遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『英語で小噺! イングリシュ・パフィーマンス実践教本』 大島希巳江   研究社

2013-07-30 11:29:10 | レビュー
 題名の通り、英語での小咄を30篇載せている。そして、最後に付録1「英語落語にチャレンジ!」と題し、「厩火事」が採りあげられている。付録2は、「ライブ録音を楽しもう!」ということで、2008年2月、アメリカのセントルイスでの英語落語公演のライブ録音CDがセットになっているという趣向である。

 小噺の方は、大きめのフォントで6行くらいのものから、見開き2ページ、30行程度までのもの。日常使うごく簡単な英単語での会話体だから、わかりやすい。学校時代に学び、錆び付いてしまった英語感覚をリフレッシュするには、もってこいの手軽な読み物になっている。
 1.台湾ザル、2.すし屋の小噺、・・・から始まり、29.お金は回る、30.泥棒まで、30の小噺が掲載されている。最後に付録が2つ。一つは「英語落語にチャレンジ!『厩火事』」と「ライブ録音を楽しもう!」つまり、録音CD付である。

 小咄の英語台詞、語句注、和訳、声に出して実演してみよう!、という構成である。簡単な英語であるが、語句解説が付いているので、辞書なしで英語そのものを楽しめる。和訳つきだから、安心。最後に、これを演じてみようかという人のために、「登場キャラクターの設定」と「演じわけのコツ」も丁寧に解説がついている。私は英文での小噺を読むことを目的としたので、ここはさらりと読んだだけだが、チャレンジャーには参考になるアドバイスが記されている。

 どんな感じで英語で小噺になっているか? 「すし屋の小噺」をちょっと引用しご紹介。これでまあ、手軽にこの本を手に取って見る気になるのではないかと思うが、如何?

 <すし屋の小噺>
 At a sushi bar.
Customer: Excuse me, chef.
Chef: Yes, sir.
Customer: This shrimp doesn't taste as good as the one I ate two weeks ago.
Chef: Thats's strange. They came in on the same day.

この小噺に語句注として載っている語句は、sushi bar, chef, shrimp, doesn't taste as good as ... , come in, on the same day 。ここまで語句説明がある扱いだ。それに上記の項目での説明がつづく。イメージがわかっていただけるだろう。

 最後の付録「厩火事」はちょっと本格派。見開きページで左ページ英文、右ページ日本文の対訳形式。英文で8ページの英語落語である。読んで楽しむだけなら、それほど難しいことではない。この英文を記憶して、落語として演じるとしたら・・・・やはり、かなりの努力がいるだろう。そこまで踏み込む気は私にはない・・・人前で演じる趣味と勇気はないから。だが、イメージを浮かべながら A Fire at the Stable を読んでいるだけで結構楽しめた。これを本格的に英語落語で寄席で聴いたら、もっとおもしろいだろう。

 英語落語を読む・・・学校英語のリフレッシュ、英語に親しむ一つの登り道になるかも。

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英語落語に関連し、ネット検索で見つけたサイトをリストにしてみる。

Rakugo in English-Zoo by Kimie Oshima  :YouTube
Gonsuke's fish :YouTube
英語落語 :「アルク」
 「落語家に学ぶ驚異の英語学習法」大島希巳江さん

英語落語入門 :「英語音読マラソン」
こども英語落語協会 がめらがゆく
英語落語クラブ 笑笑亭
英語落語小夜姫world

YouTubeから:
Rakugo
英語落語 寿限無 English Rakugo Jugemu

英語落語 桂枝雀 White Lion (動物園)
(1/2) Rakugo in English "Toki-udon"
(2/2) Rakugo in English "Toki-udon"

Kouzu-Shrine by Shijaku

RAKUGO_in_ENGLISH-2


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『鬼と三日月 山中鹿之介、参る!』  乾 緑郎  朝日新聞出版

2013-07-28 17:29:50 | レビュー
 この著者の作品は、ちょっと奇想天外な展開が含まれる作品なので、読むのを楽しみにしている。本作品もそういう点では、期待を裏切らなかった。
 山中鹿之介が、尼子家の滅亡のあと、その再興を試みるがその夢が敗れ去るという顛末、つまり山中鹿之介の伝記的ストーリーの中に、平将門に絡み、託身によりしんのうを復活させ世の中を一転させようとする野望を抱く集団の話を絡ませていくという伝奇的空想世界を絡ませていく。主軸は尼子家再興挫折潭であり、第3コーナーを回った辺りから、俄然伝奇的空想世界が大きく広がって行くという展開である。そしてなんと、最後は出雲の阿国の誕生となる。その奇想天外さがおもしろい。

 尼子家については、月山富田城の奪還、喪失と絡んだお家再興願望潭である。
 月山富田城は尼子家の手を離れ、塩冶掃部介を守護代として支配されている。その2年目の正月、文明18年(1486)元旦、芸事の一座が門付けに城内を訪れることにかこつけて、尼子一族が城を奪還する。この芸事一座が鉢屋賀麻党という不可思議な一団なのだ。この鉢屋賀麻党の大望がじつは「しんのう」を託身により復活させるということ。尼子経久が月山富田城を奪還するためにこの一族と一連託生の道を歩むことが、大きな不幸の原因にもなるという次第。経久が死没し、嫡孫の晴久が尼子家の本家を継承する。

 山中鹿之介は、幼少時に山中甚次郎と呼ばれていた。新宮谷に拠館を置く吏部こと新宮誠久(さねひさ)は新宮党を統べる。山中家の次男坊甚次郎は新宮谷の生まれであるが、尼子家の重臣、亀井能登守の養子に出される。これで逆に、讒言により新宮党が滅亡させられる際に、生き残る契機になる。新宮党の粛清を命じたのは尼子家当主晴久だ。その晴久が永禄5年(1562)に死ぬと、家督はその嫡男、義久が継ぐ。
 誠久は新宮党滅亡を予期し、直前によちよち歩きの五男・孫四郎に乳母をつけ、小川重遠に託して逃す。この孫四郎が無事に逃げ去る際に、相州乱波の女忍者が関わって来る。相州乱波は鉢屋賀麻党と対立しているのだ。この女忍者が、本作品で大きな役割を担っている。それは、読んでのお楽しみというところ。
 新宮党が滅亡するときの経緯から、甚次郎は亀井家から追い出され、再び山中姓に戻って、己の人生を歩んでいくことになる。兄が病弱だったので、甚次郎が山中家の家督を継ぐことになったようだ。

