goo blog サービス終了のお知らせ 

いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

2月22日 プーケット 17日目

2009年05月17日 | プーケット短期滞在
8時20分起床
昨日と同じくセブンイレブンでコーヒーとハンバーガーをテイクアウトして朝食にした。
いつもの朝の様にインターネットニュースを読んだ後、エアーアジアのチケットを買いに行く為に、Webサイトで便名と出発時間等を確認して紙に書きとめた。この紙を窓口に出せばトラブル無くチケットを購入できるだろう。料金が昨日より約B400upしていた。昨日買いに行けば良かった。!!!

ビーチ通りからソンテウに乗りプーケット・タウンに向かった。何度も通った道、見慣れて長く感じた。プーケット・タウン手前のBig-Cに行く人がまず下車し、続いてセントラル前で停車した。私はセントラルで降り、8番らーめんに行った。味噌ラーメンを食べた。ここのラーメンは口に合う。
前回はセントラルからロータスまで歩いたが、今日はバイクタクシーB30(80円)に乗った。
ロータスに着いてエスカレーターで2階に上がった。2階はフードコートで賑わっていてエアーアジアのチケット売場は、窓側にひっそりとあった。

日付、便名&行き先を書いた紙を渡しながら、バンコクと言って申し込んだ。荷物重量を聞かれ7kgと答えた。「15kg・・・」と言っている。
発券までの待ち時間に窓口に貼り出されている掲示に気付き、それを読むと荷物重量により荷物料金を徴収される。国内・国際線で異なり、国内線15kg以下B50、20kg以下B250、25kg以下B450・・・とある。先ほどの「15kg・・・」は、B50徴収すると言う事か。
バウチャーはスーパーのレシートを幅広にした様なシートで、予約番号、氏名、便名、料金明細がプリントされていた。B2,313(6,100円)。 インターネット購入よりB100高かった。Call Service Feeと言う名目でB100取られていた。日本では、旅行代理店で航空券を買うと手数料2,000円取られる事を思えば安い。

帰りはBig-Cまで歩いた。薄曇でそれほど暑くなかったので歩道を歩いたが、ゾウリ履きの為、足裏に小石が挟まり痛い思いをした。
Big-Cは、食品関連よりもホームセンターで扱う商品に多くのスペースを取っていた。電化製品もあり、液晶テレビを各メーカーの比較展示していた。韓国サムスン製がはっきりくっきりで最も高性能の液晶テレビであるかの様に展示されていた。コントラストをきつく調整すれば、はっきりくっきりになるが毎日コントラストのきつい状態で見られるものでもない、目が疲れる。消費者が勘違いして選びそうだ、それが狙いか?
エントランスの通路で献血をしていた。日本であれば献血車が来てその中で献血するが、ここでは通路に簡易ベッドを並べ、長テーブルで問診をしていた。一瞬フットマッサージのコーナーかと思った。
Big-Cの裏からソンテウ乗場が近い、それで裏に向かう車道があったので、通りかかった店員に通り抜け出来るか尋ねたが英語が苦手なのか、逃げて行かれた。仕方なく行くしかなかった。
ソンテウにバス停があるわけではない、手を出せばどこでも止まる。Big-C帰りの客がソンテウを待つ為自然に集まってくる場所があった、来る時のソンテウで一緒だった人も待っていた。

15時ごろGuestHouseに戻った。シャワーを浴びて、ビールを飲んでゆっくりした。
洗濯物をランドリーに持って行った。着替えはそれぞれ3枚持っているので約1週間に1度洗濯に出している。料金はB80~90(210~240円)である。
その足でタイ料理食堂に行った。トムヤムクンとビール小を頼んだ。
食堂の前に置いてある屋台で、兄ちゃんコックが青いパパイヤを包丁の刃で叩き、次にそこを削ぎ落として細長い短冊状パパイヤを作っていた。それを底の深いすり鉢に入れ、キャベツとその他は分からないを入れて、すり棒で叩いていた。コックにソムタムかと聞くとそうであった。
GuestHouseに帰るとフロント嬢とおっちゃん&おばちゃん従業員に、「いつも一人でいる、(女性を連れて帰らかえらないのか?)」と、冷かされた。朝、時々タイ女性が帰って行くのを見かける。


2月21日 プーケット 16日目

2009年05月14日 | プーケット短期滞在
8時起床。
いつもの焼き豚で作ったサンドイッチも飽きたので、セブンイレブンでコーヒーを買うついでにハンバーガーを買った。
パンに海老のすり身を挟んだ状態で受け取り、パセリとキュウリ&玉ねぎを自分で挟みケチャップとマスタードを掛けると出来上がりである。これでB20(55円)は安い。

帰国までの予定を昨日決めた結果、3月2日にチェックアウトし飛行機でバンコクに戻る事になった。それで飛行機のチケットを購入する為、エアーアジアのWebサイトで時刻と料金を調べた。プーケット12時50分発バンコク14時10分着の便が最適であり、料金もB2,000以下と往路のバンコク・エアーウエイズB2,795に比べると随分と安い。料金だけを考えれば早朝便がもっと安い。
エアーアジアのチケットはインッターネット販売が主流で、クレジットカード支払いである。日本国内でもクレジットカード支払いに抵抗感があり、振込みやコンビニ払いをするのにタイでクレジットカード払いはやはり抵抗感がある。自前のPC持参で危険性は相当低いが!!!
1週間前にプーケット・タウン近くのロータスにあるエアーアジアのチケット売場を確認していたので、明日、チケットを購入しに行こう。

昼食にタイ料理食堂に行った。焼き飯と「昼からビール」でなく「おいしい緑茶」を注文した。
「おいしい緑茶」とは、ペットボトルに入ったタイのお茶で2年ほど前からブームになっている。日本語でおいしい緑茶とも書いてある。はじめて飲んだが紅茶の味がした。
この食堂は、レジ女性がいる時はメニュー価格通りに請求されるが、昼は彼女がいないからか? メニュー価格より安い。今回も焼き飯B50+お茶B15?=B65のところ、B50で済んだ。
ジャングセイロンまで、ほんの数百mが暑い、エアコンの効くショピングモールでぶらぶら暇潰しをしてGuestHouseに戻った。

