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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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絵画か写真か/画家の眼差し、レンズの眼(神奈川近美・葉山)

2009-08-05 22:11:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
神奈川県立近代美術館(葉山) 『画家の眼差し、レンズの眼-近代日本の写真と絵画』(2009年6月27日~8月23日)

 写真と絵画の関係を、近代日本の美術を素材に考える展覧会。19世紀・幕末、西洋から日本に伝わった写真技術は、人々の「ものを見る」という知覚に大きな驚きと発見を与えた。

 初期の写真師は同時に洋画家でもあった。たとえば、島霞谷(1827-1872)と横山松三郎(1838-1884)。名刺大の小さな写真を集めた島霞谷の「アルバム」には、日本人男女のスナップに混じって、ナポレオンや磔刑のキリストの(もちろん絵画の)写真が貼り付けてあるのが面白いと思った。あと、展示の趣旨には何もかかわりないのだが、肖像画(写真?)を見て、島霞谷ってオトコ前だな~と感じた。横山松三郎も、芸術家らしくて印象の強い風貌である。

 はじめは、画家たちが写真に学ぼうとする。洋画の先駆者・高橋由一(1828-1894)が描いた、いくつかのモニュメンタルな風景画(山形市街図、宮城県庁門前図など)には、高橋が参照したとおぼしい同構図の写真が残っている。もう少し時代が下って、日本の風土に根ざした写実表現を確立したと言われる浅井忠(1856-1907)も、写真や絵葉書を利用していることが「最近の研究で明らかになってきた」そうだ。『農夫帰路』(※新潮日本美術文庫の表紙)と、その元ネタとなった古写真が並べられており、一目瞭然である。ただし、浅井は人物の数を減らし、舞台を農家の前から広い農道へと、自由な換骨奪胎を施してもいる。

 浅井の門下生、倉田弟次郎のコンテ絵3点は、写真の迫真性に肉薄した執念の作品である。たまたま、そのうち1点は元ネタが発見されたことから、他も写真や絵葉書を参照したものだろうと推測されている。でも、こういう元ネタ探しって、索引にたよるわけにもいかないので、ずいぶん難しいだろうなあ。

 興味深いのは、やがて写真が絵画を模倣し始めることだ。明治半ば以降、写真家は絵画を意識した写真を制作するようになる。同時期に水彩画が流行し、風景を絵画的に(美術的に)とらえることが一般化し、これをもとに「ピクトリアリズム(絵画的写真)」と呼ばれる風景写真が流行する。代表的な作品が、黒川翠山の、松並木の下を歩む蓑笠姿の農夫をとらえた1枚(題不詳、明治時代→画像あり)。白と黒のぼんやりしたコントラストが描き出す幽玄の空気は、松林図屏風さながらだ。よく見ると、片隅に作者(撮影者)の朱印が押されていて、絵画製作と同じ意識だったんだなあ、と思う。

 1900年代には、ゴム印画、ブロムオイル印画などの焼付け方法が登場し、写真を水彩画ふう、銅版画ふうに仕上げることが可能になる。フォトショップの特殊効果みたいだ。ピクトリアリズムは一層進化して、版画ぶう、日本画ふう、あるいは人物画や静物画に及ぶ。作品解説の作者名や制作年代を気にすることはあっても、技法(絵画?写真?)を確かめずにいられない展覧会というのは、めったにない。写真と思えば絵画、絵画と思えば写真、という「胡蝶の夢」のような酩酊感が新鮮だった。

 不満なのは、有料の展示図録以外、出品リストが用意されていなかったこと。会場で配布しないまでも、せめてネットには載せてほしい。上記、簡単なメモと記憶をたよりにかいているので、間違っていたらご容赦。

↓こんなのを発見。
■黒川翠山撮影写真資料(京都北山アーカイブズ/京都府立総合資料館)
http://www.pref.kyoto.jp/archives/shiryo1/index.html
芸術性豊かな記録資料という、二律背反ぶりが面白い。
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講演会・東京国立博物館収蔵の古写真と写真師小川一真

2009-08-03 23:55:52 | 行ったもの2(講演・公演)
○東京国立博物館 月例講演会『東京国立博物館収蔵の古写真と写真師小川一真』(2009年8月1日)

