遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『螺鈿迷宮』 海堂 尊  角川書店

2013-09-27 10:43:40 | レビュー
 本来なら、『ケルベロスの肖像』を読む前にこちらを読んでおいた方が、話の展開がつながる。『ケルベロスの肖像』の前段に位置づけられる作品だ。平成18年(2006)11月に初版が出ていて、今は文庫本にもなっている。
 後からこちらを読むと因果の連鎖を回想していくおもしろさが加わるという利点がある。たとえば、医学生の天馬大吉がどんな役回りを果たしていたのかや、怨念の重みが逆に重なってきて興味深いと言える。『ケルベロスの肖像』では、愚痴外来の田口先生がメインであり、天馬大吉は脇役的存在である。だが、なぜ天馬大吉が登場するのかがよくわかった。
 実は、こちらの作品では、東城大学医学部の留年医学生天馬大吉が中心人物の一人である。

 序章「アリグモ」は少し興味深い投げかけになっている。冒頭、「アリグモという虫をご存じだろうか」で始まる。そんなの知らない!
 蜘蛛の一種だとか。「蟻の脚は六本、蜘蛛は八本。アリグモは蟻としては余分な二本の脚を触覚に見せかけることで、蟻に擬態する。そして、仲間と勘違いして寄ってくる蟻を襲う。ついでに言えばオスは大きな牙を持つので、より蟻に似ているのはメスの方である」そうだ。
 序章の末文は、「最近、世の中には『アリグモみたいなヤツ』が密やかに増殖している気がする。僕たちはアリグモから決して目をそらせてはならない」である。この序章、いくつも伏線が隠されているようで、思わせぶりなところがあっておもしろい。ここに出てくる「僕」が天馬大吉のことなのだ。彼の故郷が桜の宮であり、今は時風新報という弱小新聞社桜宮分室社会部主任補佐である別宮葉子(べっくようこ)、通称ハコが小学校以来の幼なじみであることがわかる。さりげないテレビニュースの話が、この作品の一番底辺に潜む因果連鎖となることが、序章の再読でわかった。アリグモの如く「擬態する」、仲間にみせて「殺戮する」というのが、『ケルベロスの肖像』に連鎖していくテーマの象徴的側面になっているようだ。医療の擬態という局面で・・・・・。

 さてこの作品の舞台は、桜宮市にある碧翠院桜宮病院である。時風新報桜宮支所編集部、つまり別宮葉子が厚生労働省医療政策局局長名で、介護保険関連事業の病院として、碧翠院桜宮病院の医療制度についての取材要請をうける。その取材記事作成のためにハコが大吉に潜入取材をさせて記事ネタを収集しようとするのだ。その話を大吉は拒絶する。
 大吉にOKさせるために、大吉が入り浸っている雀荘「スズメ」での賭麻雀という手をある人物を通じて利用する。大吉はこの人物をカモにするつもりだったが、逆に百万円の借金を背負う羽目になる。「借用しました金百万円は、依頼業務の遂行により返済致します。天馬大吉」という契約書をその人物に書く羽目になる。そういう風に仕掛けたのはハコだった。
 その人物とは、「メディカル・アソシエート」という名称で医療関連会社を運営している結城である。正真正銘の博打打ち。実態は病院買収関連の企業舎弟である。なぜ結城が絡んでくるのか。実は彼の妹と結婚した立花善次が桜宮病院を調べていて、行方不明の状態になっているからなのだ。本家からの預かりの善次が結城の妹・茜と結婚したのだ。
 ハコの狙いである潜入取材を大吉がボランティアとしての医療現場でのお手伝い活動を通して行うということと、結城が行方不明の善次が病院内に居るのかどうか捜してほしいということが、重なってくるという次第。

 ボランティアで応募した大吉が、碧翠院桜宮病院にボランティアとして受け入れられ、院長や副院長から話を聞くこと、患者との交流から、様々な事情が見えてくるというストーリーである。大吉にとっては、小学生時代の遊び場でもあり、その建物の異様さに恐れさえも抱いていた病院の実態が徐々に見えていく、そしてとんでもない結末で終わるという展開になる。碧翠院桜宮病院、デンデンムシの建物が爆発炎上して消滅し、院長桜宮巌雄を含む家族4人の焼死体発見という報道事実が残る。

 なぜそうなったのか。そこには医療行政の方針が関係する。そして、碧翠院桜宮病院と東城大学医学部付属病院との微妙な関係、その関わりの変化に因果関係があるのだ。ここにアリグモの一面が読み取れるかもしれない。医療従事という観点で仲間に見えるようでありながら、実態はちがうという認識という点で。この辺りは、現代日本の医療が抱える高齢化社会、介護保険制度における医療実態が投影されているように思う。
 本書には著者による現状分析のための情報が様々な観点から、アイロニーも含めてちりばめられていると判断する。その舌鋒に批判的視点が鮮明に読み取れ、考える材料にもなっている。

 碧翠院桜宮病院はかなり不思議な設定である。ある意味で鵺的な存在になってきている病院という位置づけだ。桜宮病院と碧翠院は独立した施設。桜宮病院は「赤煉瓦が積み上げられた三階構造。上層に行くにつれ床面積が減じる。だから遠目には巻き貝のようにも見える」。この貝殻の隣に立つ東塔がセピア色の色調に塗り替えられたことにより、桜宮の子供達にとり、でんでん虫という異名が確定した病院なのだ。
 碧翠院桜宮病院の敷地内を県境が走っていて、桜宮病院はK県、碧翠院はS県にある。 桜宮病院は医療機関だが、碧翠院は寺であり、市に土地を貸していて、火葬場が隣にあるという環境なのだ。診察、末期治療から骨壺まで、流れ作業だと口の悪い人は言う。
 桜宮病院長は桜宮巌雄院長、軍医あがりの医師、副院長は桜宮小百合、呼吸器内科の医師である。そして、一卵性双生児の妹で医者のすみれが居る。碧翠院の代表は桜宮巌雄の妻・華緒で、もとは医者でもあった。すみれはこちらの副院長であり、碧翠院の実務を仕切っている。心療内科的カウンセリングを守備範囲とする医師。
 この病院には2つの側面がある。一つは病院長が主として携わる側面である。それは巌雄院長が死亡時医学検索を行うのだ。警察から送り込まれてくる屍体の解剖を必要に応じて実施する。そして、死体検案書を作成する。東塔地下1階には、画像診断室があり、レントゲンとCTがある。巌雄院長は、自らが取り扱った屍体はすべて画像を撮り、解剖しているのだという。小百合とすみれは終末期医療分野を担当している。
 
 巌雄院長は大吉の質問に答えて語る。明治の初めの頃に、桜宮市南端のこの地に曾祖父が病院を建て、その隣に医療施設・碧翠院が建てられた。医療と宗教が渾然としていたという。碧翠院は医学専門学校に認定され東城院と名を変えた。その東城院が桜宮市北端に移り、東城大学医学部の母胎となる。その抜け殻として寺・碧翠院が残ったという。東城大は社会の中心において生の医療を取り扱い、桜宮は死の医学を押しつけられた形になったという。桜宮病院と東城大学医学部はその沿革において兄弟だったのだ。
 しかし、その後の発展、医療行政の方針の変化野中で、両者の関係が変化してきた。
 そして、そこに桜宮一族が東城大学医学部に敵愾心を抱く原因が醸成されてきたのだ。 敵愾心を強烈に表し、行動を起こそうと画策するすみれ副院長。巌雄院長は独自の展望から、Aiの先駆的な記録を作成し続けてきている。それは隠れた爆弾にもなる情報を秘めるものだった。

 大吉はボランティア活動を始めるとすぐ、桜宮病院内で怪我をする。そして怪我が重なっていく。ボランティアの仕事という形で来たのに、姫宮という名前の看護師が原因で怪我をする。怪我を重ね、その治療を病院でして貰いながら、入院患者との関わりを深め、潜入取材と結城からの依頼課題としての探索を進めていくという謎解きのストーリーである。怪我をさせる因になる姫宮と怪我をさせられる大吉の関係、そのやりとりがユーモラスに描かれる。だが、姫宮は単にミスで怪我をさせたり、そそっかしくて失敗するというだけではない局面があったのだ。
 姫宮という名前でぴんと連想できる人は、海堂ワールドをよくご存知の人だ。実は姫宮看護人自身が、某省からの潜入であり、その上司にあたる人物も臨時の皮膚科医として登場してくる。俄然話はおもしろく展開する。

 本作品のタイトルにある「螺鈿」は螺鈿細工の螺鈿である。それには深い悲しみと癒やしが秘められている飾りでもあった。

 本書の楽しみはこのあたりの謎をときほぐしていくことである。そして巻末は映画に採り入れられている手法のようなシーンで終わる。続編を予感させる結末である。つまり、『ケルベロスの肖像』という続編が発刊される伏線が組み込まれていた。

 最後に、著者特有の医療行政、医療行為に関連する記述-主に登場人物たちに語らせているのだが-をいくつかご紹介しておきたい。こういう情報は読者にとって現実の医療を考える思考材料になる。

*いいか、医学生、覚えておけよ。死亡時医学検索は、医療における警察の役割を果たす。そこに金を拠出しない国家とは、警察に金を出さない国家に等しい。 p111
*現在の行政の原則は、経済効率が優先されているから、その裏で弱者の切り捨て作業が進行している。その原則を医療現場に適用すると、真っ先にヤリ玉にあげられるのが、終末期医療、救急医療、産婦人科や小児科、そして死亡時医学検索などの、金喰い虫や縁の下の力持ち、という地味な部門なのよ。  p160
*インフォームド・コンセントは、最終的には医者と患者の双方が納得することが、正しい診断と理に適った処置よりも大切だという考えに行き着くんです。互いに納得できれば、真実なんてどうでもいい。どう転んでも、医者の言い訳に使われるのがせいぜいでしょう。ま、その程度のことですよ。  p177
*患者が亡くなった時に検索せずして何が医学だ。医学は、出自の悪い学問のクセに、今や貴婦人のよに振る舞っている。笑止千万、一番大事な自分の母胎を軽視している現代医学は、いつかどこかで破綻する。・・・医学とはな、屍肉を喰らって生き永らえてきた、クソッタレの学問なんだ、ということを。  p241
*死因がわからなければ、治療の適切さを判断できない。犯罪が見過ごされる可能性もある。そんな現状を打破しようとして、一部の臨床医が解剖できない症例に画像診断を適用すべきだと主張した、それがオートプシー・イメージング、略してエーアイさ。エーアイは死体の画像診断だから、死因解明効果は抜群。ある法医学者が遺体をCT検査してみたら、体表検索の20%に間違いや不充分な点があったという報告もある。 p317
*死にたい人を死なせてあげるのと、殺すのは違う。それから確実に死ぬとわかっている人の最後をコントロールしてあげることの、どこが悪いの?延命だけの生を続けるのは医療の傲慢。どうせ死ぬなら他人に役立つように死ねばいいでしょ。  p345
*役に立たないもの、手間のかかることは切り捨てろ。それが今の官僚たちの思想の底流だ。厚生労働官僚である白鳥は、苦い薬を無理矢理呑まされたような顔をした。 p375


