遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『疑装 刑事・鳴沢了』  堂場瞬一  中公文庫

2016-03-31 22:45:03 | レビュー
 刑事・鳴沢了シリーズもこれが9冊目となる。この作品のタイトルも、やはり少し意を含むようだ。国語辞典では「ぎそう」に「偽装」あるいは「擬装」という漢字を明示し、その意味が説明されている。少なくとも、広辞苑(初版)、大辞林(初版)、日本語大辞典(初版)、現代国語例解辞典(第二版)をみるかぎりではそうである。そこを敢えて「疑装」としているのが、まずおもしろい。
 第9作でも鳴沢は引きつづき西八王子署の刑事課に所属する。相棒は藤田新である。

 ストーリーはめじろ台南交番からの電話を藤田が受けたことから始まる。鳴沢・藤田は交番に出向く。近くに住む主婦が様子がおかしい10歳くらいの子どもを見つけて、自分の車で交番につれてきたのだった。その子どもは衰弱していて口を開かなかったという。保護された子どもは病院に送られていた。病院に出向いた鳴沢がその子どもに話しかけてもしゃべらない。鳴沢はふいにアメリカにいる勇樹のことを連想してしまう。
 入院中もしゃべろうとしない子ども。生活安全課の山口美鈴が担当として加わってくるが、鳴沢らも協力することになる。沈黙する子ども。だが、鳴沢が一つ手がかりを見つけた。それはポルトガル語のカセットテープ。そこから日系ブラジル人という連想が働いていく。何も手がかりがえられないなら、美鈴は児童相談所に連絡を取り、任せることになるという。その手続きをとるまでに一日の猶予を得た鳴沢は、子どもにポルトガル語の片言で話しかけてみる。子どもに反応が見られた。
 だが、その子どもが病院から連れ去られてしまう。窓から出た様であり、窓には大人の靴跡と掌紋が残されていた。物入れにあっ忘れ物のノートに、少年を特定する唯一の手がかりが残されていた。「カズキ・イシグロ」という名前と住所である。
 どこまで事件性があるのかわからない不確かな事案に対し、このわずかな手がかりから鳴沢らは関わって行く。まず判明したことは、カズキの父親が2週間前に、死亡轢き逃げ事件を起こして逃走中であり、逮捕状が出ているという事実だった。
 父親の引き起こした事件とどう関わるかは不明だが、子どもの周辺を調べるために、鳴沢一人が熊谷課長の許可を得て、群馬県の南、埼玉に近い方にある小曽根町に出張することになる。

 このストーリーは、カズキ・イシグロという子どもがきっかけとなり、小曽根町に存在する日系ブラジル人社会が舞台となっていく。それは既に30万人は日本に在住しているという日系ブラジル人のなかの、一つの生活空間である。小曽根町の人口の1割強、2,000人ほどの日系ブラジル人が住むという。(注記:後掲のとおり、統計をみると2016年現在、在日日系ブラジル人は激減している。この文庫本の初版発行は2008年2月である。)

 鳴沢が小曽根に行き、地元小曽根署の仲村という警察官との関わりができ、その協力を得て聞き込みをはじめる。なぜかこの町に、小野寺冴が現れてくるのだ。鳴沢の行く先に必ず事件が潜むという予兆なのか・・・・。

 父親の元の勤務先が明らかになる。カズキ・イシグロには妹が一人いたこともわかる。その妹・ミナコを預かっているというサトルという人物に会う。サトルからシマブクロという日系ブラジル人社会に指導的な役割をボランティアで行っている人物のことを知る。そしてサトルからシマブクロの紹介を受ける。・・・・少しずつ、網の目のような人のつながりが見え始め、周辺情報が明らかになっていく。
 この小説は小曽根という町を舞台に日系ブラジル人社会が背景として描かれて行く。日本の一つの現実、社会現象の局面を浮き彫りにするという観点を内包している。

 サトルの紹介で会った島袋はブラジルで生活したこともあり、小曽根の日系ブラジル人社会に詳しい人物だった。カズキの捜査を小野寺冴に依頼したのが島袋とわかる。そして、島袋の話から、再びカズキの父親の轢き逃げ事件が浮上してくる。カズキの行方の捜査にこの轢き逃げ事件がどう言う影をなげかけているのか。カズキの行方の捜査は複雑な様相を呈し始める。

 小曽根のビジネスホテルに鳴沢は一泊する。そこで小野寺と情報交換することになる。小野寺は、轢き逃げ事件におかしいところがありそうだと、さりげなく鳴沢に話すのだった。この作品では鳴沢と小野寺の協力関係の展開が一つの読む楽しみになる。

 鳴沢がカズキの行方を追う捜査は、結局父親の轢き逃げ事件を独自の立場で捜査していく展開になる。勿論それは管轄外の事件に首を突っ込むことになるのだった。その段階で協力者である仲村の捜査結果とぶつかってしまうことになるのだが・・・・。

 このストーリー展開で興味深いのは、前作に登場した「多摩歴史研究会」幹事の城所智彦という老人が、八王子の生き字引としてふたたび鳴沢の求めに応じ情報提供者として人間関係の一つの網の目に出てくることである。そして、こんな会話が交わされる。
鳴沢「いずれにせよ、お伺いします。久しぶりにゆっくり話がしたくなりました。」
城所「そうね。できたら仕事じゃない話の方がいいけど。あなたと放すのは楽しいですけど、仕事のことになると目の色が変わるから。ああいうことがもっとさり気なくできるようになったら、あなたも一皮むけるでしょうね」
  「今さらそれは無理じゃないでしょうか」
  「もっと柔軟におやりなさいよ。」「どんな仕事でも、常に正しいやり方なんてないんですから。その時々でいろいろ変えてみる必要もあるでしょう。それに、変えること-変わることはそんなに難しくないですよ」
  「ご忠告、ありがとうございます。
  「竹にになんなさいよ」
  「竹、ですか」
  「硬いだけじゃ駄目なんだな。・・・・・(中略)・・・最後の立ち姿が問題なんですよ」
鳴沢像を実に端的にイメージできる会話ではないか。これは人ごとではないアドバイスでもある。そんな受け止め方ができる老人の忠告だ。

 カズキの父親は、轢き逃げ事件後、ブラジルに帰国していた。そしてブラジルで身柄を拘束される。事件に使われた車は、父親の同僚だった藍田から借りたものだった。その車で、藍田自身の息子・俊が轢き逃げされたという。俊はカズキとサッカーチームでの仲間でもあった
 仲村の仲介で、鳴沢は藍田に事情を聞く機会を得る。しかし、それは鳴沢にあらたな疑問を抱かせることになっていく。
 周辺情報が累積されるにつれて、様々な事実関係がつながり始める。その矢先に、小曽根に居る鳴沢は、藤田からカズキの死体が発見されたという連絡を受け、愕然とする。

 この小説の第三部のタイトルは「隠された悪意」である。
 病院の窓から抜け出したカズキの死。その原因はカズキの父親が引き起こしたという轢き逃げ事件の真相に関わりを持っていた。隠された悪意とは何か? その解明プロセスが読ませどころとなる。
 
 本書のタイトル「疑装」には、その読み方「ぎそう」から「擬装工作(偽装工作)」という熟語で表される本来の意味が下敷きにされていると思う。そして、その上に証拠が無くてただ疑わしいだけでは、外見上は何事も無かったかのごとく装わねばならないという意味合いが暗示されているように私は思う。「疑いながらの平常の装い」は、臨界点を超えた瞬間に爆発するかもしれない。小野寺冴が受けた仕事の活動は、臨界点を超えさせる動因となる真相を見つける役割に転換するかもしれなかった。一方、鳴沢の捜査信念と行動は、疑いの装いが存在することをそれほど意識することなく、「擬装」を疑い、その究明から真相に辿り着く。結果的に爆発を抑制させる役割を果たしたことになる。

 この事件は、鳴沢の刑事生活において、やるせない終結となる事件だった。こんな思いだけが残る類いの事件が続くなら、鳴沢は刑事をやめるかもしれない。
 作者はこう記す。
「だが今は、真相が分かったことに喜びを見いだせない。誰も幸せにならないではないか。二つの家族という閉じた輪の中で事件は起き、完結してしまったのだ。真相を探り出すのは私の仕事であり生きる意味でさえあるのだが、それは誰か喜んでくれる人間、少しでも癒やしを感じてもらえる人間がいてこそ意味が出てくる。今回は誰も喜ばない-そして私自身も、この仕事になんらかの意味を見出すことができそうになかった」(p426-427)と。
 そういう意味で、少し異色なストーリー展開の作品である。

 ご一読ありがとうございます。
 
人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

この作品からの触発として調べた事項を一覧にしておきたい。この作品の背景部分への関心である。そして、この作品とは別の次元で、つまり現実社会の変化、日本の経済社会の変動結果について認識をあらたにするきっかけになった。

在日ブラジル人 [ 2015年第一位 静岡県 ] 
    :「都道府県別統計とランキングで見る県民性」
在日日系ブラジル人子弟の教育問題 小林利郎氏  :「Biz Point」
日本に住む日系ブラジル人が抱える 就労・高齢化・精神疾患問題
    :「日本ブラジル中央協会」
在日ブラジル人に係る諸問題に関するシンポジウム  :「外務省」
在日伯人数ついに19万切る=永住資格者比率が倍増へ=法務省が外国人統計発表か=帰伯者の多くが半失業状態   2013.11.30  :「ニッケイ新聞」
激減する在日ブラジル人  :「NHK ONLINE」
「多文化共生」の齟齬 -在日ブラジル人の現状と施策の整合/不整合-
                 井沢泰樹氏の論文 pdfファイル
在日ペルー人とブラジル人の違いとその共通点 :「ディスカバー・ニッケイ」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ

↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『被匿 刑事・鳴沢了』   中公文庫
『血烙 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『讐雨 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『帰郷 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『孤狼 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『熱欲 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『破弾 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『雪虫 刑事・鳴沢了』  中公文庫

『プラチナデータ』  東野圭吾  幻冬舎

2016-03-26 17:31:40 | レビュー
 かなり異色で特異な設定の状況で発生した密室殺人事件の解明がテーマとなっている。その構成は実に巧妙である。こういう設定状況自体の発現可能性はほとんど無いのではないか。一方で、ここに組み込まれた巨大な情報処理システム自体は近未来において実現する可能性がないとはいえない。高度監視・管理社会の成立する可能性は十分に予測できる範囲にあるだろう。そんな気にさせる視点が含まれている。

 まず異色な設定から入ろう。有明に「警察庁東京倉庫」と表示する建物が倉庫群の一隅にある。そこは「警察庁特殊解析研究所」が使っている秘密の建物。所長は志賀孝志という。志賀所長の下で実質的にシステムの開発を推進しているのは主任解析員の肩書をもつ神楽龍平である。
 この特殊解析研究所が開発しているのは遺伝子情報の分析によるDNAプロファイリングのシステムであり、DNA捜査システムの開発、確立と実用化を目的としている。犯罪捜査にDNA情報が利用できるようにするためには、勿論個人情報の取扱いに関して法律の裏付けがいる。法律が制定される前提のもとに、このDNA捜査システムがほぼ完成しかけているという設定である。一方で、密かに開発されてきたこのシステムが警察庁、警視庁で利用できるための動きが進められている。
 国会に、犯罪防止を目的とした個人情報の取扱に関する法案-通称DNA法案-が提出されたのだ。それは、本人の同意を得て採取したDNA情報を、国の監視の下、捜査機関が必要に応じて利用できるようにする法律である。野党にも根回しができていて、法案が成立する可能性が高まっているのだ。
 受刑者のDNA情報だけでなく、国民のDNA情報が警察の捜査に利用できる情報に加われば、DNAの類似性の絞り込みから犯罪者の絞り込み、プロファイリングが格段に正確度を増すのである。ピンポイントに近い形で容疑者の想定が可能になってくるのだ。
 特殊解析研究所は既にこのDNA捜査システムの実用実験に着手し始めた段階にきている。

 近年DNAについての研究が急速に進展して、その解明が進んでいる。一方でコンピュータの技術的進歩も著しい。つまり、この小説のモチーフにあるDNAプロファイリングとDNA捜査システムは、あながち絵空事といえないもの、近未来に実現可能なものかもしれないという恐ろしさがまずこの小説のベースになっていると思う。

 特異な設定は複数ある。その一つが主任解析員の神楽龍平が二重人格者だという設定にある。神楽龍平は自分が二重人格であることを自覚し認識しているが、それが病的次元の問題だとは判断していない。神楽龍平は、新世紀大学病院の脳神経科の病棟にある「精神分析研究室」の水上洋次郎教授の診察を受けている。しかし、その受診行為は、神楽龍平の二重人格を素材にして、共同研究に取り組む一環なのだというスタンスである。
 神楽龍平が水上教授の診察を受けて、この病院の一室に留まる間は、リョウと呼ぶ別人格として一時的に存在するのである。水上教授は龍平がリョウとなるプロセスにおける二重人格の問題を研究し、龍平を治療している立場である。神楽が二重人格者であることを志賀所長も知っている。

 特異な設定の2つめは、DNA捜査システムの開発の主力は天才的数学者でありプログラマーである蓼科早樹(たてしなさき)とその兄蓼科耕作という兄弟の設定にある。蓼科早樹は、数学の領域においてその才能を世界の学者も認める存在なのだが、重度の精神疾患を持つ患者として新世紀大学病院にVIP待遇でずっと入院している。兄の耕作は妹の世話をするために、この病院で一緒に生活している。蓼科早樹は入院生活を送りながら、さらにシステムの開発、プログラミングを行っている。いわば、世間と隔離された環境でDNA捜査システムの完成に力を注いでいる中心人物である。

 これらの設定を前提として、警視庁捜査1課の浅間玲司刑事か相棒の戸倉刑事とともに冒頭の殺人現場の検分シーンから登場する。現場は渋谷のはずれにあるラブホテルの一室で起こっていた。それは『電トリ』という脳刺激装置を使ったセックスプレイの上での殺人事件だった。電トリとは電気トリップの略で、両耳に電極を取り付けて電源を入れると、微弱なパルス電流が脳内に流れ、薬物摂取とは違った刺激が味わえるという。現場で発見されたのは被害者のものではない毛が3本だけ。そのうちの陰毛1本を浅間はまず那須課長の指示として警視庁に即座に持ち帰ることになる。そして、極秘任務だと指示されその陰毛を「警察庁東京倉庫」に直接持参せよと命じられる。
 その陰毛がDNA捜査システムの一つの実用実験に利用される。
 ここから、現場の刑事として、DNA捜査システムの実用実験での先兵として組み込まれていく羽目になる。浅間はシステム活用の経緯をまず実体験させられる。そして浅間は徐々に志賀所長や神楽龍平と関係を深めていく。
 浅間が持ち込んだ陰毛のDNAプロファイリングから、容疑者は容易に判明し、このDNA捜査システムが威力を発揮し始める。
 
 そんな矢先に、千住新橋そばの堤で若い女性の死体が発見される。頭を口径の小さな銃で撃ち抜かれ、暴行された形跡があり、体内には精液が残されていた。一方、この事件の5日前に、同様の手口で八王子において女子高生が殺されるという殺人事件が発生していた。両事件で採取された精液を解析した結果は一致していた。当然ながら、この千住新橋そばでの事件の残留物である精液は、DNA捜査システムのサンプル対象となった。
 DNAプロファイリングはある程度まではできたが、現段階でのDNAデータベースでは、高い一致率を示すDNAデータは見つけられなかった。そのため、この事件のサンプルは「NF13」として登録されるに至る。つまり、容疑者を示せない13件目になるという。13件中8件はDNAデータの増加で解決済みだという。正体が判明しないものがNF13を含め4件残るのだという。この原因は、システムに必要なデータの不足が原因なのか、それともシステム自体に未だ欠陥が存在するためなのか?

 その最中、神楽龍平は新世紀大学病院に赴き、水上教授の診察を受ける。龍平の言う研究の実施日である。リョウという別人格を発現させ、病院の脳神経科病棟5階に設定された部屋に籠もるのだ。だが、その日、脳神経科病棟最上階(6階)で蓼科兄弟が拳銃で撃たれて殺害されてしまう。神楽龍平は、自分と水上教授との共同研究を始める前に、蓼科耕作と面談し、耕作からNF13に関連して複雑な内容のことがあり、後で話をしたいと言われていた。だが、その前に、兄弟は何者かにより射殺されてしまった。

 殺人現場で1本の毛が見つかる。その解析は神楽龍平に託される。そして、その分析結果を見て、龍平は愕然とする。DNAプロファイリングが描き出した肖像は、龍平に類似した容貌だったのだ!
 龍平に潜むリョウと称した人格が犯人なのか? 龍平が何者かに嵌められたのか?
 DNA捜査システムの開発に心血を注ぎ推進してきた神楽が、そのシステム開発の根幹にいる開発者の蓼科兄弟を殺害する動機は論理的にもない。神楽龍平は、短時間でこの殺人事件の犯人を自ら解明する必要に迫られる。
 
 一方、NF13として登録という結果に陥った事件を、浅間は従来の捜査活動を展開しようとする。だが、なぜかその捜査から外されていく。そして、極秘捜査としてこの蓼科兄弟殺人事件の犯人捜査を現場で行う先兵として行動するよう命令を受けることになる。外見上は、DNA捜査システムと絡んでくるこの殺人事件は極秘に捜査せざるを得ないという判断なのだ。

 ここから実質的な一種の密室殺人事件の謎解きストーリーが始まって行く。神楽龍平と浅間とが別々の立場から同時並行に取り組んでいくことになる。

 犯罪捜査機関の最頂点にある警察庁の下で極秘に開発されてきたDNA捜査システムなので、その存在を知る関係者はごく限定されている。
 蓼科兄弟がVIP扱いで入院する脳神経科病棟の最上階は蓼科兄弟が占有していて、彼らの病室に入るには静脈認証のシステムを使わなければ入室不可能であり、また病棟の警備室では24時間体制で病棟全体の監視システムが作動し、常時監視する警備員がいる。つまり、最上階自体が密室的環境にある。そこで事件が発生した。なお、殺人事件が起こる直前に1台のモニターがしばらく障害を起こしていた事実はあった。そのため確認作業をしたのがその日勤務していた警備員の富山だった。浅間は捜査の過程で富山との接触を深め、富山を信頼できる人間と評価し彼の助力を得て捜査を続行する。
 蓼科兄弟の射殺に使われた拳銃は、分析の結果、NF13の事件で使用された拳銃と同一であることが判明する。
 蓼科兄弟は開発中のプログラムに関連してアメリカの数学研究者とインターネットのメールによる意見交換をしていた。その中で、「モーグル」というプログラムの開発を完成させたと伝えていたという。神楽龍平は、DNA捜査システムを学ぶためにアメリカから派遣されてきている白鳥里沙からこのことを聞く。

