○内藤湖南『支那論』(文春学藝ライブラリー) 文藝春秋 2013.10
内藤湖南(1866-1934)は、ジャーナリストから京都帝国大学教授に転身した東洋史学者で、私の大好きな大学者のひとりである。本書は『支那論』と『新支那論』の二編から成る。大正3(1914)年に刊行された『支那論』は、当時の激動する支那(中国)情勢に対し、上古以来の歴史を踏まえ、政治制度、領土・外交、地方自治、財政など、多角的な分析を試みたもの。連続講演をもとにしているので、論の立て方に精密でないところもあるが、素人にも読みやすく、頭に入りやすい。この「付録」として、明治44(1911)~大正2(1913)年に行われた講演(つまり、時期的には『支那論』に先んずる)の速記録が数編、収められている。次に『新支那論』は大正13(1924)年刊行。冒頭に「去年の支那の排日問題は頗る激烈で」とあり、日本と支那の両国関係にかかわる発言が多い。
いま読んでも非常に面白い『支那論』であるが、現代の読者のためには、はじめに少しでも当時の支那情勢の解説があるほうがよかったと思う。本書と並行する支那情勢は以下のとおりで、まさに大変動の時代であった。『支那論』付録の講演には和暦の講演年月しか付記されていないので、明治44年って西暦何年?支那の事変って?あ、辛亥革命?!でもまだ清朝は滅亡していないのか?など、いろいろ混乱し、悩みながら読んだ。
1911年10月 武昌起義、辛亥革命の幕開け
1912年1月 中華民国成立、孫文が臨時大総統に就任
1912年2月 宣統帝退位(清朝滅亡)、袁世凱が第二代臨時大総統に就任
1914年6月 第一次世界大戦勃発
1915年1月 日本、袁世凱政権に21ヶ条の要求
1916年6月 袁世凱死去
1919年5月 五四運動
1919年10月 孫文、中国国民党結成
1921年7月 毛沢東ら、中国共産党結成
1924年1月 第一次国共合作
著者は『支那論』の序文で「この書は支那人に代わって支那のために考えた」と述べている。この発言は、歴史学者としての該博な知識を裏付けとしているが、著者は支那のいいところも悪いところも冷徹に見定め、一切の理想化を排し、むしろ列国が支那を甘やかすことの弊害をとがめている。たとえば『支那論』では政治上の徳義を論じ、「今日の支那は、列国に甘やかされておるので、正義の観念も発達せず、したがって共和政体の成功も危ぶまれる」という。具体的には、共和国(民主主義)の根本義に反して、国会を閉鎖したり、議員を捕縛したりする行為があったときは、列国はこれを指導する(内政干渉である)義務がある、というのである。
これは、支那だけを劣等国扱いした批判ではない。著者は日本の政治状況にも、同様に厳しい目を向ける。欧米諸国のように立憲政治、民主主義で訓練された人民および政治家は「軽々しく歴史ある主義方針を変えるようなことはせぬだけの徳義をもっておるけれど(支那はもちろん)日本でもまだ国民にこの訓練が深くないという原因からして、しばしば政策が機会主義に陥る傾きがある」。何か、いまの日本の政治に対する批判を読んでいるような気がした。
著者は、機会主義者の袁世凱が嫌いで、一時代前の李鴻章や曽国藩、張之洞を評価している。彼らは根本において真面目に国の改革を志していた。今日の(というのは『新支那論』の時代)支那政治家は、政治を「競技」(勝ち負けのある遊びごと)同然に心得ているという。この批判も、いまの日本にそのまま通じそうで、耳が痛い。著者が繰り返し賞揚しているのは李鴻章で、同国人の非難を浴びても、なすべきことをなした胆力を高く評価している。日本の政治家では伊藤博文。伊藤公は「政治上の徳義として、一旦立てた方針を枉げるべきものではないということについては、確かな信念のあった人」と評されている。李鴻章ファンで伊藤公ファンである私としては、とても嬉しい。
中国が、意外と「輿論=評判」重視の国であることや、一種の地方自治が発達していることから、これを基礎にした立憲制度が育っていくのではないか、というのは納得のいく分析であった。黄宗羲(1610-1695)の『明夷待訪録』というのは面白いな。中国にもこういう先駆的・萌芽的な民主主義の思想があったと初めて知った。
あと東洋文化の中心が支那から日本に移りつつある(ように見える)ことについて、古来、支那においては、一地域で文化が開け、爛熟して衰えると、別の未開発地域に文化の中心が移動することが繰り返されてきたのだから、「もし何らかの事情で、日本が支那と政治上一つの国家を形成していたならば、日本に文化の中心が移って、日本人が支那の政治上社会上に活躍しても、支那人は格別不思議な現象としては見ないはずなのである」という指摘には、にやにやしてしまった。日本のナショナリストは怒るだろうけど、本来の中華思想とはそういうものだと思う。
本書を読んで、この時代を扱った中華ドラマ『走向共和』が久しぶりに見たくなり、Youtubeで初回を見てしまった。全部(59話)ネットに上がっているか分からないが、続きを探しながら、見られるところまで見てみよう。