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本書に出てくる語句からの波紋でネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。

オートプシー・イメージング(Ai)は画像診断の特異点であり、
  Aiの導入は社会的要請になるだろう
  海堂 尊(医師・作家)
 作家名での論文を検索していて見つけました!「日獨医報」掲載のもの、2008年
 
アリグモ :ウィキペディア
アリグモ 「衛生動物だより」No.009 pdfファイル :「京都市」
日本のアリグモ属 同定の手引き  石田岳士氏
 
公的介護保険制度の現状と今後の役割 
  平成25年度 厚生労働省 老健局 総務課 pdfファイル
介護保険 :ウィキペディア
介護保険制度 解説・ハンドブック(手引き) :「WAM NET」
 
画像診断と死亡時医学検索 江澤英史氏  pdfファイル
死亡時医学検索の問題点(法医学の立場から) 岩瀬博太郎氏 pdfファイル
死亡時画像病理診断(Ai=Autopsy imaging)活用に関する検討委員会
 中間報告
 平成20年3月  日本医師会への中間報告
死亡時医学検索における超音波画像診断 内ヶ崎西作氏 
   :「オートプシー・イメージング学会」
 
Ai情報センター ホームページ
 
東京都監察医務院 東京都福祉保健局
  東京都監察医務院とは
 
死体解剖保存法 :「電子政府の総合窓口 イーガブ」
死体解剖保存法 :ウィキペディア
 
ホスピス :ウィキペディア
ホスピス(末期癌患者さんへの対応):「泌尿器科診察室」
緩和医療 :ウィキペディア
ターミナルケア :ウィキペディア
みんなのホスピス ホスピスを考える横浜市民の会
 

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今までに、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『ケルベロスの肖像』   宝島社

『玉村警部補の災難』   宝島社

『ナニワ・モンスター』 新潮社    1201020

『モルフェウスの領域』 角川書店

『極北ラプソディ』  朝日新聞出版



『陽炎の門』 葉室 麟  講談社

2013-09-23 11:07:50 | レビュー
 本作品は、九州、豊後鶴ケ江に6万石を領する黒島藩を舞台とする物語。桐谷主水が大手門を抜けたあと、脇にある石段を上り潮見櫓の門をくぐるところから始まる。軽格の平侍だった主水が37歳で産物方取締として執政に昇進し、藩の主立つ者のみが通れるこの門をくぐる。出世することを目標にし、職務において冷徹非情に振る舞うことから、<氷柱の主水>などと陰で呼ばれる主水が望みだった出世をし、初めての執政会議に出るために登城したのだ。
 だが、先輩の執政たちはそれぞれに思惑を持ち、主水に冷淡な応対をする。そして、藩主が出座してきて会議の始まる前に話題になったのが、芳村綱四郎が切腹の仕儀となったことと、後世河原の騒動だった。この2つの件に主水は関係していた。

 主水は眉尻に傷がある。この傷を無意識に触るのが癖になっている。それを藩主・興世が指摘した。この傷は主水17歳の時、後世河原での騒動中に怪我したのである。領内を流れる尾根川の河原で、城下で競い合う2つの道場-直心影流諸井道場と浅山一伝流荒川道場-に通う藩士の子弟がそれぞれに人をかき集めて、二十数人が決闘騒ぎを起こした。この騒動を聞きつけ、主水と綱四郎は止めに入ったのだ。だが、この騒動は死人が2人、ひどい怪我をした者も十数人に及ぶものとなった。そのうちの一人は片腕をなくした。現在の次席家老渡辺清右衛門の嫡男である。その後、この嫡男は京都で出家の道に入る。
 
 芳村綱四郎は、前藩主を誹謗する落書を書いたという咎めを受ける。その落書の「佞臣ヲ寵スル暗君ナリ」という筆跡は綱四郎のものと証言したのが主水だった。その落書には「百足」と記されていた。親しい友であるが出世競争の相手でもある綱四郎の手跡に間違いないと証言することで、競争相手がなくなることにもなる。その綱四郎は主水の証言が決め手となり切腹を命じられる。だが、綱四郎は主水の介錯を希望する。主水は綱四郎の首を打つ立場となる。それが10年前である。
 ちょうどこの頃、藩内では前の筆頭家老熊谷太郎左衛門と次席家老森脇監物との間で派閥争いが激しかった。俊秀な綱四郎は監物から目をかけられ、森脇派に属していた。主水は派閥を好まず旗幟を鮮明にしなかったのだが、亡父尚五郎が熊谷派に属していたことから、主水も親戚に迫られ熊谷派の会合に顔を出す様になっていた。熊谷太郎左衛門は当時の藩主・興嗣の気に入りであり、藩主は江戸藩邸で贅沢な暮らしをしていた。一方、監物は藩政改革推進として藩主に倹約を献策して、興嗣の不興を買っているという噂が立っている状況だった。その状況の中で、綱四郎が藩主を誹謗したというのだ。
 綱四郎は切腹の前に、家族に主水を決して恨むなと言い残したという。

 主水は執政に取り立てられる前年12月、36歳で嫁を迎える。江戸藩邸用人、芳村作兵衛の養女・由布である。だが、この養女は切腹した勘定方芳村綱四郎の娘だった。作兵衛が主水に縁組を持ちかけ口説いて、由布との祝言にこぎつけさせたのである。
 主水が執政となった日に、綱四郎の遺児である喬之助が主水の屋敷を訪れる。登城している主水に代わり、姉である由布が弟に会い話を聞く。喬之助は仇討ちするために戻ってきたのだという。そして、証となる書状を提出して仇討ちの許可を藩に願い出たのだ。

 翌朝登城した主水は、家老の尾石平兵衛に呼び出される。家老の執務室で同席していた町奉行の大崎伝五から書状を見せられる。その書状には、「芳村綱四郎ハ冤罪也、桐谷主水ノ謀也」と記され、末尾に「百足」と記されていた。
 主水は証言したことについて間違いはなかったと確信するものの、時おり綱四郎を介錯した際の光景を夢に見てうなされていたのだ。執政になったその翌日に、己の証言が正しかったことを立証しなければならないという窮地に陥る。

 18歳になっている芳村喬之助は百足と名乗るものから情報を随時得て、父親は冤罪なのだと信じ、仇討ちのため江戸から九州の国許に戻ってきたのだ。喬之助は、廻国修行をする剣術の師匠、直心影流の貫井鉄心の供をする形で立ち戻ってきた。そして、かなり武者修行を積んでいると思われる兄弟子、竹井辰蔵が一緒なのだ。この二人は、仇討ちが許されれば、喬之助の助太刀をする役回りを担うのだろう。町奉行所に仇討願いを提出した後、山越えして肥後に向い、三月後に戻って来るという。
 3ヵ月の間に、主水は10年前に何があったかを明白にしなければならなくなる。10年前の落書と今回の書状を、大崎伝五は主水に託すことはできないと言い、江戸詰めから帰国した小姓組の早瀬与十郎に書状を託し、主水に同行させるという。主水の究明活動に対して、体のよい監視役となるのだ。行動を制約され、限られた時間の中で、主水は己の証言に間違いがなかった事実を立証しなければならない。

 主人公桐谷主水は「俯仰して天地に愧じるところは何もない」と自分に言い聞かせていても、綱四郎の失脚により出世に邁進してきた己のあり方への懊悩が心中深く潜んでいる。そして、この窮地。10年前に生じていたことを明白にしなければならないという、事実究明が始まる。本書は、主水によるディテクティヴ・ストーリーとして展開する。その手がかりは、書状の筆跡であり、百足と記された言葉である。
 主水は、綱四郎とともに学んだ学塾の恩師、孤竹先生を訪ねることから始めていく。だが、そこから思わぬ展開が始まることになる。一方、主水には常に早瀬与十郎と大崎伝五の手の内にある闇番衆が監視の目を光らせる。

 20年前に起こった後世河原の騒動、10年前の熾烈な派閥争いの中での綱四郎の落書と切腹、その後の黒島藩内執政の更迭と新体制の実態、それらがすべて絡み合っていることが徐々に明らかになっていく。
 大きく見れば、黒島藩のお家騒動物語。そこには、複雑に絡み合う人間関係がある。主水と由布の関係、由布と弟喬之助の関係、執政間の確執関係とその底流にあるかつての派閥争い、究明に立ち向かう主水と与十郎・闇番衆との関係・・・まさに四面楚歌の人間関係のしがらみの中で、絡み合った人間関係の結びつきが解きほぐされていく。

 そこには、「忠義のあり方」「憧憬、ある種の忍ぶ恋」「出世願望」「派閥争い」などのテーマが絡んでいる。推理小説の手法をベースにして、ストーリーが展開していくので、一気に読ませるところとなる。「百足」がキーワードになるというおもしろさ。
 ストーリー展開にいくつかの意外性の仕掛け、どんでん返しが組み込まれていて、なかなか興味深い。そして、最後の幕の閉じ方もおもしろいところがある。

