夜中2時ごろ、夜遊びから帰った酔っ払いが大きな声で話しながら階段を上がって来たが、部屋に入ると音はしなかった。夢の中の出来事の様であった。
朝7時起床。
窓際のテーブルで昨日スーパーで買った食パンにスライス焼き豚を挟んでサンドイッチにしマンゴーと一緒に食べて朝食にした。
窓際のテーブルにPCを置いて使おうとすると近くにコンセントがない、仕方なくバッテリーで使った。
昨日、一度インターネットを接続したので簡単に開いた。
インターネットニュースを読み、日記をメモっているとバッテリーのメモリ残量が半分ほどになったのでPC使用を止めた。
PCを充電する為、使っていない余ったコンセントを探したがない。ベッドのサイドテーブルに置いてあるランプのプラグをコンセントから抜き、替わりにPCのプラグを差し込んだ。
今日はプーケットタウンに行き、散策する事を考えているが、まだ、9時前で出掛けるには早いので、小説を読んで過ごす。
気が付くと9時30分になっていた。目に付かない様にPCを片付けて、急いで着替えた。
9時40分GuestHouseを出発しソンテウ(路線バス)乗り場に向った。
ジャングセイロンはまだオープンしていないが屋外を通り抜け、GuestHouseから10分でラティ・ユー・ティット・200・ピー通り(Rat Uthit 200 pee Rd.)に着いた。
バングラ通り(Bangla Rd.)を抜けタウィウォン通り(Thaweewong Rd.)、ビーチ通りに到着した。
GuestHouseからビーチまで15分掛かった事になる。
ソンテウ(路線バス)がビーチ通りを通るのでそれを拾う為、通りを見通せる所まで歩いているとソンテウらしきトラックを見付けた。しかし、止まっている様に見みえる、でも、ゆっくりと走っていた。
フロント上部にPatong-Phukettownと書いてあるので、手を上げてトラック(ソンテウ)を止め乗り込んだ。
トラック型ソンテウは、トラックの荷台を改造し長椅子状座席を両側に固定し、真ん中に長椅子を置いている、乗り降りは後ろにステップがあり、それで行う。
ソンテウは、客を拾う為に尚もゆっくりと走った。ビーチ沿いで幾度となく停車し観光客を拾った。
ビーチ通りから右折すると速度を上げた、この辺りで現地の人が乗って来た、もう立ち席しかない。
急坂の峠をソンテウはのろのろと上る、乗用車や単車に追い越されながら峠を越えてプーケットタウンに向かった。
プーケットカントリークラブでラウンドしているのがソンテウから見え、セントラル(大型ショッピングモール)の手前で運転手が運賃を集め出した、B25(65円)を払った。車掌が居ないと運転手も大変だ。
セントラルで観光客の約1/3は降り、そしてプーケットタウンの中心地に入っていった。噴水ロータリーが終点であった。パトンから45分ほど掛かった。バックパックを持つ乗客の西欧人が、バスターミナルと言っている、B10(26円)追加でそのままバスターミナルまで行ってくれる。
噴水ロータリー
ソンテウを降りるとトゥクトゥク(タクシー)orバイタク(バイクタクシー)の運ちゃんが近付いて来たが断る。
噴水ロータリーからヤワラー通り、タラン通り界隈とオールドタウンを散策した後、プーケットの行政機関がある地区に向った。ここにテニスコートが6面もあるからだ。
パトン・ビーチや他のビーチにあるテニスコートは、すべてホテル施設で宿泊者しか使用できないが、ここのコートは公共施設の様で、一人で行っても仲間に入れてくれそうか見極めたくて行った。
オールドタウンから1kmほど歩くとサッカーグランドがあり、グランドを横切った。グランド沿いにテニスコートがあり、人がフェンスからコート内を覗いていた。試合をしている様だ。