 甚次郎は、父、山中三河守満幸の使用した鹿角の兜を譲り受けたのを機に、山中鹿之介幸盛と改名する。山中鹿之介の誕生である。
 編年風に、ターニングポイントを抜き出してみよう。
 永禄8年(1565)9月 毛利勢が尼子領を侵し、月山富田城が最後の砦の攻防となる。
   この時、鹿之介21歳。毛利方、品川大膳との一騎打ちが面白く描写されている。
 永禄9年 兵糧攻めの果てに、尼子義久は城を毛利方・吉川元春に引き渡す。
   開城により、鹿之介は流浪の身となる。鹿之助は逃げのびた孫四郎の行方を捜す。 永禄12年(1569)5月 京の東福寺で出家していた孫四郎を還俗させ、尼子家の復興を図る。尼子家の旧臣に呼びかけ、一旦、同じ佐々木氏の流れを汲む隠岐為清を頼り、隠岐ノ島に渡る。この時点から、鹿之介の尼子家復活への獅子奮迅の活動が始まると言える。 本書ではこの紆余曲折が展開されていく。このストーリー展開が一つの大きな流れとなって、うねっていく。

 もう一つの軸は、月山富田城の攻略のため、荒隈城に居た毛利元就が毒を盛られたというところから、雖知苦斎(すいちくさい)こと曲直瀬道三(まなせどうさん)が登場してくることである。遊芸の輩・銀兵衛と名乗る男が、お国という女児を道三に診てもらうために連れてくる。このお国は脈絶という不可思議な病を患っているのだ。脈がない。『脈経』という医書にすら、治癒法までは書かれていない稀な病気。道三はこの病への治療法発見への深みに入っていく。脈絶の病の持ち主は複数いて、お国は他の病人の代表として、道三の許に預けられることになる。それは、道三の治療法を書いた切紙を得たいがためだった。お国は同病の小次郎を救うために道三の治療法研究に差し出されたモルモットのような位置づけになる。治療法が解らないと、過去の連綿たる経験では脈絶の病の子どもは8つか9つになると、急に倒れて死ぬという。
 なぜ、こんな子どもが存在するのか。それがこの作品での伝奇的なところである。「しんのう」復活の大望と関わって来る子どもたちなのだ。京都に戻った道三のところにも、時を経て再び、お国が治療法を知りたいために、送られるという形に展開していく。これが、最後の伝奇的なストーリー展開の基盤になっていく。

 図式的に言えば、月山富田城を明け渡した尼子義久は、毛利の監視下で、ある場所に幽閉同然の身となり出家生活に甘んじる。義久の居場所を探索し、義久を奪還して、尼子家の再興を図る道は見いだせない。そこで尼子勝久を擁立して尼子家を再興する作戦を鹿之介はとり、尼子家旧臣を基盤にそれを推進する。尼子家復活推進派と毛利勢との攻防が始まる。
 もう一つが、尼子家を「しんのう」復活の梃子にしようと考えていた鉢屋賀麻党の動きだ。行動の方針変更をする一方、「脈絶」の病克服の道を模索しつつ、自らの大望を成就しようと暗躍する。それに対立するのが相州乱波である。平将門系譜の「しんのう」復活に対する主導権争いといえようか。それが如何に異常な状況のもとに進行しているかが、こちらの軸のストーリー展開のおもしろいところである。荒唐無稽な物語の興味津々たる側面である。
 この流れは、ある意味で、山中鹿之介の時代に、現代の最先端医学の発想、クローン人間の育成を持ち込み、その人間を野望達成の手段に組込むという奇抜さにあるとも言える。幻想的ですらある。
 山中鹿之介が最終的にはこの鉢屋賀麻党の企みに巻き込まれて行くことになる。
 最後に、尼子家再興の夢破れ、鉢屋賀麻党の大望敗れ、出雲の阿国が現出するという結果になる。その展開がまさに読ませ所と言える。

 この作品、読んで楽しめば十分である。乾緑郎の新骨頂の発露か。理屈ぬきで楽しむとおもしろい。

ご一読ありがとうございます。


関心を抱いた語句をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
本書とかする程度だが、周辺情報と背景情報を広げて行くと、まあ面白さが加わるもの。

月山富田城 :ウィキペディア
月山富田城跡 :「安来市観光協会」
月山富田城の戦い :ウィキペディア
荒隈城 → 洗合城(荒隈城):「城めぐ.com」

山中鹿之介 → 山中幸盛 :ウィキペディア
山中鹿之介の供養塔 :「鹿之介の館」
 山中鹿之介の墓

出雲尼子氏 出自と家系 :「武家の家紋の由来」
尼子経久 :ウィキペディア
尼子義久 :ウィキペディア
尼子勝久 :ウィキペディア

隠岐為清 → 隠岐氏:「戦国大名研究」
毛利元就 :ウィキペディア
中国の覇者、毛利元就 
吉川元春 :ウィキペディア

平将門  :ウィキペディア

曲名瀬道三 :ウィキペディア
啓迪集   :ウィキペディア
啓迪集(1):「研医会通信」


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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『完全なる首長竜の日』 宝島社
『忍び秘伝』      朝日新聞出版
『忍び外伝』      朝日新聞出版


『安土城の幽霊 「信長の棺」異聞録』 加藤 廣  文藝春秋

2013-07-22 12:53:09 | レビュー
 著者は2005年に書き下ろし長編『信長の棺』で作家としてデビューした。本能寺の変の経緯に絡めて、変後に信長の死体が遂に発見されなかった謎に大胆な仕掛けの仮説と推理を盛り込んでストーリーを展開していたのが新鮮だった。出版当時に読んだがその頃は読後印象の覚書を残していない。再読したら、あらためて印象記をまとめてみたいと思っている。

 本書は副題に信長の棺異聞録と冠している。「信長の棺」というキーワードに惹かれて読んでみた次第。本書には「藤吉郎放浪記」(全67ページ)、「安土城の幽霊」(全78ページ)、「つくもなす物語」(全89ページ)という3つの小品が収録されている。直接には2つめの作品が本書のタイトルになったといえる。

