遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『万葉歌みじかものがたり 二』  中村 博   JDC

2014-12-29 10:03:44 | レビュー
 この第2巻は、第1巻の「歴史編」とは異なり、歌人個人の人生という視点で「みじかものがたり」が書かれその歌人の歌が織りなされていく。
 本書で取り上げられたのは4人-柿本人麻呂、市黒人、大伴旅人、山上憶良-である。

 第1巻で、柿本人麻呂の歌が一つの大きな時代背景のベースになっていた。だが、そこでは「歌聖」として揺るぎなき地位を築いた人麻呂が、歴史の動きの中で宮廷歌人として公に詠んだ歌が主体になっている。それは歴史の動きの中で様々に翻弄された人々が心情を吐露した歌とは局面の違うものだった。天皇の求めに応じて、あるいは例えば寿ぐ立場から詠み上げていった歌である。
 この第2巻では、私人である人麻呂が己の思いを表出した歌という局面で彼の人生をとらえており、人麻呂を語る「みじかものがたり」となっている。
 まず新妻・巻向女(まきむくのいらつめ)への数々の思いを詠んだ歌が織りなされる。その巻向女に先立たれる人麻呂。その人麻呂が、裳の明けないうちに恋の奴にとりつかれたという。その人麻呂の側だけからの思いが綴られていく。一方的な歌の構成は「歌聖」人麻呂とは相聞歌のやりとりはできなかった、あるいは記録にも残らないということか・・・・。
 宮廷歌人・人麻呂も宮仕えとして岩見の国に赴任させられる。「歌聖」と絶賛された人麻呂に対しても、時代は変わるのだ。赴任の行程で詠まれた歌、岩見の国での歌、都への公務旅での歌心など、人麻呂の人生の歩みにつれた歌が織りなされていく。人麻呂の人生文脈を追体験していくと、次の歌から人麻呂の心情が一層大きな振幅を持って響いてくる。そこにこの「みじかものがたり」を読む利点を感じる。

 <<長い道 恋し恋しと 明石来た 海峡向こに 大和の山や>>

 「天離(あまざか)る 鄙(ひな)の長道(ながじ)ゆ 恋い来れば
      明石の門(と)より 大和島(やまとしま)見ゆ」 (巻3・255)

 この歌のつづきに、著者は「みじかものがたり」として、こう続ける。
 「小躍りしたい気持ち
  それとは 裏腹に
  人麻呂の胸に 苦い汁が わだかまる」(p47)と。

 この歌を折口信夫はこのように口譯している。
「岩見のはてから、長い辺土の旅路を続けて、大和が早く見たいと焦がれながら来たが、明石海峡から大和の国が見えた。嬉しい事だ。」

 万葉集には、「柿本朝臣人麻呂、石見国に在りて臨死(みまか)らむとせし時、自ら傷みて作れる歌一首」(岩波文庫版)という詞書のあとに、「鴨山の岩根しまける・・・・」の歌が載っている。
 著者はこの歌を、この「みじかものがたり」では、
「先日来の 高熱 流行(はや)りの熱病か / 石見へと向かう 国境の山の奥
 ・・・・・・(略)・・・・
 当代きっての 歌人 柿本人麻呂 / 虚ろな目は 嶺の雲を 追っている
 ・・・・・・(略)・・・・
 しみじみと 見る 依羅娘子(よさみのおとめ) /人麻呂が託した歌 」と、みじかくものがたり、<<鴨山で 岩枕して 死ぬのんか 何もしらへんと お前待つのに>>と訳し、本歌を載せていく。
 前述の折口信夫は「鴨山の岩を枕として寝ている自分だのに、其自分をば、いとしい人は知らないでゐて、帰りを待つてゐることだらうよ。(当時、人麻呂の本妻は、大和にゐたのである。)」と口譯している(『折口信夫全集 第4巻 口譯万葉集(上)』中公文庫版)。こちらは歌の言葉に忠実な訳である。
 「みじかものがたり」は、ちょっとドラマチックな語り口で構成されていく。ふと、かつて読んだ梅原猛の『水底の歌』を再読したくなってきた。書架のどこかに眠っているはず・・・・。

 二人目が高市黒人。彼は人麻呂と同時代を生きた人。「旅好きな 黒人 / 風光を求めて あちこちの名勝を 訪ねてきた」と描き、「漂泊の歌人」人生を物語っていく。違う時期に詠まれたと考えられている歌も、「物語の展開上 同時期とした」と注記して、人生場面を構成しているところもある。p68がその事例だが、単独の歌の歌意に、関連づけられた歌の歌意とが重層化していきおもしろい。

 また、たとえば本書では「船泊てすらん」の節をとりあげてみる。
 『万葉集』(岩波文庫版)の巻1には、「二年壬寅、太上天皇、参河国に幸しし時の歌」の詞書の後に、第57番~第61番という一連の歌がある。歌人は、長忌寸奥麻呂(57)、高市黒人(58)、誉謝女王(59)、長皇子(60)、舎人娘子(61)の順に所載されている。(p58)
 本書では、「ひと月半に及んだ 三河行幸から 戻り/ 心知れた 従賀人の 別れ宴が 持たれていた」という場面設定でものがたられ、歌の披露の順番が、57-61-59-60-58という風に編集されていく。この歌番号は本書の各歌の末尾に明示されている。このあたりに、作者の解釈、想像がみられて興味深い。

 そして、舎人娘子の歌に光をあてると、原歌の表記も様々である。
本書:
 大夫(ますらお)の 得物矢(さつや)手挿(たばさ)み 立ち向かひ
   射る的方(まとかた)は 見るに清(さや)けし
岩波文庫版:
 ますらをがさつ矢手(た)ばさみ立ち向ひ射る的形は見るに清(さや)けし
折口信夫・中公文庫版:
 健男(マスラヲ)がさつ矢たばさみ立ち向ひ、射る的形(カトカタ)は、見るにさやけし
 三者三様というところ。原歌をどう表記するかですら、何かしらイメージが微妙に違う。
 折口はこう口譯している。
「達者な男が、猟矢を腋挟んで、其方へ向うて射るといふ、的に縁のある、的形裏は、見たところ、さつぱりしたよい景色である」
 著者はこう訳す。
<<的方の 海は良えなあ 立派(ええ)男 弓引くみたい 清々しいて>>
 ”簡潔で、なかなかええ訳するなあ・・・・ほんま”というところ。
時折、こんな対比をしながら、読み進めるとさらにおもしろさが加わっていく。

 市黒人のみじかものがたりで心残りなのは、婚儀が迫っていたという鶴女(たずめ)との関係が音沙汰なしになった原因は何なのか? ということだ。著者はただ「鶴女との 別れが 黒人の歌を 他の追随を許さぬ高みへと 導く」と歌に沿って語るのみである。

 人麻呂編・黒人編が平城京遷都より前の時代を中心とするのに対し、大伴旅人と山上憶良は遷都後の時代を生きる。特に大伴旅人は中納言職でありながら、中央政界を遠ざけられて、太宰帥(だざいのそち)として筑紫国に赴任していく。名門大伴家のトップ、旅人は常に奈良の都に焦がれつつ、筑紫国で独自の風雅を作りだしていくと、著者はものがたっていく。
 一方、40代で遣唐使の一行に加わった憶良は、唐から帰朝後10年余、不遇の内に暮らし57歳で伯耆守として地方に赴任、一旦京に戻った後、再び67歳で筑前守として再度、九州への地方官に。それが、旅人との関わりが深まることになったようだ。そして、憶良は筑紫歌壇の双璧の一人となっていく。憶良編では、家族に思いを配り、地方の人々、民草の有り様に思いを寄せる歌が織りなされている。社会派歌人の憶良の視点がよく伝わってくる。

 晩年の旅人・憶良の人生についての「みじかものがたり」に本書ではよりウェイトがかかっているようである。単純にページ数のボリュームの割り振りからみてもそんな気がする。旅人編・憶良編でおもしろいのは、旅人編で「瀬には成らずて」(p86~p88)としてものがたられた節が、憶良編で憶良の人生の一コマとして「今は罷らん」(p182~p184)という節で再出させていること。さらに、「空しきものと」(p96~p99)が「溜息(おきそ)の風に」(p186~p189)として再出されていることである。この二人の歌人としての関係を語る上で欠かせない接点がそこにあったということか。

 旅人編では、上掲の「船泊てすらん」とは違って、『万葉集』巻3に「太宰帥大伴卿、酒を讃(ほ)むる歌十三首」という詞書で一連の歌として載っているものが、その順番を変えることなく、「濁れる酒を」「猿にかも似る」の両節でものがたられていく。
 十三首のうち、私は第349番の歌がストレートで一番好きだ。
<<人何時か 死ぬと決まった もんやから 生きてるうちは 楽しゅう過ごそ>>

「生ける人 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくを在らな」

 憶良編の冒頭「行きし荒雄(あらお)ら」を読み進め、ちょっと詰まった歌の語句がある。「賢(さか)しらに」(p179,180)という句だった。みじかかたりの直後とこの節の半ばあたり、2箇所に出てくる。その訳と歌をまず記そう。

<<荒雄はん 助け求めて 袖振るで 君命違(くんめいちゃ)うに 男気出して>>

「大君の 遣(つか)わさなくに
   賢しらに
     行きし荒雄ら 沖に袖振る  」(巻16・3860)

<<お役所が 名指しもせんに 荒雄はん 男気出して 波間で呼ぶよ>>

「官(つかさ)こそ 指(さ)しても遣(や)らめ
   賢しらに
     行きし荒雄ら 波に袖振る  」(巻16・3864)

冒頭のかたりの部分にはこうある。
「・・・・本来 宗像郡 宗形津麿に下った命/ 津麿の 老身故の頼みに/ 友思いの荒雄が 買って出た任務/ 海の荒れ 静まっての捜索も 甲斐無く/ 板子残骸の浮遊を 認めるのみ/ 残された妻子の悲しみを思い 憶良は 詠う」

 著者は「男気出して」と解釈して訳出した。「賢しらに」という句が気になり、折口信夫はどう口語訳しているかを手許の本で調べてみた。折口信夫はこう口譯する。

第3860番は「天皇が命令して、お遣りなさったのではないのに、勝手に自分の思ふ通りに、出かけて行った荒雄は、沖の方で、袖を振って居る。(溺れ死んだ容子を、人を呼んで居るやうに、とり倣して言うたのである。)」と。(p280)
第3864番は「御上から命令して、やられる筈だのに、勝手に出掛けて行った荒雄は、沖の方から、此方を恋しさうに、袖を振って居る」と。(p280)
 著者は、荒雄の行為の主体性に重点を置いて訳出している。一方、折口は、一歩引いて、憶良の気持ちをより社会的視点でとらえているようだ。後者の歌は、役人側のやり方、配慮のなさへの批判精神を含めた解釈とも理解できそうだ。荒雄の主体的な姿勢(男気)を思いつつ、官のルールに対する違反部分をも見つめているように思う。その上で、荒雄の行為そのものに思いを馳せているのだろう。前者の口譯は、「大君」が冒頭に出てくるためか、折口信夫は荒雄の行為に対して、一層距離を置いて詠んだ歌意として解釈しているように感じる。