 二重人格者の神楽が己の無実を証明するために事件の解明に行動することが、神楽の考え及ばなかった局面を明らかにしていく。そこに、この小説のタイトル「プラチナデータ」の意味するところが大きく関わって行く。
 人間社会のオペレーションは常に支配・被支配の構図がつきまとう。人間社会という集団システムの限界なのかもしれない。それは高度監視・管理社会になろうと、変わることのない視点だろう。

 この小説は密室殺人事件の謎解きという側面と、現代文明社会の近未来像の中においても多分解決できない問題をつきつけるという側面との二重構造になっていると思う。
 また、特異な二重人格者を主人公にして、その本人に無実の証明のために行動させるという構想も興味深い。併せて、高度なデジタル発想型人間グループの中に、従来型のアナログ発想の刑事・浅間を絡ませていくというところからおもしろい展開が生み出されていく。異質な発想がぶつかるところに面白さが生まれるということなのだろう。
 そして、高度デジタル発想型人間を目指した神楽龍平が、手動ロクロを使って大皿を作るという超アナログな世界に回帰してしまう結末が興味深い。
 なぜ「回帰」なのか? そのこと自体が、神楽龍平の人生観形成に大きく関わっていたことなのだ。本書を開いてその謎部分も解き明かしてみてほしい。

 DNA捜査システム、こんなもの近未来には創造してほしくない。少なくとも我が人生が続く間はない方が人間的な気がする。この小説は、このシステムの設定ということで、楽しめるのだが・・・・・。
 
 ご一読ありがとうございます。
 
人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

この作品からの連想により関心事項を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。

二重人格  :「コトバンク」
解離性同一性障害  :ウィキペディア
認知度が低い多重人格症の治療体制の整備を  :「黒岩祐治オフィシャルサイト」
多重人格が形成される深層心理とは? :「自由な思考を取り戻せば夢は実現する。」
多重人格を題材とした作品  :ウィキペディア
   多重人格を題材とした小説  :ウィキペディア
精神障害を扱ったテレビドラマ(1990~1999)  :「NAVERまとめ」
精神病質  :ウィキペディア

監視社会  :「コトバンク」
ネット監視社会の本当の「危険」な理由  両角達平氏 :「THE HUFFINGTON POST」
「監視社会」の光と蔭  田端暁生氏  :「NTT日本」
<一般論文> 監視社会 月刊現代7月号 :「江下雅之研究室」
NO!監視  監視社会を拒否する会 ホームページ
監視社会の系譜と消失するプライバシー、ビックブラザーは本当にあなたを見守っている?  :「よなかのはなし」


  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ

↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらの読後印象を載せています。お読みいただけるとうれしいです。
『マスカレード・ホテル』 集英社



『神社と神様がよ~くわかる本』 藤本頼生  秀和システム

2016-03-21 18:06:14 | レビュー
 日本の神は八百万の神といわれるように数え切れないほど存在する。神道の領域での研究書・専門書は敷居が高いのでまずは脇に置いておく。その上で、比較的手軽に入手できる本としてみただけでもたくさん出版されている。そのほんの一部を必要に応じて利用しているが、日本の神様を比較的わかりやす説明した文庫本がいくつもある。たとえば、『知っておきたい日本の神様』(武光誠・角川ソフィア文庫)、『「日本の神様」がよくわかる本』(戸部民夫・PHP文庫)、『欲望を叶える神仏・ご利益案内』(小松和彦他監修・智恵の森文庫)などである。これらは八百万の神々について、代表的な神々とそれをまつる神社名・所在地などをわかりやすく説明している。また、『日本の神様読み解き事典』(川口謙二編著・柏書房)のように、神名・神社名を項目として説明する事典などもある。この事典は先の文庫本より詳細な記述である。しかし、これらの本は、個別の神や神社を説明することに主眼がおかれている。その一方で、『図解 歴史散歩事典』(井上光貞監修・山川出版社)のように、建築編の中に「神社と霊廟」という章で、建築の観点から図解入りで構造・専門用語の側面で詳述している本もある。これらは一例に過ぎないだろうが、いずれか一方に重点が置かれている。

 本書で「よ~くわかる」かというと、その力点の置き所としての視点が上掲の本とはやはり異なる。上記のように神様か、建築かといういずれかに重点を置いた本からすると、さらりと説明されている箇所があり、「よーくわかる」には少し物足りないところが残る。しかし、神社と神様を含む全体像をまず把握したい場合の入門書という意味では、歴史的な経緯を含めてその全体像を「よ~くわかる」本となっていると思う。押さえておくべき知識事項をかなり網羅的にわかりやすく説明してくれている。上記の本では得られない側面の事項が多く盛り込まれていて、参考になった。
 神社と神様を含めた神道の全体像への入門としては読みやすい本である。

 まず、目次をご紹介する。ほぼ全体像の観点が網羅されていることがご理解いただけるだろう。小見出しから、キーワードをいくつか抽出し参考に併記する。
 弟1章 神社とは何か? :神観念、神社の起源・種類、社格制度、主要な神・分類
 弟2章 神社にあるもの :境内配置、本殿・拝殿、御霊代、摂末社、鳥居、狛犬
 弟3章 社殿の建築様式 :社殿建築のパターン、殿名と役割、千木・堅尾木
 弟4章 神社と祭り事  :神輿、祭祀、神楽、御霊会、祝詞、神饌、神職・巫女
 弟5章 日本の神様   :日本の創生神、イザナギ・イザナミ、天照大御神・大国主神
 弟6章 人を祀る神社  :香椎宮、天満宮。東照宮、湊川・靖國・乃木神社
 弟7章 神社と日本人の暮らし :年中行事、人生節目の行事、祭事、神棚、お守り
 弟8章 神社参拝の心得とマナー:鳥居・参道、手水作法、拝礼の仕方、祈願・祈祷
 そして、「一度は訪ねたい神社ガイド」として、19社のガイドが載っている。
ちょっと知りたい・・・と思うことはたぶん含まれていることだろう。そういう意味で網羅的である。

 上記の観点以外で、私が本書の特色と思う点を3つ挙げておこう。
1) 一つのテーマが原則見開き2ページでできるだけ普通の言葉で説明されている。イメージしやすいように、説明のエッセンス、あるいは関連としてイラスト画や写真が載せてあり、理解を深める相乗効果となっている。かつ、専門用語・特殊用語にはルビが振られていて読みやすい。
 2)歴史的文脈を押さえた理解が出来る項目、関連性を踏まえて名称・役割・機能が理解できる項目、分類により個別事項が全体として整理してつかめる項目など、説明事項の構成が理解しやすい。
 3) ちょっとした豆知識の挿入やコラムが設けられている。

 例えば、第1の観点の例として、こんな用語にルビがなければ読む気が減退するだろう。括弧内がルビの振られた読み方である。
 伊邪那岐命(いざなみのみこと)、天宇受売命(あめのうずめのみこと)、穢(けがれ)、神籬(ひもろぎ)、磐座(いわくら)、霊畤(まつりのには)、新嘗祭(にいなめさい)、御霊代(みたましろ)、白馬節会(あおうまのせちえ)、紙垂(しで)、大麻(おおぬさ)・・・・。ほんの一例である。比較的易しい用語にもルビが振られている。
 
 第2の観点の例として、まず「鳥居」を取り上げよう。初詣でから始まり、各種祭礼などで神社を訪れる人が多いだろう。それほど意識しないで通り過ぎる「鳥居」に神明系鳥居と明神系鳥居の大きな違いがあることを意識しているだろうか。さらに、それぞれの系統に以下の名称の鳥居の形式が含まれているのである。
 神明系鳥居 ⇒ 神明鳥居、黒木鳥居、鹿島鳥居、靖国鳥居、八幡鳥居、宗忠鳥居
 明神系鳥居 ⇒ 明神鳥居、台輪鳥居、山王鳥居、中山鳥居、両部鳥居、三輪鳥居
これらが、見開きページにイラスト図と簡潔な説明文付きで見比べることができるようになっている。このページを印刷して持参して、誰かに説明すると鼻高かも・・・・。
 神名が一筋縄では行かないことをお気づきだろうか? 様々な表記が現実に為されているが、同じ神様のことをさす場合があるので要注意ということである。この本には、『古事記』と『日本書紀』で表記の違うことにふれ、代表的な神様での例示をしている。天の岩戸の話に出てくるアマテラスオオカミの例がまず筆頭になる。『古事記』では天照大御神、『日本書紀』では天照大神だという。さらに、実際の神社での表記の類例として、次のものが一覧に併記されてる。「天照坐皇大御神、天照大神、天照皇大神、天照大日孁神、天照大日孁尊、天照大日孁命、天照孁女貴、天照御魂神、天照日女命」。私はこんなにも類例があるとは夢にも思わなかった。この本にはオオクニヌシミコトについても例示されている。
 歴史的文脈での例を挙げると、神社の格式を、古代、中世、近代についてその変遷をわかりやすく説明してくれている。このあたり、基本を押さえておくと、神社の説明書を理解する助けになる。キーワードの一部を抽出しておくと、『延喜式』の神名帳、二十二社制、一宮・総社、官社と諸社である。これらの意味が明確におわかりなら、かつて存在した社格制度が理解できていることになる。

