遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『銀の島』 山本兼一 朝日新聞出版

2012-08-30 13:25:45 | レビュー
 本書はその構成が入れ子構造になっていておもしろい。序章が明治43年、終章が明治44年。その間に、「天文15年日本国・薩摩」から「天文21年五島から石見」の期間にわたる物語が挿入されている。その章立ては、安次、ザビエル、バラッタという3人の主要人物名が見出しとして交代しながらストーリーが展開していく。

 東京四谷の教会のフランス人老神父に教えられ、一人の作家がフランシスコ・ザビエル神父の亡骸を納めた聖櫃の開帳を拝見するためにインド亞大陸西岸に位置するゴアまで大型貨客船で出かける。作家は美しくも悲しい聖ザビエルの伝記執筆を意図していたのだ。
 銀の柩の中の御遺骸に接した後、若いインド人助祭に文書館か図書館の利用を願い出る。それがきっかけで、司教が会議をしている場に連れて行かれることになる。「司教閣下、奇跡が起きました」興奮した助祭が司教にそう告げる。それはなぜか。大きなテーブルを囲んで話し合われていた問題が、この日本人作家の出現で解決するのではないか・・・そんな期待が涌き起こるのだ。問題は、ポルトガル語で「ザビエル神父 真実の記録」と書かれた手稿にあった。その内容は、かなくぎ流の読みにくい文字だが、カタカナとひらがな、漢字のまじった日本語で書かれていた。日付・場所は1554年7月7日、ゴア。日本人アンジロウが記したものだった。「ワレハココニ。シャビエル神父ノ真実を記録スル」冒頭の一行目に、そう書かれていた。
 司教たちは内容が解読できないため、どう取り扱うか決めかねていたのだ。作家は本文二行目を読み、驚愕する。そこには、
 シャビエル神父は、ウソツキナレバ、夫ノコトバヲ信ズル可カラズ
と記されていたのだ。
 これが「真実の記録」ならば、教会がその存在を認めるはずがない。作家にとってはザビエル神父が違った形で映じてくる。伝記執筆に影響を及ぼす。書かれた通りにその場で翻訳する訳には行かない。適当に誤魔化した説明を一旦する羽目になる。そして、その文書を教会の一室で筆写させてもらい、日本に持ち帰り正確に英訳することを約束する。
 作家は、その書かれた内容が本当に真実なのか、日本で克明にその検証を進めていくことになる。
 最終章は、翻訳の結果報告に、再びゴアに赴いたときの状況を記している。
 
 司教の前で拾い読みした中に、こんな衝撃的な文が出てくるのだった。
 シャビエル神父ハ、ポルトガル国王ジョアン三世ノ細作トナリタルニ仍ッテ、多額ノ献金ト布教允許ヲ得ラレタリ
 ・・・・・
 ポルトガル船襲来シ、銀山ヲ奪取セントス
 作家にとって、青天の霹靂、衝撃的な文だった。

 「その結果、彼が体験したできごとを正確に再構築して物語ることこそ、文筆家のわたしに与えられた仕事であると確信するにいたった。
 それは、最初に構想していたザビエル神父の美しくも切ない信仰物語とは、まるで違った波瀾万丈の冒険譚となったのである。」(p39)
 この序章末尾の文から、「銀の島」にタイムスリップし、物語が始まる。

 本書では、ザビエル神父がポルトガル国王の支援を受けて東洋で布教活動を進めていく経緯及び信仰と俗世の柵との間での心理的葛藤の繰り返しが描写されていく。信仰を広めるためには資金がいる。資金の提供をうける見返りとして、見聞した情報を国王に伝えるのは、多分ザビエルにとり一種の契約、ギブ・アンド・テイクとして当然受け入れざるを得なかったことだろう。信仰の世界と俗世の重商主義的価値観の世界の接点がなければ、東洋への布教など所詮成り立たない。だが、それは純粋な信仰心にとっては大きな問題を含んでいる。
 安次は、領地の百姓夫婦の立場を擁護したことから父親を殺すことになり、伝手をたよって、南蛮船に乗り込み、海外逃亡をする羽目になる。逃亡の手助けをする辰吉は安次にどこまでも同行する。二人は、波瀾万丈を経て、ザビエル神父に巡り会い、キリストの教えに入って行く。そして、ザビエル神父とともに、鹿児島の地を踏むことになる。その安次は、ザビエル神父から学んだキリストの教え、純粋信仰の立場から見て、ザビエルの言行に違和感を感じ始め、疑問を抱くようになる。キリスト教の信仰を日本において広める先兵になろうとし、行動したた安次の心は、いつしか揺れ動き始め、葛藤を深めて行く。

 東洋へのキリスト教の布教は、当然ながら当時ポルトガルの商船、南蛮貿易という商活動の船に便乗して目的地に赴いた宣教師が進めて行くことになる。ザビエルも商船に便乗し日本に至る。商業貿易という営利行為の背景には、ポルトガルという国の国力拡張、東洋への進出がある。勿論富の獲得がねらいだ。日本は当時、銀の産出が衰えてきた中国に代わって、銀産出の有望国と見なされていく。そこに、俗世の思惑が強く絡んでくる。ティオゴ・バラッタというポルトガル国王軍の小銃隊長が、己の立身栄達と富の獲得を狙い、銀の島、日本をポルトガルに取り込むための計画を国王に申請する。己がその先兵となると述べ、地位・権力を確立していく。そこには、ポルトガル商船やザビエルを含む宣教師団にすら指令する権限が含まれている。 銀の島ジャポン、石見銀山から如何に銀をポルトガルに持ち帰るか、俗世の欲望の権化バラッタは己の計画達成に邁進していく。

 ザビエル神父、安次、バラッタという三者三様の主人公達に、脇役として、立場の全く違う人々が様々な形で関わっていく。中国人で海賊の統領である王直。石見出身であり、小笠原と大内との戦で大内の捕虜になり海外に売り飛ばされた三嶋清左衛門。ザビエル一行が鹿児島に着いた時、湊奉行の職に付いていた安次の幼ななじみの御供田弥助。
 彼らの間で相互に築き上げられていく人間関係、その関わり方、それぞれの信念と行動が興味深く、おもしろい。

 純粋な信仰、信仰心とは? 俗世での信仰の布教の実態とは? 南蛮貿易の実情とは? 当時のポルトガルの政治情勢と世界侵略の状況とは? 当時のポルトガル、スペインの世界観とは? 日本がポルトガルにどう映じていたか? 中国の海賊仲間における幇の価値観と行動とは?
 これらの視点が複雑に絡まり合い、混在し、相対し、重合しながらストーリーが展開されていく。
 ザビエルの目、安次の目、バラッタの目、王直の目、アントニオ清左衛門の目、ベルナルド弥助の目、それぞれに映じたものが何だったか。何を見ようとしたのか。そして、見たのか。

 たしかに波瀾万丈の物語に仕上がっている。史実の行間を、安次の真実の記録という形を借りて、想像力を縦横に拡げ、織り上げた作品だと感じる。

 ザビエルが日本を去り、インドへ向かったのが1551年。手許にある『新選日本史図表』(坂本・福田監修・第一学習社)は、1551年のキリシタン信者概数を1,000~1,500人と記す。さらに、ザビエルは中国への布教を目指し、上川島に滞在するが、此処が終焉の地となる。1552年12月3日、この世を去る。
 日本史年表は、1553年「長尾景虎、武田晴信と川中島で戦う」と記す。そんな時代に、まずスペイン人から「銀の島」とみられていた日本が舞台である。
 
 マルコ・ポーロが吹聴した黄金の島ジパング、ではなくて、銀の島ジャポンというのがおもしろい。石見銀山での銀産出がピークになるのは、江戸時代、17世紀初頭(慶長年間から寛永年間)だったようだ。半世紀以上後になる。
 もしも、ポルトガルが石見銀山を制圧していたら、歴史はどうなっていただろう・・・・・・そんな空想の翼を拡げるのもおもしろい。

 -あなたは、いったいなにをしに日本にきたのか。
 わたしは、ザビエル神父の魂に、そう語りかけずにはいられなかった。

 この二行で本書が締め括られている。


ご一読、ありがとうございます。

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 本書に出てくる語句で史実に関連するものを検索してみた。一覧をまとめる。

イエズス会 :ウィキペディア
フランシスコ・ザビエル :ウィキペディア
山口サビエル記念聖堂 :ウィキペディア
 日本最初の教会~サビエルの山口~
ヤジロウ :ウィキペディア
鹿児島のベルナルド :ウィキペディア
トルレス神父 → 日本カトリック教会の歴史 溝部脩氏
ファン・フェルナンデス(宣教師) :ウィキペディア
プレステ・ジョン → プレスター・ジョン :ウィキペディア
  Prester John :"New dvent"
王直   :ウィキペディア
島津貴久 :ウィキペディア
大内義隆 :ウィキペディア
陶晴賢  :ウィキペディア
大友義鎮 :ウィキペディア
大内義長 :ウィキペディア

ナバーラ :スペイン政府観光局オフィシャルサイト
ナバラ州 :ウィキペディア
リスボア → リスボン :ウィキペディア
シンガプラ ← シンガポールの歴史 :ウィキペディア
ゴア州 :ウィキペディア
GOA :RAINHA DO ORIENTE PORUGUESE COLONIAL HISTORY
マラッカ → マラッカ :ウィキペディア
 世界遺産 主な観光名所 :マレーシア政府観光局 公式ホームページ
坊津 :ウィキペディア
平戸オランダ商館のHP  国指定史跡「平戸和蘭商館跡」復元建造物
フランシスコ・ザビエルが遺した教え
温泉津町 :ウィキペディア
鞆の浦  :ウィキペディア

石見銀山 :ウィキペディア
石見銀山世界遺産センター公式HP
南蛮貿易 :ウィキペディア
丁子 ← クローブ :ウィキペディア

ザビエルの年譜 :「山口カトリック教会」
山口のキリシタン 
~ サビエル来山にはじまる大内時代 ~ :「山口サビエル記念聖堂」INDEX
キリシタン史年表 :「みこころネット」三上茂氏
公教要理 :近代デジタルライブラリー
フランシスコ・ザビエルの没地を訪ねる 広東省 上川島(1) :「中華的雑記帳」
中国・上川島での臨終の聖ザビエル

上海の河口を帆走する「ジャンク船」:「日本歴史と雑事記録」
ジャンク(船) :ウィキペディア
ガレオン船 :ウィキペディア
Galleon :From Wikipedia, the free encyclopedia
南蛮船の画像検索結果
関船 :ウィキペディア
関船の画像検索結果

ジョルジェ・アルヴァレス :「戦国日本の津々浦々」

『アンジロウの書翰』(1)  :「むろまっち」
 (1)~(12)のシリーズで掲載記事あり。
キリシタン時代の日ポ外交におけるイエズス会宣教師 高瀬弘一郎氏

ポルトガル 国の起源 :在日本国ポルトガル大使館のHP

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 以前に、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『弾正の鷹』

『役小角絵巻 神変』




『和の庭図案集』 design book 建築資料研究社

2012-08-24 14:14:14 | レビュー
 本書は読む本というより、見る本である。日本の伝統的な庭園を構成する様々なパーツの図案が集められている。それらの名称と英文表記が唯一、文字として読む箇所である。
 どんな項目が集められているのか?
 灯籠、鉢前・蹲踞・手水鉢、垣・戸、さまざまな庭の石、石組、枯山水・砂紋、石、門・茶室・塀などである。目次をそのまま記すと長くなるので一部簡略表記した。

 特徴を捉えた図案として掲載されているので、相互比較がしやすくて便利である。伝統的な日本庭園を何となく眺めているだけではその全体印象を感じ取るレベルに留まってしまう。しかし、その庭園の構成要素に踏み込み、それらを識別できれば、Aの庭とBの庭がどう違うのか、どのような気配りがどこに施されているかなど、その作庭、アレンジの仕方について、一歩踏み込んで思考力を働かせていくことができる。各構成要素の奥にあるその単体の歴史とデザインの発想、意図などは、それぞれを識別できてから、その先に湧き出てくる疑問であり、興味・関心であるだろう。

 日本庭園の構成要素につして、その形の識別から入るという分には、150ページほどに凝縮された図案集である本書は、そのガイドとしてコンパクトで役に立つ本だ。
 ああ、これが、こういう名称で呼ばれているのか・・・・、じゃ、これとの違いは・・・・何時頃からこれが作られているのか・・・・もし、ここに、こちらのものが置かれていたら/使われていたら、どうちがうか・・・・そんな使い方もできそうだ。

 たとえば、あなたは灯籠そのものの部分名称を意識したことがあるだろうか? あるいは、これが手、これが目、これが足・・・のように、識別できるだろうか?
 私はごく一部しかできなかった。
 灯籠の最初のページにこれが図案で示されている。
 つまり、宝珠、請花、笠、火口、火袋、中台、蓮弁請花、竿、節、返花、基礎、基壇
といった具合に・・・・・灯籠を構成するパーツには名称が付いている。
 さて、これらの名称は灯籠のどの部分か? わかりますか?
 本書を開けてみれば、一目瞭然だ。なるほど、この部分はこう呼ぶのか・・・・

 灯籠の種類も様々である。身近なお寺や神社、庭園で見る灯籠はどのタイプの灯籠だろうか? そんな目で、近くの灯籠を眺めてみて欲しい。
 春日灯籠、当麻寺形、柚之木灯籠、平等院形、三月堂形、太秦形、高桐院形、祓戸形、河桁御河辺神社石灯籠、西之屋形、旧雲厳寺形、般若寺形、筥崎宮石灯籠、善導寺形、孤蓬庵石灯籠、濡鷺形、屋形石灯籠、朝鮮形、雪見灯籠、丸形雪見、六角雪見、琴柱形、蓮華寺形、寸松庵形、岬灯籠・・・・こんな具合。20ページ余にわたって図案が載っている。
 長い時間の歴史の中で、なんと数多くのデザインが考案され、境内に、庭園に、配されてきたのだろう。どれをどこに置くかで、和の庭の雰囲気が変化する。庭を見つめる見方が変化していくのではないか。その入門書としては有益な一冊である。

 四つ目垣に関東式と関西式があるのをご存じだろうか? 私は本書で初めて知った。
 建仁寺垣、大徳寺垣、金閣寺垣、銀閣寺垣、桂垣、光悦寺垣、長福寺垣、なんて違いがわかるかな? 京都の有名寺院を訪れても、そこにある独自デザインの垣根までしっかり識別して、見てくるという人は意外と少ないのでは? そんこと意識すらしない観光客が大半ではないだろうか。
 建仁寺垣の中にも、また種類があるようだ。私もこの本で初めて認識した。
 変形建仁寺垣、みの建仁寺垣、真の建仁寺垣、行の建仁寺垣、草の建仁寺垣、下透かし建仁寺垣、という具合である。
 勿論、生垣、茨垣、裾垣、矢来垣、木舞垣、網代垣、沼津垣、大津垣なども載っている。また、利休垣というのがあることを知った。名のとおり、これも利休が創造した垣なのだろうか? (この点は、また調べてみるしかない。本書は図案と名称の表示だけだから。)
 「そで垣」は12種類も図案が載っている。

