見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

築島物語+浦島絵巻に会いに/日本民藝館名品展(日本民藝館)

2011-04-20 22:55:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
日本民藝館 特別展 開館75周年記念『日本民藝館名品展』(2011年4月5日~6月26日)

 日本民藝館は、いつも正面の引き戸を開けて、玄関ホールを目にする瞬間が楽しみでしかたない。開館75周年記念の名品展で、ここに何を持ってくるのだろう?と考えていた。開けると、踊り場には、小さいながら存在感のある木喰仏。壁には拓本が3幅。左右の大字「進悳」「懲忿」は『梁武事仏碑』だと分かった。2008年の『版と拓の美』展で見たとき、原碑がどこにあるのか、調べても分からなかったが、今回貰ったリーフレットに「後に碑が落水したため、日本民藝館所蔵品以外には存在が確認されていません」と書いてあった。そうなのか!

 中央は『水牛山刻字・六朝』だという。ネットで調べたら、山東省にある摩崖刻で、拓本の6行52文字が全文らしい。きちんと読解はできないのだが、かすかに意味の分かる箇所、たとえば「観佛」の繰り返しが浮かび上がってきて、不思議な感覚にとらわれる。大般若経のひとつ『文殊師利般若経』の一部らしい。2階に上がってもこの拓本が気になって、最後の「是名観佛」って、何て読み下すんだろうなあ、などと考えあぐねる。2階の階段前には、沖縄の厨子甕(納骨器)が2器、白い素焼きのものと、黒っぽい鉄釉のかかったものが、狛犬のように置かれていた。全体に鎮魂と祈りの雰囲気を感じたのは、考えすぎだろうか。

 2階の大展示室は、濱田庄司、河井寛次郎、棟方志功らの「新作工芸」を特集。芹沢介の型絵染による「法然上人御影」が面白いと思った。それと、日本民藝美術館の設立趣意書、柳宗悦による間取りスケッチなどのアーカイブズ資料も。昭和11年の帝都電鉄(いまの京王井の頭線)は「神泉」の次に「一高前」、次に「西駒場」という民藝館のすぐそばの駅があったんだなあ。

 併設展のお楽しみは、なんと言っても2階第4室の「日本絵画名品撰」。『築島物語絵巻』は、わりと冒頭に近い2画面を展示。このあと、巻き替えするのだろうか? これって、実は悲惨な内容の物語なのだが…。同じケースに『浦島絵巻』もあって、矢島新氏の云う「箱を開けた浦島に、帯のような煙がとびかかる」(一反木綿かw)図が開いている。大画面の『曽我物語屏風』も面白かったが、私は物語を読んでいないので、イノシシに後ろ向きにまたがっているのは何者?とか、鎧武者のひざにすがる女の子は誰?とか、十分に読み解けないのが残念。

 再び1階へ。玄関ホールの右の壁にあったのが『開通褒斜道刻』。いつもより低い位置に掛っていて、細部が見やすいはずなのだが、なんだかよく分からない。もう少し「引き」で見た方が、この作品の魅力は増すと思う。1階第2室の「外邦及びアイヌの工芸」には、フランス、イギリス、スペインなどの西洋食器も並ぶ。なるほど「民藝」って、インターナショナルな概念なんだな、と感じられる。

 ところで、ここの展示は、あまり「耐震」に気をつかっている様子がなかったけど、大丈夫なんだろうか。まあ、テグスでがんじがらめにするような無粋さは、ないほうが嬉しいのだけど。
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屏風と扇面図/国宝 燕子花図屏風2011(根津美術館)

2011-04-19 22:56:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 コレクション展『国宝 燕子花図屏風 2011』(2011年4月16日~5月15日)

 東日本大震災の影響で、首都圏でも、いくつかの展覧会が中止・延期になった。理由のひとつは、海外の美術館などから、作品の貸出を断られたためだという。根津美術館でも、メトロポリタン美術館所蔵の『八橋図屏風』と同館所蔵の『燕子花図屏風』を並べる『KORIN展』(4月16日~5月15日→まだデータあり)が来春まで延期となり、同じ日程で、このコレクション展が始まったところである。

 まあさ、いいんじゃないの。私は根津美術館なら、わざわざ海外から目玉作品を借りてこなくても、既存のコレクションをゆっくり見せてくれるほうが嬉しい。なので、あまりがっかりもせず、初日から見に行った。館内はすいていたので、しめしめと思う。展示室1は屏風の名品揃い。桜と紅葉を描いた『吉野龍田図屏風』は見慣れた作品だがやっぱりきれいだ。『武蔵野図屏風』は、出る月を描いた左隻だけ見る機会のほうが多いんじゃないかな。赤い入日を描いた右隻が並ぶと、幾何学的な対称性が強調されて面白い。俵屋工房の絵師、喜多川相説(きたがわそうせつ)の『四季草花図屏風』は、視点を低く、華やかさを抑えたところが好ましく感じられた。

