遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『名画を見上げる 美しき天井画・天井装飾の世界』 キャサリン・マコーマック 誠文堂新光社

2021-08-29 18:07:58 | レビュー
 世界の名画・彫刻・工芸品などは日本で開催される展覧会でかなり手軽に鑑賞できる時代になっている。だが、天井画は現地に出かけて、見上げて見なければ見ることができない。本書は世界各地の天井画と天井装飾に的を絞って巡り、その天井画写真を主体にし、その描かれた内容について解説した本である。21cm×26cmというサイズ。2021年2月に翻訳版(池上英洋 監訳 大木麻利子、山本真実 翻訳)が出版された。

 本書の表紙はアメリカの合衆国議会議事堂の大広間にあるドーム天井の中央に描かれた天井画。この天井画は本書では一番最後に取り上げられている。中央部に絞り込んだ同じ写真がp226に載っている。大広間の中央下に立って見上げたらこのドーム天井はどんな感じなのだろう。それはその次の見開き2ページでほぼ全体が示してあるので、擬似的に見上げたイメージを感じることができる。このアメリカの天井画事例で言えば、総ページは6ページ。解説が1ページで他に見上げる位置、視点を変えた写真が3葉掲載されている。

 天井画は、ドーム[丸屋根/円天井]、ヴォールト[穹窿(きゅうりゅう)/屋根構造]、天井など建物内部の様々な箇所に描かれている。フレスコ画が主体であるが、中には異色の天井画もありおもしろい。この描かれる場所から想像できると思うが、見上げた天井画の写真はテーマの主要箇所あるいは特徴的な部分にフォーカスを当てて撮ったものにならざるを得ない。天井画の全景を撮るにしても大きな建物内にある天井画なので、撮れる範囲に制約がある。つまり、本書では、ここだけはという部分を取り上げているにとどまる。現地現場で天井画を見上げて鑑賞する本格的な手引きといえる。天井画の見方や見どころをガイドしてくれる美術書である。ここに掲載されたものが、すべていつでも見学・鑑賞可能なのかどうかは不詳。その点の説明はない。あくまで美術書という位置づけなのだろう。
 天井画だけを集めて眺めてみるという発想が私にはなかったので、新鮮な感じで眺め、読み進めることになった。日本に絶対実物が来ることはない天井画。シャガールやダリが天井画を描いているということを本書で初めて知った。
 見上げる必要がないので首が凝るということもなく本書を楽しむことができた。

 著者は、天井画が様々なねらいで描かれていると説く。それを大きく4つに分類し、その狙いの要点を最初に説明している。私が受けとめた著者が説く要点箇所を引用しご紹介する(鍵括弧で表記)とともに、その分類で取り上げられた天井画がどこなのか。その名称と国名を列挙しておこう。

<第1章 宗教>
「天井やドームは、文字を読めない人々に宗教説話を教えるためにしばしば用いられた。初期キリスト教では、聖書や聖人伝の内容を消化してよりわかりやすくしたものを視覚的な手段で提供することが、ある種の教育となっていた。それらを描いたイメージは、超越的な存在や魂の浄化を中心的に扱う傾向があったが、審判や犠牲、罰も描いていた。」(p13)
「宗教的な場所の天井にも、それが生み出された時代の社会状況が必ず映し出されている。」(p13)

ネオニアーノ洗礼堂、イタリア/ 血の上の救世主教会(ハリストス復活大聖堂)、ロシア/ サグラダ・ファミリア教会、スペイン/ イマーム・モスク、イラン/ ヴァチカン宮殿、イタリア/ トカリ教会(バックル教会)/ サン・パンタロン教会、イタリア/ デブレ・ベルハン・セラシー教会、エチオピア/ 浅草寺、日本

浅草寺の天井画の説明の中で、著者は次の点を指摘している。
「視覚芸術における東西の基本的なちがいのひとつは、素描でも彩色画においてでも、遠近法の使用と三次元的な奥行の創出を重視するか否かにある。」(p62)

<第2章 文化>
「その場にふさわしい天井は、様々な効果を発揮する。」(p65)
著者はそれぞれの事例により次のような効果を論じている。目の楽しみとなる。心地よくささやく。活気づける。出迎える。情熱に触れる。没入する。寓意を語る。対比する。

オペラ座(パレ・バルニエ)、フランス/ ブルク劇場、オーストリア/ ルーブル美術館/ ダリ劇場美術館、スペイン/ストラホフ修道院内の図書館、チェコ/ ストックホルムの地下鉄駅、スゥエーデン/ コスタリカ国立劇場、コスタリカ/ ウフィツィ美術館、イタリア/ トルーカ植物園、メキシコ/ ベラージオ・ホテル・アンド・カジノ、アメリカ

<第3章 権力>
「天井は支配力を伝えるために使われるようになった。」(p123)
 著者は様々なテーマについて示唆しそのメッセージをつたえるために、様々な手法が活用されていることを具体的に説明する。著者は、そのテーマを巨万の富や不滅性、神格化、脅威から奇想まで、さらには娯楽やユーモアというようなキーワードで説明している。
バンケティング・ハウス、イギリス/ アルハンブラ宮殿、スペイン/ テ宮殿、スペイン/ バルベルーニ宮、イタリア/ トプカプ宮殿、トルコ/ ブレナム宮殿、イギリス/パラッツォ・キエリカーティ、イタリア/ ブリュセル王宮、ベルギー/中国風宮殿、ロシア/ ヴェルツブルクのレジデンツ、ドイツ

<第4章 政治>
「天井は、為政者が自認する都市や国家の外延として機能している」(p185)

パラッツォ・ファルネーゼ、イタリア/ アウスブルク市庁舎、ドイツ/ バルセロナ市庁舎、ズペイン/ オールド・ロイヤル・ネイバル・カレッジ(旧王立海軍学校)、イギリス/ 国際連合ジュネーヴ事務所(国際連合欧州本部)、スイス/ 革命博物館、キューバ/ パラッツォ・ドゥカーレ、イタリア/ 合衆国議会議事堂、アメリカ

 第1章のヴァチカン宮殿は、勿論ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂の天井画が取り上げられている。ここは10ページに及び、折り込みで見開き4ページで天井画が載っている。それでも周辺一部カットの写真になっている。
 見開きで4ページになっているのが他にも3箇所ある。それはどこかは、本書を開いてのおたのしみに。

 現地で首が痛くなるほど見上げてみたいな・・・・・・。いつか。

 ご一読ありがとうございます。

本書を読み、ネット検索で情報が得られるか試してみた。その試みの一端を一覧にしておこう。
ネオニアーノ(正統派)洗礼堂 Battistero Neoniano :「北イタリア美術めぐり」
ミケランジェロの大作、システィーナ礼拝堂の天井画「天地創造」を解説 :「MUTERIUM Magazine」
トカリ教会  :「Expedia」
美しきアルハンブラ宮殿!スペインの古都グラナダでイスラム王国の栄華と絶景を楽しむ :「トラベルjp」
48点のデブレ・ベルハン・セラシー教会のストックフォトと写真 :「gettyimages」
パリ・オペラ座の天井画――シャガールとマルロー、2人の友情が彩った音楽の殿堂 :「ONTOMO」
フィゲラスのダリ美術館は個性的すぎる!驚きと感動でいっぱい :「おくびょう女の一人旅」
となりのメキシコ州② ~トルーカ・コスモビトラル植物園~ :「旅ブロ」
床に寝転がってルーベンスの天井画を鑑賞「バンケティング・ハウス」:「成功する留学」
【イタリア】巨人の国に迷い込む?!マントヴァの「テ宮殿」 :「tripnote」
世界遺産トプカプ宮殿はイスタンブールで見逃せない観光名所!見どころを徹底解説 :「TURKISH Air & Travel」
ファーブルの孫が作った「虫の天井」が見られるブリュッセル王宮へ :「BELPLUS」
ファルネーゼ宮 Palazzo Farnese :「イタリアのお気に入り・便利...」
スイス国連人権理事会議場の天井彩る、スペイン現代アート :「AFP BB News」
アメリカの国会議事堂を見に行きたい!国会議事堂を訪ねてワシントンDCを徹底調査 :「Travel Book」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

『ヤマト政権誕生と大丹波王国』  伴とし子  新人物往来社

2021-08-26 11:21:44 | レビュー
 8月初旬に安部龍太郎著『日本はこうしてつくられた』(小学館)を読み、その読後印象記はご紹介した。この本で著者は「大丹波王国」という仮説に触れられていた。この「大丹波王国」という言葉を初めて目にし、これに触発されて本書を読んでみた。
 実にスリリング!古代史の裏面に封じ込まれていた歴史が国宝に指定されている文書と考古学の発掘調査結果などを駆使し、徐々に解き明かされていく。ヤマト政権とそれ以前の時代について、古代史を書き換える仮説と言える。興味深い。
 奥書を読むと著者は『古代丹後王国は、あった』(東洋経済、平成10年)、『前ヤマトを創った大丹波王国』(新人物往来社、平成16年)という本を上梓している。これらは未読だが、タイトルから推測すると、本書は現時点でそれらの延長線上で深耕された考察の成果をまとめた書と言えそうだ。2011(平成23)年1月に出版されている。

 表紙には、「国宝『海部(あまべ)氏系図』が古代史を書き換える」という副題が付いている。著者はこの「海部氏系図」を詳細に解読し、考古学上の発見などによる諸事実との論理的整合性を検討しながら、正史からは排除された古代政権の実態を明らかにしようと試みている。
 ヤマト政権の確立以前に、現在、丹後・丹波・但馬という地名で呼ばれる地域さらにはその周辺に広がる地域に「大丹波王国」と称し得る政権が存在し、その一族がヤマトにも移りヤマトを治めていた時代がある。神武東征伝説の神武より以前に畿内ヤマトを治めていたのが大丹波王国の一族だったと論じる。そして、神武とは争うことなく政権を譲り渡し友好関係を築く立場をとり、丹後の地に戻ったという。

 それは私たちが学校で日本史の授業を通して学ぶ「ヤマト政権」の樹立・発展という古代史には触れられることがほとんど無い古代の側面である。定説が確立していないからなのだろう。
 例えば手許に『詳説日本史研究』という学習参考書がある。これを読むと、古墳時代のところに、「古墳出現の前提となる広域の政治連合の形成が、西日本と東日本でそれぞれ別に進行していたこと、そして両者の合体によってヤマト政権が成立したことを示すものかもしれない」(p30)、「ヤマト政権の国土支配は、倭王武(雄略天皇)が中国の宋の皇帝に奉った上表文や、・・・・(古墳3例を列挙し、そこから出土の刀剣)に刻まれた銘文などから、5世紀中ごろから後半にかけて、東国から九州までにおよんでいたことがわかる。」(p42)、「ヤマト政権の中枢は、大王(おおきみ)を中心として、大和・河内やその周辺を基盤とする豪族の連合体によって占められていた。大王家は大和盆地南東部の三輪山山麓を地盤として勢力を伸ばしてきたが、5世紀に入ると、しだいに大王家内の血縁による大王位継承権を確立するようになった」(p42)という説明にとどまる。それ以上、深掘りする説明は出て来ない。

 つまり、学校の授業の古代史の「大和・河内やその周辺」から外れたところに、光をあてる作業が本書と言える。古代史に関心を抱く人には、古代政権の実情を捕らえ直す一冊になるのではないか。『日本書紀』『古事記』など正史には極力触れられず葬り去られた古代勢力の存在がここに息づいてくる。