「藤吉郎放浪記」
 針売りの行商をしていた藤吉郎は、東芳川(ひがしほうがわ)と呼ばれた小川のところで、今川氏の配下にあり頭陀城を預かる松下源太左衛門長則に声をかけられたことからその家来となる。この主人から嫁を世話されるがその嫁に逃げられる。それを潮に藤吉郎は出奔するのだが、源太左衛門に挨拶に行き、尾張の生駒屋敷を尋ねよと諭される。藤吉郎の行動を読んでいて、一筆まで準備していたのだ。その源太左衛門は、別れる前に藤吉郎の手相を診て、不思議な手と言い、もう一つ、案外な多情者の手相だと読み取る。
 これが縁で、生駒屋敷で、生駒八右衛門の許で働く内に、彼の妹・吉乃の許を訪れる信長のことを知り、信長に己を売り込む。そこから信長と秀吉の関係が生まれていく。この辺りの経緯に著者の想像力が大いに羽ばたいているように感じる。面白い箇所である。また本作品では、信長の家来になった藤吉郎が、清洲城時代に薪奉行に採りあげられて、そこで才覚を発揮し、頭角を現す様を描いている。このエピソードが史実なのかどうか、秀吉の伝記を読んでいないので不詳である。著者は「駿馬に塩車を引かせて苦しめるに同じ。大材を小事に用い続けるは愚かなこと」という言い伝えが残ると記す(p68)。この一行で、さもありそうな気がしてくる。著者は藤吉郎を「山の民」として設定している。
 信長と藤吉郎の関係が生まれていなければ、つまり、藤吉郎を見出す場がなければ、「信長の棺」への繋がりは発生しなかったことになる。歴史は変わっていたかもしれない。 清洲城時代から24年後、天正11年(1583)、大坂に城を築いた後、愛妾の一人、西の丸(京極龍子)と一緒に居る場で、秀吉が思いに耽るシーンを4ページほどの余談として著者は記している。このオチが興味深い。

「安土城の幽霊」
 徳川家康の立場から見た信長、信長への報復心が描かれている。天正7年(1579)、家康は信長の命で、己の妻・築山の死と嗣子・信康の切腹を甘受する。この作品はその翌年、天正8年に、家康が忍び軍団の総帥・服部半蔵正成を呼び出し、信長に仕返しをして、胸にわだかまる溜飲を少しでも下げたいという望みを語り、何らかの手を打ってくれと命じるところから始まる。
 女忍者を信長の居室に忍び込ませ、多志の幽霊を幻視させるという企みが作品の筋になっている。多志は、信長の愛人で事実上の正室だった吉乃の、死んだ先夫との間の子で、信長の命で荒木村重の後妻に押し込んだ女である。そして村重の謀叛の結果、多志とその侍女たち十数名は六条河原で打ち首となっている。多志の幽霊となり信長を威すという算段である。その企みを聴いた家康は、岐阜城にまつわる城と幽霊話の情報を半蔵に教える。このエピソードも面白い。
 ただの企み話では能がない。さすがに著者はそこに一ひねり加えてストーリーを展開させていく。この幽霊話を信長側から見れば、物の怪に憑かれた信長に対し、物の怪退散の秘法で対抗しようとする。織田家菩提寺・阿弥陀寺開山の清玉上人が請われて登場してくることになる。
 神仏や俗信を無視し合理主義に徹する信長が、清玉上人の呪文秘法で「信長復活」となるのだから、皮肉なものである。
 この作品にも、8ページの余話が付いている。信長が石山本願寺絡みで京に行き、新装なった本能寺を滞在場所にするという半蔵の報告に対し、家康が「運の悪い寺」だといい、砦同様かそれ以上の防御体制になっているという半蔵の言に、疑問を抱くという話。「信長の棺」への伏線を暗示するがごとしである。女忍び・千代を忘れていないのが、さすが家康というところ。
 信長が天主閣で戦略思索に時を過ごすという著者の描き方に信長への興味を一層深めている。信長の時間の使い方が描かれていて、興味深い。

「つくもなす物語」
 本作品は、現在は東京にある静嘉堂文庫美術館(岩崎家の蔵品を展示)が所蔵する「つくも茄子」という名物茶器の奇々怪々な因縁物語に信長も係わってしまったという筋立てである。本能寺の変を生み出した遠因はこの茶器ではないかといういわく話。実におもしろい。

 高さ6cm、重さ70g強の小壺である。明との交易品の中にひっそりと混じっていたという。足利三代将軍義満が明船の到来物をすべて自分で吟味する中から見出したのだ。播州・兵庫港に近い播磨国分寺の末寺で明船からの到来品を吟味するために義満は出かける。それに同行した女衆の中の少女が最初にこの小壺を発見したところから始まる。
 義満がその小壺を片時も傍から離さなくなるのだ。そして異変が起こる。
 この小壺が人から人に流転し、その有為転変が問題なのだ。どいういう風に持ち主が変化するかを記しておこう。
 義満-(足利家宝物蔵に眠る)ー足利義政-山名正豊-朝倉教景(宗滴)-小袖屋-松永弾正久秀-織田信長-豊臣秀吉-(徳川家康)-藤重家-岩崎家(弥太郎の弟・弥之助)-静嘉堂文庫美術館 である。

 この小壺が義満に天下取りの魔力を授けた器だと噂されるようになり、一方、異変が生じることから、あるときは「付喪神」の取り憑いた小壺と恐れるようになる。それが、義政の頃には、壺の甑際(こしきぎわ)に釉薬のかかっていない白い石間があることから、九十九髪(白髪)になぞらえられるようになったとする。
 
 上記の小壺の流転から何が想起できるか。この小壺から見た所有者の栄枯盛衰の顛末潭といえる。本能寺の変もその転変の一コマという訳だ。まさに異聞である。後は読んでお楽しみいただくとよい。人の不幸には関心を抱かされるもの。そんなことがあったのか・・・・と。つくも茄子が禍を引きよせた結果なのだと・・・・・。

 これら三作品、異聞の観点が全く異なる点がよい。「安土城の幽霊」には家康が全面的に関わり、「つくも茄子」には家康の好奇心が顔を覗かせるという点がおもしろい。あの吝嗇の家康が、つくも茄子の破片を徹底的に探させて、復元させたというのだ。だが、上記で括弧の中に入れたことには意味がある。そして、そこに本作品のオチが。この部分は、作品での余話としての語りなのだが。

