〇細谷雄一『国際秩序:18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ』(中公新書) 中央公論新社 2012.11
2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まって3週間になるが、事態は膠着の様相を見せている。ネットには、さまざまな情報、意見、憶測などが洪水のように流れており、国際政治に疎い私は、ただ茫然としていた。何か手がかりになる本を探しに行って本書を見つけた。2012年刊行の本書が、2022年の国際政治を考える上でどれだけ役に立つか、正直不安もあったが、だいぶ頭がクリアになった。
本書は、18世紀のヨーロッパを起点として、今日(オバマ大統領の登場と太平洋の世紀の始まり)までの国際秩序の歴史を展望したものである。はじめに3つの秩序原理が示される。思想的な誕生順に「均衡(バランス)」「協調(コンサート)」「共同体(コミュニティ)」である。
17世紀のヨーロッパは宗教対立に端を発する戦争や内乱が頻発し、恐怖と混乱の中で、力こそ重要とするホッブスの『リヴァイアサン』が生まれた。18世紀に入ると徐々に大国は全面戦争を回避するようになり、仏、英、墺、ロシア、プロイセンの五大国を中心とする勢力均衡の体系がつくられた。初めて「勢力均衡」という概念を明瞭に説明したのはヒュームである。
18世紀末から19世紀初頭、フランス革命戦争とナポレオン戦争によって旧い勢力均衡が破壊される。戦後秩序の構築を主導したのはイギリスのピット首相とカースルレイ卿で、単なる均衡の回復でなく、五大国の協力を組織化した「ヨーロッパ協調」を目指した(ウィーン体制)。
しかしリベラリズムの浸透したイギリス国内では、カースルレイ外相がヨーロッパ大陸の国際政治に深く関与していることが批判の対象となる。ロシアの地中海進出(クリミア戦争)、ドイツの軍事強国化を推進するビスマルクの登場、ナショナリズムの勃興などにより、ヨーロッパの一体性が失われていく。また19世紀後半から20世紀にかけては、ドイツ、アメリカ、日本という「新興国」が台頭し、国際秩序がグローバルに拡大した。
第一次世界大戦(1914-1919)は、戦勝国となったアメリカと日本、新たに誕生したソ連という、ヨーロッパ諸国とは異質な価値観を有する3つの大国を生み、ヨーロッパの五大国のみでは世界規模の勢力均衡を維持できないことが明白となった。また、そもそも勢力均衡という考え方に基づかない新しい国際秩序の構築が期待された。その中心となったのがアメリカのウィルソン大統領で、世界中に民主主義を普及させ、道徳的な政治体制を結集させて「国際共同体(コミュニティ・オブ・パワー)」を構築することがアメリカの使命であると説いた。これは哲学者カントの考えた永遠平和主義に近い。
しかしウィルソンの構想は、連合国間で十分に調整されたものではなく、アメリカ国民は旧大陸の国際政治への関与を望んでいなかった。不安を抱えた戦後体制(ヴェルサイユ体制)が始まったが、1930年代、満州事変とヒトラー政権の成立という2つの事件によって、「均衡なき共同体」「価値の共有なき共同体」だった国際連盟による国際秩序は崩れ去る。
第二次世界大戦(1939-1945)の戦後秩序を設計したチャーチルとローズヴェルトは、勢力均衡の必要性を理解しており、ウィーン体制を模範とした。国際連合の憲章には各国が共有すべき価値を明記し、大国間協調を維持するため、英米ソの三大国にフランスと中国を加えた五大国を安全保障理事会の常任理事国とした。同時に小国もそれぞれの立場を表明できる総会が設けられた。国連は安保理に象徴される「協調の体系」と総会に象徴される「共同体の体系」が結びついたものになったのである。
その後の冷戦時代、人々は核戦争の恐怖に怯え、小国間の軍事衝突が繰り返されたが、主要な大国間では「長い平和」が実現した。そこでは依然として軍事的な勢力均衡が意味を持つと同時に、大国間の協調枠組み(安保理など)が機能したと考えられる。そしてヨーロッパは「共同体の体系」として歩み始めた。アメリカは、ソ連の崩壊後、民主主義と市場経済を地球全体に広げていく「関与と拡大」戦略を掲げたが、2000年代に入ると、対テロ戦争、中国の急激な成長によって再び勢力均衡の論理へ回帰していく。
以上が概略である。初心者の感想すぎて気恥ずかしいが、国際秩序において「勢力均衡」が必須であること、しかし、より確かな平和の基礎としては、価値の共有を前提にした「協調」や「共同体」の構築が必要なことがよく腑に落ちた。
勢力均衡は多様性の擁護に結びつく、という視点も初めて得た。世界がやがて平和な単一の共同体に収束するという夢想は美しいが、強引に価値の一元化を進めることは無益だろう。それはそれとして、過激で情緒的なナショナリズムが国際協調の阻害要因となっていることも強く感じた。