 面白かったのは、縦2段に整然と扇100図を描き、「扇の草子」とも称される『扇面歌意図巻』(室町時代)である。扇の外側に和歌が添えられているのだが、展示されていた冒頭にあったのが「山田もるそうづの身こそかなしけれ 秋はてぬればとふ人もなし」。なんとか読み解いて、おお、この和歌、知ってる!と色めき立ってしまった。調べたら、続古今和歌集に載せる、三輪の僧都・玄賓(げんぴん)の作(とされるもの)。謡曲「三輪」にも登場する。「そうづ(僧都)」には「そほづ」の異文もあって、「山田のそほづ」といえば案山子のことと、むかし教わって、どういう情景を思い浮かべればいいのか、悩んだことを思い出した。図巻の扇面には、山裾に広がる一面の稲穂を、墨染の衣の僧侶が肩を丸めて眺めている後ろ姿が描かれていた。

 同じ図巻に「するがなる宇津の山べの うつつにも夢にも 人にあはぬなりけり」(伊勢物語)もあって、これはどうやら山の間に俵型(?)の枕がころがっているというシュールな図様。「虎と見て石に立つ矢もあるものを などわが恋のとおらざらまし」って、面白い歌だなあ。典拠が史記の李広伝なのは分かるが、こんな和歌、どこに載っているんだろう。田植えの図に添えられた「はかなしやみちゆく人のころもでに こ○へうちつけうたふをとめご」(?)も気になる。絵になりやすい和歌を選んでいるのかな。

 2階にあがって、展示室5「棚と卓」も異色のテーマで面白かった。江戸時代や元・明代の螺鈿・蒔絵の卓が並ぶ中に、ひときわボロボロの文机(朱漆案)があって、「伝・楽浪遺跡出土」(後漢時代)と説明されていたのには、呆気にとられた。でも、どこかで見たことがあると思ったんだが…後漢時代の木製机。どこだったろう?

 展示室1を見ている最中、観客の携帯に地震警報が入り、まもなく大きく揺れた。久しぶりの大きな余震だった。なんだか気をそがれて、ほかをまわることは止して、この日は早めに家に帰った。

 追記。メトロポリタン美術館の光琳筆『八橋図屏風』が日本に来るのなら、むしろ出光美術館で見た、抱一筆『八ッ橋図屏風』と並べてみたい。そういえば、『京都 美の継承~文化財デジタルアーカイブ展』(2011年2月9日~25日)を見逃したときは、4月にはホンモノが根津に来るからいいもん、と胸の内で思っていたのだった。諸行無常。
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古写真と芸術写真/知られざる日本写真開拓史:四国・九州・沖縄編(写美)ほか

2011-04-17 20:03:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京都写真美術館 『夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史:四国・九州・沖縄編』(2011年3月8日~5月8日)

 古写真に興味があるので、このシリーズは毎回見に行っている。「I.関東編」が2007年、「II.中部・近畿・中国地方編」が(書き落としているけど)2009年、そして今回が「III.四国・九州・沖縄編」である。きっと幕末長崎の風景がたくさん出てくるんだろうな、と思ったら、そうでもなかった。あくまでも当該地方の施設が所蔵する古写真の調査なので、二重橋、九段、浅草寺など、意外と東京の風景が多い。上京した人々が、お土産として故郷に持ち帰ったものだろうか。

 少数だが長崎の町並みを写したものもあって、家が小さい(低い)わりに道幅が広いという印象を受けた。上野彦馬が撮った明治10年頃の田原坂の写真に、既に電柱が立ち、電線がびっしり張り巡らされていることに、私はかなり驚いたのだが、驚くことではないのかな。

 どの地方でも、現存する古写真で最も多いのは人物写真である。無名人の肖像に混じるようにして、西園寺公望、井上馨、中岡慎太郎などが不意に登場する。丁汝昌があったのにはびっくり(上野彦馬撮影)。明治24-25(1891-92)年頃と推定されている。清朝の軍人ではもうひとり、劉永福の肖像もあった。また、明治初年には、すでに歌舞伎役者のブロマイドも作られていたようだ。