 芳村喬之助は師匠と兄弟子の剣術の力量を頼りにして、父の冤罪をはらさんが為に仇討ちをしようとする。
 「佞臣ヲ寵スル暗君ナリ」という文字が綱四郎の筆跡だと確信する主水は、主水の証言が咎の決め手となったにも関わらず、介錯を主水に委ね、従容として腹を切ったのはなぜなのかを究明して行く。
 そして、主水は綱四郎の娘であり今は己の妻である由布とこんな会話をする。
 「もうひとつわたしにはわかったことがある」
 「なんでございましょうか」
 「わたしがなすべきことだ」
 「旦那様は何をなされるおつもりでございましょうか」
 「亡き友の仇討ちだ」
 「それは--」
 「そうだ。わたしは百足を討って綱四郎の仇をとろうと思う」 (p198、一部略)

 瞬く間に3ヵ月が過ぎ、喬之助が豊後鶴ケ江に戻ってくる。藩は仇討ち願いを、武門の意地による立ち合いとして許可する。主水は、立ち合いの場所として、20年前に決闘騒動が行われた場所、後世河原を所望する。それは認められ、藩主興世の立ち会いの下で、主水は喬之助との果たし合いに臨むこととなる。
 その主水は由布に告げる。「わたしは喬之助殿を決して死なせず、必ずそなたのもとへ参らせると言い置くぞ」。これがいずれかが死ぬという立ち合いの場に臨むはずの主水の言だった。
 意外な展開がなければ、この解決策はありえない。このあたりがこの作品の読みどころである。実におもしろい展開だ。

 この作品を読みながら、なぜ「陽炎の門」という表題なのか。ちょっと不思議だった。それは最後の数ページにさりげなく記されている。ひとつは、次席家老渡辺清右衛門の嫡男で、片腕をなくし出家し、義仙と名乗る僧が主水に届けた書状に記された文言である。他のひとつは、1年後に潮見櫓の門をくぐった主水が、立ち止まって<出世桜>と称される桜に目を向けた時の体験だ。ここに、筆者のテーマのひとつが凝縮しているように思う。
 この作品もなかなかおもしろい仕上がりである。推理小説的手法を使いながら、武士道の根幹に関わる武士の生き様・価値観の一局面が追求され、描かれていく。それを鮮明にする形で、最終段階近くから榊松庵という医者が後世河原の騒動に関係する一人、証言者として登場してくる。
 主水は与十郎に言う。「わたしは殿に抗い、戦いを挑む不忠、不義の道を歩もうと思い定めた」と。
 人間の性・嗜好性に基づく非道、武士の忠義、そして忍ぶ恋の有り様が織り上げた物語である。そこにひとひねり加えられているところが、この作品のおもしろさだと感じる。 後は、ストーリー展開の妙を読んで愉しんでいただくとよいだろう。


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本作品を読み、こんな語句をネット検索してみた。一覧にしておきたい。

君君たらずといえども臣臣たらざるべからず デジタル大辞泉の解説:「コトバンク」

直心影流 
 → 直心影流剣術 :ウィキペディア
 → 直心影流 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
 → 法定(ほうじょう) :ウィキペディア
 → 鹿島神傳直心影流 :「日本古武道協会  official site 」
 → 鹿島神傳直心影流
 → 直心影流 直心伝習館
 → 直心影流 「法定」 :「日本伝統技術保存会」
古流の剣道  「直心影流 - 連続の形」 :YouTube
  
浅山一伝流:ウィキペディア
浅山一伝斎 デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 :「コトバンク」
浅山一伝流兵法 :YouTube
浅山一伝流 第31回浅草日本古武道 :YouTube
 
押込 :ウィキペディア
主君押込 :ウィキペディア
 
豊後国 :ウィキペディア


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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『おもかげ橋』 幻冬舎

『春風伝』  新潮社

『無双の花』 文藝春秋

『冬姫』 集英社

『螢草』 双葉社

『この君なくば』 朝日新聞出版

『星火瞬く』  講談社

『花や散るらん』 文藝春秋

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版

『日御子 ひみこ』 帚木蓬生  講談社

2013-09-19 11:35:52 | レビュー
 著者の作品を読むのは本書が初めてだ。作家名は知っていたが本を手にしたことがなかった。この本のタイトルは新聞で出版の広告を見たときから気になっていた。「日御子」から「卑弥呼」を連想していたからだ。本を開けると、「2~3世紀頃 倭国想像図」という地図が載っている。何となく「卑弥呼」につながりそう・・・・。だが、つながるのかどうかもわからないまま、読んでみる気になった。

 読後印象の結論を言えば、著者の創造した2~3世紀の倭の国と大陸との関係という世界に引き込まれて入った。少なくとも百数十年という期間にわたり、一家系の立場を主軸にしながら、当時の倭国の有り様を著者流に翻案して創造しているからだろう。読み応えのあるストーリー展開になっている。

 遠い昔、大陸からこの倭(今の日本)という地に移住してきた<あずみ>の一族が、使譯(しえき)つまり、通訳という職能を一族の天職として営々と生きていく。その<あずみ>が各地に分散移住して行っても、使譯という仕事に就いているのは同じ。そして、使譯という職能を通じて、一族はネットワークを維持し続けている。ストーリーは、この使譯の一家系において、代々の後継者がその都度の中心人物として、中国への「朝貢」という活動に営々として携わって行く。この使譯の目から2~3世紀の時代、政治と闘争、諸国の繋がりなどを描きあげていくという視点がユニークであり、一貫している点である。
 次に、この使譯の家系に伝わる<あずみ>の教えが、本書の基盤となり、ストーリーが展開していくことだ。「人を裏切らない。人を恨まず、戦いを挑まない。良い習慣は才能を超える」。この教えが、この家系の一人、日御子の傍で使える巫女となった炎女(えんめ)から日御子に伝えられ、日御子にとっての生き方の教えにもなっていく。それが本書のテーマの一つ「和平」に反映していく。そしてこの炎女が第4の教えを生み出していくことになる。「仕事と仕事の間に骨休めがある」。やっている仕事を変えること自体で骨休めになるのだというという教えだ。骨休めの時間をとる必要性はない。仕事を変えることが骨休めなのだという。
 3つめは、史実を取り込みながら、著者が創造した2~3世紀の時代であるという点だ。いわゆる「邪馬台国論争」とは無縁の立場で、当時の歴史時代と不即不離の形で一つのヴァーチャルな世界を生み出しているといえようか。博多湾頭の志賀島から「漢委奴国王」と記された金印が出土したという史実、魏に朝貢した卑弥呼に銅鏡がもたらされたという事実、一大率の設置という類いの史実をストーリーの中に押さえながらも、それらを換骨奪胎したかのように組み込んでいる。それは、歴史書で扱われる当時の倭国の国名と著者が設定した国名の不即不離だが、一線を画した時代設定にもあらわれている。
 たとえば、史実と本書の国名設定を対比するとこうなる。邪馬台国:弥摩大国、奴国:那国、末廬国、一支国:壱岐国、不弥国:宇美国、投馬国:当麻国、などである。つまり、大凡の史実情報を下敷きにしながらも、独自に大凡の国割りを北九州に設定して、ストーリーを展開する。邪馬台国論争視点とは無縁となり、実におもしろい。考えてみれば、当時の倭国の国名は当時の中国側が書き記した「魏志倭人伝」などの書に依存しているから、中国視点であり、中国流に解釈され漢字で適宜国名が音写されただけであるのかもしれない。そこを著者は逆手にとって、倭国を再創造したと思われる。だから、楽しい。

 さて、ストーリー全体を貫くのは、その当時の中国の王朝への倭国からの「朝貢」という行為の描写である。その「朝貢」に当たっての使譯を担当する<あずみ>の一家系の物語である。大きくは三部で構成されている。
 第1部の表題は「朝貢」である。冒頭、那国の使譯であって後に伊都国の使譯になった灰の物語。那国からの漢への朝貢使に随行し、使譯として名を馳せる。成果を上げ、那国王から信頼される使譯であるが、国王にも伝えられなかった苦い思いを残す。それは「那国」が中国側で「奴国」という文字を当てたということ。本書のおもしろい点は、かなりの部分で、独白体で主人公が将来使譯の後継者になると目した人間に己の体験と思いを語る形で綴られているところである。まず最初は、灰が孫である針に語りかける形ではじまる。その話の内容が意外な事実含む展開となる(もちろん、フィクションの中での創造としてだが・・・・。そんなこともあったかもと思わせるところに妙味がある)。灰は死後、志賀島、韓、その先の漢に連なる空間を眺めることができる伽耶山に墓を作ってほしいという望みを託す。「この地に立てば、壱岐国も望める。その先に対馬国があり、さらに韓の国、漢の国と連なっている。地中に眠る祖父の眼は、その漢の国をも見据えているのだ」(p84)。
 この灰が自分の息子、そして孫の針に<あずみ>の教えを伝えていくのであり、そのいわれが語られる。
 そして、伊都国王の命により、漢への朝貢使が送られる。このときの使譯を針が担う。対馬国-伽耶国-楽浪郡を経由し、陸路を馬車に分乗して、延々と漢都・洛陽に至る朝貢使の行程が克明に描写されていく。このあたり、「朝貢使を送った」という歴史の短文記述の意味の重さが感じ取れて、読み応えがある。
 針の娘・紅女は弥摩大国の使譯の家に嫁ぐ。そして、針が息子・沢に独白し、死を迎えるところで第1部が終わる。針の希望も、伽耶山の頂、祖父・灰の傍で眠ることだった。
 第2部の表題は「日御子」である。冒頭、弥摩大国の使譯の家に嫁いだ紅女の独白から始まる。それは孫娘の炎女(えんめ)への語りである。紅女が炎女に<あずみ>の教えを伝えるのだ。この炎女が弥摩大国の宮郭に巫女として仕える。誕生した日御子の傍近く仕えるようになった炎女が日御子にこの<あずみ>の教えと、炎女が己への教えとした第4の教えを伝えることになる。それが日御子の有り様に融合し、その考え、行為の背景となっていくという展開が興味深い。そして、日御子が炎女から漢字を学び、自ら読み書きができる国王に育っていくというのだから、俄然おもしろくなる。そして、日御子は鬼道が自ら身についていく人物になるという設定である。ある種の予言者の役割を果たすようになっていく。国王を継いだ日御子の願いは、倭国内にあっては、不戦・和平による治政であり、大陸の中国王朝に朝貢することなのだ。
 この第2部は第3部に引き続き、2~3世紀の小国分立、闘争、連合体形成という歴史展開のプロセスを著者の視点から、想像力を羽ばたかせてその状況を描写している。フィクションであるといえども、当時の時代イメージを思い浮かべるには有益である。
 そして、日御子の父である国王からまず韓の国への使者派遣が命じられる。辰韓国王への書簡の起草を炎女は指示される。使譯を担うのは炎女の父・朱である。
 日御子が国王となり、後に倭国連合の盟主に擁立され、一方で炎女が日御子に見とられながら死んでいくこととなる。
 弥摩大国の南に位置する求奈国が、倭国連合に組みしない。弥摩大国に対立し続けるのである。

