遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『妖怪・憑依・擬人化の文化史』  伊藤慎吾[編]  笠間書院

2017-02-27 22:37:03 | レビュー
 「妖怪」「憑依」「擬人化」というキーワードを並列するタイトルに関心を持ち、読んでみた。最近の関心事項の一つ「妖怪」というキーワードからの触発である。

 本書の編者が「異類の出現するとき-本書の手引き」と題して冒頭に一文を書いている。その一文の最初に、明治時代に劇作家として名を馳せた小山内薫が少年時代に、芭蕉の名句「古池や蛙とびこむ水の音」とかけて「台所道具一つ」と読み解き考え物にしたという例を出す。そこから、認識のしかたに枷(かせ)をはめられていない子供には「観察・鑑賞よりも創造・表現の担い手として時代や社会的な制約を離れて得られる発想があるように思う」と述べる。この小山内薫少年の事例から論を展開し、「生き物を生き物としてだけではなく、それ以外の価値や性格を重ねていく。ここに人間の文化・社会に組み込まれた異類が立ち現れる」という。経験的な想像力を因として、さまざまな形に表現された結果、「生き物以上の性格付けがなされた異類が広まり、定着していく」と編者は捉えている。妖怪、憑依、擬人化という術語を個別研究領域と考えずに、その間にある関係性を考え、これらの背後にある文化的要素を読み解こうという試みが本書だとする。
 「異類」というコトバを、妖怪、憑依、擬人化の上位概念として位置づけて、これら3つの術語の観点を、タコツボ型の別々の研究分析分野とするのではなく、「ガラガラポンと、一緒くたにしてみて」関係性を考えて見ようという発想が本書の基盤になっているようだ。その立場が、アプローチとしてちょっとユニークでおもしろい。

 「あとがき」の冒頭に、本書の執筆者により温度差はあるがと編者は記す。それを私はその記述の仕方に学術的研究スタイルから教養書解説スタイルまでの幅があるという意味に捉えた。編者は本書を純然たる学術書、論文集のつもりで編集したものではないと断っている。執筆者が「それぞれの専門の立場から、一般読者に日本の<異類>をめぐる文化の面白さを伝えるという目的意識をもって書いたものである」という。
 コラムとしてまとめられている文は肩の凝らない教養知識スタイルの解説文であるが、設定テーマに対して論述された稿は、そう言われてもやはり、かなりやわらかめにわかりやすく書かれた論文という風に、一般読者視点では思ってしまう。学術書の論文にある硬さをあまり感じないのは事実である。「コラム」がたくさん入っているので、「論文集」ではないということなのかも知れない。一応ここでは「論文」というコトバを使う。

 本書は古代から近現代まで専門分野を異とする人々が、「異類の会」と称される勉強会に集い、50回にも及んだところで、論議の成果を分担してまとめたものという。
 編者が最初に総論として「異類文化学への誘い」を記す。
 そのあとに、「Ⅰ妖怪」「Ⅱ憑依」「Ⅲ 擬人化」という術語の観点から、三部構成で大変バラエティに富んだ論文とコラム記事がまとめられている。各部には4本ずつ、コラムが載せてある。やはり一般読者には、本書中の論文よりもコラムの方が読みやすいのは間違いない。

 読みやすいコラムの方から少し触れると、コラムの正式タイトルに対して、目次にはその省略形のキーワードが上に並記されている。どんな内容のコラムがあるか? キーワードを列挙しておこう。
 Ⅰ 妖怪 :「ねこまた」「くだん」「妖怪ウォッチ」「東方キャラ」
 Ⅱ 憑依 :「狐憑き」「馬の神の託宣」「犬神着き」「実話怪談・都市伝説」
 Ⅲ 擬人化:「花月往来」「近世擬人物」「妖怪擬人化」「擬人化コスプレ」
このキーワードを見るだけで、かなりバラエティに富む視点からコラム記事もアプローチされていることがおわかりいただけるだろう。

 各部の構成は、まず「総説」が語られ、その後に論文とコラムがサンドイッチ型に交互する。論文だけでいえば、妖怪分野2本、憑依分野2本,擬人化分野3本と、合計7本の論文が含まれている。目次を見ると、論文は「前近代から現代へ」「現代から前近代へ」といういずれかのアプローチ・スタイルで語られていることが示唆されている。最後の一論文だけは「西洋の擬人化事情」という視点での分析である。尚、これらのフレーズは論文のタイトルのところでは明示されていない。各論文の読後印象を簡略にご紹介する。(紹介にあたり、見出しは目次スタイルで明示する。)

総論 異類文化額への誘い
 アニメ映画『風の谷のナウシカ』から語り始められ、中世の文献から現代のコミックスまで分析の材料は幅広い。そして、「動物の物語と職業」「アニマル・コミュニケ-ション」「前世・転生譚」「動物との共生」「人間との関わり方」の視点から語られている。人間に対する異類であり、「異類として表現された実在/非実在の動物は人間から離れて存在しない」と結論づけている。三部構成の中に収められた論文は、異類が日本の精神文化を映し出す鏡になっているのだと言う点を論じているとする。各著者の名を敬称略で付記する。

  Ⅰ 妖怪
◎総説 描かれる異類たち -妖怪画の変遷史  板倉義之
 現在の妖怪ブームを通覧し、古代社会から御霊や物の怪の実在が信じられてきた点に遡る。それが絵画として造形化されるのは中世の絵巻物の製作からだと各種絵巻を列挙して論じていて、どの絵巻をみると良いかが良くわかる。江戸の言い回しに「野暮と化け物は箱根から西」というのがあるという。初めて知った。化け物は子供だましな存在という共通理解が近世に江戸で成立していたと説く。そして、『画図百鬼夜行』(鳥山石燕)あたりから化け物が「分類」と「パロディ」の対象に変遷していくとする。「妖怪」という語は、明治の井上円了が「妖怪学」を提唱して、そこからできた用語だということに触れている。戦後に妖怪が再発明されたという経緯が簡潔に記されていて、流れがつかみやすい。

◎前近代から現代へ 変貌するヌエ  杉山和也
 平安時代末期の源頼政によるヌエ退治という話は、謡曲「鵺」にもなり、有名である。『万葉集』にヌエを詠み込んだ歌があるというのを、この論文で初めて知った。鳥としてのヌエのイメージがどのように変容し、妖怪「ヌエ」が生み出されたかが跡づけられていておもしろい。分析に取り上げられた古典の書名を挙げておこう。『古事記』『万葉集』『堤中納言物語』『山家集』『今昔物語』『平家物語』『十訓抄』『太平広記』などであある。
 親しむべき鳥ヌエが不吉な忌むべき鳥という認識に転換し、鳥としてのヌエから妖怪としてのヌエが創造された経緯が分析されている。後者の転換点の要因を著者は「頼政ヌエ退治説話が様々に語られて行く中で、頼政の武勇を強調する脚色が多分に付された結果であると考えられる」と結んでいる。原文を挙げて変容プロセスを分析していくところが興味深い。

◎現代から前近代へ ゆるキャラとフォークロア -ゆるキャラに擬人化される民間伝承                  板倉義之
 ”滋賀県大津市の「ひこにゃん」”と単純誤植があるのが、ゆるい校正でいただけないが、「ゆるキャラグランプリ2014」出場キャラのリストを4ページにわたって載せているのがまずおもしろい。著者はゆるキャラが民俗事象、フォークロアの擬人化としての設計と捉える。「擬人化は、一目でそれと分かるような象徴を提示することにより、登場人物にある属性を付加する表現技法である」と定義づける。ゆるキャラがどのように発想されて設計されたか、それが成功した要因を探っていて興味深い。
「ゆるキャラの作られ方をつぶさに読みこむことで、作り手や送り手たちが何をその伝承の本質的な部分であるとみなしているかを読み取りうるはずである。つまりゆるキャラは、郷土の歴史や文化そのものの擬人化といえるのだ」と結論づける。何となく直観的に楽しんでいるだけのゆるキャラも、日本文化の表現技法の一つなんだと、納得する。ゆるキャラを通じて、自然に各地の郷土史や文化に触れているんだ・・・・・。

  Ⅱ 憑依
◎総論 憑依する霊獣たち -憑き物、神使、コックリさん-   今井秀和
 動物が神の使いとなる一方で、生きている動物の霊が人間に取り憑くということがよく言われてきた。特に、狐がよく引き合いに出される。この論文では、「狐憑きの歴史」「稲荷信仰と狐憑き」からまず分析され、様々な動物の憑依について論を進めていく。恒常的に人に憑く狐にも種類があるというのがおもしろい。「コックリさん」というコトバは伝聞で知っていたが、それは「明治期、心霊学におけるテーブルターニングという降霊術の一種が輸入され、日本で『告理』と名付けられ」たことに由来するそうである。それがまもなく「コックリさん」になったという。「コックリ」に「狐狗狸」という漢字を当てるようにもなったという説明を読み、おもしろいと思う。もう一点、「娯楽としての憑依信仰の要素」という側面の継承についても触れていて興味深い。