日記メモも、どこで何を食べた、何を買っていくらしたと家計簿みたいになって来た。ビーチ巡りも残り僅かで、また暑くて出掛けるのが嫌になりGuestHouseで過ごすから書く事がない。

夕食は前回鍋焼きうどんが美味かったのでそれを食べに日本食レストランFujiに行った。
餃子、鍋焼きうどん&ビール小を頼んだ。楽しみにしていた鍋焼きうどんは、期待外れであった。前回ほどでもない。3勝4敗2分。
セブンイレブンに寄り、チャンビール2缶を買って帰った。

2月20日 プーケット 15日目

2009年05月11日 | プーケット短期滞在
8時起床。
帰国までの予定を決める時期に来ていた。
プーケット発、早朝便でバンコクに向かっても帰国便に間に合わないので、前日にはバンコクに滞在しなければならない。
帰国日から逆算すると、3月2日にGuestHouseをチェックアウトする必要があり、今日、宿泊の更新を10日間する事にした。
バンザーン市場前のバンコク銀行ATMに行き現金を出金した。纏めて滞在費の円をバーツに両替し、バンコク銀行の口座に入れ、必要な時に都度出金していたが残金も少なくなって来た。
GuestHouseのフロントで3月2日チェックアウトで10日間延泊すると伝えると、私が値引きを言い出す前に、B850/泊とB50値引きすると言ったので、B800/泊にしてくれと言うといとも簡単にOKした。
10日分のB8,000(21,000円)を支払い、領収書を受け取った。

4日前に行ったカロン・ビーチの南にカタ・ビーチとカタノイ・ビーチがあり、今日は、そこに行く事にした。
ソンテウでプーケット・タウンに出てカタ・ビーチ行きソンテウに乗り換えた。
シャロン湾のシャロンサークルを過ぎ、峠を上る途中にシャロン湾が綺麗に見えた。
峠を降りた所で地元人は降り、観光客だけになった、西欧人男性は携帯電話ばかり見ている、西欧人女性は本を読んでいる、私は二人を時々見たり、景色を見ている。
携帯電話で何を読んでいるのか、画面が見えた、線が見えるだけだ、地図、GPSと連想した。
男性に「GPS」と言って見ると「Yes」と返って来た。GPSなど見ずに車窓からの風景を楽しむべきだ。彼はカロン・ビーチで降りた。
4日前に下車したカロン・ビーチの南端を過ぎ、ソンテウは更に南に向かいビーチから離れた。
カタ・ビーチを走っているはずが、コンクリートのフェンスが延々と続き、ビーチの景色を楽しみにしていたのにがっかりであった。コンクリートのフェンスの内側は何だろうか。(カタ・ビーチを歩かなかったので、Googleマップで見るとHotelクラブ・メド・プーケットであった。カタ・ビーチの真ん中65%を占め、その内の1/3がゴルフ場とテニスコート6面である。)
カタ・ビーチ南端にあるHotelカタ・ビーチ・リゾート横の道路がソンテウの終点であった。
B30(80円)を払いソンテウを降り、目の前のカタ・ビーチに行った。背の高い松林が僅かに残り、ビーチに下りると広い砂浜が広がっていた。
 カタ・ビーチ


1km南にあるカタノイ・ビーチに向かった、歩道のない道は歩き辛い、それよりも暑くて歩くのが辛い。
1週間前は暑くても歩くのが苦にならなかったが、今は暑い、歩くのが嫌になる。
歩き出して間もなく左折し山に向かう道路があった、この道路はビューポイントを経てナイハーン・ビーチやプロンテップ岬へ向かう道路である。
左折せずに直進した、途中、西欧人家族連れが前を歩いていた、ビーチへ行くのだろうと思い、後を付いて行った。カタ・ビーチから20分ほど歩いた頃、家族連れが小道を入って行った。そこは急な長い階段で、下に小さく岩と砂が見えていた。階段を中ほどまで下るとカタノイ・ビーチが見えて来た。
 カタノイ・ビーチ

小ぢんまりとしたビーチで雰囲気が良いのでオン・ザ・ビーチのレストランがあれば食事をしようとビーチを歩いて探したが無かった。
1軒のホテルがこのビーチを独占していた、ビーチからホテル内を見ると庭とプールが見えるがビーチ・フロントのレストランも無かった。
カタノイ・ビーチの南端まで行った。このビーチの裏山にビューポイントがある。カタノイ・ビーチ、カタ・ビーチ、カロン・ビーチを見渡せるビューポイントである。
Googleマップには裏山に道らしきものがあったので登り口を探したがホテルの建設現場になっていて良く分からなかった。ビューポイントへの山道はあるのか????
カタ・ビーチからの道路はカタノイ・ビーチ南端で行き止まりになっている。
ビューポインへの道も見付からず、その道路を少し戻るとレストランが2軒並んでいた。
その1軒に入った。近くのホテルに宿泊しているのだろう西欧人老夫婦が道路脇のテーブルに座っていた。
ハンバーガーとビール大を頼んだ。計B200(530円)。タイはどこで何を食べても美味しい。
西欧人の青年がバイクで来て、テイクアウトする為注文して待っていた。
ビールを飲みながら本を読んで1時間ほど粘った。

暑い中をカタ・ビーチに戻る為向かった。途中、ビューポイントへの分岐に来て、ビューポインまで2km強、上りが多いので徒歩約1時間は掛かるだろう、歩いて行こうかと思ったが、炎天下のアスファルトを見て思い止まった。1週間前であれば確実に歩いていただろう。
カタ・ビーチのソンテウ乗場前にトゥクトゥク乗場があったのでビューポイントまで料金を聞くと、片道B200、往復B400との事。円高の今、日本と比べると安いがタイ物価と比較すると1.6倍である。
客が来たと喜んでいた運ちゃんに高いからと断わるとがっかりしていた。
ソンテウ乗場に行くとプーケット・タウン行きが丁度出るところで急いで乗った。