ご一読ありがとうございます。


本書に出てくる語句で、周辺あるいは背景のイメージを広げるためにネット検索した結果を一覧にまとめておきたい。

山の民 → サンカ(民俗学):ウィキペディア
山の民 :「日月昭々 歴史ボード」

生駒屋敷跡(小折城跡) :「ふるさと江南歴史散歩道」江南市
生駒屋敷 →小折城 :ウィキペディア
尾張・生駒屋敷 :「城郭放浪記」
 写真館の10枚の中に「生駒屋敷絵図」が掲載されています。

生駒吉乃 :ウィキペディア
服部半蔵 → 服部保長 :ウィキペディア
  服部正成 :ウィキペディア

阿弥陀寺 :「信長墓所」(信長研究所)
清玉上人 → 阿弥陀寺の信長忌 :「京都旅屋」

大名物 唐物茄子茶入 付藻茄子(松永茄子) :「靜嘉堂文庫美術館」
九十九髪茄子 :ウィキペディア
唐物茶入「つくも茄子」:「戦国日本の津々浦々」

松永久秀 :ウィキペディア
岩崎弥之助:ウィキペディア



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『卑弥呼の墓・宮殿を捏造するな!』 安本美典  勉誠出版

2013-07-18 13:31:29 | レビュー
 ウィキペディアの「安本美典」には、”日本古代史の分野では、30数年来「邪馬台国=甘木・朝倉説」及び「大和への東遷説」を主張し続けている。「邪馬台国の会」主宰。『季刊邪馬台国』責任編集者。古代史研究は「数理文献学」(Mathematical Philology)の手法に基づくとする”と記されている。本書の奥書には、「現在、古代史研究に専念。・・・情報考古学会会員。専攻は、日本古代史、言語学、心理学」と記す。

 本書は2011年8月に出版された。本書の副題は「誤りと偽りの『邪馬台国=畿内説』」とあり、表紙にはさらに「推理・邪馬台国と日本神話の謎」のフレーズも記されている。 本書のタイトルと副題はまさに激越である。邪馬台国畿内説の学者全体をミソクソに論じているのではない。正当な研究として畿内説を唱える学者にはそれなりの敬意を払い、学問・研究論争として扱っているようだ。本書は一つの研究発表の内容と経緯に対する著者の反論であり、その研究と一部マスメディアの行動を弾劾する論拠を論じた本である。果てしなくつづく邪馬台国論争及び考古学会の体質に一石を投じている。
 「はじめに」から「おわりに」まで、353ページ、冒頭6ページの写真を使い、一般読者を視野に入れて、糾弾の書として出版しているのだ。

 それでは、何を弾劾の標的にしているのか。
 直接には2009年5月29日(金)の朝日新聞朝刊一面にスクープとして報道された「箸墓は卑弥呼の墓である」という記事。この記事は同社の渡辺延志(のぶゆき)記者が書かれたもののようだ。著者によると、渡辺延志氏は「邪馬台国=畿内説」信奉者であり、「かすったら畿内説」的報道姿勢及び考古学会を揺るがしたかつての旧石器捏造事件と同じ轍を歩んでいる動きについて、否と断じている。繰り返される大本営発表の類、お先棒担ぎはやめろ、新聞記者・マスメディアの一員として反社会的な行為を繰り返すなという糾弾だと理解した。マスメディアの付和雷同する面々をも同罪として論じている。一方で、マスメディアの中にも、学会の研究の現状までの経緯や動向をキッチリ押さえ、中立的報道をめざす記者や報道機関の存在も対比的に採りあげて糾弾書の中でのマスメディア批判へのバランス感覚を維持している。
 研究内容としての直接の弾劾標的は何か。それは千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館の研究グループ(以下、歴博研グループと略称する)が炭素14年代測定法を使って研究し結論とした「箸墓古墳=卑弥呼の墓説」が間違っているという指摘であり、学会発表前にマスメディアに内容をリークするような演出・PRというやり方への批判である。このマスコミ利用法が繰り返し行われている点、それに乗り助長する記者が存在する点を強烈に批判している。
 歴博研グループは「自説に不利な測定データを無視し、自説を、マスコミ宣伝することによって成立している」と著者は批判し、そのデータの利用と研究姿勢が学者の研究ではなくて捏造の類だと弾劾する。

 本書は、なぜそう批判できるのかを以下の形で展開する。

[はじめに] 考古学は、旧石器捏造事件から何も学ばなかったのか?
 22ページにわたるイントロである。「学問や科学にとって、大事なのは、正しいか、正しくないか、ということである。多数派か、そうでないかは、大事なことではない。」という立場で、物議をかもすことになるかもしれない本書を世に問うと末尾に記している。

[第1章] 卑弥呼の宮殿を、勝手に作るな
 纒向遺跡で大型建物が発掘調査から発見された事実に対し、「3世紀最大の建物跡」と結論づけるのは、観測事実に合っていない。『魏志倭人伝』や『日本書紀』などの歴史書の記述をベースにした論議になっていない点を批判する。歴史書と発掘調査結果の累積研究を基盤にすれば、おもに崇神、垂仁、景行天皇時代の4世紀の遺跡だろうと反論する。

[第2章] 桜井茶臼山古墳の築造年代と出土鏡
 この章で著者は、様々な研究成果を引用して、桜井茶臼山古墳の築造は、4世紀なのだということを論証していく。著者はまず、同古墳から出土した81面の鏡の多くが三角縁神獣鏡(26)を最多にして各種神獣鏡の類であることについて着目している。中国における考古学研究では、「神獣鏡」は中国南方系(呉系、揚子江流域系)だという。銅鏡知識に乏しい私には新鮮な説明でもあった。日本は、「中国の東晋王朝が317年に健康(南京)に都をおくまで、神獣鏡が流行している地域に都をおく国家と正式な外交関係をもっていないこと」(p72)を著者は指摘し、『魏志倭人伝』の描く世界とは無関係と述べている(p72)。卑弥呼は「銅鏡百枚」をあくまで魏の皇帝から賜っているのだからと。真摯な畿内説学者がこの神獣鏡問題をどう論じているのか、私の関心が広がって行く。
 著者は崇神天皇陵古墳の築造年代、桜井茶臼山古墳の築造年代について論を展開していく。その上で、銅鏡が語る事実を著者流に推理・展開していく。
 銅鏡に知識の乏しい一般読者(私も含めて)にとっては、古墳から発掘されてきた銅鏡史について、中国と日本を併せて概括的に理解する情報源にもなり、一読の価値がある。