◎前近代から現代へ 狐憑き -近世の憑きもの・クダ狐を中心に 佐伯和香子
 この論文では、「狐憑き」のうち、近世のクダ狐の事例を中心に論じられている。この論文で、「クダ狐」というコトバを初めて知った。「クダ狐は、長野県伊那地方を中心に、神奈川県や千葉県などの関東地方にまで広がりをみせた動物」だという。古代・中世に遡って、狐憑きの現象の記述文献を例示して、分析説明がなされる。古代以降、人々が狐憑き、クダ狐に様々に関心を抱き、影響を受けてきた状況がわかる。クダ狐の姿絵まで紹介されていておもしろい。
 狐が特定の家筋にまとわりつくという考え方が歴然としてあったようだ。その狐持ちが「ヲサキ狐」の狐持ちについて記録されていて、クダ狐と同類の認識があったという。さらに、狐持ちが富をもたらすという側面と、忌み嫌われる災いをもたらす側面との両面で事例があるというのは興味深いところである。「クダ狐落としの方法」まで記された書物があるようだ。狐持ちとみなすことで差別の対象とすることは問題だが、なおその問題が残っていると論じている。一方で、「管狐」をかわいらしいキャラクターに変容させる現象が平成になって、マンガやゲームにみられるという。この面白い分析で論を終えている。

◎現代から前近代へ ペットの憑霊 -犬馬の口寄せからあぺっとリーディングまで
                  今井秀和
 犬や猫などのペット動物が現代の日本では「家族の一員」として扱われていることは、犬・猫ブームからもわかる。この論文では、ペットの准人間化に伴う様々な現象が観察されている。「死後の世界を信じる人々の間ではペットの葬送はもとより、死んだペットの魂の行方も重大な関心事なのである」という側面から江戸期のペット文化を論じ、動物の口寄せという巫女たちの行為に論及する。江戸期にもいろんなことが行われていたことがわかって、おもしろい。そして、現代はアニマル・コミュニケ-ションとかペットリーディングという用語に変身して、古来の憑依信仰が変容しながら継承されている側面がある点に触れている。精神文化の基盤の無意識な継承というものが文化には根強くあるのかもしれないと思う。千年経とうが、根っ子部分は簡単には断絶、消滅せず、時代に併せて変容した形で見えるだけなのかも・・・・。そんな思いを抱かせる。


  Ⅲ 擬人化
◎擬人化された異類  伊藤慎吾
 冒頭に、童話の「猿蟹合戦」を擬人化の典型例としてとりあげている。これは誰にもピンとくる好例である。そして、擬人化された異類を歴史的に捉えるためには、「譬喩・たとえ」という側面と「霊魂観」の側面を主要な要素として押さえておくことが必要として、この2つの側面について論及していく。仏典、説話集、物語文学、絵巻・絵画などを縦横に事例として引用し、分析が為される。「物の精は妖怪の一種ではなく、擬人化キャラクター」として捉えていく。そして、「擬人化キャラクターは、<たとえ>が具体化した架空の存在」であり、「物語世界という文脈で存在することを論じている。それに対し、「妖怪は原則として現実に存在するものとして描かれる」。この峻別をなるほどと思う。
 「目に見えないものを視覚化する擬人化表現は近世に至ってようやく盛んになっていく」と分析し、神格化ではなく人格化の流れを読み解いている。
 江戸時代に「医術車輪書」という書で、病と薬が擬人化して合戦しているテーマが展開されているそうだ。それが、形を変えて、現代の医薬品や洗剤のCMで日々擬人化されたものが放映されている点を指摘している。本質部分は変わっていない擬人化の表現内容を、今風なアレンジで見せているにすぎないというのが良く分かってくる。
 また、末尾は興味深い指摘で締めくくられている。これは指摘だけにとどまっているのだが。引用しておく。「また現代は2000年前後に<萌え擬人化>の動向が大いに開拓されていき、児童文化を中心とした擬人化表現の展開とは異なる領域が現れてきた」と。

◎前近代から現代へ 擬人化された鼠のいる風景 -お伽草子「隠れ里」再考
           塩川和広
 お伽草子『隠れ里』そのものを知らなかったので、まずはそのこと自体から興味深く読んだ。中世以来、食べ物を荒される鼠害に人々がどれくらい困っていて、その鼠を擬人化した物語をうみだしたかを面白く読めた。擬人化された鼠について、著者は動物そのままの姿と人間と動物の中間にあたる異形の姿との2つの図像で描き分けている部分に着目して論じている。そして、『隠れ里』では、鼠害と福という鼠の持つ二面性からこの草子を描こうとしたところに特徴があると分析している。「描かれた異類の世界は、人間の社会から独立したものではなく、むしろ両者が地続きである」と結論づける。
 お伽草子の読み解き方、分析のしかたとして、興味深い。

◎現代から前近代へ 物語歌の擬人化表現 -意識とコミックソングのはざまで-
           伊藤慎吾
 物語歌には様々ある。童謡「ぞうさん」や「七つの子」を皮切りにして、一人称語りで擬人化された歌謡曲に触れていく。歌謡曲でとりわけ多いのは鳥に例えるケースだという。「譬喩表現としての異類」として「小鳩」を歌詞に登場させた歌謡曲などが例示される。もう一つ、「キャラクターとしての異類」の事例として「およげ!たいやきくん」の歌詞内容が「一人称語り」として分析されていき、おもしろい。
 「一人称語り」と対比する形で、「対話形式」に論及されていく。そこで平安時代後期の『梁塵秘抄』の歌に言及されて行き、前近代の擬人化表現に及んでいくことになる。「問いかけ」「問答体」「叙事的形式」というタイプの違う擬人化表現の分析がされる。これらが前近代と現代の事例を対比させながら論じられるので、読みやすくかつわかりやすい。
 そして、ふたたび「たいやきくんのぼやき」に戻って行く。擬人化表現のもつおもしろみがよくわかる論文だ。
 「コミックソングは世代を越えて楽しめるものである。しかも荒唐無稽さをむしろ前面に出しているものだから、異類の物語歌はこのジャンルにおいて引き継がれていくことになる」と結論づける。しかし、一方「コミックソングはアニメやゲームの歌との境界が曖昧になってきているように思われる」という点に着目してもいる。

◎西欧の擬人化事情 西欧の擬人化表現と日本漫画の影響  伊藤信博 
 西欧で日本の漫画に人気が出ている。『陰陽師』を筆頭にして、少年漫画を中心に人気がでているという。だがそこには「人間と『不思議なもの』が一つの世界の中で、一緒に活動したり、『争う』物語が多かったりする」という特徴が見られると分析する。
 そこから、中世キリスト教社会における擬人化の表現について、池上俊一著『動物裁判』(講談社現代新書)や『日々の賛歌・霊魂をめぐる戦い』(ブルディンティウス著・創文社)、『西洋中世の罪と罰』(阿部謹也著・弘文堂)などの本を題材として、読み解いていく。そして、西欧の民話、物語、神話から事例を引用し、「狼のイメージと先行宗教」を見つめ、読み解いている。
 「西欧を理解する『鍵』は、万能の神の存在や神が創造した森羅万象の頂点に立つ人間の『罪』の意識である」とし、中世西欧の擬人化されたものをキリスト教社会の規範・規律との関係で読み解く必要性、あるいは先行宗教、つまりギリシャ・ローマの多神教的世界との関係で読み解く必要性を語っている。
 逆にいえば、その関係性で擬人化を考える故に、発想の枷がそこに生じているとみなしているようである。だから、彼らの常識、世界観の基準外にある日本の漫画に人気があるのだと言う。「現代と交差しながらも、同時多発的な、過去やまたは別の世界と調和して描いている、異国情緒溢れる日本の作品が、人気になるのは、当然のことと感じるのである。」と。
 この最後の指摘は、「本書の手引き」冒頭にあった小山内薫少年の「古池や」と掛けて「台所道具一つ」と解くという謎掛けに連環していく接点があるように思う。
 既存の制約から離れる発想という接点である。

 本書を読み、「異類」という上位概念で、妖怪・憑依・擬人化をひとくくりにした発想が、この領域を豊かにしていく契機になる気がした。文化の基盤は連綿と継続し継承され、その表象のしかたは、時代の好みと連動して変容していくようだ。「文化」という概念のおもしろさはそこにあるのかもしれない。
 形を変えた「異類」はどんどん生まれてくるのではなかろうか。

 各論文の著者名をご紹介した。コラム記事の執筆は論文執筆者が兼ねているが、コラム記事だけを執筆された著者をご紹介しておきたい。「ネコマタとその尻尾の描写の変遷」(毛利恵太)、「『くだん』が何を言っているかわからない件」と「犬神系の一族」(永島大輝)、「『花月往来』の魅力-花と月の合戦-」(北林茉莉代)の諸氏である。

 最後に、本書では「参考文献ガイド」が簡単なガイダンス付でまとめられている。
 さらにもう一つユニークなのは、「異類文化史年表」が作成されていることである。なんと21ページに及ぶ年表で、たぶん類例は無いだろうと思う。『日本書紀』に出てくる土蜘蛛から始まり、古典書、絵画、小説、マンガ・・・などに異類が出現した時期のオンパレード年表なのだ。ここだけ読んでもおもしろいのではないか。