プーケット・タウン経由でパトンに戻った。
16時ごろGuestHouseに着いた。シャワーを浴び、缶ビールを飲んでゆっくりした。部屋ではチャンビールを毎日飲んでいるが、このビールは炭酸飲料の様でまったく酔わない。まるでのど越しの良い炭酸飲料である。
夜遅くに夕食に出た。バンザーン通りのタイ料理食堂に行った。3日間行ってなかったのでご無沙汰である。
イカ・パッポンカリーとビールを頼んだ。計B160(420円)

2月19日 プーケット 14日目

2009年05月07日 | プーケット短期滞在
7時45分起床
今日も食事に出る以外はGuestHouseでゆっくりする事にした。
パトン滞在2週間になると、ものぐさになって食事以外外出が億劫になる。
食事も何を食べるか考えるのが億劫になって来た。
昼食は、日本食レストランFujiに行った。
カツ丼とビール小を頼んだ。「昼からビール」を飲んでしまった。カツ丼は美味しかった。薄い豚肉のとんかつではあるが、口に合う様だ。3勝4敗1分。
夕食は、バンザーン市場のレストラン「ヘミングウエイズ」に行った。いつも客が入っていないので入り辛く、今日まで利用しなかった。
プー・パッポンカリー+ライスとビール大を頼んだ。
プー・パッポンカリーとは、カニ、玉ねぎとニラ?を炒め、カレー味で卵でとじたものである。
私はこれが好きでよく食べる。私だけでなく日本人には人気のタイ料理である。
ただ、カニを食べるのに私は両手を使うので手がこてこてになるのが欠点である。皆さんはどの様に食べているのか?
食べ終わってWash Bowlを頼んだ。ボウルにレモンの入ったぬるま湯が運ばれ手を洗った。
プー・パッポンカリーB150(400円)、ライスB20、 ビール大B120(320円)、チップB30 計B320(840円)。
大変美味かった。

2月18日 プーケット 13日目

2009年05月04日 | プーケット短期滞在
8時起床
朝食の時、一昨日買った黄マンゴーを切って食べたところ、顔がくしゃくしゃになるぐらい酸っぱく、食べられなかった。まったく熟していない。日本では食べ頃の果物が売られており、それに慣れた私は、いつも面食らう。
今日は食事に出る以外はGuestHouseでゆっくりする事にした。
GuestHouseの部屋にいる時は、午前中は窓際のテーブルでパソコンを使い、それ以外はベッドが居場所になっている。ベッドではTVを見たり、本を読んだり、PCを使ったりである。やはり居場所はベッドが多くなる。もう少し広い部屋でソファーでもあれば良いのだが!

日本食レストランFujiに昼食に行った。
鍋焼きうどんとミネラルウォーターを頼んだ。
鍋焼きうどんは、半熟卵とスープがからみ大変美味かった。完食した。2勝4敗1分
昼食後、2階のロビンソンデパートをぶらぶら歩いた、ベンチを見付け、そこで本を読んだ。

GuestHouseに戻った、部屋の掃除とベッドメーキングが終わっているものと思っていたが、まだ終わっていなかった。
毎日、清掃とベッドメーキングがあるが、私は毎日は必要ないので隔日にしている。
夕方、部屋にいるとノックされ、ドアから覗くと清掃であった。仕方なく、部屋を出てロビーに行きビール小を飲みながらTVを見て時間を潰した。

パトンの日本食レストランをWebサイトで調べていると、鉄板焼き&お好み焼きの「侍」を見付けた。
場所はロイヤル・パラダイスコンプレックスの出口近く、「れんが家」の跡地らしい。
売りはお好み焼きや焼きそばらしい。今日の夕食はこれに決まりである。
19時ごろに「侍」に向かった。ジャングセイロンから北にすぐのところにあった。ラティウティット200ピー通りから侍の看板が見える。
時間が早過ぎたのか客は誰もいなかった。
鉄板の前に座り、お好み焼きの豚玉B200(530円)とビール小B70を頼んだ。
目の前の鉄板で焼いてくれた、小さなお好み焼きですぐに焼き上がった。
キャベツが細かく切られているので歯ごたえがないのと小さ過ぎるので食べごたえが無く、物足らない、もう1枚食べたくなる。美味い。
焼きそばB120(320円)とビール小を追加した。
焼きそばも量が少なかったが美味かった。
粉もの好きの私は満腹になり得心した。計B506(1,330円)。

帰り道のラティウティット200ピー通りで観光バス2台から中国人が降りて来た、バングラ通りの歩行者天国にでも行くのだろう。
バンザーン市場前のゲソ串焼き屋台が出なくなって5日間ほどになる。その場所がぽっかり空いたままだ。どうかしたのか?
セブンイレブンで缶ビールを買って、GuestHouseのロビーでおばちゃん&おっちゃん従業員にあった。いつもの様に手を上げて挨拶すると、おっちゃんが冗談っぽく、持ち込みの缶ビールに文句を言っていた。冗談っぽく言っていたが本気だろう。
パトン滞在も予定期間の半ばになったし、まとめて枕銭でも置こうか。

2月17日 プーケット 12日目

2009年05月01日 | プーケット短期滞在
5時半起床
今日は、ピピ島に日帰り旅行する。

2004年12月26日のスマトラ沖大地震、そしてインド洋大津波が発生しタイではプーケット、カオラック、ピピ島が大きな被害を受けた。
そのピピ島に津波の3年ほど前に行った事があり、7年振りとなる。
前回、余りにも綺麗な海&風景に圧倒さた記憶が鮮明にある。余りにも綺麗い過ぎてもう一度来ようとは、なぜか思わなかった。
しかし、プーケットに滞在してピピ島に行かないというのも考えられない、大津波から4年が過ぎ、どの様に復興しているか、そしてピピ島の紹介写真に使われるビューポイントからの眺めを楽しみたいと思い行った。