 京都府北部、丹後半島の東側に宮津湾、そして有名な「天の橋立」がある。この天の橋立の北側(丹後半島側)に、丹後一宮籠(この)神社が位置する。籠神社に国宝に指定された『海部氏系図』が所蔵されている。この神社は代々海部氏の一族が祭祀を司って来られ、現在は第82代だという。ここにはさらに『海部氏勘注系図』を所蔵されている。著者はこれら系図を読み解きながら、九州の高千穂とは別に、丹後に天孫の丹波降臨伝承があったことや、系図の中にヤマトに入っていった古代の海部氏がいたことが記録されていること、丹後・丹波地域の古墳から出土した物などを総合的に考察して、「大丹波王国」が存在したという仮説を構築していく。
 第4章「丹後に広がる海部氏の故地-神の里と清地」の冒頭に、読者向けに考察の総論にあたる一文をまとめている。「丹後に本拠地をおいた海部氏の故地は、ヒコホアカリの降臨経路からみても、その子孫たちの活躍した状況、墓所などからみても、丹後丹波に留まらず、広く若狭から山城、大和へと広がっていく。古代海部族が、まずは、日本海沿岸である丹後に建国をして、大丹波王国を築き、やがて、大和へ入り、ヤマト政権の基礎を、すなわち、前ヤマトを構築し、初期ヤマト政権に深く関わってきたことを系図から分析できた」(p117)と。
 さらに、著者は海部氏系図の詳細な分析、読み解きの中で、卑弥呼が海部氏系図の中にいるという仮説も論じている。まさに、古代史を読み替える、あるいは現在語られている古代史を再吟味する必要性を提起していると言える。古代史好きにはおもしろい展開といえるのではなかろうか。

 本書の第8章は著者考察のまとめである。「まとめ 大丹波王国は、初期ヤマト政権そのものだった」と題されている。結論だけまず知りたい人はこの章を読むといいだろう。それまでの章はその論理的な考察の積み上げプロセスなのだから。勿論、この論理的な分析、考察プロセスを読むことにより、このまとめ、主張点を理解できることになる。

 本書で考察されている部分で、勝者の歴史書である『日本書紀』『続日本紀』『古事記』に記されている事実をいくつか例示しよう。著者が本書で考察している事項の源を手許の資料で確認してみた。本書との関係で言えば、勝者側の古代史記述において抹消できなかった事実の部分を断片的に書き残したものととらえることができる。著者の考察の要点も併記しご紹介してみたい。本書への興味が増すかもしれない。

*東征してきた神武天皇の皇軍は12月4日についにナガスネヒコを討つことになる。
 そのナガスネヒコは神武天皇に、昔、天磐船に乗り天降った天神の御子、クシタマニギハヤヒノミコトに仕えていると語っている。ナガスネヒコは殺害されるが、クシタマニギハヤヒノミコトは部下たちを率いて神武天皇に帰順した。その続きに、「天皇はニギハヤヒのミコトが天から降ったということは分り、いま忠誠の心を尽くしたので、これをほめて寵愛された。これが物部氏の先祖である」(p106)と『日本書紀』は記している。
 ⇒『海部氏勘注系図』に「始祖 彦火明命」と記し、またの名を列挙し「彦火明命のまた名はニギハヤヒノミコト、・・・・」と記されていることを指摘し、物部氏の祖と海部氏の祖はもともと同族だったと論じている。
 また、『海部氏系図』には「三世孫 倭宿祢命」と記す。この人が丹後からヤマトに入ったと注記されている。
*『古事記』の「海をわたるオキナガタラシヒメ-戦う女帝(=神功皇后)」の箇所に、「日継ぎの御子の側は、丸迩(わに)の臣の祖、ナニハネコタケブルクマに軍を統べさせておった」(p225)と記されている。軍を率いて忍熊王を討った人である。
*『日本書紀』の仁徳天皇の65年に、飛騨の宿儺という体は1つで2つの顔、4本の手を持つ人が皇命に従わず人民を略奪するので、「和珥臣の先祖の難波根子武振熊を遣わして殺させた」(p249)という記録もある。
 ⇒「十八世孫 丹波國造建振熊宿祢」という名が海部氏系図に記されている。古事記では和邇(=丸迩)の臣の祖としているので、海部氏と和邇氏との関わりが考えられる。『古事記』『日本書紀』に記されていないより詳しい内容がこの系図に注記されている。
  品田(=応神)天皇のとき、若狭木津高向宮で「海部直」の姓を賜るということが系図に書かれている。逆に言えば、この時皇位継承権を奪われた。静かなる国譲りをしたことになると著者は読み解いている。
*『日本書紀』開化天皇の6年春1月14日の条の後半に、「これより先、天皇は丹波竹野姫を妃とされた。彦湯産隅命を生まれた。次の妃の和珥臣の先祖姥津命(ははつのみこと)の妹姥津媛は、彦今坐王を生んだ」(p120)と記す。
 ⇒著者は「古代において大丹波王国が大きな力をもっていたことを表している」と説く。
*『日本書紀』垂仁天皇の15年春2月10日の条に、「丹波の5人の女を召して後宮に入れられた。一番上を日葉酢媛(ひばすひめ)という。次は・・・・・第五を竹野媛という。」それに続く秋の8月1日の条には、「日葉酢媛を立てて皇后とされた」(p141)と記す。
 ⇒海部氏と天皇との関係がうかがえる。皇統に丹波系の血脈が繋がっていく。

*『続日本紀』には、元明天皇の和銅6年(713)夏4月3日の条に「丹波国の加佐・与佐・丹波・武野・熊野の五郡を割いて、初めて丹後国を設けた」と記す。
 ⇒逆に言えば、それまでは一つの丹波国・旦波(たには)国だった。

 この書に、考古学の観点、丹後・丹波の古墳の分布とその出土品等について、系図と併せて考察されている。私はいままでこの地域の古墳の存在を意識したことがなかった。その多さに驚いた。古墳と大丹波王国との関係を論じている点は実に興味深い。それは、海部氏つまり海人族が大陸との交流を含め力を培い、大豪族として各地域を治め、王国と呼べる勢力となっていたことを頷かせる。

 もう一つ、丹後の祖神として、豊受大神の信仰について著者が考察を展開している側面がある。豊受大神とは何か。この神は記紀の中でどう位置づけられてきたか。豊受大神がまぜ伊勢神宮の外宮に遷されたのか。この視点もあらためて興味深い論点だと思うようになった。本書でご確認いただきたい。
 出雲圏のことも考えあわせると、古代史は、未だ秘められた部分、未知の部分が多くて、ますますおもしろく、奥が深そうである。
 本書は古代史に一石を投じている。

 ご一読ありがとうございます。

参照資料
『詳細日本史研究』 五味文彦・高埜利彦・鳥海靖編、山川出版社 1998年
『日本書紀 上 全現代語訳』 宇治谷孟訳  講談社学術文庫
『続日本紀 (上) 全現代語訳』 宇治谷孟訳  講談社学術文庫
『口語訳 古事記 [完全版]』 訳・註釈 三浦佑之  文藝春秋


本書との関連で、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
丹後一宮 元伊勢 籠神社  ホームページ
  国宝 海部氏系図(平安初期)
海部氏系図   :「文化遺産データベース」
海部氏系図  :ウィキペディア
天の橋立  :ウィキペディア
丹波とは 名の由来は「田庭」など諸説  :「丹波篠山市」
なぜ丹後半島には古墳が多いのか?失われた古代「丹後王国」の謎を追う
  [謎解き歴史紀行「半島をゆく」歴史解説編」  :「サライ」
丹後半島の古墳 1(京都府) 旧石器・縄文‐弥生・古墳時代の遺跡と資料館を訪ねる
 :「小さな日本の風景」
丹後半島の古墳 2(京都府 旧石器・縄文‐弥生・古墳時代の遺跡と資料館を訪ねる
:「小さな日本の風景」
トヨウケビメ :ウィキペディア
登由宇気神  :「國學院大学古事記学センター」
物部氏    :ウィキペディア
和珥氏    :ウィキペディア
海人族    :ウィキペディア

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)



『クラシックシリーズ1 千里眼 完全版』  松岡圭祐  角川文庫

2021-08-24 15:32:18 | レビュー
 千里眼のシリーズを読み始めることにした。普通はこちらから松岡作品に入る人が多いのかもしれないが、私はたまたま読み始めたのが万能鑑定士Qの方だった。こちらは一冊も読まずに文庫本をまず順次購入していた。
 「クラシックシ」と「完全版」という言葉に引かれて、まずはこの1冊から読み始めてみることにした。読後に「著者あとがき」を読むと、「本書は1999年6月に刊行された『千里眼』旧シリーズ第1作を、全面改稿し、そのほとんどを新しく書き下ろした作品です」と冒頭に記されている。そして、旧シリーズは12タイトルあり、これが物語中の時期としては新シリーズ第1作『千里眼 The start』(2007年1月刊)の122ページ、つまり「決定」のおわりと123ページ「現在」の始まりとの間に「そのエピソードのすべてが収まります」という。クラシックシリーズの先でこちらも読み進めたい。
 いずれにしても、旧シリーズを完全版に改訂したというこのクラシックシリーズを読み継いでいこうと思う。本書は2007年9月に出版されている。

 ここに、スーパー・ヒロイン岬美由紀が生み出された。元航空自衛隊の二尉で唯一の女性戦闘機パイロットだったが、ある事件を契機に除隊し、民間人になり臨床心理士として働いている。岬美由紀はクライアントの一人である小学生宮本えりの治療を目的として行動する。それが彼女をカルト教団との壮烈な闘争の渦中に投げ入れて行く。

 畳だけがま新しい修復工事中の寺が直撃を受けて爆発消滅するシーンから始まる。一方、埼玉県春日部市に住む男性が任意出頭を求められたが行方不明となり、この男性の自宅捜索をすると恒星天球教団の組織図やテロの計画表など重要書類が見つかったという報道が流れていた。
 タクシー運転手が小雨の中で、小さな女の子を東京湾観音まで乗せることになる。女の子は観音に上るのだという。その様子を気遣った運転手は、彼女が降りてくるまで待つ気になった。観音から出てきた女の子は崩れるように倒れ込む。熱があった。運転手は自分の運転で病院に運ぼうと即断する。抱き上げようとしたとき、彼女が着ていた大人用のジャンパーのポケットから小冊子が音を立てて落ちた。「恒星天球教典」と記された表紙を見て運転手は衝撃を受ける。ここから始まっていく。少女の名は宮本えり。

 場面は一転する。米軍横須賀基地に停泊しているイージス艦、ジョン・S・マッケインの艦橋に何者かが侵入し、ミサイルの制御コマンドを入力してファーストホークを発射した。それが、冒頭の寺、茨城の要冷寺に着弾した。侵入者はその後すぐに2発目の発射コマンドを入力し、解除用の暗証番号を変更してしまった。ターゲットは総理府官邸にロックされたのだ。官邸地階の危機管理センターで、出席者はカウントダウンが2時間半を切った段階で米軍大佐からこのことを知らされる。侵入者は西嶺哲哉、46歳。彼は精神科に通院歴があることが判明していた。その中に、東京晴海医科大学付属病院の名があった。病院は4年前に虎の門に移転していて、カウンセリング科が設置されている。優秀なカウンセラーが多数、在籍することで有名だった。この病院の院長友里佐知子は優秀なカウンセラーとして知られ、千里眼の異名で呼ばれているという。この病院に、岬美由紀は臨床心理士として勤めていた。
 友里佐知子と岬美由紀は、イージス艦にて西嶺に対面して診断し、暗証番号を知る試みを行うよう要請される。タイムリミットが迫り、切羽つまった状況が展開して行く。西嶺が最後にわめく。「恒星天球教!阿吽拿教祖!歪んだ現世に血の粛清を!」と。美由紀は、一瞬だけ彼の顔が恍惚としトランス状態に達したことを読み取る。西嶺はこめかみに当てた拳銃の引き金を引く。二人は暗証番号を推測し危機一髪でコマンドを解除できた。だがこれは、美由紀が現在発生している恒星天球教事件に一層深く巻き込まれていく契機になる。
 というのは、タクシー運転手の荒井が、病院に運んだ少女の希望を聞きとどけ、えりを東京晴海医科大学付属病院の美由紀の所まで送り届けて来たのだ。そして、荒井はえりのポケットをまさぐり恒星天球教典を取り出して美由紀に見せた。教典を持っていたので、警察には連絡を躊躇ったという。美由紀はえりのカウンセリング担当者として、なぜえりが教典を持っていたのか、なぜ東京湾観音に出かけたのか。両親が信者であるのかも含めて追求しなければならないと考えるようになる。えりの不登校の原因究明をし、学校に通えるように、元の元気な女の子の健康さを取り戻すために。

 一連の恒星天球教事件捜査の一環として、警視庁捜査一課の蒲生誠が院長友里佐知子に聞き込み捜査に来ていた。院長執務室を訪れた美由紀は蒲生に引き合わされることになる。蒲生に嘘はなく、ふてぶてしさは自信のあらわれだが、一方で敵愾心を瞬時に読み取っていく。行方をくらましている春日部市在住の柴方片和夫の捜査への協力を皮切りに、美由紀と蒲生の協力関係が始まっていく。