 東博には、しょっちゅう通っているのに、月例講演会を聴くのは初めてである。こんな地味なテーマで大講堂が埋まるのかな、と思ったら、それなりに人が入っていた。この講演会は、本館16室(歴史資料)で開催中の特集陳列『古写真-小川一真と近畿宝物調査-』(2009年7月28日~2009年8月16日)の関連企画である。同室が古写真を取り上げるのは、これが3度目とのこと。過去2回は、以下のことらしい。

・『古写真-記録と記憶-』(2007年6月5日~2006年7月1日)
・『古写真-古美術の記録-』(2008年7月8日~2008年8月3日)

(1)演題:「東京国立博物館収蔵の古写真について」/講師:東京国立博物館書跡・歴史室長 冨坂賢

 はじめに冨坂賢氏から、東博は、焼付け(プリント)2万~4万点、ガラス原版5万~10万点を保管しているという話があった。あんまり幅がありすぎるようだが、はっきり言えば「全貌は不明」なのだそうだ。現在のところ、銀板写真、湿板ガラス写真、乾板ガラス写真までを「古写真」と呼んでいるが、これだけデジタルカメラが普及してくると、まもなくフィルムも「古写真」の範疇に入るのではないか、というお話に、驚きながら納得した。

 東博では、平成8年から所蔵古写真の調査を開始し、その成果の一部を画像データベースとして公開している。ご存知でした? 東博のTOPページの右下にある「東京国立博物館情報アーカイブ」をクリック→左列メニューの「研究成果/データベース」をクリック→データベース一覧より「東京国立博物館所蔵 古写真WEBデータベース」をクリック→同データベースの概要表示・URLをクリック→やっと「古写真データベース」にたどり着く。データベース自体は、とても丁寧に作られていて、古写真の台紙の裏面を必ず撮影している点は、さすがモノを扱い慣れた博物館の気配り、と思って、私は感心した。でも、リンクが深いなあ…。しかも、これかな?と思って「画像を探す」をクリックすると、全く違うデータベースに接続してしまうみたいである。分かりにくい。

 それから、この「古写真データベース」には、小川一真が、明治34年(1901)北京で撮影した写真(伊東忠太の調査に同行)が収められていて興味深いのだが、これを、たとえば東京大学東洋文化研究所の「山本讃七郎写真ガラス乾板データベース」などと、横断検索することってできないのかなあ。「太和殿」とか「天安門」というキーワードで。こうした使い勝手の点では、まだまだ博物館のデジタルアーカイブは、図書館のデータベースに一歩を譲る感じがする。

(2)演題:「小川一真と近畿宝物調査について」/講師:江戸東京博物館学芸員 岡塚章子氏

 岡塚章子氏の講演では、写真家・小川一真の人となりを、あらためて知ることができた。小川は、アメリカで写真術のほかに印刷術も学んできており、彼の開いた写真館玉潤館は、当時の総合的なメディアラボだったと考えられる、ということや、写真師で帝室技芸員に選ばれたのは、後にも先にも彼ひとりであるとか。自ら恃む性格だったんだろうなあ、晩年は、東京写真師組合を除名されるなど、もめごとが多くて、あまり幸せではなかったみたいである。

 上記、それぞれ20分ほどの短い講演のあと、東京都写真美術館専門調査員の金子隆一氏を司会に、三者による鼎談。ここで、W.K.バルトンというお雇い外国人の名前を初めて聞いた。土木工学・衛生工学の貢献に加えて、日本写真会創設に尽力するなど、写真界にも大きな足跡を残した人物であるらしい。明治26年(1893)には「外国写真画展覧会」を開催し、記録写真でない、芸術写真の観念も日本に紹介しているとか。台湾にも渡っているのね。

 会場から講師への質問に「古写真の保存でいちばん気を使うことは?」というのがあり、当然、温度・湿度・暗さ、みたいな答えになるのだろうと思っていたら、金子氏が「それは、第一に捨てないことです。保存していこうと考えることです」とおっしゃったのは印象的だった。確かに。温度や湿度は、そのあとの話。
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青と白に魅せられて/染付(東京国立博物館)

2009-08-02 23:53:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 特別展『染付-藍が彩るアジアの器』(2009年7月14日~9月6日)

 夏にふさわしく、青と白の器「染付(青花)」の展覧会。ポスターを見て、おや、と思った。私の最も好きな染付『青花蓮池魚藻文壺』(元代、大阪市立東洋陶磁美術館蔵)が大きくフィーチャリングされているではないか! 展示室のトップを飾るのも、この壺である。しかも、あたり一面を、この壺の文様を拡大したパネルが囲むという演出つきで。