7時にピックアップされるので、早起きした。
いつもの様に焼き豚を挟んでサンドイッチを食べたながらインターネットでニュースを読んだ。お腹の具合も問題無い。
7時前にホテルの1階に降りるとまだ閉まっている。夜間の出入口から外に出た。
向かいのセブンイレブンでコーヒーを買い、ホテル前でコーヒーを飲みながら迎えを待った。
ホテルのシャッターが開いた。7時過ぎにホテルはオープンするのか。はじめて知った。
7時15分ごろワンボックスカーが止まった、名前を確認され助手席に乗る様指示された。
パトンでもう一組をピックアップしてワンボックスカーはプーケット・タウンに向かった。
プーケット・タウンでもう一組ピックアップした。運ちゃんは場所が分からず、携帯電話で聞きながらたどり着いた住宅のまばらなこんな所の食堂兼ゲストハウスにまで西欧人は泊まっているのか!!
8時過ぎのプーケット・タウンは渋滞していたがタウンの外れにあるラサダ港に8時15分ごろに着いた。
スタッフからチケットを受取り、黄色いシールを胸に貼り付けられた。
トイレから戻るとその辺にいるスタッフ?が、乗船のための列に並ぶ様指示した。
高速船が3隻並列に並び、それと同じくもう一組が直列に並んで合計6隻が停泊していた。
列に並んで進ん行くと1隻目を渡り2隻目でスタッフに乗船する様に指示された。胸のシールで振分けていた。
船内はエアコンが効き過ぎ寒かった。バスタオルを肩に掛けた若い一団が乗り込んで来た。
ガイドに引率された韓国人のグループであった。
6隻の船は順番に出港していった。私達の高速船は8時40分ごろ出航した。

デッキに出て日焼けするのも嫌で船内にいたが、寒いのでデッキに出た。
日差しも弱く海風が気持好かった。西欧人は甲羅干し、韓国人は写真撮影会!!
改めて気付いた、韓国人はカップルで来ている、二人で写真撮影、即ち、新婚旅行の団体であった。
もうそろそろピピ島が見えるのではないかと舳先に行くとピピ・ドン島とピピ・レイ島が遠くに見えた。
 左 ピピ・ドン島、右 ピピ・レイ島

太陽は高くにあるが逆光になっている。残念ながら綺麗な写真が無理だ。
高速船はピピ・ドン島とレイ島の間を西からピピ・ドン島のトンサイ湾に回り込んで行った。
ピピ・ドン島で最もくびれた平坦なところが見えて来た、心持ち樹木が少ない様に思った。

10時過ぎに桟橋に着いた、真新しい立派な桟橋である。
バックパックを担いだ若者が下船して行くのをデッキから見下ろしながら下船の順番を待っているとスタッフが下船しろと言っている。
指示に従い下船して船を振り返ると大勢の乗客が残っていった。この船でシュノケリングや周遊観光に向かうのか?

桟橋から右に行き、この辺りの雰囲気は余り変わらないなと思いながら歩いているとダイビングショップに日本語で話す女性2人が椅子に座っていた。
通り過ぎてビューポイントへの行き方が分かってないのに気付いた。前回の記憶で大体の見当で歩いていた。ただし前回はビューポイントに登っていない。
引き返し日本女性に行き方を尋ねと丁寧に地図をくれて説明して貰った。ありがとう御座いました。
ビューポイントまでの町並みは、ダイビングショップ、レストラン、サッマージ店、土産物店、ホテルと真新しくなり、各国の若者が大勢来ていて完全に復興している様に感じた。
大津波前には、わずかにヒッピー風の町並みが残っていたが、今はすべてが新しくなった。
お陰で道に迷わずビューポイントへの上り口にたどり着いた。幅が1.5mほどのコンクリートの階段がまっすぐに続いていた。
手すりが付いた急な階段を上がると展望台になっていた。老夫婦もここまで上がって来ていた。

ここからはコンクリートの道が奥に続いていた。それほどの勾配でもないのにしんどい。後ろから2人の女性が迫って来るので先に行ってもらう為、道から外れて岩に座った。
追い越される時、「ハーイ、ハワユー」と声を掛けた、振り返ってにっこり笑顔でハーイと帰って来た。
ビューポイントは、もう近かった。ビューポイントへの道は、思ったより早く着いたが、登りは見た目よりもしんどい。
10人ほどの西欧人が売店横の木陰に入り休憩していた。
ビューポイントは大きな岩があり、そこからの眺めは最高です。

11時過ぎで太陽が高く、向かいの岩山が少しかすんでいるのが残念だ。
朝早く、来れば良い写真が撮れるだろう。
途中で私を追抜いて行った女性が気を利かせて写真を撮ってくれた。

ピピ島紹介に使う写真がここビューポイントからの風景であった。今は、レオナルド・ディカプリオの「ザ・ビーチ」の舞台となったピピ・レイ島のマヤ湾を上空から撮った写真が紹介写真に使われている。
ビューポイントから他のビーチへの道があり、その方向から人声が聞こえていた。私も行きたかったが、ピピ島には4時間しか滞在できず、残り2時間強なので下山した。
ビューポイントはやはり人気ポイントなのだろう、次から次に上ってくる。

 ローダラム湾

町並みの中を抜け、桟橋のあるトンサイ湾とは反対側のローダラム湾に行った。遠浅の綺麗なビーチである。
前回、ホテル横のこのビーチで過ごした。小さな木陰にいた為照り返しがきつく、気が付いた時はもう遅い、顔と肩&背中の日焼けがすごかった。濡れタオルを冷蔵庫で冷やし日焼け跡に当てる事を何度も繰り返したのを思い出す。
 トンサイ湾

トンサイ湾側に戻り、海の見えるレストランに入った。焼きそばとビール大を頼んだ。今日は「昼からビール」を飲んでしまった。
近くのテーブルに日本人青年、たぶん学生だろうが座っていた。1人は仙人の様なひげを生やしていた。
日本人にとってのひげとは? 非日常? 海外旅行という非日常にひげを生やすとか!
それにしても彼のひげは長い、長期滞在か? 日本でも生やしているのか?

