本書はその構成が入れ子構造になっていておもしろい。序章が明治43年、終章が明治44年。その間に、「天文15年日本国・薩摩」から「天文21年五島から石見」の期間にわたる物語が挿入されている。その章立ては、安次、ザビエル、バラッタという3人の主要人物名が見出しとして交代しながらストーリーが展開していく。
東京四谷の教会のフランス人老神父に教えられ、一人の作家がフランシスコ・ザビエル神父の亡骸を納めた聖櫃の開帳を拝見するためにインド亞大陸西岸に位置するゴアまで大型貨客船で出かける。作家は美しくも悲しい聖ザビエルの伝記執筆を意図していたのだ。
銀の柩の中の御遺骸に接した後、若いインド人助祭に文書館か図書館の利用を願い出る。それがきっかけで、司教が会議をしている場に連れて行かれることになる。「司教閣下、奇跡が起きました」興奮した助祭が司教にそう告げる。それはなぜか。大きなテーブルを囲んで話し合われていた問題が、この日本人作家の出現で解決するのではないか・・・そんな期待が涌き起こるのだ。問題は、ポルトガル語で「ザビエル神父 真実の記録」と書かれた手稿にあった。その内容は、かなくぎ流の読みにくい文字だが、カタカナとひらがな、漢字のまじった日本語で書かれていた。日付・場所は1554年7月7日、ゴア。日本人アンジロウが記したものだった。「ワレハココニ。シャビエル神父ノ真実を記録スル」冒頭の一行目に、そう書かれていた。
司教たちは内容が解読できないため、どう取り扱うか決めかねていたのだ。作家は本文二行目を読み、驚愕する。そこには、
シャビエル神父は、ウソツキナレバ、夫ノコトバヲ信ズル可カラズ
と記されていたのだ。
これが「真実の記録」ならば、教会がその存在を認めるはずがない。作家にとってはザビエル神父が違った形で映じてくる。伝記執筆に影響を及ぼす。書かれた通りにその場で翻訳する訳には行かない。適当に誤魔化した説明を一旦する羽目になる。そして、その文書を教会の一室で筆写させてもらい、日本に持ち帰り正確に英訳することを約束する。
作家は、その書かれた内容が本当に真実なのか、日本で克明にその検証を進めていくことになる。
最終章は、翻訳の結果報告に、再びゴアに赴いたときの状況を記している。
司教の前で拾い読みした中に、こんな衝撃的な文が出てくるのだった。
シャビエル神父ハ、ポルトガル国王ジョアン三世ノ細作トナリタルニ仍ッテ、多額ノ献金ト布教允許ヲ得ラレタリ
・・・・・
ポルトガル船襲来シ、銀山ヲ奪取セントス
作家にとって、青天の霹靂、衝撃的な文だった。
「その結果、彼が体験したできごとを正確に再構築して物語ることこそ、文筆家のわたしに与えられた仕事であると確信するにいたった。
それは、最初に構想していたザビエル神父の美しくも切ない信仰物語とは、まるで違った波瀾万丈の冒険譚となったのである。」(p39)
この序章末尾の文から、「銀の島」にタイムスリップし、物語が始まる。
本書では、ザビエル神父がポルトガル国王の支援を受けて東洋で布教活動を進めていく経緯及び信仰と俗世の柵との間での心理的葛藤の繰り返しが描写されていく。信仰を広めるためには資金がいる。資金の提供をうける見返りとして、見聞した情報を国王に伝えるのは、多分ザビエルにとり一種の契約、ギブ・アンド・テイクとして当然受け入れざるを得なかったことだろう。信仰の世界と俗世の重商主義的価値観の世界の接点がなければ、東洋への布教など所詮成り立たない。だが、それは純粋な信仰心にとっては大きな問題を含んでいる。
安次は、領地の百姓夫婦の立場を擁護したことから父親を殺すことになり、伝手をたよって、南蛮船に乗り込み、海外逃亡をする羽目になる。逃亡の手助けをする辰吉は安次にどこまでも同行する。二人は、波瀾万丈を経て、ザビエル神父に巡り会い、キリストの教えに入って行く。そして、ザビエル神父とともに、鹿児島の地を踏むことになる。その安次は、ザビエル神父から学んだキリストの教え、純粋信仰の立場から見て、ザビエルの言行に違和感を感じ始め、疑問を抱くようになる。キリスト教の信仰を日本において広める先兵になろうとし、行動したた安次の心は、いつしか揺れ動き始め、葛藤を深めて行く。