 えりが何度も一人で出かけた東京湾観音はえりにどう関わり、それが何を意味するのか、その解明が一つの山場となっていく。
 さらに、彼女が蒲生とともにそこで発見したものは、首都が崩壊するかもしれない新たな緊急事態の始まりになる。そこには思いもよらぬどんでん返しが潜んでいた。
 美由紀は恒星天球教教主の真の狙いが論理的に推測できた。再びタイムリミットに立ち向かわねばならない緊迫した状況が現出したのだ。美由紀は人々を救うという己の信念に従う。かつての岬二尉としての能力を全開する行動へと突き進んで行くことに・・・・・・・。勿論読者はそのプロセスに引きこまれていくことになる。

 この完全版の岬美由紀はまさにスーパー・ヒロインである。フィクションだから成り立つ人物像。荒唐無稽と言えるかもしれない。だが、人間の能力は計り知れない。それに近い人間が出現しないとは言いきれない。だから、このストーリーの展開を興味津々として読み進め、楽しめる。
 
 旧作は知らないので、比較はできない。この完全版を読み、次の諸点は読者にとって、心理学分野の情報という副産物を得るとともに、問題事象について思考を一歩深めるための糧になるのではないかと思う。
1. 海外からの侵入によるテロ行為という視点ではなく、国内で形成されるテロ集団、テロ行為という視点の重要性を想定している点。現代の日本社会にはその因が内在するのではないか。
2. 催眠術に対する一般的な誤解を払拭するために、現代の認知心理学など心理学領域の知識・情報が適宜会話の説明に取り入れられている。それをストーリーの重要な要素として組み入れている。読者は心理学の一端に触れることになる。
 一方、現実的な催眠商法のやり口も明らかにしている。
3. ここでは脳神経科学と催眠療法との結合の可能性の一端を描き出す。一つの危機兆候を提示している。この可能性はフィクションレベルにすぎないのか、実現可能性の高いものなのか。今や現代科学はその隣接領域を考える危惧にすら至っているのではないか。
4. 電磁波の脅威という問題事象をさらりと取り込んでいる。この観点は重要なことになりそうだ。
5. 自衛隊は有事の際に真に機能するのか。そこ危機管理は適切なのか。こういう視点・問題意識もこのストーリーに垣間見える。

 臨床心理士岬美由紀の生い立ちもこの完全版では盛り込まれている。それが彼女の存在意義を方向づけている。
 著者は興味深いキャラクターを創造したといえる。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
イージス鑑  :ウィキペディア
イージスシステム  :ウィキペディア
パトリオットミサイル  :ウィキペディア
航空自衛隊がPAC3訓練公開 東京・有明  YouTube
パトリオットミサイル(PAC3)迎撃試験成功 YouTube
東京湾観音  ホームページ
臨床心理士とは  :「日本臨床心理士資格認定協会」
臨床心理/心理学ガイド  :「スタディサプリ[社会人大学・大学院]」
催眠療法の今日的意義と本学会の基本的姿勢 日本医科大学客員教授 高石 昇
催眠療法  :「日本催眠心理研究所 代々木心理オフィス」
催眠商法  :ウィキペディア
催眠商法の手口  :警視庁
高齢者に多発するSF商法(催眠商法)のトラブル  :「京都府」
航空交通業務  :「航空実用事典」
主要装備 F-15J/DJ   :「航空自衛隊」
F-15J (航空機)  :ウィキペディア

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『探偵の鑑定』Ⅰ・Ⅱ  講談社文庫
『探偵の探偵』、同 Ⅱ~Ⅳ  講談社文庫
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.2 2021.6.11時点

『大義 横浜みなとみらい署暴対係』  今野 敏  徳間書店

2021-08-21 17:54:35 | レビュー
 このシリーズでは初の短編連作集である。奥書を読むと、「読楽」(2016年9月号~2021年1月号)に順次掲載された短編7つが収録されている。2021年3月に単行本が出版された。テーマの焦点をごく絞り込んだ形でさらりと描き上げたという印象を受ける作品集になっている。
 みなとみらい署刑事組対課暴力犯対策係の諸橋夏男係長、城島勇一係長補佐、浜崎吾郎巡査部長、倉持忠巡査部長、八雲立夫巡査長、日下部亮巡査たちの日常勤務の一面に光りを当てその行動の中にそれぞれの人物像を鮮やかに描き込んでいる。短編の持ち味を活かすほぼストレートなストーリー展開であり、よどみなくさらりと一編を読み終えることができる。短編の良さを巧みに発揮しているなと感じる。読了印象は爽やかである。
 勿論、そこに諸橋・城島が横浜のヤクザに対処していく上で情報源とする神風会の組長神野善治、代貸の岩倉真吾が要所要所で登場する。さらに、キャリアで変わり種である県警本部監察官室の笹本康平監察官が例によって首を突っ込んでくる。

 読後印象を交え、各短編を少しご紹介していこう。

<タマ取り>
 神風会の神野を狙う男が現れたと浜崎が城島に報告する。「本牧のタツ」が常盤町の神野のタマを狙っているという噂を倉持が聞き、今倉持と八雲がその件を当たっていると浜崎は城島に告げた。これはヤクザとヤクザの抗争事件の発端なのか? 諸橋と城島は常盤町に様子を見に出かける。
 諸橋に尋ねられて倉持は自分の情報源から噂を聞いたと言う。八雲はネットで情報収集して、ある掲示板に「本牧のタツが神野のタマを狙う」という書き込みを見つけたという。それも一度だけだと。
 諸橋は本牧のタツを徹底的に洗えと指示する。
 ちょっとコミカルなオチがついたストーリー。ふっと笑いを誘う。

<謹慎>
 浜崎から連絡を受けた倉持と八雲は、桜木町駅からほど遠くない現場に駆けつける。そこには諸橋・城島が酔漢五人組と対峙していた。彼等を検挙するのだが、そこは伊勢佐木署管内というおもしろさから始まる。そして、八雲と倉持のプロフイールがさりげなく織り込まれていく。この辺りの自然な転換は著者の手慣れたところだ。
 それから、数日後、倉持は浜崎から連絡を受け現場に駆けつけたとき、いずれもタチの悪そうな3人の男が路上に倒れているのを目にする。一方、諸橋と城島がなぜか二人とも戸惑ったようにその場に立ち尽くしていたのだった。
 八雲が身柄をどうするか諸橋に尋ねたとき、複数の人間が駆けつけて来た。県警本部組対課の土門と下沢と名乗り、身柄を本部に運ぶと言う。
 3人組の内の一人が、諸橋と城島を訴えたことで、二人は謹慎状態になり、笹本監察官がみなとみらい署に乗り込んでくる。浜崎たちに質問していた笹本は目撃者捜しを示唆する。彼等は上司の汚名を雪ぐために捜査を開始する。
 諸橋・城島のその時の心理と、事件の意外な展開がおもしろさを加える。

<やせ我慢>
 浜崎が「稲村力男が出所します」と城島に告げるシーンから始まる。城島が3年前に傷害で検挙した男だ。稲村は出所したら城島にお礼参りをするとずっと息巻いていたという。城島は「どうってことないよ」と答える。
 やり取りを見聞していた日下部は、席に戻った浜崎に城島の肝っ玉のでかさに感じ入ると話しかける。「ああ、おれもそう思う。だが、本人は違うと言っている」と。
 この短編、城島が稲村にどのように対応するかという側面と、浜崎が日下部に、城島の過去と己の過去の有り様を語って聞かせる側面が描き込まれていく。
 自分はマル暴に向いていないと言う日下部に対し、浜崎は言う。「いいかい、やせ我慢も続けていりゃ、いつか本当の我慢になるんだ」「自分で自分を演出するんだ。恰好から入るのも大切だよ」と。
 諸橋・城島に対する浜崎の信頼感の発露がエンディングになっている。
 暴対係の結束力を感じさせる一編である。

<内通>
 県警の組対本部薬物銃器対策課とみなとみらい署の暴対係は合同で、覚醒剤の売人・川森元を長い間追跡し続けていた。暴対係は県警本部に協力して、川森を張り込んだ。身柄を県警本部に引っぱって行くことまではできたのだが、川森自身の薬物反応は陰性で、車からの証拠も出ない。検挙できなかったのは暴対係から情報漏洩があったのではと、本部側が疑うことに。
 笹本監察官がみなとみらい署に乗り込んで来て個別に質問し監察を始める。IT関係に強い八雲に対し質問を終えた後、サイバー犯罪対策課への異動を餌に、暴対係内のスパイにならないかと笹本は誘いを掛ける行為に出た。八雲はどうする?
 暴対係は汚名を雪ぐためにどういう行動にでるか? 
 面白い展開となっていく。八雲と笹本の会話でエンディング。これが楽しい。

<大義>
 笹本監察官は佐藤本部長に呼び出される。赴任して間もない佐藤本部長のやり方が笹本にはまだ分かっていなかった。なぜ呼びだされたかも不明だった。佐藤は開口一番、神奈川県警だけに不祥事が多いとは思っていないと言った。その上で、みなとみらい署の暴対係、諸橋警部が常盤町あたりのマルBとよくつるんでいるとの話を聞く。そういう癒着はマスコミの恰好の餌食になる。「ハマの用心棒」と呼ばれる諸橋係長がなぜ神風会だけ特別扱いするのか、納得のいく説明をしてくれ、と笹本に指示したのだ。
 そんな最中に、被害者も加害者もマルBという傷害事件が発生していた。その事件を組織対策本部が担当しているという。事件現場の所轄はみなとみらい署だった。
 笹本は即座にみなとみらい署に出向いていく。現場はこれが抗争事件に発展しかねないことにぴりぴりしていた。笹本は、諸橋と城島の行動に同行し、事件に首を突っ込むと二人に告げる。笹本は二人の事件への取り組み方をつぶさに見聞することになる。そこには、勿論、二人が常盤町の神野を訪れることも含まれていた。諸橋は、この傷害事件が横浜での抗争に発展しないよう未然に防止することと加害者の速やかな逮捕に取り組んで行く。そこには諸橋にとって情報源である神野の影の協力があった。笹本はつぶさに実情を見聞することになる。
 笹本は県警本部に戻り、佐藤部長に面談を求めて報告する。二人の会話がおもしろい。

<表裏>
 諸橋と城島が常盤町の神野を訪ねると、先客がいた。先客はフリーライターの増井治と名乗った。彼は任侠団体についての取材を神野に求め、話すことはないと拒絶されたところだった。諸橋と城島を知っていた増井は、この二人を追いかけることに方針転換した。勿論増井は諸橋から取材を拒否されたが、知る権利があると主張し勝手に同行すると告げる。
 諸橋と城島は増井を相手にしない。二人は相声会傘下の五十田組組長の五十田を彼の行きつけのクラブで待ち受ける。そこに増井が飛び込みで入り込んでくる。すると、彼の言動に五十田が興味を示す。その結果、増井はヤクザの表と裏を身をもって実体験することになる。
 諸橋以下暴対係は、増井の苦境を救う役回りになっていく。この展開が興味深い。
 結果的に増井が諸橋たちの本業の役に立つことになる。
 
<心技体>
 諸橋らは、県警本部の暴力団対策課から、隣の戸部警察署管内にある暴力団のフロント企業の事務所に対するガサ入れの協力を頼まれる。該当事務所前に着いた後、早速姿を現したチンピラに捜査員たちは応対していくことになる。本部の笠原係長は、倉持がチンピラに応対する様子を見て、諸橋に彼は下っ端にすっかり舐められていたじゃないか、大丈夫かと問いかけた。配置換えが必要ではとまで言う。諸橋は「必要ない。充分やれているよ」と答え、取り合わない。
 諸橋は警察官専門の雑誌から受けている新年号向けの企画に絡み、倉持に座右の銘があるかと尋ねる。倉持は強いて言えば「心技体」だと答える。
 久仁枝組と多嘉井組との間での喧嘩が起こりそうな状況に至る。現場に応援に来た笠原係長はそこで倉持に対する認識を変えさせられるという痛快な結果になる。ここがオチになっている。
 みなとみらい署の暴対係には、個性のあるおもしろい連中が集っている。
 最後は読者を楽しませるエンディングになっている。