インド洋大津波時のピピ島被災状況をテレビで見ていたが、私が前回宿泊したピピアイランドカバナホテルとその周辺の情報がなかった。
それで桟橋前を通り、ピピアイランドカバナホテルに向かった。
3階建てビルタイプホテルは残っていた。フロント・ロビーを覗いてみたが雰囲気が違った。
朝食を取った屋外レストランに行くと韓国人観光客でいっぱいであった。100人はいたのではないか。日帰りツアーの昼食をここで取っているのだろう。
 2001年8月宿泊したバンガロー

そこから西奥に前回宿泊したバンガローが並んだ地区があったが、今は背の低い木が植えられているだけで他に何も無い。完全にバンガローも樹木も大津波で洗い流された様だ。
また、木造平屋のヘルスセンター(病院)が真新しい立派なヘルスセンターに変わっていた。

14時が近付いたので桟橋に戻った。桟橋の職員(軍人?)と女性が椅子に座って話し込んでいた。職員にバウチャーを見せると、女性が横の東屋で待てと言いった。
東屋には椅子が無いのでフェンスに腰掛けた。それに女性が気付き、彼女が座っていた椅子を私に勧めた。有難く座らせてもらった。タイでは年配者を大切にしてくれるので助かる。
スタッフが東屋に来た。客がバウチャーを見せていた。空いて来たので行ってバウチャーを見せると新しくシールを胸に貼り付けてくれた。
高速船は14時30分定刻にピピ・ドン島の桟橋を出発した。デッキに出ずに船内の座席に座って本を読んだ。
帰りの船にも韓国人新婚さんが大勢乗っていた。その中に年齢層の違う3名の男女がいた、ガイドだろうか? この3人が大きな声で話していた。中国人、韓国人の声が大きいのは有名だが、これほど大きな話し声は初めての経験だ。
話の内容は当然分からないが、良く聞いていると会話になっていない、1人の男が一方的に話し興奮し益々声が大きくなる様だ。
余りにも大きいので3人の方を見ると、大きな声の男の背中が見え、その向こうにこちらを向いている女性が見えた。
私は、決してにらみ付けていない、しかし、女性が雰囲気を感じたのか、男の声は明確に小さくなった。
1人でしゃべり1人で興奮し益々声が大きくなる。また、徐々に声が大きくなったので彼女を見た、男の声が小さくなった。
この様に書くと韓国人全員がマナーが悪くうるさいと感じるかも知れないが、少なくとも他の新婚さん達は、おとなしかった。

16時にプーケット・タウンのラサダ港に着いた。
ワンボックスカーの運ちゃんが待っていて、胸のシールで見分け、呼び止められた。
全員集まったのか車に移動し、パトンに向かった。
バービアのねえちゃんを連れ出しピピ島ツアーした西欧人2組のねえちゃんがそれぞれ順次下車した、次にその西欧人のホテルに着き降りた。そしてアジア人3人が降りた。
パトンを1周して順番に降ろし、最後に私のGuestHouseで降ろされた。17時ごろになっていた。
GuestHouseに戻り、シャワーを浴び、ビールを飲みながらテレビを見た。
夕食は、日本食レストランFujiに行った。最近、毎日行っている。
とんかつ定食とビール小を取った。 計B209(550円)
とんかつ定食は2度目であるがとんかつは、まあまあ、味噌汁が付いているのが嬉しい。1勝4敗1分。

2月16日 プーケット 11日目

2009年04月28日 | プーケット短期滞在
7時45分起床。
いつもの様にコーヒーを買い、サンドイッチを作った、今日は果物がない。
珍しく下痢をした。これはやばいと思った。
インターネットでニュースを読んでいると、また、便意を催した。やはり下痢であった。

明日、ピピ島に行く。インド洋大津波時のピピ島被災状況をテレビで見ていたが、それ以上は知らないので、インターネットでその体験記を検索して読んだ。
明日のピピ島行きツアーと同じ10時に体験者はピピ島に着き、その30分後に津波が襲って着たとの事であった。彼らは幸い、ビルタイプのホテル3階にいて被害を受けなかったが、津波の再来を恐れ山に避難する様指示され山に避難した。救援船への長蛇に並び、その時シュキューバダイビング機材の携帯にひんしゅくを買いつつ、プーケットに渡った事や、体験者の安否情報が載らなかったので後日調べると、個人旅行の場合は自分から申告しなければ載らない事が分かったと書いていた。

2時間経ってお腹の具合も大丈夫そうなので、出遅れたが12時30分ごろホテルを出た。
日本食レストランFujiで、ざるそばB100(265円)とミネラルオォータを取った。ざるそばをタイ人が食べるのか?? 日本人の味覚に合わせろ! Fujiの日本食の中途半端な味に段々腹が立ってきた。1勝4敗。
ビーチ通りに出て、13時40分のソンテウでプーケット・タウンに向かった。
噴水ローターで降ろされ、市場の手前に止まっていたカロン・ビーチ行きソンテウに乗り出発を待った。
 カロン・ビーチ行きソンテウ

缶ビールを飲みながらの子供連れの西欧人が乗って来て、私の向かいに座った、さらに缶ビールが入ったレジ袋を子供が持っている。何という父親だ!
14時50分ごろソンテウは出発しカロン・ビーチに向かう。
子供連れの西欧人が車内でタバコを吸い出した。私は、にらみ付けると喧嘩になりそうなので、タバコを凝視し続けてやった、タバコを持った手が動いても凝視し続けた。父親はばつが悪るそうにし、子供も気付き、「ここでタバコを吸っては駄目でしょう」「オープン・エアーだから良いんだよ」と、多分こんな会話をしているのだろう。妄想か? 子供に缶ビールを持たせる駄目父親!
シャロン湾のシャロンサークルでソンテウは右折した、峠を上る途中にシャロン湾が綺麗に見えた。サイクリングで峠を上っている西欧人がいた。この暑いプーケットでサイクリングする物好きがいる。海岸沿いを2時間歩いた私も、人のことは言えないが!!!
峠を越えるとカタ・ビーチと案内板が目に付いた、左折するとカタ・ビーチだ、しかし、海岸から離れている。ソンテウは、まっすぐカロン・ビーチに向かっている様だが、やはり海岸から離れたところを走っていた。
駄目親父がブザーを鳴らしたので、ソンテウは停まった、でも駄目親父は降り場所を間違っていて下車しなかった。駄目な奴だ。
ソンテウはロータリーに出て左折した、ちょうどカロン・ビーチ沿いにUターンする様に走った。右折するとパトン・ビーチに行く。
乗客は順次下車していき、最後に私だけになった、カロン・ビーチの南端で降り、運賃B30(80円)を運ちゃんに渡した。
カロン・ビーチの内陸側はホテルの綺麗な敷地が広がり、道路からビーチまでは公園の様な地帯があり綺麗にされている。
11年前はじめてプーケットに来た時、ここカロン・ビーチに滞在した。その時のビーチは、道路沿いはコンクリートで固められた護岸が続く殺風景なビーチであった。今とは雲泥の差であった。
 レストランからビーチを望む

