遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『天下人の茶』  伊東 潤   文藝春秋

2016-01-30 10:46:58 | レビュー
 映画にはオムニバスと呼ばれる方式がある。辞書には「それぞれに独立したいくつかの短編をまとめ、全体として一貫した作品にした映画」(『日本語大辞典』講談社)と説明されている。本書は読後印象として短編小説をオムニバス方式で構成した短編集といえるように思う。
 本書のタイトルにテーマの一極が表出されているが、この短編集は、天下人(てんかびと)が求めた茶の道具性と千利休が目指した茶の精神の美の相剋というテーマが一貫している中で、様々な切り口から短編小説が織りなされている。
 このオムニバスの中で千利休が直接に語る、あるいは利休に関連して語られる場面からテーマに関わる箇所として私が着目したものをまず抽出しておきたい。
 *「人の侘びをまねるだけでは、己の侘びを見つけることはできないのです。・・・・人と同じ道、すなわち常道を行かず、奇道を行くことが大切です。・・・・奇道こそ佗茶の境地」    p37-38 (A)
 *「茶の湯とは・・・人の備える本源的なものを、作意によって他人の目に供するに足るものとする一つの道なのです」 p81 (B)
 *「深山をそのまま写さずに深山の風情を出す。これが利休居士の言う作意なのだ」 p134(C)
 *「茶の湯を続けさせるためには、権力者の意を迎えつつ、独自の境地を開ける茶人が、茶の湯を牽引せねばなりません」 p146 (D)
 *「尊師の曲尺割は、この世の森羅万象を司っている」 p202  (E)
 *「侘びとは人それぞれ。弟子一人ひとりにも、そう教えてきました。」p229 (F)
 *「侘びは、それがしだけが司るものなのです。・・・・
   殿下は現世の天下人。それがしは心の内を支配する者です。互いの領分に踏み込まぬことこそ、肝要ではありませぬか」 p234 (G)
 一方、千利休の持つもう一つの顔をストーリーに絡み合わせていく。千宗易が堺の商人、会合衆の一人であることに起因する側面である。単に茶頭、茶の師匠という枠組みからはみ出し、政治・外交から謀略に至るまで天下人・秀吉の相談役としての役割を担っていたことである。著者はその真意に言及していく。究極のところ、この側面でも千利休の真意と秀吉の政治の意図の間に乖離が生まれて行くと著者は描く。その大胆で具体的な描写が興味深く、かつおもしろい。

 そして、このオムニバスに関わることとしてもう一つここでふれておきたいことがある。それは、「利休七哲」と称された高弟の7人に関係する。七哲とは、蒲生氏郷を筆頭として、細川忠興(三斎)・古田重然(織部)・芝山宗綱(監物)・瀬田正忠(掃部)・高山長房(右近/南坊)・牧村利貞(兵部)をいう。本書のおもしろいところは、芝山宗綱(監物)を除き他の6人の高弟が本書を構成する短編小説の中で、主人公としてあるいは副主人公として、深く関わってくる点である。これが、天下人の茶を語る中で、茶の世界を語ることに繋がっている。

 それではオムニバスに仕立てられた本書を構成する短編小説についての読後印象をまとめてみたい。

[ 天下人の茶 第一部 ]
 文禄5年(1596)5月、秀吉が宮中にて三度目の禁中能を催し、後陽成帝の面前で自ら『明知討』という演目でシテを演じる場面から始まる。その終盤にさしかかる中で、秀吉が当時を回想するという展開となる。この短編は本書全体の導入の役割と「天下人の茶」の始まりとして、天正4年(1576)6月、妙覚寺方丈で信長が己の考えを丹羽長秀、明智光秀、秀吉と堺の三商人に語る場面を描く。「わしは、茶の湯によって天下を統(す)べようと思う」と信長が語る。信長が茶の湯の道具性に着目する。信長による茶道具の収集、「茶の湯張行(ちょうぎょう)」の始まりである。
 信長にこの策が千宗易の発案だと著者は語らせている。政治と茶の関わり始めである。この場面での参会者の対応が興味深く描かれて行く。そして千宗易のプロフィールで締めくくられる。
 この短編は、最後の「第二部」と照応していく。

[ 奇道なり兵部 ]
 テーマに関わる箇所として上記に抽出した(A)がここの主題となる。利休七哲の一人、牧村兵部の生き様が描かれる。
 天正12年(1584)2月、師匠の宗易を一客一亭の茶会に誘う。その茶会で客の宗易を見送る際に、兵部は「奇道こそ佗茶の境地」と宗易に教えられる。兵部にとっての茶の湯、そして師から学んだ「奇道」を戦場で活かすエピソードが描かれ、キリシタン及び高山右近との関わりが描かれる。
 この短編自体が本書の構成と同じパターンをとる。冒頭は文禄2年(1593)7月、朝鮮の慶尚南道東端に布陣中、歪んだ古茶碗の美に出会う場面を置き、10年前の天正12年に時を遡らせ、回想のストーリーが展開する。再び、布陣の地に戻るが、そこでの行動が兵部の死に繋がっていく。
 牧村兵部は、「天正8年にはのちに流行するユガミ茶碗(変形茶碗)をいち早く使用した茶会を行っていたことが知られる。」(『朝日日本歴史人物事典』)という。「侘びは奇道なり」を実践した人が牧村兵部だったようだ。兵部の心の変遷を著者は描いて行く。
 
[過ぎたる人]
 この短編は利休七哲の一人・瀬田掃部の生き様が活写される。
 天正19年(1591)1月、掃部が自邸の草庵数寄屋に利休を招き、自ら削った茶杓の自信作を利休に見せている場面から書き出される。この短編、冒頭で茶杓についての基礎知識が学べるところがおもしろい。余談だが、茶杓の真の格と草の格。なぜ茶杓が竹を使うかの由来。櫂先(かいさき)・追取(おつとり)・蟻腰の角度などという名称がすんなりと頭に入ってきておもしろい。
 常は荒ぶる心を封じ込めている掃部は「何事にも過ぎたる人」と評されていたようだ。利休は掃部の茶杓を見て、蒲生氏郷と細川忠興がこう評したと言う。そして、この茶会の対話で上記の(B)が語られる。その続きに「中でも茶杓は、茶人が手ずから削るもの。茶人の心映えを知るには、茶杓を見ればよいわけです」という利休の言葉が出てくる。これは現代の茶人にも当てはまることなのだろうか?
 著者はこの日の朝会で掃部が使った皿のような古高麗平茶碗に利休が「水海」と銘を与え、掃部の見せた茶杓には「瀬田」と名づけるとよいと述べたと描いている。調べてみると、あるサイトの記事に『南方録』には、利休が茶杓を削り「勢多」と名づけて掃部に贈ったということが記されているという。流れとしてはこの短編の方がおもしろい気がする。
 ストーリーはこの茶会で利休が掃部に残した言葉が、掃部のこの後の生き様に影響を与えることになる。「冬が来ているにもかかわらず、春や夏を取り戻そうとするほど愚かなことはありません。そんな無理を押し通そうとすれば、多くの者が迷惑をします。本人がそれに気づいておらぬなら、誰か、それをきづかせねばなりません」(p86)
 利休の死の後、天正19年(1591)12月、秀次が関白職を継承した折り、秀吉直臣の掃部は秀次の家臣とされる。天正20年3月から朝鮮の役が始まるのだが、そこから利休の残した言葉の意味を掃部は明確に解釈し、ある決意を抱くことになる。ストーリーはいくつかの茶会の場面とそこでの会話を中心にしながら進展していく。その茶会の一つに、小田原での山上宗二と掃部の茶会のエピソードも織り込まれる。
 クライマックスは文禄4年7月8日の秀次・秀吉の仲直り茶会である。手前は掃部が務める。ここで事件が起こる。
 この日に茶会が行われたのは史実なのだろうか。これ自体もフィクションの一部なのか。手許に情報がなく不詳。「太閤と関白の間での不始末ということもあり、この事件は秘匿された」と著者は書き込んでいる。フィクションだとしてもおもしろい。なぜなら、この日の2日後10日に、秀次が高野山に追われ、15日には切腹するのだから。
 
[ ひつみて候 ]
 これは利休死後の古田織部の生き方を描く短編である。この短編の最初の場面と最後の場面に小堀遠江守政一(遠州)が登場する。これも最初と最後の遠州の登場のしかたの対比が興味深くて、かつおもしろい。この短編の最初の場面で出てくるのが上記(C)である。興味深いのは古田織部が遠州を「優れてはいるが、道を究めることはできぬ」と評価し、一方で「働きのある茶人」とみていたと著者が書き込んでいる点である。
 この短編は、織部のプロフィールから始め、信長の「御茶湯御政道」の結果をみた秀吉が、茶の湯の道具性を逆手に使い、「天下万民、茶の湯の下では一座平等である」と唱道し、庶民の不満をやわらげ天下の静謐を保ち、己への人望を集める策をとった。そして、秀吉が絶対的な権力を手に入れると、茶の湯に対する方針転換を図ろうとする。そこに、利休との相克が生まれる。それが、上記の(D)という発言になる。そして、その才があるのは、織部だと利休は言う。利休の高弟のうち、「独自の境地」に達しているのは織部だと認め、利休が死を予見する直前に、茶の湯における精神世界の支配者の座を、利休が織部に譲り渡すのだ。利休が織部に託したのは「茶の湯の力で人の心に巣食う猛りを抑え、世を静謐に導いてください」ということだった。
 それは、現世でより強固な支配者となりうる徳川家康への政権の移行を見越しての織部の行動として具現する。そして織部の創案した茶の湯の世界が武家社会の中に浸透していく。だが、政治と茶の湯が結びつく結果は、再び茶の湯の道具性という点で、織部が利休の轍を踏むことへと導くプロセスとなる。つまり、政治の道具としての茶の湯に、利休の考える「独自の境地」は不用ということなのだろう。茶の湯の作法と形式美、茶会という形態の社交的場の設定、道具性にこそ意義が見出されているということか。政治・ビジネスとゴルフの繋がりに通じる側面かもしれないと思う。
 この短編でおもしろいのは、利休七哲の一人、細川忠興を織部が「働きのある茶人」の典型と見、また忠興自身が己の限界を自覚している人と描いていることだ。そして、小説の最後の場面、織部の切腹に臨んだ織部と遠州の交わす対話がおもしろい。二代将軍秀忠が受け入れた小堀遠州の生み出した「きれいさび」が武家茶道の本流として栄えていくのだ。政治と茶の湯の相剋がここにも活写される。

[ 利休形 ]
 この見出し「形」を「なり」と読ませる。「りきゅうなり」である。
 この短編の主人公は、利休七哲の中の蒲生氏郷と細川忠興である。文禄4年(1595)正月8日、病状が悪化している蒲生氏郷の屋敷に、忠興が病気見舞に出向き、対話する。その二人の対話から現在の状況が語られ、秀吉・利休に関わる過去の経緯が描かれて行く。この頃が、利休の切腹後に秀吉が演能にのめり込んでいる時期であり、最初の短編にリンクしていくのである。
 この短編の興味深いところは、氏郷と忠興が秀吉と利休の関わり方並びに二人の人物を分析的に語るところにある。「殿下は尊師の中に何を見、尊師は殿下の中に何を見たのだろうか。そして二人の間に起こったことは、われらの知る秘事だけが原因だろうか」
 ここに、上記の(E)、(F)、(G)がストーリーの展開の中で、語られて行く。
 このストーリーの中で一つの圧巻は、再び秀吉による小田原城攻略戦中の一場面だ。北条氏の和睦の使者として山上宗二が登場し、宗二が秀吉に暴言を吐く。秀吉の命により利休が宗二の鼻と耳をそぎ落とし、宗二を殺す仕儀に至る場面である。それと、氏郷が忠興に語る「われらの知る秘事」だ。
 著者の目を通した秀吉と利休の両人物像については、この短編が読み応えがある。
 末尾の部分をご紹介しておこう。
 「-利休形か。
  しかし忠興は、利休に倣うつもりはなかった。
  忠興は、己の形を見出すべき時が来たと覚ったからである。」
忠興は忠興形を見出したのだろうか。著者はいつかこのアフター、忠興形がどういうものかを作品化するのだろうか。

