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見もの・読みもの日記

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2014慈恩寺(山形県寒河江市)秘仏御開帳

2014-07-15 19:51:39 | 行ったもの(美術館・見仏)
慈恩宗本山 慈恩寺(山形県寒河江市)秘仏御開帳(2014年6月1日~7月21日)



 慈恩寺には、もう10年以上前に一度行ったことがある。何かの御開帳の折だったと思うが、よく覚えていない。昨年もこの時期(2013年4月28日~7月15日)に御開帳があると聞いて、ぜひ行きたいと思ったのだが、機を逸してしまった。

 今年こそは、と思っていた最初の計画がつぶれ、慌ててリベンジを企てる。諸事情により、出発地点は新潟駅前から。朝8:05発の高速バスに乗って、山形駅まで4時間弱。長距離バスの旅は久しぶりだ。というか、日本国内ではめったにしたことがないので、中国旅行を思い出してしまう。緑の山波、風にそよぐ田圃、水量豊かな河川と並行する区間もあって、楽しかった。先週、水害に見舞われた南陽市も通り抜けたので、あまりのどかなことは言っていられないが。

 バスの到着は少し遅れたが、予定どおり山形駅からJR左沢(あてらざわ)線に乗る。慈恩寺には羽前高松駅が至便だが、車内の案内を見ると、タクシーはいないようなので、寒河江駅で下車した。駅に下りてみて、ああ、前回もここからタクシーで往復したな、と思い出す。寒河江駅から慈恩寺の駐車場までは2,000円をちょっと出る。名刺(割引券)をくれて「お帰りは寒河江駅まで2,000円ちょうどにします」と言われた。

 6月に拝観に来た友人から「京都や奈良と違って人が少なく、のんびりしている」と聞いていたのだが、この日は、山門をくぐる人の姿が途切れなかった。数人ずつのグループが多いのは、マイカー利用者が多いのかな。荒々しい木造の正門をくぐり、境内のテントで拝観券を購入して、本堂→右手の薬師堂→左手の三重塔の三箇所を拝観する。

 本堂に入り、狭い外陣の天井を見上げると、中央には龍、その左右には悠然と舞う天女の絵があった。中央の龍に匹敵するような大きな天女像で「(絵師ではなくて)お坊さんが描いたんだよ」と案内の方がおっしゃっていた。江戸の画家たちの流派や名前が分かってくると、古いお寺で絵馬も眺めるのも面白い。

 内陣に進むと、須弥壇上の厨子(宮殿=ぐうでん)の扉が開いて、秘仏の弥勒菩薩坐像がまっすぐこちらを向いている。ご開帳チラシにお顔のUP写真が掲載されている仏様である(慈恩寺のサイトにも掲載あり)。やわらかく身体にフィットした衣、切れ長の目、あでやかな朱い唇。ぐるりと化仏(?)を付けた縦に高い宝冠がめずらしい。やはり宋風ということになるのかしら。鎌倉時代後期の作。

 宮殿の前面左右には二体ずつ。右から、不動明王立像、釈迦如来坐像、地蔵菩薩坐像、降三世明王立像という並びだ。いちばん左端の降三世明王立像が、ダンスのステップのように片足を高く上げているのが面白い。足元に邪鬼の姿はなし。いずれも面長な印象。弥勒像の正面には、小さな青磁の花瓶に紫陽花が一輪、活けてあった。よくある御開帳のように、金襴の垂れ幕とか、大盛りの生花・供物等が一切ないので、視界は非常によい。純粋に仏像を見たい拝観客にはありがたい限り。ふと天井を見たら天蓋があって、本来なら宮殿の前には、修法壇(?)が置かれているはずだが、拝観の便宜のためか、全部撤去されていた。お寺の本堂にいるというより、博物館の展示会場にいるようで、不思議な気分。

