遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『「盗まれた世界の名画」美術館』 サイモン・フープト 創元社

2012-07-30 10:37:29 | レビュー
 以前に、『FBI美術捜査官 奪われた名画を追え』(ロバート・K・ウィットマン、ジョン・シフマン著・柏書房)の読後印象を書いた。この本は捜査官の立場からみた行方不明の名画追跡について書かれていた。
 それに対し本書は盗まれた名画にまつわる、様々な美術品掠奪者あるいは窃盗者やその手口についての歴史と具体的事例について語っている。その語りの中で盗まれ行方不明になっているあるいは時を経て発見された名画を紹介する。また、巻末には付録「行方不明の美術展示室」というセクションが設けられ、60点ほどの行方不明の名画が解説付きでカタログ風に載っている。
 その中には、FBIのウェブサイトの美術品盗難トップテンとして掲示されている作品も入っている。レンブラント「ガリラヤ湖の嵐」、カラヴァッジョ「聖フランチェスコと聖ラウレンティスのいるキリスト降誕」、ヴァン・ゴッホ「スヘェニンゲンの海の眺め」、セザンヌ「オーヴェル=シュル=オワーズ近郊」、マックスフィールド・パリッシュ「ガールード・ヴァンダーヴィルト・ホイットニー・メゾンの壁画」のパネルAとパネルB、アンリ・マティス「リュクサンブール公園」、クロード・モネ「海景」。

 私にとって本書で一番印象に残った事柄から始めよう。昔見た「エドワルト・ムンク展」に関連する。鑑賞後に購入し今も手許にある図録をみると、この展覧会は1971年1月~2月に京都国立近代美術館で開催された。この時、「叫び」(1893年)、「マドンナ」(1894~95)の2作品を会場で見ていたのだ。行方不明になる以前に! この「叫び」および、上記と同型で1893~94年制作の「マドンナ」が2004年8月に、ムンク美術館から盗まれ行方不明になったという。幸にも、2006年8月に発見されている。また、1994年に泥棒がオスロの国立美術館の窓を壊して侵入し別作品の「叫び」を盗んだという。その美術館の壊された窓の写真が目次の直ぐ後に載っていたのだ。こちらも数ヵ月後に幸にも発見されたと記されている。実物を見たことのある作品が1点でも載っていると、やはり身近に感じるものだ。

 序文を読むと、盗難美術品登録協会には「最近約17万件が登録されているが、盗品の発見は1万1000件につき1点まで減少してきている。減少の理由のひとつは、競売会社自体がその手順を強化したことである。しかしさらに重要な理由は、出所の怪しい作品を持っている人々が、データベース調査が行われそうなところで盗品を売る危険を冒すのをためらうようになったことだろう」と書かれている。データベースが充実すると、盗品発見のチャンスが増える一方で、美術品が闇に深く潜むといういたちごっこがありそうだ。「盗品が発見されたとき、関わった美術商が質の高い作品をその本当の価値以下の値段で買っていたことがいつも明らかになる」という。「盗まれた美術品がお金を産み出すことがある」限り、美術品窃盗はこの世から無くならないだろう。また、「発見された作品すべてのうち、約半数が盗まれた国ではない場所で発見されている」という事実は、この分野の窃盗は、地球規模で闇のネットワークができていることを物語る。世界に散在する美術愛好家のあるいは美術投機を目論む、邪な大金持ちたちが世界に一枚、一つしかない美術品を専有したいという需要を示す限り、美術品窃盗は続く。

 本書でとくに興味深いのはその異なる3つの切り口である。第1は、「戦時下の窃盗」(第2章)という歴史的事実の側面だ。昔から戦争の勝利者側が美術品を戦利品とみなして盗みつづけてきた歴史がある。この章では、ナポレオン、ヒトラー、スターリンの事例を採りあげ、とくにナチス・ドイツがヒトラーの考えのもとで行った美術品略奪・窃盗の顚末を詳細に述べている。そしてその機会を私的に悪用した取り巻きの人々についても明らかにしている。
 「2003年にアメリカ博物館協会は、1932年から1945年の間に略奪された約150万点の美術品のうち、10万点以上がまだ見つかっていないと推定している。世界中で正当な所有者の多くが、いまも報われることなく毎日亡くなっている」(p68)と記す。

 第2は、美術品窃盗の非凡な事例について、その手口や経緯がさまざまに紹介されていることだ(第3章)。冒頭に泥棒映画「トーマス・クラウン・アフェアー」を紹介しながら、映画と現実の事例を部分的に対比していることがまずおもしろい。ここにはこんな泥棒たちが登場する。銀行家になりすましたアダム・ワース。美術を所有するより法を破ることにスリルを感じた美術品の窃盗マニアであるステファン・ブライトウィーザー。「モナ・リザ」を盗んだヴィンチェンツォ・ペルージャ。スタンガンを使い稀覯本を盗んだウォルター・C・リプカ。自分の所有する絵を盗み保険金詐欺を働いた眼科医スティーヴン・コッパーマン。実在しないトーマス・オルコック・コレクションを捏造したトケレイ・パリー。常軌を逸した政治的動機により窃盗したローズ・ダクテールと共犯者たち。ダブリンの犯罪報道で「将軍」というあだ名をつけられたマーティン・カーヒル。本物の審美眼を持ち、美術品泥棒でキャリアを築いたマイルズ・コナー・ジュニア。
 実に様々な手口、動機である。著者は、「私たちは悪党から英雄を作り続けている。テレビは美術品泥棒の正典として最も恥知らずな強盗を再現する実話シリーズを作っている。ハリウッドは息をのむような泥棒を粗製乱造し続けている」と批判している。

 第3は、行方不明の美術品を探す立場の人々からのアプローチである(第4章)。やはりこの切り口は欠かせない。ここには、ロンドン警視庁の美術・古美術課の前主任ディック・エリス、FBIの首席美術犯罪捜査官ロバート・ウィットマン、スェーデンの捜査官・トーマス・ヨハンソン警部、ロンドン警視庁前捜査官チャーリー・ヒル、ロサンゼルスの地方警察隊で美術犯罪担当をするドン・フライシク。それぞれが取り扱った美術犯罪解決の実話が紹介されている。
 「FBIが集めた統計によると、美術品強盗の80パーセント以上が内部の犯行である」(p128)という。「日常的に美術品と密に接しているということは、それだけ誘惑に満ちている」(p128)ということなのだろう。そこに犯罪への機会があるのだ。自己を正当化できる理由と、何らかの強力なプレッシャーがあれば、「不正のトライアングル」の条件がこの領域にもそろうことになる。

 最終章は、美術盗難防止策に触れられている。美術館で防止策が強固になればなるほど、逆に本物の美術を目の前で鑑賞するのにはバリアーになっていく。これは、ある意味、鑑賞者が真の芸術鑑賞から疎外されることになっていく。
 金属探知機とX線装置、最先端技術のチケット読み取り装置、一方通行の監視扉、壁から約20cmはなれたところに設置された防弾ガラスによる保護・・・ムンク美術館はそこまで防止対策が強化されたという。
 美術館での美術鑑賞が疎外され、こころの安らぎを得にくくなれば、悲しいことだ。
 美術品窃盗について、世界各国の法規制にばらつきがあり、保護の基準もバラバラであることから、その隙間が世界規模での美術犯罪の温床になっているようだ。たとえば、盗まれた美術品の新たな所有者がその権利を主張するのに、スイスは5年、フランスは3年、日本では2年経過すればよいとか。なんとイタリアでは、善意の購入者は自動的に所有権を獲得するという。「英国の法廷では、財産の譲渡が起こった国ではその国の法律が適用されるという考え方を支持している。そのため、盗まれた美術品は売却するためにたいていイタリアへ送られ、それから元の国に送り返されるのである」と本書は記している。グロールな視点でみれば、法律はザル同様なのだ。美術品の世界で、その抜け道を悪用する輩が絶えないのは、美術品が金を作り出すからなのだろう。場合によっては、マネーロンダリングの手段になっているのかもしれない。

 美術裏面史の闇は深い。
 何はともあれ、行方不明になり世界のどこかで秘蔵されている名画の数々を図版という形ででも本書で見られることが、美術愛好家には魅力があるのではないだろうか。
 「はじめに」の左ページには、1990年にボストンのイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館のオランダ室から盗まれ行方不明となった名画、フェルメールの「合奏」が載っている。


ご一読ありがとうございます。

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 本書に関連する語句を検索してみた。

THE ART LOSS REGISTER (盗難美術品登録協会のHP)
LAPD The Los Angeles Police Department
  美術品窃盗細目の特別サイトが設けられている。
   ここには盗まれた美術品の画像つきリスト(Stolen Art)や
実際の美術品盗難事例紹介(Actual Art Theft Cases)などのサイトがある。
FBIの HP   Art Theft のサイト 
 トップテンの美術犯罪という項目もあります。
INTERPOLのHP   Works of art のサイト
 最近盗まれた美術品 インターポールに報告されたもの
 
不可視光線 ← 可視光線:ウィキペディア

THE ART NEWSPAPER

彫刻の「モナ・リザ」;「サリエラ」(王室の塩入れ)について
Last Updated: Sunday, 22 January 2006, 12:02 GMT
Police find stolen £36m figurine  :BBC News

Cellini Salt Cellar :From Wikipedia, the free encyclopedia

Mona Lisa :From Wikipedia, the free encyclopedia
Historyの Theft and vandalism の項に、モナ・リザを盗み出した Vincenzo Peruggia のことも記されている。
Vincenzo Peruggia :From Wikipedia, the free encyclopedia

以下、検索中に見つけた記事
イタリアでモナ・リザの遺体発見 20.07.2012, 11:55
http://japanese.ruvr.ru/2012_07_20/itaria-mona-riza-no-itai-hakken/


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『QED 伊勢の曙光』 高田崇史 講談社NOVELS

2012-07-24 10:29:22 | レビュー
 本書はQEDシリーズの最終話だった。このシリーズを愛読してきた私には最終話ということを最後の最後に読んで、残念に思う。
 さて、この最終話には、例によって二つの謎がある。一つは伊勢にまつわる歴史的事実に潜む謎。もう一つは、伊勢の八岐村所在の「海風神社」秘宝にからまる殺人事件の謎である。伊勢の歴史的事実及び伝承に、フィクションの殺人事件が絡められ、その謎解きに接点を持たせつつストーリーが展開していく。

 海風神社の神主である日祀栄嗣、30歳は関係者とともに銀座で開かれる予定の「伊勢の秘宝展」に出展するために、神社に伝わる秘宝である真珠「海の雫」を持って上京する。だが、古いビジネスホテルの5階ベランダから落下して、即死。両手の親指が母指基部から小刀で切り落とされていた。なぜ、両親指が・・・。勿論、秘宝は盗まれていた。
 一緒に上京した関係者4人は同じ村の住民だった。御蔭敬二郎48歳、連下勝彦とその妻・麗奈。外城田小夜子(被害者栄嗣の姉)である。栄嗣は村の住民が半ば離散し寒村化が進む中で、村おこしを狙い出展に積極的だった。しかし、敬二郎はじめ、最後まで秘宝の出展に反対意見を持つ者もいた。麗奈のように出展に賛成する者と反対するものが共に関係者として栄嗣に同行してきたのだ。事件を担当するのは、警視庁捜査一課警部・岩築竹松警部と堂本素直巡査部長だ。事件は、関係者のアリバイ捜査から始まる。
 そして、その後再び事件が起こる。外城田小夜子がホテル自室で首を吊っているのを発見される。遺書もあった。だが、今度は彼女の両手の小指が切り落とされていた。事件は思わぬ形で深みに入って行く。

 一方、桑原崇は、友人の小松崎から連絡を受け、先輩にあたる三重県警の刑事から呼び出されて、伊勢に同行するよう頼まれる。桑原は伊勢神宮にそろそろ行こうと思っていたところなので、この申し出に同意する。ホテルの手配の都合までした小松崎が仕事の都合で遅れることになり、部屋のキャンセルが無駄なので、棚旗奈々を誘って先行するように小松崎は崇に持ちかける。ということで、奈々も伊勢に行くことになる。そこで今回も、崇と奈々の対話という形で、伊勢神宮の謎解きが始まっていく。

 この強盗殺人事件に別の関わりが出来てくる。一つは、小松崎に対して、神山禮子が協力依頼を働きかけていく。彼女の同級生がこの事件に巻き込まれているというのだ。連下麗奈である。この麗奈は毒草師御名形史紋の従兄妹でもあった。
 もう一つは、今や尼僧となっている五十嵐弥生の依頼である。こちらは三重県警の刑事から小松崎を経由した形で、崇が伊勢に出向くことになった原因でもあった。弥生は昔、理科の教師で崇の恩師だったのだ。弥生の娘がこの事件に関わり出したので、娘を守るために崇に事件の謎解きを娘よりも先にして欲しいというもの。弥生の娘・彩子にとって大学の2年先輩が連下麗奈だったのだ。彩子は事件に巻き込まれた麗奈のために、一人でこの事件の調査を弥生が留めるのも聞かずに始めそうなので、親として先手を打とうという思いからである。崇なら海風神社と伊勢神宮との関わりを含めた伊勢の謎を解明できると信じているからだという。崇は、殺人事件は警察の持つ科学力で解決できることだと弥生に言う。それに対して弥生はハッキリと断言する。警察はこの世のことの範囲でしかわからない。だから、その謎解きに崇の力がいるのだと。
 