 本書・著者の訳はストレートに飛び込める心情、情感の世界だ。歌のどこに重点をおいて読み込むか、解釈できるか、解釈していくか。興味深いものである。
 この節も著者は万葉集所載の順番を変えずに、そのまままで展開している。

 旅人、憶良の歌それぞれを幾首かは読んできていたが、旅人と憶良が九州の赴任地で深く関わりがあったということを知らなかった。万葉集を部分読みしかしていないせいである。そういう意味で、この「みじかものがたり」のシリーズは万葉集への入口として読み進めやすい。

 社会派歌人・山上憶良が天平5年(733)に享年74歳で帰らぬ人となったことも、初めて意識した次第。著者はこの第2巻を次の歌で締めくくっている。憶良の心情、大半の現代人にも通じる思いではなかろうか。

<<丈夫(ますらお)と 思うわしぞや 後の世に 名ぁ残さんと 死ねるもんかい>>

「士(おのこ)やも 空(むな)しくあるべき
   万代(よろずよ)に
     語り継ぐべき 名は立てずして   」(巻6・978)


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「万葉歌みじかものがたり」ホームページ
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   <人麻呂編>
   <黒人編>
   <旅人編>
   <憶良編>
高市黒人   千人万首 :「やまとうた」
大伴旅人   千人万首 :「やまとうた」
山上憶良   千人万首 :「やまとうた」
山上憶良  :「人間科学大事典」
第10回 山上憶良(やまのうえ の おくら) セカンドライフ列伝 :「yokohama now」
山上憶良:その生涯と貧窮問答歌  万葉集を読む  :「壺齋閑話」
山上憶良:子を思う歌(万葉集を読む)  万葉集を読む  :「壺齋閑話」



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このシリーズでは、こちらの巻を既に読んでいます。
併せてお読みいただけると、うれしいです。
『万葉歌みじかものがたり 一』 JDC
『万葉歌みじかものがたり』第4巻・第5巻  JDC



『秘見仏記』 いとうせいこう・みうらじゅん    中央公論社

2014-12-27 14:06:09 | レビュー
 本書は現在、角川文庫として『見仏記 <2> 仏友編』として出版されている。単行本で読んだので、出版社の表記をそのままとした。
 『見仏記』は、拝仏という信仰の視点ではなく、一方、仏像美術研究という学者視点でもなく、その中間の「見仏」という視点で二人が互いの思いを語り合うという面白いスタンスでの見仏プロセスが絵(マンガ)と文章で綴られたものだった。それは二人が1年強をかけ全国の寺々の仏像を見て回った記録の出版だった。

 本書はその第2弾である。従って、そのスタイルは当初の延長線上にある。しかし、この2冊目は、「まるで仕事とは関係なく仏像を見ようと思い立ち、突如として旅に出たのである。しかも秘見仏と称して。」という二人の個人的な思いつきからスタートしたという。秘かに二人だけで見仏を楽しもうよという意味と、普段はなかなか見られない秘仏的な仏の見仏がしたいものという意味が「秘見仏」に込められているような気がする。
 最初に滋賀県湖北の寺々が秘見仏先となったのは、なるほど・・・・とうなずける。湖北は観音の里として、それなりに知られてきているが、京都・奈良のように観光産業化していない土地柄である。当時ならまさに秘見仏候補地として最適だっただろう。今では長浜市辺りまではかなり観光化してきているのだが。
 前作とは異なり、この秘見仏は、同行者なしに、著者二人だけで東京と目的地を往還するというチャレンジ体験記である。その分まさに弥次喜多道中的要素が増加し、所々で思わず、ニヤリとしてしまう意外なエピソードがあり、実におもしろい。
 秘見仏でスタートしたのも、当初だけで、結局その秘見仏録が連載されていくことになったようである。そして、編集部のスタッフが途中から、秘見仏の行程スケジュールの設定の裏方を担当していくようになったようである。奥書を見ると、『小説中公』に1994年1月号~12月号の連載となった付記がある。

 まず、著者二人が秘見仏した行き先を地域ごとにまとめておこう。
滋賀: 西野薬師堂、赤後寺、渡岸寺、小谷寺、石道寺、己高閣・世代閣・知善院
京都: 東寺・仁和寺・法金剛院
四国: 極楽寺・井戸寺・丈六寺・蓮華寺・豊楽寺・中島観音堂・雪蹊寺・竹林寺
    北寺
東京: 五百羅漢寺・安養院・目不動尊・宝城坊
鎌倉: 東慶寺・建長寺・円応寺・鶴岡八幡宮・覚園寺・光明寺・長谷寺・高徳院
北越: 宝伝寺・明静寺・西照寺
佐渡: 長安寺・長谷寺・国分寺・昭和殿・慶宮寺

 結果的に第2作となったこの「秘見仏記」は、副産物としての側面がおもしろい。それは「男の二人旅」というテーマである。著者いとうは、この異様な風体の男二人を、旅の行程で出会う人々がホモと勘違いしていないかと気にしながら、見仏の旅をするという光景が折り節に書き込まれていくからである。時には、ホモと見られないように、反応し行動するというシーンがおもしろおかしく書かれている。

 そして、秘見仏の旅の過程で、まずは、こう考察する。
 「男はいつからか、美しいものにははなやいではいけないことになっているのだ。・・・・・武士の文化が問題なのかもしれなかった。武士の感覚や掟が現在の男二人旅を封じたのであれば、旅の形態は長いこと抑圧されていたことになる」(p79)と。
 さらに、連載が始まっているいずれかの時点で、ある編集部の一人に、男の二人旅の存在について、歴史的事実を調べてもらうという位に、「男の二人旅」を意識しているのだ。もちろん、ほぼ20年前の世相を背景としての話ではあるが。
 この「秘見仏記」が連載された時点での著者いとうは、当初の考察を最終段階では、次のように修正している。
 「我々が滅びたと考えていた男の二人旅は、原理的にはこの国に存在していなかった。とすれば、私とみうらさんがホモ扱いされるのはしごく当然の話なのだ。
 ただ、なぜ女二人だと違和感がないかはなお不明なところである。おそらく、ここには日本がもつ性への偏見があるというのが、今度の私の説だ。つまり、女は社会的に子供扱いされていて、どんな年齢でも性的な結びつきとは無縁に感じられるのだ。彼女たちが性的であり得るのは、それを支配する男の前だけと考えられているのでる。だから、レズなど思いつかない。
 以前は男二人旅への白い目を歴史的な背景の前でとらえていたが、ことは性を支配する側の文化的な問題だった。そして、支配する側である男はそのかわりに、二人旅という楽しみを失ったのだ。それを”女子供のすること”と自己の中で抑圧しながら」(p227)と。
 この考察の変転はこの作品の副産物として興味深いところである。どのあたりで、どう変化していったのかを読み取っていくとおもしろい。
 そして、最後にこんなことを著者いとうは記している。
 「わが国における旅行は、あくまでも生産中心志向で始まり、最終的には非生産的な者の独壇場になっているのだった。中間はない。」(p234)
 「旅は視野を広げるために行うものだと言われるが、私にとっては逆だ。個人の視野が限られていることを痛感するためにこそ、旅はある。それがどうも憂鬱で、私は旅を好まない」(p244)と。

 秘見仏への行程を含めて、目的地での仏を見るという姿勢・視点の中で、ちょっと惹かれた文章を抜き書きしてご紹介する。

*ここ(注記:滋賀県・湖北)は近畿でありながら、空だけ北陸だ。私はそんなわけのわからない形で土地をとらえ始めた。しかし、その二重性のようなものは前日見た仏像にもあらわれている気がした。技術の高さによる美は京都や奈良に匹敵するのに、必ず独特の不思議な暗さをもっているからだ。 p34
*密教のキュートさは、その裏に隠微なものを隠し持っているところにある。 p37
*秘密は右足にあった。全体が静的であるからこそ、曲げた膝が目立つのである。しかも、微妙なポイントとして、その右足の先で親指が反り上がっていた。それで、すっと歩き出すような感じがするのだ。  p40
*たいていの写真は同じ目線で撮影されており、実際自分が見たアングルでは再体験出来ない。・・・「現代人はねえ。せっかくパースつけて彫ってあんのにさ、真正面から見てどうするのよ」 p41
*藤原期の阿弥陀には、どうも傲慢な見おろし方が多いような気がしたが、それでも腹がたつわけではない。むしろ、明らかに自分より上の存在が見ていてくれている、といった感覚を呼ぶ。 p75
*「仏像って、ちょっとセクシーじゃないですか。男か女か、わからないような感じで。修行しなくちゃいけないのに、なんであんなセクシーな物を置くんですかね」
「生身に近いなまめかしいもんを前にして、かえって煩悩を消す修行をしたんとちがいますかなあ」 p115
*実際には、ブタの神のような風貌の鬼卒像が、私の鑑賞的な目をひきつけた。筋肉隆々でこん棒を握り、足にひづめをを持つ姿は、アジア文化の想像力をよくあらわす異形の力にあふれていた。 p206
*リアリスティックに人間のバランスを持つものより、そこまでコミカルに表現された形の方がマジカルなのかもしれないと思った。たぶん、精霊というものへの想像力は、人体を極限まで省略化するところから生まれてくるはずなのだ。私が好きなアジアの仮面も、そのデザインはもちろんだが、顔だけがあるという省略性にこそ、魔術性の源泉がある。 p231
*平安後期の作である観音は、ずいぶん古くから手首をなくしていたらしい。だが、そのおかげで人の想像力を刺激し、ひとつの物語を生じさせたのである。不合理はいつでも、人間の脳みそを活性化させるのだ。信仰者には申し訳ないが、手首欠損の言い訳から神話が生まれるのだから面白いと思った。 ←宝伝寺水保観音堂の十一面観音像 p247-8
*現に目の前にあるものを再現しようとすれば、そりゃ負けるよ。だけど、再現したいと思うこと自体が罠だからね。絵も文章も、それそのもので何かを獲得しなくちゃ。 p285
*形あるものはすべて滅びる。たとえ、それが仏の姿をしていても。  p312

これらがどんなプロセスの中で発想された文章かを、この作品を読む過程で位置づけ直していただくとよいのではないか。

 ご一読ありがとうございます。


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本書に説明が付されているものもあるが、出てくる用語・事項並びに関連派生事項について、私的関心からさらにネット検索してみた。一覧にしておきたい。