 第3部の表題は「魏使」である。この第3部も、日御子の生涯の後半に、使譯として仕えた在の独白、銘に対する語りから始まる。在はあの炎女の甥である。在は大陸における黄巾の乱、太平道の蔓延と漢の凋落、そして魏・呉・蜀の三国並立を語る。そして日御子から魏への朝貢使派遣における使譯を務めるように指示された経緯を語る。そして、この朝貢の状況が具体的に語られていく。時代が進み、諸技術に進歩がみられるとはいえ、船、馬車という手段による道程がいかに厳しいかが、再び描写されている。これら朝貢の行程描写の違いを対比的に読むのもおもしろい。
 この朝貢の状況は、歴史的事実として残されている「魏志倭人伝」などでの記録がたぶん下敷きになって描かれているのだろう。著者はこの時の魏の対応として、「回賜品だけでなく、倭国王に<親魏倭王>の印綬が与えられた。同時に、正使の南勝舞は率善中郎将、副使の年郡は率善校尉に封じられ、印綬もつけられた」(p431)と具体的に描写している。景初2年から景初3年のこととして描かれている。また、このとき、倭国への帰還において、魏からの使者が同行したということに触れていて、それが倭国という存在、その地理・地誌のリサーチでもあったということを、使譯が気づいたこととして描いていて興味をそそられる。地図で空白だった地域の事実探索、地図づくり、情報収集が狙いでもあったというのは、納得である。魏の使者一行の倭国での描写も結構具体的である。著者の想像力が羽ばたいているのだろう。それを裏書きするような記録が中国側の資料にあるのだろうか。興味が深まる。
 本書では、日御子の朝貢に対する考え方が明瞭に語られていておもしろい。
 
 最終段階の展開において、弥摩大国と求奈国の国同士の対立状況にかかわらず、<あずみ>一族が、使譯という立場において、私ベースでの交流チャネルは維持しつづけていて、それが重要なファクターとなってくる。このあたりが、<あずみ>の教えの本領発揮という局面となる。時代は、日御子が亡くなり、しばしの内乱の後、壱与が国王を継承する。一方、大陸は魏から晋へと移る。銘の息子・治が登場してくる。また、銘と双子の兄妹であり求奈国の使譯の家に嫁いだ鋏女、その息子・浴が登場してくる。
 読んでいて、感情的にも高まってくる展開となる。本書の結末の付け方はさすがである。ご一読の感興を損なわないように、内容には触れずにおこう。

 著者は、本書のはじめあたりで、<あずみ>の一族の名は、5つの文字の繰り返しで世代がつづくという設定を記している.人気ブログランキングへ
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本書の背景になる関連語句をいくつかネット検索した。一覧にしておきたい。

朝貢 :ウィキペディア
冊封 :ウィキペディア

志賀島 :ウィキペディア
漢委奴国王印 :ウィキペディア
福岡市博物館 ホームページ


卑弥呼 :ウィキペディア
邪馬台国 :ウィキペディア
邪馬台国九州説 :ウィキペディア
邪馬台国畿内説 :ウィキペディア
邪馬台国は、どこにあった? :「邪馬台国の会」
邪馬台国論争の真相~古事記、日本書紀に卑弥呼も倭国大乱も記述がない理由~
  暁 美焔 氏
伊都国 :ウィキペディア

邪馬台国大研究 ホームページ
 いろいろと学ぶことが多いウェブサイトです。
邪馬台国考  れんだいこ氏
卑弥呼の墓と邪馬台国論争 :「文芸ジャンキーパラダイス」
伊都国女王卑弥呼 :「伊都国女王卑弥呼」
目にとまったもののいくつかです。探せば秀逸な個人サイトが数多くあることでしょう。

志賀海神社 :「しかのしまネット(志賀島)」
志賀海神社 :ウィキペディア
阿曇氏 :ウィキペディア
安曇族の開発【「農」と歴史】 :「関東農政局」
さらに詳しく 安曇氏 :「関東農政局」

NHKスペシャル邪馬台国を掘る 邪馬台国論争の新展開  えっ、卑弥呼は邪馬台国の女王ではなかった?!


三角縁神獣鏡 :「宮内庁」
三角縁神獣鏡 :ウィキペディア
三角縁神獣鏡の復元  研究論考  101ページに及ぶpdfファイルです。



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『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債 (上)』 幸田真音  角川書店

2013-09-15 11:02:14 | レビュー
 本書はタイトル作品の上巻である。高橋是清生誕の経緯から、明治26年(1893)9月23日、馬関(山口県下関)の日本銀行西部(さいぶ)支店・支店長として着任し、10月1日に無事支店を開設する。「こうしてついに是清は、銀行家としての第一歩を踏み出したのである」という末文まで、つまり是清0歳から 40歳までの人生を描き出している。この半生を読むだけでもその生き様が興味深く、読んでいておもしろい伝記小説になっている。百年前に日本国債を発行し、2.26事件で暗殺の標的になって殺された人物(享年82・満81歳没)の半生として上巻だけ読んでも楽しめると言える。そこでまず本書の読後印象を記すことにした。副題部分の展開を知るには、下巻を読む必要がある。後半は銀行家・高橋是清のその後の人生譚になるのだろう。
 現時点では、中公文庫で『高橋是清自伝』(上・下)が出ている。インターネットの青空文庫では、高橋是清自伝(2666)の公開が準備されている。(資料1)『高橋是清随想録』という本人の口述記録本、『随想録』(高橋是清・中公クラシックス)などが市販されている。たぶん、高橋是清の研究者による論文も数多くあるだろう。ウィキペディアに掲載の「高橋是清」もかなり詳細に記載されている。
 学生時代に、日本経済史で多少高橋是清を学んだ記憶がある程度で、経済学部で学び関連書を購入しながら積ん読本になった。自伝を含めそれ以上深く突っ込んでみようとしていなかった。高橋是清の伝記について読むのは本書が最初である。ウィキペディアもこれがきっかけで検索した次第。学生時代に一歩突っ込んで踏み込んでいたら・・・という思いである。
 つまり、事実あるいは準事実記録が数多ある中での伝記小説化なので、記録で語られていない背景にどこまで創作としての想像力が羽ばたいていくか、その展開に自然さ、納得度が感じられるかが読ませどころになるのではなかろうか。ウィキペディアの「高橋是清」にある「年譜」がかなり具体的なので、ここを読むだけで時系列的な是清の人生のエポックは史実としてほぼつかめる。この年譜で言えば、1854年(嘉永7年)閏7月27日の項から1893年(明治26年)9月の項目までが、本書で描かれているということになる。(資料2)この期間における箇条書きの年譜事実が、小説という形で躍動していくのだから、やはりそのおもしろさはこの年譜では味わえない。この年譜に記載されていず、事実記録資料に記載のことと、著者が描き込んだ事実内容と想像の局面との間に、どれだけのギャップがあるか、その対比をしてみるのも興味深いかも知れない。そのためには、上掲の自伝・随想録に立ち戻っていく必要がある。いずれ自伝類も読みたくなってきたところだ。

 この上巻は、序章「その朝」で始まる。「雪が、すべての音を呑み込んで、闇の底に沈んでいる」という一行から始まる。昭和11年(1366)2月26日の朝の情景が描き込まれ、2.26事件に巻き込まれるクライマックスの直前を暗示する。
 第1章から第5章がこの上巻を構成する。伝記小説なので時系列的な描写である。以下、ウィキペディアの「年譜」と各章を対比させながら、若干の感想を述べてみたい。

第1章 金の柱の銀行
 1854年(嘉永7年)から1869年(明治元年)。仙台藩士の子弟の中から、横浜に出て英語教育を学ぶ対象者に是清が選ばれたということが、その後の是清の波瀾万丈の人生へのトリガーとなったのだ。この時から、もう一人選ばれた鈴木知雄(ともお)との生涯を通じての関わりが深まるとともに、それぞえの対照的な人生の歩みとなる。この二人の違いが維新後の建国揺籃期を象徴しているといえるかもしれない。
 ここの読ませどころは、やはり渡米して奴隷という境遇に放り込まれてしまった経緯とそこからどうして抜け出したかという展開だろう。
 特筆すべきは是清が、文字・書籍からでなく、クララ・ヘップバーンから会話を中心に、対話形式を基本として英語を学び、柔らかい頭に英語音と英語を吸収していったことだろう。彼女はヘボン式ローマ字表記法を考案したあの医師であり宣教師でもあったヘボンの夫人だった。
 英国系銀行チャータード・マーカンタイルの横浜銀行の門が鉄でできていたので、金(かね)の柱の銀行と一般に呼ばれていたというのがおもしろい。シャンドという人がこの銀行の支配人級の人物。そこのボーイの仕事に就くことが是清の英語人生の始まりだったのだ。

第2章 まわり道
 1869年から1872年まで。満14歳から満18歳、多感な年代だ。明治元年、徳川幕府が崩壊し、仙台藩が朝敵となっている最中での帰国。森有礼の書生となるまでのプロセスの苦労話、そんなことがあったのか・・・・動乱期の様子が伺える。本作品から森有礼という人物にも関心が出てきた次第。
 大学南校に入り、その直後にはや学生兼教官補佐役となったというのだから、是清の英語力がかなりのものだったことと、当時の英語熱、教師側の人材不足がうかがえる。
 章題「まわり道」が示すように、是清は16歳で、大学南校の下級生3人の借財の面倒をみることから、放蕩の世界にのめり込んでいく。この放蕩生活が、それも日本橋一の売れっ子芸妓「枡吉」と情を深めたとか。このエピソードが実におもしろい。戦国時代から江戸時代を考えると、16歳では既に元服してしまっている年齢だろう。遊蕩に足を向けるというのも社会体制的、心理的に抵抗感の少ない時代でもあったのかもしれない。
 この3人に関わった250両の借財が、是清にとっての国内における巨額借金人生の始まりなのかも知れない。そして、転変人生の始まりになる。大学南校への辞表提出。唐津藩での英語学校耐恒寮の教員となり、英語学校創設、運営を実践体験していくのだ。ここでの学校運営に是清のマネジメント能力の萌芽がみられるようだ。是清の潜在能力が顕在化するきっかけである。