 明治中期の写真で、一緒に写っている人物が黒く塗りつぶされていることがあるのは、故人の肖像は顔を削り取る習慣があったためだという。ちょっと怖いが納得した。

 併設の『芸術写真の精華 日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展』(2011年3月8日~5月8日)も見ていく。以前、神奈川県立近代美術館(葉山)の『画家の眼差し、レンズの眼-近代日本の写真と絵画』で見て衝撃を受けた黒川翠山の1枚に再会できて、嬉しかった。ピクトリアリズム(絵画主義)には、水墨画志向、水彩画志向、抽象画志向など、さまざまな方向性があるが、レタッチ(修正)とデフォルマシオン(誇張)の行き着く果て、これは写真である必要があるのか?と考えてしまう作品もあった。
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ゆるくて、かわいい/日本の素朴絵(矢島新)

2011-04-17 08:39:47 | 読んだもの(書籍)
○矢島新『日本の素朴絵』 ピエ・ブックス 2011.3

 書店で見つけて、思わず動揺してしまうくらい、うれしい本が出た。日本の絵画史の上で、なぜか時代を超えて引き継がれ、人々に愛されてきた「素朴絵」の系譜を、豊富なビジュアルでたどった1冊である。解説は、矢島新氏。前職の松濤美術館学芸員だったときに『素朴美の系譜』展(2008/2009年)を開催されているので、当時の展示図録の焼き直しかな?と思ったが、そうではなくて、新たに書き下ろし、編集されているようだ。

 私は、本書のいうところの「素朴絵」が大好きである。冒頭の解説にしたがえば、「素朴」の反対は「人為」であり、近代以前の絵画では「人為」の極点はリアリズムだった。したがって「素朴絵」の定義は、「リアリズムのみを目標としないおおらかな具象画」となる。ただし、西洋絵画でいう素朴派(アンリ・ルソーとか)やアウトサイダー・アートはちょっと脇に置く。

 日本の場合、王朝貴族の時代から、完璧を追求する中国文明の美意識が、つねに目標として存在した。しかし、タテマエは中国文明を目標と掲げつつも、その厳格、重厚な造形は「貴族たちにとって、キツすぎるように感じられたのかもしれない」という記述に笑ってしまった。そうそう、美術も文学も哲学も(あと政治も)「ゆるい」のが好きなんだと思うなあ、日本人は。

 掲載作品は、『素朴美の系譜』展と重なるものもあれば、重ならないものもある。奈良絵本『かるかや』は、同展ですっかり心を奪われた作品だが、いま、サントリー美術館の『夢に挑む コレクションの軌跡』展(~5/22)で公開中。大好きな『築島物語絵』も日本民藝館の名品展(~6/26)に出ているはずなので、行かなきゃ。

 例外的に『華厳五十五所絵巻』みたいな国宝の「素朴絵」もあるが、美術館の収蔵品にもならず、図書館や文庫などに埋もれている(?)作品が多いことに気づく。『雀の発心』『かみ代物語絵巻』は西尾市岩瀬文庫所蔵。特に後者、ワニ(!)に乗った火々出見尊の図、実物が見たい!

 写真図版は、必ずしも本書のために撮り直さなかったのか、ピントの甘いものがある。「素朴絵」の醍醐味は、細部への注目にあって、さすが、本書が「ここ」と選んで拡大した箇所は、どれも秀逸であるだけに残念だ。応挙描く、手拭いかぶって踊るネコ、好きだなあ。白隠のカマキリもかわいい。人間や動物はリアリズムを離れても受け入れられるのに、人工的な建造物を「素朴絵」タッチで描くと、こんなに笑えるのはなぜなんだろう。『玉垂宮縁起』の「もぞもぞ動いているよう」な太鼓橋とか、『築島物語絵』の三連社殿とか(エッシャーみたい)。

 石仏、工芸にもそれぞれ1章が当てられている。長野県・修那羅(しょなら)峠の石仏群は初めて知った。掲載写真がプロの作品だからかも知れないが、すごく魅力的に感じられた。調べてみたら、車なしでも見に行けないことはないか…足腰きたえておかないと。

 それから、本の帯に記された赤瀬川原平さんのコピーが好きだ。「鎧で固めた歴史の中を、裸で通り抜けてきた『素朴』のある事実が、何より嬉しい」って、じわじわくる。緊張と奮闘を強いられる昨今、あえて不謹慎を承知で、堂々と裸になって、ゆるんでいこう。
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地域社会の記憶/鉄道ひとつばなし3(原武史)