ジュニアの試合をしていた。高校生?か中学生?が6面を使ってシングルスの試合をしていた。コート6面が並んでいて手前のコートがセンターコート?で管理棟2階が観客席になっていた。用具入れの倉庫や小さな売店はあるが、事務所は無い様だ。
2階から応援するのでなく、母親たちは建物の影になっている屋台そばの席から応援していた。私は、運営者用テーブル横の椅子を使って良いか聞いてから座り、のどかなローカル試合を1時間ほど見てしまった。
噴水ロータリーに戻る途中、レモングラスというオープンレストランで昼食を取った。地元のサラリーマン・ウーマンが昼食に来て流行っていた。
あるのは、ぶっ掛けご飯(B25 65)だけである。皿にご飯が盛ってあり、それにおかずを2種類選び、ご飯に盛ってもらう。
私は、黄色いカレーとゲソ野菜炒めを頼んだ。大変美味しかった。ただ、黄色いカレーは辛くて食べられなかった。ビールが無かったので飲み物を注文しなかったら、氷入り水を出してくれたのでそれを飲んで辛さを和らげたが効かない。
黄色いカレーを注文した時、店のおばちゃんがタイ語で何か言っていた。スパイーシーorホットと言ってくれれば分かるのに!!! この店では英語が通じない。
噴水ロータリーの西側に市場(新築中)があり、市場前道路の西側と東側にソンテウ乗り場がある。ただ単に道路に駐車しているだけの乗り場であるが!
各地行きは小型ソンテウである。バスが止まっており、その前でパトンと声がした。乗り込むとバス内は暑い、密閉だが高い為か? 発車まで時間がある様なので降りて待つことにした。
バスから降りると、店先にチャーンビールが置いてあり、それに吸寄せられる様に食堂に入った。ビールB40(105円)を飲んで、焼きそばB30(80円)を注文した。
年寄り2人が切盛りしている食堂である。1人が中華鍋で料理し、もう1人がオレンジを手動絞り器でオレンジジュースを作り、パトンと言って案内してくれる。
奥から息子が出て来て日本人かと日本語で話し掛けて来た。私が日本人と分かると料理人の年寄りが額縁に入れて壁に掛けてあった戦時中の「軍票」を見せてくれた。1000単位?、大日本帝国政府と書いてあった。当時どの位の価値があったのか? シンガポールorペナンで使っていたと言っていた。この爺さんは昔シンガポール、ペナンで生活したことがあり、今は中国系タイ人としてプーケットに定住したのだろう、人生の一部を垣間見る感じである。
パトン行きバスが出るので乗った。プーケットタウン中心地を抜け、セントラルで数人が乗って来た。
峠を越えてパトンに入った、タウィウォン通り(ビーチ通り)は一方通行で南方向には行けない、ソンテウはビーチから1グロック入ったラティ・ユー・ティット・200・ピー通りを南に向った。200・ピー通りにはジャングセイロンがあり、そこで大勢が降りた。私も降りた。
ジャングセイロンを通り抜け、GuestHouseに16時ごろ帰った。
バンザーン通り
19時ごろ食事に出た。GuestHouseのあるバンザーン通りでレストランor食堂を探した。100mほどの通りの両側に4or5階の建物が並び、1階がフロント兼レストランが多く、マッサージ、雑貨屋、薬局、ツーリスト、ランドリー、コンビニなどになっている。
フロント兼レストランの中でまじめにレストランをしているのは数軒である。西欧料理か何でも屋レストランであり、どちらにしても西欧人向けで、私は多分スパゲティかサンドイッチしか注文しないだろう。
それにしてもレストランに客がいない、これでやっていけるのか?