 第3の観点はいろいろな意味でおもしろい。
 神社の前に神社名を大きく掲げた石碑(社号碑)が大概建てられている。ところがときにより、神社名の上に刻されていた文字が削られていたり、埋められていたりすることがある。昔はなぜだろうと思ったものだ。それが本書で明確に理解できた。次の説明が記されている。「近代の社格制度」(p44,45)の末尾である。「その後、昭和20年の敗戦に伴い、GHQによって、国家と神社の関係を定めた法令は全て廃止され、内務省の外局として特立していた神社行政専門の官庁である神祇院も昭和21年2月に廃止された。これに伴い、近代に定められた社格もすべて廃止された」
 つまり、神社のランクは1946年に一旦崩壊したのだ。つまり、みんな平等の神社になったのだ。廃止命令に素直に従った神社が社格を表す語句を削ったり、埋めたりしたのだろう。だけど、多くの神社には社格を表す言葉がそのまま刻まれている。
 現在は神社の説明文などに、廃止されたはずの社格はそのまま使われている。実質上、かつての格式が今当たり前のように再び使われているのだ。これはおもしろいというか、興味深い点だろう。第三者が他国の文化、そして信仰を変えることは難しい・・・・ということの事例でもある。
 この本で知ったことの豆知識をもう2つご紹介しておこう。一つは、神前結婚式について。これは昔から行われていたように漠然と思っていたのだが、何と明治32年のことだとか。大正天皇の御婚儀とほぼ同じ頃に、現在の東京大神宮の前身(当時は神宮奉斎会東京本院=日比谷大神宮)が本格的に神前結婚式の普及に乗りだした結果広まったことだそうである。「神前結婚式」の項(p168-169)に詳述されている。もう一つは、「お守り(守札)とは、・・・・もともとは陰陽道(おんみょうどう)や寺院で作りはじめたものが起源とされている」(p176)という。ほかにも様々な豆知識が載っている。

 『らき☆すた!』や『ガールズ&バンツアー』との関わり、アニメの舞台で大人気(らしい・・・実は知らなかった!)とかの「聖地]化される神社にも触れている。つまり、現在の日本人の暮らしの中での「神社」の存在意義を意識している本でもある。
 知っていて得する豆知識やマナーに触れてい点でも、入門書として有益である。意外と神様と神社について基礎的なことを知らないということがまずわかる網羅的な概説書である。
 そのため、神様自身についての詳述や神道理論についての変遷史、神社建築の構造に関わる部位説明など、数歩深く入るレベルの知識の詳述にまでは深入りしていない。
 まずは、神様と神社の全体像を広く理解するのに役立つ「そうだったのか!!」本である。

 ご一読ありがとうございます。
 
人気ブログランキングへ

↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

本書に出てくる用語関連で、関心を持った事項を少し調べてみた。あくまで私的な興味での側面である。本書からのさらに一歩踏み込んで・・・・くらいであるが、一覧にしておきたい。
神道について :「立鉾鹿島神社」
神道とは何か :「Ichinomiya Christian institute Server」
延喜式神名帳 目次  :「延喜式神社の調査」
平安時代に定められた22の特別な神社「二十二社」  :「NAVERまとめ」
二十二社  :ウィキペディア
おすすめ祝詞集  :「祝詞~おすすめ祝詞~」
祝詞の現代語訳  :「美濃和紙の里 上野八幡神社」
鳥居について   :「夢結びの杜」
狛犬  :「京都国立博物館」
狛犬ネット ホームページ
巧会(たくみかい) :「金剛組」
宮大工の仕事紹介  :YouTube
宮大工の仕事場1   :「讃岐の舎づくり倶楽部」
絵馬  :ウィキペディア
算額  :「コトバンク」
全国算額案内  :「和算の館」
皇太神宮儀式帳  :「コトバンク」
皇大神宮儀式帳  京都大学附属図書館所蔵  平松文庫
神社本庁 ホームページ
  神社のいろは 

「らき☆すた」 in 【久喜市】  :「ちょこたび埼玉」
大洗磯崎神社 ホームページ
痛絵馬  :「ニコニコ大百科(仮)」
プロも描いている神田明神の痛絵馬2016。過去最大の増加で650枚突破(前年比:180%)  :「アキバBlog(秋葉原ブログ)」
清水寺、持ち込み絵馬に苦慮 そっくり寺印、外国客か  :「京都新聞」
   2015年12月26日
神様も困ってしまう「絵馬の願いごと」28選  :「Spotlight」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ

↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

『被匿 刑事・鳴沢了』  堂場瞬一  中公文庫

2016-03-16 18:17:54 | レビュー
 著者は造語が好きなようだ。本書のタイトル「被匿」は国語辞典で「ひとく」を引いても熟語としては出て来ない。少なくとも、広辞苑初版(岩波書店)、日本語大辞典・初版(講談社)、大辞林・初版(三省堂)、現代国語例解辞典・第二版(小学館)にはない。「秘匿」はどれにも載っている。というか、この一語だけである。角川漢和中辞典・初版で「被」「匿」を引いても、熟語としての掲載はない。
 だが、この小説を読み終えると、「被匿」という言葉がまさにピッタリと感じる。角川漢和中辞典によれば、「被」の第一羲は「おおう。かぶせる。おおいかぶせる」の意味であり、第八羲に「る。らる。せられる。される。」とある。一方、「匿」には、第一羲に「かくれる。にげる。ひそむ」。第二羲に「かくす。かくまう」という意味がある。
 つまり、発生した事件の被害者と加害者に関わる関係者がそれぞれの立場で、異なる意図を持ち、事件の真相を己の立場から「おおいかくそう」あるいは「かくれさせよう」と試みる。それぞれの思惑のベールに何重にも覆い隠された状況の中で、原理原則で行動する刑事・鳴沢がどのように捜査を進めていくかが読ませどころになっている。
 
 前作『血烙』で鳴沢はアメリカで研修中であり、勇樹が誘拐される事件に遭遇し、それを究明・解決するというストーリーだった。そして帰国した鳴沢は、警視庁内でさらに伝説の刑事になっている。一方、その行動の結果として西八王子署に異動となる。鳴沢が赴任した前日に、西八王子署管轄内で事件が起こっていた。
 八王子市の地元選出の衆議院議員・畠山祐介が都心での会合を終え、帰宅途中に自宅近くの橋から転落して水死したのである。前日の夕刊第一面を読んでいなかった鳴沢は、刑事課長の金子に、赴任報告をした場で開口一番「一日遅かったな」と言われたのだ。西八王子署では、この事件を酒に酔ったうえでの転落水死として事故死と判断し、処理してしまっていた。
 鳴沢は赴任当日の午後、刑事課のだらけた雰囲気に身を浸すことを避け、管内視察の名目で自分の車で走り回ってみる。そしていつの間にか、畠山が転落死したという橋のたもとに来てしまう。欄干の高さを鳴沢は、「乗り越えるのは難しくないが、何かの拍子で-仮に酔っていたとしても-ここから転落する可能性は少ないよう」(p13)に思う。川の両側には、堤防道路を隔てて民家が立ち並んでいる。午後10時頃なら目撃者がいそうなものと考え、刑事課の連中が聞き込みをきちんとしたのかと考える。そして、偶然にその橋のところで、地元に生まれてそこで生活してきたという老人と知り合う。「多摩歴史研究会 幹事 城所智彦」という名刺を鳴沢に手渡した。少しばかりの会話の中で、城所は鳴沢にこんなことを口にする。「でもね。まあ、事故に遭ってもおかしくないかな。・・・・私の口から無責任なことは言えませんよ。それを調べるのが警察の役目じゃないんですか。でも、事故ということになったら、それ以上は調べないでしょうけどね。・・・」と。城所との短い会話が、鳴沢の心に深い疑問を植えつけることになる。
 鳴沢は独自に聞き込みを始める。橋に近いところから6軒目の「森嶋」という表札がかかった真新しい家の女性が、今日の午前中に東京から話を聞きにきた人がいて、それが鳴沢の質問と同じ事を尋ねたと鳴沢に話をする。鳴沢の頭には警鐘が響き始める。
 だが、金子課長はじめ刑事課の連中は事故死という見立てでこの事件を片付けようとしている。「余計なことはするなよ。あの件は終わっているんだ。変な動きをしたら、死んだ人間にも失礼だぜ」「十分に調べないで封印してしまう方が、よほど失礼じゃないですか」金子課長は、欠伸を噛み殺しながら「ここにはここのやり方がある。勝手なことをするな」と忠告する始末である。
 刑事を辞め静岡の実家に戻り寺の副住職になっている今敬一郎が用事で上京して来ており、多摩センター駅の近くで会い、食事をしながらの会話の中で、疑問を感じるなら捜査すべきと背中を押されることになる。

 翌日、朝から鳴沢は独自の聞き込みを始め、昼前から畠山家の葬儀会場に出向きその様子を観察する。葬儀場でふと強い視線を感じるのだが、そのままで終わる。そして再び、鳴沢は現場の橋に戻ってみる。そこで、東京地検特捜部の野崎順司と出会うことになる。野崎は刑事上がりの検事だった。野崎は鳴沢に「何か分かったら俺にも教えて欲しいな」と投げかけてくる。
 野崎の態度からも鳴沢は一層この事故死扱いの事件に関心を深め、勝手に動き続けることになる。そこから少しずつ、情報が集まっていく。