2011-04-16 22:15:10 | 読んだもの(書籍)
○原武史『鉄道ひとつばなし3』(講談社現代新書) 講談社 2011.3

 通常のカバーの上に、さらに表紙の3分の2以上を覆う写真入りのオビをつけて「累計10万部突破!大人気シリーズ待望の最新刊/孤高の鉄学者は何を見たか」と謳っている。この数年、鉄道ブームが認知され、写真集、エッセイ、ガイド本など、さまざまな関連書籍が刊行されている。しかし、本書の立ち位置は、ディープな鉄道マニア本とは、ちょっと異なる。読みながら、ああ、やっぱり原先生の本だなあ、と思う。私は、著者の『大正天皇』『昭和天皇』『皇居前広場』『滝山コミューン1974』などをずっと読んできているので、本書のような鉄道エッセイにも、天皇制や民間宗教や都市空間の研究者の顔が垣間見えるのが嬉しくて、楽しい。

 たとえば、古事記に取材した「健御名方(たけみなかた)神の逃走」の章。健御名方神が「此地(諏訪大社)を除きては他処に行かじ」という誓いを破って、上諏訪駅からJR中央本線に乗って出発したら…という想定で始まる。このオチが秀逸で、私は大笑いしたのだが、フツーの鉄道マニアには別に面白くないだろうと思う。諏訪には、2008年に行ったので、記憶が新たで、一層面白かった。

 私が1年前まで使っていた東武東上線の話題もあった。2008年に登場した「TJライナーに乗る」の記である。首都圏の通勤電車のロングシートとも違うが、私鉄の座席指定特急の豪華さはない。そこで著者は、ロンドン・キングスクロスからケンブリッジに向かう英国の電車を思い出す。車両といい、混雑率といい、さらには坂戸駅を過ぎる頃から始まる雄大な関東平野の風景も、英国の車窓を思わせるという。そうと聞いていたら、長い乗車区間も、もう少し楽しめたかも。

 この3月、逸翁美術館に行くために初めて降りた阪急宝塚線の池田駅が「阪急にとっての原点」だという記述にも出会った。財界人でありながら、茶道を愛し、少女演劇の脚本を書いた小林一三に今日最も近いのは、西武の堤清二であろうと著者は述べている。阪急文化圏で育った手塚治虫が、東京では「トキワ荘」以後も、ずっと西武沿線に愛着を持っていたという指摘も面白いと思った。

 「あとがき」によれば、著者は東北新幹線に乗って新青森まで行ったことも、九州新幹線に乗って鹿児島中央に行ったこともないそうだ。むしろ本書は、少年の日に車窓から見た印象的な看板を書きとめ、記憶に残る立ち食いそばや駅弁の味を記すことに熱心である。それらの「個人的な記憶」は、同時代を生きてきた人々と共振するものだと信じるからだ。著者の鉄道エッセイが、類書と異なって魅力的なのは、まさにこの点にあると思う。

 それにしても、日本の鉄道はどこに行ってしまうのか。教会も広場も持たない日本では、鉄道こそが「不特定多数の人々が居合わせる公共的な空間」となり、組織や集団の圧力から逃れようとする人々を受け入れてきた。と同時に、鉄道は「地域に住む人々の集合的記憶を形成する」ことで、失われた共同体を求める人々(特に高齢者)の安らぎにもなっている。この分析に私は深く共感する。将来は、必ずしも自分が乗り慣れた路線でなくてもいいから、どこか鉄道が生きている町で老いていきたいなあ。
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江戸の面影/蘆江怪談集(平山蘆江)

2011-04-15 06:23:41 | 読んだもの(書籍)
○平山蘆江『蘆江怪談集』(ウェッジ文庫) ウェッジ 2009.10

 丸善本店の松丸本舗で見つけた1冊。蘆江? 聞いたことがあるような、ないような。都新聞の花柳・演芸欄を担当した粋人記者であるという。その名前の古めかしさと、和田誠さんの装丁の洒脱さ(愛らしいけど怖い)に惹かれて買ってみた。

 もとは昭和9年(1934)神田淡路町の岡倉書房から著者の自画自装で刊行された短編集で、12編の怪談小説と随筆「怪異雑記」を収める。幕末の怪談狂言に取材した「お岩伊右衛門」、「十人の中、三人ぐらゐはチョン髷があってまだ蝙蝠傘といふものの珍しい時分」で始まる「空家さがし」など、全体に江戸のゆっくりした時間が流れている。按摩、仲間(ちゅうげん)、茶見世の婆、旅の僧、乞食など、登場人物も江戸ふうだ。鉄道や電話など、近代ならではの小道具が登場すると、少し違和感を感じてしまうのだが、著者の蘆江(1882-1953)は、それほど江戸に近い生まれではなく、日露戦争以降に本格的に活躍した世代である。

