遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『信長死すべし』  山本兼一  角川書店

2012-11-30 22:47:48 | レビュー
 天正10年4月22日、御所清涼殿の真ん中にしつらえられた帳台で、正親町帝が信長を目障りな男として、もはや忍従できないと意を決するところから始まる。「信長死すべし」というのは、正親町帝の意思を表現した言葉として使われている。この決意が、この物語のトリガーとなり、6月2日未明における本能寺の変、そして6月13日夜、小来栖の竹林での明智光秀の死を持って終わる。
 結論を言えば、光秀による本能寺襲撃を正親町帝黒幕説として明確に構想し描き出した「本能寺の変」解釈だ。ああ、こういう解釈もありえるか・・・・。なかなかおもしろい展開となっている。
 作者の巧みな関連描写が一箇所出てくる。信長の招待を受け、安土城を訪れた徳川家康が、信長との対面のために、明智光秀に先導されお城に登っていく場面だ。本丸清涼殿を外の白州から見ながら、家康が脳裏に正親町帝が「信長死すべし」と一番念じているのではないかと、思いをめぐらせている情景を描きこむ。家康に「信長死すべし」を思いめぐらせることで、このタイトルの広がりが内包されていく。「信長死すべし」という思いは、様々な部将の深奥に広がっていたのではないか。それだけ信長という人物が際立ってくるようにも思う。

 6月2日の未明に起こった本能寺の変という史実。資料が残されることなく、歴史書に記されることのなかった影の部分にどこまで想像力を働かし解釈を加えていくかによって、歴史的事実が微妙に色づけられていく。この作品でまた一つ本能寺の変にまつわる史実解釈論の広がりを楽しめた。ストレートな解釈の中に捻りを加えた構成での展開になっていておもしろかった。

 本書の読みどころは三つあるように思う。その第一は、正親町帝自らが信長を抹殺したいと念じたのはなぜか。そして信長を亡き者とするための策を立てるように明確に意思表示した結果がどのように展開されていくかという視点である。
 正親町帝は信長の粛清を近衛前久に節刀を託すことによって指示する。吉田兼和は帝の意を受けて、信長粛清の実行者として誰を選べば神意に適うかという亀卜を行うことで帝の意思に関わっていく。主として近衛前久と吉田兼和が帝の意を体して動くことになる。
 帝の伝奏として信長と関わり、信長の権力、その思考と実行力に接し、信長に畏怖を感じる近衛前久はまず信長粛清の実行不可能性に恐懼する。しかし、帝の命を絶対なものとし、それを如何に実行するかを己の使命とせざるを得ない。そのことに苦悩し、腐心する姿が興味深く描かれている。そうしなければいずれ公家である自らも存続できなくなるという危機感が潜む。そして何よりも、たとえ道半ばで露見しようと、帝の意向が如何にして証拠として残らないようにするか。それに考えをめぐらし、実行していくプロセスが読ませどころであろう。近衛前久の狷介さ、したたかさが描き出される。
 吉田兼和が亀卜の結果として信長粛清の実行者に明智光秀を選んでいく。その吉田兼和のこの謀に対してとる、ある意味で奸智にたけた関わり方がおもしろい。実行段階では影の操縦者となるようにその役割を意識的にとっていく。そこに吉田兼和のしぶとさが描きだされている。食えない人物である。
 伝奏の役目を担う人物として勧修寺晴豊が登場する。この謀においては、まさに権力者の意向次第で言を左右する典型的公家として関わっているのもおもしろい。
 近衛前久と吉田兼和が、光秀へのつなぎの窓口として、連歌師として光秀と親交のある里村紹巴を関わらせて行く。それは近衛前久の自己保身のためでもある。このあたりに、公家の巧妙さ、外交感覚が遺憾なく描き出されている。
 
 第二は、信長の視点である。信長の思考枠がどういうものだったか。天下布武をどういう風に進めようとし、その中で帝の存在を如何にとらえていたか。信長の帝、朝廷に対する意識と対応こそが正親町帝を脅かす接点となった部分である。「このわしが、なぜ帝と朝廷ごときを、畏れ多いと敬わねばならぬのか」(p63)、「わしが、なぜ朝廷ごときの下風に立たねばならん」(p335)と信長にその思いを吐かせている。本書の文脈でとらえると、帝の影響力を軽視したところに信長破綻の一因が潜んでいたといえそうだ。
 また、明智光秀の存在をやはり、結果的に軽視していたことになるのではないか。自分の意を裏切ることのない命令に従順な人物と思い込んでいたのだろうか。作者はその点、深くは突っ込んでいないが。

 第三は、明智光秀の視点である。信長が光秀を譴責した場面をいくつか伏線として描いている。しかし、光秀が信長の命を受け、安土城下で徳川家康の饗応役を担い、この役目の中で失態を演じ、信長から手酷く罵倒譴責される場面を作者は一切描いていない。いくつかの小説では本能寺の変への伏線として、その直前の段階における信長の光秀に対する打擲などの痛烈な行動及び光秀の抱く遺恨が描かれているが、作者にその見方はないようだ。この点も、興味深い。つまり、帝の意を受けたという一点が前面に押し出されている。「天下のことは、帝に従わねばならない」(p318) 朝廷の存在を大前提に据える思考枠の光秀、有職故実に詳しい光秀が、信長の思考枠、政治観、その行動の有り様から乖離していくところに、作者は重要な要因を見ている。
 また、当時の光秀の領国及び信長の命令による各地の戦況に対する諸部将の配置など、地政学的な観点からとらえたタイミングと信長の行動パターンを考慮に入れている点も本能寺襲撃の納得度を感じさせる。

 本書では帝を守るという立場を貫く近衛前久の自己保身を踏まえた策略展開が成功する。有職故実に詳しい光秀が、本当に綸旨の形式と手続きについて、深い疑問を抱かなかったのだろうか。本能寺襲撃の挙に出るという結論に達する光秀にとって、後ろ盾として近衛前久、里村紹巴の二者を通じて、帝の働きかけがあったという行為そのものが、自らの行動のトリガーにまずなることでよしとする心境だったのだろうか。光秀のぎりぎりのところにおける甘さを感じてしまう。このファイナルステージは実に興味深いところだ。

 本書では、「ときは今天が下しる五月哉」という句が、まさにキーフレーズとして活用されている。そこに本書の読ませ所があると言える。なるほど、こんなマジック的な解釈論も持ち込めるのか・・・・と。この点、本書を楽しんでいただきたい。
 本書の「信長死すべし」という構想は、このフレーズの活かし方の発想から始まったのかもしれない。そんな思いが残った。
 
 最後に、少し脇道にそれるが、2006年に読んだ加藤廣の『信長の棺』に触れておこう。『信長公記』の著者・太田牛一の視点から、本能寺の抜け穴、トンネルの存在を前提に、本能寺の変についての推理を描いた歴史ミステリーだ。この中で、「ときはいま あめがしたしる さつきかな」の解釈を、太田牛一にさせている(p92-94)。このキーフレーズをどう読むか。
 また、当然のことながら近衛前久が登場する。「明人との茶席で突然閃いた、稲妻の中の部将の白日夢」の続きを牛一が見るという設定で前久の語る言葉として、この著者は描く(p115-121)。近衛前久という人物像が違って見えてくる。光秀へのアプローチのしかたの違いがある。それは当然ながら著者それぞれの創作力と構想の差異がもたらすものであるが。
 山本兼和の解釈論と加藤廣の解釈論を対比させて考えてみるのも面白い。
 事実の隙間、語られざる資料なき空隙を、それぞれの作者の想像力が羽ばたいて生み出す物語の異なる展開。歴史小説を楽しむ醍醐味がそこにある。
 

ご一読ありがとうございます。

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理解を深めるために、語句のいくつかを理解をネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。

織田信長  :ウィキペディア
明智光秀  :ウィキペディア
正親町天皇 :ウィキペディア
近衛前久  :ウィキペディア
吉田兼和 →吉田兼見 :ウィキペディア
勧修寺晴豊 :ウィキペディア
里村紹巴  :ウィキペディア
愛宕百韻 里村紹巴の句 :「本能寺 研究室」
連歌 :「日本文化いろは事典」

