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見もの・読みもの日記

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シンポジウム『闘いとしての政治/信念としての政治』(野中広務、森達也、姜尚中)

2009-12-16 22:19:26 | 行ったもの2(講演・公演)
○東大情報学環主催 シンポジウム『闘いとしての政治/信念としての政治』(2009年12月14日 18:00~)

 11月初め、この企画を後援する毎日新聞社のネットニュースで告知を見つけた。行きたいけど、平日じゃ難しいな…と思っていたら、直前の週末に出勤命令が下り、この日は振替休に。でも、もう予約でいっぱいだろう、と思ったら、あんまり観覧希望者が多いので抽選になったとのこと。11月中旬、駄目モトで応募してみたら、当たった。思わず、ガッツポーズ!! 当日、180人収容の福武ホールラーニングシアター(東大構内)は、開演時間には、ほぼいっぱいになった(当選通知のあと、主催者からキャンセル確認のメールが流れただけのことはある)。

 最初に登壇したのは野中広務さん。テレビで見ていたより、ずんぐりした印象。30分ほどの"基調講演"のはずだったが、ご自身の閲歴を滔々と話し始められた。はじめ、簡単な自己紹介から入るのかな、と思ったら、京都の被差別に生まれ(はっきりそうおっしゃった)、しかし愛情深い両親に育てられ、当時はめずらしかった幼稚園に入り、上級の学校に進み、模範的な軍国少年となり、待ち焦がれた召集令状を手にし、8月17日に終戦を知り、割腹自殺を決意したが、上官に「その勇気があるなら、東條英機に一太刀浴びせてから死ね。そうでなければ新しい日本を立て直せ」と一喝されて生き延びることになり…と、息をもつかせぬ一代記が続く。あっ、これが野中さんの講演の「本題」なんだ、と私が気づいたのは、30分の半ばが経過した頃だった。

 私は政治家の講演を聞いた経験はほとんどないのだが、これは政治家の「語りの作法」(のひとつの典型)なのかもしれない。大学の教員や学者の講演を聞くとき、私(たち)は、話者がどんな人生を過ごしてきたか、ということには、ほとんど関心を持たない。彼の思想や主張が、どんな体験から生まれたか、ということにも。「学問の言葉」と「政治の言葉」の明らかなスタイルの違いは、その後のセッションで、ますます明らかになった。

 続いて、司会の北田暁大氏、シンポジストの森達也氏、姜尚中氏が登壇し、野中広務氏に質問を投げかけた。森氏も姜氏も、決して観念だけで物を言うタイプではないのに、「野中さんにとって権力の源泉とは」「被差別という少数派の生まれと、多数派の自民党の幹事長という役割のアンビバレンツ(両義性)について」などの質問に対して、野中氏は、まるで意地悪く身をかわすように、「それについては、私が初当選したとき…」という調子で、具体的な、ある時・ある所の体験を以て答えにしてしまう。そのたび、司会の北田さんが「今のお話の…の部分は、…という意味のお答えだと思います」と、具体→抽象への「変換器」の役割を負わなければならず、かなり苦労なさっているように見えた(面白かったけどw)。

 もちろん、きちんと噛み合った対話もあって、姜尚中氏の「保守とは何を守るものか?」という問いに対して、野中氏が「平和。反戦。そして生活(全ての日本人に中産階級の生活を可能にすること)」と即答したのは印象的だった。さらに、野中氏は、憲法9条よりも「村山談話」こそが今の日本の改憲・軍拡路線の防波堤になっていることを指摘し、戦後50周年のタイミングで村山内閣が成立し(自民党にはできなかった)談話を出してくれたことは「天の配剤だった」という表現で絶賛された。いやーびっくりしたね。このひと、本当に自民党の幹事長だったのか?!と思った。これは右翼に狙われるわけだ…。ちなみに、野中さんの登壇中、舞台袖の出入口には、制服姿のガードマンが身じろぎもせず立ち続けていた。

 このほか、イラク派兵を決める投票に際して「退席」という態度で主張を守ったこと、小渕総理に「正しい歴史教育を」と迫った江沢民氏の印象など、マスメディアには上がってこない、生々しい「政治語り」が聞けて面白かった。姜氏が、自民党結党50周年記念番組(2005)の収録控え室で「自民党は終わった」と感じた話も痛烈だった(委細略)。共通するのは「歴史」をあなどる保守政治家に「保守」の価値はない、ということだと思う。

 デモクラシー(多数派の優越)というのは、比較的よくできた合意形成システムではあるけれど、決して完全無欠の策ではない。処方を誤れば、大変なことになる、ということを、あらためて感じた。そこに抗することができるのは、やはり、リアリストとしての政治家だろう。姜氏が、野中氏を金大中氏に比して「政治家=リアリストは自殺しない」とおっしゃったのも印象的だった。むろん、そこには、政治家になりきれなかった政治家、盧武鉉氏の存在が、陰画のように浮かんでいたと思う。

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