[第3章] 卑弥呼の墓を、勝手に作るな
 炭素14年代測定法を使った歴博研グループの結論が虚情報であることをこの章で徹底的に究明している。それがこの「炭素14年代測定法」という科学的手法は有益な方法なのだが、歴博研グループの手法の用い方が問題であり、その用い方が事実を曲げて結論を捏造しているのだと徹底的に糾弾している。分析に用いた試料の取り扱い方、分析評価に誤りがあるとする。意図的恣意的に虚情報を生み出していると断じている。
 著者は「炭素14年代測定法」の基本原理から解説し、技術の進歩向上があるものの、炭素14の存在量が歴史的に変動があるため、もとあった炭素14の量が正確にわからないので、ズレを修正し較正という手続きをしなければならないことの重要性を緻密に説明する。そして、「日本産樹木による較正曲線を示したことは、歴博研究グループの大きな功績である」と認めつつ、「日本産樹木による較正曲線を用いても、国際較正曲線を用いても、箸墓古墳の築造年代を4世紀にもって行くことは、容易に可能である。・・・箸墓古墳の築造年代は、西暦360年ごろの可能性が大きくなるのである」(p218)と論じ、歴博研グループの結論を覆す論理展開を推し進める。様々な観点から切り込み、歴博研グループの仮説の間違いを論断していく。

 この測定法による詳細なデータの提示内容については、一般読者として十分に理解できたとは言えないが、そのロジック展開や主旨については、大凡理解できる。この科学的分析手法の扱い方については、何となくイメージが湧いてくる。
 その論理展開の方法から学べるところは多い。炭素14年代測定法という技術の同じ土俵で、論理的に反駁するということは、こういうことかという思いを強くした。著者の論理展開に対する、再反論を歴博研グループから提起があると良いのだが・・・・それがあってこそ、学術的論戦と言える。
 短時間の学会発表・質疑応答では何も解決しない。やはり論理展開を論文にした応酬があってこそ、その是非を客観的に広く評価できると思う次第だ。邪馬台国所在地についての九州派ばかりでなく、畿内派からもこの歴博研グループのこの手法の持ち方について否定的な意見が、学会発表の場その他で提起されているという経緯も本書で説明されている。
 2011年8月にこの本が出ているということは、その後に再反論が論文レベルで発表されているのだろうか。その後の考古学会はどんな動きとなっているのか。素人目からも、興味深いところである。

 ジャーナリスト河貴一氏による『週刊文春』2009年10月22日号の記事「箸墓古墳 奈良 『卑弥呼の墓』にダマされるな」が本書に引用されている。その記事末尾によると、歴博研グループのこの研究に文科省から4億2000万円の補助金が出ているという。本著者の論駁並びに九州派・畿内派双方から既に出されている疑問に対して、歴博研グループ側からの誠実な回答を欲しいものだ。
 本書のp45に引用された表3と、後ほど検索していて見出した歴博研グループの「平成20年度研究報告会」を併せて考えると、4億2000万円という補助金は様々な観点とテーマでの総合研究全体に対する補助金であることだ。つまり、直接的に上記研究に関する補助金はその中に含まれている構成部分だということで割り引いて考える必要はありそうだ。捏造と論じられている研究発表だけの補助金と短絡的に考えると、逆の誤りを犯しそうに思う。紙面の都合で割愛されたのだろうが、その点は注意すべきだと解釈している。

 学問の自由は賛成である。学問振興に税金が使われることも認めたい。しかし、その補助金を使って、事実を折り曲げた捏造をしているなら許せない。総合テーマの補助金の一部で真摯な研究を重ねている研究者への冒涜にもなるだろう。
 邪馬台国論争、今後どうなるのか・・・・・注視したい。

 最後に、著者が警鐘を発している記述箇所を引用しておこう。
*考古学は、いま、じつに不精密、はっきりいえば、いいかげんな論理によって得た結論をマスコミにくりかえし発表することによって、邪馬台国論争に決着をつけようとしている。考古学は、いまや、まったく信用のできない学問となりつつある。「事実」にもとづくのではなく、勝手な「解釈」にもとづいて発表をくりかえすようになっている。 p61
*マスメディアは、社会的影響力が大きいので、研究者たちのマスメディア批判は、腰が引けていることが多い。保身を考えれば、マスコミの批判をうけたらどうしようと考えてしまうのであろう。  p306
*学に忠なるもの、立つべし。暴力追放のキャンペーンは、言論の世界においても必要である。事実と真実とを伝えるべきである。記者が、記者魂を失っても、研究者は、研究者魂を失ってはならない。  p315


ご一読ありがとうございます。

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本書に引用されているソースも含め、関連事項を少しネット検索してみた。情報集約の覚書として一覧にしておきたい。

箸墓古墳、卑弥呼の生前に築造開始か 歴博が研究発表 :「朝日新聞」
 2009年5月31日20時36分 掲載
年代変わる?古墳時代 精度高まる土器の測定 :「朝日新聞」
 2008年6月7日14時42分 掲載 (渡辺延志)

箸墓古墳 :ウィキペディア
桜井茶臼山古墳 :ウィキペディア
纒向遺跡 :ウィキペディア
纒向遺跡ってどんな遺跡? :「桜井市纒向学研究センター」
ホケノ山古墳 :ウィキペディア

国立歴史民俗博物館 ホームページ
学術創成研究「弥生農耕の起源と東アジア
-炭素年代測定による 高精度編年体系の構築-」
平成20年度研究報告会

炭素14年代測定法 ← 放射性炭素年代測定 :ウィキペディア
放射性炭素(炭素14)で年代を測る 吉田邦夫氏
炭素14年代(測定)法  鷲崎弘朋氏(歴史研究家)
 このページ「邪馬台国と宇佐神宮比売(ヒメ)大神」の補注13に詳細説明を記載されている。補注12は木材の年輪年代法に関しての詳述である。

Re: 日本考古学協会総会に出席して :「邪馬台国についての掲示板(改訂版)」
 鷲崎弘朋氏の投稿記事。シリーズで総会内容の状況を伝えたもの。
「箸墓は卑弥呼の墓」説に難題 2009/08 :「misssinglink's blog」
歴博の炭素年代の嘘が明らかになった 2008/06 :「misssinglink's blog」
年代繰上げは? 2008/04 :「misssinglink's blog」