愛宕神社  :ウィキペディア
【明智光秀と愛宕山】 :「総本宮 京都 愛宕神社」のHP

帳台   :ウィキペディア
武家伝奏 :ウィキペディア
綸旨   :ウィキペディア
節刀   :ウィキペディア

本能寺の変 :ウィキペディア
三職推任問題:ウィキペディア
織田信長の最後-本能寺の変- :「城と古戦場」

老の坂峠 :「峠の風景」
唐櫃越 :「山、花、自然の魅力」竹前朗氏

本能寺 :ウィキペディア
本能寺 「是非に及ばず」業火に潰えた信長の野望:「いくさの風景 近畿地方の城」
本能寺の変遷 リーフレット京都 No.211:京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館
「本能寺の変」を調査する リーフレット京都 No.231

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『福島 原発震災のまち』 豊田直巳  岩波ブックレットNo.816

2012-11-26 14:50:42 | レビュー
 マスメディアは移り気である。その時の話題性を追いかけて、重要な事柄であっても継続的で着実な報道は次第に影を潜め、散発的な記事になっていく。
 福島の原発震災も、どうも同じパターンに堕しつつある。しかし、一時の話題で終わらせてはならないものだ。原発爆発の惨劇後、そこから始まった未来永劫続いて行くに等しい影響が見えない形で継続していること、影響を与え続けていることを意識しなければならないのではないか。原発事故の事実はまだ完全に究明されたわけではない。いくつかの報告書が発表されたからといって、原因が究明しつくされた訳ではない。推測が重ねられ、究明できたと言うにはほど遠いのではないか。原発震災に対する意識を風化させてはならないと思う。

 本書は、2011年8月に発行されている。その時点までの状況をフリーランス・ジャーナリストの目と耳で捕らえ、現地・現場主義でまとめられたフォト・ルポルタージュである。2003年のイラク戦争の際、イラク取材にガイガーカウンターを持参し、劣化ウラン弾の住民への影響を調べるために現地に赴いたという。また、チェルノブイリ原発事故25年目の現地、酷寒のウクライナとベラルーシに出かけ2011年3月11日の前週まで取材していたのだという。その著者が、この日本の東北に「見えない戦場」が広がっていると感じたのだ。

 本書は、著者が2011年3月12日午前11時に、自家用車で自宅から福島に向かった以降の現地見聞をジャーナリストの視点で記録したものだ。原発震災の初期段階5ヵ月弱の期間の報道記録である。
 2011年3月11日から2012年11月中旬まで、早くも1年8ヵ月もの時が過ぎ去ってしまった。しかし、何も実質的に解決していないのが現状ではないのか。原発震災に対する意識を風化させないためにも、改めてその発生の原点の状況を、今振り返ってみることが大事ではないか。原点に戻って考えること、それを繰り返すことで、現時点での原因究明・復興の進展状況をチェックすることが、意識的にできるのではないだろうか。本書はそういう意味で、意識喚起の糧になる書である。78ページという薄いブックレットである。わずかの時間で振り返ることができる情報源だ。原発震災発生直後の現地の生の声、それに反応した著者の思いを、客観的に今見つめ直し、現状対比のスケールの一つにする意義があると思う。

 78ページの中に、当時の写真が42葉掲載されている。
新聞、TVなどのマスメディアには現れることのなかった(と思う局面)の写真がいくつもある。マスメディアの報道のあり方を振り返る材料にもなるのではないか。我々がマスメディアの情報で受けとめていたことと、本書の写真から改めて受けとめるものとの距離感といえようか・・・・・。知らされていない事実、知ろうとしなかった事実の存在。

こんなキャプションの写真が掲載されている。
*手付かずの津波被災地に晴れ着姿の写真が残されていた。 4月1日浪江町 p20-21
*双葉厚生病院前で毎時150マイクロシーベルトを計測。 3月22日 双葉町  p22
  → 本文に3/13には毎時1000マイクトシーベルトを越えていたと計測事実を記す。
*津波に運ばれた瓦礫の中から遺体の足がのぞいていた。 4月1日 浪江町 p24
  → 「震災から三週間、この場所では行方不明者の捜索も、遺体回収もなされていなかったのだ。・・・実際には、浪江町で福島県警による行方不明者の捜索が始まったのは、それから二週間後のことだった。」(p43-44)
*スーパーアリーナに避難した人々が夕食の炊き出しに並ぶ。3月19日 さいたま市 p29
*避難した酪農家の牛舎には、死んだ牛や死にかけた牛が。 4月18日 南相馬市 p31
*乳牛を屠畜に出す日も、高橋日出代さんは牛の世話を続けていた。5月18日 飯舘村p57
*自殺した菅沢茂樹さん(仮名)が、堆肥舎の壁に遺した言葉。 6月13日 相馬市 p63
  → 壁に書き残された言葉の一つはチョークの線で囲まれている。
     「仕事をする気力をなくしました」
    一番上の行には、「原発さえなければと思います」ということばが。
  → 桜井勝延市長が、著者のインタビューに答えた言葉が記録されている。
  「・・・東電の第一原発副所長と用地部長が初めて(南相馬市に)来たのは3月22日です。それまでは電話一本、紙一枚の連絡もなかった。今まで、東電さんとのお付き合いは、お金のやりとりを含めて、ゼロです。ここは原発の立地町ではありませんから。(東電から)頂いたのは被害だけで、それ以外のものは頂いていません。彼らにはそう申し上げました。・・・・」

本書の構成について記しておこう。
 はじめに  -見えない戦場-
 第1章 終わりの見えない恐怖へ
 第2章 漂流する避難民
 第3章 放射能に襲われた「までい」村
 第4章 津波と原発震災
 第5章 「原発で 手足ちぎられ 酪農家」
 おわりに -命を守るために-
 地図

 最後に、現地取材を重ねた著者の視点を引用しておきたい。

*その日の暮らしに困っているだけでなく先行きの不安に悩む、原発事故の被災民を前にしてもなお、自らの加害の自覚があるのかすらも疑われる姿勢。そこに「国策」と称して原発を推し進めることに伴う人間性の希薄化を見るのは私一人ではあるまい。やはり事故は起こるべくして起こったのではないか。  p15

*原発から30キロメートル離れた上空を飛ぶヘリコプターから撮影を続けるNHKの映像以外、メディア各社が独自に取材した映像や写真はほとんどなかったからだ。事故の当事者である東京電力や政府、そしてそれを支援する米軍などの提供する映像や写真を掲載し、放映することに新聞もテレビも忸怩たる思いはしていたはずだが、現実に取材がなされていなかった。収束の気配もない原発事故を取材するリスクや、自社の安全基準とジャーナリズムの責任との間で各社とも葛藤を続けていたのだろう。しかし、これまで何度となく「事故隠し」や事故の過少評価を続けた東電からの情報を垂れ流し続けていいはずはない。  p45-46

*原発事故、放射能汚染によって家や故郷を、そして家族を、さらに自分の健康までをも奪われた人々のこころの傷は金銭だけであがなえるものではない。  p73

*原発行政は「安全神話」に守られて進められてきた。そのことを知れば、安全が崩れた時、・・・・原発に関してそうした災害への対処策が事前に計画されていなかったことも、あながち不思議なことではない。推進して来た側の立場からすれば、原発は「絶対安全」であり、「絶対に事故は起こらない」のだ。そのため、事故対策は論理矛盾となってしまうからである。   p74

*すでに「安全」が崩壊したにもかかわらず、国も東京電力も「安全神話」にしがみついている結果、今起きている現実に目をつぶり、無数の人々を放射能にさらしてしまったのだ。   p74

*原発事故を起こしてしまった国や東京電力は、こうした子どもたちの健康診断や診察、そして将来必要となった場合には適切な治療を続ける義務があるはずだ。たとえ「安全神話」という嘘に「騙された」にしろ、こうした国策を許してしまった私たちは、国や東京電力に、それを実行させなければならない。その責任から私たちは逃れられないということを、改めて考えざるをえない。  p76

*たとえ事故がなかったとしても、他人の犠牲の上に成り立つ「豊かな暮らし」を、私たちは本当に豊かと呼べるはずはないのだから。  p77



ご一読ありがとうございます。

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日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)

放射能汚染地図(七訂版) :「早川由起夫の火山ブログ」

3月28日と29日にかけて飯舘村周辺において実施した放射線サーベイ活動の暫定報告

飯舘村周辺放射能汚染調査暫定報告の発表と対策について :「Greener World」

2011/4/13 原発震災から子どもたちを守れ! ~専門家・市民による独立放射能汚染調査報告と要請~
  :USTREAM
→ 文字化情報   :「一歩・いっぽ」
 飯舘村周辺放射能汚染調査チームの報告-院内セミナー(2) 今中哲二さん

6月4日 飯舘村放射能汚染調査報告会 
    :「愛する飯舘村を還せプロジェクト 負げねど飯舘!!」

CRMS市民レポート 市民放射能測定所



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今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