東洋へのキリスト教の布教は、当然ながら当時ポルトガルの商船、南蛮貿易という商活動の船に便乗して目的地に赴いた宣教師が進めて行くことになる。ザビエルも商船に便乗し日本に至る。商業貿易という営利行為の背景には、ポルトガルという国の国力拡張、東洋への進出がある。勿論富の獲得がねらいだ。日本は当時、銀の産出が衰えてきた中国に代わって、銀産出の有望国と見なされていく。そこに、俗世の思惑が強く絡んでくる。ティオゴ・バラッタというポルトガル国王軍の小銃隊長が、己の立身栄達と富の獲得を狙い、銀の島、日本をポルトガルに取り込むための計画を国王に申請する。己がその先兵となると述べ、地位・権力を確立していく。そこには、ポルトガル商船やザビエルを含む宣教師団にすら指令する権限が含まれている。 銀の島ジャポン、石見銀山から如何に銀をポルトガルに持ち帰るか、俗世の欲望の権化バラッタは己の計画達成に邁進していく。
ザビエル神父、安次、バラッタという三者三様の主人公達に、脇役として、立場の全く違う人々が様々な形で関わっていく。中国人で海賊の統領である王直。石見出身であり、小笠原と大内との戦で大内の捕虜になり海外に売り飛ばされた三嶋清左衛門。ザビエル一行が鹿児島に着いた時、湊奉行の職に付いていた安次の幼ななじみの御供田弥助。
彼らの間で相互に築き上げられていく人間関係、その関わり方、それぞれの信念と行動が興味深く、おもしろい。
純粋な信仰、信仰心とは? 俗世での信仰の布教の実態とは? 南蛮貿易の実情とは? 当時のポルトガルの政治情勢と世界侵略の状況とは? 当時のポルトガル、スペインの世界観とは? 日本がポルトガルにどう映じていたか? 中国の海賊仲間における幇の価値観と行動とは?
これらの視点が複雑に絡まり合い、混在し、相対し、重合しながらストーリーが展開されていく。
ザビエルの目、安次の目、バラッタの目、王直の目、アントニオ清左衛門の目、ベルナルド弥助の目、それぞれに映じたものが何だったか。何を見ようとしたのか。そして、見たのか。
たしかに波瀾万丈の物語に仕上がっている。史実の行間を、安次の真実の記録という形を借りて、想像力を縦横に拡げ、織り上げた作品だと感じる。
ザビエルが日本を去り、インドへ向かったのが1551年。手許にある『新選日本史図表』(坂本・福田監修・第一学習社)は、1551年のキリシタン信者概数を1,000~1,500人と記す。さらに、ザビエルは中国への布教を目指し、上川島に滞在するが、此処が終焉の地となる。1552年12月3日、この世を去る。
日本史年表は、1553年「長尾景虎、武田晴信と川中島で戦う」と記す。そんな時代に、まずスペイン人から「銀の島」とみられていた日本が舞台である。
マルコ・ポーロが吹聴した黄金の島ジパング、ではなくて、銀の島ジャポンというのがおもしろい。石見銀山での銀産出がピークになるのは、江戸時代、17世紀初頭(慶長年間から寛永年間)だったようだ。半世紀以上後になる。
もしも、ポルトガルが石見銀山を制圧していたら、歴史はどうなっていただろう・・・・・・そんな空想の翼を拡げるのもおもしろい。
-あなたは、いったいなにをしに日本にきたのか。
わたしは、ザビエル神父の魂に、そう語りかけずにはいられなかった。
この二行で本書が締め括られている。
ご一読、ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本書に出てくる語句で史実に関連するものを検索してみた。一覧をまとめる。
イエズス会 :ウィキペディア
フランシスコ・ザビエル :ウィキペディア
山口サビエル記念聖堂 :ウィキペディア
日本最初の教会~サビエルの山口~
ヤジロウ :ウィキペディア
鹿児島のベルナルド :ウィキペディア
トルレス神父 → 日本カトリック教会の歴史 溝部脩氏
ファン・フェルナンデス(宣教師) :ウィキペディア