邪馬台国大研究 ホームページ
 邪馬台国大和説 
 邪馬台国九州説 
 三角縁神獣鏡の謎 :「邪馬台国大研究」
 科学する邪馬台国  木の科学・木の年齢測定 
 
箸墓古墳は卑弥呼の墓か 2009/6/2  :「山口増海のブログ」
放射性炭素年代測定(1)2009/6/3~4 :「山口増海のブログ」
同(2)  

直近にはこんな記事も・・・・
奈良・纒向遺跡:バジル花粉 古代の香り、新たな謎 薬か祭祀用か :「毎日新聞」
 毎日新聞 2013年05月31日 大阪朝刊  別の観点での話題が出現!
奈良・纒向遺跡:最古のバジル花粉 邪馬台国候補、3世紀中ごろ 魏と交流、示す


日本考古学協会 ホームページ
  「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会最終報告」 2004.5.22

旧石器捏造事件 :ウィキペディア


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『無頼無頼ッ! ぶらぶらッ!』 矢野 隆  集英社

2013-07-12 17:52:02 | レビュー
 単行本の表紙が劇画タッチだが、この小説そのものが劇画化されるのにもってこいのストーリー展開だと感じた。著者の『蛇衆』をおもしろく読んでいたので、本書も楽しめるのでは・・・・と手に取った次第。

 徐福伝説を種にした怪奇冒険潭小説とでも言えようか。主人公は二人。蜘蛛助と犬飼兵庫である。
 蜘蛛助は行商人。笑うと不思議な魅力を発揮する男。好奇心のかたまりだ。不可思議を追い求めている。「この世のすべてを己の目に焼きつける」という夢、欲望を持っている。行商の旅を続けるのはそのためであり、生業は二の次。「小袖に股引姿。手足には手甲脚絆をつけ、羽織は目を引く鶯色」という風体。背中に木箱を背負い、天秤棒を突きながら歩く。この木箱は、なんだかドラえもんの何でも出てくるポケットみたいなもの。ストーリーの中で、いろんな小道具がこの箱から取り出されてくる。
 犬飼兵庫は、今は蜘蛛助の用心棒のような形で一緒に諸国を流浪している。それは、道場で無惨な死を遂げた父の仇を探し求める旅でもある。仇討ちのための諸国遍歴のために、蜘蛛助に同行するのはそれなりに目的にも適う旅になるという次第。だが、蜘蛛助の不可思議を求める夢と行商行為のために、兵庫が様々なトラブルに巻き込まれて行くという次第。蜘蛛助は好奇心・謎を解く知恵を働かせ、兵庫は襲い来る艱難の障壁を打ち払い、斬り払うという分担の旅でもある。
 この視点でいけば、このコンビの小説、シリーズ化を期待したいものである。

 さて、本書については、蜘蛛助が煙草の葉の行商が一段落し、小金ができたところで不可思議のネタ探しに行くところから始まる。場所は博多。兵庫と3日後に落ち合う約束で別れた後、蜘蛛助が仕入れてきた不可思議のネタは、いい女から仕入れてきた話。阿蘇の深山幽谷の果てに巨大な鉄の門があるという。そこに至る簡単な絵図も入手したというのだ。蜘蛛助には、この巨大な門の存在を自分の目で確認し己の目に焼きつける、この一念あるのみ。この目標を達成することしか、もう脳裡にはない。兵庫はその荒唐無稽な話を胡散臭く思い、文句も言うが、結局、蜘蛛助の巨大な鉄の門探しの旅に同行することになる。

 荒唐無稽の話の展開に尽きる。美しい女に教えられた巨大な鉄の門に到達するには、とんでもない試練が次ぎ次ぎに待ち受けているというストーリー展開である。この話が劇画タッチの行動という理由はそこにある。絵になる活劇なのだ。まあ手放しで楽しめる作品というところか。

 試練の冒険潭は鉄の門に至るプロセスでの謎解きの積み上げでもある。試練の冒険潭が一章単位に語られていく。各章がある意味1回分の読み切り活劇として楽しめて、緩やかに謎解きストーリーとして繋がって行く。兵庫が争闘を引き受け、蜘蛛助を守る。蜘蛛助は目標のために目の前にある謎を考え抜き、次に繋ぐ答えを導き出すという次第。

 そこで、冒険潭の構成展開は次のとおりである。
<拒みの里>  知恵が試される
 賊に襲われている翁を助けた二人は、翁と山小屋に泊まり、里の野菜と猪の肉を煮こんだ田舎料理を振る舞われる。ところが、翌朝、蜘蛛助の左足が痺れる結果となる。翁が足の経絡に支障を及ぼす細工をして消えたのだ。最初の罠がはやくも仕掛けられてしまった。なぜか、兵庫には痺れが出なかった。
 痺れる足で歩く蜘蛛助が絵図に書かれた集落を見つける。二人は集落の中に入っていくが、そこは「拒みに里」だった。
 里の中を辿って行くと、なぜか元の場所に舞い戻っている。そこから蜘蛛助の謎解きが始まる。

 迷路の謎を二人が解いたところで、あの翁が再び出現する。ここで立ち去るなら、蜘蛛助の足を元通りにしてやるという。当然、蜘蛛助は拒絶する。ならばと、翁は懐の紙切れを蜘蛛助に放り投げる。

<企みの森>  力が試される
 迷いの里を抜けてから7日目の昼、果てしない森の中に居る。7尺にとどこうかという巨大な影が現れる。蜘蛛助が熊と名付けた大男。この熊は二人が先に進むのを阻止しようとする。壮絶な戦いが始まる。なんとか二人はこの闘いを克服する。
 その熊の名前は、趙英だった。黄泉の民に古くから伝わる名前だという。蜘蛛助はその趙英から「はるか昔、黄泉の民は海を渡ってきたそうだ」と聞き出していた。

<見えずの童> 知恵が再び試される
 趙英が指さした道の先で、二人は山奥のひなびた里に辿り着く。
 通りを歩くと、二人を見た里人は足早に去り、拒絶の意志を示す。
 火事のあった更地に、無惨に切りきざまれ、さらされた血まみれの侍を死体を目撃する。その後、5,6歳の薄汚い衣服をまとった男の子を見つける。その子は行く先々で「見えず」の扱いをされているのを二人は後をつけて知る。この童との出会いが、新たな試練の始まりとなる。ここでは蜘蛛助の思考回転が大きな冴えを見せる。蜘蛛助はこの童を小丸と名付ける。
 最後に、この小丸が二人をこの里の長である老婆の許に連れていく。