 例によって、伊勢神宮の史実に関わる情報が崇と奈々の対話の中で徐々に整理されていき、謎のベースが固まっていく。そして、そこに海風神社の持つ謎が組み合わされていき、その謎解きが意外な展開となっていく。そこに、この海風神社の秘宝の出展問題を契機とした殺人事件解決の糸口があったのだ。伊勢神宮そのものの謎解きに大きなウエイトがかかっているのは、QEDシリーズ読者なら、お見通しであろう。だが、私にはそこが興味深いところでもある。
 崇が列挙する伊勢神宮の謎は次のとおりだ。
*何故、内宮より後に建てられた外宮から先にお参りするのか。
*何故、祭祀も外宮の方が先-外宮先祭なのか。
*何故、外宮の様式は『男千木』で、鰹木も奇数本なのか。これは男神を祀っていることになるが、祭神は豊受大神-明らかに女神である。
*何故、五十鈴川を渡ってから下りるのか。
*何故、外宮・内宮共に、参道が九十度折れているのか。天皇家の祖神が怨霊だというのか。
*何故、天皇は明治の御代まで公式参拝されなかったのか。
*何故、明治になって突然公式参拝されたのか。
*何故、鳥居に注連縄がないのか。
*何故、狛犬がいないのか。
*何故、賽銭箱がないのか。
*何故、神殿正面に鈴がないのか。
*何故、本殿正面に蕃塀が建てられているのか。
*何故、興玉神をそれほどまでに祀るのか。
   興玉神は、二見浦に祀られている猿田彦のことである。
*何故、倭姫巡幸で、二十四ヵ所も転々としたのか。
   その資金は一体どこから捻出されたのか。
*何故、当時あれほど住みづらかった伊勢の地に落ち着いたのか。
*何故、五百年も経ってから豊受大神が選ばれたのか。
*何故、二十年に一度、遷宮を行うのか。
*何故、伊勢参りにあれほど多くの人々が熱狂したのか。
*何故、伊勢白粉が梅毒に効くといわれるようになったのか。
そして、天照大神に関しての謎。
*天照大神は、本当に女神だったのか。
*天照大神は、蛇だったのか。
*天照大神は、『かはく』『河童』だったのか。
*天照大神は、天の岩戸で殺害されたのか。
*天照大神は、本当に天皇家の祖神だったのか。
*天照大神は、何者なのか。
*天照大神は、卑弥呼だったのか。
*天照大神と、天照国照彦天火明櫛玉ニギハヤヒノ命との関係は。
*天照大神と、持統天皇の関係は。
*天照大神は、本当に伊勢に祀られているのか。
*そもそも『神宮』とは何なのか?
これらがこの話の出発点になる。崇が長らく考えていた一群の謎。

 そして、海風神社の謎が絡んでくる。
五十嵐彩子は、母の弥生が崇と会うために出かけた隙を狙って、単独行動に出る。海風神社を直接訪れ、神社を拝見する。本殿のお参りをさせて貰って、昇殿したとき、正面左手奥にかかる軸を目に留める。
 そこには、「ゆめ忘るなよ、ひとよのさみだれ」と墨書され、その下に描かれた文様が描かれていた。それに目をとめたのだ。これを見た彩子は、その後自分に危険が訪れることを知らない。
 この軸の文言は何を意味するのか。
 その後、崇も海風神社を訪れたとき、この掛け軸の文言と文様に目をとめる。そして、謎解きが進展する。

 また、本書のプロローグである「伊勢」とエピローグである「瑠璃」の文の内容は、海風神社にまつわる殺人事件の謎が、崇により解明されて初めて、その意味が理解できるという構造になっている。それは海風神社のはるか昔と現在を結びつけるリンケージ。


ご一読ありがとうございます。

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 この最終話に関連し、関心を抱いた語句をネット検索してみた。

伊勢神宮のHP
  1年間の主な恒例祭典及び式一覧
  豊受大神宮(外宮) イラストマップ
  皇大神宮(内宮) イラストマップ
伊勢神宮  :ウィキペディア
天照大神  :ウィキペディア
猿田彦命 → サルタヒコ :ウィキペディア
天宇受賣命 → アメノウズメ :ウィキペディア
ニギハヤヒ :ウィキペディア
塞の神 → 岐の神 :ウィキペディア
道祖神 :ウィキペディア
道祖神の画像検索結果
元伊勢 籠神社のHP
斎宮 :ウィキペディア
斎王関係略年表  :斎宮歴史博物館のHP
大神神社のHP
十種神宝  :ウィキペディア
三種の神器 :ウィキペディア

筑紫申真 :ウィキペディア
斎藤英喜 :ウィキペディア


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『無常という力 「方丈記」に学ぶ心の在り方』 玄侑宗久  新潮社

2012-07-21 11:49:46 | レビュー
 震災後、新聞、雑誌以外にどんな本も読めなかった状況の著者が、親しい編集者の勧めで「方丈記」を手に取り、読み耽ったという。鴨長明の「方丈記」を繰り返して読み、感じ、考えた事を著者が新潟で講演したようだ。その講演がもとになって、本書が仕上がったもの
と受け止めた。(以下、長明と記す。)
 本書は三部構成になっている。「無常という力」をテーマとした「方丈記」の読み解き、「方丈記」全文の現代語版(著者の監訳)、鴨長明「方丈記」原文、である。
 そのため、極論すれば、最初の「無常という力」の11章にまとめられた実質64ページが著者の考え、思いをまとめた本と言える。

 著者は「方丈記」を古典自体の解釈として読んではいない。鴨長明の文に、大震災、原発震災以降の東北、日本の現状を重ね合わせて、今を生きるための文として読み込んでいる。長明が語ろうとした「無常」の真意を著者流に汲み取り、現在の我々の置かれた状況・事例で解釈していく。「方丈記」が背景とした世相を現在の状況に通じるものと換骨奪胎して解釈し、現在から未来への心の拠になる素材として読み直していく。古典として残る本は、そういう示唆、思考の糧を含むが故に、古典なのかもしれない。

 のっけから、著者の預かるお寺、三春町にある福聚寺においても、震災後の最初の3ヶ月で「檀家さんの自殺者が6人にも上りました」(p9)という話が出てくる。現在進行形で続く震災後の生活の中で「方丈記」の言葉、底流に流れる「無常」が身に沁みたという。長明の考え、長明のもつ「風流さ」に著者の解釈、考えが深められ、この書になったのだ。長明は無常を美学まで高めたのだという。「日本独特の無常という考え方、感じ方をはじめてきちんと説き、具体的な例に即して全面展開してみせた」(p11)のが「方丈記」だと解釈している。

 「方丈記」の文を紹介し、長明の生き方をその時代背景の中で説明し、聞き手(読み手)の理解そ深めさせたうえで、それを現代風によみかえると、こういう状況のことであり、皆さんにもあてはまりますね、という論法で「方丈記」を現代に持ち込んでいる。その行間の読み方はさすがだ。
 お陰で「方丈記」が身近なものになるとともに、ある意味で古典を自家薬籠中のものにする見方、やり方を学んだような気がした。
 そして、「方丈記」の文を梃子にして、大震災以降の社会状況、政府の在り方などに対する立派な社会批評にもなっている。その事例を理解促進のためにいくつか抽出してみよう。

 原文:にはかに都遷り侍りき。いと思いの外なりし事なり。(福原遷都の話)
 著者:安くまた穢れなしとぞ聞こえはべる福島第一なりしに、にはかに水素爆発を起こし侍りき。いと思いの外なりし事なり。   p20
 
 原文:大臣・公卿みな悉く移ろひ給ひぬ。
 著者:原子力安全・保安院の緊急対応拠点であるオフサイトセンターの人たちが真っ先に原発近くの町から逃げ出した。      p21

 原文:なべてならぬ法ども行はるれど、更にそのしるしなし。
 著者:今の「なべてならぬ法」と言えば、小学校の校庭の表土除去だの、側溝や雨どいの下を高圧ポンプで除染することなどでしょうか。放射性物質の除染は徹底的にやってもらいたいですが、こんな大事なことさえ、満足に進まない。  p26

 原文:ものうしとても、心を動かす事なし。
 著者:これは今のわたしたちにとって、とても重要な処方箋ではないでしょうか。東京のインテリゲンチャは悲観論を唱えてやみません。そこに一面の真実はあるでしょう。しかし、フクシマに住むわれわれは悲観論だけでは生きていけない。楽観と悲観の間で、「ものうしとても、心を動かす事なし」と呟きながら生きていくしかないのです。 p52
 尚、ここの原文は「調子が悪いとしても、悩むこともない」(p97)と監訳されている。
また、「いにしえの賢き御世には、あはれみを以て国を治め給ふ」という原文に対し、現代も「賢き御世」ではないと、痛烈である。「みんなが仮設住宅に入って、仕事もない、死に場所もないという状況なのに、消費税を上げようという相談をしている」と皮肉っている。さらに、「『県外に出た人たちからも消費税を取らないために』という名目で、国民背番号制のような『社会保障・税の共通番号制度』を導入しようという、きわめてキナくさい動きもあるのです」(p24)という動きにも目配りし、指摘している。

 数例だが、実にわかりやすい換骨奪胎ではないか。長明の文がすごく身近なものになる。そこには社会批評の眼差しも加わり、ならばどうするか。長明の考えから何が学べるかへと展開されていく。わかりやすくて、かつ、おもしろい。

 「方丈記」のキーになる言葉について、著者の説明・解釈を要約しておこう。自らの考えをまとめる上での思考の糧にもなる。鍵括弧は引用であり、地文は要約とところどころに書き加えた私の印象である。
*「無常」とは、「正確に言えば、仏教で謂う『諸行無常』のこと」であり、「諸行無常は、すべて移り変わっていく、という認識」のこと。  p9
*「もののあはれ」→「あはれ」とは、「時の流れの中で、ものの姿にしみじみと感じ入る」こと。「日本で生まれ、日本人が深めていった美的感覚」のこと。 p11
*「所を思ひさだめざるがゆゑに、地を占めて作らず」
 長明は土地に対する執着がないのが強味だった。だが「近代以降、土地を売買し、所有することが当たり前になり」、「ここで『ふるさと』の概念が変わった」とみる。「人生も家も所詮『仮の宿り』なのだから、どこに住んだっていい」と著者は考える。つまり、「津波や地震が何十年かに一度は必ずくるような土地でも、それまでそこに住むのは『あり』だ」というのが著者の考えである。無常、仮の宿りが根底にあるからなのだろう。
*「三界はただ心一つなり」
 著者は「方丈記」の最後に近いところに記されたこの言葉を採りあげ、その背景を判りやすく説明してくれる。これは『華厳経』が出典であり、唯識仏教に近づいた考え方で、長明が天台教学、なかでも「小止観」を学んでいたのではと推測している。「長明はその教えのように、一生は修行であると認識し、心を段階的に無執着に近づけていこうとしていたのではないでしょうか」(p54)とみる。「心一つで、世界のあり方が変わるというわけです。心のほかに法はない」(p53)。それは、「ものうしとても、心を動かすことなし」に繋がっていく。
 そして、放射能に「一喜一憂して振り回されてはいけない、という考え方だってある」(p54)とし、「感覚に裏打ちされず、知識だけで安全や危険を確認しないといけない生活は何て不幸かと思う。人間の通常の生き方に反していますよ」と述べ、「自分が感知しえないもののために、うんざりするのは仕方ないが、わざわざ悩みを深める必要はない」と語る。とらわれない心の在り方を強調しているのだと受け止めた。原発震災の発生した原因と責任の問題を著者がどう見て、どう考えているのかについて本書から十分には読み取れない。その点寂しいが、本書テーマとは別次元の問題と考えているのだろうか。
*「不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ」
 「方丈記」末尾のこの一文である。著者は長明が己を無執着に近づけていく、自己批判、自己否定の先で、親鸞の「他力」という教えに近づいたものと解釈する。一方で、長明のこの自己批判、自己否定の在り方に、「『こうじゃないと絶対いけないんだ』という断定的な考え方」が「人間が生きていく上で非常に妨げとなるのです」(p59)という局面を読み取っている。そして、風流という言葉に関連づけていく。

 長明の生き方に著者が重ねた「風流」という語が、「千年ほども歴史のある禅語」(p59)だとは知らなかった。禅語では、「揺らぐ」という意味合いだそうだ。「揺らぐというのは、何かことが起こった時に、毎回新鮮な気持ちでそれに対応しようとする姿勢」(p59)だという。その説明で、どこかの政党を引き合いに出し皮肉っているからおもしろい。
 「原則を絶対視せず、もう一回揺らいでみようじゃないか、というのが風流」なのだという。そして、「『方丈記』の素晴らしさというのは、『絶対こうだ!』と思ったら、もうそれは執着なのだという、鴨長明のこの自覚」にあるのだとする。つまり、「絶対と思ったら、そこでもう無常ではない」(p61)ということなのだ。
 さらに「風流」を「中道」と言いかえてもいいかもしれないと展開していく。仏教でいう「常見」(=物ごとはずっと変わらないという思い込み、執着)、「断見」(=決めつけること)に陥ることなく「中道」を歩むということに帰着させる。
 「環境は環境として、心だけは風流にありたい。中道を行きたい」と著者は記す。「方丈記」からの著者の読み取りと結論である。

 本書は、揺らぐことの提唱だといえる。「死ぬまで揺らぎつづけることこそ、風流な、無常という力なのです」とまとめている。
 11章「手作りの、小さな自治のために」という章は、巨大な市場原理、経済効率、物質的に豊饒な生活を絶対視してきたことに対する「方丈記」視点からの警鐘である。「コンパクトな暮らし、小さな自治」が今こそ必要なのだという。揺らいでみようではないか、とうことだ。電力問題、節電問題も、結局心の在り方につながる。今までの生活を絶対視する枠組みからどれだけ揺らげるか、ということだと私は解釈した。「原発問題・エネルギー問題でも問われているのは、結局は自治のあり方です」という。そうだと思う。
 放射線量のとらえ方の問題には首肯しかねる部分がいささかあるが、「フクシマ以降の世界を生きるということは、そういう小さなコミュニティ、コンパクトな自治を進めていこうということです。ここでまた、市場原理偏重に戻してはいけない」という考え方には賛成である。

 絶対なんてない。今までの生活のあり方に執着しない。自分の生き方を変えていく。
 「われわれもまた、長明のように、修行中なのだと思うようにしましょう。新しい時代に向けて、フロンティアとしてのフクシマで修行中なのです」(p62)と著者はいう。
 「方丈記」から、今を生きる心の在り方を汲み取り、わかりやすく語った本である。
 長明さんが、身近になった。
 

ご一読ありがとうございます。

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 語句をいくつかネット検索してみた。

鴨長明 :ウィキペディア
方丈記 :ウィキペディア
 青空文庫で方丈記原文が読める。ダウンロードもできる。
鴨長明が詠んだ歌
正岡正剛の千夜一夜 鴨長明 『方丈記』

長明の方丈庵跡/日野の里 :「名所旧跡めぐり」(わたしの青秀庵)
方丈記ワールドへ :「ぼちぼちいこか」小宮山繁氏

風流 :ウィキペディア
風流 :コトバンク
華厳経 :ウィキペディア
天台宗の歴史 :天台宗のHP
天台教学に説かれる三観をめぐって  宮部亮侑氏
止観  :ウィキペディア
田所静枝読み下し『天台小止観』(「略明開矇初学坐禅止観要門」)
小止観・1 止観と坐禅  :「web智光院」
  小止観・2 坐禅前の5ヵ条
天台小止観(中国天台宗) :「仏教の瞑想法と修行体系」 morfo氏
中道 :ウィキペディア
中論 :ウィキペディア
中観派 :ウィキペディア