「君は千手観音」大日本仏像連合  :「やせっぽちのBLUES」

西野薬師堂 :「仏像ワンダーランド」
渡岸寺・十一面観音  :「近江の寺」
小谷寺  :「仏像ワンダーランド」
己高閣・世代閣     :「長浜・米原・奥みわ湖」
知善院(六瓢箪めぐり) :「長浜・米原・奥みわ湖」
七仏薬師 「仏様の世界」 :「飛不動 龍光山正寶院」
丹後の七仏薬師  :「丹後の地名  七仏薬師信仰」
善膩師童子  :「和尚の日記 - 毘沙門堂勝林寺」
  仏像 善膩師童子像  江戸時代 (清水 隆慶 作)
木造最勝老人像 (金戒光明寺 京都市左京区)  :「京都府」
阿弥陀五尊像の意義  :「データーベース 『えひめの記憶』」
真言七祖像  :「コトバンク」
松雲元慶 デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 :「コトバンク」
天恩山五百羅漢寺 ホームページ
東慶寺  :「鎌倉ぶらぶら」
日向山 宝城坊日向薬師 ホームページ
長安寺  :「にいがた観光ナビ」(新潟県公式観光情報サイト)
民話「水保の観音」(海谷渓谷) :「糸魚川市総合観光辞典」
日野邦光  :ウィキペディア
佐渡 北豊山長谷寺(チョウコクジ)  ホームページ
佐渡国分寺 ホームページ
昭和殿  :「佐渡観光協会」


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これまでに読んだ本は次のものです。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『見仏記ガイドブック』  角川書店
『見仏記』  中央公論社



『私家本 椿説弓張月』  平岩弓枝  新潮社

2014-12-23 22:56:32 | レビュー
 『椿説弓張月』は『南総里見八犬伝』と併せて滝沢馬琴の代表咋として知っている。原作を読むこと無く、映画、歌舞伎・演劇、漫画など様々な媒体を通して部分的に、脚色された変形版として何となく親しんでいるにすぎない。この著者の私家本も原作の発展形の一つといえるだろう。
 この作品を読んでから、少しネット検索などで情報を入手し、馬琴について初めて理解を一歩深めた。本名は滝沢興邦(旧字体では瀧澤興邦となる)で、当時は曲亭馬琴という作者名で世に流布していたそうだ。『椿説弓張月』は江戸時代後期の文化・文政時代に絵入り読本として貸本屋などを通して一般庶民にも読まれたという。文化5年(1808)当時、江戸には665軒の貸本屋があったそうだ。
 原作の『椿説弓張月』は強弓を自在に操る能力を持つ武将、弓の名手、鎮西八郎為朝が主人公であるが、正式の題名は角書きが付いた『鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月』なのだという。たとえば、ありがたいことに、インターネット上で、椙山女学園大学デジタルライブラリーでこの原作の出版物を拝見することができる。アクセスしてみると、前編6巻、後篇6巻、続編6巻、拾遺6巻、残編6巻という大作なのである。文章中の漢字にはすべてルビが振られ、見開きの2ページの絵が要所要所に挿入されている。大長編だったのだ。ただし、『保元物語』を種本にして、鎮西八郎と称された源為朝についてほぼ忠実に前編・後篇が描かれているようだが、その後に続く続編・拾遺・残編は実在の人物を離れて、伝説・空想世界で活躍する人物物語として展開していく長編伝奇小説となるようだ。琉球に渡った為朝が琉球王国を再建する物語に展開するのである。源義経が大陸に渡りチンギスカンとして活躍したのだという類いの伝承もそれに近いものかもしれない。本編がヒットしてその人気に応えるべく、楽しい続編が伝説などをヒントに創作されたのだろう。1807~1811年に刊行されている。その挿絵は葛飾北斎が描いたという。

 少し前置きが長くなったが、この作品は著者が実在の人物を扱った前編・後篇とそれに続く諸編を一貫させて、独自のストーリーとして組み立て直し、抄訳的にまとまった形の伝奇小説作品に仕上げたもののようである。読後印象と諸情報を総合して、そのように推測する。
 この作品は、「序」「破」「急」「転」「結」という五巻構成になっている。
 この作品、冒頭部分に「江戸の頃、読本作家として名を成した滝沢馬琴が『椿説弓張月』を書くに当ってその背景に取り上げたのは、そのひとつ、後世、保元の乱と呼ばれる事件であった。」と明記する形でストーリーを展開していく。このストーリーで特徴的なのは「鶴」を要所要所に登場させていくことである。鶴が一種の黒子のような役割を果たしている。主要登場人物をコマに喩えると、鶴が必要な箇所で登場するコマ回しのような存在といえるかもしれない。

<序の巻>
 鳥羽上皇(鳥羽院/一院)と崇徳上皇(新院)が皇位継承問題で対立し、それが保元の乱となっていく。話はその乱の前夜から始まる。源判官為義の八男である八郎為朝が、十四、五歳で無位無官ながら、弓の上手であり、強弓を引くという噂から、崇徳上皇の面前に召されて、直接に声を掛けられるという場面が最初のハイライトとなる。そして少納言藤原信西入道の企みで、崇徳上皇の面前で御前試合をする羽目になる。相手は院の武者所に仕えて的弓の名手と評判の滝口の武士2名である。その場の活躍が原作では絵に描かれている。上掲ライブラリーからの引用でご紹介しておこう。

 この御前試合の評判が、為朝を崇徳上皇擁立派の一員と決定づけ、その後の為朝の人生の出発点になるという次第。為朝のこの時の武勇伝が災いし、当時の政治勢力の背景関係から、父・為義に言われて都から姿を消し、九州・豊後国に在地する尾張権守、末遠の許に身を寄せることになる。豊後への船旅で早速海賊退治のエピソードが出てくる。豊後国に着いてからは、祖父が琉球国の者という紀平治と知り合うきっかけができる。彼が後に為朝の第一の家来となっていく。狩りに出掛けた為朝に2頭の狼がなつき、まるで飼い犬の如くに付き従う。木綿山での狩りの途中、濃霧の為に楠の大樹の許で霧が晴れるのを待つことになる。その時うわばみと呼ぶにふさわしい大蛇が出現。その出現が狼・山雄と為朝の従者・重季を失う因となる。鶴が飛来し、一枚の金牌を為朝の頭上へ落とし西に向けて飛び去るところから、徐々に伝奇小説の色合いが加わっていく。
 為朝は三晩続けて同じ夢を見たことから、季遠の居館を去り、諸国回遊の修業に出る。それが、肥後国阿蘇郡での白縫姫との出会い、都よりもたらされた院宣を受けての琉球国への鶴探しの旅、鶴献上のための都への帰還、保元の乱の発生、父・為義の命による為朝の戦場離脱と捕縛後の伊豆への流刑、女護島への上陸へという風に、めまぐるしく為朝の行路は展開していく。

<破の巻>
 女護島での長逗留。そこで”によこ”との間に太郎丸・二郎丸の二児を持つ身となる。為朝が女護島のそれまでの伝統風習を自然な形で変えていくというおもしろさ。知らせがもたらされ、再び伊豆・大島に為朝は戻らざるを得なくなる。代官が悪政を再開したからだ。流刑地の大島で、為朝は簓江との間に男子2人、女子1人の3児を設けていた。この代官は簓江の父でもあることから、簓江は父と夫との間で苦悩する。為朝の許に、源義康からの書状がもたらされる。これが紙鳶(たこ)の奇計のエピソードとなっておもしろい。為朝は大島の代官の讒言により朝廷から為朝誅伐軍に攻め寄せられるのだが、鬼夜叉により舟に乗せられ、己の意志に反して窮地を脱することになってしまう。そして、一旦辿り着いた八郎島の分け島の一つ、来島(こしま)から、為朝は讃岐国白峰の崇徳院の御陵をめざす。この辺りから、ストーリーは一層伝奇的な様相を高めていくことになる。
 崇徳上皇との幻想的な対面、そこから阿蘇をめざした為朝が白縫、紀平治との再会へと展開していく。白縫との間に誕生したのが舜天丸(すてまる)である。
 為朝は九州の諸豪族を平定し、鎮西八郎為朝と呼ばれるまでになるが、京の都は平家一門の全盛の時代。平家方との一戦を為朝は覚悟して戦支度をしているが、商い船の体裁で、二艘の船で肥後国水俣の浦を発進する。
 船出後の天候異変が、為朝の人生を大きく転換していくこととなる。

<急の巻>
 この巻から、話は琉球国があ舞台に移っていく。なぜなら、琉球の地に為朝が漂着していくからである。
 この巻では、為朝が漂着した当時の琉球の王朝の状況が描き出される。いずこも同じ。国王の病弱なのを良いことに、佞臣と結託した王妃が王朝乗っ取りを画策するというお話。王妃・中婦君と佞臣・利勇一派と、寧王女、併妃廉夫人及びその従兄妹・毛国鼎という一群の人々との対立という構図である。そこに、琉球国開闢以来の守護神・君真物の怒りに触れたという恐怖の広がりと旧虬山にある虬塚の妖魔が登場してきて、怪奇性が増して行く。

<転の巻>
 琉球に漂着していた為朝が、赤瀬の女人像の前で、寧王女が賊兵に攻められているところに、登場する。その時点から為朝が寧王女派に加担し、琉球王朝の政争に巻き込まれていくと言う次第。転の巻は、寧王女に為朝が協力し、中婦君・利勇一派との抗争対決への準備が以下に整えられていくことになるかの経緯が描かれて行く。そこには、天候異変で別れてしまっていた紀平治・舜天丸との再会も展開していく。

<結の巻>
 この巻では、童達が歌う歌詞が実現していくことになる。

  神人来たれり  富蔵水清し
  神人来たれり  白沙米と化す

 転の巻から結の巻への展開は、まさに伝奇小説の真骨頂となっていく。おもしろい。
 江戸時代、文化・文政の時代の人々は、馬琴の原作を現代人よりもはるかに神秘性が実在するが如きイメージを想像力で増幅させなが、一方で、恐い物見たさの心を躍らせながら、身近な感覚で読み進んだのではなかろうか。

 いつか、原作のせめて翻訳版でも通読してみたくなった次第である。


参照資料
『詳説日本史研究』 五味文彦・高楚利彦・鳥海靖 編  山川出版社
『クリアカラー 国語便覧』 青木五郎・武久堅・坪内稔典・浜本純逸 監修 数研出
曲亭馬琴   :ウィキペディア
椿説弓張月  :ウィキペディア
椿説弓張月 (椙山女学園大学デジタルライブラリー)


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本作品に関連する事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。

源為朝   :ウィキペディア
26日、源為朝、伊豆大島に流される(保元元年=1156年9月12日) :「歴史人」
為朝神社  :「伊豆大島ジオパーク・データミュージアム」
大島の祖・鎮西八郎為朝 系図

琉球王国  :ウィキペディア
琉球王国とは  :「首里城公園」
琉球王朝史 目次  :「史の館」
なぜ、運天港に源為朝上陸の碑が建っているのか? :「ガイドと歩く今帰仁城跡」
舜天  :ウィキペディア

保元物語  :ウィキペディア
保元物語 現代語訳 目次 :「ふょーどるの文学の冒険」



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『万葉歌みじかものがたり 一』  中村 博   JDC

2014-12-20 10:38:09 | レビュー
 このシリーズの第4・5巻を最初に読んだ。その読後印象を記した折りに、なぜ著者がこの『万葉歌みじかものがたり』に着手したかの経緯や意図については触れた。その部分はこちらをお読みいただきたいと思う次第