カロン・ビーチの南端のレストランに入った。焼きそばとビール小を頼んだ。
すでに16時前で長居は出来ない。焼きそばの炒め油が鼻に付き半分残した。
小説を30分ほど読んで精算した。その時、パトンまでのトゥクトゥク(タクシー)の運賃を参考に尋ねてみるとウエイトレスは知らないので聞きに行った、B400(1050円)と驚いた顔をして答えてくれた。
日本の1/2程度か? Webサイトでは、去年のガソリン高でトゥクトゥクが値上げし、ガソリン価格が下がった現在でも値下げしないと怒っていた。
時間も有り余るほどあり、料金もB55で済むソンテウでパトンまで帰る事にした。
カロン・ビーチとカタ・ビーチを周回してプーケット・タウンへ向かうものと思い、来た時と同じ方向のソンテウが来たので止めて乗り込んだ、運ちゃんが私のところに来て、どこへ行くと聞くのでプーケット・タウンと答えると反対車線だと言われてしまった。終点がどこか? ソンテウ(路線バス)のルートが分からない。
18時前にプーケット・タウンに着き、18時発パトン行きバス最終便に乗った。
パトンへの峠を越える頃には暗くなった。
ジャングセイロン前でソンテウを降り、カルフールに寄って、食料を買出した。
今日は黄マンゴー(タイマンゴー)を買った、これまでは青マンゴー(緑)を買っていたが黄マンゴーを買ってみた。処で完熟マンゴー(宮崎県)や琉球マンゴーは赤マンゴーである。見たままのネイミングである。
他に、スライス焼き豚、食パン、缶ビール4缶、計B237.25(620円)を買った。
GuestHouseに戻り、シャワーを浴び、ビールを飲みながらテレビを見た。ラグビーがスピードがあるので大変面白い。日本のラグビーとは別物だ。
遅くに夕食のためタイ料理食堂に行った。ビール小とトムヤムクン+ライスを食べた。
ここの食堂は、出前の方が多い様だ、周りのレストランのタイ料理はここから取っているのではないか?
ミネラルウォーターの買い置きが無くなったので、セブンイレブンに寄って、12本パックをB60(160円)で買って帰った。

2月15日 プーケット 10日目

2009年04月25日 | プーケット短期滞在
7時45分起床。
いつも9時間ほど寝ている。23時ごろに寝て、朝8時ごろに起きる。今日も安眠であった。
いつもの朝食と昨日買った1/2カットのパパイヤを食べた。パパイヤはそれほど美味しくなかった。

今日は何をしようか?
ピピ島への日帰りツアーをインターネットで調べたところ、ホテル送迎・昼食・シュノーケリング込みでB1800(4800円)というのを見付けた。
ピピ島へは2度目で、インド洋大津波の3年前に行った事があり、7年振りとなる。前回は、ピピ島からのシュノーケリング・ツアーに参加したので、今回は必要ない。ホテル送迎と往復高速船のみで十分である。
ピピ島行き高速船は、ラサダ港発8:30 ピピ・ドン発14:30 運賃 片道B350~B550(950円~1500円)である事は分かった。パトンからソンテウでプーケットタウンへ行き、乗り換えてラサダ港へ行き、乗場でチケットを買えば乗船できる。しかし、早朝だからソンテウ(路線バス)では無理だろう。
ホテル送迎+往復高速船を探したが中々見付からない、シュノーケリング付き日帰りツアーが殆どだ。
やっと検索に掛かった、ホテル送迎+往復高速船をB800(2100円)で出ていた。バングラ通り近くの旅行社で日本人が常駐しているとなっていたので夕方行く事にした。

 ラティウティット200ピー通り

タイ料理食堂で焼き飯と「昼からビール」で無くミネラルウォーターを飲んだ。締めてB65(170円)、ビールを飲まなかったら、何と安上がりなことか!
昼食後、散歩に出た。ラティウティット200ピー通りを南に歩き、ホリディ・インまで来た。このまま南に行けば帰りが遠くなるので思案した、ホリディ・イン前をナナイ通り方向に真直ぐな道があったので行ってみた。
北側には、原野が広がりジャングセイロンやバンザーンが見渡せる。南側は下水処理場になっていた。
ホリディ・インからの道は、ジャングセイロン前を通る地道に突き当る。この地道は、ラティウティット200ピー通りとナナイ通りの中間を南北に縦貫する新しい道で、工事をしている雰囲気は感じないがルート沿線の開発は進んでいる様だ。その開発例がジャングセイロンやバンザーン市場とバンザーン通りのGuestHouse街だろう。
地道をジャングセイロンに向かった、赤土の道は草履では歩き辛い、ジャングセイロン前は砂利道でもう直ぐ舗装されるだろう。

 ビーチ通り

夕方、ピピ島へのチケットを買いに行った。
バングラ通りを抜け、ビーチ通りに出ると夕日が見えた。この時期、パラダイス・ビーチ方向の山に太陽は沈む、水平線に沈む太陽は見ることは出来ない。
ビーチ通りから少し入ったところにプーケット旅行センターの事務所があり、日本人女性1人が座っていた。
明後日発のピピ島へのボートチケットとホテル送迎のツアーを依頼した。日本語を話したのは12日振りで、会話が変にぎこちなかった。
ホテル名を聞かれ、バンザーン通りとGuestHouse名を言った、女性スタッフは電話で問合せし予約が取れた様だ。
朝7時に迎えに行くのでGuestHouseロビーで待っていること、帰りは、ピピ島の桟橋に14時に来ること、遅れると置いて行かれると注意を受けた。帰りのピピ島桟橋での案内に不安を感じたので質問するとバウチャーを見せれば問題ないとの事であった。
料金B800(2100円)を払い、バウチャーを受け取った。

