
  すばらしいひとときを味わう
こういう偈を読むだけでも、エクササイズをイメージでき、またこの偈文にもどこか引き込まれていくところがある。この偈の後の段落に、
「瞑想の核心は、今ここに還り、そこに心をとめるとともに、その一瞬に起こってくる物事を観察することにあります」(p79)と記されている。そして、
「本来の自分を失い自己が分裂しているときには、いのちとの真の絆は存在しません。本来の自分でいるときに、はじめて深いつながりが生まれるのです」(p81)つまり、「自らの全体性」を実現することが強調されていて、それが「すべての意味ある深い交流の基礎」となり、その実現は「一瞬、一瞬、自分が新たになること」(p82)だという。
 エクササイズ5にも、偈が載っている。歩き始めるときに唱える偈である。
  心は八方へとさ迷いゆくもの
  けれど私は、美しきこの道を歩む、安らかに
  一歩ごと、やさしい風が吹き
  一歩ごと、花ほころぶ
また、このエクササイズに、坐る瞑想で呼吸を観察しながら唱える偈もある。
  ここに坐る
  菩提樹のもとのように
  この身は<気づき>そのもの
  思いはどこへもさ迷わず
偈を呼吸の瞑想と組み合わせることで、<気づき>を保つことが容易になるそうだ。こういう短詩の内容を読むと、そんな気がしてくる。
「<気づき>は一つひとつの動作を落ち着かせ、私たちを身心の主とするのです。また<気づき>は私たちの内に集中力を(禅定)を養います」(p87)。
 エクササイズ7において、身体の各部を念入りに観察するのは、「自分の身体とつながる」(p90)ことであり、それが「解放と目覚めへの扉となりうる」(p91)からだと述べられている。
 エクササイズ9は、「貪欲」と「嫌悪」を克服した後に、身心ともに健康な状態で行う瞑想だという。わかりやすく説明が加えられている。これは身体の無常を死骸が朽ち果てていく9段階で観想する瞑想法である。日本に「九相図」としていくつかの有名な絵がある。博物館で絵を見たことがあるのを思い出した。九相図がこの経典を元にした瞑想法だいうことを、初めて知った次第だ。

[感覚を観察する]
 感覚には快、不快、中性の三種があるとする。今の自分の心に生じている、流れている感覚自体に意識を向け注意深く観察することを第2の<気づき>の確立としてとりあげている。エクササイズは2つある。
 (11) 感覚を確認する
 (12) 感覚の源を見つめ、中性の感覚を確認する

「感覚の観察とは、感覚の流れの岸辺に腰を下ろし、一つの感覚が生まれ、育ち、消えていくまでを確認することです」(p121)という。感覚が、私たちの思考や気持ちを方向づけるうえで重要な役割を果たすので、感覚が生ずる原因と本質を見抜くことが重要となる。その原因は身体的、生理的、または心理的要因のどれかから生じている。だが、感覚の原因には習慣や時間、心理的、生理的状態などの要素がかかわっているので、観察により自分の癖が見えてくるそうだ。瞑想で<気づき>の観察をすれば、原因と結果が見え、感覚の本質が見抜けるという。感覚が相対的な性質をもっていることに気づき、「幸福に必要な条件はみんな自分の手元にそろっている」(p128)と気づくことになるという。「安らぎ、喜び、幸福感とは、とりもなおさず、私たちにはもともと幸福の条件が備わっていると自覚すること」(p130)なのだ。
 私たちのもつ感覚のうち、中性の感覚がほとんどを占めているが、その受け止め方や扱い方を知らなければ、苦痛に変わり、中性の感覚にどう接するかがわかれば心地よさに変化するのだという。

[心を観察する」
 第3の<気づき>の確立は、心の確立だ。ここでは3つのエクササイズがある。
(13) 欲求を観察する
(14) 怒りを観察する
(15) 慈しみの瞑想

 ここでは、感覚以外のすべての心理現象-認知、思いの形成、意識という心の機能-を観察することになる。つまり、心における心の観察を確立するということだ。
 四念処経では、思いの形成について、欲望、怒り、無智、動揺・・・から始まり、<気づき>、嫌悪、安らぎ、喜び、くつろぎ、解放まで22を列挙している。また欲求について「不健全な願望にとらわれること」という意味合いで、五欲、具体的には富、性的欲求、名声、美食、睡眠の欲求という感覚的欲求対象を挙げている。今の心の状態、そしてそれが変化していく状態を観察し、気づくという実践法なのだ。
 怒りの観察の利点は「心に怒りがないとわかれば幸福感が強まる」、「怒りがあることを確認するだけでその破壊的な性質がいくぶんやわらぐ」の2点だという。
「怒っているとき、私たちは怒りそのものです。怒りを抑えこんだり追い払ったりすれば、自分自身を抑え込み追い払うことになります」(p150)怒りはある種のエネルギー、だから、怒りを変容させるには、まず怒りの受容方法を知ることからはじめるべきだということになる。「怒りそうになったら一呼吸おけ」とか、「怒りそうになったら十数えよ」などと言われるが、これらはこの14番目のエクササイズに通じる初歩的な生活の智慧なのかもしれない。怒りの原因を観察しその本質に気づくこと。そのための実践方法がこの第14項で語られている。原因を究明せず、怒りを抑え込めば、またいつか爆発するのだ。「怒りが起こったとき、まず必要なのは、意識的な呼吸に戻り、<気づき>によってそれを見守ることです」(p156)と説明する。

[心の対象を観察する]
 第4の<気づき>の確立は、心の対象の確立である。ここには5つのエクササイズがある。
(16) 現象の識別(択法)
(17) 心の固まりを観察する
(18) 抑圧された心の固まりを解く
(19) 罪悪感と怖れを克服する
(20) 安らぎの種を蒔く

 心の対象も法(ダルマ;存在を思い描けるすべての現象)とよばれ、六根・六境・六識という心理、生理、物理的な側面を網羅した計十八界に思いの形成が含まれる。「心が心を観察するときには、心自体が心の対象になるのです」(p174)という。
 すべての法は「基本的に相互依存的生起(縁起)という性質」を持っているので、縁起の法則を観察するということを意味する。この第4の<気づき>では、仏教で説く縁起についてわかりやすい説明が加えられており、心の対象をいかに観察するかが理解できるようになっている。この辺りは、やはり本書をじっくり読む価値があるところだと思う。「相互依存こそすべてのものの本質であることを実体験」(p178)するためのエクササイズだと受け止めた。
 エクササイズ17、18でいう「心の固まり」とは、思いの形成のことである。具体的には、混乱、欲、怒り、高慢、疑い、肉体と自己との同一視、極端な見方、誤った見方、歪んだ見方、迷信にとらわれた見方をさしている。そして、心の対象を観察した<気づき>によって、日常の出来事に対する受け取り方を変えること、心の固まりを解くやり方が説明されている。気づいて変化させる方法を見つける手引きといえる。

[<気づき>の瞑想のポイント]
 そのポイントを列挙し、本文説明キーフレーズを使いアレンジして付記しよう。
a) 心の対象(法)は心にほかならない
  → 観察対象が自分の心、個別的なまたは集合的な自分の意識から生まれる
b) 観察する対象とひとつになる
  → 観察(=気づき)とは、対象に入り込んで変化させる働き。観察者=参加者
c) 真実の心と迷いの心はひとつ
  → この2つは心の裏表。物事の本性と幻想は同源からきている
d) 争いを越えた道
  → 非二元性の理解、本質を見抜く。ありのままの観察と受容。
e) 観察とは教義を植えつけることではない
  → 深く見つめ、対象の本質を見究めるとその存在が自ら姿を現す。自己の経験