 この第1巻で、著者は「歴史編」と題して、万葉集の長歌・反歌・旋頭歌や相聞歌などを、歴史という時間軸で、記紀神話時代から語り始め、古代王朝内の政治的変遷の視点で様々な勢力の権謀術数と抗争の展開プロセスを筋としていく。その経緯における人間関係を短く語りながら、万葉集に収載の歌を関連づけ、それらの歌に語らせていく。
 今まで万葉集の歌を読む時は、単独の歌としての叙景・叙情あるいは相聞歌のやりとりを味わうという次元が私の万葉歌への接し方だった。それらの歌に関わる背景の解説を読み、理解を深めるというところ。歴史という時間軸に沿いながら、ある時代、ある時期に歌われた数々の歌の関係、相関性の中で、それらの歌をまとまりとしてとらえて鑑賞するということはほとんどなかった。万葉集に編纂された諸々の歌を当時の時代の変遷という「時の流れ」の中で読むというのは、なかなか面白くて興味深い。そこには、著者独自に、歌の時間軸で意図的に編集が加えられている部分もある。それは「ものがたり」として語らせる一手法という試みのようだ。

 『万葉歌みじかものがたり』の冒頭は、大国主の国造り、小彦名から始まって行く。そのため、最初に登場する歌が「志津の石室(いわや)は」と詠んだ生石真人(おいしのまひと)の歌である。「籠もよ、み籠持ち、ふくしもよ みぶくし持ち・・・・」という第1番歌から始めないところがおもしろい。そして、時代は万葉集・巻2の仁徳天皇時代に飛び、磐姫(いわのひめ)の相聞歌から具体的な物語が始まるという趣向。

 この第1巻には数多くの歌人が登場するが、やはり天皇との関わりで歌を読む柿本人麻呂がメインの歌人となっている。それはまあ当然かもしれない。人麻呂の歌は、仁徳-女鳥王(めどり)-速総別王(はやぶさ)の三角関係の恋いものがたりでまず登場する。「初瀬の 弓月が下に 我が隠せる妻 茜さし 照れる月夜に 人見てんかも」(巻11・2353)という相聞・旋頭歌がこの「みじかものがたり」の初出となる。
 著者はこの歌の前に、「初瀬の地 弓月が嶽に 隠しておる妻 こない月 明るに照ると 見つかん違(ちゃ)うか」と五七調の大阪弁で歌意を和訳している。
 万葉集はもともと漢字を万葉仮名として使って記されいるので、その漢字を現代語においてどの文字で表すかから始まり、その判断・解釈で表記方法が変わってくる。たとえば、手許の岩波文庫『新訓万葉集 下』(佐佐木信綱編)では、
「長谷の齋槻(ゆつき)が下にわが隠せる妻茜さし照れる月夜(つくよ)に人みてむかも  一云、人見つらむか」と掲載されている。
 また、折口信夫の『口譯萬葉集(下)』では、
「泊瀬(ハツセ)の齋槻が下に、吾が隠せる妻。茜さす照れる月夜に、人見てむかも」
と掲げて、
「あの泊瀬の山にある神木の槻の木の下に、自分の行くまで待たせて、隠れさせてあるいとしい人を、ひよつとすると今頃、月の光で、人が見つけては居まいか。」と口語訳している。
 万葉仮名にどういう現代文字を当てはめているかという興味がある一方、時折、本著者の五七調の訳出と折口信夫の具体的な口語訳との違いを比べている。そこで気づくこともある。大阪弁での訳というおもしろさと簡潔なリズム感が、やはり本書の特長だろう。この訳出が歌の感覚に近いせいもあって、関西人としては抵抗感がない。読む上で大阪弁風の音の延ばし方や抑揚を楽しみながら読める。

 允恭時代の「みじかものがたり」を経た後に、「籠もよ、み籠持ち」が語られる。
 そして、「みじかものがたり」はこんな王朝内の勢力争いを短く説明づけながら、その時間軸の流れに沿った歌々が編集されている。それが時に相聞歌のやりとりであり、任地に向かう友への歌であり、政争の勝者・敗者のそれぞれの立場に絡む歌々の列挙によって、その経緯での関係者の心情・思いを吐き出させることになっている。歴史としてご存じだろうが、こんな変遷が本書の筋となっていく。
・舒明大王の時代
  間人皇女、宝皇女(後の斎明天皇)の登場
・中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の登場、一方で有馬皇子の悲劇
・斎明天皇の時代
  中皇命(なかつすめらみこと)、額田王、中大兄皇子の歌が次々に
  そして、百済救援のための新羅征討軍の話に進展する。
・天智天皇の時代
  やはり、物語は額田王の歌からはじまる。 
  天智が病床につき、薨去。壬申の乱を背景とする歌々へ。
・天武天皇の時代
  天武の御世を寿ぐ歌の登場の一方で、悲しい運命の人々とその歌が次々に・・・・
  十市皇女、市皇子、大伯皇女、大津皇子。大津皇子に絡んで石川郎女。
  持統皇后の思いに反し草壁皇子は弱冠28歳で薨去という展開に。人麻呂は長歌を。
・持統帝の時代
  軽皇子の即位まで、なんとしてもとの持統の思い。
  舎人の歌が、大津皇子薨去の後を語り、人麻呂の歌が多くなっていく。
  過去を顧み、また軽皇子の成長に話が移る。そこに藤原不比等が登場してくる。
  時代の渦に巻き込まれていく人々--志貴皇子、但馬皇女、弓削皇子など。
・文武天皇の時代
  軽皇子擁立論と天武皇子承継論の対立論議をへて、軽皇子が即位。
  その時代背景が、置始東人、弓削皇子、春日王、山前王、丹生王、長皇子、
  そして、作者未詳の歌々で綴られていく。その経緯で人麻呂の諸歌が底流となる。
  他にも様々な歌人が登場する。
この第1巻「歴史編」は平城京遷都までのものがたりとして閉じられる。

 末尾に、「万葉歌みじかものがたり年表 歴史編」がまとめられている。この第1巻のみじかものがたりに織り込まれた歌が年表で一覧に要約整理されている。このものがたりにまとめるにあたり、著者が万葉歌の年代をこのストーリー展開の中に織り込むために想定した歌が含まれてはいる。その識別もできるまとめ方になっているのがよい。時代の年号、時期と詠まれた歌の相関を歴史の動きを意識・理解しながら、歌を鑑賞するのに役立つ資料である。

 万葉集の歌を、こんな風に眺めてみる読み方があったか・・・・。万葉集の諸巻を渉猟して、神話時代から和銅3年(710)平城京遷都までの期間の歴史ものがたりに編集するという視点と成果に敬服する。

 ご一読ありがとうございます。


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本書に関連する事項を一部ネット検索してみた。一覧にしておきたい。

「万葉歌みじかものがたり」<歴史編>  :「万葉みじかものがたり」
  このサイトページが本書発刊のベースになったようです。

柿本人麻呂  :「人間科学大事典」
柿本人麻呂  千人万首  :「やまとうた」
柿本人麻呂  万葉集を読む  :「壺齋閑話」
額田王    千人万首  :「やまとうた」
白村江の戦い :ウィキペディア
白村江の戦い :「飛鳥の扉」
壬申の乱  :ウィキペディア
壬申の乱  :「飛鳥の扉」

天智天皇  :「ニューワイド学習百科事典+キッズネットサーチ」
大友皇子  :「ニューワイド学習百科事典+キッズネットサーチ」
天武天皇  :「ニューワイド学習百科事典+キッズネットサーチ」
持統天皇  :「ニューワイド学習百科事典+キッズネットサーチ」
文武天皇  :「ニューワイド学習百科事典+キッズネットサーチ」


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最初に手に取ったのがこちらでした。
『万葉歌みじかものがたり』第4巻・第5巻  中村 博   JDC

『見仏記』 いとうせいこう・みうらじゅん  中央公論社

2014-12-17 09:43:04 | レビュー
 単行本で読んだので、出版社名を出版時点のもので記した。1997年6月時点で角川文庫版が出版されている。私は既にこのブログで書いたように、『見仏記ガイドブック』(以下、ガイドブックと略す)を最初に読み、おもしろみを感じて最初の『見仏記』から読んでみようという気になった。
 本書の末尾を見ると、この『見仏記』は当初、『中央公論』1992年9月号~1993年9月号に連載され、1993年9月に初版が発行されたとある。だから、『ガイドブック』(2012年10月刊)を読んだとき、いとうせいこう、みうらじゅんの二人が20年来の「仏友」という言い方で記されていたのだ。延々と「仏友」の関係が続いてきたことになる。
 現時点で、角川文庫版としてこのシリーズが6巻出版されている。これがその第1冊目なのだ。ひょっとしたら、歴女に続く仏女ブームを生み出す中興的原動力になっているのだろうか。時系列で古寺巡礼分野の出版物を調べたことはないのだが・・・・・。

 『ガイドブック』を読んでいたので、冒頭に、みうらじゅんが小学生時代に作っていたという「仏像スクラップブック」が写真で6ページ分紹介されているので、「ああ、これが出発点だったのか」とのっけからおもしろさを感じてしまった。仏像の写真や拝観券の半券が貼り付けられ、しっかりした文字で細かく感想などが書き込まれている。こいつ、ただものではないぞ、と思わせる出来具合だ。未来の片鱗がはやくもこのスクラップブックに見えている感じである。この「仏像スクラップブック」を介して、二人が話し合う場ができたことから、みうらじゅんがこの『見仏記』の企画を思いついたという。
 ある意味で弥次喜多道中全国行脚見仏記というのがぴったりというところである。
 見仏が目的であるということから、この20年前に出版された本書は、私には時代感覚のずれを感じさせない。ほぼ同時代を生きてきているせいかもしれないが・・・・。仏像の歴史、時間軸からすれば20年など、時間差を問うことすらこっけいかもしれない。
 『ガイドブック』で予備知識を得ているせいか、「見仏」が信仰対象として仏像を見るのでもなく、美術鑑賞・時代考証の学問的視点から仏像を論じるのでもなく、その中間で第3の道を行くというスタイルに読み進めるうえでの抵抗感はなかった。この「見仏記」は、仏を見に出かける全プロセスを楽しむというスタイルなのだ。二人の掛け合い万才風のおしゃべりやそれぞれの行動スタイル、失敗談や周辺の状況へのコメントなど、様々なものがごっちゃになりながら、見仏対象の仏像にアプローチしていくというものである。 だから弥次さん、喜多さん的旅行記談が記されている。

 「いとうさんも寝てないんでしょ?」
 うなずくと、彼は疲れた顔で続けた。
 「もう地獄の旅って決まったようなもんだよね。徹夜明けでフラフラで」
 私は黙って後について歩き出した。だが、すぐにみうらさんは振り返った。
 内緒話をするように、耳元に口を寄せてくる。
 「だけどさ、いとうさん。仏像が待っているんだよ、仏像が」
 そう言って、うれしそうにみうらさんは笑った。なんだかアイドルのコンサートに
 行こうとしている少年みたいだ。  p10-11

こんなふうに二人の会話、道中の行動を記したシーンが本文にポンポンと出てくる。弥次喜多に負けることのないおもしろさがあって、かたぐるしくなく読みやすさは抜群である。仏像の生真面目な鑑賞ガイド記を期待する人にはアテがはずれるだろう。「仏像」に辿り着くまでのプロセスの道中記を楽しみながら、二人が心中で別々に想像していたことが、いざ対象「仏」に対面したとき、どうなるか・・・・を楽しんでみようと言う人には、持ってこいである。