最後の検索をしていて、こんな記事を見つけました。
「方丈記800年」で下鴨神社などが記念事業 :日本経済新聞記事 2012/7/21
スタジオジブリと下鴨神社が協力「方丈記」800年企画展 :「47NEWS日本が見える」



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『手足のないチアリーダー』 佐野有美  主婦と生活社

2012-07-17 10:18:50 | レビュー
 「車イスのチアリーダー」として地元マスコミで話題となったそうである。私は詩歌に関連するあるブログで、この本からの引用文を読んだことが本書を読む動機づけとなった。
 本書は、1990年4月6日に「先天性四肢欠損症」で生まれた著者が、生まれた瞬間、
  「オ、オギャー、オギャー」
  生まれたばかりの私を見て、みんな凍りついてしまった。   p10
という瞬間から書き始められ、豊川高校3年でのチアリーディング部『ティアラーズ』が学園祭でラストステージを終えるまで、
  大きな声援と拍手に包まれて、私のチアリーダーに懸けた青春は幕を閉じた。 p165
を書き綴った本である。2009年11月発行。
 一気に読み通してしまった。
 
 先駆的な本としては乙武洋匡著『五体不満足』(1998年10月発行)がある。当時爆発的な評判が涌き起こったせいで、読みそびれてしまった。今、改めて読んで見たくなり、第4部とエピローグの加わった文庫版『五体不満足 完全版』を入手したところだ。 
 本書を読み、過去読んできた大石順教著『無手の法悦』(春秋社)及び星野富弘さんの『愛、深き淵より―筆をくわえて綴った生命の記録』をはじめとする数々の詩画集から受けた感動とは、少し違う相を含めた感動を得た。大石・星野両氏は、健常な身体で生まれ社会生活を過ごしている途中で、想像を絶する形から身体不自由になられるという転機を経た後の生き方を綴られている。逆境への転換の後に、新たな生き方を見出されたその行動に、健常者であることの意味を意識していない己を振り返り、はっと思うところから、感動が広がっていった印象が強烈にある。
 この書では、生まれた瞬間から身体が欠損している存在としての著者がどう生きてきたか、どんな心理変化があったのかという側面に併せて、著者と関わる人々-家族、医者、学校の先生、生徒、生徒の親等-との関係性という面が全体を通して大きな要因になっていて、その総合として感じる感動という想いがある。

 本書は著者のその年齢、その時の行動を中心に描き、そこに著者あるいは周りの人々の気持ち、考えや関わりが書き加えられるというスタイルである。そのため、読みやすくその場面・状況をイメージしやすい。自分がその場にいたら・・・という形で、引き込まれていく部分が在る。
 
 著者の誕生後、「お母さんが現実を受け止めるには、時間がかかるだろう」(p19)という配慮で、『豊橋ひかり乳児院』に預けられたという。乳児院の先生の対応からまず引き込まれる。一時帰宅はあるものの1年半後の退院になる。母の頭に、「自分を信じて、この子の宿命を母の使命に変えて生きていこう!!」(p31)という思いから、「あみを引き取ろうと思うんだけど・・・」という家族への発言になる。親子の生活に慣れたころから、母がさまざまな情報集めの行動を開始する。3歳のときから、肢体不自由児通園施設『豊橋あゆみ学園』に入園。こんな一文がある。
   「まだ体を見られることなど全然気にならなかった。障害があって手足の不自由
   な子もいたし、みんな違っているのが当たり前だったから。」(p39)
 そして、3歳の誕生日後のある夏の日に、
   「ねえ、お母さん・・・・どうして私には手と足がないの?」
   机の下にもぐったまま、ひとり言のようにつぶやいた。 (p43)

 第2章は、あゆみ学園でのこと、母による特訓、義足の訓練などのワンシーンの後に保育園入園の?末が出てくる。障害児保育のある代田保育園への通園。1年間の交流保育を経て、翌年に通常保育となったという。1年間の保育園通園。ありそうなやり取りがやはり交わされている。印象深い言葉が書き込まれている。
  いろいろイヤな経験はたくさんあったけど、いちばん悲しいのは、
  「あの子かわいそう」っていう言葉。
  私は別に、かわいそうでもなんでもないのに--   p68
この言葉、関わり方について、非常に大切なことを含んでいるように思う。
 地元の小学校への入学はまず母親にとり、大きなチャレンジだったらしい。
  母は覚悟を決めて、教育委員会を訪れた。
  「前例がありません」
  「養護学校をお勧めします。そのために養護学校があるんだから!!」  p70
というやり取りからはじまったのだ。やはりそうか!と感じる。親子で養護学校に見学に行ったことも記されている。紆余曲折があるが、最終的には、校長の決断と職員会議での全員賛成を経て、家から一番近い学校、豊川市立桜町小学校入学となる。両親の熱意が関係者を動かしたのだと私は感じる。
 母と小学校の先生の意見が一致した方針は、「なるべく本人ができることは自分でやらせる」(p80)ことだったようだ。そして、6年間、母親が著者の通学に同行し、「母は一日中待機する」ことになる。
 第2章の末尾に、無事に1年生を終えたとき、母が校長先生から賞状を受け取るというエピソードが出てくる。p88-89に表彰状の文面が出てくる。ぜひ、読んでほしい。

 第3章「光と影」には、小学校と中学校での行動エピソードで綴られる。まわりの子が自然に著者の手伝いをしてくれる行動が生じてきたことや、小学校校長の発案で、他学年から母の代わりのボランティアさんのお手伝いの申し出という協力のことも記されている。主に活発で、積極的な行動のエピソード、すごいなと思うエピソードもある。
 小学校時代の記述の中で印象深い文章をご紹介する。
*目に見えないところで気を配ってくれたりお手伝いしてくれる方たちがいなかったら、私はみんなと一緒に学校へは通えなかったと思う。 p97
*あきらめずにやれば、なんでもできるんだ。   p104
*”元気で積極的な子”と”傲慢で気の強い子”の紙一重のところで、私は学校生活を送っていた。 p104
*私の人生には、選ぶ権利なんてない-  
 みんなと一緒に歩む道なんて、絶対に望めないんだ-   p113
 勿論、中学校も母は通学同行、校内での待機である。中学校ではボランティアのお母さんの代わりに、市から派遣されたヘルパーさんの世話があったと記されている。中学校時代のことはあまり記されていない。著者の心理状態として、影のウェイトが大きかった時期だったようだ。クラブ活動の楽しさに触れられているが、「教室ではおとなしい子たちと一緒のグループで目立たないようにしていた」という。
次の一節が印象深い。p119
  勇気を出さなければ、何も変わらない。
  自分がいちばんよくわかっていた。

  でもプラスになったこともあった。
  友だちの気持ちを気づかうことの大切さ。
  思いやりの気持ちを知ることで、悩みを抱えている友だちや、困っている人の
 気持ちが少しでもわかるようになったこと。

  それが私にとって、唯一の救いだった。

 
 第4章は豊川高校入学から卒業直前までのことが記されている。暗かった中学時代、「悩んで悩んで悩み抜いて」、著者は結論を出す。
  どんなときも笑顔でいること。
  オドオドしないで大きな声で話すこと。    p132
ここから、高校時代がスタートするのだ。チアリーディング部に入部したこととそこでの状況を中心に綴られていく。部顧問の加藤先生が著者の母親にハッキリと言ったという言葉がすばらしい。著者は書く。「加藤先生は、私を特別扱いしない。それが逆に心地よかった」(p139)と。そして、著者はチアリーダーとなる。
 母との亀裂の発生、再び襲う孤独感。親友の誘いで初めて乗る電車という冒険。そんなエピソードにも触れられている。
 
 ミーティングの最後での加藤先生の言
 「あみにはもう手足が生えてこない! いずれはひとりで自立していくんだから、
 このまま何も言えずに遠慮してたらダメ!口があるんだから自分の気持ちはハッ
 キリ伝えなさい。あみにはあみにしかできない役目があるでしょ」
 著者あみは思う。
 それが、それが答えだった。
 それが私の生きる術なんだ。          p158
第4章を読み進めてきて、この言の重みがズシ~ンと響いてくる。

 その他に、印象に残る文を引用しよう。
*親友って、ただベタベタしているだけじゃない。苦しいとき、悲しいとき、相手のことを思いやって支え合う。それが本当の友だちだと思う。 p254
*自分が飛び込んでいって、その精神にふれたとき、それこそがチアリーディングの真髄なのだと知った。  p168
*私は神様から、手足の代わりにチアリーダーの精神を授けられて、この世に誕生した。・・・・神様からの届け物、このチアの精神を、この笑顔を、世界中の人に届けよう。それが、きっと私に課せられた運命なのだから-    p168-169
*もし悩んでいる人がいたら、
 私には手がないけど、心の手を差し伸べたい。
 私には足がないけど、真っ先に駆けつけてそばにいてあげたい。
 障害があるからって、強くならなくてもいい。
 ただ、誰にでもやさしくなりたい。      p169
*でもね、ただひとつ願がかなうなら・・・・・
 好きな人と手をつないでぬくもりを感じてみたい、
 そばに寄り添って、自分の足で歩いてみたい-
 ただ、それだけ。              p170


 本書には各所に著者の写真が載っている。笑顔の写真。すごく、明るい。
 「みんなの足元を明るく照らせるような、太陽みたいな笑顔で-」(p169)
 そんな笑顔がいっぱい。私は中でも、第3章末尾の写真、笑顔が好き!

 第4章末尾の一行は、著者の高校卒業までの人生の総括だ。
 著者にしか、その言葉の重みを、真に実感できないだろう。
 だが、人間存在、生きる、人との関わり・・・ その言葉の意味に一歩でも近づきたい。


 最後に、p125に載っている詩を引用しご紹介しよう。
著者の思い、この本の全てがこの詩に凝縮しているのだから・・・・長くなるけど、許していただけるだろう。

     生まれて

 この世に 生まれて後悔なんてない
 この体に 生まれて後悔なんてない

 手足がない 私でも
 人を 好きになったりするの

 歩けなくても
 走れなくても
 手をつなげなくても
 人はみんな心はあるのだから

 いままで 出会った人に
 どれくらいの 感謝をするだろう

 私は 人に助けられ
 人に支えられ
 人に明るい未来が
 あると 教えられたよ

 この世に 生まれなかったら
 この体で 生まれなかったら
 
 こんなに 感謝することは
 なかったと思う

 ありがとう という言葉は
 私の人生を 生きてる証を
 伝えられる言葉

 つまずいたって泣いたって
 私は 自然と笑顔になる

 これからも ずっと笑っていきたい

 私は特別 なんかじゃない
 ふつうの 女の子です


ご一読ありがとうございます。

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『福島第一原発 -真相と展望』 アーニー・ガンダーセン  集英社新書

2012-07-14 01:29:39 | レビュー
 2012年2月に発行された本書の末尾には、「2011年10月14~16日にかけて行ったフェアウインズ・アソシエイツ(アーニー・ガンダーセン、マギー・ガンダーセン)へのロングインタビュー及び追加取材を元に構成しています」と記されている。ジャーナリストの岡崎怜子氏がインタビューして、訳出し本書を構成されているようだ。
 そのためか、まず読みやすかった。そして、福島原発事故で気になる点にストレートに切り込まれた説明になっている。ガンダーセン氏の説明には、原子力問題評論家ではなく、アメリカ国内の原子力産業で自ら働らき、内側からも見た経験と知識及び事実情報が裏付けとして端々で加えられている。アメリカもやはり原子力ムラが存在するようだ。いずこも同じ。

 本書は序章「メルトスルーという新概念」に続いて、8つの章で構成されている。
 1章 事故の真相とマークⅠ型のリスク
 2章 福島第一原発の各号機の状況
 3章 廃炉と放射性廃棄物処理
 4章 深刻な健康被害
 5章 避難と除染の遅れ
 6章 原発の黒い歴史
 7章 規則と安全対策
 8章 脱原発に向けて

 著者の動画は昨年以来数多くのものをネットのYouTubeでみることができる。だが、散在しているので、時系列的にみていくことが難しい面もある。本書を読み、フェアウインズ・アソシエイツのホームページを知った。ここにアクセスしてみたら、著者の昨年から今年の動画が時系列的に掲載されていた。著者の発言を集中的に見聞するには便利である。全て英語動画であるのがちょっと我々には障害になりかねないが・・・

 まず、アーニー・ガンダーセン自身について本書に記載の事実をまとめておこう。それが彼の発言を理解・判断する背景情報になるはずである。私自身、昨年来いくつもの著者の動画を見てきたが、詳しい背景は知らなかった。以下本書からの抽出である。

 1949年生まれ。レンセラー工科大学及び同大学院修士課程修了。大学は原子力部門を首席で卒業。
 コネチカット州ロングアイランド湾のミルストーン原発で勤務(働き出した最初の4年間)。ここは「次第に細くなる海峡をめがけて進むハリケーンが、ブルドーザーのように水位を押し上げ」る立地であり、「この原発は、一定の高潮を前提に建てられていた」とか。(p31)
 電力会社のノースイーストに転職。(p150)
 更に転職。70もの原発で働く社員を監督。副社長を務める。(p150)
 ニューヨーク州では新たな原発のエンジニア部門を率いる。(p151)
 1990年に、内部告発者としてNRCが正しく規制を行っていないことを指摘。(p156)
 (→放射性物質の管理に関する内部告発)だが、勤め先から解雇される。
 バーモント州に移住。2003年にフェアウインズ・アソシエイツを設立し起業。(p130)
 尚、著者にとっての次の2つの経験は、本書の記述からは時期を特定できない。
 事故の際にエネルギーを吸収するタービン・ミサイル・シールドという原子力安全に関する特許となる研究に携わった(p47)。
 アメリカン・ロコモーティヴ社のALCO原子炉に携わっていた。(p134、機関車に原子炉を載せる開発)

 さて、本書の第1章~第3章から、私が受け止めた著者の発言をまとめてみた。

 まず著者の発言から、日本及び福島原発に関連するアメリカ側での重要な事実を採りあげ、引用してみる。詳細は本書をご覧いただきたい。(昨年来の動画の著者発言と重なることになるのだろうけれど・・・)