内藤湖南(1866-1934)は、ジャーナリストから京都帝国大学教授に転身した東洋史学者で、私の大好きな大学者のひとりである。本書は『支那論』と『新支那論』の二編から成る。大正3(1914)年に刊行された『支那論』は、当時の激動する支那(中国)情勢に対し、上古以来の歴史を踏まえ、政治制度、領土・外交、地方自治、財政など、多角的な分析を試みたもの。連続講演をもとにしているので、論の立て方に精密でないところもあるが、素人にも読みやすく、頭に入りやすい。この「付録」として、明治44(1911)~大正2(1913)年に行われた講演(つまり、時期的には『支那論』に先んずる)の速記録が数編、収められている。次に『新支那論』は大正13(1924)年刊行。冒頭に「去年の支那の排日問題は頗る激烈で」とあり、日本と支那の両国関係にかかわる発言が多い。
いま読んでも非常に面白い『支那論』であるが、現代の読者のためには、はじめに少しでも当時の支那情勢の解説があるほうがよかったと思う。本書と並行する支那情勢は以下のとおりで、まさに大変動の時代であった。『支那論』付録の講演には和暦の講演年月しか付記されていないので、明治44年って西暦何年?支那の事変って?あ、辛亥革命?!でもまだ清朝は滅亡していないのか?など、いろいろ混乱し、悩みながら読んだ。
1911年10月 武昌起義、辛亥革命の幕開け
1912年1月 中華民国成立、孫文が臨時大総統に就任
1912年2月 宣統帝退位(清朝滅亡)、袁世凱が第二代臨時大総統に就任
1914年6月 第一次世界大戦勃発
1915年1月 日本、袁世凱政権に21ヶ条の要求
1916年6月 袁世凱死去
1919年5月 五四運動
1919年10月 孫文、中国国民党結成
1921年7月 毛沢東ら、中国共産党結成
1924年1月 第一次国共合作
著者は『支那論』の序文で「この書は支那人に代わって支那のために考えた」と述べている。この発言は、歴史学者としての該博な知識を裏付けとしているが、著者は支那のいいところも悪いところも冷徹に見定め、一切の理想化を排し、むしろ列国が支那を甘やかすことの弊害をとがめている。たとえば『支那論』では政治上の徳義を論じ、「今日の支那は、列国に甘やかされておるので、正義の観念も発達せず、したがって共和政体の成功も危ぶまれる」という。具体的には、共和国(民主主義)の根本義に反して、国会を閉鎖したり、議員を捕縛したりする行為があったときは、列国はこれを指導する(内政干渉である)義務がある、というのである。
これは、支那だけを劣等国扱いした批判ではない。著者は日本の政治状況にも、同様に厳しい目を向ける。欧米諸国のように立憲政治、民主主義で訓練された人民および政治家は「軽々しく歴史ある主義方針を変えるようなことはせぬだけの徳義をもっておるけれど(支那はもちろん)日本でもまだ国民にこの訓練が深くないという原因からして、しばしば政策が機会主義に陥る傾きがある」。何か、いまの日本の政治に対する批判を読んでいるような気がした。
著者は、機会主義者の袁世凱が嫌いで、一時代前の李鴻章や曽国藩、張之洞を評価している。彼らは根本において真面目に国の改革を志していた。今日の(というのは『新支那論』の時代)支那政治家は、政治を「競技」(勝ち負けのある遊びごと)同然に心得ているという。この批判も、いまの日本にそのまま通じそうで、耳が痛い。著者が繰り返し賞揚しているのは李鴻章で、同国人の非難を浴びても、なすべきことをなした胆力を高く評価している。日本の政治家では伊藤博文。伊藤公は「政治上の徳義として、一旦立てた方針を枉げるべきものではないということについては、確かな信念のあった人」と評されている。李鴻章ファンで伊藤公ファンである私としては、とても嬉しい。
中国が、意外と「輿論=評判」重視の国であることや、一種の地方自治が発達していることから、これを基礎にした立憲制度が育っていくのではないか、というのは納得のいく分析であった。黄宗羲(1610-1695)の『明夷待訪録』というのは面白いな。中国にもこういう先駆的・萌芽的な民主主義の思想があったと初めて知った。
あと東洋文化の中心が支那から日本に移りつつある(ように見える)ことについて、古来、支那においては、一地域で文化が開け、爛熟して衰えると、別の未開発地域に文化の中心が移動することが繰り返されてきたのだから、「もし何らかの事情で、日本が支那と政治上一つの国家を形成していたならば、日本に文化の中心が移って、日本人が支那の政治上社会上に活躍しても、支那人は格別不思議な現象としては見ないはずなのである」という指摘には、にやにやしてしまった。日本のナショナリストは怒るだろうけど、本来の中華思想とはそういうものだと思う。
本書を読んで、この時代を扱った中華ドラマ『走向共和』が久しぶりに見たくなり、Youtubeで初回を見てしまった。全部(59話)ネットに上がっているか分からないが、続きを探しながら、見られるところまで見てみよう。