 印象に残る一節を引用しておく。

*自由の道とは、五蘊から逃避するのではなく、五蘊に面と向かい、その本質を理解することなのです。・・・・物事の無常を観察するのは、対象を否定するためではありません。欲望や執着にとらわれずに、深い理解によって物事に接するためなのです。 p108-109

*本当の幸福は、欲や財産をほとんど携えずに生き、自分の内面とまわりの世界にある多くの不思議を味わう時間をもつことだ、ブッダはこのようにも言い残しています。p144

*瞑想で大切なのは、対象を深く観察し、その本質を見抜くことです。物事の本質とは、相互に依存しつつ生じること(縁起)であり、万物の源である、あるがままの状態(真如)です。 p154

*空とは相互依存(縁起)のことです。すべては依存しあうことで生じ、続いていくことができます。つまり、ひとつの法が他の法と無関係に存在することはできないという真実を、法の本質は空であると表現しているのです。どんなものも単独で存在することは不可能です。  p177

*仏教で<気づき>の瞑想をするのは、感情を抑圧するためではありません。瞑想を通して感情の世話をし、慈しみと非暴力の姿勢でそれを見守るためです。 p196

*仏教の懺悔は、過ちは心が作り出すという事実に立っています。それゆえ過ちは心によって消去できるのです。  p202

*<気づき>は仏教の瞑想の核心です。 p238
 サンガなしで瞑想を続けるのは難しいと思います。  p240

 <気づき>の瞑想とは、「一瞬一瞬をいかに目覚めて生きるか」(p199)を知るための実践法であると私は受け止めた。

 「訳者あとがき」には、プラムヴィレッジの洗面所には、日常の<気づき>を養うための偈(詩文)として、こんな短詩がかかげられていると記す。
 
 両手の上を流れる水よ
 私のこの手で
 大切な地球を守る働きが
 できますように


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 本書の語句の検索とそこからの波紋として検索した結果を一覧にまとめておきたい。

ティク・ナット・ハン :ウィキペディア
Thich Nhat Hanh :From Wikipedia, the free encyclopedia
Thich Nhat Hanh :「Who are you」(BODHI PRESS)のサイトより
Plum VillageのHP

動画 YouTubeより
Thich Nhat Hanh's Wish for the World
Thich Nhat Hanh ~Short Mediation ~ 
Mindfulness as a Foundation for Health: Thich Nhat Hanh and Health@Google
Body and Mind Are One - Zen Master Thich Nhat Hanh
Thich Nhat Hanh - Open Mind Open Heart Retreat - Day 3
Awakening the heart with Zen Master Thich Nhat Hanh (8/14/2011) Chanting 1-3
Thich Nhat Hanh - Open Mind Open Heart Retreat - Day 3

九相図 :ウィキペディア
『九相図資料集成』
小野小町の九相図(1) ~ (9)  :「とみ新蔵 ブログ」
 9回のシリーズで、ブログ記事を書かれています。
九相観図 :「奥三河の古刹・釣月寺」のページから
 檀林皇后の描かせたという九相図をモデルに前住職(源宗一和尚)が描かれた絵だとか。
一方、ネット検索すると「檀林皇后九相図」が様々なところで引用掲載されています。

法(仏教) :ウィキペディア
法 :WikiDharma
サティ(仏教) :ウィキペディア
サティ・パッターナ・スッタ(大念処経) :「仏教の瞑想法と修行体系」morfo氏
念処経の修行(「四念処」)
  :「もう一つの仏教学・禅学」(新大乗ー本来の仏教を考える会)

サマタ瞑想  :ウィキペディア
ヴィパッサナー瞑想 :ウィキペディア
ヴィパッサナー バーヴァナー (ヴィパッサナー冥想) :「初期仏教の世界」


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『まじめの罠』 勝間和代  光文社新書

2012-06-21 11:00:18 | レビュー
 タイトルに興味を持って読み始めた。著者は上手に「まじめ」という言葉の局面を限定して使っている。その文脈においては、なるほどと納得させる部分がある。それなりにおもしろくかつ興味深く読める本だ。「まじめ」の相をちょっとずらせているのではないかというのが印象に残る。単なる独断かもしれないが・・・
 後は、読者各位でお考えいただくと、勝間流ロジックがわかるだろう。ちょっと突き放してみれば、ロジック展開は単純ですらある。

 まずは勝間流の上手な展開を追っかけていこう。

 著者は、「はじめに」冒頭で、「この本は『まじめな人』に捧げる本です」と述べ、「まじめ」であることを疑ってほしいと言う。
 そして、「まじめな人」はどんな人かについて、定義的な文章を述べている。
 *与えられた課題設定に疑いを持たない人  p15
 *与えられたものに対して逆らわない人   p15
だとし、同じページの記述文脈からは、受動的な態度の人、素直でいる人、従順な人をさしているようだ。
 だが、「まじめ」という語自体については定義が明確になされているわけではない。「まじめな人」とはどんな人かから類推できるという趣旨なのだろうか。(穿ってみれば、「まじめな人」と一般にイメージされる「人」に限定して論じただけなおかも・・・)
 そして「まじめの罠」は著者の造語だと述べ、その意味は、「何かに対して、まじめに、まじめに努力した結果、自分を、あるいは社会を悪い方向に導いてしまうリスクのことを指します」(p13)という。
 ここから、「まじめな人」の行動様式が限定され、その行動に邁進したら発生するリスクが問題なのだと、論理展開のフレームワークが設定されている。読後にスキャンニングで読み返してみて、このフレームワークでなら、私は「まじめな人の行動の罠」という方が論旨としては正確な気がした。

 さて著者造語の「まじめの罠」に陥った事例が冒頭から列挙される。アドルフ・アイヒマンの行動と弁明事例、スタンレー・ミルグラムの「ミルグラム実験」に参加した被験者の人間心理の事例、2011.3.11の東北日本を襲った津波における小学校の先生たちの「まじめな」指導による悲劇の事例(ただし、石巻市大川小学校だけの事例と補足している)だ。そして、自らの体験を加えている。
 これらの事例から、枠組みがなぜか、「日本では」に飛躍して行っているように感じる。そして、日本では「批判的」という言葉がネガティブ・イメージで批判=悪口という感じであり、「健全な疑いをもって事象を読む手法」である「クリティカルシンキングそのものを誰も教えてくれません」と記す。教えるのは、人を疑うな、親に逆らうな、素直に聞く、ひたすら従順であれということを美徳として教えるだけなのだという。それが「まじめの罠」に陥る必然性を生み出していると論じている。だから、「『まじめであることの副作用』が大きいということを知ってほしいのです」(p19)と論理展開を方向づける。
 与えられた課題を疑わず、逆らわずに行動する人が、課題の「すべての前提を鵜呑みにしない」で、健全な疑いをもって課題解決するなら、副作用としてしてのリスクを回避できる。そのためにはクリティカルシンキングの考え方が大事だ。それを学べという主張には納得する。著者は「まじめの罠」にハマるのは、「まじめの罠」というリスク認知に基づき行動する習慣の欠如、そういう能力開発がないところに問題があるとする。

 そこで、本書での論理展開は実にスッキリしている。「まじめの罠」の要因(メカニズム)はなにか、という原因分析(第2章)、「まじめの罠」にハマった場合の害毒、つまり影響分析(第3章)、最後に「まじめの罠」に対する処方箋(第4章)つまり、対策案の提示という展開だ。問題解決ステップの王道である。

