見もの・読みもの日記

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あの頃の未来都市/団地の時代(原武史、重松清)

2010-06-17 22:46:57 | 読んだもの(書籍)
○原武史、重松清『団地の時代』(新潮選書) 新潮社 2010.5

 『滝山コミューン一九七四』以来、原武史氏が書き続けている「団地の時代」。私は、同世代のひとりとして、懐かしくってしかたない。私は団地育ちではないけれど、子ども向けSFドラマの舞台になった「団地」の妖しく輝かしいオーラは今も記憶に残る。「四谷大塚」の日曜テスト。学研の科学と学習。いや、ただ風景や小道具だけが懐かしいのではなくて、少年期(少女だったけど)の「重い苦みとせつない甘酸っぱさ」(重松氏)が懐かしいのだ。

 重松清氏は1963年の早生まれで、原氏と同学年になるそうだ。『滝山』を読んで、「ああ、俺たちは同じ世代に生きて、同じぐらいに『みんな』が苦手な少年だったんだなあ、という思いが胸の奥深くを強く揺さぶった」という。いつの時代にも、「みんな」が苦手な少年少女はいただろう。けれども私たちの世代は、「みんな」に惹かれつつも「みんな」が苦手な自分に傷ついて、それを大人になるまで引きずり続けているような世代的特徴がありはしまいか…と思う。もちろん世代を超えて、「山本直樹さんとかが漫画にしたら、若い世代もすごく『わかる!』って思うんじゃないか」とも重松氏は発言している。山本直樹が描く『滝山コミューン』、読んでみたい!

 本書は、両氏の異なる生い立ち(重松氏は、地方の社宅を転々とし、80年代、大学入学を機に初めて上京した)を絡めながら、『滝山』の時代的背景を、学問的に解き明かしていく。「団地の定義というのはあるんですか?」「社会主義的なシステムなり思想と団地というものは、どこか親しいものなんですか?」「高台がいいと思われるようになったのはいつなんでしょうね」という調子で、もっぱら重松さんが質問し、原さんが答えるかたちになっているが、まるで名人がぴしりぴしりと石を置いていくような、重松さんの的確な質問が、本書を読みごたえのあるものにしている。「実は私のほうが重松さんに教えられていた」という「あとがき」の原さんの述懐は、嘘ではないと感じた。

 話題は多面的に展開する。憧れの未来住宅だった団地も、いざ入ってみると、電話がない、保育所がない、幼稚園がない、スーパーの物価が高い、という有様で(そうだったのか!)それゆえ「自治会」が生まれ、共産党が勢力を伸ばしていく、という政治思想史的な視点。プライバシーの確保によって膨らんだ「団地妻」の性的イメージ、それを「子どもの教育上」の大義名分で覆い隠す団地住民の清潔志向。生い立ちの違いから(?)重松さんが、土地への執着を自覚し「最終的には『土地』を持つことで完結するはずだという意識が拭いがたくある」のに対し、「(一戸建て願望は)全くないですね」と言い切る原さん。この感覚のズレも面白い。

 団地の需要のピークは70年代初めで終わったにもかかわらず、公団が団地をつくり続けたことに対して、原さんが「戦後日本って、家に対する意識の変化もそうかもしれないし、家庭っていうものも、四十年前に今の姿を見通すことができないような国だったんじゃないかなという気がすごくするんですよ」と述べていたのには心打たれた。そうだなあ。年金も税制も、官僚だけがバカだったのではなくて、誰もこんな社会が現実化するなんて、予想のできない戦後60年だったのだ、としみじみ思った。

 ひとつ本書に注文をつけるとしたら、アメリカのニュータウン、イギリスのガーデンシティ、社会主義国との比較は出てくるのだけれど、アジアの住環境との共通性・違いも、もう少し語ってほしかったこと。まあ、原さんの団地研究は、まだまだ続きそうだから、今後に期待。


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