<蛮勇の砦> 再び力が試される
 9尺ほどの錆だらけの鉄の門のある場所に辿り着く。岩山の切り通しに作られた門である。
 その鉄の門をくぐり抜けて行くと、岩山を地形を利用した堅牢な砦。月明かりに照らされた山道を一人の女が歩いていく。その女は、なんと蜘蛛助が博多で会い蜘蛛助に絵図を与えた女だった。二人はその女の後を追跡するところから、この冒険潭が展開する。
小さな洞穴を抜けた先には、一見でざっと1町四方ほどありそうな岩石の広場。そこでは豚面の猪男との格闘に陥る羽目になる。
 その男の名は徐厳、女は徐華という。徐厳は懐から1枚の獣の革を取り出し、蜘蛛助に渡す。それは経絡を記した人体の図だった。そして、徐福のこと、不老不死の妙薬のことなどを知る。人体経絡図はここまで辿り着いた褒美だという。

<黒鉄の大門> 観察力、知恵と勇気が試される。
 砦を出てから3日。徐厳の言った岩山の頂上に着く。辿り着いたのは断崖絶壁。
 この章の面白いのは、よく観察して謎解きをする。そして行動するには決断と勇気が要求されるというところ。此岸から彼岸へどうして渡るか? その謎解きが問題だ。
 蜘蛛助の状況観察、知恵の回転と兵庫の観察眼が相乗効果を発揮していくおもしろさが味わえる。ちょっとインディージョーンズ風のもじりがあって、これも余興か。

<黄泉返りの果て>
 冒険潭の大団円。各章の登場人物達、首謀者、兵達が出そろう。そこで、あの翁から、黄泉の民のいわれが語られる。蜘蛛助と兵庫のいずれかが、選ばれし者になるように望まれるのだが・・・・・話はそう簡単には終わらない。
ここで最後の壮絶な闘いがはじまって行く。それは生き様の哲学をかけた闘いでもあるのだ。
 結構、考えられた話の展開になっている。徐福伝説もここまで展開できるのか・・・小説作家が生み出した想像力の織りなす伝説世界。その荒唐無稽さ、波瀾万丈を大いに楽しめる。まさに劇画世界である。原作・矢野隆、劇画・某・・・という具合で、二度目の楽しみができないものか。

 手放しで、謎解き活劇をしばし楽しめる軽快なタッチの作品だ。


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本書から関心を持った語句の関連情報をリストにしておきたい。
脇道にそれた好奇心から検索して、調べてみた。徐福が神になっている!

徐福 :ウィキペディア

徐福ゆかりの地 日本の徐福伝説
 徐福伝説 :「伝説の扉」
 佐賀に息づく徐福 :「Jofuku Saga」
 徐福伝説 :「邪馬台国大研究」

 徐福伝説 鹿児島県串木野市冠岳 :「ワシモ(WaShimo)」
 徐福公園  :「財団法人 新宮徐福協会」
 新井崎神社 :「伊根商工会」
 徐福雨乞地蔵祠 The Regend of Xu Fu :「flickr」


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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『蛇衆』 集英社

『おもかげ橋』 葉室 麟  幻冬舎

2013-07-08 12:00:12 | レビュー
 本書も作者が多分テーマとしている「しのぶ恋」の系統に連なる作品だと受け止めた。 九州肥前の蓮乗寺藩を致仕し江戸に出た二人の男が、密使として国を出た夫の後を追い、江戸にやって来た元上司・勘定奉行猪口民部の娘・萩乃の苦境を助ける立場に置かれる。蓮乗寺藩江戸屋敷詰めである北上軍兵衛から、致仕したとはいえ藩への奉公だと、萩乃の隠れ家の提供と護衛を依頼される。二人は昔、それぞれがこの萩乃に思いを秘めていた。その女性の身を守るということを引き受けた二人は、再び蓮乗寺藩内のお家騒動に巻き込まれていくことになる。なぜ萩乃が九州から遠く江戸まで出てこなければならなかったのか? 萩乃を誰から守るのか? 密使となり江戸に向かったという萩乃の夫、奥祐筆の椎原亨はどこで何をしているのか? 萩乃に接して、二人の若き頃の思い、心の奥底に秘めていたものが、それぞれに湧出してくる。その二人が互いの気持ちを忖度しながら、萩乃を守るという目的に全力を尽くしていく。

 本書の一つの読ませ所は、二人の男のしのぶ恋の有り様の違いが萩乃を守るというプロセスで語られていく点だろう。それぞれがかつて互いの思いを大凡察しつつ、今の思いを忖度しながら、ある意味で出し抜かれたくないという気持ちがはたらく、そのこころの動きが描かれている。一方で、夫及び椎原家に複雑な思いを抱きながら、実父の密命を帯び、夫を追いかけて江戸に出て来た萩乃の心の内が少しずつ明かされていく。そのプロセスが興味深いところだ。萩乃の心の奥に重層した恋の思い、有り様が明らかになっていく。男女両極から描かれる「しのぶ恋」の姿である。

 もう一つの読ませ所は、九州肥前の蓮乗寺藩で繰り返されるお家騒動の謎解き、主人公の二人との関わりという因縁話の展開である。ある意味で、藩を致仕した二人の力量を頼みにして、藩の根本問題を解決しようとする猪口民部の狡猾さ。そこには二人のしのぶ恋が二人を巻き込む要因になっていたということになる。
 しのぶ恋の終局は、互いに思いを一旦吐露する機会を得た後に、おもかげ橋で再び、その思いを心の奥底に戻し、心の扉を閉じることになる。三者三様の思いの姿が残る。おもしろい作品に仕上がっている。

 二人の男とは、草波弥市と小池喜平次である。二人は藩校で机を並べ、剣術道場でも常に席次を争った間柄。弥市の仇名はその顔立ちから糸瓜と呼ばれていた。剣術一筋で家中並ぶ者なしと剣名を高める。喜平次は牛蒡という仇名がついていたが、藩内では秀才として知られる。和歌の素養も身につけている。二人は勘定奉行猪口民部の配下だった。