 著者は「まじめの罠」にハマってしまう原因には、外部要因と内部要因があるとする。外部要因は、「まじめの罠」を生み出す日本社会式エコシステム(生態系)が社会に埋め込まれていて、この外部要因の環境に囲まれて育つと、「私たちは大局観を育む能力を失ってしまう」(p39)、これが内部要因だと言う。第2章は、この両要因を事例を挙げながら具体的に掘り下げている。
 外部要因は3つの局面にブレークダウンされている。
 ①「お上」(政府や大企業)に責任転嫁する「国民」と、そのために「無謬」を求められる「お上」の相互依存関係
 ②完璧主義--「無謬」だからこそ存在しない「PDCA」サイクル
 ③「PDCA」サイクルで結果を評価したがらないからこそ、「まじめ」というプロセス重視になる罠
 これら3局面が相互に絡み合っているのだという。様々な分野から事例を抽出してこの3つの局面を説明しているので、それなりに解りやすくておもしろい。そういう面があり、そういう解釈ができるかもしれないと思う。

 内部要因は「まじめ」に特化することで大局観不足になる。それは3つのスキルが不足しているからだとする。
 ①ランク主義に染まり、価値観、視野に「多様な視点」がない
 ②「決まり」を疑うような、問題設定能力がない
 ③自分自身を客観視できるようなメタ認知能力がない
だから、「部分最適はとても得意だけれども、そもそも所与の条件が合っているのか、間違っているのか、その疑いを持たないということ」(p72)になるのだ。それが、「大局観の欠如」なのだという。第2章後半は、この3つのスキル不足を事例で説明している。ここの事例もわかりやすくて、納得しやすい事例だ。
 だが、著者は内部要因として「不足、欠如」の結果の方を要因としているが、ここで指摘された能力開発の教育訓練がなされていないことこそ、その原因(要因)になるのではないだろうか。それなら「スキルが不足している」ようにしむけている外部要因ともとれる。内部要因が「人」に潜む側面の原因究明のことなら、不足にとどめる真因は何なのか。そういうとらえ方が必要な気がするところだ。(内部要因って、何? 私はちょっととまどっている。)
 
 第3章では、「まじめの罠」にハマった場合の影響分析(害毒)を個人の側面(当事者)と社会の側面に二分して著者は説明する。どちらも3つのステップで説明している点、著者の論理展開がわかりやすい。結論の要点だけ取り出すと、
 1)当事者に与える害毒  自己欺瞞に陥り、自己を満たすために他者を差別する
 2)社会に与える害毒   社会システム全体の自己修復力を毀損する
ということである。ここでそれぞれ3ステップで展開されている論理はそうなるだろうと思う。この影響分析は、ここの論理展開が要であると思うので、具体的には本書を読んでみてほしい。論理の展開にはめこまれた事例には、一局面での説明のしかたゆえに、ちょっとどうかなと思うものもある。(著者が、その事例を大局的かつ詳細にどうとれているのかは見えないので。)

 最後の第4章で、「まじめの罠」脱出の対応策が6つのソリューションとして提案されている。つまり、
 ①失敗を恐れるな
 ②問題設定を疑え
 ③動物的な勘、身体感覚を養え
 ④独立した経済力を持て
 ⑤自分のまじめさや常識を疑え
 ⑥正しい自己認識を持て
である。第4項を除くと、他の5つのソリューションは、結局、第1章に出てきたクリティカルシンキングという一語で言いかえることができる要素ではないか。クリティカルシンキングの具体的な手法、行動がここに述べられているように私は思う。第4章に「クリティカルシンキング」という言葉は全く出てこないが。第4項は、単に思考実験としてではなく、真に自らの行動を伴い、クリティカルシンキングできるための必須要件でもある。それがなければ、時にはやむなく現状に妥協し、クリティカルシンキングの結果を生かさない選択肢を選ぶ立場になるかもしれないのだから。
 ロジックは単純ですらある、と冒頭に感想を述べたのはこういう印象を抱いたからだ。(私の思い込みか、誤解かもしれないが・・・このあたり、一読しご判断願いたい。)
 この第4章は、上記6つのソリューションについて、著者自身の体験事例も含めながら、項目毎に説明されている。説明はわかりやすい。

 著者は第5項ソリューションにおいて、著者の想定する「まじめ教の信者」に属さないかどうかの自己評価、リトマス試験紙として5つのポイントを挙げている。これに引っかかれば、あなたは「まじめ教の信者」つまり、冒頭で述べられた「まじめな人」の行動パターンに属するかもしれないと述べている。(「かもしれません」と曖昧化しているが・・・)立ち止まって考えてみるべきポイントではある。
 ア)初対面の人と、10分以上会話を続けることができない
 イ)知らない価値観、意見をついつい批判してしまう
 ウ)努力する自分に酔う
 エ)まじめではないのに結果を出している人に対して敵意を持っている
 オ)やたらとメモを取る、話が長い

 こんなところが著者の主張の論点かと思う。
 幅広い分野からの事例抽出、また口コミでないと知り得ないような側面の事例抽出を巧みに組み合わせ、論点を展開しまとめていく勝間流の語り口は上手だなと感じる次第だ。もう一つ、本書でも言葉の使用法に、勝間ワールドがある点だ。勝間流の限定文脈で理解しないと一般用語理解では混乱する場合がある点は注意した方がよい(と、私は感じた)。

 最後に本書から触発されて、考える材料になっている点に触れておきたい。まあ、これは純個人的な意見にすぎないけれど、読後感想の一部である。

*本書のタイトルを見たとき、「まじめの罠」を、「まじめ」についての罠をどう分析するのだろうかと興味を抱いた。私は最初、国語辞典に載っている一般的な概念の意味合いで受け止めて、この語が使われていること自体に関心を持ったのだ。「『まじめ』の『罠』って? おもしろそう・・・」という感じ。
 広辞苑(初版):①まごころのこもっている顔つき。まごころのこもった態度。②誠で虚飾のないこと。本気。
 日本語大辞典 :①本気であること・さま。②まごころのあること・さま。誠実なこと・さま。
 大辞林(初版):①本気であること。真剣であること。また、そのさま。②誠意のこもっていること。誠実であること。また、そのさま。
 読み始めて、著者の限定的な語彙の定義を知り、「まじめ」の使い方で折り合いをつけながら読むということがつきまとった。勝間流「まじめ」に限定しながら読むということである。それで、「まじめな人の行動の罠」という表現が正確ではないかと記した次第だ。

*「まじめ」の美徳は、著者の局面(従順、素直)が含まれるにしても、国語辞典に記されている意味合いがやはりメインではないだろうか。

*著者定義による「まじめな人」の数事例で、日本の実態へと普遍化するのはすこし抵抗感がある。外国との比較調査データ、あるいは国内での調査データがあるのだろうか。この点、データを使うことが得意な著者には、データで語ってほしかった。
 日本に「まじめな人」の傾向が内在化していることには合意する。その点は説得性がある。だが、諸外国でも同様の部分がかなりあるのではないか。冒頭の3事例の内、2つは外国での事例、1つは国内だが、この事例自体はある意味で限定的な抽出事例という見方もできる。すこし、強引な一般化への展開がなされている印象が残る。

*欧米で「クリティカルシンキング」という概念が形成されたのは何時頃なのか。概念化される思考性は何処まで遡れるのだろうか。一つの社会における思考傾向の普遍性という意味合いで。また、アイヒマンの事例のあの時代、ドイツにはクリティカルシンキングするドイツ人はいなかったのか? その意識を抑制あるいは圧殺した結果なのか? ドイツにも不足していたのか?