 だから、蘆江の描く江戸は、体験から浮かび上がってくるものではなく、どこか知的に構成された感じがする。いや、でも、花柳界や演劇界は、江戸も明治も一続きだったのかな…。よく分からない。

 少なくとも、登場する女性は着物姿しか思い浮かべることができない。男性も、まさかチョン髷は頭に載せていないと思うが、古風な道徳を身につけた紳士である。しかし、だからこそ、男性も女性も、抑えつけた情念が、われしらず噴きこぼれるようなところが、蘆江怪談の怖さではないかと思う。「火焔つつじ」はすごいなあ。読めば読むほど怖い。「投げ丁半」は怪談の味付けをしているが、旦那持ちの芸者と旦那の親友の、モヤモヤした関係を主題とした一編。こういう大人の「情話小説」が、私はわりと好きだ。現代小説には望むべくもないと思うが…。子どもにだけ姿を見せる「二階の叔母さん」を描いた「うら二階」は、一種のジェントル・ゴースト・ストーリーだが、いつか幽霊の態度が豹変するのではないかという不安が残って、やっぱり怖い。

 あと、本書を読んでいて、川に飛び込んで心中したり、野辺に打ち捨てられた死体は、時間の経過によって、顔が分からなくなることが多かったんだなあ、と気づいた。江戸の怪談にのっぺらぼうがよく登場するのは、当時の人々が、死体に遭遇する機会が多かったことの反映なのだろう。あれは「死体」の生々しさなのだ、と思ったら、怖くなった。

 ところで、ウェッジ文庫って、聞かない名前だと思ったら、東海旅客鉄道(JR東海)グループの出版社(株)ウェッジが出しているのだそうだ。あの、いろんな図書館にムダに送りつけられている雑誌「WEDGE」を出しているところか、と思ったが、書籍(特に文庫)のラインナップを見ると、なかなか面白い作品を取り上げている。注目しておこう。
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阪神大震災から考える/歴史への問い/現在への問い(大門正克)

2011-04-14 02:03:18 | 読んだもの(書籍)
○大門正克『歴史への問い/現在への問い』 校倉書房 2008.3

 最初に本書との「出会い」を書いておきたい。2011年3月11日に起きた東日本大震災。東京は、その翌週から節電の取り組みが始まり、鉄道は間引き運転、店はどこも早じまいとなった。おかげで、通勤帰りに都心の書店に寄ることもできない。仕方ないので、昼休みに、職場近くの本屋を物色していたら、本書が目についた。

 大門正克氏の名前は、小学館の「全集 日本の歴史」の著者として認識があった。パラパラめくってみたら、昭和史論争とか社会史研究から国民国家論へなどのキーワードが出てきて、面白そう(読み応えがありそう)だったので、購入した。先週、あらためて冒頭を開いてびっくりした。「震災が歴史に問いかけるもの」という章見出しが飛び込んできたのだ。これは、95年の阪神淡路大震災から2年後に書かれた文章であったが、まるで今回の大震災の未来から呼びかけられているような、不思議な錯覚を味わうことになった。

 その文章に言う、「大震災という日常を超えた事態が起きたときには、むしろ日常で見えにくい社会の断面が切り開かれたのではないかという印象をもった」「震災の断面から何を見たのかという問いへの答えは、そのままその人の立脚点を映し出すことにもなった」云々。

 本書が基本的な主題にしているのは、90年代の歴史認識である。新自由主義とグローバリゼーションの進行を背景に、日本では、歴史と歴史の見方をめぐって議論が重ねられた。議論の的となったのは国民国家論である。著者は、90年代の代表的な国民国家研究(西川長夫、成田龍一、牧原憲夫)および自由主義史観の坂本多加雄氏による「国民の物語」論を紹介し、このような国民国家論の興盛が日本特有の事象であること(フランスの代表的な国語辞典には「まだ」この言葉がない)、自由主義史観が提唱する「新しい国民意識」も、逆に「国家にからめとられることを忌避する個人」像も、「強い個人」を前提としている点が共通することを指摘する。

 著者自身は、国家や企業などの「つながり」の装置が、個人を抑圧する「しがらみ」として働く危険性を認めながら、それでも「われわれ」にこだわることに意味を見出そうとする。民衆を「国民化される客体」として眺めるのみでなく、国民であると同時に、地域社会の一員でもあり、個人でもある「さまざまな私」を議論の出発点としたい、と説く。