来世は野の花に 鍬と宇宙船2』 秋山豊寛
『原発危機の経済学』 齊藤 誠 
『「想定外」の罠 大震災と原発』 柳田邦男
『私が愛した東京電力』 蓮池 透『電力危機』  山田興一・田中加奈子
『全国原発危険地帯マップ』 武田邦彦
『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章
『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ

2011年8月~2012年7月 読書記録索引 -1  原発事故関連書籍


『あたまの地図帳 YOUR WAY OF THINKING』 下東史明 朝日出版社

2012-11-20 10:34:52 | レビュー
 本書の副題は「地図上の発想トレーニング19題」である。
 その題の通り、著者が地図・地理と向き合って、じ~っとにらめっこして、そこから地図が語りかけてきたもの、つまり発想の切り口に気づき、そこから様々な話題を引き出し、手繰り寄せて、各章を展開していった本だ。発想トレ-ニングと銘うつだけあって、なかなかユニークな、ある意味でへんな本である。どの章から読んでもOKの本。それぞれの章がまあ独立したひとまとまりになっているから。
 つまり、地図からある発想の切り口を発見し、それを雑多な情報、知識で展開したもの。雑学の書とも言える。地図からこれだけの発想の観点を引き出せたのが興味深い。
 その雑学の幅も半端じゃないと感じる。発想の観点から様々な情報や知識を探して結合し、あるいは人脈からの情報を集積していった成果物のようにも思える。ちょっとした話のネタをこの本からひろってみると、話題の幅が広がるのではないだろうか。そんな本である。
 体系的でも理論的でもないから、いたって気楽に楽しみながら読める本。地図からこれだけ展開できるなんて、やはりコピーライターを本職とする人ならではという気もする。

 それでは、どんな発想トレーニングの観点が引き出されたのか? 
列挙してみよう。それぞれが一章になっている。
 1 凝視 2 立場 3 方角 4 争点 5 宗教 6 ルーツ 7 ストーリー
 8 2位 9 スケール 10 距離 11 経路 12 目印 13 交差点 14 探索
 15 整列 16 類似 17 差異 18 志向 19 限定

 これは、著者が地図・地理を見つづけることから導き出した思考実験である。著者は「まえがき」にこう記している。
”地図・地理たちから得られた「思考法」を、地図・地理以外に当てはめて、様々な思考実験を仕掛け、それを飽きずに繰り返すと、「思考法」「新しいものの見方」が斬新な武器とでも言いますか、活発に活動し始めたのです。それがめきめき身についていく。教訓ともまた違った、まさに武器・道具と呼びたくなるような印象です。”

 著者の思考実験の進め方がおもしろい。地図・地理をじっと見つめて語りかけてきた観点・切り口をどんどんしりとりゲームのように、他の分野や局面に転換していき、観点の適用対象をシフトしていく点である。地図・地理はある種の起爆剤、トリガーに使われている。
 地図・地理をじっと見る。著者の最初の気づきは「凝視」という観点で見えてきたものの思考実験だ。たとえば、この最初に章はこんな感じで思考実験が展開される。
 大阪城近くの市内部分地図をじっと見る → 「橋」の付く地名が多い! → 何となく見ているのと「凝視」の違いを発見 → 2つの地震動予測地図を凝視し対比する →秀吉の肖像画、ドガの絵「エトワール」の凝視実験 → 「凝視」の落とし穴(「アラ」や「欠点」探しに陥りがち) → ポジティブな部分の意識化 → 「凝視」の先にあるものを考える → 対象の「正体」をつかむことができるか
 こんな展開になっている。この展開自体も読者としては楽しめるし、思考展開のフレキシブルさを学ぶことにもなる。柔軟にひょいひょいと対象を切り換えながら、「凝視」という切り口を追究していくという姿勢。こういうスタンスが他の観点にも一貫している。話がどんな話題、話材に転がって行くか、わからないという楽しさがある。頭を軟らかくするのに丁度よいと言えるかもしれない。

 市内部分地図を見る。カナダを中心に世界地図を見る。USAの州地図にナポレオンが1803年に売却したフランス領ルイジアナを重ねてみる。南北反転の地図を眺める。メルカトル図法と正距方位図法で見たら見えるもの。世界の争点地域地図:位置関係、スケール、争点要素・要因などを考える。宗教分布地図を見る。地名の類似性に潜むルーツのつながりを発見。・・・・
 こんな感じで、扱う地図もどんどん切り替わっていく。それが発想の観点の発見にもなっている。
 
 私が特に面白いと思った地図が2つある。一つは、p145にある地図。”図B 沖縄の「距離」”だ。東京から広島の地図の下に、沖縄本島から石垣島の地図を並べている。こんな「距離」感で地図をみたことがない。実に示唆に富む。
 もう一つは、おもしろい思考実験地図。p216-217に、”図C:各国の人口順と国土面積順を同じにした世界地図”。国の人口の順番を国土面積の順番に「整列」させて、世界地図に各国を当てはめなおしてみた試み。こんなことを考える人はまずいないだろう。思考実験と著者がいう由縁の一つと言えそうだ。

 さらにもう一つ、白紙の世界地図に、共産主義国だけ切り出し「限定」してみるという発想から、「1つに絞って考える、楽しむ」つまり「限定」という発想が19項目の観点として掲げられている。これを「日本一『限定』の日本」に展開した情報が興味深かった。p258~p261に述べられている。けっこう、意外なものが多くあった。
 つまり、過去に学びあるいは知った情報のリセット、リニューアルの必要性を感じた次第。これ自体、話のネタになる雑学でもある。実に楽しい。たとえば、次の質問に該当する都道府県名はどこでしょう。人口あたりの美容院数が日本一はどこ? 寺数が一番多いのはどこ? 日本一短い国道はどこにある? 自然の山で日本一低い山はどこにある? 50万人以上の都市で水道水源を100%地下水でまかなっている都市はどこにある?
 「限定」という観点からこんな展開まで推し進めた発想と展開ができるなんて、じつにおもしろい。

 この本から発想の仕方、思考実験の面白さを感じた。これも読書の楽しみといえよう。

ご一読ありがとうございます。

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 本書で採りあげている関連項目をネット検索でいくつか見つけた。その一覧をリストにしておこう。

時空を越えて~歴代肖像画一千年 :「肖像ドットコム」
 参考図:豊臣秀吉像(高台寺蔵) これと同じ絵がp11に載っています。
 著者はこの絵を「凝視」して語っています。
ドガ 光と影のエトワール :「日曜美術館」
地球の夜景のタイムラプス動画 :YouTube
天才バガボンド :「内田樹の研究室」

南北逆さまの世界地図 :「Solla そら」に掲載の地図
メルカトル図法 :ウィキペディア
正距離方位図法 :ウィキペディア
世界の紛争マップ :グーグル地図
宗教の世界地図 :「日本地図・世界地図」
古代の植民都市 :ウィキペディア

ロシアの国章  :ウィキペディア
エルサレム   :ウィキペディア
聖地エルサレム 長谷川大氏 :「AllAbout 世界遺産」
日本の排他的経済水域 :ウィキペディア
世界の排他的経済水域面積ランキング
世界のミニ国家 :ウィキペディア
 世界のミニ国家の地図
言語の世界地図 :「海外移住の地図帳」
東京都の路線図 :東京都交通局
国の面積順リスト :ウィキペディア
国の人口順リスト :ウィキペディア
世界の国旗一覧 
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『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社

2012-11-14 12:09:10 | レビュー
 著者は近代建築、都市計画史を専攻する建築史家である。自宅に炉を切ることと赤瀬川原平氏からの依頼により「設計者としては、誰にも分からない隠し部屋のため知恵を絞るのは徒労だから、茶室として設計した」(P8)という消極的なスタートから茶室設計との関わりを持ったという。その著者が、京都・徳正寺の坪庭に煎茶道の茶室を設計するときから変化が訪れ、茶室という極小空間の設計に取り組んでいくことになったと記す。そして、第7章「茶室談義・磯崎新に聞く」では、「茶道は嗜まないが、茶は好きっていう人たちの茶室ばっかりだから。」と自らの設計した茶室について述べている。本書に掲載された著者設計の茶室の写真は、細川護煕氏依頼の一夜亭、徳正寺の矩庵はじめ、ユニークなものばかりだ。伝統的な茶室空間感とは一見で隔たりがわかる。実におもしろい。