[ 天下人の茶 第二部 ]
 この短編は、最初の第一部と照応し、その続きが描かれて行く。つまり、信長の「御茶湯御政道」の始まりからだ。勿論、秀吉を中心としてである。
 秀吉は天正5年12月、但馬・播磨両国の攻略成功の褒賞として、信長から乙御前釜を拝領し、「茶の湯張行」の許可を得た。「四十石」の銘がある名物茶壺を入手した後、天正6年(1578)10月、播磨三木城包囲戦の中で、津田宗及を招き口切の茶会を開催したという。そして、秀吉は茶の湯の虜になっていく。そして、まず山上宗二が秀吉の茶頭となる。その宗二が突然、秀吉への断りもなく勝手に堺に帰ってしまう。師匠として千宗易が秀吉を謝罪のために訪れるところから、秀吉が宗易の手前をアルティスタの仕事と評価することから関係が始まると描く。
 宗易の語るキーフレーズが「われら二人で、天下万民が安楽して暮らせる世を創りませぬか」である。
 政治と茶の湯を結び付ける中に、自ら乗りだして言った千宗易。天正13年(1585)に正親町天皇から利休という居士号を下賜され、茶の湯に独自の美の価値体系を創出した千利休。第一部と照応し連続するなかで、千宗易(利休)の多面体像が描きだされていく。実に興味深い。それは表裏一体の如くに、秀吉像を描くことでもある。

 天下人の茶は、信長の茶道具の名物に着目し茶を道具として使う入口から始まり、秀吉の下での利休の”佗茶”、秀吉から家康への政権移行期における織部の”かぶいた茶”を経て、江戸時代の武家社会での遠州の”きれいさび”の茶に変遷していく姿を、このオムニバスの小説は活写している。

 千宗易は時の権力者の政治と結びつく形で世に出、茶の湯を広め、帝から利休居士の号を賜るまでに至る。政治に加担する一方で、茶の精神美を極める道に突き進む己と天下人の求める茶との間の相剋により、政治によって抹殺される。それは千利休の必然だったのかもしれない。だからこそ、千利休が不朽の輝きを今の世まで残すのだろう。
 「人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ 天に抛つ」 これが切腹して果てた、利休の遺偈だという。

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本書に出てくる語句を契機に、関心事をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
玉澗筆 山市晴嵐図 :「出光美術館」
紙本墨画洞庭秋月図〈玉澗筆/自賛がある〉 :「文化遺産オンライン」
紙本墨画遠浦帰帆図〈玉澗筆/自賛がある〉 :「文化遺産オンライン」
大村由己   :ウィキペディア
第9話 由己と秀吉 :「三木市」
豊臣秀吉が舞った新作能とは? 能楽トリビア :「the 能.com」
牧村兵部  :「コトバンク」
枯木猿猴図の謎 4.実の父、牧村兵部  味・歴史めぐり :「室屋長兵衛」
瀬田掃部  :「コトバンク」
2013.10.31 さらし茶巾、瀬田掃部(せたかもん)   :「朋庵・茶咄し」
利休七哲  :ウィキペディア
利休七哲 【違いがわかる漢達】 【集え数寄武将】  :「NAVERまとめ」
芝山監物  :「コトバンク」
今井宗久  :「コトバンク」
津田宗及  :「コトバンク」

大名物 唐物茄子茶入 付藻茄子(松永茄子)  :「静嘉堂文庫美術館」
東山御物の美-足利将軍家の至宝-   :「Internet Museum」
東山御物の美 その1 @三井記念美術館 :「Art & Bell by Tora」
乙御前釜   :「茶道入門」
葉茶壺「清香」   :「宇治・上林記念館」
灰被天目茶碗(虹) :「文化遺産オンライン」
戦国期及び織豊期の茶の湯(茶道)  :「YAHOO!智恵袋」
水屋七拭ってこんなの  :「茶道具 翔雲堂」
  茶碗「水海」と茶杓「勢多」についてふれています。
オリベコレクション  :「ORIBE美術館」

茶道の始まりと流派  :「茶道のみちしるべ」
茶の湯 心の美  表千家ホームページ
茶の湯に出会う 日本に出会う 裏千家ホームページ
武者小路千家官休庵  公式サイト
茶道 式正織部流(しきせいおりべりゅう) 文化財(県指定):「市川市」
茶 楽しむ遊び心 織部流の型破り 2013.11.20 :「YOMIURI ONLINE 関西発」
遠州流茶道 綺麗さびの世界 ホームページ

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こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『国を蹴った男』  講談社 

『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社
   伊東 潤 の短編作品「人を致して」が収録されています。
『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社


『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社

2016-01-27 12:39:57 | レビュー
 豊臣家滅亡へと導いた大坂冬の陣・夏の陣の舞台が7人の作家により、様々な角度から切り込まれていく。本書は一つの茶碗という総体を様々な角度から眺めその有り様を愛でいく様に似ている。その時代状況の一局面を切り出して、大坂城という最後の決戦の場に、7人の作家が競作という形で切り込んでいるのは実にスリリングである。どの局面・事象の事実の断片を汲み出し、その空隙をどのように想像力で充たし創作していくのか。史実を背景に独立になされた創作の産物が、どのように相呼応するのか。まさに、いざ参陣!というところ。
 一言でいえば、裏切られなかったな、いい競作になっている! という読後印象である。史実として知っていること、伝聞してきたことなどから総合して漠然と抱いていた大坂の冬の陣・夏の陣及びその周辺に対するイメージを、良い意味で裏切られ、史実の解釈可能性及び意外性、面白さを味わうことができたと言える。学者の研究視点では論じえないことが時代小説というフィクションでは史実を大幅に損ねない範囲で試みることができる。史実の空隙をどう創作し、史実を織りなすかによって。ここにはその楽しみが詰まっている。特定の人物に漠然と抱いていたイメージを崩される意外性、史実という断片に隠された背景の解釈を広げて再度見直してみるのも必要かと思わせる面白さなどがある。それぞれの短編作品にはひとひねりが加えられていて、読みごたえがある。

 目次に沿って各作品の印象をまとめてみたい。

「鳳凰記」 葉室 麟
 一介の野人から関白にまで地位を極めた豊臣秀吉は帝を尊崇していたと解釈しようとする見方を根底に据える。秀吉の妻・茶々が秀吉の死後、帝を徳川家康側から守る盾となろうとするという視点で描かれて行く。帝が聚楽第へ行幸のおり、茶々を目に止めて鳳凰のごとき女人という印象を抱かれたというくだりがある。そこから鳳凰がタイトルになっているようだ。大坂の冬の陣・夏の陣は、家康のいのちを削ぐ、いのちの戦い、女の戦だったとして描いていくところが興味深い。
 その中に描かれる2つのシーンがおもしろい。一つは御陽成天皇の譲位の儀式に秀頼が供奉するために大坂城から京に上る。その折りに二条城で家康と対面する場面である。そこで聡明な秀頼像が描かれて行く。もう一つは、秀頼による大仏殿の再建に伴う巨鐘の鋳造の際の鐘銘問題である。あの有名な「国家安康」「君臣豊楽」という箇所が物議を醸す。この時の徳川方の詰問に対する鐘銘撰述者清韓の答弁が小気味よく描かれいく。この場面が実におもしろい。この答弁内容に著者の創作が加わっているのか、史実記録に基づくことなのかは知らないが・・・・。
 さらに、この短編のクライマックスは、次のキーフレーズを含む会話場面である。
茶々「わたくしは徳川から帝をお守りする捨石になろうと思ったのです。」
又兵衛「捨石とはよう申されました。・・・・・」
茶々「ならば、死出の旅路の供をいたしてくれますか」
真田信繁「地獄へなりとお供を仕りまする」
 茶々と秀頼の実像は何か? 改めて考えさせ波紋を広げさせるストーリーになっている。

「日ノ本一の兵」 木下昌輝
 真田”左衛門佐”信繁、つまり真田幸村のストーリーである。話は病床で死の間際にいる父・真田昌幸と信繁の対話場面から始まる。徳川についた兄・信幸(後の真田信之)の扱いと、真田が大勢力と同盟するために信繁が人質として前半生を過ごしたということ、その結果、信繁が武功をあげることはおろか、戦さ場に出た経験すら無いということ、信繁がカラクリに興味を持ち工夫を重ねていたこと、などの背景状況が語られていく。これが信繁のその後の生き様の伏線になる。
 父昌幸は死の間際に、徳川の侍に佐衞門佐(信繁)とそっくりな男がいると語り信繁に指示を与える。そこからストーリーが飛躍していき、信繁とその影武者の奇想天外なストーリー展開となっていく。
 史実の断片的事実の空隙をまさに縦横に埋めていき、一捻りして織りあげたストーリーである。日ノ本一のツワモノになろうと秘策を練った信繁の最後の意外性が読ませどころとなる。著者の空想力がおもしろい。もしこの秘策の行動に事実の一端が含まれているならば、それこそおもしろいだろう。
 これ以上具体的印象に触れていくとネタばれに繋がり興を削ぐだろうから触れない。

「十万両を食う」 富樫倫太郎
 「腹が減っては戦ができぬ」という言葉がある。大坂城の両陣もその戦いの裏には食糧・米の確保が必要不可欠だった。食の供給は需給関係の問題である。需給に伴う米の相場と米の品質が関わってくる。「背に腹は替えられぬ」となれば、品質が悪くても米が欲しいという事態が発生する。京橋口にある淀屋の広い庭先で、米商人で三代目の近江屋伊三郎が己の買い集めた米の品質が悪くて米一石の値段を六匁と評価される。それは売り物にはならない茶米という評価宣告である。己の思惑が外れ、商売の破綻を想像して伊三郎が愕然とするところから、この話が始まる。
 この小説のおもしろいのは、伊三郎が結果的に大坂方の中枢問題に関わって行くところにある。それとは知らぬ間に真田幸村、秀頼の子・国松との関わりが生まれるというストーリーの展開だ。その関わり方が読ませどころである。
 もう一つ、大阪の淀屋橋という地名の由来となったのが淀屋という商人であることは知っていた。しかし淀屋が米商人でもあり、米市を取り仕切る立場だったことは知らなかった。そしてその淀屋がかなりあくどい米商売で財を成したという時期があった形で描かれ、伊三郎がその淀屋を見返すために対抗意識を抱くということが、彼の原動力となるという筋の運びも実におもしろい。
 少し調べてみて、「淀屋の米市」の設定が大坂の陣の時期とマッチするのかどうか少し気になった。まあフィクションだからこだわる必要はないのだろうけれど。また、近江屋伊三郎は著者の創作なのだろうか、実在のモデルがいるのか・・・・。

「五霊戦鬼」 乾禄郎
 甲州恵林寺は天正10年4月、織田軍により焼討ちされる。この時、快川和尚が「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」という辞世を残したということは有名だ。この時寺に逃げこみ匿われていた六角義定に快川は法雲という名を与え、羽州伊達家の虎哉宗乙(こさいそういつ)という僧に頼れと言い、逃したという。このストーリーは、法雲を軸に、水野日向守勝成と伊達家に仕える黒脛巾(くろはばき)組の忍び・惣右衞門を登場させる。
 大坂夏の陣の最中で、水野勝成が所有する見事な蒔絵が施された印籠、その中にある「襟草五霊丸」という黒い丸薬に深く関わる奇譚物語である。その丸薬入り印籠は、かつて勝成が切支丹大名として名高い小西行長に仕えていた頃に下賜されたものだった。そしてその丸薬は不可思議な効能を持つ秘薬なのだ。
 法雲は伊達正宗の客僧となり、正宗の参謀的立場になっている。正宗に印籠の丸薬のことを教える。またかつて、法雲はある宴の席で勝成に斬られて、この丸薬の薬効を体験すると同時に勝成に復讐心を抱き続けるという展開。勝成の生き様とも絡めた興味深いストーリー展開となっている。宮本武蔵が登場する場面もあっておもしろい。
 この小説、残された断片的歴史事実を荒唐無稽な切り口と絡めた面白さといえる。
 
「忠直の檻」 天野純希
 この小説は松平忠直の大坂城冬・夏の両陣への関わり方とそれ以降の生き様を描く。
 松平忠直の父は、家康の次男結城秀康であり、秀康は父から疎んじられ養子として他家をたらい回しにされ、家康から冷遇されて34歳の若さで亡くなる。忠直の正室・勝子は将軍秀忠の娘であり、将軍家を笠に着て夫に対して何の遠慮もない。つまり、忠直は家康を冷血漢と眺め、正室勝子には心が休まらないという一つの心理的檻の中に居る。筆頭家老の本多富正は家康から忠直の補佐を命じられていることから、忠直に遠慮が無い。戦場での忠直の考え・行動に干渉してくるのである。ここにも忠直を制約する檻がある。
 両陣では家康の下知に従った配置により、真田丸を拠点とする真田信繁との対戦となる。筆頭家老は忠直の思いを考えることなく、家康の下知通りに忠直が自軍を動かすことを求める。この戦場で忠直が何を考え、どう行動したかが描き出されていく。
 その忠直の心に占めていたのはお蘭という女性だった。お蘭が忠直の生き様を決定づけていく。
 忠直の抱く心理的檻がどう作用するか、そこにこの小説のテーマがあるようだ。
 夏の陣において安居神社あたりで真田信繁の首級を獲ったのは忠直隊だったのだが・・・・。この小説における忠直の生き様の結末は、本人にとってはベストとは言えないが、ベターレベルで、ハッピーではないかと感じる。お蘭に相当する女性が実在したのだろうか?