 次作を期待して待とう。

 ご一読ありがとうございます。

このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『帝都争乱 サーベル警視庁2』  角川春樹事務所
『清明 隠蔽捜査8』  新潮社
『オフマイク』  集英社
『黙示 Apocalypse』 双葉社
『焦眉 警視庁強行犯係・樋口顕』  幻冬舎
『スクエア 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店
『機捜235』  光文社
『エムエス 継続捜査ゼミ2』  講談社
『プロフェッション』  講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』  角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18

『マンダラは何を語っているか』 真鍋俊照  講談社現代新書

2021-08-20 18:16:01 | レビュー
 博物館や美術館に仏教美術展を見に出かけると、時折、マンダラ(曼荼羅/曼陀羅)が展示されている。密教美術としての胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅以外にも、当麻曼荼羅、智光曼荼羅、春日曼荼羅などがある。最初はあまり深く考えずに眺めていたが、その回数が重なるほど、「曼荼羅」って何なのだろうという方向に関心が向いて行った。
 マンダラを手許の辞書で引くと、仏教語でサンスクリット語の音写であり、曼荼羅・曼陀羅と表記されること。「本質を有するものの意」と記し、「密教で、仏の悟りの世界を表現するために、多くの仏や菩薩などを体系的に描いた図」(『日本語大辞典』講談社)と説明されている。しかし、密教以外でも上記の如く使われている。また、『図説 歴史散歩事典』(井上光貞監修、山川出版社)には、「宗教画の世界」の冒頭に、<曼荼羅>の見出しで胎蔵界と金剛界の両界曼荼羅について2ページで概略説明をしている。それで大凡の意味合いは理解できる。だが、もう一歩踏み込んで、マンダラについて知りたいと思っていた。そこで目に止まったのが新書版の本書である。1991年9月に第一刷が発行されている。

 本書の特徴は、最初に「1 マンダラとは何か」を説明した上で、「2 マンダラの起源をさぐる」方向に掘り下げる。その上でマンダラという言葉の使われている状況を網羅的に説明していく。読者にはマンダラを冠する分野について、その全容をまず押さえていくことができる。つまり、
   「3 両部(両界)マンダラの世界」
   「4 浄土マンダラとは何か」
   「5 別尊マンダラの世界」
   「6 神道マンダラと参詣マンダラ」
という形でマンダラという言葉が使われる分野の全体象を掴むことができる。本書は6章構成になっている。

 最初の2章は、著者が高野山での修行経験を踏まえた上で、マンダラについて観念的概念的に説明を展開する。十分に理解できたたとは思えないが基本的事項は押さえることができた。後半の4章はそれぞれ実例絵図を提示して、その内容の分析と図像の関係性を主に説明している。具体的な図像の構造や内容、その使われ方などの説明であり、理解しやすくなる。基礎的知識を網羅できるところが本書の利点である。

 以下、少し内容をご紹介していこう。

1 マンダラと何か
 曼荼羅/曼陀羅は古代インドのサンスクリット語が漢字に音写された。マンダは、「心髄」「本質」「醍醐」という中心の意味を持ち、ラは物の所有をあらわす接尾語であると言う。マンダラと合成語になることで、「本質を所有せるもの」「本質を表示(表現)せるもの」を意味する言葉となる。音写された言葉が伝わり、そのまま使われたことで、使い方が種々雑多になったそうだ。
 著者は密教において修行の結果得られた悟りの境地について、密教諸尊が凝縮した場・空間として表現したものが胎蔵界・金剛界というマンダラであると論じていく。悟りの「醍醐味」を表現したものがマンダラと説く。悟りの境地という言葉と結びつくと、途端に私には敷居が高くなる。
 「私はマンダラの核の部分の原像あるいは原風景は、この釈尊の涅槃という一瞬に根ざしているように思えてならない」(p31)。また、マンダラの画面を理解するのがむずかしいといわれるのは、「これは見る側(主として修行者)に、悟りの境地を踏まえた心構えのようなものが必然的に要求されるからである。これが他の宗教画に接するときとの違いである」(p32)と著者は記す。
 この章の最後に、マンダラが方形である根拠を論じている。

2 マンダラの起源をさぐる
 「マンダラの原初の状況」を論じ、モチーフの源はインド神話にあり、古代インドの宗教的美意識が反映しているとみる。「マンダラを生んだ宇宙観」には、インドから中国に伝わった段階で中国人の宇宙の概念が加わる点を論じ、「マンダラの構図の根拠」へと展開していく。
 最終的に「五仏・四菩薩を中心とする両部マンダラは、中国において空海の師・恵果によって統合され、完成したと考えられている」(p70)という。

3 両部(両界)マンダラの世界
 空海は高野山に修法の場を創設し、空海の意志をうけついだ真然大徳が、根本大塔内にマンダラ空間を現出した。マンダラは宇宙の真実の表現だという。両界マンダラは経典の内容を図絵にしたものであるが、説明の要点を図式化すると私の理解では次のようなキーワードでの関係になる。
 金剛界 『金剛頂経』 精神的「智」の象徴 男性的原理 九会で構成   観想の体系化
 胎蔵界 『大日経』  物質的「理」の象徴 女性的原理 十二大院で構成 内観の世界
「空海という人は、その二元的価値の世界を説きながら、それを総合し、統一した世界を両界(両部)マンダラとして表現したのである。ここにはとうぜん演出もある」(p78)と言う。
 ここでは、胎蔵界の中央・中台八葉院から始め十二大院、金剛界の中央・成身会から始め九会、それぞれの説明を行い、各界内の相互の関係並びに両界の関係が具体的に説明されていく。両界マンダラの構造と関係性が具体的にわかるので初心者には役に立つ。

4 浄土マンダラとは何か
 有名なのが「当麻曼荼羅」であるが、浄土三曼荼羅として「智光曼荼羅」「清海曼荼羅」がある。他に、浄土教が説く極楽浄土の世界を描いた絵画もマンダラと呼ばれることがある。しかし、著者は正しくは「浄土変相図」と解釈すべきだと説明している(p122)。 この章では、経説に即した場面づくりの説明をしたあと、”浄土三曼荼羅”の概説を行っている。

5 別尊マンダラの世界
 両界マンダラから個別に特定の尊格をとり出し、人々はその尊格を熱心おがみ現世利益を願うという信仰をした。そのため特定の尊格を中心にしたマンダラが作られた。この別尊マンダラにはその現世利益を達成するための修法が必ずセットになっているという。
 ここでは、別尊マンダラは7種類のグループに分けられると説明した上で、「2 さまざまな別尊マンダラ」を個別に例示、説明している。請雨経マンダラから始め、荼吉尼天マンダラまで、26のマンダラを例示しその内容が説明されている。別尊マンダラの全容を知る役に立つ。

6 神道マンダラと参詣マンダラ
 冒頭で触れた春日曼荼羅はこの章の範疇に入る。日本で「本地垂迹説」が登場して以降に、「神道マンダラ」が生み出されて行った経緯が説明されている。「垂迹マンダラ」「習合マンダラ」とも呼ばれるそうである。神々に姿を変えた仏、両者の関係性をイメージ化しやすいようにしたものと言えそうだ。
 著者は神道マンダラについて、「モンタージュの手法」に近似しているとし、「むろん風景のなかに円相などの小世界を配置して、全体を統合すれば、きわめて抽象的な世界の展開となるのが垂迹画法の特色である」(p192)と言う。神道マンダラの実例を提示し説明を展開して行く。
 最後に参詣マンダラに言及している。今は車で高野山の山頂近くまで上ってしまうので意識すらしなかったことだが、高野山の西側、山下の慈尊院から中門までは180町で、1町毎に道標・石卒塔婆が設置されていて、これが胎蔵界180尊に当てられているという。このことを本書で知った。町卒塔婆が参詣マンダラとなっているそうだ。さらに、山上の中院から奥院までの36町が金剛界37尊にあてはめられているという。
 末尾で富士山参詣のマンダラ図が説明されている。

 参考文献が最後に一覧になっている。さらに深くマンダラに分け入って行く時に役立つリストである。私にはだいぶ先の課題になりそう・・・・。

 一読で十分に理解できるという新書ではないが、マンダラについて理解を深めていく上で、必要に応じ立ち戻ってみる手頃な参考書として役立つと思う。
 インターネット検索をしてみると、各種論文を含めかなり幅広く情報を得ることができることも知った。

 ご一読ありがとうございます。

本書を読み、関連事項・関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
両部曼荼羅について   :「高野山霊宝館」
MANDALA DUALISM ホームページ
重文の両界曼荼羅図を公開 京都・東寺 YouTube
両界曼荼羅図奉納開眼法会  高野山   YouTube
大悲胎蔵大曼荼羅   :「造仏記」
厨子入 智光曼荼羅    :「元興寺」
絹本著色智光曼荼羅図  :「文化遺産オンライン」
当麻曼荼羅  収蔵品データベース :「奈良国立博物館」
当麻マンダラ   :「Amida Net」
聖光寺 清海曼荼羅  :「奈良地域関連資料画像データベース」
重要文化財 阿弥陀浄土曼荼羅 収蔵品データベース :「奈良国立博物館」
別尊曼荼羅とは     :「高野山霊宝館」
朝鮮時代、文定王后の発願による薬師曼荼羅図の復元模写 :「京都市立芸術大学」
一字金輪曼荼羅   収蔵品データベース :「奈良国立博物館」
星曼荼羅 博物館ディクショナリー  :「京都国立博物館」
重要文化財 春日鹿曼荼羅図 収蔵品データベース :「奈良国立博物館」
春日社寺曼荼羅  :「奈良国立博物館」
絹本著色笠置曼荼羅図 :「文化遺産オンライン」
三国第一 富士山禅定図  :「三保松原」
那智参詣曼荼羅   :ウィキペディア
タンカ :ウィキペディア
カンボジア美術の至宝!アンコール「バンテアイ・スレイ遺跡」珠玉のレリーフアート
:「トラベル.jp」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

『オメガ 対中工作』  濱 嘉之  講談社文庫

2021-08-19 17:20:54 | レビュー
 オメガシリーズはこの第2弾が2014年11月に文庫書下ろしとして発刊された。その後、このシリーズは今のところ出ていない。
 警察庁長官官房諜報課、通称「オメガ」は日本国初の国際諜報組織として、国益を守るための対外諜報活動に従事している。本書は第一作に続き、対中工作に焦点を当てている。一つのミッションを完了した榊冴子は南アフリカのヨハネスブルグで休暇をとっていたが、「中国のアフリカ進出を阻止せよ」という指示を受けた。そして、彼女が滞在するホテルに、アフリカへの中国の進出状況に関する膨大な英文資料が届く。冴子はスイスのジャーナリストに扮して、コンゴ共和国の西部、カニャバヨンガ周辺の山あいにある村を訪れる民間医師団のチームに同行した。コンゴには日本のNGOが農業指導を行い、現地で歓迎されていた。現地に滞在して4日目に、村は反政府軍兵士の襲撃を受ける。冴子は村人と医師団を守る為に銃撃戦に身を投じる。兵士たちが所持していたのは二一三式拳銃とロシア製ライフル「AK-74」、カラシニコフと呼ばれるライフルだった。だが、その作りを見るとブラックマーケットで取引される中国製のコピー品だった。冴子は、香港分室の同僚土田政隆の協力を得ながら、アフリカへの中国製武器の流通ルートを解明し、アフリカでの武器売買のダークマネーを得ている組織集団を洗い出そうとする。そのダークマネーが日本に流入することを阻止しなければならないからだ。
 引きつづき、冴子がアフリカ諸国を巡り、中国のアフリカ進出状況を捜索している間に、土田は中国で製造された武器の流出経路を自分の目で確かめるために、ロシア経由でパキスタンに入る捜索行動に出る。土田は総額1200億円規模のヘリコプターを含む武器類が半ば公然と輸出されてていくルートと組織を把握していく。
 