 ご一読ありがとうございます。
 
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補遺
井上円了  :ウィキペディア
妖怪学  井上円了 :「青空文庫」
井上円了の妖怪学  三浦節夫氏   論文
鳥山石燕  :ウィキペディア
百鬼夜行 3巻拾遺3巻 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
妖怪うぃき的 妖怪図鑑  ホームページ
百鬼夜行  :ウィキペディア
ゲゲゲの鬼太郎  :ウィキペディア
憑依  :ウィキペディア
憑依  :「コトバンク」
イタコ :ウィキペディア
憑依体質の人に共通する12の特徴  :「セレンディピティ」
憑依現象と徐霊について  :「霊性進化の道-スピリチュアリズム」
擬人化の人気まとめ一覧  :「NAVERまとめ」
擬人化  :ウィキペディア
萌え擬人化  :ウィキペディア

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『軍神の血脈 楠木正成秘伝』   高田崇史  講談社

2017-02-22 13:53:41 | レビュー
 鎌倉時代と室町時代のはざまに生じた「南北朝時代」というある種特異な時代に名を馳せた楠木正成という存在。時代の変遷に応じてその評価がまさに毀誉褒貶してきた人物である。楠木正成の謎を解くことが、早乙女修吉が襲われた事件の解明に直結するというミステリー小説である。歴史ミステリー好きには楽しめると思う。

 鎌倉時代末期に、後醍醐天皇の倒幕計画に楠木正成は加担する。笠置山の戦いで敗れた後醍醐天皇は隠岐に配流されるが、翌年隠岐を脱出する。足利尊氏や新田義貞も後醍醐天皇側に加わることで、鎌倉幕府は滅びる。「元弘の変」と称されるものである。後醍醐天皇は「建武の新政」を行うが、後醍醐天皇と足利尊氏が対立する形に進展する。楠木正成は一貫して後醍醐天皇側(南朝)につく。鎌倉幕府が立てた光厳天皇(北朝)を足利尊氏が支える形で南北朝時代が始まる。南北朝対立のさ中、「湊川の戦い」で楠木正成は敗れ自害したと言われる。南北朝の争いは、そののち後亀山天皇(南朝)の代で1392年に南北朝合一となり、北朝側の勝利に帰す。北朝の後小松天皇の代である。
 正成は南朝側に尽くしたために朝敵とされ、1559年に赦免嘆願を受け止めた正親町天皇の勅免で朝敵ではなくなる。江戸時代には、水戸学の立場・尊皇思想から、正成は忠臣と見直される。そして、明治以降は「大楠公」と呼ばれるようになる。また、各地で神として祀られるようになる。いわゆる「忠臣の鑑」であり、軍神と位置づけられていく。だが、第二次大戦後は、価値観の転換と中世史研究の進展の中で、楠木正成像の再検討が始まる。悪党の性格側面が強調すらされるようになる。
 そのように評価が二転三転する楠木正成の存在、その生き様における謎を中軸に据えて、早乙女修吉が命の瀬戸際に居る中での時間との闘いによる謎の事件解明ストーリーが展開する。史実の隙間に著者独自の仮説を織り込み、楠木正成像に新たな視点を投げかけていて、興味深い。

 ストーリーの構成は過去と現在がサンドウィッチ型になっている。プロローグとエピローグは、過去時点の場面描写である。湊川の戦いで楠木正成が自害し、その首を大森彦七盛長が足利直義の陣前に持参する。正成の顔を知るのは尊氏ただ一人。尊氏が首実検をするというストーリーが進展する。
 一方本筋は、国立能楽堂で早乙女修吉が「鵺(ぬえ)」という能の演目を観劇する場面から始まる。観劇中に、鵺を演じるシテが舞台上で、ドン、と足を踏みならしたその瞬間に、唐突で突飛な考えが、天から舞い降りてきたかのように、湧き出でてくる。修吉が心中に抱いていた南朝の大忠臣・楠木正成に関する疑問点が突然氷解するのである。だが、それは修吉を悲劇に陥れる原因になる。
 修吉はいつもの習慣としている散歩中に、何者かに襲われて、おそらくプッシュ型注射器を使ったと思われる筋注で、アルカロイド系毒物を打たれて危篤状態に陥る。毒物の成分は判明しない。神宮医大病院の集中治療室で処置を受けるが、半日持つかどうかの危険な状態になる。

 早乙女修吉は孫の早乙女瑠璃に、『太平記』を手渡しそれを読めという課題を与えていた。瑠璃が読み終えたら、修吉は自分が観能中に啓示を得た楠木正成に関する疑問点氷解の内容について話すつもりでいたようなのだ。事件発生後に、瑠璃はそうではないかと推察する。
 瑠璃という名前は修吉が名づけ親である。瑠璃自身は画数の多い難字の名前に辟易とした思いを抱き、その由来すら聞かされたことがない。瑠璃は冷たい祖父という思いを抱き続けてきた。
 その瑠璃が電話で祖父危篤の連絡を受け、病院に駆けつける。瑠璃は神宮医大病院の薬剤師である。
 駆けつけた病院で偶然に高校時代の同級生、山本京一郎に出会う。京一郎に声を掛けられたのだ。京一郎はフリーのライター。歴史作家になっていた。病院に骨折の治療に来ている担当編集者にゲラを直接渡しに来たのだという。
 瑠璃は京一郎が『太平記』を読んでいて、わりと得意な時代だと知る。そこで、瑠璃が京一郎に一人で考えるには時間がないので協力を頼む。ここから、謎解きストーリーが展開していく。

 この小説の構想は、ダン・ブラウンの小説、ハーバード大学教授のロバート・ラングドンが、ある種のヒント、キーワードを手がかりに史実を結び付けて謎解きでローマ市内や、特定の都市内を駆け巡るといういくつかのストーリー展開に通じる側面がある。
 瑠璃はアルカロイド系の毒物の正体を解明し、危篤状態の祖父を生還させるためにも、祖父が事件発生前の直近に瑠璃に与えた『太平記』についての課題。そこに含まれた謎を解明する必要があると判断する。修吉は瑠璃に「楠木正成に関する部分を読んでおけ」と言っていたのである。
 この小説では、いくつかの手がかりから、東京都内とその周辺を京一郎のジープで駆け巡り、謎の究明をするという展開になる。時間との勝負の中でのこの駆け巡りがおもしろい。関東にある名所・史跡と楠木正成の関わり探索という歴史ミステリー側面がまず興味深い。

 その謎解きのスタートラインとなる情報がある。ベースは『太平記』の楠木正成に関わる内容だ。それに加えて2つの情報を瑠璃は入手する。
1.瑠璃が病院に駆けつけたとき、父の功が瑠璃に名刺ほどの大きさの紙が印刷されたコピー用紙を示す。そこには「楠木」という名前をデザイン化したような形が描かれていた。南という字を中にして両側に木という字が結合した形である。祖父のシャツのポケットに名刺大のその紙が入っていたという。これが何を意味するのか? 瑠璃は楠木正成との関連が?とドキリとする。
2.瑠璃は京一郎のジープに乗り、マンションに『太平記』を取りに戻る。マンションから出て来たところを、瑠璃は一人の男に飛びかかられる。危ういところを京一郎が助ける。『太平記』を受けとった京一郎がパラパラ本とページをめくっていると、一枚のメモ書きがハラリと落ちた。それは修吉の書いたメモだった。
  『辨財天 - 瑠璃。
   増長から持国
   神- 国 - 霊。正成の顔は・・・・・』

 これらを手がかりにして、瑠璃と京一郎は、東京を駆け巡る羽目になる。
 
 京一郎は、結婚して四国の今治に住む姉の千裕に電話連絡をして大森彦七盛長についての調査を頼む。姉は大学で日本史を専攻し、大学院まで行っている。この姉の知識と行動力が大きなサポ-トになっていく。

 大正15年生まれの祖父修吉は、自ら志願して神風特攻隊員となった。だが、特攻直前、紙一重の所で終戦を迎えたという経験をしている。

 この小説の興味深いと私が思うところをいくつか列挙しておきたい。
1. 著者の立論、仮説自体のおもしろさ。それとともに、南北朝期の後醍醐天皇、楠木正成、足利尊氏らに関する史実の側面が学べること。

2. このフィクションの設定で、実在するさまざまな名所・史跡が駆け巡られる。瑠璃と京一郎が訪れた場所を結んでいくと、おもしろい図形が現出する。
 この小説自体を横に置いたとしても、その描き出された図形がおもしろい。そこには、もともとそうする設定を誰かが意図したという背景があるのだろうか? 

