見もの・読みもの日記

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春を待つ九州旅行2011:黄檗―OBAKU (2)(九州国立博物館)

2011-03-27 00:02:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
九州国立博物館 黄檗宗大本山萬福寺開創350年記念 九州国立博物館開館5周年記念 特別展『黄檗―OBAKU 京都宇治・萬福寺の名宝と禅の新風』(2011年3月15日~5月22日)

 後半は、いよいよ京都の万福寺(以下、本文ではこの字を使用)に焦点をあてる第4章「萬福寺の開創と興隆」から。ここで、会場の基調色が赤から黒に変わる。なるほど。入口には、門をあらわす巨大なモックアップを作り、三門(山門)→法堂→斎堂の聯(れん)を入れ子にして掲げる。頭上には、総門の木額「第一義」。どこかで聞いたことがある言葉だと思ったら、時代は遡るが、禅宗に傾倒した上杉謙信が、春日山林泉寺(上杉家の菩提寺)に掲げさせた額も「第一義」だった。

 その「門」を潜ると、こちらに正対して、高い台座から見下ろしているのが、黄金の韋駄天立像。おおお、カッコいい~! 私は、この万福寺の韋駄天立像が大好きなのである。いつもは天王殿(布袋様を祀る)の背面にいらっしゃる(※写真)ので、気づかない人も多いが、私は必ず近寄って拝礼していく。しかし、甲冑や剣の鞘、光背、いつもは見えない台座、翻る天衣など、これでもかというような精緻な細工が施されていることに、あらためて驚嘆した。このマニエリズムは清朝の美学だなあ。あと、会場では見落としたが、今、図録を見て、裾の内側に赤い彩色が残っていることに気づいた。図録の解説によれば、おそらく同じ工房でつくられたと見られる、これと酷似した作が、長崎・聖福寺にあるという。そうなの? 「聖福寺+韋駄天」で画像検索すると、范道生作タイプの剣を横たえて合掌する韋駄天像しか出てこないのだが…。

 韋駄天像の裏に進むと、十八羅漢像の2体。虎を従えたバダラ尊者と赤い衣のスビンダ尊者。照明の効果で、衣の皺がぞくぞくするほど異様な陰影を見せている。そして、いちばん奥には、万福寺禅堂に安置される白衣観音像(初公開)。台座・光背をあわせると総長4.9メートル。よく展示室に入ったなあ。圧巻と言っていいと思うのだが、中心の観音像は、女性的な温容を表現する。豊かな頬、耳、伏し目がちの目元、少し笑みを浮かべた唇など、ちょっと文楽の娘のカシラみたいだ。これらも范道生の作。製法は「脱乾漆」って、天平時代だけじゃないのか、とびっくりする。

 書画では、隠元禅師の墨蹟「黄檗山」に見とれた。のびのびと力強く、バランスがいい。やっぱり書には人柄が表れるのだと思う。思わず声をあげそうになったのは、万福寺蔵『関聖帝君像』の巨幅(清時代)。雲の上にぬっと上半身をあらわしたところは、ほとんど怪獣である。2009~2010年に開催された『道教の美術』展では、東京・大阪・長崎で計4回も通ったにもかかわらず、見逃した作品だ。嬉しい、と思ったが、『黄檗』展の図録を見たら、これと対になる『隻履達磨図』があることを知ってしまった(後期:4/19~展示)。目玉をひんむいた大入道の達磨図。見たい。ほとんど怖いもの見たさである。

 第5章は「黄檗文華」。最後の部屋に、万福寺の飯梆(はんぽう)が下がっている。私は、かいぱん(開梆、魚梆)と呼びならわしているが、中国風の禅寺にはつきものの木の魚。しかし、「夜も目を開けている魚を見習って修業しなさい」という意味だということは、冒頭のパネルで初めて知った。

 後水尾天皇が黄檗禅に帰依していたことも初めて知る。黄檗版大蔵経の初刷禁裏献上本(鉄眼道光が後水尾上皇に献上した)は、滋賀県の正明寺に伝わっている。あ、去年、ご開帳に行った日野の正明寺か…と思い出す。また、隠元禅師の年譜を読んでいたら、23歳の時、普陀山の潮音洞主のもとに参じ、茶頭となる、という記事があったのにも驚いた。中国浙江省・舟山群島の普陀山といえば、日本からの留学僧・慧蕚(えがく)の縁で訪ねたことがあるが、隠元和尚ゆかりの地でもあったとは。いろんな記憶が、意外なかたちでつながって面白かった。

 黄檗宗のふるさと、福州(福建省)は、私にとって未踏の地である。いつか行きたいなあ…。

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