プレステ・ジョン → プレスター・ジョン :ウィキペディア
Prester John :"New dvent"
王直 :ウィキペディア
島津貴久 :ウィキペディア
大内義隆 :ウィキペディア
陶晴賢 :ウィキペディア
大友義鎮 :ウィキペディア
大内義長 :ウィキペディア
ナバーラ :スペイン政府観光局オフィシャルサイト
ナバラ州 :ウィキペディア
リスボア → リスボン :ウィキペディア
シンガプラ ← シンガポールの歴史 :ウィキペディア
ゴア州 :ウィキペディア
GOA :RAINHA DO ORIENTE PORUGUESE COLONIAL HISTORY
マラッカ → マラッカ :ウィキペディア
世界遺産 主な観光名所 :マレーシア政府観光局 公式ホームページ
坊津 :ウィキペディア
平戸オランダ商館のHP 国指定史跡「平戸和蘭商館跡」復元建造物
フランシスコ・ザビエルが遺した教え
温泉津町 :ウィキペディア
鞆の浦 :ウィキペディア
石見銀山 :ウィキペディア
石見銀山世界遺産センター公式HP
南蛮貿易 :ウィキペディア
丁子 ← クローブ :ウィキペディア
ザビエルの年譜 :「山口カトリック教会」
山口のキリシタン
~ サビエル来山にはじまる大内時代 ~ :「山口サビエル記念聖堂」INDEX
キリシタン史年表 :「みこころネット」三上茂氏
公教要理 :近代デジタルライブラリー
フランシスコ・ザビエルの没地を訪ねる 広東省 上川島(1) :「中華的雑記帳」
中国・上川島での臨終の聖ザビエル
上海の河口を帆走する「ジャンク船」:「日本歴史と雑事記録」
ジャンク(船) :ウィキペディア
ガレオン船 :ウィキペディア
Galleon :From Wikipedia, the free encyclopedia
南蛮船の画像検索結果
関船 :ウィキペディア
関船の画像検索結果
ジョルジェ・アルヴァレス :「戦国日本の津々浦々」
『アンジロウの書翰』(1) :「むろまっち」
(1)~(12)のシリーズで掲載記事あり。
キリシタン時代の日ポ外交におけるイエズス会宣教師 高瀬弘一郎氏
ポルトガル 国の起源 :在日本国ポルトガル大使館のHP
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以前に、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。
『弾正の鷹』
『役小角絵巻 神変』
東京四谷の教会のフランス人老神父に教えられ、一人の作家がフランシスコ・ザビエル神父の亡骸を納めた聖櫃の開帳を拝見するためにインド亞大陸西岸に位置するゴアまで大型貨客船で出かける。作家は美しくも悲しい聖ザビエルの伝記執筆を意図していたのだ。
銀の柩の中の御遺骸に接した後、若いインド人助祭に文書館か図書館の利用を願い出る。それがきっかけで、司教が会議をしている場に連れて行かれることになる。「司教閣下、奇跡が起きました」興奮した助祭が司教にそう告げる。それはなぜか。大きなテーブルを囲んで話し合われていた問題が、この日本人作家の出現で解決するのではないか・・・そんな期待が涌き起こるのだ。問題は、ポルトガル語で「ザビエル神父 真実の記録」と書かれた手稿にあった。その内容は、かなくぎ流の読みにくい文字だが、カタカナとひらがな、漢字のまじった日本語で書かれていた。日付・場所は1554年7月7日、ゴア。日本人アンジロウが記したものだった。「ワレハココニ。シャビエル神父ノ真実を記録スル」冒頭の一行目に、そう書かれていた。
司教たちは内容が解読できないため、どう取り扱うか決めかねていたのだ。作家は本文二行目を読み、驚愕する。そこには、
シャビエル神父は、ウソツキナレバ、夫ノコトバヲ信ズル可カラズ
と記されていたのだ。
これが「真実の記録」ならば、教会がその存在を認めるはずがない。作家にとってはザビエル神父が違った形で映じてくる。伝記執筆に影響を及ぼす。書かれた通りにその場で翻訳する訳には行かない。適当に誤魔化した説明を一旦する羽目になる。そして、その文書を教会の一室で筆写させてもらい、日本に持ち帰り正確に英訳することを約束する。