 二人が見仏する全プロセスをいとうせいこうが己の全身を通して、つまり知(智)・情・意を総合して、文章で描写していく。一方、みうらじゅんが見仏シーンの総合的マンガを各章数枚に描き、いとうの本文の間に挿入されているという構成である。
 みうらのマンガには、見仏対象の仏像について、みうらの受け止めた「仏(像)」の特徴が描き込まれ、その仏(像)に吹き出しで語らせたり、寸評コメントを入れたり、仏像環境の建物や、その他、お寺のお土産グッズを書き込むなどして、現代感覚に翻訳したコメントを加えたりと、盛りだくさんな「絵・文」のマンガである。これがいとうの文と相補関係をなしている。本文では書ききれない感覚の側面がフォローされている。それは弥次さん喜多さんの助け合いである。
 本書の15ページ、最初の絵を見て頂ければ、百聞は一見に如かずである。
 場面は興福寺。雲に乗った仏像たち。興福寺の御堂の上に現れる。御堂の絵が書かれ、その下に矢印を書き、薬師如来像と四天王像の絵。その下に、興福寺・東大寺のお土産グッズの絵。
 空白部分には、みうらの感覚で翻案された見仏印象その他もろもろがコメント書きされている。このコメントが実に面白いし、言い得て妙。なるほどとうなずけるもの多しである。最初の絵からコメント書きの一旦をいくつかサンプリングしてみよう。
 *ボクの考える仏像たちはミュージシャンである。彼らは極楽浄土からやって来て・・・・みなスーパースターで老若男女の心をつかんで離さない。カッコイイ!
 *メイン・ボーカル薬師如来像  
 *警備にあたる四天王たち 四天王像からの吹き出しが「押すなよ!!」なのだ。
 *「般若心経」経本の絵を描き、「仏教界のビルボードで大ヒットソングブック」と付記してある
 *朱印帳の絵を描き、「ま、サイン帳だよね」の付記がつく

 これって、ふざけている訳では全くない。視点を変えると、そうとも言えるなあ・・・、というところ。頭にガツン!というおもしろさ。
 如来部の仏像が当然中心にくるから、これがメインであり、天部の仏像である四天王は護法神、仏教守護神的性格を担う役割だから警備にあたる形である。巡拝したお寺の朱印を集めて行けば、それは訪れたお寺のサイン、拝仏の証だから、機能はサイン帳と何ら変わらない。仏に対する信仰とミュージシャン、アーティストへの熱愛という対象の違いだけ。
 見仏し、お仕着せでなく、自分として仏と対面し、対話するという二人の姿勢の発露とみれば、そのユニークな「見仏記」は、抹香臭い仏像観を一掃させる現代的刺激になる。
 こんな調子で、二人の全国行脚が始まった訳だ。
 この単行本には次のお寺の仏像見仏がまとめられている。二人の仏友の観点から、見仏の当たり外れも含めて、読んで面白く、たのしい語り口、マンガが満載だ。
 奈良: 興福寺、東大寺、法隆寺、中宮寺、法輪寺、法起寺、松尾寺
     新薬師寺、五劫院、東大寺戒壇院、浄瑠璃寺、室生寺、当麻寺、聖林寺
     薬師寺、唐招提寺、西大寺
 京都: 六波羅蜜寺、三十三間堂、東寺、神護寺、清涼寺、広隆寺
     大報恩寺、泉湧寺・平等院鳳凰堂
 東北: 慈恩寺、立石寺、立花毘沙門堂、万蔵寺、成島毘沙門堂
     毛越寺、中尊寺、黒石寺
 九州: 東長寺、太宰府、観世音寺、天満宮、大興善寺、龍岩寺、真木大堂
     富貴寺、神宮寺
 京都・奈良を主体にしてみると、有名どころのお寺がかなり網羅されている。東北・九州には、京都人としては初めて知ったお寺がけっこうあるというところ。一度訪れてみたいな・・・という思い。

 本書には「阿弥陀如来の基礎知識」をマンガで導入し、「仏教基礎用語」として、基本中の基本である、「如来・菩薩・明王・天」を簡潔な文で説明している。一方、脚注として、基礎的用語や人名などを、時にはマンガ入りで説明してあるのも、わかりやすくて良い。


*日本人は本来の色が落ちたものをのみ好んで、しかもそこに仏の本質を感じている。日本独自と人々がいう仏教の感覚は、時が洗った跡に根ざしているのかもしれない。だとすれば、それは時教だ。  p230
*表情や様子は大切なもので、その形は人間の感情を支配する。気持ちがなごむから微笑むのではなく、微笑むから気持ちがなごむこともある。まるで奇妙な鏡のように、その如意輪は私に微笑みの形を教えているのだ、と思った。確かに、顔を見ると途端にこちらの頬がゆるむ。なるほどなあ、とひとりごとが出た。これが仏像の力だったんだ。 p265
 

 ご一読ありがとうございます。

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本書に取り上げられた見仏の対象寺院・仏像などで、私にとって初情報の類いのものを検索してみた。入手できた事項の中から、有益な情報を一覧にしておきたい。当然ながら関西圏でないところが主になっている。

【奈良】五劫院:五劫思惟阿弥陀坐像  :「Back From The Temple」
慈恩寺(寒河江市)  :ウィキペディア
慈恩寺(寒河江市) ホームページ
宝珠山立石寺  ホームページ
名勝史跡 霊場山寺立石寺
立花毘沙門堂  :「きたかみ魅力辞典」
  木像毘沙門天立像(国指定重要文化財)
  木像二天立像(国指定重要文化財)
万蔵寺(北上市) :「旅 東北」
雪の禅林街その4「万蔵寺」ーつがるみち94  :「のんびりとじっくりと!」
成島毘沙門堂 兜跋毘沙門天立像  :「いわて東和 JR東日本ホテルズ」
毛越寺 ホームページ
毛越寺  :「平泉観光協会」
関山中尊寺  ホームページ
中尊寺  :「平泉観光協会」
妙見山黒石寺  ホームページ
日本三大奇祭の一つ「黒石寺蘇民祭」   :YouTube
東長寺    :「よかなびweb」
観世音寺  :「古寺巡訪」
観世音寺  :「inoue's website」
太宰府天満宮 ホームページ
大興善寺  ホームページ
大興善寺  :「よkとこBY」
懸造「絶対王者」 投入堂に迫れるか。 龍岩寺奥院 いよいよ登場!
     :「Kazz zzaK(+あい。)」
龍岩寺の造不動明王坐像等  1989年2月号 広報おおいた 
      :「おおいたデジタルアーカイブ」
龍岩寺(大分県)  :「inoue's website」
真木大堂   :「豊後高田市観光協会」
富貴寺    :「豊後高田市観光協会」
宗教法人 神宮寺 ホームページ


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こちらも、ご一読いただけるとうれしいです。

『見仏記ガイドブック』   角川書店


『カレイドスコープの箱庭』  海堂 尊  宝島社

2014-12-13 19:47:09 | レビュー
 著者の作品は、そのネーミングがうまいと思う。海堂ワールドの中で、どのようにその作品がはめ込まれていくのかという関心に併せて、内容をちょっと窺わせないようなタイトルそのものにまず惹きつけられる。
 この作品の末尾に近いところに、「とかく人の世は、善悪が入り乱れた万華鏡の箱庭の世界だ」という一節がある。そのフレーズの次にこんな記述が続く。
 「そう言えばカレイドスコープの語源はギリシャ語で”美しい模様を見る”ということだという。かつては錦眼鏡とも呼ばれたらしいが、人のこころの錦を見る、という意味であれば、まことに美しい名前の道具だと思う」(p236)
 ところが、ここでは「人の心の悪意」を見る形の道具になる。
 厚生労働省の役人、あの白鳥室長が、「この世の森羅万象はカレイドスコープの箱庭の中の出来事なのさ。1816年スコットランドの物理学者、ブルースター卿が発明した万華鏡は、わずか3年後の1819年に日本に伝来した。つまり、日本は万華鏡の先進国だったわけ。だからと言ってそんな万華鏡をくるくる回してできる虚像に騙されちゃいけないよ」と田口に蘊蓄を傾けながら、これをなんと嘘発見器として使うと言いだし、実行するのだ。 こんなところに、作品タイトル名の由来があるようだ。

 この作品は、2009年10月19日(日)午前9時に、田口が高階病院長から病院長室に呼び出される場面が発端となる。例によって、高階病院長から田口が無理難題のお願いを命じられることから始まる。そして、2つの異なるテーマが同時進行で展開していく。
 一つは、70代の小栗昇平という患者さんが、検診で肺陰影の指摘をうけて、気管支鏡生検で癌と診断され、右肺葉摘出の外科手術は無事済んだのだが、2日後の真夜中に突然心停止し、死亡した。その後、病理の誤診だという内部告発があったのだ。誤診ではなく検体取り違えの可能性もあるという。内部告発の内容が小栗さんの親族に伝わっていて、そのことが問題視されている。
 そこで、電子カルテ導入検討委員会の委員長である田口に、電子カルテ運用に関わる問題として調査してほしいという指示なのだ。検体取り違えの可能性から、電子カルテシステムの検証が必要なのだと高階病院長は言う。
 もう一つは、Ai(オートプシー・イメージング:死亡時画像診断)の技術認知に関わることだ。海堂ワールド作品には切り離せないテーマ。時代背景として、臓器移植法が改正され、2010年7月から日本でも15才未満の小児臓器移植ができるようになるという状況が出てきている。そこにはAi技術の利用が関わっていく。一方、直近ではAiが内部告発に寄与したという認識が持ち上がり、Aiアンチの蠢きが始まっているという。それに対する手を打つために、Ai標準化国際会議を東城大学主催で実施するという企画である。実施の手はずは高階が整えたので、その企画の具体化を田口が責任者となって実行せよという指示である。田口は、高階に呼び出された週末に、マサチューセッツ医科大学上席教授・東堂文昭と会議内容の大枠を決めるために渡米せざるを得ない羽目になる。あの東堂との応対から始まるのだ。
 この2つの筋が展開していく。

