〇金澤周作『チャリティの帝国:もうひとつのイギリス近現代史』(岩波新書) 岩波書店 2021.5
イギリスでは、弱者を救済する活動がきわめて活発で、自然なものとして社会に深く根付いている。それは、たまにイギリス王室関連のニュースに接しているだけの私でも、うすうす感じていたことだ。
「困っている人に対して何かしたい」「困っている時に何かをしてもらえたら嬉しい」「自分のことではなくとも困っている人が助けられている光景には心が和む」。この3つの気持ちは、チャリティという活動を生み出す普遍的な原動力と言える。だが、チャリティの実態を歴史に沿って見ていくと、この後に続く「ただし」「しかし」という留保の内容が、時代によって少しずつ変化していく。
古代ギリシア・ローマでは、市民の善行の対象は同じ市民に限られ、善行によって称賛を得ることが美徳と考えられた。中世には、死後の救済を得たいという気持ちを核に、善行の対象は万人(ただし異教徒を除く)に拡大し、キリスト教的チャリティが完成した。近世に入ると、公的な権力の責任による救貧が制度化されるとともに、所属する社会の秩序維持のため、私人主導の多様なチャリティが実践されるようになった。
近現代のイギリスでは「自助」が称揚され、多くの人が他人に依存しない独立した生を目指した。しかし不況や老齢で自助が破綻した場合は、友愛組合や協同組合による互助・共助がセーフティネットとして機能した。それでもリスクを乗り切れなかった場合、次のセーフティネットがチャリティだった。慈善信託、篤志協会などに加え、長期間にわたり地域共同体で実践されてきた慣習的なチャリティ(落穂拾い、トマシング=聖トマスの日の物乞い)が紹介されているのが興味深い。また、イギリスでは、早い時期から全国規模で公的救貧の制度が整えられたが、人々が公的救貧を忌避し、なんとかチャリティまでのセーフティネットに留まろうとしたというのも特徴的に思える。
19世紀のチャリティは、驚くほど多様な展開を見せる。貧しい既婚女性の分娩を助ける産科チャリティ(未婚女性は対象外)、ガヴァネス(女性家庭教師)慈恵協会、船乗りの救助や支援を行うライフボート協会、北アフリカのイスラム諸政体で虜囚となったイングランド人の買戻し支援団体。これらは「ヴィクトリア時代的道徳」の反映であり(特に女性に関して)、全般的に「自由主義資本社会にとって有用な人々を救う」ことを目的としていた。
他方、救済に値しない不良貧民は徹底して排除された。物乞い撲滅協会という団体は無心の手紙(ベギング・レター)の真贋を見抜く活動に力を入れた。有用な弱者には手厚くし、無用な弱者は切り捨てたいという選別への熱意は、いまの日本社会に限ったことではないのだなと思った。
それから投票チャリティ(寄付者が投票で受給者を選ぶ)など、エンターテイメントとして工夫を凝らした活動が行われていたことも興味深い。チャリティ団体は「悲惨」と「救済」をパッケージ化し、寄付者市場に提供する。広告、プロモーション、マーケティングは大切で、競争に敗れれば退場しなければならない。需要の高い分野には類似の団体が参入してくる。そのダイナミクスは、一般の購買者市場と変わるところがない。現在のクラウドファンディングの源流が分かった気がした。
この時代、チャリティの活況は国外にも拡大した。確かにイギリスは奴隷貿易の廃止を推進し、キリスト教の宣教とともに医療や教育を植民地等に提供したが、現代の目で見れば、文化帝国主義の批判を免れない。しかし当時の人々は「博愛の帝国」という祖国像をナイーブに信じていた。また著者は、イギリスのチャリティの資金源の問題について、奴隷商人のコルストンと武器製造業者のアームストロングを取り上げる。彼らは同時に際立った慈善家でもあった。
20世紀に入り、第一次大戦の休戦直後に誕生した「セーブ・ザ・チルドレン」は本格的な国際人道支援の起源に位置づけられる。階級、人種、政治、信仰に関わらず、したがって旧敵国の子どもをも救済しようという運動が、当初猛烈な反対にあったというのは、ここまでのチャリティの歴史を読んでくるとよく分かる。一方で、この運動が、巧みなPR戦略と「帝国としての国際的責任」を強調して成功したことも納得できる。
20世紀後半、イギリスが「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家を標榜する間、チャリティは存在感を失っていた。しかし80年代以降、もはや福祉国家が立ち行かなくなる中で、再びチャリティに対する期待が高まっているという。過去の歴史は、よいことばかりではないけれど、こうした連帯の伝統を持ち、それを時代に合わせて柔軟にアップデートしていけるのはうらやましいと思う。