*「まじめ」「ふまじめ」「非まじめ」という語彙はやはり区別して使う方がわかりやすいのではないか。一般的に「まじめ」の反対用語に「ふまじめ」がくる。この対比と相をずらせた位置に「非まじめ」があるように思う。昔、森政弘氏が「非まじめ」という言葉を確か著書タイトルの一部に使われていたように記憶する。著者は「ふまじめな人」を「柔軟な発想でいろいろな抜け道を探すことができる人」(p50)と定義している。この定義に相当するのが「非まじめ」の発想だったようにと思う。著者は、「ふまじめ」と「非まじめ」をここでは逆に使っているように思う。そう定義するといわれれば、その枠組みで考えればよいのかもしれないが。

*「また、専門家は『細分化の罠』と『これまでの常識の罠』にハマりがちです」(p69)という一文が突然に出てくる。これらの罠は「パワートレイン」事例の書き方でほぼ類推できるが、それ以上の具体的な説明は本書にはない。ここら辺り、もう少し補足説明があると有益だ。専門家でなくても、この罠があてはまるのではないか。

*「東電は、いざというときは保安院が守ってくれるだろうと思って一所懸命、彼らの論理に合わせてきました。ところが、いざ大事故が起こると、東電が責任をなすりつけられる立場になってしまったのです。この際、東電は何もかも洗いざらいバラして反撃すべきでしょう。」(p134-135) どうして、こう言い切れるのか。私には理解できない。
 


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 本書に出てくる語彙を読みながら、特に再確認したい語彙や気になる語彙を検索してみた。一覧にしておきたい。

アドルフ・アイヒマン :ウィキペディア
ミルグラム実験  :ウィキペディア

Critical thinking :From Wikipedia, the free encyclopedia
Critical thinking Web  
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食料自給率 :ウィキペディア
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混合診療 :ウィキペディア
いわゆる「混合診療」について :厚生労働省
混合診療ってなに? ~混合診療の意味するものと危険性~ :日本医師会
混合診療とは :「アポネットR研究会のホームページ」
医師会はなぜ混合診療をいやがるのか 2011.11.09 :池田信夫blog part2
「保険診療は既に破綻している」~医療構想千葉 亀田信介氏:「ロハス・メディカル」

年金記録問題 :ウィキペディア
消えた年金 ( 稲増龍夫氏  法政大学教授 )  知恵蔵2011の解説:「kotobank」
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『防波堤 横浜みなとみらい署暴対係』 今野敏  徳間書店

2012-06-14 10:36:55 | レビュー
 本書副題の「横浜みなとみらい署暴対係」という名称で直ちにどんな小説ジャンルになるかが推測できる。著者は新たに暴力犯係の刑事とそのチームの活躍の場を創出している。新聞広告で本書のタイトルを目にしていたので読んでみた。2011年11月に出版されている。私はこの副題の作品を読むのは初めてだ。だがネット検索すると、既に『逆風の街』『禁断』という2作品が出版されていた。シリーズものとしての土台はできているようだ。
 本書は短編6つを集めたもの。奥書の初出を見ると、6編とも「問題小説」に発表されたと記されている。2001年に「噛ませ犬」(5月号)、「占有屋」(9月号)、2010年11月号に本書タイトルの「防波堤」、そして昨年(2011年)に3作品、「ヒットマン」(2月号)、「鉄砲玉」(8,9月号)、「監察」(11月号)という順番である。2001年から始まっているので、おやと思ってネット検索し、上記2作品が出ているのを遅ればせながら知った。いずれ読んでみよう。

 総論的にいえば、作品テーマにそったストレートな筋書きであり、さらりと楽しめる短編集になっている。登場する刑事のキャラクターとその組み合わせがけっこう面白く読める。神野というヤクザの組長には「任侠」という言葉が重なる雰囲気があって、いわゆる暴力団と一線を画した設定がおもしろい。著者はこちらをも肯定している訳ではないが、うまく作品の中で役割を与えている。

 さて、本書は「防波堤」「噛ませ犬」「占有屋」「ヒットマン」「監察」「鉄砲玉」という順番で編成されている。
 諸橋夏男警部がみなとみらい署の暴力犯係・係長であり本書の中心人物。そして、准主役に城島が配されている。彼は係長補佐だ。暴力犯係には他に4人の刑事が所属する。そしてある意味、ストーリー展開の要のところで時折顔を出す人物が、横浜・常盤町に居を構えるヤクザの老舗・神風会の組長・神野義治である。それとただ一人の組員(代貸)岩倉真吾が時として関わって来る。

 今野作品は数々読んできたが、本シリーズは初めて読むので、本書の主要関係者のキャラクターをまずは紹介しておこう。
* 諸橋夏男:警部で係長。所轄署ならば課長クラスで赴任するところだが、明らかな降格人事で異動させられた。暴力団からは「ハマの用心棒」と警戒されている。本人はこう呼ばれることを嫌う。また、実質相棒である城島にはいろいろ負い目を感じている。
   「反社会的な組織やそれに属している連中には何をしてもいいと、諸橋は思っている。きれい事では、一般市民の平穏な日常を守ることはできない」の持論を抱く。
* 城島勇一:警部補。みなとみらい署に係長で赴任するはずが、諸橋が異動してきたので係長補佐になった。諸橋とは初任科の同期生。ある所轄署のマル暴で一緒になったことがある。ラテン的な性格の人物。
* 浜崎吾郎:主任で、ベテラン部長刑事40歳。見かけはヤクザと変わらない風貌。諸橋係長を「ですがね、組長」などと言う。
* 日下部亮:浜崎と組む新米刑事で29歳。大学で応援団に居た。小柄で喧嘩っ早い。
* 倉持 忠:主任で36歳。部長刑事なりたて。優男の風貌だが、逮捕術は署内第一。
* 八雲立夫:倉持と組む。一見すべての物事に無関心に見えるおそろしく冷めた男。35歳、コンピュータ・マニア。
* 神野義治:かつては港湾労働者の手配などを手広くやっていた神風会の組長。つるりと頭のはげあがった一見好々爺の人物。ヤクザの世界での情報通である。古典的ヤク   ザというイメージを担う。「あたしら、地元の堅気衆から助けを求められたら断れねえんで・・・・」「あっしはね、しがない極道だ。今時、ヤクザ者なんてのは、人に迷惑をかけるだけのクズですよ。でも、そうでない時代もあった」
 こういう人物たちで、様々な暴力団絡みの事件が短編作品になっていく。

 諸橋がなぜ刑事になり、「ハマの用心棒」と呼ばれるような存在になったのか?
 この疑問点は、「噛ませ犬」で説明されている。
 諸橋がなぜ明らかな降格人事の対象になったのか?
 この疑問点は、「噛ませ犬」から登場する県警本部警務部の笹本監察官の言動で明らかになっていく。このあたりで、諸橋警部のキャラクターがクリアになる。

では、ここに収録された各短編を簡単にご紹介しておこう。
「防波堤」
 神風会の代貸・岩倉が商店街の秋祭り実行委員会に脅しをかけた容疑で加賀町署に身柄を拘束される。常盤町の神野と長い付き合いのある城島は、「岩倉が脅しをかけたり暴力を振るったりして、ダンマリってのは、やはり解せない」と感じて、他署の事案だが首を突っ込もおうとする。よそのニワの事案だと諸橋は拒否するが彼も気になるのだ。「岩倉真吾は無闇に暴力を振るったり、素人に脅しをかけたりするようなやつではない。昔気質の親分の下で、みっちり修行を積んだヤクザだ」。だから解せない・・・・結局二人が、この事案に関わっていくという話。
 岩倉のダンマリには、背景があったのだ。その理由が「防波堤」というタイトルに結びついていく。

「噛ませ犬」
 鶴見署の管轄で発砲事件が起こる。組がらみの発砲事件だと、横浜中の組の動きが慌ただしくなる。他署の問題と言っていられなくなる。管轄違いとはねつける諸橋も、結局は部下に情報収集の指示を出し、城島とともに出かけて行く。まずは神野組長から情報収集を試みる。
 神野はそれは「噛ませ犬」だろうと、諸橋に返答する。p59に噛ませ犬の意味合いが説明されている。諸橋と城島にはよいヒントになる。その翌日、浜崎・日下部のコンビが、下っ端ヤクザの高田源一を拳銃不法所持でしょっ引いてくる。それがきっかけで、諸橋のチームは、本格的に事件に関わっていく。
 諸橋は再度、神野に会いに行く。神野は言う。「火がないところに煙を立てるのも、腐れヤクザのやり方ですよ」と。
 鶴見署に発砲事件の実行犯が自首することで見かけの決着が着く。だが、その舞台裏での諸橋の行動が、読ませ所だと思う。最後に笹本監察官が出てくるのもおもしろい。