 こんな調子で、飛石、延段、敷石等々・・・が続いていく。
 その後に、庭園の形式、石組の様式、石の形と名称へと続く。
 まあ、この続きは、本書を開いていただき、見て楽しんでいただこう。

 作庭コンセプトに沿い、庭園のデザインとして全体構想の中で各種のパーツが組み合わされていき、渾然一体となり「和の庭」の美を産み出すのだろう。
 「和の庭」の奥深さを知り、「和の庭」を楽しみ、味わう上で、「和の庭」を構成するパーツに焦点を絞った本書は、手軽なハンドブックとして役に立つ。私はこの手の本の類書を見たことがない。まさに見て学び、楽しめる本だ。
 一歩深入りするためのガイド本になる。

ご一読、ありがとうございます。

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 本書の趣旨に通じる同種の情報を提供しているサイトをネット検索してみた。そして、こんな情報を集めることができた。

灯籠 :ウィキペディア
石灯籠類
石燈籠探訪 収録データリスト
灯籠について :「伝統文化カルチャー情報館」

垣根、垣根の種類 :"Traditional Japanese Garden Styles"
垣根 :「写真紀行 旅おりおり」(uchiyama.info)
袖垣、垣根の種類と取り付け

蹲踞 :「日本の庭」 三橋一夫氏
簡単な蹲踞(手水鉢)の据え方
蹲踞 :「茶道入門」
手水鉢:"Traditional Japanese Garden Styles"
手水鉢、蹲(つくばい)

飛び石について
延段と飛び石 :「誠意と創意庭」
アプローチの敷石と階段 :「誠意と創意庭」

石組みの手法 :"Traditional Japanese Garden Styles"
石組みの分類、石組みの種類 :"Traditional Japanese Garden Styles"

 :ウィキペディア
造園の種類 塀・板塀・生垣塀・竹垣塀 :三橋庭園設計事務所

 :ウィキペディア
門の種類 :「文化財を見るときの基礎知識」


庭園用語解説 :「日本庭園探訪」
日本庭園の様式:「日本庭園探訪」
日本庭園紀行 :「ほあぐらの美の世界紀行」

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『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ  講談社

2012-08-22 10:38:44 | レビュー
 著者は、2004年末以来、福島県双葉郡川内村(著者は原発から約25km地点)に生活し、2011.3.11以降もそこで生活し、30km圏内生活者の視点で本書を書いている。研究者、活動家、マスコミ記者、居住者でないフリージャーナリストの著作および、『原発推進者の無念 避難所生活で考え直したこと』(北村俊郎著・平凡社新書)とは、また一線を画した立場からの発言である。この読書印象記を『原発はいらない』(小出裕章著・幻冬舎ルネサンス新書)から始めた。事実を深く知るためにいろいろ読み継いできた。しかし、こういう視点から書かれた本を読むのは初めである。30km圏内生活者の目、立場でないと言えないことが様々な観点から述べられている。一読の価値があると思う。

 本書には、御役所的発想と実施された施策の問題点が、著者の体験、見聞と資料・情報の分析により赤裸々に記録されている。そこには30km圏内生活者の実体験と視点があり、被害を受けている当事者感覚が如実に反映されている。また、実際の被災者側の考え方はマスコミが定型化して、あるいは一面的に伝えているようなものでなく、様々な広がりがありそこにはまた別の問題が内在していることもよくわかる。マスコミ報道の現実、実態を考えさせられる。御役所情報、東電情報、マスコミ情報に騙されないためにも、著者の視点に沿って、事実を見つめ、一考することは重要であると感じている。

 著者が一番主張している点だと思う箇所を引用しよう。
 「原発が不適であることは明らかなのだが、そこに莫大な税金を注ぎ込んで無理矢理推進させた結果が福島の悲劇だった。いい加減気がつくべきだ。いま必要なのは『正直になること』。それだけだ。」(p299)
 そして、「正直でない」実態が、本書を通じて、様々に語られている。政府・県等行政の問題点、被災者の行動、考え方の幅、マスコミの実態など。「正直でない」局面は、それぞれが持ついろいろな思惑から発生していることを指摘している。
 最後に、著者はこうも書く。
 「丸裸にされていることに気づかないで、きれいな服を着ていると信じている。
 裸にされても、誰かが新しい服を着せてくれると思い、じっと待っている。
 もうきれいな服は望めないとわかると、汚れた服でもいいから着せてくれとねだる。
 悲しい裸の王様たちの金勘定会議だけでは、裸のフクシマはいつまで経っても自分の力で歩き出すことはできないだろう。」(p340)
 本書末尾近くに記されたこの比喩的な文の意味は、本書を通読することで明瞭に理解できるだろう。

 日本がエネルギー政策としてすぐにやらなければならないことを著者は3つにまとめて提言している。
 ①核燃料サイクルという幻想をきっぱり捨てて、巨額の国費投入をやめること。
 ②発電送電事業を分離させ、10電力会社の独占体制を解体させること。
 ③危険度の高いものから早急に原発を止め廃炉処理に移行すること。
そして、これらを優先せずに、「再生可能」エネルギーという名目で、原発推進と同種の利権構造が生まれる危惧を指摘している。業界誘導に騙されてはならないと。

 本書が具体的に指摘していることから一部を引用させていただこう。その詳細は本書をお読みいただきたい。

*このSPEEDⅠの放射能拡散予測地図データは、国だけが知っていたわけではない。福島県が国に対して提出を求め、3月13日午前37分に保安院から県にファックスで最初の30枚が送信されていた。13日といえば、15日の大汚染が起きる2日前だ。ところが、県はこれを公表せず、周辺自治体にも情報を与えなかった。 p70
*タイミングを見計らってまずは避難することが必要なのに、国も県も、汚染実態のデータを持ちながら、何ら具体的な指示を出さなかった。これは失策というよりは犯罪に近い。  p110
*3月15日の夜、文科省のモニタリングカーが周辺地域の放射線量を測定するために出動した。彼らが真っ先に向かったのは原発の北西約20キロ地点だった。・・・・なぜ、そこなのか? 当然、そのへんが危ないと知っていたからだ。 p66-67
*どう言い逃れしようとしても、20キロ圏内のデータを「出したくなかった」ということは明らかだ。おそらく、20キロ圏内を一律に警戒区域指定して立ち入りをさせないようにしたい福島県や国の意向を汲んだものだったのだろう。 p114
*線量計を持っていた僕やマサイさんは、このホットスポットの存在を3月下旬にはすでに知っていたわけで、実際に自分の目で計測値をみられるかどうかがどれだけ大きな意味を持つかを思い知らされた。 p85
 僕らが川内村に戻った(2011年:追記)3月26日の前日25日時点では、(福島)市内の計測ポイントで5.4~6.9マイクロシーベルト/時を記録していた。それに比べれば我が家の周囲はずっと低い。いま福島市内で働いている人たちは、いま僕が被曝している量の3倍の放射線を浴び続けている。・・・・あちこち移動しながら線量を計ると、家の外は高くて2マイクロシーベルト/時。概ね1マイクロシーベルト台。家の中は1マイクロシーベルト/時を行ったり来たり。  p98-99
*皮肉なことだが、川内村村民が避難している郡山市より、村の中のほうがずっと放射線量は低いのだ。結果論だが、避難せず、村に残っていたほうがほとんどのひとは被曝量が少なかった。  p99
*事故直後から、アメリカ、フランスなど世界各国から数万台の放射線量計が寄贈されていたが、それらのほとんどは成田の倉庫に留め置かれたまま配布されていなかった。
 →5月19日の参院厚生労働委員会で福島瑞穂委員(社民党)がすっぱ抜いている p87
*民間賃貸住宅を仮設住宅として認めて補助金を出すという「みなし仮設住宅」制度を国が決めたのは4月30日のことだったが、最初からこれをやっていれば、仮設住宅がだぶつくなどという理不尽な状況は起こらなかっただろう。  p188
 → 災害救助法規定 プレハブ仮設費用 1戸あたり、238万7000円。解体費を入れると約340万円 (『産経新聞』2011.6.16付)
 民間賃貸住宅利用の「みなし仮設住宅」なら家賃援助月額6万程度で、敷金など入れても2年間総額約150万円。福島県は5/14に9万円にまで引き上げ:2年間で200万円台。p189
 → 著者は仮設住宅に関連して、「家電6点セット問題」の隠れた事実も指摘している(p191)。これは、なぜ現金で渡さなかったのかへの疑問と指摘である。

*首長も議員もこの共同体とは密接に関わっている。彼らはいかに理想を掲げようとも、選挙で落選したり、有力者からのバックアップを得られなければ何もできなくなると考えるから、最終的には地方政治も多くの秘密やタブーを共有した多重利権集団という構造になっていく。  p292

*系列の中央局スタジオで原発関連の報道解説が始まると、画面が切り替わり、避難所や津波被災地の風景を映すのだ。  p17
*何も知らされずに高濃度汚染地域に残っていた人たちに接し、最初に「避難したほうがいいですよ」と汚染の事実を教えたのは、国でも県でも市町村でもマスメディアでもなく、フリーのジャーナリストや学者たちだった。  p103
*福島の人口が集中している中通りの都市部が相当汚染されたということを、メディアはあまり強調しない。このエリアでは、汚染がひどくても農地に作付け制限は指示されていないし、東電の仮払い対象にもなっていない。  p193
*テレビで流れたのは、あらかじめテレビ局側が用意したドラマ、物語を忠実に再現してくれる人たちの映像がほとんどだった。(←「一時帰宅」のニュース報道) p240

*5,6号機につながている夜ノ森線という外部からの送電線は、鉄塔が倒れたことで遮断した。ちなみにこのときの揺れの強さは、阪神淡路大震災(最大加速度818ガル)より小さかった(最大で699ガル)。これは後に東電自らが報告書の中で認めている。要するに、「想定外の天災」でもなんでもなかった。 p33
*東電「避難等にかかる追加払い補償金のお支払い基準」
 しまおさんのように、動けない老齢の親を抱えていて、とても避難所生活は無理だと判断し、すぐ自宅に戻り、物資が届かない中でじっと耐えていた人は10万円で、避難先で3食昼寝つき、場合によっては温泉入り放題を続けて家に戻らなかった人たちは、1人30万円だというのだ。  p186-187
*3月11日の地震発生直後、1Fで作業をしていた人たちは、建屋の上から大量の水が流れ出してきて逃げたと証言している。つまり、津波が来る前から配管は破断し、水が漏れ出していたのだ。 p295


*いちばん弱い人たちから順番に被害を被る。現実に、入院患者や老人たちは、原発事故の後に死んでいる。 p101
*本当に危険な地域にいた人たちに情報を伝えず放置し、ある程度安全がわかった頃になって住民の一時帰宅さえ禁止して苦痛を増やす。結果として、必要以上に不幸が増幅されていった。  p117
*集団避難所では食料や日用品が無料で支給されていたが、その配給の列に何度も並び、もらった物品を段ボールに詰めて宅急便で実家に送ったり、車で何度も自宅に運び入れたりして「店開けるほど物がいっぱいある」などと言っている人もいた。 p186

 記事や放送で使われることのなかった、よしたかさんのコメントに著者がはっとしたと記す言葉も引用しておきたい。
*表土を5センチ10センチ剥ぎ取って除染すると言うが、農家にとって田圃や畑の土は表面の5センチがいちばん「おいしい」部分で、この部分の土を作り上げるのに何十年もかかっているんだ。それを剥ぎ取れと言われても、はいそうですかと簡単に納得できるものではない。  p221
 →この点、農家にとっての重要性を小出裕章氏も何度か触れておられたと記憶する。

 本書でとくに注目した箇所を要約しておこう。

 一部マスメディアに発表された20キロ圏内の「汚染地図」(4/18,19時点の測定)が数値の高いところだけ記入した極めて恣意的だった事例を指摘している。著者自ら、線量計を入手し、一時避難先から村に戻る途中での測定結果や、行動した範囲での測定結果を各所で引用して、○○km圏内という一律な区域設定の無意味さ、及びホットスポット対策の重要性を指摘している。
 著者の実測定と判断からすると、文科省とアメリカのエネルギー省(DOE)が合同で調査・作成した航空機モニタリングによる汚染地図が正確のようだ。

 「一時帰宅」はマスメディアのニュースで大きく採りあげられた。著者は川内村の実態を具体的に説明している。著者に言わせると「一時帰宅ショー」だったと。その内容は「『一時帰宅ショー』の裏側で」とそれに続く2つの小見出し内容(p232~252)を読んでいただきたい。こういう実態はマスメディアには出てこない。

 「地下原発議連」について、著者は驚き呆れ果てたと記す。「今までは、政治家というのは利権のために大嘘を平気で吐く人たち、という認識だったのだが、もしかしてただ『バカなだけ』なおかもしれない」(p279)と。ほんとに呆れかえる。改選総選挙では投票対象外議員リストにしようではないか。断固排除対象だろう。

 今後の現実的で大きな課題の一つとして補償金問題があることを本書の各所で著者が具体的に説明する事例から感じる次第だ。補償金額とともに、被災者間で補償内容の公平性を如何に確立するかである。一筋縄では解決しない問題だと私は感じる。
 著者は記す。「悲しいことだが、土、水、空気の安全を奪われて裸にされた福島を、金で完全に『補償』することはできない。金でできるのは、人々の苦痛をいくらか軽減することだけだ」(p337)と。補償についての公平性が欠ければ、人々の心に苦痛を加えることになる。そういう認識が東電や政府にあるのだろうか。私は疑問が残る。

 放射性物質は消滅しない。だから「除染」でできることは、それの「移動」か「拡散」でしかない。除染は必要なものからピンポイントで的確にやる。薄い汚染で済んでいる山林を皆伐するなどというのは、新たな利権絡みの公共事業になりかねない。
 怖いのは空間線量の数値ではない。内部被曝の可能性なのだ。

 最後に、印象に残る文として:
*人々が生き甲斐を持てない村に金だけ呼び込んでも、その村はもはや「生きている」とは言えない。川内村が突きつけられている問いは、深く、重い。 p275
*放射性物質による被曝より、「原発を組み込まれた人生」の中で生きがいを失っていくことのほうが、ずっと恐ろしい。 p287
*税金が投入される事業には巨大な利権が生まれる。その利権をめぐって、政財官学から不正な力が働き、各分野が持つべき正常な機能が失われる。 p297
*エコタウン、スマートシティ・・・・聞こえはいいが、いま、被災者に必要なのは、屋根に太陽電池を載せた建物が並ぶ絵に描いたような街ではなく、地道に自分たちの力で産業を再開・維持していける生活基盤なのだ。流されてしまった漁港の付帯設備をいち早く再建して、再び漁業ができるようになることであり、食糧危機を迎える前に東北の農業基盤を回復させることだ。  p298
*人々は自分の頭で考えることをせず、刷り込まれたことを「常識」として蓄積してしまう。こんな怖いことはない。 p316

*放射能汚染された地域は、見た目には何一つ、壊れているものも汚れているものもない。それなのに、山道の脇に咲く美しい花をかがんで見て愛でるひとときはもうない。そこにいるだけで、線量計がけたたましく鳴り、異常な数値を表示する。 p273