 冴子と土田以外にも、諜報員はパラレルに中国に対する諜報・工作活動を行っていた。一人は、大里靖春である。彼の最初の仕事は、中国国内の武器工場とその搬出ルートの確認だった。その過程で、闇銀行の存在と関わりも知ることになる。
 もう一人は、新人警部で諜報課に着任したばかりの津村鉄徳。彼は水原北京支局長から、影子銀行(闇銀行)の中で、武器の不正輸出に投資している銀行をピックアップして、その背後にあるグループの解明を指示される。
 更に強烈に独自の活動を推進する岡林剛が加わる。彼は、海南島の三亜市を拠点にして、中国のアフリカ進出を阻止するミッションの中で、津村と連携して理財商品の一部破壊と中国の財務ルートの有力者を協力者として獲得することを企んでいた。その為の橋頭堡が、海南島の公安署長に勧め、試験的に養殖を始めた真珠が軌道に乗り始めたことである。この真珠の生産を拡大することを公安署長に勧めることから始めて行く。この事業がエージェントとしての隠れ蓑となる。そして党本部の外交関係に携わる張部長が海南島に滞在する機会をうまく利用する企みに着手していく。

 どこまで、中国のアフリカ進出を阻止できるか。このストーリーは対中工作に取り組むエージェントの活動をパラレルに織りなして行く。そのプロセスで、中国社会の政治経済面での裏の現実を見、関わって行くことになる。まさに、インテリジェンス小説である。
 大きくは2つのストーリーの流れとなる。アフリカへの中国からの武器輸出をどのようにそこで阻止するか。その阻止が中国の輸出元組織集団に強烈なダメージを与えることになる。もう一つは、中国国内で、闇銀行の存在に大きなダメージを与えることである。その画策として岡林は理財商品に目をつける。

 このストーリーには興味深いところがいくつかある。
1.表にはあまり情報として現れてこない中国社会における裏の構造に光りを当てた情報が盛り込まれていく点。勿論フィクション化されているところがあるだろうから、何処までが事実かはわからない。しかし、中国社会を多面的に捕らえて行く上で、一つの押さえ所になる。
2.対中国問題に対する過去並びに現在の日本の対応について、問題事象となる点、憂慮すべき点をさりげなく登場人物に語らせてるところ。勿論、それは読者に注意を喚起させる程度の間接的描写に留まるが・・・・・・。そのモデルとなった実例はありそうな気がする。
3.エージェントがどのようにして情報源となる「協力者」を確保していくか。また、協力者との関係を維持するか、という側面に触れていること。

 このストーリーでは、岡林剛のけっこう派手で鮮やかな工作活動と土田政隆の地道な諜報活動のコントラストがおもしろい。榊冴子はプロローグでは、ちょっと激しい立ち回りを演じるが、その後の諜報活動では、ワレンスキーとの情報交換が中心に描き込まれていく。世界の政治経済情勢をどうとらえるか。世界のマクロ的な動きを押さえながら、日本とアフリカを捕らえ直していくというところがおもしろいと思う。参考にもなる会話である。

 「対中工作」という目的ではストーリーが集約される。しかし、榊・土田・大里の関わる活動ストーリーの収斂と岡林・津村の関わる活動ストーリーの収斂という形で、パラレルで結末を迎える。この点、エンディングの落ち着きがスッキリしないと感じた。そう思うのは、わたしだけだろうか。
 
 小説というフィクションの媒体を通してではあるが、中国という国を考える情報小説になっている点は、中国を多面的に捕らえる材料として参考になるのは間違いない。

 ご一読ありがとうこざいます。

本書から、関心を抱いた事項を少し検索してみた。一覧にしておきたい。
国連分担金の多い国  :「外務省」
実質破綻「国連」分担金制度いまこそ見直しを  :「JIJI.COM」
急拡大する中国のシャドーバンキング  :「大和総研」
アフリカにおける中国?戦略的な概観 (China in Africa) :「IDE・JETRO」
中国、アフリカを「実験場」に 政治・経済両面で影響拡大―米報告書 :「JIJI.COM」
中国の武器貿易条約加入。今後の中国からの武器移転に対する影響は?【武器貿易条約(ATT)関連レポート_2020年7月_vol.3】 :「テラ・ルネサンス ブログ」
中国、世界第2位の兵器生産国に ロシア抜く 2020年1月報道 :「AFP BB News」
世界で最も武器を輸出している国トップ10 2018年3月報道 :「BUSINESS INSIDER」
AK-47 :ウィキペディア
中国製56式歩槍 AK-47のパクリ? それとも? :「秘密国家ベックミン」
56式自動歩槍 :ウィキペディア
中国における大気汚染について  :「在中国日本国大使館」
見ているだけで息が苦しくなる…… 中国の大気汚染の深刻さが分かる33枚の写真
  2019.10.23   :「BUSINESS INSIDER」
中華人民共和国の大気汚染: 現在の大気汚染地図
中国は大気汚染を克服したのか =手放しで評価は時期尚早= :「RICHO」
アングル:中国の水質汚染、世界の水処理企業が熱視線  :「REUTERS」
長江で10年間の全面禁漁 工場排水などで水質汚染、漁獲量激減 2021.1.13:「SankeiBiz」

 インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『オメガ 警察庁諜報課』   講談社文庫
『警視庁情報官 ゴーストマネー』   講談社文庫
『警視庁情報官 サイバージハード』  講談社文庫
『警視庁情報官 ブラックドナー』   講談社文庫
『警視庁情報官 トリックスター』   講談社文庫
『警視庁情報官 ハニートラップ』  講談社文庫
『警視庁情報官 シークレット・オフィサー』   講談社文庫
『電光石火 内閣官房長官・小山内和博』  文春文庫
『警視庁公安部・青山望 最恐組織』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 爆裂通貨』    文春文庫
『一網打尽 警視庁公安部・青山望』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 国家簒奪』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 聖域侵犯』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 頂上決戦』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 巨悪利権』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 濁流資金』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 報復連鎖』    文春文庫
『政界汚染 警視庁公安部・青山望』    文春文庫
『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』    文春文庫

『美しき愚かものたちのタブロー』  原田マハ 文藝春秋

2021-08-17 17:46:13 | レビュー
 企業に就職し、最初の1年余の勤務地が関東地方だった。その時、休日に上野の国立西洋美術館に一度だけ訪れたことがある。屋外でロダンの「地獄の門」を間近で見た。「松方コレクション」の一端を間近で眺めたのもその時だった。その後、東京には幾度も出張したが、それが今のところ唯一の機会になっているのが残念。
 そして、この小説、「史実に基づくフィクション」を通して、初めて「松方コレクション」が数奇な運命を辿ってきたということを知った。併せて、第一次世界大戦から第二次世界大戦、終戦後の初期段階について、日本とフランスのパリを中心に歴史的な背景その状況の一端を知り、イメージできたことが副産物となった。

 この小説、「松方コレクション」がなぜ、どのようにして、蒐集されたのか。そして、それが国立西洋美術館に収納され展示されるに至るまでにどのような数奇な運命に翻弄されたかを扱っている。
 このストーリーには様々な人々が登場するが、その中核となるは4人の群像である。
 「松方コレクション」と名を冠する通り、中心人物は松方幸次郎。この名前は知っていたが、それ以上のことはほとんど知らなかった。この小説を読むのをきっかけにして、少し調べて見て、驚嘆するに至った。スゴイ人物が大正から昭和にかけて活躍していたのだと・・・・。松方幸次郎は「わしは、いつか日本に美術館を創る。」(p15)と決意する。パリにおいて、それを唆した人々が背景に居たこともこのストーリーに描き込まれているが、私財を投入して、日本に西洋美術専門の美術館を作るという。そこには「日本が欧米諸国と比肩するためには、経済力、軍事力ばかりでなく、芸術の力が必要だ」という直感のもとに、それを自ら実現しようとした人が居たのだ。だが、社会経済情勢と諸般の事情で、松方幸次郎は初志を貫徹できずに逝去した。このストーリーは、松方幸次郎の自由で覇気に満ちた奔放な人生の断面を活写していく。「好奇心こそが、松方幸次郎の核心となって彼をかたち作っている」(p174)という一文が、松方幸次郎を鮮やかに物語っていると言える。

 パリで購入、蒐集された美術品は一部パリに保管されていた。それ以前に蒐集され日本に輸入を済ませていた美術品は、経済的事情によるやむなき売却、あるいは戦時の東京空爆により被災で焼失してしまった。そしてパリに保管してあったものは、フランス政府に敵対国の資産として没収されてしまっていた。

 ここに松方及び「松方コレクション」に関わる重要な3人の人々が登場する。
 その一人が西洋美術史家の田代雄一。西洋美術史の研究者を目指すには、自分の目で本物の美術作品を目しなければ机上の空論に過ぎぬとして、渡欧しフィレンツェでバーナード・ベレンソンに師事したいという志を実行する。その途中で、松方幸次郎の美術品蒐集活動に巻き込まれ、情熱を傾けてその目利きにまず奔走する。その田代雄一は、戦後、民間人の私財「松方コレクション」の日本への返還の交渉担当者となる運命を担っていく。
 このストーリーは、この田代雄一の視点から描き出される。「松方コレクション」を介在して、彼の人生並びに彼と深い関わりを持った人々を語ることにもなっている。なお、この田代雄一はこの小説ではフィクションとして設定された人物である。だが、そのモデルとみなせる人は居るようだ。

 二人目は、終戦後内閣総理大臣になった吉田茂。吉田茂はサンフランシスコ講和条約を締結し、日本の独立と主権を復活させた。その吉田茂は、この講和条約締結の折に、フランスの外相と会談し、「<松方コレクション>がフランスではなく日本にあることこそが、フランスのためになるのだ--という論法」(p98)を使い、外相から諾の言質を取り付けた。田代はフランスへ返還交渉に出発する前に、吉田茂に面会に行く。その中で、吉田茂から松方幸次郎との関わりを田代は聞かされる。
 余談だが、学生時代、日本史で「サンフランシスコ講和会議」「サンフランシスコ講和条約」を締結し、個別国間で対日平和条約を結んだと学んだ記憶がある。調べる序でに、外務省のホームページをチェックしてみると、現在は「日本外交文書 サンフランシスコ平和条約 調印・発効」と標題が冠されて、情報が開示されている。時代の変化、視点の変化を感じる。

 三人目は、日置釭三郎である。松方幸次郎が美術品の蒐集をパリで始めると、その時別の目的でパリに駐在していた日置は松方から蒐集した美術品の管理という使命を与えられる。第二次世界大戦の期間中、日置は松方の指示どおり、苦心惨憺し密かに「松方コレクション」を守り続ける。彼の努力がなければ、松方コレクションは戦時中のドイツ軍のパリ侵略の最中に散逸消滅していただろう。この小説を読み、この人物が実在していたことを知った。日置の生き方は切ない。だが、己に課された使命を果たし、田代にバトンタッチできたことでやり甲斐感を抱いたのではないかと感じる。一隅を照らす己に殉じ得たことに・・・・・。

 本書は、なぜ「美しき愚かものたちのタブロー」となったのだろう。これにも関心を抱いた。普段使ったことがない言葉なので、調べてみると「タブロー」はフランス語で絵画作品を意味する。ストーリーを読み進めると、マネ、モネ、ルノワール、ピサロ、シャニック、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラなどの一群の画家たちは、フランス・パリにおいて、その存在が「つい二、三十年まえまでは『タブローのなんたるかを知らぬ愚かものの落書き』などと批評家に手厳しく揶揄された画家たち」(p133)だった事実が書き込まれている。それまでの伝統的な絵画観、絵画技法からは訳がわからない存在だったのだ。「愚かものたち」というフレーズはここに由来するようだ。
 松方幸次郎は、当初ぼろくそに批評されたこれら画家たちの絵、近代絵画を精力的に収集した。作者は、松方と同時代に先見の明を持ち、近代絵画に着目して蒐集活動をしていたライバルのことに触れている。彼等の蒐集品が、一つは、プーシキン美術館に収蔵され、他の一つは現在ではバーンズ・コレクションとして公開されるようになっている。
 余談だが、「La liste des lumières retrouvées」と副題(?)とも呼べるものが表紙に記されている。フランス語辞書を引きつつ推測すると、「光輝く再発見絵画の一覧表」という意味合いのようだ。