「占有屋」
 岩倉真吾が背広を着た堅気のサラリーマン風の5人と大立ち回りを演じている現場に諸橋と城島が駆けつける。岩倉がなぜ、桜木町駅そばのビルの廊下で背広姿の男たちと・・・・。勿論、双方を警察署に連行する。岩倉が喧嘩をしていた相手の一人は、野崎順一といい、23歳、山手エステートという不動産業の会社員のようだ。ビルの売却の話に関わった喧嘩騒ぎ。岩倉はダンマリ。野崎は自分たちは被害者だと言うが、胡散臭い。どうも裏事情がありそうだ。そこから話が展開していく。このビルの売却には神風会の神野と、「噛ませ犬」に顔をのぞかせた経済ヤクサの田家川組組長・田家川竜彦が関わっていたのだ。
 一方で、ビル売却に京浜銀行が関わっているという背景は、現実味を帯びていて興味深い。バブルの時期にこんな事象が結構あったのでは・・・と思わせる。

「ヒットマン」
 八雲が、ツイッターに事情通らしい人物が「関西から横浜に、贈り物があるらしい」と書き込まれていたということを知る。独自に行動し、それが横浜にヒットマンが送り込まれてくる情報だと推測する。ガセかもしれないが、調べてみる必要がある。そこから話が展開し出す。諸橋はまず、昭島という小物の組長から情報収集する行動をとる。そして、「支路田んとこの若いのがケツ持ちやってるガキが、関西系の組の縄張りで、ドラッグを売ってやがったんだ」という端緒情報を得る。
 諸橋・城島は、この件でも裏社会の情報に通じる神風会の神野から、ヒントを得ることになる。あくまで一般論としての見方だがと神野は言うが、それが重要な意味を現していくというストーリー。
 そして、ヒットマンが支路田を署で保護しようとする諸橋の目の前に現れる!
 話の展開が結構おもしろい。ツイッターを取り込む発想もしかり。

「監察」
 堂々と「暴力団、お断り」を明言するスナックのマスターに、諸橋は自分の携帯電話の番号を教えておく。その番号に、マスターが「すまん、店で面倒なことになっていてな・・・」と午後8時すぎに電話を掛けてくる。110番ではないこの電話の受信で、諸橋・城島は桜木町の「コスモス」に駆けつける。
 雑居ビルにある小さなスナックには、坊主刈りとパンチパーマの二人がいた。店内の客は追い出されたか、逃げたようだ。二人とのやりとり、ちょっとした乱闘の後で、手錠をかけ連行することになる。
 翌日、笹本監察官が諸橋の前に現れる。この事件で、弁護士が動いたという。検察官-県警本部の組対本部長-監察室経由で、笹本監察官が来たのだ。捜査の違法性の指摘、諸橋と県警を訴えることも示唆したという。諸橋ははめられたのか?
 「刑事は、被疑者を検察官に送致するまでが仕事だ。送致してから勾留請求後の調べを手伝うこともある。そういう意味では、刑事は検察官の側にいるのだが、検察官が刑事の味方とは限らない。特に、捜査に違法性があるような場合には、たやすく敵に回る」。
 「係長の問題は、俺たちの問題でもあります」と、部下が動き出す。
 この作品では、笹本監察官の別の側面が見えてきて、楽しい。

「鉄砲玉」
 本書最後の短編は、他の5作品が、38~40ページの小品であるのに対し、倍ちかい72ページの作品にまとめられている。
 飲食店街で暴れ、器物破損をして逃げた男が諸橋係長の名前を出したという連絡が午後十時頃、倉持から諸橋に入る。ビールを飲んでいた諸橋と城島は、現場の居酒屋に出向いていく。現場は台風が通り過ぎたかのように変わり果てていた。マルB風の一人の男の仕業だという。諸橋は、地域課の巡査部長から、心当たりはないか質問される。
 ヤクザは得にならないことをやらないはず。では、なぜ諸橋の名前を出したのか?
 翌日深夜、キャバクラで男性従業員に因縁をつけて器物損壊がふたたび発生。そこでも諸橋の名前がでたという。
 その翌日、暴力団事務所の家宅捜索をして、銃刀法違反で現行犯逮捕した組員の一人、窪崎から、うすら笑いを浮かべて「あんた、夜道とかに気をつけるんだな・・・」と言われる。その後の取り調べ中に、諸橋は、自分を狙っているやつがいるという噂が流れていることを窪崎から聞き出すのだ。
 諸橋は、城島に「裏稼業の噂について知りたいときには、便利な人がいる」と言われて、二人で神野に会いに行く。世間話として城島が語る内容を聞いた神野は、「誰かの指示で動いているのかもしれねえです」「人を思うように動かせるような大物を、ひどく怒らせたんじゃないでしょうかね・・・・」と言う。その神野が、すりこぎ棒のようなもので殴られ怪我をするという事件が発生する・・・・
 病院に見舞いに行った諸橋と城島に、神野は言う。「こいつは鉄砲玉ですよ。本人は問題じゃない。問題は、こいつを操っているやつです」と。器物損壊男の正体もまた意外性があった。
 これまたありそうな設定で、おもしろい展開になっている。

 著者の作品群を読み進めて行くと、東京湾臨海署安積班、ST警視庁科学捜査班というシリーズの警察物でも、奏者水滸伝のシリーズでも、一人一人が能力を発揮しながら、チーム全体で活躍していくというストーリー展開の作品が多いように思う。この辺りに、作者の創作力の強味があるように思う。
 もう一つ、著者の作品を読んでいると、新しいツールが出てくる時代に合わせて、それらをうまく作品に取り込んでいく点に感心する。
 本書でいえば、ツイッターや形態電話のカメラ機能などが、さりげなく導入され作品の流れを支えている。
 この短編集、さらりと気軽に読めるところがいい。


ご一読ありがとうございます。

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 エンターテインメント作品として楽しむだけで十分だが、ついいくつかの項目をネット検索してみたくなった。検索した項目を一覧にしておく。

耳慣れ、見慣れて知った言葉も、あらためて確認すると、おもしろいものだ。認識新た!

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警察手帳 :ウィキペディア
警察手帳規則(昭和二十九年七月一日国家公安委員会規則第四号)
 (証票及び記章の呈示)
  第五条  職務の執行に当たり、警察官、皇宮護衛官又は交通巡視員であることを示す必要があるときは、証票及び記章を呈示しなければならない。

警職法と警察手帳規則違反について :OKWave

テキヤ・的屋(てきや) :日本語俗語辞典

「ヤクザ」が、英語版ウィキペディアに項目として載っています。ご存じですか?
Yakuza :From Wikipedia, the free encyclopedia
 暴力団の組織名称も掲載されているのですよ。なんと・・・
ヤクザ :ウィキペディア
チャカ :日本語俗語辞典
占有屋(せんゆうや)
 その1 :「時事用語のABC」   その2:不動産用語集
 実際にあった殺人事件にこんな事例が → 練馬一家5人殺害事件:ウィキペディア
 「ゴマのひとりごと」というサイトに、こんな一文がありました。「占有屋」