 最初のテーマは、田口一人が、小栗さんの手術を執刀した呼吸器外科の橋爪教授に対する事情聴取から始めて行く。この案件の初期対応ではAiを実施し、遺族との間で死因が手術後の出血ではないというコンセンサスが確立していたのだ。だが、病理診断で誤診があったという匿名の内部告発により、手術適用自体が間違っていたという問題にもつながりかねないのだ。田口は気管支鏡検査室、病理検査室へと事情聴取の調査を進めていくことになる。誤診と検体取り違えの可能性について、実務のプロセスを克明に調査・聴取した田口は、病理検査を担当した牛島講師の誤診と結論づける。そして、報告書(案)をまとめるのだが、なんとその田口の出した結論が、白鳥により、「不肖の弟子の調査結果を監査する」という理由で、白鳥・田口コンビでの再調査が展開されていく。このテーマの展開で興味深い点がいくつかある。
1.医療現場に於ける病理検査の状況について著者が光を当てていること。
2.患者死亡に関し、司法は医療を悪者に仕立て上げ、正義の鉄槌を下すという構図を取りたがることへの問題指摘が高階病院長の発言として触れられている点。
3.患者死亡に関連したAi情報利用の有効性。
4.大学病院の中の医療組織、医療実務の問題。例えば電子カルテと紙カルテ。人員問題。 このような副次的な視点の問題を描き込みながら、「今回のようにささやかな悪意を持ち合わせた人間がそれなりの立場にいて、悪意を増幅させた時に、病院のスタッフがその悪意を排除することは難しい」という局面を著者はストーリーに展開したのだ。
 その再調査の中で、カレイドスコープが白鳥によって、新型嘘発見器と称して使われていくのだから、おもしろい! その狙いは何だったか? 読んでのお楽しみである。
 このストーリー展開の中での田口と白鳥の会話は絶妙のコミカルさを含む。思わずニヤリとしたくなる箇所がしばしば登場する。この二人のやりとり部分を、著者自身楽しみながら書いているのではないか・・・とすら思いたくなる。いや、その軽妙さを出すために意外と辛苦しているのだろうか・・・・。読者としては実に楽しめるところでもある。

 2つめのテーマは、日本が新たなものを確立して行こうとするときのメンタリティというか、日本的風土がある意味でアイロニカルに描かれている。それが、高階病院長の根回しによる「Ai標準化国際会議」開催という手段とそのインパクトということになる。このテーマでは、東堂が積極的に田口をサポートしていてほほえましい。Ai技術が真に理解され、医療分野の中で正当な認知を得、積極的に活用されるためには何が障害となり、何が必要なのかが、Ai標準化国際会議というフィクションの企画の中で、著者は一般読者にわかりやすいパースペクティブを提示しているように感じた。
 この会議実行プロセスのなかで、田口の旧友たちが一堂に会する形になるのは、海堂ワールドの中での実に楽しい展開である。そして、ここにも、白鳥室長が顔を出してくるところが面白い。

 この作品は、11月16日午後3時、病院長室での場面描写と新年の迎え、病院機構の改革があったことで、幕を閉じる。

 著者が登場人物に語らせている事柄のいくつかを引用し、ご紹介しておきたい。
*医学が進歩し、人工授精という技術が生まれたため生命の起点が前方に遡り、受精卵が生命個体の発生点になりました。また、人工呼吸器や人工心臓が出来たため、死は後方に延長された。その新しい終点が脳死です。こうした概念の転換時に基本になる医学文法がエシックスです。新しい医学、医療を一般大衆に呑み込ませるには、エシックスは必要不可欠なのです。  p186
*日本の立法では小児臓器移植の脳死判定の際、死亡原因が虐待だと判明すると除外要因になる。
 虐待の診断Aiを実施しないと不可能です。虐待の診断基準には陳旧性の多発性骨折という項目があり、その所見の検出は、解剖では不可能で、画像診断が必須ですから。
 するとAi実施し虐待所見を発見したら、脳死判定自体を停止してしまうかもしれません。経過観察していた昏睡患者に脳死判定をしようとするモチベーションは、臓器移植のためだからです。すると同じ撮影でも、臓器移植が可能なら脳死と判定され、そうでなければ延命が続けられるというパラドキシカルな状況も出現し、その時撮影された画像はAiになったりAiでなくなったりする。これは医学の範疇を逸脱した、論理破綻した状況です。  p188
*Aiは生と死の境界線を引くために医療が必要とする検査。解剖は死亡した原因を調べるため行われる医学の土台。   p189
*非破壊検査の特性から、Aiは患者の死を客観的に確定できる境界領域の検査になるのさ。だから市民社会に適応する医療の基礎に置かれるだろうね。  p190

この作品の最後に近いところで、著者は田口の心境として、こんな文を記している。
 「いつの世も、顔を上げた前に道は広がる。
  うつむいてしおれた人間に未来は拓けない。」
 「それでも俺は医療に携わる人々の善意を信じたい。」

 尚、本書の巻末に「海堂尊ワールド」として、「作品相関図」、「登場人物相関図」、「全登場人物表」、「桜宮市年表」、「大学・病院施設MAP」、「用語解説」、「医療用語事典」が p240~p287 に掲載されている。海堂ファンには必須の優れものだと思う。この作品を読むのは後でも、この部分が手許にあると便利だろう。


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本作品に関係する語句で関心を抱いたものについて、少し検索してみた結果を一覧にしておきたい。

万華鏡   :ウィキペディア
Kaleidoscope  From Wikipedia, the free encyclopedia
David Brewster  From Wikipedia, the free encyclopedia
the Brewster Kaleidoscope Society (BKS)  ホームページ
The History of the Kaleidoscope   :「about.com」

脳死  :ウィキペディア
法的脳死判定マニュアル    厚生労働省
緊急医学からみた脳死  島崎修次氏 :「脳死を考える」
小児の法的脳死判定の実際  子どもの脳死臓器移植プロジェクト報告
小児脳死判定後の脳死否定例(概要および自然治癒例)
   :「屍体からの臓器摘出に麻酔?」( 守田憲二氏)

臓器の移植に関する法律  :ウィキペディア
臓器の移植に関する法律 (平成九年七月十六日法律第百四号) :「e-Gov」
「臓器の移植に関する法律」の運用に関する指針(ガイドライン)  厚生労働省
小児の脳死判定及び臓器提供等に関する調査研究

臓器移植法に関するトピックス  :「朝日新聞DIGITAL」

改正臓器移植法が施行されました  :「日本臓器移植ネットワーク」
臓器移植患者団体連絡会 活動報告
脳死・臓器移植法の改正に反対します 全国交通事故遺族の会



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「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『スリジェセンター 1991』  講談社
『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』   宝島社
『玉村警部補の災難』   宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社  
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』  朝日新聞出版

『特等添乗員αの難事件 Ⅴ』  松岡圭祐  角川文庫

2014-12-09 09:31:04 | レビュー
 この特等添乗員αシリーズのおもしろいところは、主人公の浅倉絢奈と壱条那沖の二人の関係がわりと軽快に急テンポで深まり、どんどん進展していくという展開を背景にしている局面である。万能鑑定士Qシリーズの姉妹編としてスタートしたこの特等添乗員シリーズは、この局面でもQシリーズとは対照的であって興味深い。Qシリーズは凜田莉子と小笠原悠斗の二人の関係が付かず離れずのようなまどろっこしさを感じさせるくらいの緩慢さで徐々に互いの思いが深まっていくという背景だったから。

 今回の背景では、絢奈と那沖の関係がかなり進行する。二人で武蔵小杉の割安な高層マンションの物件を見に出かけ、絢奈が様々な事件・事象と関わらざるを得ないなかで、二人が時間の折り合いをつけ、物件購入の手続きを済ませ、まずは新居開設するという展開を見せるのだ。副次的に描かれていくこのプロセスにあの能登廈人の所見と行動がが絡んでいくのだから、面白さが加味される。この脇道の進展テンポの速さが楽しいといえる。
 さて、この難事件Ⅴの本筋に入ろう。ここにはマクロでとらえると2つの筋があり、それが最後に結びつく局面展開となる。どう関わるかが一つの読みどころであり、それがハッピーエンドに繋がって行く。勿論、本シリーズの特徴として、それぞれの太い筋は、小さな事件だけどちょっと難儀な事件の連なりを絢奈がラテラル・シンキングを発揮して次々に解決していくという累積で構成されている。その積み重ねが一点に収斂していくということになる。
 メインの一つの流れは、絢奈と那沖が武蔵小杉の物件下見に行った折に、南部線の線路沿いの月極駐車場の傍に居る時に、自転車の荷台に買い物袋を載せた主婦らしき女性から、絢奈たちに、この駐車浄で高級車ばかり狙ったクルマ泥棒がでているということを告げられ、契約をしない方が良いと忠告されたことから始まる。那沖が絢奈を連れて最寄りの中丸子交番を訪ね、事件の状況を尋ねたことが発端となるのだ。
 交番の巡査から連続して発生している事件の状況を聞いた絢奈は、”閃きの小悪魔”ぶりを即座に発揮する。翌日の日曜日の朝午前五時には那沖の協力を得て、絢奈は難なく泥棒を捕まえてしまう。泥棒は粕野和幸という男だった。実はこの男、クルマの窃盗専門で業界に名を馳せた幹部だったのだ。話は、粕野が属する塚本組を介して、日本国内の有力な組どうしが手を結ぶ一大シンジケートに及んでいく。このシンジケートを取りまとめるのが62歳の鮫吹俊学。かれは鮫吹運輸という大会社の代表取締役兼、最高経営責任者であり、運輸業界の大物という表の顔を持つ。彼自身はヤクザの世界に染まったことがない人物なのだ。
 このシンジケートは、絢奈が関わったあのマカオでの獅闇牙会の久世高志逮捕により、大きな痛手を受けていたのだ。絢奈が粕野の逮捕でさらにこのシンジケートに関わりを深めてしまったのだ。ここで一つ大きな問題が出てくる。三十すぎの年齢で、遊び惚けている俊学の馬鹿息子・基成が浅倉絢奈に惚れたという。親馬鹿の俊学は、シンジケートの幹部に、基成と絢奈の出会い工作を命じる。俊学は基成と絢奈を結びつけ、絢奈を自分たちの側に取り込もうと発想したのだ。そのために、出会い工作作戦としての事件が絢奈の近辺で次々に発生して行くというストーリー展開となる。勿論、絢奈はラテラル・シンキングを駆使して次々に事件解決をしていく。そのプロセスで、ある真相に気づいていくというところ。

 もう一つの流れは、絢奈の所属する添乗員派遣会社クオンタムの職場で起こる問題事象である。絢奈が職場でまわりの添乗員から突然にシカトされ始めたのだ。絢奈が職場で孤立化させられていく。その扇動は浜宮絵梨子という優秀な添乗員がそれとなく仕掛けたのだ。それは絵梨子が絢奈に抱く敵愾心であり嫉妬心でもある。さらに絵梨子は絢奈を窮地に陥れる工作を進めて行く。あるきっかけで絢奈が絵梨子が元凶であることを知ると、反撃にでていくのだが、このプロセスがけっこうおもしろい。
 絵莉子が絢奈と同じようにラテラル・シンキングに秀でていることを絢奈が察知し、そのことを絵梨子に告げることから、二人の関係が大きく転換していくことになる。

 この二つの流れが何処でクロスし、その結果がどんな結末になるか? そこでの逆転劇が読ませどころであろう。鮫吹の本音がどこにあったのか? 絵梨子のラテラル・シンキングがどう働いたか? 最後の大団円を楽しみにして読み進めていただくとよい。

 最初の流れ、シンジケートの連中の文脈で次々に起こる小事件は、結構コミカルなものでありながら、解決の糸口を絢奈が語ると、なるほどそのなのかという納得度があって、ちょっとした意外性を感じるところがあって楽しい読みものになっている。
 クオンタムの職場の流れでの問題事象は、集団心理のダイナミズムが興味深いところである。

