見もの・読みもの日記

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「社会系」で行こう/貧者の領域(西澤晃彦)

2010-03-24 23:55:02 | 読んだもの(書籍)
○西澤晃彦『貧者の領域:誰が排除されているのか』(河出ブックス) 河出書房新社 2010.2

 「貧困」「格差」を論じた本を目にすると、つい手に取ってしまう。しかし、読んでみた結果は、ぴたりと胸に落ち着く本もあれば、違和感と後悔が残る本もある。なぜ自分は、この問題にひかれるのか。共感できる本とできない本の差異はどこにあるのか。たまたま見つけた本書を読みながら、そんなことを考え続けた。

 本書は、都市社会学の立場から、野宿者や寄せ場労働者などの都市下層(Wikiによれば、東京などの全体的な生活水準の高い大都市に在住している貧困層)研究に携わってきた著者が、近年の「貧困」問題をめぐる「報道の洪水」に対して、「貧困の現実はいまだ十分に可視化されていない/むしろ何も変わっていないのではないか…」という、戸惑いと違和感から書き起こしたものである。

 本書の特徴的な点は、著者が貧困問題の核心に「排除」という概念を据えていることだ。格差社会論は「能力」次第で階層移動が可能な社会を前提に移動の阻害要因を見出そうとする。一般的な貧困論は、欠如や不利といった指標概念によって語られる。しかし、著者は、国家と社会(=よき国民をメンバーとする)が「非国民的なもの」を周縁に押しやり、制度的に排除することから、貧困の発生を説明しようとする。読みながら、私の頭の中には、むかし好きだった、赤坂憲雄の『排除の現象学』や『異人論序説』がよみがえってきた。そうだ、私は「貧困」の問題を通して、われわれの社会が不可避的に備えている「排除」のメカニズムを考えることにひかれているのだ。たぶん。

 「非国民的なもの」とは何か。具体的には、家族を持たず、定住せず、組織(会社など)に属さない人々である。これって、私の場合、前の2つは当てはまってしまうのだ。幸い、安定した「組織」に属しているからいいようなものの、どこかで一歩選択を誤ったら、明らかに貧者の領域に押し込められていただろうと真面目に思う。と思いながらも、家族を形成することに強い意欲はないし、2~3年ごとに住む町の変わる今の生活が、本心から好きだ(実は、来月にも引っ越し予定)。だから、「よき国民」になれない人々=排除された人々の物語は、どうにも他人事とは思えない。

 では、貧者、あるいは「非国民的なもの」を着地させる社会という拡がりは、いかにして立ち現われるのか。著者の回答はいかにもユニークである。それは雇用とか福祉制度ではなくして、「都市」(アーバニズム)の問題である。「都市」において、人々は異質な文化的背景を持つ「他者」と共在せざるを得ず、そのことが「共生の作法」を練り上げていく。著者の紹介によれば、長年、地方から上京してきた若年労働者を受け入れてきた池袋や新宿では、新たな「ニューカマー」アジア系外国人と地元住民の間でも、一部メディアが過剰に報じたような、強い軋轢や衝突は起こらなかったという。本当だとすれば、これは素晴らしいことだ。しかし、日本の経済的衰退は、都市の文化的な死を招き、貧者が身を寄せる場所としての「都市」は、奪い去られつつあるという。福祉や社会保障の制度構築以前に、多様性や異質性に寛容な「都市の作法」を取り戻さなければ、日本は、どんどん住みにくくなっていくだろう。

 著者は、そのように異質な人々が共生する社会の構築を志向する人々のことを「社会系」と呼んでいる。ちょっと緩い言葉で、私は好きだ。著者のいう社会は、「合理性に目覚めた強い個人のアソシエーション」ではない。「社会系」の目指す社会とは「個人の弱さを庇わざるを得ないがゆえにおずおずと見出される拡がり」である。70~80年代に、強い個人を主体に「市民社会」をつくる運動をしてきた世代からは、笑止!と軽蔑されるだろうな。でも敢えて、これからは社会系で行こうよ。

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2 コメント

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貧しさは内に入らねば分からない (突いた)
2010-03-27 21:38:23
お姉さんこんばんは、
貧困のご本ですのよね。あたしも昔から貧困には興味あって、でも、この筆者の様に学者的に学問として興味有る訳じゃない。貧困のまっただなかにいたから、必然的に興味を持たざるを得なくなったのよ。
明治の初期以来、貧困問題の本は多数出版されているけれども、大抵、上から目線の客観的考察ってやつなのよね。貧者自身の記述は少ない、それは当り前で、そんな技術、才能があったら苦労しないのよね。貧困にはならない。
筆者は
>排除することから、貧困の発生を説明しようと、してるそうだけど。
現在の貧困はそうではないと思う。現在の社会は貧者を必要としている。といっても生産者として同志として必要としている訳では無くて、消費者として、また次世代の奴隷的生産者を生産する、少子化対策者として必要としていると思うの。結局今の成功者(冨者)は日本の底辺たちを植民地として、自らが生産した商品の購買者として貧者を必要としてるだけ。国民の一人としては排除し、被支配者として欲している。太古の昔に帰ろうとしているのではないかしら?例えば古墳時代ぐらいに。
最近、貧困映画のhttp://www.basura-movie.com/を見ましたの。考えさせられたわ。映画のなかで案内役のタクシードライバーがフィリピンの人間は大人になったら皆悪いことをし始めるから、子供だけの社会を作らなきゃいないって趣旨の話をしていたわ。社会のリーダーたちが何も考えなくなったら、自分のことだけしか考えなくなったら国がどうなるか、この映画は日本のある未来を語っているような気がした。
でも社会派するのもエネルギーがいるわ。この映画の途中であたし、あまりの悲惨さに耐えられなくなって、おなかが痛くなった。歳のせいね。世の中を良くできるのは、いつの時代も若さだっていうことよ。
身分が、立場がしっかりしたものを持ってる人がいくら立派なご本を書いてもあたしは信じない。事実だけが真実を雄弁に語ると思っているの。
今日は固い話でごめんね。今度は京都等伯展の感想を書きますわよ、良くって?
        あなたの妹、突いたですの。
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新しい視点です (mikakohh)
2016-02-12 18:22:40
私も貧困問題をテーマにしているものがあると手を出したくなる習性があります。排除U+2022差別が貧困の一因であることは事実ですが、それを都市論的視点から論じるというのは私にとって新しい視点です。貧者の領域を読んでみたいと思いました。
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