 3日後、現場の橋のところで、再び城所に声を掛けられる。そして、政治家には地盤が一番大事で、「地盤、看板、鞄」の大事さ、畠山家が三代続く政治家の家系であること、死んだ畠山悠介がIT議員と呼ばれ、インターネット普及の旗振り役だったこと、息子に跡を継がせるために引退を示唆していたことなどを知る。
 東日新聞の特ダネとして、「NJテック、献金ばらまき」の記事が載る。そこには、つい最近死去した代議士の事務所の話が載っている。この記事を見た鳴沢はこの代議士が畠山ではないかと推測し、さらに調べ始める。野崎検事の件と結びついていく。野崎は関係があるかどうか、独自入手の情報から探り初めていたのだ。
 鳴沢は聞き込みを続ける中で畠山の後援会に関わる人に出くわし、名簿を入手し、聞き込みの輪を広げていく。そんな最中に、東日記者の長瀬龍一郎が鳴沢の自宅を訪ねてくる。個人的な興味だとして、畠山の件を鳴沢がどう見ているか、探りを入れてくる。勿論、鳴沢はそれに応じない。長瀬の実家が八王子にあるのだということを知る。聞き込み捜査のプロセスで、鳴沢は長瀬の実家がどこにあるかを発見する。勿論、その実家にも聞き込み捜査を行うことになる。それは、鳴沢に長瀬が書いた小説の内容を想起させて行く。
 地道な聞き込み捜査は、遂に目撃者の証言を入手することに繋がる。それも若い夫婦の両方が別個に目撃していたのだ。
 畠山の後援会長だと名乗る権藤建設の会長である権藤が、鳴沢にアプローチしてくる。「畠山さんは多くの功績を残した人だ。そういう人があんな死に方をしたのは、それだけで十分悲劇的じゃないか。これ以上辱めることはないだろう」と。
 目撃した夫妻は当初、証言することを快諾していたのだが、突然それを渋り始め、関わりを回避しようとし始める。明らかにどこからか圧力がかかったのだろう。
 鳴沢の聞き込み捜査が広がるにつれて、様々な関わりが動き出す。背景に地元の人間関係の複雑さが見え始めてくる。そこにまた、新たな関連情報が聞き込みで出てくる。事故死として安易に片付けようとされていた事件の背後には、過去の長い地元の人間関係の歴史が絡んでいたのである。それも政治家としての「地盤、看板、鞄」という城所の示唆との関わりで・・・・・。
 
 この小説の登場人物には、それぞれの立場で「おおいかくして」おきたい思惑があり、一方で「かくまって」おきたい思惑を持つ者もいる。「事故死」と安易に片付けられてしまえば、密かな闇の中に沈んで行ったかもしれない。しかし、鳴沢の動きにより掻き回されて、事件の真相に繋がる様々な事実が見え始めていく。それは複雑な人間関係の構図が暴露されるプロセスにもなるとともに、意外な人の繋がりにも波及していく。

 事故死と安易に決めつけずに、死の原因は究明されねばならない。もし殺人事件ならば、犯人を究明し逮捕して、事件の決着をつけるべきだ。それが刑事の仕事である。鳴沢の原則論が徹底して行動に移されていく。
 この小説は、反面で地元に迎合しだらけきった警察組織という一面の存在に光を当てていることにもなり、興味深い。

 この小説の巻末は、長瀬龍一郎が東日の新聞記者を辞めると鳴沢に告げること。それに対して、長瀬を一人の人間、それも己にとっての「友」と認めた鳴沢がこれから行おうと決めた行為への導入で終わる。
 「・・・・今夜は語るべきだと思った。・・・・・  長い夜が私たちを待っていた。」
 このエンディングは、鳴沢が親子三代にわたる刑事一家という家族のことを、長瀬に初めて語るという場面を予感させる。友が救われるならと・・・・。
 それは鳴沢が己の家族について「被匿」していた思いを明かす夜になるのだろう。これはあくまで、私の読後印象なのだが。

 なぜ鳴沢にそういう思いを抱かせることになるのか、それを理解するためのプロセスがこのストーリーであるともいえる。鳴沢が赴任する前日に発生し、事故死扱いと決まった事件を鳴沢が蒸し、独自捜査を始める。そして、周りを巻き込んで行き、そこに秘められていたおぞましい事実を暴露する。その中に鳴沢の「今夜は語るべきだ」という思いの動因が潜むのである。
 最後は、前作『血烙』とは違う局面ではあるが「家族のこと」という次元に帰着する。

 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ

↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『血烙 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『讐雨 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『帰郷 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『孤狼 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『熱欲 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『破弾 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『雪虫 刑事・鳴沢了』  中公文庫


『撃つ薔薇 AD2023 涼子』 大沢在昌  光文社文庫

2016-03-13 13:47:49 | レビュー
 この文庫本のカバーは、2001年10月に初版1刷として出版されたものである。雑誌連載され、1999年に単行本化を経て文庫に入ったようだ。2016年1月には文庫本・新装版が出版されている。この作品は、もともと、ドリーム・キャスト用ゲームソフト「UNDER COVER」の小説版として構想されたが、オリジナルな物語として作品化され、ゲームソフトの発売前に出版されたという経緯があるようだ。
 西暦2023年という近未来に起きる潜入捜査を扱ったハードボイルド小説である。
 舞台は東京。涼子は3年間の捜査三課勤務経験の後、巡査部長に昇級し、刑事部捜査第四課特殊斑に配属されていた。超美人で数カ国語を使えるという凄腕刑事である。美しい薔薇のように棘を持つ女刑事でもある。班長の岩永警視から受信の通話請求に対し、庁内コミュニケーションシステムにアクセスし、これからの任務について説明を受けた。それは崔(さい)将軍の組織にロングの潜入捜査を行うというものである。

 崔将軍は3年前に、祖国崩壊を待たずに隠匿していた1トンの阿片を携えて半島を脱出し日本に密かに入国したのである。その阿片を資金源に自分自身の麻薬組織を確立した。そして、将軍はブラックボールの流通組織を作っていたのだ。
 20世紀の終わりに中国でモルヒネの代替薬「黒丸」が発明され、瞬く間に中国国内で広がった。その英訳名がブラックボールである。アメリカ合衆国の提唱で設立された「国際麻薬機関」(INC)はブラックボールの供給者を躍起になって捜査している。INCは崔将軍がブラックボールの密造あるいは密売に関与していると見ていた。日本に流通組織があり、ブラックボールを運ぶ輸送車が日本国内を運行していることは、INCの調査で判明しているのだ。その輸送車がトラックジャックに遭遇している事実がある。
 INCは1年かけて、崔将軍の組織にアンダーカバーを潜入させていた。その人物からINCを通じ警視庁に連絡が入った。組織では、トラックジャック防止の専門家を探しているというのである。
 捜査三課所属の経歴を持つ涼子はトラックジャック捜査の経験を持っていた。そこで、適任者と判断されて、このロングの潜入捜査に関与するか打診されたのだ。岩永警視にこの任務を受託するかどうか決断せよと迫られる。

 INCの調べでは、崔将軍の組織は高度に分業化されている。トラックジャックの防止対策のプロという切り札で、輸送部門組織に潜入し、組織の全容を解明することが目的とされている。どこでブラックボールが作られ、どのように流通しているかをつきとめることである。つまり輸送コンテナの摘発などという短期捜査ではなく、全組織の根絶をINCと警視庁が協力して行うという作戦である。それ故に、ロングの潜入捜査に位置づけられている。

 ここに問題点がある。涼子にはロングの潜入捜査の経験はないこと。INCから送り込まれたアンダーカバーについての情報がゼロであること。崔将軍の組織のどこに、どんな人物がアンダーカバーとして潜入捜査に携わっているのかまったく正体不明なのだ。つまり、その人物の協力は得られないという覚悟で臨まねばならない。
 涼子は任務を応諾する。それによって、涼子の履歴背景が作られていく。また警視庁は涼子の疑装のためにアパートを用意する。

 櫟(くぬぎ)涼子は金在恵という故買屋をガサ入れの時射殺したことで、依願退職により警視庁を辞めたという履歴になっていた。医療用の向精神薬の抜き荷を扱う故買屋まで辿り、その故買屋とは月々の口止め料を契約し受け取っていた。ガサ入れの時に金が生きて逮捕されないように射殺したというシナリオである。トラックジャック捜査経験があるプロで悪徳刑事だったという背景疑装をしたカモフラージュである。

 涼子は崔将軍の分業化された組織の一つである輸送会社のホー課長に接近していく。仕事を引き受け、ホー課長の管理するトラックを狙ったトラックジャックを防止することで実績を上げ、能力を認めさせるというプロセスの展開からストーリーが具体的に動き始める。
 このトラックジャック防衛というストーリー展開は第一段階である。それは涼子が崔将軍に直に会う機会を創出する手段なのだ。だが、まずこのトラックジャック防衛プロセス自体から結構過激なアクションの連続でり、このストーリー展開自体が一つの読ませどころとなっていて、おもしろい。
 トラックジャックには必ず内通者が居るはずという論理を涼子は主唱する。その内通者探索の仕事を引き受けることで、涼子は崔将軍に近づく手段としようとしていく。その試みに対しては、いくつも超えるべき障害が横たわる。その障害を少しずつ排除するための涼子の行動が、ステップアップのプロセスとして描かれていく。勿論それはアクションの連鎖となっていく。
 調査員という立場を獲得して内通者探索を始めた涼子は、龍と名乗る男に助けられる形でと知り合う。そして謎の男、龍と涼子の関係が紆余曲折を経ていくことになる。龍が崔将軍の近くに居る人物ということが見えて来るのだが、純然たる敵の一人なのか、INCのアンダーカバーなのか・・・・。このストーリー展開で、龍の動きが巧妙に描き込まれていく。この涼子の逡巡するプロセスにホー課長が絡んでくるという点で、三者の動きが織り込まれていく。ナイフで平然と人を殺すこともするホー課長の心の動きがおもしろい。この三者三様の思考と心理あたりはなかなか興味深い。涼子の人間味も織り交ぜられて、ほっとする部分もある。
 また、涼子を評価する立場で大佐と少佐が立ちはだかってくる。大佐は崔将軍直属の部下であり、崔将軍を警備する立場で、祖国脱出時点から崔将軍の片腕である。大佐の評価を得なければ、涼子は崔将軍に近づけない。もう一人の少佐も同様に崔将軍の片腕なのだ。大佐と少佐という二人の関門を突き破っていく策略を涼子がどう練っていくか。涼子がどのように突破していくかがもう一つの読ませどころとなっていく。

