見もの・読みもの日記

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日本の隠れ里から/白洲正子 神と仏、自然への祈り(世田谷美術館)

2011-04-09 08:09:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
世田谷美術館 『白洲正子 神と仏、自然への祈り-生誕100年特別展 世田谷美術館開館25周年記念』(2011年3月19日~5月8日)

 桜が咲き始めてから行こうと思っていたのだが、先週、『NHK日曜美術館』が白洲正子展を取り上げていた。うわあ、こんなに仏像や神像が来ているのか、という衝撃と、金剛寺の『日月山水図屏風』が出ているのを見て(今なら見られる!→4/10まで展示)飛び出してしまった。

 同館は、チケット売り場から会場まで長い回廊が続く。窓に緑色のシートを貼って、深い森の中を抜けていくような錯覚を起こさせる。そして、ホールの壁に映し出されているのは、那智大滝のビデオである。隣りには、熊野速玉大社の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)坐像。展示ケースが小さくて、ちょっと窮屈そうだが、間近に寄って見られるのはうれしい。

 大好きな『日月山水図屏風』は、わりと入口に近い位置にあった。あんまり好きなので、これまで何回見たのか忘れていたが、7年間のブログ記事検索をかけると、2007年のサントリー『BIOMBO』展に続いて、やっと2回目らしい。前回の記憶は薄いが、今回は、薄緑色の背景が作品にぴったりで、とてもよかった。地紙の薄茶と、金、白、緑の配分が絶妙。バームクーヘンのように襞を重ねた雪山の白が、金泥の雲以上に華やかであること、緑の濃淡で描かれた深山が、多様な樹木の種類を表していること、もとは銀泥を盛り上げたかと思われる波頭が、踊るように身をくねらす松の枝と一緒になって、レースの網を引いているように見えること、など、細部にさまざまな発見があった。

 そして、驚くほど多数の神像。建部大社の女神像は、2009年、大津市歴史博物館で見た。松尾大社の女神像は、顔は小さいが、はっきりした目鼻立ちで、威厳がある。垂髪でなく、きちんと髪上げしている点にも注目。膝を開いた胡坐座だろうか。家津美御子大神は膝を揃えて、正座をしているように見えたのに。神像は座り方が気になる。

 仏像は、NHK『日曜美術館』のセレクションと全く重なるが、正子が愛蔵していた十一面観音立像(頭上の大きな観音面が磨滅して、恐竜の背びれのようになっている)と、奈良・松尾寺の焼け仏(トルソー)が印象的だった。焼け仏は、左右の脇が大きくえぐれているのは、千手の腕を差しこんであったため、という説明に納得した。岐阜・日吉神社の十一面観音坐像も、剥げかかった白塗りの胡粉が愛らしく、たよりなげで、忘れられない。愛らしさという点では、正子旧蔵の犬の石像(グーフィーみたい)とか、高山寺の狗児とか、相撲人形とか、キュンキュンするものがたくさんあった。正子さん、意外と可愛いもの好きなのね。

 リストの「所蔵先」を見ると、滋賀県が多いが、和歌山、奈良、岐阜、愛知なども。「隠れ里」を求めた正子の足跡どおり、有名寺院は少ない。この展覧会のために、よく集めたなあ、と感慨深く思われる。たぶん個人で現地に足を運んでも、なかなか見ることのできない美術品に出会うことのできる貴重な機会となっている。その点では、観客の行動を見ていると、展示に添えられた正子の文章を読むことに夢中になって、展示品自体に視線を向けている時間が少ないのは、もったいない気がする。

 私は、近江好き、熊野好き、西国巡礼好きであるけれど、実は白洲正子(1910-1998)の本は1冊も読んだことがない。強く影響されそうで、敬遠してきたのだ。これから少し読み始めてみようと思っている。

 図録は、未製本のリーフを紙箱に収めた形態(古い洋書みたい)をとっている。好みの写真を抜き取って飾れるということらしいけど、通覧性がないので良し悪しだと思った。

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