横浜みなとみらい21 :ウィキペディア
横浜みなとみらい公式ウェブサイト
新港(横浜市) :ウィキペディア
横浜赤レンガ倉庫 :ウィキペディア


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『すばらしい新世界』 池澤夏樹  中央公論新社

2012-06-08 23:44:56 | レビュー
 『春を恨んだりはしない 震災をめぐて考えたこと』の読後印象を、4月、ここに載せた。この本を読んだことがきっかけで、この著者を知り、その作品を読書範囲に取り込むことになった。著者の小説を読むのはこの作品が初めてである。なぜ、これを最初にしたか。原発に対して、自然エネルギー源の一つとしての風車がテーマになっているということと、タイトルに惹かれたためである。本書は2000年9月に初版が出版された。

 この小説は、天野林太郎という風車を設計する一技術系サラリーマンが主人公である。話は、林太郎と妻アユミ、一人息子の森介が、沖縄に「台風を見に行く」ことから始まる。実は、自分が担当し工事監督もした出力500キロワットの発電用風車が台風に立ち向かっている状態を見に行ったのだ。翼の直径40m、秒速3.5mから25mまで同じ速度で回転し、風速が25mを超えると、原則風車はカット・アウト、停止する。放置しておくと停止速度を10%以上超えたら、自動停止するという。
 沖縄のホテルに滞在中に、アユミの友人からアユミを介して、林太郎に仕事の話が舞い込んで来る。アユミは、この話の始まった時点では、「環境情報連絡会議 青空の会」というボランティア組織の事務局員で、ニュースレターを作成発行している。いわゆる地球環境改善推進派である。学生時代にインド哲学を勉強した人物という設定。その友人、森本タマちゃんは「ネパールNGO手をつなぐ会」の人。小さい発電機が所望なのだ。灌漑用電力で、安くて丈夫、絶対に壊れないのが欲しいというニーズである。1メガワットが風車の標準機になると予測する林太郎に、5キロワット程度の風車を作るという話なのだ。「小さいものは小さい会社が作ればいい」と話す林太郎に、アユミは「技術が道徳をひっぱっていくの。だから、あなたは、小さくて壊れない優秀な風力発電機を作らなければならない」と主張する。沖縄では、風車(かざぐるま)のことをカジャマーというところから、アユミは「すばらしい。林太郎の小型風車開発計画は、『カジャマー・プロジェクト』という名にしましょう」と言う。

 いつしか、林太郎はこの小さな風車を設計するという課題に引き込まれていく。頭の中で、ヒマラヤの雪の山稜を背景にくるくると回る小さな風車のイメージが見え始めるのだ。そしてこの小さな風車がネパールの奥地ナムリン(勿論、架空の地名だが)に、林太郎の設計・施工で据え付けられ、灌漑用に利用されるという形に展開していく。その経緯が小説という虚構の形で紡がれていく。林太郎、アユミ、森介のファミリーにとって、「すばらしい新世界」とのかかわりができていく物語である。

 林太郎にとっては、個人的ネットワークの依頼から始まったカジャマー・プロジェクトが、会社の仕事の一環として正式に採りあげられ、その仕事を引き受け、完成させるという新規ビジネスの試金石になる。アユミは、チベット、ネパールという地域に出張した夫との間で、チベットやネパールの文化、宗教などについて、Eメール交信を林太郎と始め、自らの思い、考えを深めていく。小学生の森介には、この話の最終段階で父・林太郎を助けに、単身ナムリンに赴くという冒険が待っている。

 この作品は、小説という虚構に仮託された、著者による地球環境論、エネルギー論、文明論、文化論、ボランティア論、宗教論、教育論などの展開のようにも読める。また、風車という商品開発プロセス論として読むことができておもしろい。いろいろ考えるべき観点が詰め込まれ、真理の一端が書き込まれているように思う。

 林太郎が会社の仲間や上司と交わす会話・議論を通じて、小さな風車の企画・商品開発に関わるプロセスが描かれていく。そこに現代のエネルギー論が関連してきて、内容としてリアルである。商品のフィージビリティ・スタディから始まり、企画、設計、搬入、据え付け工事、メンテナンス教育とアフターケアの問題まで、ちゃんと触れられていてそのビジネスサイクルがリアルである。そこには、先進国商品の援助という名目での押し込めへの批判も描き込まれている。現実味を感じさせる話になっているように思う。

 この作品は林太郎が現地調査、据え付けと教育のために現地入りし、そこで「ナムリン開発協力会」というボランティア団体の人々や宿泊先のオーナーの日本人、現地案内人や現地の人々との関わりを深めていく。その中で、林太郎が現地で観察し、考えた事として、ボランティア論が展開する。真に現地に役立つボランティア活動、ボランティア行為、その貢献とは何なのかが語られることになる。著者は文明国側の独りよがりなボランティア意識とその活動の局面を客観的に眺めている。そして、林太郎の風車には、真に現地に永続的に有益な結果を生ませようという姿勢が貫かれていく。さらに林太郎の仕事は、ボランティアではなく、ビジネスという視点での一貫性で語っていくのだ。

 林太郎の目は、日本の大都会での日常生活とその原理、ナムリンの日常生活とその原理を対比的に眺め、林太郎に人間の生活を考えさせる。そして、林太郎の思いは、ナムリンの林太郎と東京のアユミがEメール交信での対話という形をとって、違和感を感じさせずに読者を様々な議論に引き込むことになる。Eメールの多くは、アユミが問題提起、解説を行い、林太郎がそれに意見を交わしていくという形で展開されていく。電気のない高山の地ナムリンと現代文明の縮図、日本の東京との間での異質な生活空間が同時存在し、Eメールという媒体で瞬時に結び付けるという設定が巧みな小説の全体構成になっている。これ自体、インターネット社会の現実描写でもある。異質世界の同時存在。人間の歴史的発展段階をある意味で無視した文明利用の実在。その中で、文明論、文化論、ボランティア論、宗教論、教育論などが語られていくのだ。
 それぞれの観点について、現代高度文明社会で日常生活を送る人間に対して、グローバルに地球を眺めた視点からの問題提起を、著者が行っているように受け止めた。

 ネパール奥地のナムリンという地域設定の虚構性が、逆にチベット・ネパールという地域についての普遍性を描き出す枠組みになっているようだ。そして、高度科学技術文明に汚された現代先進社会で疑問を抱かずに日常生活を送る人間に対して、「すばらしい新世界」とは何かを考えさせる形に導いていく。

 もう一つ面白いと感じるのは、小説の中に頻繁に著者自身が顔を出す語り口である。まず、この作品の冒頭が、「この話をいったいどこから始めたものか、作者であるぼくは最初から迷っている」という一文から書き出されている。「今ごろになって言うのも変だが、林太郎とアユミがほんとうに『変な人』であるかどうか、作者は考え込んでいる」(p39、「日常生活の原理」の冒頭)、「林太郎は今、異国に向かって飛んでいる。作者は彼をいささかの不安とともに見守っている。」(p96)「小説の作者にはいろいろな悩みがつきまとう。」(p158、「偉人の肖像」の冒頭)「作者は不信心者である。何の信仰もない。」(p222、「信仰の問題」の書き出し4行目)といった具合である。作者もこの小説の登場人物として参画していると見た方がよいのかもしれない。この点、ちょっと、奇妙でおもしろい作品の仕上がりになっている。
 
 この物語の最終段階で、風車建設とメンテナンスのための担当者教育を一通り終えた林太郎が、帰国しようとするときに熱を出す。帰国するためには家族を呼び寄せる必要があるとのンガパの助言で、森介が単身でナムリンまでやって来る。それは、林太郎はチベットの友人から、二人が出国する際に、秘かにテルマと称される埋蔵経典を運搬し、ダライ・ラマ猊下に届けるという使命を託されるという冒険譚の始まりになるのだ。ここで森介がどういう役回りを担ったかがおもしろい。読んでお楽しみいただければと思う。