3. 楠木正成の旗指物「非理法権天」について、京一郎の解釈だとして、おもしろい解釈を最後に付録のようにして書き込んでいること。
  
4. 瑠璃と京一郎の東京での駈け巡りが、副産物として、読者には史跡案内、観光案内的な情報源にもなること。これはダン・ブラウンの小説の副産物と同じ次元での読者へのおまけと言える。

5. 主人公である瑠璃の名前の由来が解き明かされること。また、瑠璃からみた祖父との関わりかたが、実は祖父自体の理由から全く別の解釈状況が生じてくること。そこには祖父の孫に対する愛情があり、祖父の自制心の発露だったことが最後にわかるという次第。
6. 観阿弥の出自について、楠木正成の血脈と関わる可能性の論議を紹介していること。

 最後に、このストーリーのメインは、瑠璃の部屋の固定電話の呼び出し音が午前7時前に鳴り、3時間弱しか寝ていない瑠璃をたたき起こすところから始まり、午後3時前後までの時間との闘いでもある。その間の謎解き駆け巡りストーリーである。
 この現在と過去のストーリーの関わり方と終わり方を楽しんでいただくのがよいだろう。著者の仮説提起が余韻としてのこる。まさに「秘伝」なのだ。
 
 ご一読ありがとうございます。

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補遺
楠木正成 :ウィキペディア
楠木正成 :「コトバンク」
あの人の人生を知ろう ~ 楠木 正成 :「文芸ジャンキー・パラダイス」
後醍醐天皇 :ウィキペディア
後醍醐天皇 :「コトバンク」
足利尊氏  :ウィキペディア
足利尊氏  :「コトバンク」
大森盛長  :ウィキペディア
大森彦七  :「コトバンク」
大森彦七  :「常に此の 磐に滿津る 文字なり」 
大森彦七道に怪異に逢ふ図  :「妖怪図鑑」
湊川神社の由緒 :「湊川神社」
湊川神社  :ウィキペディア
四條畷神社 :「玄松子の記憶」
四條畷神社 :ウィキペディア

鵺 曲目解説 :「鐵仙会」
能「鵺」全文現代語訳  :「立命館大学能楽部」

菊水作戦 :ウィキペディア
沖縄戦の神風特攻隊 1945 Kamikaze :「鳥飼行博研究室」
神風特攻隊 第二御楯隊の編成と出撃 :「海軍飛行場 香取航空基地」
第二御楯隊の碑  青木泉蔵氏  :「なにわ会」

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徒然に読んできた作品のうち、このブログを書き始めた以降に印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。(シリーズ作品の特定の巻だけの印象記も含みます。)

『神の時空-かみのとき- 五色不動の猛火』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 伏見稻荷の轟雷』  講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 嚴島の烈風』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 三輪の山祇』 講談社NOVELS
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』  講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『七夕の雨闇 -毒草師-』  新潮社
『毒草師 パンドラの鳥籠』 朝日新聞出版
『鬼神伝 [龍の巻] 』 講談社NOVELS
『鬼神伝』 講談社NOVELS
『鬼神伝 鬼の巻』 講談社
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS


『電王』 高嶋哲夫  幻冬舎

2017-02-14 16:09:15 | レビュー
 将棋界で、対局中に将棋ソフトを参照していたという疑惑騒動が世を賑わせたのはついこの間のことである。疑義を抱かれた某九段はさぞや悔しい思いをされたことだろう。あの騒動事件とは全く次元の異なるが、将棋を題材にしたフィクションである。将棋ソフトに関連した小説として一足早く連載され、2016年12月に単行本で出版されたのが本書である。奥書を見ると、「ポンツーン」の2015年12月号~2016年8月号に連載されたものに加筆修正されたという。

 この小説は、将棋ソフトと棋界の名人との対決をクライマックスとし、そこに至るプロセス展開をストーリーにしている。既にコンピュータ・ソフトとその道におけるトップクラスの人間との対決は、チェスの世界、囲碁の世界では実現している。その流れの延長線上で「将棋電王戦」が2010年からスタートしている。この小説は現代社会の一面をタイムリーに採り入れた作品と言える。

 プロローグは、二階の窓から富山湾を望むことができる老舗旅館「望海廊」で人間対マシンの将棋対決がまさに始まったシーンからスタートする。それはエピローグで対局が幕を閉じるシーンと照応する。
 ストーリーは「現在」と「過去」のストーリーがパラレルに進行し、最終ステージでその2つのストーリーが合流する。
 この小説、構想がスッキリと明確でストレートな流れに構成されており、早く先が読みたくなることと思う。そこに、将棋ソフト開発、人間関係、企業経営という異なる視点でのウィチングの興味が同時進行で深まっていくのでおもしろい。

1.将棋界の名人と将棋ソフトのマシンが対決する。
 その点はプロローグで明確となる。将棋界の第76期名人、取海創(とりうみそう)がマシンと対決する。マシンの操作を行うのは東都大学理学部情報工学科教授の相場俊之(あいばとしゆき)である。相場は人工知能の分野では世界的な実績を上げている研究者である。
 相場が操作するマシンに搭載された将棋ソフトは、「現在」のストーリーのフェーズで語られて行く。元々相場の研究室に属する修士課程の秋山が卒論のテーマに将棋ソフトの開発を提案してくることに始まる。将棋ソフトにAIを組み込むという応用視点が卒論のテーマに認められる。それがなぜ、棋界の名人とマシンの対局になるのか? そこによませどころがある。

2.「現在」のストーリーは、将棋ソフトの開発プロセスが中心に展開していく。
 将棋ソフト同士の対局戦による最強ソフトの開発、そして将棋における人間(名人)対マシンの夢の対局を実現する、そして将棋ソフトが人間を凌駕する、そこにソフト開発者の夢とロマンがある。
 秋山を中心に仲間たちが将棋ソフトを開発し、電王戦出場で優勝を目指す段階から始まる。つまり、将棋ソフト同士の対局ステージで如何にして優勝できるソフトを開発するかである。彼らにとってその出だしは一次予選敗退だった。秋山は将棋ソフト開発にAIを組み込み、修士論文を兼ねるという面白い発想を提案する。相場は指導教授として、そのソフト開発に対しアドバイスをする立場になる。
 より強力な将棋ソフトの開発プロセスそのものがストーリーとなる。開発する側の人間たちを描くので、ソフトのプログラミングや棋譜の知識がない門外漢でも十分楽しめる。将棋ソフト大会の進行がどんな状況になるのかも大凡このストーリーでイメージできる。この小説から、読者には実在する「将棋電王戦」などへの関心が高まるかもしれない。
 第一ステップは将棋ソフト大会での優勝が目的なのだ。だが、それが、人間対マシンの将棋対局にステップアップするのはなぜか? そこに仕掛人が登場してくる。『週刊ワイズ』の記者花村勇次である。彼が相場の過去を知っていて、人間対マシンの将棋対局、それも名人とマシンの対局実現の画策と推進役をするのである。
 
 相場と花村はこんな会話をする。
相場「僕には過去を懐かしんでいる時間はないんだ。今を乗り切るのに精一杯だ」
花村「そう言いきれるかね。人間なんて過去があっての今の自分がある。忘れようたってわすれられるものではない。過去と向き合うことも必要だ」

 ここで、現在のストーリーの展開にあたり興味深い設定がなされている。
 相場俊之: 将棋界の「奨励会」に入り、天才少年の一人と呼ばれた時期がある。そして、ある契機で将棋の道を断念して、学問の世界を選択し、人工知能の領域では世界に名を知られる研究者となった。 相場は学問の世界に進んでからは、将棋界との繋がりは一切断ち、自ら将棋については封印してしまう。
 修士の秋山: 小学校6年で「奨励会」に入り、4年居て高校に入るときに退会したという苦い体験を持つ。プロにはなれない、タイトルには遠く及ばないと断念したという。
 記者の花村: かつて「奨励会」に所属しプロ棋士をめざしたが、年齢制限に引っ掛かり、7年前に退会して週刊誌の記者に転じ、将棋界の取材記事を書く立場になっている。相場の将棋界との関わりの過去について調べ尽くしている男である。マシン側の相場を引っ張り出すことをねらう。  
 
 そして、人間対マシンの対局で面白いのは、若手のプロ棋士がソフトに対する偏見や抵抗がなく、将棋ソフトで練習した世代という時代状況を織り込んでいることである。取海創は数学の領域に強く、将棋ソフトにも抵抗感を抱かず、その弱点を突くことに興味を持つ世代として描いている。