 私がこの壺と出会ったのは、2004年、出光美術館の『磁都・景徳鎮1000年記念 中国陶磁のかがやき』展でのこと。本当に壺の中を魚が泳ぎ、水草がそよいでいるような、生き生きした図柄に魅了されて、数ある作品の中でこれだけを覚えて帰ってきた。その次の印象的な再会は、2007年、三井記念美術館の『安宅コレクション』展。この展覧会で得た情報によれば、本品は、昭和48年まで、全く人に知られずに個人宅に秘蔵されていたそうだ。処分を任された茶道具商が入札にかけると、瞬く間に出だしの数十倍の価格になり、後日、安宅英一は、さらにその倍以上の価格で落札者から購入したという。そして、とうとう、あらゆる時代と地域を越えて(本展は、染付=青花が完成した元代・14世紀から19世紀まで、中国・日本・朝鮮・ベトナムの作品を扱う)「アジアの染付」の代表に選ばれたわけだから、出世したものだなあ、と思った。

 ひとつ苦言を呈すると、冒頭の展示ケースは、上からの照明が強すぎる。壺のふくらみから下の部分(見どころの魚の絵が描いてある側面)が、影になってしまっているのがさびしい。ついでにもうひとつ言っておくと、展示図録も、照明の処理がよくない。どの図版も、照明を反射した部分が、白ペンキをなすったように色が抜けてしまっている。三井の『安宅コレクション』展の図録とか、静嘉堂文庫の『清朝陶磁』の図録とか見たけど、もっと丁寧に処理されている。ちょっと手抜きじゃないか、東博。

 とはいえ、冒頭から元代の染付(青花)が6点も集められているのは嬉しい。東洋陶磁美術館(安宅コレクション)から2点、出光から1点、東博から3点(うち1点は、なぜか博覧会男・田中芳男寄贈)。出光の『青花明妃出塞図壺』は、西域の匈奴の王に嫁ぐ王昭君(明妃)の姿を描いたものだが、ウラにまわると、髭面の西域人の姿が描かれているので、お見逃しなく。

 明代の民窯に多い「雲堂手」は初めて認識した。ゴーヤの輪切りみたいで面白い。明代後期・万暦年間(1573~1620)に入ると、質の低下が著しくなるというが、『青花蝶文双耳瓶』はいいと思う。明末清初には、濃染め(だみぞめ)が一般化し、立体感のある岩や山水を描くものが多くなった。呉洲手(呉州手、呉須手、ごすで)と呼ばれる、雅味のある日本人好みののやきものは、福建省の漳州が産地なのだな。『青花赤壁図鉢』とか『呉州染付冠文火入』とか、実際に使ってみたいと感じさせるものが多い。明末清初(17世紀)と同時代に、日本でも初期伊万里の焼成が始まる。『瑠璃地染付蓮図水指』は解説に、中国とは異なる(日本的な)温容さを感じさせる、みたいなことが書いてあったけど、私は、朝鮮の染付に似ているような気がした。

 最後の展示室は、予想外の「お楽しみ」が待っていた。壁の両面を埋めるのは、平野耕輔が寄贈した江戸後期~幕末の染付大皿コレクション60余点。大胆で奇抜な意匠が多くて面白い。参考までに「平野耕輔先生の略歴とその功績」(窯業協会雑誌、1948年)はPDFファイルで全文が読める(NII CiNii)。また、朝食、昼食、夜の茶会をイメージして、それぞれ「染付の美を活かす」テーブルセッティングを展示してみせたのも(私立の美術館ではありがちだが)東博では新しい試みではないかと思う。特に、大きな展示ケース内に”茶室”を作ってしまった「夜、月見の茶会」は見もの。染付は水指1点だけなのだが、松花堂昭乗の『月画賛』を掛け、『玉兎搗薬文磚』(楽浪時代・1~3世紀!!)を配した、さりげなく贅沢な床の間飾りに唸ってしまった。ここの照明は、時間による変化が演出されていてよかった。染付やその他の焼きものを手にとって触れてみるコーナーも新機軸だと思った(対象が染付なので、あまり活きてないけど)。陶磁器は、ハマればハマるほど奥が深く、まだまだ面白く見せることができる素材だと思う。
コメント (3)
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