 最後に、印象深い章句をいくつか覚書かわりに抽出しておきたい。私に取っては、この作品を起点にして、改めて考えるための糧でもある。

*進歩って本当にそんなにいいものだろうか。不安もあるんだ。ここの暮らしを見て見ると、なんだかこのままでもいいんじゃないかって気がしてくる。余計なものを持ち込んで、平穏な暮らしをひっかき回して、いいんだろうか。
 識字教育や生活の電化は本当に善か? それを決めるのはぼくたちではない。 p207
*アウトドアで生きてきた者はなかなかインドアには入れない。入ったら出られないわけではないのだろうが、心理的な敷居は踏み越えがたい。たくさんの中から一つを選ぶのがむずかしそうだし、さしあたりアウトドアで生きていけないわけではないのだ。 p223
*衆生を救うことと社会を救うことは違います。短い期限のうちに社会全体を救おうとすれば、無理な危ない方法に頼ることになる。それを成功させるほどの力はもちろんあの人(付記:オウム真理教のアサハラをさしている)にはなかった。だからああいう最悪の結果になった。
 宗教は一方では永遠と無限を扱うのに、時々いきなり期限を突きつけます。終末論で人の不安をあおる。   p247
*毎日を生きていくことはできるけれど、自分が何のために生きているかがわからない。飢えた状態だから何にでもとびつく。  p248
*「ボランティアはまったく新しいことなんですよ」と塩沢さんは言った。「営利から一歩離れて自由になることなんです。あるいは、自発的な、下からの社会主義」 p270
*どんな場合にもまず相手を見る、相手が何を必要としているかを見るというのが、ボランティアの基本です。そうでないと善意の押しつけになる。慈善と偽善は紙一重なのですから。  p271
*こういう小規模で低価格のものもやっていかなければならないと思うんです。田舎の復権の日がやってくるとぼくは思っているんです。  p273
*その電力を供給する事業体がもしも安定供給を人質にして世界を脅迫したら、困ったことになる。・・・・いずれにしても、供給源は分散しておいた方がいいんですよ。そこで、集中化とはまったく逆に、少々効率が悪くても小さな施設をたくさん用意すべきだという考え方が出てくる。   p274
*「現場の知」という言葉がよく使われました。ボランティア活動で基礎になるのはこれだというのです。環境運動でもそうです。「現場の知」を欠いた運動はすべて堕落する。  p367
*外から持ち込まれたものは、現地になじまないかぎり、やがては死に絶える。あるいは現地の人を殺す。きつい言いかたをすればそういうことになります。なじませる主役が「現場の知」なのです。  p370
*警戒すべきは客観のふりをする主観だ。大東亜共栄圏の類。それが歴史の必然だというような言いかた。    p427
*人間がすることはいつだって間違いがつきまとう。それをゼロにはできない。だから人間がすることはすべて、ある程度の事故の確率を想定して行われる。でも、核の場合、事故の確率は変わらないのに(なんといっても同じ人間がやっているんですから)、事故の影響はずっと大きい。飛行機で万一の時は数百人が亡くなります。辛いことですが、このくらいの損害に人間はなんとか耐えられる。だから飛行機を飛ばすのをやめはしない。
 核事故では、最悪の場合、その数字がもう二桁か三桁増えかねない。そして、そのような損害には人は耐えられないだろうと思うのです。だからあなたの風車が私の誇りなのです。   p468-469
*形容詞が多すぎる文章には用心した方がいい、というのは文章にたずさわる者の心得の一つである。そういう文章には誠意がない。形容詞を乱発するのは何かを隠している時だ。(付記:東海村でもらったパンフレットの言葉づかいが気になったという文脈で)  p494
*「先進国を横目で見ながら、ここなりの暮らしやすさを求める。ちょっと便利になればいいんです。」「しかし、それには先進国の暮らしを知る必要がある。いずれにしても暮らしは変わらざるを得ない。外部から押しつけられたり、だまされたり、搾取されたりするのではなく、十分な情報を持った上で自分たちで選択する。そのための電気です。p501
*「超伝導のグローバル送電網や、砂漠に造る大規模な太陽光発電所もいいけれど、家庭レベルの電力管理も大事です」「陽光と風力という変動する生産量と、消費者の気まぐれというこれまた変動する消費量の関係を最適化する。集中と分散の組み合わせ」「あるいは、田舎暮らしの勧め、とか」   p508
*歳の違う子を見るということは、弱者への配慮の練習である。・・・・日本の子供はある時からそういうことを一切しなくなった。学童は学年で仕切られ、歳の違う子が接する場は奪われた。少子化が進んで家庭から弟や妹が消えた。従兄弟の数が減った。ご近所というものがなくなり、外遊びの伝統が失われた。
 他人への関心が薄れて、みんながエゴばかり言い立てるギザギザした社会になったのは、子どもを年齢ごとの箱に囲い込んで、カリキュラムを押しつけた結果ではないのか。
 ここの子どもたちは幼い子の面倒を見ることで温かい人間関係の基礎を身につけている。幼稚園受験の歪みで二歳の子どもが殺される世界からは遙かに遠い。  p522
*遊牧とは、家畜を導くことではなく、家畜の後についていくのだという言葉を林太郎は思い出した。 p546
*農業というのはもともとは周辺の自然とのトータルな交際であった。土に合わせ、水に合わせ、季節に合わせ、気候に合わせて、人はさまざまな作物を組み合わせて育てた。言ってみれば、それは観察と判断と労働からなる知的な舞踊だった。・・・・古風な総合的な農業を見た時、初めて自分たちが失ったものに気づく。   p550
*そうなのだ。国家とか民族とかではなく、結局は人と人の仲がことを決めるのだ。p567
 著者は、p159に「虚構の枠組みの中に真理を埋め込むというのが、フィクションの原理である」と明確に記している。その点を追記しておきたい。本書を読み、ぜひ著者が埋め込んだ「真理」を見つけ出してほしい。


ご一読ありがとうございます。


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本書を読みながら、注目したキーワードから波紋を広げ、検索してみた項目を一覧にまとめておきたい。

再生可能エネルギー導入ポテンシャルマップ(平成22年度) :環境省
「自然エネルギー白書2011」 :自然エネルギー政策ポータルサイト
 2011年版が公開されていて、pdfファイルでダウンロード可能です。
 2012年5月1日に最新版「自然エネルギー白書2012」が発刊されていますが、有料です
  認定NPO法人 環境エネルギー政策研究所(ISEP)編集
「風力発電導入促進に向けて」 :日本風力発電協会
 第5回中長期ロードマップ委員会 資料 2010年6月
風力発電長期導入目標とロードマップ V1.1 2010/01/15 :日本風力発電協会
 詳細資料「風力発電の賦存量とポテンシャルおよびこれに基づく長期導入目標とロードマップの算定 (V1.1)」


風力発電の仕組み/風力発電の技術的ポイント :「<<発電>>自然エネルギーの活用法」
小型風力発電 :「<<発電>>自然エネルギーの活用法」
地球に優しい小形風力発電 無電地帯における利用

チベット仏教 :ウィキペディア
密教   :ウィキペディア
タントラ :ウィキペディア
無上瑜伽タントラ :ウィキペディア
ロンチェン・ニンティック法脈 :「Mangala Shri Bhuti」
化身ラマ :ウィキペディア
ダライ・ラマ :ウィキペディア
ダライ・ラマ14世 :ウィキペディア
テルマ :ウィキペディア

ボランティア :ウィキペディア
NPO法人 れんげ国際ボランティア会
チベットスノーライオン友愛会と日本カム基金
特定非営利活動法人 ジュレー・ラダック
motherteresa-vol.com
ネパール ボランティア クエスト :「ユナイテッド・プラネット」
ネパールのボランティア :「海外移住情報 旅コラム」
梅光学院大学 ネパールボランティア実習 ビデオレポート前編 :YouTube
梅光学院大学 ネパールボランティア実習 ビデオレポート後編 :YouTube
石黒承子 「ネパール現地レポート」 :「JICA東北」
ヒマールチュリ (ネパールの元ボランティア教師のホームページ)

