見もの・読みもの日記

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大学のニ度目の再生/メディアとしての大学(吉見俊哉・講演)

2010-12-05 23:58:18 | 行ったもの2(講演・公演)
○吉見俊哉「メディアとしての大学」/連続講義『日本の未来、メディアの未来』(2010年11月23日、13:00~)

 このところ忙しくて、いろいろと書き逃している記事がある。遅ればせだが、これはやっぱり書いておこう。東京大学の駒場祭で、情報学環教育部自治会が主催した連続講義の1コマ。友人に「行こう」と誘われたときは、え、そんな若者のお祭りに、いい年をして紛れ込めるのか?と躊躇したけど、後ろのほうでそっと聴かせてもらった。

 講義の冒頭、話題の『ハーバード白熱教室』を紹介するNHK番組をみんなで見た。東大の安田講堂で行われた”模擬”白熱教室が紹介され、大学教師やタレントが、サンデル教授に熱烈な賛辞をおくる。吉見先生自身もNHKのインタビューを受けているのだが、映像を見たあと「このとき僕は怒っていたんです」という。ハーバード大学では、授業の前に、学生に膨大なリーディングリストが提示され、学生は周到な準備をして授業に向かう。授業が終わったあとは、ティーチング・アシスタント(院生スタッフ)が、学生の到達度を測り、フォローアップする。そうした前後のシステムや運営コストが担保されて初めて「白熱教室」は成り立つのであって、教員の個人的な資質や努力に依存するのは間違いではないか。

 私は、テレビ版「白熱教室」を見ていなくて、本になった『これからの「正義」の話をしよう』を読んだだけだが、連続講義の背後に、読むべき古典的名著が、読むべき順序に従って、きちんと配列されていることに感心していたので、この指摘には得心した。だいたい、あの番組を見て、日本の学生だって「白熱教室」を生み出せる→オレたち意外とやるじゃん、と悦に入るのは、一種のセルフ・オリエンタリズムではないか、と講師の批評眼は厳しい。

 次に「大学とは何か」という問いをめぐって、講師は歴史をさかのぼる。近代の大学の起源は、11-12世紀に求められる。大学に集積された知識(書物=写本)を求めて、学生はヨーロッパ各地から大学に集まった。ところが15世紀、印刷技術が発明され、複製された書物が流通するようになると、大学に行かなくても知識にアクセスすることが可能になり、このことが「大学の死」をもたらす。17世紀、絶対王政の時代に重視されたのはアカデミーであって、大学ではなかった。そうだったのか。大学って、いったん死んでいるんだ。

 しかし、19世紀、帝国主義の時代に至って、大学は息を吹き返す。大学は、国民国家の成員(指導者)を育成する役割を担った。ここで講師は四象限図を提示する。資料は配られなかったので、記憶によって再生すると…。

19世紀的専門知
(工学、理学、法学、医学…)
新しい専門知
(分野横断的)
19世紀的リベラルアーツ
(ナショナリズム)
新しいリベラルアーツ
(?)

 もともと中世の大学では、専門職の養成に加えて、リベラルアーツ(教養)の修得が大学の役割だった。19世紀の大学は、これを引き継ぎつつ、リベラルアーツの核に「ナショナリズム」を据えた。20世紀中葉以降、カルチュラルスタディーズやポストコロニアリズム等の思想は、このナショナリズムに対し、闘いを挑んできたが、結果的には、思想闘争の結果ではなく、市場主義を核としたグローバリゼーションの波によって、古い国民国家の理想は退潮しつつある。再び19世紀的なナショナリズムを招来することは望ましくない。しかし、われわれが望むのはグローバルな市場主義でもない。大学の再生に向けて、新しい何ものかを核にしたリベラルアーツが必要とされている。この課題設定はすごく面白くて、共感できた。「リベラルアーツ」に再注目している大学は多いけど、やっぱりこのくらいのこと(国民国家の否定・克服)は、はっきり言ってほしい。

 それから、中世の大学(ユニバーシティ)が、教員組合・学生組合を意味していたことを説き、だから、大学にとって学生は顧客ではない、学生と教員は、それぞれ立場は違うけれど、組合(コミュニティ)の一員と考えるべきだ、という言葉にも共感した。「学生は顧客ではない」ってはっきり言う大学教員に久しぶりに会えて、嬉しかった。講師の吉見俊哉氏は、いつの間にか、東大の「大学総合教育センター」なる組織のセンター長に就任されているそうで、今後、大学教育について、どのような提言をされていくのか、注目したい。

 蛇足。後日、というのは先週なのだが、勤め先で「学生は顧客である」という立場に基づく職員研修をみっちり受けた。その感想をこっそり書いておくが、法人化した国立大学で盛んに行われている職員研修は、組織における「客分」であった職員を、組織の一員につくりかえる過程であり、明治の国民国家形成を追体験しているような趣きがある。もうちょっと新しい理念を注入できないものかと思うが、無理か。

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