「黄金児」 冲方丁
 豊臣政権の没落をもたらす大坂城冬・夏の両陣は、今までそこで活躍した武将達にフォーカスを当てる側面で小説や資料を通じて親しんできた。秀頼という名前が出て来てもそれは祭り上げられた戦の頂点、シンボル的存在程度の取り上げ方が中心だった。つまり、それ以上考えることもなかったといえる。
 この小説は、豊臣秀頼その人自身の視点に立つ。慶長5年、数えで8歳になった年の7月末、「なんと騒がしきことかな」と感じ取った秀頼の感性から書き出され、23歳で自害するまでの秀頼の生き方と考え方、行動を鮮やかに描き出していく。生まれながらに貴人としての環境で育てられた男の人生物語である。
 この小説を読み終え、著者が黄金児として描き出したホーリスティックな秀頼像と歴史が記録する秀頼に関わる断片的事実との差異がどれだけあるか、その点に逆に関心を抱き始めている。
 ここに描かれる秀頼像の記述のいくつかを引用してご紹介する。
*槍や泳ぎや馬術の師たちが、揃って唸るほどの素質を開化させている。・・・・書も詩歌も水を吸う紙のように吸収していった。・・・天性といっていい明るさと率直さが、何を修めるにしても、強い推進力となった。 p207-208
*人の世のありようを深く知れば知るほど、むしろ秀頼の意識は遙か高みへとのぼり、澄明な眼差しで何もかもをとらえてゆくのであった。  p215
*十六歳となった秀頼・・・この頃、その体躯はついに六尺五寸(190cm)に達し、・・・見上げるばかりの大兵となっていた。  p218-219
*聡明さで知られた子供は今、家康という老獪きわまる策略家の存在によって、賢明の人になろうとしていた。 家康の秀頼評「賢き人なり」 p228

「男が立たぬ」 伊東 潤
 大阪城の夏の陣において、「男が立つ」という一点の高みにこだわり、己の生き様を貫いた部将たちがいた。その武将達が己の約束を守るために、己の命を賭した。その一側面を、現在時点の前段場面→その起因となる過去のストーリー→現在時点の後段場面という構成でストーリーが展開する。
 現時点の前段は、元和二年(1616)9月、江戸湯島台にある坂崎出羽守直盛の屋敷が、徳川秀忠の命じた一千余の軍勢に囲まれる。屋敷内では、直盛と嫡男平三郎が切腹の場に臨んでいる。そして、直盛りの剣術師匠の柳生但馬守宗矩が秀忠の命で切腹の検死役として臨んでいる。
 秀忠が直盛に「例のもの」を差し出せと命じたが、直盛は拒否したのだ。拒否したのは直盛が己の「男を立てる」ためである。嫡男も逍遙と父の意志を支持し切腹を受け入れる。男を立てる原因が、大坂城・夏の陣に遡るのである。
 そこで登場するのが、福島正則の弟で、備後国・三原城代を務める福島伊予守正守である。慶長二十年(1615)正月末に正則に江戸に出向くようにとの書状を正守は受け取る。正則が家康の意を受けて、正守に託すのは千姫救出という難事。このとき徳川方の連絡窓口になるのが坂崎出羽守直盛だったのだ。
 ここから福島正守がどう「男を立てる」かの行動が始まっていく。正守から救出された千姫のバトンタッチを受けるのが直盛なのだ。そこから直盛の「男を立てる」生き様に連続していくことになる。何をすることが「男を立てる」ことになるのか? それを描き出しているところが読み応えであろう。直盛が「男を立てる」その結果、柳生宗矩が「男が立たぬ」立場を撰ぶのか、「男が立つ」生き様でバトンを引き継ぐのか、選択を迫られることになる。生き様として爽やかな余韻を残す。
 少し調べると、直盛についての史実記録として直盛事件の原因は別のところにある記述がある。著者は穿った解釈をしているのだろうか? それとも、事実結果だけを使ったフィクションの創作なのか・・・・。歴史の事実記録には意図的な事実糊塗の側面があるという想定での創作なのか? ここにも史実の読み方と想像力の広がりがある。おもしろい。

 この7人の作家の競作である短編を読み、最後にふと思ったのは、この大坂城の両陣において、影の薄い二代将軍秀忠とは、どのような人物だったのだろうかである。
 

 ご一読ありがとうございます。

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この競作集を読み、関心を抱いた事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
後陽成天皇 :ウィキペディア
鐘銘事件  :「コトバンク」
大坂の陣  :ウィキペディア
大坂城断面図のいろいろ  :「大坂城豊臣石垣公開プロジェクト」
豊臣秀吉の大坂城 中井家本丸図  :「JUNK-WORD.COM」
大坂城   :ウィキペディア
あの人の人生を知ろう~真田 幸村  :「文芸ジャンキー・パラダイス」
「真田丸はどこにあったか?」地元を調査して歩く :「玉造を応援する情報サイト」
淀屋 :ウィキペディア
商人が築いた水都 豪商・淀屋が架けた淀屋橋 :「水都祭」
堂島米市場  :「コトバンク」
豊臣国松  :ウィキペディア
中務大輔高盛   :「佐々木哲学校」
快川紹喜  :「コトバンク」
虎哉宗乙  :ウィキペディア
虎哉宗乙  :「烏有の人のブログ」
豊臣秀頼  :ウィキペディア
帝鑑図説(秀頼版) 将軍のアーカイブズ :「国立公文書館」
天秀尼  :ウィキペディア
坂崎出羽守直盛  :「大名騒動録」
坂崎直盛   :ウィキペディア
天王寺・岡山での最終決戦  :「大坂の陣絵巻~大阪の陣総合専門サイト~」

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このブログを書き始めた以降、競作作家の作品について、徒然に以下のものの読後印象記を載せています。こちらもご一読いただけるとうれしいです。

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新4版(37+1冊)2016.1.27

富樫倫太郎
 『スカーフェイス 警視庁特別捜査第三係・淵神律子』 富樫倫太郎 幻冬舎
 『早雲の軍配者』 中央公論新社
 『信玄の軍配者』 中央公論新社
 『謙信の軍配者』 中央公論新社

乾 緑郎
『鬼と三日月 山中鹿之介、参る!』   朝日新聞出版
『完全なる首長竜の日』 宝島社
『忍び秘伝』      朝日新聞出版
『忍び外伝』      朝日新聞出版

冲方 丁
 『光圀伝』 角川書店
 『はなとゆめ』   角川書店

伊東 潤
 『国を蹴った男』  講談社 

『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社
   今回の競作作家中、伊東潤・天野純希・冲方丁・葉室麟の短編作品の収録あり。


===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新4版(37+1冊) 2016.1.27

2016-01-27 11:45:59 | レビュー
拙い読後印象記ですが、お読みいただけるとうれしいかぎりです。

2015年までに読後印象記を掲載した過去リストの積み上げですので、著者作品の出版発行年月とは一致していません。
『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社
葉室 麟 の短編作品「弧狼なり」が収録されています。

『山月庵茶会記』 講談社
『蒼天見ゆ』 角川書店
『春雷 しゅんらい』 祥伝社
『影踏み鬼 新撰組篠原泰之進日録』 文藝春秋
『緋の天空』 集英社
『風花帖 かざはなじょう』 朝日新聞出版
『天の光』 徳間書店
『紫匂う』 講談社
『山桜記』 文藝春秋
『潮鳴り』 祥伝社
『実朝の首』 角川文庫
『月神』  角川春樹事務所
『さわらびの譜』 角川書店
『陽炎の門』 講談社
『おもかげ橋』 幻冬舎
『春風伝』  新潮社
『無双の花』 文藝春秋
『冬姫』 集英社
『螢草』 双葉社
『この君なくば』 朝日新聞出版
『星火瞬く』  講談社
『花や散るらん』 文藝春秋
『刀伊入寇 藤原隆家の闘い』  実業之日本社
『柚子の花咲く』   朝日新聞出版
『乾山晩愁』   角川書店、 角川文庫
『川あかり』  双葉社
『風の王国 官兵衛異聞』  講談社
『恋しぐれ』  文藝春秋
『橘花抄』   新潮社
『オランダ宿の娘』  早川書房、ハヤカワ文庫
『銀漢の賦』  文藝春秋、 文春文庫
『風渡る』   講談社、 講談社文庫
『いのちなりけり』  文藝春秋、 文春文庫
『蜩の記』  祥伝社
『散り椿』  角川書店
『霖雨』   PHP研究所
『千鳥舞う』 徳間書店

『原子力安全問題ゼミ 小出裕章最後の講演』 川野眞治・小出裕章・今中哲二 岩波書店

2016-01-20 23:35:39 | レビュー
 2015年3月、小出裕章さんが京都大学原子炉実験所を退官された。定年退職である。原子核工学を専攻し、修士課程修了後、1974年に同実験所の助手として採用され、2007年より助教となり昨年退官を迎えられた。法の改正で、助教は助手の改称に過ぎない。本書末尾の「あとがき 敗北の底から」には、こう記されている。
 「私が京都大学に雇用されてから、一度も昇進せず、最底辺の教員にとどまった」ままの定年退職である。「弾圧されたと考える人もいるが、本書でも述べたように、それは事実に反する。私は奴隷ではなく、誰からも命令を受けず、そして誰にも命令せず、ひたすら私がやりたいことだけを選んで生きてくることができた。私にとっては最高の立場であったし、非力ではあったが、私にとっての天国であった」と。

 通称「熊取六人組」と称される人々が、1980年6月に実験所外の仲間にも声をかけて始めたという勉強会が「原子力安全問題ゼミ」である。2008年に映像'08というMBS(毎日放送)のドキュメンタリー番組のシリーズで、『なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち~』が放映された。このとき「熊取六人組」の通称が世に定着したのではないかと思う。私は遅まきながら、2011年3月11日以降の福島第一原発事故発生(以下、フクシマと略す)後、原子力問題関連の本を読み継ぎ、情報を求める過程で、小出裕章という名前や「熊取六人組」のことも知った次第である。この本のタイトルが明瞭に示すとおり、小出さんが「原子力安全問題ゼミ」で2015年2月27日に行われた「最後の講演」を記録したものである。この勉強会が始まって以来、これが第111回目にあたるという。

 本書の構成は、次のようになっている。

「はじめに」 

 ”「原子力安全問題ゼミ」について”と題して、今中哲二さんがこのゼミの発祥からの経緯を簡潔に説明されている。京都大学原子炉実験所の反原発助手グループがこの「原子力安全問題ゼミ」を始めた背景には、伊方原発訴訟に関連した内輪の勉強会に端を発しているということである。
 フクシマの資料検索の一環として、インターネットで「原子力安全研究グループ」のホームページを知り、このゼミの記録のいくつかを読んではいたが、全体の経緯をこの「はじめに」で理解できた。