 この近未来小説で興味深いのは、東京都の変貌である。高島平は老朽化が進み、財政破綻した東京都は改修工事を放棄する。そしてゴーストタウン化しているという設定だ。その一画は不法滞在外国人やホームレスに占拠された状態になっている。そこがトラックジャッカーに利用される拠点となる。高島平ゴーストタウンは、パトロールカーさえ巡回をためらう場所と化している。ここが涼子にとってはトラックジャッカーとの戦闘の場と化していく。
 また、筑地の中央卸売市場は東京湾の臨海区に新しい卸売市場が建設され移転している。そして旧卸売市場は、ロシアやアジア系の食料品市場として再利用されることで、周辺部にはほとんど日本人が居住しなくなって、モスクが建ち、イスラム教徒のメッカと化す。イラン人の他にも、東京にはロシア人、チェチェン人、中国人などそれぞれのマフィアの前線がはびこってきているという状況なのだ。
 荒廃化が進む東京で、悪の集団が入り交じり対立し、抗争する。涼子は少しずつ情報を集めて、徐々に崔将軍に直接アプローチしようと果敢な行動、はなはだ痛快なアクションを繰り返していく。

 遂に、崔将軍に直に会う機会ができたときには、意外な事実が判明していく。
 龍が何者なのかも・・・・。そして、潜入捜査の終結場面は、ハッピーエンドの終わり方ではないという一捻りがある。

 そして、エピローグは2年後のワンシーンである。ここには会話のやりとりが描き込まれている。その一部は、こんなやりとりだ。
 「悪いけどそれは話せないの。それに実は、あまりよく覚えていないのよ」
 「覚えていない?」
 「頭に傷を負ったの」
 「なるほど」
 「ご不満? 何だったら勝負してみる?」
 「いや、やめとこう。俺は李、李建巡査部長だ」
 「李ね。あたしは鮫島ケイ巡査部長よ」
鮫島ケイが李とパートナーを組み、天下の一課に所属する場面で終わる。
 
 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

近未来小説である本書に出てくる事項で関心を抱いた事項を少しネット検索した。一覧にしておいたい。
論説 薬物犯罪に対する国際的取締体制の特質  皆川誠氏 pdfファイル
UNDOC United Nations Office on Drugs and Crime ホームページ
  CND COMMISSION ON NARCOTIC DRUGS VIENNA
国連薬物・犯罪事務所 UNODC :「外務省」
CND :「United Nations Drug Control」
INCB International Narcotics Control Board ホームページ
麻薬取締官    :「厚生労働省 地方厚生局 麻薬取締部」
不正流通する薬物 :「厚生労働省 地方厚生局 麻薬取締部」

筑地市場  :ウィキペディア
これからの筑地  筑地新市場  :「筑地場外市場」
豊洲新市場建設について  :「東京都中央卸売市場」
筑地市場移転問題  :「IWJ INDEPENDENT WEBJOURNAL」
高島平  :ウィキペディア
高島平団地が抱える高齢化問題【東京都・心霊スポット】 :「TrefoBiz」
住み続けたい高島平団地へ 
  高島平団地高齢者地域包括ケア施設ビジョン報告書[概要版]
故買  :「コトバンク」
盗品等関与罪  :ウィキペディア

UNDER COVER AD2025 kei   ゲームレヴユー :「Scrap cliff」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ

↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


徒然にこの作家の小説を読み、印象記を書き始めた以降のものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『海と月の迷路』  毎日新聞社
『獣眼』  徳間書店
『雨の狩人』  幻冬舎

『京都土壁案内』 写真 塚本由晴  案内 森田一弥  学芸出版社

2016-03-10 17:37:57 | レビュー
 様々な意味で異色の本である。なにせ「土壁」のもつ魅力というものに絞り込んで、京都の著名な13の建築物の土壁そのものを案内するという本なのだから・・・・。
 京都に生まれ育ちそこで生活する私は、ここで取り上げられた13のうち10は訪れたことがある。そのうちいくつかは繰り返し訪れたり、その建物の傍を往来してきた。しかし、いくつかの土壁に興味を持って眺めてはいても、この本の「土壁案内」にあるほどの広がりと奥の深さを意識することはなかった。これほどに土壁の識別を考えたこともない。実に興味深く読んだ。

 まず、この本に取り上げられた建築物を列挙しておこう。
 法界寺阿弥陀堂、妙喜庵待庵、三十三間堂太閤壁、東本願寺なまこ壁、大徳寺玉林院簑庵、渉成園築地塀、島原角屋、大徳寺瓦塀、京都御苑拾翠亭、京都御所筋壁、下御霊神社土蔵、祇園一力亭、長楽館である。
 
 読後印象としてどこが異色と思ったかを以下列挙してご紹介する。
1.「土壁」の基礎知識を学べる「土壁案内」である。そして「土壁」の魅力にぞっこんの案内人が語っている。土壁にフォーカスをあてた写真集であるとともに、結果的に京都観光案内書の一面を備えた「京都案内」になっている。
 聚楽土、稲荷山黄土、九条土、桃山土、浅葱土、錆土、江州白土、大阪土などという土の固有名を意識したことのある人が京都観光好きにどれだけいるだろう・・・・。私同様に知らないということから、関心が及ばず、建築物の魅力をしゃぶりつくせず、漠然と見るだけの「観光」にとどまっているのではないだろうか。この本はそのブレークスルーの一助となる。
 また、土壁、漆喰壁、大津壁、ナマコ壁。版築塀、練り塀、日干煉瓦塀。瓦壁、蛍壁。瓦塀、台輪、水切瓦、雨落ち。筋塀。割り竹、えつり竹(別名:力竹)、ワラ縄、貫(ヌキ)、荒壁、大直し塗り、貫伏女(ワレ止)、中塗、水ごね仕上げ。引きずり壁、大津塗り、ぱらり壁。・・・・というような「土壁」についての基礎用語・知識を平易に学べる魅力がある。

2.著者二人は共に建築学を専攻した建築のプロである。奥書によれば著者の一人塚本は、海外での学術研究経験が豊かで、現在東京工業大学准教授、かつアトリエ・ワンの共同主宰者。本書では写真家として登場する。写真に付された小文は建築家・研究者の目線から叙情性と感性に満ちた表現で土壁の魅力を語っている。他方、森田は現在、建築設計事務所を主宰する。興味深いのは、大学の修士課程修了後に、京都「しっくい浅原」に入門し一から左官職人として修行しているという経歴の持ち主なのだ。
 塚本は現代建築の研究者かつ建築家であるが、巻末の文章の冒頭に「私はまだ本格的な土壁の建築を作ったことがないので、土壁に関してはずぶの素人である」と記している。その塚本を、左官職人のプロでもある建築家の森田が案内人となって、左官職人の目線で語り部になっている。
 建築家のプロである二人が、「土壁」に関しては素人と職人の立場からのコラボレーションとしてまとめたという異色さを持つ本なのだ。

 森田は冒頭「京都で土壁に出会う」の中で、「京都の土壁に焦点を絞り、普通の観光旅行ではあまり訪れないようなところも含めて紹介する機会を頂いた。土壁を見ない京都の建築巡りは、寿司を食べずに日本料理を語る以上に片手落ちである、というのが私の持論である」と記す。つまり「今まで多くの人が気に留めなかった京都の建築の知られざる魅力を紹介する」ことを通して、京都観光案内人でもあるのだ。

3.この本には、「In Praise of Mud A Guide to the Earth Walls of Kyoto」というタイトルが表紙に併記されている。つまり、英語版の本にもなっている。日本語文がすべて忠実に翻訳されている訳ではないが、その主要部分の説明内容は網羅する形で翻訳されている。たとえば、こんな風に・・・・。

  倉庫での試し塗り作業  → Testing an earth mixture    p9

  柱と梁が作る線を境に漆喰壁と土壁が塗り分けられている。この縁より外
  にあるのは風化を受け入れる庭園要素であり、待庵もその一部に位置づけ
  られている。
  The columns and beams define the border between the earth wall and
  the plaster wall. Every element outside of this line, including the
  teahouse, undergo weathering.       p22

 外国人向けのガイドブックにもなっている対訳本の一種でもある。この点も少し異色である。ひょっとすると、外国人の方が日本の寺社仏閣や日本の近代建築の「土壁」というものに、一般の日本人以上に興味・関心を持っているかもしれない。