 本作品の末尾一歩手前が、「新居」という章。絢奈と那沖の関係は遂にここまで進展する。
 「部屋の契約、間に合ってよかったね」
 「ぎりぎりだったよ。でも新居が決まって、本当にうれしい」
 那沖はじっと絢奈を見つめてきた。
 「きょうからふたりきりだね」
 「ええ」絢奈はうなずいた。
というハッピーな場面でこの作品は終わらない。
 最終章は「死海」である。海外ツアーの添乗。絢奈は死海の畔で、またまたあっさりと事件を解決する。まるで、この作品のオマケでもあるかのように。
 本作品の締めの文は絢奈の弾む声での宣言だ。
 「出会った人を正しい行き先に導くのが、添乗員の仕事だもん。閃きんお小悪魔に引退なし」

 新居を構えたことで、このシリーズは終わらないようだ。特等添乗員α、この後の活躍が楽しみである。
 
 
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本作品に関連して、関心をもった事項をネット検索してみた。作品の本筋とあまり関係ない語句でのこだわりが多いが、一覧にまとめておきたい。

INGNI(イング) ホームページ
日産・プレジデント  :ウィキペディア
ビーフストロガノフ  :「シェフごはん」
ビーフストロガノフ  :「語源由来辞典」
クルーザー所有シュミレーション  :「TAKAISHI MARINA 高石マリーナ」
映画『図書館戦争』 公式サイト

武蔵小杉  :ウィキペディア
東京駅首相暗殺現場  :「ぶらり東京散歩」
死海  :ウィキペディア


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特等添乗員αに関して、読み進めてきたものは次の作品です。
こちらもお読みいただけると、うれしいです。

『特等添乗員αの難事件 Ⅰ』
『特等添乗員αの難事件 Ⅱ』
『特等添乗員αの難事件 Ⅲ』
『特等添乗員αの難事件 Ⅳ』

万能鑑定士Qに関して、読み進めてきたシリーズは次の作品です。
 こちらもお読みいただけると、うれしいです。

『万能鑑定士Qの攻略本』 角川文庫編集部/編 松岡圭祐事務所/監修

『万能鑑定士Qの探偵譚』


☆短編集シリーズ
『万能鑑定士Qの短編集 Ⅰ』
『万能鑑定士Qの短編集 Ⅱ』

☆推理劇シリーズ
『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅰ』
『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅱ』
『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅲ』
『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅳ』 

☆事件簿シリーズは全作品分の印象記を掲載しています。
『万能鑑定士Q』(単行本) ← 文庫本ではⅠとⅡに分冊された。
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅲ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅳ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅴ』 
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅵ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅶ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅷ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅸ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅹ』
『万能鑑定士Qの事件簿 ⅩⅠ』
『万能鑑定士Qの事件簿 ⅩⅡ』




『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』 高田崇史  講談社NOVELS

2014-12-05 09:25:47 | レビュー
 「プロローグ」は「ぼく」という一人称で第1巻に登場した福来陽一がある女性の危難を救おうとして男の剣先で胸を刺し貫かれるというシーンから始まる。これがこの第2巻でどのように繋がっていくのか、が興味津々となる。

 この第2巻に登場するのが、涙川沙也である。彼女は海・川が嫌い、自分の名字も嫌いだという女性。その沙也が横浜の海岸通りの裏道を歩いていて、通り添いのレンガ倉庫の壁の前で背中を丸めて横向きに倒れている男性を見つける。近づいてみると、沙也がストーカー行為を受けていた徳田憲だった。殺されていると知って、震える手で携帯を取り出そうとしてよろけた時に、刺殺に使われた細いナイフを掴んでしまった。その場面を若いカップルに見られてしまう。近くのマンションの上階から目撃した人も居た。
 その現場に偶然に犯人を見たという小柄な女性菊池恵が現れる。沙也が右手に怪我をしているから、一旦その場を逃れ、後で警察に行けば良いと言い、駆けだしていく。沙也はその後を追う形になるが、途中で菊池が姿を消してしまう。警察が通報を受け現場に現れ、後を追ってくる。そこから沙也は殺人の容疑者として追われる羽目になる。
 沙也は夢中で逃げて何とか自分のマンションまで辿り着く。怪我の手当をして、多少落ち着いた所に、坪井美津代という女性から電話がかかる。彼女は徳田憲が働いていたフォーク居酒屋「伽草子」のオーナーで店長だと言う。神奈川県警の刑事が店に訪ねて来たと告げた上で、徳田憲から沙也が困っているようなことがあれば、助けてあげて欲しいと頼まれていたと。沙也に助力を申し出てきたのだ。その申し出を受け入れて、沙也は「伽草子」を訪ね、その後坪井のマンションへ行く。だが、そのマンションに着いた直後に、今度はマンションの別の部屋で何事かが発生し、そこから美津代の悲鳴と沙也に「逃げて!」と叫ぶ声を聞く事態となる。沙也は部屋から飛び出し、近くのコンビニから110番に通報するのだが、自分は再びその場から逃げざるを得なくなる。
 沙也の逃避行の間に、徳田の殺害された現場近くのマンションから事件を目撃していた関圭三という男が自室で徳田殺害と同様の細いナイフのような物で殺される。また現場目撃情報によって駆けつけた警官2名が、犯人と目される人物によって傷害を負ってしまう。彼らが気づいたら救急病院に搬送されていた。そんなことが次々に起こっている。
 逃げる沙也の前に菊池恵が再び現れて・・・。沙也は急展開していく状況に戸惑うばかりだが、深刻な企みの進行するプロセスでの重要な役割を担わされる形で巻き込まれていくのだ。沙也自身には何も自覚のないままに・・・・。それは、沙也にとって己がどういう系譜の人間なのかを知らされるプロセスになる。

 第1巻「鎌倉の地龍」では、高村皇(すめろぎ)とその配下たちが鎌倉・鶴岡八幡宮の怨霊を解き放とうとする企てが進行・展開するストーリーだった。この第2巻「倭の水霊」では、高村皇の不可思議な計画は一転し、熱田神宮に矛先が向い地域拡大していく。

 辻曲家の了と彩音は相談し、彩音が伊豆山神社の近くに住まいする四宮雛子を訪ねることになる。四宮は四柱推命の大家であり、伊豆山の奥に住み、彼女独自の人選基準に叶う場合しか鑑定を引き受けないという非常に偏屈で頑迷な鑑定家である。金や権力や名声など歯牙にもかけない。その雛子に彩音は妹の摩季に起こり、自分たちのまわりに起こっている事態を告げ、雛子の鑑定を受ける。
 雛子は辻曲家が暗黒の闇に関わってしまったと告げ、西の方向に重なり合った険難、水の凶が見えると鑑定する。雛子の鑑定は、「白鳥伝説」「日本武尊」に結びついて行く。そして、雛子は火地晋(かちすすむ)の力が必要だと告げる。あの福来陽一から連絡をしておいてもらい、彩音が直接話を聞きに行けと助言する。雛子も一筆書いてあげるからと・・・・・。

 この第2巻では日本武尊が関わる古代史の読み解きが関わってくることになる。日本武尊・弟橘媛の関係に及び、日本武尊の死の問題と深くかかわっていく。走水神社、白鳥古墳、断夫山古墳、熱田神宮などに関係していく展開となる。日本武尊神話に隠された陰の部分に光が当たっていく。鎌倉時代の歴史から、時空をワープして一挙に古代の歴史に切り込んでいくこととなる。古代史ファンには本書で展開される解釈は興味深いものになるのではないか。

 怨霊というテーマが、鎌倉時代の問題から一挙に日本古代史の時空にワープし、辻曲了と絢奈、巳雨を名古屋にまで出かけざるを得ないように仕向けていく。その展開の中に、涙川沙也がキーパーソンとして関わっていくことになるのだ。
 
 この第2巻では、火地晋と福来陽一が何者なのかが、明らかになっていく。そして、福来陽一が登場するのは、最後の最後になってから・・・・なのだ。
 
 また、「エピローグ」の前章末尾には、こんな場面が描かれている
  「行ってきまーす」
  由比ヶ女学院一年、次女の摩季が顔を出し、巳雨の皿からトーストを一枚奪うと
  玄関に走って行った。  
  「ああっ。摩季姉ちゃん!」
 第1巻で亡くなったはずの摩季が巻末で元気に登場! 死から生還したようだ。しかし、この第2巻では唐突にこの場面描写が出てくる。摩季はどうなるのか・・・・という心配が、あっさりと元気に復活! なぜ、どのようにして・・・? その経緯はこの作品に出てこない。それは次巻以降で解き明かされるのだろうか? 不可解不可思議な摩季の登場。私的には、第2巻で摩季がどのように成っていくのかにまず関心を抱いていたのだけれど。お陰でこの関心事は次巻への期待の持ち越しとなる。

 鎌倉の怨霊問題が未解決のまま、名古屋の怨霊問題に急展開したこの「倭の水霊」。
 果たして、高村皇の真のねらいはどこにあるのか。一層、謎が深まっていく。

 この第2巻は、怨霊の次元が一気に日本古代史の時空に転換する。『古事記』『日本書紀』に描かれた「日本武尊」の存在。その真の姿は何か。どのような政治的背景、勢力闘争問題が存在していたのか。紀記の神話世界に記されたこと、記されていないこと。日本古代史を見直すということが副次的なテーマとして据えられているように思う。
 この作品は、日本武尊という神話上の存在に対し、認識・意識の有り様として、日本古代史の読み解き方を通じ興味深い観点を与えてくれたといえる。

 怨霊問題を底流に潜ませながら、古代から歴史的変遷がなされてきたのが日本の権力闘争なのか・・・・。神とは何か? 怨霊-御霊-神、という連なり。その意味するもの・・・・そんな時空に踏み込みながら、ストーリーはさらにどう展開するのか。ますます、興味津々となってきた。

 ご一読、ありがとうございます。


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 本作品に出てくるストーリー展開での重要な語句をネット検索してみた。参考文献は本書末尾をご覧になると記載されている。こちらは手軽に入手できる思考材料の一覧である。当然、その利用・読み方には注意が必要だろうけれど・・・・。

ヤマトタケル  :ウィキペディア
日本武尊物語  :「建部大社」(公式サイト)
日本武尊  :「伝説の扉」
弟橘媛  :ウィキペディア
8.弟橘媛、倭建にかわって入水する :「古事記景行天皇条全訳註 / [ヤマトタケル]」
オトタチバナヒメを御祭神とする神社  :「探究三昧 BY N. Momose」
橘樹神社・上總國二之宮  :「タウンページ」
宮簀媛  :ウィキペディア

走水神社  :「神奈川県神社庁」
伊豆山神社とは  :「関八州総鎮護 伊豆山神社」ホームページ
熱田神宮について  :「熱田神宮」ホームページ
神さまの由来を知ろう!(熱田神宮編)  :「山けんのうぶすなで開運」
断夫山古墳  :「熱田神宮公園・高蔵公園」
断夫山古墳  :「文化財ナビ愛知」
白鳥古墳 白鳥御陵 名古屋市熱田区 白鳥公園 Kofun  :YouTube
断夫山古墳・白鳥古墳   :「邪馬台国大研究」
日本武尊・琴弾原陵、白鳥陵古墳  :「邪馬台国大研究」
日本武尊・白鳥伝説  :「亀山市」
白鳥伝説と白鳥陵  :「徒然なるままに、、、」
白鳥伝説にふれて  西成辰雄氏