 第111回原子力安全問題ゼミ
「伊方原発訴訟の頃」 

 「熊取六人組」の一人で、2005年に定年をむかえ既に退職されている川野眞治さんが、「原子力をやる」という目的で1960年に大学に入って以降の京大原子炉実験所と関連させて1957~2011の期間での原発関連年表をまとめている。そして、伊方原発訴訟の経緯の要点を語る。そして、この伊方原発裁判で、「熊取六人組」が軸となりつつ指摘した「事故のあり方」について、「事故の可能性を言い尽くしていると、いまでは思っています」(p20)と断言される。そして、発生事例と対応させている。つまり、指摘事実を知っていても、原子力推進派は制御できるという過信と思い込みで、軽視し続けているということなのだ。
 川野さんは、最後に次の2点を述べて講演を終えている。
*福島第一原発の事故は、いまなお収束していません。アンダーコントロールどころではないにもかかわらず、国も東電も事故の究明について後ろ向きです。誰も責任をとらないのが一番の問題だと思うのです。  p22
*誰も起きた現実を否定することはできません。元に戻すわけにもいかない。諦めず、粘り強く、できることをやっていきたいと思います。  p23
 この発言は重い。

 「原子力廃絶までの道程(みちのり)」 

 本書の中核になる小出さんの「最後の講演」のタイトルである。p25-86の44ページに「人類初の原爆、トリニティ」の写真から「原発から250km県内に円を描くと、沖縄と道東以外、安全な場所はない」という円を描き加えた日本地図まで、全部で16枚の写真や図表などを使いつつ語っている。
 小出さんの主張は終始一貫しているので、フクシマについて3.11以降、様々なところで講演された動画がYouTubeにアップされているから、これら講演のいくつかの動画を閲覧した人は、大凡この最後の講演内容を見聞していることだろう。私が閲覧して理解する内容からそう思う。
 しかし、講演記録として文字起こしされたこの「最後の講演」はやはり小出さんの考えと思いが凝縮していると感じる。動画閲覧との違いはこの講演記録を読みながら、必要に応じ即座に記録文の関連箇所の参照をでき、マイペースで精読できることだろう。各地での講演の集大成版でそれらの圧縮されて、ここに結実したと言えるのかもしれない。
 
 この講演で述べられた観点は次の諸点だ。これに関わる事実を経験を交えながら、科学的客観的に語る口調はいつもの通り、わかりやすいものである。
・原子力に夢をかけ始め、大学も主体的に工学部原子核工学科を選んだ。しかし、学び始めて「全ては幻でしたあ。いい加減もうみんな、夢からさめなければいけないと私は思います」(p38)
・原子力発電の危険の根源は、核分裂生成物である。
・100万kWの原発1基1年間の運転で、広島原爆(800g)の100倍以上である1トンのウランが必要となる。そして、大量の放射性物質を生み出す。この放射性物質を無害に処理する科学後術は存在しない。
・日本国政府は被曝限度として年間1mmシーベルトを法律として決めたにもかかわらず、フクシマ以降、自らその法律を破っている。放射線管理区域を越える汚染が広範囲に広がってしまった。自ら法を破っている事実を日本政府は汚染地図として開示している。
・現在の科学では放射能は消せない。コトバの本来の意味である「除染」はできない、できることは「移染」である。コトバに惑わされてはならない。
・「放射能が人間の五感に感じられるほどであれば、人間は簡単に死んでしまう」p65
・原子力ムラどころか原子力マフィアともいうべき原子力推進派(電力会社、政党、経営者、政治家、学者など)は誰ひとり責任をとらない。
・「どんな機械だって、完璧に安全なんてものはないのです」p76
 今の基準は「規制基準」である。規制基準に適合したという審査結果を、「安全性が確認された」と政治の場ではすり替えて「安全だ」と言う。
・いかなる反対があっても「原子力」を推進し保持したいのは、核兵器を保有できる能力の保持という野望が潜むからなのだ。
・この状態の中でできることは子どもたちを被曝から守ることである。

 小出さんの思いは、突き詰めると未来の子どもたちに原子力の核分裂生成物、放射性物質という負の遺産を現在の我々がこれ以上押し付けないということだろう。
 
 「最後の講演」という反原発の発言記録は、記録文を縦横に往還しながら読み進め、思考を深め、いつでも眺めながら立ち止まれる良さがる。私なりの要約の裏付け、科学データなどは、本書を開けて確認いただきたい。小出さんの主張のエッセンスが凝縮されている。

[特別収録] 第110回原子力安全問題ゼミ 2011年3月18日
「もうやめよう、原子力 ほんとうに・・・・」 

 フクシマの事故が発生し、全体状況がまだ明瞭化されていず、事態が進行する最中に行われた小出さんの講演が収録されている。
 「最後の講演」の内容の主張が、フクシマが始まって以降に各地での講演で少しずつ整理されていくわけだが、その直前のものである。そのため、小出さんの考えの根元が逆によくわかる側面も含まれている。実際の講演でのデータ説明が一部間違っていたようで、この収録ではその部分が適正に修正されているそうだ。「注記」として講演時点での間違いに言及し陳謝されているのも研究者として真摯である。本書を初めて手に取る人にはわからないことなのだが・・・・。発生した事実を事実として注記する姿勢が誠実である。どこかの国のある種の政財界人・学者との違いだろう。
 この講演では、チェルノブイリ原発事故の様相と地球規模での被曝状況を事例として取り上げた後、2011年3月15日、東京・台東区で小出さん自身が「空気を掃除機のようなもので吸って、フィルターに吸着させて、そのフィルターを測って分析した」(p104)というデータをもとに、子どもの甲状腺の被曝への心配、対策としての行動に言及している。 そして、2000年度の『原子力安全白書』を引き、究極のところ「絶対的安全への願望」で原子力が推進され、過去の事故の教訓が生かされていない事実を語る。
 この講演で小出さんの重要な主張が一つ語られている。「正しい情報を伝えることが、パニックを防ぐいちばんの道だ」(p104)という考えである。一方、この講演の後のフクシマの経緯を振り返っても、過去の歴史をみても、「正しい情報」を適切に、タイムリーに伝えなかったという事実か累々と明るみにでてきている。それもほんの氷山の一角かもしれない。おぞましい・・・・。
 「こんな事態を受けて、どうしたらいいのかということを、しっかり考えるべきときが、ついにやって来てしまったのだと思います」とこの講演を結んでいる。

 2011.3.11のフクシマ以来、あと2ヶ月をきり、満5年経過へのカウントダウンが始まっている。だが、根源的には何も解決されていないまま、なし崩し的に、原発の再稼働が始まり、凝りない人々が原子力維持・推進に蠢いている。
 過酷な事故の教訓が生かされないままで、再びコトが進み始めている。
 改めて、小出さんの「最後の講演」、「熊取六人組」の主張に耳を傾けるべきではないか。原発問題を熟考するには、本書を精読することが有益である。フクシマの教訓を生かすためにも・・・・。

 ご一読ありがとうございます。

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小出さんが講演されたり発表されたもので、インターネットで見聞できる情報を検索してみた。そのいくつかを一覧にしておきたい。それらのエッセンスが本書でもあると思う。

小出裕章氏「原発と戦争を推し進める愚かな国、日本」出版記念講演会 :YouTube
2015/09/19 にライブ配信 9月19日(土)19:00開演(毎日ホール)
小出裕章さん講演会2015年10月17日 :YouTube
2015.9.13 小出裕章さん講演会「原発と憲法」@宮崎県 小林市 :YouTube
20150425 UPLAN【特別企画】小出裕章さんに聴く~被ばくと避難~  :YouTube
福島第一原発は石棺で封じ込めるしかない 小出裕章・元京都大学原子炉実験所助教が会見   :YouTube
小出裕章講演会@石垣島2015/3/21  :YouTube
トリチウムミニ講座 小出裕章氏 2014年12月13日 2014/12/16 に公開 :YouTube
小出裕章さん講演会「原子力と核 -戦後世界が戦前に変わる日-(前半)」(2014年6月18日 沖縄大学) :YouTube
小出裕章さん講演会「原子力と核 -戦後世界が戦前に変わる日-(後半)」(2014年6月18日 沖縄大学) :YouTube
小出裕章さんにきく。-「美味しんぼ」問題について。- 2014.06.12 音声 :YouTube
小出裕章さんにきく。- 水戸巌さんについて。- 2014.06.12 音声 :YouTube
2014.5.25 伊方原子力発電所周辺の汚染 小出裕章(京都大学原子炉実験所):YouTube
2014.5.24 小出裕章氏講演会&伊方とほんとうのフクシマ」写真展  :YouTube
小出裕章さん「敗北したけど、充実してた。」- 2014.04.28 音声のみ :YouTube
小出裕章講演会泉北1/3 その1 :YouTube  2014/01/05 に公開
小出裕章講演会泉北2/3 その 2  :YouTube  2014/01/05 に公開
小出裕章講演会泉北3/3 その 3 :YouTube  2014/01/05 に公開
小出裕章質疑 小出さんが何故メディアに登場しないの?   :YouTube
  2014/01/04 に公開
小出裕章講演会「今考えよう!!未来のエネルギー」(2013.5.18/福井県越前市)
   :YouTube
小出裕章講演会「未来は創れる!!今できることを」敦賀市(2013.1.13) :YouTube
小出裕章が語る「2030年代に原発ゼロのウソ」2012/10/18   :YouTube
小出裕章が語る 3号機使用済燃料プールの過酷な現実 2012/10/18 :YouTube
小出裕章が語る 原発ロボットの限界点2012/10/18    :YouTube
原発の専門家でありながら45年間反対し続けた脱原発の旗手、小出裕章講演会 - 未来にすすむあなたへ -  :YouTube   
  2012/09/03 に公開
東京の放射能汚染はチェルノブイリ時の1000倍だった  :YouTube
  2012/07/08 に公開
  京都大学原子炉実験所助教 小出裕章 参議院 行政監視委員会
第八回竜一忌 『暗闇の思想』から学ぶ 小出裕章さん講演 :YouTube
  2012/06/17 に公開
小出裕章氏講演「福島原発事故の真実」 :YouTube
 2012/03/19 に公開 2012年『バイバイ原発3.10京都』後に開催された講演
事故調査委員会での斑目委員長の質疑に対する小出さんの意見 :YouTube
  2012/02/15 にアップロード    小出さんの意見は音声のみ
  平成24年2月15日 国会・東京電力福島原子力発電所事故調査委員会
小出裕章氏講演会 at コラニー文化ホール 2012/1/8  :YouTube
小出裕章参考人の全身全霊をかけた凄まじい原発批判 :YouTube
  2011/05/24 にアップロード
  2011年5月23日(月)午後1時開催
  参議院・行政監視委員会「原発事故と行政監視システムの在り方」
1/2原発反対の理由 小出裕章助教(京大原子炉実験所)11/4/1 Web Iwakami
  2011/04/09 に公開    :YouTube
2/2原発反対の理由 小出裕章助教(京大原子炉実験所)11/4/1 Web Iwakami
  2011/04/09 に公開    :YouTube
【大切な人に伝えてください】小出裕章さん『隠される原子力』 :YouTube
  2011/03/21 にアップロード

第122回小出裕章ジャーナル :「私にとって人間的なもので無縁なものはない」
 2015-05-11 文字起こしのまとめと図表。 小出さんとの対話録 

原子力安全研究グループ  ホームページ
 第111回原子力安全問題ゼミ 2015.2.27
    原子力廃絶までの道程  プレゼンテ-ション資料 pdfファイル
 講演会レジュメ 目次一覧 以下は小出さんのレジュメ例、他にもあり。

  2011.4.29レジュメ 悲惨を極める原子力発電所事故 
  2010.1.19レジュメ 終焉に向かう原子力と温暖化問題
  2009.12.22レジュメ 原子力発電は危険、プルサーマルはさらに危険
  2009.11.29レジュメ 戦争と核=原子力
  2000.2.11レジュメ JCO事故を考える ⇒ 講演会レジュメで一番古い掲載資料

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今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『原発と隠謀 自分の頭で考えることこそ最高の危機管理』 池田整治  講談社
『ビデオは語る 福島原発 緊迫の3日間』 東京新聞原発取材班編  東京新聞
『原発利権を追う』 朝日新聞特別報道部  朝日新聞出版
原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新3版 : 48冊)