 また、副産物として、土壁について外国人に英語で説明するとしたらどういう語彙を使いどのように表現するとわかりやすいのか、ということを学ぶ実践英語学習書になっている。微妙な表現の主旨を分かりやすく伝えるのにも参考になる本である。
こんな和文説明がその一例といえる。この文意を即座に英語で通訳できたらスゴイな・・・と思ってしまう。

  白く光っていると思っていた障子の中に徐々に色が見えてくる。竹小舞を通した
  光の干渉作用で、うっすらと緑とピンクが小舞の影の上下に現れる。
  Subtle green and pink hues gradually appear in the shadows of bamboo
  grills upon the white-lit Shoji.    p45

  縁は庭の中でひときわ蔭に占められた場所ということになる。
  The breezy En is the most shaded space in the garden.     p90

4.142ページというボリュームの本だが、中表紙・京都土塁マップ・もくじで6ページ、本文中の英語での翻訳文だけのページが15ページあるので、日本文の本としては実質121ページになる。
 13の建築物には見出しページを兼ねて、簡潔な観光案内風の説明文が載っている。
 写真中心なので、写真集といっていい位だが、写真には小文が付されている。そして、その建築物の土壁の特徴や施工法についての説明文が職人的視点からわかりやすく説明されていて、11の建築物にはイラスト図だけのページが各1ページは入っている。さらに、「土壁コラム」のページが5ページある。
 つまり、写真+小文がメインで文章だけのページは少ない。なかなか盛りだくさんな点も異色といえるかもしれない。

5.「土壁」観がきっちりと説明されている点が読ませどころである。一般観光案内書にはここまでの説明は勿論ない。土壁案内に徹するからこその魅力発信として、やはり異色だと思う。理解した主要点を箇条書きにしておきたい。具体的内容は末尾のページをご一読願いたい。

*左官技術は原始的で、時間と距離を超えた普遍性を持つ。素材の原理を掴み取ることが大事である。   p10
*白い壁は文化を広めるキャンバスの役割を果たしてきた。  p18
*身近な材料の利用による工程の徹底的簡素化の一方で、壁の強度強化の工夫がなされている。また、版築塀は最も原始的な工法である。  p25,p34
*土蔵建築だけ左官職人が主役となれる。あとは大工の棟梁が建築を仕切る。p40
*土壁には美的センスが重要な要素となる。 p52
*瓦と土を交互に積む工法の練り塀にはリサイクルの真髄が見られる。 p63,p86
*島原の角屋では、京都の左官技術の最高峰の様々な仕事を堪能できる。その一つ、大津磨きは日本の左官職人が手がけてみたいと夢見る、憧れの技術である。 p75-76,p80
*数寄屋建築の「水ごね仕上げ」の土壁は、京都御苑の拾翠亭を見よ。蛍壁。 p95
*筋塀の典型は京都御所の塀。版築造。漆喰仕上げの筋と聚楽土水ごね仕上げ。 p104
*塀の仕事の善し悪しは、朝夕の時間帯に眺めるとよくわかる。 p104
*土蔵の扉は専門職「戸前職人」の仕事。下御霊神社には見事な漆喰彫刻が残る。p111
*ぱらり壁は消石灰に加える石灰の粒の大きさ、密度でまったく表情がことなる壁に仕上げることができる技法である。  p114
*祇園一力亭の赤壁(ベンガラ壁)は、巧みに非日常空間を演出している。 p123
*明治期に導入された洋館に、日本の左官職人は漆喰彫刻による室内装飾を実施。引き型という創意工夫を導入。その典型が祇園円山公園の長楽館室内に残る。 p132
*土壁の魅力は、存在する環境における時間軸の広がり、また、外部からの侵入を防ぐ強さと屋根で保護する必要のある弱さの共存にある。  p139
*多様な土壁の存在は、「人間の生活を湿度の取り扱いを軸に組み立て直すことができるかもしれない」という発想を生む。  p140

 写真とイラスト図を眺めるだけでも楽しめる。京都のもつ魅力発信本、異色の一冊といえる。

 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。

補遺
「塚本さん、森田さんの京都土壁探訪記」のページ
  出版社の編集部が京都での取材の模様をホームページでレポートしている。
アトリエ・ワン ホームページ
アトリエ・ワン  :ウィキペディア
森田一弥建築設計事務所 ホームページ
森田 一弥  :「神楽岡工作公司」
京都府の現代の名工(京都府優秀技能者表彰受賞者) 浅原雄三
   :「京都 現代の職人技ネット」

土壁  :「コトバンク」
土壁  pdfファイル
土壁の魅力 そもそも話 :「職人がつくる木の家ネット」
土壁塗り :「VINICE CLUB ヴィニーチェ・クラブ」
[左官] 浅原さんの使う左官素材(2)  pdfファイル :「京都府建築士会」
プロフェッショナル左官の仕事DVD  :「日本左官業組合連合会青年部」
なぜ酒を入れるのか 漆喰の<レシピ> 「城踏」No.89 pdfファイル
高知 二十日会「第3回土佐漆喰講習会」開催 :「石灰と土のソムリエ雑記」


  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ

↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

『フィクションとしての絵画』 千野香織・西和夫  ぺりかん社

2016-03-04 23:35:19 | レビュー
 本の背表紙を見ていて、偶然に出会った本。タイトルに惹かれて手にとった。実に興味深く、絵画の楽しみ方を数歩深めてくれる本だ。論じ方の切り口が興味深くかつ面白い。それが一層楽しみながら読み進めさせることになる。
 タイトルの通り、絵画は現実を忠実に描いた物ではなくフィクションとして描きだされていることをさまざまな観点から論じている。勿論、ここで論じられている絵画は、近代・現代絵画に含まれる抽象画などのジャンルにつながるものではない。日本の絵巻物、障壁画などに描かれた人物像を含む社会文化景観、自然風景等を描く絵画のジャンルでの鑑賞に関する論点である。
 写真で撮られた映像に見慣れている私たちは、ついついこういうジャンルの絵画を目にすると、そこにはその当時の事実、風景などがそのまま描かれていると思い込んでしまう。だが、そこにはさまざまな絵師達の創意工夫と作為、意図的な取捨選択による虚構性が潜んでいると著者は論じる。だがそこに絵画という無限の世界が広がること、その楽しみに触れることへの導きの書となっている。著者はフィクションがどこに潜むか、またときによってそれを我々が自然に受け入れている事実にも気づかせてくれる。

 本書のサブ・タイトルは「美術史の眼 建築史の眼」となっている。美術史研究者(千野)と建築史研究者(西)の二人が、一つの絵画を題材にして、それぞれの視点からその絵画に含まれる絵師の工夫と作為、つまりフィクションがどこに潜むかを論じている。そのフィクションを踏まえて、なぜその絵画が楽しめるのかを解き明かしていく。勿論それは一つのアプローチであり、題材となった絵画の見方は他にもあるだろう。だが、ここに提示された論点は、障壁画や絵巻というジャンルの絵画を見ていく上で、鑑賞の仕方を深める手段となり、楽しみ方を意識的に広げる手段になる。漠然と絵画の前に立ち眺めるだけでは得られない楽しみかたの切り口がある。ひとつの同じ絵画が、美術史と建築史とでは目をつける視点がこれだけが相違するかということもわかる。そういう視点の異なる眼で提示された絵画を眺めることのおもしろさを味わうきっかけにもなる。

 もう一つ、興味深いのは著者達の造語「連論」というアプローチ方法である。
 本書ではまず「豊国祭礼図屏風」を取り上げている。はじめに美術史の見方・立場から、その絵が「フィクションとしての絵画」である論点を論じる。次にその論点を受け継いで、同じ絵に対し建築史の見方・立場で自分の論が展開される。そこで相互に提示された論点を前提とし、異なる見方を抱えて、次の絵に移り、再び美術史側からの新たな論点が提示され・・・・、という形で「それぞれの章は独立しながらも、全体としては途切れずに続いていくという形」(「はじめに」)となっていく。「連論」は連歌や連句というスタイルに近い進め方となったことからのネーミングという。こういうアプローチの本は、私にはめずらしくて、実に新鮮だった。この絵が次にどう論じられるのか、という楽しみの期待が生まれる。「フィクションとしての絵画」を見せる、楽しませるための作為の在り方として、何が次に取り上げられ、論じられ、展開されていくかという楽しみに満ちている。

 私にとって新鮮な感覚と楽しみで読めた本なのだが、出版はかなり古い。最初は、大日本茶道学会の機関誌『茶道の研究』(茶道之研究社発行)に「日本の空間表現1~24」として連載(1988.1~1989.12)されたという。その連載のとき、およその方針設定だけして、「論が自由に展開するように、内容を細部まで固めずにスタート」(p217)させたというものだったようだ。それを全面的に書き改め、改題して、共著の形で本書が1991年5月に出版された。つまり、この本には12の絵画作品が取り上げられ、美術史の見方・立場から連論が始まり、12番目の作品を建築史の見方・立場で論じることで締めくくられている。そこに提示されたことの中には、既知の視点-例えば、異時同図、吹き抜け屋台-もあったが、それの見方についても考え方を数歩深めて捕らえ直すことができた。

 まずどういう絵が、連論されて行ったかをご紹介しておこう。
 豊国祭礼図屏風 → 信貴山縁起絵巻 → 江戸城障壁画下絵 → 近江名所図屏風
 → 融通念仏縁起絵巻 → 扇面法華経 → 五街道分間延絵図 → 十界図屏風
 → 日高川草子絵巻 → 源氏物語絵巻 → 春日宮曼荼羅 → 伊勢物語図色紙