3.「過去」のストーリーは、主に相場俊之と取海創の物語である。相場の回想という形でストーリーが始まる。24年前、8歳で小学校2年の時から始まる。相場は父の弟である元治から本将棋の駒の動かし方を教えられ、将棋のおもしろさに引き込まれていく。そして、2年の終わりに大阪から引っ越して来て、同級生となる取海との出会いが始まる。将棋を相場が取海に教える。取海は将棋が己の生きる道と見定めていくようになる。
 このストーリーで興味深いのはこの二人の家庭環境の背景設定である。取海は貧しい家庭の子供である。父親が刑務所に入っていて、母と妹の3人が転居してきたといううわさもある。相場とは学校で唯一の親友関係となる。トシちゃん、ソウちゃんと呼び合い、将棋を介して一緒に過ごす時間、密度が濃くなっていく。相場から将棋を知った取海は、己の能力に目覚め、将棋という道で、金を稼ぎ母を助け、棋界のトップに立つことを目標と定める。小学校から、将棋中心の人生を始めて行く。将棋を生活の手段と見なし、頂点に立つというハングリーな精神を横溢させている。勝ち抜くことをめざして将棋の技量を高め、ランクを上げていく。
 一方、東洋エレクトリックと称し、現在は電子部品分野を手掛ける中堅企業がある。曽祖父の代に設立された同族会社で、相場の父親が会社社長を継承している。相場はかなり裕福な家庭の長男なのだ。金銭面の苦労はなかった。さらに、相場の弟は音楽家を目指していたが、己の才能に見切りをつけ、東洋エレクトリックに入り企業人の道を選択した。そのことから、相場は家業の継承という束縛から自由となる。相場にとっての将棋は楽しみの世界である。自分の能力を伸ばせるという側面での楽しみの域をそれほど出ない。プロ棋士を目指すという明確な動機づけがあるわけではない。取海が将棋の腕を上げるのに連なる形で、相場も腕をあげ、二人の天才少年と世間に言われるようになっていく。
 こんな二人がどうなるか。なぜ道を分かち、別々の歩みとなるのか。そのストーリーが綴られていく。
 俊之と創が将棋の世界に踏み込み、「奨励会」の入るというプロセス、及びその後のストーリー展開の中で、将棋界の仕組みがわかるのも、門外漢には新鮮でおもしろい。ああ、こんな仕組みになっているのか・・・・。プロ棋士の世界の大変さの一端がイメージできる。
 二人の出会いと、将棋道場・奨励会での切磋琢磨、そして二人の人生の道が分かれる。そこに深い意味が潜む。そして再び形を変えた二人の対局となる。その必然性の歩みが興味深い読ませどころといえる。

4.この小説の楽しめるところは、そこに東洋エレクトリックという中堅企業が抱える中期的スパンでの経営問題が絡んでくることである。東洋エレクトリックの経営者の一員になって行こうとする弟の賢介が兄の俊之に手助けを求めてくる。そこに日本の優良中堅企業が抱える悩みが投影されている。その状況設定にはかなりリアリティがある。
 相場俊之がいささか関わる家業の東洋エレクトリックがなぜ、このストーリーに登場しなければならなかったのか? それが徐々にあきらかになっていく。また、それが相場俊之の人生における次の選択とも関係していくところが興味深い。

 そして、エピローグの終わり方には、人間対マシンの対局を越えた余韻を残す。このエンディングの設定が特におもしろい。

 ご一読ありがとうございます。

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この作品を読み、小説からの関心の波紋でネット検索した結果を一覧にしておきたい。
日本将棋連盟 ホームページ
調査報告書 概要版  2016.12.26付 公表
将棋連盟、谷川会長が辞任会見で語ったこと  :「東洋経済ONLINE」
超人気棋士が抱く「将棋ソフト」への拒否感   :「東洋経済ONLINE」
将棋電王戦  :ウィキペディア
人間VSコンピューター 人工知能はどこまで進化したか :「クローズアップ現代」(NHK)
   No.3155 2012.2.8
羽生善治三冠、コンピューター将棋との対戦ならず。叡王戦準決勝で佐藤天彦名人に敗れる

人工知能「第3の波」、囲碁でも人間に勝った! :「東洋経済ONLINE」
人間対コンピュータのチェス :「21世紀チェス」
コンピュータチェス  :ウィキペディア
人間対コンピューターのチェス対決から知能の本質に迫る :「WIRED」
   2002.10.23
IBM元開発者「チェス王者にスパコンが勝てたのは、バグのおかげ」:「WIERD」
   2012.10.3
連載 人間vsコンピューター 10番勝負! :「HH News & Reports」
      チェス対決第1回
コンピュータ囲碁  :ウィキペディア
人間はもうコンピューターに勝てない?Google主催の囲碁対局から学ぶ(前編)
   2016.3.30   :「CHANGE MAKERS」
コンピューターvs.人間 囲碁の初戦の結果は…… 2016.3.9 :「BuzzFeed]
[オピニオン]囲碁、人間vsコンピュータ 2016.1.29 :「東亜日報」

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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『イントゥルーダー』   文春文庫
『原発クライシス』     集英社文庫
『風をつかまえて』    NHK出版
『首都崩壊』       幻冬舎


『謎手本忠臣蔵』  加藤 廣  新潮社

2017-02-11 12:46:56 | レビュー
 長年本棚に積んでおいた本を取り出してきて、昨年12月のいわゆる赤穂浪士敵討ち実行の日と言われる時までに読み終えていた。それまでに印象記をまとめようと思いつつ、続きに他の本を読み始め、機を逸してついつい遅くなった。
 
 本書のタイトルは、あきらかに「仮名手本忠臣蔵」を下敷きにして、それをもじったタイトルだろう。そうすると、「仮名手本忠臣蔵」とは何か? から始めるべきだろう。
手許にある『大辞林』(三省堂)を引くと、「仮名手本忠臣蔵」の項は次のように記す。「人形浄瑠璃の一。時代物。竹田出雲・三好松洛・並木千柳作。1748年竹本座初演。通称『忠臣蔵』。赤穂義士の仇討ち事件を題材としたもの。時代を『太平記』の世界にとり、塩谷判官(浅野内匠頭)の臣大星由良之助(大石内蔵助)ら四十七士が高師直(吉良上野介)を討つことを主筋に、お軽・勘平(菅野三平)の恋と忠義などを副題に脚色。初演後すぐに歌舞伎にも移された。人形浄瑠璃・歌舞伎の代表的演目で、興行して不入りのことがないところから、芝居の独参湯(どくじんとう:起死回生の妙薬)と称される」
 また、「仮名手本」について、その第一羲は「いろは歌を平仮名で書いた習字の手本」とある。そして、第二義に「仮名手本忠臣蔵の略」と説明する。この第二義は、浄瑠璃で演じられすぐさま歌舞伎の演目となり、大評判となった結果、仮名手本と言えば「仮名手本忠臣蔵」をすぐに連想するほどに世に浸透したことによるという。
 手許にある『日本語大辞典』(講談社)もほぼ同じ説明で、「赤穂義士の敵討ち」と記す。『広辞苑』(初版)は、両辞典より簡略な説明で「赤穂四十七士復讐の顛末」という表記が見られる。最新の版が初版より詳細な説明になっているのかどうかは確認していない。

 これだけの情報でも、いくつか興味深い論点が含まれている。
1. 現時点で捉えると、史実を追究する研究者も「赤穂事件」という表記の他に上梓した本のタイトルに「忠臣蔵」という用語を使用している。勿論さまざまな作家が小説というフィクションの立場から「忠臣蔵」と表記する。本書の著者もその点は同じである。それだけ、「仮名手本忠臣蔵」というタイトルが創造され「忠臣蔵」が世に定着してしまったということだろう。
2. 「敵討ち」「仇討ち」「復讐」と表記に違いがあるが、元禄の泰平の世に勃発したこの「赤穂事件」を世間の庶民はじめ武士も含めて、武士の忠義という理念の有り様について考える「手本」とみることに賛同したのだろう思われる。そうでなければ「独参湯」になるわけがないからだ。観劇することで一種のカタルシスを感じるとすれば、そういう有り様が最早形骸化していたということの裏返しではないか。
 「仮名手本」という語彙の原義からすれば、まさに武士の手本というニュアンスが浄瑠璃として書き上げた著者に織り込まれていたのだろう。それに人々が賛同したということになる。そこには当時の社会諷刺の側面も含まれているようにも思う。
3.「赤穂浪士」なのか「赤穂義士」なのか? これもおもしろいところ。
 本書の著者は「赤穂浪士」と本書で表記する。手許に入手した忠臣蔵関連小説の中の最長編作・船橋聖一の『忠臣蔵』は赤穂浪士と書く。海音寺潮五郎は『赤穂浪士伝』として人物短編を書いている。火坂雅志は『忠臣蔵心中』で「赤穂の浪士」と書き、森村誠一は『吉良忠臣蔵』で「赤穂一党」という語句を使う。
 討ち入りまでのプロセスでは基本的に浪士と解され、結果が出た後に義士として評価するという転換があるように受けとめた。浄瑠璃、歌舞伎はその結果を前提としているので、「義士」というコトバで、「仮名手本忠臣蔵」の辞書的説明がなされているということなのだろう。
 討ち入り前に発覚して捕縛されていれば、狼藉な浪人の徒党と烙印を押され、抹殺されていたことだろうから。

 脇道から入ってしまったが、本書は「仮名手本忠臣蔵」、先人作家の「忠臣蔵」関連小説そ存在をまず前提として、新たな視点だということを意図的に一見で感じられるように、「謎手本」とう語句をタイトルにつけたように感じた。
 それは、「仮名手本忠臣蔵」が忠義、義理人情にターゲットを置いて、赤穂事件を下敷きにしつつも、別時代のお話に衣替えしたこととの創作舞台の対比がまずある。多くの現代作家と同様、赤穂事件そのものを主題にする。
 そして、赤穂事件が成功するに至った原因がどこにあるかという「謎」の解明に主眼を置くというメッセージが、「謎手本」というネーミングにあるのではないか。大石内蔵助を筆頭にした赤穂浪士の行動プロセスに秘められた「謎」の部分に迫るという意図があるように思う。大石内蔵助の行動の謎がその筆頭にある。更に、著者は徳川幕藩体制の中で、赤穂事件が成功した「謎」が当時の徳川幕府と朝廷、徳川治政下の一般庶民の世評感という政治的なダイナミクスの側にあると、解き明かしているように思う。その側面での黒子的存在が柳沢保明だとしているように受け止めた。忠臣蔵の史実を踏まえ、未解明の部分の謎に解釈の手本を示すという大胆な意図を秘めたネーミングなのかもしれない。
 
