〇『三体』全30集(上海騰訊企鵝影視、中央電視台他、2023年)
世界中で読まれている中国のSF小説、劉慈欣の『三体』(三部作の第1部)をドラマ化したもの。日本語訳は2019年に出版され、私もすぐに読んで堪能した。中国でこの作品が映像化されると聞いたときは、正直不安しかなかったが、いま全編を見終えて、少なくともこの第1部に関しては文句なしだと思っている。
演員は実力派を揃えた最高の布陣だった。退役軍人で警官の史強を演じたのは于和偉。小説を読みながら、実写化するなら于和偉がいいなあと思っていたので、配役を聞いたときは飛び上がるほど嬉しかった。原作ではもう少しゴツい見た目に描かれているが、粗野で、人たらしで、頭の回転が速く、決断力と行動力に富む魅力が十二分に再現されている。
ナノマテリアルの研究者で、三体人の標的となる大学教授・汪淼を演じたのは張魯一。男性的な魅力も表現できる俳優さんだが、この作品では、おかっぱみたいな髪型といい、ほぼシャツインの服装といい、真面目で繊細な科学者を演じていた。印象的だったのは、自分の開発したナノワイヤ「飛刃」が大型タンカー(とその乗組員たち)をスライスする様子を遠望したときの、恐怖と緊張とさまざまな困惑に凝り固まった表情。原作にも描かれているのだけれど、映像では想像の余地が何倍にも膨らむ気がする。
汪淼は、最初は嫌っていた史強に対して少しずつ信頼と尊敬を深めていく。ETO(地球三体組織)の討論会に潜入した汪淼を救出し、ETOを制圧するために乗り込んだ史強は、任務を完遂するが、小型の核爆弾に被爆する。そのあと、救急車の窓ガラス越しに硬い表情で史強にVサインを示す汪淼に萌えた。この二人、ずっと身体的な距離は遠いのだが、最終話、三体人がすでに地球に「智子」(ミクロスケールのコンピュータ)を送り込んでおり、地球人の科学の敗北が決定的であることが判明して、絶望に酔いつぶれた汪淼が、訪ねて来た史強にとうとう抱きつく。二人の距離がゼロに縮まった瞬間で、おじさん二人の抱擁シーンにやられてしまった。
小説ではあまり印象に残らなかった常偉思(林永健)もよかった。軍服を脱げば、どこにでもいる普通のおじさんっぽい雰囲気。中国人にとって有能な職業軍人とはこういうイメージなのかな、と思った。葉文潔(老年:陳瑾)、申玉菲(李小冉)、魏成(趙健)も難しい役を印象鮮やかに演じていた。
途中から小説本を引っ張り出して比較してみたら、ドラマはかなり原作に忠実につくられていることが分かった。たとえば、葉文潔が出産後しばらく紅岸基地を出て斉家屯の農民たちと暮らした逸話などは、ドラマオリジナルかな?と思ったら、私が忘れていただけでちゃんと原作にあった。「古筝作戦」を提案した史強にアメリカ人の大佐が葉巻をケースごとプレゼントするシーン、最終話、イナゴの群れ飛ぶ麦畑で汪淼たちが虫に乾杯するため(とドラマでは言葉にしないけれど)酒を大地に注ぐシーンも完全な「原作の映像化」だった。
一方、原作では具体的な活躍のない女性警官の徐冰冰を史強のアシスタントとして肉付けしたのはよい改変。ネットジャーナリストの慕星は完全なオリジナルキャラだが、巧く機能していたと思う。葉文潔に従う武道の達人・陳雪もオリジナルかな? 全体に女性の登場・活躍シーンを増やしているように思う。汪淼の子供も原作では息子だが、ドラマでは女子になっていた。
エピソードの順序も基本的には原作(中国語版)に従っているようだ。日本語版『三体』は英語版をもとにしているため、はじめはちょっと戸惑った。英語版および日本語版では、過去パート(葉文潔の少女時代)がある程度示されてから現代パートに入るが、中国語版は、次々に謎の事件が起きる現代パートから始まる。日本語版『三体』の「訳者あとがき」に大森望さんが「ケン・リュウも語るとおり、エンターティンメントとしてはそちらのほうが読みやすいかも」と書いており、納得できた。
なお、ドラマの葉文潔には「紅衛兵への復讐を全人類への復讐で代えようと思った」というセリフはあるが、英語版の冒頭にある、葉文潔の父親が紅衛兵に暴行され落命するシーンは映像化されていない。そのため、葉文潔の私的な体験に基づく絶望の深さが伝わりにくいのは残念で、ETOの人々が三体人の降臨を待望するのは、エヴァンズや生物学者の潘寒が主張する、科学文明による生態系の破壊という、抽象的な理由だけになってしまっている。
しかし映像の完成度は素晴らしい。興安嶺の山峰に立つ巨大なレーダー(パラボラアンテナ)。1960-70年代中国の科学者の日常。ゲーム「三体」で繰り広げられるおかしな世界。全てリアリティがある。現代パートでは、中国国家機関の加速器施設やナノサイエンスの研究所がロケに協力しているらしい。要塞のような外観のADC(アジア防御理事会)作戦中心は寧波博物館とのこと。いつか訪ねてみたい!