 こんなことを二度と繰り返してはならない。その思いを強くする。

ご一読、ありがとうございます。

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 本書に出てくる主要語句関連項目を検索した結果の一覧をまとめておきたい。

まず、本書の著者は、次のブログで、日々記事を書いていたというのを、本書を読み初めて知った。
なぜか、この1年の間に、この日記に出会えなかった。本書を読み、それが残念だった。
阿武隈(原発30km圏脱出生活)裏日記

 たとえば、川内村に一時帰宅してきた ― 2011/03/28 14:11
尚、オモテの日記もある。「タヌパック阿武隈日記 目次」


そこで、検索結果に:

県、爆発翌日公表せず 国の拡散予測図 2011.5.7 :福島民報

<避難区域等の設定> :首相官邸
SPEEDIとは :「環境防災Nネット」文部科学省 原子力安全課
内閣府 プレス発表
緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の試算について
     発表日付に注目!
拡散予測、米軍に提供 事故直後に文科省 [共同通信]:「47 News 日本が見える」
文部科学省 
緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)を活用した試算結果

2011.03.21:日本気象学会
東北地方太平洋沖地震に関して日本気象学会理事長から会員へのメッセージ
 → この3/18付メッセージを、本書著者は、
  ”「調査をするな」と命じた気象学会”の項で触れている。当時、同様の反応を
  数多くネット記事で見た。
4月12日:3月18日付けの理事長メッセージについて :日本気象学会

The Situation in Japan (Updated 8/3/12)
文部科学省(米国エネルギー省との共同を含む)による航空機モニタリング結果(一覧)
 内、2011.5.6公表の内容

放射線モニタリング情報 全国及び福島県の空間線量測定結果 :文部科学省

放射能汚染地図(七訂版) :「早川由起夫の火山ブログ」
 電子ファイル公開 七訂版 表面
 電子ファイル公開 七訂版 裏面
 
みなし仮設住宅 :「新語時事用語辞典」

土壌汚染問題とその対応  河田東海夫(NUMOフェロー) ←バリバリの原子力推進派(本書著者の評)
2011.5.24 第16回原子力委員会 資料第2号

低線量被曝、権利と義務 原田裕史氏 :「核開発に反対する会」2011.5ニュースNo.39
  掲載は6~9ページです。

地下式原子力発電所政策推進議員連盟 :「観測」北村陽慈郎氏
  地下式原子力発電所政策推進議員連盟 :ウィキペディア

東京電力
原子力損害に対する賠償について

2011年08月05日 (金) :NHK「かぶん」ブログ
詳細解説】原発事故の損害はどこまで賠償されるのか?

2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦 :YouTube
チェルノブイリ膀胱炎 児玉龍彦 :医学のあゆみ 「逆システム学の窓」
チェルノブイリ膀胱炎物語 福島昭治氏
チェルノブイリ原発事故による放射能被爆住民における膀胱がんの発生
研究概要(最新報告)  代表 福島昭治氏

漠原人村

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この逍遙記を書き始めた以降に原発事故関連として読み、読後印象を書き込んだ本の一覧を作成しています。

読書記録索引 -1  原発事故関連書籍

ここから遡ってお読みいただければ幸です。

『信長私記』 花村萬月  講談社

2012-08-19 11:19:47 | レビュー
 花村萬月氏の小説を読むのは初めてである。信長に関心を抱いているので、本書を読む気になった。信長について書かれたものをいろいろ読み継いできている。だが、信長の元服前から尾張統一までという期間に焦点をあてた作品を読むのは、これが初めてだったので、面白く読めた。『信長公記』を見れば、その首巻「是れは信長御入洛無き以前の双紙なり」と記された部分のさらに前半部が対象時期になっている。著者が構想を膨らませ作品化したものと思う。

 作者には3つの視点があるように受け止めた。1つは信長が尾張を統一するまでの思考、戦略および行動という視点。第2は、信長を取り巻く人間関係の視点。第3は信長と女性との関係及び信長のセックスという視点。この3視点が織り込まれながら相互に絡まり合いストーリーが進展していく。
 この作品が面白いのは、信長自身の独白という形式を基軸にして展開されていく構成だ。己がなぜ、そういう行動をとるのか、どう感じたのか。さらに、それを周囲の連中がどう見て、どう受け止め対処しようとしているかについて、信長自身がどう見ているかという風に描かれている。こういうところに、著者の新基軸があるように思う。

 本書の書き出しは「俺は黙読ができる」である。あれっと思ったのだが、ああ、そうか。昔は素読が当たり前だったのだなと思い納得した。「なんとなくできてしまったので、これが当たり前だと思っていた。だが、俺以外の者は音読しかできないことに気付いた。」と著者は語らせている。この言葉ではやくも信長のユニークさが表出される。一方、そういう読書法が理解できない周囲の目は、信長が漠然と書を眺めているだけで、やはり大うつけだと解釈している。もうそのことが信長の戦術に組み込まれている。信長は黙読の速さを使い、大量の書物を無作為に読み続ける。「読んだ事柄を覚えようとするなど愚の骨頂である。忘れてもかまわない。追いつめられれば思い出す。それがわかっているから、俺は読む」。最初の数ページで、信長の思考力のベースが着実に自己鍛錬されていたのだということ、信長のものの見方の基盤が形成されていたことを知ることになる。
 そして、馬に馬具をつけるのを他人任せにせず、馬に入れ込み、馬を疾駆させる信長が描き出される。なぜそうするのかを語らせながら。疾駆させた馬から落馬し、水田で泥まみれになる。見ていた百姓女が信長の茶筅髪のほどけているのを結う羽目になる。その女のでかい胸乳をみたことが、「俺は母の乳房の記憶がない」という思いに繋がる。あばた面の百姓女との会話。女のしたり顔が、その首を刎ねられることになる。それはなぜか。逃げ惑う女の着物が捲れ上がり、臀が露わになり、肉のふくらみのあいだから鶏冠のようなものが見えたから。「この女も女。母上も女」という信長の思い。
 第1章で、信長のプロフィールが鮮やかにイメージ付けられる。さて、どう進展していくのかと引き込まれていく。

 この作品、章立ては数字で示されているだけ。これもちょっとユニークか。

 第1の視点は、信長自身が大うつけを意識的、意図的に演じながら、周囲の情勢、情報を悉に入手していくという信長の戦略思考と行動。13歳の5月に元服し、吉法師から三郎信長になる。初陣は必勝の相手と一戦すべしと、中務丞が選んだのが三河、吉良大浜の一戦である。大うつけ面をして遊び呆けていた時の仲間である百姓の一群を信長は連れて行く。「これからの戦に使える若い、つまり俺と同じ年頃の、しかも能力のある百姓を掌握するために心を砕いてきた。」「誰も気付いていないが、俺は若い百姓を組織している。俺の初陣である。さりげなく奴らを紛れこまして連れてきたのである」(p49) 信長の発想と行動が初陣から形として出てくるのだ。
 父・織田信秀が42歳で死ぬ。葬儀の席で位牌に向けて抹香を投げつけるシーンは有名であるが、冷静に父の死因を考え、さらに葬儀の機会に織田家中の人々の心模様を評価する場として巧みに利用する戦略が描かれる。政略結婚をした道三の娘・濃姫が、葬儀の場で信長の振る舞いをサポートするのもおもしろい。信長がうつけを貫徹したのは、家中の謀叛の裏をとる戦略だった。
 著者は信長の鉄砲に対する見方、またそのためにとった行動を描き込んでいく。鉄砲を買うだけでなく、鉄砲を秘かに作らせるという行動である。古の鍛冶部の末裔といわれる山落、つまり山の民を活用していくのだ。これが史実に基づくのか、著者の創作なのか判断できないが、信長ならやりそうなことと思わせるところが興味深い。納得感がある。
 そして、父の死後に起こる離反や謀叛という内憂内患にどう対処して尾張統一に持ち込んだかが、信長の目を通して語られる。
 家中の小物は、「御家のため、御国のため--。なんでもいいのだが、自分の慾を誤魔化すためのまやかしがほしいのだ」(p170)と冷徹に眺めている。「俺は大慾を抱いている。だが奴らの慾は、ちいさすぎる。奴らに見えているのはせいぜいが尾張一国にすぎぬ」(p170-171)と。
 母・土田御前が贔屓する弟、勘十郎信行が信長(実は仮病)の見舞いとして清洲の城に訪れる。この信行を殺害するシーンで、著者はこの私記を終えている。そこには、第3の視点との繋がりで信長の精神史の区切りとして描かれているからだろう。

 第2の視点は、数名の人々に焦点を絞った人間関係である。それが信長の一側面としてストーリーにうまく織り成されていく。まずは、常に信長を擁護した平手中務丞である。『信長公記』は、信秀が吉法師に付けた二長つまり、二番家老と記している。
 「俺はおまえがいるから、息をつくことができる」
 「中務丞とて、いつ吉法師様を裏切るか、わかったものではございませぬぞ」
 「うん。おまえなら、やられてもいい」 (p29)
と信長に言わしめる人物。だが、信秀の病死、葬儀の後に、平手中務丞は切腹する。信長20歳の春である。『信長公記』は「平手中務丞、上総介信長公実目に御座なき様体をくやみ、守り立て験なく候へば、存命候ても詮なき事と申し候て、腹を切り、相果て候」と記す。だが、著者はこの一文、違った解釈を展開する。なるほど、そうかも・・・・穿った見方である。
 2人目は、竹千代(のちの家康)との関わりである。竹千代は6歳で今川義元に人質に出されるが、今川に運ぶことを請け負った戸田康光が裏切って、永楽銭500貫で織田に売ったのだ。竹千代の命より国の命運を選んだ父にも棄てられることになる。この竹千代に信長はある意味で親近感を持つ。ここには、第3の視点との接点が絡んでいるのではないかと私は思う。信長と竹千代の関係を、著者はかなり具体的に描き込んでいく。またその関わりが、信長にとって大うつけを演じている己の息抜き、本来の信長にもどる機会だったのかもしれない。
 後の家康を彷彿とさせる局面を著者は各所にちりばめる。最初に、信長が竹千代に、領土を得たら、京都ほどの広さの都をどのように作るかという課題を与える場面を描く。信長の条件設定、説明に対する竹千代の回答が実におもしろい。この回答が、後の江戸の町割りに行かされていくのか。実際の江戸の町割りから逆に、著者がこのような問答の創作をしたのか・・・・興味深いところだ。「図抜けて頭がよく、けれどもそうは見えない。得難い才である」(p84)と信長に語らせている。
 3人目は、斎藤道三である。大うつけとして評判だった信長に我が娘・濃姫を政略結婚で嫁がせることを承諾した人物だ。岳父道三が信長に会いたいと申し入れ、信長が承諾する。指定の場所、富田の正徳寺での会見の経緯と会見シーンは、やはりおもしろい一巻の絵巻である。
 さらに、道三の見方を濃姫の口から信長に語らせている。「おそらく、父上は、皆と逆のことを思っているはず。・・・・誰もが大阿房者と吐き棄てるとき、それは決して阿房ではないと考える。そういう御方なのです」(p154)と。
 4人目は、犬千代。後の前田利家である。「犬千代は俺と衆道の仲である」(p136)と。著者はおもしろい一文を記す。「それどころか目を瞑って帰蝶のことを想いながら犬千代の尻をつかうのは、なかなか心地好い」(p136)。そしてさらに加える。 
 帰蝶が耳打ちしてきた。
 「私の尻ではだめなのですか」
 「帰蝶の前門に優るものなし。ゆえに帰蝶の尻は必要なし」
 納得したらしく、帰蝶は犬千代の密偵を勝ち誇った目で見やった。 (p137)
こういう場面を作品に盛り込むところも、信長ものとしてはユニークだと感じる。
かぶき者、前田犬千代を、中務丞もかわいくてならなない人物と見ていたことや、信長の忠犬として活躍するところをエピソード風に描いていく。
 最後の5人目は、信長が山落に鉄砲を作らせるが、山落の集落までの案内人として信長に差し向けられた男として登場する。信長は彼を猿と呼ぶ。藤吉郎である。著者は、藤吉郎を山落の生まれ、つまり山の民として設定している。そして、右手の親指が1本多くて6本あると描写する。この指にまつわる二人の会話がおもしろい。これまた、初めて目にすることだが、著者の創作なのか、事実なのか・・・興味津々でもある。「俺の小者になったことで、天下取りの第一歩がはじまったな」(p209)と信長に言わせていて、これまたたのしい。

 第3の視点は、信長と女性の関係。第1は信長の母、土田御前の存在である。この作品の構想の中で、重要な梃子の役割を担っている。母に棄てられたという信長の思いが色濃く反映していくのだ。ある種のマザー・コンプレックスが信長のプロフィール形成に大きく影響していると著者は解しているようだ。母の乳房を知らぬと呟く信長。「勘十郎は吸っていたぞ。いつも吸っていた」(p24)。「母上までもが、産みの母までもが、俺の廃嫡を画策していることだ・・・・俺は母上にかわいがられた記憶がない」(p142)
 そして、それが清洲城での勘十郎信行殺害後に、母・土田御前との最後のシーンとなって終焉する。その裏返しが、大御乳(おおち)さまと呼ばれる乳母との関係である。そして、信長の性に関わりを持つ。
 第2は、勿論政略結婚の相手である濃姫だ。著者は「帰蝶」という名で濃姫を描いている。著者は政略結婚した二人のその夜のやり取り、模様を1章分を使って描いていく。だが、「俺と帰蝶は相思相愛なのに、いくら頑張っても子ができない」(p142)と信長に語らせ、道三との会見の場でも、「-開き直ります。この上総介信長、帰蝶に心底惚れております」(p167)と言わせている。
 第3の女は、織田の血筋、俺の血筋を残さねばならぬ、という側面から登場する。藤吉郎が散歩と称して五月の夜に信長を誘い出す。辿り着くのが馬借の土豪、生駒宗家の屋敷である。そこで、信長は吉乃という女に引き合わされる。夫が4月25日の長山城の戦いで戦死し、未亡人になったばかりの女だった。もともと疎遠で、閨のことを嫌う夫だったという。吉乃は針売りの藤吉郎から信長のことをいろいろ聞かされていたのだ。
 信長は翌朝、藤吉郎の問いに答える。「まず、吉乃に母を見た。・・・目を凝らすと、母上とは似ても似つかぬことがわかった。では大御乳か--。だが、それも違う。しばし思案したが、吉乃は吉乃であった」(p216)吉乃はしばらく後に懐妊する。