ナナイ通りからソイ・バンザーンへの入り口にファミリーマートとセブンイレブンがあり、ファミリーマートが斜め前に見えるところにタイ料理食堂があった。
歩道に屋台を置き、屋台のサイド台にカニ、エビ、貝、イカのシーフードを並べ、食堂の間口はテーブル2台分と通路と狭く、全テーブルが8台と小さなタイ料理食堂があった。
最前列の席に座り、プー・パッポンカリーとシンハービール小を注文した。屋台のサイド台からカニを選んだ。シーフードが量り売りで、渡り蟹は100g当たりB40である。私が選んだ渡り蟹は120gでB48(125円)であった。
プー・パッポンカリーとは、プーがカニで、パッポンカリーとは玉ねぎとニラ?を炒めてカレー味で卵でとじたものである。
私はこれが好きで必ず食べる。私だけでなく日本人には人気のタイ料理である。
ただ、カニを食べるのに私は両手を使うので手がこてこてになるのが欠点である。
プーパッポンカリーB125(330円) ビールB60(160円) 計B185(490円)
大変美味かった。以後タイ料理はこの食堂に決まりである。
セブンイレブンで缶ビール2缶B50(130円)、髭剃りB35(95円)、ミネラルウォーター12本B60(160円) 計B145(380円)を買って、GuestHouseに帰った。
テレビでATPテニス ワールドツアーの南アフリカ・テニス・オープンのシングル準決勝やダブル決勝を遣っていた。 ダブルス試合が珍しいので見た。
日本ではTVの有料放送に加入していないのでダブルステニスを見る事は出来ない。即ち、NHK&民放放送のテレビでは、シングル試合はあるが、ダブルス試合の放送がない。
ダブルス試合を食入る様に見た。
去年もオーストラリア・オープンを旅行中のフィリピンで見ていた。ミンダナオ島のサンボアンガでマレーシア・ボルネオ島のサンダカンへの船待ちをしていた時(2008 1/25~1/28)であった。
処で現在のサンボアンガの安全情報であるが、「フィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線(MILF)との間で和平交渉が進められてきましたが、2008年8月初め、「先祖伝来の土地に関する覚書」への調印が撤回されて以降、戦闘が断続的に発生しています。」との事。
それに伴いサンボアンガでもホテルで簡易爆弾が爆発する事件や店のオーナーや学校の教師が誘拐され、周辺地域では外国人も誘拐されている状態である。
去年4月ごろから状況が悪化し、今は危険で行ける状態ではない。
朝7時起床。
窓際のテーブルで昨日スーパーで買った食パンにスライス焼き豚を挟んでサンドイッチにしマンゴーと一緒に食べて朝食にした。
窓際のテーブルにPCを置いて使おうとすると近くにコンセントがない、仕方なくバッテリーで使った。
昨日、一度インターネットを接続したので簡単に開いた。
インターネットニュースを読み、日記をメモっているとバッテリーのメモリ残量が半分ほどになったのでPC使用を止めた。
PCを充電する為、使っていない余ったコンセントを探したがない。ベッドのサイドテーブルに置いてあるランプのプラグをコンセントから抜き、替わりにPCのプラグを差し込んだ。
今日はプーケットタウンに行き、散策する事を考えているが、まだ、9時前で出掛けるには早いので、小説を読んで過ごす。
気が付くと9時30分になっていた。目に付かない様にPCを片付けて、急いで着替えた。
9時40分GuestHouseを出発しソンテウ(路線バス)乗り場に向った。
ジャングセイロンはまだオープンしていないが屋外を通り抜け、GuestHouseから10分でラティ・ユー・ティット・200・ピー通り(Rat Uthit 200 pee Rd.)に着いた。
