見もの・読みもの日記

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本と人それぞれ/検閲官-戦前の出版検閲を担った人々の仕事と横顔(千代田図書館)

2017-02-10 06:30:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
千代田図書館 『検閲官-戦前の出版検閲を担った人々の仕事と横顔』(2017年1月23日~4月22日)

 面白そうな展示をやっていると聞いたので、見てきた。千代田図書館は、一度だけ利用したことがある。九段の千代田区役所の9階と10階に入っていて、平日22時まで開館し、ビジネス支援に力を入れている図書館である。キャッチフレーズは「あなたのセカンドオフィスに」だ。そんな図書館が出版検閲をテーマにした展示というのは、なんとなく似合わない感じがしながら、行ってみた。会場は通路のようになった「展示ウォール」という一角で、10数枚のパネルとその前に設置された書棚や展示ケースで構成されていた。



 戦前の日本では、明治期から「出版条例」と「新聞紙印行条例」に基づく検閲が行われていた。明治8年(1875)から内務省の所管するところとなり、警保局保安課、同図書課などを経て、昭和15年(1940)には情報局が設置された(このへん記憶あいまい)。展示では、これらの組織で「検察官」をつとめた人物を具体的に紹介する。土屋正三、佐伯慎一(郁郎)、内山鋳之吉、安田新井の四人。いずれも初めて聞く名前だった。

 土屋正三(1893-1989)は帝大卒の内務警察官僚で、山梨県知事や群馬県知事もつとめた。エリート官僚と言っていいだろう。戦後、国立国会図書館専門調査員もつとめているということに、へえ~と少し驚いた。佐伯慎一(郁郎)(1901-1992)は詩人でもあり、児童読物の改善に携わり、戦後は岩手で教育行政に従事した。その蔵書と文学者たちとの交流を示す資料は、奥州市江刺区の私設図書館・人首(ひとかべ)文庫に保存されている。内山鋳之吉(1901-?)は、東京帝大在学中はセツルメント活動に参加、卒業後は劇団「心座」に参加し、検察官をつとめる一方で、左翼劇団員として活動していた。面白いなあ、このひと。戦後は「神奈川になる私立学校の理事長」になったそうで、調べたら湘南学園らしい。佐伯と内山は、本や文学が好きだったために、何か間違えてこの仕事についてしまった人たちのような気がする。安田新井(新栄)は、実直な普通の官僚だったようで、特に目をひく事跡は残していない。

 通路の反対側の壁にまわると、「検察に使用された本のゆくえ」が図示されていた。検閲の結果、発売中止になったものは内務省に留め置かれていたが、戦後、GHQに接収されて、アメリカ議会図書館に渡った。一部は返還されて、国立国会図書館の発禁図書コレクションとなっている。一方、発売中止にならなかったものは、昭和12年(1937)から東京市立日比谷図書館に委託されることになり、その一部が千代田図書館(内務省委託本)に伝わっているのである。なるほど~明るい閲覧室とビジネス支援を売りものとしている千代田図書館が、なぜこの展示を企画したか、やっと理解できた。

 なお、検閲関係図書は、地方の図書館に伝わっている場合もある。すでに購入済みの出版物について、内務省→警察庁→各地の警察→所管の図書館へと「発行禁止」が伝達されると、図書館は自主的な閲覧制限などの処置をとった。長野県立長野図書館には、これら出版物検閲に関する事務文書の綴りが残されており、興味深いことに文書の現物が展示されていた。発行禁止の理由には「風紀を乱す」と「安寧秩序を乱す」の二種類がある。「性」に関するものは前者(他愛のない題名が並んでいた)。文書綴りの展示ページには、江戸川乱歩の「黒蜥蜴」の書名があって、「風」(風紀を乱す)の記号が付いていた。納得。しかし、同じ乱歩の「鏡地獄」は「安」マークだった。ほかにも知っている作家名や書名が目について、面白かった。

 千代田図書館のホームページで「内務省委託本」の解説を見ると、「従来は閉架書庫に収められている資料の一部として所蔵しておりましたが、出版文化史を研究する浅岡邦雄氏(中京大学文学部教授)が、検閲を含めた戦前期の出版事情について研究される中で、これらの本の貴重性に注目されたことがきっかけとなり、2007年に全閉架資料約9万冊を1冊ずつ調べ、『内務省委託本』として抽出しました」とある。大きな功績だと思う。こういう調査を待っている資料は、まだあちこちの図書館・文書館にあるのだろう。
コメント
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