第3章 広き世界へ
 1972年から1886年(「年譜」では1885年の記載まで)。
 海外渡航、海外生活経験があり、英語が縦横に使える人材というのは、明治の建国揺籃期には、人材が払底していたのだろう。英語力があり優秀な能力がある人材なら、その私生活に多少の瑕疵があろうと、気にならなかった時代かもしれない。まさに需要と供給の極度のアンバランスが、沈没してもすぐさま引っ張ってでも浮かびあがらせるという作用が働いたというところか。明治維新の動乱期、社会を引っ張る側に立った多くの人々が幕藩体制から明治維新の中で、それぞれ有為転変の人生体験を経てきているのだから、是清の私生活の瑕疵など、相対的に気にならぬところ、一歩譲って、大目にみられるということだったのか。まさに能力主義の時代だったようだ。太平の世の中では、考えられないこと。高度経済成長期以降の「実力主義」「能力主義」というフレーズが色褪せて見えてくる。
 東京に戻った是清の役人生活の転変時期が描かれる。フルベッキに厚意を持たれており、その屋敷に居候をして、役人暮らしを始めるということだから、是清の本質はやはり見るべき人が見れば、評価に値する人物だったのだ。
 国の行政諸機関を、その時々の事由により辞表を提出して、再び別機関の相手方からの引きで役人暮らしを転々としていくというプロセス。ある意味、明治の国家機構には、その省に立つトップの自由裁量や闊達さがあったのだろう。そんなことは、たぶん今の国家公務員の採用過程では考えられないこと、夢の世界とも言えるのではないか。そう考えると、高橋是清という人物も時代が生み育てたという側面が強くあるという気がする。
 末松謙澄(のりずみ)と知り合いになり、生活のために始めたこととはいえ、翻訳生活に没頭するという局面の描写がおもしろい。
 さらに、是清が相場の世界を知るために、わずか4ヵ月という期間とはいえ、「六二商会」という米の仲買店の開店を実験的に実行していたということには驚いた。仲買店を開店できるだけの資金を準備できたということと、真実を知るためには、自らその世界にまず飛び込んでみる、体験してみて考えるという是清の人生哲学にである。まさに、体験・経験という行動優先主義、実践主義であり、アクション・リサーチを自らの人生で実行した生き様に対してだ。放蕩生活も含め、是清の経験がいずれ様々に生かされていくのだから、実におもしろいと言える。著者の想像部分、創作部分がどこに織り込まれているのだろうか。
 発明、商標、版権という特許局の礎を確立する推進者になったのが是清だったということを、本書で初めて知った次第である。この草創期のプロセスが克明に書き込まれていて参考になる。そこにも様々な政争が背景にあったということも。
 是清が商標登録専売特許制度視察のため欧米各国を巡歴し、知見を深める経緯の展開描写も興味深い。英米が独立した特許院に権限を持たせている実態と真意を体得して、是清が日本への帰路につくところで、この章が終わる。

第4章 浮くも沈むも
 1886年(明治19年)11月の帰国(「年譜」では1887年)から1891年(明治24年)ころまで(「年譜」は1890年の記載まで)。
 欧米への制度視察から帰国した是清は、農商務省にたまたまできた8万円の金の使途として特許局の建物建設の進言をし、特許局の独立拠点づくりにかかる。そして、1887年には特許局長に就任する。1889年(明治22年)2月に、是清が情熱を注いだ工業所有権保護の条例が施行される。同月、是清を常に支援してくれたあの森有礼、当時文部大臣が暗殺されてしまう。翌月には義祖母の喜代子も逝去する。
 もし是清が特許局長にとどまり、役人の道をそのまま上っていたとしたら、どんな人生だっただろうか? そうはならないのが是清の人生。友人達に懇請され、自らも出資して、ペルーにおける日秘共同事業として、アンデスの山頂での銀採掘事業に、現地責任者として出かけていくことになる。日本人の豊富な労働力の海外進出の先駆けでもあった。だが、この計画は曲者だったのだ。特許局長にまでなった是清が、手痛い体験をする羽目になる。この失敗談の顛末が克明に描き込まれていく。だが、この失敗は結果的には是清にとっては、大いなる学びの機会ともなったのだ。実践行動体験主義者の是清には、ある局面において、失敗は次への成功の母である。その分析力、省察力が是清の優れた能力の一端なのだろう。これも読んでいておもしろく、一読者として学ぶことが多い。
 日本からのペルーへの本格的な集団移民が開始されるのが、それから9年後、明治32年だったという。ブラジル移民は明治41年からだ。
 ペルー銀山採掘事業の完全失敗で是清に残ったのは不名誉と1万6000円の債務だけ。貯金をすべて返済にあて、洋館と日本家屋の建つ1527坪の敷地、この不動産を処分し、高橋一家はすぐ近くの長屋住まいに転落。このとき是清は35歳。再婚した妻・品と息子2人、娘1人の家庭の柱になっていた。心理的には是清のどん底人生期だろう。たぶん、アメリカで奴隷の境遇に陥ったときでも、それほどには落ち込まなかっただろうと感じる。この転変にめげない品という妻女もすごい人だと思う。

第5章 実業の世界へ
 1892年(明治25年)から1893年。是清が実業の世界にシフトしていく転機の時期である。日銀総裁の川田小一郎が是清に会いたいと声をかけてきたというのだ。どん底生活期の是清と金融界の頂点にいる川田との出会いである。是清の思考・信念と態度、行動が川田の新任を得ていくのだ。この出会いの描写も読み応えがある。
 山陽鉄道の社長の職を川田から斡旋されるのに、即座にそれを断る是清。そこには、是清の生き様の哲学、譲れない信念があった。だが、それが結果的に、是清を銀行家として歩ませる契機になる。
 この章では、年俸1200円で建築事務所主任という職務からスタートしていく。このとき、かつて20年くらい前の教え子だった辰野金吾が技術部の監督として、是清の上司になるのだ。川田は気にかけるが、是清は全く気にかけない。ここにも是清という人の一面が明瞭にでている。彼のすごさだともいえる。
 日本銀行日本橋本店本館の新築工事の進行に携わり、そのプロセスでの問題点解決を主導的に進める是清の行動と結果・成果が、彼の能力の評価を増し、信望を集め、信任を高めていくことになる。このプロセスもおもしろい読み物だ。是清がこの期間に一から研究し、実業について、銀行についての知識の基礎作りを行っていたことが理解できる。やはり傑物であり、努力の人だったのだ。その果敢なチャレンジ精神に学ぶところは多い。
 もっと早く高橋是清の自伝を読むべきだった・・・・そんな思いも抱く次第。
 そして、1893年(明治26年)9月に日銀支配役・西部支店長として、馬関に単身赴任し、10月1日に支店を開設するのだ。

 「こうしてついに是清は、銀行家としての第一歩を踏み出したのである。」上巻の結びの一文である。

 それぞれのエピソードがある意味で問題解決プロセスである。そのプロセスに是清がどのように関わり始め、どのように問題解決し、手腕を発揮したか。失敗に終わったエピソードは、逆に是清がそこから何を学んだか、それが「失敗は成功の母」として生かされていったのか。高橋是清の人生前半だけからでも、学ぶことが無数にある。そして、小説を楽しむということも。
 後半人生がどう展開していくのか、期待感が高まる次第。2.26事件で暗殺され生涯を終えたという事実は知っていても・・・・。

 ご一読ありがとうございます。
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参照資料
1)青空文庫 作業中 作家別作品一覧:高橋 是清 No.867
2)高橋是清 :ウィキペディア
 

いくつが語句をネット検索してみた。結果を一覧にしておきたい。

高橋是清 :「ニコニコ大百科」
ジェームス・カーティス・ヘボン :ウィキペディア
グイド・フルベッキ :ウィキペディア
森 有礼 :ウィキペディア
川田小一郎:ウィキペディア
鈴木知雄 デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 :「コトバンク」

開成学校 :ウィキペディア
「去華就実」と郷土の先覚者たち 第6回 高橋是清と耐恒寮:「宮島醤油株式会社」
耐恒寮の少年たち  宮島清一氏
  まちはミュージアムの会 耐恒寮の物語塾第1回 pdfファイル
日本近代建築の夜明け_高橋是清と辰野金吾、曾禰達蔵 :「洋々閣」

日本銀行 沿革 1850~  :「日本銀行」ホームページ
アジアにおける英系国際銀行 西村閑也氏  三田商学研究  pdfファイル
横浜正金銀行 :ウィキペディア


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下巻の読後印象はこちらに載せました。ご一読いただければうれしいです。

『ケルベロスの肖像』  海堂 尊   宝島社

2013-09-11 10:22:10 | レビュー
 いつものことながら本書も作品のイトルづくりがうまいなと思う。ケルベロスという知る人ぞ知る名称をポンと象徴的に投げかけてきて、関心をまず引きつけている。そして、作品の冒頭で、その名称に対する説明を少し加える。
 「ケルベロスは地獄の番犬、冥界の犬と呼ばれる。三つの頭を持つ異形の犬である。弟のオルトロスは双頭の犬で、雌牛の番犬に格下げされていることはよく知られている。ところが、彼らは三兄弟だった、という事実はほとんど知られていない。」(p8)と。
 この何となく怪奇なムードが、何を語るのだとうと、読者を引きつけていく。なかなかの手練である。
 「よく知られている・・・よく知られていない」それそのものが、非常に曖昧であり、知りたくなる誘因となる。ケルベロスもオルトロスも、よく知られているだろうか?私は知らなかった。ヨーロッパの知識人にはよく知られていることなのかも知れないが。