*GE社のマークⅠ型BWRというモデルに対しては、設計や運用上の危険性について何十年も前から警鐘が鳴らされていました。 p3  →p34に補足の具体的事実説明あり。
*マークI型の原子炉については、福島第一原発の事故まで実物大の試験が行われてはいません。 p34
*ベント(排気)が改善されたきっかけは1979年のスリーマイル島事故です。 p35
*ロックバウムは・・・1989年のNRC(米原子力規制委員会)報告書を発見し・・・私たちに送ってくれました。NRCはこうした書類を非常にわかりにくい形で公にしています。 p44
*バーモント・ヤンキー原発の配管摩耗、老朽化の事実。タービン建屋のクロスオーバー管の元の厚み6cmが40年後に2.5cmに。(p53、要約で表記)
*1980年代に原子力業界で働いていた頃、私は福島第一原発と非常によく似たBWRの燃料集合体を作っていました。  p75
*スリーマイル島事故では、・・・蓋を開けて核燃料を取り出す技術を開発するのに10年かかりました。1980年代の物価で1600億円が必要だったのです。 p82
*アメリカでは、汚染が比較的軽い原発の廃炉費用が約800億円です。  p85
*高速増殖炉で使用される液体ナトリウムは、空気中で燃える性質があります。水に触れれば爆発します。アメリカは液体ナトリウムの危険性から高速増殖炉を諦めたわけです。・・・コストと危険が高すぎると判断されています。  p88
*アメリカでこれまで稼働したことのある商業用原子炉は125基ですが、使用済み核燃料プールで3年間の冷却期間と30年の中間貯蔵を経た最終処分場は決まっていないのです。 p90


 著者が福島原発事故に対しする発言で重要な点を本書から抽出し、要約してみる。(鍵括弧部分は本書原文である。)本書を読まれる動機づけになれば幸いだ。

*「冷温停止」は原子力の専門用語。「本来の条件は、まず放射性物質の漏洩がないこと。そして軽水炉の場合NRCの定義では大気圧下で200°F(約93℃)未満の原子炉冷却システムを指します。これは減圧されても冷却剤である水が沸騰しない温度です。ただし、『システム』とは漏れのない状態が前提であり、福島第一原発には該当しません。」(p17-18) →小出裕章氏の発言と同じ。日本政府のまやかしがここでも明確になる。
*格納容器に窒素を注入。水素と窒素だけなら問題なし。「ある濃度以上の水素があるところに酸素が入れば、火花が生じただけで爆発する可能性があります。」(p37)パイプにひびがあれば酸素が入る可能性がある。
*福島第一原発の設計は、原子炉とタービン建屋の位置関係が危険である。 p46
*1号機は不安定に安定した状態。溶融した燃料が再臨界することは考えにくいが水素爆発の恐れは残る。 p51
*空気で冷ませる水準まで核燃料の温度が下がるには3~4年かかる。それまで水での冷却しか方法なし。建物の割れ目から汚染水の流出となり、地下水に入ってしまった放射性物質を完全に取り出す方法はない。 p52 →これも小出氏の主張に通じる。原発周囲の地中の防水壁提案。
*「2号機で格納容器の圧力が失われ、放射能の外部への放出量が急激に増加した事実をデータが示しています。私が意見交換している他の技術者も、脚の部分で爆発があったのではないかと考えています。格納容器と圧力抑制室を繋げるパイプで、マークⅠ型の弱点の一つです。」 p56
*2号機は見た目に反し、「格納容器の破損が最も深刻です」(p55)。
*「まだ1日当たり数十億ベクレルの放射性物質が炉心やプールなどから立ち上がっています。」(p60) ←文脈からするとインタビュー時点(2011年10月時点のことか?)
*使用済み核燃料プールの爆発原因は、「穏やかな即発臨界」だったと考える。ペレットが敷地外で発見された事実がその根拠。水素爆発なら下向きの圧力がかかり説明できないことになる。  p64
 →即発臨界については「禁断の議論」P66~68及びp75の「狭まるマージン」という箇所で説明している。
*「取り出して間もない、完全に近い炉心が入った使用済み核燃料プールで起きる火災を消し止める方法など、誰も研究すらしたことがないのです。・・・・大気圏内で行われた歴代の核実験で放出された量を合わせたほどの放射性セシウムが、4号機のプールには眠っています。原子炉は原子爆弾よりはるかにたくさんの放射能を抱えているのです。4号機の使用済み核燃料プールは、今でも日本列島を物理的に分断する力を秘めています。」p73
*4号機の上部クレーンが破壊された状態で使用済み核燃料をキャスクに移す方法は?
*今の状況下で圧力容器や格納容器から核燃料を取り出す技術は存在しない。 p79
*廃炉と放射性廃棄物の処理費用は20兆円と試算。「私の試算さえ過少評価かもしれません」。 p84


 著者は、こういう事実認識の必要性も語る。本書から引用する。

*(3,4号機の周りに霞みが立つことに対して)放射性物質が放出されていることは疑いようもない事実です。しかし異変が起きたわけではなく、ずっと続いていることです。・・・原発から放射性の水蒸気が立ち上るに従って、いきなり空気中の水分が飽和状態になります。・・・・ある閾値を超えてしまうと雲状になるのです。湿度が100パーセントになるまで空気というものは目に見えません。水分を保持できる限界に達すると水滴が霧になるわけです。   p60-61
*3号機では、・・・使用済み核燃料プールで不慮の臨界が起きたと考えるのが最も自然です。・・・私は”穏やかな即発臨界”だったと考えています。爆発の起きた場所や被害の全体像と合致しているからです。  p60-61
*向こう十年にわたって海中で核燃料の破片が見つかると思います。・・・放射能が1000分の1になるまで25万年も付き合わなければならないのです。  p66
*「日本ほど地震活動が活発な地域での長期的な地下貯蔵施設などナンセンスです。」 p89


 第4章で著者は、チェルノブイリの2~5倍の放射性物質が放出されたという予想を述べている。そして、外部被曝と内部被曝を分けて考えることの重要性を説明し、「今回の事故で放出された汚染物質は、ホットパーティクルとして内部被曝の原因となります」と明確に発言している。さらに、今回の事故で放出された汚染物質の具体的説明に移る。
 著者は「スリーマイルでは、事故から3~5年以内の肺がんの発症率が最低でも10~20パーセント増えたというデータがあります」という。
 「地図に反映されている状況は、深刻だとはいえ外部被曝の話です。子供が靴紐を結んだ指を舐めたときの内部被曝はまた別なのです」(p114)という言い方は、内部被曝の問題を端的に象徴していると私は思う。
 さらに、著者は「不適切な焼却などによる放射性物質の二次的な拡散、つまり二次被害は継続している問題なのに、残念ながら人々は防御策を採っていないように見えます」と警鐘を発している。また、食物連鎖に着目する必要性と食品の安全基準とその管理がずさんであることを指摘している。甲状腺への悪影響がまず生体に現れると予測している。
 健康への影響について、著者は「日本の人々がこの問題を自分たちだけのものとして内在化しない」ように訴えることを個人目標の一つにしているという。つまり皆が立ち上がって口を開く必要があるのだと。

 第5章では、初動体制の不備、避難勧告のミス、焼却による二次被害、地下水の処理について、的確に問題点を指摘している。それは、反原発・脱原発派の専門家の指摘と共通するところだ。

 第6章では、アメリカの原発が、軍産複合体制の中で、最初に結論ありきの形で開発が進められ、認可されてきた黒い歴史を抉りだしている。すでに核爆弾を造りウランの濃縮をコントロールしていたアメリカがそれを前提に原発開発を推進してきたのだという。「原発誘致についてはアメリカでもお金が焦点です」と実態を指摘する。

 第7章では、著者自身が大学卒業後、原子力業界で仕事をし、内部告発者として行動した経験を絡ませながら、規制や安全対策の問題点を実例を挙げて指摘している。そして、自ら行った内部告発を機に政治的信条が変わったのだという。
 この章で印象的だった記述を引用しよう。
*NRCは波風を立てたくなかったために故意に監察を誤魔化したのです。 p153
*(恫喝訴訟により)内部告発者を訴えて黙らせても、NRCは指一本上げないと業界は学んでいます。  p153
*内部告発者を保護する制度は整備されており、NRCは裁判外紛争解決手続を奨励します。しかし、実質的には原子力産業界で二度と職を得ることができなくなります。 p154*原子力業界を聖職にたとえる表現があるように、部外者は相手にされないのです。NRCと業界は我々の意見に耳を貸しません。  p157
*委員長のグレゴリー・ヤッコは、NRCの異端児です。原発を閉鎖しようとまでは言いませんが、規制を強化すべきだと主張しています。残りの4人は充分に安全性が確保されていると考えており、規則さえも守らせようとしていません。したがって彼はだいたい多数決で負けます。 p164
*建前上、NRCはホワイトハウスにも省庁にも属さず独立していますが、政治的な影響は拭えません。  p165
*アメリカでも社会で最も弱い立場に置かれた人々が原発の現場で作業をすることが多く、平時でも健康被害の問題があります。  p161

 第8章は、(1)原発の安全コスト、(2)政治的判断、(3)発送電、(4)再生可能エネルギー、(5)エネルギー効率の工夫、(6)日本の資源を生かすヴィジョン、という節だてで主にアメリカの事例と対比しながら、自説と日本に対する提言を述べている。この節見出しから、著者の意見が推測できるかもしれない。自らの推測と本文を読んでの結果を対比していただくのがよいだろう。
 
 著者が確信することを最後に一つ引用しよう。
「あるとき私は確信しました。原子力の安全性を高めるための費用で、代替エネルギー源を研究開発した方がよほど安価だと」(p91)。


ご一読ありがとうございます。

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 本書に出てくる語句で、気になるものを検索してみた。

Arnie Gundersen ← Arnold Gundersen : From Wikipedia, the free encyclopedia
フェアウィンズ・アソシエイツ(Fairewinds Associates Inc.) →本書奥書に記載あり

05/12/2012  Fukushima Daiichi: The Truth and the Future

02/19/2012 Arnie Gundersen at the Japan National Press Club
上記の本の出版に関連して、日本記者クラブで行った記者会見動画。
逐次通訳がついたもの。1時間ほどの通訳付きの話とQ&A

アメリカ合衆国原子力規制委員会 :ウィキペディア
U.S.NRC のHP

”NRC Understanding of the Structural Stability of the
  Fukushima Dai-ichi, Unit 4 Spent Fuel Pool  July 5, 2012”


”NRC INSPECTION MANUAL
FOLLOWUP TO THE FUKUSHIMA DAIICHI NUCLEAR STATION FUEL DAMAGE EVENT”


TMI原発事故
原子力発電所の事故・故障

the Westinghouse AP1000 → AP1000 : From Wikipedia, the free encyclopedia
 ガンダーセン氏は、ウエスティングハウスのAP1000型原子炉に疑義を唱えた。
Vermont Yankee Nuclear Power Plant : From Wikipedia, the free encyclopedia
 彼は、この原子力発電所の操業について、問題指摘をしている。
  放射性同位体トリチウムの漏洩についての発言。
Nuclear Expert Says Yankee Should Shut Down
Wednesday, 02/10/10 5:51pm and Thursday, 02/11/10 6:34am

Tritium  : From Wikipedia, the free encyclopedia
トリチウム → 三重水素 :ウィキペデイア
Fukushima Daiichi nuclear disaster : From Wikipedia, the free encyclopedia

環境放射線データベース (財)日本分析センター

BORAX Experiments : From Wikipedia, the free encyclopedia

Borax [Part 1] - Safety experiment on a boiling water reactor :YouTube
Borax [Part 2] - Safety experiment on a boiling water reactor :YouTube

SL-1 Accident [Part 1] :YouTube
SL-1 Accident [Part 2] :YouTube
SL-1 Accident [Part 3] :YouTube
SL-1 Accident [Part 4] :YouTube
SL-1 Accident [Part 5] :YouTube
SL-1 Accident [Part 6] :YouTube
SL-1 Accident [Part 7] :YouTube

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『官能仏教』 監修 西山 厚  愛川純子、平久りゑ  角川書店

2012-07-11 22:45:19 | レビュー
 本書のタイトル、何とも刺激的である。表紙には英語でのタイトルが付いている。副題と言うべきなのかもしれない。"SENSUALITY in BUDDHISM"である。直訳すれば、「仏教の中の官能性」となる。タイトルの「官能仏教」は監修者西山氏の造語だという。「はじめに」の冒頭で、まず、「官能」の語義として、『新明解国語辞典』から引用し、「感覚器官の働きによって得られる充足感」を挙げている。つまり、これを本書での「官能」の定義とみてよいであろう。
 そして、監修者は言う。「男がいて、女がいる。他人とともに生きて死に行くそれぞれの人生。官能があるからこそ生きられるのだという気がします。官能なき仏教に私は魅力を感じません」
 お釈迦さまが「生きることは苦しみだ」とおっしゃったことが一般的な理解となっているように思う。だが監修者は、お釈迦さまが「人の命は甘美なものだ」とおっしゃっているということに着目し、その意味をインドを旅した際にインドの風土の中で考えたそうだ。本書は、「人の命はなぜ甘美でありえるのか」というテーマを南都官能学会というグループを立ち上げて、論議研究した成果のまとめだという。
 本書を読み、私は「官能仏教」という造語よりも、英文表記のタイトルの方が、本書の内容により近い感じを受けた。「官能仏教」という言葉はどうも独り歩きしてイメージが形成されるような気がする。内容は、ある意味至ってまじめに論議して、在家(つまり、一般社会人)の視点から眺め、自らの体験経験を重ねた上での理解、解釈が積み上げられている。
 経典、論書などを、このように読み込むこともできるのかと、思考の枠組みが広がった気がする。

 本書は、「仏、法、僧」、通常三宝といわれるものを、「仏」「僧」「法」という章立ての順で論じている。総括的に眺めると、仏教の広がりの中でも、密教に重点が置かれていると受け止めた。三人の著者が本書を分担執筆している。二人の女性著者の文体が異なっていて、その文体の違いもかえっておもしろいと感じた。