『七夕の雨闇 -毒草師-』  高田崇史  新潮社

2016-01-15 21:24:50 | レビュー
 毒草師・御名形史紋が関わる事件の謎解明プロセスには、一つのパターンがある。事件の展開につれて、読者は古代の史書、和歌集、地方の民話、伝説・伝承、歌謡・童謡など様々なものに通底していく一筋の解釈に導かれていく。この小説もまた、新たな知られざる解釈の世界へと読者を誘う作品に仕上がっている。
 様々な歴史と生活の領域に散在する断片的事実、史料、情報が、ジグソーパズルを組み上げていき最後に一枚の絵として完成させるように、誰もが知っている「七夕」をテーマに織りあげられていく。「七夕に」奥深く秘められた闇、そこに光があてられ、一筋の解釈となって織りあげられていく。見事な展開構成になっている。

 「夏の夜空を白々と飾る、天の河・数千億もの恒星に彩られた天球。・・・・・」という詩文から<プロローグ>が始まる。私たちは「七夕」「天の川」からはなぜか哀切ではあるがロマンチックなイメージを連想する。著者は、ギリシャ神話のエピソードを冒頭に語る。ゼウスが浮気をして産ませた子供に、妻・ヘラの母乳を飲ませるように妻に頼むが当然拒絶される。眠り薬でヘラを眠らせた間に、ゼウスは男の子にヘラの乳房を吸わせて母乳を飲ませる。途中で目覚めたヘラがその子を払い除けた時、こぼれた母乳が天の河(ミルキー・ウェイ)になったという。ヘラの母乳を飲んだ子が不死身のヘラクレスになる。天の河は、愛と裏切りと憎悪を呑み込んで天空にある存在なのだと。

  ささの葉さらさら のきばに揺れる
  お星さまきらきら 金銀砂子

 日本人なら誰もが一度は聞いたことのある「七夕さま」という童謡歌。この歌詞の語句を一つ一つ仔細に考察していくと、この歌詞は思い及ばぬ歴史的背景が密かに埋め込まれている暗号だったのだ。その謎がこのストーリーの副産物として解き明かされていく。

 ”「星祭」という姓を受け継ぐ私”が、織姫・彦星の二人と同じ運命を辿るという悲劇。プロローグの末尾に、こんな下りがある。
 「それこそ、いつでも触れられる場所に、愛し合っている人がいる。しかし、私たちの間にも、二人を隔てる大きな川が横たわっている。実の姉と弟という、暗く深い『血』の川が。私はそのために肉親を殺した。でも・・・・。私は天の河を見上げる」と。
 ここにこの小説のテーマが暗号として秘められている。

 ストーリーは、京都にある竹河流能宗家、竹河幸庵が自宅にある稽古場・能舞台で、稽古をする場面から始まる。京都の東山にある機姫(はたひめ)神社の能楽堂で、自らの七十の賀として『井筒』を舞う予定であり、その仕上げの稽古をしていたのだ。謡い舞う途中で眩暈に襲われ、舞台に膝からくずれおれ、手足が痙攣する。稽古場のいつもと違う物音に、不審に思った息子・敬二郎が駆けつける。幸庵は「・・・・り・・・に、毒を・・・」と言い残し、絶命したのだ。
 京都府警捜査一課警部・村田雄吉と部下の瀬口義孝巡査部長が現場に急行し、事件を担当する。そして、敬二郎は「毒を」と言い残して死んだとだけ警部らに告げる。毒殺であることは疑いないのだが、その毒が何かが解明できない状態で警察では行き詰まることになる。毒の原因究明ができないまま捜査が続く。

 幸庵は毒殺される前に、機姫神社に出かけていたという事情から機姫神社での幸庵の行動が直ちに捜査の聞き込み対象となっていく。
 機姫神社の能楽堂、能舞台の検分から村田は始め、関係者に事情聴取する。機姫神社は竹河家と親戚関係にある星祭家が代々宮司を務めている由緒ある神社だった。
 村田の聞き込み捜査では、この日の幸庵の行動過程で毒を盛られる機会があったとは思えないのだった。

 御名形史紋がどうして、この京都の毒殺事件にかかわるのか。
 それは例によって、ファーマ・メディカ社に勤め、医薬品情報誌『ファーマ・ヴュー』編集部に所属する西田真規を介してである。編集部に萬願寺響子という女性が配属されてくる。遠藤編集長より萬願寺響子への導入教育の指導を指示される。その萬願寺響子が編集部に配属となった間なしに、機姫神社と関係する竹河家の幸庵毒殺事件がニュース報道されたのである。遠藤編集長から西田が過去取材旅行先で毒殺事件を含む危ない事件に関わり、事件を解決していることを響子は知る。
 そこで、親しい友人に絡んで、京都で事件が起こってしまっていて、その相談に乗って欲しいと響子は西田に頼み込む。御名形と関わりを避けたい西田なのだが、美人の響子に頼み込まれると断れない。御名形の助手を務める神凪百合に惹かれる気持ちもあり、御名形史紋に連絡を取ってみると約束をする。
 神凪百合を介して、御名形と連絡が取れた西田は、御名形が既にニュースでこの事件を知っていて、この事件に関心を示していることに驚くのだった。御名形史紋が関心を寄せたのは、毒殺された幸庵は、御名形の専門領域では、毒に対する耐性をもった解毒斎の一人として有名だったからだという。解毒斎である幸庵が毒殺されたというのだから、御名形の関心が募らないはずがない。
 御名形は、西田に「七夕」関係の資料を調査収集しておくことを指示し、響子に会うことを約束する。
 早速、西田は響子と、退社後図書館に立ち寄り、七夕に関する情報収集から始めて行く。

 毒草師シリーズの定石パターンであるが、基礎情報の収集から事態が進展する。そして、事件が発生した現地への移動過程、新幹線の車中で、収集された情報の開示と意見交換による基礎情報の整理、つまり事件解明への下準備段階場面が展開していく。
 事件現場につき、御名形史紋と神凪百合が現場を見て、関係者と面談する過程で、御名形史紋の思考がフォーカスされていく。関係者とのやりとり、情報収集から、核心に迫っていく分析が速やかになされ、論理的説明が御名形史紋から滔々となされていくことになる。

 御名形史紋らが、京都に到着するまでに、事件はさらにエスカレートしていた。響子の友人である星祭文香の弟・雄輝が頭を殴打され、能楽堂の隣にある祓戸大神(はらえどのおおかみ)を祀る摂社の傍で倒れているのを、早朝の境内掃除をしていた社務員の老人墨之江定男が発見する。まずこの事件が発生した。
 さらに幸庵の息子の敬二郎も、金曜日に密室状態に思える室内で毒殺されて発見される。その現場の第一発見者は、幸庵の弟子と星祭家の逸彦だった。その星祭逸彦自身が今度は、星祭家の広い庭にある納屋の火事で焼死するのだ。だが、遺体を解剖した結果は、直接の死因は出所不明の毒なのだった。

 この小説の背景は、やはり奥が深い。「七夕」に関わる日本の歴史的視点、民俗学的視点、文学的視点、演劇的視点などが縦横に織り込まれ一つの解釈に収斂していくのである。その解釈の延長線上に、このどんどんエスカレートする毒殺事件の鍵が潜み、真因があったのだ。

 覚書を兼ねて、どんな背景情報が整理統合された解釈に収斂していくか、その資史料的情報を列挙しておこう。
 天の河および織女・織姫と牽牛・彦星の悲恋物語。童謡「七夕さま」
 能の演目『井筒』、  歌舞伎『妹背山婦女庭訓』三段目「吉野川」
 乞巧奠(きっこうてん):『荊楚歳時記』に見える祭(⇒京都・冷泉家のものが有名)
 大伴家持の歌 「鵲の渡せる橋に置く霜のしろきを見れば夜ぞ更けにける」
 張継(8世紀の唐の詩人)の漢詩『楓橋夜泊』(ふうきょうやはく)
 清少納言『枕草子』にある「七月七日は、・・・・」の記述
 七夕行事:年中行事の星祭、貴船神社の神事、秋田の『竿灯』、津軽の『ねぶた』
  『七夕人形』、『七夕舟』、『眠り流し』など。
 「棚機津女」(たなばたつめ)の信仰、竹にまつわる禁忌、笹の使われ方
 『延喜式』の祝詞『六月晦大祓』(みなずきのつごもりのおおはらえ)
 『万葉集』に収録されている「山上臣憶良が七夕歌十二首」
   山上憶良がこんな歌を詠んでいるとは知らなかったのだが、たとえば:
    天の川相向きたちてわが恋ひし君来ますなり紐解き設けな
    ひさかたの天の川瀬に船浮けて今夜か君が我許きまさむ
    風雲は二つの岸に通へどもわが遠妻の言そ通はぬ
    礫にも投げ越しつべき天の川隔てればかもあまた術無き
    天の川いと川波は立たねども伺候ひ難し近きこの瀬を   などとつづく。
 『古今和歌集』にも、七夕関連の歌があるようだ。
    天のかわ浅瀬しらなみたどりつつ渡りはてねば明けぞしにける 紀友則 177
    契りけむ心ぞつらきたなばたの年にひとたび逢ふは逢ふかは  藤原興風 178
    年ごとに逢ふとはすれどたなばたの寝る夜の数ぞ少なかりける 凡河内躬恒 179
さらには、『日本書紀』垂仁天皇七年の七月七日の条及び「神代上 第六段」、『古事記』までに言及されていく。

 そして、これらが、「七夕」のキーワードのもとに、一つの構図として描き出されていくのである。さらにその根本的な次元で、機姫神社にまつわり発生した連続毒殺事件の原因に連環していく。実に興味深い展開となる。殺人事件は謎解きとして楽しめるが、一方で、謎解きを外れて、この背景情報を織りなして行く一貫した解釈にも魅せられるところがある。この観点でも一つの読み応えがある作品になっている。学問的研究の立場からは述べることのできない領域・次元かもしれないが、諸文献・諸情報・諸行事などを渉猟して織りなされていく解釈の構図には惹きつけられる。
 やはり、ここに高田崇史ワールドがある。またひとつ、歴史解釈の領域が確立された。

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この作品に出てくる事項に関連して、関心事を検索してみた。一覧にしておきたい。
七夕の歴史・由来 :「京都自主神社」
乞巧奠  :「コトバンク」
平安の七夕 乞巧奠飾り  :「大宮八幡宮」
七夕(たなばた) 七日  :「風俗博物館」
乞巧奠(きこうでん) :「源氏物語」
乞巧奠(きっこうでん)   :YouTube
七夕笹飾りライトアップ  :「貴船神社」
ねぶた  :ウィキペディア
ねぶた  :「語源由来辞典」
青森ねぶた祭 オフィシャルサイト
ねぷたとねぶたの違い   :「浜団ねぷた愛好会」
秋田竿燈まつり  ホームページ
七夕の起源、「棚機津女」と「牽牛織女」(六)
  :「日本の神話と古代史と文化<<スサノオの日本学>>「[郡山]」
七夕伝承雑記  :「歴史と民俗の森の中で」

機物神社 ホームページ
16.機物神社(はたものじんじゃ) :「星のまち交野」
牽牛神社 「宗像大社 中津宮」 :「JA6DWQ Home Page」
宗像大社 ホームページ
老松宮(牽牛社)  :「おごおり歳時記」
七夕神社(小郡市) :「事業所職員だより」
足利織姫神社 ホームページ

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徒然に読んできた作品で、このブログを書き始めた以降に、シリーズ作品の特定の巻を含め、印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『鬼神伝 [龍の巻] 』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 三輪の山祇』 講談社NOVELS
『鬼神伝』 講談社NOVELS
『毒草師 パンドラの鳥籠』 朝日新聞出版
『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS


『帰郷 刑事・鳴沢了』  堂場瞬一  中公文庫

2016-01-11 09:57:36 | レビュー
 元新潟県警の刑事だった鳴沢了が、この第5作目で新潟県に戻る。了の父親が死んだ。1週間の忌引休暇を取って故郷に戻ったのだ。事後処理をするために実家を点検している鳴沢の前に、二人の人物が訪ねてくる。一人は「鷹取正明」と名乗る。もう一人は新潟県警の元刑事の緑川聡だった。
 鷹取と名乗った不審な男は、15年前の殺人事件について話があるという。了の父親の葬式の日、つまり昨日、自分の父親が殺された事件が時効になったというのである。15年と1日前の冬の夕方、地元の私立大の助教授だった鷹取洋通(ひろみち)が、新潟市内の自宅で殺された。通報者は被害者の友人、羽鳥美智雄である。了は正明の話を聞きながら、新潟県警の刑事だったときに読んだ未解決事件の記憶が甦る。それは了の父親も捜査担当者として名を連ねていた事件だったのだ。父親にとり唯一の未解決事件だった。当時子供だった鷹取正明は、発見者の羽鳥が犯人だと確信していると言う。正明は了に何とかしてくれと依頼にきたのだ。
 了は警視庁の人間で、新潟の事件にはタッチする資格がないと答える。正明は時効が成立しているのだから、関係はない。了の父親が関わり、未解決で終わったのだから、息子の了が調べると父親の供養にもなるのではないかと反論し、調べて欲しいと言う。
 他の県警の未解決事件に首を突っ込むことは、警察官としては礼を欠く行為となる。だが、了は引き受ける。「私は、自分が父に挑戦しようとしているのだということを強く意識していた--そう、父が滑らせてしまった事件を私が解決できれば、長年の確執に終止符を打てるのではないかと思った」(p22)のだ。

 このストーリーは、父が捜査し未解決となった事件を、今は警視庁の刑事である鳴沢了が、新潟県で一私人として調べ直すというものだ。

 了の父は死に臨み、自宅のほとんどの物はきれいに処分していた。そして一方で、ガレージにはほとんど新車と言っていいレガシィのセダンが残されていた。車検証は了の名義になっていた。了は父が残していったこの車を使い、未解決事件を調べ始める。
 新潟県警に保管されるこの未解決事件のファイルには、了は一切アクセスできない。県警とはまったく無関係に、一私人として行動を始める。しかしやることは刑事の行為と同じである。私人であるという制約が15年前という古い時期の制約に相乗効果を及ぼし、障害が増大するだけである。
 羽島は鷹取と同じ大学の助教授だったが、事件の半年後に生活を一変させ、自宅で「NPO法人 アースセーブ新潟」を立ち上げ、環境保護団体の活動に入っていたのだ。鳴沢了は羽島の自宅を訪問し、本人から聞き取りをする行動から始めて行く。

 このストーリー展開の興味深いところは、次の諸点にあるように思う。
*了が私人として時効となった事件の解明に臨む。それが警察官としての礼を逸することを承知の上で試みるということ。
*この案件で、了に相棒はいない。元刑事の緑川はかつての父の部下として、唯一当時の状況を記憶から引き出してくれる情報源となり得るだけであること。新潟県警に保管される未解決事件のデータファイルへのアクセスは不可。了の記憶がたよりであること。
*15年の歳月が、当時の現場の状況を変容させているか、人々の記憶に事件がどこまで留まっているかなど、予測がつかない中で取りかかるということ。
*被害者の子である正明が犯人は羽島だと言う。その羽島本人に最初に面談し、事件に絡む内容を聞き取り捜査するという特異なケースだということ。
*羽島との会話の中から、何らかの手がかりをえられるかどうかが、その後の捜査の有り様を決めることになること。
*了が聞き込み捜査の糸口をどのように発見して、論理的に思考し、過去の事実を確認していくのかというプロセスを読者として一緒に追う事になること。
*父が捜査過程で見落としていたことがあるのかどうか? 了の捜査は結果的に、父への挑戦となっていることである。
 実家には父が書き残した日記のノートが残されていた。父はノートにこの事件のことも几帳面に書き綴っていたのだ。了にとって、このノートを読むことが、捜査中の父の思考と心理を追体験することにもなっていく。この設定が興味深い。

 羽島との直接の面談から始まった聞き込み捜査の第一日は、成果もなく羽島への不信感が残る形で終わろうとする。「これで終わりにはできないよな」と気づかぬつぶやきが出る。そんな折、偶然に小・中学校時代の友人の中尾に遭遇し、相手から声を掛けられたのだ。中尾は市役所に勤務している。中尾は当時の事件を記憶していた。そして、鷹取が教えていた大学を出ていて、大学の校友会の幹事をやっているという。近所の人間としては、犯人が捕まらないのは不気味だと言う。そして、大学の名簿に関連し、名前や住所などでの最小限の協力をしてくれることになる。ここで了にとって聞き込みをつづける糸口ができることになる。一方で、中学の同級生で、了と同様刑事になり、新潟県警に勤めている安藤が了の前に現れてくるのだ。中尾によれば、安藤は2年前まで交通整理をやっていて、それから刑事になったという。刑事になって人が変わったようだとも。
 中尾から入手できた名簿により、了にとっては思わぬ聞き込み捜査の範囲が広がることで、少しずつ糸口が手繰られて、了の事件に対する思考が論理的に深まっていく。安藤がどのような対応に出てくるかは不明ながら、了は己の捜査活動を広げて行く。
 了の捜査活動が進展し、元刑事の緑川との意見交換で、少しずつ15年前の背景情報の再構築ができていく、そして事件の全体の構図が浮かび上がっていくことになる。なかなかおもしろい筋立てである。

 不可解なままで未解決状態となり、人々の心の奥底に沈み込んでいた記憶を、了は甦らせ、関係者の間に渦を巻き起こしていく結果になる。安藤との考えの対立を際立たせながら、一方で新潟県警時代の同僚だった大西が了に助力してくれる局面も登場する。
 了は羽島の周辺の関係者に対する聞き取り捜査を積み重ねる一方で、正明の過去についても、その経緯を明らかにしていく。それにより、全体の構図を了は理解していくことになる。

 聞き込み捜査のプロセスで、「あなたがいろいろ掻き回さなければ、我々も静かにやっていけた。」「真実が明らかになっても、誰かが幸せになるわけじゃないでしょう」という台詞で語りかける相手に、了は心中で次の思いをいだく。
「真実は、生きている人のためだけにあるわけではないからだ。死んだ人間の霊魂がこの世を彷徨い、誰かが真相を明らかにするのを待っているなどと思っているわけではないが、鷹取の無念を晴らさないわけにはいかない。死者にも名誉はあるのだ」(p168)と。

 だが、了の捜査の結末は、思わぬ方向に急激に展開していく。この作品もまたなかなか巧妙な構成になっている。最後の段階まで、予測のつかない部分を残す。

 父親が捜査して解決できなかった事件の謎解きを了はやり終えた。それで了が得たものは何か。了は遂に父へのわだかまりが消滅したのだ。「初めて、父と冷たい関係を続けてしまったことを悔やんだ。もっと話して父の経験を吸収していれば、私は今よりも分厚い刑事になれたはずである」(p359)と。そして、父が日記を書き綴るために使っていた万年筆を東京に持ち帰り、修理してその輝きを取り戻そうと思うのだ。
「いつの日か、私がこの万年筆を使って自分の足跡を書き記す日が来るかも知れない。そして、それに目を通すのは勇樹であって欲しいと願った。」これが末尾の文である。鳴沢了の生き様において、一つの峠を越えたいい瞬間で終わり、ほっとする。

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『孤狼 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『熱欲 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『破弾 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『雪虫 刑事・鳴沢了』  中公文庫

『抗争 巨大銀行が溶融した日』  江上 剛  朝日新聞出版

2016-01-09 00:40:40 | レビュー
 バブル経済の崩壊と世界のグローバリズムの過程で、政策的に巨大銀行が創出された。バブルの崩壊は巨額の不良債権を抱えた銀行を数多く発生させ、金融再編成の推進で銀行等の統廃合が繰り返され、結果的に巨大銀行(メガバンク)が誕生した。そして、現在の日本は現象面ではメガバンクが金融経済界のメイン・プレーヤーになっている。つまり、三菱UFJ、みずほ、三井住友という3大フィナンシャル・グループ体制である。巨大銀行としては、三菱東京UFJ銀行、みずほ銀行、三井住友銀行、りそな銀行の4つだ。それぞれは、様々な銀行が統合された結果である。外観はスマートな内部統制の取れたメガバンクに見える。はたして内部統制は一つの銀行としてガバナンスが効いているのだろうか。この小説はメガバンクの隠れた側面を見せつける興味深さに溢れている。

 この小説は、風土の異なる銀行が統合されてできた巨大銀行が理念としてのワンバンクになりきれない段階で組織的に崩壊、メルトダウンする局面を鋭く描き出している。異質な風土の銀行が統合されて巨大銀行になったが、そこに含まれる脆弱性をフィクションの形で摘出している。脆弱性がどこにあるか、それがどのように作用するかを描き出す。この小説に登場するメガバンク・ミズナミ銀行は、現実に存在する巨大銀行がかつての各銀行の風土、人間関係、バブル期の負の遺産を継承する状態をある意味で活写しているのではないか。現実の巨大銀行を写し出す鏡でもあり、現状の巨大銀行の内部に潜む脆弱性に対するリスクマネジメントへの警鐘かもしれない。

 ミズナミ銀行は3つの銀行が政府の金融政策を背景に統合された巨大銀行である。2000年9月に、大洋産業銀行、扶桑銀行、日本興産銀行の3銀行が持ち株会社を設立し、その傘下で経営統合する形態でフィナンシャルグループとなった。グループの傘下で、中小企業、個人などの取引を担うミズナミ銀行と大企業取引を担うミズナミコーポレート銀行に経営統合・再編成された。そのミズナミ銀行が舞台となる。新たなミズナミ銀行には、旧大洋産業、旧扶桑、旧日本興産の銀行出身者が共存して組織編成に組み込まれている。

 このそれぞれの旧銀行は問題を抱えていたのだ。大洋産業銀行は、大洋銀行と産業銀行がまず合併してできた銀行であり、合併当初からいがみあいと牽制が内在した。そして、総会屋事件という未曾有の大スキャンダルを引き起こしていて、取締役ら11人が逮捕され、相談役1人が自殺したことで経営が混乱したという背景を持つ。扶桑銀行は、バブル期のスキャンダルめいた融資の処理が不十分で経営の内実はひどい状態だった。そこに取引上で親密な大手の川一証券が飛ばしの発覚で経営破綻に追い込まれ、扶桑に支援を求めた。扶桑銀行がその救済拒否をした結果、扶桑銀行の経営悪化説が炎上する形になった。大胆な経営再建を迫られるに至っていた。また日本興産銀行は、バブル期に、暴力団が背景にいると噂のあった大阪の料亭の女将に対し巨額の融資をし、不良債権を発生させて信用を失墜させていたのである、その一方、産業金融の雄として、一般金融の銀行とは一線を画したエリート意識が強い銀行だった。
 こんな内実問題だらけの3銀行が合併統合するのだが、見かけは最強の金融機関が誕生したかのように世間には見えたのだ。
 この設定って、かつて実在した銀行で実際に発生している事例があり、実にリアルではないか。

 このミズナミ銀行で、2011年3月、東日本大震災の義捐金振り込みの集中が原因でシステム障害が発生する。そして全店のATMが稼働しなくなるという事態を起こすところから、ストーリーが始まる。この類似状況もどこかの巨大銀行で現実に発生している!
 ミズナミ銀行にとっては、2002年4月に、ミズナミフィナンシャルグループが正式に発足した際に、システムが正常に稼働せず、ATMが使用不能となる事態を起こしていたので、二度目のシステムトラブル問題となった。
 この結果、旧扶桑銀行出身の八神圭太郎頭取は、システム障害の復旧解決の先頭に立って尽力していたのだが、経営責任を取るという形で退任させられる。頭取は旧日本興産銀行出身の藤沼力が就任する。藤沼は事態の早期幕引きを金融庁にも根回ししていたのだ。八神は一人責任を取らされ、藤沼の野望が実現し、旧日本興産系がミズナミ銀行を牛耳る形となることに怒りを抱く。そして、旧扶桑系による頭取職の奪回、つまり旧扶桑銀行の優位性を再び築くことを願望する。己がいわば院政を行いたいがためである。そこで外からの画策を考える。
 システム障害の大本は、旧大洋産業銀行のシステムを継承したことに由来するのだが、旧大洋産業銀行出身の大塚正雄はミズナミコーポレート銀行頭取職として生き残る。その大塚は藤沼の意向でミズナミ銀行の会長に祭り上げられて、藤沼が頭取として君臨し、ワンバンク化を目指すシナリオを推進しようとし始める。
 つまり、この小説は建前としては巨大銀行に統合されたものの、銀行組織としては歴史・風土の違う旧銀行の派閥における人事バランスからの脱却が困難なこと、そして派閥が消滅しないままで組織運営が行われていること、逆に派閥の強弱を眺め、大樹にすがろうとする輩も居ること、などの内情を描き出す。組織が大きくなると、その中に派閥が生じるという人間の性なのか。この側面は実にリアルで鮮やかな筆致である。銀行員だった著者が銀行の内部から眺めた視点がストーリーに生きているように思う。
 これは現状の日本の巨大銀行にもあてはまることではないだろうか。見た目のスマートさの背景に・・・・。

