見もの・読みもの日記

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江戸に出かけよう/江戸文化評判記(中野三敏)

2010-12-02 23:04:40 | 読んだもの(書籍)
○中野三敏『江戸文化評判記』(中公新書) 中央公論新社 1992.10

 多くの江戸文化探訪記は、近代の尺度を持って行って、江戸を見ようとする。江戸の中に近代の萌芽を見つけ、「江戸って、意外と近代ジャン」(著者の表現)とおもしろがる。近年の歴女ブーム、時代劇・時代小説ブームは、このノリに近いのではないか。

 著者はこの風潮に異を唱えて、言う。江戸は近代とちがうからこそおもしろい。それは、一つの社会体制の中で生まれ、育ち、成熟し、既に死んだ文化であり、もう取り返しがつかない文化だからこそおもしろいのである。いいな、この冷めた認識。著者は、その異世界へ「一人乗りのタイムマシン」=文物(特に書物)に乗って出かけていき、虚心坦懐な観察眼によって、私たちの常識を覆すような、興味深い話をたくさん仕入れてきてくれる。

 話題のひとつは、書物それ自体である。たとえば、江戸期の中央と地方は、少なくとも各大名を頂点とした一定の知識層のところでは、ほとんど文化的格差がなかった。そのことを具体的に示すのは、西国各藩の大名の蔵書である。ここで著者は、平戸の松浦静山を例に挙げているが、もともと江戸藩邸に置かれていたというのだから、証拠としてはいかがなものか? でも、静山の蔵書には、部屋住み時代からの趣味だった戯作類が豊富に含まれているということは初めて知った。

 肥前島原藩の松平忠房が残した歌書・物語の均整初期写本類とか、肥前鹿島藩の鍋島直条の舶来中国の詩箋類とか(淡彩色摺り紙。明末に登場。日本ではこのあと百年以上経たないと色摺り技術は育たない)興味が湧くなあ。これらは地方の文庫や図書館にひっそり伝わっているようだ。

 「田舎版」(江戸・京・大阪以外の出版物)の話、活字本は書物と見なされていなかったので当局の規制の対象にならなかったという話(林子平「海国兵談」には活字本と製版本がある。罫線のないのが製版本)、江戸の遊女評判記と中国およびエジンバラの遊女評判記の比較(どこの国にもあるのねえ)等々。

 話題のふたつめは、有名・無名を問わず、著者が愛する江戸の人々に関するもの。夜の雨音を愛した蘭陵先生、すてきだなあ。若冲が敬愛した売茶翁のブロンズ製レリーフ(木村兼霞堂作)の話もこの類か。江戸人ではないが、斎藤緑雨の戯詩、新体詩パロディ、巧いなあ。

 あと、「粋」はもと「いき」とは読まず「すい」と読み、「すい」には「水」の字を当てた、というのも興味深かった。「水は方円の器にしたがう」と言い、相手に合わせても本質を失わないのが「すい」だという。カッコいいねえ。こういう人物になりたいものだ。

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2 コメント

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和本教室 (きの)
2010-12-03 08:58:47
ご存知かもしれませんが、岩波書店の「図書」に中野三敏さんが「和本教室」という記事を最近まで連載されていました。この分野には無知な私にも面白く読めました。そのうち単行本として出るかも。
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きの様 (jchz)
2010-12-06 00:35:08
情報ありがとうございます。えー知りませんでした。単行本になるのを楽しみに待ちたいですね。
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