 『考証織田信長事典』(西ヶ谷恭弘著)を繙くと、濃姫という道三の女の実名は一切不明であると記されている。濃姫という名づけ自体が不明であり、西ヶ谷氏は小説・講談の世界から名づけられたもので、「美濃の姫」に由来すると推測している。そして、『美濃国諸旧記』には、「帰蝶の方、鷺山殿といった」と紹介する。また『武功夜話』には、「斎藤道三入道の御息女、この人、胡蝶という人なり」とあることも記している。
 なぜ、著者は濃姫を帰蝶と呼ぶわけがこれを読んで氷解した。著者はこんな風に記している。
 美濃からやってきた姫であるから濃姫と称されるわけだが、俺はその呼び名が気に食わぬ。理由は俺のところに嫁いだのであるから美濃とはもはやなんの関係もない。
 (帰蝶に言う)「濃よりも帰蝶のほうが麗しく、おまえにはふさわしい」(p154)と。
 上記『事典』巻末にある「織田信長略年譜」によると、永禄元年(1558)11月弟信勝(信行)誘殺。この時、信長25才。翌永禄2年2月、上洛して将軍義輝に謁す。
 つまり、本書は信長の12歳頃から25歳頃までを描いた作品である。

 数多くの作家が信長に挑んでいる。
 著者の作り上げた信長像、おもしろく、ユニークな一冊が加わった。

ご一読ありがとうございます。

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 本書で関心をいだいた語句をネット検索してみた。一覧をまとめておきたい。

黙読
 黙読の習慣はいつ頃から始まったか? :「OKWave」Q&A
 明治の声の文化  森洋久氏
 音読、朗読そして黙読  高宮利行氏
 なぜ、音読は衰退していったのか?  坂本剛氏 :「共認の輪 るいネット」
天王坊 → 那古野神社(亀尾天王社)
 信長公記 巻首に「御不弁限りなく、天王坊と申す寺ヘ御登山なされ」とありますが...
伍子胥 :ウィキペディア
織田氏 :ウィキペディア
織田信秀 :ウィキペディア
 信秀公墓碑 :「亀嶽林 萬松寺」
織田信行 :ウィキペディア
平手中務丞 → 平手政秀 :ウィキペディア
濃姫   :ウィキペディア
吉乃 → 生駒吉乃 :ウィキペディア
土田御前 :ウィキペディア
 花屋寿栄禅尼 織田信長生母の墓 :「曹洞宗塔世山 四天王寺」
戸田康光 :ウィキペディア
土岐頼芸 :ウィキペディア
斎藤道三 :ウィキペディア
松平広忠 :ウィキペディア
太原雪斎 :ウィキペディア
前田利家 :ウィキペディア
橘屋又三郎 :「戦国日本の津々浦々」
母衣衆 → 母衣 :ウィキペディア
斯波義統 :ウィキペディア
坂井大膳 :ウィキペディア
河尻秀隆 :ウィキペディア

種子島銃 → 火縄銃 :ウィキペディア
国友 :ウィキペディア
 国友鉄砲の里資料館のHP
根来衆 :ウィキペディア
馬借 :ウィキペディア
前門の虎、後門の狼 :「故事ことわざ辞典」
四神相応 :ウィキペディア
塵芥集  :ウィキペディア
富田正徳寺 :「信長生活」

天守 :ウィキペディア

衆道 :ウィキペディア
日本史における衆道 :「HERMITAGE」

ちょっと、脇道に:
『葉隠』における武士の衆道と忠義  頼 菁氏

Homosexuality in ancient Greece :From Wikipedia, the free encyclopedia


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『極北ラプソディー』 海堂 尊  朝日新聞出版

2012-08-17 09:43:44 | レビュー
 著者の作品群は海堂ワールドを構成し、各作品で登場人物が様々に関連していくものが多い。本書もまたそうである。『極北クレイマー』で舞台となった財政破綻の極北市にある極北市民病院のその後ということになる。
 病院閉鎖騒動の最中に救世主の如く登場した世良雅志が本書では活躍する。そして、『極北クレイマー』では、リスクマネジメント委員会委員長にさせられた今中良夫医師が病院に正式に就職し、世良院長のもとで副院長兼外科部長になっている。とは言いながら、市民病院は再建途上にあり、医師は世良と今中の二人だけである。
 どいういう方策で世良はこの病院を再建しようとするのか? 本心から再建する意志があるのか? 財政破綻都市における市民病院の再建とはどういうものか? それがこの作品のテーマである。そこに様々な人々が関わっていく。

 本書は、ある年の5月12日(火曜)から始まり、翌年の3月19日(金曜)までの破綻病院再建物語である。財政破綻都市が行政的にどのうな状況に追い込まれるか。財政破綻病院の原因がどこにあるか。救命救急センターとはどういうものか。ドクターヘリというものがどういう機能を持ち、どういう制約があるのか。・・・等々の雰囲気を本書から感じとることができる。

 本書は4部構成になっている。
 第1部 極北の架橋    5月12日(火曜)~6月18日(木曜)
 第2部 雪見の夏空    6月22日(月曜)~7月 7日(火曜)
 第3部 光のヘリポート  2月16日(火曜)~2月20日(土曜)
 第4部 オホーツクの真珠 3月11日(木曜)~3月19日(金曜)

 第1部は、世良院長の独壇場である。極北市民病院の再建をどうするか。世良の考えが次々に実行されていく。
 十数年前に、極北市の隣の雪見市に極北大学が移転、それに併せて極北救急センターも移設された。現在の極北救命救急センターを率いているのは桃倉義治センター長。そしてそこには、桜宮の東城大学から派遣された速水という敏腕医師が居る。彼は将軍と呼ばれているのだ。
 世良院長は、病院再建策として、救急患者を受けない。極北市で発生した救急患者はすべて極北救命救急センターに一手に引き受けてもらうという方針を実行する。今中は市民病院の現状を理解し、そうせざるを得ないとわかりつつも、医師として救急車のサイレンの音を聞くと心に痛みを感じるのだ。
 病院に治療費の支払いをしない常連患者・田所が現れる。世良は言う。「支払いをしない患者はこの病院には不要だ。病院は慈善団体ではない。」と。
 世良が赴任したときに出した方針があと2つある。それは、
 一つ。入院病棟を閉鎖し、常勤スタッフを削減する。
 一つ。できるだけ投薬せず、薬剤費を徹底的に抑制する。
 というものである。
 一方、僅かに残った看護師で訪問看護見回りを実行する。
この状況の中で、テレビ会見を開いた世良は、市民病院が救急対応を再開するには、医師3名の増員と市民が診察の医療費をきちんと払うことが前提だと宣言する。その内容がテレビで放映されないことを承知の上で・・・・。
 
 地域医療の再建屋として名を馳せた世良は、自分自身をこう位置付けている。
 「私の存在は譬えれば抗癌剤です。健康体にとっては猛毒。私がこの地に招聘された幸と不幸を、極北市民はいずれ思い知るでしょう」(p29)と。

 この世良が、今中を同伴し、雪見市の極北大・水沢教授-今中の恩師-を表敬訪問したあと、雪見市の講演会場で講演し、自らの持論を展開する。そして、雪見市が極北市よりも実は不幸なのだと言及する。そして、雪見市が何を死守すべきかも。
 さらに、世良は財政破綻の極北市の治療を進めようとする。
 一方で、再び市民病院を訪れたた田所が、世良にとって彼の推進する方針に対する物議の火種となっていく・・・・。

 第2部は、今中が世良の方針で、雪見市の極北救命救急センターに無期限の派遣をされることになる。市民病院では救急患者を受け付けない方針の代わりに、今中医師の派遣により、「間接的ながら極北市の救命救急に貢献する」(p134)ためなのだという。
 今中は、極北救命救急センターに出向いた初日から、桃倉センター長に従い、ドクターヘリで運び込まれた患者への対応を迫られるという洗礼を受ける。その後、ドクターヘリの見習い体験から始めて、ドクターヘリという救急救命システムの実態を経験していく。今中医師の関わりを通して、ドクターヘリがどういうものかという実情が読者にわかってくるのだ。
 そして、今中は極北救命救急センターのナースやスタッフが言う「将軍の日」がどういうものかを実体験する。
 その今中が、半月後には、結果的に極北市民病院に戻ることになる。

 第1部が「起」であり、第2部が「承」とすると、第3部は「転」という展開になる。
 第3部は、天候不順の日が続いた中での雪見峠スキー場が舞台だ。インターハイの大会があり、桃倉センター長の息子が出場する。それで、桃倉センター長が競技の見学に行くのだが、花房師長もそれに同行する。
 スキー大会は無事終わるのだが、後のセレモニーの最中に表層雪崩が発生。桃倉センター長が巻き込まれ、スキーのストックが左胸に突き刺ささった。日没時刻を過ぎている上、雪見峠は爆弾低気圧の分厚い雲が覆っている状態。ドクターヘリの運用ルールでは飛行禁止なのだが・・・・・救急救命のニーズとドクターヘリ運用のルール、ルール無視で飛行した場合のリスクとのせめぎ合い。速水はルール無視でリスクを負うことを要求する。だが、それは重大な波紋を及ぼすことにつながる。
 つまり、ドクターヘリ運用で避けて通れない限界、転換点でもある。

 第4部では、極北市民病院の再建の状態が明確になってくる。そして、その理由も。一方、ドクターヘリの一歩先としてドクタージェット構想を雪見市市長が打ち上げた。極北市の益村市長はこの構想には協力姿勢を示す。世良は、市長の依頼に対し、世良と今中の2名の医師が対応すると了解する。
 ついにドクタージェット・トライアルの日がやってくる。極北市からは世良と今中が参加する。トライアルの目的地は、神威島。世良は、神威島が自分の医師としての第二のキャリアが始まった場所だと言う。そのことに今中は目を瞠る。
 「神威島には神がいる。その神は僕を救ってくれた。でもそのせいで僕は別の地獄に叩き込まれた。今、僕が神威島に招かれたのは、抗いがたい運命なのかもしれない」(p346) 世良はそうつぶやくのだ。
 雪見市からは、天候不順で遅延していたドクターヘリが到着し、極北救命救急センターのフライト・ナースが現れた。参加してきたのは花房師長だった。

 神威島にドクタージェットは着陸し、世良はそこで恩師久世先生に会い、帰投までの2時間の間に久世先生の診療所を訪ねることになる。
 だが、ドクタージェットのパイロットが急な腹痛を訴えるという事態が起こってきた・・・・・・・・。
 それが、世良の決断に大きく影響を及ぼす。

 本書は、財政破綻した極北市、極北市民病院の再建途上を描き出している。それがハッピーエンドで解決できた話ではない。まだその延長線上に留まる。公立病院の医療破綻の問題、救命救急センターの機能とそれが持つ問題点、ドクターヘリの有用性とその限界など、現代医療の現場を活写している作品になっている。
 一方、世良、今中という2人の医師としての生き方に、一つの区切りがついたことも事実だ。極北市民病院の新装開店。フィクションという形を通して、現代医療の一局面を考えるのに役に立つ書である。

 著者は「極北」のこの先を構想しているのだろうか。


ご一読ありがとうございます。

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 完全フィクションの海堂ワールドだが、背景を理解する材料を併せて検索してみた。
 以下、わずかだが一覧にまとめる。

ドクターヘリ :ウィキペディア
救急医療用ヘリコプターを用いた救急医療の確保に関する特別措置法 :ウィキペディア
 救急医療用ヘリコプターを用いた救急医療の確保に関する特別措置法(法律内容)
   (平成十九年六月二十七日法律第百三号)
 
救急ヘリ病院ネットワーク HEM-Net のHP
 ドクターヘリ概要 
 ドクターヘリ配備地域 
社会システムとしてのドクターヘリ運航に向けて 原 英義氏

救急医療用ヘリコプター費用の 医療保険上の扱いについて :厚生労働省保険局
ヘリコプター救急の費用負担   西川渉氏 『WING』紙99年5月5日付掲載
ドクターヘリの現状と課題 益子邦洋氏 2008予防時報233
青森県ドクターヘリ スタッフブログ  
 ドクターへリ、その費用負担について 2010年09月22日

財政再建団体 :ウィキペディア
  地方財政再建促進特別措置法(法律内容)
  (昭和三十年十二月二十九日法律第百九十五号)
   最終改正年月日:平成一九年五月三〇日法律第六四号
夕張市 :ウィキペディア
夕張市のHP
  夕張市の地域医療ビジョン
  
NPO法人ささえる医療研究所から

2009.6.24 :「ロハス・メディカル」
「保険診療は既に破綻している」~医療構想千葉 亀田信介氏

医療崩壊 :ウィキペディア
医療崩壊を食い止めるための提案 2008.6.23 :東京大学医科学研究所
救急医療崩壊Q&A 2008.2.7 :「freeanesthe フリー麻酔医のひとりごと」


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『ガイアの法則』 千賀一生  徳間書店

2012-08-16 00:32:48 | レビュー
 著者は「2003年8月21日、私は破壊されつくしたイラクの首都バグダッドに立っていた。」という書き出しで始めている。その直後に、「この決断によって、私は思いがけない人類についての情報をつかむことになった。この体験については、あまり特異であるので、まずはファンタジーとしてお読みいただきたい。その上ですべての判断は読者にゆだねたいと思う。」と書き込んでいる。裏返せば、ファンタジーではないと暗に示唆しているのか。だが、本書の最後には、「本書はファンタジーであり、すべてフィクションです。登場する人物、団体、地名、国名などはすべて架空の世界です。本書の内容が現実の出来事と一致しているのは、偶然の一致とお考えください。」と印刷されている。これは著者が書き加えているのか、出版社が載せているのか、定かではないけれど・・・・

 私は結局、サイエンス・ファンタジーとして本書を読みとることにした。かなりの空想力を交えて、事実に近い偶然の一致点を組み込み、現実の出来事を多少あるいはかなりファンタジーの世界にシフトさせて架空の世界での整合性をはかったもののように感じている。非常に興味深くおもしろいところがありながら、どうもすんなりとは納得できない部分もあるからだ。まあ、ファンタジーとしては、一気に読ませる魅力があると思う。また、こういう見方ができるか、という点で過去を考察する思考材料としては有用である。ただ、科学的思考という観点で考えると、過去の事実、既知の事実の正確性の上に組み立てないと意味がないので、この点では距離を置いておく必要がある気がする。まあ、私の理解力不足のなせるわざかもしれないが・・・・。
 本書の評価は、まず読んでいただいて、ご判断いただだくのがよいだろう。
 「我々の常識を覆すような情報の真偽」を問うためには、その情報は正確な事実に基づいて組み立てられていなければならないと思う。

 このファンタジーの基本的コンセプトだと私が理解したことを少し、読後印象を含めてご紹介しておきたい。
 バクダッドに着いた著者は、一人のユダヤ人に誘われ、エリドゥの遺跡に案内される。そのユダヤ人は先に帰り、著者一人遺跡に留まる。そして、過去に何度も体験したことがあるトランス的体験をここでもするのだ。そして著者の意識は6000年前のエリドゥの地に至る。そしてシュメールの最高神官に出会う。本書はその最高神官が著者に語った内容を、著者が後で確かめてみた、という設定になっている。このあたり、ファンタジーとしては巧妙な設定である。
 「人類の文明がこの地から始まったのは偶然ではない。我々シュメールの神官は、時間と空間の法則を知っていた。それぞれの時には、そのそれぞれの時をリードする場というものがあるのだ、人類文明の誕生を導いた我々は、そこに一つの法則があることを知っている。その法則は、人類のすべての歴史に例外なく流れ、今日まで続いている。」(p22)として、最高神官が著者に授けた叡智が、本書・ガイアの法則なのだということになる。なかなか上手な展開だ。