 このストーリーはこの4人の人物を中核にして織りなされていく。全体の構成は時間軸が入れ子構造、つまり、現在⇒過去⇒さらに過去⇒現在(⇒過去)⇒その後(結末)という形で進行する。
 時間軸のフレームワークをご紹介しておこう。
 1953年 6月 「松方コレクション」返還交渉のためパリに向かう田代の描写
     5月 出発前に田代が吉田茂と面談する
     6月 パリでの返還交渉
 1921年 7月 30歳で初渡欧した田代がパリに着く。松方の絵画蒐集への同行が始まる
 1866年~   松方幸次郎の回想。松方の生き様と西洋美術館創設を決断した経緯
 1921年 7月 美術品コレクター松方としての活動。それに同行する田代。
 1953年 6月 田代の逗留するホテルに日置釭三郎が現れる。
        己の過去と第二次大戦中の松方コレクションの秘匿・管理の顛末を語る
 1959年 6月 国立西洋美術館の落成。取り返された(寄贈返還)松方コレクション展示
 実在した人物群とフィクションの人物群で織りなされる「松方コレクション」の運命・秘話物語。アート小説に伝記語り的要素が織り込まれている。西洋美術史研究者田代雄一の青春の一時期における松方幸次郎との運命的な出会い。クロード・モネと松方幸次郎の出会いと交流、フランク・ブラングィンと松方幸次郎の出会いと交流、そして、ゴッホの絵<アルルの寝室>と人々の関わりの有為転変が要の一つとして描き込まれる。美術愛好家にとっては大いに楽しめる作品である。

 最後に、本書を読み印象に残る本文の一節を引用し、ご紹介したい。⇒印はこのストーリーで、誰の発言あるいは関わることなのかを付記した。
*自分が専門とする時代と画家だけを追いかけて「重箱の隅をつついている」ばかりでは美術史は究められない、時代や国や流派を俯瞰して比較することが大事なのだ。 p9
 比較したときに思いがけない発見があるのだ。 p10 ⇒ベレンソンの言(二文とも)
*初めのうち、私の絵はどの絵もみんなおかしな色だと言われたものだ。でも時が経てばわかる。私がどんなふうにこの風景を見ていたのか。 p14 ⇒モネの言
*画家がおのれの全部をぶつけて描いた絵を、傑作と言うんじゃないのか? p15 ⇒松方の言
*アトリエではなく外光の中で制作したことが、印象派の画面にあのまばゆさをもたらしたのだ。  p58
*ヨーロッパの近代美術、そしてフランスで起こった前衛美術を、日本で最初に紹介したのは、・・・・同人誌「白樺」です。 p93  ⇒田代の言
*美術とは、表現する者と、それを享受する者、この両者がそろって初めて「作品」になるのです。  p95  ⇒田代の言
*心を開いて向き合えば、絵の中から声が聞こえてくる気さえする。時を超えて画家と対話することだってできる。美術館とは、そういう場所なのだ。(p172-173)
*松方さん、画家の筆によって絵の中に残されましたね。たった一時間で、永遠を手に入れたようなものだ。 p238 ⇒石橋和訓の言
*私は絵のなんたるかを知りません。何もわからない。お恥ずかしい話です。けれど、私は・・・・なんというか、私は・・・・・先生の作品が好きです。 p303 ⇒松方の言
*そして、知らされた。自分が心ではなく頭でタブローを見ていたことを。 p309 ⇒田代の言
*それがなくても生きていける。それがなければ何かが変わってしまうというわけじゃない。けれど、それがあれば人生は豊になる。それがあれば歩みゆく道に一条の光が差す。それがあれば日々励まされ、生きる力がもたらされる。そう。松方にとって、田代にとって、それがタブローだったのだ。-そして、日置にとっても。 p419

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
松方幸次郎  :「コトバンク」
松方幸次郎  :「Kawasaki」
松方コレクション  :「国立西洋美術館」
Bernard Berenson  From Wikipedia, the free encyclopedia
ベレンソン  :「コトバンク」
矢代幸雄/バーナード・ベレンソン往復書簡等のオンライン展示 :「東京文化財研究所」
矢代幸雄  :ウィキペディア
アン女王の館(Queen Anne's Mansion) :ウィキペディア
吉田茂  :ウィキペディア
サンフランシシコ講和条約  :「コトバンク」
日本外交文書 サンフランシスコ平和条約 調印・発効  :「外務省」
プーシキン美術館  :ウィキペディア
バーンズ・コレクション  :ウィキペディア
フランク・ブラングィン  :ウィキペディア
松方幸次郎の肖像 フランク・ブラングィン  :「国立西洋美術館」
モーリス・ドニ  :「Salvastyle.com」
【ぶら美】松方コレクション展④【松方とベネディット、ロダン作品】 :「masaya's ART PRESS」
石橋和訓 :「収蔵品データベース(SHIMANE ART MUSEUM)」
日置釭三郎 この男がいなければ国立西洋美術館はなかった!?   :「サライ」
フランス美術館史の主役 リュクサンブール美術館 :「note」

 インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『<あの絵>のまえで』   幻冬舎
『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  PHP
『たゆたえども沈まず』  幻冬舎
『アノニム』  角川書店
『サロメ』  文藝春秋
『デトロイト美術館の奇跡 DIA:A Portrait of Life』  新潮社
『暗幕のゲルニカ』   新潮社
『モダン The Modern』   文藝春秋
『太陽の棘 UNDER THE SUN AND STARS』  文藝春秋
『楽園のカンヴァス』  新潮文庫
『翼をください Freedom in the Sky』  毎日新聞社

『グレート・ギャッピーを追え』 ジョン・グリシャム  中央公論新社

2021-08-11 15:13:35 | レビュー
 ジョン・グリシャムの弁護士を主人公にした法廷ミステリー小説を一時期立て続けに読んでいた。その後出版されたグリシャムの文庫本を購入したまましばらく遠ざかってしまっている。そんな状況でこれが目に止まった。カバーの右肩には、カタカナ表記の著者名よりも、訳者・村上春樹の名がポイント数の大きな活字で表記されているのがおもしろい。片仮名8文字と漢字4文字のデザイン的なバランス感覚なのかもしれないが・・・・。

 法廷ミステリー小説では好きな作家の一人であるし、和名タイトルへの興味と訳者名に惹かれて、未だ眠っている本をそのままに、これを手に取ってみた。原題は「CAMINO ISLAND」である。邦訳がこのタイトルのままならすぐに手に取ることはなかったかもしれない。私にはこの島の名称から何も連想できなかったから、タイトルに惹かれることはない。アメリカ人には何か連想が働くのかもしれないが・・・・・。
 さて、読後に少し調べてみると、この小説は2017年6月6日に出版された作品であり、グリシャムにとっては、法廷ミステリー分野から飛び出し、犯罪小説を書き、希覯本の盗難を主題に扱うのは初試みだったようだ。この小説の中に作家が書店でのブックツアー、著者サイン会の実態を描いているが、グリシャム自身この分野の小説を書いた後、作家生活25年間で初めての大規模ブックツアーをしたという。自分自身が大々的にそれを実行してどのように感じたのだろうか。聞いてみたい思いである。
 この翻訳本は2020年10月に初版が出版された。
 
 さて、このストーリー。冒頭はプリンストン大学のキャンパスから始まる。
 プリンストン大学のキャンパス内に爆弾を仕掛け、マッカレン学寮の二階で銃を発砲しているという通報をして、偽装爆発・発砲という形で大騒動が引き起こされる。大学内で危機的状況が創出された。併行して、ファイアストーン図書館の特別蒐集品室の下にある地下室が狙われる。厳重な保管庫から希覯本を強奪する作業が進展する。大騒動はこの希覯本強奪の目くらましだった。
 犯人たちは、F.フィッツジェラルド「文書」、つまりオリジナル直筆原稿の強奪をターゲットにしていた。『美しく呪われしもの』『夜はやさし』『ラスト・タイクーン』『グレート・ギャッピー』『楽園のこちら側』の5つ全部が見つけ出されて、奪いさられてしまう。
 つまり、翻訳本のタイトルはフィッツジェラルドの小説の一つのタイトルが使われたことになる。『グレート・ギャッピー』がピンと来なくても、何かを追跡するストーリー、探偵ものか・・・・そんなイメージはまず連想させる。

 FBIの迅速な初動捜査が始まる。監視カメラの映像記録や様々な証拠から、犯罪グループの一角が速やかに暴かれて犯人の一部が特定される。FBIの「希少資産回収班」は熱心に捜査した。だが、逮捕された犯人の一部は黙秘を貫徹。そこから先、希覯本の行方は杳として掴めなくなる。
 一方、強奪された希覯本には、大学が当然ながら保険をかけていた。希覯本が回収されなければ、保険会社には保険金支払いの義務が発生する。保険会社は、FBIとタイアップする一方で、独自に希覯本の追跡捜索に着手する。このストーリーのメインはここからである。
 
 登場するのはこのストーリーの中核となる3人の人物。まず、最初にブルース・ケーブルだ。彼は、大学生で23歳の時、父の急逝により30万ドルの遺産と書籍の一部を相続する。己の生き方を模索する旅をした結果、彼はカミーノ・アイランドで1996年8月に「ベイ・ブックス-新刊及び希覯本」を開業する。
 二人目は、ノース・カロライナ大学で新入生に文学を教える非常勤講師で小説作家のマーサー・マン。州議会の予算削減策の影響を受け、大学との非常勤講師契約を失う羽目になる。過去に長編小説1冊、短編小説集1冊を出し、新しい長編小説に取り組んでいるが停滞したまま3年が経つ。解雇されたことで、生活費の確保、学資ローン返済という軛の重圧に打ちひしがれる状況にいた。
 そこに、三人目、イレイン・シェルビーが登場する。経済的に窮地の状態のマーサーにまず偽名で勧誘の手を伸ばしてくる。彼女は保険会社の調査部門の優秀なリーダ-だった。彼女はFBIと協力して、6カ月間捜索を続けてきた、原稿が回収できなければ、6ヵ月後にはプリンストン大学に、2500万ドル支払わなければならないという。その捜索には、マーサーの協力が最適なのだと勧誘する。なぜか。その経緯が綴られる。

 結果的にマーサーはイレインに協力することに。学資ローン返済の重圧から解放され、マーサーはカミーノ・アイランドに赴いていく。名目はその島で生活し作家として小説を書くことである。ヨットの遭難事故で亡くなったテッサの遺産である海辺に建つコテッジを部分的に継承していたので、このコテッジで生活を始める。それはイレインがマーサーを最適とする要素の1つだった。島との繋がりがもともとあるという自然さだ。
 イレインは今までの独自捜索の結果、何らかの形でブルース・ケーブルが強奪された希覯本に関与していると推定する。彼の書店に『グレート・ギャッピー』他全ての希覯本を秘匿しているという証拠を掴みたいのだ。マーサーにブルースの口から希覯本に関連した話が出るように仕向けて、何らかの端緒を引き出して欲しいという。

 イレインがマーサーに指示したのは、自然な形でブルースに近づき、彼の口から希覯本に関連した発言を引き出すということである。小説家マーサーがいわばスパイ活動を始めて行く事になる。カミーノ・アイランドがその舞台ということに。これで原題の由来が明確になる。
 マーサーは、この島に住む作家たちとの交流から始める。作家たちと書店経営者とは自然に繋がりが築かれているのだから。イレインはマーサーの日々報告を受けながら、ブルース攻略のためのアイデア交換や指示の話し合いをこの島で行うことになる。
 マーサーとブルーノとのいわば狐と狸の化かし合いのような駆け引きが始まっていく。
 この小説の読ませどころの観点はいくつかある。
1.FBIの捜査の進展状況の描写。
2.マーサーの心理の変容の描写。
 マーサーの過去の思い出、祖母テッサとの関係の心理的整理が大きな要因となる。またイレインとの人間関係も影響を及ぼしていく。
3.マーサーとブルースの二人の人間関係がどのように変化・進展していくかの描写。
 その過程でのマーサーの価値観、正義感、倫理観などの維持と変容。
4.カミーノ・アイランドに住む作家たちとブルースを介して語られる出版界の裏話の描写。
5.最終ステージでの希覯本取引の描写。

 カミーノ・アイランドを舞台としてマーサーの行動ストーリーが少しずつステップアプしていくプロセスがメインとなる。このプロセスを楽しめるか、つまらないと感じるかで、この小説の評価が割れるかもしれない。いずれにしてもマーサーがどのようにして証拠を握るかをお楽しみに。なお、そこで The End にならない意外な仕掛けと一捻りがおもしろい。後は本書を開けてのお楽しみということに・・・・・。

