☆ 映画「沈黙ーサイレンス」を観た。遠藤周作原作で、原作を読んで強く印象に残っているので、ずっと観たいと思っていた。
☆ イエズス会の神父が、師の消息を訪ねて禁教の日本を訪れ、結局棄教する(ころぶ)という話。キリストを信じる人々が役人の責め苦を受けながら、信教を全うしようとする。にもかかわらず神は彼らを救おうとはしない。神はなぜ「沈黙」しているのか。神父は葛藤する。
☆ 神父の葛藤を通じて、私も「沈黙」の意味を考えさせられた。
☆ 当時の政権(幕府)や役人のように「邪宗だから」と「沈黙」を正当化するのは簡単だ。キリスト教は日本の土壌に合わないという役人の方便は、それはそれで説得力がある。一方で「真理」に土壌は関係ないとする神父の理屈も正論だ。
☆ キリスト教(中でもカトリック)がテーマになっているが、現代人にとってはそれにこだわる必要はなかろう。共産主義者やアナキストが官憲から忌み嫌われたのは、それほど遠い昔のことではない。
☆ 絵踏みにしても、侍たちは農民たちに偉そうに強要するが、もし彼らに主君の肖像を踏めと強要すればどうするか。踏むくらいならと腹を切るか。
☆ 江戸時代初期の禁教について、教科書では身分制を基調とする武士社会の理念に合わなかったこと、西洋諸国との交易によって大名などが利益を得ることを幕府が恐れたからと教える。
☆ 昨夜、映画「グローリー」を観たが、作品の中で黒人は家畜あるいは智慧のあるチンパンジーのような扱いだった。江戸初期の日本では農民も武士にとっては家畜同然で、そんなものどもがサムライ階級に歯向かうことが許せなかったのか。
☆ 「沈黙」については更に深く考慮する必要がありそうだ。原作では、カトリックの神父がクライマックスで神の声を聞く。「私を踏みなさい」と。直接神の声を聞くというのが「プロテスタントのようだ」と批判もあったようだが、その場面が強く印象に残っている。
☆ たかが絵を踏むだけなのだが、それへのこだわりをなくせば、もはや信教は成立しないのか。
☆ 映画の中で、神は「あなたとともに苦しんだ」と表現しているが、これで苦痛にさいなまれ、非業の死を遂げた人々は救われるのだろうか。神は人の苦痛や生死など問題ではなくより高い次元で見ているのか。このあたりは難しい。
☆ いろいろ考えさせられる。それが「沈黙」の魅力だ。
☆ イエズス会の神父が、師の消息を訪ねて禁教の日本を訪れ、結局棄教する(ころぶ)という話。キリストを信じる人々が役人の責め苦を受けながら、信教を全うしようとする。にもかかわらず神は彼らを救おうとはしない。神はなぜ「沈黙」しているのか。神父は葛藤する。
☆ 神父の葛藤を通じて、私も「沈黙」の意味を考えさせられた。
☆ 当時の政権(幕府)や役人のように「邪宗だから」と「沈黙」を正当化するのは簡単だ。キリスト教は日本の土壌に合わないという役人の方便は、それはそれで説得力がある。一方で「真理」に土壌は関係ないとする神父の理屈も正論だ。
☆ キリスト教(中でもカトリック)がテーマになっているが、現代人にとってはそれにこだわる必要はなかろう。共産主義者やアナキストが官憲から忌み嫌われたのは、それほど遠い昔のことではない。
☆ 絵踏みにしても、侍たちは農民たちに偉そうに強要するが、もし彼らに主君の肖像を踏めと強要すればどうするか。踏むくらいならと腹を切るか。
☆ 江戸時代初期の禁教について、教科書では身分制を基調とする武士社会の理念に合わなかったこと、西洋諸国との交易によって大名などが利益を得ることを幕府が恐れたからと教える。
☆ 昨夜、映画「グローリー」を観たが、作品の中で黒人は家畜あるいは智慧のあるチンパンジーのような扱いだった。江戸初期の日本では農民も武士にとっては家畜同然で、そんなものどもがサムライ階級に歯向かうことが許せなかったのか。
☆ 「沈黙」については更に深く考慮する必要がありそうだ。原作では、カトリックの神父がクライマックスで神の声を聞く。「私を踏みなさい」と。直接神の声を聞くというのが「プロテスタントのようだ」と批判もあったようだが、その場面が強く印象に残っている。
☆ たかが絵を踏むだけなのだが、それへのこだわりをなくせば、もはや信教は成立しないのか。
☆ 映画の中で、神は「あなたとともに苦しんだ」と表現しているが、これで苦痛にさいなまれ、非業の死を遂げた人々は救われるのだろうか。神は人の苦痛や生死など問題ではなくより高い次元で見ているのか。このあたりは難しい。
☆ いろいろ考えさせられる。それが「沈黙」の魅力だ。