 たぶんとあたりをつけて、読後に手元の本を参照してみたら、やはりギリシャ神話に出てくる。『ギリシャ神話』(呉茂一著・新潮社)に「地獄の猛犬ケルベロス」(p22)と出てきて、「大体頭が三つあって口から火を吐き、尾は一匹の蛇になっている。その上に背筋からも何匹もの蛇が頭をもたげる姿で想像された、また酷いのは頭が五十あるいは百あったという説まである。彼は冥王の館の玄関につながれていて、入って来る者には特に吼え立てないが、出ていこうとすると烈しく吼えついて許さない、ともいわれる」(p195)と具体的に記す。また、『ギリシャ・ローマ神話辞典』(高津春繁著・岩波書店)の「ケルベロス」は「冥府の入口の番犬.・・・ヘーシオドスはこの犬は50頭をもち、青銅の声をもっていると言っているが、100頭とする詩人もある。もっとも一般に古典期に通用したのは、3頭で尾が蛇の形をし、頸のまわりに無数の蛇の頭が生える形である」(p123)と。高津氏はケルベロスが「テューボーンとエキドナの子。したがってゲーリュオーンの怪犬、レルネーのヒュドラー、ネメアのライオンの兄弟」と補足する。このゲーリュオーンの怪犬というのがオルトロスのことである(呉氏の記載と照合)。しかし、両書ともオルトロスの姿については語っていない。オルトロスが双頭というのはウィキペディアには説明が載っている。本作品の著者が「三兄弟」というのはそんな説もあるということか、あるいは著者の創作部分だろうか。まあ、余談だが気になる。

 さて、このケルベロスがどう関わっているのか? 実は東城大学医学部付属病院の高階病院長宛に「八の月、東城大とケルベロスの塔を破壊する」という差出人不明の脅迫文が送られてきていたのだ。この作品の一応の主人公はあの田口先生である。この田口先生が高階病院長の巧妙な話術による頼み事を引き受ける羽目になって、話が展開していく。
 この脅迫文の裏には、過去の複雑に絡み合った事象が関係しているのではないかという推測を、白鳥室長の部下の姫宮が、高階病院長の許に持ち込んで来るのだ。姫宮がその最大の問題として、碧翠院桜宮病院の炎上事件で、桜宮巌雄先生ほか一族全員が死亡したと思われていたが、小百合とすみれの双子のいずれかが生き延びたのではないか、という疑惑が出てきたという。そして、この生き残りの一人が、脅迫文に関わりがあるのではないかと言うのだ。
 つまり、ケルベロスの塔とは、時あたかも桜宮岬に建てられたAiセンターの開所が迫ってきている段階であり、田口先生はこのAiセンターのセンター長を拝命してしまっているのだ。また、碧翠院桜宮病院の炎上事件における双子の姉妹にも、過去、田口先生が関わったことがあるのだ。ケルベロスの塔=Aiセンターならば、さらに東城大学も破壊の対象となれば、リスクマネジメント委員会の委員長でもある田口先生が関わらざるを得ない立場である。既にそんな状況に田口先生が追い込まれているとも言える。
 かくて、ストーリーが展開していく。

 本書は二部構成となっている。全体としては謎解きでありながら、その人間関係の関わり方がコミカルなタッチで描かれていて、ところどころで笑えてくるシーンもあって、おもしろい。そして、話は次々に意外な展開をしていく。
 第一部は、脅迫文が起点になりながら、桜宮の双子姉妹のいずれかが生存する可能性が浮上し、炎上事件の当日のことが一歩深く明らかになってくる。そして、Aiセンターの開所を目前にして、ノーベル賞候補者と目されているマサチューセッツ医科大学上席教授・東堂文昭がウルトラ・スーパーザイザーとしてAiセンターに参入してくるのだ。彼は高階病院長を、高階の嫌う呼び方「ゴン」を連発する。高階の学友でもあった。ビッグマウスの東堂が、プレゼントだと言って、Aiセンターに9テスラのマンモスMRIマシン「リヴァイアサン」を持ち込もうとする。それが引き起こすあれやこれやのエピソードがけっこう楽しめる。エピソードは第2部前半で展開されるのだが。思惑が錯綜するAiセンター運営連絡会議の展開がおもしろい。
 会議の最後の段階で、出席者の一人、あの斑鳩室長がこんな説明をする。ケルベロスの塔とは警視庁が発祥らしい隠語でAiセンターをを指すのだと。そして、ケルベロスの3つの首と同様に、Aiセンターも3つの顔を持っているという共通点があると説く。
 第二部は、「リヴァイアサン」の搬入顛末、司法解剖の見落とし問題、そしてAiセンター開所日に企画された公開シンポジウム。このシンポジウムがとんでもない方向に急速に展開していくのだ。それが、忌まわしい過去を浮上させてくる。そして、Aiセンターの建設そのもののプロセスすらも。最終章「東城大よ、永遠に」で意外な結末を最後の最後に迎える。

 海堂の桜宮市東城大を中心にした海堂ワールドは、今後どう展開していくのか。興味津々だ。

 本書は2012年7月下旬に出版された。この時点での二足の草鞋の作家・海堂尊のもう一つの現在の仕事の肩書きは「独立行政法人放射線医学総合研究所・重粒子医科学センター・Ai情報研究推進室室長」である。現実のAiにもやはり波風の烈しい局面があるのだろうか。事実は小説より奇なり、ともよく言われるが・・・・。

 ご一読ありがとうございます。

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本書と関連した用語をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。

ケルベロス  :ウィキペディア
オルトロス  :ウィィペディア
テューポーン :ウィキペディア

テスラ :ウィキペディア
MRIのホームページ    MRI(磁気共鳴画像)
核磁気共鳴画像法 :ウィキペディア

放射線医学総合研究所 ホームぺージ
  放射線医学総合研究所とは?
  重粒子医科学センター
 

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今までに、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『玉村警部補の災難』   宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社 
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』  朝日新聞出版




『利休の風景』 山本兼一  淡交社

2013-09-09 10:43:36 | レビュー
『利休の風景』 山本兼一  淡交社

 奥書を読むと、本書は著者による月刊誌『淡交』(平成22年新年号から平成23年12月号まで)への連載に加筆・修正したものだ。千利休とその周辺の人々に関して著者が思索した心象風景がエッセイとして結実している。そして最後は、京都府大山崎の禅刹・妙喜庵内にるある茶室・待庵での、樂吉左衛門と著者との対談で締めくくられている。
 エッセイが24篇、そして対談である。対談は本書の出版に当たっての新規収録だという。

 ご存知のとおり、著者は平成20年、『利休にたずねよ』で直木賞を受賞した。平成16年には『火天の城』で信長、安土城を取り扱い松本清張賞を受賞している。先日読後印象を掲載しているが、最近作の『花鳥の夢』の最終展開あたりで千利休が登場してくる。直接、間接に千利休のことを考え続けてきた著者の思索の中の風景が窺え興味深い。当然のことながら、小説に描かれた利休に対する読後印象とこのエッセイを千利休に関わる知識情報源として読んだ印象が重なり、共振してくる。

 著者は千利休をいろんな切り口から眺めていく。 一つのエッセイにはいくつもの観点が入り込んでいるが、読後印象から敢えて仕分けてみると、私には大凡こんな切り口が見える。各項目にある部分強引に分類記載したのはエッセイのタイトルである。

 茶の湯とは
  侘びと艶、異端のダイナミズム、レトリックの達人、紹鴎の教え、珠光の戒め
 人間利休
  恋い-命の芽吹き、悟りと執着、大胆であること、理知と奔放、美の苦しみ
  奢りか冤罪か
 茶の空間としかけ
  末期から始まる、異界への旅、胎内回帰装置、玄妙なる空間、亭主の愉しみ
 茶道具
  鳥籠の水入、憧れと懐かしさ、長次郎の伝説
 周辺の人々
  等伯と永徳、会所と同朋衆
 時代・環境
  夢のあと、禅について、戦国期のバブル

利休像を多面的に浮かび上がらせて、利休が生きた時代の風景の中に利休を置こうとしているように思える。紹鴎と珠光は利休が接した周辺の人々でもある。
そして、その風景の中に収まりきらない局面が利休の普遍性なのかもしれない。

 紫野大徳寺の聚光院は両親が戦後に部屋を借りていた時期があるとかで、少年時代から聚光院を訪れ、茶室・閑隠席を覗いていたという。そして父から「ここで、利休が腹を切ったのだ」と聞かされて育ったらしい。後の研究でそれは誤伝だったようだが、著者はそこに利休居士の原風景があるという。そこを原点に利休への思いが醸し出された結果、何十年後に作品として結晶したのだろう。

 著者は利休の侘び茶の心は、珠光のいう枯れるということ、冷え痩せた風情とは異質のものと見る。紹鴎の求めた枯淡の境地でもない。命の艶やかさを潜めた枯淡が表す侘びだという。おのれの美学に大胆な情熱と自負を生涯抱き続けた人物だととらえる。「居士の美学に、あくまでも均整、調和をたもとうとする保守性と、そんな保守性を破壊する前衛、異端のダイナミズムとの逆方向の二つのエネルギーを強く感じる」(p41)と記す。利休が「つねに曲尺割(かねわり)の紙を持ち歩いていて、棚飾りをするときはそれを使って正確に道具の位置を決めたという」(p125)。極限までの調和を求める美学であり、保守性を発揮していたようだ。
 また、30年に及び古渓宗陳和尚に参禅し、居士号をさずけられるまでの禅の境地に達した利休が、一方において茶道具にはすさまじいまでの執着、情熱を抱き続けた側面について、エピソードをあげて語っている。利休の人間像が見えておもしろい。悟りと執着の二面性に疑問を抱きながら、その一点に引きつけられていく著者の思いになるほどと思う。 利休にとっての茶室が、異界への旅の場所であり、茶室を胎内回帰装置と著者流に名付けている方向への進化だったという見方には興味をそそられる。利休前、利休後の著名な茶人たちがデザインした茶室の違いが、茶の湯に求める理念、精神の違いであることについて、順次例を挙げて説明しているのは、おもしろい。茶道は一つと思い込まない方がいいということではないか。様々な茶の湯のあり方が存在するということだろう。茶の湯にどのような風景を求めるかの違いであろうか。