 ちょうどツアーの到着する時間なのか、複数の団体が次々に入ってきた。作務衣姿の案内の方が「御覧になったら少しずつ進んでください」と博物館みたいな指導をしていた。

 順路に従い、左手の部屋へ。ここがまた、暗幕を背景に凝った照明に照らされた仏像の数々。うーむ、どう見ても博物館だ。鎌倉時代の聖徳太子像など。秘仏の前立だという小さな弥勒菩薩像もあったが、お顔も印相も全く異なっていた。宮殿の裏側をまわって、反対側に出る。その突当りに、少し腰を浮かせた、小さな菩薩坐像が展示(でいいのか?)されていた。御開帳のパンフレット等で、弥勒菩薩に次いで取り上げられている仏様だが、実物は本当に小さい。ミロのヴィーナスみたいに両腕を失っているのが痛々しいが、それゆえに優しい表情が引き立っている。

 内陣の右手の部屋には、左端に文殊菩薩騎獅像。優填王、仏陀波利、最勝老人が従う。獅子の手綱をとる優填王が、西域人らしくて断然いい。右端は普賢菩薩騎象像で、十羅刹女4体が従う。たいへん珍しいものだと思う。左右の彫像の印象が強くて忘れてしまったが、中央は阿弥陀(伝・釈迦)如来坐像だったかしら。京(みやこ)ぶりの丸顔。いずれも平安後期12世紀の作。釈迦如来・騎象普賢菩薩・騎獅文殊菩薩という三尊構成は、滋賀県の常信寺(大津市)にもあるそうだ。

 次の薬師堂には、薬師如来三尊像を祀る。金泥の光背が華やか。本堂の宮殿の外壁も金箔貼りだった。財力があったんだなあ。薬師三尊は、背後に慶派仏師の作と見られる十二神将像を従える。頭上に小さな十二支像を戴くタイプ。造形の水準は高いが、上半身裸(?)がいたり、閻魔大王みたいな文官の冠を被ったのがいたり、いろいろ混じっている感じがする。最後に三重塔で大日如来坐像を拝観。

 本堂前で、案内や解説をしている赤いポロシャツのおじさんにお話を聞いてみた。「照明が美術館みたいでしたね」と言ったら「あれは芸術工科大学の先生(学生?)がやってくれた」という。東北芸術工科大学か!なるほど、プロはだしのはずだ。てかプロだものね。向かって右(順路の最後)の部屋にあった騎象普賢菩薩・阿弥陀如来・騎獅文殊菩薩は全て秘仏で、通常は宮殿の中、本尊の右側の空間に収まっているのだそうだ。確かに本尊拝観のとき、右側がやけにポッカリ空いているなあと思ったのだ。左側にはまだ何体か仏像が収まっていましたね、と話したら、おじさんは「よく見てるね」と笑っていた。

※参考:Theoria・ミュージアム あ・ら・かると【ご案内】慈恩寺開山千三百年 慈恩寺秘仏御開帳(2014/5/13)
※同:【続報:ご案内】慈恩寺秘仏展 設営準備状況から(2014/5/16)

 なお、Wikiによれば、慈恩寺は天平年間の創建という伝承を持つが、おそらく開創は平安初期の9世紀と考えられている。再興は院政期で、天仁元年(1108)、鳥羽院の勅宣により藤原基衡が阿弥陀堂等を新造し、鳥羽院より下賜された阿弥陀三尊を阿弥陀堂に、釈迦三尊と下賜された一切経五千余巻を釈迦堂に、基衡が奉納した丈六尺の釈迦像を丈六堂に安置した。では、あの京(みやこ)ぶりの阿弥陀如来は鳥羽院の? このときの荘園主は当時摂政だった藤原忠実。さらに仁平年間(1151-1153)には、平忠盛が奉行となった記録もある。京(みやこ)の貴顕たちの影響力はこんな東国にも及んでいたのか…というのは現代人の僻目で、平安貴族たちの活動空間は狭いようで広く、広いようで狭いのかもしれない。

 1時間半くらいゆっくりして、タクシーを呼び、寒河江駅へ。この日の山形は小雨だったが、寒河江駅で「ご自由にお使いください」というビニール傘を借りられたのはありがたかった。JRで仙台へ。山寺(立石寺)を車窓から遠望する。立石寺にも久しく来ていないなあ。震災以後、まともに東北旅行をしていないのだ。仙台で牛タンを食べて、最終便で札幌に帰った。

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