 その著者が、第1章「茶室に目覚めたわけ」では、著者流の茶室設計に関わって行く経緯を語っている。そして、今までの茶室の定式を離れても「茶室という壷中天」を創造する可能性はあると確信し、茶室という極小空間での自由の大きさ追究を始めたという。

 第2章「日本の茶室のはじまり」では、茶室とは何かの歴史的変遷を簡略に説明する。禅僧栄西による茶の種の招来(栂尾の茶)、婆娑羅大名による闘茶と淋汗茶の湯。闘茶のための会所の主の部屋が三間四方(九坪)の広さで九間(ここのま)と呼ばれ、これが茶室空間の源だという。そして、足利義政の時代に「殿中の茶」(「書院飾りの茶」「台子飾りの茶」)に脱皮し、信長・秀吉の茶に展開されていくプロセスを説明する。大きな流れが解りやすくてよい。

 第3章「利休の茶室」。この章が私には一番刺激的で興味深く、知的興奮を喚起された。茶道界の正統派の人々がどう評価するかは知らないが、茶道の門外漢、素人には、著者の推理の展開はなるほどと思わせて、刺激的である。
 村田珠光から始まり、武野紹鷗を経て、”わび”の美学に結実し、草庵茶室の開発進展が利休により完成される経緯を解説する。そして、利休が創造した畳二枚の茶室<待庵>の誕生である。利休がこのような工夫でこの現存する最古の茶室を仕上げたのではないかという制作プロセスを著者は語る。「あとがき」に著者は「待庵は宝積寺の”囲い”と堀内宗心先生は六年前に記され、その説に導かれて私の待庵論は成り立っている」とし、「私が、宝積寺の境内にあったにちがいない小さな阿弥陀堂の前面を利休が茶室用に囲ったと推測したのは、今の待庵の躙口が南面し、開戦に先立ち茶を喫むのにふさわしく、さい先のいい朝の光が東の窓から入るように配置されているからだ。」と述べている。
著者の結論は、レヴィ=ストロースがアマゾンの神話分析から得たブリコラージュという概念を援用し、待庵という茶室創造にブリコラージュの方法を読み取っている。「利休は、戦場ではじめて囲いを手掛ける中で、ありあわせの材料と素人じみた技術で建築を作る面白さに目覚めた」のだと言う。1)あり合わせの材料、2)古材の再利用、3)粗い仕上げ、4)現場のデザインという仮設の特質を指摘する。土と竹を利用した待庵の建築の特性は、”仮設性”と”偶然性”だとする。利休は住まいと建築の極小の単位を探りだそうと試みたのではないかと著者は推測する。
 そして利休の茶は、一休の系譜を引く小乗の思想であり、小乗の茶の完成であって、わび茶の極意が反転にあったとする。時の権力者、天下人秀吉の茶の指向性、利休と秀吉の関係における反転だったと推測している。
 本書のこの章だけ読んでも、知的好奇心を満たされおもしろい一冊である。

 第4章「利休の後」では、利休の茶室がその後、その継承者たちによりどう変容していったかを説く。著者は利休後の4人-少庵、織部、遠州、有楽-の手掛けた茶室作りを説明する。それは利休の極小空間の追究、前衛主義は捨て去られ、徳川時代の身分制に順応する形で茶も茶室も改変されていくプロセスだった。江戸期における茶室の没落だという。語るに足る茶室は生まれなくなったという。
 そして、利休の後、草庵茶室はサヴァイヴァの代表として持続するだけだとする。言葉も理論もいらず、それをむしろ邪魔とするサヴァイヴァル茶室作りの匠が建築様式を維持するようになったとする。

 第5章では、建築家の登場する明治以降の近代建築史において、茶室建築がどいう位置づけだったかを概観している。建築史家としての領域への入門的誘いという感じである。結論は本流の建築家は茶室を遠ざけた。建築の対象から忌避したという。「京では茶室はオメカケさんのものと世間的には見なされ」というエピソード談を引用している(p182)。そして、武田五一の卒業論文『茶室建築に就いて』と藤井厚二の<聴竹居の下閑室茶室>、堀口捨己のデビュー作<紫烟荘>及び茶室論の系譜を眺めて行く。
 武田は茶室に「自由を以て芸術の妙致をえんと勉めたる」点を見出し、堀口は「自由無礙(碍)」を見出したとする(p207)。
 堀口の設計した岡田邸に言及し、「茶室の付加は、オメカケさんの家だったからかもしれない」と述べているのはおもしろい。

 第6章「戦後の茶室と極小空間」で、戦後はその時代背景のもとに、堀口以降の世代の建築家は茶室に近づかなかったという。その中で、茶室に取り組んだ村野藤吾、白井晟一を紹介する。そして、建築界から茶室設計が消えるかと思われた状況推移の中で、ポストモダンが1960年以降に誕生し、アントニン・レーモンド~丹下健三に続く世代になってから茶室に取り組み始めている状況を語る。第7章での対談の相手、磯崎新もその一人なのだ。
 この章の最後に、著者は自らの茶室論を簡略に述べている。つまり、著者は次の4つを茶室論の根本とする。
1)時代や社会や世界全体といった大きな存在に対しては、個人を核とした反転的存在である。
2)小空間、閉鎖性、火の投入の三つによって建築の極小、基本単位を探究する。
3)建築の極小、基本単位は、ブリコラージュにより作られる。
4)以上の理由により、人類の課題となる。
その上で、利休からは、<極小化、火の投入、躙口、デザインの自由、素材の自然性>という特徴を継承し、一方、<眺望性、テーブル式、床の廃止、畳・障子・竹の不使用>という利休がしなかった要素の工夫をしたという(p236~242)。著者作品の写真も掲載された詳細は、本書をお楽しみいただければよい。
 伝統的な茶道の所作、様式・形式には距離を置き、茶室という極小空間の存在意味の追究と建築としての存在論の探究の結果が、本書の見解となったのだろう。
 磯崎との対談で著者は言う。「僕は茶室に興味があるわけじゃないんですよね。こういう形式の建築に興味があるんです」(p284)と。

 第7章の茶室談義で、著者藤森の持論に対し、磯崎は、「ちゃんとした流派で習っている人たち」に使ってもらいたい茶室の設計をしたいという。そして、「やっぱりあくまで僕は、お茶室っていうのは主人がいて、その主人がお茶をやるって考えるクライアントの延長として出来上がったものしか生き延びられないだろうと思います」と結論づけている。
 サヴァイヴァル茶室ではなく現代建築家の設計した茶室が、利休の創造した茶室の如く、継承され生き続けるのか。さらに創造性に富む茶室、壷中天の極小空間が生み出され、徒花でなく継承されうるのか。興味のあるおもしろい課題が未来に託されたといえる。


ご一読ありがとうございます。

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 本書に出てくる関連項目を検索してみた。一覧にまとめておきたい。

=== 著者設計の茶室 ===

細川元首相の山居 一夜亭 :「箱根建築ノート」
矩庵見学会 :「つちのいえプロジェクト」
茶室 徹 :「ARCHITECTUAL MAP」
【日本一危険な茶室】高過庵の写真・画像 :「NAVERまとめ」


中国の物語 壺中の天 :「MIHO MUSEUM」
壷中の天 :「大分大学医学部総合内科学第二講座」
六中観 [正篤 ] :安岡正篤「一日一言」

国宝茶室 待庵 :「豊興山 妙喜禅庵」のHP
村野藤吾 → 数寄屋風別館 「佳水園」:「THE WESTIN MIYAKO」
佳水園 :「岩崎建築研究室・日誌」
琅玕席(高久酒造酒蔵茶室):「探し・残す 白井晟一 湯沢市」
セラミックパークMINO :「有名建築をコツコツ挙げるブログ」
   ← 磯崎新設計の茶室 


栄西茶 :「食と農業」
日本でのお茶の歴史 :「お茶百科」
緑茶の効用と栄西  :「古今養生記」
闘茶  :ウィキペディア
淋汗茶の湯 → 北山文化・東山文化 :「茶の湯の楽しみ」
台子 :「茶道入門」
台子 :ウィキペディア

クロード・レヴィ=ストロース :ウィキペディア
ブリコラージュ  :ウィキペディア
アントニン・レーモンド :ウィキペディア
千少庵 :ウィキペディア
武田五一 :「INAX REPORT ON THE WEB」
藤井厚二 :「INAX REPORT ON THE WEB」
堀口捨己 :「INAX REPORT ON THE WEB」
村野藤吾 :ウィキペディア
磯崎新 :ウィキペディア


