じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

未来の他者

2018-02-20 11:58:46 | Weblog
☆ 今年の立命館大学の国語は福嶋聡氏の文章が出題された。「現代思想」(青土社)2017年3月臨時増刊号「知のトップランナー50人の美しいセオリー」所収、福嶋聡「<未来の自分>と読書」からの引用だろうか。

☆ 大澤真幸氏の論稿を引き、「革命を担いうる主体はいるのか」と問うところ、懐かしい響きを感じた。

☆ 大人たちの身勝手な先送りのツケを背負い、割を食っているはずの若者たちが意外にも「幸福」を感じているという現状を分析。危機は必ずやってくる。しかしそれは今日でも明日でもない。明後日以降のことだと考えているのだというところ面白い。

☆ 福嶋氏はそのあと、大澤氏の<未来の他者>という視点から読書論を展開していく。

☆ 今私たちが何をするか、その結果をこうむるのは<未来の他者(あるいは、その一部である未来の自分)>であり、その<未来の他者>の呼びかけを聞きとり、その叫びに応えようとして私たちは行動を起こすと説く。本を読むという行為、読書という投資は漠然とした未来を見定めるために行うのだという。

☆ (「ターミネーター」や「ねらわれた学園」を思い起こした。)

☆ 最後は書店人(福嶋氏はジュンク堂書店の店長)として、書店の魅力を紹介して終わっている。書店での本との出会い。「自分がその本を発見したと思っているが、実はその本がその人を見つけ出したのである。われわれが本を選んだのではなく、本がわれわれを選んだのである」というところ、本好きには実感のあるところだ。


☆ 永く行っていないが、私が学生の頃は京都の河原町にいくつも大きな書店があった。駸々堂、京都書院、丸善。後にジュンク堂が出店してきた。京都駅南口のアバンティ(というビル)にはブックセンターができた。その頃、大型店は蔵書数を競っていたようだ。書店はまるでテーマパークのように魅力的であった。

☆ 社会人になり大阪で勤務するようになってからは、旭屋や紀伊国屋など更に大きな書店をめぐって楽しんだ。

☆ 私もまた<未来の他者>の声を聞こうと懸命だったのかも知れない。
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