 「仏」については、仏教に見る「官能」が本書の観点なので、仏教に数ある仏像の中から、歓喜天、吉祥天女、弁才天、降三世明王が採りあげられている。
 << 歓喜天 >> 古代インドの神、ガネーシャに由来するそうで、その別名はビナーヤカ。正式には「大聖歓喜自在天」といい、「聖天さん」で知られている。聖天信仰は日本でかなり広まっている。密教の仏さまであり抱きあう仏の像が一般的だ(単身像もある)。観音さまがビナーヤカを抱いている姿のようである。いくつかの仏典を引用し、欲心、愛についてわかりやすく説明している。そして、「歓喜天法(聖天供)」という密教の修法の説明もある。そのお供え物は、「歓喜団」(菓子)、大根、そして酒だとか。聖天さんを表象するのに大根が使われている意味がよくわかった。京都の亀屋永が「清浄歓喜団」として、この菓子を一般にも販売しているのだとか。(京都で育ったが知らなかった。)
著者は「男性原理も女性原理も超えて、善も悪も内包して、宇宙とひとつになった様を象徴する仏。武器なんてもう、必要ない。合一とはきっと、無敵なのだ」と結論づける。
 << 吉祥天女 >> 海の泡から蓮の華を持って誕生したラクシュミー、ヒンドゥー教の女神が仏教に取り入れられて、吉祥天女と呼ばれる天女になったという。阿修羅はこの天女が好きなのだというのを本書で知った。日蝕・月蝕がこの二人に関係するそうな。奈良時代後半には、「吉祥悔過」の法会が行われ、天下太平・風雨調和・五穀豊穣の祈願がなされていたとか。説話集からこの天女と愛欲にまつわるおもしろい話が紹介されていて、楽しい。末尾に著者は、「夫も子も持つ吉祥天女さまだからこそ、愛され愛することを知り抜いて、人間の愛欲さえも理解し感応してくださるのかもしれません」(p33)と記す。
 << 弁才天女 >> 弁才天は香が好きなのだとか。護国の経典『金光明最勝王経』に記されるという弁才天の話をわかりやすく解説している。三十二種の香薬による沐浴の法の説明から、香が人を酔わせることとの関係に展開されていく。そして、仏教と香とに深い関係がある側面を事例で説明する。末尾の文は、「香りは、悟りへの誘いにもなり、煩悩のもとにもなる。諸刃の剣なのでございましょう。」(p46)である。
 << 降三世明王 >> 降伏と敗北がどうちがうのか。自らの経験を下敷きにして降三世(-三つの世界を降伏させるもの-)明王について、強敵を降伏させた物語を採りあげて、なぜシヴァ神、ウマ妃を踏みつけるのかを説明する。著者は、東寺の講堂に安置されている降三世の足元のシヴァ神から敗北を、ウマ妃から甘美な降伏を読み取っている。一度、東寺に見に行かねば。仏教ではシヴァ神たちを最悪という論理でとりあげるが、ヒンドゥーでは見方がちがこともきっちり論じている。このあたり、バランスよく理解できる。仏教もヒンドゥー教もともに、「時に応じて姿を変化させる」そのことに著者は着目する。そして、「踏まれる者に、踏みつける者に。そして降伏する者に、降伏させる者に・・・それぞれがわたしの化身であって、それぞれがわたくしそのものに他ならないのです」(p60)と結論づけている。
 
 「僧」についての章は、6つの節がある。
 << 明恵と善妙 >> <清僧>に関係して伝わる官能の世界のエピソードが語られる。鎌倉時代の「不犯の清僧」と讃えられた高僧・明恵上人は在家の特に女性読者を対象に『華厳唯心義』を著した。その読者の一人、糸野の御前が明恵の天竺行きを断念させた話。新羅における華厳宗の始祖といわれる義湘が修学を終え、唐から帰国する時に、好きな男・義湘を追って龍になった善妙の話(「義湘絵」)。「道成寺縁起」の話。最後に、明恵が見た善妙の夢の話。「高山寺には・・・小さく愛らしい善妙の像が今も伝わっている」(p73)という。清僧と言えども、愛欲、官能と全く無縁ではなかったようだ。
 << 慧春尼 >> 小田原の最乗寺開基、了菴慧明禅師の妹、慧春のエピソードである。すごい人が居たものだ。「姿色、人に絶す」という類い希な人が、三十を過ぎて出家するのに顔を焼き、また、ある僧から恋心を打ち明けられ、ある日、兄了菴禅師の説法を聞く機会の法堂の場に一糸まとわぬ姿で現れ、「欲を思うままにとげなさい」と言ったという。そして、生涯の最後を火定-自分の身を焼くこと-で終えた高徳の尼僧だとか。「俗世の女という存在を捨てて入った寺では、より女であることを突き付けられただろう。日々、官能と信仰の問題を考えつづけたに違いない。単に己を俗世から切り離し、自分の官能を封じ込めてしまえば解決する問題ではなかったことに、慧春の苦悩があったのではないだろうか」(p84)と著者は思いを馳せる。
 << 光明皇后 >> 光明皇后は施薬院、悲田院を建てたとされる。そして、聖武天皇没後に生前の品々を東大寺の大仏に献納した。この品々が、毎年「正倉院展」で公開されている。この献納品にまつわる話は私にとっておもしろいが、その後に光明皇后のイメージに大きな影響を与えている湯屋まつわる複数の引用話及び僧玄との話が一層興味深い。節見出しに付く「湯屋の白い蒸気のなかで」はちょっと思わせぶりだけど。
<< 尼と摩羅 >> 鎌倉時代の説話集『古今著聞集』から2つの尼僧にまつわる説話が紹介されている。一つは、不犯の尼僧に懸想した僧が尼僧に化けて新参の尼僧としてこの尼の傍で仕え、3年目に想いをぶつける。「寝耳に水どころか、寝陰に摩羅でございます」ということになる。事の途中で、尼僧は持仏堂に駆け込み、鉦をならした後、戻ってくる。そして、最後に「その事なり。是程によき事を、いかがはわればかりにてはあるべき。上分、仏に参らせんとて、鉦うちならしに参らせたりつるぞ」と言ったとか。もう一つの話は、南都で一生不犯の尼僧が臨終に臨み、念仏を唱えるよう勧められ、「まらの来るぞや~ まらの来るぞや~」と申して息絶えたというもの。なかなかおもしろい説話が載っているものだ。『古今著聞集』がなんだか身近なものに思われてくる。和辻哲郎『古寺巡礼』にも、天平時代の尼僧と愛欲について語られるくだりがあると著者は記す。大昔に読んだ本だが、その点は全く記憶にない。読み返してみよう。著者はこう結論づけている。「愛欲と、仏への信心とは、相反するものではございません。ともにあるもの」と。
 << 僧と稚児 >> 男色とはそもそも弘法大師に端を発する、という俗説があるそうだ。女人禁制だった寺院において、稚児との交わりは半ば公然と存在したらしい。先の『古今著聞集』にも説話として載っているという。仁和寺、醍醐寺、比叡山が例が本書に出てくる。「稚児を寵愛することは、観音さまの化身と交わる」(p118)という論理化までなされていたとか。比叡山には稚児潅頂という儀式があり、稚児が潅頂を受けると、晴れて観音の「依り代」となるそうな。こんな理屈が創出されるとは・・・お釈迦さまもご存じないのでは、と思いたくなる。しかし、出家も在家も、愛欲離れ難しということか。だからこそ・・・・『往生要集』を著した源信は、少年との性行為は女犯ではないにせよ、許されるものではないとこの書の中で戒めているという。何処に書いているのか、確かめたくなった。
 << おっぱい >> 「見るからに元気なお母さんが大きな両乳房をあらわにし、おっぱいが迸り出て雨のようにお碗に溜まって」ゆくという古絵馬(生駒市・法楽寺)の話から始まって、おっぱいにまつわる話がいくつか紹介されている。「おっぱいは、母と、子と、そして時々、男のもの。」著者は「慈母が甘き乳を子に与える姿もまた、甘美なものとしてお釈迦さまの眼に映っていたのではないでしょうか」の一文で締めくくる。さて、人工乳を子に与える姿は、お釈迦さまの目にはどう映じるのだろう・・・・ふと、気になった。

 第3章は「法」。だが副題が「愛欲だけは捨てられない」というもの。
 この章、「聖なる白象 仏と象と七つの蓮華」「地獄絵 官能と苦悶の情景」「愛染王法 秘部を射る鏑矢」「理趣経 愛の経典」の4つの節から構成されている。
 << 聖なる白象 >> 普賢菩薩が乗る六牙の白象について、蘊蓄が語られる。この白象、七本の支肢を地に下ろしているとか。「七肢」はどの部位を数えている?もう一つは、象がなぜ仏教では特別な存在で、深いつながりがあるのか?
 << 地獄絵 >> 源信の『往生要集』で、八大地獄が民衆に親炙した。描かれた地獄絵の描き方の中に、著者は苦しみと愛(官能)が深め合う関係を詳細に見つめていく。地獄絵の中に官能性を発見していくのだ。地獄絵のこんな読み解き方もあるものかと感じた次第。最後に著者はこう記す。「心の中に地獄も極楽もある。苦悶も官能すべては心が生み出すもの。己を傷つけるのも救ってくれるのも己の心なのだ」と。
 << 愛染王法 >> この節では、愛染明王を本尊とする密教の修法について解説する。愛染明王は敬愛法を最も得意とするらしい。敬愛とは親しく仲良くすることである。現実には男女の中を緊密にする目的で修法が実施されたという。事例を加えながら考察されている。密教の修法が、己の欲望を成就するために使われていたとは。依頼を受けた僧侶がこの修法を行じたのだろうから、あれっと思いたくなるが・・・「所詮この世は男と女。男は女の、女は男の愛を求め、ありとあらゆる可能性を追求していたのかと思うと、いじらしくて、これでいいのだという気分になってくる」というのが、監修者によるこの節のまとめの言だ。途中に、愛染明王が手に持つ矢が鏑矢であることの説明の中に、寛仁3年(1019)3月に、対馬を襲った刀伊の族(女真族)が鏑矢の音を怖れたというエピソードが記されていて、おもしろかった。
 << 理趣経 >> 日本の密教では、主要経典の一つとして理趣経が位置づけられている。愛欲、煩悩を戒める仏教の中に置いて、この理趣経だけが愛の経典としてまったく違うとらえ方だと分析している。「欲望を積極的に肯定する。煩悩も淫欲も菩提心へつながるものだと言い切る」(p179)経典だという。そして、「十七清浄句」について具体的に説明していく。ストレートでわかりやすい解釈だ。『図解 密教のすべて』(花山勝友監修、光文社文庫)『密教経典』(宮坂宥勝訳注、講談社学術文庫)で該当箇所についての宗教家の立場からの解説と比べれば、一目瞭然である。本書の解説は、『司馬遼太郎の幻想ロマン』で司馬遼太郎が理趣経をどうとらえていたかの説明が一部記されていたが、奇しくもそれに通じる解釈だと私は感じた。著者は、理趣経が繰り返し述べる「平等」という語に解釈を加え、この経典の秘義「五秘密」にも触れている。そして最後に著者の解釈・結論を述べる。「生きることは欲そのものです。欲を否定して否定して切り捨てたら、生を放棄したも同じです。本気で生きなさい。本気で愛しなさい。本気で歓喜しなさい。本気で苦しみなさい。本気で祈りなさい。そして真摯に。-本気で、生きろ」(p191-192)と。

 抹香臭い仏教観ではなく、愛欲とがっぷり四つに取り組んで論じている点がおもしろいし、興味深い。仏教の見方を広げてくれる本である。
 人間、愛欲は捨てられないのだから、本気で、真摯であれ、一方そこから生まれる苦しみにも本気で真摯であれ。ごまかしを入れるなということか。そして、とらわれなければ、この世は美しく、人の命は甘美なものなのだということか。


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歓喜天 :ウィキペディア
歓喜天 歓喜天2 :「仏教の勉強室」
歓喜天の画像
Vinayakaの画像検索結果
金山神社 :ウィキペディア
吉祥天女画像 :「薬師寺」のサイトから
弁才天 :ウィキペディア
降三世明王 :「仏教の勉強室」
慧春尼(1)~(4) :「莫令傷心神」 こまいぬ氏
光明皇后 :ウィキペディア
なにわ人物伝  光明皇后(上)(中)(外) 三善卓司氏 :「大阪日日新聞」
古今著聞集 :ウィキペディア
稚児灌頂 :「ピクシブ百科事典」
稚児という「記号」 :「春霞庵」
愛染明王 :「愛染堂勝鬘院」の仏尊サイトから
地獄絵図  
地獄絵図 (Scene From Hell) Foetus-Lilith-  :Youtube

理趣経 :ウィキペディア
理趣経の内容 :「仏教の勉強室」
【理趣経】の17清浄句 :「四国の道よ空よ海よ」
補助漢字使用、『般若理趣経』全文
立川流(密教) :ウィキペディア

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『大和仏心紀行』 榊 莫山  毎日新聞社

2012-07-08 11:28:36 | レビュー
『大和仏心紀行』 榊 莫山  毎日新聞社

 榊莫山という名前は知っていたが、その作品を意識的に鑑賞する目的で見た記憶は無い。ネット検索して見て、CMなどにも登場され、商業ロゴにもその書が使用されていることを知った。どこかのメディアで見ていても意識していなかったようだ。私には今まで縁の無かった書家である。本書の表紙の絵と書名に惹かれて読んでみた。
 「あとがき」を読むと、毎日新聞日曜版に紀行が連載され、それが一冊にまとめられた書だという。購読していない新聞なので、連載中のものを見ることも無かった。本書は2000年4月に発行されている。2010年10月に逝去されたので、最晩年の詞画エッセイ集になるのだろう。

 奥書には「20代で独自の作風を創造し」と記されている。本書の詞画に書かれた書体がそれを意味するのかどうか、私には定かでない。少なくとも本書の詞画に書かれた文字(書)は、流麗・典雅と感じるにはほど遠い書風である(と私は思う)。だが、楷書体に近いので、比較的書自体が読みやすく、また本書の詞画を読み進めていくと、その独特の書体に風格を感じてくる。そんな書風である。
 一方で、「土」「修羅・羅漢」「壽」「一去一来」「はな」という書が載っている。これらも、やはり独特の書風である。最初の三点は、私には墨で描かれた抽象画にすら見えてくる。
 ある時期、毎年院展を見にでかけたが、書道の部でこういう書風の書を鑑賞した記憶が無い。書道とは無縁の一人にとり、一字一字読み進め、文字全体のまとまりを眺めていると、その詞章の背景から訥々と語りかけてくる声が聞こえそうである。
 