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『来世は野の花に 鍬と宇宙船Ⅱ』 秋山豊寛 六耀社

2012-11-12 01:09:01 | レビュー
 原発関連書籍を読んでいてある引用からこの書名と著者を知り、本書を読んだ。
 1990年に旧ソ連の宇宙船ソユーズに搭乗した日本初の宇宙飛行士、宇宙ステーション「ミール」から地球の模様を中継した人、と言えば思い出される人が多いだろう。東京放送に入社した民間企業人だったが1995年に退社し、翌年から福島県滝根町(現・田村市)、阿武隈山中で有機農業と椎茸栽培をする農業人に転進。だが、福島原発事故の後、現地での有機農業が継続出来ないと判断し、”原発難民”に。著者は不本意な境遇に置かれることになる。そして2011年11月からは京都にある大学の教授に、という経歴の持ち主だ。

 本書はエッセイ集である。書名は、本書の最後のエッセイの標題でもある。
 ”「不可知論者」の私も、来世は何になりたいかなどと考えてしまいます。そうですね。この風が光る季節に考えますと「雑木林に咲いている野の花」になれれば、恐らく、幸せになりそうです。”とそのエッセイが結ばれている。
 副題は、『鍬と宇宙船』という本が先に出版されていることからⅡとなっているようだ。しかし、それでは、なぜ鍬と宇宙船? ということになると、最後から2つめの「カザフスタンの犬」に記されている。宇宙飛行士訓練の一環のジョギング中に小さな丸々と太った子犬があるとき数十メートル伴走したそうだ。その翌日のジョギングでその犬の首を見た。それがひとつの気づきへのメッセージになったとか。「イヤなものはイヤ、納得できないことは納得できないという姿勢で生きたい」。バイコヌールのホテルでの想いが、農業人への転進の一理由だと記されている。その心理の変化はこのエッセイをお読みいただくのがよい。考える材料になる短いエッセイである。

 本書は「まえがき」のあと、5つの章で構成されている。
 第1章 フクシマ原発崩壊 / 第2章 疎開先で考えたこと
 第3章 文明のリズム   / 第4章 野良仕事の愉しみ
 第5章 子供たちに何を伝える

 タイトルから多少の推測ができると思うが、最初の2つの章は、フクシマ・ダイイチ原子力発電所の崩壊で放出された放射性物質による汚染の影響を受け、16年目で阿武隈の山の暮らしを中断せざるを得なくなり、”原発難民”となった著者の視点で語られている。原発難民プロセスにおいて、原発爆発事故とその影響をその時点時点でどのように自ら分析し、考えたかについて6篇のエッセイにまとめたもの。「わが在所にもセシウムが降ってきた」「信じられない政府”広報”」「フクシマ、ダイイチから可能な限り遠くへ」「内部被曝の不安」「暫定規制値の犯罪性」「わがふるさとは荒れていく」である。
 2011年9月末日までの期間の6ヵ月、「友人たちの厚い情けの海を漂っている状態」で執筆されたもの。著者はこの期間生きていくうえで「怒り」「憎しみ」が一番力となったと「まえがき」に心情を吐露する。「あいつらに一矢むくいずに倒れることはできない」という思いであるという。”難民”に共通する感情かもしれないと著者は分析している。自らが「内部被曝による晩発性障害の恐れ」を抱え込むことになり、その不安が「ヒバクシャ」につながる契機だともとらえている。
 著者は、農業転進で培われた人脈から、そして、マスコミに関わりがあったせいか様々な人々から積極的に情報・知見を能動的に得て自ら思考分析されている。そのプロセス自体及びその視点が、我々の考える材料として有益である。いわゆるマスコミに振り回されない思考と情報源の確保が自らにはあったか、という反省材料にもなる。
 
 第3章は高度な現代文明に見え隠れする「いかがわしさ」に身近な体験を経たうえでの視線をなげかけている。ここには「等身大の技術」「農業用ロボットは必要か」「化外の民について」「『生物時計』とサマータイム」「羊を追いかけて」の5篇が載っている。
 その目は等身大の技術に目を向け、小水力発電の実例として「パンカラ」(ししおどしのような装置)を採りあげたり、農業用「ロボット」開発が果たして実用的かを論じる。また、人間の持つ「生物時計」の感覚とサマータイムという発想とのズレについて、体験を語りながら論じている。自然エネルギー開発、再生可能エネルギー開発という方向性に対しても、その技術開発の根底部分についての発想、見方は示唆を含んでいるように思う。また、机上思考による政策の無意味さ、無駄に我々の目を向けさせていくように感じた。一見まともそうに思える現代論調に潜む語られない影の部分に気づかせてくれるエッセイである。

 第4章「野良仕事の愉しみ」では、「風景を創る人たち」で立毛乾燥の「実験」を語り、農業の多面的機能について考察する。「ライフスタイルとしての農家」では、アメリカ農務省が『2007年センサス』で設定した分類「小規模農家」を採りあげている。「農地をもつことの強さ」では”地域にとっては「そこに農業が在る」ことが重要なのです”と説く。農業の大規模化の主張に異論を唱えている。そこには国全体の安定維持という視点がある。”本来、人の生命を支える穀物を「自動車」に食べさせるのは、温暖化対策などとキレイゴトを言っても、どこかインチキ臭い”(p70-171)と眺めている。この目線は第3章で触れられた「いかがわしさ」に通底する。経済理論の「合理性」だけによる農業論に反対し、「食糧安全保障」上の基本的「穀物」自給力確保の重要性に触れている。
 「『ロカボア』って知ってる?」では、2007年のアメリカの新語を紹介し、有機農業の変遷を語る。遅ればせながら、この新語を本書で初めて知った。アメリカ版「地産地消のススメ」のようだ。また、「古代米考」では、自らも阿武隈の仲間たちと栽培していた黒米(クロゴメ)や日本各地にある”色つき米”及び「赤米こぼれ話」という雑誌連載記事を紹介している。単純に東南アジアと思っていた米のルーツについて具体的に知ることができた。「エゴマの普及について」では、島根県の川本町の活動を採りあげる。健康食材エゴマ普及活動の実態とその再発見を紹介しながら、一方で政策としての「補助金」依存という問題局面にも目を向けている。
 ここには、農業に勤しんできた著者の文明・経済論的視点、農業政策への冷めた眼差しが我々に思考の糧を提示している。

 第5章「子供たちに何を伝える」には、「花鳥風月への感性」「オオバコも食べてみよう」「ハチとカメムシ」「ローカル線見聞記」「私が十一歳の頃」「カザフスタンの犬」「来世は野の花に」の6篇が載っている。
 阿武隈での大地と接した暮らしや自ら人生の過去を振り返った思い出を取り混ぜながら感性、知覚、生態系、誤った政策、行儀の常識の変化などの諸問題を語っている。そこには、間接的に子供たちに著者が伝えたいことが内包されてるといえる。
 
 本書はこんな構成である。世間の文明論、経済論、技術論などに有機農業実践の経験を通してみた異論を提示する。我々には考える材料が豊富に盛られたエッセイ集になっている。