 最高神官は天体が産み出す「聖なるリズム」がこの地球にあるリズムを形成し、世界の文明の盛衰、勃興もこの「聖なるリズム」の産み出したものなのだということを語っていく。 この最高神官は、シュメール文明の宇宙周期象徴学という概念を持ち出す。常識を真に覆すには、シュメール文明が「宇宙周期象徴学」を検証できる証拠を資料として残している事実が存在するのか。その有無を明確にしなければならないだろう。(ネット検索をしてみたが、有無の判断を的確にできる情報を見つけられなかった。)この宇宙周期象徴学が存在する前提で話が進むので、まずはファンタジーととらえておこう。
 シュメールの叡智として、次の諸点が論じられていく。要約的にまとめてみる。

*一つの法則、「聖なるリズム」がある。
 そのリズムの焦点が結ばれる地は、生命が最も活気づく地である(p29)。つまり、文明の中心地、文明の勃興する地の移動が起こる。文明の盛衰、転移が発生する。
 「聖なるリズム」には、地球のバイオリズムが潜んでいる。1611年間に、経度にして22.5度「聖なるリズム」の焦点が西側にスピンする。(p60~62)
 つまり、1611年を1単位として、22.5度ずつ西に再優位な文明極点が移動し、そこで新文明が開化する。(p64)
 一方で、東回りに同様に移動するスピンがある。そして両者のスピンは相互作用で進展してゆく。相対性の原理に基づく命のリズムである。(p66)
 このスピンについて、「宇宙のあらゆるリズムはスピンによって引き起こされる。我々の理解では、スピンとは、物理現象以前の宇宙の脈動であり、あらゆる存在に宿る息吹なのだ」と、最高神官は説明する。(p146)
*90度という角度は聖なる角度であり、同時に1/4リズムを示す。(p32)
 このリズムから、春分、夏至、秋分、冬至という4つの特殊ポイントが生まれる.(p157)
*1/4リズムは6444年である。 (p32)→後述の歳差運動に関連する。
*地球がスピンしてもたらすリズムが命のリズムを刻み、地球上の全生命はそれに連動する。(p39)
*宇宙周期象徴学の叡智を凝縮した象徴図形が16放射線状図形である。これは天皇家の「十六菊花紋」と同一である。(p43)
 上記の22.5度のスピンとは、円の360度に対する1/16スピンであり、象徴図形の16と関係する。 (p68)
 1/16リズムに一致した場所、地域の民族に光があたり、文明の中心地になる。大地の脈動、大地の力が働いている。(p133)
 1/16スピンつまり1/16リズムの半期間にあたる1/32リズム(11.25度)のポイントは、二次的に文化の頂点となる地域である。これは聖なるリズムの派生リズムとして位置付けられる。 (p124~125)
*人類の文明は1611年をサイクルとし、東回りのスピンは最初の800年が活動期、後半の800年が停滞期(睡眠期)であり、逆に西廻りのスピンは最初が停滞期であり、後半が活動期となる。時間のサイクルも東回りと西回りのスピンと同様に正反する。 (p88)
つまり、著者は約800年のサイクル単位が、陰陽の対関係になるとする。(p89)
*地球のスピンには、自転と歳差運動という2つがある。自転のスピンは24時間。歳差運動の旋回スピンは2万5776年である。(p147)(ただし、著者は本書中で、2万6000年という数字表記をしている箇所もある。)
 そして、ここに1/16リズムを当てはめてみる。
 すると、25776年÷16年=1611年、24時間?60分÷16=90分。
 1日の自転  360度÷16=22.5度     (p148)
 一方、1/4リズムを当てはめると、25776年÷4=6444年 
 著者はさらに展開する。90分は意識のバイオリズムであり、365日÷16≒23日、この約23日は人間の身体のバイオリズムだと(p150)。「私たち人類も、地球という命のリズムによって統括されているのだ」(p141)と最高神官はいう。
 また、1611年÷16≒100年。つまり、約100年の周期もあるとする。

 16という「聖なるリズム」をマジック・ナンバーとして、法則が形成され、ファンタジーな世界が描き出されていく。
 古代文明の盛衰、移動から現代文明への『文明焦点移動』がこの「聖なるリズム」で説明されていくのである。 本書で採りあげられている1/16リズムの『文明焦点移動』は、シュメール文明・メソポタミア文明を基点に、東回りはインダス文明、唐文明、そして日本の明石・淡路島(東経135.0度)。西回りはギリシャ・ローマ文明、アングロサクソン文明。
 さらにギリシャ文明(1/16リズム)に対し、ローマ文明(1/32リズム)の関係が例として説明されている(p91)。文明のバイオリズムは1600年だという。
 またこの法則は人間のリズムにもつながっていくと説く。一方でそれは宇宙全体、宇宙の循環にも連動しているという何ともファンタスティックな展開である。実に、おもしろい。
 「この16ビートのリズムの構造こそ、宇宙のリズムそのものなのだ。」(p155)
 「この宇宙のすべてはスピンを基軸に展開するのだ。」(p271)とする。

 16というマジックナンバーについて、本書の第一ステージで、日本の天皇家が代表紋章とする「十六菊花紋」とそっくりのシンボルがユダヤ教の礼拝堂に見られる。エルサレムの遺跡、ユダヤのヘロデ王の石棺、エルサレムのヘロデ門上、シュメール時代の王家の家紋、円筒印章、戦勝記念碑など、さらにバビロニアの遺跡イシュタル門にも、酷似のシンボルが存在する。エジプトの王墓からの出土青銅器にも。
 そして、日本の歴史は、アマテラスの時代からユダヤの血縁が関与しているという。
 (p41~p51)
 このあたり、本書に関心を抱かせ、引き込まれていく導入になっている。巧みだなあ・・・と感じる。

 16のマジック・ナンバーとは別に、もう一つ、宇宙の法則だとして説明されているシュメールの整数がある。「72」と「144」だ。「一つの存在に対して恒星の中心軸と惑星の中心軸とが一直線に並ぶ時、一つのリズムの節目を形成する」(p163)とする。つまり、太陽に対して水星、金星、地球などの惑星が一直線に並ぶサイクル、それが144年だそうである。その半周期は72年だ。東経135.0度の阪神・淡路大震災を起点にして、過去を72年サイクルで遡ると、「関東大震災、東海大震災、伊豆大島噴火、桜島噴火、富士山噴火+宝永地震」(p175)が該当するという。
 本書は2010年1月発行だから、2011年の東日本大震災はもちろんこのサイクルに入っていないし、その予測はない。地震大国日本にとって、ある年数をサイクルに眺めれば、地震がピックアップできる気もするが・・・・。
 144年に1/16リズムを組み合わせると、144年÷16=9年。気学で言われる9年の運気のサイクルに結びつくという。「9年サイクルのリズムは、地球の生命体すべてに存在する主要なリズムの一つ」であり「聖なる中心力の受容周期」(p161)と説明している。
 72というマジック・ナンバー、72年周期や100年周期についても、いくつかの一致事例が説明されていて、興味深く、これまたファンタスティックでもある。

 ファンタジーとして読んでも、わかりづらい箇所がある。「インダスとシュメールの位置は、我々が春の合一点と呼ぶ、特殊なポイントとなり」(p96)という最高神官の説明が出てくる。この「春の合一点」が何を意味するのか、充分には説明されていない。
 東回りのスピンはシュメール文明の位置を起点に説明されるが、西回りのスピンは、インダス文明の中心地に、前インダス文明の中心地を設定し、ここを起点に説明されている。上記の「春の合一点」という概念のもとに、二つの正反するスピンが入れ替わるという説明につながっている。このあたり、私にはわかりづらい。
 また、突然に「巨大なグレートイヤー」(p96)という語句が出てきたりする。この語句の前後の文章には何がグレートイヤーなのか説明がない。ただし、この語句は本書後半に「6444年に1度の変換期は、グレートイヤーの1/4リズムである」(p220)「2万5776年のグレートイヤー」(p221)と記されているので、この意味なのだろう。
 そして、現在は、東回り周期と西回り周期が180度の対立極点に位置する時代にあるのだとする。長期周期として、大きな変換点にきているというのだ。
 「すでに我々の目からは、シュメールに始まる今までの文明は過去のものとなったのであり、新たな文明は誕生し始めているのだ。」(最高神官の言、p53)
 「この変動周期は、東西スピンが180度に開いた時に生ずる。」(同上、p197)
なぜ、180度の時に? 180度まで広がると、円を閉じる方向になるためなのか? 著者は、地球の歳差運動の1サイクルがマクロで見ると、前半周期から後半周期に正反が転じる変換点をイメージしているように私は感じる。勿論、明示されているわけではない。
 東回り周期がシュメール文明を起点にし、西回り周期を前インダス文明を起点にすることで、今、東西スピンが180度に開いているという論理になっている。どうも、この起点を二つにできる理由が「春の合一点」ということに関連するようだ。
 私がわかりづらいと感じている箇所は、私一人だけだろうか。お読みいただき、感想あるいはご意見をコメント戴ければありがたい。
 そういう部分があるからこそ、ファンタジーなのだろうか。
 
 第4章は「[ガイアリズム」過去と未来」と題され、冒頭に「ガイアの法則」という用語も使われている。しかし、不思議なことに、「ガイア」という用語については本書に説明がない。既知の用語として扱われているようだ。
 第4章から第5章「[宇宙とは何か]新たな知の体系」になると、ファンタジーの様相がさらに加わっていく。これは私の読後印象であるが・・・。それだけ、知的おもしろさという要素もある。現代の科学的思考と知見を超えている一種詩的表現に入り込んでいる部分があるのではないかとすら感じる。私には理解の及ばない箇所がある。
 上記のことと併せて本書を読んで考え、判断してみてほしい。

 本書には、古代から現代までの主要な文明が登場し、中心地となる都市名が出てくる。ロンドンを起点にして東回りに挙げると、ローマ、スパルタ、ミケーネ、エリドゥ、洛陽である。唐文明を採りあげながら、唐時代の首都長安ではなく、洛陽が「中国のすべての歴史の中で最も長く都が置かれていた中国の中心地」として使われている。なぜか、ガンジス文明の中心地がどこかは明記されていない。(私の見落としではないと思うが。)
 ここに採りあげられた中心地について、ウィキペディアの日本語版、英語版を併用してその経度位置を調べてみると、本書で使われいる経度の数値は、ウィキペディアの記載する数値とは差異がある。正確な数値ではない。(正確な数値の四捨五入でもない)
 微妙に著者の図式に整合するように整えられている。このあたりは、仮説提示ということなのか。それならば、いわゆる現時点で一般的に認められる科学的根拠や証拠を踏まえた上で提示する必要があるだろう。巻末にあるように「地名、国名などはすべて架空の世界」としての利用なので自由に描けるということなのか。それならば、「法則」という用語の使用が、読者に心理的バイアスとして影響するように思う。
 このあたりに本書をまずはファンタジーとする意図があるのかもしれない。

 まあ、ファンタジーとしてでも、過去の文明の移動を興味深い切り口で眺められるという点は、おもしろい。自らの意識や思考の枠組みを広げてみる契機には十分なる。

 最後に、印象深くかつ興味深い文を、さらに考える材料として引用しておこう。

*民族の歴史というものは、その民族の始まりとなった人物のソウルパターンに導かれる。(p43)
*聖書の神話がシュメールの神話を元にしている。(p43)
*ユダヤ・キリスト教の系譜の大元となるアブラハムは、聖なるポイントである東経45.0度のエリアで生まれた。 (p124)
*人類文化の個性を形作る中枢となるもの、それは言語なのだ。(p135)
*聖なるリズムの節目には古い自身を捨てることが自然の法則にかなっているからだ。・・・それらを捨てれば捨てるほど、魂はその節目に新しきを得る。(p221)
*意識とは、自らの意識領域を拡大することによって進化するのだ。生命体意識の完成とは、完全なる自由意識の実現である。(p264)
*この宇宙には絶対的基準が存在しないため、人間が感じているような絶対的な運動というものは存在せず、すべては特定の何かとの相対変化を運動量として認識しているにすぎないのだ。(p273)


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 一応、史実にある、あるいは実在する項目について、関連情報をネット検索してみた。その一覧をまとめておきたい。

シュメール :ウィキペディア
Sumer :From Wikipedia, the free encyclopedia
Ancient Sumer History :TRIPOD
謎のシュメール文明 :「古代の不思議」 後藤樹史氏
シュメール王名表 :ウィキペディア
エリドゥ :ウィキペディア
ウル  :ウィキペディア
ウル第三王朝 :ウィキペディア
Ancient Uruk :TRIPOD
ジグラット → ジッグラト :ウィキペディア
メソポタミア :ウィキペディア
Acient Methopotamia :TRIPOD
メソポタミア文明史 :南風博物館
メソポタミア文明  :「世界史講義録」金岡新氏
インダス文明 :ウィキペディア
エジプト文明 :「世界史講義録」金岡新氏
インダス文明 :「世界史講義録」金岡新氏
モヘンジョダロ :ウィキペディア
Archaeological Ruins at Moenjodaro :UNESCO
ガンジス文明 → インドの歴史 :ウィキペディア
黄河文明 :ウィキペディア
唐文明 →  :ウィキペディア
長安 :ウィキペディア
ギリシャ文明 → 古代ギリシャ :ウィキペディア
偽りの縮図:古代ギリシャ文明解釈 [ふと考えること] :「東京の郊外より・・・」
Mycenae :From Wikipedia, the free encyclopedia
ローマ文明 → ローマ帝国 :ウィキペディア
古代ローマ文明の没落とゲルマン民族の大移動
ローマの文化 :「世界史講義録」金岡新氏

古代文明都市ヴァーチャルトリップ :大成建設

世界最古、2万年前の土器 中国で発見、料理に使う? :「朝日新聞」2012.6.29
日本の土器、世界最古なの? :「朝日新聞」2009.10.3

歳差  :ウィキペディア
天球の回転 :「ステラナビゲータ」
歳差運動の説明  :「失われた文明の知恵」 大地 舜氏 

概日リズム  :ウィキペディア

宇宙 :ウィキペディア
universe :From Wikipedia, the free encyclopedia
Multiverse :From Wikipedia, the free encyclopedia

気学 ← 九星気学 :ウィキペディア
九星、気学とはなにか :「開運の方位学 Nine Star Ki Astrology」

ガイア  :ウィキペディア
ガイア理論:ウィキペディア
Gaia hypothesis :From Wikipedia, the free encyclopedia
ガイア仮説 :「EICネット」

'Gaia' scientist James Lovelock: I was 'alarmist' about climate change

THE GAIA THEORY のHP

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『役小角絵巻 神変』 山本兼一  中央公論社

2012-08-13 17:15:44 | レビュー
 役小角(えんのおづぬ)は実在の人物であるが、修験道の高祖で「役行者」(尊称)の名称の方が良く知られている。そして役行者の法力、呪術、その秘められたパワーについて、様々な伝説が語り継がれてきている。本書はその役小角を主人公とした作品である。
 実在した役小角は舒明天皇6年(634)~大宝元年(701)、つまり大和政権の都が飛鳥~藤原京に在った頃の人である。歴史年表を見ると、天武天皇が没し、皇后(持統)が称制(即位せず執政)するのは686年と記す。689年4月に草壁皇子が没したことにより、持統天皇となるのが690年であり、それは草壁の子である軽皇子に皇位を引き継がせたい為だった。天武の遺志を引き継ぎ藤原京を造成して、飛鳥から都を移す。そして、697年、軽皇子に譲位する。天武天皇の時代となる。