 著者は、利休居士が「恋する情念の強い男性だった」と想像している。そして「強烈な美意識をもった居士が、女性の好みにもやかましかったであろうことは想像に難くない。寝食をともにする女性には、注文も多かっただろう」(p23)と想像する。曲尺割の紙を常に持ち歩くという行動を考えると、さもありなん・・・である。本書で人間利休に関わる視点のエッセイを読むことで、ますます茶の湯の聖人利休ではなく、人間利休の有り様がどうだったのかの局面に関心と興味を私は深めている。本書はそのトリガーとなった。

 最後に、待庵における樂吉左衛門と著者との対談「利休がいるところ、待庵」の記録はおもしろい。対談ではあるが、二人のクリエイターがそれぞれ己の利休に対する思い、考えを述べ合っている。あくまで述べ合っているにとどまている印象が強い。お互いの思いをある局面で認め合いながら、二人の思いが一致し合意に至るという形にはなっていない、と私は感じた。収束することなく、スパイラルに上昇拡大するかあるいは深く掘り下げられていくという感じに近い。お二人が己の創造の領域とそこでの体験を基盤にして、己の利休像を語りあっただけのように思える。だが、そこには読み手にいろんなヒントを提示してくれているのだ。利休に対する人それぞれの深い思いを感じる。

 対談から二人の思いの一端を対談の前半部分からいくつか引用しておこう。
 <著者>
*「この人を何とか落ち着かせなくてはならない」「この人を一人静に坐らせてあげる場所を作るのがいいんじゃないか」、そう考えてこの待庵を作ったのではないかと思っています。  p174-175
*私は、利休は「パッション」の人、情熱の人だと思っているのです。・・・必ずしも「侘び寂び」ばかりではなくて、根底には「パッション」「情熱」、言葉を換えれば「艶っぽさ」「色気」があると思います。 p178-179
*今感じているのは、ここ(=待庵)は客としたら居心地のいい場所だということです。ただ、作る側からしたら、これを作ってしまったら次に何をしようと悩むと思う。p186
*黒茶碗の話をしていると、どんどん文学に近づいてくる。それでいて言葉を呑み込まれてしまうのでは、私など、とても太刀打ちできません。ほんとに表現しにくい茶碗ですね。 p194
 <樂吉左衛門氏>
*利休の表現の根底のところに極小の空間とそこを充たす薄闇があるような気がして。おそらく利休の茶室はどこに行っても暗いような気がするのです。  p176
*表現の在処は時に逆説的であり、自己矛盾に充ち、決して順列や並列の、単純な結ばれ方はしない。 p177
*僕の身の丈で捉えれば、やっぱり「利休は表現者」という一点でしかない。・・・ギシギシギシギシ軋んだ自己矛盾の最中、身を置いてこそ、ものが生まれる。 p181-182
*僕には(この待庵に)苦悩が見る。と言うか、ここにはちゃんと苦悩もあるような気がするんです。・・・・だから所詮、待庵に坐って利休を捉えたって思っていても、結局は自分自身の心の反映なのかと思ったりもする。ここにあると仮定する苦悩は所詮、僕の中にあるものかもしれない。  p185
*混沌としていて黒でありながら黒を超えている。要するに言葉による認識を飛び越えている凄さがこの長次郎の茶碗にはあるんです。それはまさに、どこで言葉を止めていいかといこと。ものを作っている人間は手が言葉で、一つ一つ削る。それが言葉になる。でもそれをどこで止めていいのか分からない。そこがものすごく悩ましいところであって、それこそが利休が最終的に秀吉に、あるいは世の中に突き付けたものではないのかって思うんです。秀吉って黒茶碗、嫌いだったんですよ。  p195
 
 この後、対談は「利休はなぜ死を選んだのか」「自我との戦い」への展開していく。


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本書から関心を抱いた関連語句をネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。


武野紹鴎 :「茶の湯 こころと美」
大黒庵武野紹鴎邸址 :「フィールド・ミュージアム京都」
村田珠光 :ウィキペディア
村田珠光 :「茶の湯 こころと美」
 村田珠光「心の文」はこちら  
破格僧 一休宗純と茶の湯 :「京の春夏冬」(京都小売商業支援センター)
利休の生涯 :「茶の湯 こころと美」

長次郎 :ウィキペディア
樂美術館 公式サイト
  樂歴代紹介 樂焼450年 問い続けられた伝統と創造のドラマ

黄金の茶室
大阪城天守閣「黄金の茶室」で茶会 :YouTube

待庵 ← 妙喜庵 :ウィキペディア
 待庵 :「妙喜庵 ホームページ」
国宝茶室 待庵
待庵 :「岩崎建築研究室・日誌」


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 以前に、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『花鳥の夢』 文藝春秋

『命もいらず名もいらず』(上/幕末篇、下/明治篇)  NHK出版

『いっしん虎徹』 文藝春秋

『雷神の筒』  集英社

『おれは清麿』 祥伝社

『黄金の太刀 刀剣商ちょうじ屋光三郎』 講談社

『まりしてん千代姫』 PHP

『信長死すべし』 角川書店

『銀の島』   朝日新聞出版

『役小角絵巻 神変』  中央公論社

『弾正の鷹』   祥伝社



『白雨 慶次郎縁側日記』 北原亞以子 新潮文庫 

2013-09-05 11:16:09 | レビュー
 この作家が今年2013.3.12に75歳で逝去されていたことを知らなかった。本書を読み終えた後に、作者名でネット検索して訃報記事を読んだ。合掌。

 ある作家の本を読んでいて、少し前に北原亞以子という作家名を知った。だが、すぐに作品を手に取ることはなかった。「白雨(はくう)」というタイトルに興味を惹かれて読んでみる気になった。
 文庫本の表紙裏を見ると、この「白雨」までに、「傷」から始まり「月明かり」まで慶次郎縁側日記シリーズが10冊と『脇役 慶次郎覚書』が文庫本で出版されている。また、訃報記事によると、昨春「慶次郎縁側日記」シリーズの最新作「あした」が出版されているとのこと。
 この日記シリーズの終わり近くのものを最初に読んだことになる。

 新聞記事のタイトルに、「人情深い時代小説で人気」(朝日新聞)と記されていたが、まさにこの『白雨』を読んで抱いた感想そのものズバリだった。江戸の人情、哀歓が切々と流れている小品集といえる。シリーズの第1作からこんな感じなのだろうか、興味が湧いてきたところである。

 本作品の主人公は森口慶次郎である。元定町廻り同心だった人物。今は根岸にある酒問屋の寮番となっている。その慶次郎が直接に、あるいは一緒に仕事をした岡っ引きの辰吉、吉次、佐七などから持ち込まれたことに、関わって行くという物語だ。そこには慶次郎が現役同心時代の事件に関係していくという話も出てくる。しかし、この縁側日記のおもしろいところは、岡っ引きや元同心が登場しながら、大捕物にならないで収まっていく話として展開している。江戸に住む町人達のささやかな日常生活の一齣、場面に出てくる人情と哀歓が伝わってくるほのぼのとした後味を持たせる。そんな作品に仕上がっている。庶民の喜怒哀楽の一局面が坦々と描き出されて行くという印象を強く持った。
 もう一つ、おもしろいと思ったのは、主人公が慶次郎であるとは言いながら、一つずつのエピソードでは必ずしも慶次郎がストレートには出てこないものもあるという点である。慶次郎はどこか背景の中に存在するだけに近いというものもある。どこかで慶次郎の過去と繋がりがあったという感じで、ほんの少し顔を出すというもの。こういう描き方のシリーズものは初めて読むので、新鮮でもあった。

 さて、本書には慶次郎がなにがしか関わる人情8話が収録されている。
  流れるままに/ 福笑い/ 凧/ 濁りなく/ 春火鉢/ いっしょけんめい
  白雨 /夢と思えど
である。簡単にご紹介し、読後印象を付記しておこう。

<流れるままに>
 花ごろもの二階の小座敷から廊下に出た慶次郎が隣の座敷の声「好きで下谷の米屋に生まれたわけじゃなし」を耳にする。越後屋という米屋の三男・藤三郎が今は、大野屋という質屋の入り婿である。質屋の娘・おせいに見初められ、たっての申し出で入り婿になっただけ。そこに越後屋で以前女中をしていたおまきが関わって来る。おまきには盗み癖があり、慶次郎が同心時代にこの藤三郎を介して越後屋の相談を受けたことがあるのだ。慶次郎は、昔それを穏便に処理してやっていた。そのおまきが、質屋の仕事に深く入り込んでいけず、おせいとの関係も深まらない藤三郎の心の隙間に、入り込んでくる。藤三郎は慶次郎に相談を持ちかける。不甲斐ないと思う反面、中ぶらりんな男の哀歓に同情する心の生まれる小品でもある。

<福笑い>
 働きがにぶく、女中奉公をしてもすぐ暇を出され、おふくは請宿に居つく。そんなおふくに何かと金の無心する伊代吉。二人が所帯を持つことに対する二人の思いのすれ違い。そのおふくが、蕎麦屋で伊代吉の財布からいくらかの銭をつかみだし、蕎麦屋の女房に泥棒と間違えられるということになっていく。

以下続けて簡略に・・・・
<凧>
 おみつが江戸に戻り深川でお六と名乗り桔梗屋(遊女屋)の女将となり、養女を探す。おみねが養女になる話が進むが、おみねについている悪い虫・連吉が問題となる話。

<濁りなく>
 神田多町の乾物問屋、三島屋の後家・お玻磨が、本石町の蠟(ろう)問屋、伊勢屋の若隠居と称する兵五郎に干椎茸への投資話で騙されるが、これには二重の騙しの企みがあるという小品。慶次郎が一肌ぬぐ。

<春火鉢>
 定町廻り同心・島中健吾が係わったエピソード二話が語られる。健吾が間に入ってやったある料理屋の嫁・姑の仲直りが、春に火鉢を出して搗きたての餅を届けられ、健吾の家族が、餅を楽しむいい話と、夫婦別れしたおさわと梅吉に健吾が係わったときの話。夫婦は刃傷沙汰を起こすまでになる。「女の気持はわからねえな」のオチがつく。

<いっしょうけんめい>
 病身のおゆうとその娘おりよの話。おりよは大造という不器用でろくでなしの亭主との間におはなという娘を設ける。留守番と家事を大造が、縄暖簾でおりよが一所懸命はたらくという家族。一人暮らしを続ける病気がちの母おゆうが、おりよには負担となる。二人のやり取りから、おゆうは隅田川で死のうとする。慶次郎がそれに出くわす。
 どこにでも有りそうな親子の感情のもつれ・・・孫はかわいい。心のささえに。