 最後に、原発難民へと理不尽にも追い込まれ、こよなく愛する阿武隈山中の大地と決別させられた著者の発言で、印象深いものをいくつか引用させていただこう。これらが、本書を手に取るきっかけになれば、幸である。
*福島県民の大量「被曝」の可能性を知りつつ、ある種の「情報操作」(情報の隠蔽)によって、当面、国としての「秩序」を維持したのでしょう。国というのは、いざとなれば民衆を捨てるというモデルケースのひとつかもしれません。  p38
*時にテレビの「特集」などで放映される東北の太平洋側を襲った津波の映像を見ながら、「あそこでは、大きな波が、暮らしを根こそぎ海に運んで行ったが、私の場合には、放射性物質という”津波”が押し寄せ、家や田畑はあるものの、放射性物質に汚染された。暮らしを根こそぎ破壊されている現実に変わりない。一見、何の被害もないように見えるだけ、他の人にはわかりにくいだろう」などといった思いに浸ったりしたわけです。 p53
*(付記:プルトニウム、ストロンチウムも含めた放出量などのデータ公表について)ひょっとして政府は、ひそかに、そうした物質の検査をしており、結果を公表していないだけなのかもしれませんが、恐らく、検査はしていないのでしょう。データがあると、議論の対象になります。議論されること自体を避けているのかもしれません。こうした詳しい分析をしないこと自体、私には「不作為」による犯罪のように思えます。検査ができないわけはないのです。中国やソビエトが大気圏で核実験をやっていた頃は、何かというと、ストロンチウムが検出された、何が出てきたと新聞の紙面に出ていたのを記憶しています。 p55
*各地に設置された放射性物質検知装置も、地上数メートルの大気中の物質の放射線量を検知するシステムで、決して大地の土壌汚染度を示しているわけではありません。 p57
*フクシマ・ダイイチの事故現場から、たとえ微量であったとしても、放射性物質の放出が続いている限り「雲」が運ばれ、今後も雨などで再び放射性物質が降下する可能性はあるわけです。  p58
*もちろん身の回りの放射線量を自分たちで少しでも下げようとする「努力」を「無駄」という気はありません。しかし、「除染」の責任が、汚染原因をつくった企業、加害者である東京電力にあることは明白です。彼らが被害者ヅラをして、ダンマリを決め込んでいるのを許してはならないのです。企業が、工場などで有害物質を発生させ、そうした物質が残留している場合、そうした物質を発生させた企業が責任をもって「除染」しなければならないことは、すでに確立された原則です。   p59
*「ゆるい規制値」の設定は、一体何のためなのでしょうか。私には、厳しい「規制値」によって販売できない農作物が大量にでき、東京電力に対する補償要求の金額が大きくならないよう行政担当者、つまり政府が取った措置としか思えないのです。  p63
*「よくわからないけど、安全だろう」というのは一種の信仰です。「安全であってほしい」「害がないことを願います」という願望でしかありません。  p64
*放射性物質の「害」については「急性障害」がない場合でも、「晩発障害」や「遺伝的障害」はあるのです。これは放射線の「専門家」にとっては「常識」のはずなのです。・・・専門家なる人びとは、本当に、自分の子供、あるいは「孫」たちにも、放射線レベルが「暫定規制値以下だから大丈夫」といった言葉をはけるのでしょうか。 p65-66
*文部科学省が20ミリシーベルトなどという、とんでもない数値を設定したこともまた「犯罪」なのです。福島県は、放射線の専門家と称する人の助言によって、全県民のデータを取ることにしています。これは全県民をモルモットにした「実験」ではないでしょうか。  p67
*結局は国民を犠牲にする「国策」なるものを、どう変更させるかなのです。現在求められているのは、すべての原発の即時停止と廃炉に向けての措置なのです。  p68
*今、メディアが連呼している「絆」という言葉も、キャンペーンのキャッチコピーとして、季節風のように飛ぶ時期はあっても、現実の暮らしの現場では地縁血縁のネットワークに入らない限りは、都会の人のお祭りでしかないのです。  p80
 →著者は「地の人」とは土地の人と結婚して三代くらいの関係ができた人のことだという滝根町の老人の感覚をたとえに出す。絆の深まりとはそういうレベルの感覚なのだということだ。心情的「絆」感覚は、「旅の人」の空言なのだろうと考えるている。
 「福島で、放射性物質の拡散にもかかわらず、年配の人たちを中心に、生まれ育った土地を離れようとしない心情の背景にある、こうした血縁のつながり、それまでの暮らしのネットワークの安心感、祖先の墓の存在の大きさが改めて見えてきた感じです。この人たちは、他の場所に移れば、自分たちが『旅の人』扱いを受けることを十分に知っているのです」(p78-79)と著者は記す。

 「想定外」のことだったとして、故郷を理不尽に奪い、人々に苦しみを与えた東電・政府の責任は重い。人間がコントロールできない物理現象を基盤にする原発を廃絶する方向に持っていくことは、未来に対する負の遺産をこれ以上増やさないためには当然ではないのか。そんな思いを強くする。


ご一読ありがとうございます。

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 本書の関連でいくつか検索して見た結果を一覧にしておきたい。

秋山豊寛 :ウィキペディア
 秋山豊寛 :「宇宙情報センター」
 ソユーズ宇宙船 :宇宙情報センター」
 旧ソ連/ロシアの宇宙ステーション
「ちょっと待った原発再稼働」秋山豊寛 :YouTube

「原発難民」となって--元宇宙飛行士・秋山豊寛さん/朝日新聞 :「薔薇、または陽だまりの猫」

全国小水力利用推進協議会のHP
スピンハウスポンタのHP
乾燥コストを低減できる飼料用米の立毛乾燥法 山形県農業総合研究センター土地利用型作物部
Locavores :From Wikipedia, the free encyclopedia
Teikei :From Wikipedia, the free encyclopedia
有機農業 :ウィキペディア
古代米  :ウィキペディア
古代米  :「農園さくら」
稲作   :ウィキペディア
火田民  :ウィキペディア
日本エゴマの会より  :「エゴマ・ベンガルの風にのって」
エゴマ  :ウィキペディア
えごま商品 :「川本町観光協会」
動物行動学 :ウィキペディア
環世界   :ウィキペディア
生物多様性
生物多様性センター :環境省自然環境局

ふくしま集団疎開裁判のHP
子どもたちを放射能から守る福島ネットワークのHP
福島原発告訴団のHP


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今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『原発危機の経済学』 齊藤 誠 
『「想定外」の罠 大震災と原発』 柳田邦男
『私が愛した東京電力』 蓮池 透 
『電力危機』  山田興一・田中加奈子
『全国原発危険地帯マップ』 武田邦彦
『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章
『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ
2011年8月~2012年7月 読書記録索引 -1  原発事故関連書籍


『原発危機の経済学』  齊藤 誠  日本評論社

2012-11-06 23:33:40 | レビュー
 この本を読んだきっかけで、著者がブログを書かれていることを知り、アクセスしてみた。Makoto Saito Faculty of Economics Hititsubashi University

そこで知ったのだが、著者はこの本(2011年10月刊)で第33回湛山賞を受賞された。石橋湛山記念財団のホームページには、以下のような説明が記されている。
”2011年3月11日の東日本大震災によって発生した東京電力福島第一原子力発電所の大事故を対象に、その原因と対応過程、今後へ向けての展望等を、経済学をベースにした社会科学者として調査・分析・評価したものです。どのように「古い原発から撤退し」「残る放射性廃棄物を処理し」「創造的な事業再生につなげるか」を、原発技術と経済学の知見によって丁寧に、かつ綿密・厳格・冷静に考察した貴重な問題提起の書です。”

 結論から述べると、著者は条件付きでの原子力発電事業継続容認の立場である。この条件部分はかなり厳しい提示である。現状から推測すると、結果的には段階的に原発を廃止するという立論になっていると受け止めた。

 本書は、原発に使用する「水」と原発から排出される「放射性廃棄物の処理」という2点に大きく着眼している。本書の副題が「社会科学者として考えたこと」とあるように、経済学者の視点で自らの調査と思考・分析の結果を精緻に論じられている。経済学的観点から分析する前提として、原発のオペレーションの発電設備の技術・構造分析、原子力発電プロセスの物理現象などを詳細にまず考察されている。このあたりの論理の基盤はベースを考える材料として役立った。原子力関連の専門家ではない著者が、物理学や原子力技術論の分野を語っているので、一般読者には比較的読みやすい分析及び解説になっていると感じた。その基盤の上で、収益事業としての運営を経済学的視点で論じている。

 本書の構成と内容をご紹介しつつ、いくつかの章には読後印象を付記する。

第1章 水、水、水
 まず水が如何に原発の稼働を制するボトルネックになるかを分析している。運転するのにも、停止するのにも、炉心溶融を食い止めるのにも「水」の確保・供給が如何に重要かを総合的に眺めている。この章で一次冷却水として海から取水される「水」が継続稼働のボトルネックになる重大性を再認識した。
 一次冷却系の加圧された循環水(閉じられたシステム)は、1~3号炉を正常運転で冷却するのに、3基合計で毎時20,930トンの水を必要とする。この循環水を冷却するために海から大量の海水を取り込んで循環させる(開かれたシステム)。それで「毎時100万キロワットの出力の原子炉1基あたりでは、毎秒20トン、毎時7万トン、毎日170万トン程度の海水を要する」(p14)。毎秒20トンというのは東京都を流れる荒川や多摩川の水量に相当するそうだ。荒川、多摩川を具体的に知らないので私はイメージしにくいが、一つの大きな川の水を原子炉1基に注ぎ込まねばならないとは、凄まじいかぎりだ。3基合計の出力は毎時202.8万キロワット。単純に考えて、ざっと毎日海水340万余トンの取水機能が働かないと正常稼働できないのだ! 
 つまり、取水のためのタービン発電機と復水器の入っているタービン建屋、ここが機能しなくなれば本体原子炉が無傷でもアウトになる。そこに対する対策が杜撰だったことは明らかだ。
 著者は、停止と炉心溶融食い止めの水についても緻密に分析していく。
 「水」が決め手になる点を総合的に論じているので思考の整理ができ有益だった。