 論点の展開プロセスは本書を手にとって、読みながら納得度を高めていただければよい。ここでは、どういう論点が挙げられ、どういう問題点が指摘されたのか、私が受け止め理解した結論部分を要約、あるいは引用してみる。取り上げるのは主要な幹部分である。連論の展開プロセスと詳細説明はぜひご一読いただきたい。絵の見方に広がりが生まれることだろう。引用箇所は鍵括弧を付している。

 *豊国臨時祭礼を同工異曲といえるほどの構成で描いても、そこに描かれた人々の熱狂は絵師の創造である。そこにあるのは「絵師独特の表現が生み出したフィクション」(p22)である。「人間の潜在意識に働きかける絵画の力」(p23)がある。「ヴィジュアルな映像の与える影響力は、恐ろしいほど大きい」(p23)。
 *絵師の描く景観には、写真で撮ればその角度からは「軒下の組物や垂木など見えないはずのものを描く表現方法」(p29)をとり入れた無理な構図がある。それにより「華麗な感じを出す点では成功している」(p29)。絵師は抵抗なく積極的にその手法を取る。
 *一つの画面に同一人物が何回も違った姿で描かれる「異時同図法」の表現法が使われる。「一つの画面の中に複数の時間が描かれているという意味である」(p33)
 *「私たちは絵を見る時、無意識のうちに、視点もただ一つなのだという前提にたってしまいがちである」(p38)が、その前提をまず疑えと著者は問題提起している。
 *「空間の広がりを体験しようとすれば、時間の経過と無関係ではない」(p39)「信貴山縁起絵巻」では倉を飛ばす工夫が盛り込まれている。描く対象物の大小関係で遠近感を出す。樹木、川などを描き地面に接触していないイメージを生み出す。本来あるはずのもの(土台、束など)を省略して描かない。「右後方に、飛行を象徴するゆらめく線が描かれている」(p47)。そこに時間の経過が表現されている。
 *美術館、博物館で鑑賞する絵巻は、本来の絵巻の鑑賞法ではない。「絵巻は、動かしながら見る。右手で巻き込み、左手で広げながら見る。画面は目の前を左から右へ流れていく。左手の中にあった未来が目の前へ流れてきて現在となり、右手へ流れさって過去となる。絵巻はもともと、そうした構造を持つ絵画形式なのである」(p48-49)。なるほど! つまり、自分で動かしながら鑑賞してこそ、本来の楽しみ方なのだ。逆にいえば、そのシュミレーションをしながら、楽しまないと面白さがわからないといえる。
 *建築の内部に描かれた障壁画は、立体を内側から見る視点であり、立体の内部を循環していくことを前提に描かれている。「障壁画とは、始点の終点もなく横へ展開し、一巡してはまた続いていく、永遠に循環する絵画なのである」(p54)。障壁画は動きながら見ると、より実感が得られる。ぐるりと見回しながら鑑賞する必要がある。
 *名所絵は見る人がそれにちなむ「和歌と結び付いた特定のイメージ」を思い出し、想像の旅の世界に誘われて、絵を楽しんだもの。「絵師はそのイメージに従って描いた」(p61)という。「名所絵の持つ意味は単なる画題以上のものがあったはずである」(p61) その視点を考慮して鑑賞すると楽しめる。
 *名所絵の題材は、歴史の変遷の中でその意味を変化させ、視覚に訴えるイメージを変化させている場合がある。その時代の共感は何かを知ることが鑑賞を深める。
 *「絵師は、描きたいものだけを、描きたい方法で描く。名所絵はその好例なのである」(p77)
 *絵に描かれる人物の指さすポーズは、鑑賞者の眼を導こうとする絵師の作為である。それは「絵巻構成上のひとつの常套的なテクニックなのである。」(p83)
 *「屋根や天井を取り払って描く吹抜屋台という描法」(p85)や壁や建具の一部を取り払い描くのは、「室内の様子を見せたい時に使う画面構成上の重要なテクニック」(p86)である。絵師は見せたいものを描くのだ。何をみせたいのか、を考える視点も必要。
吹抜屋台の描法は、日本建築の特質を反映し、大胆な、すぐれた表現方法であることを考えれば、もっと高く評価してもよいのではないだろうか」(p176)と建築史の視点から著者は提言している。
 *「垣間見」というのは一つの文化である。絵の背後には文化の総体がある。「私たちの眼は、生まれ育った土地の歴史や伝統、幼い頃から受け続けてきた教育などによって、もしこう言っていいならば、すっかり汚染されている・・・だが、汚染とは、言い換えれば文化である。」(p92)
 *「扇面に閉じ込められる空間は曲がるものだという約束事」が我々には無意識のうちにある。扇という「折り畳んだり広げたりする動きを、扇を見た時に無意識のうちに感じ取っている」(p108)からではないか。
 *街道を描いた絵図(「五街道分間延絵図」)には、絵の中の道を歩くという視点から、様々な約束事を前提にして、その点では合理的に描いている。空間を曲げる、引き延ばす、見えるものの存在を省略したり、重複させるなど絵師の創意・工夫がある。道幅を異様に広くしているのも道路の様子を描く工夫である。
 *「時間とともに展開する物語を絵画に表すため、一続きの画面の中に複数の情景を合成しているということ」(p164)がなされている。合成の仕方は多種多様である。絵画が物語を表そうとする時に何が起こっているか。「大きな枠組みの中に位置づけてこそ、その作品の輝きも増す」(p164)
 *「長い時間をかけて歩いた現実の三次元空間を小さな二次元空間に表現しようとする」(p182)ところから、絵画独自の創意や工夫が盛り込まれる。それが建物などを斜め上から俯瞰するという描法である。だが、「一般に日本の絵画では建物は俯瞰しても人物は真横から見て描くのが普通で、樹木山なども横から見ることが多い」という指摘になるほどと思う。「一つの画面の中で自在に視点を変えること」に絵師のフィクションが加わっている。
 *「現実を一目で」という点、視点は固定された一つだけで、と考えるのは現代人の偏見だろうと両著者は言う。
 *「美しく飾ることは、今日では、むしろマイナスの評価を与えられることが多い。だがかつては、仏像や仏堂を美しく飾ることを『荘厳』と言い、それは仏教徒の善行として奨励されていた。」(p183)という。装飾する心=大切にすること、という視点は絵画の見方を転換させ、豊に広げる。

 「連論」の形で「フィクションとしての絵画」を読み解くこのような視点が、順次提示され、絵の魅力の裏側にあるものが読み解かれていく。専門家の枠内での論議ではなく、一般の美術愛好家に絵画の良さをできるだけ平易に言葉で語る試みなのだ。
 結局のところ、「すぐれた絵師は、意識するしないにかかわらず、すぐれた演出家なのである」(p212)という点を、なるほどそんな演出が加えられているのかと知ることで、漠然と絵を見ることではなく、深く入り込んでいく切り口が見えて来る。絵師による演出の妙味を歴史的背景、文化的背景を考慮しながら、読み取りその成果を楽しむというトリガーになる「連論」だと言える。

 「普通の人に通じる言葉で作品の『良さ』を語ること、そこから、美術史の新しい世界が開けてくるような気がする」(p205)と著者(千野)が語っている。「連論」の第二弾が出てくることを楽しみに待ちたい。既に出版されていることに気づいていないだけなのだろうか。この本の出版を知らなかったように。

 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。  

本書に出てくる作品がネットで見られるか? 調べて見た結果を一覧にしておきたい。

豊国祭礼図屏風 伝岩佐又兵衛 :「文化遺産オンライン」
豊国祭礼図屏風 豊国神社宝物館 :「京都であそぼうART」
信貴山縁起絵巻  :「千手院」
信貴山縁起  :ウィキペディア
信貴山縁起(山崎長者の巻)   :YouTube
信貴山縁起(尼公の巻き)    :YouTube
信貴山縁起(延喜加持の巻)    :YouTube
江戸城障壁画下絵  :「東京国立博物館 画像検索」
江戸城障壁画下絵  :「東京国立博物館 画像検索」
近江名所図 :「滋賀県」
融通念仏縁起絵巻 京都清涼寺 :「大航海時代とルネサンス 15・16世紀の世界」
融通念仏縁起絵巻 下巻  :「文化遺産オンライン」
紙本著色融通念仏縁起絵  :「Weblio 辞書」
扇面法華経冊子   :「e國寶」
扇面法華経冊子     :「文化遺産オンライン」
五街道分間延絵図    :「郵政博物館」
五街道分間延絵図 :「ゆうちょ財団」
連歌を楽しむ人々~十界図屏風より~  :「文化デジタルライブラリー」
地獄をのぞいてみませんか? 「熊野観心十界曼荼羅」の世界 :「東京国立博物館」
日高川草紙  :「文化遺産オンライン」
重要美術品 日高川草紙  :「つれづれ日記~紫の上~」
国宝 源氏物語絵巻 :「五島美術館」
国宝 源氏物語絵巻 特別公開 :「徳川美術館」
春日宮曼荼羅図   :「文化遺産オンライン」
春日の風景  :「根津美術館」
伊勢物語色紙 伝俵屋宗達筆 第六十段 花橘  :「文化遺産オンライン」
伊勢物語図色紙(俵屋宗達)  :「MIHO MUSEUM」
国宝「風神雷神図屏風」と益田孝旧蔵「伊勢物語色紙」(全36図)の成立
  林 進氏  連続講座「宗達を検証する」第10回資料 

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ

↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)