 この小説を読んだ第一印象は、大石内蔵助を主人公として描きながら、コインの両面の如く、五代将軍の御側用人筆頭・柳沢出羽守保明を陰の主人公としてパラレルに描いていくストーリーだということ。大石内蔵助が目的を達した裏には、柳沢保明の陰での密かな画策があった。結果的に赤穂事件がうまく収束するように、誰にも悟られぬように、あたかも透明人間的に立ち回った知られざる存在があった。そんなおもしろい謎解き視点に興味を抱いた。
 第一章が元禄十四年の「柳沢保明周辺」から始まることからも柳沢保明が裏主人公と窺える。このストーリーの展開を見ると、松の廊下での浅野内匠頭の刃傷沙汰発生において、将軍直近の官僚として、浅野内匠頭に切腹を命じる即断を推進したのが柳沢安明である。それは幕藩体制維持の大原則を為政者の側近としての立場だ。一方、赤穂浪士の目的成就を間接的に見守って、将軍の願望達成を第一に置き、幕府の体面を維持し、世間大衆の思惑に対してもうまく対処するために、大石をはじめとする赤穂浪士を密かに間接的にサポートしたのも彼であるという観点で描き出しているように受け止めた。
 大石内蔵助と柳沢保明が直接に絡み合う場面は出て来ない。しかし、柳沢保明が徳川幕府官僚として高みから、大石内蔵助とその周辺の動きを監視しつづけ、世相を勘案しながら見守り続けているという立場でいる。幕府の安泰という視点から優先順位付して、政策的に赤穂浪士の動きを捉えて、手配りをして行ったというストーリーの書き込み方がおもしろかった。多分その陰の行為を想像させる時宜の一致した断片的史実が点在するのだろう。本書には、吉良上野介をどう扱うと幕府にとって得策かという柳沢保明の頭脳を介した著者の視点があるように思う。

 この小説では、将軍綱吉が母・桂昌院に朝廷から従一位の位を授けてもらいたいと切望する。幕府から朝廷への働きかけの推進を柳沢保明が担っている。柳沢保明の立場から著者はこれを「桂一計画」と称している。
 この「桂一計画」において、吉良上野介が朝廷への交渉役として当初から関わっていたことに、まず発端がある。そして、江戸城での朝使の饗応役を指示されたのが浅野内匠頭。浅野内匠頭に饗応役というお鉢が回ってきた背景を書き込んでいるところがまずおもしろい。朝廷との交渉役であり、儀式典礼に詳しい高家としての上野介に、田舎大名の浅野内匠頭がまず指導を仰ぎ、そつなく饗応役の役目を終えようと努力する。しかし、結果は松の廊下の刃傷沙汰を引き起こす。そこに何があったのか。事象的には、当日江戸城への朝使の登営刻限変更があったという。登営刻限が早められたのだ。それはなぜか?
 ストーリーが進展する中で浅野家と朝廷側との浅からぬ関係が背景に潜んでいたとする解釈が新鮮だった。

 一見では意味不明な遺言を浅野内匠頭は残したという。
「兼ねて知らせ申すべく候へども、今日やむ事を得ず候ゆえ、知らせ申さず候」
この曖昧な表現に隠された意味の解明、謎解きが重要な問題になっていく。ここに、松の廊下の刃傷沙汰が内匠頭の乱心なのか、実はそうではなかったのか・・・・が謎解きされていく。大石内蔵助がその意味の謎解きにこそ、敵討ちの大義名分の根拠があるとする。この謎解き、なかなか興味深い展開になる。大石に内匠頭の無念の秘密を知るのは、江戸住まいのお部屋様(瑶泉院)のみと推断させている。大石が江戸に出て、密かにお部屋様に会える機会づくりとその成功がまず、関門となっていく。

 大石内蔵助は国家老だったが、主君内匠頭の寵臣ではなく、ある種の距離を置いた合理的思考の人物と描く。主君は算勘定の細かい数字に強い大野九郎兵衛を寵愛したという。主君に寵愛されなかった大石が討ち入りをし、寵愛を受けた大野が四十七士には加わらなかったという結果もまた興味深い。
 著者は大石のプロフィールの一端としてこんな局面を書き込んでいる。春風駘蕩の姿が地だった。武術は専守防衛でよいとし、型の武術練習を否定した。不意の攻撃への防御・居合い抜きの術を重視し、奥村無我の東軍流を修得した。上に立つ者は大局観こそ大事、本音と建前は使い分けねばならないとする。尚、大石は合理的な理詰めの思考をする人物として描いてく。計画の立案とともに、そのリスク対策を考え、時には臨機応変に計画を変更していける能力を備えていたとする。大石の合理的思考は冷徹さや見切りと繋がっている。そして、大石の思考の背景に、浅野家と朝廷との浅からぬ関係があったとする。

 そんな大石が赤穂城の開城引き渡しに執った策と行動に端を発し、四十七士となった人数による討ち入り決行までの人選プロセスが実に合理的であり、おもしろい。そして、江戸詰めの赤穂浪士と国許勤務だった赤穂浪士の敵討ちへの情動の温度差の描写とそれら人々への大石の対処策も、討ち入り計画プロセス物語として、読み応えがある。人が己の思考と感情をどこに基盤を置きコントロールしているかの違いを感じとらせる。
 例えば、刃傷事件が発生した時点で、赤穂浅野家には300人近い藩士が居たという。公称53,000石の禄高では、当時の大名が直接抱える人数は平均禄高の0.3%以下だったので、適正数は150人、多くても170~180人と著者は記す。つまり、大石内蔵助の算段は、藩取りつぶしの憂き目に遭う段階で、如何に不平不満を抑えながら、まずこの最初に騒動が起きないようにうまく軟着陸させることから始まるのである。このあたり、討ち入り計画の以前の問題を如何にうまく乗り切るかである。このあたりをかなり詳細にストーリーに盛り込んでいくところは、経営コンサルタントも経験した著者ならではの謎解きのスタートといえる。「こんなに多くては話にならぬ」「どうしたら、この数を減らすことができるか」と大石に思案させるところから始まっている。
 
 大石が京の山科に居を構え、日夜放蕩三昧の姿を表面は示す。幕府方の隠密の躍動を如何にくぐり抜けるかからきた行動のようであるが、その遊びの一面は大石の本音部分でもあったようだ。著者は本音と建前の絡み合った放蕩三昧と描いているように思う。
 このストーリーでは大石が主に伏見の橦木町の遊郭を拠点にしていたと描く。芝居や映画のフィクションではたしか祇園での放蕩場面がメインになるようだが、このあたりは史実に近い背景描写が行われている。著者がこの放蕩三昧に大石が費やした費用のことまで触れていて、かつそれが討ち入り計画のための公金の利用ではなく、大石の蓄財私費で賄い、峻別していたという点まで書き込んでいて、この点も大石内蔵助のプロフィールを形成する上で実に興味深い。世の政治家、高級官僚への「手本」にすべきところか。
 著者は、柳沢保明が大石の立ち回りそうな遊郭にも、女隠密を潜ませる指示を出し、それが実行された上で、大石が隠密がなりすました遊女と深い仲になる設定にしていくところもおもしろい。

 この小説で、著者はかなり討ち入り計画の準備・実行の客観性とリアル感に注力していると感じる。それは計画の原動力となる資金について、かなり具体的に金額を書き込んでいることと、討ち入り当日の彼我の戦闘能力の視点を分析的、具体的に数字を付して書き込んでいることにある。著者は書く。「初めから戦闘にならなかった」(p212)と。これも、討ち入りという課題プロジェクト達成という視点出見れば、成功要因の謎解きである。

 本書を読み興味深く印象に残った点をいくつか補足として触れておきたい。
1.大石内蔵助が、浅野内匠頭の弟である浅野大学の決断去就を見極めようとしたということ。この辺り、著者の創作がどの程度入っているのか、興味がある。
2.大石たち赤穂浪士の討ち入りの武具衣裳などの調達を引き受けたのは、京の綿屋善右衛門と明記し、その諸道具の江戸への搬入プロセスをかなり具体的に描写していること。
 大石内蔵助ら赤穂浪士を支援した大坂の商人として天野屋利兵衛の名が一般には知られている。国語辞典にもその名称が載っている。(広辞苑初版、大辞林、日本語大辞典で確認)尚その真偽を保留している辞書もあるが。ここにも著者の謎解きがあるのか。
3.ある機会に、国学の大家となった荷田春満(かだのあずままろ)が若き頃、江戸に出て羽倉斎(いつき)と称していて、吉良家との接点があったこと。赤穂浪士の討ち入りに於いては、情報を提供する支援をしていたということを知った。この小説を読み、羽倉斎が登場するので、やはり・・・と思った。
 そして、もう一人、支援者として細井広沢という儒者を登場させている。柳沢保明に重用されていた人物であり、柳沢家を致仕した人。この小説で私は初めて知った人物である。この人物の支援はどこまでが史実を踏まえ、どこから著者のフィクションが入っているのか、興味深いところでもある。
4.吉良上野介の首を獲った後、赤穂浪士一党は泉岳寺に向かう訳であるが、どの道をどのように通過したのかについて、リアルに描いていることが印象深い。ある種の凱旋行進的なイメージを何となく抱いていたのだが、真逆の慎重なできうる限り秘やかな行動だったという描写は納得度がある。大石の為政者視点、合理的現実感覚に合致すると思った。
5.赤穂事件とからめていくように、赤穂塩をこのストーリーに取り込んでいることが、著者の実務感覚からなのかどうか・・・・。その着想を面白いと思う。
 