 本書は、持統天皇の時代を背景にした役小角の行動、生き方をテーマにしている。つまり役小角が50代半ばの頃の話だ。この作品、どれだけ史実に依拠しているのかはわからない。巻末の引用・参考文献を見る限り、作者のたくましい想像力とその構想により紡ぎだされた絵巻であるように思う。しかし、私は本書前半部分は実在感のあるストーリー展開だと感じている。後半に入ると、役小角が妖術を使う幻想的な展開を含む形になり、「役小角絵巻」の雰囲気が加わってくる。「役行者」が産み出されていく始まりともいえる。

 難波から大和の飛鳥にいたる竹内街道は、この当時のメインルートだった。竹内街道が葛城の峰を越えるあたりで、小角とその一党が神々と飛鳥の天皇への捧げ物である膨大な「贄」を運搬する隊列-贄担ぎがざっと百人、護衛兵五十人あまり-を襲うという場面からこの絵巻が始まる。
 葛城山のふもとの村に住み、飛鳥のために使役されていた人々が葛城山系に逃げ込んみ山の民となった。「葛城の山に行けば、なんとか生きられる。そんな噂が広がり、寄る辺ない者たちが集まってきた」(p19) みなで助け合い、刈りをし、山の幸を分け合う。大和の国の周辺の山々に、山の民が増えていく。その山の民のリーダー的存在が小角だ。
 「この天地は、だれのものか」この問いが小角の思考の中心にどっかりと据えられている。「天地が、自分たちの所有物であると宣言した奴らがいる。飛鳥に住んでいる連中だ。」(p4) 彼らが、戸籍を作り、班田収受を行い、租庸調を定め、税を取り、民を使役し兵役を課す。「自分たちが、この天地のすべてを支配しているから、生きたいならば、飛鳥のために働け、といわんばかりの横暴さである」(p4)ということに、小角は腹を立てている。彼にとって、天地は誰のものでもない。「王などくだらぬ。この天と地のあわいで、だれが偉いもあるものか」(p39)「人が人にひれ伏す必要はない」(p95)という信念を持つ。

 本書は役小角を筆頭とする山の民と大和政権(持統天皇・天武天皇)との対立のプロセスを軸にしながら、小角の信念、思想が深化し、その法力を培っていく姿を描き出していく。大きくは3つの流れが絡まり合いながらストーリーが展開する。
 1つは、小角とその一党が藤原京の造成を阻止しようとする様々な戦い。つまり大和政権の頂点に居る持統天皇との戦いである。小角は天皇の存在を認めていない。従って一貫して持統天皇を幼名の?野で呼び、この幼名で統一されている。『日本書記』巻第三十に「高天原広野姫天皇(=持統天皇:補記)は、幼名を鸕野讃良皇女といい、天智天皇の第二女である」とある。
 それに対し、第2として、大和朝廷の国家形成が着実に進んでいく状況の描写である。小角の思いに反し、?野は天武天皇の遺志を継ぎ、藤原京造営を進める。実質的には藤原不比等を筆頭とする官僚群がその任を担ったのだろう。鸕野(持統)が自らの系統に皇位を継承して行こうとする欲望が描かれ、また国の体制が揺るぎないものに進展していく過程である。統治者、被統治者の関係が強固になっていく。鸕野を和歌の朗詠で慰める役割として、要所要所で柿本人麻呂が登場するのも、ある意味で興味深い。人麻呂についての著者の人物描写をおもしろく感じた。
 第3の流れは、大和朝廷との戦いが継続されていく中で、小角が役行者と後世呼ばれる彼の行の歩みが併行して進展していくことだ。「よく生きる」という小角自らの願望を成就しようとする行動の積み重ねである。それは後にいう修験道の基礎を築いていくプロセスになるのだろう。

 第1の流れで見れば、冒頭の贄の略奪(小角からみれば、民のものを民に返すだけ)。藤原京完成直前の京を攪乱させようとする企て(この時小角親子が捕縛されるが仲間が助け出す)。山の民が捕縛され、坂東への強制移住と使役、そこからの脱出。藤原京を取り囲む山の民の集結へと展開する。
 「われらは、悪事をなすわけではない。むしろ、世のためになることをする。ここに京などできてみろ、?野の奴は、ますます調子にのって人を酷使し、たくさんの税と贄を集める。それをさせぬための戦いだ」(p43)。小角が息子星麻呂に端的にその立場を語る。
 作品としてまずおもしろいのは、この対立、戦いの進展である。立場のちがう2者のそれぞれの視点からみた戦い。小角の果たす役割。こんな役割の小角をいままで想像してみることすらなかった。その点が、私には一つの収穫だった。小角親子が捕縛された後、その獄舎に?野が出向き、小角と?野が直接対話する描写がおもしろい(p67~77)。
 何が正義で、何が悪か? 誰の立場から考えるか。この問題を考える材料にもなる。

 第2の流れでみれば、藤原京造成、完成後の遷都。国家体制づくり(飛鳥淨御原令の発布、6年に一度の戸籍作り、国衙や寺院の造営など)である。鸕野の心、思いの描写を重ねていく。遷都後に?野の思いを著者はこのように記す。官人たちがしわぶきひとつしないで、身じろぎもしないのを眺めたときの思いである。「頭を下げているのは、鸕野に対してではなく、皇(すめらぎ)という権威に対してである-。そんなことは、よく分かっている。それでも、かまわない。皇はじぶんだ。じぶんは、いまこの秋津島に住む人間の頂点にいる。百官たちに命令を下し、民草に慈悲を与える皇として生きている。夫の天武が夢見ていた国家の建設。それがようやく形となってあらわれた。」(p274)
 著者は、藤原京がそう長くはなくて廃されるだろうと小角に予言させている。その理由の一端も語らせている。この箇所(p36~38)を読み、藤原京について書かれた本を読みたくなってきた。いつだったか購入して積ん読本になっている新書があったのを思い出した。本書の波紋として読んでみようと思っている。改めて、持統天皇の存在にも興味が湧いてきた。

 第3の流れは、全体のストーリーの中では、前後して語られている部分もある。読後に振り返ってみると、こんな説明が挿入されている。著者が描く役小角のプロフィールでもある。

*小角は、葛城山のふもとで生まれた。役という姓の者たちが住む村だ。役というのは、・・・飛鳥の連中が小角たちの仲間につけた姓であった。そもそも役という姓は、飛鳥の連中に仕えるために存在していた。  p120
*賀茂一族は、かつて仕えていた蘇我氏が没落してから、・・・役-という姓を押しつけられたが、それは、すなわち、ただひたすら使役されるという意味であった。 p20
*山で一言主に出会い、さんざん叱り飛ばされながら、陰陽五行をはじめ、本草学やら医術やら、あれやこれや指導を受けた。父を知らない小角にとって、一言主は父のような存在である。  p32
*そもそも、妖術などという術があるのかどうか、わしは知らんぞ。・・・・山には、いろんな不思議がある。山にいれば、不思議が見えてくる。祈りながら山を駆けていれば、いつかは不思議をわがものにできる、ということだ。  p35
*しばらく一人で山に籠もり、行を積む。・・・・強くなるための行ではない。神仏と一体になるための行だ。 p91

 小角にとり、山に籠もり山を駆け巡る行為は、体内を浄化させ、己の魂を天に近づけるためのものだった。そして吉野の山で行を積む過程で、小角が蔵王権現と出会う場面を著者は描写していく。その出会いの感得として、小角はこころの有り様を変容させていく。「生きているなら、憎むより愛そう。恨むより憐れもう。殺すより慈しもう」と(p263)。小角の信念は強化される。「人は、この天地のあわいに、なにも所有していない。生きるだけの食物を得て食べ、着るだけの衣を紡ぐ。それ以上、必要なものはなにもない」(p263)「人は人に支配されない。人は人を支配しない。」(p264)
 蔵王権現が見えるようになった後、山を下りる。山の民が藤原京の周りを囲む行動に出る中で、内裏に居る?野に会うために小角は出向いて行く。鸕野と軽皇子に小角が天地の由来を見せる幻想的描写が始まる。著者の想像力が飛翔する。このあたりのシーンを三次元CGで描出していけばおもしろいだろなと思う。

 これら3つの流れが、鸕野の約束という形で一度は集約されるが、持統天皇の譲位、文武天皇の治政下で再び崩れていく。そこから、再び小角の行動が始まる。この辺りの変化がなぜなのかは、本書をお読みいただくとよい。
 この最後のステージに含まれる幻想的シーンの中で、小角が「われは、神変大菩薩。破邪顕正の炎なり」と叫ぶ言葉が記されている。
 一つだけ触れておこう。小角はある目的を抱いて陸奥まで仲間たちと出かける。そして帰路、立ち寄った伊豆大島で、火を噴く山を見て、ここでしばらく行を積みたいと考え、仲間を葛城山に先に帰らせる。「島の中央に、やはり、煙を上げている山がある。いつ火を噴くかわからない。それが、おのれの心胆を練ってくれる」(p425)と考えたのだ。
 「-この天地でじぶんはなにができるのか。
  そのことだけを、じっと考え続けていた。」
著者はこの文で本書を締めくくっている。
 
 1999年に、役行者神変大菩薩1300年遠忌記念の特別展覧会が開催された。その「役行者と修験道の世界」の図録に載っている「葛城の修験とその遺品」(宮城泰年氏)という論文には、「一般的な伝承では役行者は葛城山を間近に見る御所市茅茅原で、一言主神と同族の高鴨神を遠祖とする賀茂家に生まれ」、「賀茂の神に仕える『えだちの公』の家系で勢力があった上に宗教的な超能力を併せ持っていたようである」と記されている。(えだちという漢字は人偏に殳と書く字があてられている。)その続きに、「移民系の高い文化と、支配的豪族となって築いた財力をもった賀茂の役一族が、土蜘蛛以来の土着の神(民族)を支配する構図が、土木工事(架橋)と一言主神話の背景ではなかったろうか」と論じている。
 また、当論文には『続日本紀』文武天皇3年(699)5月24日の条の「役君小角伊豆島に流さる。初め小角葛城山に住し呪術を以て称さる。外従五位下韓国連広足これを師とす。後その能を害み讒するに妖惑を以てす。故に遠処に配せらる。世に相伝へ言、小角能く鬼神を役使し、水を汲み薪を取らしむ。もし命を用いずんば即呪術をもってこれを縛す」という記載を引用している。

 本書を読み、この論考を参考にすると、葛城山付近の賀茂族と大和政権との勢力争いや、勝者側による歴史記載の可能性があるように想像されて興味深い。
 本書には韓国連広足が幾度も山の民や小角の許に入り込み、関わっていく人物として描かれている。また、著者は小角が自ら伊豆大島に行のために留まるという最後の設定をした。その伊豆大島で、広足が大和側の人間として小角の前に現れ、御幣を振るい祓の詞を称える人物としても登場する。また、小角とともに陸奥まで行った仲間の猿麻呂にこう語らせている。「おぬしがこの島に残れば、京の連中は、これ幸いと、島流しにしたと噂を広めるかもしれんぞ」と。こういうあたり、著者も心得たものである。なかなかおもしろい。
 役小角という伝説豊かな人物について、その実在の側面にあらためて興味を抱かせられた。
 

ご一読ありがとうございます。

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 本書に関連する語句を検索してみた。以下はその一覧である。

役小角 :ウィキペディア
葛城山

持統天皇 :ウィキペディア
天武天皇 :ウィキペディア
称制   :ウィキペディア
軽皇子(文武天皇)
高市皇子 :ウィキペディア
藤原不比等 :ウィキペディア

藤原京 :ウィキペディア
藤原京CG再現プロジェクト
藤原京と『周礼』王城プラン  中村太一氏
藤原京を歩く 壮大な都城跡・天の香久山を散策 :「星のまち交野」
大和三山 :「古代史跡を歩く」

吉野山 :ウィキペディア
金峯山寺 :ウィキペディア
大峰山 :ウィキペディア
修験道 :ウィキペディア

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付記
 以前に、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『弾正の鷹』



『邪馬台国をとらえなおす』 大塚初重 講談社現代新書

2012-08-10 23:42:38 | レビュー
 「邪馬台国についていま何がいえるのか。」この問いに対し、考古学の現物発掘、物理的実証の範囲を基に迫ったのが本書である。考古学の専門用語が頻繁に使われながらも、一般読者が読み通せる形になっている。2009年に著者が明治大学リバティアカデミーにおいて1年間「邪馬台国論争の行方」と題して生涯学習講座を実施されたとのことで、この内容が本書に結実したからのようだ。
 決して読みやすいとは言えない。それは考古学用語を使い、厳密な論証を展開されようとされているからである。だが、そこは生涯学習講座のレクチャーが種本なので、素人にもついていけるのだろう。まあ、少し我慢して読み進めると、考古学に関して素人にも、用語への馴染みが出てくる。

 「おわりに」に、著者は自らの立場を明記されている。
 「最近の考古関係の資料を見ていけば、よほど色眼鏡をかけなければ、邪馬台国は北部九州にあったとは言えない。また纒向遺跡が邪馬台国の所在地だとは断定できない。しかし、かなり重要な遺跡であることだけはまちがいない。とにかく継続的に纒向のあの四棟の建物群の周辺を掘りつづけなさいと私は言いたい。」(p233)
 「大和川の経済的・政治的な機能、日本海沿岸地域と近畿圏を結ぶ琵琶湖の利便性、また先進的な手工業技術の受容と拡散などに優位性を発揮した丹後地方の経済性など、王権存立の客観的な歴史的条件を考えれば、畿内地方こそ邪馬台国存在の想定地域であり、大和王権への発展が歴史的に評価できる地域であると思うのである。しかもその流れは、倭国だけのものでもない。朝鮮半島をふくめた東アジア全体の流れとしてとらええば、邪馬台国連合の範囲は北部九州だけで完結する問題ではないのではないかという結論に行き着く。
 考古学的発見は明確な事実を我々に突きつける一方、実年代比定の難しさによって、新たな謎をなげかけてもくるのである。」(本書末尾、p235)

 本書の構成は次のとおりである。各章について要約的に読後印象を付記する。

 はじめに
 西暦2世紀の後半から3世紀の中頃、日本が卑弥呼と呼ばれる女王の時代だったことは事実のようだ。しかし、邪馬台国の所在地は未だ解明されていない。「魏志倭人伝」の文献学的解釈はさまざまで、定説はない。「銅鏡百枚」についても百家争鳴だ。発掘考古学の分野では、AMS(加速器質量分析法)による放射性炭素年代測定法の利用により、卑弥呼の時代が、従来言われてきた弥生後期段階ではなく、古墳出現期ではないかと多くの研究者が考えるようになってきたという。そして、箸墓の築造の時代認識が古墳時代初期となると、俄然当時の状況認識が大きく塗り替わっていく可能性が高くなるようだ。ある意味、邪馬台国論争が再び熱を帯びてくるのではないか。
 本書は、発掘考古学の視点から、いろいろ問題提起をしている。素人をわくわくさせる古代史情報に満ちている。