 ネット検索すると、著者の作品がかなり見られる。その中に、「世界文化遺産・東大寺」と彫ったモニュメントが載っている。東大寺には何度も訪れ、このモニュメントも見ていたが、その時にはこの書が著者・榊莫山の書いた字だとは知らなかった。多分、多くの人は誰が書いた字なのか関心すらもたないかもしれない。さらに、その文字自体にはなおさらだろう。
 本書で、著者がこんなことを書いている。(「東大寺散策-ゆるり愉快な気分で」)
 「東大寺の三文字に、力をこめて昔といまを棲まわせている。つまり、『東』は中国の周のころの大篆(付記:だいてん)の書風だし、『寺』はまったく新しいわたしの書風。そして『大』はその中間と思ってもらえばよい」(p126)と。
 今度、奈良国立博物館での展覧会を見にでかける機会に、あらためてこのモニュメントをじっくり見てこようと思う。背景を知ってから、再び見つめると見方も深まってくるのではなかろうか。

 また、本書に「天平ノ首飾リ - おしゃれな仏さん」という随筆文がある。p45にその作品が載っている。ネット検索結果の中にも、いくつか少しずつ異なる同じモチーフの作品が載っている。写真の撮り方で色調が変化していることもあり得るが、見比べてみて、私は本書に掲載されている作品の色調が一番好きになった。機会があれば、原画を見たいものだ。ご本人が「なんどもなんどもかいているうちに」(p46)というプロセスを経ている結果できあがってきた作品の一つだから、本書の絵が、著者快心の作品でもあるのだろう。
 モデルは京都府木津川市にある浄瑠璃寺の吉祥天女だが何度も書いているうちに著者の幻想のものになったという。そして、「わたしのかいたこの女像は、モダンな現代の仏さまと思ってもらってよい」(p46)と記されている。女像に添えられた書は、
 ハコネウツギヲ
 古イ百濟ノ壺ニイケ
 遠イ天平ノ
 首飾リヲ想フ
イヤリング、ブレスレット、アームレット・・・・など、こういう飾りをひっくるめて、東洋では「瓔珞」と呼ぶのだと、随筆の冒頭に記す。一方、随筆の最後に、カメラマンの立木義浩氏との「天平ノ首飾リ」に対する感想対話のエピソードが記されていて面白い。
 この随筆末文は「仏心というか天女というか--そういう気分のあふれる女像は、とても難しい」(p47)。描き続けた著者の感懐が溢れている。

 大和紀行と題されながら、エッセイは、京都、大阪、伊賀、中国にも及んでいて、また、著者の回顧談や心情が溢れていて、なかなかおもしろい。では、大和のどこが採りあげられているのか。列挙してみよう。
 宇陀野、長谷寺、柳生街道(そして、円成寺、芳徳寺)、唐招提寺、大蔵寺、東大寺、法輪寺、九体寺(浄瑠璃寺)、秋篠寺、室生寺、元興寺、法起寺、法隆寺、中宮寺、葛城山、百済野、大和三山(香具山・耳成山・畝傍山)、安部文殊院、吉野山である。書き出しの途中で見過ごしたものがあるかもしれない。
 幾度か訪れたことがある大和の寺々や山々、著者のエッセイと重ねて、その地を想い起こしながら、著者のエッセイから違った視点や新しい発見を楽しめた次第である。
 著者は、大蔵寺を「仏の国・大和で、一番シンプルで美しい寺」と記す。(この寺、まだ訪れたことがない。楽しみができた。)
 大和を訪れる人は、観光ガイドブックとは違う次元で大和をイメージできる案内として、目的地に合わせて拾い読みされるといいのではないだろうか。

 エッセイ文から印象に残ったものを抜き書き、引用しておこう。

*ハングリーの美学を生活にとり入れなくては、日本人はやわらかくてこわれやすい民族になってしまう、と思う。  p159

*元永もわたしも、大正の生まれ。しっかり老人であるが、夢を追っかける心は、少年にも負けるのか、とがんばっている。 p171

*一去一来
 いい言葉です。好きな言葉です。・・・・・一去一来は、哲学的である。自然の輪廻も、人生の流転も、一去一来のくりかえし。一去一来には、なにやら仏教の匂いを感じてたまらない。  p190-191


 また、詞画の中で私が惹かれる絵は、「長谷寺詣リ」の観音菩薩像、「天平の首飾り」「寒山拾得」「秋篠の伎芸天」「良寛」「東大寺散策」「不動明王」「百済観音」である。

 詞画に記された詞章の方では、こんな言葉にも惹かれている。
 *古キ佛ハ花ニ酔ヒ   p20
 *寒山「山ヘイコカ川へイコカ」拾得「空ヘ行コヨ」  p48
 *誰モトオラヌ瀧坂道デ夕陽観音 頬ヲ染メ  p88
 *コノ辺リニ 天平ノ匂イガ 息ヅイテヰル  p124
 *東ニハ光 西ニハ夢ガ  p152
 *山ヘヤブレタ夢ヲ拾イニイッタ。夢ハドコニモ落チテヰナカッタ。林ノムコウニ虹ガデテヰタ。ワタシハソットソノ虹ヲポケットニ入レテ帰ッテキタ。 p168
 *サクラ咲ク吉野ノ山ニサクラ植エタノ誰デスカ  p200


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本書随筆に出てくる語句の検索など、してみた一覧をまとめておきたい。

榊莫山 :ウィキペディア
榊莫山の作品の画像検索結果

篆書体  :ウィキペディア
大篆の画像検索結果

天平天平文化 :ウィキペディア
浄瑠璃寺 :ウィキペディア
百済   :ウィキペディア
百済の歴史 :「2010世界大百済典」
忠慶南道の古代文化室  :「国立公州博物館」のHP
 百済の壺の写真がいくつか載っている。
舒明天皇  :ウィキペディア
天皇と宮  :「飛鳥の扉」サイトから
古代史の謎69:クーデター予兆、百済宮遷都と百済大寺造営 :「風来香」山猿氏
「滅亡百済の王」眠る 渡米人への視線〔3〕  :奈良新聞
安部文殊院のHP
修二会  :ウィキペディア
別火(べっか) :「東大寺」

宣紙とは  :「考古用語辞典」
文房四宝  :「ケロッグ通信社」の「書道あれこれ」ページ 蛙ケロ子氏

元永定正 :ウィキペディア
 著者はこの画家の絵を好んだと随筆に記している。
元永定正の画像検索結果

仙涯和尚 円相図 :「仙涯和尚の絵画」九州大学文系合同図書室
白居易の詩 香爐峯下新卜山居草堂初成偶題東壁 :「詩詞世界」

甘茶 :ウィキペディア
甘茶の花 :「季節の花 300」 山本純士氏



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『秘拳水滸伝』(四部作) 今野 敏  角川春樹事務所

2012-07-06 22:08:51 | レビュー
 この四部作、たまたま同時に入手したので、一気に読んでしまった。武道アクション小説は著者の得意ジャンルだろう。ストーリーが明解で、ある意味ストレートな筋立てなので読みやすい。武道についての著者の造詣の深さが、自らの実践体験を背景として、話の展開の中で書き込まれていく。見方を変えると武道百科のオンパレードという側面があって、武道の広がりについての知識を併せて知ることができる作品になっている。実在する武術に著者のイマジネーションにより創出された武術(たぶん、フィクション)が絡み合って描き込まれていく。このあたり、武術門外漢にあっては、目学問になって興味ふかい。ほう、そんな武術が実際にあったのか・・・・の連続である。ついつい、いまでも実在するのかな、という好奇心が呼び醒まされる。

 さて、この作品、群馬県桐生の町に道場を構える『不動流』にまつわる話である。三代目宗家、54歳の長尾高久が門弟の帰宅後、道場で一人、技の研究をしている。そこに数人が襲撃してくる。そのグループとの格闘が始まり、最後に宗家・高久が拳銃で射殺される。高久を撃った男の射撃スタイルは、FBIのコンバット・シューティングのマニュアルに沿ったもの。射撃に関してはプロフェショナルなのだった。食事のために、道場に父を呼びに行った娘・久遠がその射殺の場面を目撃してしまう。話はここから展開していく。ストーリーの展開は、四部作としてまとめられている。

 1.如来降臨篇 2.明王召喚篇 3.第三明王篇 4.弥勒救済篇

 この四部作のストーリー展開はそれぞれを一応独立した作品としてもまあまあ読めるまとまりになっている。そして、大きく眺めると、起承転結の形で話が展開しているようだと思った。

1.如来降臨篇
 宗家惨殺の事件現場に到着した桐生署の刑事は、望月杉男部長刑事と堀内刑事である。この二人が宗家射殺事件から端を発する一連の事件展開に深く関わっていく。
 高久の娘・久遠は心身喪失の状態に陥り、一旦入院する。極度の自閉症に陥いってしまう。一方、不動流には二人の師範代が居る。加納飛鳥とポール・ジャクソンであり、二人は共に、不動流の内弟子なのだ。未だ免許皆伝は受けていない。二人は事件究明の一方で、不動流という流派の存続にどう対処するかという問題を抱えることになる。そこに、高久の盟友だと言って、奥田白燕なる人物が来訪する。彼は先代宗家直筆の免許皆伝の免状を持っていたのだ。
 白燕は、宗家射殺の背後には巨大な組織と権力の思惑があるのではないかという憶測を語り出す。つまり、奈良県の大峰山中・大臼岳の山裾に本拠を置く「三六教」という新興宗教の教祖・梅崎俊法が絡んでいるのではないか。そして、この梅崎は「日本武道振興会」という組織を形成し、会長になっているのだという。宗家・高久とも面識があったという。宗家・高久は不動流がこの振興会に加わることを拒否してきていたのだ。
 白燕のこの憶測は当たっていたということになる。梅崎俊法は、自らが表に出ること無く不動流をつぶそうとしつづける。
 不動流は、高久なき後、白燕が継承することになるのか? 実は、久遠が免許皆伝の域に達していることが、退院後に判明する。そのあたりのストーリー展開も面白い。そして、久遠には、大日如来が降臨していたという。大日如来が父親・高久の惨殺場面に遭遇した久遠の心身状態を救ったということなのだ。久遠があわやという極度の危機的状況に陥ると、如来が降臨するという体質になってしまったという設定なのだ。高校生の一少女が免許皆伝の域に達していて抜群の強さを持つ。それを如来が背後で支えている。この設定が面白い。久遠が免許皆伝の腕前であること、それを読者にすんなり受け入れさせる舞台装置にもなっている。
 ここで、武道と新興宗教、大日如来と天部の眷属との関わりが出来てくる。武道アクションに新興宗教の組織形成、組織運営が絡んでいく。「日本武道振興会」という武術集団組織が梅崎の意図で操られるということにもなる。
 不動流の面々と望月刑事はそれなりの協力関係を保ちつつ、事件の究明捜査に乗り出す。その結果、梅崎が放つ第二の暗殺者グループに、刑事も巻き込まれていくことになる。
2.明王降臨篇
 5人のプロフェッショナルが不動流道場に潜入してくるところから第2部が始まる。
 梅崎俊法が築きあげた新興宗教、宗徒二十万の教団が、沼田栄完という政財界の首領として怖れられる人物を黒幕とするグループに継承されることになる。その変質の節目として、梅崎俊法が獄中で死ぬ。そして、「三六教」は「三六会」へと変質し、教団が蘇生してしまう。「三六教」と「日本武道振興会」を合体した組織になっていくのである。
 著者は宗教の絡んだ巨大組織がどのように形成され、また操られていくかという局面を鋭く抉り出す。宗教教団という巨大な組織が、信仰心とは別の論理で操られうる危険性を描き込んでいる。「宗徒二十数万もの組織、日本古武道を守り伝えるという口実、じつによくやった。・・・彼の志はこのわしが直々継いでやろう」(p63)、「私もこの眼で、難病患者を何人も救っているのを実際に見ております。また、俊法という男、説教もなかなかうまく、人の心をつかむのが巧みでした」(p63)、「たしかに、このまま自然消滅させてしまうには惜しい。二十数万人の組織など、なかなか作り上げられるものではない」(p58)。あり得る話のような気がしてくる。このあたり、著者の陰のモチーフかもしれない。
 そして、不動流は、この「三六会」との対決へとステージが転換していく。
 5人の暗殺者たちは、この「三六教」から送り込まれたということなのだ。最初の襲撃は、まず彼ら暗殺者集団による小手調べとしての襲撃だった。
 この5人組が三六会で重要なポジションを与えられる形でストーリーは展開する。だが、その彼ら自身が、本格的な不動流抹殺のための襲撃を企てる。
 この第2作では、暗殺自体が新たに受けつがれ、また「三六教」が「三六会」に受けつがれる。一方、不動流では、久遠が不動流を継承し、宗家として動き出すことになる。つまり、第1作を「起」とみれば、第2作は「承」となる。第1作を承けた形でステージが切り替わり、変化していく。
 また、第2作では、八神紫苑というどちらかといえば華奢な感じの青年が稽古をつけていただきたいと言って登場してくる。彼は沖縄の首里手系空手から始め、諸流派を学び、「知新流」を得意とすると名乗る。不動流の面々は、合同稽古の申し入れを受け入れて、立ち会うことになる。久遠自身も八神紫苑と立ち合う。そして、久遠は紫苑のことを「軍荼利明王」だと飛鳥に言う。久遠は不動流の面々に、紫苑から「知新流」の技を学ぶようにと指示する。
 これは、不動流に新たな技が加わるバージョンアップでもあり、迫り来る危機的状況への準備にもなる。第2作で武道アクションがさらにおもしろくなる。著者は巧妙に仕掛けを組み込んでいく。
 この第2作では、5人の暗殺者の内の一人が、傀儡といえども宗徒二十数万の二代目教祖に納まる設定だ。その教祖自身が本格的に不動流を襲撃するリーダーになる。このあたり、武道アクション作品とはいえ、少し単純化しすぎではないかという思いが残る。エンタテインメント作品としては、まあいいか・・・という気もあるが。
 副題の「明王召喚篇」は、紫苑「軍荼利明王」の登場に由来する。