チベットを知るために :ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
 19項目の一覧ページです。そこからリンクされているサイトをいくつか列挙
  チベットの概要 
  チベットの歴史 
  現在のチベットの状況 
ネパール連邦民主共和国 :外務省
  基礎データ 
  最近のネパール情勢と日ネパール関係
ネパール :ウィキペディア
ネパール便り :「社団法人日本ネパール協会」HP
 「孤児院の経営難」 投稿日: 2012年6月2日 作成者: jns
 「生物多様性保全と先住民族の権利」投稿日: 2012年6月2日 作成者: jns
  

ナビィの恋 :ウィキペディア
セブン・イヤーズ・イン・チベット :ウィキペディア
チベットを知るための映画・ドキュメンタリー :ダライ・ラマ法王日本代表部事務所


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『東大・京大式頭がよくなるパズル』 東田大志&東大・京大パズル研究会 文藝春秋

2012-06-03 10:28:31 | レビュー
 タイトルに惹かれてチャレンジしてみた。比較的やさしい問題から、ちょっとひっかかった問題、てこずった問題まで、バラエティに富んでいた。今まで見たことのない発想のパズルもあり、おもしろかった。

 本書はある意味、パズルのデパート、百貨店のようなものだ。いろんなパズルのパターンが掲載され、バラエティに富んでいる。その点は大変たのしい。パズルが34種類含まれている。名称のおもしろいものをご紹介しよう。
 つめこみブロック、継ぎ接ぎ細工、京都散歩パズル、送る言葉、熟語作りパズル、
 書き順分解パズル、矢印プレース、ブロック配置、大名行列、四文字言葉迷路、
 ゼロゼロ式、かけ算パズル、ハッポーロード、全通過迷路  などなど。
 「書き順分解パズル」はTVクイズ番組で利用されているのを見たことがある。
 しかし、個々のパターンでの掲載問題が数題にとどまる。専門店の品揃えように、そのパターンごとに、やさしいものから超難関まで、数多くの問題を取りそろえているわけではない。このパターンのパズルをもっとやってみたいなというフラストレーションが残る。まあ、これは本書作成の目的ではないだろうから、勝手な感想だ。
 解っていながら、なぜ書き加えたか。それは、できればこの総論パズル本からの展開として、各論本を続編として期待したいから・・・・というところ。

 本書は「○○をきたえる」というタイトルの9章構成である。つまり、
 1.右脳力、2.推理力、3.漢字力、4.集中力、5.言語力、6.決断力、 7.左脳力、
 8.発想力、9.応用力  
 パズルはこんな観点で章別に作成されている。そして各章に4種類あるいは3種類のパズルが掲載されていて、全部で34種類となるので、パズルのデパートと言った次第である。
 これら観点については各章のコラムで説明が加えられている。

 パズルにチャレンジしてみて、自分がどんな観点に強味があり、どんな観点に弱味がでているか・・・に気づくことになった。(どこが弱味か? それは内緒にしておこう。)
 本書の長所は、強味弱味を体験的自己評価ができる点かもしれない。

 「はじめに」に、こんな文が出てくる。
*わたしの周りで、小学生~高校生の間にパズルに本格的にはまった人は、ほとんど全員が超高学歴なのです。
*生粋のパズル好きは東大と京大に集中しています。もっとも、パズルを解いていて頭が良くなったから難関大学に合格したのか、逆に元々難関大学に行けるくらい頭がいいような人がパズルにのめりこむのか、よくわかっていません。しかし、少なくとも子どものうちからパズルを積極的に解くことが、学力の向上と無関係でないことは、ほぼ間違いないと言って良いでしょう。
*わたし自身、パズルをやっていたおかげで京都大学に合格できたのだと確信しています。

 パズル好きと学歴の相関性については、実際のところどうなのだろう? 「私の周り」という範囲でなく、幅広くリサーチされた結果も知りたいものだと感じた。
 だが、これらの文を含む「はじめに」は、ここを読んだ若い人々あるいはその親にとっては、魅力的なメッセージに響くかもしれない。やってみよう・・・・と。
 私は、「はじめに」を読まずに、本のタイトルからパズル問題を見て、早速とりかかってしまったのだが。

 パズルを解きながら、このパズルを作成した人は、どんなプロセスを経てこのパズルを完成させたのか、という側面に関心が出てきた。簡単に解けないパズルを作るのって、結構大変なのだろうな・・・・と思う。解くのも大変だけれど・・・・。
 また、ネット検索していて、同種パズルのパターンがいくつかあった。パズルのパターン自体は、すべて新たに創作されたものというわけでもなさそうだ。
 
 まあ、この本を手に取って、チャレンジしてみてください。
 自分の強味・弱味が見えてくることは間違いありませんよ。
 

ご一読ありがとうございます。


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 本書にも、用語の区別が記載されているが、ネットで定義があるか検索してみた。
ウィキペディアにやはり項目があった。その定義は?
 パズル 
  定義と種類をまとめた項目。ここから、様々なパズルの項目にリンクが張られている。
 クイズ 
 なぞなぞ 
 暗号 
ついでに、
 puzzle :From Wikipedia, the free encyclopedia
 quiz :From Wikipedia, the free encyclopedia
 game :From Wikipedia, the free encyclopedia

 インターネットに、パズルの世界への入口があるか? こちらの関心から検索してみた。ネット検索で得たものを一覧にする。(パソコンゲーム的なものは除外)
 結構、パズル好きの人々がいるものだ!(掲載されている人々は「超高学歴」組なのかな・・・・・・) 

Neutralニュートラアル 
   脱出ゲーム一覧
   パズル・ミニゲーム 
パズルハウス 
パズルの缶詰 
マッチ棒パズル 
マッチ棒/図形パズル 
パズルランド  
 ホームページでまずジグソーパズルが楽しめるようになっています。
 さらに、次の種類のパズルがそれぞれのページからいくつも楽しめます。
 イラストロジック
 ナンバープレース
 絵が出る迷路
 ワードサーチ(言葉探し)パズル
IMDパズルランド
 いろんな種類のパズルが選べます。各パズルに難易度が明示されています。
 ひらめきパズルが別に1題あります。 
漢字であそぼ! には、漢字にかかわるクイズの他に、
 熟語のジグソーパズルや漢字クロス その1その2 があります。
漢字パズル  
数楽パズル 初級編  
特選数楽パズル  
 ここでは、数字パズル、図形パズル、推理パズルの3グループに分類されています。
数学パズル-魔方陣の館  
工大祭「数学パズル」の問題  2005年~2009年の問題が載っています。
数学図形パズル :クイズ大陸  
数学パズル ← 角度を求める
SCIENCE PUZZLE 

<< 海外のパズル FREE(無料)で楽しめるウェブサイト >>
 ここにピックアップしたのは、ほんの一部である。
PUZZLEMAKER :Discovery Education
 10種類のパズルのメニューから選択できる。最初に、手順説明のページが出る。
Jigsaw Puzzle :The JigsawPuzzle.com
 同じ図柄でもジグソーのピース数を選択してチャレンジするやり方になっている。
Free Online Puzzles :PuzzleHouse.com
ジグソーを Easy(やさしい)、Medium(中程度)、Difficult(難しい)の3段階から選択してチャレンジするやり方になっています。
Archimedes' Laboratory
Maze Box
clickmazes
Daily SuDoku
Modern Sliding Block Puzzles

本書で自分の強味、弱味を大凡自己評価し、強味は大いに伸ばし、弱味を鍛えるために、ネット掲載のパズル世界を使い分けるというのも一案かもしれない。

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