 著者は、大石内蔵助があ「吉良邸討入り策覚え」という文書を記したと描写している。これは著者のフィクションなのか、事実そういう文書が残されているのだろうか。読者視点での「謎」が残る。事実レベルで忠臣蔵を論じた本も数冊出ている。いずれ、史実ベースの忠臣蔵も読み進めていきたい。入手して積ん読になっている。
 史実レベルでの忠臣蔵分析書を読んで、再びこの小説に立ち戻って、再読したうえでフィクションとしての「謎手本」をレビューすると面白いかもしれない。

 ご一読ありがとうございます。
 

補遺
元禄赤穂事件の一部始終  ホームページ
  赤穂義士祭
大石良雄  :ウィキペディア
大石内蔵助の「内蔵助」をなぜ「くらのすけ」と読むのか。
     :「レファレンス共同データベース」
吉良義央 :ウィキペディア
吉良上野介を巡る旅 :「西尾市観光協会」
柳沢吉保  :ウィキペディア
柳沢吉保  :「コトバンク」
細川広択  :ウィキペディア
細川広沢  :「コトバンク」
荷田春満  :ウィキペディア
天野屋利兵衛  :ウィキペディア
男でござる天野屋利兵衛  :「西粟倉村」
上杉家9代目当主 吉良上野介の子孫でもある上杉家から見た「忠臣蔵」 :「dot」
忠臣蔵・元禄事件とは?  八切止夫氏

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このブログを書き始めた後に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『利休の闇』  文藝春秋
『安土城の幽霊 「信長の棺」異聞録』  文藝春秋



『日本庭園の歴史と文化』  小野健吉  吉川弘文館

2017-02-03 10:48:31 | レビュー
たまたま書名に惹かれて本書を手に取った。「はじめに」、「あとがき」、「著者略歴」を読むと、奈良文化財研究所副所長で60歳定年を迎えられる前年に本書を上梓されている。遺跡の発掘調査や整備などとともに、日本庭園の歴史の研究に30年近く携わってきたプロの研究者である。インターネットで検索してみると、現在は和歌山大学観光学部の教授に就任されていることがわかる。
 本書を読み、著者が2004年に『岩波日本庭園辞典』、2009年に『日本庭園-空間の美の歴史』(岩波新書)を上梓されていることを知った。日本庭園と歴史の概要書という形の新書が出版されていることを知らなかった。まず、この辞典の方は用語を引くのに便利かと早速入手した。新書の方も読書予定に加えたいと思っている。

さて、本書はプロの研究者としての著者が、『奈良文化財研究所学報』を主体に、他の専門書・専門誌にも執筆・発表された日本庭園の歴史をテーマとする論文8編を選んで取りまとめられた本である。著者の論文集と言える。
 私自身は、日本庭園に関心を抱く一般読者として本書を読んだので、この分野の研究者が本書を読まれれば、その印象や所見はかなり違うかもしれない。「はじめに」の後半で、著者自身が「各編で私が目指したところを紹介しておきます」と記し、論文の主旨を簡潔に記されている。この見開き2ページの梗概をお読みになれば、著者の意図と立場を読み取られることと思う。

 本書を読んだ一般読者・好事家の立場で読後印象記を少しご紹介する。本書の中で関心を持たれた日本庭園の箇所を読んでみようかという契機になれば、幸いである。

 著者の論文8編は、日本の歴史の流れに沿う形で章立てして構成されているので、読み進めて行くうえで、割合読みやすかった。論文の詳細な記述、研究論点を十分に理解できたとは言いがたいが、論点と所見の主要点は大凡把握できたように思う。今後、寺社の庭園を訪れるうえで、少しベースとなる知識が得られたので、読み応えがあったと思っている。
 著者自身の要旨紹介の2ページを踏まえて、読後の覚書を兼ねてまとめてみる。

 まずいくつか一般読者にも良い点を述べておこう。
1. 論文なので註として情報のソースが一覧にされている。関連情報をたぐるソースとなる。
2. 各章に庭園と建物の実測図、復元図、鳥瞰図などが明示されている。また発掘場所などの場合は、キーポイントの遺構写真が掲載されている。そのため庭園の状況をイメージしやすくなっている。ビジュアライズされた資料は、後で利用するのにも大いに役立ちそうである。
3. 論文の定石なのだろうが、論文の論点、所見の要約が概ね最後の箇所で要約されている。素人には通読した論文の主要点を確認でき、理解を促進できる。

 それでは、本書の章立てのご紹介と各章で学んだことの一端をご紹介する。

第1章 飛鳥・奈良時代の庭園遺構と東院庭園

 飛鳥時代と奈良時代の間に園池の概念が大きく変化したということを知ったのがまずは収穫である。飛鳥時代の池は直線主体の幾何学的な平面のものであり、奈良時代になり自然風景的な平面を持つ曲地になるという。飛鳥時代の各地で発掘された園池の遺構が見開きページにまとめられていて、わかりやすい。
 飛鳥時代には、園池に配されるのは酒船石、石槽、噴水石、須弥山石、石人像などの加工された石造物であり、それが奈良時代に入って自然石の景石や自然石の有機的な石組みに変化したという。庭園デザインの大転換が起こったそうだ。日本庭園が持つ自然風景的要素を、なにげなく当然の如くに受け止めていたが、その淵源が奈良時代にあったと知り、興味深い。逆にいえば、飛鳥時代というのは、かなり特異な時代だったのかもしれない。飛鳥時代は、推古朝以後の百済の影響、天智朝以降の新羅の影響を受けているという。そして、奈良時代の園池デザインの転換は、遣唐使・粟田真人のもたらした中国・洛陽上陽宮の園池情報が背景にあると推定されている。
 日本的と単純に思っていた園池デザインも、ある意味で輸入概念からの変容と創意工夫の複合なのだということがわかった。目から鱗でもある。
 著者は、「平城宮東院庭園後期におけるデザインは、まさに日本庭園史上の画期をなしたものと位置づけて然るべきであろう」(p20)と言う。

第2章 平安時代初期における離宮の庭園
    ~神泉苑と嵯峨院を巡って~

 神泉苑は幾度か訪れている。嵯峨野の大沢池はかなり以前に眺め、広沢池はつい最近その付近の探訪をする機会があった。そのため、神泉苑と嵯峨院が論じられているのに関心を抱いた。神泉苑が、平安時代の禁裡の宴遊の場であり、時には祈雨・請雨の儀式の場に使われたことを思い、景観の良さを眺め、池に浮かべられた龍頭鷁首の船に興味を抱く位だった。それがどこをモデルにしたものかという発想はなかった。著者は研究者の所見を紹介した上で、「渤海の首都・上京龍泉府において興慶宮をモデルとして築造された『禁苑』を実際のモデルとした」(p30)と結論づけている。
 嵯峨院がある北嵯峨地域の地形環境が「山河襟帯」と称された平安京と相似する点を著者は論じている。両方の場所を目にしながら、そんな視点を持たなかったので、論述を楽しく読めた。

第3章 臨池伽藍の系譜と浄土庭園

 平等院と浄瑠璃寺は訪れたことがあり、その園池を眺め、浄土庭園と称されるものの一端はイメージができている。しかし、臨池伽藍の系譜という視点は持っていなかったので、興味深く読めた。白河天皇が造営したという法勝寺跡地に行ってみたが、もはや現在地からは、その寺域構成のイメージは浮かべようがない。本書で「法勝寺復元図」を見て、参考になった。なお、著者は法勝寺は「浄土教ではなく明かに密教理念に基づく伽藍においても、臨池伽藍が採用されることになる」(p67)と論じている。
 中国には、石窟に「浄土変」と呼ばれる阿弥陀浄土がレリーフの図像として残り、臨池伽藍の姿が遺跡でわかるようだが、その臨池伽藍を実際に造営した寺院はないという。朝鮮半島にもみられないという。そして、この日本で浄土庭園の臨池伽藍が造営され、各地に現存する園池があるというのがおもしろい。
 著者は、日本で発展した臨池伽藍をこの論文で跡づける。藤原道長が造営した「無量寿院型臨池伽藍」を嚆矢とし、そこから拡大展開された「法成寺型臨池伽藍」、そして藤原頼通が造営した「平等院型臨池伽藍」の3つに分類している。
 また、著者は「『浄土庭園』は、阿弥陀浄土を表現するものとして、わが国で独自に成立・展開した臨池伽藍または臨池伽藍に伴う園池空間を指す用語として用いることを原則とすべきと考える」(p68)と立ち位置を明確にする。
 著者による上記辞典を引くと、「極楽浄土をこの世に再現すべく、阿弥陀堂と園池を一体的に築造した仏寺の庭園様式」と浄土庭園を定義している。