 第1章 「魏志倭人伝」の謎
 まず、中国の史書に古代の「倭」がどのように記述されているか、その概括をする。文献学的研究として邪馬台国所在地の論争が先行してきた。畿内説と九州説が二大学説として並立し、他にもさまざまな説がある。「魏志倭人伝」からはどうも所在地を特定するには限界がありそうだ。今、考古学的研究の成果が問われてきているという。
 「箸墓の周壕土器が240年から260年にあいだに収まる、とすれば、卑弥呼の死去の年代に合う」(p29)。しかし、著者は「遺物、遺構など、動かしがたい事実を研究の対象とする発掘考古学の観点から見ると、そう簡単に箸墓=卑弥呼の墓とは言えないのではないか」と留保する。
 本書を通読して感じるのは、ここぞと目される古墳が、宮内庁の陵墓指定となっていて発掘調査ができないことだ。エジプトの王家の谷、ピラミッド発掘のように、古墳の発掘調査がオープンになれば、どれほど古代史が明確に分析できることだろうか、と思う。
 日本の歴史認識が大きく展開する可能性があるとしても、素人の目からはこの21世紀の時代、もっとオープンマインドで古代史研究が進むように方向転換してほしい。

 第2章 「魏志倭人伝」を読む
 この章、邪馬台国の第一級資料である「魏志倭人伝」の全文について、原文読み下し文に現代語訳が付けられ、著者による原文自体への補足説明、解釈が併せて記されている。ただし、ここではあくまで原文の意味するところの理解を深めるという趣旨だろう。「魏志倭人伝」の内容を知識教養の一環として理解するには大変有益だ。邪馬台国論争の基盤を押さえておくという意味では必要なパーツだと思う。
 しかし、通読してみて、第3章以下での著者の論点の展開からみると、この全文訳が必要とされているのか。私にはどうもそのようには思えない。生涯学習講座という性質からのサービスであるように感じた。しかし、一書内で全文を見られるメリットは勿論ある。
 第3章 邪馬台国成立前夜 -激動の東アジアと倭国大乱
 ここでは邪馬台国成立前夜における中国本土と朝鮮半島の情勢をとらえた上で、「魏志倭人伝」以外の史書に記載された「倭」の記述を分析している。中国で王莽が建国し一代限りで滅びた「新」で鋳造された新貨幣「貨泉」や「貨布」が日本国内の各所の古墳、遺跡から発掘されているということを本書で初めて知った。「倭国は紀元前の時代にも大陸とかなり密接な外交関係があったことになる」(p75)
 また、昔日本史で項目としてだけ学んだ「漢委奴國王」印(福岡県・志賀島)、また後漢中平年鉄刀(天理市・東大寺山古墳)が秘める謎、疑問が考古学の観点から分析されている。諸説列記されており、いろんな考え方があることがよくわかって、おもしろい。著者は金印について国際交流の実証となるものという点をまず押さえている。一方、四半世紀後半の築造と思われる古墳から二世紀の紀年銘刀の出土した。それも和邇氏の本拠地和爾の里の東北方800mほどの場所からだという。大陸との関係が示唆されるもののその出土は謎を生む。考古学的事実の先は、まだまだ推定、ロマンの世界がひろがっている。
 著者は、倭国大乱や邪馬台国成立時代を考える上での必須問題として、銅剣、銅矛、銅戈、銅鐸などの青銅器について考察する。1920年に和辻哲郎が銅鐸文化圏と、銅剣、銅矛文化圏という東西青銅器文化圏を指摘した。しかし、現在までの発掘事実を総合し、「これを冷静に分析すると、銅鐸分布圏と他の青銅器分布圏を単純に地域区分できないことになってくる」(p98)と問題提起する。また、「銅鐸の消滅の時期が邪馬台国の出現とどう関係するのか。銅矛・銅鐸・銅剣のありかたは日本の祭りの共通性を考えるうえで非常に重要なものとなる」(p98)という。「銅鐸祭祀の消滅が三世紀前半とすれば、・・・・それは邪馬台国との関係のなかで解き明かさなければならない」(p101)と課題を提示している。陵墓発掘調査が解禁されれば、この問題も一気に解決へと向かうのではなかろうか。素人にはそんな気がする。p100に掲載の出雲の銅鐸と兄弟銅鐸の関係図は大変興味深い。 章末で、著者は長野県中野市柳沢遺跡、千葉県君津市大井戸八木遺跡その他からの近年の発見事例を踏まえ、弥生後期終末の青銅器文化の世相を推定する。「邪馬台国の、範囲、性格、構造というものの解釈は今後相当変更を迫られる可能性がある」という。古代史解明がますますおもしろくなりそうだ。

 第4章 鉄と鏡の考古学
 ここでは、考古学的観点から、「邪馬台国畿内説」「邪馬台国九州説」の二大学説の主張を再検討している。そのキーになっているのが鉄器と銅鏡だ。
 本章を読み、鉄器について興味深く思ったのが二点。一つは日本海沿岸地域で緊急の墳墓発掘が多く行われ、大阪湾岸でも発掘が多く、鉄製品の発掘例が多い。だが大和が少ないという。「大和が少ないのは弥生時代墳墓の発掘例が少ないからか、それとも、ほんとうに鉄製品の副葬が少なかったのか」と疑問を提示している点だ。もう一つは、「土地が鉄器を腐らせる土壌であるという研究発表」があるという点だ。鉄の保存環境が鉄器の残存率を左右する。ここに、考古学的アプローチの限界があるかもしれない点だ。腐っても成分が消滅することはないとすると、別の分析方法がないものか。
 「つまり鉄は、九州以外の山陰、近畿や東海、関東などでも、かなり普及していたのではないか」(p112)と著者は想定する。
 鉄器の次に、卑弥呼がもらった百面の鏡を著者はかなり詳細に考察していく。この考察プロセスが大変興味深い。九州説・大和説の分かれ目に鏡の種類の問題がたちはだかているのだという。舶載鏡(輸入品)と仿製鏡(国産)の区分、鏡の形状の種類、とくに三角縁神獣鏡発掘の問題、魏や呉の年号を記した紀年銘鏡の問題、これらが複雑に絡み合っている。「三角縁神獣鏡も楽浪郡で日本向けに作った鏡ではないかという見解も出てきた」という。銅鏡研究もますます複雑になりそうだ。
 鉄器・銅鏡というキーワードからでもこれだけ考察できるということは、二大学説のそれぞれの論拠づけがますます精緻にならないと、説得力に欠けることになってくるのだろう。

 第5章 土器と墓が語る邪馬台国
 今まで博物館で土器の展示品をなんとなく眺めていただけだが、本章で土器型式の分類について、庄内式、布留式という主要軸となる型式があることを知った。p168~169には邪馬台国時代とその前後を網羅した「土器編年表」が掲載されていて、参考になる。
 人が移動すると、生活必需品としての土器も必然的に運搬移動されていく。それが遺跡から発掘されるということだ。逆に、考古学的な手法では、出土土器との関係で、邪馬台国の実態を考究することになる。土器の移動分布が何を語りかけてくるかということなのだろう。一方、その出土土器の年代特定において研究者により意見が分かれてくるようだ。
 土器の型式だけでなく、そこに胎土分析も加わってくるということも本章で知った。さらに、遺跡発掘での出土土器における他地域からの搬入土器(外来系土器)の割合から、人やモノの交流の様が推測できるという説明には、なるほどと思う。この観点からは、「奈良県の纒向遺跡には日本列島内の各地から、人とモノが集まっている痕跡がある。他地域からの土器の流入は日本最大規模だ」という。
 土器の型式や名称が一杯出てくるので、詳細な説明を理解できない部分も多いが、まずはマクロなレベルで、人と土器の移動から考えるという視点を押さえておけば良いのかもしれない。考古学的発掘の成果が集積され、そこから「克明に解き明かしていけば、おのずと邪馬台国の実像が見えてくると思われる」という章末での著者の言は、膨大な個々の研究者の地道な成果の集積が、いずれ大きく結実することを確信しているのだと感じる。

 第6章 箸墓=女王卑弥呼の可能性をさぐる
 著者は本章で纒向遺跡が邪馬台国の遺跡かどうかの蓋然性、卑弥呼の墓としての条件の具備の程度について、検討を進めていく。出土土器の年代判定、確認された建物跡の規模と内容、建物配置の計画性、周辺の古墳の年代との関係、そして、発掘調査されたホケノ山古墳と勝山古墳の事実内容について詳細に分析する。そのうえで、箸墓の築造年代問題を考察して行く。九州説の安本美典氏が提起しているという輪鐙の問題にも触れている。この輪鐙は布留1式土器とともに出土したという。著者は、「布留1式土器がもっと新しい年代に編年されるのであれば箸墓=卑弥呼の墓説は霧散する。これは東アジアの馬文化の伝播の問題を含む大きな謎である」とする。
 箸墓は宮内庁が陵墓として管理しており、立入禁止である。つまり、考古学者にとっては、周辺の調査を機会を捉えて進めてきても、いわば本丸に乗り込めない。歯痒くてしかたがないのではないかと、素人でも思う。
 歴史民俗博物館が箸墓について、240~260年代築造説を提起しているようだが、これが正しいと言えるためには、大きなハードルがいくつもまだ横たわっているのがよくわかる。著者はこの年代について、「直ちに決定とは考え難く、なお慎重に検討すべきではないか」という立ち位置に留めている(p227)

 本書を読み、「魏志倭人伝」の記載からスタートする論理の展開ではなく、遺跡発掘という地道な個々の事例の集積、その累積事実をもとに、考古学的観点ではどのように論理を展開するのか、という雰囲気がよくわかった。
 いずれにしても、陵墓発掘ができない以上、事実の積み上げと一層の推論、考察が花開きそうである。邪馬台国論争がますます面白くなりそうだ。


ご一読ありがとうございます。

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 本書と関連して、気になる用語とその波紋からの検索結果をまとめておきたい。

考古学  :ウィキペディア
発掘調査 :ウィキペディア
型式学 → 型式学的研究法 :ウィキペディア
層位学 → 層位学的研究法 :ウィキペディア
庄内式土器 :豊中市のHP
 庄内式土器の時代 :「邪馬台国の会」
 天皇陵と地形表現 :「邪馬台国と大和朝廷を推理する」
布留式土器
 布留遺跡 :「邪馬台国大研究」
 土器の編年:「マント蛙のブログ」
土器の編年 :「邪馬台国とは何だろうか?」
AMS(Accelerator Mass Spectrometry :加速器質量分析)
放射性炭素年代測定 :ウィキペディア

古墳 :ウィキペディア
  堺市 デジタル古墳百科事典 
  日本の古墳一覧 :ウィキペディア
  古墳の形状 :「古墳 全国の古墳巡り」
陵墓 :宮内庁のHP
  歴代天皇陵一覧 :宮内庁
  天皇陵 :ウィキペディア
  陵墓参考地 :ウィキペディア

邪馬台国論争 → 邪馬台国 :ウィキペディア
 邪馬台国畿内説 :ウィキペディア
 邪馬台国九州説 :ウィキペディア
魏志倭人伝    :ウィキペディア
魏志東夷伝倭人条〔魏志倭人伝〕――原文口語訳対比

箸墓伝説 :「平安時代の陰陽」
 倭迹迹日百襲媛命 :ウィキペディア
卑弥呼 :ウィキペディア
漢委奴國王印 :ウィキペディア 
  金印  :福岡市のHP 「福岡市の文化財」
  金印の謎 :「一大率・難升米の読み方と白日別の意味」
「廣陵王璽」印
  「金印」(「中国に見る日本文化の源流」河上邦彦氏)というコラムに写真が掲載されています。
  「金印真偽・漢委奴国王印の真贋」 こちらのブログ記事(「民族学伝承ひろいあげ辞典」H.G.Nicol氏)にも。
  『漢委奴国王』金印への新たな疑問2
出雲神庭荒神谷遺跡 ← 荒神谷遺跡 :ウィキペディア
  荒神谷博物館のHP
 
視点・論点 「考古学と発掘調査」 俳優 苅谷俊介氏 :「NHK解説委員室」
「三角縁神獣鏡をデジタルアーカイブ化 卑弥呼の鏡 謎解明へ貢献」:「MSYS」

☆邪馬台国研究関連のHPやブログ  検索で出会ったサイト集

邪馬台国の会
邪馬台国大研究
邪馬台国と大和朝廷を推理する うみのさわら氏
一大率・難升米の読み方と白日別の意味  小平一郎氏
邪馬台国総論
邪馬台国と大和朝廷  倉橋日出夫氏「古代文明の世界へようこそ」のサイト
邪馬台国にようこそ


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『わたしの良寛』 榊 莫山   毎日新聞社

2012-08-08 10:32:52 | レビュー

 著者の『大和仏心紀行』を読んだとき、自分自身の著書として気に入っている本ができたと書いているのに興味を抱いたことと、良寛という人に以前から関心があったので、本書を読んでみた。良寛について書かれた本を読むのは本書が初めてになる。

 著者は「ジーンとくる良寛」に逢いたくなって旅に出た。本書は「どんなに考えても考えても、わかるはずのない良寛」を著者自身が良寛の足跡の地に赴き、感じるとるための旅である。だから「わたしの良寛」なのだ。

 本書は、五部構成になっている。
  生誕(出雲崎)、修行(玉島圓通寺)、還郷(五合庵)、終焉(和島村島崎)
  相思(貞心尼)
 そして、各章は良寛作詞の漢詩あるいは和歌を基軸にして、その詩歌に良寛の足跡地での見聞を重ねて、著者の想いが綴られる。そして各章に著者が現地で取ったモノクロ写真やカラー写真が配され、また著者自身が良寛や良寛の生きた土地、風物からの想いを詩書画として描いたものが載っている。文、詩書画、図板のコラボレーションがなかなかすばらしい。また、良寛の漢詩に著者の訳詩が付けられている。かなり意訳だと思うが、なかなかこなれた訳詩になっていて、原詩の趣旨がよく伝わってくるように思う。なかなかおもしろい訳し方だなと思うものが結構ある。実に楽しい。
 子供と戯れる良寛さんという単純な今までのイメージから脱却でき、良寛という人物の全体像とその奥行き、広がりを本書から感じ取ることができた。私にとっては、良い良寛入門書になった。

