見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2019年1月@関西:画僧月僊(名古屋市博)

2019-01-19 23:28:30 | 行ったもの(美術館・見仏)

名古屋市博物館 特別展『画僧 月僊』(2018年12月15日~2019年1月27日)

 三連休最終日は久しぶりの名古屋。名古屋市博は一時期、面白い企画が多くてよく通っていたのだが、2013年新春の『古事記1300年 大須観音展』以来、来ていなかった。2013年も成人式のイベントが行われる日に来訪したのだが、今回も、朝から博物館の前に新成人らしい若者をちらほら見かけた。

 さて、画僧・月僊(げっせん、1741-1809)は名古屋生まれ。味噌商の家に生まれ、7歳で仏門に入り、修行のかたわら江戸と京都で絵を学び、独自の画風を確立した。晩年は伊勢山田で寺の住職となり、絵を売って蓄えた財を元手に寺の再興に努め、貧民救済にも尽力したことが知られている。

 私が月僊という名前を覚えたのは、2006年の府中市美術館『亜欧堂田善の時代』のようだ。亜欧堂田善(1748-1822)は、若い頃、月僊に師事したことがあるらしい。しかし2006年の展覧会で、私は月僊のどの作品を見たのだろう。図録は購入したはずだが、古い蔵書は段ボール箱の中なので、どうしようかなあ…と思っていたら、なんと府中市美術館は当時のサイトをウェブ上に残してくれていた。えらい!さすが! 出典リストも残っていて、それによると私は『蘭亭曲水図屏風』と『春秋山水図』を見たらしい。しかし、残念ながらこれらと一致する題名の作品はなかった。本展には、関連作品を含めて100点以上が出品されているが、網羅され尽くしたわけではないのだな。

 会場では、冒頭に月僊の自画像と谷文晁による肖像画を掲げる。だいぶ雰囲気が異なるのが面白い。自画像と伝わる『僧形立像』があやしいのではないか。次に『関通和尚行状記』という質素な版本が数冊。冒頭の関通和尚の肖像を描いたのが月僊だそうだ。関通?なんと2日前に「京の冬の旅の旅」の公開寺院・転法輪寺(御室大仏)で聞いた名前ではないか。関通(1696-1770)は尾張出身、浄土宗捨世派の僧で、官僚化した浄土宗の体制から距離を置き、法然の専修念仏思想に立ち返ることを目指した。月僊は7歳のとき名古屋城下の円輪寺に入門し、関通の薫陶を受けたのだという(図録解説から)。2日前に初めて聞いた名前にまた出会うなんて、ご縁を感じずにいられない。それから絵画の最初の師である桜井雪館の作品、強く影響を受けた円山応挙の作品、そして月僊の初期の作品など。腰をかがめて抜き足差し足の『東方朔図』はどこかで見たことがあった。

 次にジャンルごとに月僊の作品を見ていく。まず仏画。黄檗宗の伝来とともに受容された、明清時代の中国の仏画に影響を受けているという指摘はすごくよく分かる。次の神仙(神様、仙人、英雄たち)もそうだが、月僊の描く人物は、あやしげだけど魅力的だ。黒目の虹彩の色を薄くし、小さな点の瞳を目立たせることで、生き生きした表情が生まれるのではないかと思う。あと、わりと口元がほころんでいる人物画が多い気がする。薄墨の背景に白抜きの羅漢が車座になった『十六羅漢図』(三重県立美術館)はユニークで好き。『仙人図三幅対』(控鶴・緱仙姑・子英)は、鶴と青鳥(鳳凰?)と鯉にリアルな存在感があってよい。『西行銀猫図』はめずらしい画題だと思う。銀猫が本物の猫くらい大きい。

 次に山水と花鳥。月僊は人物画も巧いが山水画もよい。『帰去来図』とか『蘭亭曲水図』(屏風はなかった)とか『赤壁図』とか、中国の故事を意識したものが多いようだ。うまく言えないけど、柄の大きい風景を表現したものが多くて、気分がのびのびする。大勢の樵夫たちが木材を滝壺に投げ落とす『木曽路図』は、他人の見聞に基づくものらしいがユニークで楽しかった。最後にあったのは『百盲図巻』(知恩院所蔵)。百人の盲人(みな僧形の男性、何人かは琵琶を持っている)が笑ったり怒ったり、ふざけたり助け合ったりしながら、杖をたよりに進んでいく様子を描く。最後は細い丸木橋を這うようにして渡り、川に落ちてしまう者もいる。寓意画として描かれたものだが、確実な描写に温かい視線が感じられて、嫌な気持ちにはならなかった。名古屋市博、次回展は国芳だそうだが、これからもときどき、地元出身の画家や文化人を取り上げてほしい。

徳川美術館+名古屋市蓬左文庫 企画展『書は語る-30センチのエスプリ-』(2019年1月4日~2月3日)

  懐紙や短冊(懐紙を縦に八等分したもの)に残された書を通じて、歴史上の人々の人物像を探訪する。鎌倉時代から近現代まで100点以上の書が並ぶ。登場人物も、たぶん70~80人は下らないだろう。私は書跡から書き手の人となりを想像するのが好きだが、このようにまとめて見ると、短冊の書風には一定の型があり、あまり個性が出ないものだということを感じた。特に天皇家や公家はよく似ている。武家は、今川氏真があり、武田晴信(信玄)・勝頼もあった。勝頼の字はバランスが悪くて巧くないなあと思った。

 短冊は和歌・俳句を書くものだと思っていたが、漢詩(七言絶句を二行で)を書くこともあるのだな。絵短冊もたくさんあって、中村芳中の作品はすぐ分かった。大久保利通・木戸孝允など幕末維新の政治家、夏目漱石・正岡子規など近代の小説家の短冊もあった。実は展示品の過半(特に近世・近代もの)は「個人蔵」だったが、誰のコレクションかは不明である。

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