3.第三明王篇
 第3作は、岩田勝也という一流証券会社元社長が沼田栄完から直接電話を受け、「見苦しい・・・。腹を切れ」と言われる。岩田は恐れをなして箱根湯本の高級旅館『緑庭』に逃げ込んでいく。だが僧形の男にその旅館で抹殺されるという話から始まる。スリリングな始まりである。
 世直しの名目のもとに「三六会」は活動を展開している。そこには黒幕・沼田栄完の意思が働いている。その教団内で、不動流を一旦襲撃した教祖と四天王は、不動流壊滅を期し、自らの技の鍛練向上に一層注力していく。
 一方、不動流では、流派の演武会の準備が進められていく。この演武会は、宗家・高久の不慮の死を経た後、久遠が宗家として表舞台にでる機会でもあるのだ。
 だが、それは、「三六会」側にとっては、久遠抹殺を公然と仕掛けられる機会にもなり得るのである。襲撃を予測したうえでも演武会を開催するのか・・・。久遠はゴーサインを出す。当然ながら、三六会側は、仕掛けの準備を始め、演武会当日には、刺客を送り込んでいくことになる。
 第3作は、不動流の演武会に、「三六会」から刺客が送り込まれるストーリー展開となる。これまでの暗殺という闇の世界でのストーリー展開が、第3作では、演武会という表舞台での公然とした他流試合申し出という形に「転」ずるということになる。
 刺客がどのように準備され、どのように仕掛けていくか。教祖と四天王の5人組自体が最後の手段として、自ら襲撃に赴くときのために、どのように準備しはじめるか、ここらあたりの「転」がストーリーの雰囲気を変え、暗殺ワンパターンを脱することになる。
 そして、「三六会」で選ばれた刺客の内の一人が、演武会での合同稽古の後、不動流に留まることになる。この佐竹という男を久遠は「降三世」と呼ぶ。所謂、第三明王であり、副題の由来である。
 さて、この佐竹が、不動流に新たな技を加える。不動流のバージョンアップの役割を果たすことになる。
 第3作は、暗殺から表舞台での試合という「転」だけではない。もう一つの「転」が仕込まれている。それは、受け身だった不動流が大峰山中の大臼岳の山裾にある「三六会」本拠に自ら出向いていくという「転」である。それが、最後の7章「拳霊降臨」なのだ。
4.弥勒救済篇
 この第4作、世直しという名目で日本制覇を意図する沼田永完が自ら指示を出し、動き始めるという展開になる。暴力団の出である本条は『国民教育会議』というもっともらしい名称の団体を率いている。その本条が世直しの一環として、「第二警察」案を沼田に提案する。沼田はそのアイデアに心を動かしていく。もとの『日本武道振興会』の人脈と右翼団体などの層を統合していこうというのだ。ただし、そのアイデアを承諾する前提として、沼田は、不動流の抹殺を条件に出す。本条は同意する。
 不動流の道場では、久遠が新たな客の到来を飛鳥に予告する。「縁あって『不動流』にやってくる人」なのだという。「道場破りに来た」と言って、20代半ばの細面の頼りなげな男が訪れる。縁あって中国武術をいくつか学んだという。鎬金剛と名乗る人物だ。
 合同稽古の後、久遠がいう。彼は金剛夜叉だと。彼もまた、不動流の技のバージョンアップの役割を担うのだ。
 不動流抹殺を指示された暗殺団との最後の対決がここに始まる。このストーリー展開が第4作を「結」と位置づけることになる。武道アクションの「結」でもある。
 だが、究極の場面は、沼田永完本人と不動流との対決である。それでこそ、「結」として、完結する。
 なぜ、副題が「弥勒救済篇」なのか? これは「結」の説明につながるので、本書をお読み願いたい。

 武道家に仏教の天部の神々を守護霊として重ねていくことで、不動流に様々な得意技を会得した武道家を自然に集結させていく。それは大日如来の召喚であるという設定が実に楽しい。武術に明暗二面を設定し新興宗教教団、暴力団を絡ませていくというのもおもしろい設定である。

 ワクワクと楽しく読みながら、実在する武道諸派の知識も自然と広がって行く。事実ある武術技に著者のフィクション技がうまく融和していく。どこまでが、実際にあり得て、どのあたりが不可能か・・・それは真の武術家でないと判断・仕分けはできないだろう。素人が読む分には、虚実皮膜がうまく語られているように思う。
 本書もまた、コンピュータグラフィクスを駆使したアニメーション映画で見てみたい作品である。

ご一読ありがとうございます。

付記
本書を読みつつ、検索した項目の一覧を作成した。一緒にアップロードしようとしたが、今回はなぜかうまく行かなかった。しかたなく、割愛して投稿しておきたい。


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『震災句集』  長谷川 櫂  中央公論新社

2012-07-03 18:37:44 | レビュー
 俳人であり、朝日俳壇選者でもある著者が1年余にわたって震災に向き合いその心象や思考を結晶させた句集である。
 だが、俳人である著者が3.11から10日あまりの間には、「短歌が次々にできた」(p152)と記している。なぜ俳人が短歌なのか? これについては、末尾に載せられた文章を読むと、なるほどなと理解できる。
 私には、末尾に掲げられた文章で、筆者が俳句と短歌の違いを完結にまとめられている。このまとめ部分が大変参考になった。まずはこの一文を読まれることをお薦めする。
 本書のタイトルが目にとまりこの一文を読んで初めて、著者が『震災歌集』を上梓されていることを知った。

 著者は、短歌の31音がものごとをきちんと描写することができる日本語の最小単位であり、「人の心の動きを言葉にして表現することができる。ことに嘆きや怒りといった激しい情動を言葉で表すのに向いている」という。感情表現することについて、短歌と比較し、「俳句は『かたこと』なのである。そこで言葉の代わりに『間』に語らせようとする。・・・・ただそうした『間』がいきいきと働くには空間的、時間的な距離(余裕)がなければならないだろう」と述べている。俳句は季語を使うという特性があるので、「俳句で大震災をよむということは大震災を悠然たる時間の流れのなかで眺めることにほかならない。それはときに非情なものとなるだろう」と続ける。
 ここに、『震災歌集』が先に発刊され、1年を経て本書が発刊された理由があるようだ。歌集の方もいずれ読み、書者の心模様の変遷を味わってみたいと思う。

 本書は九つの章に編成されている。一は2011年の震災前、九は2012年に年が変わり、である。
二から八が、季節の流れに沿っているようである。
各章に採られた句数を記しておこう。
 一(16)、二(9)、三(7)、四(14)、五(14)、六(18)、七(7)、八(19)、
 九(21)
つまり、本書には1年余の時間の流れの中での125句が掲載されている。

 朝日俳壇選者の俳人の句を、門外漢の一読者がどうこう言えるものではない。著名な画家の作品展、回顧展などに行くと、一鑑賞者として展示全作品を素晴らしいと感じることはない。感動する、惹きつけられる作品がある一方で、その時の自分にとってはあまり感興をともなわない作品も多くある。そういう意味で、本書を読んだ印象として、私自身がいま惹きつけられる句を引用させていただき、一鑑賞者として想起した想いを付記して、ご紹介したい。あなたなら、どの句をどのように味わわれるでしょうか。

 テレビのニュースや報道写真、YouTubeの動画などで、福島第一原発爆発後の映像を幾度となくこの1年余、見つづけてきた。

 焼け焦げの原発ならぶ彼岸かな
 原子炉の赤く爛れて行く春ぞ
 原発の煙たなびく五月来る

 早くから原発震災の未来予測がなされてた。当時はその事実を知らずにいた。原子力安全神話に毒されていた、無関心だった自分自身。原子力発電の末路が結晶したこの3つの句に、客観的に見つめよ、そして判断せよという声を強く感じる。惹かれる句である。

 空豆や東京電力罪深し

 事業経営を優先させ、「想定外」という言葉を巧み使う。正確な事実の発表は常に数歩遅れの後出しの積み重ねではないか。大本営発表的手法、すべて後手、後出しジャンケン、そんな印象が強い。「東京電力」は「原子力ムラ」の象徴ですらあるように受け止めている。「罪深し」。幼き子供達の肉体に刻印された放射線量の影響をどうしてくれるのか。昨年の爆発事故発生後のあの夏場、東京電力の発表姿勢を思い出す。


 燎原の野火かとみれば気仙沼
 春泥やここに町ありき家ありき
 一望の瓦礫を照らす春の月

 2011.3.11のあの大津波の映像、繰り返し様々な動画を見た。動画の映像は自分の意識の中でも流れていく。だが、1枚のモノクロ写真、あるいはカラー写真、そこにある瞬間がとらえられている。1枚の写真からの強烈な印象は、その一瞬が凝固しそこに想いが重なり記憶に深くとどまる。著者の目に映じた風景が切り取られ句に結実した。その句が我が心にぐさりと突き刺さる。猛火、廃墟、静寂・・・善意・悪意という意思なき自然の営みが人間に与えた結末、自然との関わり方を考えさせられる。人間にとっての「震災」、だが、自然にとっては自然の営為。そこに人間への特定の意思はないだろう。諸行無常。


 幾万の雛わだつみを漂へる
 迎え火や海の底ゆく死者の列  句にダンテ『神曲』からの引用文が前文として付く
 雲の峰みちのくに立つ幾柱

 海に流され、行方の不明な方々。陸地にあっても放射能の影響で立ち入れず捜索すらできない地域の存在。存在の確認できない人々への鎮魂句。合掌あるのみ。



 水漬く屍草生す屍春山河   (付記:水漬く みづく、屍 かばね、生す むす)
 みちのくの山河慟哭初桜
 この春の花は嘆きのいろならん

 「柳は緑、花は紅」なのに、その自然の営為の中で、人は己の心を投影する。句に表出された人の嘆き、慟哭に、なぜか惹きつけられていく。その慟哭に共鳴していく我が居る。



 風鈴や呻くがごとく鳴りはじむ
 幾万の声なき声や雲の峰
 初盆や帰る家なき魂幾万     (付記: 魂 たま)

 原子力ムラの人々、東京電力の経営者たちは、この句を読んでどう思うのだろうか。
 「私には責任がありません」という答えか・・・・
 まず、大津波と地震と原発爆発を個別化し、限定的分析から始めるのだろう。
 いや、この句を読むことがないだろうから、そんなことすら考えないのだろう。
 


 滅びゆく国にはあらず初蕨
 願はくは日本の国を更衣
 桐一葉さてこの国をどうするか

 3.11を境に、そして原発爆発事故を境に、世界は変わってしまった。
 日本をどうするのか。そのためにも、原発をどうするのか。
 大飯原発再稼働の動きが蠢動している。なぜそんな暴挙を推進しようとするのか。
 一人一人への責任が問われている。めざせ、脱原発。


 日本の三月にあり原発忌

 この句には様々な意味合いが多面的重層的に重ねられているように感じる。「原発忌」 まさに惹かれる語句である。


 著者は、作句について、空間的、時間的な距離の必要性を語っている。

 2011年新年  正月の来る道のある渚かな
 2012年新年  龍の目の動くがごとく去年今年

 古年は吹雪となって歩み去る   (2011年の年初頃か)
 原発の蓋あきしまま去年今年   (2012年の年初頃か)

 大震災をはさむ1年という時の流れ、いつもの如く去りゆき、いつもの如く始まることのない変化点。これらの句の比較を通じて、著者の心の変化を推し量り味わっている。いや、それは自分の心を写す鏡なのだ。お前にとって、この1年の変化点はどういうものなのだ? そんな問いかけを受けている気がする。己を重ねて、2時点比較に惹かれる。



 さて、今の時点で私の惹かれる句を引用した。
 この句集を手にとって読んだあと、あなたはどの句に惹かれるのだろうか。

 付記 大飯原発に再び動き出した。その強引なやり方には憤りを感じる。
    東京電力の罪の上に、さらに関西電力の罪が重なっていくことに畏怖を感じる。    懲りない人々が再び蠢き出し、既成事実を積み上げるのか・・・・ 脱原発!!!


ご一読ありがとうございます。

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 この『震災句集』を鑑賞する膨大な情報がある。それらの情報を一過性のものにせず、空間的時間的な軸で継続して様々な情報を把握し、比較分析的に見つづけることが重要ではないだろうか。そんな想いで句を鑑賞する上でも背景情報のソースを検索してみた。
 このリストはこの1年間続けてきた事実を知る為の情報ソースの一部でもある。

放射能汚染地図(六訂版)  :「早川由起夫の火山ブログ」
フクシマとチェルノブイリの比較 :「早川由起夫の火山ブログ」
放射線モニタリング情報 :文部科学省
  放射線量測定マップ (リアルタイムデータ)
  環境放射能水準調査結果 
  放射線量等分布マップ(土壌濃度マップ等)
  積算線量推定マップ等
食品や水への影響 :首相官邸  東電福島原発放射能関連情報
水産物の放射性物質調査の結果について (定期更新) :水産庁

福島県
  放射能測定マップ
  地震災害情報
宮城県
  放射能情報サイトみやぎ 
  震災被害情報
山形県内の放射線に関するお知らせ  :山形県
いわて防災情報ポータル   :岩手県

原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書について :経済産業省
福島原子力事故調査報告書の公表について 2012.6.20 :東京電力
福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書 :「日本再建イニシアティブ」

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について :緊急災害対策本部
東日本大震災における被害額の推計について 2011.6.24 :内閣府

東京電力 
 記者会見配付資料のサイト
 東京電力福島第一原子力発電所1~4号機の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ

復興に向けたロードマップ(平成24年4月版)について :厚生労働省

内部被曝について知って欲しいこと :制作  Team Coco
放射能を正しく理解するために
  放射能について正しく学ぼう
放射能を正しく理解するために :文部科学省
隠された放射能汚染を暴く  2011年05月30日(月) 週刊現代 :「現代ビジネス」
安全基準を超えた「内部被曝」(要精密検査)すでに4766人、異常値を示した人1193人

飯舘村放射能汚染調査(2012年3月)の報告(暫定):原子力安全研究グループ
2012.1.14 「福島原発事故とチェルノブイリ原発事故による放射能放出と汚染に関する比較検討」2011年11月 今中哲二氏

海外で報道の震災/原発震災画像
Japan: One year later  : CNN News
Photos capture Japan's 'eerie silence' April 11, 2011
Photographing a nuclear evacuation zone/ Inside the Fukushima evacuation zone
April 14, 2011
Japan reeling after massive quake
左サイドの「Gallery: Massive quake hits Japan」をクリックして写真一覧で閲覧
 94枚の写真が載っています。