 二十年振りに越後・出雲崎に帰郷した良寛の漢詩から本書は始まる。
 良寛は名主と神官を兼ねる旧家・橘屋(屋号)の跡継ぎとして生まれた。栄蔵、ときに文孝と称していたが、十八歳から良寛と名のり始めたという。そして「字は曲(まがり)。号は大愚(たいぐ)」と付けたようだ。
 「正しく年月日の明瞭なのは、天保2年(1831)正月6日、越後島崎の木村家で死んだ」(p15)ことだけらしい。何故、良寛ほどの有名な禅僧の履歴の詳細がわからないのか。著者は3つの理由を挙げる。
 1)良寛は時の権力と結びつこうとしなかった。 2)生涯寺を持たず、妻子はなく、弟子・後継者を持たなかった。3)良寛は己の履歴を一切残さなかった。残したのは詩歌と手紙だけである。 と、著者は語る。まさに「まったく世俗を超越した和尚」(p15)であり禅者だったのだ。著者が撮り、自画自賛する良寛像のモノクロ図板が18ページに載っている。「目をあけているのか閉じているのか。頬の肉はおちこんで、じつに超俗的である。への字にむすんだ薄くて無口な唇。べらぼうに長い耳」(p19)と著者は表現している。ほんと、実にいい表情だ。この写真を見るだけでも本を開いてみるとよい。

 22歳で故郷を離れ、国仙和尚につれられて備中の円通寺に行き、32,3歳の頃まで曹洞禅の修業。寛政3年(1789)3月18日、師国仙和尚の寂滅。良寛34歳のとき、巡錫の旅に出る。この放浪の旅は失望の旅なったらしい。『僧伽』という詩が残されているという。20年振りに帰郷し、漢方医・原田鵲齋の世話で落ちついた庵が『五合庵』。60近くなり、乙子神社の社務所に移る。70が近づいて、「うちの裏に、はなれがある。うちへきて暮らしてはどうじゃ」という能登屋の主人のさそいを思い出し、和島村島崎の能登屋に移る。能登屋は屋号で、木村家。ここが良寛の終の棲家となる。
 良寛のいた庵の跡には、『良寛禅師庵室跡』と彫った石が「しょんぼりたっている」(p64)と著者は記す。
 能登屋のはなれに住む70歳の良寛のまえに、忽然とあらわれた美しい尼僧が30歳の貞心尼である。貞心尼は古志郡・福島の閻魔堂から20キロ近い距離をものともせずに、良寛のもとに通ったようである。そして、貞心尼は良寛とのやりとりを、たんねんに歌集『はちすの露』に書き残した。
  
 最後の章「相思」は、良寛と貞心尼の関係について、著者は和歌や漢詩を通して、語っている。
 長岡市福島の「貞心尼居住閻魔堂跡」の傍には、貞心尼と良寛の歌を1枚の石に彫った碑があるという。
 君にかく あひ見ることの うれしさも まださめやらぬ 夢かとぞ思ふ 貞心
 ゆめの世に かつまどろみて ゆめをまた 語るも夢も それがまにまに 良寛

 良寛さんはこんな楽しい戯れの歌も詠んでいる。
 酒酒と花にあるじを 任せられ けふも酒酒 あすも酒酒  
   「咲け」と「酒」を引っかけていることはすぐおわかりになるだろう。
 また、子供をさそって、山辺のスミレを見にゆく歌も載っている。
 いざ子供 山邊に行かむ 菫見に 明日さえ散らば いかにとかせむ

 また、漢詩を軸にと言ったとおり、漢詩が各章ごとにいくつか引用されている。変換困難な漢字がところどころに出てくる。そこで著者の訳詩で2つ紹介しよう。原詩がどういう風に作詞されているか、本書を手に取り対比していただくとよい。

 家のまわりに 竹やぶ茂り
 青々のびて 数千本
 笋(たけのこ)ぽこぽこ 道にもはえて
 梢はたかく 天をゆさぶる
 寒さそこのけ 姿凛凜
 霞たつ日は さながら墨絵
 松にも柏にも 負けない姿
 桃や李は 話にならん
 竹はまっすぐ 節はかたくて
 わたしゃそういう 風情にほれる
 竹の見事さ いついつまでも


 乞食しつつ 雨にで逢って
 しばらく祠で ひと休みした
 乞食姿は 感心せぬが
 死ぬまで心は 貴族でござる

最後に、良寛が「禅問答をなげかけている、と思う」と著者が記している言葉を載せておきたい。
 君看ヨ 双眼ノ色
 語ラザルハ 憂ナキニ似タリ
この言葉、最終章「相思」に引用されている言葉である。


ご一読ありがとうございます。


『大和仏心紀行』 も読んでいただけると幸です。


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 本書に出てくるキーワードからの検索一覧をまとめておきたい。

良寛 :ウィキペディア
良寛略年譜 :「燕市分水良寛史料館」

良寛堂 :出雲崎町のサイトから
良寛堂 :「カメラ紀行 名作のふるさと」
良寛様と国仙和尚 :「平成16年5月22日公開講座」
円通寺のHP
 良寛・遺墨1、良寛・遺墨2、良寛・遺墨3 にトップページからアクセス可能。
円通寺 :「備中良寛さんこころの寺巡り」
五合庵  :「良寛さんの心に学ぶ」
乙子神社 :「良寛さんの心に学ぶ」
長岡市・照明寺密蔵院  :「新潟県WEB観光案内所」

良寛と白雪羔(はくせつこう) :「歴史上の人物と和菓子」 とらや
張瑞図 :ウィキペディア
張瑞図 五言絶句(明) :「書道の宝箱」

竹の詩 ← 良寛さま(三) 書のおはなし 萱沼霽田氏
良寛禅師戒語 :「伝承」
良寛歌抄 :「Taiju's Notebook」
良寛様の和歌二百八十首  小山宋太郎氏
良寛様の漢詩  :「良寛様の部屋」
良寛様の全俳句 :「良寛様の部屋」
蓮の露(はちすのつゆ)  :柏崎市立図書館
はちすの露~貞心尼~   :「伝承」

貞心尼 :ウィキペディア
貞心尼 :「ソフィアセンター 柏崎市立図書館」
貞心尼歌碑・史跡 :柏崎市立図書館

良寛ファンタジー  絵と文 本山富尚氏

良寛と貞心尼の愛 -貞心尼筆『蓮の露』訳考-  和田 浩氏
良寛詩にみられる白居易詩受容について  上芝令子氏

賢愚経断簡(大聖武) :e国宝
紫紙金字大方広仏華厳経巻第六十三 :文化遺産オンライン

燕市分水良寛史料館 :燕市のHP


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『隠蔽捜査4 転迷』 今野 敏  新潮社

2012-08-07 14:42:53 | レビュー
  冗談ではない。
  竜崎は思った。俺は大森署の署長だ。
  一国一城の主なのだ。

 本書末尾の文である。竜崎伸也のこの言。真骨頂が出ている。楽しい終わり方だ。
 著者の創造した竜崎伸也のキャラクターは大好きだ。原理原則で物事を判断し、組織人として正当なことには従うが、つまらぬ官僚思考の柵や自己保身などは無視し、相手にしない。組織の柵も不必要なことなら無視して正論で押し通す。結果的に不思議と道が開け、合理的判断が相手に受け入れられていく。それは竜崎が責任を取ると言うからかもしれないが。官僚の無責任体質の裏返しなのだ。無駄な官僚手続きは無視し、原理原則、合理性と効率性で管理し行動する。こういうキャラクターで押し通す人物が少ない故に、憧れるのかもしれない。

 竜崎の許に、いくつもの事案の報告が入ってくる。
 東大井二丁目で男性の遺体が発見された。その場所は勝島運河を挟み、対岸には第二方面本部と第六機動隊の所在地がある位置だ。第二方面本部の目と鼻の先である。大森署の管轄外だ。勿論、竜崎は大森署と関係のない事案と判断する。だが、捜査本部が設置されると、近隣署の事件には大森署にも応援を要請されることになる。
 大森署管内の大森北3丁目、「八幡通り入口」信号付近で、ひき逃げ事件が発生。集中1号配備(緊急配備)が要請された。しかし、ひき逃げした車は緊配をうまくくぐりぬける。被害者は死亡。ひき逃げした車の目撃者もすぐには出てこず、車体ナンバーも不明。捜査が難航しそうである。この事案は、本庁交通捜査課の指揮権の下で大森署に捜査本部が立つことになる。
 また、管内では不審火が相次いでおり、強行犯係は放火の捜査に集中したいと思っているときでもある。
 さらに、笹岡生安課長が厚労省地方厚生局麻薬取締部(通称、麻取り)の矢島からの電話を竜崎に内線で取り次いでくる。刑事課が暴力団同士の対立を警戒しているときに、その対立原因が覚醒剤の売買にあることがわかり、生安課が内偵を進め、売人を検挙したのだ。その検挙にあたって、生安課に落ち度はないという。実は、麻取りが泳がせ捜査を行っており、この捜査について生安課には情報が流されてはいなかったことが問題を引き起こしている。逮捕した売人は、麻取りが自由に動かし泳がせていた人間だったのだ。麻取りは大森署が大きな事案の邪魔をしたと立腹し、生安課長を麻取りに出向くよう呼び出したのだ。矢島は厚労省の方が警視庁、警察署より格が上だから、呼び出されたら直ぐ来るのが当然と思っている。 異質な事件が同時期に発生してきたのだった。

 一方、竜崎のプライベートな面で、娘の美紀に重大な問題が発生していた。美紀が付き合っていて、今はカザフスタンに赴任している三村忠典(かつての竜崎の上司の息子)がカザフスタンで飛行機の墜落事故に遭ったかもしれないという。美紀が連絡をとろうとしても忠典とコンタクトが取れないのだ。竜崎の妻は、竜崎の方で飛行機墜落事故の乗客についてわかる伝手はないか、情報が得られないかという。竜崎は、外務省の伝手を探す。竜崎はかつてアジア大洋州局に所属していた内山昭之の古い名刺を見つける。

 警察署長として、大量で煩瑣な書類手続きの事務処理に日々追われ、地域との関わりという対外的な公務をこなす中で、様々な事件や家族の問題が発生し錯綜していく。

 東大井二丁目の遺体は、外務省の職員だった。中南米局南米課に勤めていた人物である。警視庁の伊丹俊太郎刑事部長(竜崎と同期)が捜査本部長となって捜査にあたる。しかし、ここに公安部が乗り出してくる恐れがあり、公安部と刑事部の綱引きになることを、伊丹は回避したいと思っている。
 大森北3丁目のひき逃げ事件は、本庁交通捜査課の土門欽一課長が大森署に設置された捜査本部の実質的なリーダーとなり捜査にあたることになる。そして、悪質なひき逃げ事件なので強行犯係からも捜査人員に加わることを竜崎に要求してくる。
 不審火の放火犯人捜査に、戸高刑事は力を入れている。強行犯係が全員この捜査を第一にすべきだとする。不審火での犠牲者が出る前に犯人逮捕が最重要だと主張する。
 内山と何とかコンタクトできた竜崎は、墜落事故の詳報を入手できないものかと依頼するが、逆に内山からは外務省職員の殺された事件の情報を教えて欲しい旨、依頼される立場になる。思わぬところから外務省の人間とのチャンネルができてしまう。

 独立の捜査本部が設置され、同時並行に進行する各事案の捜査活動。署内強行犯係の応援派遣との関係で、すべての事案に関わっていかざるを得ない竜崎。放火犯捜査に邁進する戸田刑事がその捜査過程で、情報屋からひき逃げ事件に絡んだ情報を得る。その情報の真偽の確認から、併存し同時進行する事案が意外な形で収斂していく方向に大きく動き出す。

 竜崎が各捜査本部とどのように関わり、どういう立場に追い込まれていくかが、この作品のおもしろいところでもある。ああ、やはり、そうなるか・・・で、どうする?

 警察署と本庁、警視庁の公安部と刑事部の綱引き、厚労省の麻取りと警察署生安課、警視庁・警察署と外務省、など様々な縦割り組織間での、事案解決に取り組むスタンス、考え方、思惑の違い、捜査方針・方法の違いなどがぎくしゃくと対立していく。その中で、竜崎が原理原則、効率性、効果性などの観点からの合理的論理的思考を武器に、快刀乱麻を断つ如くに物事を進めていく。その切れ味がすばらしい。柵にとらわれない合理的論理重視の交渉がこれまたおもしろい。痛快である。

 竜崎伸也タイプのお役人って、どれくらいいるのだろうか。居ないからこそ、作品として面白みが増すのだろうか。スカッと爽やかな気分が味わえる故に。

 最後に、ひとつだけ、スカッとしない部分が一つ残る。

 「野心のために暴走したことを認めるべきです」
  伊丹がはっと自分のほうを見るのを、竜崎は感じ取った。折口は口を真一文字に結んだ。顔色がやや青ざめる。 (p322)
  
 さて、この折口の責任はどうなのか。現行法では裁けず、本人が良心の呵責を負うだけなのだろうか。黒幕的存在に対し、物的証拠での立証ができなければ、法が及ぶことはないのか。

 印象深いフレーズを紹介して印象記を終えたい。

*物事のマイナス面だけ見ていても仕方がない。あらゆることを、自分のために役立てるように努力すべきだ。
 そして、それはちょっと視点を変えたり、発想を転換するだけで可能になると、竜崎は考えていた。  p149

*判押しを続けているが、書類の内容はほとんど頭に入っていない。形式だけで署長印を押すことがまったく無意味に思えたが、警視庁は、「形式庁」と呼ばれるくらい形式を重んずる。
 逆に言えば、形式さえ整っていれば、書類が問題にされることはない。
 ・・・・・・
 うまい具合に、責任の所在をわからなくする。それが長年役所で培われてきた工夫だ。改革を進めて、役所の手続きを効率的にしたり、回覧する書類を減らしたりすると、それだけ、誰かが責任をかぶらなければならなくなる。  p146

 →この記述、まさに原子力ムラの評価・認可体制と同じではないか。そんな気がした。  福島第一原発事故、だれに責任の所在があるのか・・・・いまだに??? だ。


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 今野作品と関連して過去に検索したものでかなりカバーされる。
 そこで、気になる語句だけ、検索して背景を拡げた。検索語句を一覧にする。

外務省の組織と機構  :外務省 「外務本省」
外務報道官・広報文化組織 :外務省 「外務本省」

厚生労働省 地方厚生局 麻薬取締部 のHP
 使命と役割 
 薬物犯罪捜査 
 不正流通する薬物 
 
 薬物乱用防止 「ダメ。セッタイ。」ホームページ
 
警視庁の組織図・体制  :警視庁のHP
特殊捜査班 :ウィキペディア
警視庁本部の課長代理の担当並びに係の名称及び分掌事務に関する規定


カザフスタン :ウィキペデイア
カザフスタン共和国 :外務省
Kazakhstan :From Wikipedia, the free encyclopedia

メデジン :ウィキペディア
Medellin :From Wikipedia, the free encyclopedia
メデジンカルテル  :ウィキペディア
カリ・カルテル   :ウィキペディア

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  黄金の三日月地帯 :ウィキペディア
Golden Triangle (Southeast Asia) :From Wikipedia, the free encyclopedia
Golden Crescent :From Wikipedia, the free encyclopedia

The Golden Crescent Heroin Connection :Executive Intelligence Review

コロンビアン・ネクタイ
 「歴史上残忍とされる世界10の処刑方法」というブログ記事の中で、紹介されている。   :「カラパイア 不思議と謎の大冒険」
  

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付記

著者・今野敏の作品で、その印象記を載せたものをリストにまとめました。
  読書記録索引 -3  フィクション:今野 敏、堂島瞬一

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