 著者がこのような認識に至るまでには、震災という極限状況で「つながり」「きずな」の再生を求めた人々の営為に何を学ぶか、どう向き合うか、という切実な問題があった。著者の思考の軌跡は、具体的な震災記録の編纂・保存・展示等をめぐる文章から追うことができる。本書のほぼ半分近いページは、阪神大震災に関わる文章に割かれている。

 私は、日ごろ、「国民国家」を忌避する成田龍一氏の議論に共感してきた。歴史認識だけではなくて、現在の社会についても、今回の東日本大震災が、一足飛びに「がんばれ日本」「日本はすごい」という国家的統合意識に結びつく状況に、かなり居心地の悪さを感じていた。ただし、そういう自分の感じ方は、個人主義を生活の基本とする都市住民に特有のものではないか、というのも、今回の震災報道の中で考えてきたことである。

 国家は国民を抑圧するためだけの装置ではない。人々は生きるために国家を必要とし、国家を創り出す主体となることもできる。この議論はどこかで読んだな、と思って、いま、読書記録を読み返し、宇野重規の『〈私〉時代のデモクラシー』が「社会」について語っていたことと共通するように思った。

 震災報道は、人と人の「つながり」の意味を考え直す契機を与えてくれている。その一方、そもそも、家族・仲間など、悼むべき他者との「つながり」を持たない人々は、報道に取り上げられることがないのではないか、とも思う。勝手な想像だが、原発事故の現場作業に当たっているのは、そういう「つながり」から排除された、社会の最弱者が多いのではないか、と思うこともある。
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歴史資料のウラとオモテ/貴重資料展I 歴史と物語(国立公文書館)

2011-04-11 21:28:25 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立公文書館 平成23年度春の特別展『国立公文書館創立40周年記念貴重資料展I 歴史と物語』(2011年4月2日~4月21日)

 恒例の春の特別展。今年は、国立公文書館創立40周年の記念展だというので、貴重書が揃うことは予測できたが、逆に総花的すぎて、面白くないのではないか、と危惧していた。会場のオモテ側、入ってすぐの展示ケースには、まず古事記と六国史。家康が公家や寺社が秘蔵する古書古記録類を書写させた「慶長御写本」が並ぶ。文字が大ぶりで、行間がゆったりしていて読みやすい。紺表紙なんだな。そのあとも教科書に載るような歴史書・歴史物語が続く。

 ロ字型の展示ケースに沿って、ウラにまわる頃から雰囲気がやわらかくなる。『秋夜長物語』は男色を主題とする稚児物語の代表作(永青文庫が絵巻を所蔵)。参考に『慕帰絵詞』から、美少年の稚児の肩を抱く、にやけた表情の僧侶の図が並べられ、主人公の覚如(親鸞の曾孫)は類まれな美少年で、延暦寺の宗澄の稚児となったが、三井寺の浄珍が武力で覚如を強奪した、という解説が添えられている。へえー知らなかった。隣りの『大乗院寺社雑事記』(重文)は、興福寺塔頭、大乗院の門主尋尊の日記。展示の紙背文書には、僧能信が、蚊帳の内で門跡(尋尊)が稚児を寵愛したことを思い出してせんずり(自慰)をしたという記述がある。わざわざ翻刻を隣りにおいて、原文が解読しやすいように配慮してくれる念の入れよう。なお、無料配布の展示図録では、具体的な記述は知らぬ顔でカットしているのが可笑しい。

 そういえば、『日本三代実録』の解説にも、伴善男の応天門放火事件の箇所を開きながら、「実は藤原氏による他氏排斥の謀略だったとか。」としれっと書いてあって、「とか」はないだろう、「とか」は…と笑ってしまった。この一文も展示図録にはなし。

 「武力の世界」のセクションは、誘拐・人買い・刈田狼藉が横行し、強い大名は豊かになり、弱い大名は消えていく「リアルな戦国の世界」を史料で紹介する。『続群書類従』に掲載された江戸期の資料ではあるが、『甲斐国妙法寺記録』には、信濃国志賀城を落した小山田信有(羽州殿)が、城主笠原清繁の妻を貰い受けたことを記す。これは大河ドラマ『風林火山』の美瑠姫のことか!