作家は、その書かれた内容が本当に真実なのか、日本で克明にその検証を進めていくことになる。
最終章は、翻訳の結果報告に、再びゴアに赴いたときの状況を記している。
司教の前で拾い読みした中に、こんな衝撃的な文が出てくるのだった。
シャビエル神父ハ、ポルトガル国王ジョアン三世ノ細作トナリタルニ仍ッテ、多額ノ献金ト布教允許ヲ得ラレタリ
・・・・・
ポルトガル船襲来シ、銀山ヲ奪取セントス
作家にとって、青天の霹靂、衝撃的な文だった。
「その結果、彼が体験したできごとを正確に再構築して物語ることこそ、文筆家のわたしに与えられた仕事であると確信するにいたった。
それは、最初に構想していたザビエル神父の美しくも切ない信仰物語とは、まるで違った波瀾万丈の冒険譚となったのである。」(p39)
この序章末尾の文から、「銀の島」にタイムスリップし、物語が始まる。
本書では、ザビエル神父がポルトガル国王の支援を受けて東洋で布教活動を進めていく経緯及び信仰と俗世の柵との間での心理的葛藤の繰り返しが描写されていく。信仰を広めるためには資金がいる。資金の提供をうける見返りとして、見聞した情報を国王に伝えるのは、多分ザビエルにとり一種の契約、ギブ・アンド・テイクとして当然受け入れざるを得なかったことだろう。信仰の世界と俗世の重商主義的価値観の世界の接点がなければ、東洋への布教など所詮成り立たない。だが、それは純粋な信仰心にとっては大きな問題を含んでいる。
安次は、領地の百姓夫婦の立場を擁護したことから父親を殺すことになり、伝手をたよって、南蛮船に乗り込み、海外逃亡をする羽目になる。逃亡の手助けをする辰吉は安次にどこまでも同行する。二人は、波瀾万丈を経て、ザビエル神父に巡り会い、キリストの教えに入って行く。そして、ザビエル神父とともに、鹿児島の地を踏むことになる。その安次は、ザビエル神父から学んだキリストの教え、純粋信仰の立場から見て、ザビエルの言行に違和感を感じ始め、疑問を抱くようになる。キリスト教の信仰を日本において広める先兵になろうとし、行動したた安次の心は、いつしか揺れ動き始め、葛藤を深めて行く。
東洋へのキリスト教の布教は、当然ながら当時ポルトガルの商船、南蛮貿易という商活動の船に便乗して目的地に赴いた宣教師が進めて行くことになる。ザビエルも商船に便乗し日本に至る。商業貿易という営利行為の背景には、ポルトガルという国の国力拡張、東洋への進出がある。勿論富の獲得がねらいだ。日本は当時、銀の産出が衰えてきた中国に代わって、銀産出の有望国と見なされていく。そこに、俗世の思惑が強く絡んでくる。ティオゴ・バラッタというポルトガル国王軍の小銃隊長が、己の立身栄達と富の獲得を狙い、銀の島、日本をポルトガルに取り込むための計画を国王に申請する。己がその先兵となると述べ、地位・権力を確立していく。そこには、ポルトガル商船やザビエルを含む宣教師団にすら指令する権限が含まれている。 銀の島ジャポン、石見銀山から如何に銀をポルトガルに持ち帰るか、俗世の欲望の権化バラッタは己の計画達成に邁進していく。
ザビエル神父、安次、バラッタという三者三様の主人公達に、脇役として、立場の全く違う人々が様々な形で関わっていく。中国人で海賊の統領である王直。石見出身であり、小笠原と大内との戦で大内の捕虜になり海外に売り飛ばされた三嶋清左衛門。ザビエル一行が鹿児島に着いた時、湊奉行の職に付いていた安次の幼ななじみの御供田弥助。
彼らの間で相互に築き上げられていく人間関係、その関わり方、それぞれの信念と行動が興味深く、おもしろい。
純粋な信仰、信仰心とは? 俗世での信仰の布教の実態とは? 南蛮貿易の実情とは? 当時のポルトガルの政治情勢と世界侵略の状況とは? 当時のポルトガル、スペインの世界観とは? 日本がポルトガルにどう映じていたか? 中国の海賊仲間における幇の価値観と行動とは?