天叢雲剣  :ウィキペディア
尾張古図と浪越伝説  名古屋なんでも調査団
四柱推命  :ウィキペディア
塗壁    :ウィキペディア
ぬりかべ (ゲゲゲの鬼太郎) :ウィキペディア


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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS

以下は、このブログを書き始めた以降に、シリーズ作品の続きとして読んだ特定の巻の印象記をまとめたものです。

『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS

『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS



『万葉歌みじかものがたり』第4巻・第5巻  中村 博   JDC

2014-12-01 09:41:05 | レビュー
 たまたま目にとまったこのタイトルに興味を持ち、手に取ってみた。
 表紙に「一億人のための万葉集」とビッグな副題が付いている。「みじかものがたり」? 万葉集にどう切り込むのだろうか・・・・そんな軽い気持ちだった。
 巻4の内表紙には、「家持青春編 (一)恋の遍歴 (二)内舎人青雲 あじま野悲恋編」と補足がある。大伴家持を取り上げているようだ。「はじめに」と「目次」を飛ばして、本文のページを開いてみた。それは「家持青春編(一)恋の遍歴」の始まりのページである。

 章というのか項目というのか解らないが、最初の見出しは「羽根蘰(はねかづら)」。
   家持は 思わず目を見張った
   太宰府から 戻った 佐保の屋敷
   麗しい 乙女がいる
   (どこの・・・・)
   と思った 家持
   (おお あの女童ではないか)
と、こんな「みじかい」口語詩のような導入文から始まる。そして、さらに同じページの下段に背景説明文が続いたのちに、「万葉集」に載る大伴家持の歌が出てくる。

 ところが、ここで一驚したのは、家持の歌の前に、<五七五・七七>の短歌形式で家持の歌が、著者により解釈された現代の日常用語で翻訳されているのである。なんとそれが、大阪弁なのだ。つまり、短歌調調翻訳である。
 トップに取り上げられた家持の歌を例示してみると、こんな調子である。

 <<年ごろの 蘰被(かずらかぶ)る児 夢に見て
           こころ秘かに 恋しとるんや>>

 羽根蘰 今する妹を 夢に見て
     心の内に 恋い亘るかも   -大伴家持- (巻4・705)

家持の歌の行間に時によって、多少の解釈付記や歌の後に簡略な語句説明が補われていたりする。

 しかし、家持の原歌の前に同じ語数で、我々が読めばすっとわかる語り口調で訳されている。五七調だからリズムをつけて読める。ストレートに歌の意味が伝わってくるから、実におもしろい。私は京都なので、京都弁と大阪弁は違うが、身近な方言として抵抗なく読める。大阪弁の語り口、抑揚などをイメージしながら読むといっそうおもしろい。
 関西出身出ない人、東日本や九州・沖縄、四国の人々が、この大阪弁の五七調翻訳を読んで、方言に含まれる語調や言葉使いのおもしろみをも感じるだろうか、この点感想を聞かせていただきたいものだ。

 手許には、岩波文庫の『新訂 新訓 万葉集』(佐佐木信綱編)をはじめ数冊の万葉集からの抜粋解説本や万葉集関連本がある。全口語訳の嚆矢でもある折口信夫著『口譯萬葉集』の上下本を中公文庫版『折口信夫全集』の第4巻・第5巻としても持っている。いままでは、何かの折に参照するだけで、通読はできていない。
 この第4巻を手に取ったことで、読み始めて、一気に本書の第5巻を合わせて通読してしまった次第である。

 私にとってのその理由は、第4巻を読み終えてから考えると次のようなことだと思う。1.五七調の大阪弁の翻訳のおもしろさとそのリズムを楽しみながら原歌を読むことで、原歌の主旨をストレートに汲み取れること。そんな意味かと気楽に読める。
 歌の細かい部分(枝葉:語句の詳細な意味解釈・確認)をあまり気にせず、歌の本意(幹)を理解するうえで、大阪弁のざっくばらんさが、「そんなもんでええやんか」という気にさせてくれる。
2.万葉集を巻一の最初の歌から順次読むということではなく、家持の人生経路というプロセスを軸に展開するために、個々の歌を一つのストーリーのように構成されていくので、読みやすい。
 学問、研究という視点では歌の成立時期や状況解釈、その編年編成に異論があるかもしれないが、一般読者としては「万葉集」の歌に触れる上ではまず入りやすい。
3.伝記ではないので、人生経路の背景説明も簡略・最小限となっている。詩文を読む調子で、さらりと背景理解を押さえるくらいの気楽さで読める。

 それで、第5巻も連続で読み進めることができた。第5巻は、「家持越中編 (一)友ありて (二)歌心湧出」である。
 巻末に付された「万葉歌みじかものがたり年表」を参照すると、巻4の「家持青春編」は家持14歳の時、天平2年(730)から天平18年(746)の20歳までをまとめている。巻5は家持が越中守として、越の国、越中の国守として単身赴任する天平18年(746)6月、20歳の時から、その任を終え、京都に帰京する天平勝宝3年(751)、35歳までを扱っている。

 このプロセスにおける家持の生き方を、彼と関わりを持った人々との歌の交流という形で、織りあげていく形である。そのプロセスの背景情報を要所要所で詩文風に語りながら展開されていく。

 第5巻は、越中守として単身赴任した家持の切々たる心情が時系列的にわかって、興味深い。この第5巻の人生プロセスは、現代の単身赴任ビジネスマンの心情と重ね合わせることができる気がする。万葉の世も現代も人間の心情と行動には、さほど大きな違いはないということだろうか。

 この2冊の本文を読了してから「はじめに」を読んで見たら、著者は本書発刊の経緯を説明する中で、最後に言及していた。
 *「文法・古語辞典・古典教養なしで、味わえる万葉」を意図したようである。
 *「みじかものがたり」という言葉は次のダブルミーニングで使われている。
    ”短編物語風の「短か」ものがたり。
     現代風で親しみ易い「身近」ものがたり。”
  を意図しているようだ。
この2冊を通読した限りでは、著者の意図は充分反映されているように思う。

 第4巻には、家持の人生行路とは別に「あじま野悲恋編」として独立したものがたりが併載されている。こちらは、突然に蟄居を申し渡されて、あじま野の配流措置が決定された中臣宅守(なかとみのやかもり)とその新妻・狭野弟上娘子(さののおとかみのおとめ)の悲恋を万葉集に所載された歌の交流を通して織りあげている。

 さて、この本のおもしろみを知るためにも、手許の本で一つの対比事例を作ってみよう。取り上げるのは、万葉集・巻3・477の家持の歌である。

 あしびきの やまさえ光り 咲く花の
       散りぬる如き 我が大君かも

これは、天平16年2月、聖武天皇の皇子である安積(あさか)皇子が17歳で薨じた時に、内舎人であった家持が作った歌である。

 齋藤茂吉はその著『万葉秀歌 上巻』(岩波新書)で、家持の歌として最初に撰歌しているものである。齋藤茂吉はこう記す。「一首の意は、満山の光までに咲き盛っていた花が一時に散ったごとく、皇子は逝きたもうた、というのである。家持の内舎人になったのは天平12年頃らしく、此作は家持の初期のものに属するであろうが、こころ謹み、骨折って作っているのでなかなか立派な歌である。」(p159)

 一方、折口信夫は『折口信夫全集 第四巻 口譯萬葉集(上)』(中公文庫)では、次のように口語訳している。
 「山さへも輝くばかりに咲いていた、立派な花が散って了った様になられた、私の仕へてゐた御子様よ。」(p148)

 巻4の「和束杣(わづかそま)山」の項(章)の末尾にこの歌を位置づけて、その前に次の翻訳を記述している。

 <<皇子(おうじ)さん 山光る様(よ)に 咲いた花
                その花散って 悲しい限り>>

 もう一例、取り上げておこう。
本書の巻4では、家持の人生編年での構成なので、「家持青春編(一)恋の遍歴」では第4番目に登場する歌である。それは、万葉集・巻6の994の歌だ。

 振り放(さ)けて 三日月見れば 
   一目見し 人の眉引(まゆびき) 思おゆるかも

 この歌も秀歌に選んだ齋藤茂吉はこの歌について、「眉引」の意味を詳細に説明した上で、「一首の意は、三日月を仰ぎ見ると、ただ一目見た美人の眉引のようである、というので、少年向きの美しい歌である。併し家持は少年にして斯く流暢な歌調を実行し得たのであるから、歌が好きで、先輩の作や古歌の数々を勉強していたものであろう。」と記す。(p205)
 折口信夫は上掲書で次のように口語訳している。
「天をば遙かに振り仰いで、三日月を見ると、只一目遇うたことのある人の、眉毛の容子が思ひ出されることだ。」(p297)

 この歌については、本書の著者が傾倒した万葉集研究の大家・犬養孝の著した『万葉の人びと』(新潮文庫)に触れられている。
 「”ふり仰いで空の三日月をみると、ただ一目見たあの人の眉を引いた姿が忘れられない”というのです。昔は眉を剃って、眉墨で三日月型の眉を書きました。ふり仰いで三日月を見ると、ただ一目見たあの人の眉引き、つまり眉を引いた姿ですから、顔が思い出されるというんです。これが16歳の頃の家持の歌です。」(p235)

 そして、本書の著者の翻訳はこうです。
 <<振り仰ぎ 三日月見たら
     一目見た お前の眉が 目に浮かんだで>>

 対比事例はわずか2つであるが、本著者のスタンス、ストレートな翻訳の感じがお解りになるのではないか。ほんとに短くて、身近な感覚で受け止められる短歌調の翻訳である。

 翻訳を大阪弁で五七調に短くおさめるということと著者一人の全訳であるので、数多くの作者による原歌の歌調や趣きという色合いのニュアンスが、捨象されぎみになる。短歌調での翻訳の中で一本調子の響き、色合いが生まれてくる気がするときがある。つまり同一作者の歌が並んでいるように感じるというニュアンスだ。口語の大阪弁で五七調におさめる語調やそのリズムからくるのだろう。翻訳だから気にする必要はないとも言えるが。
 第6巻以降がどのようにまとめられていくのか、楽しみである。第10巻まで発刊が予定されているようだ。一方で、第1~3巻を読み継ぎたいと思っている。この本がトリガーとなって、書架に眠っている万葉集関連本を、私なりに再活性化させたいと思っている。そういう点でも、いい刺激になる本である。


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大伴家持  :ウィキペディア
大伴家持略年譜  :「大伴家持の世界」
中臣宅守   :ウィキペディア
味真野散策マップ  :「味真野紀行」(内田啓一氏)
越前の里・味真野苑  :「越前市観光協会」
あじまの万葉まつり  :「越前市観光協会」
狭野弟上娘子と中臣宅守  :「万葉教室」(川野正博氏)
   万葉の悲劇 その一 恋
君が行く 道のながてを 繰り畳ね  :「万葉散歩」


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