 この小説では、ミズナミ銀行の溶融へと導くトリガーが2つ併行して発生してくる。
 一つは、2013年6月26日の早朝に高井戸の自宅マンションを出て、駅まで5分の徒歩での出勤途上だった北沢敏樹が待ち伏せていた何者かにより殺害され死亡する。北沢はミズナミ銀行のコンブライアンス統括部次長であり、反社会的勢力認定やパシフィコ・クレジットとの交渉を担当していた。パシフィコ・クレジットは消費者ローンを取り扱っている。ミズナミ銀行から資金提供を受け、消費者に対する与信判断、債権管理、信用保証まですべて行っている消費者金融会社である。そのため、ミズナミ銀行は金だけを出す丸投げの債権者になっている。その残高が8000億円近くに膨らんでいるのだった。その中には、暴力団に関係する消費者ローンが含まれている可能性があるという。それは現在では法律違反に繋がる問題なのだ。殺人事件として、警視庁捜査1課が捜査活動を始める。犯行はプロの手口に見える。北沢が被害に遭う背景にどんな闇がひそむのか。
 もう一つは、ミズナミ銀行の本店の応接室を利用して、審査第一部審査役の織田健一が大手機械メーカー会長の未亡人に持ちかけた投資案件である。特別なスキームの短期的な投資案件として形式を整えた儲け話をもちかけて、その投資金を詐取しようとする。その案件には、柳井邦夫という暴力団の元企業舎弟が関わっているのだった。メガバンクの銀行員が、統合後の銀行内での昇進に対して、不満を抱いている。そこには旧大洋産業銀行時代に携わっていた業務での行動の結果としてのうわさが尾を引いていると上司から仄めかされたのである。そこで、再び柳井から持ちかけられたスキームの疑装投資案件で、銀行の信用を背景に、億単位の詐欺行為を謀ろうとする。

 ストーリーは、派閥の確執とこれら2つのトリガーに様々な濃淡で関わる人間模様を織りなして行く。ストーリーはミズナミ銀行のコンプライアンス問題という観点が中心となって展開する。コンプライアンス統括部総括次長・橋沼康平がストーリーの軸となっていく。その協力者として警視庁組織犯罪対策第四課所属の齋藤弘一刑事が登場する。このストーリーにでてくるような日常行動をとる刑事が現実にいるのだろうか? これも関心を抱かせる点だ。組織犯罪対策畑の刑事が暴力団とかなり懇意になっているストーリーは警察もの小説では頻繁に登場する。こちらは銀行内部とかなり深いつながりを持ち、懇意になっている形で描かれて行く。こちらの懇意さがあっても不思議ではないのかもしれない。橋沼康平の上司は、倉品実常務であり、彼がコンプライアンス統括部部長を兼務している。倉品と橋沼は旧大洋産業銀行出身である。倉品は派閥権力の動きに敏感な世渡り上手な人物として行動している。倉品が部下になる殺された北沢に対する態度や織田に関する橋沼からの報告に対する倉品の姿勢に、橋沼は違和感を抱き始める。

 部下である北沢が殺害されたことを契機に、北沢が担当していたパシフィコ・クレジット絡みの真相解明を目指そうとする。齋藤は橋沼の協力者となる。パシフィコ・クレジットの利用者の中に暴力団が含まれているならば、それは齋藤の関わる仕事でもある。
 北沢の葬儀の式場で、橋沼は銀座のバーに勤めているという榊原朋子から、バーのマダムに織田が持ち込んだ投資案件のことを北沢に話したことを告げられる。朋子は北沢と婚約していたのだった。それ自体を橋沼は初めて耳にするのだが・・・・。

 メガバンク内の熾烈な派閥抗争が基盤となり、北沢の被害により浮かび上がったパシフィコ・クレジットの暴力団への融資問題、銀行を舞台に行われる詐欺行為、権力闘争の人間模様、抗争に勝ち抜くための権謀術数と情報リークなどが交錯しながら、どろどろとした絵模様が織りあげられていく。
 事実は小説より奇なりとも言われる。現存のメガバンクの内部奥深くには、もっとどろどろとしたものが存在するのかもしれない。

 ストーリーは銀行の組織、人間模様と派閥抗争の実態についてある局面を活写し、また銀行のコンプライアンス問題に光を当てている。過去をご破算にしてメグバンクが誕生した訳ではない。過去を継承しながら、そこに潜む問題事象の解消をめざしてメガバンク化したのだ。まだまだ密かに膿みとなる原因、メルトダウンにつながる要因が内在すると、著者は暗に語っているのか。小説として意外な人間関係の結末が描かれていく点もおもしろいところである。
 もう一つ、金融庁の金融検査、検査官が登場する。この金融検査官の思考と立ち位置が描き込まれている点も興味深いところである。官僚センスに溢れている。ここにも実態の一端が活写されているといえるのではないか。

 このストーリー、最後は藤沼頭取の記者会見の場面でエンディングとなる。この場面がおもしろい。ご一読いただくと楽しめるだろう。
 北沢を殺した真犯人はだれだたのか・・・・それは語られずに、小説は結末となる。
 この小説、第二部が構想されるとおっもしろいのではないか。タイトルの「抗争」がここで集結した訳ではないのだから。
 
 ご一読ありがとうございます。

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この作品の背景にある現実の状況をふりかえるために、背景事項をいくつか検索してみた。温故知新でもある。一覧にしておきたい。
メガバンク  :ウィキペディア
最近の銀行の合併を知るには :「全国銀行協会」
銀行合併の歴史  :「Misc」
みずほフィナンシャルグループ大規模システム障害 :「失敗知識データベース」
みずほ銀行が大規模障害を繰り返す本当の理由  :「IT pro by 日経コンピュータ」
みずほ銀行  :ウィキペディア
みずほ銀、“鬼門の”システム統合でなぜ再び遅延?旧3行意識、ベンダ共同発注も仇に
    2014.04.26  :「Business Journal
2014年金融機関の不祥事一覧・まとめ[金融ニュース]  :「NAVERまとめ」
三菱UFJ銀マルチ勧誘・巨額損失事件、被害女性が告訴へ 銀行側は謝罪するも責任認めず       2013.10.14  :「Business Journal」
三菱東京UFJ銀行 横領詐欺の不祥事   :「粉飾決算 脱税と倒産」
日立と三菱UFJ銀の偽装請負 国会質問 大門みきし氏
三井住友銀行員が語る「エリート銀行員のトンデモ実態と”癖”」:「buisiness Journal]
2009年に郵政不祥事がなぜ発覚したのか?  山本正樹氏
三井住友銀行ATMでシステム障害トラブル  :「ニュース速報Japan」
行政処分事例集  :「金融庁」
  全金融機関に対する個別の行政処分が事例としてEXCELファイルの一覧に!
【不祥事】りそな銀行行員、顧客の金使い果たして自殺:「気ままに備忘録and TIPS」
住友銀行  :ウィキペディア
損失補填 :ウィキペディア
野村證券出身者はなぜ悪事を働くのか (日刊ゲンダイ2012/3/26) 
  :「日々坦々」資料ブログ
山一證券  :ウィキペディア
三菱東京UFJ銀行 減るポスト、遅れる昇進、拡がる格差
    2009.12.27 :「My News Japan」
りそな銀、「自分に終止符を打った」行員たち ボーナス14万でも辞めない訳
    2008.1.7  :「My News Japan」
りそなは銀行再編の「台風の目」!? 公的資金完済へ 高まる経営自由度
    2014.8.31  :「産経ニュース」

主要行等監督上の評価項目  :「金融庁」

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著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『狂信者』  幻冬舎


『東京ブラックアウト』  若杉 冽  講談社

2016-01-06 10:02:30 | レビュー
 タイトルにある「ブラックアウト」(blackout)を手許の『リーダーズ英和辞典』(研究社)で引くと、「1.(完全)消灯、灯火官制、停電、[劇]舞台暗転、暗転で終わる小喜劇。2.黒くらみ、暗黒視症(急降下などの際に操縦士が陥る一時的視覚[意識]喪失、(一般に)一時的視覚[意識、記憶]喪失。3.抹殺、削除、(戦時などの)ニュースの公表禁止、報道管制、(ストライキ・検閲などによる)放送中止、(スポーツ行事などの入場者確保のための)テレビ中継停止、<法律などの>(一時的)機能停止、ブラックアウト(宇宙船が大気圏に突入するとき、地上との通信が一時的にとだえること)」と説明されている。

 つまり、この小説の結論がタイトルに明示されているのだ。東京が完全消灯の状態、停電に遭遇するという事態の想定、近未来小説と言える。なぜ、そうなるのか? その直接原因はフクシマとは別の原因により引き起こされた第二のフクシマの再来による。新崎原発でメルトダウンが発生し、東京が大停電になる。華やかな東京という舞台が、暗転して終わる蒼然とさせる結末の到来である。そのプロセスの悲喜劇が描き出される。この近未来小説は決して「想定外」ではない。そこで何が起こるか、フクシマで既に発生している局面を踏まえてかなり緻密に事実情報やデータを外挿して描き出されたシナリオである。リアル感に溢れている。
 この小説、第二次世界大戦前の日本のセンスで推測すると、戦前なら出版直後にブラックアウト(出版中止、抹殺)されていたと「想定」できる類いのもの。政府官僚・政界・電気業界の内部状況告発本といえる。現象・状況認識などの外形的美辞麗句に騙されるなという警鐘本とも言えるのだから。
 法律の制定目的に対して、条文の規定の運用解釈という観点からシュミレーションすると、真の法律のねらいがブラックアウト(機能停止)することがかなり「想定」される可能性も描き込まれている。それは法律が経済界を背景にして、省庁間の綱引きによるいわゆる”霞が関文法”で条文化され規定されたものだからである。制定された法律は、究極のところ抜け道が必ず組み込まれていて、運用面で無責任体制の状態にあるものという側面を、原子力絡みの法律に関連してアイロニカルに緻密にそのプロセスが書き込まれていることから窺える。
 著者は現役キャリア官僚だという。霞が関の内部から現場省庁を眺めていないと見えないと思える局面をこの小説に書き込んでいると思われる部分がいろいろありそうだ。ある種の内部告発的側面を、フィクションという形で問題提起しているようにも思える作品である。トップクラスの官僚や政治家の多くは、決して国民のことを主眼に考えて奉仕する「公僕」ではない。己の利欲と栄達の観点から、建前として国民を口にしているにすぎない。そこにあるのは、自己保身である。我欲が組織を動かしている。そんな醒めた辛辣な視点で、官僚・政治家群を描き出しているように感じる。
 勿論、これは官僚・政治家だけでなく、産業界のトップ群像にも通底することは、昨今の報道の事実をみれば、同じ穴の狢ということになるのだが。

 「想定外」というコトバが濫発されたフクシマ問題の発生とその後の経緯、現状を顧みるにあたっても、またフクシマの再来がこの近未来小説のように起こらないためにも、この小説は一読の価値がある。

 中表紙の後に、著者はリヒャルト・フォン・ワイツゼッカーの一文「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目となる」を引用する。
 この引用文がこの小説の構成ではうまく生かされている。
 つまり、1988年9月2日の北海道新聞・朝刊五面の記事を最も古いものとして、2011年と2014年に毎日・日本経済・朝日・読売・スポーツ報知・西日本・福島民報の各新聞報道記事やAFPBB NEWS、週刊現代の記事および原子力規制委員会委員退任記者会見(抜粋)を適宜各章の冒頭に引用提示して、近未来のストーリーが展開するという形になっている。つまり、各報道記事の事実が詠み込まれ、分析され、その連想が近未来に外挿されていくことで、大参事が起こりうるシミュレーションがなされているのだ。
 著者は荒唐無稽な絵空事を想定しているのではない。かなりの確度で起こりうる状況をフクシマで生じた事実と重ね併せた上で、想像を展開している。ペシミスティックなシナリオであるが、相当にリアル感のあるストーリーである。