 蓮乗寺家の庶流に生まれたがその才気により中老にまで昇った左京亮は倹約令を出し厳しい改革政策を断行する一方で、不正の道に入っていく。藩主が江戸で病死したことを契機に、左京亮は自分の息子を末期養子にしようと図る。老中安藤壱岐守信利へ訴え出る目的で江戸に立とうとする。その左京亮を猿掛峠で阻止したのが、弥市と貴平次である。猪口民部の内意を受けての行動だったが、それが原因で二人は藩を追われる。

 江戸に出た二人の生き方は分かれる。弥市は浪人のまま、微塵流剣術道場を開くが、閑古鳥が鳴くままの状態。三千石の旗本屋敷に月二度ほどの出稽古の仕事だけで糊口を凌ぐわびしい独身のままで中年となっている。喜平次は江戸の学塾に入るが、書物を買いに出た折、小料理屋の軒先での雨宿りがきっかけでやくざ者にからまれた若い娘の危難を助ける。この娘は飛脚問屋丹波屋五郎兵衛の跡取り娘だった。武家の身分をうとましく思っていた喜平次は、五郎兵衛の熱心な申し出を承諾して、丹波屋に婿入りし、その五年後には家督を継ぐ。一方で、気立てのいいお長との間に、娘と息子を授かる。問屋仲間ではしだいに重んじられる存在の商人になっている。

 丹波屋の店先に、北上軍兵衛が喜平次を訪ねて行き、江戸に出て来た勘定奉行猪口民部の娘、今は椎原亨の妻女になっている萩乃を一時匿い、守って欲しいという難題を投げかけるのだ。軍兵衛は喜平次に言う。「萩乃殿はな、子を生んでおらぬからであろうか、三十路とも思えぬほど昔と変わらず、なかなかに見目麗しゅうてな。そのうえ、つき添っておるのは、女中と下僕のふたりだけゆえ匿えば、それなりによいこともあろう」と(p18)。
 喜平次は、丹波屋が所有する高田村の寮に匿うことを承知するが、飛脚問屋の日頃の仕事があり、弥市に寮に住み込み萩乃の用心棒として警護することを依頼する。弥市の唯一の収入源になっている出稽古の時には、喜平次が用心棒を交代するということになる。それが逆に、二人が萩乃に対するしのぶ思いを互いに忖度しあう形に進展していく。

 蓮乗寺藩のお家騒動の当事者である左京亮は老中安藤壱岐守信利との繋がりがある。喜平次は飛脚問屋の株仲間に加わっている。その株仲間の会合に出た折、十組問屋の大行司、山崎屋庄兵衛から飛脚問屋の株仲間に課される冥加金を上げるという問題が伝えられる。喜平次がそのことに反対すると、庄兵衛が絡んでくる。そして、その問題がさらに波紋をひろげていく。庄兵衛の行動の背景に、老中安藤信利の影が見えてくる。喜平次への搦め手が迫っていく。
 一方で、萩乃の用心棒を引き受けることになった弥市は、そのこととは全く無関係な出稽古先の旗本、笠井守昌から見合いの話を持ちかけられる。笠井の知人である御家人井戸甚右衛門の娘弥生との見合いである。弥生は嫁ぎ先で夫に短期間で先立たれ、二回の結婚がうまく行かなかったのだという。その弥生の婿養子となれば、生活も安定するだろうという笠井の働きかけである。断れば唯一の出稽古先を失うことになる。弥市に思わぬ難題が持ち上がってくるのだ。萩乃が江戸に現れる前ならば・・・・というところ。

 若い頃思いを寄せた萩乃を守るという課題が、致仕した蓮乗寺藩のお家騒動に再び巻き込ませていく。萩乃と椎原亨の夫婦関係の問題もそこに絡みついてくる。また底流で、弥市、喜平次、萩乃に関わる過去のエピソードの思いが重ねられている。弥市と喜平次は、それぞれの立場で事情を抱えながら、これらの問題に巻き込まれていくことになる。そしてついに、弥市と喜平次は、高田の馬場で左京亮の一党との対決の場に臨むことになる。いくつもの糸が絡まり合っていく因縁のおもしろさがそこにある。

 若い頃、弥市が萩乃に付け文を渡す。その返事は萩乃から来なかったという。
 同じ頃、萩乃は喜平次から和歌の添削指導を受けている。その萩乃には椎原家への縁談が決まる。和歌の指導が今日限りという日に、喜平次は万葉集からの歌を詠じる。
   振る雪の空に消えぬべく恋ふれども逢ふよしなしに月ぞ経にける
 萩乃は古今和歌集からの歌を己の想いとして口にする。
   紅のはつ花ぞめの色深く思ひし心われ忘れめや
 初花染の歌が萩乃の複雑な女心を象徴するキーになっている。
 著者は和歌を謎かけとして作品の背景に投げかけておく。他の作品でも使われた手法がここにも生かされている。これは著者の好みなのだろうか。和歌の原作者を離れ、本書の著者により、和歌に新たな意味や文脈が息づいていく面白さがまた味わえた。この構成が著者の作品に惹かれる一端にもなっている。私好みというところ。

 本書はある意味で切ない結末となるが、そこにしのぶ恋の余韻が残る。

 印象に残る文を最後にご紹介しておこう。
*強いだけでなく、弱いところをお見せになる殿方を慕う女子もいるのでございます。そして、そのような想いは深いものだとわたくしは思っております。  p244
*草波様も相手の強さではなく弱さをいとおしまれる方だと存じますから。  p245
*女子は心の奥深くに想いを秘めて、自分にも気づかせないようにすることがございます。草波様はそのことを見抜かれたのだと存じます。 p266


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本書に関連する語句をいくつかネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。

飛脚問屋 → 飛脚 :ウィキペディア
株仲間 :ウィキペディア
三橋会所 :ウィキペディア
末期養子 :ウィキペディア
高田馬場 :ウィキペディア
高田馬場(駅) :ウィキペディア
面影橋(東京都) :ウィキペディア

江戸時代の剣術 :「剣客商売の時代の剣術」
江戸時代の道場事情 :「時の旅人」

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『春風伝』 新潮社
『無双の花』 文藝春秋
『冬姫』 集英社
『螢草』 双葉社
『この君なくば』 朝日新聞出版
『星火瞬く』  講談社
『花や散るらん』 文藝春秋

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版