[補遺] チェルノブイリの悲劇を忘れてはならない、繰り返してはならない。

2011/3/18京大原子炉ゼミ4「チェルノブイリ事故と日本の汚染」今中哲二1/2
2011/3/18京大原子炉ゼミ5「チェルノブイリ事故と日本の汚染」今中哲二2/2

フランスのIRSNのサイトから見つけました。
チェルノブイリ後の仏独共同研究の成果の一つのようです。
Final conclusions on the Franco-German initiative (IFA) for Chernobyl launched in 1996
Study on radioecological consequences
 (PDF file, 6.7 Mo)
UNSCEAR 2008報告書(附属書D)「チェルノブイリ原発事故による放射線健康影響」

チェルノブイリに学ぶ:放射能の遮断は可能か  2011年4月 1日
ワイアードビジョン メールサービス から
「チェルノブイリの今 - 死の森か、エデンの園か」4回シリーズがありました。
  2011/6/6 その1
  2011/6/12 その2
  2011/6/15 その3
  2011/6/17 その4 

チェルノブイリの真相~ある科学者の告白~   BBC : Dailymotion
チェルノブイリ原発 隠されていた事実1  :YouTube
cernobil チェルノブイリ  :YouTube

フランスのISRNが、2011年4月28日に、2005年に作成したチェルノブイリ原発事故による放射能雲(セシウム137)の拡散シミュレーションモデルを動画で載せています。(中程です。)
The Chernobyl Plume : Modelling atmospheric dispersion of caesium-137 across Europe following the Chernobyl accident


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『司馬遼太郎の幻想ロマン』 磯貝勝太郎  集英社新書

2012-07-01 01:39:44 | レビュー

 司馬遼太郎の長編歴史小説は何冊も読んできている。しかし、本書がとりあげた観点で言えば、かなり以前に『韃靼疾風録』と『大盗禅師』を文庫本で読んだだけだった。この新書のタイトルに惹かれて読み始めたのだが、本書の著者を知らなかった。本書奥書を読み、著者が2001年に『司馬遼太郎の風音』で第14回尾崎秀樹記念大衆文学研究賞を受賞されていると知り、ほうと思った次第である。

 さて、本書は司馬遼太郎の幻想小説の系譜について、司馬遼太郎の胸に潜む幻想ロマンがどこから来ていて、そしてそれが司馬の中で如何に熟成され、各種作品に結実していったかを論じている。私は司馬のこの分野には深く入り込んでいないので、本書が今後読み進めるための良きガイドブックとなる。早速、興味を抱き始めた。

 本書を読み興味深くて面白い点は、著者が、司馬文学は原点が幻想世界にあり、司馬の生地と幼少の生育環境に深く関係していると論じている点だ。第1章で、その点を司馬文学の原風景として克明に書き込んでいる。司馬の生誕地が大阪市ではなく、現在の奈良県葛城市竹内だということを本書で知った。生家河村家は竹内街道沿いにあり、ここ竹内村の環境で幼少期に生育したことが、後に幻想小説を生み出す母胎となったと論じている。竹内街道は、飛鳥時代の推古天皇21年(613)に設置されたわが国最古の国道ともいうべき大道のルートと大部分が重なっていて、大和朝廷の外港であった難波の津(港)と結ばれていた。そして、海のその先にシルクロード、西域があり、それらつながっていくという想像が司馬の心に幻想ロマンを醸成していったのだという。司馬の生地あたりは、かつては蘇我氏一族の本拠地だった土地であり、司馬自身、「私の母方の祖母の実家というのは蘇我氏の直系と称してきた百姓です」と語っていると記す。
 もう一つ、第1章でおもしろいと思ったのは、海音寺潮五郎が司馬の「ペルシャの幻術師」でその才筆を認め、司馬ファンになったこと、この海音寺の推すところから「ペルシャの幻術師」が第8回講談倶楽部賞受賞作に、そして、「梟の城」が第42回直木賞に結実したということ。この選考過程の裏話が語られている点だ。著者は「海音寺のつよい支援がなければ、落ちるところであった。司馬は海音寺のおかげで世に出たのだといえよう」(p38)と記している。
 
 第2章では、司馬が大阪に移り、小学校5年ころから父や姉の地図でアジアの部分に興味を抱き、渤海や韃靼などの文字に興味を持ち始めたことが、後に司馬の「辺境史観」を生み出す起点になったとする。その興味が、国立大阪外国語学校の蒙古語部入学、学徒出陣で戦車第十九連隊への入営、東満州の辺境に駐在する戦車第一連隊への赴任、辺境の地での実体験に連なっていったのだ。この経緯から司馬の幻想ロマンが深まっていくことになる。
 「モンゴルの小説を書きたかったけど」(p65)という想いが司馬にありながら、まず「韃靼疾風録」を書いたのはなぜかという背景が書かれていて面白い。
 「ペルシャの幻術師」(1956)→「モンゴル紀行」(1973~1974)→「韃靼疾風録」(1984/1~1987/9)→「草原の記」(1991~1992)という司馬のロマンの大きな流れがこの章で語られている。こういう流れを理解した上で作品を読むと読み方に奥行きが加わるような気がする。

 第3章と第4章で、著者は司馬の幻想小説の多くがその基盤を密教に置いている点を論じている。第3章は雑密(雑部密教)と役行者が司馬に与えた影響とその作品群について記し、第4章は純密(純粋密教)を軸に雑密を合わせて論じていく。この二章で言及された司馬の作品名を列挙してみよう。
 第3章:「神々は好色である」「睡蓮 花妖譚六」「梟の城」「外法仏」「牛黄加持」「空海の風景」の第5章。特に「空海の風景」第5章が主要題材になっている。
 第4章:「牛黄加持」、「外法仏」、「伊賀者」。これら3作品を掘り下げている。「牛黄加持」からの引用及び解説を読むと、まさに怪奇艶妙な幻想的イメージが伝わってくる。こういう類のジャンルを司馬が書いているとは思ってもいなかった。「外法仏」もおもしろそうだ。
 司馬の作品を論じるために、著者は密教についてかなり研究されているようだ。密教について門外漢の私にはそういう加持祈祷が密教にあるのかという認識レベルでしかないので、著者の論点をまずは素直に読むばかりだ。司馬の幻想小説をその気になって読んでみようと動機づけられたのがこのガイドブックを読んだ収穫である。
 著者の密教のとらえ方を理解し判断するためにも、密教そのものに関心が湧いてきた。著者が密教の怪奇さの側面を強調しすぎていないかという疑念が心に留まっている。密教の思想って何だろう・・・・。

 第5章は、山伏、忍者、幻術師との関連で描き出された幻想小説が対象になっている。採りあげられている作品名を列挙してみよう。
 忍者関連:「梟の城」「下請忍者」「飛び加藤」。本書では、まず山伏について説明し、修験道が忍術の源流と説く。
 幻術師関連:「妖怪」「大盗禅師」「果心居士の幻術」「ペルシャの幻術師」「黒色の牡丹 花妖譚三」「匂い沼 花妖譚五」
 この章の最後で、「戈壁の匈奴」に触れている。著者はこの小説を「情感あふれた、みずみずしい幻想小説である」と評価する。いずれ原作を読んでみよう。その評価が妥当かどうかを感じ取るためにも。

 最終の第6章で、著者は散楽雑伎(戯)の関連から司馬の作品を眺めている。そして、「兜率天の巡礼」の内容を詳しく語り、さらにこの作品を理解し楽しむためには、英国人のエリザベス・アンナ・ゴルドンを詳しく知る必要を説く。彼女は日本を拠点に東洋の宗教研究に専念し、「古代(原始)キリスト教と仏教は同根である」「”秦氏=景教徒”説」を持論とした人だという。彼女の名前がこの作品に出てくるようだ。
 そして、著者はふたたび「ペルシャの幻術師」その他の作品に戻っていく。マジックの語源についての説明が出てきた。語源がそんなところにあったのか。なるほど・・・。

 最後に、あらためて「はじめに」に戻ると、著者編纂による『ペルシャの幻術師』(文春文庫)の8作品を本書に網羅し、これを基軸にしながら他の長編幻想小説及び短編と総合して論じていたことが理解できた。つまり編纂本を読むための導入でもあったのだ。
 そして、本書は、司馬の内に醸成された幻想ロマンが司馬の創作意欲の中で如何にウエイトを占めているかを顕かにする、つまり司馬文学の重要な要素として位置づけ直すための評論なのだ。


ご一読ありがとうございます。

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本書に出てくる語句について、本書の理解を深めるためにネット検索してみた。以下はその一覧である。関心の広がりによる項目も含めている。

司馬遼太郎記念館 HP
司馬遼太郎記念館の画像検索結果

竹内街道 :ウィキペディア
竹内街道歴史資料館 :「邪馬台国大研究」
難波の津 :ウィキペディア
葛城一言主神社 :「玄松子の記憶」
葛城坐一言主神社 :「御所市観光HP」
推古天皇 :ウィキペディア
蘇我氏  :ウィキペディア
崇神天皇 :ウィキペディア
崇神王朝 → 王朝交替説 :ウィキペディア
崇峻天皇 :ウィキペディア
文武天皇 :ウィキペディア
後醍醐天皇 :ウィキペディア
歴代天皇一覧 :「歴史日報」
  一覧から個別データにリンクされています。
渤海  :ウィキペディア
高句麗と渤海の歴史 :「サロン吉田山」
韃靼 → タタール :ウィキペディア
鬼走り :「柿の木坂の家」
東大寺修二会 :「東大寺」のHP
ツングース系 → ツングース系民族 :ウィキペディア
モンゴル民族 → モンゴル :ウィキペディア
草原の魂 モンゴル民族 
日本・モンゴル民族博物館 HP
シルクロード  :ウィキペディア
アーリア人 :ウィキペディア
インド・アーリア人 :ウィキペディア
ドラヴィダ人 :ウィキペディア
ドラヴィダ語族 :ウィキペディア

密教 :「古寺散策 らくがき庵」M.KATADA氏
雑部密教 → 雑密 :「御祈祷.com」井口賢匠(Shivanada)氏 
孔雀の咒 → 3039孔雀明王咒.mpg2012 :YouTube
孔雀明王経 → 孔雀経 :コトバンク
加持祈祷  :ウィキペディア
理趣経 :ウィキペディア
般若理趣経 :YopuTube
純粋密教 → 顕教と密教 
インド密教 → 密教とは何か インド密教の思想と実践
チベット密教 → チベット仏教 :ウィキペディア
チベット密教の画像検索結果
チベット仏教普及協会 HP
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 HP
  チベット仏教の歴史、 チベット仏教の4大宗派
無上瑜伽タントラ :ウィキペディア
チベット密教僧による「チャム」 牛と鹿の舞 :YouTube
チベット砂マンダラin国宝の寺 尾道・浄土寺  :YouTube
中国密教 → 中国密教と空海の入唐  やすいゆたか氏
真言密教 → 真言密教のホームページ
真言宗  :ウィキペディア
真言   :ウィキペディア
真言立川流 → 立川流(密教):ウィキペディア
文観  :ウィキペディア
密教法具 :「博物館ディクショナリー」国立京都博物館
役行者 → 役 小角(えん の おづの /おづぬ /おつの):ウィキペディア
神変大菩薩 役小角 :「高尾山総合インフォメーション」
修験道  :ウィキペディア
阿闍梨  :ウィキペディア
景教 → ネストリウス派 :ウィキペディア
景教碑の謎 :「高野山の魅力」
  続 景教碑の謎
兜率天  :ウィキペディア
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孔雀明王 :ウィキペディア
孔雀明王の画像検索結果
大威徳明王 :「古寺散策 らくがき庵」M.KATADA氏
准胝観音 :ウィキペディア
准胝観音の画像検索結果
日本霊異記 → 日本現報善悪霊異記 :ウィキペディア
続日本紀 :ウィキペディア
続日本紀(朝日新聞社本) 入力:荒山慶一 氏
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即身成仏義  本文全文 
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原文を見る-『増鏡』- :「後深草院二条」
嬉遊笑覧
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嬉遊笑覧  :「記録・随筆・紀行」坪田敦緒氏
受法用心集 → いわゆる「立川流」資料集
信西古楽図 :ウィキペディア
信西古楽図 :東京芸術大学美術館
絵本甲越軍記 :近代デジタルライブラリー
絵本烈戦功記 :早稲田大学図書館 古典総合データベース

蔵王堂(大峰山) :Neoの写真館「古社寺と歌枕の旅」
室生寺 HP
槇尾山 施福寺(槇尾寺) :「古墳のある町並みから」森本行洋氏
金剛峯寺 HP
佐渡 蓮華峰寺 :「天空仙人わーるど」I.HATADA 氏
一乗止観院(比叡山) → 根本中堂 :「かげまるくん行状集記」
醍醐理性院 :「てんこもりの風景写真で旅気分」「あ」氏

瀧川政次郎 :ウィキペディア
路子工  :ウィキペディア
作庭家-路子工(みちのこのたくみ) :「役立つ?お庭ブログ-北山造園」
テムジン → チンギス・カン :ウィキペディア 
ネストリウス(コンスタンチノープルの総主教) :ウィキペディア
Nestorius :From Wikipedia, the free encyclopedia
Nestorius and Nestorianism :THE CATHOLIC ENCYCLOPEDIA
エリザベス・アンナ・ゴルドン → 石羊とゴルドン文庫 :早稲田大学図書館
ゴルドン夫人と日英文庫  森睦彦氏 
オープンアクセスの項目をクリックすると、論文の閲覧とダウンロードが可能。
 p36の三項に「ゴルドン夫人略伝」がまとめられています。
The Lotus gospel  by E. A. Gordon  :「Open Library」
Asian Christology and the Mahayana By E. A. Gordon :「Open Library」
高楠順次郎 :ウィキペディア
佐伯好郎  :ウィキペディア

用間術(間諜術)→ 孫子の用間
 『魏武帝註孫子』原文 用間第十三
散楽雑伎 → 散楽 :ウィキペディア
  散楽図浮彫(五代、10世紀) 、遼代壁画「散楽図」
  唐散楽に関する一考察 王氏 :[現代社会文化研究」
  正倉院の雑伎団  :「玲児の蔵書」
  猿楽 :ウィキペディア
伎楽 :ウィキペディア

集団催眠術 → 催眠 :ウィキペディア
  催眠療法 、変性意識状態 :ウィキペディア


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