バングラ通りのバービアに寄り、通りを歩く観光客を眺めながらビールを飲んだ。
バングラ通りには、盆の様な小さな丸テーブルにビールを置き、通りに向かって座る西欧人が並んでいるバーがある。まさにリオ・カーニバルの観客の様に全員が通りを見ている。見ているのは、歩行者天国を歩く観光客や物売りだろう。
バービアを早く切上げて、ジャングセイロンの日本食レストランFujiに行った。
餃子+中華そば定食B130(340円)とシンハービール小を飲んだ。
中華そばのスープが何か物足りない。二度と注文しない。1勝3敗。
セブンイレブンで缶ビール2缶を買い、ランドリーで洗濯物を受け取り、GuestHouseに戻った。

2月14日 プーケット 9日目

2009年04月21日 | プーケット短期滞在
7時30分起床。
パトン滞在が1週間も経つと朝の過ごし方も決まってくる。
コーヒーを買って来てサンドイッチを作り、窓際のテーブルでインターネットニュースを読みながら朝食を食べる。
小説を読んだり、TVのスポーツ番組を見たりして10時ごろまで過ごす。これが定番になって来た。
その後、何をするかである。
プーケット・タウンの手前にショッピングセンターのセントラル、Big-C、ロータスが点在しているところがあり、今日はそこへ行く事にした。
パトン・ビーチまで歩き、プーケット・タウン行きのソンテウを待った。
いつも観光客でいっぱいだ。ソンテウは、ビーチ沿いを走り、急な坂を上り、ゴルフ場の横を通り、セントラルに着いた。

セントラル入口に日本食レストランチェーンZENがあった。Fujiより高級そうである。奥に進むと食品スーパーもあった。日本食品も置いてある。
2階の通路にテニスラケットを並べてバーゲンをしていた。最低価格は、3,000円台であった。そこはテニスショップの前で、中に入ってテニスショップを見たが本格的なショップでラケットの品揃えも豊富であった。テニスだけでなく大きなスポーツ用品店であった。
2階には、Fuji、8番らーめん、OISHIラーメンと日本食レストランが3軒もあり、8番らーめんに入った。
五目麺B80(210円)とコーラーB28(75円)を注文した。ビールでなく、コーラーにした。日本を出て、10日間が過ぎたが、「昼からビール」が続き、ビールの量も増えている。
「昼からビール」が習慣的になってしまうと日本に帰った時に困る、日本でも「昼からビール」をしてしまいそうで、今日から「昼からビール」は出来るだけ避け様と思ったからである。
五目麺は、キャベツが多く五目に不満であったが、味は許せる。
隣のテーブルに団塊世代の日本人夫婦が座っていた。セントラルでは、日本人を見掛けた。

テスコ・ロータスにエアーアジアのチケット売り場があるとWebサイトで読んだので確認に行った。
セントラルからBig-C、テスコ・ロータスと一直線上にあり、セントラルからテスコ・ロータスが遠くに見える、距離は約1km強だろう。歩こう。
目と鼻の先であるBig-Cに歩いて向かった。陽射しはきついがそれほど暑くない、前から女性2人が歩いて来た、日本人親子であった。そうだろう、タイ人は歩くのが嫌いなので誰も歩いていない。
エアコンが効いているBig-Cに入り、暫らく涼んでクールダウンした。
Big-Cから発着するエアコンバスがあると聞いていたので探すが見付からない。ロータスから乗る積もりでいるので時刻表など情報収集したかった。
ロータスまで殺風景な歩道を歩いた。途中にIndex Living Mallがあり、モールとは思えない静けさであった。
ロータスに着き、エアーアジアのチケット売場を探した。エスカレーターで2階に上がるとチケット売場があった。それは小さなブースで、ちょうど日本の駅にある宝くじ売場の様なものである。そのブースに女性が1人入って対応していた。
今日は、バンコクへの予定をまだ決めていないのでエアーチケットは買わなかったがバンコクへ帰る日が決まれば、再度ここに来てチケットを買う事にする。
エアーアジアのチケットはインターネット購入が主流で、他に空港の売場で購入する事もできる、ここの様に売場があるのは珍しい。

サービスカウンターでエアコンバス乗場がどこにあるか聞き向かった。
テスコ・ロータスは大きな交差点にあり、北側の東西道路にバス停らしきものがあり、大勢の人が待っていた。
すぐに中型バスが来た、乗って見るとやはりエアコンバスであった。車掌にどこへ行くのか聞かれ、プーケット・タウンと答えると反対車線に指差しされたので降りた。
反対車線にはバス停らしきものがない、木陰に入ってバスを待った。
バスがBig-Cで折り返して、すぐに来るものと思っていたが来ない、小説を読んで待った。
私も暇なもので1時間ほど待った後、先ほどの中型バスが交差点を右折して来た。木陰から出て行ったが、バスは片側3車線の中央分離帯横を走っていた、私を見付けてバスは中央分離帯横で停まった、1車線、2車線目と渡って行くと乗用車は停まってくれ、無事バスに乗ることが出来た。
エアコンバスは、Big-Cからプーケット・タウンを回り、海辺のサパン・ヒルまで行っている。運賃は均一B10である。
乗客は女子供が多く、観光客も1組いた。
車掌が示したところに噴水が見え、噴水ロータリーでバスを降りた。

まだ、14時ごろなのでタウンを散策する事にし噴水ロータリーを南に行って見た。地図を忘れたので適当に歩いた。
プーケット・ランゲージ・スクールが見つかれば良いなと思いながら歩いたが、見付ら無かった。プーケット滞在計画では、20時間ほどタイ語を習う積りであったが、今のところはビーチ巡りをしている。
見るべき所も無く、歩き疲れているとバイタクシーが停まった。運賃を聞いている時、運ちゃんの胸元のハングル文字に気付いた。許可書を持っているバイタクシーの運ちゃんは背番号の付いた緑や赤色のベストを着ている。そのベストの胸元にハングル文字がプリントされている?何故? 
噴水まで運賃B20(53円)であったが乗らずに、タイ人がハングル文字を読める訳が無い、何の為?と考えて歩いた。答えは思い付かなかった。