 本書は、東京ブラックアウトの起こえる原因をフクシマとは別の要因を想定していることの意味、そして、フクシマの再来がなぜリアル感を抱かせるものとして想定できるのかを描き込んでいるそのプロセスの意味を考えるところに意義があると思う。結論は最初からタイトルに出ているのだから。著者は「過去に目を閉ざす」こと、既に起こったことはしかたないと安易に「水に流す」感覚に陥り、「温故知新」しないことの怖さをここに提示している。
 「現在に対しても盲目となる」事実の一端は、既に立証されているのではないか。なぜなら、フクシマの真実の復興が完了せず、フクシマ問題の分析解明が曖昧な状態で終焉したかに見える、見せているのが現実なのだから。一方、「対策」の信頼性が不明瞭な中で、原発再稼働がスタートしているのだから。私たちが「盲目」になっていないか、という点に警鐘を鳴らす書ともいえる。

 本書の章立てをご紹介しておこう。
 プロローグ  
 第1章 避難計画の罠  
 第2章 洗脳作業  
 第3章 電力迎賓館
 第4章 発送電分離の罠  
 第5章 天皇と首相夫人と原発と
 第6章 再稼働に隠された裏取引
 第7章 メルトダウン再び
 第8章 50人の決死隊
 第9章 黒い雪
 第10章 政治家と官僚のエクソダス
 第11章 無法平野
 第12章 裏切りの国政選挙
 終 章 東京ブラックアウト

 第1章~第6章では、フクシマの後の現在~近未来時点における原発再稼働へのプロセスが描かれる。そこにあるのは、関連省庁の動きと霞が関文法による法律の取扱いであり、中央官庁と地方自治との関係である。
 プロローグは、第7章にリンクしていく。第7章~終章は新崎原発がメルトダウンして、放射性物質が放出された結果、放射性プルームが東京に蔓延するプロセスと大停電の発生までがシュミレーションされていく。その中で、トップ官僚、政治家がどう対処するのか。この近未来小説でも、やはり的確適切な情報を知らされず「黒い雪」の犠牲になるのは一般国民ということになる。そして政治家と官僚は、もっともらしい建前でまず「エクソダス」(脱出)を合理化正当化する。そして、・・・・。実にリアルである。

 プロローグで、経済産業省資源エネルギー疔次長日村直史が危機再来の直前にとる私的行為にも関わらず、「日村は経済産業事務次官を経て、近畿電力の代表取締役副社長に天下っていた」という将来が描かれる。
 この小説の結末は、次のとおりである。
 「二度の原発事故を起こしても原発推進は止まらない。それが『電力モンスター・システム』の復元力だった。」

 近松門左衛門は演劇について虚実皮膜の論を語ったという。小説はフィクションだが、大抵の小説の創造には、なにがしかモデルになる人物がいる。社会経済小説の分野もそうである。この近未来が現実的であるほど、その背景にはモデルとなる人物や組織の実が取り入れられ、それがデフォルメされて虚に変容され、虚と実のあわいでフィクション化される。つまり、虚から実に戻り、モデルとなる対象の人や組織に還元していき、検分する「実」と思える部分に立ち戻って、「現実」を再考するというのも、実態を見きわめていく基いなると思う。この小説を読んだ後、モデルを現実に引き戻しつつ原発問題を考えるのも必要な気がしている。
 「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目となる」 厳しい箴言だ。


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本書に関連して、気になる事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
原発事故直後、政府が作成した「公表されなかった最悪のシナリオ」
  :「みんな楽しくHappyがいい」
福島第一原子力発電所の付則事態シナリオの素描  
   平成23年3月25日 近藤駿介氏
福島原発事故の“核心”を見つめ直す・5/首都圏5000万人退避の切迫  高野孟氏
福島原発事故は今も謎だらけ!“東日本壊滅“が避けられたのもただの偶然だった...
  田部祥太氏  :「livedoor'NEWS」
原発事故避難シミュレーションに問題あり  上岡直見氏に聞く:「東洋経済ONLINE」
原発避難計画の検証と、原発に依存しない地域への道  上岡直見氏:「Greenpeace」
避難指示区域の状況  :「ふくしま復興ステーション」
原子力発電所はテロが起きても大丈夫ですか?  :「NAVERまとめ」
「生ぬるい」 日本の“原発テロ”対応に元自衛隊トップが警鐘 :「日刊ゲンダイ」
発送電分離と電力自由化の関係とは?  :「エネチェンジ」
発送電分離4類型のメリット・デメリット(総括表)  :「経済産業省」
発送電分離に関する最近の研究のレビュー 後藤美香・服部徹氏 
改正電気事業法が成立、2020年に発送電分離へ 2015.7.1:「インプレスSmart Grid」
炉心溶融  :ウィキペディア
メルトダウン :「コトバンク」
メルトダウン 動画で見る炉心溶融 事故前熟知、事故後隠蔽テロ  :YouTube
佐藤暁:無責任なメルトダウン隠蔽   :YouTube
福島メルトダウンの背後にある衝撃的事実  :「マスコミに載らない海外記事」
放射性プルーム 
放射性雲  :「Weblio辞書」
放射能プルームのルートとタイミング。セシウム汚染マップ :「モノの見方」

電気事業連合会  ホームページ 
電気事業連合会  :ウィキペディア


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著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『原発ホワイトアウト』 講談社


『孤狼 刑事・鳴沢了』  堂場瞬一  中公文庫

2016-01-03 23:17:43 | レビュー
 ともに身長が約170cmほどで、若い頃に肉体を鍛え上げよく似ている二人の男が冒頭に出てくる。大きな違いは、一人は死んでいた。もう一人はその死体現場を確認した上で、「この男は、死ぬべくして死んだのだ。・・・・俺は、必要な法的手続きを大幅に省略したにすぎない」と認識していて、その場を去る。去った男は、一点見逃したことがあった。それは死んだ男が右手に隠し持っていた小さく折り曲げた紙片。そこには「鳴沢了」と書き付けられていたのだ。
 鳴沢は、常習窃盗犯の新藤、通称「ノビの新さん」を青山署で取り調べ中に二田刑事課長に呼び出される。三軒茶屋にある世田谷東署に出向き、そこで沢登理事官に会えと指示される。それが契機となり、鳴沢は特異な特命事案の捜査を担当することになる。

 沢登が命じたのは、揉み消しの可能性のある事件を追えという捜査だ。死んだのは刑事・堀本勝彦、そして行方不明の刑事・戸田均。この事件の揉み消しに加担した人間が警視庁内にいるという。信頼できる少数の人間が、絶対に他言無用で捜査にあたる必要がある。任務は行方不明の刑事を探し出し沢登理事官に直接報告することなのだと。

 鳴沢は、本当は殺された遺体を自殺として処理したのではないかと、問い掛ける。沢登はその可能性を否定はしない。警察の自浄作用が最近は当てにならなくなってきているとだけ言う。そして、二人の刑事と利害関係のない刑事を選んだのだと。
 この特命の極秘捜査で、鳴沢は練馬北署の刑事・今敬一郎と相棒を組むことになる。身長は180cmある鳴沢とほぼ同じだが、縦横がほぼ同じサイズという体型で、頭は綺麗に剃り上げた坊主頭なのだ。体重115kg。実家は寺であり、いずれ既定路線として僧侶になるのだと公言する。この小説で楽しいのは相棒となる今のひょうひょうとしたキャラクターである。剛直球型思考の鳴沢に対し、ある局面でどこか達観した感じで、蝶々のようにひらひらとし、美味しいものに目がないという今。それでいて、今流に急所となるところは押さえている。この二人の関係が実にたのしい。

 翌日から、世田谷東署の会議室が鳴沢・今の拠点となる。そこに出向くと、沢登理事官から二人のために全部コピーの資料が準備されていて、亡くなった堀本の葬儀の情報も記されていた。
 二人は、まず資料ファイルの読み込み、意見交換から始めて行く。それは常套手段だろう。だが、コピー資料には、紙片の件については触れていないのだ。
そのあと、鳴沢と今は葬儀の場にそれとなく臨む。葬儀が終わったあと、彼ら二人を尾行する者がいることに鳴沢が気づく。具体的な捜査は、遺体の発見者であり、腰が抜けて入院しているアパートの管理人・石沢を病院に尋ねて、聞き込み調査から始め、行方不明の戸田の妻・玲子に対する聞き込みもする。だが成果は得られない。
 その二人に、やはりまたも尾行者が現れる。

 堀本のアパートの部屋を鳴沢と今は訪れ、二人は手分けして現場を調査する。その結果、天井裏から覚醒剤と思えるものが見つかる。この捜査のルール通り、鳴沢は沢登理事官に報告をする。沢登が現場にやって来る。彼は覚醒剤のことを薄々知っていたらしい。そして、警察組織の中に規律が緩んでいる部分があることを匂わせる。真相がわかれば、腐った部分は断ち切れると。沢登の説明に対し、二人は納得できないものを感じる。そして、覚醒剤が出て来たこと自体にも疑問を呈し始める。

 鳴沢と今が捜査の定石を踏んで調べ始めると、疑問な点が次々と断片的に出てくるのだった。堀本と覚醒剤がトリガーとなり、捜査が進展しいく。尾行していた連中が鳴沢と今の前に姿を表す。そして鳴沢に沢登理事官の指示を受けて動くことはろくなことにならないとわざわざ忠告する。
 そんな矢先に、鳴沢の携帯電話に、行方不明の戸田に関連して、戸田の相棒だった刑事のことについて、タレコミの電話が掛かってくる。それが鳴沢と今を新潟県に向かわせることにもなる。

 この小説の展開のおもしろいところは、堀本刑事が殺された被害者であることには間違いないが、真の被害者は誰なのかということ。それが曖昧模糊とした中で捜査が始まる。極秘捜査を前提にした沢登理事官の狙いがどこにあるのか不明瞭な状態に置かれた状況で、鳴沢と今が捜査を推し進めなければならないという点にある。一言でいうなら、きな臭さがつきまとうという興味深さに引き込まれて行く。
 もう一つは、警察組織内の人間関係がテーマとなっている点が興味深い。公式組織としての指示命令系統の中で、一理事官の裁量で極秘捜査をさせることがそもそもできることなのか? この小説では、外形上は沢登理事官の命令で鳴沢と今が動かされる訳なのだ。公式に命じられれば刑事は動かなければならない。一方、非公式組織の存在が問題を投げかけていく。タレコミを元に、鳴沢と今が戸田刑事の元同僚だった植竹を新潟に訪ねたところ、「十日会」という言葉が出たのだ。謎の組織が浮かび上がる。

 一方で、鳴沢の捜査活動は、鳴沢が交際し始めている優美・勇樹親子にも影響が及び始める。勇樹に不審な男が声を掛けてきたというのだ。警察を辞めた後、探偵をやっているという小野寺冴に協力を依頼することで、冴を巻き込む事にもなる。
 小野寺冴と今がかつて職務上の関わりがあったというおもしろいエピソードも登場する。

 戸田について調べ始めることで、新たな情報が得られてくる。戸田の義父・篠崎の口から「シキカイ」という言葉も出る。
警視庁内では不正からは縁遠いと鳴沢が信頼する防犯の横山に連絡を取っていた結果が鳴沢にもたらされることで、鳴沢自身が己の立ち位置の理解を深めて行くことになる。
 そして、遂に行方不明だった戸田の居場所を突き止める。

 そこには、仕組まれた思わぬ展開が待ちうけていた。
 この小説、二重三重に仕掛けを埋め込んでいるところが、実に巧妙である。
 そして、警察組織というその組織内の自己完結型事件にしたてているストーリー構成も刑事ものとしては、ユニークだと感じている。

ご一読ありがとうございます。

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『熱欲 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『破弾 刑事・鳴沢了』   中公文庫
『雪虫 刑事・鳴沢了』 中公文庫