これらの視点が複雑に絡まり合い、混在し、相対し、重合しながらストーリーが展開されていく。
ザビエルの目、安次の目、バラッタの目、王直の目、アントニオ清左衛門の目、ベルナルド弥助の目、それぞれに映じたものが何だったか。何を見ようとしたのか。そして、見たのか。
たしかに波瀾万丈の物語に仕上がっている。史実の行間を、安次の真実の記録という形を借りて、想像力を縦横に拡げ、織り上げた作品だと感じる。
ザビエルが日本を去り、インドへ向かったのが1551年。手許にある『新選日本史図表』(坂本・福田監修・第一学習社)は、1551年のキリシタン信者概数を1,000~1,500人と記す。さらに、ザビエルは中国への布教を目指し、上川島に滞在するが、此処が終焉の地となる。1552年12月3日、この世を去る。
日本史年表は、1553年「長尾景虎、武田晴信と川中島で戦う」と記す。そんな時代に、まずスペイン人から「銀の島」とみられていた日本が舞台である。
マルコ・ポーロが吹聴した黄金の島ジパング、ではなくて、銀の島ジャポンというのがおもしろい。石見銀山での銀産出がピークになるのは、江戸時代、17世紀初頭(慶長年間から寛永年間)だったようだ。半世紀以上後になる。
もしも、ポルトガルが石見銀山を制圧していたら、歴史はどうなっていただろう・・・・・・そんな空想の翼を拡げるのもおもしろい。
-あなたは、いったいなにをしに日本にきたのか。
わたしは、ザビエル神父の魂に、そう語りかけずにはいられなかった。
この二行で本書が締め括られている。
ご一読、ありがとうございます。
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本書に出てくる語句で史実に関連するものを検索してみた。一覧をまとめる。
イエズス会 :ウィキペディア
フランシスコ・ザビエル :ウィキペディア
山口サビエル記念聖堂 :ウィキペディア
日本最初の教会~サビエルの山口~
ヤジロウ :ウィキペディア
鹿児島のベルナルド :ウィキペディア
トルレス神父 → 日本カトリック教会の歴史 溝部脩氏
ファン・フェルナンデス(宣教師) :ウィキペディア
プレステ・ジョン → プレスター・ジョン :ウィキペディア
Prester John :"New dvent"
王直 :ウィキペディア
島津貴久 :ウィキペディア
大内義隆 :ウィキペディア
陶晴賢 :ウィキペディア
大友義鎮 :ウィキペディア
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ナバラ州 :ウィキペディア
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GOA :RAINHA DO ORIENTE PORUGUESE COLONIAL HISTORY
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坊津 :ウィキペディア
平戸オランダ商館のHP 国指定史跡「平戸和蘭商館跡」復元建造物
フランシスコ・ザビエルが遺した教え
温泉津町 :ウィキペディア
鞆の浦 :ウィキペディア
石見銀山 :ウィキペディア
石見銀山世界遺産センター公式HP
南蛮貿易 :ウィキペディア
丁子 ← クローブ :ウィキペディア
ザビエルの年譜 :「山口カトリック教会」
山口のキリシタン
~ サビエル来山にはじまる大内時代 ~ :「山口サビエル記念聖堂」INDEX
キリシタン史年表 :「みこころネット」三上茂氏
公教要理 :近代デジタルライブラリー
フランシスコ・ザビエルの没地を訪ねる 広東省 上川島(1) :「中華的雑記帳」
中国・上川島での臨終の聖ザビエル
上海の河口を帆走する「ジャンク船」:「日本歴史と雑事記録」
ジャンク(船) :ウィキペディア
ガレオン船 :ウィキペディア
Galleon :From Wikipedia, the free encyclopedia
南蛮船の画像検索結果
関船 :ウィキペディア
関船の画像検索結果
ジョルジェ・アルヴァレス :「戦国日本の津々浦々」
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(1)~(12)のシリーズで掲載記事あり。
キリシタン時代の日ポ外交におけるイエズス会宣教師 高瀬弘一郎氏
ポルトガル 国の起源 :在日本国ポルトガル大使館のHP
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『弾正の鷹』
『役小角絵巻 神変』