<白雨>
 夕立で軒を借るだけのつもりの宗右衛門が佐七に声をかけられて、山口屋の寮に入り、佐七としばらく話をするひとときをもつ。身寄りのないもの同士、話がはずみ、佐七は宗右衛門に親しみを感じる。雨がおやみとなり、宗右衛門が帰ろうとして履いた雪駄の鼻緒が切れる。佐七は桐の下駄を履いて行くようにと取り出してくる。
 よろず屋で雨宿りをして、帰ってきた慶次郎が入口で宗右衛門と出会う。宗右衛門の過去が明らかになり始める。一方、これから宗右衛門との交流が深まりそうな佐七の期待は叶わぬものになっていく。
 本書のタイトルになった小品だけあって、読ませどころがある。

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ちょっと調べてみたい語句をネット検索してみた。わずかだが、一覧にしておきたい。

定町廻り 世界大百科事典内の定町廻の言及 :「コトバンク」
三廻 :ウィキペディア
同心 :「大江戸絵巻」

銀杏髷 :ウィキペディア

雪駄 :ウィキペディア
草履 :ウィキペディア

江戸時代、深川の町へ :「深川江戸資料館」
江戸の範囲~天下の大江戸、八百八町というけれど :「東京都公文書館」



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『花祀り』  花房観音  無双舎

2013-09-03 12:06:04 | レビュー
 先般読後印象を記した『おんなの日本史修学旅行』の著者のデビュー作を読んだ。
 この本、2011年4月の出版。2010年に本書掲載の「花祀り」で第1回団鬼六賞大賞を受賞したそうだ。団鬼六といえば、知る人ぞ知る・・・・だろう。文学界ではやはり特異な位置づけなのだろう。官能小説、人間のセックス欲望にずばりターゲットを当てたジャンルなのだから。昔、ちょっと覗いた程度で、ずっと遠ざかっていた。

 本書の著者の上掲エッセイ本を読み、奥書でこの本を知り、第1回大賞ということなので、どんな内容かという興味から手に取ってみた次第。団鬼六氏が2011年5月6日に永眠されたとか(遅ればせながら知った・・・・)。鬼団六氏の最晩年に、団鬼六賞が始まったということなのだろう。

 さて、本書はタイトルの受賞作である「花祀り」とこの作品にメンバーの一人として登場する高名な僧侶という設定のエロ坊主を主人公とした小品「花散らし」の2作が本書に収録されている。後者の短編は秀建という坊主の成り上がりプロセスと性嗜好への目覚め、その性嗜好を満たすに至るまでのお話。秀建の人間性が描かれていておもしろい。こんな坊主、探せばいそうな・・・・気にもなる。

 ということで、受賞作「花祀り」はもちろん、ズバリ官能小説だ。このジャンルの本は読んだ数が少ないので、比較基準を明確に持っていない。読後印象としては、それほどどぎついエログロでもない。描写が巧みであるということか。応募数が何本あっての大賞かは知らないが、大賞に選ばれるだけあって、ちゃんとストーリーに筋が通っていて読ませる展開になっている。
 
 「花祀り」は京都が舞台である。プレリュードにあたる書き出しが次の数行である。

 「和菓子は、男を悦ばす女の身体に似ている。
  餅や求肥、寒天に餡に団子、どれも舌触りや感触が柔らかで、香りは淡くて品がある。こんな官能的な食べ物はない--
  和菓子を味わうように、私の身体を舐める『老舗』の主人はそう言った。」

 主人公は31歳になったばかりの桂木美乃。京都を去り、東京都内のカルチャーセンターで和菓子を教えたり、創作和菓子制作も手がける売れっ子になってきている。その道で名を売り始めている存在。その美乃が京都でどういう生き方をしてきたのか、なぜ、東京に離れたのか。そして、再び・・・・という流れである。
 北陸の田舎町から京都の大学に通いはじめ、老舗和菓子屋「松吉」で売り子のアルバイトを始める。それが、和菓子を作る方に興味が湧き、大学卒業後、本格的にその老舗の主人の下で和菓子職人の修業を始めるのだ。それがそもそもの始まり。アルバイト時代から「松吉」の主人、松ヶ崎藤吉は厳しく技術と「心」を教え始め、普通の大学生だと足を踏み入れることのない世界(お茶屋遊び、有名人との交流の場)も体験させる。しかし、これはいわば、表の世界への誘い。
 
 この松ヶ崎藤吉は一流の和菓子の匠であるが、「性という人間に至福を与える快楽の殉教者であり、それのみを絶対的に盲信し崇拝している男」(p175)でもあったのだ。
 菓子職人の道を歩み始めた美乃に松ヶ崎は言う。「お祝いをせなあかんな」そして、大人の世界を学ばねばだめと語る。「大人の世界で一番大事にされとるもん、わかるか?それは、粋、や。そして粋には艶がいる。あんたに一番欠けているもんは、それや」(p40)と。美乃の尊敬する師匠が美乃に「大人の世界を見せる」と言うのだ。それが性の狂乱、セックス・プレイの世界への誘いだったのだ。
 松ヶ崎が主宰する隠れ家での性の供宴。一流の大学教授、世に名を知られた有名人の説法上手で有名な僧侶、高名な茶道家、呉服屋の主人・・・・など。その家に集うのは松ヶ崎の眼鏡に叶う一流人ばかり。だがそこで繰り広げられるのは様々な性行を持った人々の集団セックスプレイ、いわゆる変態的性嗜好という次第。美乃は師匠松ヶ崎に処女を捧げ、性の快楽を知り始める。エロ・グロ取り混ぜたセックス・プレイの始まりということになる。

 この官能世界に松ヶ崎の指示で浸されることになる一方で、和菓子職人の技と心を修業する美乃が、ある段階で京都を離れる決意をする。東京で名前が売れ始めたころ、カルチャースクールの生徒で美乃に敬服し憧れている春菜由芽が、美乃に自分の結婚の話を告げる。それがきっかけとなり、美乃は由芽を京都見物に誘う一方、松ヶ崎に再び連絡をとるのだ。ストーリーが思わぬ形で展開をしていく。
 そして、最後の展開がこれまた意外なものとなる。

 表の世界と裏の世界。仕事の世界と性の営みの世界。ある意味これが人間というコインの裏表か。どちらの世界にも、いろいろあるというところ。

 本書中の興味深い文をご紹介しよう。コインの表と裏の両面をとりまぜて・・・。

*古いものをバカにして切り捨てる人もいるけれど、やはり千年以上残されているものには、普遍の価値があるのだ。消費されず残されるもの。その価値を忘れては大衆に好まれるものは作れない。 p96
*一見、対照的にも思える和と洋を調和させている街、それが京都よ。京菓子もそうなの。京都の和菓子というのは柔軟で、粋なものなら何でも採り入れ調和させている。だから凄いの。 p98
*嫉妬と上昇志向と憎悪、そして劣等感。私のエネルギーは、そこにしかない。
 それらを植えつけたのは松ヶ崎という男の存在だと思っている。そうやって様々なものを美乃の中に刻み込み、支配し、しかも自分を愛さなかった松ヶ崎を、恨んでいた。 p102
*セックスの快楽というものは、五感で感じるものだ-性器の結合だけではない、匂い、触感、視覚、全身の感覚を研ぎ澄まし享受し、味わうのだ。京菓子を味わうのと同じなのだ。そのことも美乃が松ヶ崎から教え込まれた。 p131
*場所や主催者は違えど、昔からこういう場所はあったのだと、松ヶ崎は言っていた。
 欲の深い者達が集い秘密と快楽を共有し、人脈を広げ繋がりそれぞれの仕事に活かしていく。そして彼らが国の政治を、文化を、宗教を動かしていくのだ。  p140
*花と花が触れ重なり、絡み合い、密を溢れさせ香りを漂わせ音楽を奏でていた。
 -それは、まるで、花の祀り華やぎの如く-   p142
    → この一節から、本書タイトルが採られたのだろうか・・・
*女は、怖い生きもんやぁ、性の快楽を享受し、委ねると、ここまで変わるもんなんやなぁ-秀建だけでなく、その場に居る男達が、美乃から漂う魔を帯びた空気に囚われ、怯えを感じながらも、股間を熱くさせ疼かせていた。
 松ヶ崎はんは怖い男や-けど、このお嬢はんも負けへんかもしれんなぁ、これからますますおもろいことに、なるやもしれんなぁ。まだまだ、えらいことになりそうやわぁ-。 p183


 伊藤整の翻訳の出版にあたり、チャタレー事件として最高裁まで争われたあの『チャタレー夫人の恋人』。無修正版の刊行は1960年だったという。20世紀前半と比較すると、性の開放、性描写の自由化はまさに隔世の感あり、というところか。
 ここにも、時代の大きなうねりがある。もともと、一時期、性観念に対する閉塞期があっただけということなのかもしれないが・・・。
 数多のAVを見、AVレビューも手がけるという著者、性への実体験を踏まえた上での小説の創作・妄想の世界への飛翔はどのあたりからなのだろうか、そんなことが気になる。こういう隠された秘密の場所、サロンは現実にも存在するのか、想像世界なのか・・・・


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こんな語句をネット検索してみた。一覧にしておこう。

団鬼六 オフィシャルサイト
団鬼六賞とは :「悦」
団鬼六 :ウィキペディア

官能小説 :ウィキペディア
エログロ :ウィキペディア
エロティシズム :ウィキペディア
Eroticism  :From Wikipedia, the free encyclopedia
Sexual arousal :From Wikipedia, the free encyclopedia
vagina   :From Wikipedia, the free encyclopedia
エロティシズム博物館  (Sogo Hirakawa氏のブログ記事)
サディズム :ウィキペディア
マゾヒズム :ウィキペディア
Sadomasochism :From Wikipedia, the free encyclopedia

チャタレイ夫人の恋人 :ウィキペディア

マルキ・ド・サド :ウィキペディア


著者のブログ: 花房観音 「歌餓鬼抄」
 
こんな特設サイトを見つけた。
花房観音『女の庭』特設サイト|Webマガジン幻冬舎


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