バングラ通り(Bangla Rd.)を抜けタウィウォン通り(Thaweewong Rd.)、ビーチ通りに到着した。
GuestHouseからビーチまで15分掛かった事になる。
ソンテウ(路線バス)がビーチ通りを通るのでそれを拾う為、通りを見通せる所まで歩いているとソンテウらしきトラックを見付けた。しかし、止まっている様に見みえる、でも、ゆっくりと走っていた。
フロント上部にPatong-Phukettownと書いてあるので、手を上げてトラック(ソンテウ)を止め乗り込んだ。
トラック型ソンテウは、トラックの荷台を改造し長椅子状座席を両側に固定し、真ん中に長椅子を置いている、乗り降りは後ろにステップがあり、それで行う。
ソンテウは、客を拾う為に尚もゆっくりと走った。ビーチ沿いで幾度となく停車し観光客を拾った。
ビーチ通りから右折すると速度を上げた、この辺りで現地の人が乗って来た、もう立ち席しかない。
急坂の峠をソンテウはのろのろと上る、乗用車や単車に追い越されながら峠を越えてプーケットタウンに向かった。
プーケットカントリークラブでラウンドしているのがソンテウから見え、セントラル(大型ショッピングモール)の手前で運転手が運賃を集め出した、B25(65円)を払った。車掌が居ないと運転手も大変だ。
セントラルで観光客の約1/3は降り、そしてプーケットタウンの中心地に入っていった。噴水ロータリーが終点であった。パトンから45分ほど掛かった。バックパックを持つ乗客の西欧人が、バスターミナルと言っている、B10(26円)追加でそのままバスターミナルまで行ってくれる。
噴水ロータリー
ソンテウを降りるとトゥクトゥク(タクシー)orバイタク(バイクタクシー)の運ちゃんが近付いて来たが断る。
噴水ロータリーからヤワラー通り、タラン通り界隈とオールドタウンを散策した後、プーケットの行政機関がある地区に向った。ここにテニスコートが6面もあるからだ。
パトン・ビーチや他のビーチにあるテニスコートは、すべてホテル施設で宿泊者しか使用できないが、ここのコートは公共施設の様で、一人で行っても仲間に入れてくれそうか見極めたくて行った。
オールドタウンから1kmほど歩くとサッカーグランドがあり、グランドを横切った。グランド沿いにテニスコートがあり、人がフェンスからコート内を覗いていた。試合をしている様だ。
ジュニアの試合をしていた。高校生?か中学生?が6面を使ってシングルスの試合をしていた。コート6面が並んでいて手前のコートがセンターコート?で管理棟2階が観客席になっていた。用具入れの倉庫や小さな売店はあるが、事務所は無い様だ。
2階から応援するのでなく、母親たちは建物の影になっている屋台そばの席から応援していた。私は、運営者用テーブル横の椅子を使って良いか聞いてから座り、のどかなローカル試合を1時間ほど見てしまった。
噴水ロータリーに戻る途中、レモングラスというオープンレストランで昼食を取った。地元のサラリーマン・ウーマンが昼食に来て流行っていた。
あるのは、ぶっ掛けご飯(B25 65)だけである。皿にご飯が盛ってあり、それにおかずを2種類選び、ご飯に盛ってもらう。
私は、黄色いカレーとゲソ野菜炒めを頼んだ。大変美味しかった。ただ、黄色いカレーは辛くて食べられなかった。ビールが無かったので飲み物を注文しなかったら、氷入り水を出してくれたのでそれを飲んで辛さを和らげたが効かない。
黄色いカレーを注文した時、店のおばちゃんがタイ語で何か言っていた。スパイーシーorホットと言ってくれれば分かるのに!!! この店では英語が通じない。
噴水ロータリーの西側に市場(新築中)があり、市場前道路の西側と東側にソンテウ乗り場がある。ただ単に道路に駐車しているだけの乗り場であるが!