プーケット・タウンの市場からバスに乗り、パトンのジャング・セイロンで降りた。
カルフールに寄り、熟し加減の分かる1/2カットのパパイヤB29(76円)とソーセージB28.5(75円)、缶ビール2缶 計B113.5(300円)を買った。
夕方にGuestHouseに着いた。シャワーを浴び、ソーセージをつまみ、ビールを飲んだ。

20時ごろ、洗濯物をランドリーに持って行った、前回洗濯代を払った、払ってないで、もめたランドリーであったが、仕方なく持って行った。
小腹が空いたのでジャングセイロンのフードコートに行き、バミナームを食べた。その足で歩行者天国になっているバングラ通りに行った。
通りをぶらぶら歩くと、ニューハーフが通りに並び、人だかりが出来ていた。背の高い奇麗なニューハーフ&それなりのニューハーフが並び、観光客と記念撮影をしていた。
パラダイス・ビーチからの帰りに乗せてもらったドライバーのバービアに寄り、シンハービールを飲みながら、通りを歩く観光客をボケーと観察していた。

帰りにバンザーン市場前の屋台でゲソ串焼きを買って帰った。
GuestHouseのフロント女性にはハワユーとあいさつ、スタッフのおばちゃん&おっちゃんには手をあげて合図し部屋にもどった。

2月13日 プーケット 8日目

2009年04月16日 | プーケット短期滞在
8時起床。
今日は、珍しく天気は曇天、雨が降りそうである。
セブンイレブンでコーヒーを買い、持ち帰った。
いつもの様にスライスした焼き豚を食パンに挟みサンドイッチを作った。それを紙皿に入れテーブルに運ぶ。
昨日買ったパパイヤをナイフで切った。まったく熟れていなかった。熟した品を売っているものと思っていたがそうではなかった。熟し加減が分かる様に半分にカットしてラップしたパパイヤが売られているのがその理由か。
8時半ごろから断続的に強い雨が降りだした。
今日は、ホテルでゆっくりする事にした。
インターネットでニュースをチェックした後、パソコンで写真の整理をした。
プーケットに来て早くも1週間が過ぎた。今日は、宿泊を更新する日である。夜遊びで夜中に帰ってくる宿泊客や通りの酔払いが、やかましい時もあるが寝ていて夢の中で、問題ないので1週間の宿泊を更新する事にした。フロントに行くが、この雨でまだフロント女性が来ていない。
朝、1階に降りると従業員のおばちゃん&おっちゃん(部屋の掃除とベットメイキングをしてくれる)がいて、夫婦でGuesthouseを見ている。8時前にシャッターを開け、9時ごろにフロントに女性が来るのが、Guesthouseの1日の始まりの様だ。
この雨でフロントの女性が来たのは昼前であった。もう1週間泊まる事を伝え、駄目もとでB6000にする様に言ったが駄目だった。宿泊費B6300を支払った。

朝から断続的に強い雨が続いていたが、昼過ぎにやっと止んだ。
ジャングセイロンの日本食レストランFujiにカレーライスを食べに行った。カツカレーとエビカレーとがあったがエビカレーB130(340円)にした。それとビール小を注文。
カレーの味は、スパイスが効いていないので日本人には物足らないだろう。替わりにラー油が薄っすらと残っている。二度と注文しない。先日食べたとんかつ定食は美味しかったけれど!!! 1勝2敗。
日本食レストランFujiは、タイでチェーン展開している日系企業となっていて、基本的に味はタイ人に合わせている。なぜか、キムチが付いて来る。 タイ在住の日本人には、日本食レストランとして、あまり評判が良くない様だ。
バンコクのMBKにある8番らーめんで良く食べるが、ここもタイでチェーン展開している日本企業である。冷麺、味噌ラーメン、五目麺、餃子などを食べるが、私の口には合う。
Fuji前の広場のベンチに西洋人老夫婦が何組か座っている。私も座り小説を1時間ほど読んだ。


昨日、日焼け止めクリームとしてNIVEA○△を買ったがWebサイトで調べるとNIVEA sunでなければ駄目らしいのでカルフールに交換に行った。
カルフール出入り口の警備員に尋ねると指差してそこへ行けと言っている、そこはサービスカウンタであった。商品とレシートを見せて交換する様に頼むと女性サービス員がどこが悪いのかと聞いて来た。
他の商品に交換したいと話したところ、その商品を持って来いと私は解釈して店に入った。NIVEA sunを取り、店を出ようとしたが、このまま出たら万引きになる。レジに行って並ぶのも億劫なので、先ほどの警備員に商品を見せて付いて来いとジェスチャーをした。
サービスカウンターに戻ると整備員が成り行きを説明している様だ、女性サービス員にレジに行く様に言われたが嫌な顔をすると価格を相殺し差額を支払う事で済ませてくれた。

夕食は、3日ぶりにタイ料理食堂に行った。イカのパッポンカリー+ライスとシンハービール小を取った。ここのタイ料理は、本当に美味い。日本食レストランFujiより断然美味い。
夕食後、バングラ通りのバービア(オープンバー)に向かった。昨日パラダイス・ビーチからの帰りに同乗させてもらった西欧人経営のバービアに行った。しかし、バービアが密集していて、どれが彼らの店か分からない。
チャン・タイガーと言う店名を尋ねるとこの付近全体の店名らしかった。間口には、3軒のバービアが並び、奥までバービアが並ぶ。この一画が彼らの店か?
通りに面したバービアのカウンターに座りシンハービール小B100(260円)を飲んだ。バングラ通りは歩行者天国になっていて観光客が大勢歩いていた。通りを歩く観光客を見ながらビールを飲んだ。
西洋人以外中国人、韓国人は、4~6人で行動しているので分かり易いが、日本人は小人数で行動しているからか見分けが付かず、殆ど見掛けない。プーケットに滞在して1週間になるが日本人は、2~3名しか見掛けていない。。大津波後日本人観光客が未だに戻っていないのか? それとも2月は日本人観光客にとっては閑散期なのか?

バンザーン市場前の屋台に寄り、ゲソ串焼きを買った。
GuestHouseに戻ると従業員のおばちゃんとおっちゃんがいたので、日本語で「イカ」と言ってゲソを串で刺して口の中にそれぞれ入れてやった。キャキャ言って喜んでいた。