第2章 炉心溶融は防ぐことができたか
 この章で著者は「本質的には、東電経営者が断固とした姿勢で問題解決に向けた強い意思を表明しなかったことこそが問題なのであろう」と真因を抉り出している。そして、廃炉前提の海水注入を躊躇させた背景に、政府が原子炉の耐用年数を40年から60年に延長することを容認したことの重大性を指摘する。40年想定だったのが、最大20年延長されたことで、老朽化した原子炉が「働き盛りの原子炉」(p33)へ変身した。廃炉の予定が利益を生む宝箱に変身するのだから、「本来であれば、東電経営サイドは、危機前にも廃炉を検討しておくべき原子炉だったにもかかわらず、危機に及んでも廃炉を躊躇するような不自然な経営環境が背景にあった」(p33)のだ。儲けをみすみす手放したくない・・・そんなところか。廃炉延長を働きかけたのも電力会社とその周辺関連産業界だったのだろう。そんな悪循環を感じる。
 著者は本書発刊以前の情報範囲で地震直後からの原子炉の時系列経緯と炉心溶融を食い止める措置、意思決定がどの段階で可能だったかを克明に分析する。
 「おわりに」の中で、著者はこうも述べている。
「今般の原発危機においては、原発危機が進行するぎりぎりのところで必死で戦った経営の姿、原発危機に前もって備えるプロセスにおいて厳しい自然環境に果敢で慎重に挑んできた経営の姿が、少なくとも外側の人間に見えてこなかったことこそが、原発危機の背景に対する、どうしょうもない不信を招いてしまった根本の理由ではないであろうか」(p278)と。

第3章 原発の”古さ”とは
 著者は、冒頭に東京駅の14~19番ホームに、今時点で1964年10月開業当時の0系新幹線がずらっと6本並んでいる風景を喩えに出している。現在稼働の新幹線までの技術革新をイメージさせるためだ。福島第一原発は1970年代に運転開始、その建設までの期間を考慮すると、新幹線開業よりも古い時点の技術の基盤が、そのままいまも現役稼働しているということだ。
 著者は、「福島第一原発の”古さ”を、今般の原発危機のキーワードに挙げている。原発反対派・高木仁三郎と推進派・柴田俊一の両著作を手がかりにして、「原発技術が完全でない」という根本的なところで両者の見解が一致することを重要視する。両者の考えを検討しながら、「たとえ、当初は40年間のつもりで建造したとしても、運転期間は、それよりも短くするのが、妥当な判断ではないか。少なくとも、40年間の運転期間を60年間に延長するなどということは、暴挙に等しいかもしれない」と結論づけている。
 
第4章 「大津波→電源喪失→炉心溶融」だけなのか-隠れた地震災害
 著者は「大津波→電源喪失→炉心溶融」という特定の因果関係による説明に当初から疑念をいだいていたと述べる。そして、被災地・石巻を訪ねて歩いた見聞を踏まえ、建造物の固有周期と地盤の卓越周期が共振現象を生じることについて論及している。そして原発危機の教訓を「大津津波→電源喪失」と矮小化する危険性を指摘する。大津波の呪縛からまず開放されるべきなのだと。
 2006年9月に「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」が25年振りに見直され、「地震随伴事象に対する考慮」として、津波到来のシナリオが既にあったことに着目する。だが、貞観地震の研究が活かされず、大津波が大地震に随伴する現象という範囲でしか取り扱われない可能性を指摘する。福島沿岸の地震リスクが非常に低く見積もられていたという事実である。また、原子力安全基盤機構が津波による原発事故のシナリオ分析結果の精緻な報告書を2010年11月に公表していたという。そこから、経済学者として、津波リスクに対する東電投資家の投資リスク意識に対する怠慢という側面をも論じている。「覚悟も準備もできていない経営者に対して”ノー”を突き付ける役割は投資家にこそある」という。
 地震という要因の重大性を指摘している点は合理的であり納得がいく。

第5章 どのように”古い原発”から撤退するのか
 この章あたりから、経済学者の視点がさらに鮮明に出てきていると思う。つまり、廃炉の費用を具体的に諸資料から概算している。著者は電力会社によって、運転が開始されてから40年後には、解体撤去費用がほぼ積み立てられていると指摘する。通常の稼働を続けてきていれば、この時点で撤去できる準備はできているのだ。
 また、高レベル放射性廃棄物と低レベル放射性廃棄物の峻別、原発解体後の施設の利用、廃炉の順序については、古い順と地震リスクの大きい順の2つについてその長短を論じている。

第6章 ”放射性廃棄物の処理”とは一体全体何なのか
 「使用済み核燃料」についての一般的説明から著者は問い直し、基本的な視点を整理し、その考え方について検討している。使用済み核燃料について、簡略にその実態を知ることができて参考になる。そして、純粋に経済学的に見た場合(p180~181)、地層処分という考え方に問題ありと警鐘を発している。この点には同意する。
 ウェブ事典ATOMICA(『原子力百科事典』)の「高レベル放射性廃棄物処分に向けての基本的な考え方」の項の脚注4に地層処分の定義が記されているとして、著者は引用する。「放射性廃棄物を地下数百メートル以深の安定な地層中に建設される処分施設に、再び地表に取り出す意図なしに、永久に収納し、人間による管理から外した状態におくことをいう」。著者はこれを読み驚いたと記す。「人間が永遠の利用を意図して施設を作っておいて、その施設の管理を放棄するということがありえるだろうか。」(p180)この見方に同感だ。こういう発想をする原子力ムラの人々は何と傲慢なのだろうか。

第7章 原発と投資家の責任 -東電の創造的な事業再生のために
 著者はここで経済学者として、東電のバランスシート(貸借対照表)の資産と負債をマクロの視点からとらえる。そして、債務超過状態に陥りつつある実態を分析している。東電の2010年度決算について、2011年6月28日付けで担当の新日本監査法人が「すべての重要な点において適正に表示しているものと認める」と報告したが、追記情報の付記により、事実上の留保を置き、それを詳述していることに対して、解説を加えている。
 そして、民間電力会社が軽水炉発電事業を収益事業として運営できる条件を考察する。著者の設定した条件は次のものだ。その論拠は本章をお読みいただきたい。
 1)使用済み核燃料について、原発施設内や使用済み核燃料貯蔵施設内での長期間貯蔵
 2)使用済み核燃料の再処理と高速増殖炉からの撤退
 3)軽水炉による発電規模は老朽原発のリプレイス割合、施設内の使用済み核燃料の貯蔵余力を見定めて慎重に決定
 著者は、「東電という民間会社の事業活動に起因する損害賠償を、税金を原資とする公的資金でまかなうのは適切でない」と原則論を堅持する。一方、「国家が責任を持って引き受けるべきことは、福島第一原発施設を適切に跡片付けして、何らかの形であの施設を再生すること、いわば、フクシマ再生プロジェクトを実施することではないか」と論じている。著者は、時間も金も東電の力量範囲を超えること、投げ出せない大切なプロジェクトを当事者能力のない主体に委ねることは無責任な意思決定だということを理由とする。福島第一原発施設の後片付けと再生を著者がフクシマ再生プロジェクトと呼ぶことに、私は釈然としない思いが残る。力量範囲を超えるからということなら、その状態でなぜ切り離した上で、民間会社として東電の存続を図らねばならないのか。その理由がわからない。また、「フクシマ再生プロジェクト」という概念の対象範囲をそこに置くだけでよいのだろうかという疑問が残る。跡片付けを抜きにできない事実は納得するが。
 「おわりに」の中で、著者はこうも言う。
「既存の会社更生法の枠組みでいくのか、新たな法的スキームで進めるのかについては議論の余地があるが、現在、債務超過近傍にある東電は、まずは株主に負担を強いたうえで、次に必要に応じて債権者の負担で事業再生を進めるべきであろう。そうした体制での東電の事業再生では、東電投資家の自主的な判断として、送電や配電の分離が起きるかもしれない。」(p276)
 