 「戦国の女性」の実像を知るために展示された『おあむ物語』は強烈。石田三成の家臣の娘が、後年、関ヶ原の戦いの様子を語った追憶談の筆録だそうだが、挿絵には、男たちの獲ってきた敵方武将の首を、戦後の恩賞のため、少しでも見栄えよく化粧する女たちの姿が描かれている。背景には作業の済んだ(?)生首がごろごろ。大阪城の落城に立ち会った『おきく物語』も壮絶。帷子三枚、下帯三枚を着込んで逃げた、などのディティールが生々しい。TVドラマがいかにそらぞらしいつくりものであるかを、あらためて思う。

 「歴史と物語」では、歴史的な事実から物語が生まれていく過程を、年代順に史料を読んでみることで検証する。豊臣秀次の場合、後世の史書ほど「残虐な性格」が強調されていくことが分かる。お江については、保科正之(秀忠の庶子)の出生を取り上げる。嫉妬深い(といわれた)お江を憚り、保科正之を引き取って養育したのは、見性院(武田信玄の次女)だったのか。「私は女にこそ生まれましたが、弓矢の駆け引きで世に知られた信玄の娘、少しも心配はいりません」という見性院の言葉は、会津藩士がまとめた史書『千歳の松』から。どうもこの展示の担当者は、武田びいきなのではないかと思われる。

 中国古籍は、四大奇書とそのもとになった正史を分かりやすく解説。最後に、学者大名・市橋長昭(1773-1814、仁正寺藩主)が湯島聖堂に献納した貴重書(宋元版30部、うち21部が現蔵)を紹介する。「顔氏家訓曰、借人典籍、皆須愛護、先有缺壞、就爲補治。此亦士大夫百行之一也」という大振りな朱印が押されたものが多く、調べたら「顔氏家訓に曰く、人の典籍を借らば、皆須く愛護し、先ず缺壞[けっかい]有らば、就きて爲に補治すべし。此れ亦士大夫百行の一なり」と読み、借りた本は大切にしなさい、もし破れたり、題箋が剥がれかけたりしていたら、直しておく。これは(つまらないことのようだが)士大夫の行いである、というような意味らしい。なかなか味わい深い。
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洒落者たちの19世紀/グランヴィル(練馬区立美術館)

2011-04-10 22:05:26 | 行ったもの(美術館・見仏)
練馬区立美術館 鹿島茂コレクション1『グランヴィル-19世紀フランス幻想版画展』(2011年2月23日~4月10日)

 震災の影響と年度末のゴタゴタに取り紛れて、行き逃すところだったが、臨時休館分を補って、会期を1週間延長してくれたおかげで、行くことができた。ありがとう!

 以前にも書いたが、私が西洋の挿絵本の美しさを知ったのは、1980年代の荒俣宏氏の仕事による。同氏の『絵のある本の歴史-Books beautiful』(平凡社, 1987)は、今も私の愛蔵本である。J.J.グランヴィル(1803-1847)の名前も、荒俣さんの著作で覚えた。荒俣さんは、主に幻想画家としての仕事を紹介していてけれど、グランヴィルに風刺画家の一面があることを知ったのは、2008年、伊丹市立美術館の所蔵品展『花開く風刺画-フランス』だったと思う。宮武外骨展を見に行ったら、併設でやっていたんだけどね。『現代版変身譚』の1枚「オレはオレのために生きているんだ」の熊さんを見て、あ!これ知ってる!と記憶がよみがえった。ムーミンに出てくるじゃこうねずみみたいな、拗ね者の顔をしている。

 グランヴィルは、動物の擬人化を得意としたが、その選択がいかにも面妖である。多少なり愛着や共感の湧くイヌ、ネコ、哺乳類に比べて、鳥、魚、昆虫、両生類などの登場率があまりにも高い。このひと、基本的に人間嫌いだったのかなあ、と思う。

 解説に「所蔵者による手彩色」と注記された作品が多かったが、当時の挿絵本は、モノクロの石版や木版で刊行されたあと、購入者が自分で(というか、彩色の請負業者に依頼して)手彩色を施したものらしい。だから、同じ図版でも、さまざまな彩色バージョンがある。これはコレクターになったら、止められないだろうな。ピンクや青、緑など、蛍光色と見まごうくらい鮮やかな版もある。

 最近ようやく西洋各国史が少し分かるようになり、登場人物たちの服装を見て、あ、この間読んだ『レ・ミゼラブル』の同時代だ、と思った。『椿姫』『ラ・ボエーム』の時代でもある。19世紀のフランスというのが、実に多事多端で混乱に満ちた、しかし偉大な世紀だったということが、最近、少し分かるようになってきた。そうした歴史背景を除いては、グランヴィルの風刺画の意味も魅力も半減するのではないか。鹿島茂氏は展示図録の中で、1800年の前後に生まれ、19世紀とともに歳を重ねた「世紀児」たち(こういう表現があるのか)バルザック、ユゴー、デュマたちの世代的特質に触れている。