各地行きは小型ソンテウである。バスが止まっており、その前でパトンと声がした。乗り込むとバス内は暑い、密閉だが高い為か? 発車まで時間がある様なので降りて待つことにした。
バスから降りると、店先にチャーンビールが置いてあり、それに吸寄せられる様に食堂に入った。ビールB40(105円)を飲んで、焼きそばB30(80円)を注文した。
年寄り2人が切盛りしている食堂である。1人が中華鍋で料理し、もう1人がオレンジを手動絞り器でオレンジジュースを作り、パトンと言って案内してくれる。
奥から息子が出て来て日本人かと日本語で話し掛けて来た。私が日本人と分かると料理人の年寄りが額縁に入れて壁に掛けてあった戦時中の「軍票」を見せてくれた。1000単位?、大日本帝国政府と書いてあった。当時どの位の価値があったのか? シンガポールorペナンで使っていたと言っていた。この爺さんは昔シンガポール、ペナンで生活したことがあり、今は中国系タイ人としてプーケットに定住したのだろう、人生の一部を垣間見る感じである。
パトン行きバスが出るので乗った。プーケットタウン中心地を抜け、セントラルで数人が乗って来た。
峠を越えてパトンに入った、タウィウォン通り(ビーチ通り)は一方通行で南方向には行けない、ソンテウはビーチから1グロック入ったラティ・ユー・ティット・200・ピー通りを南に向った。200・ピー通りにはジャングセイロンがあり、そこで大勢が降りた。私も降りた。
ジャングセイロンを通り抜け、GuestHouseに16時ごろ帰った。
バンザーン通り
19時ごろ食事に出た。GuestHouseのあるバンザーン通りでレストランor食堂を探した。100mほどの通りの両側に4or5階の建物が並び、1階がフロント兼レストランが多く、マッサージ、雑貨屋、薬局、ツーリスト、ランドリー、コンビニなどになっている。
フロント兼レストランの中でまじめにレストランをしているのは数軒である。西欧料理か何でも屋レストランであり、どちらにしても西欧人向けで、私は多分スパゲティかサンドイッチしか注文しないだろう。
それにしてもレストランに客がいない、これでやっていけるのか?
ナナイ通りからソイ・バンザーンへの入り口にファミリーマートとセブンイレブンがあり、ファミリーマートが斜め前に見えるところにタイ料理食堂があった。
歩道に屋台を置き、屋台のサイド台にカニ、エビ、貝、イカのシーフードを並べ、食堂の間口はテーブル2台分と通路と狭く、全テーブルが8台と小さなタイ料理食堂があった。
最前列の席に座り、プー・パッポンカリーとシンハービール小を注文した。屋台のサイド台からカニを選んだ。シーフードが量り売りで、渡り蟹は100g当たりB40である。私が選んだ渡り蟹は120gでB48(125円)であった。
プー・パッポンカリーとは、プーがカニで、パッポンカリーとは玉ねぎとニラ?を炒めてカレー味で卵でとじたものである。
私はこれが好きで必ず食べる。私だけでなく日本人には人気のタイ料理である。
ただ、カニを食べるのに私は両手を使うので手がこてこてになるのが欠点である。
プーパッポンカリーB125(330円) ビールB60(160円) 計B185(490円)
大変美味かった。以後タイ料理はこの食堂に決まりである。
セブンイレブンで缶ビール2缶B50(130円)、髭剃りB35(95円)、ミネラルウォーター12本B60(160円) 計B145(380円)を買って、GuestHouseに帰った。
テレビでATPテニス ワールドツアーの南アフリカ・テニス・オープンのシングル準決勝やダブル決勝を遣っていた。 ダブルス試合が珍しいので見た。
日本ではTVの有料放送に加入していないのでダブルステニスを見る事は出来ない。即ち、NHK&民放放送のテレビでは、シングル試合はあるが、ダブルス試合の放送がない。
ダブルス試合を食入る様に見た。
去年もオーストラリア・オープンを旅行中のフィリピンで見ていた。ミンダナオ島のサンボアンガでマレーシア・ボルネオ島のサンダカンへの船待ちをしていた時(2008 1/25~1/28)であった。
処で現在のサンボアンガの安全情報であるが、「フィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線(MILF)との間で和平交渉が進められてきましたが、2008年8月初め、「先祖伝来の土地に関する覚書」への調印が撤回されて以降、戦闘が断続的に発生しています。」との事。
それに伴いサンボアンガでもホテルで簡易爆弾が爆発する事件や店のオーナーや学校の教師が誘拐され、周辺地域では外国人も誘拐されている状態である。
去年4月ごろから状況が悪化し、今は危険で行ける状態ではない。