 本筋ではないが、興味深いことをご紹介しておこう。新刊と希覯本を扱う書店を経営し成功しているブルースはマーサーに、「いかにして小説を書くか、ケーブルの十箇条」と題してルールを語る。4,000冊以上の本を読んできた熟達のエキスパートとして自らまとめたハウツーのルールだと言って。
1. プロローグは嫌い。⇒プロローグで始める構成を否定する立場を表明
2. 第1章での登場人物の紹介は5人で十分。
3. もし類義語辞書に手を伸ばしたいと思ったら、三音節以内の言葉を探すべき。
4. 会話にはクォーテーション・マークを付ける。
5. 語りすぎない。常にそぎ落とす。⇒センテンスは短く。不必要なシーンは削除など。
ここまで語り、ブルースはマーサーに「必要なのはストーリー」だけだと言う。「必要なのはストーリー」というのは第6条になってもよさそう。

 グリシャムはブルースにここまで語らせている。これは彼自身が心がけているルールなのだろうか。後4つはどういうことが上がるのだろうか。第1条には賛否両論があるかもしれない。後は十分納得できる。普通のことを言っているとも言えるのだから。

 ウィキペディアを読むと、この本の人気は
”The book appeared at the top of several best seller lists including USA Today, The Wall Street Journal, and The New York Times.”
と記されている。
 発売当初はいくつかのベストセラー本リストのトップにランクづけされたようだ。
 
 ご一読、ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
Camino Island  From Wikipedia, the free encyclopedia
The Real Camino Island :「Karen Stensgaard」
CAMINO ISLAND by John Grisham   YouTube
NC Bookwatch John Grisham | Camino Island  PBS  YouTube
F. Scott Fitzgerald  From Wikipedia, the free encyclopedia
F・スコット・フィッツジェラルド :ウィキペディア
プリンストン大学  :ウィキペディア
【先取りベストセラーランキング】ハリケーン後に死体で発見された小説家と消えた遺稿 ブックレビューfromNY<第55回>  :「P+D MAGAZINE」
稀覯本が盗まれた! 古書窃盗団 vs. 図書館特別捜査員の熱き戦いを描いたノンフィクション  :「ダ・ヴィンチニュース」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


『日本はこうしてつくられた』 安部龍太郎  小学館

2021-08-08 11:11:42 | レビュー
 「大和を都に選んだ古代王権の謎」という副題が付いている。カラー版で、一般的な新書サイズ。ただし横幅が5mmほど広い。2021年1月に出版された。
 「日本はこうしてつくられた」というタイトルのネーミングがまず惹きつける。表紙を見れば、埴輪、銅鏡、古墳、仏像の写真などが散りばめられていることから歴史ものとわかる。右肩の副題に目が行くと、時代が特定されてくる。「都に選んだ」という言い回しがさらに興味をそそる。

 読後に「あとがき 日本の原点への旅」を読んだ。そこで知ったことは、著者が6年半ほど月刊誌『サライ』に「半島を行く」と題して、日本の原点となる文化や伝統の姿を紀行文として連載してきたことである。その過程で「それなら日本人の原点にテーマを絞ってみよう」(p270)、「奈良の都に切り込み、この地に大和政権が誕生し、日本という国に成長していった理由を見極めようではないか」(p6)ということになったそうだ。そこから本書が生まれたと言う。
 本書の特徴は、大和にできた古代政権が日本を統一した後の日本国家の形成を論じるのではなく、大和古代王権が誕生した後に大和王権とその周辺諸地域との関係に目を向けていくところにある。つまり、著者は奈良を中心にして、その周辺地域と位置づけられる半島を巡って行く。大和王権の誕生と並立して各地に古代王権が存在したこと、それら古代王権が大和王権とどのような関係を築いて行ったかが明らかにされていく。
 学生時代には歴史の授業で、統一政権となる大和朝廷の発展について学んだくらいしか記憶にない。それ故、大和王権の拡大プロセスにおいて、当時各地に存在した古代王権あるいは関わりの深い地域にフォーカスをあてその歴史を掘り起こし、大和政権との関係をとらえなおすいう視点は、私にはかなり新鮮だった。

 本書の構成をまずご紹介すると、その意味がイメージしやすくなることだろう。
  第1章 大和王権誕生編(奈良)
  第2章 謎の丹後王国編(丹後半島)
  第3章 出雲国譲り編(島根半島)
  第4章 宇佐八幡と対隼人戦争編(国東半島)
  第5章 聖地・熊野と神武天皇編(紀伊半島)
  第6章 関東と大和政権編(房総半島)

 各章に沿って少しその内容・論点をご紹介し、読後印象を付記したい。
<第1章 大和王権誕生編(奈良)>
 『日本書紀』は大和地方に東征した神武天皇がこの地に至り橿原に都に定めたと記す。橿原という地名が樫の木が生い茂る原に由来するということを本書で知った。
 ここでは、日本で初めての王権が誕生したと言われる纏向から始まり、大神神社・三輪山、宇陀市、藤原宮跡、平城京跡を巡り、大和に王権が誕生した謎と取り組んで行く。
 興味深いのは、大和政権の誕生に関連し諸説を併記して論じているところにある。
1)纏向で初めて連合政権・新生倭国が誕生したとする寺澤薫説(纏向学研究センター長)。この時期から纏向で前方後円墳が作られ始め、それは吉備から継承された首長霊継承儀礼という。
2)『日本書記』の編纂は大和王権の正統性を唐の皇帝に認めて貰うという目的があった。皇帝は辛酉の年に天命を受け新しい国家を創建するという思想があり、そこから建国の年が紀元前660年にされたという岡田登説(皇學館大学教授)。神武天皇~開化天皇は実在したが辛酉の年との辻褄合わせで在位期間を引き延ばしただけと論じる。
3)『古事記』『日本書紀』は藤原不比等が外戚としての藤原家の地位を正統化し、天皇の権威を絶対化するために仕組んだものとする大山誠一説。聖徳太子は存在しないと論じる。
 この章を読むと、大和政権については未だに様々な解釈があるようでますます興味をそそられる。古代の謎はまだまだ深く、ロマンにあふれる宝庫と言えそう。

<第2章 謎の丹後王国編(丹後半島)>
 籠神社(元伊勢)、浦島神社(宇良神社・伊根町)、丹後古代の里資料館、網野銚子山古墳、志布比神社、大成古墳、溝谷神社(弥栄町)などが巡られる。
 海部家が丹波の大縣主として大丹波王国を築いていた。ここが日本建国のもう一つのルートである。海部家の祖神は彦火明命とされる。だが、大丹波王国は和銅6年(713)に丹後と丹波に分国された。だが、彦火明命の末裔や大丹波王国の存在は公の記録からは消し去られているという。たしかに、後で『続日本紀(上)』(宇治谷孟訳、講談社学術文庫)巻六を参照すると、元明天皇の和銅6年夏4月3日の条に「丹波国の加佐・与佐・丹波・竹野・熊野の五郡を割いて、初めて丹後国を設けた」とだけ記されている。
 丹波の一の宮、籠神社は元伊勢と呼ばれるように、伊勢神宮との関係が深い。
 京都府には約13,000の古墳があり、そのうち約6,600が丹後に集中しているという。丹後にしかない形式の「丹後型円筒埴輪」が許されていたことも丹後には大和政権が一目を置く王国が存在していたことを示す。古墳の出土品から九州との交易ネットワークを推察できるという。網野銚子山古墳は奈良市の佐紀陵山古墳と同形だという。佐紀陵山古墳は丹波道主命の娘日葉酢媛の御陵と推定されている。日葉酢媛は第11代垂仁天皇の妃となった。丹波王国は大和朝廷と融合をはかるようになっていく。大和政権に組み込まれて行ったのだろう。
 存在を闇に葬られた丹波王国という視点が浮上してきた。それを裏付ける客観的証拠はどれほどあるのだろうか。関心が広がる。

<第3章 出雲国譲り編(島根半島)>
 美保神社(美保関)の諸手船神事に焦点を置く紹介に加え、客人社、熊野神社、須佐神社、出雲大社、田和山遺跡(松江市)、佐太神社(松江市)、西谷墳墓群(出雲市)などが巡られる。
 諸手船神事が国譲り神話を再現する神事という説明は興味深い。
 出雲の国譲り以後にも、出雲は二度大和朝廷によって蹂躙されていることを本書で初めて知った。「和議がスムーズに行なわれたなら、こうした事件が起きるはずがない。出雲には国譲りの後も大和への抵抗運動が続いていたとみるべきだろう」(p112)と著者は記す。
 著者による神話の解釈が出てくる。「須差之男集団はモンゴルからソウルを経由して出雲に渡来し、須佐に土着して国を建てた。そして後に渡来してきた大国主集団と一体化して日本全国に勢力を拡大したが、新たに渡来してきた天照集団に服属せざるを得なくなった。服属後は『三貴子』の1人に数えられる重要な役割をはたしたが、やがて使い捨てにされたと考えられる」(p115-116)おもしろい解釈だと思う。また、最新の製鉄技術をもって渡来してきた須佐之男集団は奥出雲地方に居住し、「たたら製鉄」の伝統を残したと著者は論じる。
 また、国譲り神話は、天津神(天照集団)が大国主に神事を託し、国の政治を取り上げて役割分担をする「和讓」ととらえている。国譲りは魂の勝利という捉え方が興味深い。

<第4章 宇佐八幡と対隼人戦争編 (国東半島)>
 薦神社・三角池(中津市)、虚空藏寺跡、宇佐神宮、六郷満山、阿弥陀堂(富貴寺大堂)、両子寺などが巡られる。
 国東半島は陸のどん詰まりであり、一方海からの入口でもあるという冒頭の一行がおもしろい。ここが八幡大菩薩発祥の地となり、なぜ大和政権と関わりができたかが考察される。
 宇佐は隼人(古代九州南部に住んでいた人々)との戦いの最前線であり、大和朝廷は薦神社と宇佐神宮の二社の力を隼人征伐に活かすために、八幡神を創出したと著者は論じている。宇佐の八幡神(八幡大菩薩)が、東大寺大仏の造営の時と、称徳天皇が道鏡を皇位につけようとした時の2回、登場し活躍するのは有名な話である。
 著者は六郷満山の本山八か寺の仏像群もまた隼人征伐のために作り出されたものと推論している。
 国東半島は大和政権が九州を征服する上で重要な拠点となったようだ。こういう視点で国東半島を捉えることはなかった。この半島への関心も高まった。

<第5章 聖地・熊野と神武天皇編(紀伊半島)>
 熊野古道伊勢路のルートから、松本峠、大丹倉、楯ケ崎、徐福の宮、赤木城跡、熊野速玉大社、熊野本宮、熊野那智大社などが巡られる。
 この章では、熊野詣と熊野三社の説明及び天皇の御幸との関わり、熊野の壮大な自然についての説明が中心になる。
 大和王権との絡みで言えば、神武天皇の東征軍がどこから上陸したかである。著者は上陸伝承地「楯ケ崎」の雄大な景観に接し、ここが上陸地点と考えるのは真実だと思ったと記す。それ以外に大和王権(政権)と熊野、この紀伊半島との直接の関わりは言及されていない。

<第6章 関東と大和政権編(房総半島)>
 鋸山、阿波神社(房総半島南端)・洞穴遺跡、館山市立博物館、大寺山洞穴、弁天山古墳(富津市)、稲荷山古墳、内裏塚古墳、山上塚古墳、割見塚古墳、浅間山古墳(印旛郡、岩屋古墳、龍角寺、香取神宮などが巡られる。
 ヤマトタケルも景行天皇も三浦半島から房総半島に船で渡ったという。調べてみると『日本書紀』(宇治谷孟訳、講談社学術文庫)によれば、ヤマトタケルが熊襲征伐に出動するのは、景行天皇の27年冬10月13日が最初と記されている。
 著者たちも海の経路を辿り房総半島に足を踏み入れた。
 大和朝廷にとり、東国征服のために上総・下総を掌握し前線基地を確保するうえで房総半島はきわめて重要だった。黒潮に乗り近畿地方や西日本から渡ってきた人々がまず房総半島南端に住みついた。その最初が阿波国からやってきた忌部氏で、忌部氏が安房神社を創建したという。安房神社は安房国一の宮となる。
 房総半島は日本でも有数の巨大古墳の密集地であり、大阪の百舌鳥古墳群と近似する古墳の景観を呈しているという。つまり、房総半島は大和政権の勢力が及んだことを古墳の形で実証していると言える。房総半島が古墳の密集地というのも本書で初めて知った。