第8章 収益プロジェクトとしての軽水炉発電事業
 著者は「再処理・高速増殖炉事業に採算性がまったくないことは、火を見るよりも明らかなところがある」という断定から説き始める。この点は過去の経緯を見ると当然だと納得する。
 そして、使用済み核燃料の再処理費用を組み入れると、「原発による発電コストは、火力による発電コストに比べてとび抜けて安いわけではないが、特段高いというわけでもないという、非常に平凡な結論に落ち着く」ということを電気事業連合会のコスト試算を使って説明する。さらに、大島堅一氏のコスト試算の研究を紹介し、「揚水発電を考慮すれば、原子力は火力に比べると若干パフォーマンスが劣ると受け止めればよいのではなかろうか」と解釈する。
 その上で、「再処理費用の水準いかんでは、原発の経済性が完全に失われてしまう」(p225)と結論づけている。だが、現行の発電事業形態を前提とした費用分析だけで原発廃止を決めることには異論を述べている。「ある形態の原発事業は費用面で劣っているが、他の形態の原発事業は費用面で優れている可能性は十分に考えることができるであろう」と留保する。

 前章で著者のいうフクシマ再生プロジェクトを政府が責任を持って実施する前提で、軽水炉発電事業が収益プロジェクトになるための条件を挙げ、この選択肢の適切性を分析している。その条件とは、
(1)軽水炉発電事業は維持する。
(2)再処理・高速増殖炉事業からは撤退する。
(3)使用済み核燃料は地上で長期貯蔵する。  である。
この条件(1)は、前述のとおり40年以内の計画的廃炉や、軽水炉の技術状態を最先端のところに保っておく必要性がその前提にある。
その結果、「使用済み核燃料を地上で貯蔵する能力に限界が来れば、その時点で原発を停止せざるをえない」というのが著者の行き着いた結論だと理解した。

第9章 市民社会が原発を受け入れるとは
 ここには、時間的に整合性のない意思決定の例示や行動経済学のプロスペクト理論を応用した分析もある。「市民がどのように原発リスクに向き合うべきなのか、市民社会が原発を受け入れるとはどういうことなのか」を論じている。示唆深い見解・意見だと感じたところをいくつか引用して、ご紹介しておこう。
*今、政治家たちが聞くべきは、・・・・「極限状態において人間の構築した構造物がいかに脆いのか」をあらためて知るべきだと思う。  p239
*最悪のシナリオを想像できる政治家であれば、「私たちはみなさんがこの場所に戻れるように最善を尽くします。ただ、万が一に備えて、お位牌だけは大切に持ち出してください」というのが精一杯でなかったか。・・・最悪のケースを思い浮かべて初めて、人間の言葉は、とてつもない重みを持つのだと思う。  p240
*ICRPの基準が被曝状況によって左右されるのは、「状況に応じて達成可能な範囲の中で最少の被曝量を目指す」ことを基本原則としているからである。 p245 
 → as low as reasonably achiebable ALARA(アララ)の原則と呼ばれる
*「○○までの汚染度合いであれば、摂取しても直ちに健康に影響を与えない、しかし、xx程度のリスクは依然として残る」と、それこそプロフェショナルな知見に基づいて判断するのが、専門家の役割ではないだろうか。  p253
*人々が絶望するのは、人から「大丈夫だ」といわれていたのに、大丈夫でなくなった瞬間ではないか。一方、人々がどんな状況にあっても絶望しないのは、あらゆる可能性を受け止めて自らで意思決定をしているときであろう。  p256
*原発を導入する際には、「原発はきわめて安全である、放射能洩れのような事故は起きない」ということで社会的なコンセンサスが形成されていたのに、いざ、事故が起きると、「どれほど深刻な事故が起きても、死者数も発癌者数もわずかである」といえば、原発の受け入れに関わってきた人々は、・・・・「事前の安全評価」と「事後の安全評価」にとんでもない食い違いを生じさせている原発導入の合意手続きに対して複雑な思いを感じているのである。  p257-258
*われわれの社会が、強引な形であったにしろ、いったん原発を受け入れてしまったからには、どこかで折り合いをつけながら、原発とある程度のところで共存していくしか道は残されていない。  p259
*子供たちに対する低放射線量被曝リスクについて、科学的な知見は十分に蓄積されていないというのがフェアーな評価といえないであろうか。・・・・
 もちろん、低放射線量被曝リスクだけを見つめてしまうと、「子供たちのために、何が何でもリスクを取り除いてあげたい」と思ってしまうのは、人間として、親として、非常に自然な感情であると思う。  p263
 → これは、ドイツにおけるKikk研究の分析結果とそれに対する批判を採りあげての著者見解である。(著者はチェルノブイリ事故以降における小児癌についてはどのように見ているのだろうか。低線量被曝とは別範疇として切り離しているのか、どうなのだろう。言及はない。)
*あるリスクを削減する措置の費用対効果が、他のリスクを削減する措置の費用対効果に比べて著しく劣っていないか・・・の価値判断については、妥当性を欠く政策決定の影響がもっと深刻である。 p264
*われわれ大人たちは、今、子供たちが低量の放射線に被曝するリスクに対して神経を尖らせているようには、子供たちが直面している数多くのリスクに対して常日頃から関心を払ってこなかったのではないだろうか。仮に、私たちは、子供たちが直面している数多くのリスクに対して常に注意を払っていれば、低放射線量被曝リスクに対しても、さまざまなリスクとの兼ね合いを加味しながら、ある節度を持って臨めたと思う。 p265
 → 見解はなるほどと思う。だが、一方、「ある節度」とは具体的にどんなレベルなのか? 著者のイメージするところがわかりづらい。個人の自由意思による価値判断、心情論に帰するということなのか・・・・
*「原発の危機的な状況が前もって考えも及ばない『想定外』の出来事である」ところに最初に逃げようとしたのは、東電であり、政府であった。しかし、東電や政府が「想定外」の出来事について一切考えが及ばなかったというのは、正確な記述ではないであろう。正確にいうと、「想定外」の出来事が起きたときにどうするかについて、考えていなかった。言い換えると、東電や政府は、「想定外」について思考停止に陥っていた。 p269

おわりに-ナショナル・プロジェクトとしてのフクシマ
 各章の構成のところで、一部引用しているが、著者の思考・分析プロセスを抜きにすると、この「おわりに」に著者見解のエッセンスがまとめられていると言える。著者の結論だけまず知りたいということなら、ここを読むとよい。

 最後に、本書でおもしろいと思ったのは、各章に「補遺」が掲載されている点だ。著者自身か関連内容として事前に自分のホームページに公表していた文章や特定の事実内容を載せている。著者の個人的心情も吐露されており、それが本文を補完するものとなっていて興味深い。

ご一読、ありがとうございます。

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 本書関連語句・項目のいくつかをネット検索してみた。その一覧をまとめておきたい。

石橋湛山賞 第33回受賞:齊藤誠氏  :「財団法人 石橋湛山記念財団」

高木仁三郎 :ウィキペディア
原子力情報資料室のHP
 高木仁三郎の部屋
高木仁三郎 原発事故はなぜくりかえすのか :「正岡正剛の千夜千冊番外編」
臨界事故と近畿大学原子炉 原子力研究所 所長 柴田俊一:「近畿大学大学新聞」

東京電力の有価証券報告書
 第87期 (期間:2010.4.1~2011.3.31)
 167-168/168ページに、本書のp198~201に引用され説明の加えられた原文が載っている。
 第88期 (期間:2011.4.1~2012.3.31)
 156-157/157ページに、同様に監査法人がその見解に対して、強調事項を追記している。法律の成立にあわせて、各種申請手続き面での問題点記載に文面が修正されるなど、微妙に文面修正がなされている。
 四半期報告書(第89期第Ⅰ四半期)(期間:2012.4.1~6.30)
 46/46ページに、同様に監査法人がその見解に対して強調事項を追記している。賠償見積額が一部明記されている。状況変化に合わせた文面修正がなされている。

地層処分 → 使用済み燃料の処理・処分  :「原子力教育を考える会」
地層処分 :「ATOMICA(原子力百科事典)」
 地層処分の基本概念図 
 
プロスペクト理論 :ウィキペディア

原子力発電所周辺で小児白血病が高率で発症―ドイツ・連邦放射線防護庁の疫学調査報告 :「原子力資料情報室(CNIC)」 
KiKK研究評価に関するBONN会議(26.Feb.2009) 松原純子氏
南ドイツ新聞 原発周辺のガンの危険性 :「市民エネルギー研究所」
ドイツ原発周辺での小児白血病頻発は原発由来の放射線被ばくでは説明できないと発表された :「ドイツ語好きの化学者のメモ」

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今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『「想定外」の罠 大震災と原発』 柳田邦男
『私が愛した東京電力』 蓮池 透 
『電力危機』  山田興一・田中加奈子
『全国原発危険地帯マップ』 武田邦彦
『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章
『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ
2011年8月~2012年7月 読書記録索引 -1  原発事故関連書籍