第4章 『春日権現験記絵』に描かれた藤原俊盛邸の庭園

 まず、興味深いのは、娘が入内し女院となり、自らも左大臣に昇進した西園寺公衡が発願し、鎌倉時代末期に描かれた『春日権現記絵』という絵巻物が分析対象であること。そこに描かれた藤原俊盛邸の庭園を分析し読み解いていくという手法である。そして、それが製作者あるいは制作依頼者が「貴族の理想の庭園の心象」(p90)としての庭景であり、実景ではないという前提を置きながら、庭園の構成要素を詳細に分析していくアプローチである。博物館などで、有名な絵巻物を何となく眺めている私には、頭にガツン!というところ。ある意味で、鑑賞ノウハウを学べる論文ともいえる。
 ここで著者が分析要素とした事項を列挙すると次のとおり。
水、築山・野筋(造形地形)、石組、植栽、動物、建築物・工作物、である。そして、そこに何が重視されているかが読み取られていく。さらに、対比的に「厩広場の情景と庭内の動物など」にも目を広げる。
 著者は「理想の庭園は都市のなかにあって自然と親和する空間と捉えていた」という。絵巻物の製作の命題が「自然との親和、野生の生命の安全ならびに子孫繁栄」にあると分析し、「人工でありながら本物の自然を囲い込むことを欲望するという、都市文化の高度な到達点を示すものにほかならない」(p91)と結論づける。
 この結論に至る構成要素の分析・解釈プロセスが興味深くかつ、鑑賞という観点で学べる材料になる。
 
第5章 永禄8年の京都の庭園の形態と機能
    ~フロイス『日本史』の記述から~

 リスボン生まれのポルトガル人で、イエズス会の宣教師として来日したルイス・フロイスが編年体で著述した日本におけるキリスト教布教史としての『日本史』を著者は分析対象にする。『日本史』に書き込まれた庭園に関する記述を抽出し、その内容を分析していく。その記述を狩野永徳筆『上杉本洛中洛外図』屏風に描かれた対象と対比分析する。屏風に描かれた対象の絵の部分が、フロイスの記述の対照資料に利用されていくのである。ここにも一つの分析手法の提示があり、かつそれは、絵巻物と同様に風俗屏風絵などの鑑賞を深めるノウハウとして受け止めることができる。参照資料という手段をなるほどなあと思う。
 著者は、フロイスの記述から、東福寺、足利将軍邸、細川管領邸(細川晴元旧邸)、大徳寺塔頭1・2、鹿苑寺、東寺に関係する箇所を抽出し、対比分析を推し進めて行く。絵巻物の場合と同様に、枯山水、池庭、樹木植栽・管理、草花植栽という構成要素を分析する。
 そして、当時の庭園の機能として、静養と慰安、観光資源、秩序の象徴と接遇の装置という3つが存在したとする。
 16世紀、安土桃山時代に、京の庭園が「観光資源」として機能していたというのを面白く思った。それも庭園の見物を許されるのは宗派の帰依者だけであるというのは、なるほどとうなづける。フロイスがそこまで観察しているというのが面白い。
 著者の結論としての解釈例示の中で、特に2つ関心を持った。「フロイスが一種のトピアリーと記述した足利将軍邸の幾何学的と思われる刈込み手法は、日本で独自に発展した可能性があること。大徳寺塔頭の枯山水には四季の草花が植えられており、こうした意匠は、江戸時代の枯山水と比較して、この時代の枯山水の特徴といえること。」というところである。

第6章 醍醐寺三宝院の作庭
    ~『義演准后日記』の記述から~

 著者は、「三宝院庭園の現状」「豊臣秀吉による作庭」「義演准后による作庭」という観点から庭の作庭の変遷を論じている。
かなり以前に、三宝院の庭を拝観した。しかし、その時はここで論じられている観点の意識は全くなかった。見開き2ページの実測図を除けば、実質7ページの論文なので、再訪する時にここのコピーを持参して、現地で読みながら庭を眺めたいと思う。
 この論文で、特に関心を抱いたのは、次の諸点である。
*名石・藤戸石が庭園敷地の東西をほぼ二等分し、宸殿の真南にあるということ。
*秀吉の作庭は、建築に先立って庭園が築造されたという点。
*秀吉没後に行った義演の作庭は非常に長期に及ぶことと、庭師賢庭が中心的役割を担ったということ。(『孤篷のひと』という小説から小堀遠州と賢庭の関わりを知り、賢庭自身に興味を抱いている。)
三宝院の庭園作庭は、時代の経過とともにかなり変化しているようである。その点を現地でどう眺められるか。そこに興味がある。

第7章 『江戸図屏風』に描かれた寛永期の江戸の庭園

 国立歴史民俗博物館が所蔵する『江戸図屏風』に描かれた庭園に着目して、江戸城下町の体裁が整った寛永期における庭園のありようが分析されている。大名屋敷の池泉庭園として、水戸中納言下屋敷、加賀肥前守下屋敷、森美作守下屋敷が取り上げられ、上級旗本屋敷の池泉庭園として、船手奉行向井将監下屋敷、米津内蔵助下屋敷、さらにその他注目すべき庭園として、駿河大納言上屋敷、内藤左馬助下屋敷、御花畠が取り上げられる。それら諸庭園の描写と関連諸文献の記述との対比分析などで読み解かれていく。ここでも比較検討できる諸文献の事実データの重要性がうかがえる。
 著者は水源の確保という重要な観点を具体的に検討していく。有力大名の池泉庭園には、将軍の御成への対応という目的が見事な庭園を造営する重要な理由になっていると分析されている。そして、庭園を眺める視点場としての二階建て数寄屋楼閣が共通点にあるという。つまり、屏風に描かれる都市図は俯瞰図であり、俯瞰景を楽しむ視点場として楼閣が強く求められる施設だったと説く。
 そして、徳川将軍家の茶の愛好も相まって、室町後期から京で根付いていった「市中の山居」が江戸でも導入されて行ったことを例証する。何かの本で、江戸時代、下級武士の間で朝顔の栽培が内職になっていたと読んだことがある。この論文では、「御花畠」の存在から、花卉を中心とする園芸文化を将軍が先導していたという読み解きに触れ、なるほどと合点が行った。
 この論文では、小石川後楽園と東京大学三四郎池がかつての大名屋敷の池泉庭園の遺跡と例示している。現在は東京にどれくらい江戸期の池泉庭園が残っているのだろうか。本書を読み、関心が湧く。

第8章 平安神宮神苑築造記録から読む小川治兵衛と近代京都造園事情

 あるとき、平安神宮が古くから存在したのではなくて、平安遷都千百年記念祭の祭典に際して創建されたということと社殿が平安宮朝堂院の主要建物の規模を縮小したものだということを知った。また、別の機会に神苑を訪れたことはあるが、神苑の築造の背景については詳しくは知らなかった。今回この章を読み、神苑を眺める上でひと味違う視点ができたと思う。改めて、再訪する機会を持ちたくなった。
 この章を読み、改めて平安神宮のホームページの「平安神宮神苑」のページにアクセスし、その説明を読むと、この章で論じられた経緯の結果部分だけはいくつか説明されていることがわかる。
 大きな違いは、そこに記されている説明の築造背景という奥行きが本書で得られたことである。この章でも、コピーを持って神苑を再訪し眺めてみたいという動機づけを得た。現地探訪に深みを加えてくれる章になる。

 日本庭園研究者ではない日本庭園好きの一般読者にとっても、通読しやすく、読み応えがある教養書と位置づけることができるように思う。この8編の論文を研究者視点で議論するのは専門家に任せて、この論文から庭園鑑賞へのヒントをさまざまに得られる点が大いに役立つと思う。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
本書に掲載の事項で関心を抱いた語句、語彙等をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
小野健吉  :「researchmap」
『江戸図屏風』から読み解く寛永期の江戸の庭園  小野健吉 pdfファイル 『日本研究』
東院庭園  :「平城宮跡資料館」
平城宮東院庭園  :「閑古鳥旅行社」
奈良歴史漫歩 No.056 平城宮東院庭園の変遷  橋川紀夫氏 :「奈良歴史漫歩」
神泉苑 ホームページ
嵯峨院  :「コトバンク」
大覚寺 ホームページ
平等院 ホームページ
浄瑠璃寺  :「木津川市観光ガイド」
浄瑠璃寺  :ウィキペディア
春日権現記絵  :「宮内庁」
洛中洛外図  :ウィキペディア
洛中洛外図陶板  :「ギャラリー洛中洛外」
  陶板で再現した上杉本洛中洛外図
三宝院のご案内  :「醍醐寺」
江戸屏風図 歴博ギャラリー :「国立歴史民俗博物館」
平安神宮 ホームページ
  平安神宮神苑

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