 古代史は謎の部分が多い。それ故に惹かれるところが大きい。古代の勢力分布と大和政権による国家形成の時代はそれ故に興味が尽きないと言える。大和王権が大和政権・大和朝廷にステップアップしていく時期を考える材料として、研究者たちの諸説と著者の所見が併記されている。多面的に眺められることになり学びの多い書である。またカラー版で写真や図などが結構掲載されていて、結構親しめる。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
桜井市纏向向学研究センター  ホームページ
  纏向遺跡ってどんな遺跡?
卑弥呼はここにいたか?・纒向遺跡を歩く  :「歩く・なら」(奈良県)
楯築遺跡  :「倉敷市」
大和王権  :ウィキペディア
大和政権  :「コトバンク」
大和朝廷  :「コトバンク」
古代丹波歴史研究所  オフィシャルサイト
古代出雲王国と大社の謎に迫る! :「しまね観光ナビ」
丹後一宮元伊勢 籠神社 ホームページ
天皇系図 :「宮内庁」
天皇家 系図(古代)-天皇はいつから天皇なのか?- :「にっぽん ってどんな国?」
美保神社  ホームページ
  特殊神事
安房神社  ホームページ
阿波国  :ウィキペディア
上総国  :ウィキペディア
下総国  :ウィキペディア
熊野古道 :「熊野本宮」(熊野本宮観光協会) 
熊野古道・高野参詣道を歩く モデルプラン  :「和歌山県公式観光サイト」
熊野三山   :「新宮市観光協会」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『血の日本史』   新潮文庫
『信長はなぜ葬られたのか』  幻冬舎新書
『平城京』  角川書店
『等伯』 日本経済新聞出版社


『オメガ 警察庁諜報課』  濱 嘉之   講談社文庫

2021-08-06 17:07:52 | レビュー
 文庫書下ろしで始まった新シリーズ。日本の国際諜報機関が活動するストーリーがここに生み出された。2013年6月に出版されている。
 プロローグは、日本国警察庁長官官房諜報課の北京支局香港分室から始まる。勿論、その存在は極秘の組織。まず登場するのは、榊冴子。警視庁のキャリアで警視。東京大学法学部出身、29歳。エキゾチックな美貌の持ち主。スイス生まれで、英語、北京語を母国語のように操れる。諜報課に異動し香港分室に属する榊冴子のファーストミッションは、「広東省を拠点として流通する覚醒剤の製造ルートにまでさかのぼり、これを根絶させる」(p27)ことである。香港分室のキャリア技官・時任祐作が冴子を化学分析の側面からサポートする。
 プロローグは、ザ・ペニンシュラ香港で、榊冴子がある男と高純度のフェニルメチルアミノプロパンの取引交渉をしている場面から始まる。そして、上記のプロフィールが明らかになる。読者はおもしろい展開になりそう・・・・・という予感に導かれる。

 「第1章 諜報課」は、警察庁刑事局長の高橋潔と警備局長の根本克彦が中央合同庁舎5号館の喫茶室で小声で会話をしている状況から始まる。2人はこの諜報課誕生の背景と現状認識を話し合っていく。諜報課誕生並びに組織体制の状況を読者はここで背景情報として知ることになる。高橋と根本は東大運動会出身の同期。彼等が密かに情報交換をしていた直後に、彼等自身の進路が方向付けられていることを知る。
 このストーリーは、諜報課が誕生してまだ10年とたたない時点から始まる。諜報課は誰言うとなく「オメガ」と通称されるようになっていた。Ωはギリシャ語アルファベットの最後の文字で「究極」という意味をもつという。
 片岡警察庁長官から呼び出された根本はオメガの諜報官になることを命じられる。そして、高橋は次長になり、次期長官という路線、2人が情報共有を積極的に行う前提で、組織のシナリオが描かれたのだ。根本は長官からオメガの概要を知らされた。
 根本は高橋に語る。「オメガ内はミッションごとにチームで動くんだ。一つの事案が解決すればチームは即解散する。それは支局長の判断だ。複数の局にまたがった合同作業もありえる」(p48)と。このストーリーは、諜報官となる根本の総合的な指揮管轄下で、香港分室の榊冴子のミッションが始まって行くということになる。

 内調の衛星情報センター室に次長として出向している樋口から、根本は北朝鮮の列車の奇妙な動きについて報告を受けた。根本は深圳市の福田区に捜査官を即潜入させる判断をする。一方、榊冴子は時任の分析から福田区に潜入する必要性を意識していた。
 タイミングよく経団連の国際経済本部が深圳市の特区への視察団派遣を計画していた。根本から潜入捜査にふさわしい人材がいるか、と尋ねられた諜報課のアジア担当主幹・篠宮は榊冴子の名前を即答した。冴子は経団連職員の肩書で視察団に加わることになる。
 一方、この視察団に岡林剛が桐朋化学の社員という触れ込みで加わる。彼は北京支局の捜査官だった。冴子は彼が元警察キャリアと認識していたが、同じ諜報課の一員とは知らない。岡林の登場の仕方がおもしろい。かつ、彼のミッションは何か。わからぬままで状況が進展する。冴子のミッションとの関わりがでてくるのか? それとも、同時進行する別のストーリーなのか? 読者には謎のまま関心が深まることに。
 冴子はミッションに関わるターゲット情報の一端を深圳の特区で入手する。

 第1章の面白いところは、中国の社会構造における裏事情がかなり背景として描かれているところにある。インテリジェンス小説としてかなり裏付けのある事実を背景に書き込まれていると思う。そういう意味でも、興味深い。この情報は読者にとって副産物と言える。

 この後のストーリーの展開の流れをご紹介しておこう。後は読んでのお楽しみということに。
「第2章 天命」
*読者は榊冴子はなぜ諜報課の捜査官になったのか、に当然関心を抱くはず。この経緯が語られて行く。
*冴子が諜報課に所属すると、課長の押小路警視監から与えられた最初の課題は、アメリカの武器富豪も参加を予定するドバイでの商談会が何の商談かという捜査である。冴子は掴んだ情報を押小路に報告する。折り返し、押小路からドバイでのミッションが指示された。そのミッションの顛末譚となる。冴子の力量が試されたのだ。

「第3章 計画」
*話は香港分室に戻る。土田捜査官の協力で、冴子はミッション達成のための証拠固めを推進する。課題は鴨緑江大橋を通る貨物列車の積載物とその量の解明である。
*土田は凄腕のハッカーでもあった。警視庁のハイテク犯罪対策に関わる者たちの間では、より優れた技術者「ウィザード」と呼ばれていたという。土田捜査官のプロフィールが徐々に明らかになっていく。
*冴子は中国の麻薬精製工場の徹底破壊、土田は北朝鮮の工場の破壊を担う。

「第4章 ハッカー」
*ストーリーは日本国内で諜報課がなぜかオタクハッカー集団が行うイオフ会、アムニマウス集会を監視する場面に一転する。これが、ストーリーにどうかかわるのか?
*岡林捜査官のプロフィールが根本と押小路との会話で明らかになっていく。
*話はオメガ香港分室に転じる。岡林が香港分室をおとずれ、土田と交流する場面となる。通信衛星技術絡みの話題が飛び交う。土田がなぜ諜報員になったかの理由が吐露される。

「第5章 工作」
*鴨緑江大橋を渡る貨物列車を監視衛星から撮った画像をモニターする場面から始まる。
*土田は丹東市に赴き現地調査を始める。このプロセスがけっこうおもしろい。
 この章は土田の活動にフォーカスしていく。

「第6章 協力者」
*冴子と土田はそれぞれが担当する工場の破壊工作の準備を着々と整え始める。
 どのような準備を進めるかが、ひとつの読ませどころにもなる。
*冴子も土田も、それぞれ相手に気づかれずに協力者を作っていく。このあたりが諜報活動の要となるのだろう。
*独自に行動している岡林が再び登場する。その状況が描かれる。

「第7章 横槍」
*ストーリーの流れからすると、ちょっとドキリとさせる展開に。
 指示に忠実に働き、憂き目をみる警察官が描かれるのは、ちょっとしたアイロニーか。
「第8章 春節」
*それぞれの破壊工作の実施、Xデーが描き出されて行く。そのプロセスで一波乱があるのだが・・・・。
 ストレートに終わらせないところがおもしろい。

「エピローグ」
 いくつか挿入されてきたエピソードのピースが嵌まるべきべきところに嵌まって関連していく。いわば落ち穂拾い的にストーリーのつながりができることにもなる。
 ミッション完了後、冴子は南アフリカ共和国のケープタウンでひとときの休暇を過ごす。冴子なりの命の洗濯だという。だが、彼女には既に次のミッションが指示されていた。

 最後に、この小説に書き込まれている興味深い情報をいくつか抽出しておこう。
*(香港には)金融資産を100万ドル以上持つ富裕世帯は、21万世帯を超えるのよ。 p22
*北朝鮮は2005年9月に羅神港の50年間の租借権を中国に渡している。 p52
*今や中国は、北朝鮮最大の鉄鉱山「茂山鉱山」の採掘権を確保し、中国企業は、東北アジア最大の銅山「恵山銅鉱山」、亜鉛鉱山「満浦」、金鉱で有名な「会寧」にこぞって資本を投入していた。 p52-53
*北朝鮮は今でも、いくつものルートで麻薬や覚醒剤をさばいている。
 輸出先の6割が中国、3割がロシア、そして残りの1割がにほんというところか。p141

*中国のネット社会には、当局にとって有利な発言を書き込む「五毛」と呼ばれる世論誘導役が30万人ほといると言われる。  p151
*黒社会というのは特定の組織を指して用いるのではなく、犯罪組織や地下経済、及びそれらにより派生する社会そのものを表す言葉なんだ。 p166
  ⇒香港三合会、14K、和勝和など。
*陸水信号部隊は、中国人民解放軍総参謀部第三部指揮下で育成されたサイバー戦争用部隊だ。 p201
*中国の放送局の中には、反日ドラマや反日報道ばかりを24時間流しているチャネルが3つはある。 p202
*(中国の)歴史教科書はその内容の7割が近現代史で占められていて、特に清朝後半の列強からの侵略を受けた屈辱的な部分と、日清戦争以降の抗日活動に重きが置かれている。 p206
*警視庁公安部は様々な業界にダミー会社をもっていた。 p209

 このシリーズがどこまで広がって行くのかを楽しみにしたい。2021年8月時点では第2弾が出版されているところで足踏みしているようだが・・・・。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。
中国サイバー軍  :ウィキペディア
NEC、三菱電機も被害、中国ハッカー集団の全容  :「日経ビジネス」
黒社会  :ウィキペディア
三合会  :ウィキペディア
和勝和  :ウィキペディア
深圳市  :ウィキペディア
深セン進出のメリット・デメリット|日本企業の意図・進出動向は?:「Digima~出島~」
父・習仲勲の執念 深セン経済特区40周年記念に習近平出席  :「NewsWeek 日本版」
中朝友誼橋  :ウィキペディア
新鴨緑江大橋 :ウィキペディア
中朝国境の橋「中朝鴨緑江大橋」、年内開通へ急ピッチ  :「SankeiBiz」
海南島  :ウィキペディア
広州 海南島  :「阪急交通社」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『警視庁情報官 ゴーストマネー』   講談社文庫
『警視庁情報官 サイバージハード』  講談社文庫
『警視庁情報官 ブラックドナー』   講談社文庫
『警視庁情報官 トリックスター』   講談社文庫
『警視庁情報官 ハニートラップ』  講談社文庫
『警視庁情報官 シークレット・オフィサー』   講談社文庫
『電光石火 内閣官房長官・小山内和博』  文春文庫
『警視庁公安部・青山望 最恐組織』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 爆裂通貨』    文春文庫
『一網打尽 警視庁公安部・青山望』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 国家簒奪』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 聖域侵犯』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 頂上決戦』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 巨悪利権』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 濁流資金』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 報復連鎖』    文春文庫
『政界汚染 警視庁公安部・青山望』    文春文庫
『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』    文春文庫