 今回、へえ、こんな作品もあるのか、と認識を新たにしたのは『ガリヴァー旅行記』(1838年、仏語新訳版)。『レ・ゼトワール(星々)』や『フルール・アニメ(生命を与えられた花々)』の抒情的幻想性とはずいぶん異なる、大胆な構想が新鮮だった。

 練馬区立美術館は、今後も鹿島茂氏の蒐集作品群を「連続的に展覧する」予定だという。おお!嬉しい。えっと…『娼婦の館』シリーズの資料コレクション展も、いつかやってくれるのかな? 期待しておこう。
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日本の隠れ里から/白洲正子 神と仏、自然への祈り(世田谷美術館)

2011-04-09 08:09:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
世田谷美術館 『白洲正子 神と仏、自然への祈り-生誕100年特別展 世田谷美術館開館25周年記念』(2011年3月19日~5月8日)

 桜が咲き始めてから行こうと思っていたのだが、先週、『NHK日曜美術館』が白洲正子展を取り上げていた。うわあ、こんなに仏像や神像が来ているのか、という衝撃と、金剛寺の『日月山水図屏風』が出ているのを見て(今なら見られる!→4/10まで展示)飛び出してしまった。

 同館は、チケット売り場から会場まで長い回廊が続く。窓に緑色のシートを貼って、深い森の中を抜けていくような錯覚を起こさせる。そして、ホールの壁に映し出されているのは、那智大滝のビデオである。隣りには、熊野速玉大社の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)坐像。展示ケースが小さくて、ちょっと窮屈そうだが、間近に寄って見られるのはうれしい。

 大好きな『日月山水図屏風』は、わりと入口に近い位置にあった。あんまり好きなので、これまで何回見たのか忘れていたが、7年間のブログ記事検索をかけると、2007年のサントリー『BIOMBO』展に続いて、やっと2回目らしい。前回の記憶は薄いが、今回は、薄緑色の背景が作品にぴったりで、とてもよかった。地紙の薄茶と、金、白、緑の配分が絶妙。バームクーヘンのように襞を重ねた雪山の白が、金泥の雲以上に華やかであること、緑の濃淡で描かれた深山が、多様な樹木の種類を表していること、もとは銀泥を盛り上げたかと思われる波頭が、踊るように身をくねらす松の枝と一緒になって、レースの網を引いているように見えること、など、細部にさまざまな発見があった。

 そして、驚くほど多数の神像。建部大社の女神像は、2009年、大津市歴史博物館で見た。松尾大社の女神像は、顔は小さいが、はっきりした目鼻立ちで、威厳がある。垂髪でなく、きちんと髪上げしている点にも注目。膝を開いた胡坐座だろうか。家津美御子大神は膝を揃えて、正座をしているように見えたのに。神像は座り方が気になる。

 仏像は、NHK『日曜美術館』のセレクションと全く重なるが、正子が愛蔵していた十一面観音立像(頭上の大きな観音面が磨滅して、恐竜の背びれのようになっている)と、奈良・松尾寺の焼け仏(トルソー)が印象的だった。焼け仏は、左右の脇が大きくえぐれているのは、千手の腕を差しこんであったため、という説明に納得した。岐阜・日吉神社の十一面観音坐像も、剥げかかった白塗りの胡粉が愛らしく、たよりなげで、忘れられない。愛らしさという点では、正子旧蔵の犬の石像(グーフィーみたい)とか、高山寺の狗児とか、相撲人形とか、キュンキュンするものがたくさんあった。正子さん、意外と可愛いもの好きなのね。

 リストの「所蔵先」を見ると、滋賀県が多いが、和歌山、奈良、岐阜、愛知なども。「隠れ里」を求めた正子の足跡どおり、有名寺院は少ない。この展覧会のために、よく集めたなあ、と感慨深く思われる。たぶん個人で現地に足を運んでも、なかなか見ることのできない美術品に出会うことのできる貴重な機会となっている。その点では、観客の行動を見ていると、展示に添えられた正子の文章を読むことに夢中になって、展示品自体に視線を向けている時間が少ないのは、もったいない気がする。

 私は、近江好き、熊野好き、西国巡礼好きであるけれど、実は白洲正子(1910-1998)の本は1冊も読んだことがない。強く影響されそうで、敬遠してきたのだ。これから少し読み始めてみようと思っている。

 図録は、未製本のリーフを紙箱に収めた形態(古い洋書みたい)をとっている。好みの写真を抜き取って飾れるということらしいけど、通覧性がないので良し悪しだと思った。
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