見もの・読みもの日記

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2014年3月@東京:観音の里の祈りとくらし展(藝大美術館)

2014-03-28 22:58:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京藝術大学大学美術館 『観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-』(2014年3月21日~4月13日)

 琵琶湖の北岸(湖北地域)に伝わる優れた仏教彫刻の数々を、地元で大切に祀られる様子とともに紹介する展覧会。全18件。一目で全体が見渡せるほどの狭い空間に、全展示品が密度濃く集められている。私は、2010年の夏に高月の「観音の里ふるさとまつり」、同年秋に「長浜城歴史博物館」と「高月観音の里歴史民俗資料館」が連携して実施した『湖北の観音-観音の里のホトケたち-』展を見ているので、なんとなく見覚えのある仏像が多くて、懐かしかった。

 冒頭の十一面観音立像(田中自治会・湖北町田中)は、ふっくらした丸顔に扁平な胸、華奢な腕が、可憐な少女を思わせる。善隆寺(和蔵堂)の十一面観音は、唇を引き結んだ表情にも、黒く小柄な体躯にも、充実した緊張感がある。総持寺・宮司町の十一面観音は、なかなかの美仏。このあたり(展示室左側の列)の仏像は、見たことがあるとしても展覧会会場なので、記憶が定かでなかった。

 しかし、日吉神社(赤後寺)の千手観音は「現地」を訪ねているので、すぐに思い出した。手首から先を失った脇手の異様な迫力は、一目見たら忘れられない上に、炎天下の高月を歩き回った記憶がセットになっていて、冷やしたスイカをご馳走になったことまでよみがえってくる。隣りの「いも観音」と呼ばれる摩耗の激しい2体の仏像(菩薩形立像と如来形立像)は、確か長浜城歴史博物館でも拝見した。昭和の初めまで近所の子供が川に浮かべて水遊びしていた、というエピソードは、そのときの会場案内の方も語っていて、あんまり呑気な話なので、あっけにとられた記憶がある。

 菅山寺・余呉町坂口の十一面観音は、展示作品の中で一番古く、8世紀末~9世紀初頭に遡ると見られていたが、本当かな。補修も入っていそうで、素人にはよく分からない。最後に横山神社の馬頭観音立像を見ることができて嬉しかった。以前、高月の横山神社を訪ねて拝観したもの。「現地」でお会いした仏像と、こうして美術館で再会するのは感慨深い。「三面八臂」で、中央の面と頭上の馬は口を開け、歯(と牙)を剥き出している。左右の面は、鋭い眼光で、見る者をねめつける。

 この展覧会は、各像のキャプションパネルに所蔵先の寺院等の写真があり、近在の人々がどのようにお守りしているか、どんな祭事があるかなどが書かれている。まさに「祈りとくらし」の展覧会で楽しかった。元来、仏像が何のために作られたかはさておき、日本の地域社会では、仏像がコミュニティの核になってきた歴史があるのだな、と感じた。必ずしも常駐の僧侶は必要でなくて、無住のお寺やお堂でも、そこに仏像があれば、近在の人々が責任を分担して、守り伝えてきた歴史。

 併設の『藝大コレクション展-春の名品選-』(2014年3月21日~4月13日)も見て行く。近代絵画が中心だろうと思っていたら、尾形光琳の『槇楓図屏風』や曽我蕭白の『群仙図屏風』が出ていたので、不意打ちを食らう。小特集「近世の山水/近代の風景-富士山図を中心に-』には、浦上玉堂や谷文晁も。亜欧堂田善の『江戸街頭風景図』は縦長の画面に、表情の見えない長身の人物を配した夢幻的なムードの作品。

 最後に中庭に出て、岡倉天心先生の像に挨拶をしていく。このあと東京都美術館『世紀の日本画』(後期)を見に行く予定だったので。

※[3/30追記]東京から宅送したカタログ類をようやく受け取る。会場でもらったクリアファイルに「観音の里めぐり2014」のパンフレットが入っていた。行きたいなあ…。詳細はこちら

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